歯車5ページ目の日記です

目次

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2013-06-21 「暗号の歴史」と、アメリカの盗聴問題
2013-06-28 新しい自転車
2013-07-21 カガクのココロ・ふたたび
2013-08-28 IBM407
2013-09-25 シーボルト国外追放の日(1829)
2013-10-07 バーコード特許成立の日(1952)
2013-10-14 ブノワ・マンデルブロの命日(2010)
2013-10-18 チャールズ・バベジの命日(1871)
2013-12-05 一眼レフ購入
2013-12-20 Robot Turtles
2014-04-04 ジョン・ネイピアの命日
2014-04-07 オーレ・キアク・クリスチャンセンの誕生日
2014-05-22 パスワードの管理方法
2014-06-19 ブレーズ・パスカルの誕生日
2014-06-22 コンラッド・ツーゼの誕生日(1910)
2014-06-23 アラン・チューリングの誕生日(1912)
2014-06-30 ヴァネバー・ブッシュの命日(1974)
2014-07-23 高柳健次郎の命日(1990)
2014-08-15 ミスティクア 
2014-08-19 ブレーズ・パスカルの命日(1662)
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「暗号の歴史」と、アメリカの盗聴問題  2013-06-21 12:27:06  コンピュータ 歯車

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「暗号の歴史」という電子書籍を無料配布中、というので読んでみた。


まぁ、暗号好きなら知っている話ばかりだけど、あまり複雑な理論には踏み入らず、24ページという短さで上手にまとめてある。

あまり詳しくない人ならちょうどいい分量。


暗号好きの自分としては読んだことある話ばかりだな…と流し読みしていったら、最後に参考文献として、サイモン・シンの「暗号解読」がただ1冊だけ挙げられていた。


その本は読んでいる。他に参考文献はないようなので、読んだことある内容なのは当然だった。


無料配布の書籍を読んで興味を持った人は、「暗号解読」も読んでみるといい。

個々の暗号の詳細もわかるし、何より情報を守りたい側と、解読したい側の熱い人間ドラマが楽しい。



ところで、「暗号の歴史」を配布しているのは日本ベリサイン。

暗号のお仕事としてはかなり有名だけど、どういう仕事をしているのか理解してもらうためには「現代暗号」を知ってもらわないといけない。


現代暗号、というものが存在するからには近代や古代の暗号もあるわけで、現代暗号はそれらの欠点を克服するように作られている。


しかし、欠点を克服するための仕組みは非常に難解で、いきなり説明してもわかって貰えない。


…というわけで、ベリサインのお仕事を知ってもらうためにも、古代暗号から近代暗号、現代暗号までをわかりやすく説明する必要があったのだと思う。




暗号解読がらみなので、最近アメリカで大問題に発展している、NSA が市民の通信を盗聴していた問題について書いておこう。



先ほど紹介した本と名前が似ていてややこしいのだけど、「暗号化」と言う本がある。


これは、時々自分のページでも顔を出す名著「ハッカーズ」を書いた筆者による本。



この本の主な舞台は現代暗号が開発された1970年ごろから、2000年までのアメリカ。


NSA が如何に市民の通信を盗聴することを重視しているか書かれている。

主題は、それをプライバシー侵害と感じて阻止しようとした男たちの、熱い闘いの記録だ。

(盗聴を阻止するのだから、本の題名通り「暗号化」が武器となっている)



NSA はこの本の中では、完全に敵役だ。

暗号開発を行うものに圧力をかけ、暗号を扱うソフトウェアを認めない。


…認めないと言っても、開発を止める権限は NSA にはなかった。

ただ、暗号は武器の一種として規定されていたので、国外輸出は許されなかった。


2000年以前にネットをやっていた人なら、Netscape Navigator にはアメリカ国内版と国外版があって、国外版の SSL は強度がはるかに低かったのを覚えているだろう。


同時期に Linux をインストールしたことがある人なら、標準では DES 暗号が使えず、わざわざヨーロッパから互換ライブラリをダウンロードしなくてはならなかったことも覚えているかもしれない。



ともあれ、NSA は「市民が暗号通信をあたりまえに使うようになり、傍受できなくなるなんて悪夢でしかない」と考えている。その良し悪しは別として、多分これは今でも変わっていない。


結局、暗号化技術への規制は(一部の人々の、人生をかけた闘いにより)解除され、暗号化は一般に許可されることになった。

本としては、ここで終わっている。めでたしめでたし、だ。



でも、NSA は当然あきらめていなかった。

というか、闘いの歴史を知っている人々は、NSA が通信を傍受すること自体は当然と思っていた。


今でも、気の利いたメールエージェントなら「PGP」というプラグインで本文を暗号化して送信・受信できるはずだ。

使えなくても、PGP であらかじめ暗号化した内容をメールで送ってもよいが…こちらはかなり使い勝手が落ちる。


この PGP が、「暗号化」の話の中で中心になるソフトウェア。

NSA は暗号化ソフトに広く圧力をかけたが、PGP の作者は逮捕されないように定住せず、アメリカ国内を転々としながら PGP を作り続け、公衆電話からネットにアップロードし続けた。


NSA は PGP の開発者を逮捕しようと躍起になり、最終的にはこれが非合法ではない、と認めざるを得なかった。


そこまで NSA がこのソフトを嫌がったのは、このソフトで暗号化されてしまうと、NSA が通信内容を知ることが出来なくなるためだ。


逆に言えば、暗号化していなければ NSA は自由に通信内容を知ることが出来る。

これはもう、公然の事実だった、はずだ。



今回騒ぎになっているのは、Microsoft や google 、yahoo などの協力を得て、Gmail や hotmail のような「WEB メール」サービスを全て盗聴していた、と言う問題。


…なるほど、NSA さすがに頭いいな、とおもう。

気の利いたメールエージェントには PGP を簡単に使う方法があるものだが、WEB メールにはプラグインなどの仕組みがないのが普通だ。


PGP で暗号化できないところを狙って盗聴している。

もっと言えば、世の中の Cloud 化の流れが進めば、NSA にとっては暗号化がされにくいことになり、盗聴しやすいわけだ。


NSA に協力しているくらいだから、Gmail に PGP オプションが付くこともあり得なさそうだし。




多分、「暗号化」に出てくる登場人物たちにとっては、NSA が盗聴しているなんて言うのは、いまさら騒ぐようなことではないだろう。


これが騒ぎになるのは、コンピューターの利用者層がどんどん広がっているから。

ずっと昔から知られていたことも、新しく始めた人たちには「知らなかった」事実で、大騒ぎになる。


ちなみに、Gmail とか使っていたら、日本人のメールも盗聴されている、ということなので、気になる人は暗号化して通信するように。


NSA の職員だって、一日に何十億通ものメールをいちいち見ていられないから、ここでいう「盗聴」というのは、プログラムがフィルタしている、と言う意味だけど。


このフィルタで引っかかるような危険なことを書いている人のメールは、実際誰か人間が読むことになるのでしょう。



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新しい自転車  2013-06-28 15:59:42  歯車 家族

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新しい自転車

長男の自転車がそろそろ限界。

…今見たら、買ったのたった3年前か。


しかし、すでに身長が高くなって自転車が小さすぎ。

漕いでいると、膝がハンドルにぶつかりそう。


補助輪があるときから使い始め、補助輪を外して練習のために何度も倒したので、いろんなところも壊れている。


というわけで、買う約束はしていた。

しかし冬は日が短くてあまり外遊びしていなかったし、なんとなく伸び伸びに。


5月終わりくらいから急に日が長くなってきたので、6月上旬にネットで買った。


…なかなか来なかった。

購入ありがとうございます、の連絡メールはすぐに来た。まぁそういうものだ。

しかし、そのあとナシのつぶて。


1週間たってやっと、「大人気に尽き発送が遅れています」とお詫びメール。

このメールで、さらに1週間後に発送予定、とあった。


まぁ、前の自転車が壊れたわけでもないし、気長に待つ。



で、昨日やっと届いた。

早速組み立て、長男はご機嫌で乗っている。


サイズが変わったらうまく乗れないんじゃないか、と心配していたのは親だけで、5分も乗っていたら危なげなくなった。

はじめての変速機もうまく使えている。



まだ梅雨空は続きそうだが、晴れれば外出にはいい季節。

家族で自転車で出かけることが多くなりそうだ。



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カガクのココロ・ふたたび  2013-07-21 08:31:21  歯車 家族

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カガクのココロ・ふたたび

2年半ほど前に、マクドナルドのおもちゃが惜しいところで残念だ、と言う日記を書いた。


科学マジックをおもちゃにしたものだったが、その解説が一切なかったから。

科学マジックなら、解説して子供の好奇心をくすぐらなくちゃ、と言う内容だった。




昨日、約束通り今年2回目の海水浴に行き、昼ご飯にマクドナルドに入った。


ポケモンおもちゃが付いてきた。

特に科学おもちゃではないのだが、しくみを解説する小さな紙がついてきた。


そうそう、こういう一言が欲しいのだ。


たった紙切れ一枚。コストにしたらおもちゃひとつに付き数銭だろう。

もっとも、マクドナルドの低価格化の努力は理解できるので、数銭でも付属させるのはつらいのかもしれない。


でも、ほんの数銭の投資が、将来科学好きの子供を産むのだ。


半世紀後に、ノーベル賞をとるような人間が「科学を好きになったのは、子供の時のマクドナルドのおもちゃがきっかけでした」とインタビューに答える日が来るかもしれない。


決して大げさな話じゃないよ。カガクのココロは、どこにだって潜んでいるのだ。



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IBM407  2013-08-28 12:46:28  コンピュータ 歯車

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Twitter でシャープ公式アカウントがこんなのつぶやいてた。



強いかどうかと言うより、僕としては機種が気になった。


1960年当時だと、コンピューターは非常に巨大、かつ繊細な機器だ。

しかし、写真に写っているものは「箱」に収められているようだし、これだけで完成しているような印象を受ける。


とすると、DEC のミニコンピューターかな?

…と思って調べたが、DEC が商業的に成功した PDP-8 を作るのは 1965年だった。


最初は「横倒しにして運んでいる」ように見えた。当時のコンピューターは、大抵縦長だからだ。

でも、よく見ると板にあけられた(おそらく排熱のための)スリットは、この状態で正しそうだ。


横長でこの大きさだと、これは制御卓部分で、コンピューター本体は別に存在するのかもしれない。


運んでいる荷物の一番手前の部分、箱の上側に、斜めになっている部品が見える。

これ、パンチカードを納める読み取り機だな、とわかる。


#知らない人がこの写真見ても思わないだろうけど、特徴のある形状なのです。


となると、その奥にあるのはプリンタか。

排熱のスリットがあるのだから、写真手前が、実際に使うときには「奥」になるのだろうな。


パンチカードを使うのなら IBM だろう、と思って IBM の当時のコンピューターを調べる。

当時なら IBM 709 か、と思ったけど制御パネルは縦型のようだ。写真のものとは違う。


709 のもとになった 704 も調べたが、こちらも違うようだ。


しかし、こういう写真は大抵「制御パネル」や「本体」ばかりで、パンチカード読み取り機やプリンタと言う周辺機器は写真が少ない。


じゃぁ、と考えて「IBM パンチカード読み取り機」で写真検索してみる。


すると、どうもそれっぽい写真が見つかる。写真の元ページを見に行くと、どうやら IBM 407 タビュレーターと書いてある。


そうか! タビューレータか!





コンピューターだと思って探していたからわからなかった。


さすがに背面から撮った写真は見つけられなかったが、左の写真など、横のパネルの開閉部分など同じだとわかる。

多分、シャープ(写真には「~電機」と書いてあるが、これはシャープの昔の企業名、早川電機だろう)に運び込まれたのは IBM 407 で間違いないと思われる。


#この写真はPaulさんのページから引用。個人で IBM650 持っているって…すごい趣味だ。

 (リンク先では、もっと大きな元サイズの画像が見られる)


全体像としてはこちらの写真がわかりやすい。

シャープさんの写真とは正反対の位置から写したものなので、同じものであるとわかりにくいけど。


タビュレータは、パンチカードを読み取り、作表(テーブル化、つまり「タビュレート」)する機械。

407 の場合、作表の前段階として集計作業ができるので「会計機」とも呼ばれる。


左端に、パンチカードの束を置く場所がある。シャープの写真では、手前にあった部分だ。

置いたパンチカードは一枚づつ読み取られる。


装置上中央には、プリンタがある。ここで読み取ったデータを直接プリントアウトしたり、もしくは集計した結果をプリントアウトしたりできる。


右端横側にはハンドルが付いている。

この部分、引き出しのようになっていて、開けることができる。


引き出しを開けた状態が、この写真だ。


407 会計機は非常に高機能だったので、どのような作業を行うか、ここの配線を変えることでプログラムできた。

線(コード)を配するため、「コーディング」と呼んだ。


このプログラム方法は、ENIAC などと同じだと思っていい。


#詳細な2つの写真は、コロンビア大学より引用。こちらもリンク先で大きな画像が見られる。



407 会計機は、僕のページにたびたび出てくる書籍「ハッカーズ」の冒頭に出てくる機械だ。


「ハッカーズ」は初期のコンピューターハッカーの生活に迫ったドキュメンタリーだが、最初に扱うマシンはコンピューターではなく、この 407会計機だ。

当時はコンピューターは何百万ドルもするもので、一般人は触ることすら許されなかった。


というか、407も触ることは許されなかったのだが、704本体ほど厳重な管理はされていなかったため、ハッカーたちが夜中に忍び込んで、勝手に「遊んだ」様子が描かれている。



ちなみに、うちにある「ハッカーズ」は第3版第5刷だが、非常に誤記が多い。

407は、話をしている最中に急に「704」と名前が変わったりする。


先に書いた通り、IBM 704 コンピューターと言うものが実際にあるし、704 は 407 を周辺機器として使えるように設計してある。


英語原文を読んでみたところ、「407」の名称は1回だけ使われ、以降はすべて「it」だった。


日本語で「それ」が多いとわかりにくいため、訳者がわかりやすく、すべてを「407号」と書こうとしたようだ。しかし、間違えて途中から「704号」になり、余計に混乱させている。


#そもそも、「407」は機械の型番であり、個体を識別する「407号」ではないのだが。




407 はコンピューターではないが、IBM 704 コンピューターの重要な周辺機器だった。

だから、シャープ公式氏のいう「コンピューター搬入中」は間違いではない、と思う。


もしかしたら、704/709 は導入しておらず、407 だけの可能性もある。

それでも、ノイマン式ではなく、計算式にも制限がある(データ集計しかできない)というだけで、自動計算機(広い意味でのコンピューター)ではある。


なかなか面白い写真を見せてもらった。ありがとうございます。



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シーボルト国外追放の日(1829)  2013-09-25 10:56:38  歯車 今日は何の日

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今日はシーボルトが国外追放になった日。


知ってる人は知っている事件ですね。


長崎の出島に暮らしていたオランダ人医師、シーボルトが帰国しようとした際、船が座礁してしまい、事故の検分の中でシーボルトが「国外への持ち出し禁制品」を多数持ち出そうとしていたことが発覚します。

シーボルトはスパイの容疑がかかり検分を受けますが、その後国外追放となります。


1829年の今日が、その追放が決定された日。




しばらく前から始めた「今日は何の日」では、主にパソコンの歴史を扱ってきましたが、僕は歯車や古いガジェットも好きなのです。「当時の最新技術」が好きだと言ってもいいかな。


その関係もあり、伊能忠敬の話も好きです。

小学校の時に、尊敬する人はだれか尋ねられたら伊能忠敬と答えていたくらい。


#旧友がスポーツ選手や歌手の名前を挙げるのに対し、「好きだというのと尊敬は違う」と思い、歴史上の人物に答えを求めた結果です。

 実のところ、小学生の時は伊能忠敬の業績を正しく理解しておらず、理解できたのは大学生以降。



…話が飛びすぎて理解できませんね。すみません。


伊能忠敬は、江戸時代の末期に日本地図を作製した人です。

日本人は、太閤検地をできる程度には昔から測量技術を持っていました。でも、江戸末期に至るまで、日本の正確な地図は作られていませんでした。


理由はいくつかあります。

まず、田畑を測るのと違い、日本全国となると規模が膨大過ぎること。


昔は藩単位で地図を作ることはありましたが、あまり正確過ぎると他藩が攻め入る際の参考になるかもしれません。

地図が不正確でも、そこに暮らしている自分たちは詳細情報を知っています。

このため、「わざと」不正確にしていた、という理由もあります。


藩の思惑とは関係のない幕府が地図を作ろうにも、上記理由により藩から協力を拒まれることもあり、地図は作成できませんでした。


伊能忠敬は江戸時代の末期に地図を作ります。

明治の開国まではまだ間がありますが、幕府は諸外国が力をつけており、日本も外国からの侵略に備えなくてはならないことをわかっていました。


そこで、伊能忠敬が大役を仰せ使うのです。

忠敬たちは、他藩に警戒されないよう少人数で全国を回り、国防上必要だが、各藩の秘密には触れにくい「海岸線」だけを精密に測量します。


詳細は割愛しますが、この測量の際に、「当時の最先端ハイテク機器」と、「絶対に間違いの起こりえない原始的な方法」の両方を駆使しているのですね。

最新技術と枯れた技術を同時に使って信頼性を担保する、と言うやり方が非常に好きです。

(先に歯車好き、と書いたのはこのあたりのガジェットのことです)


ところで、弟子の一人が間宮林蔵です。彼は蝦夷地(現在の北海道)を測量してまわり、当時半島だと思われていた樺太が、島であることを「発見」しました。

今でも日本では樺太と大陸の間の海を「間宮海峡」と呼んでいます。


弟子たちが手分けして全国を回ったこともあり、日本全図は完成します。

この「伊能図」は驚くほど正確で、今の地図とほとんど変わりません。


#全く余談ですが、80年代のパソコンPC-8801用に「まみりん」というソフトがありました。

 2DのRPGを自作できるソフトで、後の「RPGツクール」に発展するソフトです。

 この「まみりん」は間宮林蔵のこと

 RPG作成ソフトなので「地図を作る」ことにくわえ、当時の蝦夷地が未開の地で「冒険する」必要があったため、間宮林蔵の名が付いたのです。




今日は伊能忠敬の話ではありませんでした (^^;

シーボルトが持ち出そうとした禁制品のなかに、伊能図の写しがあるのです。


先に書いたように、地図は攻め込む相手にとっては非常に重要な情報。

だからこそ幕府は持ち出し禁制品としていましたし、シーボルトはスパイの嫌疑をかけられて厳しく取り調べを受けることになります。



ところで、最初に「シーボルトが帰国しようとした際、船が座礁してしまい」と書きましたが、これは一般に信じられている話。事実は違うようです。(僕も、今調べていて知りました(笑))


間宮林蔵は蝦夷地の測量をしただけでなく、植物標本を採取して帰っています。

シーボルトは、帰国の土産としてこの標本が欲しかったようで、林蔵に贈り物をしています。


しかし、当時は異国人との付き合いは政府に許可がいる時代。林蔵は、この贈り物をもらってよいものかどうか、開封する前に幕府に届け出ます。


幕府が開封すると、シーボルトからの書簡と贈り物の布が入っており、書簡には、高橋景保がシーボルトに伊能図の写しを許可した、と言うことが書かれていました。


景保は伊能忠敬を援助し、伊能図完成に尽力した人物です。

彼は地図の完成を急ぐために樺太近辺の情報が載った書籍をシーボルトにもらい、そのお礼として伊能図を写す許可を与えていました。



これにより高橋景保は投獄され獄死、シーボルトも取り調べを受け、国外追放になったわけです。


#ちなみに、シーボルトはオランダ人を名乗って出島に暮らしましたが、実はドイツ人。

 当時の幕府は、オランダ人以外の異国人が日本に暮らすことを許していなかった。


間宮林蔵を描いた4ページ漫画。

 調査中に見つけて、上手くまとまっているのに感心したのだけど、話のネタバレなので最後に紹介(笑)




ところで、シーボルトの写した伊能図は、江戸近郊の海岸線の形がおかしいそうです。


これは、日本人の測量技術の精度を疑ったシーボルトが、独自に測量を行って描き変えたため。

自分の技術の方が正しい、と信じたのでしょうが、現在では伊能図の方が正確であったとわかっています。


シーボルトは医者であり、植物学者であり、博物学者でした。

当時の日本の資料を多数持ち出そうとしたのもそのため。


スパイ嫌疑が事実だったのかどうかは、すでに誰にもわかりませんが、僕は単に学者の好奇心だったのではないかと思っています。

(もっとも、シーボルトがスパイでなくとも、地図情報が外に持ち出されるのは安全保障上問題があります。この点は禁制品としていた幕府の意図は十分理解できます)


シーボルトは日本で見つけた美しい草、あじさいを「おたくさ」として海外に紹介しています。

後に日本の植物学者、牧野富太郎は、あじさいを「おたくさ」と呼ぶ地方は日本のどこにもないことを示し、これはシーボルトが日本で妻としていた「お滝さん」の名前を取ったのだろうと推測します。


シーボルトはおたくさを学名として付けましたが、日本のあじさいがヨーロッパのハイドランジアの近縁種と判ったため、現在では学名として残っていません。



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バーコード特許成立の日(1952)  2013-10-07 13:46:19  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はバーコードの特許登録が成立した日(1952)。


今ではどこでも見かけるバーコードや QRコードですが、その基本的な仕組みの特許は、1952年の今日成立しています。


話は 1948年にさかのぼります。


フィラデルフィアのスーパーマーケットチェーンの社長が、地元のドレクセル工科大学に相談にきました。

お客さんがどのような商品を購入したのか、レジで自動的に確認できるようなシステムは作れないか、と言う相談でした。


大学院生バーナード・シルバーは、偶然この相談内容を知ることになります。

すぐに友人のノーマン・ウッドランドとともに、システムの開発に取り掛かります。


ここで、このシステムが求められている背景について説明しておきましょう。


1900年代初期の商店は、カウンター販売が普通でした。

お客さんは店の人に欲しいものを伝え、店員がカウンターケースから取り出したり、店の奥から在庫を持ってきたりします。


1916年、アメリカで「お客さんが自分でほしい品物を探し、出口で店員が清算して料金を払う」という新しいシステムの店舗が出来上がります。


この方式ですと、品数を増やし、在庫を置く棚が増えても、品物を探すための店員の数を増やす必要がありません。

お客さんの方としても、1つの店で多くの品物をそろえることができるためメリットが大きく、この方式の店舗はあっという間に全米に広まります。

(最初の店舗の考案者はこの方式を特許出願しており、フランチャイズ店を増やしていきました)


1930年代には世界恐慌により店舗側もコスト削減を余儀なくされ、従来型の店舗に打撃を与えました。これがスーパーマーケットをさらに普及させることになります。

たとえば、Kroger は従来型店舗を持つチェーン店でしたが、この時期にスーパーマーケットへと転換しています。


また、それまでのスーパーマーケットでは「在庫できる品物」を中心に扱っていたのが、肉や野菜などの生鮮食品も扱うようになってきます。


これにより、お客さんのまとめ買い需要は増え、レジでの清算時間が延びる、と言う問題が生じました。

待ち時間が伸びたならレジを増やせばよいのですが、ライバル店が増えたためのコスト削減競争や、生鮮食料品が増えたための「売れ残り」のリスクによるコスト増もあります。


スーパーマーケット方式は、コストを増やさないでレジを増やすための方策を求めていたのです。

これが、「商品を自動的に確認できるようなシステム」の開発相談に繋がっていました。




さて、大学院生のシルバーとウッドランドは、試行錯誤の末に一つのアイディアにたどり着きました。

品物の1つ1つに、目に見えないインクで印をつけて置き、それを特殊な機械で読み取ればよい、と言うものでした。


目に見えないインクとしては、当時まだ高価だった紫外線蛍光インクを使用します。

通常の可視光下では見えませんが、紫外線ライト(ブラックライト)を当てると光を発します。


しかし、実験してみるとこの方法は使えないことがわかりました。

インクが高価すぎてすべての品物に印刷するには不向きだったうえ、強い光を当てるとインクが「色褪せ」を起こしてしまうため、時間がたつと紫外線を当てても光らなくなってしまうのです。


しかし、アイディアは悪くないように思いました。

シルバーとウッドランドは、「目に見えない印」である必要はないと考え、白黒印刷のシールを品物に貼ることにしました。


シルバーは、モールス信号が「・」と「-」で文字を表すように、縞模様を印刷すれば品物の種類を表せるに違いない、と考えました。

どのような角度で品物を示されても読み取れるように、同心円状の縞模様を印を考案します。これはブルズアイ(牛の目)コードと呼ばれました。


試験すると、500W の強い電球の光の下で、RCA社の光電子倍増管を使用すると、この印を読み取ることができる、と判りました。


シルバーとウッドランドは、1949 年にこの装置の特許を出願します。

特許は 1952年の今日認められました。



特許出願から登録成立までの間の1951年、ウッドランドはIBMに就職しています。

ウッドランドは「品物コードの読み取り装置」の研究をつづけたくて IBM にアイディアを披露。

IBMとしての結論は、興味深いし将来性はあるが、商売にするには少し早い、というものでした。


IBM は、特許成立後に、この特許を買い取りました。しかし、結局商売にはならない、と考え、1961年に RCA に売却しています。




1966年、RCA はこの特許の活用を狙います。全米フードチェーン協会(NAFC : National Association of Food Chains)に「自動精算機」のアイディアを披露し、会議を開催したのです。

kroger は、チェーン展開する店舗での実証実験に名乗りを上げます。


1970年代に入ると議論は一気に加速し、商品をどのようにコード化するか、ブルズアイ以外に良い形式の印刷はないか、などが次々検討されていきます。ここで、11桁の「全米統一コード」が開発されます。


1971年、RCA はカンファレンスで、ブルズアイコードを使った実証実験を行います。

これは非常に話題になり、RCAのブースには人だかりができました。


この時、このカンファレンスに出席していた IBM の人間が、RCA のシステムはウッドランドの特許のものだと気づきます。

ウッドランドはまだ IBM の社員でした。IBM はウッドランドを支援し、このシステムの開発に参加することを決めます。


1972年の7月、Kroger の1店舗で半年の実証実験が開始されました。

ここで、ブルズアイが「思ったより使えない」ことがわかります。


コードの印刷の際には、紙が送り出されます。これによりインクが紙の移動方向に滲んでしまい、実際の印刷が綺麗な同心円にならないのです。


ウッドランドは、これを受けてすぐに新しい印刷形式を考案します。


ブルズアイは、最初のシステムが「目に見えない」コードを使用していたことの名残でした。

目に見えないのであれば、機械をどの角度で使っても読み取れるようにしなくてはなりません。


しかし、すでに印刷されるコードは「目に見える」ものになっています。

ならば、どのような方向でも読める、ということは諦め、印刷が一方向に滲んでも良いように、最初から「帯状の縞」にするのです。


ブルズアイに対し、たくさんの「棒」が並んでいるように見えるこの印刷は「バーコード」と呼ばれました。

ここに、現代でも使われているバーコードが完成します。


IBM が考案したこのコードは NAFC の会議で採用され、1974年に、実用第1号機がスーパーマーケットに導入されます。

1974年の6月26日、第1号機で「10パック入りフルーツガム」が購入されました。この際に印刷されたレシートとガムは、現在スミソニアン博物館に展示されています。


その後、NAFC の働きかけによって、商品にはあらかじめバーコードが印刷されるのが普通になります。

全米統一コードが制定されたことにより、「商品にシールを貼る」というコストも削減できるようになったのです。


さらに、もう一つの利点がありました。

バーコード以前から、売れ筋商品の管理などの概念は登場していたのですが、管理の手間が大きすぎて実用にはならない状態でした。

これが、バーコードによって手間がほぼなくなり、実用に至ったのです。販売時点情報管理…いわゆる POS (Point of Sales) システム です。


これにより商品在庫の管理が容易になり、さらにスーパーマーケットはコスト削減に成功します。


もちろん、POS にはコンピューターが必須ですから、IBM も…つまりは、元のアイディアを考案したウッドランドも儲かっています。


考案から実用化まで長い時間がかかったシステムは「考案者が報われない」ことが多いのですが、バーコードはなんだかいい話です。


特許の有効期限は 20 年なので、特許を買い取った RCA は結局権利を行使できず、発明者においしいところを持っていかれたという、かわいそうな話でもあります (^^;


#でも、バーコードは光学的な読み取りに「RCA の光電子倍増管」を使っていたので、それほど損してないのかな?


#バーコードの仕組みとか、デザインバーコードの話も書こうと思っていたのだけど、歴史だけで長くなりすぎた。

 またそのうち、忘れなければ…書きたいところ。


 →翌年書きました


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ブノワ・マンデルブロの命日(2010)  2013-10-14 09:28:17  コンピュータ 歯車 今日は何の日 数学

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ブノワ・マンデルブロの命日(2010)

今日はブノワ・マンデルブロの命日。


2010年に亡くなりましたね。もう高齢だったからいつか死ぬのは当然でしょうが、死んだときはちょっとショックでした


氏の偉業をちゃんと解説したい…と数学(算数?)ページなんて作りましたが、忙しくて頓挫したまま。




マンデルブロ氏の偉業は、数学に「フラクタル」と呼ばれる一分野を開拓したことです。

しかし、この話、案外深いのです。


話は1900年ごろにまでさかのぼります。


1800年代(19世紀)は数学が急速に発達した時代でした。

しかし、世紀が変わってこのままでよいのか、という問題提起が、多くの数学者からなされています。

そのうち一つに、次のような疑問がありました。



数学は、もともと古代エジプトで自然と共に暮らすために生まれた知恵でした。


毎年氾濫するナイル川は、氾濫により豊かな土壌をもたらしてもくれます。

そのため、古代エジプトの人々は、氾濫することがわかっている地域で農業を営んでいました。


問題は、毎年の氾濫後に、どこの土地が誰のものかがわからなくなってしまうこと。

この混乱を避けるために、最初の幾何学が生まれました。

土地を区画整理し、毎年同じように農業が営めるようにしたのです。


その後数学は発達しました。

しかし、その発達とともに、自然からは乖離したように見えます。


人類は、微分積分を手に入れました。しかし、それで美しい雲を、森の木々を、蝶の模様を、表現することはできたのでしょうか?




数学において、「連続性」は非常に重要な意味を持ちます。

連続性とは、すべての点で微分可能、と言い表すこともできます。


…難しいですね。もっと簡単にいえば「どこを見ても滑らか」ということです。


ところが、自然物はそうではありません。葉っぱは大抵先端がとがっていますし、枝もいたるところが尖っています。雲は全体にとらえどころがありません。

極論すれば、どこひとつ滑らかな場所なんてないように見えます。


このような対象を、微分積分を究極の武器とする(当時の)数学で表現することはできない、というのが、1900年ごろの数学批判の根底にありました。


僕は数学史には詳しくないので間違いもあるかもしれませんが、おそらく上記の「問題提起」をうけて、多くの学者が自然の記述方法を考案しています。


鍵は「非連続性」にありました。

…数学者っていうのは極端で、「どこでも滑らか」ではダメだ、となると、「どこをとっても滑らかな場所が見つからない」ようにしようとします。

(どちらも「すべての場所が均質で特別な場所がない」と言う点では同じで、極端に走ったわけではないのですが)


1900年の初頭ごろ、世界中で多くの数学者が「どこをとっても非連続」な図形を考案しています。


ダフィット・ヒルベルト(1862~1943)が1891年に発表した、ヒルベルト曲線

高木貞治(1875~1960)が1903年に発表した、高木曲線

ヘルゲ・フォン・コッホ(1870~1924)が1904年に発表した、コッホ曲線

ヴァツワフ・シェルピンスキー(1882~1969)が1915年に発表した、シェルピンスキーのギャスケット

NASA物理学者らのグループが1967年に発表した、ドラゴン曲線

などなど、他にもたくさんあります。


これらは、ただ非連続なだけでなく、「どこを取り出しても、全体と同じような形をしている」という特徴を持っています。

このことを「自己相似性」と言います。


この新しい概念は、自然を表現するための一歩目でした。

たとえば、コッホ曲線を組み合わせると、コッホ切片と呼ばれる雪の結晶のような形が出来上がります。


コッホ曲線は、ただの「直線」に、一定の操作を繰り返すことで得られる図形です。

同様の操作を行うことで、木を表現したり、シダの葉を表現したりできることが知られています。




同時代の数学者に、ガストン・ジュリアがいます。

恐らく、彼も同じような作図を試みたのではないかと思うのですが、彼の手法は少し変わっていました。


先にあげた図形は、すべて「図形に対し、繰り返し操作を加える」ことで描かれます。

しかし、ジュリアは「座標をパラメーターとした数式を繰り返し計算する」と言う方法で図形を描いたのです。


もう少し詳しく説明しましょう。

グラフには、縦軸と横軸があります。グラフ上のある一点は、縦座標と横座標、という「二つの数値」で表現できます。


このとき、この二つの座標を、一定の方法で計算します。計算し続けます。

すると不思議なことに、計算のたびに「数が大きくなっていく」点と「あまり変わらない」点の二つに分かれるのです。


二つに分かれるのは、「ある計算」が自乗を含むためです。

1よりも小さな点を自乗すると、どんどん 0 に近づきます。

1よりも大きな点を自乗すると、どんどん 0 から遠ざかります。


点の座標でいえば、単純に近づく、遠ざかる、と言うのではなく、位置を変えていくことになります。

図形を計算することで別の図形を作り出すことを「写像」と言いますが、ジュリアの計算では、計算のたびに写像を作り出すことになります。


そして、この写像は「中心(0)からどんどん離れる」場合と「中心の周囲を動き回る」場合があるのです。


ジュリアは、遠くなる点は捨て、いつまでも周囲を動く点をプロットしました。

1つの点について「遠くならない」確認のために 100回程度の計算を行い、それを縦横 100地点くらいづつ…100*100*100 で百万回くらい計算を行うと、やっと一つの図形が完成します。


完成した図形(ジュリア集合と呼ばれます)は興味深いものでした。

「計算のたびに中心の周囲を動き回る」ということは、中心付近の点にはなんらかの類似規則があることになります。

図形にはこの規則がはっきりと表れ、全体と一部が似た形になる、「自己相似性」を持っていたのです。


しかし、ジュリアの手法は時間がかかりました。

面白い研究ではありましたが、何かの役に立つわけでもなく、世の中から忘れ去られます。




1950年代、ブノワ・マンデルブロは、経済学を研究していました。

ここで、株価の動きには「全体を縮小したような動きが細かな部分に見られる」という自己相似性に気づきます。


彼は 1900年代初頭に行われた研究を再発見し、これらをまとめ上げる研究を行います。

どこをとっても不連続であり、全体と一部が似ている…こうした図形に「フラクタル」と名前を付けます。

(フラクタルとは、「細かな破片」の意味をもつラテン語に由来する造語)


1970年ごろ、彼はジュリアの手法にも興味を持ちました。

ジュリアの時代には手回し計算機しかありませんでしたが、マンデルブロの時代にはコンピューターがあります。

コンピューターの圧倒的なパワーでジュリア集合を計算してみようとします。


経緯は省きますが、マンデルブロは最初に「ジュリア集合世界の俯瞰図」を作ろうとしました。

当時のコンピューターでは、100万回の計算はまだ時間がかかるもので、手始めに面白そうな場所を探し出そうとしたのです。


しかし、この「俯瞰図」こそが新しい発見でした。ジュリア集合の数式を少し変化させ、特徴の出やすい点だけを試算したカタログを作ろうとしたのですが、このカタログはジュリア集合以上に興味深い図形となったのです。


ジュリア集合は、6つの計算パラメーターを持ちます。どのパラメーターを変えても違う画像を生じるため、全体の把握は簡単ではありません。

しかし、マンデルブロの作った図形(マンデルブロ集合)は、パラメーターが2つしかないにも関わらず、ジュリア集合と同じような挙動をしめし、細かな部分を見るとジュリア集合にそっくりの図形が現れていたのです。




ジュリアは、「繰り返し計算しても0から離れない点」に注目しました。

しかし、マンデルブロはむしろ「0から離れる点が、何度目の計算で離れていったか」に注目して、その回数を示したグラフを描きました。


一般的には、本来の(0から離れない)マンデルブロ集合を黒で、周囲の「数回の計算で離れた」場所を、計算回数に応じた色で塗り分けた図形となります。

色で表現する代わりに「高さ」として3D描画すると、険しい山に囲まれた湖のような画像となります。このような画像は、マンデルブロ湖と呼ばれます。


マンデルブロ集合もまた、ジュリア集合と同じような自己相似性を持ちます。

マンデルブロ集合は「ひょうたん型」をしていますが、湖(中央の黒い部分)の縁のあたりを拡大していくと、無数のひょうたんが見えてきます。

ひょうたんの周囲にはまたひょうたんが…コンピューターの計算精度の問題がなければ、無限に拡大し続けられます。


これは、計算中に「点」が中央付近を動き回り、無数の写像を作り出しているためです。

全体の写像が細部に現れるための自己相似性です。

(ただし、計算式は厳密な写像を作り出すものではないため、場所によって思わぬ形に変形します。これが余計に興味深い結果を生み出しています)



最初に挙げた問題提起ですが、「森の木々」は、1900年代初頭の試みでも描けるようになっています。

雲や蝶の羽の模様、燃え上がる炎の様子などは、マンデルブロの研究によって描けるようになりました。


他にも、現代の 3D CG や映画に使われる SFX などで、フラクタルの概念は欠かせないものになっています。


マンデルブロがフラクタルの研究を始めるきっかけとなった「株価の動き」ですが、こちらは「1/fゆらぎ」という現象名で知られています。

1990年代などに流行し、リラックスできる音楽とか、扇風機に「1/fゆらぎ」を名乗るものがありました。


自然界のいろいろな場所で1/fゆらぎが見られる、というのはマンデルブロの研究以前から知られていましたが、現代では「フラクタル」の一種としてとらえられています。




参考リンク:

気軽にマンデルブロ集合の描画を試せるサイトをリンクしておきます。

The Mandelbrot Set in HTML5 Canvas & JavaScript


昔、MSX2 のBASIC で、横256ドットの解像度で3日くらいつけっぱなしにして画面描画した覚えがあります。

X68k で「怪しい高速マンデルブロ」というプログラムがあり、機械語でテクニックを駆使して、1画面を10秒程度で描いていて驚きました。


今なら Javascript でも高解像度で一瞬です。

すごい時代だなぁ…


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チャールズ・バベジの命日(1871)  2013-10-18 06:06:35  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はチャールズ・バベジの命日(1871年)。


みんなはチャールズ・バベジ卿を当然知っていると思うけど…

あ、知らない。そうですか。まぁ、僕が大好きだからと言って、普通の人は知らないよね。


以下に簡単にまとめます。もっと詳しく知りたい人は、記事中に示されるリンク先を読んでください。




歯車計算機が最先端の機械だった時代に、階差機関という超歯車計算機を作ろうとした人です。


当時の歯車計算機は、四則演算を行うのがやっと。なのに、バベジは平方根や立方根、累乗などの関数を計算させようとした。

しかも、計算結果は自動的に活字を組んで、数表をつくって「印刷」できる。

これで本を出版すれば、間違いが一切ない数表の本が出版できる、と言う寸法です。


当時は船を使った貿易が盛んな時代。

数表を使って観測結果から現在位置を求め、進路を決定します。

ところが数表にミスがあったため船が座礁して、国家予算をつぎ込んだプロジェクトが水の泡…なんて事例が実際にあったのです。


数表の本も、別冊に分厚い正誤表が付いていて、さらにその正誤表に数枚の正誤表が挟まれている…というのが当たり前の時代。

だって、ひたすら数字だけで数百ページ、とかって本ですから。計算ミスもあれば誤植もある。

そして、その小さなミスが命取りで国家予算が水の泡と消える。


バベジは、これをどうにかしようとした熱血漢なのです。




彼は若いころから熱血漢で、イギリスの誇る大天才、アイザック・ニュートンの仕事を否定しようと頑張ったことがあります。


ニュートンの当時、イギリスのニュートンと、ドイツのライプニッツが、同時に微分・積分学を確立します。

ところが、当時はニュートンの方が有名人でした。ライプニッツは「盗作だ」と非難されます。


いまではライプニッツはニュートンと独立に微分・積分学を確立した、と認められています。

それどころか、ニュートンの作った微分・積分学は使用する記号など、記述方法が論理的でなく、他の数式と組み合わせにくい、という問題点を持っていました。


バベジの頃、大陸側の数学者は使いやすいライプニッツ式記述を使用し、イギリスの数学者だけが、「母国の誇り」であるニュートン式記述を使用していました。

そして、この使いにくい記述方法のせいで、イギリスの数学界は大陸側に比べて遅れていました。


バベジは、過去の栄光を守ることで現在の地位を失っている、という馬鹿馬鹿しさに腹を立て、ニュートン式の記述を棄てさせる運動を開始しました。

若気の至りもあったのでしょうが…仲間数人と「ニュートン式は使用しない」ことを決め、過去に書かれた文献などもライプニッツ式に翻訳する活動を開始します。


後に、イギリスでもライプニッツ式の記述が主流になりました。

そして、バベジはかつてニュートンが務めた、イギリス数学界の最高栄誉、「ルーカス教授職」を務めるようになります。

ニュートンの否定をした人がニュートンの後継者となる、というのは皮肉なものです。




ところで、先に階差機関としてリンクしたページは自分が書いたものですが、バベジを変人気味に扱っています。

まぁ、天才と言うのは大抵変人なのも事実ですが、興味を持ってもらいたくて面白おかしく書いているのもあります。


ルーカス教授職、と先ほど書きましたが、バベジやニュートンの他に、近年ではディラック(量子力学を発展させた人)やホーキング博士(「車椅子の物理学者」として知られる)も務めています。


ルーカス教授職は数学界の最高栄誉ですが、量子力学のディラックや、物理学のホーキング博士が入っているように、「数学だけ」を専門とするような人は務まりません。幅広い知識が求められるのです。


バベジも自分の目で確かめなくては気が済まない性格で、高温が生物に与える影響を調べるために高温の部屋に入って火傷したり、火山の詳細を調べるためにガスが噴き出す噴火口に降りて行って死にかけたり、まぁ、エピソードには欠かせない変人でした。


…あ、しまった。また変人扱いしてしまった。

しかし、これも強い好奇心があるからこそ。そして、その好奇心こそが天才のゆえんなのです。



統計学の父としても知られています。郵便料金制度の考案者、近代的生命保険の考案者としても知られています。


統計調査の結果、郵便物を配達する際に一番コストがかかるのは窓口業務と個別宅配業務でした。


特にコストがかかるのは、郵便物を送る距離を調べ、距離に応じた料金を算出する処理。

長距離を送る部分は、多くの郵便物をまとめて運ぶため、コストは微々たるものでした。


…では、距離に応じた料金を算出する部分を無くせば、一番コストが削減できます。そこで、バベジは全国均一料金制を提案したのです。


この方法は、世界中で使用されました。

日本の現在の制度でも、全国均一料金で郵便物が送れるのは、バベジの考案した方法を受け継いでいるためです。



生命保険は16世紀ごろ、大航海時代に生まれたと考えられています。

この頃の船旅は冒険で、出発した船が戻らないことも多く、「次に出航する船は帰ってこれるかどうか」が賭け事の対象になっていました。


そこで、船員は「自分の船が帰ってこない」方に財産をかけ、受取人を家族にすることがありました。もちろん自分が死ぬことを望んではいませんが、万が一自分が死んだ場合は、家族に財産を残すことができます。


また、問題なく自分が帰ってくれば、冒険に成功して金持ちになれるでしょうから、多少の掛け捨て金は惜しくないのです。


…これは生命保険のはじまりとされる一説にすぎませんが、実際ありそうな話です。

そして、バベジの時代まで、生命保険と言うのは「賭け事」にすぎませんでした。



バベジは、統計によって年齢ごとに残り寿命がどの程度であるかを予測する表(生命表)をつくり、掛け金と死亡リスクのバランスをとるための、年齢ごとの掛け金を算出しました。


これによって、生命保険は驚くほどの発展を遂げました。

一か八かの賭け事ではなくなり、多くの人が許容できるコスト(掛け金)で、安心を手に入れられるようにしたのです。




さて、話を階差機関に戻しましょう。


彼が考えた「ややこしい関数を自動的に計算し、印刷までしてくれる機械」は、荒唐無稽なものではありませんでした。

バベジは天才です。ちゃんと自分で設計図面(論理的な図面で、工作のための設計ではないです)を引き、理論上間違いなく動作することを確認して実際の作成にかかっています。


しかし、理論上動作することと、それを作れることは違いました。

当時はまだ、何かを作成するときはネジから手作りしていた時代。


バベジの構想が大きすぎるので、やとわれた職人は「ネジの規格化」から始める必要がありました。

とにかくネジが大量に必要なので、一定の規格を決めて大量生産することにしたのです。


このような「工業の規格化」は現在では当たり前ですが、世界初の概念でした。

その作業を行ったのはやとわれた職人ですが、バベジの影響でもあります。



で、そんなことやっている間に、バベジは階差機関に飽きます(笑)


というか、「もっといいアイディアを思いついた! 仕様を変更する!」と言う状態。階差機関は完成しないまま頓挫しました。



そのアイディアが、解析機関

よく、階差機関を「歯車でできたコンピューター」と表現する人がいるのですが、階差機関はただの計算機だからね。


バベジを「コンピューターの父」と呼ばしめているのは、この解析機関の方。


階差機関は、ただひたすら計算を行い続ける装置でした。

しかし、解析機関には「アルゴリズム」が導入されました。一定の計算手順に従って、計算を続けるのです。


アルゴリズムはパンチカードで指定されました。これがいわば「プログラム」。

プログラムが可能な計算機になって、はじめて「コンピューター」と呼ばれるわけです。



しかし、階差機関も作れない段階で、解析機関は無理難題でした。

階差機関は国家予算を使って作られていましたが、その完成も見ずに投げ出してしまったバベジに対し、新たな予算も降りるわけがありません。


階差機関は、近年になって設計を元に作成され、実際に動くことが確かめられました。

しかし、解析機関は、いまでも夢想された機械のままです。


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一眼レフ購入  2013-12-05 14:32:44  歯車 家族

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もう過ぎましたけど、先日妻の誕生日でした。


以前から「いいカメラ欲しい」とずっと言っていたので、奮発してプレゼント。


僕も高校の頃は写真部だったので、いいカメラ自体に憧れはあります。

高校の時は、父のおさがりの、ファインダー内にカビが生えたカメラを使っていました。


そして、高校3年間やって「自分には才能がない」と感じてやめました。

近くに教えてくれる才能がいなかった、と言う理由も大きいと思います


高校の時は物理部(と言う名のパソコン部)も兼部していて、こちらには切磋琢磨できる仲間がいたため、パソコンの方が楽しくなったのもやめた理由です。


でも、大学時代の仲良かった友人が写真部で、自分がカメラの使い方で疑問に思っていた部分を、どんどん教えてくれました。

その時から「もう一度やってみたい」という気持ちはくすぶっていましたが、パソコンが金のかかる趣味だったためそのまま。



…で、妻がここ1年くらい「いいカメラ欲しい」と言い続けていたので、最初に書いたように思い切って買ったわけです。


ずっと欲しいと言っていたので何か機種が決まっているのかと思ったら、カメラは詳しくないので全くわからない、とのこと。

どのように使いたいかなどの用途を相談の上、僕が選定して2年前に発売された一眼レフデジカメを買いました。


2年前の発売だけど現行機種で、値段は下がっています。それでいて、今年発売の機種に比べてそれほど遜色がありません。

マニアでなければこの性能で十分。


女性だからミラーレス一眼のコンパクトな奴も考えたのですが、とにかく電池寿命が長いほうがよい、持ち運びは考えないので、大きくていいからファインダーがあった方が良い、と言うことだったので、一眼レフにしました。




プレゼントしたら想像以上に大きくて驚いたみたい。

でも、2~3日いじり続けて、写真を撮るのがすごく楽しくなったらしい。


星を撮りたい、というのが第一希望だったので、ズームレンズセットを買いました。

ポラリエも一緒に買いました。実はカメラよりもこちらの方が高い (^^;


先に書いたようにカメラはそれほど高くないのです。冒頭で「奮発した」というのは、こちらも買ったから。


試しに庭で撮った写真は想像以上に美麗で驚きました。

ポラリエなしで30秒露光すると、星が動いていることがはっきりわかる写真になります。

ポラリエがあると、30秒の露光で見えない星まで美しく撮影できます。



第2の希望は、庭の花を美しく撮りたい。ここでいう「美しく」は背景がぼけたような写真ね。

マクロレンズがあれば一番なのですが、こちらは今のところ標準レンズをもっともマクロに寄せて使っています。

マクロレンズの値段を見て驚き、当面このまま使い、それでも欲しければ考えるそうです。



いいカメラと言っても、先に書いたように2年前の製品が安くなったもので、決して高いものではないです。

でも、いい道具と言うのはいじっているだけで楽しい気持ちにさせてくれます。



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Robot Turtles  2013-12-20 15:27:28  コンピュータ 歯車

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もう9月に話題になったらしいのだが、ネットでこんな記事を見つけた。



子供へのプログラム教育を目的とした、Robot Turtles というボードゲーム。

プログラム教育、というとまずパソコンに向かわせようとするのだけど、それより先に論理性を学ばせないといけない、とは思っていた。


このボードゲームは、その「論理性」の部分のみを取り出したもの。

パソコンを覚える必要はなく、簡単なゲームとして自然にプログラムの概念を学べるようになっている。



ゲーム内容は、えーと、LOGO ですね。

このゲームについて日本語でブログを書いている人など、「なぜ亀?」という反応だったけど、ゲームに慣れたら LOGO 教育にステップアップ、という道筋を考えているのでしょう。


「教育」なら上級段階へのパスが必要なのですが、その点もちゃんと考えられています。素晴らしい。



LOGO では、基本命令が3つしかありません。

右、左、前、です。


角度とか距離を指定することで、これだけでどんな図形でも描けてしまう。


ゲームでは、単純化のために右、左は90度回転、前は1マスずつ進むようです。

これで亀をマス目移動させ、宝石を多く回収した人が勝ち。



子供向けのゲームですが、「ゲームマスター」として大人の参加が必要です。

子供ができるのは、命令が書かれたカードを提示するだけ。

亀を動かすのは大人の役目。



なんで作業を分離しているかと言えば、考える人と動かす人を分離することで「思った通りに動かない」という、プログラムの最大の悩み(そして、それを克服する楽しさ)を演出するため。


どうも、山札にたくさんあるカードを自由に使い、プログラムを組むゲームのようです。

いつでも組んでいていいけど、実行できるのは自分の順番が来た時のみ。


(遊ぶのに上手になったら、「山札」ではなく、各自に配られた「手札」でプログラムを考えなくてはならないとか、制約をつけて遊ぶことができそうです)



短いプログラムなら、間違えることもなく安全に動けるでしょう。

でも、長いプログラムを組めば、他のプレイヤーよりも素早く動くことができます。


おそらく、動きが間違えた、と思ったら、Undo 出来るのでしょうね。

その回の実行は終わりだけど、デバッグして次回に再実行してみることができる…



さらに、「蛙」のカードは、プログラムのジャンプ…サブルーチンを提供するようです。

サブルーチンとして並べたカードを複数回呼び出すことで、少ないカードで大きな動きを作り出すことができる。


多分、このゲームの肝はこの部分でしょうね。

カードの枚数は限られていますから、一度に動ける最大のマスの数は決まってしまいます。

でも、サブルーチンでカードを節約できるようになると、頭がいい子は他の子よりも素早く動けるようになる。


一方で、複雑なサブルーチンコールは、スパゲティープログラムを作り出します。

うっかりしたら、大人でも勘違いが入り始めて失敗しそう。



「日本語版望む」と言うような声も上がっていますが、そうした意見は「プログラム言語は英語で書かれている」という前提で考えているようです。


ロゴは先ほど書いたように基本命令が3つしかないし、宣伝の動画を見ると、すべて矢印のアイコンで表現されています。

だから、ルールさえわかれば日本語化は必要ないはず。


むしろ問題は、このゲームが子供用であること。対象年齢は、一応8歳までとなっています。


うちの長男はすでに9歳。…それでも、まだ遊べそうな気はする。いや、8歳を超えれば直接 PC で言語を楽しめ、と言う話かな。



大人でも、複雑な制限を課せば十分楽しめそうです。

動くときには必ず宝石を取らなくてはならない、とか、サブルーチンを2回呼び出さなくてはならない、とか。


日本語版は望まないから、どこかのボードゲーム屋さんが輸入販売しませんかね。

ルールを翻訳した簡単な A4 1枚の紙をつけてくれれば、十分「日本語版」として売れそうです。


個人輸入してもいいけど、案外手間も金もかかるからね。



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ジョン・ネイピアの命日  2014-04-04 10:08:45  コンピュータ 歯車 天文 今日は何の日 数学

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今日はジョン・ネイピアの命日(1617)。

生まれは1550年なのだけど、誕生日は不明。

ずっと以前に、歯車のページで「ネイピアの計算棒」として取り上げている道具を作った人です。



該当ページを書いたのは、今からもう17年も前。

当時はこの道具のこともネイピアのことも知らず、科学館でやっていたイベントで見かけて面白かったので記事を書いた、と言う程度でした。



ネイピアは16世紀の数学者…と過去には書いたのですが、当時の学者が皆そうであったように、貴族で領主でもありました。

そして、これも当時の学者としては当たり前なことに、占星術師で天文学者で物理学者でした。


そんなにたくさんの知識を持っていてすごい、と言うのではなく、当時はこれらの学問は切り分けられてなかったのですね。


占星術を行うには毎日の惑星の運行を記録してあることが大切だったので、天文の観察は必須でした。


たくさんの観察記録を元に、天体の動きを数式で解き明かす…やはり数学者で物理学者で占星術師のケプラーによって、天体の動きが解明されたのは1619年。ネイピアの死後のことです。

さらに、ケプラーの友人で、同じように占星術師で錬金術師でもあったアイザック・ニュートンが、天体の動きだけでなく万物に働く力としてまとめ上げ、後にニュートン力学と呼ばれる物理学の基礎を作り上げていきます。


…話が少し横道にそれましたが、当時は占星術や錬金術は重要な学問の一分野だったし、それを研究するのは決しておかしなことではなかったのです。




さて、話をネイピアに戻しましょう。


彼はなかなか良い領主だったようです。

肥料の改良などを研究し、彼の領土に住む農民に対し伝えたりしています。

また、外敵から領土を守るための軍事兵器の研究などもしています。


まぁ、領土を守るのは当然のことですし、税収を上げるためにも農業の改良は必要です。

そう考えると、領民のことを考えていたというよりは、彼の利益になるからそうしただけなのですが、ただ税率をあげて利益を搾り取るよりもずっと良いやり方です。



彼は、物事を単純化し、誰でも扱えるようにし、普遍化することに深い興味があったようです。

農業の改良も、一部の「頭の良い農民」「ベテランの農民」だけが多くの収穫を得られるだけではなく、その技術の普遍化を狙っていたのでしょう。


そして、これは彼の中心的な研究分野であった数学でも発揮されます。


難しい掛け算を、ただの足し算に変えてしまう魔法の道具。それが「ネイピアの計算棒」(ネイピアの骨、とも呼ばれます)でした。




彼の業績はこれにとどまりません。


彼の生きていた時代は、大航海時代でもあります。

そして、彼は占星術師でした。


この二つのことは無縁ではありません。

占星術師は星の観察が仕事ですし、船乗りたちは星を観測して現在位置を知ります。


星の観察で現在位置を求めるには、多くの桁数の数値を扱う必要がありました。

そして、計算を間違うことは遭難、死を意味します。


#当時は小数点の考案前で、精度を上げる=桁数を増やす、と言うことでした。

 大きな桁数で計算したのちに、適当な母数で割ることで最終的な値を求めます。



ネイピア自身、天文学者で数学者ですから、大きな数との格闘の苦労は知っていました。

そこで、この大きな数を小さくしてしまう、という方法を考案します。


これが、対数の発見でした。

先に書いたようにまだ小数点は発見されていませんから、対数は整数の比(分数)で表されます。


現在の対数とはずいぶん異なりますが、大きな数を小さくするだけでなく、掛け算を足し算に変えてしまう(計算棒と同じように!)という、魔法のような方法でした。




先に、天文学者のケプラーの話を出しました。

ケプラーの師匠はティコ・ブラーエという人で、彼は膨大な惑星の位置の観察記録を残しています。

ケプラーは、この記録を元に運動法則を解き明かしました。


ネイピアは、対数があれば天体観測が簡単になる、というアイディアを、ティコに対して披露しています。

これが 1594年の話で、その時にはすでに対数のアイディアを持っていたことになります。


しかし、対数を扱いやすくするためには、あらかじめ対数を計算した「対数表」が必要でした。

この表を作るのが難事業で、対数の発表は20年後、1614年となっています。一般には、この年が「対数が発見された年」とされています。



その後、イギリスの数学者、ヘンリー・ブリッグスがネイピアと共に対数の研究を行い、改良がおこなわれます。


ネイピアの対数は独特の式によって分数で計算されたもので、今の対数のような「底」の概念などはありませんでした。

そして、表は分数で表現されていました。


これを、10 を底とした「常用対数」に改めます。10進法を使っている場合、この方が使いやすいためです。

ところが、これでは表を分数で表現しにくくなり、対数表の記述が難しくなります。


そこで…ここで初めて「小数点」と言う概念が考案されます。

先に、当時は小数点の考案前、と書きましたが、小数点はネイピア晩年の考案なのです。



ブリッグスは、老いたネイピアに変わり、常用対数表を完成させます。

しかし、完成はネイピアの死後でした。




ネイピアの計算棒は、掛け算を足し算に変えるものでしたが、足し算の計算は人間が行う必要がありました。

後にシッカルトが、足し算部分を自動化する機械を考案しますが、これは現存していません。


難しい技術を単純化し、普遍化するという意味では、シッカルトはネイピアの意思を継いだのでしょう。

そして、「計算を自動化する機械」は、現在ではコンピューターとして我々の手元にあります。


これもまた、ネイピアがいなくては作り出されなかった機械かもしれません。



対数分野では、常用対数より後に、非常に扱いやすい「自然対数」が考案されます。

自然対数は、常用対数以前にネイピアが考えていたオリジナルの対数の概念をさらに推し進めたものでした。


この自然対数の底 e = 2.71828.... は、現在ではネイピア数と呼ばれています。



計算尺はネイピアが考案したものではありませんが、対数の性質を利用して、掛け算を簡易に行うための道具です。

ネイピアの死の直後、1620年には原型となる「対数尺」が発明され、1632年にその後普及する物と同じ「計算尺」が作られています。


歯車計算機が作られた後も、計算尺には利点も多かったために1970年代まで使い続けられていました。

電子計算機の普及まで、350年も使われ続けた「計算機」だと言っていいでしょう。



そして、分数に変わる「小さな数を表現する方法」として考案された小数点は、現代では我々は何も意識せずに使っています。

10進数の延長上にあるためわかりやすく、小学校入学前の子供でも理解できます。


これもまた、ネイピアの考案によるものなのです。



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オーレ・キアク・クリスチャンセンの誕生日  2014-04-07 18:13:21  歯車 今日は何の日

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今日は、オーレ・キアク・クリスチャンセンの誕生日(1891)


LEGO社の創始者ですね。

木工職人で、子供向けおもちゃを作っているうちに「凸凹があって組み合わせられる積み木」というアイディアに至ります。


1949年には、この積み木を元に、プラスチック製の LEGO ブロックを発売。

当時のデンマークの子供のおもちゃは木製が普通であり、自然のぬくもりが発育にも必要だとされていたため、「子供向けにプラスチックを使うなんて」と批判されて全然売れません。


それでも、木製ブロックよりもしっかりと接続して形を作れるブロックは良いものである、と言う信念から、プラスチック製のブロックを作り続けます。


…というと信念の人でカッコイイ感じだけど、木製のブロックも並行して販売しており、そちらの収益で会社を保っていました。


1958年には、現在の LEGO ブロックの形が完成します。

(それ以前のブロックと互換性がありますが、結合力が強くなりました)




オーレ・キアクは 1958年に死去します。

なので、彼の話としてはここまでで終わりになってしまうのですが、もう少し続けましょう。


1960年、倉庫の火災で、木製玩具の在庫を焼失します。

これを機に、LEGO ブロックは完全にプラスチック製一本に絞られます。


さらに、1963年にはプラスチックの材質が現在と同じ ABS 樹脂に切り替わり、1969年にはサイズが2倍(体積比8倍)であるにもかかわらず LEGO ブロックと接続性のある低年齢向けブロック「デュプロ」が発売になります。


1982年、上級者向けに歯車などを組み合わせる「テクニック」シリーズが確立します。(これ以前から複雑なブロックを使う「エキスパートビルダー」はあった)


1983年、デュプロよりさらに低年齢向けに「プリモ」発売。ブロックと言うより積み木に近いのですが、ちゃんとデュプロと接続できますし、つまりは LEGO ブロックと一緒に遊べます。


1986年、テクニックをコンピューターで扱える「テクニック・コンピューター・コントロール」が発売。後に発展して「LEGO LOGO」、さらには「MIND STORM」になっています。



細かな話をするともっとあるだろうけど、ここでの話の流れは、対象年齢層をどのように広げてきたか、です。

LEGO ブロックは、6歳から~12歳くらいのおもちゃ。

でも、デュプロは3歳からだし、プリモは1歳から遊べます。

一方で、テクニックや MIND STORM は、大人でも真剣に遊べるおもちゃです。




LEGO ブロックが大人の使用に耐えうるのは、工学的に美しいため。

LEGO GEOMETRY (レゴ幾何学)と名付けられているようですが、各部位のサイズが、厳密に一致するように作られています。


ブロックの「上側」には凸があり、基本的に空っぽの「下側」に食い込んで、ブロックを保持します。


最初期の LEGO ブロックには、側面の板しかなく、保持力は弱かったようです。

しかし、かなり早い段階で裏側に「パイプ」を用意する構造となり、側面だけでなく、このパイプも凸部の隙間にはまるようになります。


ちょうど、すべての「凸」を、側面とパイプで両側から抱えた状態。

これがLEGOブロックの保持力の高さを作り出していて、かつては特許技術でした。


…過去形なのは、すでに特許は切れているため。

今ではこれを真似して、LEGOの互換品ブロックも作られています。


LEGO 社としては、LEGO の「見た目」を立体商標とすることで類似品を防ごうとしていますが、登録の認可状況はは国ごとに異なり、類似品を防ぎきれない状況。




まぁ、類似品の話は余談。話を続けましょう。


この裏面のパイプ、四角く並んだ4つの凸の中央にはまるように作ってあります。

パイプの外周が、凸の四角に内接する、ということ。


そして、このパイプの「内周」は、凸がちょうど中にハマるサイズになっています。

これにより、通常の接続だけでなく、凸を斜めに半分だけずらした位置でも接続できます。


そして、凸のサイズと、レゴの人形(ミニフィグ)の手のサイズは同じ。

ミニフィグの手は、わざと少し出っ張って作られています。ここにブロックの裏のパイプをはめると、「ブロックを持っている」ように出来るのです。


これ、遊びの幅を広げるうえで重要。


さらに、ミニフィグの手の内径は、レゴブロックの「旗竿」などに使われているパーツがちょうどハマるサイズ。

さっきまでブロックに接続され、地面に挿さっていた「旗」を、人形が手にもって持ち上げる、というような遊び方ができます。


いろいろな個所で、サイズをあわせているからできること。




今は凸を中心に話をしましたが、凸と凸の隙間サイズも、いろいろな部分で使われています。

たとえば、一番「薄い」ブロックの厚みは、この隙間の厚み。

だから、普通に接続するのではなく、隙間に薄いブロックを「立てる」ことができます。


立てると、凸部の方向(上側)を90度違う方向に向けることができます。


そして、隙間も含めて凸1つ分のサイズが、レゴブロックでは「基本サイズ」として扱われます。

標準の、2×4に凸が並んでいるブロックを「2x4 ブロック」と呼んだりするわけです。




ブロックと同じように、レゴ・テクニックで使用される車軸のような特殊部品も、凸何個分、と言う長さで作られていますので、同じように凸何個分かで「長さ4の車軸」なんて呼ばれます。


テクニックでは、この車軸を通すための穴の開いたブロック、と言うものが存在します。

この穴のサイズ、実は凸と同じ大きさ。つまりは、ブロック裏のパイプの穴と同じ大きさです。


テクニックには歯車も出てきますが、この歯車の直径も、凸何個分、と言うサイズに合わせてあります。

だから、ブロック同士を組み合わせた位置で、ちょうど歯車がかみ合うのです。


テクニックシリーズはLEGOブロックよりずっと後に作られたものですが、最初に正確な「基準サイズ」を定めておいたからこそ、テクニックの歯車のような、精巧な組み合わせが可能となっているのです。




先に書きましたが、LEGO ブロックには、低年齢向けのデュプロ、さらに低年齢向けのプリモと言うシリーズもあります。

デュプロはブロックの大きさはかなり違うのですが、正確に「2倍」に作ってあるため、LEGOブロックと組み合わせることが可能です。

さらに、プリモはデュプロの2倍。これもデュプロと組み合わせられます。

(LEGO ブロックとプリモを直接組み合わせることはできません)


ここら辺の、サイズが違っても接続できる仕組みは非常に巧妙で面白いのですが、余りに長くなるので、解説はまた別の機会に



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パスワードの管理方法  2014-05-22 17:41:34  コンピュータ 歯車

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Twitter 見ていたら、パスワード手帳に対して批判が集まっていた。


文具屋で見つけた人が写真付きでリツイートして、頭おかしい、情薄、作った会社潰れろ、などとリプライが付いていただけだけど、見た時点で 2500RT を超えていたので同じように思っている人が多いのではないか、と想像する。


でも、これ批判する人って、パスワードを正しく扱えているのかな?


状況は時代とともに変わる。

「パスワードを紙に書いてはならない」は、20年前なら確かにその通りだった。


しかし今は「暗記できる程度のパスワードを使ってはならない」と言うのが鉄則になっている。

それを知らずに「紙に書くなんて情薄」、と言っている人は、最新情報に追随できていない情薄である。




セキュリティ上、一番弱いのは、実は「パスワードは暗記しています」と言うやつ。


その昔、パスワードは紙に書くな、暗記せよ、と言われました。

だからその通りにしています。…そうだね、昔ならその方法が一番良かった。



ネットの普及以前であれば、パスワードを使うのなんて、社内の情報システムにログインするとか、unix 使いがアカウント使ってログインするとか、その程度だった。


多くてもせいぜい3~5個程度のパスワードなら暗記も出来たし、紙に書くなんて「やってはならないこと」だった。



でも、今はそうではない。

ネット上に、パスワードを使うサイトは沢山ある。


「これらを全部暗記している」という人がいたら、同じパスワードを複数のサイトで使いまわしているのではないかい?


もし思い当たるふしがあるなら、それがセキュリティ上「紙に書くよりもやってはならないこと」だと知らなくてはならない。




利用したサイトは、おそらく悪意はないだろう。悪意のあるサイトなんて、それほど多いわけではない。

でも、悪意はなくとも、技術が低くてセキュリティ管理が十分ではない、と言う可能性はある。


小さなサイトであれば、セキュリティが甘々で簡単にクラックされる、と言う可能性は高い。

じゃぁ、逆に大手は安心かと言えば、大手は利用者が多いために、クラッカーにとっては宝の山で、難しくてもクラックする甲斐がある


つまり、どこのサイトも安全ではない、と言う前提でセキュリティを考えなくてはならない。



クラッカーは、どこか1か所のサイトでパスワードを入手したら、「ユーザーは同じパスワードを使いまわしている可能性が高い」と考え、多くの人が利用してそうなサービスで、そのパスワードが使えるのではないかと試してみる


もし、あなたが「パスワードを紙に書いてはならない」という言葉を信じ、暗記できるだけの何パターンかのパスワードを多くのサイトで使いまわしていたとすれば、この時点で次々と、別サイトのアカウントを乗っ取られることになる。



実は、「パスワードは紙に書いてはならない」というのは古い情報であって、現在一番重要なのは「すべてのサイトでパスワードを変えておく」ということだ。




パスワードを変えてあれば、それだけで大丈夫?

…いや、実はそうでもない。


パスワードが流出する、と言う事件はたびたびあるが、ここで流出したパスワードと言うものを、3段階に分けて考えなくてはならない。



1) パスワードそのもの

2) 暗号化されたパスワード

3) ハッシュ化されたパスワード


セキュリティ意識の低いプログラマは、パスワードの管理に気を使わず、パスワードそのものを記録してあることが多い。

プログラマのセキュリティ意識ではなく、「システム発注者の」意識が低いのかもしれないが、利用者にとっては同じこと。


セキュリティ意識が多少ある人は、暗号化する。

しかし、実はこの行為には、ほとんど意味がない。


「暗号化してある」と言うことは「復号できる」と言う意味に他ならないからだ。


もし、サイトで「パスワードを忘れた」と申請したら、あなたが設定したパスワードそのものをメールで送ってきてくれる、と言うようなサービスをやっている場合は、間違いなく 1 か 2 の方法でパスワードを管理している。

万が一、クラッカーがデータを入手したら、パスワードは確実に漏れると考えたほうがよい。



真にセキュリティを知っているプログラマは、3 の方法を使う。


ハッシュ化って何? と言うことになるが、この方法ではパスワードは一切記録されないのに、ちゃんと「正しいパスワード」を認識できる。


#余談になるが、ハッシュ化は専門用語なので、一般にはこれも「暗号化」と言われてしまう。

 報道から 2 か 3 かを見分けるのは、読み手の自己責任。




ある決まった値を、決まった鍵で暗号化すると、その答えは常に決まっている。

しかし、同じ値を、違う鍵で暗号化すると、その答えは先ほどの結果とは必ず異なる。


…このような暗号方法があったとしよう。


この「鍵」としてパスワードを使う。

ユーザーがパスワードを入力すると、それを「鍵」として「決まった値」の暗号化を行い、結果を記録されているものと照合する。


万が一記録が漏れ、復号に成功したとしても、得られるのはパスワードではなく、一定の値だけだ。

この方法ならパスワードが漏れることは無い。


ただし、暗号の計算方法は大抵わかっているので、複号を試みることはもちろん可能だ。

そして、復号できたとき、その時の「鍵」がパスワードだ。



じゃぁ、パスワード暗号化と何が違うのさ、というと、手間が全然異なってくる。


パスワードを暗号化する、というのであれば、鍵を別に用意しなくてはならない。

何千何万ものパスワードごとに鍵を変えるのは難しいので、全部同じ鍵だろう。


そしてその「鍵」は、機械的にいつでも復号できるようにしてあるのだから、パスワードが記録してあるマシンのプログラムのどこかで参照しているはずだ。


こうして、パスワードを記録したデータが漏れた時には、事実上全パスワードが漏れてしまう。



ところが、ハッシュ化であれば、「鍵」はユーザーが持っていることになる。

手当たり次第に復号化を試みることは可能だけど、時間をかけて1つづつパスワードを解き明かしていく…と言う作業が必要になってしまう。


しかも、ここでいう「時間をかけて」というのは、途方もない時間になるのだ。

…組み合わせを制限する、と言うテクニックを使わなければ。




たとえば、8文字のパスワードを、アルファベット26文字の大文字小文字、それに数字10種類を自由に組み合わせて作りだしたとしよう。

62種類を8文字連続するので、62の8乗…218兆通りほどの組み合わせができる。


いくらコンピューターが速くても、これを全部試してはいられない。


そこで、クラッカーは組み合わせを制限する。

完全ランダムな文字列は覚えにくいから、たぶん英単語を使っているだろう、と決めつけるのだ。


あらかじめ「単語辞書」を作っておき、その辞書に載っている単語を試す。

通常、パスワードシステムは8文字以上でないと受け付けないようになっているので、7文字以下の長さの単語は、別の単語と組み合わせて8文字になるようにする。


9文字以上のパスワードは、受け付けるシステムと受け付けないシステムがある。

…逆に言えば、「同じパスワードを使いまわしている人」は、8文字に揃えているはずだ。

だから、単語の組み合わせの際は、8文字になるものだけを試せばよい。


#使いまわしていない人のパスワードを知っても、うま味は少ない。



これで組み合わせはずいぶんと制限され、現実的な時間でパスワードを見つけ出せるようになる。

もちろん、この例に当てはまらないパスワードは見つけ出せないが、流出データに何万件ものパスワードハッシュがあるのであれば、そのうち1割を解読するだけでも十分な宝の山だ。



余談になるが古典的なクラッカー追跡ドキュメンタリー、「カッコウはコンピューターに卵を産む」の中では、8文字になるように英単語を組み合わせてパスワードを作る、と言う方法が推奨されている。


この時代、上に書いたような「単語を試してパスワードを解読する方法」は使われ始めたばかりで、コンピューターの速度も遅かったために、「8文字の英単語」を試すのがせいぜいだったのだ。


たとえば、3文字と5文字を組み合わせればこの方法では見つけ出されない、というので、書籍では「robotcat」というパスワードが例に出されている。


この時点では良い方法だったが、今は時代が変わった。


しかし、この方法が有名になりすぎ、今でもこの方法を使う人がいる。

クラッカーはそこにつけ込んでいるのだ。




万が一パスワードが漏れたらどうなるだろう?


たとえば、Amazon のパスワードが漏れ、登録してあったクレジットカードで買い物された…

なんていうのは、実はわかりやすい被害だ。

きっとクレジットカード会社が補償してくれるから大丈夫。


でも、Gmail のパスワードが漏れ、メールを覗かれ続けたとしたら…これはなかなか気づけない。



いつパスワードが漏れているかわからない、と言うことを考えると、対策は「時々パスワードを変える」と言うことになる。

クラッカーが、次にログインした時に「パスワードが変わった」ことに気が付けば、もう手の出しようがないのだ。



暗号と言うのは、時々鍵を変えるから意味を持つ。

鍵を変えずに運用し続けて、暗号が漏れたまま気づかないでいた…なんていうのは、歴史上よくある運用ミスだ。


歴史に学ばなくてはならない。




・サイトごとにすべて変更する。

・ほぼランダムに見える文字列を使う。

・時間的にも時々変更する。


これが、現代における「正しい」パスワードの運用方法。


全部暗記しておく? …いや、それは現実的ではないだろう。

これでもまだ「紙に書いてはならない」だろうか?


紙に書いてはならないから、クラウドの、Evernote や Dropbox で管理している、という人もいる。

これは論外。それらのサイトがクラックされたら、すべて漏れると考えてよいだろう。


#現実に、Evernote はクラックされてパスワードが流出したことがある。



クラウドはさすがに怖いから、ローカルの PC にファイルとしてパスワードを記録して、そのファイル自体を暗号化している、という人もいる。


でも、ネットに繋がっていればローカルからの流出だってあり得る。

暗号化してあると言うことは、鍵が知れれば「全部の」パスワードが漏れてしまう、と言うことでもある。


また、クラウドと違ってどこからでも参照するのが難しいから、各所にコピーをばら撒いておく…なんていうのは、流出の可能性を増やしているだけだ。




実は、それよりもネットに接続されていない、接続しようもない、でもどこにでも持ち運べる「紙」に書いた方が良い、というのも、セキュリティの専門家が指摘するところだ。


ただし、紙に書くならその取扱いは厳重にすること。




冒頭にあげた手帳、パスワード手帳だが、外見は「パスワード」など一言も書いていない。

普通の手帳に見えるようにしてある。


ただ、url と id とパスワードの組を書けるようになっているのは…少しいただけないように思う。

その3つ組を一緒に記録するのは、いくらなんでも危険だろう。


url や固有名詞は避けて、「いつも使っている銀行」くらいにとどめるのが良いのではないかな。

いや、銀行とすら書かず、GK (GinKou) とか BK (BanK) とか、軽く暗号化(符丁化)するといいだろう。


ID に関しても、多分名前をローマ字にしていたり、メールアドレスが使えたり、いくつかのパターンに収まるだろうから、そのヒント(こちらも符丁で)だけで。



で、パスワードは書いておけばよい。

ちゃんとすべてのサイトでパスワードをかえてあれば、パスワードだけわかっても何もできないはずだ。




ちなみに、第三の方法もあって、パスワードの一部を、そのサイトから得られる何かを使って、一定の手順で「計算」できる方法にしておく、というのもある


一部は暗記して使いまわすが、一部は「計算」で導出する。

計算式が簡単すぎると推察されるかもしれないけど、ひと工夫すれば、自分以外にはわからなくなる。



この方法の欠点は、「全部のサイトで」違う、と言うほどのパスワードを作り出せていない可能性と、時間的に変化させることができないこと。


それでも、本当に重要なサイトだけ「正しく」管理を行い、それ以外はこちらの方法を使う、とかで使い分ければよいだろう、と思う。




2019.7.14 追記


この記事でのパスワード管理の結論の一つ、「時間的にも時々変更する」はやってはならない、とするご指摘をいただきました。


ご指摘は、2017年に米国政府機関である NIST が勧告し、これを受けて総務省も日本国内向けに勧告を行った、「パスワードの定期変更を強制すべきではない」に基づくものだと思います。



この記事の冒頭に書いたように、状況は時代とともに変わります。

記事を書いてから5年たち、日進月歩のコンピューターセキュリティの話としては、いささか古くなっているとは思います。



しかし、残念ながらご指摘をくださった方は、NIST ・総務省の勧告を勘違いしているようです。

この記事の内容は、2019 年時点では、まだ有効なままです。



何をどう勘違いしているのかなど、詳細を示すと長くなりますので新たな記事として書き起こしています。

このページの内容をここまで読まれた方は、5年後の状況に合わせて書かれた、新たな記事もお読みくださると幸いです。


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ブレーズ・パスカルの誕生日  2014-06-19 09:42:50  コンピュータ 歯車 今日は何の日 数学

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今日はブレーズ・パスカルの誕生日(1623)。


うちのページ的には、パスカリーヌの開発者。

または、Pascal 言語に名を残す人。


「人間は考える葦である」という言葉で有名な哲学者ですが、パスカリーヌを考えたり世界初の公共交通機関を考案したりする発明家でもあり、確率論を創始した数学者でもあり、圧力の単位「パスカル」に名を残す物理学者でもあり、そして宗教家でもありました。


業績多すぎ。

それぞれ非常に興味深いものですが、本気で説明すると長すぎるのでざっと紹介。

興味を持ったら自分で調べてね。




パスカリーヌは別のページに書いてあるので簡単な概要だけ。

現存する、世界最古の「計算機」です。歯車で計算を行います。


現存しなくていいならもっと古いものもあるし、パスカリーヌは足し算・引き算しかできないけどね。


これ、当時のフランスの通貨体系が非常にややこしかったために作られた機械でした。

これ重要。そこをおさえとかないと、足し算引き算くらい機械を使わない方が速い、という話になっちゃう。


当時の通貨体系は「リーブル」。1リーブルは20スーで、1スーは12ドゥニエでした。

10進法と20進法と12進法が混ざってる。


普段の生活ならいざ知らず、税務官吏をやっていたパスカルのお父さんは、ややこしい体系に苦闘していました。

このお父さんの仕事をために、と発明した、なんと親思いの子供。ちなみに、17歳の時から製作を開始し、発明は19歳の時です。




確率論。


当時は賭博は非常に人気があり、当然必勝法は誰もが知りたいところ。

当然多くの人が同時多発的に確率論を研究しはじめ、パスカルもその一人に過ぎません。


しかし、彼は一人で研究を行ったのではなく、直感的に矛盾するような問題をいくつも考えては、友人を巻き込んで議論を始めたため、多くの数学者がこの問題を考えることになります。


あとで書きますが、パスカルは「自分で考える」ことを最重要だと思っていたようです。

だから、彼が研究して発表するのではなく、周囲に問題を投げかけて、考えに巻き込む。


巻き込まれた人が多く、パスカルの周辺で確率論の研究が進んだため、確率論はパスカルの創始、ということになっています。



以下は僕の個人的な話になりますが、大学1年の時に確率が必修でした。

しかし、その授業が厳しかった。単位を落とす人は珍しくなく、僕も例にもれず2回も落としました。

おかげで確率はそれなりに詳しくなり、あとでゲーム業界に入った際に役立ちました。


確率の使い方って、ゲームの面白さをかなり左右します。

せっかくいいアイディアなのに、ここら辺の処理でつまらなくなっているゲームもよく見ます。




圧力。


流体力学の原理の一つである「パスカルの原理」を見つけています。


油圧機器…パワーショベルとか、ダンプトラックとかは、パスカルの原理を応用することで非常に大きな力を出しています。


流体の圧力の研究をした功績から、圧力の単位に「パスカル」が使われています。

台風の中心気圧は 980ヘクトパスカル…とかいうときの「パスカル」ね。



これも僕個人の話を書くと、死んだ父は油圧機器の設計販売会社をやっていました。

別に父に教えられたわけではないですが、なんとなく油圧の原理とか好きでしたね。


今でも、空気圧水・油圧で動くものは好きですし。

ヘロンの噴水とかいつか取り上げたいテーマ、って、サイト作りはじめた 20年前から言っている気がする (^^;;




公共交通機関。


最初に書いたように、17世紀は富裕層と一般庶民の間には明らかな格差がありました。

富裕層の移動手段は馬車ですが、一般庶民は徒歩。


その時代に、パスカルは庶民でも安価に乗れる「乗合馬車」を考案し、実際に運用しています。

1662年に始められた乗合馬車は、世界初の公共交通機関とされています。


パリ市内の各地を結ぶもので、運賃は1区間5スー。

…先に説明しましたが、20スーが1リーブル。


事業の認可条件として「労働者は乗せない」などがあり、庶民でも上層を相手にした模様。

しかし、誰でも乗れるわけではないややこしい条件が嫌われ、思ったより利用が伸びず、採算があいません。

後に6スーに値上げしても厳しく、15年で廃止されています。



19世紀に入ってから乗合馬車は復活し、その際には「omunibus」と名乗ります。

「万人のために」という意味のラテン語ですが、略称として bus だけが使われたのが、現代の乗合自動車(バス)の名前の由来。


また、多くのものが相乗りをすることから、小さな話を寄せ集めて作る物語形式を「オムニバス」と呼びます。




人間は考える葦である。


パスカルは乗合馬車の運用開始から半年後に、39歳の若さで世を去ります。

元々病弱だったのですが、急に体調が悪化したのです。


死後、パスカルの考えを示すメモの断片が編集され、本として出版されます。

それが、哲学者としてのパスカルを有名にした「パンセ」でした。



「人間は考える葦である」はその中でも一番有名な言葉。


葦は弱い者の代表です。簡単に折り、殺すことができます。

人間の肉体はまた、簡単に死に至ります。その点では葦と同じ。


しかし、人間は考えることができます。思想はどこまでも自由です。


宇宙の果てを思うことも、遥かな未来を想うこともできます。

これが葦と人間の最大の違い。


ちなみに、「考えることは偉大だ」の後は、「愛はもっと偉大だ」と続きます。

考える、というのは所詮論理の積み重ね。論理なんて超えてすべてを包み込む愛はもっと偉大です。



さて、パスカルは宗教家でもあります。


16世紀にはじまった宗教改革は、宗教のあり方を変えました。

集金のための機関になっていた宗教のあり方を見直し、本来の宗教に戻そうとしたのです。


それでも、そこは宗教ですから、神の存在は疑う余地のない前提でした。

信じよ、さらば救われん。


ところがパスカルは、まず宗教を疑え、と問いかけます。

先に書いたように、宗教には集金機関の側面もありましたが、そうした部分は疑ったときにすぐぼろが出ます。

疑ってもやはり信じられる部分は、たぶん本物。そこを信仰すればよいのです。


さらには、神の存在を疑います。


パスカルは、研究テーマでもあった確率論を導入し、思考実験を行います。

その結果、神は存在しないかもしれないが、存在を信じて信仰することが、良い人生を過ごせるとの結論に達します。



これ、現代風に言えば「信念を持って生きる人は幸せだ」ってことです。

パスカルの時代には宗教が重要だったから「信仰せよ」となりますが、何か信じられるものを持つなら、何でもいい。

そして、信念を持っている人にとって、神がいるかどうかなんて些細なことなのです。


この言葉、先に書いた「愛は偉大だ」と呼応します。

本来ここでの愛は宗教用語(神の慈悲)なのですが、現代的に考えると「打算的ではない信念」…かな。


打算的ではない信念は全てを包み込むし、そういうものを持てる人は幸せな人生を送れる。


もっと簡単に言えば、趣味に打ち込める人はしあわせだ、ってことか。

これは卑近すぎるかもしれないけど、本質的に間違っていない気がする。


まぁ、現代でも十分に通じる、含蓄を持った言葉だとわかってもらえると良いです。




Pascal 言語。

これはパスカルの発明品じゃありませんね。名前の由来はパスカルですけど。


でも、もっとも僕のページらしい話題なので(笑)書いてしまいます。



ALGOL の影響下で作られたコンピューター言語で、そういう意味では C の親戚。

C は「高級言語のふりをしたアセンブラ」だと言われることが多いのですが、Pascal は本当に高級言語でした。


ここでいう「高級」というのは、ハードウェアの違いなどを気にしないで良い、という意味。

Pコードコンパイラとか説明したいけど、詳細に入り込み過ぎると長いので泣く泣く割愛。



Apple 社は、Pascal が好きでした。

Apple II 用にも Pascal の処理系を発売していましたし、Macintosh は Pascal の使用を前提とした ROM を持っていました。


Mac 発売後に C が流行して、Mac 用のプログラムは大抵 C で組まれることになります。

でも、内部 ROM の利用時には Pascal との互換性を気にする必要がありました。

文字列の持ち方とか、パラメータの積み方とか違うんだよね。


ちなみに、MacOS X に切り替えた際に Pascal とは決別したので、今は気にする必要ありません。



その昔、MS-DOS に TurboPascal という言語処理系がありました。

これ、優れもので、当時の遅い CPU でも一瞬でコンパイルが終わります。


それでいて、コンパイラ言語なので当時主流だった BASIC などよりずっと速いのです。

まるで魔法でした。


TurboPascal は後に言語仕様を拡張し、オブジェクト指向に対応しています。

しかし、これでは Pascal とは呼べないため、現在では Delphi という名前でリリースが続けられています。


昔ほどの人気は無くなってしまったようだけど、いまでもコンパイルの速さは健在で、気軽にプログラムを楽しめます。

そのため、趣味のプログラムをする人には人気があるようです。



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コンラッド・ツーゼの誕生日(1910)  2014-06-22 11:54:33  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、コンラッド・ツーゼの誕生日(1910)。


いつかは取り上げたいと思いつつ、いまだに取り上げていなかった人の一人です。


コンピューターは主にアメリカで発展してきているのですが、彼はドイツ人。

そして、アメリカのコンピューター史とは独立してコンピューターを作成しています。


ツーゼは、自分の名前(Zuse)の頭文字を取った、Z シリーズ計算機を作っています。

ただし、いずれも「電気計算機」ではありますが、「電子計算機」ではありません。


Z1 の完成は1938年。

22bit 浮動小数点の計算機でしたが、完成したものの部品精度の問題で動作が不安定で、実用に至りませんでした。

機械式で動作し、駆動力に電気を使用しています。

パンチテープにより計算手順をプログラム可能でしたが、条件判断などがないため、現代的な意味でのプログラムが組めるわけではありません。


機械式ではありますが歯車式ではなく、2進数を使用しています。

そして、2進数を使用した世界初のコンピューターと一部の人たちが主張する ABC マシンの完成は1942年。


完成と言いつつ、Z1 も ABC も実用にならなかった(つまり未完成で終わった)のですが、このことをもって Z1が世界初のコンピューターだと主張する人もいます。


ちなみに、僕はプログラム内蔵型の電子計算機でないとコンピュータとは呼べない、と考えているので、私見ではこれは世界初のコンピューターではありません。




Z2 は1939年。Z1 より単純化して安定動作を目指しました。16bit の固定小数点演算を行います。

リレー式回路で、機械式のような精度問題は生じず、正しく動作しました。



Z3 は1941年。Z2 の成功を元に、リレー回路で Z1 に再挑戦したものです。

22bit の浮動小数点で、プログラムには相変わらず分岐は無いものの「条件実行」が可能になりました。


後にこの「条件実行」文によってチューリング完全であることが証明され、「工夫すれば」現代のコンピューターと同等のプログラムが組める、と判りました。


そのため、ENIAC (1946)以前の、世界初のコンピューターだと主張する人もいます。

しかし、僕はプログラム内蔵型の電子計算機でないとコンピュータとは呼べない、と考えているので(以下略)。



この後、1943年にベルリン空襲があり、Z1~Z3 は破壊されます。

ツーゼは Z4 を作成中でしたが、設計図を持って避難します。


Z4 は1945年。

32bit の浮動小数点に拡張され、命令も単純な四則演算だけではなく、各種関数が使えるようになっています。

分岐命令が追加されたのは特筆すべきことでしょう。これにより、プログラムの幅がずっと広がりました。


プログラムは相変わらずパンチテープですが、出力はタイプライターでの印字が可能になっています。


Z4 もまだ、ENIAC 以前に作られたものです。

ENIAC は歯車計算機を模して10進演算で、プログラムを配線によって行っていました。

Z4では2進数で、パンチカードでプログラムが可能です。

これらの特徴だけ見ると、ENIAC より Z4の方が、ずっと近代的なコンピューターに見えます。


そのため、Z4が世界初のコンピューターだと主張する人もいます。

しかし、僕はプログラム内蔵型の(以下略)。



この後も、Z5、Z11、Z12…と、ツーゼのコンピューター作成は続きますが、とくに有名なのは Z4 までです。

というのも、1980年代になり、コンピューターが普及してから「ENIAC以前に孤独にコンピューターを作成したドイツ人技師がいた」という美談が広まったため。


ENIAC以前だった、という限定が付かないと面白くないため、有名なのは Z4 までなのです。

そして、「コンピューターだった」と強調されたため、完成しなかった、ただの計算機である Z1 すらもコンピューターだったと主張する人が多いのは先に書いた通り。



ツーゼは、土木設計技師でした。

土木設計では強度計算などで非常に複雑な計算が必要で、彼はそのために計算機を作成しようとしました。


真空管を使えば高速化できる、ということを示唆した友人もいたようですが、当時の真空管はとても高価で、自費で計算機を作成していた彼は「現実的でない」とリレー機械式を貫き通しました。


そのため戦後ヨーロッパでは Z4 は量産され、普及しています。


僕は再三書いた通り、Z1~Z4 はコンピューターとは言えない、と考えています。


しかし、戦時中で他のコンピューター学者との交流がなかったために、大変独創的な仕組みを作り、動作させていることは称賛に値します。

また、プログラム可能な計算機…現代的なものではないにせよ「コンピューター」として最初に普及したのは Z4 である、というのは紛れもない事実なのです。



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アラン・チューリングの誕生日(1912)  2014-06-23 11:51:14  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はアラン・チューリングの誕生日(1912)。


コンピューターの歴史を少し学ぶと…いや、歴史に踏み込まずとも、コンピューターの世界を少し深く覗き込むと、チューリングの名前がいたるところに出てきます。


先日も、史上はじめて、チューリングテストに合格した人工知能が現れた、というニュースが世界をかけめぐりました。

これはどうやらテスト方法に不備があり、合格とはとても言えないようなお粗末な内容だったようですが…


詳細は後で書きますが、こんな風に現代社会でも、チューリングの名前は時々登場するのです。




チューリングはイギリスに生まれ、子供のころから数学の高い才能を持っており、周囲を感心させています。


大天才でした、などと簡単には書きません。

数学や論理的なこと以外、一般常識などの発達は遅い、いわゆる発達障碍児だったようです。


具体的に言えば、おそらくアスペルガー症候群。

当時はアスペルガー症候群という言葉はありませんし、当然診断されたわけでもないので断定できませんが、まぁ大方そうだろう、と言われています。



蛇足ながら付け加えると、アスペルガー症候群はは発達のバランスが平均値から外れている子供につけられる名称です。

別に何らかの病気ではありませんし、発達バランスの問題なので、大抵は大人になるにしたがって発達が遅れていた部分も発達し、問題は無くなります。

でも、早く発達した部分…チューリングの場合、読み書きや計算能力は大人になるころには常人を超えたレベルになります。


ニュートンもアインシュタインも、大天才とされる人は大抵アスペルガー症候群だったようだ、という指摘があります。



さて、チューリングは大学に進み、高等数学を研究します。

チューリングが大学に進学したその年、数学者を震撼させる恐ろしい論文が発表されます。


ゲーデルの不完全性定理。


1900年に、当時高名な数学者だったヒルベルトが「今後100年で解決すべき23の難題」を数学者に示します。

いずれも難題でしたが、それを解決できればもっと新しい数学分野が開けるだろう、という問題を集めてありました。


それらの難題の中に、人類が過去に構築してきた「数学」が矛盾を持たないことを示せ、というものがありました。


これ、非常に重要です。これまでの人類は、数学を重要な道具として使い、矛盾がないと信じて高等な理論を構築してきました。

しかし、だれも矛盾がないことを確認はしていないのです。もし矛盾があれば、過去に築いた高等理論は砂上の楼閣として崩れ去ります。


しかし、「数学」の枠組みの中で、その「数学」に矛盾がないかを検証するのは、非常に難しいのです。

もし、数学に矛盾があれば、「数学に矛盾はない」という矛盾した結論に至る可能性がありますから。



それでも、数学者たちは、頑張って証明しようとしてきました。

この問題だけでなく、他の22問についても証明に挑む人が多くいました。

たとえ難しくても、数学の問題については必ず証明が与えられるはず、それがこの時代の常識でした。


ところが、です。ゲーデルが1931年に発表した論文は、非常に恐ろしいものだったのです。

その論文に書いてある内容を簡単に言えば、「(まだ証明されていないが)もし数学に矛盾がないのであれば、証明不可能な問題が必ず存在する」ということを、誰の目にも明らかなように、論理的に示してあったのです。


もし数学に矛盾があれば、過去数千年にわたって築き上げた数学は失われます。

しかし、数学に矛盾がなければ、いつか解けると信じていた難題は、永遠に解けないのかもしれません。

どちらに転んでも、数学者には夢も希望もない、という宣告でした。




数学は非常に高度で、人間の知恵の産物だと考えられてきました。

すでに簡単な計算機はありましたが、そんな機械で計算を行えるのはほんの一部だけ。

多くの計算は、やはり人間の手で行わなくては…。そう、夢も希望もなくたって、数学者にはまだまだ仕事があります。


チューリングは1936年に、ゲーデルの不完全性定理を別の手法で示します。

それが「計算可能な数について」と呼ばれる論文です。


ここで、チューリングは「非常に簡単な計算機」を想定します。

一つの計算機は、たいしたことはできませんが、とにかく計算は行えます。

チューリングが想定したこの機械を、チューリングマシンと呼びます。


そして、少しづつ性能の違う、そうした計算機が沢山ある、と想定します。

現実にはあり得ないことですが、無限個の計算機があれば、無限の数を数えることができます。



さて、無限の計算機があり、それによって無限の数が扱えるのであれば、実はたった1台の計算機で無限の数を扱うこともできます。

非常に単純な機能しか持たない「チューリングマシン」をどのように組み合わせれば、たった一台の計算機ですべてをこなす「万能チューリングマシン」を作れるのか、チューリングはそれを明らかにしています。

そして、実は万能チューリングマシンは、すべての機械を統合したような大掛かりなものではなく、非常に簡単な仕組みになってしまうのです。



これによりわかることは、人間にしかできないと考えられていた計算のほとんどは、実は機械でも出来るような単純作業の寄せ集めである、ということでした。

命題を与えられたときに証明を考え出す、という作業も、無限を扱える「万能チューリングマシン」により、無限の時間をかければ得られてしまうのです。


数学者には夢も希望もなく、仕事すらも機械に奪われてしまうようです…



ただ、ここで問題になるのは「無限の時間」を本当にかけられるのか、ということです。

場合によっては、万能チューリングマシンは無限ループにハマり込むことがある、と示されます。


無限ループにはまり込んでしまえば、答えは出ません。

無限の時間がかかってから「ループでした」と気づいても遅いので、できれば動作前に、どの程度の時間で結果が出るのか見積もりたいところです。


しかし、論文中でこれは不可能であることが示されます。


結論としてはこうです。

万能チューリングマシンはあらゆる計算を行うことができ、あらゆる証明を行うこともできます。

しかし、時として無限ループにハマりこみ、無限の時間をかけても結果を出さない場合があります。

そして、その時が来るまで、無限ループにハマるかどうかはわかりません。


これが、「証明不可能な命題」です。手法は違いますが、そのような命題が存在する、という結論はゲーデルと変わりません。




チューリングの論文の中に出てくる「万能チューリングマシン」は、この時点では論理的な考察を行うための道具にすぎませんでした。


しかし、非常に単純な動作を繰り返すことで、ありとあらゆる計算を行うことができる、という可能性が示されたことになります。


この後アメリカに留学したチューリングは、ジョン・フォン・ノイマンと親交を結びます。

ノイマンは後に完成直前の ENIAC を知り、さらには次に作られようとしていた EDVAC の計画を知ります。

EDVAC は万能チューリングマシンのサブセットであると見抜いたノイマンは、このプロジェクトを事実上乗っ取り、後に「ノイマン型コンピューター」(現在のコンピューターの総称)の生みの親として名を残します。



後にチューリングはイギリスに戻り、政府の暗号解読組織に在籍します。

その後第二次世界大戦が勃発し、当時「世界最高レベルの機密保持性能」であった、ドイツ軍のエニグマ暗号の解読に従事します。


当初は構造も不明だったものの、同盟国であるポーランドが入手したエニグマの情報を入手。

ポーランドはこの情報を元に、暗号解読を行う機械を設計していました。


エニグマには癖がありました。

平文と暗号は「絶対に」異なる文字となる、などです。


こうした癖を使って、暗号文のほんの一部でも解読できたら…暗号にとって一番重要な「鍵」を見つけだすヒントを手に入れたことになります。

当時は秘密鍵暗号ですから、鍵さえ手に入ればこちらの物。他の暗号も次々解くことができます。


ポーランドの作った機械は、「必ず」暗号が解けるわけではありませんが、総当たりで暗号を解いてみて、上記の癖や、解けた一部の単語などを使って「明らかに違う答え」を排除し、解読文の可能性の高いものだけを人間に示すものでした。


暗号解読自体は総当たりです。非常に時間がかかるため、イギリス軍も機械を作ることにしました。

チューリングはこの仕様設計を行っています。


ポーランドの作った機械は「ボンバ」と呼ばれ、イギリスの機械はそれにならって「ボンベ」と名付けられました。

(いずれもボンブ、爆弾のこと)

ボンベは、大量に並んだ「エニグマのレプリカ」が、ひたすら暗号を作り出すのを制御する、機械式の専用計算機でした。



チューリングはこの後もエニグマの癖を研究し、ボンベを高性能化する改良を提案したりしています。

さらに、数学的な手法でエニグマを解読できるかもしれないと示唆し、これを元に「コロッサス」が作成されています。

(チューリングは方法を示唆したのみで関与していないようです)




戦争中の暗号解読は、軍の絶対機密でした。

チューリングは数々の功績に対し表彰されていましたが、表彰された件や仕事内容は当然、暗号解読の仕事をやっていたことすら他言してはなりませんでした。


戦後、チューリングはマンチェスター大学で、マンチェスター Mark I に携わっています。

その際には、コンピューターでチェスを行う手順なども考案していますが、これはプログラムと言うよりはアルゴリズムのアイディアメモに近いものです。


この頃に、コンピューターの知性はどこまで人間に近づけるのか、ということに強い興味を持ったようです。

しかし、コンピューターはいつまでたってもコンピューター。そのままでは「人間」にはなれません。


ここで、思考実験としての「チューリングテスト」を提唱します。

人間は、相手の見た目や声などを結構気にしますが、これは「知性」とは関係ありません。


コンピューターの「知性」を判断するのであれば、これらを徹底して取り除く必要があります。


そこで、テレタイプライターを使って二人の人間が文字で会話できるようにして、遠く離れた小部屋で会話を行います。

離れているので、相手の見た目や声などはわからず、文字での会話からのみ、相手の知性を判断できます。


この時、遠く離れた部屋にいるはずの「相手」がコンピューターだったとしたら?


コンピューターが未熟なら、相手は人間ではない、とすぐにばれてしまうでしょう。

でも、十分に会話をしても多くの人が「相手は人間だ」と判断する様になれば、それはコンピューターが人間並みの知性を持ったことになります。



冒頭に書いた「チューリングテスト」とは、このようなものです。

史上初の、人間と認められた人工知能…というのは、たった5分しか会話を行っておらず、しかも「英語は母国語ではない」という設定で、会話が成立しないものだったそうです。


どうやら、会話が成立しないにもかかわらず、相手が英語をわからないのでは仕方がない、という判断で「相手は人間だ」と判定された様子。

これは正常なテストとは言えません。


このイベントはチューリングの死去60年目の命日に行われたので、節目の日に記念として発表できるような成果が欲しくてねつ造された…のでしょう。




さて、晩年チューリングは同性愛で訴えられています。

当時、同性愛は罪でした。


チューリングは戦時中に、女性と婚約しています。

その後、チューリングが「同性愛者だ」と彼女に打ち明け、それでもかまわないという彼女をチューリング側から別れているそうです。


…これ、単に女性と付き合うのが苦手だった、ということは無いのかな。

チューリングがアスペルガーだったとしたら、人付き合いはかなり苦手なはず。

ましてや異性が相手では考え方も違いすぎてどうしてよいかわからないかも。


本当に同性愛者だったらそもそも付き合わないと思うし、面倒くさいから別れる口実じゃないの? という気もします。


また、戦時中の彼のアパートには、夜な夜ないろんな男がやってきて、一晩中起きていた、というアパート管理人の証言もあります。

裁判になった際、彼はこの証言に対し、なんの弁明もできませんでした。


…だって、彼は絶対口外してはならない軍の最高機密を扱ってたんですよ?

夜中でも相談事項が大量にあったのは想像に難くないし、それを他言できない以上、弁明なんて無理です。


まぁ、多くの歴史家が「彼は同性愛者だった」としているので、それなりの証拠もあるのでしょうし、そうだったのだと思います。


でも、噂が大きくなりすぎている可能性はかなり感じます。

偉大な人物の醜聞なので、皆面白がっている節もあります。



結局、チューリングは同性愛の罪で、1952年に有罪判決を受けています。


そして、その2年後に謎の死を遂げます。

…自室で死んでいたのです。42歳の若さでした。


部屋には青酸の瓶が多数あり、かじりかけの林檎が落ちていました。


林檎に青酸を塗って食したことによる自殺、とされましたが、これには後の歴史家から各種異論が出ています。

彼は「来週やるべきことのリスト」を常にまとめていて、この時もリストが作られていたそうです。

やりたいことがあるのに、自殺する理由がありません。


また、検視結果からも、死因は青酸中毒であるものの、青酸を「食した」反応が出ていないのだそうです。


チューリングは化学も好きで、自室で化学薬品を扱うこともありました。

その時の扱いは、かなり雑だったそうです。


そのため、これは換気不足により、発生した青酸ガスを吸入した事故死ではないか、と言われています。




2012年はチューリング生誕100年でした。それを前に、彼の名誉を回復しよう、という活動が起こります。


2009年に、政府による謝罪が請願され、数千人が署名を行いました。

これに対し、当時のイギリスの首相は、過去にチューリングを同性愛で有罪としたことに対し「間違っていた」と公式謝罪しています。

冤罪だったというわけではなく、当時の法律で正しくとも、彼の偉業を考えると名誉を貶めている、という意味です。


2011年、今度はチューリングを免罪し、名誉を回復してほしい、という請願書が出されます。2万人以上の署名が集まりました。

しかし、法務大臣はこれには応じられない、と拒否します。


彼個人の考えとして、チューリングが罪人となっているのは遺憾であるが、当時の法にのっとった正当な手続きだったため、法務大臣としてこれを曲げることはできないとの理由でした。


では、法を曲げましょう。2012年にチューリングに恩赦を与える法案が貴族院に対し提出され、可決されます。

これをもって、イギリス女王名義で、正式な「恩赦」がだされています。


彼が同性愛者で、変人の数学者であったとされるのはもう過去の話。

今では、イギリスを代表する偉人の一人として讃えられています。



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ヴァネバー・ブッシュの命日(1974)  2014-06-30 17:39:55  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はヴァネバー・ブッシュの命日(1974)。


機械式のアナログコンピューターを考案した人で、第2次世界大戦時のアメリカで、軍に「科学的な」知見の提供を推し進めた人。


この、科学的な知見があったからこそアメリカは核兵器の開発に成功したのですし、どんな戦局で敵を確実に狙える射表を作り続けていたのです。




彼は天才でした。MIT を卒業し、しばらくは軍で働きますが、数年後には教授として MIT に戻ってきています。

この時に微分解析機を発明しています。



機械式計算機、というと、通常は歯車を使用します。

これは、お金の計算をするような際には非常に役立ちますし、簡単な計算アルゴリズムで求まる値を出すのにも役立ちます。



しかし、この方法で砲弾の着弾点を計算するなど、事実上無理でした。


歯車計算機は、デジタルで演算を行います。「連続した」計算は得意ではありません。


たとえば、射表を作るために砲弾の動きを計算するとなると、「連続して」飛んでいく様子を計算する必要があります。

これは繰り返し計算を行うことになるのですが、1回の計算ごとに、いくつものパラメーターの再計算が必要になります。


速度は刻々と変わりますし、空気抵抗は速度の関数です。ある時点での抵抗を求め、その抵抗を元に速度の変化を求め、変化した速度でまた抵抗を求め…

重力加速度の考慮もありますし、計算が膨大なのです。


効率よく計算するには、1回の計算で砲弾のすすむ距離を大きくとればいいのです。

しかし、そうすると誤差は大きくなります。計算ごとに誤差が蓄積し、着弾点は全く見当はずれの場所になります。


1回の計算で進む距離を小さくとれば、誤差は小さくなりますが、計算の回数が膨大になります。


しかも、空気抵抗は気温や湿度によって変わります。重力も緯度によって異なります。

これに、大砲の角度や火薬量のパラメータを加え、何度も何度も計算する必要がありました。




彼はこの難題に対し、「アナログコンピューター」という、新たな概念を発明しました。


…いや、アナログ計算機はすでにありました。計算尺とか、非常に簡単だけどアナログ計算機。


彼が作ったのは、歯車の代わりに円盤とゴム製の車輪を使うコンピューター。

位置を「少しづつ」変えることで、ギア比に相当するものを連続して変えられます。


ある車輪の回転が、別の車輪の位置や回転に影響を与えるようにすると、連続した計算を続けることができます。


そして、計算が終わると…砲弾の高さを示す車輪が「地面」に達すると、機械は停止します。

この時、砲弾の「発射位置からの距離」を示す車輪のある位置が着弾点です。


この方法で、膨大な射表を作ることが可能になりました。


他にも応用は可能ですが、実際多くの射表が、ブッシュの作った微分解析機によって作られています。



ブッシュは、後に MIT の副学長にまでなっています。

エリートだったのです。




ブッシュは天才であり、自分が天才であることを知っていました。

そして、凡人は天才の意見に従うべきだ、という強い信念を持っていました。


つまりは、自分こそが正しくて反対するやつは気に食わん、という非常に困った考えの持ち主です。

人格破綻者と言ってもいいでしょう。


でも実際、天才ブッシュの意見は傾聴に値するものでした。



1939年。ブッシュはワシントン・カーネギー研究機構の総長となります。

アメリカの科学的権威の最高峰です。政府に助言を行い、政策を左右する力もありました。


ところで、第1次世界大戦では、アメリカ軍は参戦したものの、非常に多くの戦死者を出しました。

当時のアメリカはまだ「精神主義」で戦っており…つまり、気合さえあれば勝てる! と無謀な戦いを挑むことが多かったのです。


ここでブッシュは「科学的な戦い」の重要性を説き、国防研究委員会の設立を呼びかけます。

1940年、ルーズベルト大統領と会談し、わずか 10分で説き伏せ、国防研究委員会の議長の座につきます。


10分で説き伏せた、というのはつまり、ルーズベルトも「精神主義で戦いに勝てるわけがない」と感じていたのでしょう。

そこに、科学的研究の最高機関の総長が、国防のために科学的な協力を申し出たわけです。渡りに船で認めたのだと思います。


しかし、これによってブッシュの権力は有事に於いて政府より強いものとなり、政府を無視して様々な「国防のための」計画を始めていきます。



ブッシュは、軍の資金を「科学の研究のため」にばら撒きました。

ENIAC も、Whirlwind I もこの資金で作られましたし、原爆もこの資金で作られました。


ただ、ブッシュはいちいち個々の計画の承認・非承認を判断していたわけではありません。

ENIAC の開発プロジェクトが始まってからも、「射表の計算は微分解析機を使うのが一番で、デジタル計算機など役に立たない」と発言しています。



先に書いた通り、歯車計算機では計算量が膨大すぎて役に立たなかったのは事実です。

そして、ブッシュは自分の考えが正しいと常に思っていました。


幸い、彼が ENIAC への研究資金を引き揚げることはありませんでした。




ブッシュは、非常に責任の重い仕事についていたために忙しく、重要そうな情報を探し出すシステムを夢想しています。

1930年代には着想していたらしいのですが、この夢想を論文の形で発表したのは 1945年でした。



As We May Think」(我々が考えるように)というタイトルで知られるこの論文、今でいえばハイパーテキストシステムの考案です。

コンピューターの黎明期から、コンピューターの進化の方向付けに、大きな役割を果たしています。


…しかし、この話は、また明日



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高柳健次郎の命日(1990)  2014-07-23 11:51:27  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はテレビの父、高柳健次郎の命日(1990)。


1926年に「イ」の文字の送受信に成功した、というのが有名な話。

最大視聴率だった、というネタ、好きだわ。



80年代の画面技術で、走査線について書きました。

ブラウン管に電子銃でビームを当て、電磁石によって横に向かってビームを動かします。

さらに、縦方向にも少しづつ動かしていきます。すると、ビームが平面を覆い尽くします。


あとは、ビームを強弱させれば光の強さが変わります。白黒テレビの出来上がり。


…受像機側はこれでいいんですよ。

問題は、撮影側。

ビームが動くのと同期するように、対象物を「左上から横方向に」「少しづつ下方向に」撮影しないといけない。


じつは、この原理は1884年には発明されていて、開発者の名前を取って「ニプコー円盤」と呼ばれています。

受光素子の前を、大きな円盤で覆います。円盤の縁の近くギリギリでおおわれるようにし、縁に多数の穴を開けます。


円盤を回すと、受光素子の前を、穴が多数通り過ぎていきます。

この時、穴は左から右に通り過ぎ、1個が過ぎるとすぐ次の穴が左から現れるようにします。

そして、穴の位置はだんだん下に下がっていきます。


…これで、撮影側の走査線を作ることができます。


じつはこれは、受信機側にも同じ装置を使うことができて、ブラウン管がなくてもライトの光を使って、スクリーンに光を映し出せます。

こうやって、送信側も受信側も「機械式」でテレビを作った例は、高柳健次郎の前にもありました。


しかし、送信側はともかく、受信側に大きくて可動部分が多い方式を使うのは現実的ではない。

家庭に普及させるには、小型化と、可動部分を少なくすることが必須でした。


そこで、受信側はブラウン管を使い、見事に映像を送ったのが 1926年のこと。

「イ」と書いた雲母板(透明な板)の後ろから光を当てて撮影していました。

送信先は、すぐ隣にある受像機で、電線で接続されています。


でも、これがテレビ放送の第一歩。




その後、1933年にアメリカのツヴォルキンが、撮影側も電子化する方法を発明。

これをすぐに高柳も取り入れることで、走査線の数と、1秒間のコマ数を飛躍的に増やします。


ちなみに、走査線が増えれば画像は綺麗になるし、コマ数が増えれば動きが綺麗になります。

1937年には走査線 441本、毎秒30枚の方式を完成。これをほぼそのまま使用する形で、1939年には実験放送が始まっています。

しかし同年、後に第2次世界大戦と呼ばれる戦争が起こり、1941年に日本も参戦。

このため研究は中止され、電波技術に詳しかった高柳もレーダーの研究などを行います。



一方、アメリカでは1941年にはテレビ放送が実用化されます。

高柳は1946年に弟子と共にビクターに入社、テレビの研究が再開します。


1948年、再度実験放送の開始。

1953年にやっと本放送が始まりますが、この年にアメリカではカラー放送の規格が成立しています。

日本のカラー放送は 1960年開始です。


1959年、高柳は世界初のビデオ・テープレコーダーを開発しています。

当初はもちろん放送機材としての利用でしたが、後に高柳のいたビクターで家庭用に改良され、VHS規格となります。


また、静岡県の浜松で生まれ、東京で勉強したのちは浜松に戻って教員をしていた高柳の教え子には、浜松ホトニクス(カミオカンデでニュートリノが発するわずかな光を捉えた受光管を作った会社)の創業者などがいます。




最後に、「テレビ」の話ではありますが、それはそのまま「パソコンモニタ」に流用されています。

だから、これはパソコンの歴史の話でもある。


世界初のラスタースキャンディスプレイを備えたシステムは、安価に入手できる市販のテレビを利用しました。

Apple II もテレビ用の NTSC 信号を前提としたカラー回路を備えています。後にパソコンは専用のディスプレイを使うようになっていきますが、最初はテレビなのです。



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ミスティクア   2014-08-15 14:31:54  歯車

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先日、子供と科学館に行き、ミュージアムショップで「ミスティクア」と言うカードゲームを買った。


後で調べたら、去年のダイオウイカブームに乗じて作った、ということが臆面もなくプレスリリースに書いてあった(笑)


深海に行って、ダイオウイカをはじめとする深海生物を調査するゲーム。…と書くと、ありがちに聞こえる。

もしそんなゲームだったら買わなかった。


ここまで深海生物にフォーカスしながら、目的は深海生物の調査ではない

他の研究者との駆け引きを制し、昇進して教授職にいち早くつくことが目的なのだ。


…ほら、これだけで、混乱必至のゲーム展開が予想できて面白そうでしょう?

ミュージアムショップで見かけて「これは買いだ!」って思いましたよ。




まずはゲームシステムから紹介しよう。


カードは2種類に分かれる。深海生物のカードと、各プレイヤーが現在の自分の「位置」を示す、潜水調査船のカードだ。

このうち、潜水調査船のカードは各自の前に、全員に見えるように置かれる。最初に各自が持っているカードはこれだけだ。


潜水調査船カードは、最初は「海上」と書かれた面を表にしておかれている。

裏返すと、向きによって Lv.1 ~ Lv.3 の潜航深度を表せるようになっている。


深海生物のカードには、表に名前・イラスト・生態などの説明と、生息深度(Lv.1~3)、レア度(1~5)が書かれている。

ゲームに必要な情報は、深度とレア度だけ。ちなみに、レア度は「学術的な重要性ではなく、ゲーム内での撮影難易度を示すものです」と注釈つき。


深海生物のカードは、裏返しにまとめてデッキ(山札)として置かれる。

そして、裏返しのまま、中央に5枚置かれる(場札)。


この状態でゲームスタートだ。




プレイヤーは、各自の手番で、以下の行動を順番に取れる。


1) 場札に対するアクション

これには二つあり、「レーダー」か「ピクチャー」のどちらか片方を行う。


レーダーを宣言すると、場札のうちどれか一枚を、自分だけがみることができる。

見終わった後は元の位置に戻す。


ピクチャーを行うと、好きな場札を表にして、全員に見せる。

この時、自分の潜水調査船の「潜航深度」と生物の「生息深度」が一致すれば、写真を撮るのに成功したことになり、カードを手札としてもらうことができる。

(場札が無くなった場所は、山札から補充して、常に場札を5枚にする)


深度が一致しなければ、ペナルティとして手札のうちいらないものを一枚、捨てなくてはならない。

この場合、場札のカードは、再び裏にして元の位置に戻す。

(レーダーを行っていないプレイヤーも、その詳細を知ることになる)



2) 潜水調査船カードに対するアクション


潜水調査船カードを裏返したり回転させることで、違う深度に移動できる。

移動せずに「そのまま」でも構わない。



3) そのほかのアクション

そのほかのアクションを取るには条件があり、まず潜水調査船が海上にいる必要がある。

さらに手札が2枚以上あれば「発掘」が、3枚以上あれば「学会提出」が行える。

(1回には、どちらか片方しかできない)


発掘は、いらないカード2枚を捨てることで、代わりに捨て札の山から好きなカード1枚を貰うことができる。



学会提出は、手札のうち1枚を、伏せて目の前に置く。


誰かが学会提出すると、次にその人の番が回ってくるまでは、「同じ提出期間」となる。

同じ提出期間に提出されたカードは、最初に提出した人の手番の始まる前に、一斉に表にされる。


この時、一番レアなカードを提出した人が、学会で認められたことになり、昇進する。

同じレア度の場合はジャンケン勝負だ。


負けたカードは、すべて捨て札になる。

誰かが4回勝つと教授となり、その人が勝者でゲームは終了する。




ルールは以上だ。

それほど難しいルールではない。しかし、これが非常に練り込まれた、考えさせる局面の多いルールなのだ。


基本的には、レーダーして移動、次の回でピクチャー、と言う手順でカードを入手することになる。

1回では入手できない、と言うのがミソだ。


ここで、レーダーして移動した、ということは、他の人に「自分のレーダーしたカードの深度を教えている」ようなものだ。

もし、事前にその深度にいたプレイヤーがいると、自分の手番が回ってくる前に横取りされてしまう。


そこで、馬鹿正直に移動せずに、嘘を付く必要が出てくる。

カード取得のために移動した…ように見せかけて、全然関係ない深度に潜る。もしも別のプレイヤーが奪い取ろうとすると、ペナルティを負うことになる。


ただ、レア度の高いカードでこれをやると、ペナルティを負う際に「全員に公開」されてしまうので争奪戦になる。

レア度が低ければ嘘をつき、レア度が高ければ狙いに行く、という攪乱が必要になる。


最初にレーダーをかけても移動せず、もう一度レーダーをかけてから移動する、と言う戦略もある。

自分がカードを忘れず覚えておく必要はあるが、周囲のプレイヤーにはどちらのカードを狙った移動かわからず、奪われる危険性を減らせる。


しかし、他のプレイヤーが同じカードにレーダーを行う可能性もあるし、油断はできない。

ゲームの基本である「カードの取得」だけで、非常に深い駆け引きが発生するのだ。




ある程度カードが集まると、学会提出となる。

しかし、ライバルは少ないほど良い。「1週回る間」に「一番レアなカードを出した人」が勝つのだ。

つまり、自分以外誰も出さなければ、どんなにレア度が低いカードでも、自分の勝利が確定する。


ということは、後出し有利。

各自の手札は、途中で「公開」されている。公開しないと手札に加えなられないルールだからだ。


じゃぁ、提出した人を見て、その人のカードから何が出されたか…を想像することもできる。

これは確実に勝てる、とか、負けるからパス、とか考える余地が生まれる。


すると、学会は自分から仕掛けない方がいい?


学会提出後の「勝負」は、最初に提出した人に手番が回ってきたところで行われる。

ということは、最初に提出した人は、大量の捨て札が発生した後に「発掘」できるチャンスがある。


もちろん、皆が提出するカードだから、レア度が高いのは必至だ。

レア度5のジャンケン勝負で負けたカードなんて、是非発掘して手に入れるべきカードだ。


自分から進んで学会提出をするのも、ちゃんとメリットがあるのだ。




というわけで、小学生でもわかる単純なルールなのに、だまし合い、牽制し合いの状況が生まれる。

この中で、どの場札が誰も見ていない(狙っていない)のか、自分がみたカードはどれで、深度やレア度はどうだったのか、記憶していなくてはならない。


レアだったはずのカードをめくったら、隣と間違えていてペナルティ、とか、勝手に自滅することもある。

たった5枚の場札なら覚えられる…と思われるかもしれないが、別の作業もしなくてはならないし、これがなかなか難しいのだ。




ところで、このゲームは多分わざと嘘を付いているところが2つある。

いや、ゲームだから嘘はいっぱいあるのだけど、すごく気になる嘘が2つね。


一つは、深海生物の探査に「レーダー」をつかうこと。

レーダーは電波を使うので、海中では使えない。海中ではソナーを使う。


でも、そんなこと知らない人多いし、ソナーなんて名前を知らない人も多い。

「レーダー」なら理解してもらいやすいから、多分、わかっていて嘘ついている。



もう一つ「学会提出」と言っているけど、これは多分「学会誌への投稿」なのだと思う。


研究者の昇進条件として、学会誌に論文が何回掲載されること、というのがある。

学会誌は「雑誌」なので、紙面に限りがある。だから、投稿が集中すれば、より重要そうな論文だけが掲載される。


だからこれ「深海生物の写真を学会に提出」ではなくて、「撮影資料を基に論文を書いて投稿」している、と考えてほしい。

苦労して資料を集めて、それを時間をかけて論文にまとめて投稿しても、たまたま同時期に投稿した相手との比較で「捨てられて」しまうのだ。


…妙にリアルで恐ろしいゲームだ。(わかる人にとっては)


でも、多くの人は「学会」というのは聞いたことがあっても、どんなものか知らない。

「学会誌」になると、存在すら知らない人の方が多い。

だから、わかりやすく「学会」としているのだと思う。ここもわかっていて嘘ついている。



嘘の理由がわかっていると、このゲームの「リアルさ」が見えてくる。


美しいイラストと、そこに書かれた生物の説明を見るのも楽しいのだけど、実はこのゲームは「学者の生態」を上手にゲーム化したものなのだと思う。


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ブレーズ・パスカルの命日(1662)  2014-08-19 10:11:19  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はブレーズ・パスカルの命日(1662)。


大天才ですが、39歳で没しています。

一説によれば、パスカリーヌの作成(17歳から19歳の時)に没頭しすぎた時に体調を崩し、生涯虚弱だったと言います。


…もともと虚弱だったから室内で出来る研究に没頭したのではないかな、と言う気もしますが。


6月19日の誕生日にいろいろ書いているので、詳細を知りたい方はリンク先へ。



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