ABCマシン

目次

アタナソフ・ベリー・コンピューター

独特のメモリ機構

二進数の採用

ABC マシンの計算

特許裁判


ABC マシンの計算

最初に書いたとおり、ABCマシンの目的はガウス消去法による連立1次方程式の解を求めることでした。

予定では、29変数の連立1次方程式を解くことが可能でした。


ガウス消去法とは、例えば以下の連立1次方程式がある場合、このような計算を行う方法です。

3x+6y = 3 ...(1)

6x+2y = 10 ...(2)

(1)式の係数を、(2)式の係数から引きます。x の係数が0になるまで引きます。

2回引くと次のような式になります。

-10y = 4

これで、 y の値が求まりました。つまり、 y= -4/10 です。

同じように x の値を調べれば、x y 共に答が求まります。

これがガウス消去法と呼ばれる計算方法です。


ABC マシンには2つのメモリドラムが搭載され、ドラムには縦方向に 30 個、円周方向に 50個のコンデンサが並べられます。

このうち同一円周上にあるコンデンサが1つの変数をあらわすため、変数は 50bit となります。この変数が 30個並んでいるため、1つのドラムでは 30元の係数ベクトルを記憶出来ます。


これを2つ持ち、2つの式で値を次々と減算して行く事で、1つの変数の係数を 0 にする、というのが ABC マシンの動作でした。


減算してもちょうど0にならない場合は、ビットシフトによって桁をずらして、さらに引き算が行われます。これは引き放し法の割算と同じ動作ですが、目的は割算では無く「係数を0にすること」である点がちがいます。

ABC マシンは、この方法で29変数連立1次方程式を、機械の演算時間30時間、人間の操作時間25時間の合計55時間で解くことができると見積もられていました。


特許裁判

1967年、ハネウェル社とスペリーランド社との間に特許紛争が持ち上がります。


スペリー・ランド社は、ENIACの設計者であるエッカートとモークリーが設立した会社とレミントン・ランド社が合併して出来た会社で、ENIACの基本特許を持っていました。
 スペリーランドはIBMと提携しており、お互いの特許を格安で使うことが出来ました。それにより、事実上この2社がコンピューター産業を独占する形となり、他の会社はなんとかしてその状況を打破しようとしていたのです。

ここで、ハネウェル社は ENIAC の特許を無効だと主張し、ENIAC以前にその技術が存在したと証言できる承認としてアタナソフを証人に立てました。


アタナソフは、モークリーが 1941年6月にアタナソフの元を訪れ、計算機の原理について詳しく語り合ったことを証言します。

ENIAC の開発は 1943 年に開始されていますから、これは明らかに「ABCマシンに基本原理を得た」ことを意味する証言です。実際には、ENIACとABCマシンの間にはあまり関連はありませんが、それはこの際どうでも良いことでした。

これに対して、ちょうど健康状態も優れず、相手弁護士の高圧的な態度にうろたえたモークリーは事実と違った証言をしてしまいます。これは裁判官の心象を悪くし、モークリーは嘘つきだという印象を与えただけでした。


さらにハネウェル社は徹底的な方法で裁判官に訴えます。なんと、世界ではじめてコンピューターを使って裁判のための資料を作ったのです。

人間が文章を書くのであれば、その提出量はたかが知れています。しかし、重要な部分だけを人間が書けば後は定型文としてコンピューターが分厚い資料の山を作り出したら…

提出された資料は、過去に例を見ないほど膨大なものとなりました。裁判官のやる気を失わさせるには十分な攻撃でした。


さらに、ハネウェル社以外のコンピューター会社や、政府議員からも圧力がかかります。コンピューター産業は今後のアメリカの経済成長には必要であり、なんとかして独占を止めなくてはいけないというのです。

ハネウェル社の執拗な攻撃と、政府からの圧力。しかし、法治国家であるアメリカで、外圧に屈した判決を出すわけには行きません。裁判官は窮地に立たされます。


ちょうどそのとき、決定的な事実が明るみになります。

なんと、ENIAC特許の申請書類は、提出期限を過ぎてから提出されていたと言うのです。アメリカの特許法では、特許にしたいものを公開してから1年以内に書類を提出しなくてはなりませんが、ENIACの書類提出は1年半後でした。

この証拠は「渡りに船」でした。1973年10月、ラーソン裁判長は手続きの不備を指摘して「ENIAC特許は無効」とする判決を出しました。これで裁判は結審します。


この判決は、最初のコンピューターがどちらであるかを意味するものではありません。単に「事務処理の問題で」特許が無効になっただけです。決して、「正当な権利を持っていたのがABCマシンだから」ではありません。

しかし、この判決をもって「世界最初のコンピューターは ABC マシンである」という主張をする人が多いのも事実です。


私の考えでは、 ABC マシンも、ENIAC も、今で言うところのコンピューターではありません。 

しかし、ABC マシンではメモリの作り方や2進法の採用などが、ENIACでは汎用性を確保する設計技術が、後のコンピューターに大きな影響を与えていることは疑いようもないのです。



参考文献
誰がどうやってコンピューターを作ったのか?星野力1995共立出版
ENIAC 世界最初のコンピューター開発秘話スコット・マッカートニー著/日暮雅通訳2001パーソナルメディア


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(ページ作成 1998-06-07)
(最終更新 2002-05-04)

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