3Dプリンタの元祖

目次

パーソンズ社

空軍

加工機の完成

Whirlwind

自動プログラム装置

完成、その後

CAD

そして現代


完成、その後

APT II 灰皿1959 年、2D-APT II が「APT」として発表されます。

発表会では、実際に APT で設計し、削り出された灰皿が、お土産として配られたそうです。



上:発表会で配布された灰皿。APT II という文字の下に、共同研究者である AIA MIT AMC の名称と、FEB.'59 という日付が入っている。
MIT 150周年より引用。

また、この段階でまとめられた(おそらく配布された)資料では、APT によってデザインワークがどう変化するかを、「漫画で」紹介しています。

コンピューター関連の真面目な資料で漫画が入っているというのは、非常に珍しいように思います。

How the APT system is used.


まとめられた資料では「引き続き 3D-APT IIIを開発中」となっています。しかし、この発表で MIT は APT の開発を終了します。


APT は共同研究者であった米国航空宇宙工業会に引き継がれ、その後 1962年にはイリノイ工科大学が開発を継続します。


APT と NCMM は、多くの会社に導入されました。

機能の足りない部分は、各社が独自に拡張を行います。互換性はありません。

これにより、「データを用意すれば実物が手に入る」という APT のメリットが失われます。


混乱を避けるため、1963年から、APT の標準化作業が始まります。

この作業は難航します。各社の独自拡張を取り込み、国際標準規格となったのは 1968年のことでした。


このころ、トランジスタを使ったコンピューターが作られ始め、真空管コンピューターと比べると非常に安価になります。

この「安価な」コンピューターを使うことで、加工機も安くなります。

NCMM では、複雑なアナログ回路により加工機を制御していましたが、同じことをコンピューターでできるようになったのです。

新しいタイプの加工機は CNC (Computerized Numerically Controlled) 加工機と呼ばれました。

APT の標準化は、CNC の普及に間に合いました。これで、無用な混乱は避けられます。


…が、普及期に入ったということは、もう「APT」システムは特別ではない、ということでもあります。

APT はライセンスに問題があったために産業界に嫌われ、同等の機能を持つ代替言語がいくつか作られ始めました。

その中で、Gコードと呼ばれる言語が事実上の標準となっていきます。そして、APT は歴史の表舞台から消えてゆきました。


ライセンス問題、というのがどのようなものであったか、調べてもよくわかりませんでした。
開発から手を引いた MIT がライセンスを主張することは考えにくいように思えますし、空軍もライセンスの主張はしないように思います。
しかし、開発に参加した AIA の14社なら? APT を使えることは、商売上大きな優位点です。他の会社が使いづらいように、高いライセンス料を要求したとしても不思議はありません。
ただ、これは推察にすぎません。邪推かもしれません。…詳しい事情をご存知の方、情報まってます。


CAD

APT は、コンピューターに形状データを与えれば、それを物理的に「手にとれる」形にしてくれる、というシステムの元祖です。


APT 完成後の MIT は「加工機」ではなく、モデル形状を作成する「CAD (Computer Aided Design:コンピュータによる設計支援)」の研究を始めます。

先に書いたように、APT は「加工」は問題なく行えるまでに成長していました。

しかし、そのための「モデル」データの作成方法が問題でした。ロスの頭を悩ませていたのも、どうすれば3Dの自由なデータを作り出せるのか、ということに尽きます。


APT は、形状を「プログラムとして」記述し、コンパイルして NCMM (のちには CNC) を制御するデータを得ました。つまり、コンパイラ型の言語構造です。

これだと、設計図から形状を読み取り、言語として記述しなおす必要があります。そのような手間をかけず、コンピューターの画面上で描いた図形が、そのまま削り出されて現物になる、というのが理想です。


CAD の研究の一端は、Whirlwind の後継機(TX-2)で、MIT のサザーランドが「スケッチパッド」として実現します。

これは世界初の GUI 、世界初の対話システムであり、それまでのコンピューター利用方法とは明らかに違うものでした。


スケッチパッドを基にして IBM とゼネラルモーターズは、DAC-1 という CAD システムを構築し、自動車の設計に使用します。

このころから、多くの会社が CAD を作成し始め、普及し始めた CNC 加工機と組み合わされて、工業製品の品質は向上していきます。


そして現代

CAD の技術はその後目覚ましく発展します。

先に書いたように、現在では自由曲面を使って自由な形状を作り出せるようにもなっています。


自由曲面の話題は興味深いのですが、APT の話からは外れるため、別記事にまとめておきます。


出力も、NCMM から CNC に変わり、現在は 3Dプロッタや 3Dプリンタが話題になっています。

名前こそ違えど、目的は「データとして定義された立体物を、実際に作り出す」ための装置です。


別ページに APT を「3Dプリンタの元祖」と書いたところ「マシニングセンタ(CNC の進化したもの)と3Dプリンタは違う」という突っ込みを受けました。

このことについて、少し言い訳しておきましょう。


まず、僕の意図としては、APT の「機能」である、定義データを実体化する、という点にありました。

3D プリンタが注目されているのは、この作業が比較的安価にできる、と期待されているためです。しかし、「安価」というのは CNC に比較しての話。


CNC すら存在しない時代には、比較するものもありません。思い描いたものがすぐに形になる、APT は革命的なものだったろうと思います。


また、3Dプリンタという言葉は、実際には BUZZ Word(流行しているから使われているだけの言葉)で、実態はありません。

一応、CNC が「削り出す」のに対し、平面のデータを「積層して」立体を作り出すものを 3Dプリンタ、と呼んでいるのですが、3Dプリンタの中には「積層した後、削り出しが必要」なものもあります。


また、CNC と同様に切削方式である MODELA は、非常に安価なために 3Dプリンタの一種としてとらえられています

(販売元は「3Dプロッタ」と呼んでいますが、タイアップキャンペーンなどでも「3Dプリンタ」と呼ばれることを禁止してはいないようです)


こうなってくると、CNC と 3Dプリンタの本質的な違い、というものは存在しないように思えます。

これが、APT を 3Dプリンタの元祖、と表現した理由です。



参考文献
Origins of the APT language for automatically programmed toolsDouglas T. Ross1978ACM
MODIFICATION OF THE NCMM TRANSLATION ROUTINE FOR USE WITH THE G & L MACHINEA. Siegel1955MIT
Automatic Program ToolsDouglas T. Ross1958MIT
GENERAL DESCRIPTION OF THE APT SYSTEMDouglas T. Ross1959MIT


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(ページ作成 2013-05-02)

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