2014年06月30日の日記です


ヴァネバー・ブッシュの命日(1974)  2014-06-30 17:39:55  コンピュータ 歯車 今日は何の日

今日はヴァネバー・ブッシュの命日(1974)。


機械式のアナログコンピューターを考案した人で、第2次世界大戦時のアメリカで、軍に「科学的な」知見の提供を推し進めた人。


この、科学的な知見があったからこそアメリカは核兵器の開発に成功したのですし、どんな戦局で敵を確実に狙える射表を作り続けていたのです。




彼は天才でした。MIT を卒業し、しばらくは軍で働きますが、数年後には教授として MIT に戻ってきています。

この時に微分解析機を発明しています。



機械式計算機、というと、通常は歯車を使用します。

これは、お金の計算をするような際には非常に役立ちますし、簡単な計算アルゴリズムで求まる値を出すのにも役立ちます。



しかし、この方法で砲弾の着弾点を計算するなど、事実上無理でした。


歯車計算機は、デジタルで演算を行います。「連続した」計算は得意ではありません。


たとえば、射表を作るために砲弾の動きを計算するとなると、「連続して」飛んでいく様子を計算する必要があります。

これは繰り返し計算を行うことになるのですが、1回の計算ごとに、いくつものパラメーターの再計算が必要になります。


速度は刻々と変わりますし、空気抵抗は速度の関数です。ある時点での抵抗を求め、その抵抗を元に速度の変化を求め、変化した速度でまた抵抗を求め…

重力加速度の考慮もありますし、計算が膨大なのです。


効率よく計算するには、1回の計算で砲弾のすすむ距離を大きくとればいいのです。

しかし、そうすると誤差は大きくなります。計算ごとに誤差が蓄積し、着弾点は全く見当はずれの場所になります。


1回の計算で進む距離を小さくとれば、誤差は小さくなりますが、計算の回数が膨大になります。


しかも、空気抵抗は気温や湿度によって変わります。重力も緯度によって異なります。

これに、大砲の角度や火薬量のパラメータを加え、何度も何度も計算する必要がありました。




彼はこの難題に対し、「アナログコンピューター」という、新たな概念を発明しました。


…いや、アナログ計算機はすでにありました。計算尺とか、非常に簡単だけどアナログ計算機。


彼が作ったのは、歯車の代わりに円盤とゴム製の車輪を使うコンピューター。

位置を「少しづつ」変えることで、ギア比に相当するものを連続して変えられます。


ある車輪の回転が、別の車輪の位置や回転に影響を与えるようにすると、連続した計算を続けることができます。


そして、計算が終わると…砲弾の高さを示す車輪が「地面」に達すると、機械は停止します。

この時、砲弾の「発射位置からの距離」を示す車輪のある位置が着弾点です。


この方法で、膨大な射表を作ることが可能になりました。


他にも応用は可能ですが、実際多くの射表が、ブッシュの作った微分解析機によって作られています。



ブッシュは、後に MIT の副学長にまでなっています。

エリートだったのです。




ブッシュは天才であり、自分が天才であることを知っていました。

そして、凡人は天才の意見に従うべきだ、という強い信念を持っていました。


つまりは、自分こそが正しくて反対するやつは気に食わん、という非常に困った考えの持ち主です。

人格破綻者と言ってもいいでしょう。


でも実際、天才ブッシュの意見は傾聴に値するものでした。



1939年。ブッシュはワシントン・カーネギー研究機構の総長となります。

アメリカの科学的権威の最高峰です。政府に助言を行い、政策を左右する力もありました。


ところで、第1次世界大戦では、アメリカ軍は参戦したものの、非常に多くの戦死者を出しました。

当時のアメリカはまだ「精神主義」で戦っており…つまり、気合さえあれば勝てる! と無謀な戦いを挑むことが多かったのです。


ここでブッシュは「科学的な戦い」の重要性を説き、国防研究委員会の設立を呼びかけます。

1940年、ルーズベルト大統領と会談し、わずか 10分で説き伏せ、国防研究委員会の議長の座につきます。


10分で説き伏せた、というのはつまり、ルーズベルトも「精神主義で戦いに勝てるわけがない」と感じていたのでしょう。

そこに、科学的研究の最高機関の総長が、国防のために科学的な協力を申し出たわけです。渡りに船で認めたのだと思います。


しかし、これによってブッシュの権力は有事に於いて政府より強いものとなり、政府を無視して様々な「国防のための」計画を始めていきます。



ブッシュは、軍の資金を「科学の研究のため」にばら撒きました。

ENIAC も、Whirlwind I もこの資金で作られましたし、原爆もこの資金で作られました。


ただ、ブッシュはいちいち個々の計画の承認・非承認を判断していたわけではありません。

ENIAC の開発プロジェクトが始まってからも、「射表の計算は微分解析機を使うのが一番で、デジタル計算機など役に立たない」と発言しています。



先に書いた通り、歯車計算機では計算量が膨大すぎて役に立たなかったのは事実です。

そして、ブッシュは自分の考えが正しいと常に思っていました。


幸い、彼が ENIAC への研究資金を引き揚げることはありませんでした。




ブッシュは、非常に責任の重い仕事についていたために忙しく、重要そうな情報を探し出すシステムを夢想しています。

1930年代には着想していたらしいのですが、この夢想を論文の形で発表したのは 1945年でした。



As We May Think」(我々が考えるように)というタイトルで知られるこの論文、今でいえばハイパーテキストシステムの考案です。

コンピューターの黎明期から、コンピューターの進化の方向付けに、大きな役割を果たしています。


…しかし、この話は、また明日




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