2016年03月14日の日記です


アレクセイ・パジトノフ 誕生日(1956)  2016-03-14 15:56:32  コンピュータ 今日は何の日

今日は、アレクセイ・パジトノフの誕生日(1956)


テトリスを作った人です。


他にもいろいろ作っているけど…どうでもいい!

テトリスだけで十分偉人。多分、それ以外のことを言い始めるとかえって名誉を貶める(笑)


テトリスによって「落ち物パズル」というジャンルを創出し、この延長上に誰でも気軽に楽しめる、いわゆる「カジュアルゲーム」と呼ばれるジャンルがあります。

これを作ったのが彼だ、というだけで、もう十分。



テトリスについての説明はいらないでしょう。

誰もが知っているゲーム。


1988年ごろ、世界中で大ヒットしました。

いろんな会社が作って、少しづつルールが違ったりするんですけどね。


日本でも、BPS 、任天堂、セガが作っています。


BPS はパズルゲーム色が強く、任天堂は対戦ゲーム、セガはアクションゲームと、同じ名前で基本ルールも一緒なのに、全く違うゲーム。




パジトノフがテトリスを作ったのは、1984年。

当時、西側諸国では COCOM (対共産圏輸出統制委員会)という組織があり、共産圏であるソ連に対して、16bit CPU を持つパソコンやゲーム機を輸出することは出来ませんでした。


でも、ソ連にはちゃんと IBM-PC があるんですよね。

一般に売られてはいないので、入手は困難。でも、必要な人にはちゃんと IBM-PC が与えられた。


パジトノフは、当初は PDP-11 のソ連製クローンである「エレクトロニカ60」でテトリスを作ったそうです。

このバージョンでは白黒。


でも、1985年にはパジトノフ自身の手で IBM-PC に移植されています。

ここでカラー画面になったそうです。



僕の記憶では、当時は「心理学の研究のために作った」とされていました。

選択の自由はあるが時間は限られている、という状況で、人はどのような選択をするか、という研究。


心理学の研究ですから、多くの被験者に、他の影響を出さないためにできるだけ単純なテストをしてもらう必要があります。

「テトロミノを組み合わせる」「横に揃えると消える」「上まで積み上がったらダメ」という単純なルールのゲームを用意したのだとか。


他に、職業適性検査だった、軍人の忍耐力を試すものだった、というような話もあります。

「単にゲームを作りたかった」からテトリスを作った、という話も見ました。



ソ連では計画経済で、勝手にゲームを作ったりは出来なかったはず。


職業適性訓練や軍人の忍耐力も含めて、心理学的な検査が求められていたのは事実かと思うので、それを理由にして好きなようにゲームを作った、などが真相かもしれません。




計画経済の当時のソ連では、「テレビゲーム」なんて言うジャンルの商品はありませんでした。

だから、コンピューターで作られたゲームに価値がある、なんていう概念がない。


価値があると思っていないので、自由にコピーされました。

1985年の夏に、パジトノフが友人に IBM-PC 版のコピーを渡しました。

それ以降のことはよくわかっていません。


ともかく、2週間でモスクワのすべての PC で遊べる状態になり、その後ソ連中に広まり、気づいたらヨーロッパ中に広まっていた…そうです。


これで、「フリーウェア」としてのテトリスがまず出回ります。

ここまでの時点で結構時間がかかっている。


すでにテトリスは「出所不明」になっています。




当時共産圏であるハンガリーに、「アンドロメダソフト」というソフトウェア会社がありました。


共産圏と言っても、一枚岩ではありません。

ハンガリーは、当初からソ連の支配に反発し、最終的に共産圏全体の崩壊を招いた国。


共産主義の時でも、比較的自由経済をとりいれていて、ソフト会社もあったのです。


このアンドロメダソフトが、テトリスを商品化しようとしました。

そこで、ソ連の科学アカデミー計算機センターに、商品化についての問い合わせを行います。



先に書いたように、ソ連ではソフトウェアが商品価値を持つとは考えられていませんでした。

問い合わせの意味が分からず、とりあえず作者であるパジトノフをハンガリーに送ります。


パジトノフは、ただ送り込まれただけで、何も事情を分かっていません。

しかし、アンドロメダソフトの社長は、パジトノフが作者であることを知り、だから彼が全権を持っているのだと考え、交渉を行いました。


そして、テトリスに関する全権利を彼から譲り受けます。

もちろん、パジトノフはテトリスに価値があり、その価値に対する権利がある、ということを理解していません。

権利を譲り受けた、ということ自体が、アンドロメダソフト側の勘違いです。


しかし、アンドロメダソフトは、テトリスをさらに面白くするように作り直し、各種パソコン向けに移植します。



とはいえ、比較的自由と言えども、ハンガリーは共産圏です。

テレビゲームはハンガリー国内では商売になりません。




ハンガリー、チェコスロバキア、ポーランド、ルーマニアに囲まれた国境地域に、カルパチア・ルテニア地方という場所があります。


この地域は戦争のたびに別の国に併合される、という歴史がありました。

チェコスロバキアの一部だった時代があり、独立運動により独立国家となったわずか2日後に、ハンガリーに攻め込まれて併合されています。


ハンガリーはドイツの同盟国であり、ユダヤ人に対する迫害も行っていました。


さて、チェコスロバキアに生まれたユダヤ人、ロバート・マックスウェルは、ハンガリー人となり、迫害で家族を失い、難民となってイギリスへ逃れます。


そこで事業を起こして成功し、資産家となります。

会社を大きくし、次々とメディアを買収して、イギリスのメディア王となります。

国会議員にもなり、政治の世界にも影響力を強めます。



多数持っているメディア会社の中に、2つのゲーム会社、イギリスのミラーソフトと、アメリカのスペクトラム・ホロバイトがありました。



ハンガリーでテトリスを作ったアンドロメダソフトは、ハンガリー出身者の会社であるミラーソフトに、作成したテトリスの販売を委託します。


ミラーソフトと経営者が同じスペクトラム・ホロバイトも、アメリカでのテトリス販売権を得ます。

イギリスのミラーソフトが販売するゲームの、アメリカでの販売権、という形ですが、社長が同じなので事実上同じ権利を持っていました。


1987年にイギリスとアメリカで発売され、大ヒット。

10万本が販売されたそうです。




ATARI は、自社製の家庭用ゲーム機にテトリスを販売しようとします。

そこで、ミラーソフトと契約を行いました。


このとき、ミラーソフト自身の商売の邪魔とならないように、「PC以外」をライセンス条件としたようです。

ATARI は、これにより業務用ゲーム機の販売権も得ることになりました。



ところで、当時のナムコファンならば、ATARI がナムコの傘下に入っていたことを覚えているでしょう。


ATARI は、業務用の作成に当たり、まず親会社のナムコに相談をしたようです。

しかし、ナムコはテトリスを作るつもりはない、と返事をしました。


そこで、ATARI の子会社であるテンゲンに業務用の権利を移行し、テンゲンが業務用を作ります。



そして、この頃になると、アメリカで大ヒットしたゲーム「テトリス」の噂は日本にも届きはじめていました。




ここで、BPS を紹介しておきましょう。この後、非常に重要な役割を果たします。


今は解散した会社なので知らない人もいるかと思いますが、パソコン黎明期から活動していた有名なメーカーです。


社名は「Bullet Proof Software」の意味。「防弾ソフト」という意味ですが、それほど強固な、バグのないソフトを作る、という意味合いです。


日本の会社ですが、社長はアメリカ人のヘンク・ブラウアー・ロジャース。



BPS は、国産初の RPG と呼ばれるブラックオニキスシリーズで有名になりました。

その後は、社長がアメリカの事情に詳しいのを活かし、海外でヒットしたゲーム、アーコンやM.U.L.E.、ボールブレイザーなどの移植で知名度を上げていきます。


そして、テトリスもいち早く発見しました

社長のヘンクが、スペクトラム・ホロバイトと交渉を行い、日本のパソコン向けの権利を獲得します。



一方、セガもテトリスを業務用に出そうとしました。

テンゲンが業務用のライセンスを持っていることを知り、テンゲンから許可を取り付けます。



正確な発売時期がわからないのですが、BPS の PC 向けが 1988年の初頭、セガの業務用は夏、ファミコン版は12月だったようです。



また、任天堂は BPS に許可をもらい、ゲームボーイ版の作成を開始します。

ゲームボーイ発売時に、「通信ケーブル」を使ったキラータイトルとなるものです。


こちらは、ゲームボーイと同時発売で、1989年4月。




ここにきて、ソ連は価値に気づきます。

テトリスはソ連の資産であり、海外貿易に使えるものです。


ソ連政府は、コンピューター資産を外国にライセンスするための新しい部署「Elektronorgtechnica」を作ります。

Electron org technica …電子技術組織、の意味です。略称 ELORG。


活動を開始したのは、1988年の前半。最初の仕事は、アンドロメダソフトとミラーソフトに対し、警告を送ることでした。


「テトリスの正式なライセンス契約がなされていない、契約を結ぶように」



5月になって、アンドロメダソフトの社長が ELORG と会談を持ちます。


アンドロメダソフトは、ELORG の持ってきた契約書にサインしました。

しかし、契約金の支払いを拒みます。


すでにパジトノフと契約はしてある。

組織が変わったということであれば、書類に再度署名はするが、契約金を払う必要はない、というのです。



10月になっても問題は解決せず、ELORG は権利関係の再調査を行います。

この段階で、ヘンク(BPS の社長)が権利関係がこじれていることに気づきました。



1989年2月、ヘンクはロシアへ向かいます。

英語しかできない彼はロシアでは右も左もわからず、すぐには ELORG にたどり着けません。


ロシアの政府機関にも顔が利く通訳をやとい、やっと ELORG にたどり着いて交渉を開始します。



この動きを知り、アンドロメダソフトの社長と、ミラーソフトの代理人も ELORG に向かいます。

お互いの動きはわかりませんが、同じ週に相次いで ELORG との交渉を持ちました。


ミラーソフトの代理人は、社長であるロバート・マクスウェルの息子、ケビン・マクスウェル。

メディア王・政治家の息子として育った彼は、各国の習慣にも詳しい、国際交渉のエキスパートでした。



ヘンクは、ファミコン版を発売していたことを ELORG に告げました。


正式にライセンスを受けていないが、ライセンスを受けたものと勘違いし、すでに発売してしまった。

ファミコンは世界で最大のシェアを持ち、テトリス発売に当たっては任天堂のバックアップもあった。

事後になってしまうが、ちゃんとした権利を買い取りたい。



一方、ケビンは、ファミコン版が権利を得ていない海賊版だ、と ELORG に訴えました。

家庭用ゲーム機の権利は我々が保有しており、ATARI に権利を委譲している。

にもかかわらず、ファミコン版を発売したのは許されない行為である。



ELORG は、ヘンクの態度を好ましく感じました。

ミラーソフトはライセンス料を支払っていないにもかかわらず、権利を保有していると主張している。

それに対し、ヘンクは勘違いがあったことを謝罪し、事後になるがちゃんと権利を得るための支払いをしたいと申し入れているのです。


このとき、ヘンクはパジトノフとも会談し、今後のテトリスについてアイディアを出し合っています。

ヘンクとパジトノフは、この後も友好的な関係を保ちます。




ELORG は、ヘンクのためにミラーソフトに対するライセンス契約書を書き換えることにしました。


すでに署名だけされていた契約書は、全権を与えるもので、契約金が支払われれば契約が締結される状態でした。



新しい契約書は、ミラーソフトに与えるライセンスの区分が、次のように書き換えられていました。


「プロセッサ、モニタ、ディスクドライブ、キーボードとOSを持つコンピューター向け」


コンピューターゲームのライセンスなのですから、コンピューター向けに決まっています。

しかし、よく読むと、ディスクドライブやキーボード、OSを持つ…つまり、ゲーム機は除外され、PCに限定される内容となっています。


この書き換えと同時に、再三警告しているにも関わらず支払いがないことに対するペナルティとして、契約金を値上げします。



ケビンは契約金が上がってしまったことに驚き、契約が遅れるとさらに値上げされるかもしれない、と慌てて契約を締結します。

権利条項の書き方が変わったことには気づきましたが、それが巧妙に「PC限定」となっていたことには気づきません。



BPS には、家庭用ゲーム機に対する権利を与える、という契約書を作りました。

そのうえで、任天等が新しい「携帯ゲーム機」を作っていることを聞いていたので、新たなライセンス分野としてハンドヘルドゲーム機の分野も加えます。



ヘンクは、交渉をうまくまとめました。

しかし、この契約金は BPS には払いきれないもので、任天堂が支払います。


任天堂は、BPS からライセンスを受ける形でゲームボーイ版の開発を始めました。

しかし、最終的には任天堂が権利を持ち、BPS は任天堂の権利下でファミコン版続編の開発を続けます。




さて、ここで ATARI の権利が消滅しています。


ATARI は、ミラーソフトが持っている権利から、PC 以外のものを委譲されています。

しかし、そもそもミラーソフトは PC 向けの権利しか持っていないことになったのです。


ATARI から業務用の権利を委譲されていたテンゲンも、さらにその権利を認められたセガも、一緒に権利を失いました。



セガは、任天堂との交渉で発売を中止。

発売したばかりのメガドライブ用のキラータイトルとして移植を行っていたようですが、まだカートリッジ生産前で、今やめてしまえば損失は少ない、と判断したようです。


業務用でも、テトリスは大ヒットタイトルでした。

過去に作ってしまったものに対しては、済んでしまったことなので遡って契約金を払ったようです。


しかし、この後は続編を作れなくなります。

ブロクシード、フラッシュポイントなどの名前で続編を作ってはいますが、「類似ルールのゲーム」に過ぎず「テトリスを名乗らない」ため、ゲームのどこにもライセンス表記がありません。



ATARI はすでにゲームを発売していました。

新聞の全面広告まで使い、大々的に宣伝費をかけています。


テトリスはヒットゲームとなっていて、ATARI はカートリッジを増産していました。



任天堂は、そんな ATARI を相手に販売差止請求を行います。

ELORG が唯一認めた家庭用ゲーム機ライセンスは任天堂が保有しており、ATARI の販売行為は違法である、というものです。

裁判所命令により、ATARI は販売をやめなくてはなりません。


ATARI は、確かにミラーソフトから家庭用ゲーム機向けのライセンスを購入していました。

ちゃんと権利を持っている、任天堂の訴えこそ違法なもので、販売差止によって失った機会損失を補填せよ、と逆訴訟を起こします。


この裁判は、1989年の11月に判決が出ています。

ミラーソフトは、そもそも家庭用ゲーム機のライセンスを持っておらず、ATARI にライセンスを与えられない。

任天堂の持つライセンスだけが、正当なものと認められる。というものでした。



ATARI としては、ミラーソフトと、その社長であるマクスウェルに責任を取らせなくてはなりません。



しかし、この頃ロバート・マクスウェルの「メディア帝国」は崩壊し始めていました。

彼はメディア王でしたから、自分自身に関するスキャンダルを抑え込んでいました。


しかし、違法行為を含む不正行為で事業を拡大し、会社を私物化し、社員が給与から積み立てた年金を横領するなど、彼の行ってきた悪事が次々と暴かれ始めていたのです。


ロバート・マクスウェルは、姿を消しました。

ミラーソフトは名前だけの、倒産寸前の会社でした。


こうして、テトリスの権利をめぐる世界的な争いは、BPS と任天堂の勝利に終わるのです。



マクスウェルは、この直後、1991年にヨットから転落して水死しています。

彼の帝国が崩壊する最中だったため、自殺したとする説もあります。


1992年には、彼の帝国の企業が次々と破産し、息子ケビンも借金を抱えて破産申請します。




ソ連の崩壊が進む中の1991年、パジトノフはヘンク(BPS 社長)のつてでアメリカに移住し、一時期はマイクロソフトでゲーム作成を行います。



1995年、ヘンクがハワイに「ブルー・プラネット・ソフトウェア」(以下、新BPS と略記)を設立。

ゲーム作成を開始します。


すでにテトリスのブームは去り、各会社に与えられたライセンスは失効していました。

ソ連が崩壊し、ELORG は民間会社となりましたが、まだテトリスの権利を管理していました。


ヘンクは、ELORG から独占ライセンスを得て、新 BPS に集約します。


そして 1996 年、パジトノフと共に、新 BPS の子会社として「The TETRIS Company」を設立。

世界中に向けて、テトリスの版権管理を行います。



その後、パジトノフは「原権利者として」ELORG からテトリスの権利自体を買い取ります。

そして、権利を管理する会社として「TETRIS holding」を設立します。


現在、パジトノフの TETRIS holding と、新 BPS が半分づつ出資する子会社として、The TETRIS Companyが存在する形です。

TETRIS holding は権利を持っていますが、その権利の管理は The TETRIS Company が行っています。



ややこしいかな?

紆余曲折あったけど、テトリスが再びパジトノフのものとなった、ということ!



そんなわけで、2000年ごろから再び、いろいろな会社がテトリスを作れるようになっているのです。


#ところで、日本の BPS は 2001 年に解散しています。




以上、主に日本語資料英語資料2つを元に書いています。


食い違うところが多々あるので、インターネット上の多数の資料を調査しながら、信ぴょう性のありそうな情報をまとめましたが、正確性を保証するものではありません。




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