ぜんぜん日々更新ではない日記です

まぁ、ぼちぼちやっていきます。
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過去のものはヘッダ部分のリンクから選べます。

目次

2017-03-25 かはたれ / たそかれ
2017-03-22 焼肉食べ放題。
2017-03-22 2つの特許の出願日(1971)
2017-03-17 長男卒業式
2017-03-16 タネンバウム教授(1944) ストールマン(1953) 誕生日
2017-03-15 世界最初のドメイン登録(1985)
2017-03-13 江の島再発見
 今月の日記
かはたれ / たそかれ  2017-03-25 18:17:04  住まい

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数年前から気になっていた本を読んだ。



「かはたれ 散在が池の河童猫」


児童文学…なのだけど、むしろ大人向けかもしれない。

2005年に発表され、児童文学向けの多くの賞を受賞した作品。




お話の内容は、Amazon にでも書いてあるのを読んでくれ。

わざわざ説明し直すほどでもない。


ざっくりいえば、河童と少女の交流物語。


「かはたれ」では、家族を失い寂しい河童の子供と、母を失い寂しい小学生少女の交流が描かれる。


河童は人間の言葉を理解し、喋れるのだけど、戒め守るために決して喋ろうとはしない。

河童は正体を隠そうとするし、少女も何だかわからないまま、弱々しい河童を守ろうとする。


だから二人のほかに秘密を知るものもなく、大事件も起こらない。

物語は非常にゆっくりと進行する。でも、二人の心の動き、思っていることが少しづつ明らかになり、最後は涙なしに読めない。


続編の「たそかれ」では、少女は成長し中学3年生になり、河童と再会する。

こちらでは、河童は戒めを解いても良い理由があり、会話することもできる。

そして、前作から後に何が起きたかが明らかになりつつ、二人で協力して難題を乗り越えようとする。


こちらも、最後は涙なしに読めない展開。


今はまだこの2冊しか出ていないが、まだ続きを読みたいお話。




もっとも、児童文学向けの賞を受賞したとか、それだけのことはある深い物語だったとか、そんな評判で読んだのではない。

気になっていたのは別の理由で、内容には期待せずに読んだらいい本だった、という、棚から牡丹餅みたいなもんだった。


気になっていた理由…

このお話、舞台は架空の街なのだけど、明らかに知っている場所だったのだ。



お話のサブタイトルは「散在が池の河童猫」。


話の舞台は、「散在(さんざい)が池」と呼ばれる場所の周辺。

散在が池がどこにあるかは明示されていないのだけど、「谷戸」とか「やぐら」という、地形を表す言葉が出てくる。

そして、これらの言葉には説明がついていて、「鎌倉近辺で使われる言葉」となっている。


大船駅からバスで行ける場所に、「散在(さんざ)が池」という場所がある。読み方は違うけど字は同じ。


これが正式名称なのだけど、バスで行くには「鎌倉湖畔行き」に乗る。市外の人にはこちらの名前で知られているためだ。

別に有名観光地ではないけど、散策に訪れる観光客はよく見かける、そんな場所だ。



お話では、40年前(お話は 2005年に書かれているので、1960年代)に池の周囲に住宅地が造成された、となっている。

実際、散在が池の周囲には 1960年代に住宅地が造成され、その時にイメージの問題で、池ではなく「鎌倉湖」と呼ばれ始めたようだ。


お話の中では、散在が池から山を下ると神社がある。

その先が住宅地で、少女の通う小学校は住宅地の中にある。


これも、実際の散在が池の地形と似ている。全く同じではないけど。



続編の方では、少女の済む住宅地が鎌倉にあることも明かされている。


鎌倉市青船。…実際には、大船の周辺をイメージしているようだ。

小学校のある住宅地、とはちょっと離れているかな。どうも、続編を書くときに、都合でモデルになる地域を変えた模様。


少女の通う中学は、小さなトンネルを抜けた先にあり、大学の付属中学ということになっている。

実際、大船の住宅街からトンネルを抜けたところには中学がある。付属中学ではないけど。


同じ地域の、ずいぶん離れたところにもう一つ中学があるのだけど、こちらは大学の付属。

ここでも、話の都合に合わせてイメージを混ぜているのだろうけど、実際この地域にあるものをモデルにしているとわかる。



続編は、少女が町の歴史を調べ、伝承などの中から河童と人のかかわりを知ることで進んでいく。

それらの伝承には、実際に鎌倉近辺に伝わるものも使われている。


戦争中のことが語られる部分もあるけど、ここは実際の地域の歴史とはかけ離れている。

鎌倉の隣町としての「青船」周辺の歴史として語られるのだけど、その歴史は「隣街」の、横浜中心部の歴史がモデルのようだ。



しかし、郷土史を読んでいるわけではなく、あくまでも創作童話。

実際の地域の話と違ったってかまわない。


でも、ファンタジーを読んでいるにもかかわらず、実際の場所を思い浮かべながら読んでしまう、という不思議な感覚を味わった。




ちなみに、この本は大船図書館で借りてきた。2~3冊づつ置いているようだ。

「たそかれ」では、少女が地域の歴史を調べる際に、「青船図書館」も訪れている。


作者さんも鎌倉に住む人のようだし、この本が大船図書館に置いてあるのは、大切なことのように思う。



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住まい

別年同日の日記

02年 3/25

06年 ゴミ拾い

15年 ベーマガに出会うまで

15年 ゲームの条件


名前 内容

焼肉食べ放題。  2017-03-22 19:04:10  家族

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先日書いたが、長男が小学校を卒業したので、なんかお祝いでもしよう、と思った。


で、卒業式の当日は、妻が長男の好きなミートローフを焼いた。



翌日…3連休の初日は、長男の中学で使う上履きなどを買いに行く。

最初からどこかで食べようとは思っていたのだけど、急に回転寿司に行ったら、ごちそうだと喜ぶ。



…これで終わりのつもりだったのだけど、翌日急に気付いた。

そういえば、しばらく前から焼肉屋に連れて行ってやろうと思っていたんだ。


というのも、次女が去年までは保育園で、目の前に熱源がある焼肉は怖くて連れて行っていなかったから。

で、なんとなく調べたら、「小学生半額」の食べ放題の店が多い。



小学生まで、ということは今月中じゃないか、と思い、すぐに行くことにする。

ちょうど、前日の買い物で買い忘れがあった。焼肉屋の方向にはホームセンターがあったのでそこに寄る。

焼肉屋に行く前にネットで予約を入れて…とおもったら、予約システムが停止していた。


仕方がない。直接行ってみる。

が、2時間待ちになっていた。どうも、3連休の中日だから外食する人が増え、予約システムがダウンしてしまったようだ。



「食べたかった」という子供たちを説き伏せ、家に帰る。

途中で冷凍ピザなど買い、結局家でパーティ。




さらに翌日、朝起きてすぐに(5時ごろ)焼肉屋に予約を入れておく。


誰にも相談していないが、行かないならキャンセルすればよいだろう。

2時間待ちになるような状況なので、キャンセルしても店に迷惑は掛からない。


で、起きてきた家族に相談。

連日ごちそうで胃が疲れているようであれば別の日にしよう。



もちろん、みんな行きたいといった。




そんなわけで夕方にまた焼肉屋へ。

予約していたのでもちろん問題なく入れる。


子供たちにとっては初めての焼肉屋。


食べ放題は時間制で、100分。オーダーストップは80分。


「食べ放題なのに時間は決まってるの?」と次女はいうが、1時間半も食い続けたらお腹いっぱいで食べられなくなるよ、と答える。


どうもまだ理解していないようで、注文用のタブレット端末に表示されている残り時間を気にしている。

…が、1時間後には「十分な時間」であることを理解していた。



でも、いろんな種類の肉を食って、ホタテも食って、美味しいものはお替りもして、ナムル盛り合わせがうまいとこちらも2皿食べ、スープもお替りしたし、ユッケも食ったし、各種サラダもサンチュも食った。


ここで、肉ばかり食わず「野菜がうまい」とか言い出すあたりは、うちの子供は健全だと思う。


ちなみに、次女はフライドポテトが好きで、この店にもあったのでフライドポテトも食べた。

そういえば、たこ焼きも食べた。


最後にデザートを頼む。

それぞれ好きな味のアイスを頼んだら小さかったので、食べてない味と、フルーツゼリーと杏仁豆腐を追加注文。


食った食った。大満足。

最後に、妻がタブレット端末で注文履歴をしばらく眺め…


大人は大体 1600Kcal かな、と言った。



#目安は1日 2000Kcal 程度




正直なところ、高いのか安いのかはよくわからない。

食べ放題、って言葉には引かれるけど、厳選してうまいもの食べればもっと安いかもしれない。


でも、それだと子供が遠慮して自由に食べられないから、食べ放題にしたかったんだよね。



次女は気にいったたようで「また行きたい」と言いました。

まぁ、年に一度くらいなら行ってもいいかな。そんなに頻繁に行くところではないと思うし。



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家族

別年同日の日記

03年 久しぶりに日記

07年 忙しい


名前 内容

2つの特許の出願日(1971)  2017-03-22 12:57:52  コンピュータ 今日は何の日

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1971年の今日、アメリカで2つの特許が出願されています。


まずは、米国特許番号 3,728,480


「Television gaming and training apparatus」

 テレビ受像機による、ゲーム・訓練装置


出願者は、ラルフ・ベア


彼が、テレビ受像機を、放送を見る以外に使えないか? というアイディアを思い付き、ゲーム機の研究を行ったのが、1967~1968年。

最終的に「Brown BOX」としてまとまります。


これを量産品として販売した Odyssey は 1972年。

発売前に特許を出願したようです。まぁ、普通の判断。


世界で最初のテレビゲームの一つですが、詳細は上のリンク先をお読みください。




もうひとつは、米国特許番号 3,842,194


「Information records and recording/playback systems therefor」

 情報保持、記録/再生のためのシステム


出願者は、RCA の研究者であった、ジョン・クレメンス。


「静電容量ディスク」の特許です。

今では聞きなれない方式ですが、一時期非常に注目され、テレビゲームとも縁が深いです。



1959年には、RCA のトーマス・スタンレーによって「静電容量ディスク」のアイディアが考案されていたそうです。

これは、普通のレコード盤にビデオ信号を記録する、というもの。


レコードは、音…つまり、空気の揺らぎを、レコードの「溝」の揺らぎとして記録します。

しかし、ビデオ信号は音よりももっと周波数の高い「光」の波であり、この方式では記録できません。


光と電気・磁気信号は近いものなので、せめて電気・磁気で信号を記録できれば…というところ。

実際、ビデオテープなどは磁気を使いますし、DVD などはレーザー光線を使い、光で記録を行います。


#DVD は前段階として、デジタルによる信号圧縮も行われているので単純ではないですが。



静電容量ディスクは、レコードのような「ビニール樹脂」が、静電気を溜めやすい性質を利用したものです。

小さな穴を作り、そこに「静電気」を溜めようとすると、穴のサイズによって溜められる量が変わります。


この「静電容量」を信号として取り出せれば、電気的な記録が可能です。

物理的な溝の揺らぎで記録するよりも、高密度で、高速に読み出せる記録が可能でした。


1964 年には RCA で本格的に研究が始まり、1971 年までに技術を確立し、特許が出願されたのです。




アメリカでは、RCA から CED(Capacitance Electronic Disc :電気容量ディスク、の意味)として発売されています。


日本では、この方式をさらに改良した、VHD(Video High Density Disc :高密度ビデオディスク)として 1981年に発売されました。

ちなみに、根本的な部分の改良なので、CED との互換性はありません。



CED では、レコードのように1本のらせん状の溝があり、その溝に従う形で信号記録のための穴があけられていました。

しかし、VHD には溝がありません。完全に平らなディスク上に穴があけられ、読み出し針は自由に動くことができます。


これによって、ランダムアクセス…頭出しが可能なことが VHD の特徴でした。

また、溝がないことから「針が溝を削る」こともなく、摩耗しにくい…ともされましたが、それでも物理的な接触はあるため摩耗します。




ところで、CED/VHD のライバル規格として、レーザーディスク (LD) があります。

フィリップス/MCA が企画したもので、日本ではパイオニア1社のみが製造していました。


こちらは 1978年にはアメリカで発売、1980年に日本で発売しています。


名前の通り、レーザーで読み取ります。接触しないので摩耗はなく、ランダムアクセスも可能です。

ただし、記録時間は LD が30分、VHD が1時間でした。


LD は「両面ディスク」を発売し、1枚で1時間として欠点をカバーしましたが、途中で裏返すという手間が増えます。

(のちに記録方式を拡張し、片面1時間にも対応。)


レーザーという「新技術」を使っていたため、機械が高価なのも普及を妨げていました。



しかし…ここからが、今日の本題。

1983 年、「ドラゴンズレア」が発表となります。


世界初の、レーザーディスクを使用したテレビゲームでした。



まだゼビウスが「最も美しい」テレビゲームだった時代に、ディズニー風のセルアニメで遊ぶゲームは、まさに異次元のものでした。


LD の機械が高価でも、業務用として売れない値段ではありません。

例え 30分しか記録できなくても、業務用ゲームのプレイ時間としては十分です。


そして、すぐに再生画面が切り替えられる、というランダムアクセス性を活かし、操作に成功すればアニメが続き、失敗すればすぐに「やられた」画面を表示するようになっていました。



LD の欠点をカバーし、長所を伸ばす形で応用したゲームにより、LD の存在感を示したのです。




ドラゴンズレアは大ヒットゲームとなり、日本でも、サンダーストーム(DATA EAST)、タイムギャル(TAITO)、バッドランズ(KONAMI)などなど、多数の LD ゲームが発売されます。


#アストロンベルト(SEGA)は微妙な所。

 ドラゴンズレア以前から開発されていた一方、背景を LD に任せただけの普通のシューティングゲームだから。



そして、これらの「家庭用」は、主に VHD で発売されました。

LD よりも VHD のほうが、本体価格が安くて普及していましたから。


#もちろん、LD でも出ましたけど。


ただし、ゲームで遊ぶにはそれなりの設備が必要になります。

主に、テレビとの親和性が重視されたパソコンだった、シャープの X1 と、VHD の開発元であるビクターも製造していた MSX 用にソフトが発売され、パソコンから制御できる機能を持った VHD プレイヤーも必要でした。


参考:VHD サンダーストーム



ランダムアクセスと言っても、読み取りヘッダの移動時間は物理的に必要です。

LD や VHD のゲームでは、特殊なフォーマットで記録を行うことで、こうした「移動時間」を最小にしています。


確か、当時のベーマガで、この技術を説明していました。


VHD は普通らせん状に1本にデータが記録されているのだけど、この「らせん」を2本にする、というもの。

通常映像のすぐ横の溝に、「失敗した時の分岐先」を用意することで、ヘッダの移動時間を最小化するのです。



これ、昔の「ひもを引くとランダムにしゃべる人形」…トイストーリーのウッディみたいなおもちゃで使われていた技術と似ています。

…って書いて判る人はほとんどいないでしょうね (^^;;


ウッディみたいなおもちゃは、中に非常に小さなレコードが入っています。

レコードには普通溝が1本ですが、4つの溝が刻まれていて、ひもを引いてバネを巻いたときに、たまたま針が落ちたところの音声が再生されます。




VHD ゲームは「オリジナルソフト」も多少はあったのですが、VHD ゲームを作るのは手間がかかるため、ほとんどは業務用の移植でした。


ただ、ビクターもパソコンとセットにできる VHD プレイヤー、なんて高価なものを売った以上はソフト供給の責任があるわけで、いろいろ変わり種も発売していました。


ゼビウスの背景が延々と流れるだけのディスク、というのがあったのを覚えています。

通常そんな画面が出るわけはないので、ゼビウスのソフトを書き換えて、わざわざ専用に収録したものだったそうです。



当時、ゼビウスは「移植不可能」と言われていましたが、最大の問題が背景のスクロールでした。

当時のパソコンにはスクロールのハードウェアなんてなかったため、すべてのドットをソフトウェアで書き換える必要があったのです。


ここに、ゼビウスの背景 VHD を垂れ流して、ゲームに関係するキャラクターだけ書けばよいとしたらどうでしょう?

きっとそんなソフトが発売されるに違いない、と思ったのですが…


…出るわけありませんでしたね。

パソコンだけでも高価だった時代、特殊な VHD本体と接続キット、さらにゼビウスの背景 VHD まで買った人しか遊べないゲーム、なんて需要あるわけありませんし。




LD ゲームは、画面はきれいかもしれませんが、その特性上「自由に動く」ようなことは出来ず、画面の指示に従ってタイミングよく操作を行うだけの、覚えるだけのゲームでした。


そのため、あっという間にジャンル自体が廃れます。

1984~1985 のわずかな期間に、ほとんどのゲームが発売されたのではないかな。



ちょっと特殊な所では、1990 年のギャラクシアン3。

あまり LD ゲームとはされません。


セガの「アストロンベルト」と同じで、背景が LD で、その上にキャラクターを重ねて3Dシューティングゲームを行う。

ただ、7年もたっているので技術は格段に上がっていて、背景とキャラクターの間に違和感を感じません。


1990年の、いわゆる「花の万博」で披露されたもので、28人が 360度スクリーンで同時に遊ぶという、大規模なものです。

後に6人で遊べるバージョンが作られ、ゲームセンターに置かれました。


…といっても、これも非常に高価で、置かれた店は限られていましたけど。

(大学の近くにあったので、仲間と一緒に遊びに行きました)


こんな大型機で、しかも LD なんて特殊なものを使っているので、保存しておくのも大変なようです。


2010年に大規模な「LD エミュレーション」を作成するプロジェクトが行われています。


LDプレイヤーが入手困難になっているので、全動画を PC に取り込み、LD 制御信号を解釈するプログラムを作ることで、PC に LD プレイヤーの代わりをさせる、というものでした。


これは、「アーケードゲーム博物館計画」さんの所有物で、年に数回開放しています。

そのタイミングで倉庫に行けば遊ぶことができるそうです。


僕も、昨年秋に友達と遊びに行ってみようと計画していたのですが、残念ながら昨年秋の開放は中止になってしまいました。



#今回「静電容量ディスク」の話のはずが、すっかり脱線してしまいました。



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コンピュータ

今日は何の日

別年同日の日記

03年 久しぶりに日記

07年 忙しい


名前 内容

長男卒業式  2017-03-17 18:04:54  家族

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今日、長男が小学校を卒業した。



もう、感傷にふけるだけの日記なので、人が読んで面白いものではないよ、と最初に断っておきます。


また4月になったら、長男はいつもと同じように学校に通い、ただその先が中学になるだけ。

卒業したから何が変わるというわけではないのだけど、やっぱり一つの区切りではあるわけだ。


平日だから仕事はあったのだけど、午前中だけ休みをもらって式に出席してきた。

長女・次女は今日は自宅学習なので、初めてのお留守番。

(長男と一緒に留守番したことはあるのだけど)



1年生の時、泣いて帰ってきたこともある。

誰かと喧嘩でもしたのかと思ったら、保育園と違う環境で緊張していて、学校がえりにふと気が緩んだら涙が出てきた、というだけだった。


そんな長男も、今では頼もしいお兄ちゃんになった。

6年間というのは子供が成長するのに十分な時間で、その分自分も老けているのだろうと思う。まだ若いつもりだけど。


#このページで PDP-11 とかの話をよく出しているけど、使ったことないよ。

 ファミコン世代ではあるけど。




僕らの頃と違い、今は子供が少ないので、式にも時間の余裕がある。

だから、卒業証書を受け取る前に、1人づつ想いを言葉にする時間がある。


卒業に際し、楽しかった学校生活の思い出を言う子がいる。

育ててくれた親、周囲の大人に感謝を述べる子がいる。

中学に行ったら部活に励む! と頑張りを魅せる子がいる。

遠い将来の夢を語る子がいる。


小学校には、長男が保育園の頃に一緒に通っていた子たちが大勢いる。

僕は子供の送り迎えをしていたので、オムツをしていたころから知っている子たち。


その子たちが、それぞれ全く知らない夢を語るのは、成長を感じた。


サッカー選手、バスケ選手、医者、管理栄養士、ゲームプログラマー…

テニスのコーチとか、宮大工とかとかもいたな。



テニスコーチ、と言ったのは、低学年の頃はゲームが好きでうちの長男と気が合っていたけど、その後サッカー少年になって疎遠になった子。


でも、夢はサッカー選手ではなく、テニス選手でもなく、コーチなんだ。

1年見ないと子供の興味はどんどん変わる。

「コーチ」という変化球だって、彼なりにいろいろ考えて出てきた、今の夢なのだろう。



みんながみんな、夢をかなえられるわけではないだろう。

挫折もあるし、もっと楽しいことを見つけて、夢が変わることだってある。



今の夢とは違う職業に就くかもしれない。もしかしたら、それは意にそぐわない結果かもしれない。

だとしても、常に自分に胸を張って、目の前の仕事を楽しめる、そんな強さを身に着けてくれるといいと思う。




式の後、先生と一緒に記念撮影したり、友達とふざけたりしていた長男、急にこっちに戻ってきて

「おなかすいたから帰ろう!」と元気に言った。


友達と別れを惜しんだりしないのかな、と思ったら、「ほとんど全員同じ中学だから、べつに」とのこと。


まぁ、違う中学に行ったとしても、近所に住んでいるのだから会えないわけでもないしね。



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家族

別年同日の日記

04年 誕生日?

08年 いろいろ書く

08年 下の子入院

11年 自宅待機

11年 「輪番」停電について

12年 windows8

15年 ジョン・バッカスの命日(2007)

15年 手相開発時の技術話(3)


名前 内容

タネンバウム教授(1944) ストールマン(1953) 誕生日  2017-03-16 13:19:11  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、アンドリュー・タネンバウム教授(1944)と、リチャード・ストールマン(1953)の誕生日。


この二人が同じ誕生日、というのはすごい偶然だと思います。


タネンバウム教授は、MINIX の設計者。

MIT の卒業生で、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を得ています。


その後、オランダのアムステルダム自由大学で計算機科学の教授を行っています。

この過程で、学生にコンピューターOSの仕組みを教える教材として、MINIX を設計。1987年に完成させます。


UNIX は、そもそもミニコンピューター(と書くと小さそうですが、パソコン=マイクロコンピューターより巨大なもの)で動くOSでした。

MINIX は、その機能を厳選し、IBM-PC で動くようにしたOSです。


MIT のハッカー風土を知り、バークレー校のBSDを知っている教授が作った、誰でも使える UNIX でした。




と言っても、MINIX は機能を限定した UNIX です。

MINIX でOSの仕組みを学んだリーヌス・トーバルズが、後に「ハイエンドな」IBM-PC で動く、フルセットの UNIX を作ります。


これが現在の Linux

ただし、Linux はOSの一番重要な部分、「カーネル」だけです。

周辺ソフトなどを整え、OSとして使えるようにするには、別のソフト群が必要でした。




話は変わって、リチャード・ストールマン。RMS とも呼ばれます。(ミドルネームは「マシュー」)


ストールマンも MIT の学生でした。ただし、卒業はせず、中退。

MIT のハッカー文化が消えつつあるときの学生で、書籍「ハッカーズ」の中では、最後の章でやっと登場します。

ハッカー最後の生き残りとして。


ハッカーの倫理は、当時のブームであった「ヒッピー文化」に深く根差しています。


誰かが作ったものは、皆で共有されるべき。すべてを公開し、秘密を無くすべき。

金もうけのために働き、稼ぎを自分一人の財産にする、なんていうのは、最も忌むべきことでした。


しかし、学生の時はそのような理想を口にしても、社会人になれば金もうけのために働く必要があります。

ハッカーたちの多くは、MIT 内の「AI研究所」に所属し、政府の助成金で研究をするモラトリアムを送っていましたが、その助成金すらも制限があります。


そして、みな自分たちの技術や知恵を「商品」として、商売をし始めるのです。


特に決定的だったのが、先日も書いた「Lispマシン」でした。

AI研究所では Lisp マシンを開発しましたが、この商品化のために Symbolics 社が作られます。


そして、「金儲けは許さない」とした一派と分裂。

許さないとした一派もLMI (Lisp Machine Inc) という会社を作り、結局は Lisp マシンで商売を始めるのです。


これが、ハッカー文化の終焉でした。



ストールマンはハッカー文化の中心となった人達よりも若く、このどちらの行動も許せませんでした。

…まだ若かったのですね。


そこで MIT を飛び出し、「すべてのコンピューターソフトをフリー(自由、無料)にする」という活動を始めます。


これが GNU 活動。

UNIX の複製品を作り、無料で配布することが当初の目的でした。




OS自体を作るのはなかなか難しいことです。

そこで、GNU は「周辺ソフト」から活動を開始します。


UNIX の標準コマンドは、すべて GNU 製品として用意しました。

一般的な標準コマンドよりも性能が良く、機能が多く、ソースコードも配布され、改造も自由で、無料です。


ソースコードは「Cコンパイラ」で処理すると、コマンドとして使える「実行ファイル」が出来上がります。

このCコンパイラも、GNU 製品で用意しました。


ソースコードの作成には、テキストエディタが必要です。

実は、ストールマンは GNU 活動を始める前から、Emacs というエディタを作っていました

これも GNU 製品として使えるようにします。


UNIX 上では、OSは「カーネル」の部分と、ユーザーが操作を行う「シェル」の部分に分かれます。

このシェルも、従来より高性能なものを作成しました。




とにかく、UNIX のありとあらゆるソフトを無料で使えるように。

ただ、周辺ソフトは全部そろえられても、カーネルだけは作れません。


カーネルというのは、ハードウェアに密着し、その違いを隠す部分です。

上に書いたようなソフトは、そうした「違いが隠された」上で動作するものなので、OSが整っていれば、ある意味どこででも動作します。


しかし、OSのカーネルは、マシンごとに作成しなくてはならず、手間もかかるし泥沼の作業になりやすいのです。




さて、ここで先ほどタネンバウム教授のところで出てきた話に繋がります。


タネンバウム教授の MINIX で勉強したリーヌスが、Linux という新しい UNIX 準拠のOSを作りました。

ただし、カーネルだけで、周辺部分が一切ありません。


ストールマンは、UNIX 準拠のOSを用意しようとして、周辺一式を揃えました。

しかし、カーネルの部分がありません。



この二つを組み合わせれば、UNIX として使えるようになるわけです。

実際、現在の Linux は組み合わせた状態で「配布」されています。



ストールマンとしては、リーヌスの名前を付けた「Linux」という名前でこのセットが呼ばれることを、快く思っていないようです。

GNU/Linux と呼んでほしい、と呼び掛けていますが、あまりこの呼び方をする人はいません。



リーヌスとしては、Linux を GNU のライセンスに従って配布することにしています。

だから、ここでも GNU 製品と呼んでも差し支えないことになる。


もっとも、GNU の考え方も一枚岩ではなくて、GPL の解釈だって、リーヌスとストールマンで違います。


ここら辺、GNU に関してはいろいろな話があるのですが、長くなるのでまたの機会に。



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コンピュータ

今日は何の日

別年同日の日記

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名前 内容

世界最初のドメイン登録(1985)  2017-03-15 11:00:15  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、世界最初のドメイン名が登録された日(1985)


…と言ってしまって良いものかどうか。

一応、この前から「ドメイン名」は存在していました。


ただ、登録機関が作られ、最初に正規の手続きが取られたのは、 SYMBOLICS.COM で、1985年3月15日に登録されているのです。




インターネットは、初期の頃に IPv4 が完成し、IP アドレスを直接使ってコンピューターを指定していました。

しかし、これは覚えにくく、不便です。


そこで、HOSTS.TXT という仕組みが考えられます。

テキストファイルで、IP アドレスとホスト名(コンピューターの名前)の組を書いただけのファイル。


ホスト名を指定すると、自動的に HOSTS.TXT を調べて IP アドレスにアクセスを行います。


この HOSTS.TXT は、マウスの発明者としても知られるダグラス・エンゲルバートが管理していました。


彼はスタンフォード研究所(Stanford Research Institute)に所属していましたが、自分のマシンで、この HOSTS.TXT を FTP 公開していました。

ですから、時々 FTP で最新の HOSTS.TXT を取り出し、自分のマシンに入れる必要があります。


Stanford Research Institute's Network Information Center


「スタンフォード研究所 ネットワーク情報センター」の頭文字をとって、SRI-NIC と呼ばれます。



しかし、このやり方は、1980年代の初頭にはホスト名が数百件を超え、破綻気味でした。


そこで、ポール・モカペトリスが、ホスト名の分散管理を考案します。

Domain Name System …いわゆるDNSです。


1983年11月に構想の概要が公表されています。(RFC882,883)

1984年10月には、ドメイン名の名付け規則が決められます。(RFC920


1987年11月には、プロトコルなどの詳細などが決まって実装されます。(RFC1034,1035



SRI-NIC では、命名規則が決まった後の 1985年にはドメイン名の登録受付を始めています。

そして、現存している「一番最初の登録」が、1985年3月15日登録の、SYMBOLICS.COM なのです。




さて、話としてはこれでおしまい。

でも、折角なので SYMBOLICS.COM について書いておきましょう。



MIT にジョン・マッカーシーという計算機学者がいました。

人工知能の生みの親の一人であり、タイムシェアリングを普及させた人で、Lisp 言語の設計者です。


さて、Lisp という言語、非常にシンプル、かつ強力な処理構造を持ちます。

面白いので紹介したいところなのですが、長くなるのでそれはまたの機会にしましょう。


ここで重要なのは、Lisp は List Processor の略である、ということです。


List 構造は、プログラマーならご存知かもしれません。

1つのデータの塊に、次のデータの塊への「ポインタ」を用意し、次々繋げていくデータ形式です。

データを移動したい際に、実際のメモリ上から動かす必要はなく、ポインタのつなぎ変えだけで済む、という利点があります。


Lisp は List Processor なので、すべて…データだけでなく、プログラムもこの List 構造で作られています。


さらに詳細にいえば、Lisp では、ポインタのつなぎ方がすべて二進木になっています。

ポインタの2つ組みが非常に重要なのです。




さて、Lisp は非常に柔軟なデータ形式を持っているのですが、そのぶん処理は遅いです。


たとえば、Lisp では整数型と浮動小数点型の数値は区別はされていますが、問題なく加算できます。

これ、今の言語では当たり前ですが、当時としては画期的なこと。

代償として、加算の前に「型チェック」や、必要なら「型の変換」が必要になるので、速度が遅いです。


そこで、Lisp 処理に特化したコンピューターが、MIT で開発されました。

後に多くのメーカーがこの市場に参入し、一般に「Lisp マシン」と呼ばれます。


Lisp マシンでは、word を保持するのに必要なメモリよりも若干大きめのビット数を確保してあって、データと型を一緒に保持していたりします。(タグ付きアーキテクチャ)

これにより、ハードウェアが型チェック・変換をサポートし、速度の低下を抑えます。



先に書きましたが、List 処理では「ポインタ」の操作が非常に多いです。

Lisp マシンでは、型の一つとしてポインタを持っていて、データを読んだ時に「次のメモリ」を参照すると、自動的にポインタの示す先に進んだりもします。


アドレスの概念がハードウェア的に隠蔽されているのです。


#Lisp マシンは Lisp を効率よく実行できるようにはなっていますが、他の言語、例えばCだって動かせます。

 しかし、アドレスを持たないため、「ポインタ」概念は混乱があります




やっと今日の話に戻れます。

世界最古のドメイン、SYMBOLICS.COM を取得した Symbolics は、MIT で開発された Lisp マシンを商用で販売する会社です。


実際には MIT の研究所内で活動し、その代償として成果は MIT に無償提供されました。

つまるところ、商用販売するから組織を分けただけで、実体は MIT の人工知能研究所なのですね。


ちなみに、現在はこのドメインは売却され、ドメイン名管理会社が所有しています。

「最古のドメイン」を知らせるページが設置されていますが、その会社の宣伝を兼ねているのでしょうね。



ところで、Symbolics のキーボードは…なんというか、とても個性的です。


画像は、Retro Computing Societyから引用させてもらっています。

クリックすると別ウィンドウで同じ画像を開くので、細部まで拡大してご覧ください。


このキーボード、「Space Cadet Keyboard」と呼ばれます。


Cadet というのは「士官候補生」の意味。

このキーボードを使う君は、将来宇宙で活躍するヒーローの候補だ! ってことですかね。

SF映画に出てくる、すごい装置っぽさはあるよね。



キーボードには謎の記号がいっぱいついています。

∞⊂∀∂みたいな数学記号はまだいいとして、👍👎👈👉とかありますからね。


Shift や Ctrl に当たるような修飾キーにも、「SUPER」「HYPER」「GREEK」とか、いっぱいある。


注目すべきは「META」かな。これ、Emacs ユーザーなら知っている「METAキー」の本物です。

今のキーボードでは ESC で代用するのが普通だけど。



このキーボード、{ } …いわゆる「弓括弧」もある。

以前、弓括弧が使えた最初のマシンはどれか、という調査をやったのだけど、その時にこのキーボードを発見して「すごい!」って思いました。


リンク先に書いてあるけど、MIT の Lincoln Keybord も数学記号とか { } とか入れてあるんだよね。

Symbolics も、先に書いたように実態は MIT の人工知能研究室です。同じような記号が使えるのは、多分関係あるんじゃないかな。




ドメイン名を登録開始した 1985年中には、5つのドメインしか登録されていません。

2番目は bbn.com。これも MIT と関係の深い、初期のインターネットを形作った企業です。


続いて、think.com mcc.com dec.com …やっぱり、全部 MIT と関連のある企業。


5番目の northrop.com が、やっと関連のない企業(航空機製造業)です。

でも、空軍がらみの企業だよね。MIT って、空軍や航空業界ともつながりがあるので、やっぱその関係かも。



ドメイン登録は SRI の仕事でしたが、SRI 自体は 1986年になってから、7番目に登録しています。

6番目は Xerox 、8番目は Hewlett-Packard。1986年は、シリコンバレー企業が続々登録しています



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江の島再発見  2017-03-13 11:43:44  家族

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小6の長男は、ここのところ卒業準備で忙しいらしい。

週末になっても「なんか疲れたー」と言っているので、体を休めようと外出は控えていた


でも先日、「最近どこも行ってないから、山歩きとかしたいなー」とポツリ。


で、先週末の金曜日の夕食時、「そろそろやること全部終わって楽になってきた」と言っていたので、急遽どこかに行こうと考えた。


でも、本当に急なので、長男の希望していたような「山歩き」とかは計画する時間が無い。



話は変わるが、「南鎌倉高校女子自転車部」というテレビアニメがある。

深夜帯で現在放映中だけど、鎌倉の名所がいろいろ出てくるので家族で是非見てください、と鎌倉市長も宣伝していた。


折角なので録画して子供と見ているのだけど、先日江の島の灯台(シーキャンドル)が出ていた。


次女が、「友達がここ行ったけど怖かったって」と言う。


いや、次女も行ったことあるのだけど、まだ1歳だったから覚えてないね、というと、長女も覚えておらず、長男も記憶がおぼろげなようだ。


「行ってみたい」とリクエストが出ていた。



この二つの話があわさり、江の島に行こう、ということになった。




江の島は何度も行っているのだけど、一番裏手にある「岩屋」にはまだ行ったことがない。


江の島って楽しいところで、朝から行っても楽しんでいると途中で日が暮れてしまうのよ。

最深部までなかなかたどり着けない。


まぁ、そんなことは江の島側でもわかっているので、江の島にわたる橋のところから船も出ている。

大人 400円、子供 200円で岩屋まで連れて行ってくれる。


ただし、風が強い日は欠航。

以前、岩屋に行こうと思ったのだけど欠航で断念したことがある。


11日土曜日は風も凪いでいた。

(朝のラジオ番組では、サーフィンには今日は向かない、と言っていた)



10時に家を出て、大船駅からモノレール。

モノレール駅から江の島までは歩き…なのだけど、途中道端で「エイのから揚げ」を売っていた。

妻が食べたいというので買おうとすると、長女はアジの串焼きに興味を示す。両方買う。


特に凝った料理ではないが、朝採れの魚を使っているというだけで旨い。


船に乗り、江の島についたのは11時半ごろ。




裏手に行ったらすぐ岩屋があるのかと思ったら、そんなことはなくて岩場をしばらく歩く。

ちゃんと岩場の中にコンクリートで道が作ってあるのだけど、子供たちは潮だまりが気になって道を逸れる。


いや、これうちだけではないし、子供だけではない。

多くの大人が周囲を楽しんでいるし、潮だまりをのぞき込んでいる。

ただの潮だまりに過ぎないけど、浅いのも深いのもあり、海藻が生えていたり藤壺がびっしりだったり、非常に表情豊かで楽しいんだ。


岩場と海の間には、海にわずかに繋がっているのだけど、プールになっているような場所がある。

ここの波の動きがまた面白い。うねる波の周期が少しずれ、つながっている水なのに、水面の高さが違うんだ。


#わかる人向けに書けば、わずかしか繋がっていないことで微分回路が形成され、波が 1/4 周期ずれている。



楽しみながら進み、岩屋につく。ここは別料金なのだけど、今日は子供無料だという。(大人は 500円)


全く気付いていなかったのだけど、この土日は「江の島春まつり」というイベントをやっていたらしい。


そういえば、岩屋の入り口前で、大声測定大会やっていた。

これも祭りの一環だったらしいのだけど、91ホンだった。それまでの最高記録は 92ホン。

わずかに届かなかったのが悔しい。




初めてみた岩屋は、なかなか興味深いものだった。


波の浸食により作られた、奥深い洞窟。

昔から江の島は島全体が神社になっていて、江戸頃には観光地として栄えている。


でも、その起源は、この岩屋が 552 年に発見されたことに遡るらしい。



江の島ってそもそも特殊な地形で、今は橋がかけられていていつでも行けるのだけど、昔は年に2回だけ、大潮で海が大きく引いた時だけ歩いて渡れた。

そんな島に自然にできた非常に深い洞窟があれば、なにか神秘的なものを感じるのもわかる気がする。


岩屋は宗教遺構で、中には石仏などが並んでいる。

それほど出来は良くない。だからこそ、仏師などが彫ったのではなく、修行の一環として修行僧が掘ったのだろうとわかる。


江の島は富士山麓の氷穴や風穴に繋がっている…という言い伝えがある。

まぁ、これは眉唾だと思うのだけど、富士山がよく見える江の島近辺で地底に続く深い穴を見たら、富士山周辺にも深い穴が多いことを知っている人にとっては不思議に思えたのではないかと思う。


関東大震災の際には、富士山が噴火した、江の島が沈んだ、というデマも信じられた。

これも、こうした「繋がっている」と信じられた話と無関係ではないだろう。


#注釈:

 この日記を書くにあたって調べたら、伝承によれば、552年に地中から急に島が出てきたことになっている。

 でも、縄文時代の遺跡が見つかったりもしているので、これは事実ではない。


 また、1215年の地震で江の島に歩いて渡れるようになった、という記録もあるが、おそらくは地震による隆起で、「大潮でもないのに」歩いて渡れる状態になったのだろう。

 地形的に、年に2回歩いて渡れる、というのはそれ以前からあったはず。

 (典型的なトンボロなので、隆起による一時的な状況変化はともかく、大潮の日に歩ける、という状態は安定している)




現在は第2岩屋、というものもある。


いや、たくさんの洞穴が、鉄格子をはめて閉鎖されているのが見えるから、本来「第2」どころではなくたくさんあったのだろう。

でも、昔落石事故があり、危険だから全部閉鎖されたらしい。


その後、第1、第2と名付けられた2つの岩屋だけ、整備して再開。


…で、この第2岩屋は、宗教的な聖域と感じられた第1とは大きく変わって、俗っぽい。

大きな龍神の置物があり、ライトアップされている。


伝説…この龍神の「いわれ」を書いた説明もあるのだが、今の腰越は昔「子死越」と書かれ、荒ぶる龍に子供の生贄をささげた場所だったのだけど、江の島の弁天様それを沈めた、とか。


この伝説、少なくとも 1777 年にはあったようです。この伝説をモチーフにした筝曲が作られているそうなので。


でも、観光地化してから適当に作られた伝説のように思います。

小夜の中山 夜泣石と同じようなテイストを感じるから。



で、ご本尊(?)のライトアップされた龍神像ですが、前で手を叩くと、後光(背後の岩壁へのフラッシュ光)が出ます。

2回たたいて2回光れば恋愛成就の可能性が非常に高いそうです。


霊験あらたかな音感センサー、すごいな。




岩屋を出たときにはもう1時近く。

どこかで昼ごはん食べよう、というのですが、子供は潮だまりで遊びたがります。


潮だまり付近はトンビがたくさんいるので、そこでお弁当広げるわけにもいかない。

じゃぁ遊び終わってからどこかで食べよう…とおもったら、次女が早速水に片足突っ込みます。


裸足にさせて靴を乾かしながら「落ちないように気を付けて」と長男長女にもいうのですが、言ってるそばから長男も落ちる。

これを見て、長女は落ちる前に裸足になりました。

万が一落ちても靴をぬらさないように。(長女は結局落ちることはありませんでした)




30分ほど遊んで…というか、少しでも靴を乾かそうと努力しましたが「無理」と悟ったので、子供たちに次に行こうと呼びかけます。

ここにきて「おなかすいたー」の大合唱だけど、ここで食べることはできないので、食べられそうなところを探しつつ先へ進みます。



結局、奥津宮近辺でお弁当を広げます。


このあたりも、来たことのなかったところ。

小さな神社がたくさん並んでいます。


江の島神社は江戸から昭和初期にかけてとても人気のあった神社なのですが、そもそも神社って江戸時代の遊園地、みんなが行きたがる人気スポットだからね。


江の島は島が丸ごと神社であると同時に、そこに小さな神社をたくさん立てて、ここ1カ所に来るだけでたくさんの神様にお参りできるようになっていました。

江戸から手ごろな距離だし、人気が出ないわけがない。


奥津の宮にある手水鉢も、江戸時代に寄進されたものだそうです。

そのころすでに人気があって、そこに自分の名を残そうとした人がいる、ということ。

手水鉢の上には亀の像が載っているのですが、これは昭和54年に寄進されたもの。結構新しい。


昔の大きな神社が皆そうであるように、寄進されたものがたくさんあります。

信心深い、というのはある意味その通りなのですが、必ず寄進者の名前が記されるので、そちらが目当ての人もいたでしょうね。




お腹も満たされたところで、灯台に向かいます。

…が、その前に貝広物産によります。


「世界の貝の博物館」って昔からやっていて有名な所。

…なのですが、少し規模縮小したみたい。


以前、子供とビーチコーミングをしたことがありました。

それ以来、長女と次女が貝殻を集めているのです。

図鑑も買いましたし、科学館で貝の専門家の講演を聞いたりもしました。


で、喜ぶだろうと思ったら、売っている綺麗な貝を見て「買いたい」と言い出しました。

自分のお小遣いの範囲で…ということでOKを出すと、真剣に悩んでいる。


次女は、桜貝とタツノオトシゴ、サンゴを飾った小さなセットの箱。400円。

…これ、この店のオリジナルですか? と聞いたら、オリジナルだそうです。

うちの姉が持っていた覚えがあるので、この店で買ったんだろうな。


長女は奮発して、ヒオウギ貝の3色セット。1300円。

お小遣いは足りているけど、千円を超えるような買い物は初めてで、すごくドキドキしている。


ヒオウギ貝は南洋の貝で、見た目はホタテに似ていますが、非常にきれいな色の貝殻を作ります。

ただ、生育過程でいろんな色が出るので、まだらになってしまったりするのが普通。

綺麗な単色の貝殻はそれだけで価値がありますが、その色違いの3色セット、というのは高いのも道理。




店の中に瓶サイダーを売っていました。綺麗な黄色。

「江の島サイダー GOLD」とラベルに書いてあります。


長男がこれを見つけ、興味を持った。


そしたら、店主のおじさんが「興味あるなら、直接買ってあげれば喜ぶよ」と。

ラベルに「江の島さんぽちゃん」というかわいいキャラクターが書かれていたのですが、店の前にそのコスプレをした女性がいました。


…いや、女性の格好が「オリジナル」で、それをかわいく描いたのがラベル、なのだそうです。

店の前を借りて、グッズ販売などしているのでした。


じゃぁ、サイダーを買い、折角なので子供と写真撮影させてもらいます。


綺麗な黄色をしているのは、「湘南ゴールド」という柑橘の果汁が入っているから。


最近ではよく耳にするようになった品種なのですが、まだ無名だったころに実物を食べたことがあります。

(農業試験場でもある、「ソレイユの丘」で売っていて、試食を食べたらすごくおいしかったので購入)


で、サイダーの方の味は、特に湘南ゴールドらしさは感じませんでした。

果汁は 3% だけだからね。




サムエル・コッキング苑に入る。ここも子供無料。ただし、灯台は有料。


3時過ぎだったのでベンチで持参したおやつなど食べつつ、シーキャンドル(灯台)に向かいます。


友達に「怖い」と聞いていた次女は、ちょっと不安がってる。

でも、上に登ったらガラス張りで、別にそれほど怖くはない、とわかったみたい。


この灯台、建て替え前は怖かったんですよ。

錆びかけた鉄塔で、床は木の板を敷き詰めて作ってあるのだけど、古いから木がやせて隙間が空き、ところどころ真下が見えるの…


いや、その怖さは遊園地とかの「安全の保障された怖さ」ではありませんでした。



で、今の灯台ですが、内部2層構造です。


下層はガラス張りで怖くないけど、上層に上ると、周囲は柵だけ。見晴らしもいい。

この日は風がないからそれほど怖くありませんでしたが、風が強いときは閉鎖されています。


見終わったら「階段で降りてみたい」と子供たちが言うので、挑戦してみます。

こちらは僕も初めて。大きならせん階段ですが、柵の外は下まで吹き抜けで、ポケットとかのもの落したら大変だな、と思うとちょっと怖いです。


まぁ、難なく下まで降りられましたけど。




サムエル・コッキング苑を出ると、前の広場で大道芸やってました。


時間はもう4時半近く。この日最後の人で、すでに終盤でした。

大道芸は好きなので見たかったけど、今日は岩屋と灯台を見る目的で来たので、仕方がない。


大道芸は好きでよく見るのだけど、好きだからこそ、「芸」のバリエーションがある程度限られてしまうことも知っています。

どこかで見たことのある芸が中心で、先の展開もわかります。


ただ、だから面白くない、ということではないのね。

落語みたいなもので、同じことをやっていても、面白くて周囲を引き込む人もいれば、一人で空回りする人もいる。


見ていた人は、上手く周囲を引き込んでいました。すごく面白かった。

知っている芸とは言っても、それが非常に難しいことはよくわかるしね。

(少なくとも僕にはできないわけで)


終わってからおひねり出しましたけど、さすがに「畳んで」はいけなかった。

最初から見ていたら、それくらい出しても良かったけど。


子供がみんな持って行きたがったので、 50円x3 、それと僕から 500円です。




江の島を橋の方向に降りつつ、いつもなら最初にお参りする神社群をめぐります。

神社もいっぱいあるけど、石碑だけとか、小さな祠だけのものもいっぱいあるのね。


猿田彦様もいるし、秋葉様もいる。


節操がない、ともいえますが、やっぱり遊園地としてはよくできているなぁ、と思います。

その上、ご本尊の弁天様は裸です。大事なところはちゃんと琵琶で隠しているのだけど、江戸時代ならこの弁天像目当てで来る人だってたくさんいたでしょうね。



たしかこのあたりだと思うのだけど、水琴窟がありました。


水琴窟、好きなんだよね。

手水鉢の水で手を洗うと、その水がしたたり落ちる音が地面の下の共鳴装置で響いて、かすかに美しい音を立てる…というしくみです。


これがね、近づくと龍の形の吐水口から水が出始める。

思わず立ち止まって周囲を見回してしましました。


近づくと水が出始める水琴窟。

さすがは神様のいるところ。不思議一杯のワンダーランドです。


霊験あらたかな音感センサーに引き続き、霊験あらたかな赤外線センサー。


ここにきて、「神社は江戸時代の遊園地」だった、という考えが改まります。

今でも遊園地です。神社は聖域なんかではなく、突っ込み入れながら楽しむところ。


すごーい! たーのしー!



銭洗いの池なんてのもありました。

中央に、非常にきれいな…真新しい感じの竜の像が立っている。


ここの水でお金を洗うといいことがあるそうです。

…銭洗い弁天だよね。まぁ、同じ弁天様だけど。


茅の輪くぐりがありました。

本当は作法があるはずなのだけど、ただくぐればいいことになっている。


そもそも、茅(ちがや)が6月に取れるのでその季節にやるものなのに、今の季節に置いてある。

たぶん1年じゅう置いてあるのだろうね。茅が入手できないから、緑のビニールロープで編んであるし。


くぐることで穢れを落とせる、霊験あらたかなビニールロープです。



福石、という謎の石碑があるので、説明を読んだところ、鍼灸の技法のひとつである管針を考案した人が、ここで躓いた石だという。


転んで気絶して、夢の中で見たことがヒントになって管針を考案した、とか。


気絶するほどの転倒をした石って、福なのかな。

そもそも、石碑はあってもどれがその「躓いた」石だか判らない。



こういうの、全部ひっくるめて、すごーい、って言っていると楽しめます。


#dis っているのではない。

 有名な神社だからとお高くとまらず、ウケるなら何でも取り入れてきた、数百年の歴史を見るのが本当に楽しかった。



#注釈:

 歩いていた時は銭洗いの池に突っ込みを入れたのだけど、こちらはこちらで由緒あるものでした。

 もともと岩屋洞窟内の湧水で銭を洗う、という習慣があったのだけど、岩屋が閉鎖された時期に移転したのだとか。


 もっとも、岩屋内で銭を洗う、ということ自体が、銭洗い弁天の模倣にも思えます。

 銭洗い弁天は 1185が縁起で、その時点から「銭洗い」と関連がある。


 一方、江の島は縁起こそ古いものの、観光地化したのは江戸後期。

 岩屋はもともと修行の場で、銭を洗う、というような俗な行為は観光地化後と考えられます。




あとはお土産に干物とか買いつつ、江の島を後にします。


もう日没直後ですが、「貝拾いたい」と長女が言うので、周囲が暗くなるまで砂浜で貝を拾います。


さっき桜貝買ったけど、大量に落ちていたよ。

でも、僕が子供の頃に比べて、桜貝を見かけなくなったのは事実なんだよね。


(これは、講演会を聞いた貝の専門家のデータ裏付けもあります)


環境破壊…かどうかはともかく、生育状況が変わっているのは事実のようで。



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