「私にとって時間とは、
  外にではなく内にあるものなのだよ」

これは、エンデ作の童話「モモ」のなかに出てくる台詞です。時間が止まった世界で何故動けるのかを質問したモモに、亀のカシオペアが答えたのがこの言葉でした。


「社会の歯車」の連載を始めるときに、何度も取り上げることになるだろうと考えた歯車が3つあります。一つは前回取り上げたような「計算機」、もうひとつはオルゴールをはじめとする「自動演奏機」、そして、今回取り上げる「時計」です。

しかし、私が「時計が好きだ」と言うとき、この「好き」のニュアンスは世間一般の時計好きの人とは異なるようです。


私はデザインやメーカーは気にしませんし、機械式かクオーツかもそれほど気にしません(デジタルよりはアナログ、クオーツよりは機械式が好きですが)。ですから膨大なコレクションを前にしても、良さがあまりわからないのです。


そして、なによりも世間一般の・・・時計コレクター以外にも、本当に世間一般の人と違うのが、「正確さすら気にしない」ことなのだと、自分では思っています。

 一日に10秒狂うくらいは全然大丈夫です。1分でも気にしません。一時期気に入って使っていた時計は、ちょっと油断すると止まってしまうために1日のあいだに平気で2時間くらい狂いました(それでも使っていたら壊れてしまったので買い直しましたが)。


 その理由が冒頭の台詞に代弁されている・・・というと格好つけすぎでしょうか。どうも私は無駄に時間を過ごすのを気にしないたちで、電車の時刻表を活用したことはありませんし、人との待ち合わせは大抵30分前に待ち合わせ場所に行ってぼーーーっと待っているのです。電車は待っていればいつか来るし、待ち合わせも遅れたら悪いけど早い分には構わないじゃないですか。


なんの話だかわからなくなってきたので元に戻りましょう (^^;

そんな私ですから、普段持ち歩いている時計も実用性のあまりないものです。最近気に入っているのはこの写真の時計なのですが、針の視認性がきわめて悪いです。慌てているときに時計を見ても、まず読めません。

 それでも使っているのは、ひとえに「歯車が美しい」というデザイン上の理由によるものです。会社ではパソコン画面の時計を見ていますし、会社以外で時計が必要になることはないので、これでいいんです。


居間で使っている時計も紹介しておきましょう。この時計は非常に古く、私がものごころ付いたときにはすでに家で使われていました。最近まで10年間ほど物置にしまわれていたのですが、最近居間の時計が壊れたのをきっかけに復活したものです。

 残念なことにこの時計の動力は電池です。しかし、クオーツではありません。電磁石で振り子を動かして動いているのです。そして愛敬のあることに、12時丁度を指したときの長針と短針がちゃんと重なりません。正確な時間を示すことが物理的に不可能という、きわめて難儀な時計です。


 調子にのってあと2つ紹介しましょう。「人の時計の話しなど聞きたくない」と言う方はとばして構いません。(そんな人は最初から読んでないか)

ひとつめ。ネジ巻式の置き時計です。本体が石でできているという、殴れば凶器になりそうなくらい重厚な作りです。

この時計は兄が骨董屋で見つけてきたのですが、あまりに重く邪魔なので普段使われない部屋に置かれています。そのため、気がついたときにしかネジが巻かれず、1ヵ月の内20日は止まっているという、かわいそうな時計です。


2つめ。言わずとしれた「かるがも時計」です。少し前に、ちょっとしたブームになっていたようですが、ブーム以前に買ったので購入価格は安いです。この時計はいやがらせとしか思えないくらい文字版が見にくく、時計としての役目をまったく果たさないのが気に入っています。



結論。

ここまでエッセイ風に書いてきていきなり結論もないのですが、とにかく結論。

私にとっての時計とは、「時間を計るもの」ではなく、「歯車を使ったインテリア」に過ぎないのです。


歯車が見えている必要はありません。鹿脅しの音が水の存在を知らせるように、時計の動きが歯車の存在を感じさせてくれますから。

 これからも、そんな素敵な「インテリア」を見つけたら、このコーナーで紹介して行こうと思っています。

 内部構造や動作原理についてもいつか切り込みたいのですが・・・私には難しすぎるので紹介できるかどうかわかりません。

(ページ作成 1996-10-26)
(最終更新 2002-05-05)

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