2015年02月17日の日記です


手相うらない ちょっとみせて 発表(1995)  2015-02-17 13:22:43  今日は何の日 業界記
手相うらない ちょっとみせて 発表(1995)

さて、20年たちました

そろそろ書いても良いかな、と思います。



1995年の2月…日程は正確に覚えていないけど、カレンダーを調べると多分2月の17日と18日。

幕張でAOUエキスポが行われました。


AOUエクスポって、業務用ゲーム機の展示・商談会ね。

17日はビジネスデーで招待客のみ。18日は一般入場も可能で、ゲームファンが集まる日でした。


僕が会社員になって初めて作ったゲームが、一般に初お披露目する機会でした。


追記2023.03.27

これを書いた当時、確認手段がなかったのですが、今は当時の業界紙「ゲームマシン」が、公式に公開されています。

上の記述が急に気になって調べたところ、日程は 22~23日でした


2日目の一般客向けの配慮で、金土にしていると思ったのだけど、両方平日。記憶違いだったみたい。


しかし、開催を伝える記事のすぐ隣には、招待客のみのはずの1日目に一般客が入っていたので、ゆっくり商談ができないという不満を伝える記事が…


そのゲーム機が、「手相うらない ちょっとみせて」。

名前の通り占い機です。


ゲーム好きの人からは「なんだ、占いか」なんて言われそう。

でもこのゲーム、当時の占いゲームの常識を塗り替える大ヒットでした。


半年後くらいには、同じAOUでデビューした、同じ分野の機械が社会現象になるほどの大ヒットとなったため陰に隠れてしまいましたけどね。


#日記冒頭の写真は店舗向けの宣伝チラシ。

 クリックすると全体が見られます。




僕がプログラマーとしてセガ・エンタープライゼスに入社したのは、1994年の4月。


当時はセガは新人研修に時間をかけていて、1週間ほど店舗営業を経験し、2週間ほど工場での作業を経験し、それから部署に配属になりました。


僕の配属された部署は第1AM研究開発部。俗にいう「AM1研」ですね。



部署に配属されてからも、しばらくは新人研修、ってことで雑用をいろいろやります。

よくロケテストでお世話になる店舗を廻って、単に遊ぶ場所としてのゲームセンターではなく「客層の違い」を見たりとか、ゲームのアイディアを書いて提出したりとか。


さらに、プログラム課に配属されて、それぞれに「先輩社員」が付けられます。

最初はその先輩に教えてもらえ、ということ。


最初の仕事は、プログラムではなく仕事に使う道具作りだったように思います。


JAMMA ハーネス…ゲーム基板とゲーム筐体を接続するケーブルの作成。

開発の際には、開発用基板を机の上に置き、筐体は机の横に置きますから、「基盤が筐体に内蔵される」際の一般的なケーブルでは短すぎるのです。


今は新JAMMA ってやつがあるけど、この頃はまだ旧 JAMMA 規格ね。

56ピンのコネクタで筐体とゲーム基板を接続します。この56のピンの延長ケーブルを作るので、両側合計 100か所ほどの接点をハンダ付けしなくてはなりません。


こんな作業をしている間に、課長からはプログラムの簡単な課題も出されたりもします。

どうも、技量を推し量られたようで、配属プロジェクトが決まります。




で、僕が配属されたのが、先に書いた手相占いゲーム。

他の同期は、当時発売前だった ST-V のゲームなどに割り振られていました。


アクションゲームが好きで入社したので、占いへの配属は多少不満もありました。

使用ボードは、すでに旧式となりつつある System32 。こちらも、最新ボードを使ってみたい気持ちがありました。


しかし、「仕事なのだから何を割り振られても全力でやる」と最初に考えていたので、とにかく良いものを作ろう、と気持ちを切り替えます。



この割り振り、後で知ったのですが、僕が一番実力がある、と認められてのものだったようです。

大きなプロジェクトでは、新人は「雑用のデータ整理」などが主な仕事なのですが、占いはプログラマー二人だったため、雑用仕事もこなしつつ、プログラムをかなり書く必要がありました。


また、System32 はアセンブラで作成する必要があり、Cだけでなくアセンブラも使えた僕なら…と割り振られたようです。

この時は知らなかったけど、非常に名誉なことでした。




この時に一緒にプログラムを作ったA先輩は、面倒見が良くて気さくで、人の輪の中心になるような人でした。

後にA先輩が退社するまで、いろいろとお世話になることになります。


手相占いは、A先輩が主に占いロジックや、周辺機器との I/O などの「複雑な部分」を担当。

ユーザー入力や画面表示など、ゲームの見た目を占める大部分は僕に任されました。


これ、A先輩としては「複雑な部分は新人では荷が重かろう」と考えたようなのですが、ゲームらしい部分を多数任されたので、作っていて非常に楽しいものでした。



この話、結構長いので少しづつ区切って出します。

続きは後日




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