ぜんぜん日々更新ではない日記です

まぁ、ぼちぼちやっていきます。
このページは最新7日分で、逆順(最新が上)で並んでいます。
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目次

2026-05-06 G.W. 横浜編 (2/2)
2026-05-06 G.W. 横浜編 (1/2)
2026-05-03 G.W. 東京編 (4/4)
2026-05-03 G.W. 東京編 (3/4)
2026-05-03 G.W. 東京編 (2/4)
2026-05-03 G.W. 東京編 (1/4)
2026-04-28 雑草
 今月の日記
G.W. 横浜編 (2/2)  2026-05-06 16:32:00  その他

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G.W. 横浜編を最初から読む


昼ご飯はあえて食べず、車で30分ほどの沢渡公園へ。


沢渡公園は、横浜駅から徒歩10分強の所にある公園です。

ここで、「ワールドフェスティバル」というお祭りをやっているというので見に来たのですが…


一応、昔は本郷台駅前でやっていた「あーすフェスタ」のようなお祭り、とのこと。楽しい祭りで毎年見に行っていたのだけど、10年ほど前に終わってしまったのだよね。

ワールドフェスティバルは主催する主体も違うし、アフリカ支援なのでアフリカの国々の料理が中心、とのことだったのですが…


行ってみたら、思ったよりしょぼい(失礼)。

この日は最終日だったのですが、予定していたものを売り切ってしまった参加団体などは、参加を早期終了してしまっていたようなのですね。

楽しみたいなら最終日ではなく、早めに行かないといけなかった。


食べ物の屋台が6件ほど。

ベトナム料理(フォーとバインミー)、ケバブ屋さん、セネガル料理、アフリカ料理(?)…あとは、ラーメン屋とハンバーガー屋がいました。

せっかく珍しい食べ物を食べられるのに、ラーメンやハンバーガーを選ぶ必要はない。ベトナム料理とケバブ屋さんを手分けして行列に並び、適当なものを数種類入手。


チャーシューバインミーと、チーズドッグ、それに「レモングラスソースの鶏唐揚げ」。


ケバブ屋さんからは、普通のケバブピタサンドと、アボガド入り、普通の鶏の唐揚げ。


ケバブ屋さんはすごい待たされていたのだけど、肉の量を選べて値段は変わらないらしい。

いちばんの大盛りである「冨士盛」にする人ばかりで、肉を焼くのが追いつかないので待たされるようだ。


しかし、実際ボリュームがありました。美味しかった。

家族で分け合って楽しみました。

しかし、どれも「軽食」なので、ちょっと足りない。


セネガル料理の店、興味はあったのだけど非常に高い。小さなプラスチックカップに、炒めた肉料理をよそったものが 1500円します。

それ以外に、揚げ餃子風の「ファタヤ」が2つで500円と書かれている。

5人で食べるには少ないので、2つ買うか…と思って「ファタヤください」と言ったところ、「今作ってるのでありません」と即答。

少し待ってください、でもなくて「ありません」なのでどうしてよいかわからない。作っていると言っているけど、作っているようにも見えない。

(どこか別のところで用意しているのかもしれないけど)



隣のアフリカ料理の店で、アフリカドーナツも売っていたのだけど、サーターアンダギーっぽい。

3つで500円、という値段を見て、次女が「自分で作れるからいいかな」という反応。

(次女はサーターアンダギー作るのうまいです)


クスクス800円、と書いてあるのだけど、置いてあるものを見てもクスクスらしきものがない。

クスクスありますか? と聞いたところ、屋台裏から人を呼んで、知らない言語で相談していて…

「もう売り切れです」だそうです。売り切れていても看板は出しているのね。


というわけで、追加の購入は諦め。



物販しているお店もあったので少し覗いたのだけど、買いたいと思うようなものは無し。

「あーすフェスタ」ではよく物販も買っていたので、面白いものあれば買ったのだけどね。





お祭りが思ったより楽しめなかったのですが、隣に「横浜市民防災センター」という建物が建っていました。


地震・火災と、風水害の2つの「体験ツアー」コースがあるらしい。

1コース60分で、災害の疑似体験ができる。


ちょっと興味あったのですが、予約が必要で、予約するにしても2時間ほど待つ必要がありました。

なので、これは未体験。


先に書きましたが、横浜駅から10分強の所なので、何かの機会があったら体験してみたいところ。




G.W. なので何かもう少し遊びたい気持ちはありましたが、無駄に引き延ばす必要もないので帰ることにします。


予定より少し早い帰宅になるので、帰りにスーパーによって、宴会準備。

夕食は好きなものを適当に食べる宴会形式にしました。

(我が家ではこれを「だらだら」と呼ぶ。)




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G.W. 横浜編 (1/2)  2026-05-06 16:24:12  社会科見学 家族

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G.W. 横浜編をまとめて読む


家族に意見聞いてまとめた「行きたいところ」は横浜にもあった。

こちらは東京より軽め。自宅から車で行ける距離だし。


というわけで、5月5日は朝8時過ぎに家を出発。

9時少し前に、三渓園に到着する。


三渓園は、横浜にある日本庭園。原三渓という明治~昭和初期の大富豪の「個人邸宅」だったが、住んでいた時から庭を一般開放した上、当時の廃仏毀釈運動もあって取り壊される建築物などがあると聞けば、大金を使って庭園内に移築した。


そのため、三渓園は日本庭園であるとともに、古建築のテーマパークのようになっている。


…というのが、自分の知っていた事前知識。


小学校のころは横浜に住んでいたので、遠足で三渓園に行った覚えがある。

でも、小学生に日本庭園や古建築なんて、正直なところよくわからない。「行った」という事実のみ覚えていて、そこに何があったかなど一切覚えていない。


せっかく有名な日本庭園が車で気軽に行ける距離にあるのに、どんなところか知らないというのももったいない、と以前から思っていたし、妻も興味があるようだった。

それを今回、高校生~大学生の子供たちなら十分楽しめるだろうと、家族で行くことにしたわけだ。




細かなことは省略して、全体の概略から書こう。


入り口からしばらくは、庭園らしいところが続く。庭園の中で最初に建てられ、原三渓が自宅として使っていた、という「鶴翔閣」があるが、遠くから見られるだけで近づくことも禁止。


その後で、原三渓記念館というところがあるので、まずはここを見ると良い。

庭園を見て回るのに必要な知識は、ここで大体仕入れられる。


原三渓が作ったから三渓園、と聞いたことがあるのだが、原三渓は本名ではなかった。

本名は原富太郎。

え、じゃぁ三渓って何? と混乱したが、ここの展示には答えはなかった。

後で調べたところ、雅号が三渓らしい。


そう。雅号がある。茶人だったのだ。

原三渓は実業家で大金持ちだったが、美術や芸術を愛し、茶人としても多くの人と親交を深めた。

原三渓自身絵を描いたそうだが、若き芸術家のパトロンにもなったし、日本画家の横山大観とも仲が良かった。夏目漱石とも親交があった。




原三渓の「養父」が横浜で生糸問屋の事業を始めた。この事業を拡大して財を成したのが原三渓だ。


解説には書いていない自分の知識だけど、当時西欧では蚕の病気が流行し、絹の生産が出来なくなっていた。

そのため中国が生糸を西欧に輸出するのだが、こちらでは内乱が勃発。また、中国でも西欧と同様の蚕の病気が流行し、輸出量が減少する。


そこに日本の絹織物が入り込み、大成功。当初は生糸だけが輸出されたのだが、絹織物をハンカチとして販売するようになる。


ここで、日本の印刷技術は当時世界一だった、ということ知っておいて欲しい。

大衆娯楽としての浮世絵の影響もあり、多色刷りの技術が凄い。この技術で模様を付けたハンカチは、日本でしか作れない特産品だった。


特に横浜ではハンカチ産業が大きくなり、会社が乱立した。

しかし、絵柄を作る会社が増えたとして、そのすべてが「生糸」「絹織物」を必要とするのだ。

それらは、原三渓の会社が取り扱っている。こうして、原三渓の会社は莫大な財を成した。


ところで、ハンカチは後に大判化し、スカーフとなる。

エルメスが「多色刷りのスカーフ」事業に乗り出したのはその後だ。

現在ではエルメスが世界的に有名だが、その前は横浜スカーフは世界的に有名なブランドだった。



現在世界遺産となっている、富岡製糸場も、原三渓の会社のものだった時期がある。

最初は国策として政府によって建造されたが、思ったようにうまく行かず民間に払い下げられたのだ。

当初は三井が購入したが、これもうまく行かない。原三渓に売却されたところ、品質も生産量も増して、大工場となった。


つまりは、原三渓は絹を扱うことで財を成したし、そのノウハウを使うことでさらに財を増やしていったのだ。




原三渓に限らず、当時の大金持ちというのは、金持ちの「責務」としての公共投資に積極的であることが多い。


三渓園を作ったのもそうだが、横浜銀行の初代頭取も務めている。経済安定のためには地元に銀行が必要であり、世界恐慌の為に破綻した銀行の業務を引き継ぐという「火中の栗を拾う」ようなことをしたのだ。


また、関東大震災の際には横浜市復興会の会長を務め、私財をつぎ込んで横浜の復興に勤めている。

ちなみに、関東大震災って横浜の本牧のあたりが震源で、三渓園は本牧にある。まさに「被災の中心地」で、財産をなげうって地域の復興を行ったのだ。


後で書くが、関東大震災とその後の第二次大戦の横浜大空襲で、三渓園の歴史的建造物はずいぶん失われてしまったらしい。




以上のような前知識を仕入れたうえで、三渓園を見て回る。


建造物の前には、その建物の大まかな構造の図示と、説明を書いたパネルがある。

三渓が建てた建物には建造年しかないが、移築したものは建造年と移築年が書かれている。


室町時代に建てられた建物とかもあるが、多くは江戸初期のもの。

先に書いたように廃仏毀釈運動もあったためか、仏教寺院の建造物が多いが、戦国武将ゆかりの建築物などもある。

いずれにせよ、誰かが保存しないと失われてしまう、重要な建築物の噂を聞いては、移築していたようだ。


ただ、移築に際しては、必ずしも元の建物を再現しようとはしていない。

現代的(当時の話だが)に住みやすいように手を加えたり、間取りを変えることもあったようだ。

だから、織田信長の弟が建てたという茶室には、電灯と硝子扉がついていたりする。

単に懐古趣味で残すのではなく、あくまでも「使用できる」ことを重視しているのだ。




三渓園は公開から120周年だそうで、園のあちこちに「当時の風景」の写真がパネルになって設置されている。


これを見て回るのが結構面白い。当時の風景が分かる、とかではなくて、説明が無茶苦茶…というか、波乱万丈で面白いのだ。


多くの建物が、関東大震災や空襲で失われている。一方で、三渓園が「完成」した後でも、どんどん新しい建物が移築されている。

つまりは、今の三渓園は、けっして原三渓の作った三渓園ではないのだ。でも、その心は受け継いでいる。


パネルの中には、写っている建物が来歴不詳、詳細不明、今はないのだがなぜ無くなったのか不明、っていう不明だらけのものもある。そんな不明だらけなら紹介しないでもよいのでは、と思うのだが、正体不明のものが写真には残っているからこそ、知っている人に情報を求めているのかもしれない。


しかしまぁ、ツッコミどころだらけで面白い。




原三渓は秀吉大好きだったようで、秀吉が作った聚楽第の一部、と信じて移築した建物もある。今では違うとわかっているそうだけど。


また、中華趣味があったそうで、中華風の建物も自分で設計して作ったりしている。こちらも、空襲で焼けてしまったそうで写真しか残っていない。



園内の茶店「待春軒」で、原三渓が考案したという「三渓そば」を食べられる。僕は食べてないけど。

待春軒のWEBページで、どのようなものか大まかなレシピが書かれている。


…えーと、ページには「起源不明」と書いてあるけど、どう見ても中国の炸醤麺(ジャージャー麺)だな。

それを、当時の日本で入手しやすい材料で作れるようにアレンジしたのだろう。


ここら辺も、中華趣味だったというので、普段から気軽に食べたくて考案したのだろうと思う。


(どうでもよい話だが、翌日にこのレシピを参考に、「それっぽいもの」を作って家族で食べました)




三渓園は、原三渓存命のうちに無料で一般開放されていたのは知っていたのだが、見学者に無料でお茶を出していたらしい。

その際に使った東屋なども写真と共に残っている。東屋の中央に炉があり、東屋全体に煤けているが、これは現在でも年に一度、当時と同じように使用しているからかもしれない。


すぐ隣に在った茶室は、後に別の場所に移築されたのだとか。現在は、さらに後に移築した茶室が建っている。


建物の移築って大変なことだと思うのだけど、そんなに気軽に移築を繰り返すんだ…

「不動」産って何だろう。




さて、園内を一通り見たら、時間は12時ちょっと前。ほぼ3時間かかりましたね。


なんとなく流し見する程度なら2時間で回れると思いますし、園内で食事したり、予約が必要な特別公開の家の中まで見ていたら、もっと時間がかかると思います。


見に行こうと思う方は参考までに。



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G.W. 東京編 (4/4)  2026-05-03 19:00:55  社会科見学 家族

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G.W. 東京編 (4/4)

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これで終了…とはならない。

凸版印刷なので、入場無料の博物館の展示室で、凸版の技術を伝える展示会をやっていました。

「木目シートのできるまで」。


テレビCM で、木よりも木らしい、という建材を作っていることを伝えていますが、それの歴史展示。


印刷会社なのに、建材のための印刷を始めたのは結構古く、そのためにたくさんの「木材サンプル」を持っているのね。今では入手が難しい希少木材も有るのだとか。


それらを元にパターンを作り、印刷し、表面に凹凸をつけて質感まで再現し…


流し見なら3分、解説読んでも15分程度。なかなか面白い展示でした。




さて、いよいよ家に帰りましょう。長男も留守番してるし、夕飯の時間には戻りたい。


でも、次女からもう一つリクエスト。東京駅によるのであれば、「東京駅で暗殺が行われた現場、2カ所を見てみたい」。

次女は歴史好きで、興味あるようです。東京駅なら通りますから、それくらいの時間はあるでしょう。


飯田橋から東西線で東京へ。東京駅まで歩きますが、ここで近い改札は「丸の内北口」。暗殺現場は「丸の内南口」なので、しばらく歩きます。


長女が、東京駅カッコいいねぇ、と感心しているので、父さんが子供のころは、屋根のドーム部分がもっと武骨な八角形になっていてね…というような話をします。

戦争で焼けおち、急ごしらえで復旧したままずっと使ってたのを、2000年ごろから元の形に修復して格好よくなったんだよね。


さて、丸の内南口。

ちょうど、説明した「修復工事」の事を伝える展示パネルがありました。


そして、そのすぐ近くに大正10年に当時の原敬首相が暗殺された場所、というパネルが。

目的の1つ目達成。



次は中央通路から4・6番線階段を上るところ…

と、google gemini は回答していました。でも、4・6番線って全然違うところだし、階段も複数ある。


AI の回答は当てにならないので詳細調べたら、東海道新幹線に上る階段付近とのこと。

この階段も非常に「広い」ので少し探しましたが、無事発見。


昭和5年、浜口雄幸首相が暗殺された現場です。厳密には、この時は重傷を負っただけだけど、この傷が元で翌年死亡。




当初は美術館と博物館に行くだけの予定が、明治生命館と凸版の製品展示と暗殺現場も見て、ついでに次女が食べたいというコメダで昼ご飯を食べ、非常に充実した内容になりました。


この後東海道線に乗り、夕食の時間の19時半には家につけるだろう、と思ったのですが…


品川についた時点で「この先で人身事故があったため、この電車は当駅止まりとなります」とアナウンス。

幸い別の電車でも家には帰れるので乗り換えましたが、家に帰りついたのは20時過ぎでした。


長男はぐっすり寝たらなんだか疲れも取れたそうで、元気そう。

帰り道でいろいろなものを買ってきたので、すぐに夕食となりました。



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G.W. 東京編 (3/4)  2026-05-03 19:00:29  社会科見学 家族

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G.W. 東京編 (3/4)

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予定していた2つ目の場所へ。

地下鉄丸ノ内線有楽町駅…コメダ珈琲の前からさらに階段下がると繋がってるのね。

ここから、飯田橋まで。


飯田橋からは歩いて10分ほど。凸版印刷内の「印刷博物館」が目的地です。


ここでやっている特別展「名著誕生展 ヴァチカン教皇庁図書館Ⅲ+」を見に来ました。

現存する世界最古の図書館が「バチカン教皇庁図書館」だそうで、2世紀ごろの写本から収蔵しています。

凸版印刷はそのデジタル保存技術に協力しているのだそうで、通常ではとても借りられない貴重な本を借りてきて、展示しています。


で、先回りして書いておくと、この特別展はそれほどすごくありませんでした。

というか、十分にすごい内容だったのだけど、特別展の前に見ることになる「常設展示」の方がはるかに面白かったので、期待値を高めて行ったら肩透かしを食らった感じ。




常設展示は、印刷の歴史です。


まず入ると、「プロローグ」という展示がある。ここの展示は一切解説がない。

ハンムラビ法典を刻んだ石柱とか、ロゼッタストーンとか…まずは「情報を文字として伝える工夫」がごちゃ混ぜに置いてある。


その後、展示物の下部にはミニチュアで「情報を伝えようとする人」の造形が付き、その頃の「情報物」が上に並ぶ。


洞窟壁画から始まり、石に碑文を刻み、写本の時代があり、活字が発明されて、グーテンベルグの印刷機、輪転機、電子植字に至る…


あ、これ、「本好きの下剋上」のアニメ第三期 ED で見た奴だ。

今調べたらやっぱりそう。ここのミニチュアにインスパイアされて作ったのだそうです。


ここで「大まかな流れ」を掴んだうえで、実際の細かな説明が始まります。




ところで、プロローグの広場の端に、現存する中では最古級の印刷機…の「レプリカ」が置いてあります。

実物を持っているドイツの博物館があり、共同研究で凸版印刷がレプリカを2台作ったのだそうです。


1台はドイツの博物館にあり、1台はここにあります。

実物は貴重品だけど、レプリカなら実際に印刷してみせることができます。


というわけで、毎日15時から10分間、説明して印刷の実演が行われます。


この日は14時ごろに博物館に入ったので、途中で戻ってきて実演を見ました。

まぁ、機械を見れば想像つくようなことしかやらないのですが、実際の印刷を見せてもらえるというだけでも、なかなか興味深いものでした。




さて、プロローグの次は、その内容が実際に解説されます。


この説明部分が本当に素晴らしい。大きな部屋に、古い「印章」などの技術から始まり、印刷が発展していくさまが、実物と解説で分かりやすく示されています。


技術の発展には時代の要請もあるので、それがどういう時代で、なぜその発展が必要だったか、ということも示される。

そして、発展した技術がそれまでと違って「何が良いのか」も書かれている。


一方で、壁には大きな年表が作られ、そこで展示されているものと、「それ以外」の印刷関連の事柄がまとめられています。

展示などには入っていないのだけど、「プルシアンブルーの発明」なども入れられている。化学合成顔料・染料は、印刷を大きく前進させたからね。


木版活字が最初に作られたのが韓国だとは知らなかった。中国だと思ってた。

でも、ハングルは「活字にしやすい」ことも考慮されて考えられた文字体系なのか、と思うと妙に納得。


江戸時代の草紙本とか、崩し文字でつながっているので、手でいちいち彫っているのだと思っていた。浮世絵版画作るような職人もたくさんいるので、文字を彫るのも大変ではなかったのだろう、と。


しかし、つながった崩し字一つながりごとに活字になっているのだそうです。つまりは「単語ごと」の活字。木版活字なので、同じ文字でも微妙に形が違っていたりして、だからこそ「全部手で彫っている」のだと思っていました。


また、活字は「文字しか扱えない」ので、絵を表現する印刷技術の話も同時に進んでいきます。


線を「彫り残す」凸版よりも、線を「彫り込む」凹版の方が細かな線を表現しやすい。

解体新書の初版は凸版だったけど、後に凹版で再出版されているそうで、両方が並べて置いてあります。同じものが並んでいるので、技術の違いの利点がよくわかる。


そして、凹版でも「彫る」必要があるのを、「描く」だけにした平版印刷へ。


すごく細かく説明されているのに、ほぼ最後付近にあった「写植機」のイメージ復元では説明なし…


僕は理解しているので子供に教えながら操作したのですが、多くの人が「操作してみたが、意味が分からん」という感じで通り過ぎていきました。もったいない。




解説も細かく読んでいたのでたっぷり時間をかけました。

目当ての「ヴァチカン教皇庁図書館」の展示に入ったのは、もう16時近く。


先に書いたけど、基本的にはラテン語などで書かれた本が並んでいるだけです。

ここまでの展示が解説もあるし、場合によっては手を動かして学べる内容だったので、見てもよくわからない言語の本を見るだけ、というのは少し退屈。


あと、「ヴァチカン教皇庁図書館」展ですが、もともと印刷博物館で収蔵していたものが多めです。バチカンから借りてきた本と、それに関連する収蔵書籍を一緒に並べることで深みを出している、という意味で悪くはないですが、思ったほど希少本がなかったのも事実。(印刷博物館収蔵の本も、十分希少ではあるのですが)


いくつか印象に残っている物だけ解説します。


最初に、過去に行われた展覧会の振り返りが、概要で示されていました。

まず、凸版がバチカン図書館のデジタルアーカイブ作成に協力していること。


羊皮紙の本は、羊皮紙自体が高価で貴重なものだったので、「書いたものを消して使いまわしている」ことがあること。

そして、以前の内容を、赤外線撮影で読み出せる技術があること。


そうやって多くの本を赤外線で記録した結果、人の手には負えないほどのテキストが出てきたため、現在 AI を使った解析プロジェクトが進行中であること。

すでに、完全に失われたと思っていた福音書の一部が再発見されたり、成果が上がっているのだそうです。




最初の方には、非常に古い時代の写本なども置かれていましたが、僕が気になったのは「禁書目録」。


なんかオカルト方面ではすごい力を持つ本だということになっているのですが、実物は「教皇庁によって禁止と決定した本のリスト」なんですね。まぁ、禁書目録という名前から当然か。


教会では昔ながらのやり方を守ることが重視されていて、聖書なども写本を良いものとしていたのだけど、禁書目録は「どんどん増える禁書」を速やかに、多くの教会に示すために、活字印刷でたくさん作られたのだそうです。

教会も必要に応じて最新技術を取り入れる。


さて、そんな「禁書」とされたものも展示されています。

コペルニクスの「天球の回転について」や、ガリレオ・ガリレイの「星界の報告」など。


先の禁書目録と合わせ「生爪はがされそう」とは妻の言葉。

(「チ。」ですね)


デカルトの書籍に関しては、初版本に、デカルト自身が直筆で欄外に直しを入れたものが展示されています。

次の版からはその内容に変わっているらしい。


デカルトって、「我思う、ゆえに我あり」の人ね。

「当たり前」を徹底的に疑って、周囲にある目に見えるもの、触れるものも否定して、それでも「それを考えている自分は否定できない」というところから世界を構築しようとした哲学者。



ニュートンの「プリンキピア」もあります。

複雑な数式が並んでいる。ここで、数式を組版することがいかに大変か、解説ビデオが流されています。


クヌース教授とか、組版時に数式に間違いが入りやすいのにイライラして、全く新しい「コンピューター組版システム」を作り上げていますからね。

これは1980年代の話ですが、今でも数式を多く含む書籍を出版する際のスタンダードになっています。



あと、世界初の百科全書「エンサイクロペディア」もあります。

今では「エンサイクロペディア」という言葉は一般名詞で百科事典の意味ですが、元は本のタイトルとして作られた造語だったのね…。




最後の方は、だんだん時代を現代に近づけていって、ヨーロッパで出版された書籍が日本の文壇にどのような影響を与えたか…というような展示になっていきます。

最後には鉄腕アトムや鉄人28号もある。ほぉ、当時は鉄人の方が人気あったのか。


で、ヴァチカン教皇図書館展は終わり。



出口付近に印刷工房があります。見学や体験は予約が必要。

この日は時間がないだろうと思って予約していませんでしたが、ガラス越しに見るだけでも十分面白い。

いろいろな時代の印刷機が並んでいます。



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G.W. 東京編 (2/4)  2026-05-03 18:59:00  社会科見学 家族

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G.W.  東京編 (2/4)

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さて、前述の静嘉堂文庫美術館は、明治安田生命の本社ビル内にある。

このビル…「明治生命館」は、建物としては最初に国指定重要文化財となったものだ。

(現在、実際の本社機能は隣接するビルにほとんど移管されている)


美術館の中にはトイレがない、という表示があったため、入る前に「ちょっとトイレに行っとこう」とトイレ表示のある方へ進んだ。


そこには、建築当時のままだという古めかしいエレベーターがあった。

うわ、カッコいいと思い写真を十分に撮る。


そういえば、すぐ近くには「私設郵便函」と書かれた…つまりはポストもある。

写真撮ったのだけど、なんか変な感じだな。ポストの上の方に、ガラスか何か嵌め込まれた透明な部分があり、天井まで続いている…


「それ、上の階から投函した郵便物も、全部ここに入るようになっているんですよ」と、ビル入り口の警備をしていた警備員の方が教えてくれた。


なるほどー、と感心していたら、館内の見取り図を持ってきて「エレベーターなども先ほどから興味あるご様子でしたが、こちらにある物は実際に乗ることができますよ」と、別の個所のエレベーターを教えてくれた。


それは興味ある。美術館見終わったら行ってみます。




というわけで、エレベーターを見に行く。

入ってみたら、中はさすがに改装されていた。


というか、本当に建築時のエレベーターは、第二次大戦中の金属供出で壊されてしまったそうだ。

戦後返還されたときに当時の技術で作りなおしたもの…を、さらに「見た目がそのままになるように」最近の技術で作りなおしているようだ。

(本当のところはわからない。金属供出で壊されたのは事実だが、その後のことは僕の見立てに過ぎない)


で、1階と2階をつなぐだけのこのエレベーター、2階で降りたら受付があって「いらっしゃいませ」とあいさつされた。


あ、すみません。エレベーター乗ってみたかっただけです…と謝ったら、ここは重要文化財であるビルを、昔の内装のままに一般公開しているエリアらしい。

せっかくここまで来たのだから見ていくか。警備員の人に「エレベーターに乗れる」なんて言われて、うまく誘導されたようだ。




まったく予定外の時間だったのだが、見てよかった。


明治生命は第1次世界大戦から第2次世界大戦の間に本社ビルを作りなおしたのだが、皇居の目の前という立地条件もあり「誰が見ても立派に見えるような」建築を目指したようだ。

実際、強固に作られていて今でも古さを感じさせない。


皇居の前という便利さもあり、第2次大戦後に GHQ に接収・使用される。

(本部ではない。本部になったのは、すぐそばにあった第一生命館。こちらは現在は存在しない)


一般公開エリアは、当時のままの調度品などがおかれた部屋を回れる形。

100年近く前の建物だが、「吸引掃除機」のための仕掛けがあったり、全館空調があったり、各部屋に大きい時計があったり、非常に先進的。


というか、それを「先進的」とするのが古臭くはあるのだけど。

吸引掃除機は今では当たり前に使われる、いわゆる「掃除機」だけど、当時はモーターで吸引する装置を、今ほど小さくは作れないのだ。


ビルの地下に巨大な真空ポンプモーターがあって、その吸引パイプがビル内の各所に作られている。

蓋を開け、ホースをつなげば掃除機として使える、というやり方だ。


全館空調も同じく。今みたいに小さなエアコンなんて作れない。各部屋に大きな吹き出し口があり、ダイアルで空気量だけ調整できるようになっている。


時計も、この当時は小型のムーブメントなんてない。マスターとなる時計が一カ所にあり、1分ごとに「パルス」を送り出す。

各部屋の壁に埋め込まれた時計は、パルスを受けると分針を「1目盛り」だけ動かす。これだけの仕組みなので、時計を作るよりはずっと簡単だ。

何よりも、正確な時計を作るのが難しい当時、時刻調整をやるにしても「マスター1カ所で」行えば、全部に反映されるというのは非常に便利な仕組みだっただろうと思う。

(今でいえば電波時計のようなものだ)


しかし、100年前だとこれは最先端技術だっただろう。


あ、ちなみに、ここに書いたのは僕がこういうの好きだから知っていただけで、解説はどこにもないです。知っている人がいると面白いけど、そうでないと「ただ骨董趣味の部屋を見せられているだけ」になるかも。

まぁ、それだとしても、当時の豪華絢爛さは伝わってくるすごい作りなのですが。

天井とか、細かな立体細工が沢山あるので見上げて歩くことをお勧めします。




昼ご飯。


明治生命館横の「明治安田ビレッジ」で食べる予定だったのだけど、来る際に有楽町駅近くのビッグカメラ地下にコメダ珈琲があるのを見つけた次女が「コメダで食べてみたい」と言っていたので予定変更。


すでに時間は1時近く。予定外の明治生命館を見たので、予定より遅くなっています。


コメダ…案外高いよね。軽食にドリンク付けると2000円近くなってしまうので、ハンバーガー・ホットドックと「水」で。

しかし、値段は高いが量は多い。妻には量が多かったようで、少し気分が悪くなってしまった。

午後の間ずっと、時々休みながらの行動になります。



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G.W. 東京編 (1/4)  2026-05-03 18:58:06  社会科見学 家族

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G.W. 東京編 (1/4)

G.W. 東京編をまとめて読む


今年は長女が大学入学して、大学のスケジュール感とかわからないので G.W. の予定を考えられるようになったのは4月中頃。


昨今の物価高と、外国人観光客の多さで宿はどこも値段が高い。

直前になって空いている宿なんて、1人3万円以上の所ばかり。家族5人で15万も出す気はない。


しかしまぁ、日帰りできる範囲で楽しむことはできるだろう、と、子供の意見なども聞きつつ、思いつくままに行ったら楽しそうなところをリストアップ。

それをまた家族にみせて、興味ある所の意見をもらい、そこを中心に日程を組んでみる。


というわけで、まずは「東京編」だ。5月2日、連休の初日に設定した。




当日朝、行く準備をしていたが長男が調子悪そう。

熱を測ったら 37度ちょうどだった。


大学が忙しくて疲れ気味だったので、休みだと思ったとたんに疲労で熱が出たのだろう。

本人も家で休んでいる方が良さそうだというので、今回は長男は不参加で。

チケット取っちゃってある分もあるが、そこは仕方ない。体調不良を押して悪化しても困る。




家を8時半ごろ出て、有楽町駅には9時55分ごろ到着した。


有楽町は僕が仕事でお世話になっている会社がある駅で、たびたび来ている。

実は前日の金曜日にも行っていて、目的地までの道を下調べ済みだ。


そのまま皇居の方に歩いて10分ほど。静嘉堂文庫美術館に到着。


国宝の「曜変天目茶碗」を持っている美術館で、毎年 G.W. には展示を行っている。

今回は、「美を味わう ー懐石のうつわと茶の湯」という展覧会。茶の湯に使われる道具を中心に展示・解説している。


まず最初に、正式な作法での「茶会」の最初に行われる「懐石」の解説がある。

まずは出席者に料理を食べてもらい、もてなす、という部分だ。

ここでも、ステップごとに使われる器などが並べられている。


懐石の作法なんて知らなかったのだが、まぁ食事なので、手前には「飯」と「汁」が並ぶ。そして、奥に料理が付けられるのだが、この料理を「奥付」というのだそうだ。

そして、最初に出される料理こそ最初から器に乗っているが、以降は大きな器で全員分を持ってこられて、空いた器に取り分けられる。


ここで、奥付の器は「何度も使われる」し、「空になって底や裏を鑑賞するタイミングも来る」ため、亭主のセンスが一番表現されるらしい。



というわけで、次の展示。「奥付に使われる」ことを想定して、いくつかの器が並ぶのだが、実際に料理を載せた写真なども付けられている。

江戸初期に焼かれた貴重な皿とかを実際に使っているわけだ。皿には料理を載せないと真価がわからない、とは思うが、なかなかこういう展示はできない。


なお、あとでミュージアムショップ行ったら、この一部始終は雑誌で特集されていて、その雑誌を販売していた。




さらに、「それ以外」の器を展示する。静嘉堂文庫美術館の収蔵品で、お酒を入れるための酒器や、料理を持ってくるための大鉢、盛り合わせを出すための八寸皿など。


織部って本当に深緑なんだなぁ…みたいなことを言っていたら、長女が「織部は緑?」と不思議そうにした。

静かにしないといけないので出てから解説したのだけど、「織部」は名前ではなく、官職名。古田織部はなにか手柄を立てて官職名を名乗ることを許される。

(つまりは、重用されていることの証だ)


この時、機織り集団をまとめる職である「織部」を選ぶ。あくまでも官職名を「名乗る」ことが目的で、仕事にしたわけではないのだけど。


当時すでに宣教師は来ていて、彼らが深緑を「オリーブ色」と表現していたのを知っていたのだとか。

そして、その緑色を気に入った織部は、候補役職の中に「織部」があるのを見て、オリーブと音の響きが似ているから選んだ、という説がある。

そして、彼は茶の湯をたしなむ中で、自分でもオリーブ色の器の作成を目指すのだ。

(実際作成したのは職人たちだが、そういうものを作れ、と指示したのは織部だ)




最後は特に貴重な品をまとめたエリア。

千利休、秀吉などが愛用した品などがあるが一番の目玉は「曜変天目茶碗」。


以前は「世界に3つしか残っていない」といわれた中国で焼かれた茶碗なのだが、構造色になっていて光の当たり具合で色が変わる。

残っているものはすべて日本にある。中国では「一時流行った作り方」だが、日本では海外から来た貴重な品なので、とても大切にされていたらしい。


どうやって作るのか不明。3つしか残ってないので成分分析などをすることもできない。

ただ、近年中国で「壊れた破片」がいくつか出土しているそうだ。以前は3つしかなかったのが、サンプルが増えれば研究も進むかもしれない。


ここでは、展示の都合でそれほど強い光は当てられておらず、構造色になっているというのはよくわからなかった。残念。



妻は以前に一度曜変天目を見ているそうで、あまり興味はなかった…のだが「つくも茄子」があることに驚いていた。

僕は下調べしていたので知っていたのだが、妻がそんなにこれを見たかったのだとは知らなかった。


下膨れの玉のような形が茄子に似ているのでこの名前がある、小さな蓋つきの器で、抹茶を入れていたもの。


正直なところ、これがそれ程よいものだというのはよくわからない。

ただ、「歴史的な興味」は非常にそそる品だ。

古くは足利義満が持っていたもので、「名物」として、歴史上の権力者たちが所有してきた。

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康も所有者で、玉璽のような「所持者の権力を示す」品となっている。


織田信長は茶道具として、いつも持ち歩いていたらしい。

ところが、本能寺の変で燃えてしまった…とされるのだが、実際には難を免れたらしく、豊臣秀吉の所持となった。


しかし、大阪冬の陣で大阪城は焼けおち、つくも茄子も燃えてしまった。

次の権力者となった徳川家康は、焼け跡に茶道具の燃え残りがないか、捜索指示を出す。


ここで、いくつかの茶道具の破片が見つかったため、さらなる捜索指示が。

ついに、「粉々に割れた」つくも茄子は、その破片がほぼ見つかり、修復される。


そして、表面を漆で塗りなおし、超絶技巧で「まるで表面に釉薬がかかった焼き物のように」仕上げられるのだ。


…展示されているものを見ても、非常に綺麗で割れているように見えない。

でも、展示の横にはX線撮影した写真も示されていて、確かに粉々に割れている。のみならず、組み立てた際に「ろくろ引きした際の筋」までが綺麗にそろっているのだ。割れたのを適当に合わせたのではなく、作成時の筋まで綺麗に揃うように修復されたのだ。


これは余りにも超絶技巧。徳川家康は深く感心して、修復した職人に褒美として、この「つくも茄子」自体を贈ったそうである。


静嘉堂文庫美術館は以上。解説付きの図録は1000円と激安だったので、ミュージアムショップで購入。先に書いたが、今回の展示に合わせて「実際に器に料理を盛った」顛末を書いた雑誌も一緒に買った。



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雑草  2026-04-28 12:16:59  料理 住まい 家族

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「雑草という草はない」というのは、牧野富太郎の有名な言葉。


昭和天皇もこの言葉を言ったとして有名なのだけど、受け売りだろうね。

昭和天皇は生物の分類学者でもあったので、様々な草がひとまとめに「雑草」とされるのを良しとはしなかったのだろう。


じゃぁ雑草って何か、となると定義は難しい。

以前テレビ(タモリ倶楽部)で学者さんが「個人の考え」として言っていた定義「土地の持ち主が許可していないのに生えている草は雑草」は本質的だと思う。


最初は花がかわいいから植えた草だったとしても、時折旺盛な繁殖力を見せるものもある。

こうなると、最初に植えたのは自分であったとしても、駆逐したくなる。

そして、駆逐できなければ「雑草」となる。




さて、最近温かくなってきて、草の繁殖が凄い。


我が家で非常に多い「雑草」は、トリケトラム。「トリ」は3の意味で、茎が三角形をしている。

日本では「三角葱(ミツカドネギ)」ともいうが、葱の仲間。というか、ほぼニラ。(香りが少し弱い)


とても可愛い花を咲かすので好きなのだが、やたら増殖するので、毎年食べ放題になっている。

根っこは小さな球根になっていて、葱の味が濃い。

葉っぱはニラのよう。茎も食べられるし、花も美味しい。つまり、全部食える。


ニラのつもりで料理すれば大丈夫。香りが少し薄いけど、雑草だから多めに入れればよい。


少し長めに切って、細切れ肉といっしょに煮込んで卵とじ、とか美味しい。

味噌汁にしても美味しいし、細かく刻んだら葱と変わらないのでチャーハンとかに入れても良い。


とにかく使い勝手が良いのだ。買い物に行かないでも庭から使い勝手の良い食材が取れる有難さ。


食べられる時期は1か月程度。今絶賛旬を迎えている。




20年ほど前、現在の家に引っ越してきてすぐに、観賞用のバナナを買った。

最初は鉢植えだったが、大きくなってきたので、庭に作った家庭菜園の端に植えた。


…これがその後大繁殖。


観賞用とはいえ、バナナとしても食べられる。ただ、種が大きくて多く、バナナを食べるというより「種の周りの甘い部分をしばらく口の中で味わったら、全部吐き出す」という感じ。


とにかく増えてしまって、手におえない。雑草化している。

なので、今年は少し間引こう、ということになった。

今ちょうど地面から新芽が出てきている所なので、新芽の部分を根っこから掘る。


バナナを含む芭蕉科は単子葉類で、稲や竹と同じ仲間。

「新芽」と書いたが結構大きく、小さな筍(タケノコ)だと思ってよい。


そして、食べ方や味も筍のよう。

周りの皮をむいて、中心部分を茹でる。湯でこぼしてもえぐみがあるので、薄い酢に一晩浸して中和させる。

「加食部より皮の方が多い」というのも筍と同じ。


筍よりは柔らかく、筍の穂先、もしくは姫皮だと思ってもらうと良い。


薄切りして塩でもんだきゅうりと、細かく切ったバナナの茎をあわせ、梅肉と砂糖であえてみた。

筍の姫皮でつくる料理だけど、バナナの茎でも美味しかった。

酢水にさらしているから少し酸っぱいのだけど、梅と合わせることで気にならないようにする、という意味合いもある。


ただ、これはちょっと「つけ添え」程度の小鉢料理。大量消費できない。


まだバナナの茎があったので、軽く炒めて醤油と砂糖で味付け、ごま油で香りを出す。

きんぴらだ。普通は固い野菜で作るが、シャキシャキとした歯ごたえはあるので、美味しい。


バナナの新芽の茎も、雑草として駆除する際には美味しく食べられると判った。




もう一つ、我が家では茗荷(ミョウガ)も大繁殖している。少し間引きたい。


こちらも、新芽が出てきたところで食べてしまえばよい、というので試した。

妻が作ったので料理法はよくわかってないのだが、こちらも筍のように周囲の皮の部分は剥いて、芯に近い部分を食べる。


茹でてから、甘酢につける。食べてみると、本来の「茗荷」ほどの香りはないのだが、ほのかに香って美味しい。




例年、香椿(ちゃんちん)の新芽も食べるのだが、こちらは季節的にもう少し先かな…


こちらは木で、すぐ大きくなるので毎年切り詰めている。

切っても脇芽が出てすぐ伸びるのだが、この脇芽もたくさん出るので、有望そうなのを残して詰んでしまう。


で、詰んだものは塩茹でしたうえで、卵といっしょに、ゴマ油で炒める。


香椿は中華の食材なので中華風に料理しているのだが、ニンニクの香りがする。

ネギ類でもないのにニンニクっぽい香りがあるので、仏教寺院などでは食材として庭に植わっていたりするらしい。


ネギ類を食べることは戒律で禁止だが、それっぽい香りだけでも…と考える時点で煩悩まみれでは?



2日後に追記


セイタカアワダチソウの事を書き忘れていた。


昔は「秋の花粉症の原因」なんて言われたが、誤解であることが分かっている。

昔から草姿は好きだったのだが、花粉症になると言われて近づかなかった。しかし、今は誤解とわかっているため、庭に生えてもわざと残している。


この季節の新芽の柔らかい部分を詰んで、お茶にして飲むと爽やかな香りがする。

短時間でも十分香りが出るので、「色が出るまで」置こうとしてはいけない。色が出るくらい置くと、非常に苦くなる。

もっとも、苦くなってからでもお湯で割って飲めば十分美味しい。


このように苦みがあるが水に溶けやすいので、茹でておひたしにしても美味しい。

砂糖とゴマで和えて胡麻汚しにすると、少し残った苦みを甘味で包み込み、独特の香りも残り美味しく食べられる。


てんぷらにもしてみたが、苦みが残り子供受けしなかった。

ただ、大人には美味しく食べられる。


苦みは「毒」を示すものであると同時に、毒も理解して摂取すれば薬になる。

そのため、若いころは苦みに対する感受性は高く、年齢を経るにしたがって苦みを感じにくくなることが分かっている。


なので、「大人の味」というのは、老いた舌では苦みを感じない、という意味であって、子供が背伸びして食べる必要はない。



追記ここまで。




もう1か月くらい前だと思うが、春先にはツクシを食べた。

これは我が家の庭にはあまり生えず、近所の空き地でとってきたのだけど。



「雑草を食べる」と人に言うと、不味そうだと言われることもある。

でも、適切な知識を持って、適切に料理すれば、どれも美味しい食材だ。



「雑草」と言われて、具体的にいろいろな草を思いつかない人だと、雑草は総じて「不味そう」なのだろう。

いくらかの雑草は食べられる、と知っている人には、自分で食べないまでも、食べることは理解してもらえる。


「雑草という草はない」という言葉だけが有名になっているのだけど、これも言葉として知っているのと、具体的に雑草とされやすい草を思い浮かべられるのでは大きく違う。


そして、具体的に知っていれば、どれが美味しそうかという話も自然に受け入れられる。





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