2016年07月の日記です

目次

01日 PHSサービスが始まった日(1995)
07日 ドナルド・ミッキー 命日(2007)
11日 岩田聡 命日(2015)
12日 Chromebook購入
12日 Chromebook で子供ができること
14日 監視ユーザーの問題回避
16日 ダン・ブルックリン 誕生日(1951)
18日 山登り
22日 ハイジと、2つの教育方針
22日 携帯関連アイテム2点
26日 ソーセージ作り体験
28日 セガサターンモデム
30日 相模原JAXA公開日
31日 PowerPC 発表(1991)


PHSサービスが始まった日(1995)  2016-07-01 19:10:57  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、PHSサービスが始まった日。

1995 年の今日、NTT の子会社である NTT Personal(現在は docomo に吸収)がサービスを開始しました。


PHS は、Personal Handy-phone System の略称。

「個人用の持ち歩ける電話」の意味です。


この当時、携帯電話はありました。

でも、とても高価なもので、会社の重役など、いつでも連絡する必要性がある人が会社から貸与されて使う、というようなものでした。


それに対して、「個人用の」安価なシステムを作ろうというのが PHS でした。



以下の歴史話は、昔読んだ新聞の記事などの知識を「記憶で」書いているものです。

すでに手元に資料はないため、細かな部分は間違えているかもしれません、とお断りしておきます。




1980 年代の後半、日本は好景気でした。

電話の通信料は、まだ3分10円が基本。30分も話をしていれば100円になってしまう。


1980年代が始まったころには、100円というのはそれなりのお金だったように思います。

でも、後半に入るころには、100円くらいはどうということのない、安いお金になっていた。


それどころではありません。

電話を引くには、7万6千円の権利料が必要でしたが、大学生くらいになれば自分のお金でこの権利を買える程度の好景気。


それで、女子大生あたりを中心に、自分の部屋に専用の電話を引いて、友達と電話で毎日何時間もおしゃべりする、なんていう人がたくさんいました。



1987年に電話機の「無線化」が認可されます。

家の中で、電話回線に接続した親機との間に、電波で通信できる「子機」を作れるようになったのです。


そして、当時は電波法も今とは違っていました。

何も遮蔽物がないところで、100m 程度まで届く電波は認められています。


家の中で使うはずの「子機」を、家の外に持ち出せました。

といっても、電話をしながらゴミ出しをできる、程度の簡単な外出でしたが。




こうした使い方の延長として、「親機」を 100m 程度置きに設置すれば、子機をどこまでも持ち出せるのではないか、という技術的アイディアが出てきます。


携帯電話は、2km 程度の距離で電波を飛ばさなくてはならなかったため、電波局としての認可も必要となり、高価なものになっていました。

しかし、100m 程度であればずっと安く作れるのです。



このころ、すでに日本の電話の基幹線は光ファイバー化されています。


NTT が埋設した ISDN で、1本のケーブルで 64K の回線を2本と、制御信号用の 16K の回線を1本使えました。

まだ各家庭までは光ファイバーは届いていませんでしたが、「公衆電話」など、NTT が管理する設備では積極的に光ファイバー化が行われていました。


すでに日本全国に埋設されたケーブルがあり、そこには通話可能な 64K の回線が2本も入っているだけでなく、制御信号用の別の線もある。

もちろん音声回線の1本は公衆電話用だとしても、もう一本を PHS で使用して、親機から親機に渡り歩く際にも「制御信号回線」を使えば…


もう、事実上システムは完成していたのです。あとは組み合わせて仕上げるだけ。

これが PHS という構想でした。




当時は電話を使ったパソコン通信でも、33.6Kbps 程度の速度の時代。

ISDN は 64K ですから、PHS でも最大 64Kbps が出る、しかもどこでも通信できる、というので、パソコンマニアからも期待されていました。


後で書きますが、PHS の主要なシステムは、NTT の子会社である NTT Personal が開発し、サービスを行う各社はこのシステムを使っていました。

そのシステムでは、最初の通信速度は 32K から。


DDI Pokect は、独自の技術で「みなし音声通信」を行い、モデムと同等の 33.6Kbpsを可能としていました。

後には 56Kbps での通信も可能とするのですが、そのころには NTT Personal のシステムでも 64Kbps になっています。


PHS は安かったため、女子高校生などに支持されました。

これ以前はポケベルで連絡を取り合っていた世代。

PHS のサービスが始まるころには、携帯電話もずいぶん安くなってきていて、女子大生などは携帯電話を使っていました。


PHS とかいて「ピッチ」と読む読み方も、女子高生世代が広めたように思います。




さて、NTT は NTT 法で縛られており、国は一番の大株主でした。

PHS 構築は国の指導の下で行われ、NTT にも協力が求められました。嫌とは言えません。


その一方で、NTT は携帯電話のサービスも行っていました。

普及させようと頑張り、やっと量産効果でコストが下がり始めたところでした。


ここで、わざわざ携帯電話を自ら潰しにかかる、対抗サービスを始めよというのです。


しかし、大株主でもある国には逆らえません。

NTT は、国の求めに応じて子会社である NTT Personal を設立し、PHS の研究を開始します。



PHS には多くの期待が集まりました。


当時はまだ、携帯電話の電波網も、今ほど細かくありません。

地下やビルの中では電波が届かず、通話できないこともありました。


でも、PHS はもともと安い基地局を大量に作る方式です。

地下やビルの中にも基地局が設置され、携帯電話よりも通話範囲が広い、とされていました。


さらに、最寄りの基地局の位置を取得することで、100m 程度の誤差で「現在地」がわかります。

いまでいう GPS みたいなものですが、携帯電話などでこうした「位置情報」が使えるようになるのは、ずっと後のこと。


こうした特性を活かしたサービスも想定されていました。



しかし、運用後半年程度で「安かろう悪かろう」だという風評が広がります。


基地局が頻繁に切り替わる方式ですが、その際に2~3秒通話ができない、という問題があったのです。

歩いているだけならまだしも、車や電車の中ではとても使い物になりませんでした。


すぐにシステムの改修が行われ、半年程度で問題は軽減しますが、「PHS は安物だ」と印象付けるには十分でした。


一方で、携帯電話はどんどん安くなり、0円端末も現れるようになります。

その分月額料金が高いのかと言うと…通話プランを吟味すれば、それほど高いわけでもない。


PHS の人気が無くなるのに、そう長い時間はかかりませんでした。


独自路線の DDI Poket は頑張りましたが、それ以外の PHS 会社は、「さっさと」撤退することになります。

NTT Personal も、早々に NTT DoCoMo に吸収されました。



技術的な面はわかりません。

最初の「基地局を渡り歩く際の通話ができない問題」は、本当に技術的な不具合だったのかもしれません。


しかし、その一方で、これは最初から NTT の策略だった、国は NTT にまんまと騙されたのだ、という噂もあります。


国は NTT に無理を言って PHS の研究を始めさせました。

NTT は、国の命令だから仕方がなく子会社まで作り、研究をする「ふりをした」だけ。

最初から、「事業が成り立たない」という形を作って DoCoMo に一本化するつもりだったのだと。




NTT って、実はこういうこと繰り返しています。


それが悪いというのではないよ。所詮は一企業で、利益を追い求めるのが本来の姿。

なのに、国に採算に合わないことを命じられて、仕方がなく「やったふり」をして終わりにする。


シティフォンとか、覚えている人いますでしょうか?

それまで使っていなかった新しい電波帯域を実験的に DoCoMo に割り当てて、仕方がないから作られたサービス。


使ってなかった帯域だから、電波網を全部再構築しないといけない。

そんなことを今更新しくやっても採算に合わないから、大都市でだけサービスした。(だから「シティ」フォン)


都市部でしか使えない携帯電話なんて魅力がないから売れるわけがない。

そして、「採算に合わないから撤退します」という終わり方になる。


誰が悪いのかと言えば、NTT ではなくて、国だと思う。

新しい事業を研究できるほど体力のある会社として NTT を使いたい意向もわかるのだけど。




以下思い出話。


HP200LX を使っていた時、NTT Personal の Paldio 321S 使っていました。

知る人ぞ知る、当時の「名機」ですね。


2つ折りの携帯電話なのだけど、下側のカバーを外すと、PC カードになっているの。

(PC カード自体、すでにわからない人も多そうだ…)


HP200LX は PC カード使えましたから、そこに携帯電話を直接差し込んで、通信ができる。

電車の待ち時間にパソコン通信のログをダウンロードして、電車内で読んで返事書いたりしていました。


(返事は、次回接続時にアップロードする。そういうスクリプトを書いて運用)



そのころ、今の妻とネットで知り合って付き合い始めたのだけど、妻も DDI Poket の PHS 使っていました。


最初に書いたけど、PHS はもともと「家庭用の無線子機」を外に持ち出す発想だった。

そして、この頃の DDI Poket の端末は、「家庭用子機モード」が付いているものがあった。


家で対応する親機を使っている場合、PHS を親機に接続できるの。


外に行くと公衆網に繋がるから電話代が割高になるけど、家では安く通話ができる。


いまの、スマホを家では WiFi で使うような感じ。



SL-Zaurus …いわゆる「りぬざう」を使っていた時は、bitwarp でした。

So-net のやっていたサービスで、通信発信専用の PHS 端末なのだけど、月額料金で使い放題なの。


この通信端末は、CF カードサイズだった。

…これも説明が必要だな。PC カードのサイズを切り詰めて小さくしただけの、拡張カードね。


りぬざうでは CF カードが使えたから、差し込んだらそのまま通信できた。



そして、W-Zero3 も持ってました。[es] と Advance ね。

これは PHS 端末にパソコン機能を付けたもので、国内初の「スマートフォン」という触れ込みだった。


#国内初、とされるのは W-Zero3 の初代機ね。

 僕が持っていたのは、2代目の [es] と、3代目の Advanced [es]



スマートフォンって、バズワードね。都合によって意味が変わる。

ここでいうスマートフォンは「キーボードを備えたパソコンとして使える端末」の意味。

当時、海外でもそういう端末が流行し始めていて、W-Zero3 は国内初のものだった。


ちなみに、最初に「スマートフォン」という言葉が出てきたときの定義は、インターネットとデータのやり取りができる端末。

メールだけでもいいけど、簡易な WEB ブラウザが付いているとなおよい。


というわけで、この意味での「国内最初のスマートフォン」は i-mode だったりします。

実は世界初でもある。


海外では「スマートフォン」と言って憧れの的だったものが、日本人にはごく自然に生活に溶け込んでいた。

だからこそ「憧れのスマートフォン」として、日本ではキーボードが付いていることが条件にされたのだけど。




最後に関係ないネタ。


PHS が話題になっていた当時、Apple は Macintosh 互換機を許可する戦略をとろうとしていました。


みんなが同じリファレンス(参考物)を元に共通のハードウェアを作り、プラットフォーム(基盤)とする。

…英語で言えば、Common Hardware Reference Platform。頭文字を取って、この互換機のことを CHRP (チャープ)と呼びます。



また、当時はやっとインターネットが一般に普及し始めたころでもあります。

職場や家庭内で LAN を構築することが流行しはじめていました。



そこで「PHS で CHRP 端末を結び、LAN を構築する」という「ネタ話」が出来上がるのです。

真面目そうな話として語っておいて、最後に


♪ピッチピッチ チャープチャープ ランランラン


と歌って落とすんですけどね。


ただの駄洒落なんだけど、この小話好き。

今となっては PHS も CHRP も理解されないので、とても披露できませんね。


#って、どさくさ紛れに披露したわけだけど。



2017.4.21 追記


最後まで PHS 会社として残っていたのは Willcom でした。DDI Pocket が社名変更した会社。

途中で書いていた、W-Zero3 を発売した会社でもあります。


2014年に Softbank 系列の携帯電話会社と吸収合併され、Y!mobile の一部となっていました。

(ブランドは存続)


しかし、本日…2017.4.21 の発表で、来年3月末をもって、PHS の新規受付を終了するそうです。

PHS サービスは完全に終わることになります。



もっとも、これは「新規受付」の終了で、当面は通話サービスも使えるでしょう。


PHS 以前に流行していたポケットベルも、大幅に規模を縮小したとはいえ、一部では特定用途として使用されています。

契約者に最新のニュース(株価情報など)を文字で届ける、などの使われ方ですが。


同じように、これで PHS が完全になくなる、というわけではないと思います。


現在、PHS は自動販売機などにも内蔵され、データ通信を利用して在庫・売り上げ情報をセンターに送信、適切な在庫補給タイミングを通知するのに役立てられたりもしています。


同じ用途で WiFi 接続を行う機種などもあるようですが、PHS のほうが設置場所が限定されにくいメリットがあります。

おそらくは、こうした「知られていないが実は使われている」というような技術になっていくものと思われます。


2018.4.20 追記


上の追記から1年がたち、PHS の新規受付は終了したようです。

そして、2020年7月に、サービス自体を終了すると発表されました。


上に書いた、自動販売機の在庫管理などの、機器監視用通信はまだサービスを続けるようです。


機器監視用ということは、発信源の位置が固定されていて、「移動電話」ではない、ということですね。

不要なアンテナも撤去していき、最低限残すことで採算に合うのでしょう。



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

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ドナルド・ミッキー 命日(2007)  2016-07-07 15:57:11  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、ドナルド・ミッキーの命日(2007)


ディズニーキャラじゃないよ。計算機学者で、人工知能学者。

ブレッチレーパークのメンバーだった、というのだから筋金入りの天才。


ちなみに、命日は7月7日ですが、誕生日は11月11日です。




ミッキーはイギリス人ですが、イギリス領だった時代のビルマ(ミャンマー)で生まれています。


第二次世界大戦中、ビルマは日本軍によって激しい攻撃にさらされました。

この頃、ミッキーはイギリス本国にいましたが、諜報員になろうと考え、日本語を学ぼうと考えます。


…が、大学の諜報員向け日本語コースは定員オーバーでした。

仕方がなく、同じ諜報員向けの暗号解読コースに入ります。


そして、そこで才能を発揮し、ブレッチレーパークに配属されるのです。




ブレッチレーパークは、イギリス軍の暗号解読部隊。


その活動内容はトップシークレットでした。

今ではある程度秘密解除になり、活動が明らかにされているのですが、詳細はわかりません。


わからないから、よく小説なんかのネタになります



それはさておき、現代コンピューターの父とされるアラン・チューリングもブレッチレーパークのメンバーでした。


ミッキーは、ローレンツ暗号…当時はフィッシュ暗号というコードネームで呼ばれたそうですが、この解読に携わっています。


話すと長いのですが、本題ではないのでざっと。

ドイツの暗号と言えば、エニグマ暗号が有名です。


エニグマは、タイプライター風の機械のキーを押すと、上にある文字のランプが点灯する、という形で、一文字ずつ別の文字に置き換えていく暗号機です。

まず通信文を作り、エニグマで暗号化し、モールス通信で暗号文を届け、再びエニグマで復号化し、通信文を入手する…と言った形で運用されました。


多くの人が間に入り、そのたびに「文字の書き写し間違い」などの可能性が入り込みます。

何よりも、緊急の通信時に煩雑な過程を経なくてはならない、というのは弱点でした。


もう一つ、エニグマ暗号は、回転する歯車上に作られた電気回路を使い、「一文字ごとに電気回路が組み変わる」ことで暗号を作り出すものでした。


電気回路なので、「入力と同じところに戻る形の出力は作れない」という決定的弱点があります。

A を暗号化すると、必ず A 以外の文字になるのです。これは大きな特徴であり、暗号解読の手がかりでした。




ローレンツ暗号は、この二つの問題点を克服しています。


まず、無線テレタイプを改造した暗号機でした。

テレタイプは 19世紀には使われ始め、第二次大戦の時には無線テレタイプもありました。


この、通信部分に暗号回路を挟み込んだのです。

傍受しても暗号文になっていて意味不明なのですが、送信者がキーを押すと、受信側にその文字が印字されます。


テレタイプは、文字(厳密には、押されたキー)を二進数で表現して記録・通信していました。

そこで、暗号化はこの「二進数」に対して、複雑な仕組みで作り出される二進数を XOR することで作り出されています。


この方式だと、A を暗号化した結果 A になることもあります。暗号解読の手がかりを与えない方式なのです。




エニグマでは、なんでもいいから1つの暗号文を解読して通信文を得ることができたら、「通信文」を「暗号文」に変換できるエニグマ暗号機の設定方法を自動的に見つけ出す機械がありました。


これによって鍵を見つけ出してしまえば、他の暗号も簡単に解読できます。


36台のエニグマが自動的に並列に動き、正しい鍵を見つけ出すまで処理を続けるものでした。

エニグマは歯車によって暗号を作り出しますから「歯車式計算機」と言えます。


ローレンツ暗号に対しても、同じような機械を作ろうとしました。

先ほど、二進数を XOR して暗号にする、と書きましたが、この二進数はエニグマと同じような歯車で作り出されています。

しかし、ローレンツ暗号はエニグマより複雑で、機械式では計算時間が現実的ではない、と予想されました。

そこで、論理的に同じことをする「電子回路」を作り出すことになります。


真空管により、通信文を正しい暗号に変換できる鍵を「計算」して求める機械です。


これがコロッサスで、ENIAC よりも古い、真空管によってつくられた計算機でした。



ミッキーはこのプロジェクトにかかわっていたようです。




本題ではない話でずいぶん長く書いてしまった…

今日の本題はここからの話。


ブレッチレーパークに勤めていたころ、チューリングと昼ごはんを食べながら、機械が知性を持つことはあるか、という談義をしていたそうです。


コロッサスの計算力なら、機械が人間のように考えることも可能かもしれない。

そうした「思考実験」です。


チューリングは、1953年にはチェスを打つアルゴリズムを考えて論文にまとめています。


もっとも、このころはまだコンピューターは非力です。

アルゴリズムを人間が「機械的に」真似て、対局などが行っていました。


そして、ミッキーは 1960年に論文を公表します。

人工知能に関するものでした。


ミッキーの論文も同じように、コンピューターを使用しないでも実行できる方法でアルゴリズムを示しています。



その名も、Machine Educable Noughts And Crosses Engine


Educable は「学習できる」。

Noughts And Crosses は「○と×」の意味。

日本語では「マルバツ」、英語で Tic-Tac-Toe と呼ばれる、三目並べのことです。


三目並べを対戦し、その結果から学習することで育つ人工知能です。

最終的には、絶対に負けないプレイヤーとなります。


略称は、正式名称の頭文字をとって MENACE 。「厄介な相手」という意味です。

絶対負けないプレイヤーに育つ、厄介な相手だということです。



これ、実は今までも僕のページで何度か紹介しています。

MENACE 以上によく知られた名称は「マッチ箱エンジン」。


特徴は、大量のマッチ箱が積み重ねられただけの「マシン」だということ。

中には色とりどりのビーズが入っています。そして、これが自己学習する最強プレイヤーなのです。




仕組みについても過去に書いていますが、改めて書きましょう。


装置を簡略化する都合から、MENACE は必ず「先手」で○を打つことにします。

そして、マッチ箱を 304 箱と、九色のビーズを、各 304 個…できるならもう少し、400個くらい用意します。


箱には、1つづつ3目並べの「局面」の絵を描いておきます。

MENACE は先手ですから、まず「何も描かれていない」局面があります。


続いて、MENACE は9カ所のどこかに○を描き込みます。さらに、人間は残る8カ所のどこかに×を描き込みます。

その次が MENACE の手番です。

9*8 = 72 通りの局面のどれかになっているはずです。


ここで、マッチ箱を減らすためにちょっとしたトリックを許可します。

最初の「9手」は、隅、辺、中央のいずれかですから、実際には「3手」とします。


続く人間の手は…数えるしかないのですが、論理的に同じ形であるものは同じとすると、人間の手が終わった時点で 12通りの局面があります。


以下、同じようにすべての局面を数えていきます。

途中でどちらかが3目並んだらそこでゲーム終了ですから、続く手は数えません。


こうやって数え上げると、全部で 304 通りの手があるそうです。

(この数字は受け売りで、面倒なので僕は数えてません (^^; )

これを、すべてのマッチ箱の表面に描いておく必要があります。



参考:海外で MENACE を再現した人の写真集

この人は、ビーズの代わりに豆を利用しています。




さて、最初はすべてのマッチ箱に、9色のビーズを1つづつ入れておきます。

MENACE 先手ですから、「局面に何も描かれていない」絵柄のマッチ箱を取り出し、中からビーズを1つ取り出します。


この取り出したビーズの「色」は、9カ所のマスのどこに手を打つかを意味しています。

では、○を描き込みましょう。ビーズは元のマッチ箱に戻してください。


続いて人間がどこかに×を描き込み、MENACE の番です。

やはり、局面の絵柄の箱を探し、ビーズを取り出します。


ビーズは最初に9個入れてしまっているので、「すでに描かれている場所に○を描く」指示が出るかもしれません。

このときは、ビーズは捨てます。この手は打てない、と MENACE に学習させるのです。


これを繰り返していくと、MENACE はゲーム終了までの手を打っては来るでしょう。

…ただし、学習前はうち筋はランダムで、人間に負けると思います。


負けたら学習しましょう。

最後に打った手は、人間に負ける悪手です。そのビーズを取り出して捨てます。

MENACE はこの手を2度と打ちません。


もし勝つことがあったら、最初からすべての打ってきた手が良かった、ということになります。

ご褒美として、途中で使ったマッチ箱すべてに、取り出したビーズと同じ色のビーズを加えます。

次から、同じ手を良く打つようになります。これも学習です。


こうして、MENACE は勝ちにつながりやすい手は積極的に打ち、負けた手は2度と打たないように成長していきます。

最終的には絶対に負けないプレイヤーに成長するでしょう。




馬鹿馬鹿しいというなかれ。これは立派な「人工知能」です。


MENACE 以前から、マルバツの人工知能は作られています。

1952年には oxo が作られている。


でも、この二つは、人工知能としてのタイプが全然違います。


oxo は、1980年ごろに再流行する古いタイプ。

人間はどう考えているのだろう? と考えて、その考え方をアルゴリズムで示したものです。


このやり方は、模倣です。本物である人間を超えることはない。

つまり、アルゴリズム考案者を超えることは出来ない、頭の悪い人工知能です。


例えば、将棋はこの方法で「そこそこ強い」人工知能が作れました。

(現在の将棋が強くなったのは、別の方法を組み合わせています)


でも、囲碁ではこの方法は使えなかった。

だから「囲碁は難しい」と言われるようになった。



MENACE はこれとは違い、自己学習する人工知能です。


人間は、すべての局面に対して対応方法を丸暗記する…なんて方法は取りません。

明らかに、人間の考え方とは違っている。


でも、人間とコンピューターは違うのです。

考え方が違ったとしても、結果として正しい答えが導き出せるのであれば「人工知能」と呼んで差し支えないはずです。


今流行しているディープラーニングは、MENACE の遠い子孫に当たるものです。

仕組み自体は大したものではありません。


とても考えているとは思えないような、ランダムな配線の集合体。

マッチ箱と似たようなものです。


でも、学習させるととてもいい結果を出す。…こともあります。


ディープラーニングを使い、将棋より難しい囲碁で、AIが人間に勝った、と騒がれています。

でも、これは間違っている。


囲碁が将棋より難しい、というのは、先に書いた「人間の思考を真似るタイプの人工知能では」という話です。

囲碁はマルバツと同じように、盤面に記号を並べていくゲーム。MENACE と同じように自己学習向き。


そこで自己学習を適用したらうまくいった、というだけで、将棋とは全く別の世界。

「将棋より難しい囲碁」という言葉が間違えていて、自己学習AIにとっては将棋のほうが難しいです。



このことが理解できれば、「やがて人工知能が人間を支配する」なんて言説は噴飯ものだとわかるでしょう。

人工知能は確かに実用になるほど研究が進んでいますが、まだ特定の守備範囲を持つもので、臨機応変な対応が可能な人間に変われるようなものではないのです。


#逆にいえば、特定の守備範囲内ではAIは普及するだろう、ということでもあります。

 臨機応変さを持たない人間なら不要になるでしょう。不要と言われないように頑張りましょう。




ミッキーはこの後も人工知能の研究を続け、自然言語処理なども研究しています。


最後は事故死。「元妻」と離婚後も仲が良く、一緒に自動車で移動中の事故でした。



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岩田聡 命日(2015)  2016-07-11 14:13:03  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、元任天堂社長の岩田さんの命日です。


亡くなってからもう一年。まだ一年。


想いは昨年の追悼記事に書いたので、今日は日付を記すのみです。



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Chromebook購入  2016-07-12 10:24:14  コンピュータ 家族

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子供たちが Scratch で遊んでいて、1台しかないノートパソコンの奪い合いが起きるようになった。


ところで、そのノートパソコンは親のサブマシンだ。

仕事で使う会計ソフトはそこにインストールしてあり、決算期なので使わなくてはならない。


というわけで、子供用マシンの購入を検討した。

そして、Chromebook を購入したのだけど、日本では事前に十分な情報を得られず、予想外のことがあった。




まずは、いい面から書こう。


Chromebook は素晴らしい! まだ使い始めてわずかだが、ちょっと調べものをしたいときなどに気軽に使える。

スリープしている状態からなら1秒で使えるようになる。


完全に電源断の状態からでも、5秒もあればログイン可能になる。

ログインにはパスワードが必要だけど、ログイン後はすぐに使い始めて大丈夫。

(Windows だと、ログイン後に環境整えるのに時間かかるからね)


もっとも、後で書くけど万人に勧められるものではない。

自由に使える Windows マシンがあったうえで、サブとして使うのが前提だ。



十分に使用用途が絞り込まれていれば、安いし、軽いし、電池もちも良い。

(ハードディスクや DVD-Drive のような、重たくて電気食いのモーターを使わないから)


今回購入したのは、Acer の Chromebook C730E C730E-N14M というモデル。


学校などで使用することを想定したモデルで、堅牢さが売りだという。


子供に使わせるのが主目的なので、その堅牢さが魅力だと考えた。

でも、買ってみたら薄くて軽いので驚いた。もっとゴツイのかと思っていた。


現在人気の Chromebook は、ASUS の Chromebook flip C100PA


値段はほぼ同じだけど、こちらの方が少し安い。

画面がタッチパネルになっていて、キーボードを背面に回してタブレットとして使える。


ただし、CPU はちょっと非力で省電力。

購入モデルは Intel で、flip は ARM 。

Chromebook として使う分には CPU はどちらでも関係ないのだけど、将来 Linux マシンなどにするつもりなら、Intel のほうがつぶしが利く。


もうひとつ。

すぐに詳細を説明するけど、Chromebook はメインメモリ 2GB のものが多い。人気の flip も 2GB。

でも、購入モデルは 4GB 。


そんなことを考えながら選定した。




購入前に情報を調べていて、勘違いしている人が多いように思える。

まず、大前提としてパソコン初心者が1台目に購入するものではない。


世の中には、Chromebook が安いから「初めてのパソコン」として購入検討している人がいるようだ。

もしあなたがそういう人なら、すぐやめたほうが良い。


お勧めの1台目は Windows だ。なぜなら、利用者が多くて一番無難だからだ。

無難で、面白くもなんともない。無難にまとめてあるので最大公約数的なつくりで、使いやすくもない。


でも、初心者なら何よりも必要な「手厚いサポート」がある。

解説書もいっぱい売っているし、ネットで質問しても回答を得られやすい。



ちなみに「2台目」…これは、買い替えの2台目ではなくて、メインマシンとは別の機械、という意味だけど、2台目に買うのもお勧めしない。

世の中では Chromebook は2台目に良いということになっているのだけど、たぶん2台目として買うと不満が出る。


2台目に MacOS を買ってみたり、もしくは Windows マシンを買うのだけど、どうせサブなのだから Linux とのデュアルブートにして遊んでみたりするといいだろう。


OS が違うと、できることが全く違う。いい面もあるし悪い面もある。

そういうことを理解したうえで使わないと、Chromebook は不満だらけのマシンになりそうだ。


逆にいえば、「そんなにパソコンいらんわ」って程度のパソコンの使い方の人は Chromebook なんて買わないほうがいい。




というわけで、初心者向けの足きりは終わった。

以降の話は、Chromebook を買ってもよさそうな人が、買おうと検討していることを前提に書かせてもらう。



Chromebook の安さについて、「同じ性能なら Windows10 マシンでも同じ程度の値段である」と言っている人もいる。


これは事実だ。

Chromebook の多くは、ちょっと非力な CPU で、メモリは 2G しかなくて、ストレージが 16G 程度しかない。

そして、事実としてその程度の性能の Windows10 マシンは売られていて、同じ程度の値段だ。


じゃぁ、その Windows10 マシンは使い物になるのか、と言われると、全く使い物にならないだろう。

Windows10 を「まともに」使いたいのであれば、メモリは 4G 、ストレージは 64G からだろう。

快適に使いたいなら、メモリ 8G にストレージ 128G は欲しい。


でも、Chromebook ならメモリ 2G 、ストレージ 16G で十分まともに使えるし、メモリが 4G になれば快適だ。


ハードウェアのスペックを見て「同程度なら同じ値段」というのではなくて、使い物になる機械かどうかで判断しないといけないのだ。


このコストパフォーマンスの良さが Chromebook の魅力だ。




とはいえ、Chromebook が使い物になるかどうかは、その人の使い方次第だ。

先に、「目的を絞り込んだ3台目」という書き方をしたのだけど、絞り込み方次第では「使い物にならない」ということになる。


大前提として、Google が嫌いな人は使えない。

Google アカウントを取得し、Google に個人情報を含む情報を預けないといけない。

Google は悪だ、と考えている人には許せないことだろう。


Chromebook は、Google のサーバーにぶら下がっている「Thin Client」として動作する。

Thin Client というのは、企業向けコンピューターで使われる用語で、それ自体は計算機能(CPU とメモリ)以外をほとんど持たず、多くの機能をサーバーに依存する機械をいう。


企業で Thin Client を使う理由は、管理の手間が省けるからだ。

会社で使っている業務用のソフトのアップグレードがあった場合、全社で使われる数千台のパソコンに、すべてインストールする必要がある。

しかし、 Thin Client ではそうしたソフトをすべてサーバーに置いているので、サーバーにあるファイルをアップグレードすれば終わりだ。


Chromebook では、この仕組みを企業向けではなく、一般向けに開放している。

だから、ソフトウェアは常に最新版を使える。




Chromebook が適しているのは、まず WEB ブラウジング。

つづいて、Gmail 。WEB mail だね。


Google Docs や Google Spreadsheet を使って、文章作成や表計算もできる。

これらも WEB アプリだ。


他にもいろいろあるけど、全部 WEB アプリ。つまりは、Chromebook では WEB 以外のことは出来ない。


WEB アプリって低機能でしょう?

なんて思う人は、まずは Windows 上で WEB アプリを使ってみるといい。


Google Spreadsheet を Excel の代わりとして使うと、おそらく違うところが目について「やっぱり低機能だ」と判断するだろう。


でも、Google Spreadsheet は、チャットしながら同じ表を編集したりする機能がある。

仕事で情報を共有するときに、非常に有用だ。


さらには、特定の URL にアクセスすることで、内容を CSV で取得したりできる。

プログラム開発する際に、データを Google Spreadsheet にまとめておいて、複数人数で編集してから、プログラム Make 時に最新のデータを自動的に CSV で取得、整形してプログラムに組み込む、なんて芸当ができる。


これは、Excel では出来ないことだ。

すでに、僕は仕事で Google Spreadsheet の便利さを知ってしまったので、Excel に戻りたいとは思わない。





Chromebook には、これらの WEB アプリが、インストール可能なアプリとして提供されている。

もっとも、インストールしたところで、現実的には WEB の URL にジャンプするだけのものも多い。


それでも、Bookmark と違い、配布アプリをインストールするとアプリ一覧の中にアイコンが置かれるようになる。

すぐに呼び出せるので使いやすい。


また、一部のアプリは、WEB で使われるデータをすべてパッケージ化してあり、URL へのアクセスなしに動く。

この場合、ネット接続できない場所でも使用できる。


本当に限られた一部パッケージだけとはいえ、便利だ。

Google Docs や Google Spreadsheet はこの機能に対応しているので、最低限の作業はオフラインで完結できる。




こうした「アプリ」以外に、「機能拡張」と呼ばれる仕組みもある。

こちらは、Windows でいえばデバイスドライバ的な役割を持つ。


たとえば「ファイル」というアプリがある。ファイル一覧を表示するものだ。


通常は、ローカルのファイル一覧が表示される。

とはいえ、Chrome はローカルストレージが非常に小さい。ここにファイルを置くことはあまり想定していない。


そこで、Google Drive の中身も表示される。

ネットの向こうにある、クラウドストレージだ。Chrome では、通常のファイル置き場としてここを使う。


この「ファイル」アプリは機能拡張に対応していて、好きなクラウドストレージを使えるようになっている。

SMB (Windows のファイル共有形式)対応の機能拡張もあるので、家に NAS (LAN に接続するハードディスク) がある人や、メインマシンとしての Windows マシンがある人は、そのファイルも使える。




これらもよく言われていることだから、購入検討者には「いまさら」な話だろう。

それでも購入検討を続けているのだから、WEB アプリで十分な用途、または WEB アプリでないといけない用途に使うのだと思う。


うちの場合は、最初に書いたけど子供たちの Scratch だ。これは WEB アプリなので、Chromebook で十分だ。


先に書いたけど、僕は Google Spreadsheet をつかえればそれでいい。

でも、「表計算」ではなくて、「Excel」でないとどうしてもだめなんだ、という人には使えない。


一応、Microsoft も Office online という WEB アプリを用意していて、Excel も使える。

使えるのだけど、これは第三の表計算ソフトであって、デスクトップの Excel とは似て非なるものだ。


Excel が必要なんだ、という人は Windows を使わなくてはならない。


同じことは、 Word についても言えるし、Photoshop についてもいえる。

どうしても使いたいソフトがあるなら、そのソフトが提供されている OS を選ばないといけない。




さて、子供に与えることを前提として購入検討していたら、当然のことながら Google アカウントの問題が出てくる。

Google では、(米国法が定めた)未成年保護の観点から、13歳未満のアカウント取得を許可していないのだ。


ここで大事なのは「アカウントが取得できない」ことではなく、これが「未成年保護」のためだということだ。

Google の機能を 13歳未満に使わせたくない、ということではない。


実は、Google では、未成年には親のアカウントの権限を一部委譲して使わせることのできる機能がある。

この場合、未成年ユーザーは親の管理下に置かれ、閲覧した WEB サイトの情報などは、すべて親に筒抜けになる。


Supervised user 。日本語では「監視ユーザー」と訳されている。

普通の PC Chrome でも監視ユーザーは作れるのだけど、Chromebook のために作られた機能だと考えたほうがいいだろう。


Chromebook を利用できるユーザーを登録する際に、未成年用に監視ユーザーアカウントを作ることができる。

監視ユーザーでログインすると、親のアカウントを借りる形で WEB を閲覧することになり、その際の URL 履歴は後で親が確認できる。


(確認は Chromebook を使う必要はない。Google アカウントに対して履歴が記録されているため、PC からでも、Chrome 以外のブラウザからでも見られる)


この機能は、2013 年の秋ごろから一部ユーザーに提供が開始され、2014年の春には一般公開されたようだ。


にもかかわらず、日本ではこの機能の詳細を書いたページがない。


無いというか、監視ユーザー機能は「どの URL を閲覧したか親が確認でき、必要なら URL 単位、ドメイン単位でブロックできる」という程度のことしか書かれていない。


公式にはいろいろな制限ができる、と書いてあって「アプリのインストールを禁止できる」とあった。



アプリのインストールは出来ない、と書かれていたページもあったのだけど、不安に思って情報を調べたところ、Google 公式のヘルプファイルには「管理者権限でのインストールは可能」ということが書かれていた。




ということは、監視ユーザーと通常ユーザーの違いは、WEB アクセスが自由ではないことと、勝手にアプリをインストールすることができないだけなのだろう、と考えて購入した。


しかし、そうではなかった。

監視ユーザーは通常ユーザーと明らかに機能が違う。


後から見返したら、そう書かれているページもあるのだけど、あまり重要視している人はいないようで、さらっと書かれている。

もしかしたら、そういう機能があるから紹介しているだけで、実際に子供に使わせたりはしていないのかもしれない。


そこで、子供に使わせる人向けの、「警告としての」監視ユーザーについての話を書きたいと思う。

ちょっと話が長くなるので、いったんここで区切ろう。



続き:Chromebook で子供ができること



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Chromebook で子供ができること  2016-07-12 11:01:24  コンピュータ

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先に、Chromebook では13歳未満は「監視ユーザー」としてログインしなくてはならないことを書いた。


Google は未成年保護の観点から、13歳未満にはアカウントを発行していない。

Chromebook の利用には Google アカウントが必要なのだけど、監視ユーザーは、親の Google アカウントを間借りして利用できる。


その代わりに、何をやったかは親に筒抜けになる。

13歳未満は「アカウントが取得できない」ことを、「親の保護下にある」ことで回避ししているのだ。


非常によく考えられた仕組みだ。




では、子供が「監視ユーザー」として、何をできるか書いておこう。


まず、Chromebook の基本である、WEB アクセスはできる。

まぁ当然だね。これができないようじゃ Chromebook とは言えない。



…以上だ。他に何もできない。


Chrome 以外のアプリは一切使えない。Gmail も使えない。


管理者ならインストールできる…という公式情報もあったが、この情報は僕の勘違いだった。


(Chromebook のヘルプに書かれていたが、Chrome for work、または Chrome for education という特別バージョンの話だった。

 実機購入前で細かな違いの意味が分かっていなかった。)


公式ヘルプにも、監視ユーザーが「アプリをインストールできないようにする」ことができる、と書かれている。

この書き方だと、禁止しない(つまりインストールできる)方法もありそうだが、そうではなかった。



機能拡張も使えないので、自宅内の NAS へのアクセスもできない。

NAS に家族の写真などが置いてあるのだけど、それを見ることもできない。


先に書いたが、我が家では Chromebook は子供の Scratch 用として購入した。

Scratch 自体は、子供でも親の同意のもとでアカウント取得ができるし、作成したプログラムはクラウドに置かれる。


だから、WEB ができれば問題がない…ともいえる。


だけど、プログラムしながらちょっとしたメモファイルを作ることもできない。


子供が好きな Scratch で作られたゲーム、「ネコRPG」ではパスワード形式のセーブを採用しており、非常に長いのでコピペでファイルに保存したい。でもできない。


これでは子供に使わせるのにあまりにも問題が多い。

ただし、この状況の改善のため、努力は続けられているようだ。




監視ユーザーの機能が提供され始めたのは、2013年の秋。

このときは OS のβテスターに対する提供だったようだ。


その後、いつから一般提供され始めたかわからない。

でも、たぶん 2014年の3月中頃ではないかと思う。


というのも、この時期に急に「監視ユーザーがアプリを使えないのは問題がある」という不満が、いたるところで書き込まれ始めるからだ。



ところで、Chromebook は Google が開発している、とされることが多いけど、実は違う。

オープンソースの Chromium プロジェクトで開発されていて、Google はそのプロジェクトを主導する重要メンバーに過ぎない。


オープンソースなので議論もオープンにされているのだけど、監視ユーザーとアプリの問題はいち早く報告され、多くの人が「改善すべきだ」と意見を寄せている。



一方、同じような議論は Chromebook Central Help Forum(Google 公式のユーザーフォーラム)でも行われる。

こちらでも、多くの人が Google に「改善してほしい」と意見を寄せ、Google の社員も「積極的に意見を寄せてほしい」と前向きに回答している。



しかし、2014年の中ごろで、どちらの議論も停滞する。

Chromium プロジェクトでは、改善が必要であることはわかっているが、どうも実装しようとしていることの「矛盾」に悩まされ始めたようだ。


監視ユーザーは、できるだけ WEB 上に足跡を…個人情報などを残さないようにしたい。

WEB を閲覧する機能だけならともかく、WEB アプリを使い始めると、積極的に自分の「作品」を残してしまうことになる。




ともかく、改善が必要なことは認める。改善に努める。

そのためには、どのように改善を成し遂げるかの方針を決めなくてはならない。

これまでにもらった意見を元に考えるので、今後新しい意見を出すのは控えてくれ、という投稿が行われる。



「意見するな」は傲慢に思えるかもしれないが、まっとうな話だ。

非常に難しい課題に挑もうとして、仕様を定めている最中なのだ。


そこに横やりを入れられると、誰かが「仕様変更しよう」と思い始めるかもしれない。

プロジェクトにとって一番困るのは、この「土壇場での仕様変更」で、それを避けることが重要課題になったのだ。



Chromium プロジェクトはハッカーの集まりだから、意図を理解したのだろう。

意見を出す人は激減した。


でも、その後も「僕はこう思う」的なことを言い出す人が少しいたため、議論のための掲示板自体が閲覧専用にされた。



その後、2015年の秋になって、作業チームから「トリアージが必要だ」という投稿が行われている。

やろうとしていることが矛盾だらけで難しいことが予期される。


#トリアージ:医療現場で使われる概念で、とにかく現状を把握して優先度をつけること。

 この優先度をつけるのに手間取るようでは意味がないので、直感でつけて構わない。

 ただし、状況が変わるたびに優先度を見直すこと。



ユーザーフォーラムの方も、一部の人は Chromium の議論も見ているのだろう。

2014年中ごろから議論が低調になる。


ただ、こちらはあくまでもユーザーフォーラムなので、早く何とかしてほしい、という要求は時々出される。

上手くいかない理由を説明する人もいるのだけど、それはユーザーフォーラムに参加する人の意見にすぎず、Google 公式見解でもない。


Google は教育機関向け(つまりは子供向け)に特別な Chromebook を販売しているので、その商売の邪魔になる「監視ユーザー」機能は充実させるわけがない、というような邪推を行う人も出始める。




Chromium の掲示板はずっと停滞していたが、2016 年の5月末(最近だ)になって動きがあった。

掲示板は一般の書き込みは不可能みたいなのだけど、ある程度の権限を持った人なら書き込めるみたいなのだ。


そこで「ずいぶん経つけど、その後どうなってますか?」と質問が出た。

関係はわからないけど、どうも Chrome の全体責任者に近い立場の人が、監視ユーザー機能のチームの責任者に質問したようだ。


報告から2年もたつのに解決方法も提示されないので、ちょっと心配しているらしい。

いろいろと会話があるのだけど、返事は「監視ユーザーチームで作業中。」だった。



解決に向けて取り組みが進んでいる、というのは明るい話だ。

できることなら、早期に解決してほしいと思っている。


2016.7.14 追記

この問題、暫定的な方法で回避しました


あくまでも回避であって根本的な解決ではないのだけど、何もできないよりはマシ、という程度。



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監視ユーザーの問題回避  2016-07-14 12:23:34  コンピュータ

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chromebook の「監視ユーザー」がアプリ/機能拡張を使えない問題の続き。


「機能拡張」に関してはどうしようもない。絶望的だ。


でも、アプリに関しては、もともと WEB アプリだ。

bookmark として WEB アプリが使えれば、当面はしのげる。



ところが、例えば Google Docs を使おうとすると、Google アカウントが必要になる。

Google カウントが取得できないから監視ユーザーを使っているのであって、ここで Google アカウントが必要だ、というのは堂々巡りだ。




ここでちょっと考える。

Google Docs は、本当に Google アカウントがないと使えないのか?


いや、そんなことはない。


Google アカウントがないと、文章ファイルを「所有する」ことは出来ない。

でも、Google Docs の文章ファイルには URL が割り振られている。


共有しない設定では、所有者以外が URL アクセスしてもエラーとなる。

でも、共有していれば、URL アクセスすることで文章の内容が見られる。


さらには、共有設定が「誰でも編集可能」となっていれば、内容を変えることだってできる。


ということは、 Google アカウントを持っていない監視ユーザー用に、共有設定した文章ファイルを用意しておけば、監視ユーザーが文章を作ることができる。


自由に新しいファイルを作れないというのは不便だけど、ないよりはましだろう。

この方法で運用できるのではないか。




とりあえず試してみよう。


GoogleDocs の文章 URL は、あるきまった URL の中に、文章ファイルの ID が入っている。

この ID が、 base64 エンコーディングされた…ほぼランダムと言っていい、44文字の文字列になっている。


紙に書いて手で入力、というのはやりたくない。

普通ならメールで送信、とかなるのだけど、今は WEB 以外が使えないから困っている。メールも無理。



いろいろ考えてみたが、一番簡単なのは SD カードを経由する方法だった。

テキストファイルに URL を書いて、Chromebook に挿入。ファイル表示されたらダブルクリック。


テキストエディタはないので(だから困っているのだけど)、編集などは出来ない。

でも、WEB ブラウザはただのテキストを表示できるモードがあるので、そこから URL をコピーし、URL 入力窓にペーストすればアクセスできる。


これで共有された Google Docs のファイルを開くと、監視ユーザーでも文章に書き込むことができた。


仕上げは、この URL をブックマークしておくことだ。

これで、とりあえずテキストをコピペしておいて置いたり、ちょっとした文章作成などは出来るようになった。


もっとも、新しいファイルなどは作れない




ところで、Chromebook の全機種が SD カード使えるわけではないんだよね。

以下、SD 以外で試してみたことを書こう。


先に書いたように、ほぼランダムで 44文字もあるので、紙に書いて手入力、というのは避けたい。

メールも使えない。NAS にアクセスもできない。


Chrome には、他の Chrome とブックマークや履歴を共有する機能がある。

そして、「監視ユーザー」も、Chromebook に限らず、PC の Chrome で共有できる。


じゃぁ、PC で監視ユーザーに切り替えて、通常アカウントの Chrome のウィンドウから URL をコピペして…と考えたのだけど、これはダメ。


監視ユーザーの所有物、という概念は存在せず、一切の情報が共有できない。


「履歴」の共有を使う方法も「ブックマーク」の共有を使う方法も、そもそも監視ユーザーではこれらが共有されなかった。

(すでに書いたが、「監視ユーザー」の設定自体は共有できるが、その監視ユーザーに関するものが共有できない。

 なお、管理者は監視ユーザーの閲覧履歴を知ることができる。監視ユーザーは自分自身の履歴を見られない。)


何とも不便だ。




我が家には WEB サーバーがあるので、家の中の WEB サーバーに URL を列記した「リンク集」を作ってしまう、という方法も考えた。


しかし、WEB サーバー使うのなら、いっそのこと WEB サーバー上に、テキストエディタの WEB アプリを構築すればいいのではないか。

そうすれば、Google Docs なんて使わずに済む。


そう思って、WEB アプリのテキストエディタでソース配布のものを探してみるが、案外見当たらない。



ふと気づいて、QNAP アプリを探してみる。


QNAP は我が家で使っている NAS だ。

先ほど「NAS へのアクセスができない」と書いたのだけど、これは SMB 経由でファイルとして扱えない、という意味だ。


QNAP は高機能 NAS で、http サーバーの機能を持っている。WEB としてアクセスできる。

さらに、QNAP 上で様々な WEB アプリを動かせるようになっていて、アプリストア経由でインストールできる。

(アプリは基本的に無料だ)


そして、Notes Station という、ワープロ機能を持つアプリが配布されていた。

一連の書類を「ノート」という単位にまとめ、そのノートを複数冊管理できるようになっている。


利用には QNAP にアクセスするためのアカウントが必要なのだけど、これは家の中のサーバーなのでいくらでも発行可能だ。

URL も非常にわかりやすく、受け渡しを考えずとも、簡単に手で入力できる。


というわけで、「我が家としては」解決できそうだ。



一般性のない方法なので、同じ悩みを持って読んでくださった方には申し訳ない。


先に書いたように、Google Docs に子供が使える「共有ファイル」を作って、SD を使うか、紙に書いて手で入力するか…なんとか URL を渡せれば、「ないよりまし」という程度の使い方はできると思う。


無料の WEB サーバー使ったり、掲示板つかったりして URL を受け渡すのはお勧めできない。

「公開」されてしまうので、見知らぬ第三者が、ドキュメントに書いた情報を覗き見できるかもしれない。



SD カードが使えず、家庭内にも WEB サーバーがなければ、多少面倒でも紙に書いて手で入れた方がよさそう。

Windows も MacOS も、標準で簡易 WEB サーバー機能が付いてくるから、その機能を使って URL の共有に挑むのもいいかもしれない。

(僕はやったことないから詳細を語れない)



#そもそも、ここで書いている Google Document での共有は、URL さえわかれば誰でも見られる、「公開」方法だ。

 ただし、その URL が長すぎて、受け渡すのにも苦労するほどなので、推察も難しい、という点でセキュリティを保っている。


#何とか「最初の1ドキュメント」が共有できれば、その中に URL を書くなどして、以降のドキュメントを増やすこともできるだろう。

 URL の受け渡しをなんとかすれば、後の道は開ける。頑張ってくれ。




ちなみに、QNAP のアカウントを子供たちにも与えることで、SMB 経由ではファイルにアクセスできないけど、NAS へのアクセスは可能になる。


家族写真などが大量においてあるが、見たければそれらも見られる。

QNAP 上で動作する WEB アプリの「写真アルバムソフト」が入っているので、時系列などで写真を気軽に眺められる。



Chromebook は子供たちに使わせるものなので、あまりややこしい方法は取りたくない。

だけれども、現状としては「できない」ことよりも「できる」ことのほうが、幾分かましだろう。


引き続き Chromebook のバージョンアップは頑張ってほしいのだけど、今は工夫で乗り切ることにしよう。


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Chromebook で子供ができること【日記 16/07/12】

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10年 這えば立て 立てば歩めの…

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15年 ジェイ・フォレスター 誕生日(1918)

15年 厄介なバグ

19年 パスワードの管理方法(令和元年版)


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ダン・ブルックリン 誕生日(1951)  2016-07-16 18:46:01  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、ダン・ブルックリンの誕生日(1951)。

表計算ソフト、Visicalc の考案者です。


後でもう一度書きますが、僕は VisiCalc はパソコンソフト最大の発明品だと思っています。

こんなに応用の利く仕組みは、汎用機時代にもなかったし、その後も現れていない。



ただ、それ以前にも表計算は存在したそうです。


まず、「表計算」という概念自体が、経済学の世界にありました。

紙の上に数値を書いていき、計算結果をもとにまた別の計算をし…というようなものですが。


自分で確定申告とかしたことがある人なら、単純な「事実」の数字をいくつも書き込んだうえで、「(1)と(2)のうち大きい方」とか「(3) に1.2を乗じたもの」とか、紙に書かれた指示の通りに単純な計算を繰り返したことがあるでしょう。

あれが、まさに表計算です。


その表を埋めて財務書類を生成する、という意味での「表計算ソフト」なら、汎用機にもあったという話も目にしました。

ただ、それは VisiCalc のような汎用性があるものではない。




1978年の春、ダン・ブルックリンは、ハーバード・ビジネススクールで、教授が黒板に書いていた計算式の一つで計算を間違えたことに気付き、以降のすべての計算をやり直すところを目撃しました。

その時に、こんな単純な計算はコンピューターに任せられればいいのに、と考えたのだそうです。



ダンは、学校にあったタイムシェアリングシステムで、考えをプログラムしてみます。

表の「マス目」に対して、他のマスとの関係性を示す数式を設定しておきます。


そして、いくつかのマスに数値を入れると、即座にその数値で計算が行われ、マス目が書き換わるのです。




しかし、タイムシェアリングシステムは、使用する時間に対して課金されました。


表を書き換えながら計算する…なんてソフトは、わかりやすいけど操作に時間がかかります。

タイムシェアリング向けではありません。


ダンは、このプログラムを誰でも使えるように、当時発売されたばかりの Apple II で作ろうと考えました。

しかし、問題が一つ…


ダンの考えていた表計算プログラムでは、表のどこでもすぐに書き換えられるように、縦横に自由に動くカーソルが必要でした。

ダンは Alto の存在を知っていて、同じようにマウスを備えたシステムを夢想していました。

しかし、Apple II にはマウスはありません。


代わりに、ブロック崩しを遊べる「ボリュームコントローラー」が付いていましたが、これだと左右、または上下の動きしか表現できません。


何とかキーボードで操作しようとしても、Apple II のキーボードには、左右の矢印キーしかありません。

これでは上下に動けません。


結局、矢印を押すと左右に、スペースを押しながら矢印を押すと上下にカーソルが動く、という操作にしたのだそうです。




ダンの友人のボブ・フランクストンがプログラムを担当し、プログラムが形になります。

最初は「Calculedger」(カルキュレジャー)という名前だったそうです。


このソフトを販売しようと、彼らは Apple 社に持ち込みます。

しかし、Apple では、Apple II の売れ筋ソフトを、ホビー向けの、ゲームとプログラム言語だと考えていました。

「ビジネス向けに使える」なんていう、数字を計算するだけのソフトには興味がありません。


マイクロソフトにも持ち込んだそうです。

しかし、こちらでも同じような反応。


当時はパソコンはホビー向けで、ビジネスに使おうなんて人は誰もいなかったのです。



ダンが教授たちにプログラムを見せてみると、多くの人は感心してくれました。

しかし、それ以上の興味は示しません。


教授たちは、必要があれば計算を学生に任せていました。

だから、「学生がやってくれる」が、「コンピューターがやってくれる」に変わったとしても、それほど大きな変化はなかったのです。



教授の一人は、企業では財務処理に汎用機が使えるのだから、パソコンでビジネス向けの計算を扱うものなどいない、とアドバイスをくれます。


しかし、その教授が、1年上の学生を紹介してくれます。

すでに卒業し、パソコン向けソフト販売の「パーソナルソフトウェア」社を興していた。ダン・フィルストラでした。


(名前が同じなので、以下は彼のことは「フィルストラ」と呼びます)




フィルストラはダンと契約し、Calculedger の販売に力を貸すことにします。

まずは、名前をわかりやすく変更します。


表計算は、計算過程を見えるようにするものです。

Visible Caliclator (見える計算機)。


だから、これを縮めて「VisiCalc」というのが、フィルストラの考案した名前でした。

ダンの考案した開発時の名前…Calculedger は不採用で、販売時には VisiCalc という名前が使われます。



フィルストラは VisiCalc をコンピューターフェアで発表しますが、やっぱり当初は売れません。

発売月の販売本数は、500本程度だったそうです。


しかし、手ごろに買える値段のパソコンで、ビジネスに必要なややこしい計算が可能だという噂が広まり、人気は急上昇します。

1年半後には、1か月の販売本数は1万2千本に達していました。




パーソナルソフトウェアは、VisiCalc の会社、ということで「VisiCorp」と社名変更します。

そして、VisiCalc と一緒に使うと便利な、連動ソフトを開発し、販売していきます。


計算結果をもとにグラフ化したり、現在の売り上げデータをもとに今後の推移を予測したり…と言ったソフト。

このときに依頼されて作成したのがミッチ・ケイパーで、彼に莫大な資産をもたらしました。


その後、ミッチ・ケイパーは Lotus 1-2-3 を作ります。

表計算ソフトの世代交代でした。 VisiCalc の売り上げは落ち、Lotus 1-2-3 は大人気となります。



売り上げが落ちた VisiCorp はソフトの改良を怠ったせいだとダンを訴えます。

ダンは VisiCorp から VisiCalc の版権を引き上げようとフィルストラを訴え、フィルストラはさらに、VisiCalc の名称は自分が考えたもので、勝手な販売はさせないと返し…


泥沼になっていた二人の仲を取り持ち、和解させたのはミッチ。

Lotus 1-2-3 で参入してライバルにはなっていたのですが、そもそも VisiCalc の周辺ソフトで儲けた恩を忘れていませんでした。


ここら辺の話は、ミッチ・ケイパーの誕生日に書きましたので、そちらも参照してください。




さて、最初に書いたけど、VisiCalc が最大の発明だという話。


VisiCalc は、おそらく最初の「考えるための道具」としてのソフトウェアでした。


汎用機では、計算時間は課金対象でした。

データを流し込み、計算させて、結果を得る。計算を操作しながら試行錯誤する、というような考え方はありません。


ミニコンピューターはもう少し計算機の使い方を自由にしましたが、基本的には同じでした。

コンピューターを使うときに、ゆっくり考えていると、どんどん課金されてしまう。

だから、あらかじめ考えておいた操作を一気に行い、結果を得る。それが普通の使い方です。


でも、VisiCalc は Apple II という「パソコン」の上で作られました。


パソコンには、ゲームが多数ありました。

まさに、コンピューターを「操作しながら考える」ことを楽しむソフトです。


VisiCalc は、ゲームとは違ってビジネスに使える実用ソフトでした。

しかし、ゲームのように時間を無駄遣いすることが許されました。


その結果、とにかく集められたデータをもとに、試行錯誤しながら考える、という使い方が可能となったのです。




以下は僕の経験話。


ゲームを作っている時に、企画屋から鉛筆で書いたラフな曲線を描いただけのグラフを見せられながら、「こんな感じに難しくなっていくゲームにしたいのだけど、どういう式にすればいいかな」と相談を受けたことがあります。


僕は、彼に表計算ソフト(VisiCalc ではありませんでしたが)の使い方を教えて、大まかな計算式の必要パラメーターを自由にいじれるようにして、結果が即座にグラフに反映されるようにしました。


あとは、このパラメーターを思う存分いじって、理想のグラフができたところが「目的の式」です。


これを教えてから、その企画屋は表計算をゲーム作成のツールとして便利に使い始めました。



これ、ゲームに限らず、どんな業界でも応用可能。

将来こうしたい、という目標があれば、その目標に向かって何を揃えていけばいいのか試してみることができる。


状況をシミュレーションするための数式が考案できること、というのが条件ですけど、ある程度大雑把な数式であったとしても、何も指標がないよりもずっといい。




あらかじめ決められた計算をする、という使い方ではなくて、どんな計算がいいのかを試行錯誤して考える。

「計算機」のパワーは十分に生かしつつ、その真の目的は「計算」ではなく、考えることにあります。


もちろん、ただの高機能計算機として使うこともできる。

VisiCalc の登場で、計算機は「計算する機械」から、「考えるための道具」に変わったのです。


VisiCalc が売れ始めたのは、ビジネスユーザーがこのことに気付いたからです。



パソコンには多くのソフトがありますが、「考えるための道具」として使用できるソフトは、そう多くはありません。


エディタやワープロは考える道具なのですが、元はタイプライターの模倣から始まっています。

PhotoShop や Illustrator も考える道具ですが、紙の模倣から始まっています。


しかし、「表計算」は、コンピューターを計算機として使う延長上にありながら、考える道具となった最初のソフトなのです。


パソコンがないと生み出すことができなかった、パソコンらしい考える道具。

今でも、表計算ソフト以外に、このようなソフトは無いように思います。



#ただし、いわゆるプログラム言語は除外して考えています。

 後で書きますが、表計算も「プログラム」ではあるので、ちょっとずるい基準です。




途中で書いた通り、ジョブズもゲイツも、このソフトが持ち込まれたときに興味を持ちませんでした。

いや、作者のダン・ブルックリンすらも、このソフトを「経済学のわかる人向けのビジネスソフト」として準備していたのです。


その応用性の高さに気付いたのは、VisiCalc を購入したビジネスユーザーでした。

評判は広まり、VisiCalc が使いたいから Apple II を購入する、というユーザーが急増します。

まさに、パソコン業界最初の「キラーソフト」と言っていいでしょう。



Lotus 1-2-3 が出たときは、このソフト欲しさに IBM-PC を購入する人が急増しました。


Mac 用として開発された、最初の Excel が発売されたときは…「Mac の画面は狭すぎる」と不満が出たようです。

ソフトは魅力的でしたが、ハードウェアが追いついてなかったのですね。


しかし、Excel は Mac のキラーソフトとして初期の Mac を牽引しましたし、Windows が順調になってからは Windows のキラーソフトとなりました。




表計算は、プログラム環境の一つです。

セル間のつながり、という形で処理を書き込んでいき、条件判断なども交えたアルゴリズムを表現し、最終的に結果を出すのですから。


プログラム覚えたいけど、難しくて挫折、という話はよく聞きます。

いわゆるプログラム言語は、最も簡単だと言われるような初心者向けのものでも、それなりに難しい。


でも、表計算ならそれほど難しくありません。

「計算」しかできないために、目的が明確でわかりやすいのです。

それでいて、「計算」というのは数字の操作にとどまらず、非常に多くのことができます。


表計算の機能だけで自由なプログラムが作れるか、と言えば、作れません。

しかしそれは「プログラム言語ではない」という意味ではありません。

計算目的に限って言えば、非常に簡単に目的を達成できる良いプログラム環境です。



会社員時代、勤怠表を書くのに使っていたな。

何年何月、と入れておくと、曜日計算してカレンダーを生成してくれるの。


そして、そこに出勤時刻と退勤時刻を書いていくと、1か月に何時間働いて何時間残業、って出してくれる。

おそらく、こういう使い方をすることは、ダン・ブルックリンは想定していなかった。

でも、実際できてしまう。まぁ、進化の中で関数が増えたおかげでもあるのだけど。




表計算はデータベースにもなります。

何万件もデータがあるような大規模データベースには使えませんが、数千件レベルであれば、十分実用的に使えます。


データベースとして使う場合は「計算」は行いませんから、表計算と呼ぶのはおかしいかもしれませんが、言葉の意味を超えて使えてしまうほどの汎用性があるというのはすごいことです。



Google Forms って仕組みがあって、WEB アンケートを簡単に作れるのね。

このアンケート結果は、Google Spreadsheet っていう表計算のファイルとして蓄積されます。


アンケート結果だからデータベースに入れるべきなのだけど、データベースとして表計算を使っているのね。

そして、このデータを自由に「計算」して、アンケートの結果を集計してグラフ書いたりできます。



その Google Spreadsheet なのだけど、WEB ブラウザで表計算ソフトが動くようになっていて、誰とでも共有できる。

仕事で便利に使っています。


アプリを作る際に各国語版を作りたくて、「日本語」のメッセージ一覧を表計算にほおりこんだ。

そして、英語の翻訳は他の人に任せた。


実際のデバッグ時に「ちょっとニュアンス違うな」なんて思ったら、誰でも修正できる。


これ、日本語・英語と、システム内で使っている「文章の意味を示したタグ」が並んでいます。

そして、このタグは、アプリ内の文章を表示したい部分に同じものが埋め込んである。


実際に動作するときは、タグの部分に日本語・英語の文章が表示されるのです。


そのため、アプリに文章をまとめた「言語ファイル」を組み込まないといけない。

ここが Google Spreadsheet を使う最大のメリットで、アプリビルド時に、最新データを取得して言語ファイルを作るのを自動化できる。


Excel だったら、最新ファイルを扱いやすい CSV で吐き出して処理して…とか必要なのですが、Google Spreadsheet は WEB アプリなので、特定の URL にアクセスして CSV をダウンロードできるのですね。

あとは、テキストファイルなので perl なり ruby なりで処理して必要なファイルにしてしまえばいい。


そんなわけで、表計算はプログラムに必要なデータ整理ツールとしても欠かせません。




Excel を使ってドット絵を描く人や、Excel をワープロとして使うような人もいますね。

これ、よく「やめてくれ」って批判をきくのですが、僕としては構わないと思っています。


間違った使い方だという人もいるし、それは事実かもしれない。

でも、想定を超えた使い方ができて、それなりに使えてしまうというのは、それだけ汎用性が高い環境であることを意味しています。


そして、汎用性が高いから、ゲーム作成の際に事前シミュレーションをしたり、各国語ファイルを生成するデータ整理ツールにしたり、アンケートフォームの自動集計用にしたりできるのです。



もし「変な使い方しないでまともに使う」人ばかりだったら、こんなに応用が利くソフトに育たなかったと思うよ。


今後の表計算ソフトには、もっとお絵かきしやすい仕組みや、ワープロとして使いやすい仕組みが備わっていくかもしれない。

だって、そうやって使う人がいるのだから。そして、それらの機能が充実することで、さらなる応用が可能になる。



どんどん無駄なことやればいいんです。


元々「計算機資源の無駄遣い」が可能だと気づいたところから VisiCalc が始まっているのだから。



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山登り  2016-07-18 17:36:03  旅行記 家族

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G.W. の頃から、長女が「山登り行きたい」と言っていた。


というか、元は春ごろに僕が「行きたいねぇ」と言ったのだ。

でも、G.W. は忙しくて行けなかったし、その後の休みも何かと忙しかった。


6月に入ってしまうと梅雨で雨降ったりするし、いつか行こうと言ったきり。

そして、やっとこの三連休で機会が巡ってきた。


3連休は雨が降らない予報だったけど、金曜日は大雨だったので土曜日は避けた。

山がぬかるんでいるかもしれないと思たからだ。


月曜日はゆっくり家で休んで体力回復したい。というわけで、行くのは日曜日しかない。

でも、土曜日時点で「どこに行くか」という肝心なことは決めてなかった。


まぁ、大山か金時山を考えていた。どちらも初心者向けにいいという話だから。

僕も両方登った記憶はあって、金時山は後半、岩だらけの崖みたいなところを登っていく必要があったと記憶。


ただ、登山ルートは複数あり、初心者にも人気のルートもあるという。

じゃぁ、金時山行こう。




日曜日は朝ごはんを食べて、8時には家を出られるように準備。

おにぎりも作って持って行く。非常食としてのおやつもたっぷり持ち、飴も持って行った。


前日の夜ルートを調べたら、それほど高速料金はかからないはずだった。

だけど、出発時刻には大渋滞が起こっており、大きく迂回するルートで高速料金が跳ね上がった。


金時山周辺の駐車場は、早い時間に行けば無料がある。

遅くなると千円を超える。慌てずゆっくり登山したいし、高速料金を使っても急いだほうがいいだろう。



しかし、大きく迂回したコースでも、途中から大渋滞に巻き込まれる。




金時神社周辺に駐車場があるから、そこを目指したのだけど…到着してみるとなんか様子が変だ。あれぇ?


Yahoo! カーナビで「金時神社」を指定すると、19km も離れた全然違うところ(金時公園)に案内される、と判明。


後で知ったのだけど、金時公園にも小さな神社があり、金時神社という名前だった。

でも、一般的に金時神社と言えば、別の場所。


Yahoo! 地図で確認しても、もう一つの場所にも「金時神社」と書かれている。

でも、検索してもこちらには案内されない。


金時神社は「公時神社」と表示されることもあり、こちらで検索すると正しい金時神社が検索される。

ちなみに、Google では「金時神社」で正しく案内される。


この件は Yahoo! に報告済みなので、近いうちに修正されると願いたい。



これで30分ほどタイムロス。


結局、9時半到着を目指していたのに、着いたのは10時50分。

神社には無料駐車場があり、そこに止められなければ、連続した敷地になっているゴルフ練習場が500円の駐車場を提供している。


これが全部埋まっていた。

仕方がなく周辺をちょっと走ってみたけど、他には駐車場はなさそう。

どうしよう…と、とりあえず神社に戻ってみると、ちょうど1台空いていた。今出た人がいるようだ。

ラッキーだった。11時10分、登山開始。




まずは公時神社にお参り。


金時山には何度か来たことがあるのだけど、いつも夕日の滝方面から登っていた。

公時神社に来たのは実ははじめて。


坂田金時、とされることが多いのだけど、実際には公時らしい。

いわゆる「金太郎さん」のこと。金太郎は幼名。

怪力を持つが心優しい武士として知られる。



ここから登山を始める。

登山道は整備されているけど、石がごろごろしている。


時々非常に大きな石があって「金時手毬石」とか書いてある。

直径にして 5m くらい。何百トンあるだろう、って感じなのだけど、金太郎が手毬にして遊んだのだという。


いやいや、そんな馬鹿な…って最初は思っていたのだけど、ここら辺が石だらけだとは言っても、こんな大きな石はない。

なぜ1つだけ大きな石が? と考えた時、昔の人は「金太郎が遊びで持ってきたのだ」と言ったのだろう。


そう考えると、むちゃくちゃを言っているわけではなく、自然の不思議をなんとか説明しようとしているのだ。

気持ちがわかった気がした。


金時宿り石、というのもあった。大きな石が、真っ二つに割れている。

つまり、この中に「宿って」いて、この石から生まれたというのだろう。孫悟空か。




1時間くらい歩いた。

登山したがっていた長女は楽しんでいる。長男も楽しんでいる。

でも、7歳の次女にはそろそろきつくなってきた。


ちょっと休んで水を飲み、飴を配る。

飴はすぐに元気になる。


長男・長女がどんどん先に行ってしまうので、妻は追いかけた。

僕は次女とゆっくり登る。


結局、このあとも1時間くらいかかって山頂に着くのだけど、ずっと別行動だった。

(10分くらい差がついた)




山頂でお弁当。残念ながら登山中から霧が出てしまい、景色は全く見えない。

代わりに、予報ではとても暑くなるとのことだったのだけど、涼しい。


4合炊いて、おかずも持ってきたのに全部食べて足りない。

茶屋で「まさカリーうどん」を注文。


1年前、長男は校外学習で足柄に1泊した。

その際に、周辺の名産品を調べて「まさカリーうどん」というものがあるのは知っていた。


長男と長女は持ってきた水を全部飲み干してしまったというので、山小屋で購入。

ペットボトル1本 200円を、2本購入。山の上だから高いけど、お金で解決できるのはありがたい。

はじめての山登りで「水を大切に使う」ことを教えるのを忘れていた。


長女は、思っていた山登りと違っていて、ちょっと疲れたけど楽しいという。


今まで登ったことのある山は、六国見山(147m)、大平山(159m)、円海山(153m)くらいだからね。

金時山は 1212m 。


もちろん、途中から登るのだから高さが問題なわけではない。

でも、1000m を超えると植生も変わり、植生の違いによって地形も影響を受ける。

金時山は初心者に人気で登りやすいとはいえ、本格的に「山」なのだ。




山頂にしばらく滞在したが霧は晴れそうにない。下山しよう。

同じ道を降りても面白くないので、乙女口方面を目指す。


最初はくだりだけど、すぐにまた登りになる。

「なんで山降りてるのに上り坂なの?」と長女から疑問が出る。


うん、いい質問だ。実はまだ山を下りようとはしていない。


山で一番高いところは「山頂」だけど、円錐状に山があるわけではなく、凸凹がある。

このとき、凹んでいる部分を「谷」といい、凸の部分を「尾根」という。


そして、尾根は隣の山までつながっている。

今は、尾根の上を隣の「長尾山」まで歩いている状態。その長尾山から下に降りる。


お昼ごはんの後で疲れも取れていて、のんびりと歩く。




やがて急に道が開けて広場に出た。長尾山の山頂だった。


よーし、ちょっと休憩。

また飴玉を配る。これで元気回復してまた歩き出す。


本格的な下り道。

大きな石がごろごろしていて滑りやすい部分もある。


下り坂のほうが登りより難しいから気を付けて、と注意を促す。


…でも、次女が転んでしまった。

ちょうど、細い根が道を横切る形で出ていて、そこに足を引っかけてしまった形。


次女大泣き。ちょっと休憩。

手当をして、長女が「荷物持ってあげる」と言ったら、また歩き出した。

おんぶすることも考えたのだけど、自分で歩きたいという。根性がある。




ずいぶん進んで、休憩所があった。


おやつにしよう。持ってきていたバナナチップスを出す。

でんぷんと糖分を適度に含んでいて、持ち運びやすいから山歩きの時にはよく持ってきている。


休憩しながら現在地をスマホの GPS で調べると…

あれ、目指していた乙女峠はこのあたりだ。


休憩所を出ると、すぐに分かれ道があって「乙女峠」と書いてあった。

なんだ、目的地は目の前であったか。


さて、実は「乙女峠」を目指してきたのだけど、この先がよくわかっていない。

案内図を見たら、右と左のどちらに行っても大通りに出て、バス停がある。


じゃぁ、公時神社に近い方(乙女口バス停)に向かおう。

田舎だからバスがあまりなくて、最悪神社まで歩くことになるだろう…というのもちょっと予期していた。




下り坂、長男と長女がはしゃいでどんどん下っていく。

妻は追いかけて行ったのだけど、実は追いつけず、ふもとのバス停まで合流できなかったそうだ。


僕と次女は、またゆっくり降りていく。


途中、時々段差の大きいところがあり、次女には厳しい。

そんなときは手を貸したのだけど、基本的に自分で進んだ。


非常に小さな道標が 50m ごとに埋められている。

山の上の方だと、全体の中での通し番号の都合か、番号は非常に大きくなるのだけど、ふもと付近では「入り口からの距離」になっている。


この数字が 6 の頃…つまり、ふもとから 300m 程度のところで、妻から連絡が来た。16時ちょっと前。

やっとバス停について、長男・長女に合流したという。


すぐに時刻表の写真も来たのだけど、歩きながら見ているのでよくわかってない。

ただ、バスが非常に少なく、特に 16時台はほとんどないことがわかる。




車の音が聞こえてきて、道路が近づいたことがわかる。

そして、やっと登山口へ。すぐそこにみんな待っていた。


16時を過ぎたところだったのだけど、次のバスは 20分後らしい。

そして、公時神社は次のバス停で、1km もない感じ。


うん。歩いたほうが早い。

皆に歩けるかと聞いたら、長男長女は当然として、次女もまだ歩けるという。

歩きやすいアスファルト道路での 1km 。楽しく歌いながらの行進となった。




楽しく歩くと、 1km なんてあっという間だ。

さすがに疲れて、「座りたーい」と、車の座席にすぐ収まる。


そして、「おなかすいたー」。

帰り道で何か食べるとして、とりあえずおやつがもう一つだけ残っている。

ココナッツサブレ。


車の中でボロボロこぼされたくないから、もう一度外に出してサブレを食べる。

もう、後に体力を残しておく必要がないと判ったら、子供たちみんなでふざけて追いかけっこしてる。


実は、下り坂で次女と2人で歩いていた時に、「家帰った後でいいからアイス食べたい」と言われていた。

そんなの、食べたいときが美味しいときでしょ。車を出してすぐにローソンを見つけ、アイスを購入。


#長男だけ「おにぎり食べたい!」とおにぎりを購入。6年生で食べ盛りだ。



転んでもめげずに歩きとおした次女は、今日一番頑張った。

荷物を持ってあげて最後まで歩きとおした長女も頑張ったと思うし、もちろん長男も、初めての登山で頑張った。


みんな「また行きたい」というので、今度は大山でも行こうかと思う。


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ハイジと、2つの教育方針  2016-07-22 17:43:26  その他

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最近「アルプスの少女ハイジ」のアニメを子供とみている。

超有名な話だけど、実は見るの初めて。


この中に、「ロッテンマイヤーさん」と「クララのおばあさま」という登場人物がいる。

ロッテンマイヤーさんは憎まれ役に描かれているのだけど、悪人ではない。


ハイジは、19世紀のドイツで書かれた「現代劇」だ。今となっては時代劇だろう。

時代劇というのは、その時代のことを知らないと、登場人物の心情が理解できない場合がある。


ロッテンマイヤーさんのやっていることは「現代的に見て」理解しがたい部分があるのだけど、実は当時のドイツとしてはごく普通のことをやっているだけ。

彼女は悪人ではなく、「教育係」としての責任を果たそうとする、ごく普通の女性なのだ。



とはいっても、「アニメの」ハイジは、1970年代の日本で作られたものでもある。

僕は原作を読んでいるわけではなく、アニメ版を見て話をしているので、1970年代の日本の空気も反映されているのかな、と思っている。


でもね。実は、1970年代の日本と 19世紀末のドイツはつながっている。

アニメのハイジが名作と呼ばれたのは、もちろんクリエイターが良かったこともあるのだけど、19世紀末のドイツと、1970年代の日本が似た空気を持っていたせいでもある。




ロッテンマイヤーさんがクララやハイジに対して行っている教育は、当時のドイツでは「良い教育方法」とされていたものだ。


ロッテンマイヤーさんは、クララと同学年で一緒に勉強をできる頭の良い「学友」を探していた。

そこに、ハイジのおばさんがハイジを騙して連れていく。年齢も違うし、ハイジは学校にも行っていなかったのに。


ハイジのおばさんの行動の是非はさておき(これも彼女なりのやさしさではあったのだ)、ロッテンマイヤーさんにとっては、ハイジは想定とは違う、「いらない子」だ。

でも、ほおりだしたりはしない。クララがハイジを気に入ってしまったから、という事情はあるのだけど、理由はともかく自分のもとに来た子供を、立派な淑女に育て上げようと彼女は頑張っている。



じゃぁ、彼女の考える「立派な淑女」とは、どのようなものだろう。

ここには当時のドイツ人の「立派な大人」像が反映されている。


厳格で、寡黙で、易きに流されず、快楽にふけらず、我慢強く、目上の者の命令には従い、順序立てて物を考える論理性を持つ。


…当時のドイツ人じゃないから多少間違えているかもしれないけど、大体こんな感じ。

ようは「堅物」こそが良い人物像とされたし、ロッテンマイヤーさんはそんな堅物を目指しているのがよくわかる。

(彼女自身、生き物が苦手で逃げ出したりするので我慢強くはない。でも、そういう人物を目指している)


彼女はハイジのことを「アーデルハイド」と呼ぶのだけど、これはハイジの本名だ。

後半の「ハイド」が変化して、愛称である「ハイディ」になる。

(日本語では「ィ」という表記は本来なかったので、一番近い音は「ハイジ」となる。)


愛称というのは、言いにくい名前に変わって使われる「言い易い名前」だ。

だから、この名前で呼ぶのは「易きに流れる」ことになる。そんなことをしていたら立派な淑女にはなれない。


だから、彼女は「アーデルハイド」と呼ぶし、クララにも、ハイジ自身にも、「アーデルハイド」と呼ぶように言っている。

(実際のところ、彼女以外は誰も本名では呼ばないのだけど)




ハイジは学校に行っていなかったので、文字を読むこともできない。

クララの家庭教師に、一緒にハイジも教えてもらうように頼むときに、家庭教師はクララと同じ内容を教えつつ、ハイジが付いてこれるようにわかり易く噛み砕いた内容も教える、という方法を提案する。


でも、ロッテンマイヤーさんはこれを許さない。

順序立てて物事を考える論理性を養うためには、わかってもいない内容を「途中から」教えるのは害悪だからだ。


アルファベットから順に覚えさせないといけない、と、ABC(あーべーせー)から教えるように依頼する。


ハイジは毎日あーべーせーをやるのだけど、文字が何に使われるのかもわかっていないし、勉強に身が入らず、一向に覚えない。




クララは病弱なので昼寝の時間がある。


ハイジは、この時間は自室で自習するように求められた。

「自由時間」ではなくて、自習時間だ。でも、ハイジは部屋に閉じ込められて遊び相手もいない、というような状況で面白くない。


ロッテンマイヤーさんにとっては、我慢することを覚える、勉強の遅れを自ら取り戻す機会を与える、大切な学習だと考えている節がある。


#ハイジは我慢することを全く知らない、多動症ぎみのところがある。

 だからこそ、ロッテンマイヤーさんは「我慢する」ことを教えたい。




ロッテンマイヤーさんはハイジのために良かれと思ってやっているのだけど、効果が上がらない。

効果が上がらないので、この方向での「教育」がエスカレートしていく。


ここに現れるのがクララのおばあさま。

雇い主(クララの父)の母上なので、ロッテンマイヤーさんは意見はするが逆らえない。


#目上の者の命令に従うのは、彼女の考える立派な淑女の条件だ。



おばあさまは、まずはクララの昼寝時間の間、自分がハイジを預かると言い出す。

そこで何か勉強を教えるのかと思えば、いわゆる「ぐりこ」を家の中の階段でやって遊び始める。


ロッテンマイヤーさんは遊んでいると思って怒るし、ハイジも一緒に遊んでいるつもりなのだけど、おばあさまは明らかに「教育」としてこれをやっている。


「ぐりこ」をやっているシーンは2回出てくるのだけど、1度目は初めて遊んでいるシーン。

ハイジは常に5歩ずつ歩いていて、おばあさまはすごく後ろから大声でジャンケンをしている。


ずっと時間が後になり、2回目のシーン。

ハイジが先に来ているのだけど、おばあさまは2歩づつ着実に追い上げ、ついにハイジを抜く。


ここで、ハイジとルールの再確認をしている。

ジャンケンで勝ったら、勝ったときの手がグーなら1、チョキなら2、パーなら5歩進める。

おばあさまは、これでハイジに「数の概念」を教えていたようだ。


そしてここで「勝ったら」というのが重要であることを教えている。

パーなら5歩、というのが得だと考えてパーばかり出していると、相手はチョキを出すようになる。


…と言って、意味を理解したハイジを見て、おばあさまは次のジャンケンでパーを出し、颯爽とハイジを引き離す。



ハイジに、相手が出す手がわかれば裏読みされる、ということを教えた。


ハイジは、これを聞いて裏を読み返そうと考え、自分がパーばかり出すからおばあさまはチョキを出すのだ、ならば自分はグーを出せば勝てる、と戦略を切り替える。

しかし、おばあさまは今話をきいたハイジが行動を変えることを予測し、グーを出すだろうと考えパーを出したのだ。



単純とはいえ、ゲームにおける心理戦というのは奥が深い。

おばあさまは容赦なくハイジをそこに叩き込んだのだ。


ここにきて、「勝たせて楽しみを教える」という方法から、「本気でぶつかることで、悔しがらせて考えさせる」方法に切り替えている。


おばあさまはハイジに優しいのだけど、甘やかしていては、本当の力は育たない。

そんなこともちゃんと理解して教育を行っている。




もう一つ、おばあさまはハイジに初めて会ったとき、お土産として童話の本を渡す。

どうも、読みやすい短いお話がたくさん入った、全集のようだ。


ハイジが「字が読めない」と言ったら、この本はたくさん絵が入っているから、絵を見ているだけでも話がわかる、と答えている。

そして、この日は夜ベッドで読み聞かせをやってあげた。


次の描写は、多分1週間くらいたっているのだろう。

ハイジは「毎日同じお話を読んでもらっていたので、内容を覚えてしまった」と言っているので。


内容を覚えてしまったハイジは、たどたどしいが物語が読めるようになっている。

実は、「読んでいる」のではなくて、おばあさまの言葉を思い出しながら、書かれている語句と対応が付いていることを「確認」しているのだけど。


途中でお話を忘れると、絵を見て思い出し、そこから単語を類推している。

本当にわからないときはクララに聞いて教えてもらう。


こうやって、興味を持ち始めたらあっという間に字が読めるようになってしまった。

「あーべーせー」から順に覚えていく、というのは当時の教育方法としては標準的なのだけど、ハイジはこれでは覚えられなかった。

文字が何のためにあるのか理解していなかったからだ。


ロッテンマイヤーさんは「順番に覚える」ことを重視していたのだけど、おばあさまは順序を多少変えても、理解を進めることを重視した。




ところで、19世紀ドイツの文化は、開国したばかりの日本に強い影響を与えている。


開国した日本は、欧米列強に並ばなくてはならない、と強い危機感を抱いた。

日本が「近くの大国」だと思っていた中国(当時は清)は、アヘン戦争でイギリスに負けていたからだ。


政府は欧米の社会制度を子細に検討し、ドイツをお手本とすることに決める。

皇帝を頂点とする体制が、天皇を頂点とする体制と類似性があったこともあるし、ドイツ人の勤勉さが日本人と似ていたこともある。


ドイツ人の考える「立派な大人」の像は、日本人の考える「立派な大人」像と非常に似ている。

「雨にもまけず、風にもまけず…」と非常に近い。


ドイツの影響を受けてそうなった、というのではなく、江戸時代からそうだった。

だから、似ているドイツの体制が新政府の参考にされたし、教育制度にも色濃く影を落とした。



戦前の日本の教育制度は、寺子屋制度の名残と、ドイツ式の教育方法を混ぜたようなものだ。

大戦でアメリカに負けてから、アメリカ式の教育方法を取り入れようともしているのだけど、こういう習慣は急に変えられるものではない。



アニメ版の「ハイジ」が作られた 1970年代は、教育ブームが過熱したころでもある。

(1970年代後半には「受験戦争」という言葉も作られている)


アメリカ式の学習方法を導入しようという動きはあっても、そんなことは一部の人が思っているだけの状況で、戦前の教育方法が強化される形になってしまった。


つまりは、ロッテンマイヤーさん式に、常に勉強を強いて、自由を与えない方式。

勉強時間が増やせるだけでなく、忍耐強さも身につくので将来良い大人になる。


当時はそう信じられていたし、当時そう教え込まれた人は今でも信じている。


もちろんそれに対する反発もあり、この方式を取る人は「教育ママ」もしくは、怪獣になぞらえて「教育ママゴン」などと揶揄された。


ハイジのアニメ版はそんな時代に差し掛かるころに投入されたので、わが身に重ねる人もいただろう。

「名作」というのは、そうした時代の空気に寄り添うことによって生まれる。




おばあさまのように「楽しみながら考える力を身につけさせていく」というやり方は、アメリカでよく用いられる教育方法だ。


別にアメリカ発祥、というわけでもなくて、頭のいい人は昔から実践していたと思う。

ただ、アメリカでは公的教育でもこの方法が受け入れられているので、ここではアメリカ式と呼ばせてもらう。


#アメリカは多様性の国で、ドイツ式の教育方法を取っていないわけではない。学校ごとの自由裁量だ。

 実情としてどの程度の割合なのかは、僕自身がそれほど詳しくないので知らない。


アメリカ式では、教師は「教える」立場ではない。

子供が自ら考えるのを促し、考えに行き詰って相談しに来た時に、正しい道に戻してやる立場だ。


クララのおばあさまは、ハイジと「ぐりこ」をやって遊びながら、数の概念と相手の立場に立って考える、ということを教えた。

童話集を繰り返し読み聞かせ、暗記させたうえで「後は自主性に任せる」ことで、ハイジは文字を覚えた。


どちらも、「教える」という立場ではなく、自発的に気づくように仕向けたのだ。



ただ、おばあさまはどうもこのやり方の限界を知っているようだ。

ハイジには教育をしているのだけど、すでに勉強が進んでいるクララに対しては、特に何もしようとしていない。


アメリカ式の教育方法は「自分で考える」ことを覚えさせるのにはいいのだけど、知識を授けるのには適していない。

そして、正しい知識を持たずに考えだけを先行させると、道を踏み外していることも気づかずに、間違ったゴールにたどり着いてしまう。


でも、ドイツ式だと、ハイジのような…勉強についていけない「落ちこぼれ」を生み出しやすい。

また、知識だけ詰め込まれても、その使い道が全く理解できず、「考える」ことができない大人も生み出す。



1960~1980年代に詰め込み教育を受けた大人は、今の日本を支える年代になっている。

しかし、「詰め込まれた知識」と同じ状況には適応できるけど、新しい状況には適応できない世代だ。


職場でパソコンを活用しようとしたら「手書きでやれ」「電卓でやれ」なんて言い出すのはこの世代だろう。

自分が詰め込まれてないものは理解できないし、理解しようとも思わない。


しまいには、考える力を重視し、詰め込むことをやめた世代を「ゆとり」だなんて揶揄し始める。

考えることができないから、考える力を持った世代、というのがどういうものかも考えられない。



まぁ、僕もその世代に属しているので、揶揄されて迷惑している世代には、代表してお詫び申し上げる。

詰め込み教育の弊害世代、と考えてくれ。僕らの世代もまた、教育の方法の被害者なのだ。



#ついでに言えば「毒親」と言われるのだってこの世代だ。

 時代の流れや、想定しない(習っていない)状況への理解力が乏しいのが根本部分にあるように思う。




さて、先ほどからロッテンマイヤーさんを「ドイツ式の教育方法」と書いているのだけど、最初に書いた通りこのお話は 19世紀のものだ。

今のドイツは、こんな古臭い方法はとっていない。アメリカ式と大体同じらしい。


#もちろん、文化を反映して多少の違いはあるだろう。



知識はもちろん重要だ。先に書いたように、正しい知識を持っていないと、迷走して誤ったゴールへ向かってしまう。


だけれども、現代は知識を得るのが簡単な時代でもある。

得た知識が正しいかどうかの検証方法…多くの情報を比べて「自分で考える」ことを理解していれば、知識を詰め込む必要は、それほどない。


現代では、知識よりも考えることのほうが重視されているのだ。


そこで、日本でも4年後をめどに、アメリカ式の教育方法に切り替えるべく準備を進めている。


先に書いた通り、徐々にアメリカ式を取り入れては来ているのよ。

ゆとり教育だって、「詰め込みをやめて自分で考える」教育だった。


これは成功していて、上の世代よりも考える力を持っている人が増えている。

データにもちゃんと出ている。


でも、そのゆとり教育だって、先生は先生だったのね。

ロッテンマイヤーさんに「優しくしてね」って頼んでいるだけで、おばあさまではなかった。


でも、4年後をめどに、ロッテンマイヤーさんをおばあさまに変えようとしている。

大きな転換点になると思うのだけど、多分そのことを理解する大人は少ないだろう。

(先に書いたけど、今の大人は「新しい状況に対応できない、詰め込み教育の弊害世代」だ)


一番障壁になりそうなのが、先生の意識が変えられるかどうかだと思う。

ロッテンマイヤーさんをおばあさまに変えたい、と言ったって、先生を全員解雇して別の人になんかできないのだ。




最後にハイジの話に戻るけど、「ロッテンマイヤーさんとクララのおばあさま」のように、2人の人物が対照構造になっていることが、このお話の中には非常に多いように思う。


幼く人懐こいハイジと、老齢で人嫌いなおじいさん。

見るものすべてが新鮮で喜びにあふれているハイジと、目が見えずに悲観的なペーターのおばあさん。


ハイジ自身は快活で聡明な女の子で、最初の友達であるペーターは内気で考えるのが苦手な男の子。

ハイジは山でしか暮らしたことが無く、クララは家からほとんど出たことが無い。


全てが対照的になっている。「普通の人」はあまり出てこなくて、極端な人物が多い。


でも、そこに善悪はない。誰もがいい人で、ただ両極端に位置しているだけ。

いつの時代でも通用する普遍的な構造だから長く愛されているのだろう。




ロッテンマイヤーさんだって、ハイジのことを思っているから厳しく躾をして、立派な淑女にしようとしたのだ。

やりすぎていたのは事実なのだろうけど。


詰め込み教育の弊害世代から言わせてもらうと、教育も完全に「おばあさま」モードに切り替えるのではなく、ロッテンマイヤーさんにも活躍の機会を残してほしい。


結局、「やりすぎ」は問題を生じるのだから。


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携帯関連アイテム2点  2016-07-22 18:34:25  歯車

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昨年末に買った Android 端末を、G.W. に落として画面を割ってしまった。


…いや、ひび一本で、奇跡的なことに普段使っている視野角だと、全く気にならない。

横からのぞき込むと割れていることがはっきりわかるのだけど。


気を付けないとなー、と思っていたのだけど、先日また落として、表面に貼ってあるカバーガラスシートの端が欠けた。




これで怖くなって、なんか対策出来ないかと考え始める。


以前使っていた Panasonic 製のスマホは、ストラップ穴があったのだけど、今使っているのはいわゆる「最近の流行デザイン」でストラップ穴がない。


唐突だけど、その昔 PT-110 っていう小さなコンピューターがあって、当時としてはあまりに小さかったので、落として壊さないように開発陣がストラップ穴をつけようとしたらしい。


でも、ストラップ穴をつけるのであれば、そこにストラップをつけた状態で「本体を振り回して問題がない」強度を確保しないといけない。

正しい強度か、試験する必要もあるのだけど、そんなことしていると開発コストに跳ね返る。


おそらく最近の安いスマホにストラップホールがないのも、同じ理由なのだろう。


PT-110 の場合、実は「自分でストラップ穴を作れる」ようになっていた。

本体の外側が薄いプラスチックになっている部分を少し削ると、内側の金型部分にねじ穴が開いている。

ここに、アクセサリー用の「ねじ穴付きループ金具」をつけてしまえば、ストラップがつけられる。


こういう、玉虫色の解決方法ないかな、って思うのだけど、みんなが同じことを始めたら玉虫色ではなくなるわけで、難しい。




調べたら、イヤホンジャックに差し込んでストラップ穴を作り出すアクセサリーが人気のようだ。


Plugy Lock 。

イヤホンプラグにゴムチューブを通した「小さなねじ」を差し込んで、このねじを回すことでゴムチューブを圧縮する。

すると、ゴムは周囲に広がり、内側からがっちり固定してくれる。


一応 3Kg の荷重に耐えられるらしいけど、これは「玉虫色の解決」であって、強度保証があるわけではない。

使うなら自己責任で、だろう。


2千円ほどと結構高いのだけど、買ってみたら調子がいい。しっかりしていて外れそうにない。

外そうとするときには、ちょっと緩めればすぐとれる。


…しかし、3日ほどたってから外そうと思ったら、なんかうまく取れない。

緩む方にねじを回していたら、頭が取れてしまい、中のねじを引っ張り出すのに難儀した。

(最終的には取れたけど)




これはどうも、イヤホンプラグを使うのは諦めたほうがよさそうだ。


いままで、イヤホンプラグを使うのは、車内だけだった。

スマホをカーナビ+音楽プレイヤーにして、イヤホンジャックからカーステレオにつなぎ、シガレットプラグから充電しながら使っていた。


うーん、じゃぁ、Bluetooth でカーステレオに繋げるようにするか。


Bluetooth レシーバーで、イヤホンジャック出力でステレオに接続できるもので、シガレットプラグ、もしくは USB 充電で使えるもの…と検索してみる。


そしたら、もっといいものがあった。


Bluetooth レシーバーで受け取った音声を、FM 波に変換してカーステレオに送る、というカテゴリの製品が結構あったのだ。

大抵は、それ自体がシガレットプラグの形状をしている。


あ、でも、そうしたらシガレットプラグが使えなくなる。

USB 充電もしたいから、シガレットプラグを奪われるのは困る。


いや、ちゃんとそこまで考慮した製品があった。



Bluetooth レシーバーで受け取った音声を、FM 波に変換してカーステレオに送る。

それ自体がシガレットプラグ形状だけど、USB 電源出力もある。


ついでに、電話がかかってきたときはその製品についている「受話ボタン」を押すことで、受け取れる。

相手の音声は FM波でカーステレオから聞こえ、こちらの音声はその製品のマイクで拾われて相手に送られる。


ボタンは受話ボタン以外に、終話ボタンと + - の合計4つついている。

これで、音量調整もできるし、聞いている曲の次選曲、前選曲、一時停止、再生開始、などもできる。


スゴイ高機能なのに、購入時の価格で 1200円ほどだった。


#中国から発送なら、800円程度から買える。

 ただし、Amazon の商品評価コメントには「到着が遅い」と怒りのコメントが多数並んでいる。

 税関通したら遅くなるのは当然で、それは商品の評価に書くことではないと思う。

 僕は急ぎで欲しかったのであえて高いものを選んだ。



安い理由は、新製品が出たからのようだ。

新製品では、USB 部分に USB メモリを差し込むことで、USB 内の MP3 を再生できる。

単体で音楽プレイヤーとなる機能が付いたのだ。


でも、僕はスマホを接続したいから買うので、この機能はいらない。

買ってから説明書を読んだら、USB に入れた音楽ファイルを再生できる…というようなことが書いてあった。

もしかしたら少し高かったのは、実は後継機種を買っていたのかもしれない。




使い勝手だけど、Amazon のコメントには「ノイズが乗る」と言っている人と「ノイズは全然乗らない。良好」と言っている人がいた。

また「音が小さすぎる」と言っている人もいた。


買ってみてわかったのだけど、スマホ側の Bluetooth 送信音量を最大にすると、ノイズが乗る。

しかし、スマホ側で音を小さくすればノイズは消える。


一方で、レシーバー側の音量を変化させてもノイズに影響はなかった。



つまり、これはノイズではなく、音量が大きすぎることによる「音割れ」だろう。

さらに言えば、製品に原因があるのではなく、スマホ側に問題がある。


…そのつもりで調べてみたら、Bluetooth の音量がおかしい、というのは、Android には良くある問題のようだ。


Android はハードウェアごとに少しづつカスタマイズが必要なので、Bluetooth などの微妙な部分が完全調整されないまま世に出やすいのかもしれない。


音割れは、Bluetooth に渡す音が大きすぎるということだし、「音が小さすぎる」はその裏返しの可能性がある。



現在のところ、僕は Llama を使って「音楽アプリを起動したら音量最大」にしてしまっている。

これをちょっと改めて、Blutooth 接続しているときは8割程度の音量になるようにすればいいだろう。


そして、音が多少小さいのは、カーステレオの音量を上げて対処することにする。




普段 Bluetooth は使っていなかったので、何らかの問題で接続が切れたときにどうすればよいか、も最初はわからなかった。

単に、レシーバーの電源スイッチを OFF にして、ちょっと置いてから ON にすればいい。


これだけで再接続される。


スマホを(これ以上)落としにくくなって、カーステレオでも接続していた線が一本減って扱いやすくなった。


特にBluetooth レシーバーは、安いのでお勧め。


Plugy Lock は…どうせイヤホンジャックを使わなくするつもりなら、もっと安い方法でもいいかもしれない。


2016.7.24追記

2点、という記事なのに追加でもう1点。


スマホを固定するのに、今まで吸盤から関節付きの腕があって、ワニ口でつかむやつを使っていた。


800円くらいで買って2年ほど使っているのだけど、非常にいい製品だ。満足していた。

ところが、スマホを買い換えると、スマホの重みで吸盤が外れることが増えた。


#ちなみに、吸盤は粘着素材なのでどこでも貼り付けられ、剥がれても洗えば再度張り付けられる。



カーナビに使っていて運転中に落ちると非常に困る。


そこで、「落ちないスマホスタンド」を探した結果これに落ち着いた。送料・税込みで ¥96。

販売会社・メーカーは儲け出てるのか? 大丈夫?


すごく使う人を選ぶようで、別のリンクで売っている(値段も高い)同商品のレビューだと非難も多い。


横置きにしかできないし、タブレットみたいに大きなものは支えられない。

水平に近い場所がないと使い物にならない。それなりに広い面積がないと固定できない。

溝に挟む形なので、スマホ画面下部は見づらくなる。


でも、「摩擦が強くて滑らなくなるので、置くだけでいい」という原始的な方法は、何よりも信頼性が高い。

しばらく使ったけど、コストパフォーマンスが非常に良い商品でした。



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ソーセージ作り体験  2016-07-26 13:19:05  社会科見学 家族

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鎌倉ハムの工場が家からそう遠くないところにある。


車で出かけるときなど、時々近くを通るのだけど、半年ほど前には工事をしていた。

そのころから、完成したら工場見学ができるようになるということは知っていた。


完成したのは2か月ほど前。

見学に行こうと思ったけど、夏休みになったら「ソーセージ作り体験」を実施すると知ったので、申し込んで待っていた。


そして、やっとその日が来たので、ソーセージ作りと工場見学を楽しんできた。




料理は好きなので、もう20年くらい前に自分でソーセージを作ったことがある。

ぼそぼそとした、それほどうまくないソーセージができた。


「肉を冷やし続けないとぼそぼそになる」ということは読んでいたのだけど、どの程度冷やすのかわからない。

よく練らないといけない、ともあって、練っている間に温まってしまったようだ。


氷を入れることもあるけど、水っぽくもなるという。

冷えた牛乳を代わりに使うと水っぽくならない、ともいう。


その時は牛乳を入れてみたのだけど、冷やす力を考えると氷を入れるべきだったか、とか、よくわからなくて、ある程度は道具を買って挑んだのだけど、再挑戦しないままに道具も捨ててしまった。


#道具と言っても、腸に肉を詰めるための絞り出し袋と、特殊な口金だけ。




さて、ソーセージ作り体験。

「行ってみたい」と思っている人のために、鎌倉ハムのページではわからないことを書いておこう。


エプロンと三角布が必要、と書いてあるけど、ようは衛生的な格好で、という意味。

うちの子供は、給食当番の時の白衣と帽子を持って行ってみた。それでいい、とのこと。


持って行かなかった場合も、使い捨ての帽子とエプロンを借りられるのだけど、エプロンは大人サイズ。

小学生の子供には大きすぎるようで、みんな苦労していた。

(使い捨てなので、裾の部分は切ってしまう形になる。

 また、これは体験教室を始めたばかりだから準備不足なのだと思っている。きっとそのうち子供用も用意される)



工場内は撮影不可なのだけど、体験教室は撮影可。

ただし、衛生に気を使うため、撮影機材などを触った後、調理する際は再度手を洗うこと。


#調理後に撮影したければ、また手を洗う必要があるので、何度も手洗いすることになる。



材料は1セットで2~4人分、となっているのだけど、肉を詰めるための機材に、4回半分程度の肉があるため。

皆均等に体験したければ4人までが適正なのだろう。


だけど、今回は5人で1セットで申し込んだ。子供と妻を優先して体験させ、僕は最後に余った分を詰めた。


#撮影係をやりたかったこともあるし、先に書いたように自分で作ったことはあるから。




作るのはボイルドソーセージ。燻製にはせず、ゆでて仕上げるタイプ。


燻製にしないので、煙の臭いが付かない。逆にいえば、材料に入れた香辛料の香りを楽しめる。

そこで、ノーマル、レモン、チョリソーの3種類の香辛料があり、選べるようになっていた。


ノーマルじゃ面白くないし、子供がいるならチョリソーは避けたいしで、レモンが一番人気。



肉は「よく練る」必要があるし、僕が以前に自分で作った時はその間に温度が上がってしまって失敗したようなのだけど、練済みの肉が冷蔵庫で良く冷やされた状態で提供される。

香辛料を混ぜ、腸に肉を詰める部分のみを体験する形なので、肉が温まる心配はない。


…そうか。練ってからもう一度冷やせばよかったのか。

以前に作った時は「温まると失敗するので氷などを入れながら」と書いてあったのだけど、途中で冷蔵庫に入れるとは書いてなかった。

気付いてしまえば単純な話。



肉に香辛料をよく混ぜたら、肉を押し出す銃のような器具を使って、羊腸に肉を詰め込んでいくだけ。

成形の方法は、その場で教えてくれるし、難しくない。


というわけで、ほどなくソーセージが出来上がる。

全員のソーセージを、タグ付きのひもを通して束ねて完成。


完成後は、記念撮影がある。作ったグループで、ソーセージを持って1枚。

後で記念品のポストカードに印刷してもらえる。


カメラがあるなら、渡せばそのカメラでも撮ってくれる。



使った器具は洗って返却。

ほとんどのグループでお母さんが洗っていたのだけど、うちは子供たちが「洗いたい」と言い出したので、最後に教室を出る形になった。




ボイルが終わるまで、展示見学。


鎌倉ハムの歴史などを説明した展示室がある。大体知っていたのだけど、自分の知識が間違っている部分などもあるようだ。


「鎌倉ハム」を名乗る工場などは、日本全国にもある。

鎌倉ハムというのは会社名ではなく、ブランド名でもなく、「製法」に着いた名前だから。



鎌倉でハム事業が起こったのが関東大震災前。

ここで学び、のれん分けした人々が被災し、全国各地に疎開したために全国に鎌倉ハムが広まった、と聞いたことがある。


展示によると、ハム事業を起こした外国人は、その製法を極秘として誰にも教えなかった。

しかし、関東大震災の際に周囲の日本人に助けられ、その心に感動して徐々に秘密を開示するようになった、とのことだった。



多分、どっちかが間違えているというような単純な話ではなく、製法を聞いてから、親戚などの家に疎開したものだっているのだろう。

「疎開」と言ったって、震災後すぐに行く人ばかりではなく、1~2年頑張ってから、どうしても生活が立ちいかずに避難、という人だっているだろうから。



現在も鎌倉に残る鎌倉ハム製造業者は「富岡ハム」だけなのだけど、戦後米が不足している折に、大船駅で代用駅弁として「ハムサンドイッチ」を売り出している。

当時はまだハムは高価なものだったけど、これによって一般にハムのおいしさが知られて普及した、と聞いていた。


でも、実際には「ハムサンドイッチ」の発売が先で、その時は高価な輸入ハムを使っていたそうだ。

翌年、ハムを自前で作るために富岡ハムが創業される。



大船駅で駅弁を売っている大船軒と、富岡ハムは創業者が同じだ。

当時の富豪がそうであったように、地域一帯の発展のためにずいぶん私財を投入している。


その関係で、大船駅に駅弁を、と言うときにもいち早く声がかかったようだし、それがきっかけとなってハム工場の設立もしたのだろう。




見学していたら、ボイルが終わったので試食にどうぞ、と言われた。

各自のグループで作ったソーセージの中から、小さめのものを適当に人数分、皿に取り分けてくれた。


作った時点で「これは僕が作った奴」とか、目印になるものを覚えていたのだけど、すでにバラバラになっていて誰のものかわからず。


しかし、作り立てのソーセージは本当にうまかった。

「温め直す」のではこのおいしさが出せないから、手作り体験した人にはぜひ食べてほしくて出来立てを出しているのだそうだ。


残るソーセージは、氷で急冷され、お持ち帰り用に。

アツアツのソーセージを、持って帰れる温度まで冷やすので、また少し時間がかかる。

展示室に戻って展示の続きを見る。




その後、冷えたソーセージを自分たちでビニール袋に入れ、密閉してもらう。

単に密閉しただけで真空引きなどはしていないし、賞味期限は3日だそうだ。


袋は大きく、ソーセージは1袋に入る程度の分量なのだけど、密閉されるので食べるときのことを考えて分けるといいでしょう。

うちは大体半分づつに分けました。


ゆで直してしまうと味が逃げるので、フライパンに少量のお湯を入れて蒸し焼きにするのがお勧めだそうです。

この日の夜に半分食べました。



お土産の写真をポストカードに印刷したものももらい、終了。



この後、折角なので工場見学に。

でも、工場見られるのはほんの少しだけ。説明などがあるのだけど、この説明はソーセージ体験教室をやった人は、すでに知っているもの。


スライスハムを作る工場で、結構な割合で「製品にならない規格外品」が出ていた。


あれ、おそらくは大船祭りや、鎌倉オクトーバーフェストで提供されるのだろう。

「規格外品」だけど味は変わらないハム・ソーセージを屋台で安く提供するのが、毎回大人気です。




余談。


今回作ったものは、羊腸に詰めている。ウィンナーソーセージ。

豚の腸に詰めると、フランクフルトソーセージ。

牛の腸だとボロニアソーセージ。


「ウィーンはサウンド・オブ・ミュージックの舞台になったあたりの街。

 フランクフルトは、ハイジの中でクララの暮らしていた街」


と説明。


#サウンド・オブ・ミュージックの舞台は、実際にはザルツブルグなのだけど、子供向けの説明なので「そのあたり」で。



そしたら「ボロニアは?」と聞かれたのだけど、ボローニャを舞台とした、子供でも知っている有名なお話ってあったかな?





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10年 大人がヘルパンギーナにかかると…2010夏

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セガサターンモデム  2016-07-28 10:32:37  業界記

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業界話。

20年たったら書く、という方針でやってますが、20年前のこの時期は空白期間です。


配属されていたプロジェクトが急にお蔵入りになって、次のプロジェクトに配属されるのだけど、このプロジェクトはさんざん時間がかかった挙句、仕様も決まらないままに雲散霧消。


手相占いのヒットで気をよくしたオムロンの持ち込み企画だったのですが、やろうとしていることが野心的過ぎた。

顔を認識して人相を取り、似顔絵を描くと同時に人相占いの結果を印刷しよう、というものでした。


オムロンの持ち込みなのでオムロン側の機材スペックが決まらないと詳細を決められなかったのだけど、数カ月かかって「基礎研究からやり直す」ということに。



結局、オムロンは数年後に似顔絵を作ってくれるシール機を作ります。

当時の技術としてはすごいのだけど、それほど話題にならなかったのではないかな。



この期間、暇だったのでST-Vに「Comet」の基礎部分を移植したのを覚えています。


ST-Vは、「4つの頂点を指定して変形ポリゴンを作る」ことができたけど、単に「線で四角を描く」こともできたし、「2つの頂点で線を引く」こともできた。


でも、こんな機能があることを、企画の方ではあまり知らなかったのね。

プログラマーだから「普通は使わない機能がある」って面白さからそれを活用したゲームを作ってみた形。


ライブラリは基本的に普通のスプライト・ポリゴン表示を想定して作られていたし、そのライブラリをうまく使ってハードウェアの深い機能を使う、という実験になった。


これは後で役立ちました。




ところで、1996年7月27日に、セガサターン用のモデム、XBANDが発売になっています。

20年たったのでこの話をしましょう。



7月27日は、機器の発売日。

「パソコン通信」と「インターネット」(と当時は言われていたけど、WEB ブラウジングのこと)ができます。


メインとしては通信対戦ゲームなのだけど、サービス開始は1か月後だった。

なんだ、そのやる気のなさ。



今のようなネットつなぎ放題の時代だと想像もつかないかもしれませんが、当時は電話を使って通信を行ったので、時間課金。

市内への通信だと3分10円だけど、市外になると値段が上がり、距離に応じて30秒10円程度にまでなります。


通信速度だって遅い。14.4Kbps。

今の光回線が 1Gbps … 1,000,000Kbps くらいだから、5ケタ、1万倍ほど違います。


ちなみに、XBANDは当時としてもスペック低めでした。

1996年夏ごろだと、PC向けに販売しているモデムは 28.8Kbps が普及モデルで、33.6Kbps が高価な新製品。

「おもちゃ」として安くする必要があったのでしょうが、いきなり将来性に疑問符がついていた。



サーバーだって非力で、日本全国からのアクセスに耐えるようなサーバーと電話回線をセガが用意できるわけもありません。

そこで、セガのサーバーはマッチングだけを行います。


東京のセガのサーバーまで…遠距離なので高いけど電話をかけます。

でも、これは必要なデータをもらってすぐに切断されるから、10円で済みます。


ここでもらう必要データが、「マッチングを希望している、近隣に住むユーザーの電話番号」。

もちろん、ソフトが電話番号を知るだけで、ユーザーには見せません。そして、即座に電話をかけ直します。


これで、市内(もしくは近隣)のユーザーと直接接続できます。

ちなみに、マッチングできそうなユーザーがないと待たされるのですが、この場合は「電話を受ける」側になるので、電話料金が不要になります。


電話料金は安く抑えられるし、サーバーを介さないのでタイムラグは最少に抑えられるし、なかなかうまく考えたシステムだと思います。


#電話番号は「知られないつもり」なのだけど、ダダ漏れ。

 掛ける側は並列につないだ電話の受話器を取れば音でわかるし、受ける側はナンバーディスプレイがあればかけてきた人の番号がわかってしまう。




発売に先駆けて、社内でβテスターが募集されました。


応募資格は、サターンのすぐ近くに電話線があり、モジュラージャック対応していること。

この当時、まだモジュラージャックに対応していない家も多数ありました。


#NTT民営化は1985年。それ以前は電話機の一般販売もされておらず、交換する必要などなかった。

 そのため、住宅の「電話線」は壁から直接出ており、モジュラージャックではないのが普通だった。



僕は、パソコン通信やるために、自分の部屋にモジュラージャック工事してあった。

面白そうなのでテストに参加しました。



このときに完成していた「対応ゲーム」は、バーチャファイターリミックスの通信対戦版のみ。


βテスターですから、対戦開始時刻、対戦結果などを細かく残す必要もあります。

1対戦10円、という換算で電話代は後で支給される約束だから、とにかくたくさん対戦すること。


人数が少ないから集中してやらないとマッチングできない、ということで、1時間程度の期間を決めて集中して遊んだはずです。


たしか、最初の数人との対戦は普通に遊べました。


対戦後「続ける」か「別の人と対戦する」かを選ぶのね。


両者続けるを選んだら、そのまま次の対戦が始まる。

というのも、電話をいちいち切らずに続けたほうが電話代は安くなるから。


でも、このときは出来るだけ多くの相手とやる約束だったので、次々人を変えます。



何人目かで、対戦中に動きが止まり、ゲームにならなくなります。

リセットして続けても、次の相手も同じ。

この後何度か繰り返しても同じ状態で、集中プレイ時間の1時間を過ぎたので終わりにしました。




翌日、対戦がまともにできなかったことを報告します。

通信記録などからすぐに相手が調べられ…通信できなかったときはすべて、同じ部署の後輩とマッチングしていました。

人数が少ないから「近隣の相手」が限られて、違う人を探しても同じ人に当たってしまっていたみたい。



すぐに「電話回線を調べさせてほしい」という打診がありました。

電話回線品質が悪くてノイズが乗っているのではないか、という疑いです。


それは構わないけど、普段パソコン通信やっていて不都合はないですよー。

…回線品質を調べる機械を持ってきて調査したけど、問題なしでした。


さらに数日後、後輩の家と僕の家の間で通話状態にした際の通信品質も調査されます。

これも、特に悪くはない。


機材が悪いのではないか、ということで、僕のセガサターンを調査することになり、持っていかれました。

代替機として、会社からHiサターンが貸与されます。




しばらく後に調査報告を聞いたのですが、結論としては「何も悪いところはない」そうです。

ただ、使用機材と電話回線の両側の組み合わせの「相性」があって、すべてが問題のない品質であっても、通信がおかしくなる現象が生じることがわかった、とのこと。


えー、それって一番まずいやつじゃないの。

つまり、「どこにでもある環境で不具合が出る」ということだよね。


指摘したら、担当者の人は乾いた笑いで「その通りで困りものなのだけど、今から対処する時間はないんだよ」と。

そのまま発売されたそうです。


テストは行ったけど、「正常動作を確認」する目的で、不具合を見つけ出して対処するためのものではなかった模様。




ところで、いまだにセガサターンは返してもらっていません。

僕はセガサターンを購入したはずなのだけど、今家にあるのはHiサターン。


Hiサターンは日立から発売された OEM なのだけど、本来別売りだったムービーパックが最初から入っている高級機種。

なので、別に文句はないんですけど。


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相模原JAXA公開日  2016-07-30 23:18:29  社会科見学 家族 天文

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JAXA へ行った。


相模原のJAXAが一般公開していたので、子供と遊びに行ってきた。


実は、数年前に子供と一緒に行ったことがある。

その時は公開日ではなくて、過去の衛星の模型などを見られる展示室が1つあっただけ。


一般公開日となると、やはり規模が違った。

マッハ4の風を吹かせられる大型風洞実験や、電波ノイズを完全になくしてしまう電波暗室など、大掛かりな設備も公開される。



いろいろと面白いものを見られたのだけど、全部書いているととりとめがないので、ざっと気になったものだけ記しておこう。




裏門側に駐車場があり、そちらから入ったので、メイン展示である「正門側」は最後に行った。

その都合で、地味な研究を細かく見ていて、普通は見た人が喜ぶようなハヤブサの模型とかは、疲れていてどうでもよくなっている。


なので、心に残ったのは「研究」が中心だ。



まず、宇宙太陽光発電衛星の話。


まぁ、SFでおなじみ。ジオラマなどを使って概念説明をしたり、実際にマイクロ波で離れた場所にある LED をつけて見せたり。

ここら辺は以前から度々見たことあるのね。


でも、どこにでもある普通のトランシーバーで、模型自動車を走らせるのは興味深かった。


子供たちは、ラジコンとの違いが分かっていない。

ラジコンは電池を模型に搭載し、電波で「操作するための信号」を送る。


でも、この模型は信号は送ってないから真っすぐしか走れない。

電池がないのに、走ることができる。


トランシーバーの電波は、どこにいるかわからない相手に届けるために、四方八方に飛んでいく。

それだけパワーが分散するので、距離が離れるとあっという間に受けられる電力が減ってしまう。

(実際、模型自動車はトランシーバーを近づけると速くなる)


宇宙発電では、できるだけ減衰しないように、特定方向に向けて電波を飛ばす。


…と、ここまで説明してやっと「おー、すげー」って長男が納得した。


進化したテクノロジーは魔法と変わらない、とはアーサーCクラークの言葉。

裏を返せば、「なんかすごそう」と思っていても、何がすごいのかわからない。

ある程度理解して、やっとそのすごさが伝わる。




小型レーダー人工衛星を開発中のグループ。


CCD カメラが小さく安くなり、画像で地球を監視できる衛星は非常に増えた。

でも、可視光は自然の影響を強く受ける。夜では写らないし、曇っていても地上が写らない。


災害が起きたとして、その災害現場の状況を速やかに知りたいとき、「曇っているからダメです」では役に立たない。


そこで活躍するのがレーダー衛星。雲や雨でも地上の様子を知ることができる。



しかし、分解能の高いレーダーを搭載した衛星を作ろうと思うと、今までは 1000Kg級になってしまっていたらしい。

そんなに重いと打ち上げるのもお金がかかるし、衛星自体の開発にもお金がかかる。


そこで、100kg 級で高解像度レーダー衛星を作ろうと頑張っていて、2020年ごろの打ち上げを目指しているらしい。


レーダーでどの程度の画像が得られるのかと聞いたら、分解能 1m 程度で、10km 四方くらいの「写真」が撮れるそうだ。

レーダーって、パラボラみたいな指向性の強いアンテナを動かしながら「スキャン」していくイメージがあるのだけど、強い電波を照射し、帰ってきた電波を小さなアンテナの集合体で受けることで、写真のように画像を得られるらしい。




ハイブリッドロケットの開発。


ロケットを宇宙に飛ばすには、燃料だけでなく「酸素」が必要になる。

よく使われているのは、冷やして液体にした酸素と、液体燃料を混ぜて燃やす方式だ。


これを液体・液体方式と呼ぼう。燃料漏れなどがあると、液体であるがゆえに食い止めることができず、爆発するという危険性がある。


扱いにくいのであまり使われず、日本のお家芸となっているのが、固体燃料と、固体の酸化剤を使う固体・固体方式だ。

あらかじめ混ぜてロケットの中に詰め込んである。酸化剤は酸素化合物なのだけど、熱を加えると還元されて酸素を放出する。

その酸素と燃料が結合して燃焼する。


反応が始まると止められず、爆発するという危険性がある。



これらの方式の危険性をなくすために、ロケットエンジン内に固体燃料を詰めて置き、液体の酸化剤を少しづつ振りかけながら燃やす、という方法が研究されているそうだ。

固体・液体方式。「ハイブリッド」と呼ばれている。


海外の例で、この方式で研究中のロケットが事故を起こした例があるそうだ。

エンジンは燃焼を停止し、地上に落下。パイロットは脱出し、怪我はしたが命に別状はないという。




平面指向性アンテナ。


最初の方に書いたけど、電波が四方八方に飛ぶと力を失う。地球から遠く離れたところに電波を送るには、指向性を高めたい。

パラボラアンテナなんかがよく使われるのだけど、これは繊細なものだし、微妙な湾曲があるので、ロケットにコンパクトに詰め込みにくい。


そこで、最近の人工衛星では平面で指向性を持ったアンテナが使われることが多い。


…と、ここまでは知っていた。

実際には、平面にして強度を保つため、ハニカムを金属板で挟んだ構造にしたりしているらしい。


また、パラボラを使わないのは、単にコンパクトにしづらいから、ではないそうだ。

パラボラが太陽に向いてしまうと、光が焦点である「アンテナ」に集中してしまい、すごい熱を発生する。


宇宙では空気がないため、熱を空冷することもできず、熱をどう逃がすかは重要課題だ。

パラボラはこの面でも、使うのが難しいようだ。




その「熱を逃がす」話では、ヒートパイプと、同じ太さの様々な金属の棒を持って、氷水に突っ込むという実験が大人気だった。

あまりに人が並んでいたのでやらなかったのだけど。


ヒートパイプは、銅などで作ったパイプの中に金属などで編まれた「リボン」を入れ、少しの液体を入れ、気圧を下げて密閉したもの。

一部のハイスペックなパソコンなどでも使われているので、原理を知っている人も少なからずいるだろう。



気圧が低いので、液体は蒸発しやすい。

ちょっと熱を持ったところがあると、蒸発して気化熱を奪う。


そして、冷えたところでは結露して凝集熱を放出する。

液体に戻ると、リボンに吸収され、毛細管現象ですぐに全体に広がり、乾いてしまった「熱いところ」に移動する。


気体分子は、邪魔をするものがなければ音速で移動する。

なので、ヒートパイプは音速で熱を伝えることができる。

これは、どんな金属で作られたヒートシンクよりも熱伝導が速い。




JAXAではなく、国分寺市の特設ブース。


日本初のロケット、ペンシルロケットの実験を行ったのが国分寺市だったそうだ。

ペンシルロケットの実験話は知っていたけど、場所までは記憶になかった。


その「実物」のうち1つが市に寄贈されているそうで、実物展示してた。

実物は、後部の羽根以外失われているため、欠損部分は木で作ってある。


市報で「ペンシルロケットと私」という、いろいろな人にインタビューした記事が載っていて、連載第1回~4回までのコピーと、最新版である第8回の載った市報が配布されていた。


5~7回も置いてあった形跡はるのだけど、もらいに行った時点で無かった。

人によって書いてあることの面白さは全然違うのだけど、だからこそ読んでみたかった。




中庭休憩スペースは、銀河連邦の他の国からの出店でいっぱいだった。


…銀河連邦は、JAXA の施設がある町で構成している…まぁ、お遊びだな。

実質的には姉妹都市提携しているのだけど、本来の名前ではなくそれぞれの市が「共和国」を名乗り、全体で連邦としている。


それぞれの特産品の屋台を出していた。



そして、それとは別にリポビタンDのブース。


JAXA といえば…というか、「はやぶさ」といえばリポビタンDだからね。


ブースの前にいくと、スタッフの人が「ファイトー」と声をかけるので「いっぱーつ」と返せば、無料で1本もらえる。

栄養ドリンクは子供が飲んじゃいけないんじゃ…とおもったら、リポビタンD Kids という商品があるそうで、それをいただいた。


次女は「美味しいからもう一本もらいたい」と言っていたのだけど、薬だから用法用量を守りましょう。




宇宙ヨット(と言っていいのか?)のイカロス、ペーパークラフトになっていた。

単にペーパークラフトが作れる、というのではなくて、あの独特の帆の畳み方を学習してもらうためのもの。


次女が作りたい、というので、順番待ちを並ぶ。

数人しか並んでいなかったのですぐに順番が来るだろう…と思ったのだけど、その場でペーパークラフトを作るので、一人当たり5分くらいかかる。列が全然進まない。


やっと順番が来たころ、長蛇の列になっていたので「家で作りたい方、紙だけお持ち帰りできますよー」とスタッフの方が配布し始めた。

なんだ、そんなのあるなら、それでよかったのに。




イカロスの仕組み展示。


イカロスは、太陽の光を受け、その光の圧力で移動することができる。

ここまでは知っていた。


その姿勢制御は、液晶を使っている。

液晶を透明にすると、帆に直接光が当たり、強い力となる。

液晶を半透明にすると、光は乱反射し、力は弱まる。


これで、エンジンを使わずに姿勢制御ができる。

よく考えたなー、という感じ。




そういえば、SoftBank のペッパーいました。

会話できるようにはなってなくて、一方的に研究内容の説明していただけだけど。


よくできたロボットではあるけど、ハードウェアとして使われていただけで、自慢の人工知能は見られず残念。




…と、思いつくままに書いたのだけどこんな感じかな。

なかなか楽しめました。




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PowerPC 発表(1991)  2016-07-31 16:21:30  コンピュータ 今日は何の日

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今日は PowerPC の開発が発表された日。


古い Macintosh で使われていた CPU です。

少し前、Wii / PS3 / XBOX 360 が争っていた時代、この3つのゲーム機の CPU はいずれも PowerPC を元としたものでした。


というくらいには普及していたのですが、そのころを頂点にすっかり消えてしまった感があります。




PowerPC とは、POWER プロセッサの PC 版。

いや、正式名称は Performance optimization with enhanced RISC - Performance Computing で、この頭文字が PowerPC です。

でも、こんな正式名称がどう見たって後付け。



POWER は、世界最初の RISC プロセッサです。


1970年代、コンピューターをプログラムするのには、アセンブラを使うのがまだ普通でした。

C言語のような高級言語はすでに登場していますが、性能を出すにはアセンブラでないといけないと言われていた時代。


PDP-11 は、それまでのシリーズとの互換性を断ち切り、非常に使いやすい機械語命令を搭載して話題となります。

PDP-11 のアーキテクチャは、6800 6809 68000 V60 トロンチップなど、多くの CPU の手本とされました。


その特徴は、命令の直交性が非常に高いこと。

CPU の機械語命令では、足し算、引き算という「命令」と、結果を残すレジスタやメモリアドレス、計算に使用するレジスタやメモリアドレス、の3つの組み合わせで作られます。


たとえば、Z80 の ADD A,#5 という命令は、レジスタ A の現在の内容に、数字の 5 を加えて、その結果を A に残すことを意味します。

LD A,(1234) は、アドレス 1234 のメモリ内容を、レジスタ A に読み込みます。


じゃぁ、ADD A,(1234) だったら、アドレス 1234 のメモリ内容を A に足すか…というと、そうではありません。

そんな命令は存在しません。ADD では、アドレスを指定したメモリとの足し算は出来ない、という決まりがあるのです。


こうした決まりは、CPU 設計の技術上の問題で生じています。

しかし、極力技術上の問題をクリアし、人間が直感的に使えるようにすることを「直交性が高い」と呼びました。


#直交性は数学的な概念です。グラフを書くとき、X座標とY座標が「直交している」という、その直交。

 X と Y がお互いを制限することなく、自由であることを意味しています。




さて、PDP-11 の頃から始まる、直交性が高くて使いやすい CPU は人気が出ます。

その一方で、これらの CPU は技術的な課題をクリアするために、非常に複雑な仕組みを使っていました。


そして、その複雑さは「遅さ」につながります。



もう一つ、先に Z80 の例を挙げましたが、Z80 は非常に命令が豊富です。

足し算や引き算は当然として、「裏レジスタ」というものを持ち、レジスタの表と裏を入れ替える命令とか、メモリ内のある領域から特定の 1byte を入れてあるアドレスを見つけ出すとか、1byte = 8bit を、4bit で表現できる 10進数2桁とみなして足し算・引き算するための命令とか…


これらの仕組みもまた、複雑で「遅さ」につながります。



1970年代、IBM は豊富な命令のどの程度が利用されているのか、既存のプログラムコードを調査しました。

調査対象は、主に IBM System/370 用のプログラム。


人間が直接アセンブラで書いたプログラムや、FORTRAN や COBOL を利用したプログラムなど、様々なものがありました。

さらに、IBM のコンピューターだけでなく、他社のコンピューターも調査したようです。


その結果、次のようなことがわかります。


・プログラム実行時間の8割で、10個程度の基本命令しか使われていない

・それらの基本命令でも直交性は十分利用されておらず不要である

・「便利な命令」よりも「単純な命令」を組み合わせたほうが高速に動作することが多い


これは、従来の「人間にとって使いやすいプロセッサが、良いプロセッサである」という価値観を覆すのに十分でした。




IBM は 801 というコンピューターを作成します。

これは実験プロジェクトで、上に書いた調査結果を元にしたものです。


よく使われる基本命令を高速に実行するように最適化されており、直交性も低いです。

しかし非常に高速に動作し、人間にとっての「使いやすさ」は、コンパイラを開発することで保証されます。


801 の作成中に、パソコン用の 1chip プロセッサーである、ROMP の作成が開始されます。

801 では、高速性を求めてすべての命令を同じ長さにしていたり、単純な命令の組み合わせで複雑な命令を実現したりするため、プログラム容量が大きくなることが予期されていました。


801 では、すべての命令が 32bit でした。

ROMP では、一部の命令を 16bit にして、混在命令長にすることで省メモリ化を図っています。


ROMP は 1981 年に開発が開始されたそうですが、実際に製品として発売されたのは 1986 年でした。




その後、1990 年に POWER 1 が作成されます。

大型汎用機に使用されるもので、CPU の機能を複数の LSI に分散しています。


そして、このときに、1970 年代の研究成果と共に「一部の命令を高速化すればよい CPU が作れる」というアイディアが宣伝されました。


この宣伝のために、RISC という概念が作られました。

同時に、従来の人間に使いやすいプロセッサは CISC と名付けられました。



ここには、IBM の宣伝のうまさがあります。


RISC の R は Reduce の意味。複雑化しすぎて遅くなっている CPU を「Reduce」(元に戻す、縮小する、減らす、などの意味)する、という意図があります。


それに対し、CISC の C は Complex 。「複雑な、込み入った、嫌悪する」などの意味のある単語です。

この用語の対比を見ただけで、RISC は素晴らしく、CISC はダメなものに思えてしまう。


POWER は頭文字…最初に挙げましたが、意味のある単語で、最後の R は RISC です。

でも、そんな意味よりも「POWER」=「力」という意味を強く感じる。ここでも、POWER が素晴らしいものに見える。


ここから、1990年代の RISC CPU ブームが起きます。




でも、RISC って結局、宣伝文句のバズワードに過ぎなかったのね。


「命令が少ないから高速化できる」と言った POWER は、どんどん命令を追加して強力なものになっていく。


一方で、CISC 代表のように言われた Intel の CPU …当時は i486 とかなんだけど、Pentium の時に互換性のあるまま「RISC になった」とされる。


RISC と CISC の共通部分 ISC は「Instruction Set Computer」を意味しています。

命令によって見分けるのだから、互換性があるなら CISC のままのはず。

でも、インテルも宣伝上手で、RISC の定義を「ワイヤードロジックである」ことに置き換えてしまうのね。


ワイヤードロジックとは、すべての命令を回路で作ってある、という意味です。

それ以前は、非常に多くの命令を効率的に作るために、複雑な命令は CPU 内部で別の命令に置き換える形で実行していた。

このやり方だと、回路は使いまわせるから効率的だけど、結局インタプリタみたいになっているので遅い。




1991 年 7 月 31日、IBM 、 Motorola 、Apple の3社は、共同で「PowerPC」の作成を行うと発表します。

前年に、大型コンピューター用に作られたばかりの POWER を、PC に乗せられるサイズに小さくしようというのです。


Motorola は、CICS の代表格の一つ、68000 を作っていたメーカーです。

Macintosh の CPU としても使われていましたが、複雑すぎて、後継機で速度を上げるのが難しくなっていました。


IBM は、PC 用の CPU としては ROMP に次ぐ製品になります。

ROMP は、開発開始から製品が出るまでに 5年もかかっているのですが、多くの時間を OS 開発に費やしたそうです。


パワフルな CPU であることを活かし、他の CPU をエミュレートすることで、複数の OS をエミュレートし、どんなアプリケーションでも動く究極の OS を作ろうというものでした。


ROMP の時は途中で断念したようなのですが、PowerPC でも夢の続きを見ます。


プロジェクト名「Pink」、WorkPlace OS と呼ばれました。

UNIX 、DOS 、Windows、Macintosh OS 、などなど、どんな OS でもその上で動かすことができる…予定でした。


最終的には失敗し、AIX (IBM の UNIX) と、OS/2 (マイクロソフトと共同で作成した OS )だけを動かす形に、規模を縮小して製品化されています。




PowerPC は 1993 年に完成し、Apple では 1994 年に Power Macintosh 6100 を発売します。

従来の 68040 を搭載した Mac のソフトも、ソフトウェアでエミュレートすることで動作しました。


…が、68040 を利用する実機よりも速度は遅い。エミュレートだから仕方がありません。

これはエミュレータ部分の設計がまだ未熟だったせいもあり、後に OS がバージョンアップされると、実機より速くなりました。



初期の PowerPC は、CPU ごとの互換性が良くありません。

最初の PowerPC 601 で搭載された命令が、後の CPU でなくなったりもしています。


その命令がなければもっと安く、もっと速くできる、というような判断で、もし該当命令が使われた際には、OS 内部でソフトウェアエミュレートします。



IBM / Motorola / Apple の3社で開発したものなので、チップ製造は IBM と Motorola が行いました。

といっても、PowerPC は PowerMac 以外にはほとんど使われません。


PowerPC を利用した PC を、多くの会社が作れるように CHRP という仕様が作られました。

IBM-PC における「互換機」をどこの会社でも作れるようなもので、CHRP が普及すれば CPU の市場が広がります。


しかし、PowerPC で動作する OS は、事実上 Apple の MacOS しかありません。


そこで、Apple も MacOS を CHRP で動作するように改良し、互換機市場を立ち上げようとするのですが…



この頃、低迷していた Apple に Jobs が復帰。

MacOS 互換機は許さない、と方針を転換し、CHRP 発売に向けて動いていたメーカーも、仕方がなく開発を中止します。


IBM / Motorola は PowerPC を作り続けるのですが、事実上顧客は Apple だけ。

当然のことですが、熾烈な値下げ競争となり、Apple だけが得をする状況になります。



CPU 製造には、製造量に関わらず、大規模な工場が必要です。


IBM も Motorola も PowerPC のために投資をしているのに、市場は広がらずに苦しい状態。

どうしても、値下げするとしても限界になります。


その結果、今度は Apple は PowerPC を捨て、Mac を Intel 系に移行するのです。




最初に書きましたが Wii / PS3 / XBOX360 の頃は、PowerPC はまだゲーム機に生き残りの道を見つけていました。

しかし、それもすでに過去の話。


元々の設計が良いので、今でも十分パワフルな CPU ですし、性能のわりに回路規模が小さいので、基板上の専有面積も小さく、無駄が少ないので省電力で発熱も少ない。


と言っても、これは PowerPC の特徴ではなく、真の RISC の特徴。

今、この特徴を活かして市場を席巻しているのは、PowerPC ではなく ARM です。


PowerPC の前途は多難なようです。


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