理想郷を求めて
ここまでに、ブッシュのMEMEX、エンゲルバートのNLS、アラン・ケイのDynaBookというコンピューター利用の発達史を見てきました。
ケイのDynaBookは、MEMEXやNLSが目指した「情報の保存と検索」という考えとは多少異なります。しかし、「ユーザーのためのコンピューター」という新しい考え方を生み出しました。
では、情報を扱うための、正当な後継者はどこへ行ったのでしょう?
ここに、テッド・ネルソンという人物が現れます。実は彼はMEMEXの論文を読んでシステムを考案し、NLSの登場を見て、新たなプロジェクトを提案します。
プロジェクトの名前は「Project Xanadu」。Xanaduとは神秘の宮殿の名前で、理想郷の意味でもあります。
今回は、コンピューターの理想郷を夢見た男の話です。
目次
情報の公開・閲覧 情報の保存 著作権の管理 強力なリンク 強力な執筆環境
自分を表現するために…
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テッド・ネルソン(Theodor Holm Nelson)は、映画監督ラルフ・ネルソンと、女優セレスト・ホルムの子供です。 テッド・ネルソンの写真。おそらくは現在のもの。 この写真にはちょっとした仕掛けがあります。詳しくはこのページの後半で… |
また、セレスト・ホルムは「イブのすべて」などに出演している女優で、「紳士協定」(1948)ではアカデミー賞の助演女優賞を受賞しています。
彼がどのような子供時代をすごしたのか、私は知りません。…まだ生きている人なので、聞くことは出来るでしょうが。
おそらくは、有名すぎる両親を持ったがゆえに、「自分」を認めてもらうことに苦労したのではないか、と思います。
テッドが生まれ育った環境から、映画に興味を持ったのはある意味当然でしょう。若い頃には何度か自主映画を作製し、そして興味を失ったようです。
彼は映画によって自分の考えを表現しようとして…できないことに気づきました。
映画の作成というのは、かなりややこしい作業です。シナリオを作り、必要と思われるすべてのシーンを撮影し、そのなかから取捨選択を繰り返し、並べ替え、完成形を作り上げていきます。
その過程で捨てられるフィルムの量は、完成する映画の何倍にも及びます。
映画で自分の考えを表現しようと思ったらどうすればよいのでしょう? 自分を表せるようなシナリオを書く? 自分を表せるようなシーンを作る?
そうではありません。考えを表現するとは、編集の過程で何を選び、何を捨てたのかを見てもらうことです。切り捨てたということは「自分の考えと違う」ことを意味しますし、選ばれたものは、より自分の考えに近いことを表現します。
しかし、ここには矛盾があります。映画が完成したとき、残ったものは「選ばれた」部分だけなのです。捨てられた部分との対比によって初めて考えが表現できるというのに。
彼はハーバード大学の大学院で学び、そこでコンピューターに触れています。しかし目指していた博士号を取るのはやめ、大学院卒業後は全体にあまり関連のない、いろいろな仕事を転々とするのです。
仕事の中には、軍のテキスト・システム開発などもありました。どうやら彼は、ここでMEMEXの論文を読んだようです。
職を転々とする間も、おそらくは自分を表現するための方法をいろいろと模索していたのでしょう。MEMEXを知ったことは、彼にとって大きな転機となります。
考えるということはシーケンシャルではない
MEMEXの考えでは、膨大な情報を蓄えた上で、どの情報を選択するかを示す事ができます。そのことはまさに、自分の頭の中を他の人に見てもらい、「考え」を知ってもらうことになります。
MEMEXは、情報を整理しておくための仮想機械でした。しかし、そのままでは「考え」までは表現できません。情報は強く結びつけられ、流れを形作ることで初めて表現となるのです。流れを形作るというのは、すなわち執筆です。
彼はこのようなことが出来る環境を想像し、そこで作られる文章(text)に、「文章を越えた文章」という意味で「ハイパーテキスト」(hyper text)という名前を付けます。また、ハイパーテキスト文章とハイパーテキスト文章を結びつける仕組みのことを「ハイパーリンク」または単にリンク、と名づけます。(1963年の事だとされています)
さらに考えを進め、ハイパーテキスト環境においては、「本」や「論文」というものが単体では意味をなさないことに気が付きます。
参考文献や引用などは、すぐにもとの文章が読めたほうが役立ちやすいのです。それならば、各論文を単体として作るのではなく、すべてをまとめておいておき、ハイパーテキストでつなげたほうが良いでしょう。
こうして、世界中のありとあらゆる情報が集められ、自由にリンク・引用などが可能なハイパーテキストの理想郷が考えられるようになります。
そして、1967年、テッドは自分の考えたシステムに「Xanadu」という名前を付けて提唱します。
さらに1974年、テッドは自分の考えを「コンピューター・リブ」という本の形にして自費出版します。この中で、彼はこのように言っているそうです。
| We speak sequentially because we have only one vocal track and we write sequentially because books have numberd pages, but we don't think sequentially. | 我々が話すときはシーケンシャルだ。なぜなら、我々は声を一つしか持っていないから。我々が書くときはシーケンシャルだ。なぜなら、本は順序のついたページを持っているから。しかし、我々が考えるということはシーケンシャルではない。 |
物理的な制限が考えを伝えることを阻害しているなら…物理的な枠組みにとらわれない方法が必要なのです。それがXanaduに課せられた使命でした。

当時はウーマン・リブ運動が盛んで、タイトルはそのモジリらしい。
Woman lib の lib は liberation(開放)の略。と同時に rib(肋骨)の意味も重ね合わせていて、「女の肋骨」が男だと主張するような過激さも持ち合わせていた。(本来、聖書では女性は男性の肋骨から作られたとされる。これは聖書時代からの「男性優位」の考え方で、そこから覆そうというのだから運動は過激だ)
コンピューター・リブも内容はかなり過激で、過激さを強調するために手書き(書き殴り)を直接印刷したページが多いらしい。
Xanaduとはどのようなシステムか?
Xanaduが提唱された当時、これはあまりにも先進的な考えだったため、説明は非常に大変でした。
しかし、今はWWWがあります。(おそらく、あなたが今読んでいるページはWWWによって表示されています)
WWWはXanaduのサブセットとして、すぐに作れる軽い機能だけで作られました。ここでは、WWWとの対比で、Xanaduがどのようなシステムかを示そうと思います。
情報の公開・閲覧
もっとも基本的で、わかりやすい機能です。
…というか、Xanaduの数多くの機能のうち、WWWではこの部分だけを実現しています。
手元にあるブラウザでどこかのサーバーにアクセスし、必要な文章を手に入れる。文章を読み進み、関連する文章へのリンクがあれば、そのリンクを辿って別の文章を見ることが出来る。
現在のWWWとまったく同じ物だと考えてよいでしょう。Xanaduでは、当初から「映画」も文章と同じように扱うことを想定していましたが、これはテッド自身若い頃に映画を撮った経験があるためのようです。現在のWWWでは、やっと映像が扱えるようになってきました。
情報の保存
WWWでリンクを辿ったところ、「404 Not Found」というメッセージが出た…誰でも、こんな経験をしたことがあるでしょう。
これはつまり、「公開されていたはずの情報が現在はなくなってしまった」ということです。後述しますが、WWWよりももっと積極的にリンクを活用しようとしているXanaduでは、情報の喪失というのはWWWよりも問題となります。
WWWで情報が簡単に失われるのは、各々のページを個人が管理しており、それらのページを収めるサーバーもまた、分散管理されているためです。
Xanaduでは、個人が情報を「出版」するときには集中管理されたサーバーを利用し、一度サーバーに保存されたデータは、永久に保存されることが保証されます。一度出版したら、そのデータは著作者であってもいじることができません。
現在のWWWが「個人の書棚」の情報をみんなで共有するサービスだとすると、Xanaduはさしずめ国会図書館といった感じでしょうか…
著作者ですらいじれないとしたら、訂正などで書き直しが必要なときにはどうするのでしょう?
実は、これは「版」(バージョン)を管理することで行われます。以前の版の一部を訂正し、新たな版とするのです。
新版のデータは、書き換えた部分だけが保存されますが、閲覧者が読むときには全体が整った最新版のように見えます。…さらに、旧い版が読みたいというのであれば、好きな時点の版を取り出すことが出来ます。
これは次に示すような、強力なリンクシステムを構築する上で重要になります。また、取捨選択の歴史を残すということでもあります。…先に書いたように、取捨選択の歴史こそ、著作者の考えを一番反映しているのです。
著作権の管理
WWWの普及以来、さまざまなところで著作権の問題が発生しています。電子データはコピーが簡単なため、これはあらかじめ予想されていた事態ではありますが…
Xanaduでは、最初からシステムに著作権管理の概念が導入されています。
まず、情報が引き出せるのはサーバーからブラウザまでで、ブラウザから別の場所にデータを移すことは出来ません。
データのコピーは出来ませんが、「一見コピーしたかのような」動作は可能です。
Xanaduでは、文章の中に他の文章の一部を表示する、「引用」という機能があります。これはリンクのようなものですが、ジャンプしないでもその場で表示されるところが異なります。
ただコピーできないだけ、というのは著作権管理とはいえません。
Xanaduではもちろん、著作物を読んだ人に対して、著作者が「課金」出来るシステムが備わっています。
その際に、この「引用」の本当の意味が出てきます。著作者に対して支払われた著作権料のうちいくらかは、自動的に「引用」した文章の著作者にも支払われることになるのです。
もしも人の文章をまるっきりコピーした盗作を作れば、その著作権料は、盗作の作者ではなく、本当の著作者に支払われることになります。これは非常に理にかなった著作権管理です。
強力なリンク
引用はリンクの一形態です。WWWではリンクは「他のページにジャンプする」というような形でしか示されませんが、Xanaduにはいろいろなリンクがあります。
WWWでは、リンクは基本的にページ単位です。ページ内に「アンカー」を指定しておくとページの途中にジャンプすることは出来ますが、せいぜいそこまでです。(このページで言えば、一番上に用意された目次で飛べる場所以外には飛べません)
Xanaduでは、文字単位で好きな位置にリンクが可能です。これは単に機能の問題ではなく、「一度出版された情報は永久に変更されない」というポリシーがあるから可能になる芸当です。
すでに紹介した版の管理も、特殊なリンクの形態と考えられます。ほとんどが以前の版の引用で、書き換える部分だけが存在しているのですから…
WWWでは、リンクは一方的に張るような片方向のものでした。しかし、Xanaduのリンクは双方向です。リンクを張ると、その先のページを読んでいる人にも「リンクが張られている」ということがわかるということです。
ある文章があって、そこに賛同や反論のリンクを張ることが可能…と考えると、これは結構恐ろしいことです。しかし、非常に有用でもあります。
版の管理が特殊なリンクであるということは、ある文章を読んでいる人は、双方向リンクによってその文章の「新版」や「旧版」も自由に取り出すことが出来るということにもなります。
強力な執筆環境
このように強力なリンクがあるのは良いのですが、これだけややこしいものを、WWWのように一生懸命タグを書いて制御しなくてはならないのでしょうか…?
もちろんそんなことはありません。Xanaduはもともと「閲覧のためのシステム」ではなく、「執筆環境」を目指して作られているのです。WWWとの最大の違いはこの点となります。
Xanaduでは執筆環境と閲覧環境の間に垣根はなく、出来上がりのイメージのまま執筆が可能です。
これは、著作権管理でコピーが出来ない、という問題に対する答えでもあります。
Xanaduで何か文章を書いていて、他の人の文章から一部を引用したくなったとします。
このとき、コピーしたい文章を「コピー」する操作をしたとすると、Xanaduは自動的にそれを「引用」として処理します。
執筆中の文章の中に、コピーした文章は確かに表示されます。しかしそれはコピーではないので、著作権には違反しません。コピーできないからといって使い勝手が落ちることもありません。
理想郷はどこに…
こんなXanaduですが、では実際にどこにあるのかといえば…残念ながらまだ出来上がっていないのです。
1967年に構想が発表されたのですから、もう30年以上も開発が続けられていることになるのに、まだ完成しないのです。(…テッドは「60年に構想した」と主張し、すでに40年たっていることになっています。まぁ、漠然とした構想くらいはその頃からあったのかもしれませんが…)
完成しない理由は明らかです。考えられるすべての問題をあらかじめ解決しておこうと、大きなシステムを考えすぎたのです。
テッド・ネルソンの語る夢物語に惹かれ、多くの会社が彼に投資しました。CADシステムの開発会社として有名なAutoDesk社がXanaduプロジェクトに多額の投資をし、失敗したのは有名で、テッドは「詐欺師」扱いされたそうです。
Project Xanadu自体は現在も続いています。
WWWの普及以降は、WWWの足りない点をどうすれば補えるか、ということで、WWWにXanaduを持ち込む方法を研究しているようです。
また、テッド自身が設立した会社、The Xanadu Operating Company (XOC)がプログラムの試作を続けており、オープンソースでXanaduのサブセットを公開しています。実際閲覧・執筆環境は動作するようです。
Xanaduは「見果てぬ理想郷」なのか、それともいつか手に入るときが来るのか…それは誰にもわかりません。
しかしこれが、コンピューターの進む道を示し、社会に大きな影響を与えたのは確かなのです。
| 参考文献 | |||
(ページ作成 2001-11-18)
(最終更新 2002-10-03)
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