階差機関&解析機関
目次
功績の実証
バベジは結局、階差機関を完成せず、解析機関は組み立てに着手することすらなく、この世を去りました。バベジの葬式には周辺に住んでいた多くの人が集まり・・・バベジの死を喜んだそうです。早すぎた天才の、悲しい死でありました。
このうち階差機関の夢は、幾人かが後を追い、簡素化した装置を実用化しています。一番最近では、バベジの生誕200年(1991年)を記念して、ロンドンの科学博物館が、印字部分を除く第2階差機関を復元することに成功、さらにその9年後の2000年には、印字部分も完成しています。
現在(2013年)では復元された第2階差機関の細部まで詳細に撮影されたギガピクセル画像がインターネット上で公開されています。
復元された第二階差機関 第二階差機関は、最初の階差機関よりも精度が10桁高く、部品点数は3分の1に絞り込まれているため、復元計画の目標となった。 完成品の大きさは高さ2.1m、幅3.3m、奥行き0.46m 、重さ3トンで、復元にかかった総費用は75万ポンド(1億8千万円)。 復元は当時の技術・当時の設計図で行われたが、設計上のミスがいくつか修正されている。また、加工精度は当時のままだが、実際の加工には現在の機械を使っている。 完成した機関は、見事に動作し、バベジの考えの確かさを証明した。 |
しかし、解析機関はあまりにも複雑であったため、また、「プログラム」という概念を理解出来る人がほとんどいなかったため、だれも作る事はなかったのです。
唯一、バベジの息子ヘンリが、遺品として受け継いだ図面から解析機関の試作を行っています。この機械は、πの倍数の計算を29桁まで正確に行ったとされていますが、工作精度が低かったこともあり故障してしまったそうです。
最後に、多くの人が持つ誤解を解くためにも、蛇足ながら付け加えて置かなくてはなりません。
バベジをコンピューターの父、と呼ぶとき、紹介されるのは主に階差エンジンですが、これは数表計算用の専用機であり、汎用の計算機ですら有りません。
解析エンジンを階差エンジンの延長上に見る人も多いのですが、この間にある「計算機自体が手順を理解する」ということこそが、最も重要な発明です。
100年以上前に、蒸気で動くコンピューターを夢見た男。早すぎた天才、という表現すら空しく感じるほど、彼の登場は早すぎたのかもしれません。
参考文献 | |||
誰がどうやってコンピューターを作ったのか? | 星野力 | 1995 | 共立出版 |
バベッジのコンピューター | 新戸雅章 | 1996 | 筑摩書房 |