WWI 初の現代的コンピュータ
目次
開発打ち切りの危機
さて、1947年のうちに設計は終わり、1948年には実際にマシンの作成が始まります。
しかし、16bit を並列に処理する、というのは、予想以上の難事業でした。
この後数年間、プロジェクトは毎年百万ドルの開発経費を必要としました。
これは、当時の他のコンピューターから見ても高すぎる金額でした。
元々、WW I は「戦時中だから」必要なプロジェクトでした。
しかし、戦争は終結しました。それなのに WW I だけで毎年数百万ドルを使い、最終目標の WW II はまだ姿も見えません。
作成開始の翌年、1949 年には、海軍はプロジェクトを打ち切ろうとし始めます。
しかし、同じ年の夏、ソ連が核実験に成功します。
航空機はジェット機の時代へと移行していました。
もし、ソ連がジェット機に核爆弾を搭載し、アメリカ本土を目指したら…
これを防衛するのは、空軍の役割でした。
実は、空軍は早々に諸外国も核武装する可能性を考慮していました。そのため、ソ連の核実験以前から、米空軍科学諮問委員会のメンバーに詳細なリスクの研究を依頼していました。
MIT の物理学教授、ジョージ・バレー(George Valley Jr.)も、諮問委員の一人でした。
バレーは考えます。ソ連のジェット機を防衛するには、全米の海岸線にレーダーを張り巡らせるしかありません。
しかし、レーダーでの警戒範囲は限界があります。地球は丸いため、直進する電波では低空が影になってしまいます。低空から侵入されると、十分に監視できません。
もし、低空からの侵入で発見が遅れたら…。高速なジェット機であれば、発見から数分後には爆撃目標地点まで到達します。
人間がレーダーを目視し、発見後最寄りの空軍基地にスクランブル依頼を行う、というのでは遅すぎます。原爆が一発落とされれば、アメリカはもう戦うこともできなくなるでしょう。
明日にでも起こるかもしれない、最悪の状況…戦慄のシナリオでした。
こうならないためには、膨大な情報を処理し、最適な迎撃方法を見つける自動システムが必要でした。
そして、バレーは MIT の人間でした。
1948年、バレーは WWI の開発責任者、フォレスターと相談し、WWI を使うことが最善の防衛方法かもしれない、と空軍に書簡を送ります。
この提案により、打ち切り寸前だった WWI の開発は継続されることになりました。
以降は空軍が資金を提供しました。
ただし、最終目標は WW II ではなくなりました。
海軍の依頼要件では WW II の性能が必要でしたが、空軍の要件では WW I で十分なのです。
それに、明日にでも最悪の状況は起こり得るのです。「今すぐ」使えるシステムを作ることのほうが重要でした。
完成、しかし…
1951 年、WWI は「取り合えず」完成します。
この、当時としては驚くほど複雑な機械はちゃんと動作しましたし、世界で初めての CRT 出力も動きました。
しかし実は、動作速度は予想を下回る、ひどいものでした。
メモリの開発に失敗していたのです。
改良ウィリアムズ管は、たしかにリフレッシュの不要なものでした。
しかし、代償として、通常のウィリアムズ管よりも、動作がずっと遅かったのです。これでは改良の意味がありません。
代替となるメモリの模索が、すぐに始まりました。多くのメモリが試されました。
そして、1953 年、開発されたばかりの磁気コアメモリ(1949年に発明)に行き着きます。
磁気コアメモリは、発明されたばかりで十分な信頼性のない技術でした。
しかし、すでに「どんな方法でも試す」ようになっていたチームはこの技術を試します。そして、これこそが求めていたメモリであることに気づきます。
磁気コアメモリの発明経緯に多少の事実誤認がありました。
1949年に発明されていたのは磁気コアメモリではなく、「フェライトコアに磁気記録を行う方法」にすぎませんでした。
コンピューター記憶媒体としての「磁気コアメモリ」は、WhirlWind I のチームによる発明です。
単に新しい装置を「試してみた」のではなく、その装置から発明しているのです。
詳細は別ページに記します。
正方形に作られた「板」の、1辺に 32本の導線がつけられているのが見える。32x32 で、1024bit を1枚に格納できる。16bit word なので、1枚 64word である。
この板が21枚ほど納められているのが目視できるので、1344word。ラックにはまだ空き格納スペースがあり、36枚は格納できるようだが、32枚あれば最大容量の 2048word となる。
磁気コアメモリは、フェライト(どこの家庭にもある、黒っぽい磁石の材料)のビーズに3本の電線を通しただけの、非常に簡単な作りです。
こんなものが、水銀遅延管より安く、ウィリアムズ管よりも高速で、リフレッシュの必要もなく、大容量化に向いている技術だったのです。
数字は、十進一桁の金額、アクセスタイム、耐久年数(年)。
リレー回路 :$120 10μs 1y
真空管回路 :$100 .5μs 0.5y
水銀遅延管 :$4 300μs 5y
ウィリアムス管:$4 25μs 0.3y
コアメモリ :$1 10μs over10y
コアメモリは真空管よりも遅いが、値段、速度、耐久年数とも申し分ないことがわかる。
WWI で使用されて以降、20年ほどはコアメモリがメモリの定番である時代が続きます。
さて、コアメモリの採用によってやっと「本当に」完成した WWI は、素晴らしい性能を発揮します。
16bit 足し算を 49μ秒で行うことができました。
UNIVAC I では、BCD 11桁(72bit)の足し算に 525μ秒かかります。
IBM 701 も、18bit 足し算に 84μ秒かかります。
演算の処理単位が違うので単純比較はできませんが、「同じビット数」に換算しても WWI の速さは変わりません。
最速のコンピューターを作るために、bit の並列処理が行われ、回路の複雑化を抑えるためにマイクロプログラムが考案され、初期のパイプラインが実装され、磁気コアメモリによる大容量メモリが搭載されました。
ここで使われている技術は、それ以前のコンピューターとは全く異なる発想のものでした。
そして、今のコンピューターは、同じ技術が改良されて使われ続けています。
ここに「現代的な」最初のコンピューターが完成したのです。