初期の計算器具

すでにタイガー計算機の回に歯車式計算機の話題はやっていますが、それ以前の計算機というのはどのようなものだったのでしょう?


最初の計算器具は「指」だっただろう、というのが多くの学者の共通した意見です。人間は自分の手の指を折って数をかぞえ、指何本、という形で数を表わしました。両手では足りなくなったら「一人分の手の指と」何本と表わします。つまり、10を単位として数え方が変わるわけです。これが10進法の始まりです。


古代マヤ文明では足の指も使って数えたらしく、20進法を使っています。また、いまでもアフリカの一部の民族では20進法を使っていると聞いたことがあります。
 余談ですが、筒井康隆のSF推理小説で、蟹型の宇宙人が4進法を使っていることをトリックにしたものがありました。

やがて、古代バビロニアでは小石を地面に置いたり、置きやすいように溝を掘った板に並べたりして計算をするようになります。これは「アバカス」と呼ばれる計算器具で、そろばんの元祖です。


もっとも、アバカスの使い方はまだ完全には解明されていません。ただ、小石と計算に古くから関係があったのは確からしく、計算法を意味する「カリキュラス」という言葉はラテン語で小石を意味する「カルクリ」に由来するのだそうです。

並べていた小石は中東から中国に渡った段階で棒に通された珠となり、1を表わす5つの珠と5を表わす2つの珠を1つの軸にし、それを並べる「そろばん」となりました。(現在の日本のそろばんは1が4つ、5が1つで1つの軸になっています。日本でもこの形式になったのは明治以降だったようです)


また、同じく中東と中国の境目当たりの商人から、商売の計算をしたそろばんの珠の数を1桁ずつ書き移す数の表記法が生まれました。これが位取りの誕生です。


位取り以前の表記法が面倒だったというのは多くの人が知るところです。たとえば今年の西暦である1997という数字は、漢字では千九百九十七、英語ではMCMXCVIIとなります。

位取りが誕生すると、複雑だった数字の表現が簡単に行えるようになり、数学が発達しました。そして、やっと計算機らしい計算機が出てきます。


ネイピアの計算棒

アバカスに変わる新たな道具として、16世紀前半にスコットランドのジョン・ネイピアという数学者が計算棒を発明しました。といっても、計算機と呼ぶのもおこがましいような道具です。はっきりいって、ソロバンのほうがなんぼかマシです (^^;

 ネイピアの計算棒。
 2年ほど前に旅行先でたまたま「子供科学館」を見つけて入ったら、特別展をやっていてそこで始めてこの計算器具の存在を知った。その時とった写真。
 これは携帯用に小さく作られたもので、棒は麻雀の点棒程度の幅しかない。奥の箱に収納して携帯し、計算の時は手前の板に並べて使う。


計算棒は、掛け算を高速に行うためのものです。足し算引き算はそれほど難しいものではありませんし、割り算は掛け算が出来れば応用で出来ます。しかし西洋には「掛け算九九」がありませんでした。ですから、日本人のように掛け算を暗算することが出来ず、ひたすら足し算を繰り返すしかなかったのです。


計算棒の原理は単純で、数字がかかれた棒が何本かあるだけです。棒は象牙や骨で作られたものが多く、構造が単純なだけにいろいろな人がいろいろな形に工夫して作っていたようです。

左にあるのが、その棒に書かれた数字です。ここでは3と7を用意してみました。規則性がわかりますか? そう、ただ一番上の数字に1〜9を掛けた時の結果が、十の位と1の位の間に斜線を引いて書かれているだけです(笑)



これを並べて、たとえば573×3 をやって見ます。左図のように被乗数の棒を並べ、乗数(ここでは3)番目のマスを見ます。(赤枠で囲った部分)

ここで、斜めに引かれた線が意味をもちます。この斜め線で囲まれた2つの数字をそれぞれ足しあわせます。

最後にこの数字を並べると、それが答えです。573×3=1719です。



うーん、これは日本人には出来ない発明だったろうな。日本人は掛け算という難敵に対しては「全部暗記する」という修行で対処していましたから、こんな面倒な方法は考え付かない。

どっちがいいか、という問題ではなくて、個人が頑張って対処する東洋思想と外部に肩代りを求める西洋思想の違いです。


しかし、この「掛け算は、桁ごとに分解してやれば簡単な表と足し算で代用できる」という考えは非常に画期的な発想で、後の機械式計算機でも活かされていくことになるのです。(現在のCPUでも生きていると言えるかも知れない)

(ページ作成 1997-04-06)

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