ぜんぜん日々更新ではない日記です

まぁ、ぼちぼちやっていきます。
このページは最新7日分で、逆順(最新が上)で並んでいます。
過去のものはヘッダ部分のリンクから選べます。

目次

2019-03-19 ジャングルウォーズ2 発売日(1993)
2019-03-18 COMPET CS-10A 発表日(1964)
2019-03-13 デヴィッド・カトラー誕生日(1942)
2019-03-11 イグニス 6か月点検
2019-02-28 どんどん壊れる
2019-02-25 2D-APT II 発表 (1959)
2019-02-25 故障からの復旧
 今月の日記
ジャングルウォーズ2 発売日(1993)  2019-03-19 13:52:45  コンピュータ 今日は何の日

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今日、3月19日は、スーパーファミコン用ゲーム、「ジャングルウォーズ2」の発売日(1993)


普段は個別のゲームの発売日なんて取り上げないのですが、今日はちょっと特別。

僕がアルバイトでお手伝いして、スタッフロールに名前を入れてもらったゲームなので。


市販の…広く一般流通したゲームに名前を入れてもらったのは、初めてでした。


#これより前に、個人作成した X68k 用ソフト、「コメット」を全国販売してもらっているのだけど。



もっとも、雑用レベルで「お手伝いした」だけなんですけど。

スタッフロールでは、サブプログラマ扱いで入れてもらっていたはず。


そして、当時(というか今でも)僕はスーパーファミコンを持っていないので、せっかく名前を入れてもらったのに遊んだことがありません。



大ヒットゲームではありませんが、遊んだ人が口をそろえて「いいゲームだった」という程度には、良作だったようです。




せっかくなので裏話。

伝聞ばかりで申し訳ないけど、当時アルバイトしていただけなので深いことはわかりません。



マップデータとか、とても ROM に入りきらない広いもので、圧縮して入れてあるそうですよ。

メインプログラマの人が、ハフマン符号使って圧縮している、と言っていました。


ハフマン符号を使うと、任意の位置のマップデータをすぐに取り出すのは難しいわけですが、マップ全体データを荒く区切って、「代表的な位置」を示すポインタを持っている、と言っていたと思います。


任意の位置のマップデータが欲しい場合、近い位置のポインタから展開を始めて、目的のデータを取得します。


…ポインタがかなりの数になって、データは圧縮したけどそれほどメモリ効率は良くない、と言っていた気がします。




このゲームの BGM 、ジャングルっぽい雰囲気で、打楽器を中心とした音楽になっています。


最初は、打楽器をサンプリングして、それで音楽を作ろうとした…のですが、打楽器ってホワイトノイズに近い周波数成分のものが多くて、音階を出そうとしても出ない。


そこで、低いベースの音と打楽器の音を重ねることで、打楽器っぽいまま音階が出るようにしたのではなかったかな。


メインプログラマーの人は、もともと音楽好きが転じてサウンドプログラマーもやっていた人で、この「音作り」もメインプログラマーの手によるものだったはずです。

その音を使って楽曲を作るのは、別の人に任せていましたけど。




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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

COMPET CS-10A 発表日(1964)  2019-03-18 18:01:55  今日は何の日

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今日、3月18日は、COMPET CS-10A の発表日(1964)


世界初の、オールトランジスタ計算機です。

開発は早川電機工業。現在のシャープです。




当時は、まだタイガー計算機が当たり前に使われていた時代。

モーターで歯車を回すタイガー計算機もありましたが、「電気計算機」と言えばそんな感じ。


しかし、今回の話の主役である CS-10A の少し前に、歯車を使わない、純粋な電気計算機が登場しています。

樫尾製作所(現在のカシオ計算機)製の、カシオ 14-A でした(1957)。


14-A では、リレー素子を使って計算を行います


なので、「電気」計算機ではありますが、「電子」計算機ではありません。

物理的な動作が伴うのです。

とはいえ、歯車よりは、はるかに高速。


サイズも、机ほどの大きさがありました。

というか、わざと机型にしてあり、書類などを上に置いて事務を行うようになっています。



この後も、カシオは次々と計算機を開発します。

タイプライタと連動し、計算結果を表として出力できる機械(TUC 1961)や、計算手順を交換可能な専用歯車としてプログラムできる機械(AL-1 1962)など、日本の計算機業界をリードします。




1963 年、イギリスで「アニタマーク8 (Anita mark8)」という計算機が登場します。


物理動作を伴うリレーではなく、純粋に電気の流れのみで計算を行える真空管式の計算機でした。

特筆すべきはその大きさで、机の上に置けるサイズでした。電子卓上計算機、現在でいう「電卓」です。


#もっとも、当時から電卓と呼ばれていたわけではありません。


日本でも数社が、この計算機を購入し、分解して構造を調べたそうです。

そして、翌年のビジネスショーでは、いくつもの電卓が「発表」されます。



まず、ビジネスショーの前に新聞紙上で発表したのが、早川電機とソニー。

共に、1964年の 3月 18日でした。


シャープは開発中の5号機、「MD-5」を発表しています。

ただし、シャープはまだ開発中で、他社がビジネスショーで電卓を発表するという噂を聞いて、牽制のために新聞発表しただけでした。


今日の話の主役、CS-10A は、開発は終わり、量産段階に入っていました。

実際、夏には発売されています。日本初の電卓であると同時に、世界初のオールトランジスタ電卓でした。




そのほか、キャノンカメラ(現在のキャノン)は、キャノーラ 130を発表しています。


カメラのレンズ設計は、非常に計算の多い作業です。

日本初のコンピューターである、FUJIC も、富士写真フィルムが社内で使用するために開発したものでした。


キャノーラ 130も、社内向けの開発で、開発自体は前年の夏には終わっていました。

しかし、社内用に使うための開発で、市販の意思はありませんでした。


それを、「電機メーカーがこぞって電卓を発表するらしい」という噂を聞きつけ、同時発表になったものです。



大井電気は、アレフゼロ 101 を発表しています。

パラメトロンを使った電卓でした。


パラメトロンは、日本人後藤英一さんの発明による、計算可能な電子素子です。

トランジスタよりもはるかに安く作れ、安定性も高かったため、一時期は国産コンピューターに多く採用されていました。


しかし、急に高性能化するトランジスタに追いつけず、コンピューターでもすぐに使われなくなります。

計算機も同じで、アレフゼロはあまり受け入れられずに消えていきます。




シャープ、ソニー、キャノン、大井電気と、4社から一斉に電卓が発表されたのが、1964年でした。

後に言われる「電卓戦争」が緩やかに始まった年です。



シャープの CS-10A は、この4社の開発のきっかけとなった「アニタマーク8」によく似ています。


キーは、1桁ごとに 0~9 が並んでいます。

10桁の入力が可能なので、数字だけでキーが 100個も並んでいるのです。


他の4社は、テンキー入力でした。

カシオが開発した入力方式で…つまり、今の電卓と同じ形式です。



出力は、キャノン以外はニキシー管でした。

ガラス管にフィラメントを封入した真空管の一種ですが、フィラメントを数字型に成型してあり、10本のフィラメントが入っているために数字1桁を表示できます。


ニキシー管は、真空管なので高い電圧を必要とします。

結果として、消費電力が大きいのが欠点でした。


そこで、キャノンは、アクリル板に横から光を当てて数字を表示する、という方式を採用しています。


アクリル板に、点描するようにくぼみを空けて、数字を描きます。これを 0~9まで重ねて配置します。


アクリル板に横から光を当てると、光は板の表面で反射し、中に閉じ込められるように進みます。

しかし、くぼみからは光が漏れ、正面からは光っているように見えるのです。


光学メーカーである、キャノンならではの発想でした。




さて、4社の発表を受け、「計算機の覇者」であったカシオも、社内的にトランジスタ計算機を試作していることを、慌てて開示します。

開発中でまともに動かない機械ではあったものの、その後開発に力を入れ、翌年には正式な発表にこぎつけます。


さらに、日本計算機(後のビジコン)からも、1966年にビジコン 161 が発表になります。


さらに、ソニーが MD-5 を改良し、SOBAX ICC-5500 として発売したのは、1967年でした。


この6社で、激しい争いが繰り広げられることになり、日本の電卓はあっという間に高性能・低価格化していきます。


最初の CS-10A は、53万5千円でした。

当時は会社の部長決済では、50万円までの買い物ができるのが普通だったそうで、50万円を切るのが目標額でした。


実際には目標額を達成できなかったわけですが、何かと理由をつけて1割引きにすれば部長決済で購入してもらえる、というぎりぎりの値段だったようです。


#ちなみに、当時の自動車もこの程度の金額だったそうです。



ちなみに、カシオの 14-A は、48万5千円。

この時すでに「古い機械」になっていますが、まだ販売は続いていたようです。

シャープの値段は、高速・小型なのだから高くても売れる、という強気の設定でもあります。




先に書いたように、カシオが翌年に発表した電卓は、38万円でした。


さらに、ビジコンは29万8千円。

急に値段が下がりすぎたため、「ダンピングではないか」と疑われ、業界他社からいろいろな圧力がかかったようです。


ここに、電卓戦争が本格化します。

ソニー、大井電気、キャノンは、激しい競争になったため、早々に撤退しました。




この後、電卓の性能競争の中で、計算回路を効率よく作るアイディアが次々出され、ついには世界初の「CPU」のアイディアにまでこぎつけます。

そう、CPU は、日本の電卓戦争が生み出したものなのです。


この話は以前に書いていますので、興味があればお読みください。





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デヴィッド・カトラー誕生日(1942)  2019-03-13 16:11:17  コンピュータ 今日は何の日

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今日3月13日は、デヴィッド・カトラーの誕生日(1942)。


伝説級の OS 開発者です。

かなりの変人らしいです。


彼のことを知るには「闘うプログラマー」を読むのが一番良いようなのですが、恥ずかしながら読んでおりません。

なので、彼自身については語れるほどの知識を持っておりません。


とはいえ、せっかくなので、ネット上で知りえる程度の話を、僕の得意な技術方面を中心として、まとめておきます。




まず、彼が手掛けた最初の OS から。

DEC で PDP-11 用の、RSX-11M というリアルタイム OS を開発したそうです。


…DEC PDP-11 から説明したほうがよさそうです。



DEC は PDP シリーズという「ミニコンピューター」を作っていました。


当時、コンピューターと言えば UNIVAC 。そして、IBM。

特に IBM は、プログラムや操作を行う「オペレーター」の派遣とセットで販売しており、コンピューターは自分で扱うものではありませんでした。


それを、あえて「自分でプログラムしてよいコンピューター」として販売したのが、PDP-1 に始まる PDP シリーズです。



ところが、PDP シリーズは、開発開始順に番号がつけられています。

それとは別に、大きく分けて3系統のシリーズがあります。


つまり、数字とシリーズに関連性がなく、非常にわかりにくいです。


PDP-1 は、18bit コンピューターでした。

18bit って、今見るとすごく中途半端に見えますが、当時は UNIVAC も IBM も 36bit で、安くするためにその半分サイズにしたものです。



PDP-7 は、最初の UNIX が作られたことで有名な機械ですが、18bit のシリーズでした。

そして、このシリーズの最後は PDP-15 。


他に、12bit と 36bit のシリーズがあるのですが、突然変異のように一台だけ、16bit の機械があります。

それが、PDP-11 。最終的に、PDP の中で一番売れた機種です。


PDP-11 は、それまでの開発経験をもとに、使いやすくなるように1から再設計を行ったマシンです。

このため、CPU の命令などが非常にわかりやすく、以降の多くの CPU のお手本となりました。


当初 PDP-7 で作られた UNIX も、のちに PDP-11 に移植され、大きく発展しています。




さて、PDP-15 で、RSX-15 というリアルタイム OS が作られます。

…リアルタイム OS 、というのも聞きなれない人も多いと思います。


普段使われている、Windows や Mac OS X 、Linux などは、複数のプログラムを同時に動かせます。

これは、1つのプログラムを少し実行したら、途中結果を保存して別のプログラムを少し動かして…という操作を、行っています。


CPU が十分に速ければ、同時に複数のプログラムが動いているように見えますが、基本的には、1つのプログラムから見れば「一定時間ごとに処理のタイミングが来る」ようになっています。



しかし、世の中には、わずかな遅れも許されないような処理内容もあります。


たとえば、コンピューターにセンサーをつなぎ、何かの状態を監視しているとしましょう。

この監視内容に基づき処理を行う必要があるのですが、「処理」に時間がかかったとしても、監視をおろそかにしてはなりません。


しかし、その「監視」よりも重要な作業もあり、非常停止キーが押された場合には、速やかに停止状態に移行しなくてはならない…など。


こうした場合には、Windows のような「一定時間ごとに順番に処理する」やり方では問題が出ます。


プログラムごとに、どの処理がより優先されるか、絶対に間に合わせないといけない「締め切り時間」などを指示する仕組みを作り、OS はこうした情報を基にプログラムに処理時間を割り当てます。

こうした OS を、リアルタイム OS と呼びます。




さて、その RSX-15 を、大ヒットマシンである PDP-11 に移植したものが、RSX-11 です。


RSX-11 は、派生バージョンが多数作られています。

まず、最初は紙テープからロードして使用される、RSX-11A。

シングルユーザーの OS でした。


これを拡張し、ディスクにアクセス可能とした B。


さらに、単にアクセス可能なだけでなく、ディスクから起動し、ディスクを前提とした D。

D は、マルチユーザーの OS に変化しています。複数人数が同時にコンピューターを使えるのです。


ところで、PDP-11 はアドレスも 16bit で、64Kbyte のメモリ空間しか持ちません。

当時としては複雑なディスク装置を扱う機能を持ちながら、複数人数が同時にアプリケーションを実行できる、という OS を、64Kbyte のメモリで実現していたことに驚きます。


#注:PDP-11 は大ヒットマシンで、改良版も多数作られました。

 このため、のちには 4Mbyte のメモリを搭載する機械もあります。



しかし、当時はメモリの値段が高く、実際に販売された PDP-11 には、搭載可能なメモリ量の半分しか搭載していない、32Kbyte しかないマシンが多数ありました。


RSX-11D を、32Kbyte でも動作させる…半ば無謀ともいえる派生バージョンが、RSX-11M です。

カトラーは、この RSX-11M の開発を指揮しています。


RSX-11M は開発に成功しました。1974 年に最初のバージョンがリリースされています。


D と同じ機能を持ち、より小さなメモリで動作するのですから、これ以降 D は使われなくなります。

M は、RSX-11 の中心バージョンとなり、1993年まで バージョンアップが続けられています。




僕は残念ながら PDP-11 を触ったことはなく、当然 RSX-11 のバージョンごとの違いも知らないのですが、Wikipedia によれば「洗練された半自動オーバーレイシステムを使用している」そうです。


オーバーレイというのは、プログラムを実行する際に、同時に実行される必要のない個別処理にプログラムを分割し、現在必要なプログラムだけをメモリに置く方法です。


こうすることで非常に小さなメモリでプログラムを動かせるのだけど、その処理の必要上、ディスクのようなランダムアクセスメディアが必要になります。

おそらくは RSX-11A から持っている機能ではなく、せいぜい D、おそらくはメモリが不足した M からつけられた機能なのでしょう。



普通は、オーバーレイするプログラムを作成する際には、プログラマがプログラムを分割し、小さなモジュール構成にして、複雑なメモリ管理をしながら作る必要があります。

しかし、「半自動」というのは、分割までやっておけば、メモリ管理などはシステムがやってくれた、ということのようです。

これは、プログラムコンパイル時に行われたようで、複雑なプログラムになると、オーバーレイの生成処理だけで数時間から数日かかったそうです。



…この「数日」も、おそらくは最大限に複雑なプログラム、OS そのものを生成するときなんじゃないかと思います。

OS そのものもオーバーレイしながら動作したのでしょう。



#注:頻繁にディスクアクセスするようでは、真のリアルタイムにはならない。

 本当にリアルタイム性が必要な時は、機能はサブセットだが完全にメモリに収まり、ディスクアクセスを行わない RSX-11S が使われた。




ところで、途中で書きましたが、PDP-11 には UNIX も作られていました。


この UNIX は AT&T ベル研究所によるもので、のちにカリフォルニア大学バークレー校によって拡張されています。

(いわゆる Syetem V と BSD)


これに対し、DEC が公式に「移植」した、Ultrix-11 という UNIX もあります。

さらに DEC 公式として、先に書いた RSX-11M もありますが、「世界初のマルチタスク OS」である、MIT の TSS に由来する、RSTS-11 もありました。


「マルチユーザーなんていらない」人向けに、RT-11 という、これも公式の OS があります。

さらに、MUMPS という OS をやはり公式に移植した、DSM-11 もあります。


公式 OS だけでも、5つあるのです。

これに加えて、PDP-11 は大ヒットマシンだったため、先に書いた UNIX をはじめとする多数の OS が作られていました。


もちろん、OS 毎に、その上で動かせるアプリケーションも異なります。

使いやすくするためには、統一した、決定版の OS が必要でした。




PDP-11 は、その後 VAX-11 という名称で 32bit 版が作られています。

初期のシリーズは、PDP-11 とも互換性を保っていました。


ここに、ふたたびカトラーが、RSX-11M を基とした OS を作っています。

VMS と名付けられています。Virtual Memory System の略で、仮想記憶を採用した OS であることを意味しています。


#仮想記憶の概念自体は、VMS 以前から存在している。

 UNIX もこの後 PDP-11 から VAX-11 に移植され、仮想記憶に対応した。


仮想記憶とは、単純にいえば、ソフトウェアで頑張ってメモリを節約していた「オーバーレイ」を、ハードウェアの支援で行おう、というものです。

ハードが面倒を見てくれるので、ソフトウェアを作る人は実際の搭載メモリを気にする必要はなくなります。


とはいえ、実際の搭載メモリを超えてしまうと、メモリをディスクにスワップし始め、速度が低下します。

VMS 自体は、ちゃんと RSX-11M の後継として、小さなメモリで動作するように工夫して作られていました。


「OS の決定版」として、UNIX よりも多くの機能を作り込んでありましたし、みんなが使うはずでした。


しかし、先に書いたように、VAX-11 にはすぐに UNIX が移植されています。

そして、UNIX の人気はより高まっていくのです。




先に、PDP-11 が多くの CPU のお手本となった、と書きました。


そのころの CPU は、今でいう CISC と呼ばれるものです。

プログラマーがアセンブラでプログラムを組みやすいように、豊富な命令がそろっています。


しかし、命令を大胆に減らす代わりに、高速な命令実行を可能とする新アーキテクチャ、RISC が台頭します。

DEC でも、RISC CPU を使った新マシンの開発に着手しました。


カトラーは、このプロジェクト全体を指揮しました。

RISC を使ったハードウェア開発と、そのマシンに合わせた新しい OS です。


RISC の高速性を活かし、UNIX とも VMS とも互換性のある、新しい OS となる予定でした。

当時パソコンでは Mac が GUI という概念を提示しており、GUI を中心とした操作にする…という考えもあったようです。


一説には、「VMS を進めたもの」という意味で、WNT という名称で呼ばれていた、とも言われています。

(VMS の文字を、それぞれアルファベット順で1つすすめると、WNT になる)


しかし、DEC は会社として「保険」をかけていました。

RISC マシンプロジェクトは、同時に3つが進められており、途中で判断して、一番よさそうなものだけを残したのです。


カトラーの率いたプロジェクトは、途中で中止となります。

失敗プロジェクトを率いた責任者に、その後の仕事は用意されていませんでした。




仕事を失ったカトラーに、マイクロソフトから引き抜きのオファーが来ました。

カトラーはマイクロソフトに移籍します。


この際、彼のチームメンバーの何名かは、彼を慕ってついていきました。


マイクロソフトは、彼に 32bit 版の Windows の作成を依頼しました。

当時広く使われていた Intel の 486 プロセッサではなく、MIPS,Alpha,PowerPC,i860 などの RISC CPU 向けに作ります。


しかし、のちに方針を転換し、従来の 16bit DOS、Windows と互換性を確保し、Intelの x86 にも対応させることになりました。



ここで、DEC で中止した OS の計画が再び動き出します。

UNIX 、VMS との互換性は不要ですが、DOS、Windows との互換性を持たせた、GUI OS です。




複数の OS と互換性を持った OS 、というのは、このころすでに実績がありました。

IBM は、DOS / Windows / UNIX / MacOS などのソフトをすべて動かせる「Workplace OS」の作成を表明し、実際に DOS / Windows だけに限定した形で完成させ、OS/2 という商品名で発売していました。


その仕組みは、マイクロカーネルという概念にあります。


従来の OS は、全体に必要な機能を考え、すべてを一体として設計されていました。

しかし、マイクロカーネルでは、OS は「各種機能の連絡方法」だけを用意し、あとはすべて別プログラムとしてしまうのです。


普通の OS なら絶対必要な、メモリ管理・プロセス管理・ディスク管理なども、OS 周辺の別プログラムとして用意されます。


このやり方だと、各種 OS との互換を取る際も、既存部分と違う部分だけを少しだけ作ればよいことになります。

流用できる部分は流用し、API (呼び出し方)の問題だけならそれを用意し、根本的に違う部分はそこだけ新たに作り…



当時の Windows は、ディスク管理を中心とした DOS の上に、プロセス管理やメモリ管理、グラフィックライブラリなどを積み重ねた形で作られていました。

もともと、DOS の機能が貧弱だったため、上に乗せた部分が肥大化しすぎ、非常に不安定になっていました。


それを、マイクロカーネルの手法を使うことで互換性は確保しつつ、安定性も高め、さらに先進的な機能まで準備したのです。


完成した OS は、Windows NT と名付けられました。NT は New Technology (先進機能)の略。

しかし、VMS を一歩進めた WNT でもあります。



互換機能はありますが、当初は十分な確認が行われていませんでした。

そこで、サーバー用途として NT を売りつつ、互換性を高めていきます。


2000 年発売の Windows 2000 で、デスクトップ用としても NT が導入されます。

とはいえ、この時は DOS ベースの Windows Me も発売されています。


そして、2001 年の Windows XP で、デスクトップも完全に NT 系列となります。

以降、今でも Windows は NT 系列です。




現在、Windows は 64bit 化され、16bit の DOS / Windows との互換性は失われています。


しかし、32bit Windows との互換性は相変わらず保たれていますし、新たに Linux との互換性が確保されています。

これも、当初からマイクロカーネルの設計が良かったからできたこと。



64bit 化の際には、デヴィッド・カトラーは、自分で 64bit のコードを書いていたそうです。

もう上に立って指揮するだけでいいような身分なのに、プログラムを書くことが楽しいのですね。


2008年ごろには、Windows Azure に参加していたようですし、2013年ごろには、Xbox One に参加していたようです。


現在かかわっているプロジェクト名などは明らかにされていませんが、77歳の今も現役で、マイクロソフトで働いているようです。



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イグニス 6か月点検  2019-03-11 18:05:51  歯車

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先日、車をパンクさせてしまった、と書いた。

家の前の道が非常に狭く、タイヤ側面をこすってしまったのだ。


実は、パンクは大ごとだが、すでに何度か車体をこすっている。新車で買ったばかりなのにね。

6か月間で…パンク含めて、6回。毎月のようにどこか擦っているような計算だ。


…まぁ、今後も毎月こすり続ける、ということにはならないと思いたい。

だんだんと車の挙動がわかってきているし、失敗するたびに「注意すべきポイント」を覚えていくから。


死にゲー(死ぬことを繰り返しながら攻略法を覚えるゲーム)のような様相を呈しているな。




で、修理ついでに6か月点検をやってもらった。

特に問題はなし。立ったか月で傷はずいぶん作ったが、走行に支障があるような故障は起きていない。



以前、1か月点検で一度「レポート」を書いた。

6か月で、その後気づいた点などを書いてみようと思う。




まず、一番書きたいこと。

イグニス購入前から気になっていたが、ネットの評判で「冬はアイドリングストップしなくなることがある」という件。


一応、ネット上のうわさでは「電池が5度以下だとアイドリングストップしなくなる」となっていた。

リチウムイオン電池は寒さに弱く、5度以下だと充放電性能が落ちるので、回生ブレーキをはじめとするエコドライブ機能が動かなくなる…という話。


これ、若干違うかもしれない。


寒い日に、実際アイドリングストップしなくなることはあった。

しかし、その場合でも回生ブレーキは動いたりした。回生ブレーキを使えるのだから、電池の問題とアイドリングストップは別なのだろう。



アイドリングストップしない場合も、10分くらい運転しているとアイドリングストップするようになる。

なので、これは「エンジン温度」の問題なのではないかと思う。


アイドリングストップは、最長2分だ。気化したガソリンが、液体に戻らない程度の時間。

あまり寒いと、この「2分」を保証できなくなり、いっそのことアイドリングストップをやめるのではないか、と思う。




エコドライブついでに…


メーカー推奨で安く…実質値引きで「無料で」つけてくれたので、パイオニアのカーナビを使っている。

運転後に、燃費を表示してくれたり、運転の注意ポイントを教えてくれたりする。


これとは別に、イグニス自体にエコ運転の成績を、100点満点で教えてくれる機能がある。


イグニスの評価は、カーナビの評価とは異なるのが最初は気になっていたのね。

片方で高評価でも、もう片方でだめ扱いのことがある。

どう運転すればよいのやらわからなかった。



これが、運転する間にわかってきた。

イグニスの成績は、減点法だ。急発進・急ブレーキなどをすると評価が下がっていく。

その方式上、長距離ドライブをすると低い評価になりやすい。


それに対し、パイオニアカーナビは加点法だ。

アイドリングストップ時間が長かったり、停止時からのゆっくり加速が多いと評価が上がる。

最大の評価ポイントである「燃費」に至っては、高速道路にでも乗らないとよい値は出ない。

方式上、長距離ドライブをするとよい評価になりやすい。


わかってくると、普段の運転はイグニス評価で 100点…悪くても 98点位取れるようになってきた。

パイオニアの方は、近所の普段使いではよい成績にならないので、無視。




昨年の初夏ごろに、近所の素掘りトンネルが剥落し、通行止めになっていた。

…鎌倉って、車が通るようなトンネルでも素掘りのところあるんだぜ。


これが、先日やっと対策工事が終わり、通行できるようになった。

それまでは子供を塾に送るのに、大きく迂回するルートを使っていたが、トンネルを使えば速い。


ところが、素掘りのトンネルは、素掘りトンネルが似合うような山の中を通るのだ。

最短ルートだけど、曲がりくねった道で速度は出せず、燃費は悪い。



以前の車なら、乗るたびの燃費なんてわからなかったから、気にならなかったのだ。

だけど、今の車ならわかる。普段の道は 11km/l 、トンネルを通る山道は 9km/l くらいの燃費だった。

トンネルの方が近道だけど、燃費が悪い。どちらがお得かわからない。


…燃費と距離がわかるのだから、どれだけ燃料を使うのか計算してみた。

ほぼ同じで、トンネルを通るほうがわずかに燃料を使わない、という程度。


ちなみに、迂回路は信号が多く、渋滞することもあり、到着時間は明らかにトンネルを通る方が早い。

普段はトンネルを使うことにした。




ところで、上に書いたのは「パイオニアカーナビによる」燃費表示だ。


これとは別に、イグニス自体も燃費計算をしてくれている。

こちらは、ガソリンタンクの燃料計・走行距離計を連動させたもののようで、運転するたびに計算、とはならないが、より信頼性が高い値のようだ。

(実際、ガソリンを入れた量と走行距離で計算してみると、こちらの値に近い)


で、これによると、普段の平均燃費は 13km/l くらい。

カーナビは「良くて」12km/l 、悪いと 8km/l くらいなのに、平均すると 13km/l になるという不思議。


まぁ、ドライブのたびに燃費を出すなんて言うのは、計算が細かすぎて誤差も大きいだろうし、違うことは構わないと思っている。

それでも、何らかの指標にはなる。




話は急に変わって、エアコンは、なかなか使い勝手が良い。


「近未来的デザイン」で、同じようなボタンが並んでいて、視認性が悪い。

このため、最初は使いにくそうだと思ったし、細かく制御しようとして「使いにくい」と感じていた。


でも、auto にしてしまえば、ほぼやりたいことを正しくやってくれる、と判明。


最初は、寒くなってきて乗り初めに窓が曇っていたら窓ガラスに温風を吹き付けて、曇りが取れたら弱めの暖房設定にして…とかやっていたのね。


でも、auto だと、湿度とか外気温の情報をもとに、必要なら勝手にデフロスタをかけ、問題なくなれば普通の暖房になる。

基本的に任せっぱなしでいいから、ボタンの視認性が悪くても問題ない。




以前CVT のドライブ感についても少し書いた。


僕はカーマニアではないので、おおむね満足しているが、急加速などは CVT では苦手なようだ。


以前も書いたが、特に「大幅な減速から加速に転じる」時に、思うように速度が上がってくれない。

交差点で右折するときに、対向車のタイミングなどを見ているときに速度が上がらないと、焦る。


先に書いた、イグニスのエコドライブ点数は、急加速などは減点されるようになっている。

ふんわりとした加速、ふんわりとした減速が「推奨される」運転のようだ。


これ、ある程度 CVT の弱点を隠したいのもあるのかもしれない。


#実際、CVT がドライブ感よりも燃費を重視した設定のようなので。




まだ、冬を超えただけで夏は経験していないわけだが、半年でずいぶん車の癖がわかってきた気がする。




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どんどん壊れる  2019-02-28 17:37:16  その他

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呪われているのかもしれない。


先日、家のものが次々故障する…と書いた。


2週間ほど前に、クーラーが故障し、修理予定の日(先週月曜)の朝に冷蔵庫が壊れた。

そして、冷蔵庫を買おうとしたら、クレジットカードが第三者に使われていることが発覚し、カードが停止した。


さらに、以前布団一式を買った業者から「ベッドが壊れる例が出ているので、点検修理したい」と連絡が入った。



今週の日曜日に新しい冷蔵庫が届き、新しいクレジットカードも届いた。

その翌日、ベッドの点検も済ませた。


実は、ベッドの点検時に、古くなった布団の打ち直しを頼んだ。

以前に冬布団は頼んでいたのだが、それ以外の布団も、生地が古くなって破けていたためだ。


しかし、これは様々な都合で打ち直しができず、新規購入することにした。

ファブリックというのは結構高い。しかし、破れて羽毛が少しづつ出てしまうのでは、仕方がない。




出費がかさむなぁ、と思っていたのだけど、実はこれで終わりではないことがわかっていた。

我が家の庭は、建築時に費用が足りず、業者に作ってもらうことができなかった。


そのため、妻がほぼ一人で時間をかけて外構工事をした。

自分でやったものだからこそ、「通路の曲線があまり良くなかった」とか、何度か道を作り直したりもして、3年位かかった。


しかし、枕木で作ったため、案外腐るのが早い。

というか、作り始めの時にはタールをしみこませた本物の枕木を使えたのだけど、その直後に「環境に悪い」ということで販売されなくなってしまったためだ。


木酢液をしみこませた枕木は、タールほどの防腐性がない。10年でぐずぐずになってしまって、庭を歩いていても危ない状態だった。


(この状態で大型冷蔵庫を搬入してくださった業者の方には申し訳ないと思っている)



さすがに「歩くだけで危険」な状態になる前、修繕しようと思って外構業者に相談はしたのだ。

2年前、ハウスメーカーによる家のメンテナンスが入った時だな。


しかし、この時はハウスメーカーに頼らず、近所の業者に頼むことにした。

ハウスメーカー、品質はいいけどその分高いのだもの。


しかし、近所の業者は人手が足りず、計画段階で「申し訳ないけどしばらくお待ちください」になって、そのまま立ち消えてしまった。


1年以上待って、さすがにこれは忘れられているな…と思ったが、同じ業者に頼む気もしない。

去年の末にハウスメーカーの人に仕事を頼まなくてはならない事態になったため、その時に一緒に頼んでみた。


で、計画立てたりしていて、2月末から工事に入る予定だったのだ。

金がかさむ…と思っていたが、こちらは数か月前からの計画で、必要なものだった。




そんなところに…恥ずかしながら、僕がやらかしてしまった。


家の前の道が狭い、というのは何度も書いていることなのだが、一昨日の夜、自動車を出すときに、タイヤ側面をぶつけてしまったのだ。


パンクして立ち往生した。家を出てすぐだったので、仕方がなく家に戻った。


過去に、同じようなことを2回やってしまっている。

そのたびに、スペアタイアに変えて、タイヤショップにタイヤを買いに行っている。


しかし、今回はその方法が使えない。今時の車にはスペアタイアがないのだ。

パンク修理キットはあるのだけど、これは釘を踏み抜いたような小さな穴には使えるが、側面をぶつけたような大きな穴には無力だ。



車を買ったディーラーさんはもうしまっている時間だったので、翌日に電話をした…が、水曜日は定休日だった。


今朝になってやっと電話がつながり、スペアタイアを購入して届けてもらうことは可能か聞いてみた。

しかし、注文すると1週間くらいかかってしまう、とのことだった。


とにかく、状況を見ないことには何ともならないのだけど、タイヤパンクで自走できない。

ディーラーさんに「レッカー移動で受け入れてもらえる」ことは確認し、今度は保険会社に連絡。



幸い、ロードサービスでレッカー移動は頼むことができた。


しかし、しつこく書くが、家の前の道は狭い。レッカー車は入れない。

なんとか、表通りまでは出す必要がある。


本来やってはならないことはわかっているが、パンクしたタイヤで走るしかない。



…で、先ほどディーラーに届けてもらい、見てもらったが「ホイール交換の必要がある」と。

ですよねー。無理して走ったらそうなるよねー。


タイヤよりも、ホイールの方が高い。

仕方がないとはいえ、本当に出費がかさむ。



修理を待つと、部品取り寄せで1週間かかる、とのことだったが、とりあえずディーラーさんがスペアタイヤを貸してくれるという。

ちょうど、6か月点検の時期でもあったし、点検も済ませて明日には引き取れるそうだ。




反省。

パンク修理キットがあっても、我が家の事情ではスペアタイアを買っておく必要があった。


過去に2回…今回を含めると3回パンクを経験しているが、全部「家の前の道」での出来事だ。

タイヤを買ってさえあればよくて、車に積まずに家に置いておいてもよいだろう。


こちらも、取り寄せで少し時間がかかるという。

詳細がわからないので、明日車を受け取りに行くときに聞いて、注文しようと思う。



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2D-APT II 発表 (1959)  2019-02-25 17:30:46  コンピュータ 今日は何の日

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今日、2月25日は、2D-APT II が発表された日です (1959)。


…まぁ、普通は「2D-APT II って何?」ってなりますよね。

知名度の高いものではない。でも、コンピューターの歴史の中では、大きな一歩なのです。



APT は Automatically Programmed Tool の略。

翻訳すれば「自動プログラム装置」です。


ごく初期のプログラム言語、それもいわゆる「高級言語」でしたが、プログラム対象はコンピューターではありませんでした。




コンピューターの歴史では、当初から「計算する機械」の仕組みは深く検討されてきました。

その一方で、計算する装置さえでき上れば、その装置に計算手順を教えるのは…まぁ、何とかなるだろう、程度に考えられていました。


この見通しが甘いものである、と認識されたのは、ENIAC が作られたときです。

諸説ありますが、「最初のコンピューター」ですね。


実際、理論上はどんな計算にでも対応できるように作ったはずなのですが、それを実際に「計算させる」ための手順がわからないのです。

その時は、数学が得意な女性が 6人集められ、彼女たちが必死になって計算手順を編み出しました。


この経験から、次に作られるコンピューターでは、もう少しプログラムのしやすさが考慮されます。

時代が過ぎるにしたがってプログラムしやすさは増していき…


といっても、「アセンブリ言語」でプログラムを作れば、「アセンブラ」が自動的に機械語に翻訳してくれる、というレベルには達しました。


そのころにはまだ、サブルーチンとか、スタックという概念がないんですけどね。

アセンブラがあっても、今のアセンブラよりも使いづらく、プログラムを組むのは大変な苦労でした。




計算機を販売しても、そのプログラムが作れないのでは話になりません。


計算機は高性能なのだから、計算機が自分自身をプログラムすればいい、というアイディアが出されたりもしました。

これは「自動プログラム」と呼ばれ、果たしてそんなことが可能なのか、議論となります。


議論に終止符を打ったのは、IBM が発表した FORTRAN 言語でした。

アセンブラではなく、「人間にわかりやすい、数式と、英語に近い言語」で計算の手順を示すと、自動的にコンピューターが実行可能なコードを作り出してくれる、というものでした。




さて、今日の話題、APT は、FORTRAN と似たような初期の言語です。

ただし、FORTRAN が「コンピューターの実行コード」を作り出すのに対し、APT は「工作機械の制御コード」を作り出します。


ここでの「工作機械」は NCMM と呼ばれる装置で、MIT で作成されたものでした。

制御コードデータを紙テープにパンチし、読み込ませることで形状を作り出します。


しかし、この形状データが人間には扱いにくいのです。機械を制御するための、数値の列ですから。


APT が作り出すのは、この制御コードデータの紙テープでした。

しかし、これがあれば金属を加工し、設計通りの形状を作り出すことが可能でした。




つまり、現在の 3Dプリンタの元祖です。


ただし、現在の3Dプリンタを使用する際は、普通はディスプレイ上で3Dモデルをモデリングします。

プログラムではありません。


当時は、コンピューターに接続されているのは「テレタイプ」が普通で、ディスプレイ上で…という概念が存在しませんでした。

プログラムで形状を示すのは、そのためです。



ただ、大きな問題が一つあり、2次元の図形は数式で表現することが可能なのですが、3次元形状を数式で表現することが、非常に難しいのです。


2D-APT II というのはそのための「暫定的な名前」で、まだ2D形状しか扱えないことを意味します。

工作機械は3D形状の削りだしも可能なので、なんとか3D形状をプログラムする方法を模索している途中段階でした。



この後、APT の研究は「コンピューター上で設計図を描くと、それがそのまま機械で加工される」というものに変わっていきます。


実は、「ディスプレイを使って絵を描く」というプログラム…サザーランドのスケッチパッド自体が、この研究の一環として生まれています。



以降は、とにかく示された方法論を、少しでも扱いやすくしようとする改良の歴史です。


NCMM は、さらに扱いやすい CNC になり、先に書いたように設計図から直接、加工が行えるようになっていきます。

現在では、素材を工夫することで、机の上に乗るような小さな機械でも出力が可能です。




APT の話は、過去に詳細を書いていますので興味のある方はそちらもお読みください。




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故障からの復旧  2019-02-25 14:48:47  住まい 家族

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昨日、日曜日は…ハードスケジュールだった。疲れた。

何があったか記しておこうと思う。




妻が午前中用事があり、早く家を出る必要があった。


そこで、僕は5時半起床。基本的に朝飯を作るのは僕の担当だ。

妻は今日の準備で昨日夜遅くまで起きており、ぎりぎりまで寝かせておいてあげたい。


5時半起床というのは、いつもの平日スケジュールと同じ。


まず、薬缶で3回ほどお湯を沸かす。

これで、2リットルの魔法瓶2本と少し分のお湯が沸く。だいたい1日分。

うちは、オール家電で深夜電気料金が安いので、安いうちに沸かしておくのだ。


つづいて、余ったお湯を大鍋に移し、さらに水を加えて2リットルを沸かし、麦茶を作る。

子供たちは冬も麦茶を飲む。冬は1日2リットルでいいが、夏は4リットルだ。


都合6リットルのお湯を沸かすと、だいたい30分くらいかかる。


この合間は、スマホで…ここ1年半は、「どうぶつの森ポケットキャンプ」をやっている。

発表日からずっとやってる、ってことだな。

朝起きてお湯を沸かすのはここ数年のルーチンワークだが、そのとき何をやっているかは結構違う。




6時ごろから朝ご飯の支度開始。

我が家では、休日の朝ご飯はパンだ。子供がまだ曜日感覚がない保育園のころから「保育園が休みの日は朝ご飯がパン」という形で、その日の予定がわかるようにしていた名残だ。


#もっと言えば、僕が中学くらいの時に料理に興味を持って、「休日の朝ご飯は自分で用意する」ようにし始めたころからの名残。



さて、ここでいつもと違う、ルーチンワークにできない事態がある。

先日から、冷蔵庫が壊れているのだ。溶けてしまった冷凍食品などを、早めに使い切りたい。


ソーセージが7本あった。ミックスベジタブルが少し残っていた。


フライパンを熱し、油を敷かずにソーセージ5本を炒める。(家族5人なので)

一度凍らせたものが溶けて、表面が水っぽくなっているので乾かすつもりで。


やっている間に、ソーセージ2本を小口切りに。


ソーセージが炒めあがったら、皿に取る。

そのままフライパンを熱し、ミックスベジタブルを炒める。こちらも乾かすつもりで長めに。

オリーブオイルと塩コショウで味付け。ミックスベジタブルにはバターが合うが、妻が温めた乳製品のにおいが嫌いなので。


やっている間に、卵3個を解きほぐしておく。


ミックスベジタブルも皿に取り、再び熱したフライパンに油を敷いて、小口切りにしたソーセージを炒める。

いい感じになったところで卵を流し込み、弱火にして混ぜ合わせる。


スクランブルエッグだ。


出来上がったら、僕と妻の分のパンをスライスしトーストする。(家族各個人の好みの厚さ、焼き方がある)


焼けるのを待つ間に、妻を起こしに行く。

妻が起きてくるのを待つ間に、インスタントコーヒーを二人分入れる。


時間はだいたい6時半を過ぎたあたり。夫婦二人で朝食を食べる。




長女は7時ごろ起きてきた。これはいつも通り。

長女が起きてすぐ、次女も起きてきた。これはいつもより早い。


連続して起きてきたので、二人分のトーストを作る。



長男が起きてきたのは、8時ごろ。

学年末テスト直前で、昨夜は12時ごろまで勉強していたから、ゆっくり寝かせておいた。


妻が9時前には家を出るつもりで支度を始めたころ、電話がかかってきた。


今日配達予定の冷蔵庫、10時から2時の間に来るらしい。

ところが、12時40分から30分程度は、僕が家にいない。そのことを伝えると、来る直前にもう一度電話をくれることになった。


まぁ、冷蔵庫は予定通り来るらしい。妻も安心して家を出る。




そこからは、冷蔵庫をとにかく空っぽにする作業。


まず、外側から。

磁石でいろいろな書類が張り付けられている。


袋を用意して、どうでもいい磁石をどんどん ほおり込んでいく。

冷蔵庫の表面が「磁石置き場」になっているだけで、実際には役立っていない磁石もたくさんある。


ついで、書類を止めているもの。

書類は時折見直しているが、うっかり期限を過ぎているものもある。

家の近くで道路工事がある、というお知らせとか。1か月前に終わったのに、まだ貼ってあった。


子供の塾・学校関係の書類は重要。内容を見直したが、捨てるものはほとんどない。

これらは、重要だからこそ、そのままの束で保存する。


表面が終わったら、今度は中だ。

段ボール箱を2つ用意して、冷蔵庫の内容物を仕訳けていく。


一つは、空いていない缶ジュースや保存性が高いジャムやチーズなどを入れていく。

「冷やしていた方がおいしい」という理由で冷蔵庫に入っていたが、常温でも持つものだ。


じつは、こちらは少しずつ準備を進めてはいた。


もう一つは、開封済みなどで冷蔵しておきたいもの。

こちらは、仕訳けながら入れていく。開封済みには、なんだかわからないものも多いためだ。


いつ漬けたのかわからない、ラッキョウの甘酢漬けとか出てきた。

いや、これ自分がつけたものじゃないぞ。妻の実家から送りつけられてきただけの、有難迷惑アイテムだ。

しかし、妻がいないので判断つかない。今度相談することにしてとりあえず残す。


スルメの醤油漬けが出てきた。いつ漬けたのか覚えてないけど、これは旨いやつだ。今度酒の肴にしよう。


ドライフルーツのブランデー漬け。3年位前に、妻がクリスマスケーキ作った時のあまりだ。

まだ使えるし、入っているのは知っていた。面倒くさくて使わなかっただけで。今度ケーキ作ろう。


1年位前に妻が作った柑橘のジャムが出てきた。

何の柑橘だったか忘れたが、商店街で安く大量に売っていたから、いくつかは食べて食べきれない分が痛む前にジャムにしたやつだ。まだ大丈夫。


キンカンの蜜漬け…は、かびていたので捨てた。昨秋に庭のキンカンで作ったものだ。

これを作ったのは僕で、砂糖の分量が少なかったのは痛恨のミスだ。


ザボン漬けが出てきた。いつ作ったか忘れたが、僕が作った覚えはある。3年位前か。

2瓶あったが、1瓶は大丈夫。もう1瓶は、ほんの一部がかびていた。

かびている方は全部捨てる。大丈夫な方は…皿に開けて子供の前に出したら、すぐに全部なくなった。


子供たちが保管したまま忘れているお菓子類も出てきた。

食べられそうなものは、子供の前に出したらなくなった。

溶けた飴などは全部捨てる。


湿布とか、冷えピタとか、瞬間接着剤とか出てくる。

あまり古いものは捨てる。瞬間接着剤とか、化学変化で固まるのを抑えるために低温にしているものだ。

これらは食品とは別枠で置いておく。


まぁ、こんな感じで冷蔵庫の中を仕訳けていく。



全部取り出したら、次は冷凍庫。

「完全に冷蔵機能が失われている」と思っていたのだけど、冷凍庫を開けるとほんの少し涼しい。

冷凍できるほどではないが、冷蔵庫くらいには冷えている気がする。


完全に溶けているが、冷たい冷却パックも出てきた。

じゃぁ、これらと一緒に保冷バッグに詰め込もう。


冷凍庫のものは、買い置きで袋を開けていなかったものと、使いかけのものがあった。

これらを2つのバッグに分けて入れる。解凍されて再冷凍は無理だとしても、開けていないものは多少日持ちすると期待できる。



これで、冷凍庫もカラになった。


後は…そうだ。地震の際の転倒防止に、壁にひもで括り付けてあった。

これを外す。しっかりつけてあったので、一苦労。

ついで、上に溜まっていた埃をふき取る。




ひと段落して思い出す。

そうだ、洗濯物干してなかった。


洗濯自体は、昨晩の内にタイマーセットしていて、朝7時前に終わっている。

(タイマー起動する時間には、僕はすでに起きているのだけど、念のために夜のうちにセットする習慣)


干していて、次女が体操着を洗っていないのに気づいた。

次女に注意すると、あわてて洗濯機に入れようとするが、今入れても洗うのは明日の朝だ、と叱る。

まぁ、仕方がない。もう一度少量の洗濯をしよう。




こんなことをしていたら、電話が来た。冷蔵庫の配送だ。

今から10分ほどで行けますが、大丈夫でしょうか? と。時間は11時半。お願いします、と答える。

12時半には家を出ないといけないのだけど、1時間あれば設置も終わるだろう。


待っていたら、ちゃんと10分ほどで来た。

家の前の道路は狭いのだけど、何の問題もなく冷蔵庫を運んできてくれた。


先に今ある冷蔵庫を引き取る、という。まぁ、そうだよな。出さないと次のものを入れられない。

見事な手際で重くて巨大な冷蔵庫を運び出すと…驚くほどの埃。10年間は想像以上だった。


箒で集めて捨て、雑巾で拭く。こびりついているようなものも、結構綺麗になった。


新しいものを入れる前に、今の冷蔵庫は年々重くなるので、フローリングの場合は傷防止シートを敷く方が良いかもしれません、と提案される。

ポリカーボネート製のシート。僕も椅子の下とかに敷いて使っている。別に高いものでもなかったので、頼むことにする。


そしたら今度は、冷蔵庫のスペースに、1cm くらい足りずに入らなかった。

ポリカーボネートは固いけど切ることできますか? と聞いたら、大丈夫だというので切ってもらう。



さて、こんな作業をしながら、同時並行で子供の昼飯の準備。

冷凍庫から、解凍された うどんが3玉でてきた。

というか、先日長男が調理実習で うどんが必要だというので、5玉入りを買って2玉持っていった残りだ。


出汁は自分で作る。出し醤油に適切にお湯を加えて、900cc になればいい。

麺類のスープは、1食に対して 300cc が基本だ。

(ちなみに、みそ汁なら1食 180cc。料理をする人はこういう分量を覚えておくと便利)


長男は塾に行かねばならないので、12時半には家を出る。

うどん3食を4人で分けるが、出かける長男には多めに。


12時に合わせ、うどんを仕上げる。僕はまだ冷蔵庫の対応があるので、子供たちに先に食べさせる。


で、冷蔵庫設置も無事終わり、「2時間ほどたって、庫内が冷えてからものを入れてください」と言われる。




冷蔵庫の設置に前後して、妻から連絡。

用事は終わったらしい。長男の塾に行くときに買い物行くか? と聞かれたので「行きたい」と答える。


先日、少し離れたホームセンターで購入したものが、不良品だったのだ。

2週間以内なら交換できるのだけど、早く済ませてしまいたい。


そのついでに、買い物もしないと食材がかなり少ない。

まだ「溶けてしまった」ものを使わなくてはならないのだけど、それはそれとして、慌てて使って食べてしまったものも多いから。



買い物に行けそうなめどが立ったので、長女・次女にも早く食事を終えて出かける準備をするように指示。

僕は、手早く食事を済ませて、先ほど選択した次女の体操着を干す。


妻は、30分に帰ってきた。




自転車で 30分走り続けて息を切らしている妻には悪いが、すぐに車で出かける。


長男の塾は、学年末テストの前日対策。テストは明日からなんだ。

そして、少し時間が長くなるので、軽食を持ってくるように指示されている。塾までの間にコンビニにより、おにぎりを買う。


塾に送った後は、そのままホームセンターへ。

先に書いたが、先日買ったものが不良品だったので交換だ。


ついでにいくつか買い物。

長女が「鉛筆のキャップが欲しい」と言ってたのと、ハムスターの回し車が調子が悪いようでガタガタいうので、新しいものを購入。


そして、買い物へ。

使い切ってしまった定番冷凍食品をいくつか買いたいのだけど…まだ溶けて残っているものもあるし、新しい冷蔵庫の冷凍室容量が、以前のものより減っているのでどれくらい買ってよいのかわからない。

必要最低限だけにしておく。


ついでに、各自好きな菓子パンを買う。

妻は昼飯を食べていないし、娘たちは うどんを少なめに食べただけだから。


これで家に戻る。菓子パンは車の中で食べる。




家に帰ったら3時過ぎ。

もう冷蔵庫は冷えたかな…と扉を開けてみたら、取り扱い説明書が冷えていた。取り出す。


他にも、棚などテープで仮止めされたまま。当然だよな。全部外す。


まずは、今買ってきた冷凍食品を、冷凍室に入れる。


つづいて冷蔵庫の中にものを入れていくのだが、当然まだ定位置が決まっていない。

最初は、缶ジュースなどの「冷えてさえいればよい」ものから。痛んでいることもなく、不安なく冷蔵庫に入れられる。


続いて、開封済みだが冷蔵しておくのが望ましいもの。主に広口ビン類と、チューブ調味料の類だ。

こまごましたものも多いので、定位置としてよさそうな場所を探しながら戻す。


さらに、溶けてしまった冷凍食品。肉・魚類だな。

冷蔵室の中に「パーシャルルーム」があるので、できるだけここに入れることにしよう。

凍っていなくとも、少しでも日持ちさせることができる。


そういえば、前日の夜に、冷凍していた ししゃも が溶けてしまっているのを見つけて、南蛮漬けを作った。

一度溶けかかったのを揚げることで殺菌し、マリネすることでさらに常温で保存できるから。


これも、冷蔵庫に入れておく。


パックを開けてすらいない冷凍肉は結構多く、パーシャルルームに収まりきらなかった。

再凍結はあまりしたくないのだが、いくつかは再凍結させる。



とりあえず、冷やす必要があるものは全部収めた。

ここで、4時になった。長男を迎えに行かなくてはならない時間だ。車で迎えに行く。




戻ってきたら5時。

妻が台所で、なにか夕飯を作ろうとして途方に暮れていた。


何から使えばいい? と。


冷蔵庫に「眠っていた」もので、いくつかは妻に相談しないとわからないものがあった。


去年の秋に、ジャムを作ろうと少しづつ貯めた桑の実。

なんだかわからない、シソの香りがするもの。

賞味期限を2週間過ぎた豆腐。


桑の実は、庭では一度に少ししか取れないので、まとめてジャムにしようと冷凍してためていたものだ。

そのまま忘れて古くなって、中途半端に解凍された状態。捨てることにした。


シソの香りのものは、庭で取れたシソがたくさんあったので、刻んで調味料に使えるようにしたものだそうだが…

妻曰く「失敗作だった」とのことで、これも捨てることに。


豆腐は、妻が冷ややっこが食べたくて買っていたもの。そのまま忘れて2週間。捨てることにした。



さて、それ以外では、溶けてしまった合いびき肉のパックが、400g × 3袋あるので、それを使ってしまいたい。

妻がミートローフを作ってくれることになった。


…が、いつも妻のミートローフにはミックスベジタブルが入るのだが、ミックスベジタブルがない。

今朝、溶けたやつを全部使ってしまった。先ほどは買ってこなかった。


グリンピースの溶けたのがあったので、にんじんは生をすりおろして使い、玉ねぎのみじん切りと合わせてミートローフにする。




妻に食事を作ってもらっている間に、ハムスターの世話。

毎週日曜と水曜にケージを掃除している。


先ほど買ってきた新しい回し車を入れてやると、急に違うものになったので戸惑っていた。


あと、風呂洗い。これは不定期だが、日曜にはたいてい洗っているため。



あ、そういえば、牛乳が欲しいのだけど、ない。先ほどの買い物の際に買い忘れた。

近所の店に買いに行こう、と準備していた時、来客があった。




郵便局の人だった。書留でハンコが必要だという。


何が来たのかと思ったら、再発行してもらったカードだった。

先日、カード情報が何者かに使われていることが発覚し、停止・再発行となったのだ。


実は、昨日娘たちに「Switch の Let's go イーブイ買いたい」と言われていた。

以前から欲しい、とは言われていて、自分のお小遣いで買うならいいよ、と言っていたものだ。

迷っていたのだけど、ついに決断して「買う」となった。


で、買う直前になって、カードが停止しているのを思い出した。

事情を説明し、またの機会に…となった。


カードが届いたとしって「これで買える?」と言われた。

すぐに購入してみた。あたりまえだけど、ちゃんと使えた。


ダウンロードには少し時間がかかる。




妻のミートローフづくりがひと段落し、先ほど「捨てる」と決めたものを庭に埋めるという。


埋める作業はやるのでと、その間にスープの準備を頼まれる。

こちらも、庭で取れたのネギ類のスープ。食べられるネギ類、花もきれいなので庭にたくさん植わっています。


これをスープにする…のではなくて、僕が頼まれたのは下処理。


庭で取れたものだから、お店で売っているような綺麗さはない。

枯れたり痛んだりしている部分は取り除き、泥を洗い、根っこを切り落とさないといけない。


で、処理できた頃に妻が戻ってきたので、あとは妻に任せる。


牛乳買ってこなくては。




牛乳を買って帰ると、ダウンロードが終わったそうで、子供たちが Switch のイーブイで遊んでいた。


しかし、食事の支度もできたというので、夕食にする。

ミートローフうまかった。800g の肉で作ったが、家族で全部平らげた。


デザートは、ヨーグルトに様々なフルーツソースを添えて。


というのも、リンゴやイチゴを家でジャムにして、冷凍していたものが溶けてしまったからだ。

ヨーグルトも、冷蔵庫に入れてあったやつ。ほぼ常温になったので早く食べたい。



で、牛乳を買ってきたのは、ヨーグルトの更新のため。

これ、地中海ヨーグルトなので牛乳があれば増やしていける。うちではそうやってずっと食べている。


#引っ越す前…15年くらい前からずっとあるけど、最初の株を増やし続けているわけではない。

 やはり、雑菌が入るのか怪しくなる時はあって、そうなったら新しい菌種を買ってきて作り直している。




さて、今日一番の大仕事…かもしれないものが待っている。


冷蔵庫の古いものを大量に廃棄した結果、大量に空き瓶やプラスチック容器が出た。

一日忙しくしていたので、洗わないままの鍋とかも残っている。


これらを、食洗器を使って片っ端から洗う。

我が家の食洗器はホシザキ製で、大量の洗い物に強い。

1回5分程度で洗えてしまい、洗っている間にも、次の洗い物の準備ができるようになっている。


いつもは3~4回で洗い終わるのに、たしか6回洗ったのではないかな。


洗い終わったらもう9時。

疲れた。眠い。




妻は、今朝の用事のためにここしばらく忙しく、晩酌をしていなかった。

解放感もあって少し飲みたい、というのでご相伴する。


焼酎を、パイナップルジュースで割ったもの。

このパイナップルジュースも、一度常温にしてしまったので早く消費したいものだ。


この後、1杯飲んだだけで眠くなったので、寝た。

「よって眠くなった」のではなくて、疲れていたところに酒を飲んで気持ちが落ち着いたら、一気に眠気に襲われたのだ。




とりあえず、「故障」していた冷蔵庫と、クレジットカードは復旧した。


しかし、一度溶けてしまった食品などはまだあるため、しばらくは処理が続く。

クレジットカードも、カード払いにしていたサービスなどで、支払いカードを変える処理が待っている。


#カード変更は、すぐにわかる限りでは今朝終わらせた。

 しかし、他にないかもう少し調べる必要がありそうだし、そういう作業の方が手間がかかる。



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