ぜんぜん日々更新ではない日記です

まぁ、ぼちぼちやっていきます。
このページは最新7日分で、逆順(最新が上)で並んでいます。
過去のものはヘッダ部分のリンクから選べます。

目次

2018-07-19 テレビ買った
2018-07-18 年棒制
2018-07-12 メモリアドレス
2018-07-04 続・Unity
2018-07-01 氷川丸
2018-06-29 関東梅雨明け
2018-06-27 エミュレーターの法的権利
 今月の日記
テレビ買った  2018-07-19 16:38:31  歯車 家族

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数日前に、Amazon PrimeDay …年に一度の Amazon の安売り日があった。


まぁ、これに関してはいろいろなところで、いろいろ言われている。

安売りと言いながら実は高くなっているものもあったり、良く調べないで気軽に買うと却って損をする。



以前から欲しかったもので、もし安くなていたら買おうかな、くらいのつもりでチェックはしていた。

数量限定のものでは、例えば UPS (無停電電源装置)がすでに耐用年数を過ぎているので買いたい、と思っていたのだが、あっという間に売り切れた。


買えなかったものはそれで構わない。


で、テレビをそろそろ買い換えたい、と以前から思っていたんだ。

我が家の液晶テレビ、12年前の 2006年に購入したものだ。


地デジ完全移行が 2011年夏のこと。

その5年も前は、地デジ対応液晶テレビは高かった。

高かったがゆえに「もったいない」気がして使い続けていた。


でも、そろそろ限界。


しばらく前から、液晶の端の方が色がおかしくなっているのだ。困らない程度だけど、老朽化は事実。


最近任天堂 Switch でよく遊んでいるが、画面の端まで表示されない。

…これは、映像ポジションのセッティングを変えれば表示されるが、電源を入れなおすと必ずオーバースキャン(ブラウン管テレビのように、画面端を表示しない)モードに戻ってしまう。


近年のゲームは画面端まで表示されることが前提に作られているので、いちいち面倒くさい。


その Swicth は HDMI 接続だが、テレビには HDMI ポートが1つしかついていない。

他に、HDD レコーダーと Amazon Fire Stick も頻繁に使っている。HDMI 切り替え器を使っているのだな。

さらに、Chromecast やミニファミコン、ミニスーファミ、家庭用ビデオカメラ、PCのミラーリングなど、HDMI を使いたいことは多々ある。

結果、HDMI 切り替え器を2段構成にして、無理やりいろんな入力ソースに対応することになっている。




今まで 32型を使っていたので、同じサイズでいいだろう、と考えた。

ちなみに、今までもフルハイビジョンではないし、今も 32型だとフルハイビジョンはあまりないようだ。


なによりも HDMI ポートがたくさんついているものが欲しかった。

中国製の製品に4つついているものがあったが、あまり評判がよくないようなので見送った。

他は、大抵2つしかついていない。でも、2つあれば今よりマシだ。


今まではシャープの AQUOS だった。12年前だと液晶と言えばシャープだった。

でも、今は大型液晶では相変わらず強いが、32型程度だと特に優れてはいないようだ。


いろいろ迷って、Panasonic VIERA にした。

以前も書いたが、昔は Pana にしたら負け、くらいに思っていた。そつがなさ過ぎてつまらないのだ。


だけど、実際よくできている。個人的な趣味で使うなら面白い特徴を持つ機種もいいのだが、子供も使うと考えるとそつがない性能のほうがいい。


Prime Day のセールで、3万2千円で買えた。

昨年のモデルの型落ちだけど、相場より5~6千円安いようだ。




で、本日届いて先ほどセッティング。


まず、届いた箱を持って軽いのに驚いた。12年前のテレビは、腰を入れて持たないと持ちあがらない程度の重さはある。

届いたテレビは、子供でも持ち上げられる軽さだった。


バックパネルが冷陰極管ではなく、LED になったのが大きいのだろうね。

軽いだけでなく、薄く、小さくなっている。


画像は鮮やかだ。色合いがはっきり出る。


一方で、音は悪くなった。

テレビ自体を小さくするために、スピーカーが背面についていて、後ろ向きに音を出す。

壁に反射した音を聞くことになるが、あまり良い音ではない。


知らなかったのだけど、これ今のテレビに共通の悩みなのね。

大型画面を少しでも小さい本体で、となると、スピーカーは背面につけるしかない。

12年前の状況で取り残されていたので、浦島太郎でした。


しばらく使ってみて、どうしてもだめなら外付けスピーカーを検討しよう。


とりあえず、接続構成は今までの環境のまま。

つまり、HDMI ポートは1つしか使っていない。今後、接続を見直しながら使いやすいように分散するつもり。


家に余っている USB ハードディスクがあるのだけど、接続したら裏番組録画ができるはず。

すでに HDD レコーダーがあるし、それすらも最近はあまり見ないのだけど、後で実験くらいしてみよう。


#子供たちもゲームを遊ぶようになって、テレビの使用時間のほとんどがゲーム。

 子供が寝た後は妻が遊んでいる。

 食事時などは、Fire Stick で子供が好きそうなアニメ見てる。

 録画とはいえ、テレビ番組を見るのは本当に少しだけ。




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年棒制  2018-07-18 18:10:20  業界記

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たしか1998年の春から、セガでも「年棒制」が導入されました。

多くの社員は今まで通りなのですが、一部の「高度な技能を有している」と見なされた人は、高額な年棒での契約になるのです。

働いた時間とは関係なく、年間の給与が保証されます。


つまりは、いま政治的に話題になっている「高度プロフェッショナル制度」と同じものです。


労働時間とは関係なく給与を決める…残業代を払わないでも良い、というのは、1987年にはすでに成立している法律。


ただ、条件が厳しくて現実的には使いにくい物でした。

そこで、成立から 10年目の 1997年に改正され、使いやすくなりました。


この改正で、プログラマーも適用対象となりました。

具体的には、労働時間に対する最低賃金などの制限がなくなります。



今話題になっている「高プロ制」は、職種制限などを大幅に緩和しようという話。

その代わりに、他の制限がたくさんつけられています。労働条件としては、いまより改善する…はず。働き方改革だそうです。


この制限に意味がない…というような議論もあるけど、今はその話じゃない。

「当時の」法律では、そうした制限もなく、本当に残業代カットに使われるだけだった、ということ。




先に、凄腕プログラマ3人を紹介しました。

3人とも泊まり込んで仕事することも多く、残業代はかなり高額になっていました。


そこで、人事部としてもこの3人に対して、年棒制を持ち掛けたのね。

交渉は個別に行われたので、春に導入されてすぐ、ではなかったと思います。


今の基本給より高額での契約で、裁量労働なので、仕事に支障がない範囲なら休みも好きにとって構わない。

悪くなさそうな話ですし、人事部に「高度な技能を有している」と評価されたわけですから、誇らしくもあります。



でも、年棒制になって半年くらいしたら、みんな「年棒制への移行はしない方がいい」と周囲に言い始めていました。


年棒が決まっていて、残業代を出す必要がない、というのは、会社にとっては仕事を押し付けやすい人材だから。

予定外の仕事をどんどん押し付けられて、残業は増えるのに給与は変わらないのです。

これでは仕事のモチベーションも落ちてしまいます。



僕はこの後会社辞めたのですが、C++ 導入させた先輩も、僕のしばらく後に辞めてしまったそうです。

高い技術力を持った人材を囲い込めなかったわけで、年棒制の導入の失敗例です。




一方、他部署の人から聞いた話ですが、そちらの部署ではほぼ全員を年棒制に移行させたようです。

結局、誰を移行させるかは現場(おそらく部長)の判断だったみたい。


この場合、技能に応じて年棒が決まるので、技能が特に高くない人は、本当に「残業代カット」にしかなりません。



その結果、部員が団結して「残業はしない」雰囲気が出来上がったのだとか。

締め切りが近かろうが、トラブルが起きようが、技能が高い人も含めて、定時になったらみんな帰ります。


スケジュールに明らかな遅れが目立つようになりました。

それによって、部署としてのノルマは達成できず、業績が落ちました。


こちらも、年棒制導入の失敗例。

定時で帰れる雰囲気ができた、というのは悪いことではないですけど。




ずっと後になって、独立して自分で仕事するようになってから理解したのですが、「裁量労働」というからには、仕事内容を自分でコントロールできる必要がありました。


会社で、上司から指示された仕事を行う、という就業形態だと、仕事内容を自分でコントロールできません。

すると、残業の発生も自分でコントロールできなくなりますし、その状況で残業代が出ないのは「おかしい」状況にしかならない。


もっと、大きなくくりで「ミッション」を定めないといけません。

たとえばゲーム作成なら「ゲーム内のボスの動きをすべて担当」とかをミッションとする。


もう少し細かく言えば、最初のボスは仮の動きをいつまでに、次のボスはいつまでに…全部仮の動きができたら、ブラッシュアップをいつまでに…と、仕事内容を「契約前に」決めておく。

その上で、年棒額も提示して、折り合えば契約とする。


これなら、自分の裁量で働けます。

仕事が思ったよりきつくて残業続きになっても、それは自分が最初に契約したのだから仕方がない。


逆に、頑張って予定を前倒しにしたら、仕事を休んで遊びに行ったってかまわない。

年棒になって就業時間は関係ないのだから、昼過ぎで仕事を終わりにしてコンサートに行ってもいい。



本来、「裁量労働制」ってそういうことのように思います。

会社が一方的に残業代カットの道具に使うのはおかしい。


…のだけど、上に書いたように「折り合えば契約」が前提とすると、残業代カットにしかならない契約を呑んでしまった側にも問題がありますね。

労働者側がちゃんと勉強していれば防げることでもあります。



ここら辺、以前に詳しく書いたことがあるので、興味ある方はそちらの記事をお読みください。




昨年の夏から、東京都は通勤ラッシュ時の混雑を緩和しようと、「時差Biz」という取り組みを始めています。

通勤時間をずらすことで快適に働けるようにする、働き方改革の試み。…だそうです。


一応、東京オリンピックの際に外国人観光客が増えて公共交通機関が混雑するだろう、ということも見据えての取り組みなのだけど、これって結局通勤して、決められた時間は働くことが前提。


同時に「テレワーク・デイ」という取り組みも始まっています。

でも、こちらも昨年時点では取り組みが低調でした。


低調な理由は、技術的に「家で働ける」としても、本当に仕事しているのか誰がチェックするのか…なんてところでもめているから。

就労時間で縛ろう、という発想が抜けていません。


こちらに関しても、去年書いているので興味ある方はどうぞ。



20年前から、同じところでぐるぐる回っている気がします。

法律では裁量労働を導入しようと頑張り続けているのに、社会全体が就労時間で縛ろうという体勢から抜け出せません。


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メモリアドレス  2018-07-12 18:07:43  コンピュータ

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先日、僕のページを参照しながらツイッターで話をしている人がいました。


#時々エゴサーチしてますよ


話の内容は、「コンピューターのメモリアドレスはいつから使われ始めたか」。

この話のきっかけが、僕が書いた「バベジの解析機関」の話だったのです。


実際はパンチカードは2組有り、1つはプログラムを、もう一つはデータを格納した変数を示します。これは、現在のコンピューターと違い、メモリに番地を割り振ると言うアイデアがなかったために、常に変数を指示する必要性があった事に由来します。


上は僕の書いた記事の抜粋。

もう20年も前に書いた記事なので、いま読むと恥ずかしい、説明不足な部分があります。


実際には、メモリは番号で区別されてはいます。

ただ、現代的な「アドレス」とはちょっと違うものなのです。


数学のアルゴリズムには、計算対象を変えながら、同じ計算を繰り返す、という操作は頻繁に現れます。


例えば、行列の掛け算とか。

「掛け算」なんて基本的なものなのに、計算対象を変えながら繰り返すという複雑な操作が必要なのです。




今のコンピューターは、プログラム内蔵式です。


プログラムはメモリに保存されていて、いま注目しているアドレスの命令を実行したら、注目している部分を次のアドレスにずらし、順次実行していきます。


しかし、バベジの解析機関は、プログラムはパンチカードで供給され、読み込みながら順次実行されました。

カード送り機構があり、次々と新しいカードが読み込まれるために、順次プログラムが実行されていきます。


そこに「アドレス」という概念はありません。

プログラム実行に、アドレスは必ずしも必要ないのです。



バベジの解析機関は、データ保持用のメモリ(バベジの用語では「ストア」)を多数持ち、プログラムで命令でデータの取り出し・保持が指定された際には、もう一組のカードから「使うべきメモリ」を読み込みました。


つまりは、使用するメモリは、プログラムとは独立していて変更可能です。

プログラムを「ループさせる」ことは可能だったので、適切に2組のカードを設定すれば、計算対象を変えながら行列計算を行うようなことも可能です。



しかし、このカードは変数が必要になるごとに読み込まれ、変数自体を計算によって求めるようなことはできません。


C言語風の書き方になりますが、


A1 + A2



A[1] + A[2]


の違い、と言えばわかってもらえるでしょうか。


前者の 1 2 は、区別するための記号にすぎません。連続した数値ではないのです。

しかし、後者の 1 2 は、記号ではなく数値です。連続したメモリの中の位置を示す「アドレス」です。



それぞれのやり方で、10個のデータの合計を求めようとすると、こうなります。


SUM = A1 + A2 + A3 + A4 + A5 + A6 + A7 + A8 + A9 + A10;


for(i=0;i<10;i++)SUM += A[i];



前者のやり方で、データが 100 個に増えたら大変です。

しかし後者なら、わずかな変更で対応できます。



もう少し根源的な言い方をすると、「アドレスが計算対象か否か」です。

コンピューターは計算のための道具ですが、その計算に使用するメモリのアドレスすら、計算の対象とできるかどうか。



メモリに区別のための番号が割り振られていたとしても、計算対象でない場合には、「アドレス」とは呼べないように思います。




ではいつからメモリにアドレスが割り振られたか、というと、実は話は簡単で、プログラムがメモリ内蔵型になった時だと思われます。


ENIAC(1946) は、配線によってプログラムを行いました。

そもそも、現代的な「プログラム」のイメージですらありません。


それ以前のハーバードマーク1(1944) では紙テープでプログラムを行いますが、まだアドレスの概念はありません。

データを保持できる場所…メモリと言っても差し支えない場所は 72個あるのですが、実はすべてが「カウンタ」で、それぞれがタイガー計算機だと思ってください。


タイガー計算機ですから、足し算・引き算だけ出来ます。

72個のカウンタの、どこからどこに足し合わせるか、というデータの流れをひたすら記述することがプログラムになります。


この 72 個は、番号で区別されていますが、ただの区別の記号です。

この番号を計算対象として、配列を実現するようなことはできません。




最初にメモリ内蔵型を提唱したのは EDVAC(1951) です。

この際に、「メモリには、プログラムとデータを一緒に入れてしまう」という決断をしています。


しかし、さすがにこの二つは別物だろう…ということで、1bit の区別フラグがつけられています。

プログラムからは、データを読み書きすることはできるのですが、プログラムを読み書きすることはできません。


EDVAC は命令を「5つ組」で示します。命令と、アドレス4つです。


アドレスは、演算対象となるデータが入っているアドレス2つ、結果格納アドレス、次の命令のアドレスです。



現代のコンピューターから見ると、「次の命令アドレス」が随分と奇異に見えます。

自動的に次のアドレスの命令を読み込むのではなく、いちいち次の命令のアドレスを指定する必要があるのです。


これは、「メモリに割り振られたアドレスは、識別用の記号であり、連続した数値ではない」という設計思想のためです。


もちろん、演算対象・結果格納用のアドレスも、連続した数値ではありえません。

ここには直接数値を入れてあり、アドレスと見なされるため、配列アクセスのように「アドレスを計算する」ことはできないのです。




EDVAC の設計論文を見て、先に完成させてしまったのは EDSAC(1949) です。

この際、回路を簡略化し、素早い完成を目指す中で、データとプログラムを区別するビットが省略されています。


これは、うっかり間違えてプログラムを破壊しないための、保護機構でした。

逆にいえば「うっかりミス」が無いように人間が注意すれば、機械として作りこむ必要はないと判断したのでしょう。


用意された命令は、EDSAC のものとそれほど変わりません。

ただし、「次の命令アドレス」は不要で、連続したメモリの命令を順次実行していきます。


おそらくは、「次の命令アドレス」を無くせばその分のメモリが不要になる、という簡略化のための判断です。

しかし、これにより「メモリアドレスは連続している」という設計思想が生まれています。


とはいえ、データアクセスの際には、固定値でアドレスを示します。計算できません。

これが当時としては標準的なやり方だったためです。



ところが、ここにうれしい誤算が生じます。

プログラムの保護機構を省略したことが、非常に柔軟なプログラムを可能にしていました。

保護機構が無いということは、プログラムもまた、同じメモリに置かれたデータに過ぎないということです。


プログラムの置かれた特定のアドレスを演算対象として、書き換えてしまえば…

アドレス部分を書き換え、「順次アクセスする」ようなプログラムが可能になるのです。



当初の設計に織り込まれたものではないとはいえ、手法に気づいたら積極的に利用した節があります。

プログラム自身を演算対象とできる…これはコンパイラなどが作れるということですし、実際簡易なアセンブラ兼ローダー兼 BIOS である「ブートローダー」が作られています。



EDSAC では、メモリアドレスを計算対象とし、配列演算ができるようになったのです。




蛇足ながら、EDSAC よりも完成の早かった、The Baby(1948) でもプログラムの自己書き換えは可能だったように思います。

しかし、これは実験機のため、極端にメモリが少ないマシンでした。


小さなプログラムを書いたらメモリいっぱいで、自己書き換えなどのテクニックを駆使して配列操作するような余裕はありません。


現代の CPU では、「レジスタに入っている数値をアドレスとしてメモリにアクセスする」というような機能があります。


レジスタは計算のための特殊メモリですから、この数値をアドレスとする、というのは、アドレスを計算対象とすることにほかなりません。

EDSAC では「自己書き換え」で実現されていた方法が、今では CPU の命令で普通に用意されているのです。



冒頭の話題に戻りましょう。

コンピューターのメモリアドレスはいつから使われ始めたか。


この質問の裏には「今のように」という観点があるでしょう。

その元祖は、EDSAC だと思います。



先に書いた通り、EDSAC とほぼ同時期のコンピューターでは、メモリアドレスを計算対象とは「しない」のが普通でした。

その中で異質だった EDSAC のやり方が現代に残っているのは、このやり方が非常に強力だと皆が認めたからでしょう。




2018.7.17 追記

ツイッターで、こちらの掲示板で同じ質問が出ていた、と教えていただきました。


話の冒頭で「先日」と書きましたが、6月下旬の話だったと思います。

その掲示板の日付は6月23日。


僕の該当ページも参照されていますし、1) ツイッターで話題にしていた人たちが質問した 2) この質問を読んだ人がツイッターで話題にしていた のどちらかではないかと思います。




掲示板でも、「ノイマン型あたりだろう」と正しい認識なのですが、「チューリングマシンから」と言っている人があまりにも的外れなので、ちょっと突っ込み入れたくなった次第。


チューリングマシンは、紙テープが最新のメディアだった時代の発想なので、基本的には「無限に長い紙テープに、検索キーとデータを書き込んでおく」という発想で考えられています。

いわば、キーバリューストア。アドレスはないです。


そもそも、今ではコンピューターの元祖のように言われていますが、もともとは「ゲーデルの不完全性定理」という、数学上の大問題を証明するための道具にすぎません。


ここら辺、詳しくは過去に書いたことがあるので、興味がある方はそちらをお読みください




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続・Unity  2018-07-04 18:26:09  コンピュータ

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少し前に「Unityの勉強始めた」って話を書いた。


仕事とは無関係に、全くの趣味として。

でも、趣味なので週に2時間程度しか時間を割けず、遅々として進んでいなかった。




今日、時々仕事でプログラム保守をしている会社の人と、打ち合わせ会議があった。


保守しているプログラム、見ず知らずの前任者が作ったものから、求めに応じて僕が随分と拡張している。

WEB 上で動作する Javascript のシステムなのだけど、前任者は「その時の仕様」でうまく動くように、非常に美しいプログラムを組み上げていた。


…美しい、というのは良いことばかりではない。

当時の仕様での動作としては問題ないのだけど、後から手を加えようとした時に改造しにくかったのだ。


ネットワークからデータを受けて表示するプログラムだったのだけど、無駄が排除されていて、受け取ったデータを集計し、表示した後はデータを残していなかった。


これが、後から「操作によってデータの絞り込み表示とかできると良い」という話になった時に、データが残っていないのだ。

仕方なく、根幹部分での「データ集計」は残したまま、送られてきたデータを溜めておく別部分を作り、絞り込みの際には別途集計を行って、それまで表示していたデータを「リセット」して、集計したデータを今送られてきたように流し込んで…


という、複雑怪奇なプログラムになっていた。


#根本部分から作り直せばいいのだけど、それができない理由があった。


このプログラム、どこかで根本的に手を入れないと、今後の拡張難しくなっていきますねー、なんて話を以前にしていた。




実は、僕は「WEB 表示部分」を作っていたのだけど、システム全体としては、別の人が作った Android アプリと iOS アプリもあった。

さらに、別用途で使われる Windows アプリもあった。


目的が違うものなので画面なども違うのだけど、表示される内容は同じ…にしたいのだけど、少しづつ違って同じになっていない。



で、今回、「すべて Unity で作り直せないか」という相談。


各種表示プログラムがあるわけだけど、今一番使われているのは僕が作っていた WEB 画面なのだそうで、これをベースにして Unity で作り直したいらしい。


Unity なら、iOS / Android / Windows / MacOS / WEB など、各種環境向けにコンパイルできる。

それぞれに必要な UI などは微妙に異なるが、共通化できる部分は出来るだけ共通化していきたい、という意向らしい。



で、「Unity 使えますか?」と聞かれたわけだ。


ごめんなさい。使えません。

でも、ちょうどいま勉強中で、勉強のためにゲーム一本作ってみている最中でした。




そんなわけで、趣味でやっていただけだったのだけど、ちょっと勉強を急がなくてはならない状態。

今日は会議後、5時間ほど作業していた。


まだ「上から3つ並んだ宝石が落ちてくるだけ」だったプログラムが、「フィールドの配列を持ち、落ちてきた宝石が積み上がり、それらの宝石に落ちてくる宝石がぶつかると通り抜けられないような判定」までは出来た。


これを作ることが目的ではないのだけど、ゲーム一本仕上げるのって、ある程度システムを理解していないとできないからね。

実践的な勉強、というつもり。


実際に作り直すとしても、おそらくは秋から作業開始になるようだ。

その時に備えて「API マニュアルと首っ引き」でないとプログラムできない今の状態から脱出したいところ。



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氷川丸  2018-07-01 18:24:50  その他

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以前から行こうと思っていた氷川丸に、やっと行った。



知人から氷川丸の株主優待券をもらっていた。

6月30日までの有効期間。


じゃぁ見に行こう、と思ったのだけど、なかなか日程が合わなくて、6月30日にやっと行ったのだ。




以前一度見に来た時は、中華街で春節パレードをやっていたので、そちらを見るのを優先した。

とはいえ、石川町駅から中華街を通り、氷川丸まで一応行ったうえで、山下公園をぶらぶらと端まで歩いて、関内駅に戻るコースを歩いた。


その結果、子供たち全員歩き疲れていた。



今回はもう少し楽をすることにする。

桜木町で降りて、観光地を巡るバス「あかいくつ号」に乗って氷川丸まで行く。


…氷川丸に一番近いバス停、「山下公園前」は、コースのかなり最後のほう。

途中で「中華街」で降りて歩いたら、3分程度の距離を、バスは10分以上かけて到着する。


この程度は歩いたほうが早いかも。まぁ、いろんな観光地があることを見て回れたのは、子供にも楽しかったようだが。




氷川丸は90年近く前に建造された船だ。


豪華客船として作られ、日本・シアトル間を航行していた。

チャップリンが日本に来た際にも、氷川丸に乗船している。


しかし、就航から10年ほどして、第二次世界大戦が勃発。

氷川丸は軍に徴用され、病院船となる。


病院船は国際法上保護されるとはいえ、戦闘地域を航行することになる。

氷川丸も、3回機雷と接触して損傷したそうだ。


しかし、豪華客船として安全重視の構造となっており、船底は二重構造になっていた。

(氷川丸の建造前に、タイタニック号の沈没事件が起きている。おそらくはそれを踏まえてのことなのだろう)


このため、機雷による損傷にも関わらず、沈没しないどころか、航行可能だったそうだ。

ある意味軍艦より強い。



そして敗戦。

氷川丸は、帰国兵の引き揚げ船となる。


それらの任務がすべて完了し、再び豪華客船としてシアトル航路に戻る。

その後、老朽化のため現役引退。



しかし、この数奇な運命をたどった豪華客船を保存しよう、という運動がおこり、横浜港に係留されることになった。

ただ浮いているだけで「現役の船」ではないことを示すため、自力航行できないようにプロペラは取り除かれたが、建造時には最新鋭だったエンジンなどはそのまま残されている。




…と、氷川丸の概要はこんなところ。

大まかには知っていたが、細かいところは行ってみて初めて知った。


見学コースとしては、まず客席通路を通り、一等食堂に向かうことになる。

わかりやすく「豪華客船」らしいところだ。


食堂前には、託児室がある。

乳幼児を預け、ゆっくり食事を楽しめたそうだ。


食堂の中は食事内容も含めて当時の様子が再現されている。


ここまで、音の演出が素晴らしい。

乗船してすぐに、出航を告げる銅鑼の音、汽笛の音が聞こえ、食堂ではカトラリーのかすかに触れるカチャカチャという音が聞こえる。


この後、一等読書室。期間限定で、病院船時代の様子などのパネル展示を行っていた。


一等社交室、一等喫煙室。

男性は主に喫煙室で、女性は主に社交室で、一緒に乗船した人との親交を深めたようだ。

社交室は優美な、喫煙室はシンプルながらゆったりとした調度が残されている。


さらに、一等客室。

広くはないが、ベッドと洗面台を備えた部屋だ。通常は2室が扉でつながっている。夫婦などでの乗船が多いためだろう。


そして、一等特別室。ここは1部屋しかない。

広いベッドルーム、バスルーム、ティールームの3部屋が1つながりになっている。


チャップリンや、皇族秩父宮が使用したそうだ。



…と、ここまでが豪華客船らしい船内の見学コース。




コースを見ている最中に、正午に汽笛を鳴らすので、汽笛近い操舵室・船長室あたりの人は大きな音に注意、というアナウンスが入った。

長女と次女、これを聞いて、汽笛を聞きたくて仕方がない。


コースは後戻りできないので、それでも内容は見ながら早足に進んでいた。

そして、一等特別室を見た後、船室を出てデッキを進み、階段を昇れば操舵室というところで…


正午の汽笛が鳴った。

余りの大きな音に、体がびくっとして、動きが止まってしまった。


アナウンスにあった操舵室あたりで聞きたい、と言っていたのだけど、そこまで進まないでも十分に大きな音だった。

一瞬のち、あまりの音に僕も含めて3人で笑い出す。


あ、そうだ。この大きな音をビデオにとらなきゃ、と思ってビデオをとりだした途端、音は止まった。



長男と妻は、船内の展示をゆっくり見ていて、一等特別室の前にいた。

あぁ、汽笛だ、とは思ったけど、それほど大きな音ではなかったそうだ。


船室内は、十分に防音できているのだろう。これも豪華客船だからか。




操舵室、船長室を見る。伝声管で連絡できるようになっているので、あえて二手に分かれて進み、通話を試みたりする。


操舵室横には無線室もあるようなのだけど、こちらは中を見られなかった。

興味あったのだけど残念。


その後、船底に降りて機関室。

とにかく巨大なディーゼルエンジンが、2基。

機関室って、もっと通路も狭くて機械だらけかと思ったのだけど、結構通路幅は広くとってある。



その後厨房…と言っても、「ここにあった」というだけで現在は見られないのだけど、その横を通って三等客室へ。


1等と3等だけ見られて2等は見られないのだけど、まぁこの中間だということなのだろう。


3等客室は1室で8人。2段ベッドが並んでいる。

見知らぬ同士が1カ月ほど一緒に生活するので、まぁ、大抵は仲良くなってしまうらしい。


豪華客船だから、三等客室だと言っても、十分なお金持ちでないと乗れなかったはず。



乗船して最初に見る「一等食堂」は、当然ながら一等客室の客しか入れない。

当時としては珍しい、豪華な西洋料理がふるまわれていて、食後にもフルーツなどのデザートがあったようだ。


しかし、三等客室向けには普通の食堂があり、焼き魚など、普通の日本食が提供されていた。

長い船旅は暇なので、三等客室の客は、厨房でジャガイモの皮むきを手伝うなどの仕事もして、代償としてフルーツをもらう、などのこともあったそうだ。


同室の人と仲良くなるだけでなく、船員などとも仲良くなり、アットホームな雰囲気だったとか。




最後に、氷川丸に乗ったことのある人などの思い出話をまとめてあるコーナーがあった。


ノーベル賞学者の、小柴昌俊先生の思い出話があった。


国費留学でアメリカにわたるために、氷川丸の一等客室に乗ったのだそうだが、連日の豪華料理に飽きてしまう。

そんな折、三等客室で「焼きサンマが出る」というので、三等客室の人に頼み込んで食事を変えてもらったという…


いい話だ。人柄がにじみ出ている。




さて、氷川丸の途中で正午の汽笛が鳴ったように、昼を過ぎている。


長男が興味を持っていたので、ミュージアムショップで、レトルトのドライカレーを買う。

氷川丸の一等食堂で出していた人気メニューの再現だという。


そしてすぐ、山下公園前の大通りを渡ってすぐのところにあるマクドナルドへ。

昼を結構すぎ、お腹が空いていたのでみんなセットメニューを頼んでしまったのだが…

後で考えると、これ失敗でした。



その後、すぐ横に立っているマリンタワーへ。


…入り口で入場料を見て躊躇する。

昔もっと安かったよね? 大人 750円もする。


でも、子供に見せてやりたかったので入る。


昔は大人 500円くらいの、気軽に入れる値段設定じゃなかったっけ…

と今調べたら、前売り券は今でも 500円程度で入手できるようだ。

急に思いつきで行ったので、確認不足だった。



マリンタワー…まぁ、展望台ですね。特筆すべきことはなし。


でも、「昔、大科学実験で、マリンタワーの影追ってたの覚えてる?」と子供たちに言ったら、長男は覚えていた。

それだけでなく、わずか5分くらいの間でも、影が結構動くのを発見して「大きいから結構動くねぇ」と感心している。


せっかくなので、家族全員で観察してみたが、5分程度でわかるくらいに影が動く。面白い。




長男はそろそろ帰りたがっている。

来週は塾でテストがあるので、テスト勉強したいそうだ。


氷川丸のチケットがこの日までだったので無理やり連れてきたのだけど、長男は本当にスケジュールが忙しい。


でも、長女は中華街に行きたい。ゴマ団子が食べたいのだそうだ。


で、どちらにせよ駅に行くには中華街を通るので、中華街まで歩いたのだけど…


さっきマクドナルドで腹いっぱい食べたので、点心なんて食べられる気がしない。

先にお土産(中華食材など)を買ったのだけど、まだお腹は空かない。



結局、「ゴマ団子だけ食べられればいい」というので、2個100円のゴマ団子を、3セット買います。

お店の人が1つおまけしてくれて、7つありました。


ゴマ団子を食べたかった長女は2つ。長男と次女は1個半。親は1個づつ。

実は結婚記念日の翌日だったから、中華街でうまいもん食おうとも思っていたのだけど、かなわず。




ここからなら、石川町に出るのが近いのだけど、妻が寄りたい店があるというので関内に向かいます。

途中、横浜スタジアムがすごく騒がしい。試合をやっているらしい。


この日は熱かったので、横浜スタジアム前のファミリーマートでアイスを買います。

駅前まですぐなので、駅前のガード下の広場で座って食べていると…試合が終わったらしい。

カープの服を着ている人と、ベイスターズの服を着ている人が大量に駅に押し寄せてきた。


しまった。もう少し早いタイミングで帰っていれば空いていたのに、電車が混むようになってしまった。



しかし、この休日の観光は、これでほぼ終わり。


先日は三笠を見て、今度は氷川丸を見たわけですが、どちらも「記念に残されている船」とはいえ、全然違うものでした。

軍艦と豪華客船だから違うのは当たり前なのだけど、見比べてみると違いがよくわかる。


今年中には、日本丸にも行ってみようと思っています。



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関東梅雨明け  2018-06-29 15:52:47  その他

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6月中の梅雨明けは、観測史上初だそうだ…


夏になったわけだが、まだ6月だし、ここ数日は風が強いので窓を開けているだけでさわやか。



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エミュレーターの法的権利  2018-06-27 12:20:53  その他

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以前からネットで見かける話で、思ったより勘違いされているようなので解説。



以前、ゲーム系のニュースサイトで、最近公式エミュレーターの発売が相次いでいることを取り上げていた。

ミニファミコンに始まり、NEOGEO mini とか、メガドラミニとかの話だな。


で、そのサイトには「ゲーム機本体発売から時間がたって著作権が切れたのも、こうしたブームの要因」ってことを書いていたんだ。


個人の作っているサイトなら勘違いしているな、で終わりの話なのだけど、企業がやっている大手サイトだった。

記事自体はライターが書いた署名記事だけど、掲載するからには編集者・編集長がチェックしているはずで、個人の勘違いでは済まされない。



でもまぁ、そのサイトは記事に対するチェックが甘いのだろう。

署名記事だから結局は個人ブログレベルの内容なのかもしれない。



…って思っていたのだけど、昨日ツイッターを見ていたら、それなりに技術を持っている(個人的には信頼していた)若者が、エミュレーターに対して同じような勘違いをしていた。

具体的に言うと、古いゲーム機はすでに著作権が切れているので、エミュレーターを作っても法的に問題はない、ということを書いていた。


こちらは完全に個人なので勘違いしていても構わない。


でも、先に書いた記事は、しょせんはライター…技術者ではない人が書いた記事だ。

僕としては、技術に詳しい人が勘違いしている方がショックだった。




著作権は、著作物を守る法律だ。


文章・絵画・音楽・映画…その他、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」と定められている。


最初に挙げた記事に書かれていた「ゲーム機本体」というのは、この範疇ではない。

つまり、著作権で守られるものではない。


ちなみに、著作権の保護期間は、個人であれば作者の死後50年、法人であれば著作物の公表から50年というのが基本だ。

ゲーム機本体は著作権で保護されないが、もし保護されていたとしても「著作権が切れた」とするには早すぎる。


この点で、記事を書いた人は2重に著作権を理解できていない。

(ちなみに、ライターという職業柄、著作権によって生活しているはず。その権利を理解できていないのは残念だ)



では、著作権がないのであればゲーム機本体のデッドコピーを作っても問題はないかというと、もちろんそんなことはない。

ゲーム機本体は、著作権ではなく、さまざまな別の権利によって守られている。



まず、回路配置利用権。

「同じ集積回路を作ってはならない」規定だと考えてもらっていいだろう。

大抵のゲーム機は、専用 LSI 込みで開発される。それらの LSI をコピーされない権利だ。


著作権の場合、著作した時点で権利が生じる。

これに対し、回路配置利用権は、国の定める機関に対して登録が必要だ。


この権利の有効期間は、登録から 10年間だ。



じゃぁ 10年を過ぎたら作り放題かと言えば、特許権がある。

回路の配置みたいな「そのものずばり」の物理的なものを登録するのではなく、その回路にこめられたアイディアなどを保護する。


こちらの保護期間は 20年だ。


ちなみに、「アイディアの保護」だけど、そのアイディアは基本的には実際の物づくりを前提としている必要がある。

つまりは「発明品」でなくてはならないんだな。


とはいえ、実際に発明品を組み立てている必要はない。

どういうアイディアなのかを具体的に説明できるのであれば、書類だけあれば特許はとれる。



ゲーム機本体の保護としては、特許権が本命だろう。

だけど、特許はアイディアというふんわりとしたものを対象にするため、登録の審査に時間がかかり、その間は保護されない可能性がある。

(登録が成立した時点で、請求開始時点にさかのぼって保護を求めることは可能)


そもそも、発売初期の段階でコピー商品を出せるとしたら、回路などもまるっきりコピーしたデッドコピー商品だろう。

だから、初期は回路配置利用権で守り、特許成立後は特許権で守る、という2段構えとなる。



他にも、外観は意匠権で守られるし、名前などは登録商標で守ることができる。

しかし、コピー商品は大抵外観や名前は変えてくるので、ここら辺を使う時は別の目的だろうね。




さて、ソフトウェアでゲーム機を再現するエミュレーターの場合、回路配置を使うわけではないし、具体的な「物」を保護する特許とも無縁だ。


特許についてはもう少し説明しておいた方がいいかな。

エミュレーターは、回路によって実現されるゲーム機を、ソフトによって再現したものだ。


だから、機能は同じに見えても、その実現方法が異なることになる。

特許は、実現のためのアイディアを保護するものだから、同じものを作り上げていてもその方法が違えば特許には抵触しないことになる。


エミュレーターが合法だとされるのは、こうした理由だ。


決して、著作権が切れたなどではない。

発売直後のゲーム機だったとしても、ソフトウェアエミュレータが作れたのであれば、それは合法だ。



ただし、エミュレーターは「ソフトウェア」の再生を目的とするものだ。

そして、ソフトウェアは著作権保護の対象物だ。


もちろん、ゲームソフトも著作権保護されている。

エミュレーターで遊ぶ際には、利用者が実物のソフトを入手し、利用許諾された状態になくてはならない。


しかし、そうした方法で利用許諾できないソフトウェア部分がある場合がある。

ハードウェア内に ROM などで持っている、BIOS と呼ばれるソフトウェア部分だ。



こちらは「互換 BIOS」を作れば問題がないのだけど、互換 BIOS を作るのは、またややこしい著作権上のテクニックが必要な話となる。


ありていに言えば、日本では互換 BIOS は認められない。

アメリカでは、かなり厳密で複雑な手順を踏めば、互換 BIOS は法に触れないものとして認められる。



もっとも、実際に作成された互換 BIOS が法に触れるのかどうかは、裁判をしてみるまでわからない。

上に書いた「日本では認められない」というのは、そうした状況での類似判例があり、認められなかった、という結果だけの話だ。

同様に、アメリカで認められるというのも、類似判例で認められている、というだけだ。



BIOS を含むエミュレーターは、法的にはグレーゾーンに存在しているとみてもいいだろう。




エミュレーターに関する話はここまで。

書いているうちに思い出したので、ここからは少し別の話。



途中で書いた「商標権」なのだけど、権利の期間は 10年間で、更新することで無限に延長できる。

でも、「無限に」というのは強すぎる権利なので、他社が異議申し立てをして、商標権を消滅させてしまう方法がある。


一般的なのは、「その商標、最近使ってないでしょ?」と迫るやり方だ。

最近使っていない証拠を示してそれが認められれば、商標は消滅して誰でも自由に使えるようになる。



たとえば、「ファミコン」なんて名前は有名なので誰もが狙っている。

さらに、任天堂はスーパーファミコン以降、ファミコンと名の付くゲーム機は出していない。

そのままでは「商標使ってないんでしょ?」と言われやすい。


そこで、ゲームボーイアドバンスの時に古いゲームを復刻して「ファミコンミニ」シリーズとしたり、バーチャルコンソールでファミコンのゲームを遊べるようにしたり、公式エミュレータである「ミニファミコン」を発売したりして、商標を使っているところを示さないといけないんだ。


任天堂が昔のゲームを遊べるように努力し続けるのは、ファンサービスや古いユーザーの回帰を狙っているのもあるだろうけど、有名な商品名を他社に奪われないための、こうした法的な面もあるはず。



もう一つ、「それ一般的なものでしょ?」っていうのもある。

わざわざ作った特別なものなら商標にできるけど、一般的なものは商標にできない。


だから、Google 検索が普及し、「Googling」、日本語では「ググる」という言い回しが流行った時、グーグルはこの言い回しをやめるようにユーザーに頼んだ。

日常会話でも頻繁に使われるようになって「一般的な言葉」とされてしまうと、商標が無効になってしまうかもしれないからだ。


その後どういう判断があったか知らないが、Google はこれらの言い回しを禁じなくなった。



同様な例に、セガが SEGA ロゴで遊ぶのを禁じた例もある。

こちらは過去に書いたので、詳細はリンク先をどうぞ。



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