2016年09月04日の日記です

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09-04 google 創立日(1998)
09-04 海辺散歩


google 創立日(1998)  2016-09-04 17:15:24  今日は何の日

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今日は google 社の創立日(1998)。


「社の創立日」というのがミソで、実際にはその前からドメインとってサービス開始していますね。


僕が初めて google を知ったのは、たしか 1999年。

全く新しい概念で検索するサービスだ、と、当時購読していた新聞に記事が出ていたのではなかったかな。


このときはまだ日本語対応していませんでしたが、試してみると日本語でも高品質にページを検索していました。

当時はまだ page rank の仕組みなどが紹介されておらず、日本語対応していないにもかかわらず高品質に検索する、というシステムが、いったいどうなっているのかと驚きました。

(正式に日本語に対応するのは 2000年 9月)




今では驚きも無くなった「Page rank」は、WEB のリンクを、リンク先への「投票」と考えて、より投票が集まるページを「みんなが参照したがる良いページ」と捉えるものです。


リンクは、1リンク1票ではありません。投票の集まる良いページからのリンクは、より高い価値がある。

皆が認める良いページに書かれた情報は良いものだろう、という考えが根底にあります。


当初はこの仕組みのみの、非常にシンプルな方法で順位を出していました。



でも、シンプルな仕組みは悪用されます。

いわゆる「リンクファーム」という、大量にリンクしあうだけのページ群が作られ、票を稼ごうとする手法に対し、リンクファームを見抜いて票を無効にするプログラムが投入されます。


すると、リンクファームはより巧妙になり、リンクファームだと見抜かれにくい構造を取ります。


あとはイタチごっこ。


こうした「検索エンジンに良いページと認識させる」方法はサーチエンジン最適化(SEO)と呼ばれ、Google は SEO を嫌います。


今でも基本的には最初のアイディア、「みんなが参照したがるページは良いページ」と考えていて、そうでないのに順位を上げる、SEO 「だけ」で上位に表示されようとするページを排除しようとし続けています。



これ、WEB ページを作ることで暮らそうとしている人には大変。

見てもらうことって何よりも大切だからね。


Google の気まぐれで順位が上がったり下がったりするっていうのは、死活問題。

順位の決定方法を明らかにしない Google に対する批判もあります。




僕のページは大して人気ない(趣味で作っているだけだし、内容がマニアックすぎるのは自分でわかっている)のですが、それでも Google の順位付けがどうにかならないかな、と思う事は多々あります。


一番腹立たしいのは、記事内容をコピーしただけの盗作ページが上位に来たりすること。

これ、「情報の鮮度」も重視していて、書いて数年たったページよりも、同じ内容をコピーしたページのほうが「新しい」と考えられて起こる現象。


もっとも、これは Google の責任ではないとも思います。

悪いのは盗作をする人であって、Google も盗作に対しては「検索結果から除外する」ための仕組みを用意している。


盗作と思われるページは自動的に順位を落としたりもしているようですが、こちらはどうも精度が悪い。

(完全コピーページならともかく、内容の一部切り張りなどは盗作と判断できないみたい)



残念ながら、機械で対処できない部分は「モラル」に期待するしかないようです。

(この対処方法はすでに破綻している、と思ってもいますが)




Google は当初、検索エンジンだけを手掛けるシンプルな商売をやっていました。

検索エンジンを別の会社に貸し出して儲けたりしていた。


でも、AdSense で「広告ビジネス」をはじめます(2003)。

どうも、これが転機となった感じ。


広告ビジネスは、広告枠を多く獲得することが何よりも重要です。

そのためには、インターネットをストレスなく使ってもらうことが必要。


軽量ブラウザが必要ではないか、と Chrome Browser を開発します(2008)。

また、DNS の遅さを解消するため Google DNS を始めます(2009)。


しかし、それらはまだインターネットが「PCのネットワーク」だった頃の話。

PCがなくても、いつでもどこでもネットを見られるように、Android を開発します(2008)。

また、低スペックの安いマシンでも軽快に使える OS として Chrome OS を開発します(2009)。



別に収益の上がる広告ビジネスを中心に考えてきたわけではなく、いったいどこで収益を上げるのか不思議な、単に「ユーザーに使ってもらいたい」だけのサービスも数多く展開してきました。


Gmail (2004) は今では多くのユーザーが使い、ここでも広告を表示することで収益を上げています。

Google Map (2005) も当初は商売抜きに考えられていましたが、今では店舗情報の掲載など、重要な広告媒体として収益を上げています。


一方で、自動的に顔を認識して写真を仕分けてくれる Picasa (2004) は、収益が上がらず中止してしまいました。

写真ストレージサービスとしての Google Photo は残っていますが、以前とは全く別の使い勝手のものです。


google Pack という、便利なソフトをパックにしたサービスもありました (2006)。

これは、Chrome OS の「すべてのアプリケーションを Webサービスとして統合する」考えに従う形で、Google Apps に移行する形で提供中止。


Google Apps は Gmail を中心とした「Webサービス」の総称ですが、すべてのアプリで作成したデータを保存する中核としての「Google Drive」の提供(2012)で実用的になったように思います。


他にも、消えていったサービスは数知れず。

僕も、先に書いた Picasa を始め、ローカルマシン内の検索を行う Google Desktop (2004) とか、google のトップページに自由にガジェットを置いて情報を集約する iGoogle (2005) とかを便利に使っていたのですが、サービス停止で困った覚えがあります。


収益が上がらなければやめる、というのは企業として当然なのですが、特に iGoogle は利用ユーザーも非常に多く、利用してもらえなかったのではなくて、「ユーザーを多数集めたのに収益に結びつけられなかった」という感じ。


参考資料:Google のさらに詳しい歴史



Google が「Evil にならない」と明言したのはずいぶんと昔の話。


いや、今が Evil だというのではないですよ。

Google の社是として「Evil にならない」が掲げられているのは今も同じ。


でも、Evil (悪) って曖昧な言葉で、人の数だけ感じ方がある。

今では Google は大企業ですが、大企業というだけで悪だとみる人もいる。


特にアメリカでは「アイディアさえあれば競争できる」のが理想とされます。

体力がある大企業は「アイディアがなくても企業体力で生き残れる」という悪しき存在にされることがあります。



当初、Evil と言ったときに、マイクロソフトを想定していたのだそうです。

それも、マイクロソフトの何が Evil だというのではなく…ただ何となく。

(これも、マイクロソフトが大企業だったから、程度の理由でしょう)


一応、マイクロソフトはソースを公開していないから Evil で、Google はそうならない、と説明したこともありました。

だから Chrome はソースを公開した。


でも、Google 検索プログラムのソースが公開されたことはないはずですし、Gmail だって公開されてない。

あれはソフトを販売しているのではなく、サービスを提供しているだけだという言い訳もできますが…


企業秘密を開示できないというのは企業にとって当然のこと。

マイクロソフトだって Evil じゃないと思いますし、Google だってももちろん Evil ではないでしょう。



現在の Google のサービスは、Web でサービス提供しているものが中心で、その都合上「重要な情報を預ける」必要があります。

これに不安を持つ人も非常に多いから、Google としては「Evil にならない」ことを明言しないといけないのでしょうね。


重要情報を預かるからこそ、それを悪用しないと宣言する。


ただ、やっぱり何が Evil か、人によって考えは異なるので、Google は Evil だ、と感じる人がいるのも仕方がありません。


もっとも、その場合はマイクロソフトか、ヤフーか…結局どこかに情報は預けないといけなくなるように思います。



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海辺散歩  2016-09-04 18:42:41  社会科見学 家族

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夏休みは過ぎてしまったのだけど、子供との約束を一つはたしていなかった。


夏休み前に、家族で特に理由もなく鎌倉まで自転車で行ってみた。

このときに由比ガ浜の端っこの方に貝殻がたくさん打ち寄せられていて、長女がたくさん宝貝を拾った。


ちょうどその少し前に、別の場所で「マンカラ」というボードゲームを遊んだ



世界最古のゲームと呼ばれるものの一つで、駒としての小石がいくつかあれば遊べる。

でも、遊んだものはたまたま、駒として宝貝を使っていた。


ただこれだけの理由で、長女は「宝貝をたくさん集めて、自分でゲームを作る」と言っていた。

しかし、駒は50個くらいは必要なんだよね。このときは、そんなに集まっていなかった。


それで、夏休み中にまた貝を拾いに行きたい、と言っていたのだけど、今年の8月後半は週末が来るたびに台風が近づいてきたため、海に行けずじまいだった。




そんなわけで、海に行ってみることにするのだけど、海に行くなら行ってみたいところがあった。


いつも我が家が海遊びに行くときは、材木座か由比ガ浜あたりだ。

その間に稲村ケ崎があるのだけど、稲村ケ崎ってサザンの映画の舞台になったりして、あこがれている観光客が結構多いのね。


駐車場とかいつも混んでいるので避けていたのだけど、最近「稲村ケ崎には砂鉄が多い」という話をきいた。



源頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由は、海と山に囲まれているために自然の要塞となっているから、と言われる。


でも、武士は当然のことながら剣を必要とする。

稲村ケ崎で砂鉄が取れるから、というのも、鎌倉を選んだ大きな理由の一つだと考えられているそうだ。


この話をきいてから、確かめて見たくて仕方がなかった。



と同時に、当時の人はどのようにして砂浜の砂から砂鉄を選別していたのだろう、とも思っていた。

磁石があれば簡単に砂鉄を集められるけど、当時は磁石というのは貴重品で、宝石のような価値があったはずだ。


重さが明らかに違うから、砂金を水で選別するように、砂鉄も水で選別したのではないだろうか、と妻は推測した。

砂浜だから、水はいくらでも使える。

なるほど、これはあり得そうな説だ、と思っていた。




稲村ケ崎。

鎌倉海浜公園の前に駐車場があるのでそこに車を止め、公園から海岸に降りる。


降りるとまず岩なのね。砂浜ではない。

すごく大きな見事な岩で、ところどころに地層がある。

全体に層の見えない泥岩なので、層が見えるところは何か天変地異があったのだろう。


思っていたのと違う風景で、長男はここで砂遊びを始めた。

次女も長男と一緒に砂を掘り、水を流し込んで遊んでいる。


まずはそのあたりの波から離れた奥の方へ。

磁石で砂鉄を集めるにも、濡れていてはやりにくいからだ。


ここら辺の砂は黒い。鉄分が多いことが予想される。

…と、磁石を近づけると、砂がごっそりと磁石にくっついた。


砂の中から砂鉄がどれほどとれるのだろう、と思っていたのだけど、ほとんどが砂鉄のようだ。



小さな川が流れているので、その川を超える。

そちら側の砂はさらに黒く…単に黒いのではなく、青黒かった。


砂がサラサラではなく、くっついて小さな塊を作っている。

磁石を近づけると、塊ごとくっついてしまう。力をかけて潰すとサラサラに崩れ落ちる。


これ、なんか知っているぞ…

使い捨てカイロで、発熱する際にあまり振らずにほおっておくと、内部で塊ができるやつだ。

砂鉄が何らかの現象で同じような塊を作っているのだろう。



波打ち際は、白と黒の砂が混ざっていて、水の流れで筋ができている。

どうもこれは、2種類の岩石でできている砂で、比重の違いで波で模様を作るようだ。


そして、波から遠く離れたあたりに砂鉄が寄せ集められている。

重いために、波の力でより奥まで届くのだろう。


妻が想像した、水で選別できるのではないか、というのは半分当たりだったというべきだろうが、人が選別する以前に、自然に選別されている。

砂鉄を採取したければただ掘ればよいだけで、選別の必要なんてない。


これは、鎌倉時代には宝の山だったのだろう。




砂鉄から鋼鉄(玉鋼、と呼ばれる)を作るたたら製鉄では、非常に高い温度を維持するために精錬が難しい。


しかし、鎌倉の砂鉄は一般に考えられる製鉄方法よりも、温度が低い方が純度が高くなることが確かめられている。

確かめたのは、鎌倉高校の科学研究会で、この研究で県知事賞を受賞している



たたら製鉄の方法だと、純度の低い部分と高い部分が同時に出来上がり、純度の高い部分だけを使って刀剣を作る。

じゃぁ純度の低い部分は無駄かと言えばそんなことはなくて、農具などを作るのに十分活用された。


もっと言えば、当時は普段は農民で、戦の時だけ刀を持つ農民兵もいた。

そういう人なんかは本職の武士よりも、質の悪い刀でも十分だったのではないかと思う。




さて、ある程度砂鉄を採取して気が済んだので、次女と一緒に海辺散歩。

長男は相変わらず波打ち際で遊んでいるので、妻が近くについていてくれた。


数百メートル歩いただけだけど、何も打ち寄せられない場所、小石ばかり打ち寄せられている場所、なぜか海藻だらけの場所、貝がたくさんの場所…と、波打ち際と簡単に言っても、いろいろな表情を見せてくれる。


数キロ離れれば全然違う海岸、というのはわかっていたけど、ほんの数メートル単位で環境が変わることには驚き。

海の底の地形とか関係しているのだろうなぁ。



もちろん、砂鉄の割合もずいぶん違う。

最初に採取したあたりが一番砂鉄が溜まっていたようだ。

角に当たる部分だったのでたまりやすい、というのもあるのだろう。




この日は、2時間程度遊んだだけで終わり。


また台風が来ていて、午後から雨が降ると天気予報で言っていたのでね。

台風はまだまだ遠いけど、台風が近づいている時に海にいてはいけない。



砂鉄入りのスライムを作りたい、と長女が言ったので、帰りに PVA 糊を買って帰った。

スライム作る予定で以前ホウ砂を買ったのだけど、PVA がなくてそのままになっていたんだよね。


とはいえ、この日は帰宅したら疲れてお昼寝してしまった。…僕が。

なのでまだスライムは作っていない。


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