今年は長女が大学入学して、大学のスケジュール感とかわからないので G.W. の予定を考えられるようになったのは4月中頃。
昨今の物価高と、外国人観光客の多さで宿はどこも値段が高い。
直前になって空いている宿なんて、1人3万円以上の所ばかり。家族5人で15万も出す気はない。
しかしまぁ、日帰りできる範囲で楽しむことはできるだろう、と、子供の意見なども聞きつつ、思いつくままに行ったら楽しそうなところをリストアップ。
それをまた家族にみせて、興味ある所の意見をもらい、そこを中心に日程を組んでみる。
というわけで、まずは「東京編」だ。5月2日、連休の初日に設定した。
当日朝、行く準備をしていたが長男が調子悪そう。
熱を測ったら 37度ちょうどだった。
大学が忙しくて疲れ気味だったので、休みだと思ったとたんに疲労で熱が出たのだろう。
本人も家で休んでいる方が良さそうだというので、今回は長男は不参加で。
チケット取っちゃってある分もあるが、そこは仕方ない。体調不良を押して悪化しても困る。
家を8時半ごろ出て、有楽町駅には9時55分ごろ到着した。
有楽町は僕が仕事でお世話になっている会社がある駅で、たびたび来ている。
実は前日の金曜日にも行っていて、目的地までの道を下調べ済みだ。
そのまま皇居の方に歩いて10分ほど。静嘉堂文庫美術館に到着。
国宝の「曜変天目茶碗」を持っている美術館で、毎年 G.W. には展示を行っている。
今回は、「美を味わう ー懐石のうつわと茶の湯」という展覧会。茶の湯に使われる道具を中心に展示・解説している。
まず最初に、正式な作法での「茶会」の最初に行われる「懐石」の解説がある。
まずは出席者に料理を食べてもらい、もてなす、という部分だ。
ここでも、ステップごとに使われる器などが並べられている。
懐石の作法なんて知らなかったのだが、まぁ食事なので、手前には「飯」と「汁」が並ぶ。そして、奥に料理が付けられるのだが、この料理を「奥付」というのだそうだ。
そして、最初に出される料理こそ最初から器に乗っているが、以降は大きな器で全員分を持ってこられて、空いた器に取り分けられる。
ここで、奥付の器は「何度も使われる」し、「空になって底や裏を鑑賞するタイミングも来る」ため、亭主のセンスが一番表現されるらしい。
というわけで、次の展示。「奥付に使われる」ことを想定して、いくつかの器が並ぶのだが、実際に料理を載せた写真なども付けられている。
江戸初期に焼かれた貴重な皿とかを実際に使っているわけだ。皿には料理を載せないと真価がわからない、とは思うが、なかなかこういう展示はできない。
なお、あとでミュージアムショップ行ったら、この一部始終は雑誌で特集されていて、その雑誌を販売していた。
さらに、「それ以外」の器を展示する。静嘉堂文庫美術館の収蔵品で、お酒を入れるための酒器や、料理を持ってくるための大鉢、盛り合わせを出すための八寸皿など。
織部って本当に深緑なんだなぁ…みたいなことを言っていたら、長女が「織部は緑?」と不思議そうにした。
静かにしないといけないので出てから解説したのだけど、「織部」は名前ではなく、官職名。古田織部はなにか手柄を立てて官職名を名乗ることを許される。
(つまりは、重用されていることの証だ)
この時、機織り集団をまとめる職である「織部」を選ぶ。あくまでも官職名を「名乗る」ことが目的で、仕事にしたわけではないのだけど。
当時すでに宣教師は来ていて、彼らが深緑を「オリーブ色」と表現していたのを知っていたのだとか。
そして、その緑色を気に入った織部は、候補役職の中に「織部」があるのを見て、オリーブと音の響きが似ているから選んだ、という説がある。
そして、彼は茶の湯をたしなむ中で、自分でもオリーブ色の器の作成を目指すのだ。
(実際作成したのは職人たちだが、そういうものを作れ、と指示したのは織部だ)
最後は特に貴重な品をまとめたエリア。
千利休、秀吉などが愛用した品などがあるが一番の目玉は「曜変天目茶碗」。
以前は「世界に3つしか残っていない」といわれた中国で焼かれた茶碗なのだが、構造色になっていて光の当たり具合で色が変わる。
残っているものはすべて日本にある。中国では「一時流行った作り方」だが、日本では海外から来た貴重な品なので、とても大切にされていたらしい。
どうやって作るのか不明。3つしか残ってないので成分分析などをすることもできない。
ただ、近年中国で「壊れた破片」がいくつか出土しているそうだ。以前は3つしかなかったのが、サンプルが増えれば研究も進むかもしれない。
ここでは、展示の都合でそれほど強い光は当てられておらず、構造色になっているというのはよくわからなかった。残念。
妻は以前に一度曜変天目を見ているそうで、あまり興味はなかった…のだが「つくも茄子」があることに驚いていた。
僕は下調べしていたので知っていたのだが、妻がそんなにこれを見たかったのだとは知らなかった。
下膨れの玉のような形が茄子に似ているのでこの名前がある、小さな蓋つきの器で、抹茶を入れていたもの。
正直なところ、これがそれ程よいものだというのはよくわからない。
ただ、「歴史的な興味」は非常にそそる品だ。
古くは足利義満が持っていたもので、「名物」として、歴史上の権力者たちが所有してきた。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康も所有者で、玉璽のような「所持者の権力を示す」品となっている。
織田信長は茶道具として、いつも持ち歩いていたらしい。
ところが、本能寺の変で燃えてしまった…とされるのだが、実際には難を免れたらしく、豊臣秀吉の所持となった。
しかし、大阪冬の陣で大阪城は焼けおち、つくも茄子も燃えてしまった。
次の権力者となった徳川家康は、焼け跡に茶道具の燃え残りがないか、捜索指示を出す。
ここで、いくつかの茶道具の破片が見つかったため、さらなる捜索指示が。
ついに、「粉々に割れた」つくも茄子は、その破片がほぼ見つかり、修復される。
そして、表面を漆で塗りなおし、超絶技巧で「まるで表面に釉薬がかかった焼き物のように」仕上げられるのだ。
…展示されているものを見ても、非常に綺麗で割れているように見えない。
でも、展示の横にはX線撮影した写真も示されていて、確かに粉々に割れている。のみならず、組み立てた際に「ろくろ引きした際の筋」までが綺麗にそろっているのだ。割れたのを適当に合わせたのではなく、作成時の筋まで綺麗に揃うように修復されたのだ。
これは余りにも超絶技巧。徳川家康は深く感心して、修復した職人に褒美として、この「つくも茄子」自体を贈ったそうである。
静嘉堂文庫美術館は以上。解説付きの図録は1000円と激安だったので、ミュージアムショップで購入。先に書いたが、今回の展示に合わせて「実際に器に料理を盛った」顛末を書いた雑誌も一緒に買った。
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