2014年11月の日記です

目次

01日 続・男と女とLGBT
02日 ホビーパソコン・オフ会
10日 秋は忙しい
10日 悪魔とドラキュラの誕生日
11日 スーパーカミオカンデの完成した日(1995)
11日 寺田貴信の誕生日(1969)
13日 キム・ポレーゼの誕生日(1961)
13日 全ての国民が…
14日 ピーター・ノートンの誕生日(1943)
16日 雑誌の発行日
18日 ポール・モカペトリスの誕生日(1946)
21日 サターン話のページ、全予定分 公開完了
22日 セガ・サターンの発売20周年


続・男と女とLGBT  2014-11-01 12:19:41  その他

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先日LGBTのことを書いたのですが、書いた後で新聞の夕刊見たら「ティムクックが同性愛者であると告白」という記事が出ていました。

記事内の詳細を読む限り、性癖としての扱い。


家で購読している新聞が最近になってLGBTへの理解を求めるキャンペーンを張り始め、そこでこの問題を深く知ったのですが、同じ新聞の中でLGBTを「性癖」として扱うのを見て、問題の闇の深さを改めて思い知った次第。




LGBTの話題なんて書くと反発がかなり来るかな、とこわごわ書いたのですが、思った以上の方が読んでくださり、真面目に受け止めてくれた模様です。

まぁ、反発意見は来ていますが、大抵は趣旨を理解しないで感情的に反発しているだけで、予想の範囲内でした。



真面目に考えた上での反論としての「ロリコンはどうなんだ」というのは、実は先の記事を書くときに僕も悩んだ問題。

「スカトロとかSMとか」を例に出しながら、ロリコンやペドファイルを含まなかったのは、議論を単純化するためでした。


反論として筆頭に考えていたので、自分なりの答えはすでに用意できています。



でも、その前に別の話題から。



▼LGBTの「生物学的」役割


以下に書くことは、僕の思考実験に過ぎません。

LGBTの問題を考えるとき、生物学的に「なぜ」LGBTが必要なのだろう、と考えていました。

5%というのは、結構多いです。決して、遺伝子欠損などの奇形として生まれてくるわけではない。


生物学的には、男と女がペアにならなくては子孫を残せません。

合理性でいえば、「それ以外」の性であるLGBTの方々は、子孫を残せないので遺伝的に「消滅する」はずです。

にもかかわらず5%という高割合で残されているというのは、生物学的にも重要な意味を持っているに違いない、と思います。



人は知恵を持ちすぎたため、単に「動物的に」セックスを行うのではなく、頭で考えて快感を作りだそうとする、という話があります。

これは事実でしょう。背徳的な状況を作った方が「秘め事」としての快感が上がる、という話もあります。


そして、LGBTが「背徳」であるがゆえに、その性癖を好む人々がいるのだ、という説もあります。


この考え方は違うように思います。

キリスト教では、LGBTは背徳です。しかし、男色が好まれた古代ギリシアや、LGBTに特に宗教的偏見のない日本では、「背徳」ではないにも関わらず、やはりLGBTは一定割合で存在します。


これはまた、LGBTが後天的に獲得する性癖ではなく、生まれついての「性別」の一つである、という主張の根拠ともなります。



また、同性愛は人間に限らず、野生生物一般にみられる行動です。

これも「背徳」説を否定するものとなります。


これがLGBTと同じなのか、僕にはわかりません。

一生「同性」にしか興味を持たないゲイなどは、ペンギンなどで観察されているようですが、その他の動物は長期観察例も少なく、一時的な行動(バイ)なのか、一生を通じた行動(ゲイ・レズ)なのかもわかりません。


特に、自己認識の性の問題であるトランスジェンダーは、外部から観察してもわからないでしょう。




水生生物…魚や貝などでは、「性転換」も普通のことです。

♪良くあることさ…海ではと歌われちゃうくらい。



大抵、卵と精子では卵の方がはるかにおおきいです。

そのため、卵を作るにはエネルギーがいります。それに比べると精子はエネルギーが少なくて済む。


一方で、卵を作りだせば「確実に」自分の遺伝子の子孫を残せます。

精子をつくるのでは、残せる可能性はありますが、他の雄との競争に敗れると子孫を残せません。



そのため、十分に餌があり、安全な環境ではメスでいる方が有利。

餌が減るなどの環境変化があると、オスに性転換してエネルギー消費を抑えて生き延び、子孫を残せる「可能性」を高めます。


性転換しない場合でも、卵の孵化する際の環境で雌雄が決まったり、遺伝的には同じで後天的に性別を獲得する例は非常に多いです。



人間の場合も、雌雄は体内の「環境で」左右されます。

この体内環境は遺伝によって…ホルモンバランスによって作られるため、先天的に決まっているともされるわけですが、トランスジェンダーの方への治療としてホルモン注射によって体内環境を操作することもあります。


#治療と言うと病気のようですが、トランスジェンダーは再三書いたように「性別」であり、病気ではありません。

 しかし、社会的な無理解により、鬱など精神病の発症原因とはなります。

 この際、本人の「性別不一致」の悩みを軽減するための方法として、ホルモン投与が行われます。


#このことは、LGBTの方々が「ホルモンバランス異常という病気である」という意味ではありません。

 LGBTが生まれながらの性であり、その状態で健康です。

 それが社会的にも認められれば、何の問題も生じないのです。




さて、生物にとって性とは非常に曖昧な存在で、性転換する生物もいるし、同性愛も一般的、と判ったところで、「なぜ」それが必要なのか、という疑問が残ります。


性転換については、先に理由を書きましたね。そうするほうが、子孫を残すうえで有利だからです。

では、「同性愛」はどうなのでしょう?


ここで、二つの可能性があると思います。


1つは、「性転換」する生物の名残である可能性。

性転換が不可能になっても、意識の上だけで性転換が行われてしまい、生物学的な性と意識の上での性が一致していない、という可能性です。


原因の一つとしてあり得そうです。


もう1つは、LGBTの存在は、「種の保存」としては有利に働いている、という可能性。

LGBTの固体は、残念ながら子孫を残せません。

なので、LGBTが「過去の遺物」でしかないなら、遺伝子が残せないことで消滅するはずです。


にもかかわらず、5% という「無視できない数」で残っているので、僕としてはこちらなのではないかと思っています。

LGBTが存在することで、何らかの形で人間全体としては生存に有利になるように働いている。


この場合、LGBTの方々を排除し、社会的な「抹殺」を行うのは、人間全体にとって不利な事のはずです。

彼らを社会に受け入れ、彼らでないとできない役割が担えるようにするといい。


LGBTの存在が人間にとって「有利」だったのであれば、必ずそのような役割があるはずです。



#注:子孫を残せません、と書いてますが、Bに関しては残せますね。

 しかし便宜上「LGBT」で一語としてあつかわさせてください。



▼ロリコン・ペドファイルの存在


ここで、最初の話に戻ります。

LGBTとロリコン・ペドファイルは同じなのか?


#ロリコン、という言葉が、日本では誤用され「ペドファイル」と同義として使われています。

 本来的には違うのですが、以下は日本人として馴染みのある「ロリコン」で統一します。



スカトロやSMは、「そちらの方が性的興奮を得られる」という趣味の問題で、快感を求めて徐々に過激になっていくものです。

「初心者」という言い回しがあったりするのも、そのため。

この点、先に書いた「快感を作り出す背徳的な状況」の一つかと思います。



しかし、ロリコンは、どちらかといえばLGBTにちかい、生まれつきのものなのかな、と思っています。

では、なぜLGBTとロリコンが区別されるのか?


LGBTは、生まれついての「性別」です。

でも、人間だから当然性欲も持ちます。


ゲイの男が、好みの男を見つけ、恋をしたとします。


この恋は…異性に対する恋心よりも前途多難にも思いますが、恋愛感情は本人にも制御できない、というのは多くの人が知るところです。


相手に告白したところ、相手もゲイ・もしくはバイで、無事カップルになれたとしましょう。

なんという幸運。めでたしめでたし。これなら、何の問題もなく幸せな結婚生活が送れるように思います。


#日本では法的に婚姻が認められない、という問題はありますが。


でも、なかなかパートナーを見つけられず、性欲がおさえきれなくなって、そこらへんにいた好みの男を捕まえて「強姦」したとしたら、これは犯罪です。


「性別」の問題ではなく「異常性欲者」であることが問題です。

別に、ゲイでなくて相手が異性だったとしても同じく犯罪になります。


ここでも、「ゲイだから」と特別視する必要は全くありません。



ロリコンにも同じことが言えるのですが、困ったことに、ゲイと違って「ロリコン」はロリコン同士を欲しているのではありません。

欲している相手は結婚が認められないどころか、性行為をすることが認められない幼少者なのです。


ロリコンを生まれついての「性別」と認めた場合、性により差別されてはならない、という憲法規定により、彼らの「幸せ」である、幼少者との結婚を認めなくてはならなくなります。


しかし、幼少者は十分に自分の意思決定に責任を持てるとは考えられず、婚姻すること自体が認められません。

婚姻が認められる年齢まで待てば、ロリコンの「幸せ」である幼少者ではなくなります。


ここで、矛盾が生じてしまうのです。



おそらくは、ロリコンはLGBTと同じような「性別」のひとつではないかと思います。

しかし、現代社会において、残念ながらこれを法的に「性別の1つ」と認めることはできないのです。




しかし、ロリコンもまた「生まれついての性別」だとすれば、LGBTと同じで生物学的な役割があるはずです。

僕はこちらの方がLGBTよりも説明しやすいのではないかな、と思っているので、先に話を出しました。



猿の集団などにも、異性には全然積極的にならず、子供の相手ばかりしている猿、というのが存在しています。

恐らくは、ロリコンと同じような性別なのです。


こうした猿は、「保育園」の機能を作ることで、群れ全体の役に立っています。

親が狩りに出かけるときに子供を預かっていたり、子供をまとめて引き受け、様々な知恵を授けたり。


これは群れの中に必要な機能なので、「子供好き」の猿がいなければ、誰かが代役を行うでしょう。

でも、「仕事を割り振られたから仕方なく」やるよりも、子供が好きでたまらない猿がやる方がきめ細やかなケアができ、リスクが少ない。



現代的にも、保育園などの機能は必須のものですし、「小さい子が好き」な人の性格は十分に役立ちます。

幼少者がかわいくてたまらない、というのは全然問題ないのです。


ただ、「好きだから結婚したい」というのは、残念ながら認められません。

先のゲイの例で挙げたように、異常性欲者となれば犯罪者として社会的な制裁を受けなくてはならなくなります。



▼ふたたび、LGBT


では、ふたたびLGBTに話を戻しましょう。


ペンギンではゲイのカップルが現実に観察されていて、飼育下では「親が育児放棄した卵を温める」という役割を見事にこなしたことが報告されています。



恐らくは、自然界であっても同じ状況では、同じようにふるまうのではないかと思われます。


彼らは、卵を産む能力を持ちませんが、育児能力は十分にあります。

そして、厳しい自然界では、何らかの理由による「遺児」は頻繁に発生するのです。



育児放棄した親が酷い、とかいう話も出そうだけど、これもLGBTと同じ問題。

何度も書いているように「性別は無段階のグラデーション」だと思います。

産む能力があるのと、母性本能の強さは全く別の問題。


つまり、ゲイやレズのカップルは、何らかの理由で「親のない子供」が生じた際の受け皿として、集団の中に「必要な」存在だったのではないかと思うのです。


遺伝的に直接の子孫が残せない、というのは事実ですが、そのために子育て期に入っても、準備は整っているのに子供がなく、手が空いています。

ここに「遺児」が発生すれば、すぐに後を引き継ぐことができるのです。


結果として、子を産めないにもかかわらず、ちゃんと子孫を残す役に立っている。



バイはどっちにもなれるワイルドカード的存在として良いとして、トランスジェンダーはどうなのでしょう?




途中にも書いたように、野生生物にトランスジェンダーが存在するのかは確認の方法がありません。

「自己認識」と言うのは比較的高度な技能なので、自己認識の上で自分の性別について思い悩む、というのは人間に特有のものかもしれません。



そして、人間の場合、脳の機能が男性と女性でずいぶん違うことも判っています。

男性は右脳と左脳をつなぐ「脳橋」が女性に比べ細く、そのため右脳と左脳をバランスよく働かせることが苦手です。


結果として、男性は「専門性」を持った職業に適しています。

左脳偏重だと論理性を持った仕事に向いていますし、右脳偏重だと発想を必要とする仕事に向いています。


女性は、右脳と左脳をバランスよく働かせることができます。

このため、全体の総合バランスをとる能力に優れ、人を相手として気配りする必要がある職業に向いています。


#以上は、もちろん個人の差もあります。

 繰り返しますが、「性別は無段階のグラデーション」なので、単純に切り分けられるものではないです。



さて、このような違いから、男女ではかなり思考のパターンも違います。

男と女で話がかみ合わないとか、そのためです。時には集団でいがみ合うこともあります。


でも、トランスジェンダーは、その中間に位置していることが多いです。

外見と内面が違うので、男からも女からも「ちょっとおかしい仲間」とみられ、どちらからも受け入れてもらえることがある。


男女がいがみ合い続けていれば、群れに危機が訪れます。子孫を残せなくなるかもしれません。

しかし、トランスジェンダーを仲介することでお互いの考えが伝わり、群れの仲が良くなれば危機を回避できます。


トランスジェンダーもまた、生物学的に子孫を残すことに寄与できるのです。



▼まとめ


最初に書いた通り、以上は全て僕の思考実験に過ぎません。

生物学的な知識とかそれほどないし、間違った前提もあるかもしれません。



しかし、LGBTが事実として5%も存在する以上、これは「異常」ではなく、社会的な必要性があって存在しているのだろうなぁ、と思うのです。


思考実験として示したものは、その「一例」にすぎません。

間違えた前提の指摘があったとしても、別の例はいくらでも作り出せるように思います。

つまるところ「存在している以上、それは必要だからに他ならない」ということです。


ならば、LGBTを嘲笑し、排除しようとするよりも、必要と認めて受け入れたほうが、社会全体のためになるはずです。


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ホビーパソコン・オフ会  2014-11-02 16:27:14  コンピュータ 歯車 社会科見学

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ホビーパソコン・オフ会

ツイッターで知り合った、「ホビーパソコン興亡史」の著者さんが、10月29日に「ホビーパソコンガイドブック」という書籍を発行するという。


あー、興味あるなー、どうしようかなー、と思っていたところ、発売前から大人気で、予約だけでアマゾンのカテゴリー1位となった、と聞いてすぐ予約しました。

前著「興亡史」も気になりながら買っていなかったので同時購入。この2冊は補完関係になるように作っている、と聞いていたので、セットで持っていないと面白さが半減しそうです。


内容詳細についてはきっと他の方が書評を書くのでそちらに譲ります。

雑感としては、どちらも相当の誤りを含みます。これは著者の方も認めるところ。


しかし、30年も前の散逸した資料を、メーカーなどにも存在しないのにかき集め、整え、まとまった形で書籍にしたことが素晴らしいです。

2冊組だというのも、文字を中心とした解説と、カラー写真を中心とした図版の両面から記録に残すため。

特にカラー中心の「ガイドブック」は、ほぼ全ページカラーにもかかわらず1200円というお手ごろ価格で驚愕です。




さて、出版前からカテゴリ1位になった記念に、興味のある方で集まってお話しませんか、というお誘いがありました。

…いや、僕が誘われたわけではなく、そういう話になっているのを知って「参加したい」と割り込ませてもらったのですが。


最近主夫しているので、オフ会と言うものに参加するのが久しぶり。

妻の許可も得て、11月1日のオフに参加させてもらいました。


#昔からパソコン通信などやっていたので、オフ会自体はたびたび参加してました。

 妻と知り合ったのもネットですし。

 でも、最後にオフらしいものに出たのは10年前か…




さて、以下はオフ会の様子をアトランダムに。


非常に楽しい会でした。この会に自分が混ざっていていいのかな、というくらい「濃い」方が多い。

ホビーパソコン時代の話は、僕はリアルタイムに見ていましたが、実のところそれほどわかってないのです。


自分のページで「第2部」とする以前に紹介している機種が自分の使った機種。

学研FXマイコン、ファミリーベーシック、PB-100、MSX、MSX2、PC-E500、Handy98、X68000。これで全てです。


オフ会の元となった書籍の趣旨である「ホビーパソコン」としては、携帯機を含みませんので、ファミベ、MSX(および2)、X68kの3機種「しか」知らない、知識の少ない人です (^^;;

(Handy98 は、中古で購入して「所有」しましたが、あまり活用してません)


しかも、これらは僕にとって「過去に使った機種」なのですね。

今でも古い機械を愛し、活動を続けている方の「濃さ」も持ち合わせていない。




ぴゅう太買えや」の方、チューター(ぴゅう太の海外販売名)用ソフト初めて見ました。


PC6001mkII を持ち込んだ方、ベルーガ(2007年に発表されたPC6001の新作ソフト)のカセットテープ版の存在知りませんでした。

(特殊カートリッジがないと動かないと思ってました…6001 ではメモリの都合で特殊カートリッジが必要で、mkII では十分なメモリがあるのでテープで動く、とのこと)


FM-TownsII ノートを持ち込まれた方、非常に珍しいと聞いていましたが、実機初めて見ました。

試作器が流出した程度しか存在しない、と以前にどこかで聞いていたのですが、実際には教育用として学校などには販売されていたとのこと。

いずれにせよ、非常に珍しいです。


386~Pentium 時代のCPUを多数持ち込んだ方。

全くわかっていない僕に、それぞれの石がどのような特徴を持っていて、どんな部分が面白いのか懇切丁寧に解説してくださいました。


#自分がよくわかる CPU としては、6502 Z80 68000 V60 SH2 あたり。Intel 系は弱いのです。



一応書いておくと、僕は「当時の販促用缶バッジいろいろ」なんてものを持ち込んでました。

Apple ロゴ2種、Mac ColorClassic、Pipin とApple関係ばかりの中に、IBM JX が1つ。


この JX の缶バッジが妙に受けていましたが、そこですかさず「キーホルダーが JXです」と、鍵を出した方がいました。確かに同じロゴが。

JX なんてマイナーマシン、わかってもらえるかな、くらいに思っていたのに「普段から持ち歩いている」という強烈な反撃を食らった格好。


いや、とっても濃い世界でした。


というか、ホビーパソコン時代に合わせて考えて缶バッヂ持っていったのだけど、関係なしに変なものもってけばよかった。

これは反省点です。




宴会が始まってすぐに「こちら、ホビーパソコンのオフ会ですよね?」と飛び込み参加したZOB速水さん。


超有名人だったようで、自己紹介した瞬間に湧きました。

申し訳ない。僕は存じていませんでした。

(このあたりで、本当に当時の文化に疎いことがわかるかと思います)


でも、実は、この人が一番すごかった。僕の趣味に刺さった、という意味ですが。

年配の方で、「子供の頃にホビーパソコンで遊んでいた」多くの参加者とは違い、それを「仕掛けた」大人側の方。


今、昔の書籍を復刻する作業中…と、話の枕に名刺代わりに取り出したのが、「ざべ」。

この時点ですごさがわかります。


えーと、当時の書籍と言えば、「I/O」とか「PIO」「ASCII」「ベーマガ」などいろいろあります。

でも、「ざべ」(元はThe BASICというタイトルでしたが、表紙には「ざべ」と書かれていました)はそうした雑誌とは一線をかくしていました。


内容は、各ハードウェアの解析記事とか、市販ソフトの改造記事など。

「ハッカー」のようなゲーム改造や、コピーのための解析などと違って「高度に実用性を重視した」ものでした。


たとえば、PC-98HA は、98との互換性に十分気を使っていましたが、VRAM構造が違うという致命的な非互換性がありました。

しかし、内部ロムにはこの非互換性を「解消」するためのサービスルーチンが用意されており、それを呼び出すことで簡単に互換性が取れるようになっています。


…こうしたことを「解析記事」として紹介したうえで、実例として Vzエディタ(当時流行した高機能エディタ)を改造し、98HA 対応にしてしまう…というような記事を載せていました。



話が横道にそれましたが、この「ざべ」でアセンブラの解説記事の連載をしていた、というのです。

復刻しようとしている、という書籍は、その連載をまとめた本。


20年も前のCPU解説に意味があるのか、と思う方もいるでしょうが、最近 Intel 系のCPUが組込み機器でも使われるようになり、C言語ではなくアセンブラで、記述する必要性も増しているのです。




ところでZOBさん、前述の Vzエディタを作った c.mos さんとは旧知の仲。


ZOBさんは「ZOB Station」という草の根BBSを運営していた方で、c.mos さんもそこの常連だったとか。

そこで、ゲームを作るためにエディタを作っていたのが、エディタだけで十分すごいので発売したのが Vzエディタだったのだとか。



いわく、c.mos さんのプログラムは「超人的だった」。

クロック数計算をしないでどんどんアセンブラで書いていき、それが一番速いコードになっている、と言う状態だったとか。


…って話から「森田さんも同じタイプだった」と言う話に飛びます。

森田将棋や、PC88でアルフォスを作った故・森田氏。やはり知り合いで、天才だったと言います。


森田さんは大胆な省略によって高速化する手法が上手だったそうです。

森田将棋のアルゴリズムにはそうした大胆さが行かされていたし、アルフォスもそうだった、と。



森田将棋は、僕の記憶では一番古い「市販された将棋ソフト」。

研究としては1970年代からあったようですが、1985年に発売された「森田和郎の将棋」に始まる森田将棋シリーズは、その後のコンピューター将棋の研究を活発化させます。


その後、類似の将棋ソフトも出てきた時点で「世界コンピューター将棋選手権」が開催され、第2回では優勝。初回から第6回までは常に3位以内に入る、という元祖としての貫録を見せます。

大会により「目標」が明示されたことにより、次々と新しいソフトも作られ、現在はコンピューター将棋もずいぶん強くなりました。

しかし、その源流を作り出したのが森田将棋と考えてよいかと思います。

 

アルフォスはゼビウスを真似して作ったゲームですが、ゼビウスは当時「パソコンには移植不可能」と言われていました。

何よりも、当時のパソコンには「縦スクロール」を現実的な速度で実現する方法がありませんでした。

アルフォスでは、RGB別々にわかれているグラフィック画面のうち、「2枚だけ」しかスクロールに使わない、とい割り切りで高速化を行っています。

使える色数に激しい制限を受けますが、処理は2/3に軽減されます。


アルフォスは「真似をしたゲーム」であり、ゼビウスではありませんでした。

しかし、「あまりにも似すぎている」という判断で発売元のエニックスがナムコに許諾を求めます。

そして、これもナムコは「別のゲームだから許諾不要」とは判断せず、許諾を与えます。


つまり「移植不可能」と言われたもの高いレベルで再現した、と認められたのです。




ZOBさんは西和彦とも知り合いで、一緒に仕事をしようと誘われたけど、その時は断ってしまった、とのこと。


返事一つで億万長者だったのにねー、と悔しがるそぶりを見せながら、それほど悔しそうではありません。

十分に面白そうな人生を歩んでおられる。




さて、この方が「面白いものを持ってきた」と取り出した1枚の基板。

これ、個人的には今回一番の目玉でした。


Intel4004 の評価用テストボード。


4004 は、世界初の「CPU」です。

1971年に出荷され、まずはビジコン社の電卓に使用されます。


これは、4004の開発を持ち掛け、ほぼすべての回路を設計したのがビジコンだから。

インテルは「製造担当」にすぎませんでした。

…と言っても、現実には設計にもかなり関与していますし、共同開発と言ってよいです。


契約上はインテルは製造のみの担当なので、ビジコンが独占的に使用するはずでした。

しかし、開発費がかさみ過ぎたため、ビジコンはインテルに権利を売却。インテルから「一般に」発売されます。

ビジコンはその採用第1号となっただけ。


4004 は最初の CPU ですから、当時新しすぎて使い方などが理解されませんでした。

設計依頼したビジコン「だけが」使えたといってよい状態。


それでは困りますから、インテルは開発者が実際に回路を組んで CPU 動作が学べる「評価用ボード」を発売しました。



ビジコンの電卓は、一般に発売されたためそれなりの数があります。

国立科学技術博物館にも保存展示されています。


それに対し、「評価用ボード」は開発者向けに出荷されただけで、一般販売ではありません。

そのため非常に珍しく、インテル純正の「リファレンス基板」としても価値があります。


ちなみに、搭載された 4004 も白いセラミックパッケージの比較的初期のもの。

後期になると黒いパッケージになります。この点も価値がある。


ただ、このボードの発売自体が 1973 年だったようで、1971年のビジコンの電卓で使用されたパッケージとも違うようです、



…と、この基盤が出されたときに僕は水を得た魚のように活き活きしてました(笑)

Townsや6001の話では「聞き役」に徹していたのですけどね。


写真を撮る方に、CPU 横に書かれた 4004 の表記、RAM部分に書かれた 4002 の表記、端に書かれた Intel ロゴあたりが「見所」と解説。


…それはいいんですけど、僕自身が全体写真を撮れていないと、会が終わった後で気づきました。

何やってんだ。


#一応全体写真は撮ってあるのですが、撮影角度の問題で 4002 の文字が見えないのです。

 4002文字部分の拡大写真などは別途あるのですが。



「4bit って、アドレスも4bit だったの?」などの質問が僕に飛んできましたが、まさか 4004が出てくると思ってなかったために下調べしておらず、十分に答えられませんでした。


この場を借りて、概略の解説。


アドレスは12bit 、レジスタは 16本ありました。

16本は2本づつが「ペア」になって、8bit としても使えました。


ここら辺、のちの 8080 で、8bit レジスタをペアにして 16bit 演算ができたのと同じです。

命令は 4bit ですが、オペランド部分は 4bit ~ 12bit の可変です。



型番「4001」の ROM をメインメモリとして使用し、基本的にはレジスタのみで演算を行いますが、型番「4002」の RAM にデータを保存することもできます。


4002 は I/O 空間に接続されているため、「メインメモリではない」のがミソ。

電卓用途を考えていたので、プログラムを収めるメインメモリはすべて ROM です。


メインメモリに RAM がないのでスタックもありません。

でも、プログラムカウンタ自体が4本あり、3段までのスタックを形成します。

このため、サブルーチン呼び出しは可能でした。


4003 は電卓キーボードや表示部との橋渡しで、キーボードが押されたときに、4004 の TEST ピンに電圧をかける役割を持ちます。


TEST ピンは割り込み線ではありませんが、内部フラグを変化させ、このフラグを使って条件ジャンプが可能でした。

キーボードのアクセスは遅いのですが、事前に「入力の有無」程度は確認できることになり、効率よくプログラムを動かせます。


で、4004 は CPU 。

「4bit だから 4004」なのではなく、4000 シリーズと言う LSI の4番目の製品なのです。


#8008 は、「4bit から 8bit に拡張したから 8008」です。


詳細は、過去に書いた「4004の発売日」を参照してください。



この基盤、「CPU なんだから、動かさないと意味がない」とのことで、復活プロジェクト中だそうです。

ROM 部分がソケットになっているのだけど、できることならそこに刺すROMも当時のものにしたい、でも入手するあてもない、という状況らしい。


すごいなぁ。楽しみに続報を待ちます。


2014.11.4追記

このボード、Intellec4 の物かなーと思っていたら、どうやら違う様子。


Intellec はインテルが作成し、開発者向けに市販した評価用の基板です。

一応「コンピューター」として完成できるようになっていて、スイッチを使ってデータを与えたり、ランプの点滅で結果を返したりできます。


Intellec4 は 4004 で、Intellec8 は 8008 。

世界初のパソコンとされている、Altair の祖先みたいなもの。


Youtube に、Intellec4 の解説ビデオがありました。

内部基板なども映っているのですが、見せていただいたものとは異なります。



Intellec4 の基板に書かれた年号は「1973」で、見せていただいたボードと同じ年です。

同時期に類似目的のボードを複数作っていた、というのも不思議です。

(まぁ、目的は少し違うようにも思いますが)


本当にかなり珍しいものの様子。なんなのだろう…


以上、追記終り。




さて、オフ会の最後に、じゃんけん大会がありました。

秋葉原の「家電のケンちゃん」の方が、オフ会があると知って賞品提供を申し出てくれたのだとか。


賞品、PC6001とFP1000の交換用キーボードの「新品」。

数か月前に、急に店頭に並んで話題になりました。なんで30年もたって新品が出てくるのか、と。


取り壊す倉庫があって、中に置かれているのはもうゴミばかりだろう…と整理していたら大量に見つかったのだそうです。


もう「品切れ」となっていて、再入荷の予定も当然ない、とアナウンスされている…のに、少し残っていたのですね。

どうやら、このじゃんけん大会が入手の最後のチャンスのようです。



PC6001のキーボードは、2つしかなかったのに欲しい方多数。

これは、PC6001で現在も活動している方に譲るのが筋。


FP1000のほうは、5つありましたが特に欲しい方がおらず…

貰えるならもらう、と手を挙げましたが、全部で4人。定員割れ(笑)

じゃぁ、ともう一人手を挙げたので全部貰われましたが、もらった人全員が「なんにつかうんだろう」と首をひねる状態。


僕電子工作できないから、有効活用できる方がいらっしゃいましたら譲ります。


#一方で、Arduinoに挑む良い機会かとも思っている。



2014.11.4追記

その後、参加者のツイッターでのつぶやきをまとめることで会の雰囲気を伝える「まとめ」が作られました。



ついでなので見ながら思い出したことを追記。


0次会について、上に書いた日記には書きませんでしたが、実は「早めに行くので0次会しましょうよ」と言い出したのは僕だったり (^^;

時間が合わなくて来られない、という方がいたのですが、ぜひお会いしたかったので持ち掛けたのです。


本の著者で、今回のオフの主催者の前田さんは、「0次会は5名程度」と考えていたようなのですが、当日蓋を開けてみれば、16名と言う大所帯。

(1次会と言うか、本来の会は26名でした)


こちらでは、みなさん「本番に向けてネタを控えて」いたようで、それほどとんでもないものは出ていません。

書籍編集の苦労話を前田さんから伺うなど、なかなか楽しい会ではありましたが。



えーと、先に日記まとめた際には「書かない方が良いかな?」と思っていたのですが、今見たところ、当人が隠していないので書いてしまいます。


紅一点、女性の参加者がおられました。こんなおっさんホイホイの集まりに。

そして、女性らしい心遣いで、前田さんに「出版おめでとうございます」と花束を…


おー、すごく当たり前の心遣いなのに、おっさんどもは誰一人その「お祝い」をしてなかった。

みんな「書籍買いましたよ」とサインを求めることが、最大の賛辞だと思ってました。



この方、「他の女性参加者が無い」と悲しんでおられました。8bit パソコン時代の話題が出来る女性って少ないですからね。


妻に伝えたら「今度あったら私も行こうか?」と言ってました。

でも、子供いるから二人同時参加はできないですわー (^^;;


#妻はこういう話普通についてきます。

 僕が教えたのではなくて、元々興味があったから付き合いがはじまったの。


#ところで、妻は「女だと知ると、急にちやほやしてくる奴がいてウザイから」という理由でネット上では性別隠してます。

 それが、当初「参加者に女性がいた」ことを書くのをためらった理由です。


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17年 引っ越し作業

18年 マイルドハイブリッド

18年 アイドリングストップ

18年 イグニスの修理終わりました


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

秋は忙しい  2014-11-10 12:35:02  家族

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先月中旬から、あまり「家族の記録」としての日記を書いてない。

週末がなにかと忙しくて、週末に仕事をできなくなったあおりで平日も忙しくて、書いてる暇がない、というところ。

書き忘れていることもある。


そこで、古いことをメモ書き程度に書き残し、この週末のことも書く。

(家族のための日記なので、他の方がみても面白くはない)




9月28日。次女の保育園のおゆうぎ会。

例年年度末の3月に行われ、子供の成長を見せる場、と位置づけられていたおゆうぎ会。


3年前に震災があり、その後公共の建物などの耐震性が改めてチェックされた。

この影響で昨年の夏に、毎年おゆうぎ会を行っていた建物の「立ち入り禁止」が決定。

(その後、耐震補強工事をしても十分な安全が確保できない、と判定され、取り壊し決定)


昨年は急遽、別のホールを借りたのだけど、平日しか借りられなかった。

おゆうぎ会は保育園のOBの子供たちも集まる場として設定されているのだけど、平日では集まれない。

それどころか、保護者の中にも仕事の関係で来られない人も多数。非常に寂しいものだった。


そこで今年は、とにかく週末に借りられる日を押さえることにした、らしい。

結果として、年度末ではなく秋にずれこんでしまった。


それでも、保育園の子供たちは、夏休み期間にぐんと成長する。

夏休みは来ない子もいるけど、その分園に来ていた子は濃密な関係を作り上げる。

夏休み中に来なかった子も、秋から新しい関係にちゃんと取り込まれる。


それから1か月足らずの練習期間で、みな、しっかりとしたおゆうぎをしていた。


もちろん年度末の方が望ましいのだろうけど、秋になってしまったからレベルが低かった、ということは無い。




10月11~12はハワイアンズに旅行、というところは書いた。


翌週18日は保育園の運動会。昨年保育園前の「ひろば」が整備され「公園」となったあおりで、使用制限が増えた。

このため昨年の運動会は盛り上がりに欠けたのだが、今年は工夫され、非常に盛り上がる。


ちなみに、「保育園の」と書いたが、OBの小学生も、保護者も、全員参加。

子供を応援しているだけでなく、本当に家族で楽しめる運動会。


その翌週は特に何もなかった…のだけど、そもそも「何もない週末」が少ないので、必要なものを買いに家族で外出。



さらに翌週、3連休でした。

まず土曜日。すでに書いたが「懐かしのホビーパソコンオフ会」。

これは家族でなくて、僕だけのイベントですね。


翌日朝、長男が朝起きてくるなり「目が痛い」と。見ると両目とも、真っ赤に充血している。

目が開けられないほど痛いし、光がすごくまぶしく感じる、と。

ゴミが入ったとかではなく、ウィルス性の結膜炎が疑われた。


日曜日だけど、やっている眼医者あるかな…と調べると、駅前に春にオープンしたばかりの眼医者が、休日もやっているらしい。

オープン時間を待ち、連れていく。


休日診療やっているところは珍しいこともあり、かなり混んでいた。

この頃には少し痛みが治まった、とは言っていたが待っている間も辛そう。でも、仕方がない。


結局、医者の診断は「ウィルス性の急性結膜炎」。

医者としてはアデノウィルスを疑い、ウィルス検査もしたのだけど陰性。

でも「陽性なら必ず存在するけど、存在しても陰性の場合がある検査方法」とのことで、アデノだろうとの判断。


目薬2種類処方されました。日和見感染を防ぐ抗生物質と、炎症を抑える痛み止め。

対症療法しかなくて、自然治癒を待つということですね。


この時医者でもらった「急性結膜炎」の小冊子があって、子供に細かな症状聴きながら判断すると、たぶんエンテロウィルスによるもの。

エンテロだと、アデノよりも急に症状が進み症状が重いのだけど、その分早く治る、というのが不幸中の幸い。


なお、こちらも知識がなくてあまり細かな症状を伝えられていなかったので、医者の誤診と言うわけではない。


「感染症だから学校は休んで」という医者の判断で、2日間お休み。

お休み期間は目が充血しているだけで痛みもそれほどなく、体は元気なので「つまらない~ 学校行きたい~」と言っておりました。




さて、長男の発症と同時並行で、この週末は妻もオフ会。

詳細は知らないけど、妻の知り合いがイベントを行うというので「見に行く」つもりでいたら、うっかりチケットを買い逃していた。


すると、その知り合いから「手が足りないので、手伝うならチケットなしで見せてやる」という寛大な言葉を頂いたようだ。

スタッフの一人となったことで、「打ち上げ」にもお呼ばれして、2日連続で外出。


生物系のイベントで、珍しい食べ物なんかも売っている。

おみやげに珍しいおにぎりいただきました。


「桜の葉のみを食べる毛虫の糞を一緒に炊いた炊き込みごはん」で作ってあり、具は蚕の甘露煮。

ごはん全体に桜の香りが付いていて、具も非常においしいごはんでした。


これ、先に説明うけたら食べれない人も多そうだけど、何も言われなかったら「すごく美味」の部類です。

ちなみに僕は、説明うけてから食べました。

(ちゃんとおいしい食べ物として作られた物であれば、なんでも抵抗なく食べるタイプ)




さて、この週末。金曜日は保育園の遠足。僕は仕事があったので妻に行ってもらう。


土曜日は、近所の「こどもフェスティバル」の日。

近隣の小学校4校の持ち回りで行われている「こどものための」お祭りなのだけど、中学生や高校生も参加しているし、子供を持つ親も参加している。


妻はお手伝いに参加して、ひたすら「スライム」作りの材料用意していました。

子どもが通う小学校PTAの出店で、毎年スライムづくりやってます。PVAに硼砂入れて作る奴ね。


お手伝いの2時間、ひたすら硼砂水溶液を 5ml づつフィルムケースに入れていくお仕事。

大人気で、休む暇もなかったようですが、理系出身者としては「客対応よりも気が楽だった」ようです。


色を4種類から選べ、さらに中に「ラメ」を3色から選んで入れられます。

無料で、一人3回まで。

うちの子供たちももちろん3回作って大喜びでした。



さて、フェスティバル終了後、再び妻のオフ会。

前週のとは別の人が主催なのだけど、メンバーは結構被るそうです。




で、昨日日曜日。

「今日、科学未来館でサイエンスアゴラやってるんだよねー」と妻。急に言われてもよくわからん。


聴けば、研究者が各種発表を行うイベントで、自由にブースを見て回る形が中心なので、時間拘束が無いので子供でも見られるだろう、とのこと。


科学未来館と言えば、先日なにかテレビで企画展の宣伝をやっていて、次女が見たがっていた…

と話をしていたら、聞きつけた次女が「あれ見たい! 今日行こう!」と言い出す。


連日外出の妻が疲れてなければ、と思ったけど、妻はこんな話を持ち出したくらいで問題ないらしい。

(当初は疲れているだろうから行かない、と思っていたけど、案外大丈夫なので言ってみたらしい)


というわけで急遽外出。



まず最初に書いておくと、次女がみたがっていたイベント、今月末からでした (^^;

宣伝は事前告知するための物。残念、また来ましょう。


サイエンスアゴラは、科学館だけでなく、周囲のビルにも分散して行われるイベントでした。

まぁ、気軽な「研究者の発表会」だと思っていいでしょう。

講演会をする人もいるし、

子連れでビル間を廻るのは大変なので、科学館部分のみ見る。

(これも、子供はいろいろ見たがるため、一部見られただけ)




各種研究者の発表、家族みんなが一番興味を持ったのは、「カードに対するプロジェクションマッピング技術」。


天井にカメラとプロジェクタがあり、テーブルに多数のカードがあります。

このカードを識別して、トランプの絵柄が投影されている。カードを動かせば当然絵柄も動く。

(一瞬遅れてついてくるのが、子供にとっては非常に面白いらしい)


トランプの絵柄は動いていて、マークがクルクル回ったり、絵札がウィンクしたり。

ジョーカーなんて、常に踊っている。(ジョーカーは、カラーと白黒の2種類ある)


カードには9個の点が付いているのは、誰が見てもすぐわかる。

でも、表と裏をちゃんと認識している。クルクルひっくり返しても、表も裏も9個の点で、あまり違いは無さそう。


興味深くずっとクルクルしていたら「表と裏で、少し違う形になっているんです」と説明された。

…よく見ると、確かに違う。「あー、これで表裏見分けているんだ」と言ったら、それだけでなく、54種類全部のカードを見分けているという。


しかも、カードの「向き」もちゃんと認識して、正しく投影する。組み合わせてカードの「テント」を作っても、斜めになっているのを認識している。

カメラに映るサイズで距離も把握していて、上下にカードを動かしても、常に適切なサイズで画像を投影します。


カードの「点」が隠されると認識できなくなるので、重ねて開くことはできない。

上から投影しているので、カードを手に持っていると消えてしまう。


だから、7並べもできない。多分、できるのは神経衰弱程度。


ただ、別にカードゲームがやりたいのではなくて、これは「現状で可能な範囲の技術デモ」にすぎません。

本来は、カーテンや服などの「柔らかいもの」に投影するのを目的としているようです。

なので、このシステムがそのまま世に出ることは無いのでしょう。


しかし、うちの長女は新発売のおもちゃだと思ったようで、家に帰ってから「あれ買いたい」と言っていました。

発売されないし、特別な展示だったので次にあの科学館に行っても遊べないし、本来の目的はカード表示ではないので、研究が進んだらもう2度とみられないだろう、と言ったらすごく残念そうでした。




そのほか興味持ったもの。

折り紙を応用することで、小さくたたんで大きく展開できる構造物。

ミウラ折の延長にある、と言えばわかる人はわかるでしょうが、単に平面に展開するのではなく、ドーム状になるなどダイナミックな構造物が作れます。


ヒラムシの動きをロボットで作る研究。

ヒラムシは、プラナリアの仲間だそうです。名前の通り平たく、直系5cm位までの生物。


長女がエイの動きが好きで、ロボット見て「エイだ~」と言っていたら、みんなにエイと言われるけどヒラムシなんですよー、と残念そうな研究者さんが。

ロボット自体は非常に単純(3つの腕しかない)なのですが、柔らかな素材で作られていることで、裾が綺麗なサイン波を描き泳ぎます。



試薬をピペットで正確に測りつつ、パレットに入れていくロボットがありました。

デモとして延々と試薬を入れたり、吸ったり、パレットを移動したり、ピペットを捨てて交換したり…を繰り返していたのですが、それを見た子供が「何やってるの?」と。


昨日お母さんが、スライム作るための薬をずっと測りつづけていたでしょ?

あれを自動でやってくれるロボット、と言ったら、一発で何をするものか理解しました。



3Dプリンタで、分子モデルを作り出すデモをやっているグループがいました。

3Dプリンタに興味を持って子供が寄っていく。そこには、チェスのコマなどもいっぱいありました。


「こんなので簡単につくれたら、チェス買う人いなくなっちゃうよ?」と長男。

大量生産の方が安いこと、でも1つづつ自由な形を作れると応用が利くこと、などを教えます。


研究者の方が分子モデル見せてくれました。ポンデリングみたいの出てきたから「ベンゼン環ですね」というと、「お、正解。こちらわかりますか?」と別のを。


判らなかったので答えが出ます。エタノールでした。

エタノール、という名前で長男はちゃんとわかります


妻が「あー、エタノールかわいいって、バケガクの人みんな言いますよねー」と。

研究者の方も「そうなんですよー、立体モデルにすると、ぬいぐるみみたいでしょー」って、なかなか判ってくれる人はいないようです。


あー、なるほど。僕は初めて聞いたけど、確かにぬいぐるみっぽいかも。



「虫を食べる」ことを研究している人たちの場所もあったのだけど、行き忘れた。

先に書いた、虫おにぎりとか作ってた人たちが出店しているらしい。

(この日は妻の友達はいなかったようです)


ちょっと食べたかった。




サイエンスアゴラ以外にも、もちろん科学館の中も見ました。

以前に来ているので特筆すべきものは無いのだけど…以前から見たかった「アナグラのうた」をやっと体験できた。



「原因不明の理由で世界がほろんだ1000年後」の設定で作られたスペース。

滅ぶ直前に、5人の博士が「世界を救うために」研究していた装置が残されている。


これ、計画し、作成中に震災があったそうです。

「世界が滅んだ」などの設定を追い越すような現実に戸惑ったとか。オープンは2011年の夏。


で、先にリンクしたものも含め、当時の記事はそれなりにあるので、「展示内容」については特に書きません。


それよりも、3年たった「今」見に行った、当時の「最先端研究」について書きます。



これ、出来た時から興味ありましたが、もし当時見ていたら、展示を見て「面白い」で思わっていたでしょう。


この展示は、博士たちの残した「研究内容」を示すビデオをみて、その研究内容が展示全体にリンクしていること、そして、それは展示だけではなく、我々が住む世界を大きく変えるかもしれない技術であることを感じてもらう、というのがテーマです。


でも、3年前なら、絵空事でしかなかった。

多分、研究内容は先進的過ぎて意味がりかいできず、「面白い空間だった」で終わり。

「世界を変える技術の説明を受けた」という感情は残らなかったでしょう。


でも、今だからこそ見るべきです。


ネタバレになるかもしれないけど、博士たちの研究技術は、みんなの「ライフログ」を、個人のプライバシーに配慮したうえでビッグデータとして活用し、他の人に情報を伝えることで生活を豊かにする、というものです。


たとえば、車が現在走っているところを伝えることで、渋滞情報などを共有する。

…いまは当たり前ですね。でも、3年前は「最先端技術」で、まだ十分な活用はされていなかった。


震災の時、ホンダのナビゲーションシステムだけが、位置情報を共有するシステムを持っていました。

でも、これはホンダ車にオプションで取り付けないと使えないシステムで、使えるデータが少ないので精度も十分ではありませんでした。


それでも、震災時にグーグルに情報が提供され、渋滞情報ではなく「走れる道の情報」としてグーグルマップに示され、物資輸送で力を発揮しました。


それからたった3年で、自動車間で渋滞情報を共有するナビゲーションシステムは一般化し、無料で使えるようになりました。

データが多いため精度も十分に出ます。


ただ、こうしたシステムが急激に整備されたため、「個人の位置を常にサーバーに送り続けるのは気持ち悪い」と感じる人もいる。

そうした人こそ、「アナグラのうた」を体験すべきでしょう。


そこでは、データを活用しながらプライバシーを確保する、ということにどれだけ気が使われているか、どのような方法でプライバシーを保護しているか、などの博士の研究を見ることができます。

そして、実際に簡単な形で「体験」できます。


アナグラのうたでは、いくつかの展示を好きなように見て回りますが、自分の歩いた経路は常に監視されています。

ここにプライバシーは存在しないのです。


でも、それを「活用」して、皆が幸せになる歌を作り出せる。

この際、データを匿名化するか、自分のデータとして明示されて良いか選べます。


自分のデータで歌を作れば、歌の中に名前が織り込まれたりする。

匿名化すれば、その部分はすべて「キミ」などの代名詞となる。


でも、匿名化しても自分だけは、自分のために作られた歌だとわかります。

周囲の人もその歌を聴くことはできるから、みんなで幸せになれる…かもしれない。


歌の内容が自分の行動を意味しているので、それでもプライバシー侵害だ、と思う人もいるかもしれない。

自分のデータは提供しないけど、人のデータは欲しい、というわがままな人もいるかもしれない。


そういうこと全てを、考えさせる内容になっています。



アナグラのうたは「原因不明で人類が滅んだ1000年後」の設定です。

設定を理解するためのヒントは用意されていますし、ここの展示が人類を救うための物だった、とは示されますが、滅んだ原因はわかりません。



プライバシーが守られなかったことによるストレスかもしれない。

お互いのデータを十分活用できなかったことによる、エネルギーや資源の無駄遣いかもしれない。

プライバシーを気にするあまり、人々のコミュニケーションが失われたせいかもしれない。


いろんな原因が思い浮かぶようになっています。


そして、プライバシーとデータ活用という「相反する」内容をどう考えるか、展示を見た後に宿題として残される形になっています。



WEB 見てると、余りにも的確に自分の興味内容の広告が出るので不気味、という問題ありますよね。

その一方、知らなかったおすすめ商品を教えてもらえてうれしい場合もある。


これが「プライバシー侵害」なのかどうか、という問題。


個人のトラッキングはしているけど、その個人が何処のだれかは全くわからず、匿名化されている。

これを許せないと思えば、おすすめ商品で、気づかなかった良いものに巡り合うこともできない。



Google のナビで現在位置を送って「渋滞情報」を教え合うのも同じ。

でも、これは実は携帯位置の追跡でもあり、持ち主はちゃんとログを見られるようになっている。


持ち主は、ということは、個人と結びついた現在地データが収集されているわけです。

ただ、「利用するときは匿名化している」という言葉を信じるしかない。


これは気持ち悪い、という人もいるでしょうが、渋滞情報を使えるのは実際に便利。

自分が使わせてもらうのだから、自分のデータも送った方が良いようには思う。



多分、アナグラのうたがオープンした直後に行ったら、こんなに身近な例が思い当らなかった。

でも、たった3年の間に、技術が大きく進歩したからこそ、この壮大なテーマが身近に感じられます。


5年間の期間限定展示、ということなのだけど、3年で現実がこんなに変わってしまうことを考えると、5年と言うのは適切な期間なのかも。


そろそろ、理解しやすくなっているうえに、当初ほど混まなくなっています。

今だからこそ、見ていない人は見に行くと良いかと思う展示です。



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悪魔とドラキュラの誕生日  2014-11-10 15:42:08  今日は何の日

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今日は、2人の方の誕生日。


デーモン閣下(紀元前98036年)。

ドラキュラ公、ヴラド・ツェペシュさん(1431年)。


…すみません。見て判る通り、ネタです。




デーモン閣下の方は、残念ながら良く知りません。

ファンの人、多いよね。


大学時代、友人が「あんなに綺麗な日本語を使い、綺麗に歌うヘビメタは他にいない」と言っていました。

ヘビメタはあまり趣味でないので聞いてませんでしたが、解散後普通に芸能活動をし、普通に歌うのを聞いて、非常に歌の上手い方だと思いました。


最近でもNHKの朝の番組0655で歌ってたりしたけど、50歳越えてあの艶のある声は、なかなかすごいと思います。




ヴラド・ツェペシュ。

15世紀ルーマニアの君主です。


当時はヨーロッパとオスマントルコとの戦いが増えていました。

戦いには資金がいります。民衆を守るための戦いであっても、税を集めなくてはならず、民衆の恨みを買います。


しかし、そこで君主の力を見せなくては、統制が取れなくなります。

ヴラドは、反抗勢力を片っ端から処刑します。


当時の処刑は、斬首か串刺し。

斬首の方が苦しまないために「軽い刑」なのですが、統制を取るために見せしめとして処刑しているため、ヴラドはほとんどを串刺しとしました。


もちろん、戦う相手のトルコ人は、片っ端から串刺しです。

トルコ兵は、ヴラドを「串刺し公」と呼びました。


「串刺し公」のルーマニア発音が「ツェペシュ」。これは、本名ではなくあだ名です。




しかし、これは不名誉なあだ名。ヴラドはこの名前は使っていません。


ヴラドの父は、非常に勇敢な騎士で「竜公」の異名を取りました。

竜は英語でドラゴンですが、ルーマニア語ではドラクル。


そして、末尾の音を「a」に変えると、その子供である、という意味になります。

ブラドは、みずからは「ドラクラ」を名乗りました。


竜の力を持つものの息子、ですね。カッコイイ名前です。




話は急に変わります。

19世紀の初頭、詩人バイロンと友人たちは、スイスに滞在します。


その年は異常気象で、長雨が続きました。

外出できない退屈を紛らわすため、当時の科学の最先端について談話をしたり、怪奇小説を読み聞かせ合って楽しんだりします。


そして、この時に「みんなで怪奇小説を書いて、発表し合おう」というアイディアが出ます



このアイディアは、旅行の間には実現されませんでしたが、2つの小説を生み出します。


バイロンとスイス旅行をしたメンバーの一人、メアリー・シェリーは、「フランケンシュタイン」を書きあげ、匿名で出版します(1818)。


フランケンシュタインは、「科学談義」と「怪奇」をくみあわせた、科学者が死体を材料として、人造人間を作り出してしまう話でした。


科学の延長として恐ろしくも悲しい事件が起きる、というこの小説は、女性作家らしい細やかな心理描写などもあり、ちょっとした話題になります。


#当初匿名でしたが、話題になったため、数年後には実名で版を重ねています。



そこへ翌年、バイロンの名で短編「吸血鬼」(1819)が発表されます。


フランケンシュタインによって、怪奇小説が話題となっているところに、著名人であったバイロンの名で発表されたのです。

これは大流行となりました。そして、次々と新しい「吸血鬼小説」が発表されます。


#当初バイロンの名で発表されただけで、実際の作者はバイロンと共にスイスで過ごした、友人で主治医の医者、ジョン・ポリドリです。



1872年には「女吸血鬼カーミラ」が発表され、ブームが再燃します。

そして、このカーミラに影響を受けて作られた小説が、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」(1897)でした。



ドラキュラの名前と、「ルーマニア出身」という設定以外、ヴラドとは何の関連性もありません。

しかし、「串刺し公」として伝えられた、血を好む貴族のイメージと、紳士的だが恐ろしい吸血鬼のイメージをうまく重ねたのでしょう。



この「ドラキュラ」、僕の非常に好きな小説の一つです。


お話は日記形式で進みます。日記なので、すべては「すでに終わったこと」です。


でも、不思議なことが連続し、主人公は何が起きているのかわからない。

徐々に吸血鬼の存在が明らかになり、主人公の危機がわかってくる。


明日は命がけの脱出を行おう、と主人公が記した最後の日記で、ひとまず第1部終了、というハラハラする流れ。

その脱出がどうなったのか、全くわからないのです。


第2部では日記を書く人が増え、それぞれの視点で一つの事件を見ていくことになるのだけど、第1部から読み続けている読者にだけ、危機が見えている。

でもそれぞれの書き手は一切気づいていないのがもどかしい。


当時最先端だった「録音機」を使って日記を記録している人がいたり、日記と言っても皆が違う文体になっているので、性格の違いまで見えてきます。


やがて、別々だった人々が集まり、お互いの記録を読んで事実に気付き、吸血鬼を追い詰めていくのですが…

すごくカッコイイ。覚悟を持った男たち(+女性1人)の活躍が感動的です。


余りネタバレしようと思わないので、興味ある人は買ってね。

古典的な小説ではあるけど、今読んでも十分面白いから。



日記風にしたことがお話を面白くしている部分が多々あり、映像化の難しい作品でもあります。

ドラキュラ映画は数あるのだけど、原作に比較的忠実なコッポラ作品ですら、原作とは全然違う…




そして、ファミコンディスクで発売されたゲーム「悪魔城ドラキュラ」。

このゲーム、大好きでした。


今回「悪魔」であるデーモン閣下とドラキュラを一緒に紹介しているのも「悪魔城ドラキュラ」でつなげたいという、ネタのための仕込みでした。



そして、ゲームが大好きだったので原作に興味を持って、上の小説も読んだのです。

先に書きましたが、ドラキュラの原点とフランケンシュタインが「同じときに生まれた」と知って、フランケンシュタインまで読みました。

バイロンの「吸血鬼」や「カーミラ」は読んでませんが。


ヴラド・ツェペシュについて興味を持ったのもそのころ。

今日の日記は Wikipedia 見ながら書きましたが、当時は資料少なくて、断片的な情報を集めていました。




話が脇にそれました。ファミコンゲームの話に戻します。


元々ジャンプアクションが好きで、スーパーマリオとかも遊びこんだのだけど、悪魔城ドラキュラはものすごくやり込みました。

多分、生まれて初めて「本気でやり込んだ」ゲームではないかな。


中学生の時で、夏休みの 40日間、少しくらい休んだかもしれないけど「毎日1周」してました。

1周すると難易度が上がって1面に戻るので、そこまで行ったらわざと死んでセーブ。


1周18ステージ。たしか3周で難易度最高になっているし、ステージ数も 99 以上カウントされない(6週までしかわからない)のだけど、とにかく遊んでた。


慣れちゃってるので、もちろんミスなんてしません。

これは「敵に当たらない」という意味ではなくて、わざと敵にぶつかって、跳ね飛ばされることで近道を通ったりもする。


とにかく無駄のない動きを目指したプレースタイル。



そこまでやり込んでしまうと、続編遊んでも「何か違う」なのですね。

ドラキュラ2は、単純なアクションではなく「謎解きありのアドベンチャー風」になってしまってつまらなかった。

ドラキュラ3は、友達が購入したので少し遊ばせてもらったけど、キャラクターを変えられるシステムが「ゲームの流れを中断させてしまう」のが嫌で、好きになれなかった。


#とにかく無駄のない動きを目指していましたから、途中でキャラクターチェンジのため一時停止、とか嫌だったのですね。


X68k でドラキュラが「リメイク」されたのは、購入して遊びました。素晴らしい出来でした。

リメイクだから、初代と大体おなじなのね。同じ雰囲気で遊べる。


それでいて、ハードウェアの進化によって、昔にはできなかったような演出が入っている。

これも好きで、6周目をクリアして何週もやった覚えがあります。


#難易度は徐々に上がり、6周目で最高になる。

 ただし、「怖さ」の演出は5周目がマックス。

 6周目は、遊びこんだ人へのサービス精神旺盛なギャグが多数仕込んである。


これは後にプレイステーションにも移植されましたが、移植版はちょっと残念な出来でした。


#この移植「悪魔城年代記」としてシリーズ化する、とのことでしたが、この一作で終わったように思います。

 残念移植で批判が多かったので、続けられなくなったようです。


その後、ゲームボーイアドバンスが発売された際に、同時発売タイトルで遊びたいものが「ドラキュラ」しかなく、購入。

PCエンジン版の流れを汲むもの、とのことでしたが、迷路を探索するようなゲームだった。

せっかく買ったのでやり込んだし、これはこれで面白いゲームだったのだけど、自分の好きなドラキュラとは違いました。



自分の好きな作品とは違うから駄目だ、というのではないよ。

ただ、僕は今でも初代と、その初代を上手にアレンジした X68k 版が好き、というだけの話。




というわけで、ゲームが好きで好きで、原作小説に手を出したばかりか、その小説がモチーフとした人物まで調べてしまうような馬鹿がここにいますよ、と。


ゲームの話は日記に余り書きませんが、基本的にやり込みゲーマーです。

気に入った小数のゲームを、とことんやり込みます。


#だから、ゲーム好きならこれ知ってる? と話をふられても、知らないゲームが多い。



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先日、子供と「日本科学未来館」に行ってきました。


ここには、スーパーカミオカンデの1/10模型があります。

…というか、なんだろう。サイズ的に1/10だけど、姿を伝える「模型」とは違う、別の機能がある。


スーパーカミオカンデは、ニュートリノを検出する装置です。いわば入力装置。

でも、科学館にある模型は、過去の「検出データ」を目で見られる形で再生する、出力装置になっています。


ここら辺が説明不足なので、多くの人が「なんだかチカチカ光っていて綺麗だけど、意味わからない」状態のまま通りすぎます。

非常にもったいない。




世界中、宇宙中のすべての物質は、分子から作られています。その分子は原子の組み合わせです。


原子は電子と原子核の組み合わせで、原子核は陽子と中性子の組み合わせです。


この陽子や中性子は、さらに小さなクオークと言う物質の組み合わせで出来ています。

そのクオークの仲間として「レプトン」と呼ばれるものがあり、電子はレプトンのグループに含まれます。


そして、「ニュートリノ」も、同じくレプトングループの中にあります。


原子の大きさと比べても非常に小さいため、ニュートリノは原子を素通りしてしまいます。

電子のように電荷を持たないため、引きあったり反発したり、という反応もありません。


理論上は、ニュートリノは非常にありふれた物質で、いたるところに存在しています。

しかし、それを捉えることができないため、余りにもわからないことが多い、謎の存在でした。


1900年初頭には存在が予測されていたのに、やっと捉えたのは 1950年代。

それでも、データが少なすぎて謎が多かったのです。


数式から性質などを想像するしかない存在でした。



ニュートリノの性質が数式で「予測」された当時(1970年代)、数式が示す「宇宙全体の重さ」と、実際に観測されている宇宙全体の重さがあまりにも違う、ということが問題となっていました。


この差は仮想的な物質として「ダークマター」(暗黒物質)と呼ばれ、実際に観測が難しいニュートリノに重さがあり、宇宙全体のニュートリノをあわせたら差を埋められるのではないか、と考える人もいました。


一方で、ニュートリノの性質を予測した数式では、ニュートリノには「重さが無い」ことが示されていました。

いったい、重さが無い物質なんて存在するのか? これも議論の的でした。



数式を仔細に検討した結果、特定条件さえ満たせれば、ニュートリノに「重さがあっても構わない」こともわかります。

では、仮に重さがあったら何が起きるのか、ということも数式を元に予測されます。


この結果、ニュートリノの重さの違いは、星の大きさに関係することがわかってきました。

ニュートリノの重さがわかれば、宇宙にある星の大きさや数を、大体推計することができます。


それはつまり、宇宙全体を知るためには、ニュートリノの重さを知ることが重要だ、ということでもあります。




ところで、この「ニュートリノ」の性質を予測した数式は、大統一理論と呼ばれるものです。

理論物理学の打ち立てた、その時点での最高の数式でした。



理論物理学は湯川秀樹博士や朝永振一郎博士(共にノーベル賞学者です)をはじめとして、日本のお家芸です。

その二人に師事した(といっても、二人ともあまりに忙しく、ほぼ独学だったそうですが)佐藤文隆博士は、教え子であった佐藤勝彦博士と共にビッグバン直後の宇宙で何が起きていたか、を数式を元に予測します。


これによれば、すでに知られていた4つの「力」…重力、電磁力、素粒子間に働く「弱い力」「強い力」は、最初は1つだった、ということになります。


では、今からでもすべてを一つにまとめた数式が作れるのではないか?

1970年代にはそのような試みが行われていました。


まず、弱い力と電磁力は、早々に1つの数式にまとめられていました。これを標準理論と言います。


「違うと思っていた力が、実は1つの数式にまとめられる」ことを示した標準理論が、他の力もまとめてみよう、という試みにつながったとも言えます。


ここに強い力をまとめたものが、当時「大統一理論」と呼ばれていました。

これ、以前に紹介した当時の小説「HARLIE」の中でも、重要な小道具として出てきました。

SF 小説に出てくる程度には、専門家でなくても当時の人が注目するトピックだったのです。


#さらに後には、重力も含めた「超弦理論」になります。



1980年ごろには、この「大統一理論」の数式は完成しました。

非常に美しい数式で、素粒子の振る舞いや、理論上は大量に存在するはずの反物質が宇宙に少ない理由、ニュートリノが捉えにくい理由など、すべて説明が付いたそうです。


もうこの数式に間違いない、と誰もが思いました。

でも、まだ「これが正しい」とする証拠はありません。検証する必要があります。


日本のお家芸である理論物理学が作りだした、珠玉の宝石。これを検証するために莫大な税金をつぎ込んで作った施設…それがカミオカンデでした。




カミオカンデは、岐阜県神岡の神岡鉱山跡に作られた施設です。

「ン」はニュークレオン(陽子を含む仲間)、「デ」はディケイ(崩壊)の意味で、陽子崩壊を観測する施設でした。


先に挙げた大統一理論が正しければ、非常に強固であるはずの陽子も、時間と共に崩壊するはずでした。

非常に長い時間がかかるのですが、大量に陽子があれば、確率問題として短期間に観測ができます。


陽子が崩壊すると、電子と陽電子が飛び出して…複雑な理論は置いときますが、最終的に「非常に弱い光」に変わります。

透明な物質中でこの反応を起こせば、外側から観測できます。


そこで、カミオカンデが建設されます。

大きなタンクの壁面に、非常に暗い光でも検出できる「光電子倍増管」がびっしりと並べられ、中を純水で満たしました。


水分子も陽子を持ちます。そして、水は透明です。

陽子が崩壊すれば非常に弱い光を放ち、それは光電子倍増管でとらえられるはずです。


陽子が崩壊した時の反応は、宇宙から降り注ぐ宇宙線でも引き起こされます。

このため、宇宙から最も遠いところ…鉱山の地中深くに施設が作られました。

(多くの宇宙線は、地面によって遮られます。ただし、なんでも貫通するニュートリノは別です)



カミオカンデは莫大な税金をつぎ込んだ施設ですが、実は同様の施設は海外でもいくつか作られていました。

ただ、カミオカンデの検出力はその中でも群を抜いた設計でした。


これで世界初の検出に成功すれば、理論物理における日本の地位は、一層固まるでしょう。



…が、半年も観測すれば検出されるはずの陽子崩壊は、1年たっても、2年たっても観測されませんでした。

中には「自然は不勉強で、大統一理論をまだ学んでいないのだ」と言い出すものもいたとか。


つまり「陽子は崩壊すべきだ」と言いたくなるくらい、大統一理論は美しいものだった…のだそうです。


しかし、観測結果は非情でした。

世界中の同様施設でも状況は同じ。これは、大統一理論が間違っている、ということに他なりません。


莫大な税金をつぎ込んだのに…

カミオカンデの責任者だった小柴昌俊博士は、どう言い訳をしたものか、ずっと悩んでいたそうです。




1987年、超新星爆発が観測されます。


超新星爆発は、星が死ぬ瞬間の姿です。

星は内部で「燃える」エネルギーによって形を保っていますが、この燃える力が尽きると、急に形を保てなくなり、急速に縮みます。


そして、星全体が中央に一気に落ち込むと、その圧縮力によって最後のエネルギーが放出され、大爆発するのです。


この超新星爆発は、1987A と名付けられました。1987はもちろん年号、A は、その年最初の、という意味です。

でも、当時はコンピューター観測もなかったため、数年に一度しか超新星爆発は観測されていません。


それらも、大抵は非常に遠いところにある別銀河の物です。

1987Aは、すぐ近くにある銀河で起こった爆発で、十分肉眼で観察できる明るさでした。

このようなものは、300年ぶりでした。


#残念ながら南半球でないと観測できないもので、日本からは見えませんでした。



星が爆発するときに何が起きるか、もまた、理論物理学によって詳細に解き明かされています。

爆発するときにはまずエネルギーが光として放出され、その次に大量のニュートリノが放出されます。


そして、このニュートリノは、地球を当たり前に通過します。南半球でしか見られない爆発であっても、ニュートリノは日本に届くのです。

カミオカンデは、このニュートリノを捉えました。


先に書いた通り、ニュートリノはいかなる物質も貫通します。

しかし、確率問題で、ごくまれに「原子核に」ニュートリノがぶつかった際に、陽子崩壊と同じように非常に暗い光を放ちます。


そして、たまたま大量の水…つまり原子核を蓄え、非常に暗い光でも捉えられる実験施設がそこにあり、300年に一度のチャンスを捕まえたのです。



このデータはやがて、海外の類似施設とも照合され、全く同時刻に別の施設でも同じ反応が出ていたことが確かめられました。

つまり、観測データは偶然ではなく「1987A 由来のニュートリノの反応」と確かめられたのです。


陽子崩壊を観測する実験装置として、莫大な税金をつぎ込んで失敗に終わったカミオカンデは、「ニュートリノの観測器」として一躍有名となります。



#当時は、「光のあとにニュートリノ」と考えられていた。

 その後、観測データの解析や、そのデータを基にした数値計算により、光よりも先にニュートリノが放出され、その後爆発が起こり光が放出されるとわかっている。

 この爆発の際にもニュートリノは放出され、光よりも遅れて届く。1987Aでは、この遅れてきたニュートリノの観測に成功した。




カミオカンデは元々陽子崩壊の実験施設であり、ニュートリノを「捉えることも出来るだろう」とは考えられていましたが、そのために十分な性能を持っていたわけではありませんでした。


そこで、改めてニュートリノ補足用の施設として、スーパーカミオカンデが作られます。

今度の「ンデ」は、陽子崩壊の意味ではなく、「ニュートリノ」と「ディテクション」(検出)の意味です。



そして、スーパーカミオカンデでは多数のニュートリノを補足し、質量があることも確認しました。

これらの功績により、小柴博士は 2002 年にノーベル賞を受賞しています。




さて、最初の話に戻ります。

日本科学未来館には、スーパーカミオカンデの模型があります。


本来光電子倍増管が付けられている部分は、すべて LED になっていて、「検出した」パターンを光ることで示します。

1/10 模型ですが、中に人が入れるほど大きいです。


光る際、片側の壁面が一斉に光ることがあります。

これは、ニュートリノと原子核が衝突して光る際、その光は衝突地点から「円錐形に」放射されるためです。


まぁ、衝突地点から懐中電灯で照らしたようなものを想像してください。

そのため、大量のニュートリノが流入した際には、流入とは逆側で、一斉に光が検出されるのです。



ここまで「ニュートリノ」と書いてきましたが、実際にはニュートリノには3種類の「型」があります。

スーパーカミオカンデでの、光のパターンなどを解析すると、捉えたのがどの型であるかもわかるそうです。


そして、ニュートリノに「質量があるならば」、この3つの型は時間と共に入れ替わる、とも予測されていました。

これをニュートリノ振動と言います。


スーパーカミオカンデでは、まず太陽で発生「しているはず」のニュートリノと、実際に捉えられるニュートリノが違うことから、ニュートリノ振動が実際に起っていることを確認しました。


ただ、この時点では理論と違う、というだけで、理論が誤っている可能性もありました。


その後、250km 離れた施設から「人工的に作ったニュートリノ」を打ち込む実験で、作ったのとは明らかに違うニュートリノが検出されることを確かめています。


これらの実験は、ニュートリノに質量があることを意味していますが、質量を特定するには至っていません。





今回の話、つい先日読んだ「宇宙物理への道」(佐藤文隆著)をネタ本としています。


この本、図書館で古くなったので「不要」とされてリサイクル扱い(自由にもらってよい)になっていたのを貰ったまま、数年放置していたもの。

「そういえば読んでない」と読んだら、非常に面白かった。


佐藤文隆博士、ノーベル賞取っているわけでもないし、申し訳ないけど「知らない人」だった。

でも、文中に書いた通りノーベル賞学者に囲まれて研究していて、博士自身非常に重要な理論を打ち立て、研究した人でした。

ホーキング博士の「肉声を聞いたことがある」人も珍しいのではないかな。



理論物理は興味はあるのですが、専門家ではないので間違いがあったらごめんなさい。

その際は怒らず教えてください。修正します。




2015.10.7追記


文中では2002年にノーベル賞を受賞した小柴昌俊博士の名前を「カミオカンデの責任者」として出していました。


2015年のノーベル物理学賞に、小柴博士の教え子でもある梶田隆章氏が選ばれました。

スーパーカミオカンデでニュートリノに質量があることを突き止めた功績。文中に書いた実験の責任者だったようです。



太陽からのニュートリノ、と文中では書きましたが、宇宙線が地球大気に入ってきたときのエネルギーで発生する「大気ニュートリノ」がかなり重要だった様子。


大気ニュートリノは地球表面すべてで発生しているのに、真上からのものだけが観測され、真下から(地球を貫通してきたものが)観測されない、という謎がきっかけだったそうです。


スーパーカミオカンデでは、3種類あるニュートリノのうち、タウニュートリノを観測できないのだそうです。

そこで、「地球を貫通している距離の間に、ニュートリノ振動が起きてタウに変化した」と考えたのだとか。


この時点では「ひらめき」にすぎませんが、そのひらめきを裏付けるために、1日に1~2個しか観測されない大気ニュートリノのデータを数年分検証し、仮説を裏付ける十分な証拠を集めます。



スーパーカミオカンデは国際的な研究施設で、データだけなら他の人でも見られたはず。

でも、そのデータを見ても、「下から来ないのはおかしい」と考える人はいなかったわけです。


まさに、1%のひらめきと99%の努力、を地で行く話。


エジソンの残した言葉だけど、「ひらめきがなくては、努力しても無駄だ」という意味だからね。

努力することが大事だ、みたいに受け止められて、エジソンは悲しんでいたようですが。



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寺田貴信の誕生日(1969)  2014-11-11 12:47:44  コンピュータ 今日は何の日

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今日は寺田貴信さんの誕生日(1969)。


僕、この人知りませんでした。

スーパーロボット大戦シリーズ一筋のプロデューサーの方。


…このシリーズやったことないんですよ。

先日書いたばかりだけど、ゲーム好きだけど「気に入ったゲームをやり込む」タイプなので、知らないゲームの方が多い。


それに、アニメも子供のころからそれほど見なかったので、元ネタをほとんど知らんのです。




じゃぁなんで書くのか、といえば、昔バイトしていた会社でSDガンダムのゲーム作るのを、ちょっと手伝った覚えがあるため。


自分でも何やったのかよく覚えてないけど、主にデータ整理だったんじゃないかな。

プログラムした覚えはない。


僕はガンダム良く知らないからわからないのだけど、発注元の営業さんが来た際にドット絵を見て、「16ドットなのに、よく似たモビルスーツの違いがちゃんと判る」としきりに感心していたのを覚えています。

その現場では、プログラムもドット絵描きもやっていました。


シリーズいっぱい出ているけど、どれだったのかなー…と今調べたけど、わかりませんでした。

この作品、孫請けでやっていたはずなのね。開発元にすら会社名入っていない。


メイン発注元の「ライバル会社」の発注を受けてしまったので、こっそりやる…と、メインの事務所とは違うマンションの一室で開発していました。

だから、開発元としても名前出さなかったんでしょうね。


この会社以外でもゲーム会社でバイトしたり、他の会社の事情も聴いたことありますけど、こんな話ざらにあります。

孫請けで仕事しても世の中に名前でないし、名前出すわけに行かない仕事でも請け負うことが多い。



この仕事やっていたとき、プログラマの人に、「キャラクタ動かすのに、小数点を使わず、正確に目的地について、動きの速度が一定になる方法、なんか知らない?」と聞かれたので、ブレゼンハムのアルゴリズム教えました。


グラフィックなんかで線を描くアルゴリズムなんですけど、しばらく研究して「求めているのと違う」と言って、結局固定小数点で計算してました。



寺田さんは「スーパーロボット大戦」の人で、SDガンダムとは違うのだけど、延長上にあるシリーズ…と考えていいんですよね?

やってないので何とも言えないのだけど。




ガンダム知らないにも関わらず、ファミコンディスクの「ガチャポン戦士」は遊んでいて、非常に面白かった覚えがあります。

シミュレーションゲームは基本的に好きなのね。


ただ、時間かかるものが多いからあまり遊ばないのだけど。



というわけで、この日記は非常に短く終了。

人を紹介したはずなのに、どういう方かちゃんとわかっておらず、申し訳ない。



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キム・ポレーゼの誕生日(1961)  2014-11-13 11:39:20  今日は何の日

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今日は、キム・ポレーゼさんの誕生日(1961)。

コンピューター業界の「偉人伝」としては珍しく、女性の方です。


…えーと、僕は男女平等を標榜しているので、わざわざ「女性だ」と区別したくはない。

でも、現状男性が多いのは事実。だからこそ、女性だって頑張ってますよ、と明記しておきます。



多彩な方ですが、Java の名付け親、というのが一番有名なエピソードではないかな。

以前にジェームス・ゴスリング(Javaの開発者の一人。最初の実装を作ったプログラマ)の話で取り上げましたが、要約しておきましょう。


1990 年ごろ、元々ベンチャーとして始まった SUN は急速に成長し、すでに大企業病にかかっていました。

この状況を打破するため、社内で新しいプロジェクトが起こります。


#すでに SUN が存在しない会社なので説明すると、UNIX ワークステーションを開発し、広めた会社でした。

 SUN 以前、UNIX は存在しましたが、主に大学などで研究目的に使われ、製品としてそれほど売れていたわけではありません。

 SUN はこの UNIX を信頼性のおける製品として一般に広めた会社です。


このプロジェクトでは、「SUN の技術を信じず」、新しい製品を開発しようとしていました。


プロジェクトでは、「当面のハードウェア」として SUN の CPU が使われました。

しかし、SUN の技術を信じない、というのがプロジェクトの重要な思想だったため、そのままではプログラムができません。


そこで、特定の製品に依存しない「仮想 CPU」を考案し、その上で動作するプログラムを作ることにします。

同時に、それまでのプログラム言語の問題点を解消した、新しい言語でこの仮想 CPU をプログラムできるようにしました。


この言語が、oak 言語です。


これは素晴らしいアイディアに思えました。

…が、プロジェクト自体は失敗します。




その後、キム・ポレーゼが SUN に入社し、過去に失敗したプロジェクトを見直し、言語を発見します。

彼女は、この言語にはまだ使い道が残されているように思いました。


それまでのプログラム言語の問題点を解消し、気軽にプログラムが組める言語。

この「気軽さ」は、もっとアピールされるべきポイントです。


その気軽さを示すため、oak という名前を別の名前に変えることにしました。

そしてつけられた名前が、コーヒーの品種である「Java」でした。



丁度、WWW の登場によってインターネットが注目され始めていました。

インターネットでは、CPU の違う多数のコンピューターが使われます。


Java の「仮想 CPU」の考え方を使えば、それら多数のコンピューターの、すべてで動くプログラムを作れます。

彼女の指示により、Windows / Mac / SUN の Java 環境と、その上で動くキラーアプリである「HotJava」が用意されます。


HotJava は、Java で作られた WEB ブラウザでした。

当時のブラウザは、Netscape が急成長中。その元となった Mosaic もまだ多少使われており、IE が開発されたばかり、という時期でした。

その熱い戦場に、新しいブラウザを投入してきたのでした。


#Netscape は、現在 Firefox として知られるブラウザの元となったものです。

 Mosaic の開発者が新たに1から開発したブラウザでした。

 また、IE は Mosaic のソースを元に開発されたブラウザでした。


HotJava には「プラグイン」という、新たな機能がありました。

WEB ブラウザが知らないデータ形式があると、自動的にそのデータ形式を扱えるプログラムを探し出し、ダウンロードし、ブラウザに機能を追加するのです。


今ではブラウザに「プラグイン」があるのは当然ですが、HotJava が最初に打ち出したアイディアでした。


激しく移り変わるインターネット技術に、常に追随していく、自らを拡張していくブラウザ。

それが HotJava でした。




Java と HotJava は、熱狂的に世に迎え入れられます。

素晴らしいアイディアでした。


と同時に、Netscape は SUN と提携。Netscape のブラウザの中に Java の実行機能を作り込みます。

マイクロソフトもこれに追随。さらに、両者とも「プラグイン」の概念をブラウザに取り込みました。


これにより、Java の普及は促進されましたが、HotJava の優位性は消えてしまいました。

また、Java の実行機能に各社少しづつ違いがあったため、「どこでも動く」はずの Java は、実際に動かすのに非常に苦労する環境となってしまいました。



同時に、HotJava の見た夢も消し去られています。


たとえばプラグイン。

Netscape は独自の形式でプラグインを作れるようにしましたが、これは CPU 毎に別のプログラムが必要でした。

Windows / Mac / SUN で別のプログラムインを開発する必要があるのです。

もちろん、一部の機種用しか提供されないプラグイン、というものも存在しました。


さらに、IE は別形式のプラグインを必要としました。

その上、こちらは基本的に Windows 版のブラウザしかありません。


#初期の頃は Mac / SUN でも作られましたが、動作が全然違ったりしました。



HotJava の「プラグイン」は、ブラウザの動くどの環境でも、同じようにブラウザを拡張できるものでした。


新しいデータ形式が登場した際には、ユーザーが気にすることなく、自動的にそのデータを扱えるようになる…

全てのユーザーが同じ体験を共有できる、夢の世界がそこにありました。


しかし、Netscape や IE の「プラグイン」は、ユーザーの使用環境により、データを見られたり見られなかったりさせるだけの、邪悪なものでした。




WEB ブラウザに取り込まれた Java には、もう一つの問題がありました。

本来、Java は「どんなマシン上でも動かせる」という特徴を除けば、通常のプログラムと同じようにふるまうものでした。

HotJava も、この「通常のプログラム」として WEB ブラウザを作ったものでした。


しかし、WEB ブラウザ上の Java は、WEB ページの一部として動作することになります。

ページが移動すると、動作していたプログラムは強制的に停止させられてしまい、データは消えてしまいます。


そして、再び同じプログラムを動かそうとすると、ネットワークからゆっくりとプログラムを読み込み、起動するのです。


起動は遅いのにうっかり終了してしまい、とてもまともな仕事にはつかえない。できてもせいぜい簡単なゲーム程度。

これが、WEB ブラウザに取り込まれた Java の姿でした。



さらに、Netscape は Java 以前から作成していた「プログラム言語」を、Javascript の名前で発表します。

SUN との提携の元で使用した名前でしたが、これが混乱をもたらしました。


Javascript は、WEB ページの一部として動作するプログラムです。

表示を切り替えたり、操作を手助けしたり、簡単なゲームを作るくらいのことは出来ました。


…技術に詳しくない人から見たら、Java と Javascript の区別はつかない上に、名前も似ているのです。




キム・ポレーゼは SUN を退社し、「マリンバ」社を作ります。

世に「普及」し始めた Java を使い、当初の理想を追い求めるための会社でした。


WEB ブラウザに閉じ込められた Java ではなく、環境を問わずにプログラムを作れる、インターネット世代のプログラム環境としての Java へ。


…彼女の理想は高かったのですが、時代を先取りしすぎていました。

当時の資料などで彼女の「理想」をそのまま語るよりも、その後普及したサービスとの違いを書いた方がわかりやすいでしょう。



まず、マリンバ社の核になるサービスが「カスタネット」でした。


カスタネットでは「マルチメディアコンテンツ」…つまりは、多少のインタラクティブ性も持たせられる動画を配信することを商売の中心と考えていたようです。


当時はまだパソコンは「よくわからない」と言う人が多く、しかしインターネットは爆発的に成長していました。

テレビのように「見るだけ」なら受け入れやすい、ということでしょう。


つまりは、YouTube を作りたかったのだと考えてください。

ただ、この頃のインターネットはまだ通信速度が遅く、動画配信なんてできません。


カスタネットでは、「プログラム」を配信します。

そのプログラムが、アニメーションなどの形でユーザーに動画を見せるのです。



ユーザーは「受信機」を自分のパソコンにダウンロードし、実行します。

パソコンらしい作業が必要になるのはここまで。将来的にはあらかじめインストールされた状態で出荷され、ユーザーは一切パソコン知識がなくて良い、というのを想定していたようです。


受信機ではチャンネルを選ぶことができます。

あらかじめお気に入りのチャンネルを複数登録しておけば、すぐに番組を見られます。


先に書きましたが、番組はプログラムとして配信されます。

そこでユーザーが求める最新の情報を見たり、プログラムですからゲームで遊ぶ、アンケートを取るなんてこともできます。


このプログラムは、あらかじめ「お気に入り」のチャンネルに登録しておけば、見ていない間に勝手に更新されます。

ダウンロードしてインストール…ではなく、いつの間にか最新になっているのです。


しかも、プログラムが一部改編などでほぼ同じ場合、「変更された部分」だけがダウンロードされ、適用されます。

これ、「差分情報」がサーバーにあるのではなくて、サーバーに置かれたファイルは常に完全版。

配信時に、双方で情報を送り合いながら自動的に差分を検出する技術なのね。


#rsync みたいなもの、と言えば、わかる人にはわかるでしょうか。



…今では当たり前の技術ばかりですね。でも、当時はこんな環境は他になかったのです。

当時、プログラムを動かしたければ、自分のパソコン環境にあったプログラムを選び、ダウンロードし、インストールする必要がありました。

バージョンアップがあれば、最新版のプログラム全体をダウンロードしなおすところから始めます。


何度も書きますが当時は回線が遅く、ダウンロードには長い時間待たされました。

「いつの間にか」ダウンロードされ、インストールされているというのは、この待ち時間も手間も無くすことになります。


欲しいと思ってからダウンロードするものを「PULL 配信」と読んでいたのに対し、勝手に最新版になっているこの方法は「PUSH 配信」と呼ばれ、当時注目の技術でした。




カスタネットは、チャンネルがあってマルチメディアコンテンツが見られる…という娯楽面でとらえると、 YouTube に似ています。


しかし、おそらくこの考え方は当初の物で、すぐに「もっと商売になる」場所に気付いたようです。

実際、リリース時には「大企業を中心としたビジネス」を考えていたようでした。


カスタネットで配信されるのは、先に書いたように Java プログラムです。後には、Java に限らずプログラム一般をなんでも配信できるようにしています。


たとえば、有料でチャンネル契約すると、各種オフィスソフトが使用できる、なんてサービスもありました。

Java で作成されたワープロや表計算、図形描画ソフトなどが使え、さらに常に最新ソフトになっているのです。


…これ、今では Adobe がやっている Creative Cloud と非常に似ていますね。

Creative Cloud では、月単位で契約し、すべてのアドビ製品の最新版を自由に使えます。


Adobe に縁が無い人でも、Android や iPhone で、アプリが自動的に更新されたりするのを見たことはあるのではないでしょうか。



個人で使っていても、勝手に常に最新版になってくれている、というのは非常に便利です。


大企業では、「便利」以上のメリットがあります。

多数の端末を使っていて、重大なセキュリティホールが見つかったから一斉にアップデート、その間は仕事がストップ…とか、当時は実際に起こり得る悪夢でした。

しかし、勝手に最新版になる、という仕組みがあれば、この悪夢から解放されます。


カスタネットが最初のターゲットに企業を選んだというのもそのためでしょう。

ゆくゆくは、個人向けに…まさに、今の Adobe や Android / iPhone などがやっているような「アプリケーション配信」をやりたいと考えていたようですが。




マリンバ社では、カスタネット以外にも Java プログラムの作成支援ツールである「ボンゴ」や、「トランペット」という製品も出していたようです。

(トランペットの詳細がわからず…)


楽器の名前ばかりですが、キム・ポレーゼは当時のインタビューで「いわゆるパソコンらしい名前は使いたくない」と言う趣旨のことを言っています。

「変わっていて人に覚えてもらいやすい」ことや、「エネルギッシュで情熱的」であることを伝えたい、と。


カスタネットって、日本人の考えている奴じゃなくて、世界的には「フラメンコダンサーが持っている楽器」ですからね。

非常に情熱的で激しい楽器です。


その一方で「ネットだとか、サイバー、ウェブ、といったいかにもそれらしい名前」とは違うものにしたかった、とも言っています。

でも、Castanet って、Cast-a-net (ネットで放送する)という意味に、明らかに掛けてますよね…



残念ながら、カスタネット環境は非常に注目されていたにもかかわらず、思ったように普及せず、今では無くなっています。

(技術は別の会社に吸収され、サーバー製品群に組み込まれたりしているようです)



でも、これは決して「失敗」だったとは思わないんですよ。

マリンバ社としては失敗だったけど、方向性を示したことで、後に続くものがちゃんと育っている。


先に書いたように Adobe や Android / iPhone 、最近では WEB ブラウザも自動更新が当たり前ですし、他にもそうしたソフトは山ほどあります。

ただ、PC 上では自動更新のソフトって、「ソフトごとに」仕組みが作られているのね。


カスタネットみたいに、皆が共有するような仕組みが一つあれば、無駄をいろいろと省けるのでしょうけど。

(Android / iPhone では OS が仕組みを持っています。)




さて、キム・ポレーゼ女史は現在、ClearStreet 社の会長をしているそうです。


一般人向けに、人生計画に基づいた資金計画を考えるお手伝いをする会社…ということでいいのかな。

「普通の人にはややこしいことを、出来るだけ簡単に出来るようにしてあげたい」という部分は変わっていないようです。


2011年にはオバマ大統領のイノベーション諮問委員会の一員となり、アメリカの技術革新のためのレポートをまとめています。


この際には、サンフランシスコの新聞によって「もっとも影響力のある女性」に選ばれています。

…もっとも、サンフランシスコ近郊(ベイエリア)に住む女性を150人も選んだものですが。


さらに以前、マリンバ在籍中にはタイム誌によって、「最も影響力のあるアメリカ人 25人」の中にも選ばれています。



いずれにせよ、パソコンの世界だけでなく、政治や経済にも影響力をもつ女性であることに間違いありません。




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今日が誕生日のキム・ポレーゼさんが、オバマ大統領のイノベーション諮問委員会メンバーだった、ということで、以前から書きたかったことを、つらつらと。


えーと、先に書いておくけど、基本的にはネタです。

それなりに真面目に考えているのだけど、真面目に受け取られると困るかも。




もう1年ほど前、オバマ大統領が米国民に「すべての国民にプログラムを学んでほしい」と語りかけました。


これにはいくつか意味があると思っています。


製造業はもうアジアの国の安い人件費で作られてしまうと太刀打ちできない。

プログラムも、インドあたりで開発するのが増えている。


でも、ちょっとしたアイディアでいろんなものを組み合わせて、新しいものを作り出すこと…

あえて枯れた技術の水平思考とか言っちゃいますけど、そういうものは、「いろんなもの」をすでに持っている国が強い。


つまりは、アメリカはそういう分野で生き残っていかないといけない。

iPhone は良い例で、部品は安いものを使っているし、技術は既存の物ばかりだけど、うまく組み合わせて成功している。



でも、「組み合わせる」には、つなぎとめる何かが必要。

お団子でいえば、突き通す「串」がいるんです。


プログラムって、こういう時に団子の串になれます。



昔、アスキーから、いろんな分野の一線で働いている人がコンピューターをどう使っているか、というインタビュー本が出ていました。持ってないのだけど。

その本の宣伝で、たしかこんなことが書かれていたのです。


 第一線の研究者はコンピューターを使っているかもしれないが、コンピューターは主役ではない。

 でも、団子の串を名乗るくらいの資格はある、のではないか。


主役は団子ね。でも、串が無いとまとまらないし、食べづらい。

非常に名文句だと思います。そして、そのコンピューターを見事に「串」として振る舞わせるには、プログラムが不可欠です。


つまりは、「すべての人がプログラムできるように」は、決して高いレベルのプログラムを求めているのではなくて、「必要な時に貫き通せる串くらいもっておきなよ」という意味合い、かと思います。




また別の解釈。


アラン・ケイは、コンピュータープログラムの学習をすることで、子供たちに科学的思考が芽生える、と考えています。


今は、高度に科学的な思考を出来る人と言うのは、世界人口の 5% もいないかもしれない。

でも、コンピューターで教育を行えば、500年後には 95% が科学的な思考を身に着けるだろう、と。


なんだか突拍子もない話ですが、500年前には、文字を読める人は全人口の 1% 程度でした。

でも、今は多くの人が文字を読めます。じゃぁ、今は 5% しか科学的思考ができなかったとしても、500年後には…

という、それなりに根拠のある話。


ケイは、このために「プログラムができる」ことが重要だと考えていますが、これは決して、プログラムを作ることが目的ではありません。

ある程度「出来る」能力があれば、やらなくてもいい。でも、その能力は絶対別のところで役に立つ。



僕としては、オバマさんの意図はこちらではないかな、と考えています。

全員をプログラマーにして、アメリカを IT 産業しかない国にしたいわけではない。


でも、科学的な思考が身に付けば、それはどんな業種でも必ず役に立ちます。




科学的思考っていうと、科学知識と混同されそうだけど、そうではないのね。

たとえ話をしましょう。


僕が通っていた大学で、特別な入試がありました。

高校の成績は不問。いわゆる通常科目の試験もやらない。

ただ「科学的思考」を持ち合わせているかどうかのみを見る試験でした。


出題時に、2つのバナナが配られます。

1つは今朝買って来た新鮮なバナナ。もう1つは、3日前に買ってきて置いておいた古いバナナ。


この2つを食べ比べ、どちらが甘いか、その甘くなった理由はなぜか、自分で考えて教授の前で話をしなさい、というのが問題でした。



サークルの後輩の女性が、この試験を受験したのですが、彼女の答えは以下のようなものだったそうです。


甘いのは古い方。

新鮮なバナナには少し酸味を感じた。これが、古いほうが「甘い」と感じる原因ではないか。


柑橘類など酸味があるものは香りが強いことも多いし、お寿司を作るときには結構お酢を入れても酸っぱくならない。

香りが強いというのは蒸発しやすいということだし、寿司飯を作る際もウチワで仰いで蒸発させている。


ということは、酸味は蒸発しやすいのではないか。3日前のバナナは酸味が蒸発して消えてしまい、結果として甘くなったのだと思う。



…彼女、試験終了後にすぐに事典で答えを調べ、間違っていたので不合格だと確信したそうです。

でも、結果は合格。


これ「知識」があれば、バナナが追熟することを答えて終わりでしょう。

でも、おそらくそれだけでは不合格。知識を問う問題ではありませんから。


自分の持っている知識を組み合わせて、「もっともらしい説明」を考え出せるかどうか。

これが「科学的思考」です。


#注意:決して知識が不要だというわけではないよ。

 彼女の答えがそうであるように、知識が間違っていれば間違った結論にたどり着いてしまう。

 でも、知識なんて本を見れば載っているんです。それを「正しく」組み合わせられる能力の方が、ずっと重要。


ここでは、断片知識をつなぎ合わせて一つの形にしている。

…そう、やっぱり「団子の串」を持っていることが重要なのです。


プログラムを作る練習をすると、こうした思考能力が身に付く。

アラン・ケイがプログラムに求めているのは、そうした部分です。




さて、先の入試の例で、「教授の前で答える」というのも、実は科学的思考を見るうえでも重要でした。

これ、プレゼン能力を見ているのですね。


プレゼンと言っても、よどみなく、はきはきと喋れとか、そういうことではない。そんなのは練習すれば身に付く技術に過ぎない。

相手が何を理解していて、何を理解していないか。自分の考えをどのように順序立てて説明すれば、相手に伝わりやすいか。


ということは、常に「相手に伝わりやすい」ことを考えなくてはならない。

「自分の考えを知っている自分」でありながら「自分の考えを知らない他人」の目線も持っていなくてはならないのです。


「他人の目で見る」というのは、「わかったつもりの物でも、逆の方向から、全く知らないものとして見てみる」ということでもあります。



たとえば、「色の三原色は、赤・青・黄色である」というのは、多くの人が知っていること。

じゃぁ、「三原色」という言葉は、常識として説明いらずで使っていい…かな?


「パソコンでは赤・青・緑 (RGB) だよ」と知っている人もいるでしょう。ということは、先の言葉は必ずしも正しくないのです。


これが「減色混合」と「加色混合」の三原色だ、と知っている人もいるかもしれません。

じゃぁ、「減色混合の三原色」なら使っていい?


…いや、たぶん人には伝わりにくくなるでしょう。減色混合って言われてわかる人は少ない。

「三原色(赤・青・黄)」と補足した方が、よりわかりやすいかもしれない。



話の文脈によっては、「三原色」自体を疑わないといけない場合もあります。


人間の目の中には「赤・青・黄色」に反応する神経があります。(本当はちょっと違うのだけど、そう考えてください)

たとえば、緑色は、周波数の近い青と黄色が同時に刺激されることで「緑」だと知ることができます。


でも、黄色と青の色が「混ざった」ものがあったら、やっぱり同時に刺激される。この時「緑」と区別がつかなくなります。

だから、青と黄色を混ぜると緑になる、と言われる。


でも、これは「人間にはそう見える」というだけで、青と黄色を混ぜても、それは「混ざった青と黄色」に過ぎないのです。

人間とは違う仕組みで色を見る…たとえば昆虫なんかには、緑には見えないかもしれない。


これをちゃんと理解していないと、三原色と言い出した時点でおかしい、ということだってあり得る。



…と、こういうのが、「わかったつもりでも逆から見る」ということ。

説明するうえで、自分では当たり前だと思っていることでも、いちいち「人に伝わるか」を考えて、伝わりにくそうなら伝える方法を工夫しないといけない。


ここでも、知識を問いたいわけではありません。

すぐに「ほかの人はどう思っているかな?」「他の見方はできないかな?」と、目線を切り替えられることが重要。




さて、話をプログラムに戻すと、実は「目線の切り替え」ができない人が作ったプログラムは、バグだらけで動きません。

自分の作りたい処理を作っただけではだめだから。


処理を作ったら、それが「どんな極端な状況でも正しく動くか」を検証しないといけない。


検証すると、結構うまくいかない特殊例が見つかるものです。

そうしたら、再び別の方法を考える。その方法をまた検証する。


プログラムを作る際には、こうした「目線の切り替え」が連続して起こります。

最初は大変なのだけど、慣れるとどんな時でもすぐに目線が切り替えられるようになる。


これがまた、科学的思考に役立つのです。


#こういう話、過去にも書きましたね。




さて、ここからは、ネタと言うか与太話。


アメリカでは、コンピューター産業に力を入れたいので、皆がプログラマーになるようにする。

それはいいと思うんですよ。


じゃぁ、日本も同じようにプログラマーを目指させる?

それじゃぁ、アメリカに遅れを取るだけで、あまり意味がないように思います。


実のところ、プログラマー教育まではしていませんでしたが、アメリカでは「プレゼン能力」を磨くような授業はすでにさかん。

ある程度の科学的思考能力があるのを前提に、全員がプログラムできるように、と言っているのですね。


日本の場合、残念ながらアメリカよりも科学的思考能力がある人が少ないように思います。

今からこの分野で追いかけても、アメリカに勝てないかもしれない。


やるなというわけではなくて、やってもいいのだけど、別の方法で科学的思考が身に付くように考えてみるのもいいのではないかな。



…で、思うわけですよ。

プレゼン能力と言うのが一つのキーワードです。誰にでも伝わる、伝える能力。


これ、日本が世界的に非常に強い分野がありますよね。クールジャパンとか言われて、世界的にも人気があります。



というわけで、アメリカが「全国民がプログラムできるように」と言うのであれば、日本では「全国民が漫画を描けるように」ってやればいいんじゃないかな。


もちろん、「伝える能力を磨く」のが狙いですから、ただ絵が描ければよいのではないです。

むしろ、絵は下手でもいいから、みんなが面白いと言ってくれる内容で勝負。



僕はちっとも絵が描けないので、本気でこんな政策打ち出されたら大変なのですけど、僕レベルでもアメリカ人から見れば「絵がうまい」部類のようです。

子供の頃に真似して描いていたので、スヌーピーとウッドストックのイラストくらいは描ける。

(常に同じポーズのイラストで、顔だけだけど)


ドラえもんの絵描き歌だって、他の国の人から見ると「絵が描ける」レベルであることは多いです。

日本人、この分野では確実に国民のレベルが高い。年配の方でも、絵手紙とか趣味教室で人気高いし。


嘘だと思うなら、アランケイが書いた顔の絵を見てみるといい。

ちなみに彼、コンピューター関連で有名だけど、ジャズが好きで演奏家になりたかった…という「アーティスト」だからね。


#5秒程度で描いた絵をいろいろ言うのも申し訳ないのですが。

 彼の過去の論文には、もっと上手な絵が載っています。時間があれば上手に描けるのでしょう。


#2017.6.26 追記

 後で知りましたが、「上手な」方のイラストは、ケイのものではなく、依頼して他の人に書いてもらったんだそうです。

 だから、やっぱりケイは絵が下手な模様…



でも、絵が描ける、というだけでは「イラスト」であって漫画ではない。

漫画として、なにかお話を伝えられるレベルにしようと思ったら、たぶんすごく頭を使わなくてはならない。


この部分で「頭を使って、工夫する」ことが何よりも重要です。


ある程度人に読んでもらって、面白いと言ってもらえる「漫画」を描こうと思ったら、かなり高いプレゼン能力が身に付くのではないかな。

そして、それはとりもなおさず「科学的思考」に密接しているわけで、絶対に他の分野でも役に立つ。


なによりも、「実際に自分の手で何かを作り出す」ということは、新しい視点をもたらせてくれます。

それを繰り返し行うことで、より良いものを作れるように繰り返し考える癖が付きます。



これ、アメリカが「プログラム」で狙っているのと同じ効果、だと思います。

だから、目指すものが漫画であってもよいはず。


アメリカは「輸出産業」としてのプログラムも見越しているわけですが、現在「クールジャパン」戦略によって、漫画は重要な輸出品でもあります。

描く人が増えて底辺が広がれば、その中から次世代を担う人も出てくるでしょう。


なによりも、政府が「国民全員が漫画を描けるように」なんて言い出したら、諸外国から「crazy...」ってため息が聞こえてきそうです。いや、褒め言葉として。

クールだ、っていうんなら、それくらいのことやらなくちゃ、存在感を示せないのではないかな。


これ、結構悪くない戦略なのではないかと思うのですが、どうでしょう?


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ピーター・ノートンの誕生日(1943)  2014-11-14 12:19:21  コンピュータ 今日は何の日

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今日はピーター・ノートンの誕生日(1943)


ノートン先生本人です。最近は知らない人も多いかな。

「ノートン・ユーティリティーズ」や、「ノートン・インターネットセキュリティー」のソフトウェアブランド名として残っていますね。




元々は、IBM-PC が発売されてすぐに、DOS 用の便利なユーティリティー集を作成して販売した人…でした。


その機能は、消してしまったファイルを復活する、壊れたファイルを出来る限り修復する、ファイルを見えなくする、ファイルエントリを整頓する…などなど。


今となってはこれ自体に解説が必要だな。

当時、今の Windows や MacOS にあるような「ゴミ箱」なんて概念は存在せず、消去したファイルは瞬時に消えました。

でも、実は「ディスク上のメモリを解放した」だけで、データは残っているんですね。


そこで、データが「少しでも残されている」前提で、できる限りデータを拾い出して復活する、というのが消去ファイルの復活・壊れたファイルの修復になります。

消した直後なら復活しやすいけど、時間がたつと(データが上書きされると)確率は下がります。


こういうツールはフリーソフトでも良く作られていたのだけど、それを最初にやったツール。


DOS では、「ファイル一覧」を見ると、ディスクに書き込まれている順…つまりは、DOS 内部の都合による順番でファイルが表示されました。

これを、ファイル名順とか、変更時刻順とか、自由に並び替えるのが「ファイルエントリの整頓」。


ファイルを見えなくするのは、単に「見えない」属性を付けるだけ。

DOS 自体にその機能はあったのですが、操作する方法がありませんでした。



どの機能も、後で定番となるようなものばかりです。

というか、CP/M でもあったのかも。僕は CP/M 当時をそれほど知りませんが、誰よりも早く DOS に移植した、というだけかもしれません。


でも、ノートンは、このソフトで大儲けします。




人気が出たので DOS がバージョンアップすれば対応版を作りますし、便利な機能を増やしたバージョンアップ版も作ります。


その一方で、こうしたツールを作るために「解析」した、IBM-PC のハードウェア詳細や DOS の内部詳細を、まとめて本にします。

この本の表紙には、腕組みをしたピーター・ノートン本人の写真が使われました。


IBM-PC や DOS の仕様変更に伴い、こうした本は数冊発売されています。

IBM-PC ハッカーの必携書でした。



1984年に Macintosh が発表になると、すぐにノートンユーティリティーの Mac 版も作ります。

Mac 版では「アイコン」を付けなくてはならなかったため、腕組みをしたノートンのイラスト…本で有名となった「本人」を登場させます。


ノートンは腕の立つハッカーで、小粒ながら本当に役立つツールを作成する、と認識されていました。

その本人が自分の肖像を付けて販売するソフトは、性能保証を意味していたのです。



Mac が「ファイルの扱い」で DOS よりも便利である、と話題になると、すぐに「ノートンコマンダー」を DOS 向けに発売します。

これは、いわゆる「ファイラー」(ファイルマネージャー)の元祖です。


ファイル一覧を画面に表示し、カーソルキーで選んで操作できました。

コピー、移動、複製、削除、内容表示、編集、外部プログラムへの受け渡し、などなど…


元祖だったため、以降に続く類似ソフトは、みなノートンコマンダーの作法に倣いました。

現在でも、数多くのファイル管理ソフトが、同じ作法で操作することができます。



いずれも、決して派手なソフトではありません。

しかし地味に使い勝手を向上させ、確実にパソコン環境を改善するツールばかりを作り出しています。




Windows 時代にもノートンコマンダーは作られましたが、そもそも Windows ではファイルの扱いが簡単になったため、それほど売れなかったようです。

かわりに、増え始めたウィルスの脅威に対してノートン・アンチウィルスや、ノートン・インターネットセキュリティが発売され、こちらも人気を博します。


他にも、ノートン360、ノートンパーソナルファイアーウォール、ノートンシステムワークス、ノートンパーテションマジック、ノートンアンチスパム、ノートンアンチボット、ノートンGoBack、ノートンゴースト…などなど。


今では他の製品の一部になっていたり、完全に開発終了しているものも含め、非常に多くの製品を送り出していおます。

(僕も知らない製品ばっかなので、あまり質問しないでね!)



ノートンユーティリティズの方は、今でもシリーズが続いていますね。

「フロッピーディスクを対象としたソフト」だったのが、現在ではハードディスクのデフラグや Windows のレジストリ整理など、全然違う内容になっていますが。


…でも、消去したファイルの復活はまだあるのね。

一度ゴミ箱に入れて、それから消去して、その後で「あ、間違えた」と言う時でも復活できる。うっかりさんには必要…なのか?


いずれにせよ、今ではほとんどがOSに付属していたり、無料で入手可能な機能ばかり。

「ノートンを買わないとその機能が手に入らない」ころと違って、雑誌などでの評価も下がっているようです。




ところで、68k Mac の頃に、ノートンユーティリティズの一機能であった「ノートン・ディスクドクター」のパロディで、「ニュートロン・ディスコダンサー」というソフトがありました。


ディスクドクターは、「ディスクを検査し、修復します」と、ディスクの聴診器を当てるノートン先生のアニメがありました。

ディスコダンサーは、「ディスクを破壊し、消去します」と、同じように手を動かして、DJ 風にディスクをスクラッチしたりする。


冗談ソフトなので、もちろん壊れてないし消去されないのですが。


こんなパロディが登場すること自体、「誰もが知っている」ことを前提としていたわけで、すごく普及していたのだと思います。




現在、ピーター・ノートン氏は健在ですが、流石にソフト業界からは手を引いています。

ノートン社もシマンテックに吸収され、ブランドのみが残っています。


つまり、ノートンは名前のみが残っていて、ノートン氏が作っているのでも、ノートン社が作っているのでもない。


ノートン氏は現在でもいくつかの会社の会長などを務めていて、それとは別に財団も持っているようです。

財団では、主に美術館と協力して美術品の保護にお金を出したりしているみたいです。






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雑誌の発行日  2014-11-16 16:02:30  その他

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僕は兄弟が多く、年の離れた兄や姉がいる。


で、その兄や姉が子供の頃、相次いで子供向けの雑誌が創刊された時期があった。


まずは月刊誌。でも、子供は飽きるのが速いから、次の号の発売まで1か月も待っていられない。

そこで、子供向けの週刊誌が作られ始める。


少年サンデーと少年マガジンの創刊だな。ジャンプはちょっと後。


漫画雑誌、ではなかった。漫画も載っているけど、読み物も多い。

結構時事ネタも多くて、ベトナム戦争の頃なんて「これがベトコンだ!」なんていう、結構重いテーマの特集記事とか乗っていた。



マガジンとサンデーは同日創刊で、マガジンはサンデーよりも安い値段を設定してきた。

サンデーが 40円だったから、マガジンは 30円にした、という有名なお話。


「たった10円」ではないよ。

1959年発売のグリーンガム(4枚入り)は、10円だった。10円の差っていうのは、浮いたお金でおやつも買えちゃう、というほどの違いだ。


その後、少年キング、少年ジャンプ、少年チャンピオンなども創刊され、競争が激化する。




最初は値段で勝負していたけど、値段勝負は疲弊する。

すると、値段は高止まりさせつつ「おまけ」の充実度で安さを演出する戦略が流行する。


先に書いたように兄の時代の話なので、正確にはちょっとわかっていない。

おまけをつけていたのは、週刊誌に押され気味だった月刊誌の方ではないかな。


雑誌とは別に、漫画だけが詰まった小さな本をおまけに付けるとか、ペーパークラフトモデルをつけるとか…

今でも小学生向け月刊誌なんかに見られる戦略ですね。


でも、その競争もやりすぎると収益を圧迫する。

そして、お金がかからずに他社を出し抜ける方法として、「発売日を前倒しする」戦略が始まった。


他社よりも発売日がわずかに速ければ、まだお金を持っているから買ってもらえる。

他社よりも遅ければ、そちらの雑誌を先に買われてしまい、お小遣いが無くなって買ってもらえないだろう。


単純な理屈で、どんどん発売日は前倒しされる。

1か月くらいなら「季節感の先取り」なのだけど、春になったばかりでもう夏号が発売されたり、3か月程度まで早まったこともあったらしい。



で、この勝負はあまりにもバカバカしいので、「前倒しは1か月程度まで」という出版業界の自主規制が作られる。


たとえば、11月16日に「12月号」を発売する場合、12月号なのだから、出版日は12月16日とする。

でも、1か月前倒しして11月16日に発売するのだ。


一応、45日までは OK らしい。月末発売の雑誌などで、11月25日発売だけど「1月号」と言うのは許される。


でも、まぁ感覚的には1か月が基準だ。

雑誌に限らず、「出版日」としては、実際に発売される日の1か月先の日付を示す習慣になっている。




さて、なんでこんな話を急に書いたかというと、1年も前に書いた「ゲームセンターあらし の発表日」が、1か月ずれている、という指摘を頂いたため。


『「コロコロコミック」第9号(1978年11月14日発売)に掲載された』と、あらしの作者である「すがやみつる」さんのページに書いてあった


そのため、この日を発表日と考えて記事を書いていたが、それ以上の裏付け調査はやっていなかった。



指摘をくださった方によると、第9号の奥付にある「発行日」は、たしかに11月14日だそうだ。

これだけを見ると、11月14日に発売されたというのは間違いではないように思える。


でも、第8号の「次号予告」を見ると、10月14日発売、としっかり書いてある。

写真もいただいたので、許可をもらって転載。



つまり、先に書いた理由で、発行日と発売日は1か月ずれているのだ。




ちなみに、指摘をくださった方は、あらし関連のページを作っているほどの、あらしファンの方。


僕が1年前に記事を書いた際にも年表をリンクさせてもらっていたし、そこにしっかり「10月」発表と示されていたのに、すがや先生の表記と1か月ずれていることに気付いていなかったのは僕のミスでした。


この時点でずれに気付いていれば、さらに調査して正しい日付を示せていたかもしれません。

(もっとも、奥付や次号予告ページの写真のような資料はなかなか見つけられないため、調査しても行き詰っていたようにも思います)



というわけで、1年前に書いた「発表日」を、訂正するとともに、誤認していた経緯を明示しました。

来年からは正しい日にツイートするように心がけます。



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ポール・モカペトリスの誕生日(1946)  2014-11-18 16:23:54  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、ポール・モカペトリスの誕生日(1946)。


初期インターネットに貢献したプログラマーです。

そして、最大の貢献は DNS の発案と、最初のサーバーの実装でしょう。


DNS については、技術記事として過去何度か取り上げています。

今回は、「なぜ」DNS が必要になったのか、その歴史を書いてみたいと思います。




初期のインターネットに DNS はありませんでした。


まずは、アドレスを直接指定して接続する「実験」が行われます。

これでは不便なので、すぐに「アドレスとホスト名の対応表」が作られます。


対応表は、HOSTS.TXT という名前で配布されていました。

(当初は、1バイトが 6bitのマシンもインターネットに接続されていました。

 このため、ファイル名などは全て大文字が使用されました)


これを、各システムの適切な位置にコピーして使用します。

unix であれば今でも /etc/hosts に、「対応表」を置くことができます。



HOSTS.TXT は非常に重要なものなので、一括管理されました。


管理者はダグラス・エンゲルバート

「マウスの発明者」として有名な…本当はもっとすごい…人です。



彼は初期のインターネットの管理に手を貸していました。

申請に応じて IP アドレスとホスト名を割り振り、HOSTS.TXT に書き込み、公開します。


利用者は、時々最新の HOSTS.TXT を取得する必要がありました。

そうしないと、新しく追加されたホストにはアクセスできないためです。




最初はうまくいっていたこの管理方法は、やがて破綻します。


当時、ホスト名は「世界中にたった1個」しか許されないものでした。

しかし、手動管理ではこれが保証できず、ホスト名の衝突が起こることがありました。


つまりは、送ろうとしたメールが、同じホスト名の別のマシンに届いたりするのです。


また、HOSTS.TXT は、数万行という非常に巨大なファイルとなりました。

世界中のすべてのホスト名が、このファイルに書かれているのですから。


そして、当時のインターネットはまだ低速でした。

何万と言うホストの管理者が、みんなで1つしかないこの巨大ファイルをダウンロードしようとするのです。

サーバーは接続に対応しきれませんでした。




これを解決しようとして、ポール・モカペトリスが出したアイディアが、ホスト名の分散管理です。


まず、ホスト名の衝突問題の解決。

世界中のホストを調査し、同じ名前にならない名前を付けなくてはならない、というのは現実的ではない。


そこで、名前を階層化します。

つまり、普通の人が「姓」と「名」を持つと同じ。


ある団体に、団体名を割り当てます。

この団体名は、同じ名前が無いようにします。


団体が大きすぎる場合、団体の中でさらにグループ名を割り当てます。

この名前も、団体の中では同じ名前が無いようにします。


さらに、グループ内でホスト名を考えてもらいます。

このホスト名も、グループ内で同じ名前が無いようにします。


最後に、今まで「ホスト名」を必要とした部分で、ホスト名、グループ名、団体名を接続した名前を指定します。

世界中に同じホスト名・同じグループ名が存在したとしても、団体名が違えば別の名前になります。



英語で、あるまとまった地域などのことを「ドメイン」と呼びます。

これが、「ホスト名のドメイン管理」です。


ちなみに、グループ名などは、何段階に階層化しても構いません。

世界に一つ、という保証さえあれば問題は無いのです。




次に、HOSTS.TXT 相当のファイルの管理も、グループや団体の単位で行ってもらいます。

自分の「ドメイン」の中にあるホスト名やグループに関してのみ責任を持ち、それ以外のことは適切な別のところに問い合わせる。


これが、ドメインの名前管理サービス。…つまり Domain Name Server 、DNS です。


各ドメインの管理ファイルは、今までの HOSTS.TXT のように巨大なものにはならないでしょう。

必要最小限の情報だけを送り合うことで、低速な回線でもすぐに情報が伝達できるようにします。


DNS の考え方では、知らない名前は基本的に「上位」のサーバーに問い合わせます。

つまり、ホスト名がわからなければ自分の属するグループに訊ね、そのグループは属する団体に訊ねるのです。


じゃぁ、団体はどこに訊ねるの? …一番上には「ルート」、つまり「根っこ」を用意します。

(太い根っこから、幹が伸びて枝に別れ、葉っぱが茂っているイメージです。葉っぱがホストに相当します)




アイディアが出されたのは、1983年の11月。RFC881,882,883の連番で、2と3がモカペトリスによって書かれています。

(881は、モカペトリスのアイディアを実行に移すために、以下のスケジュールを考えている…という内容)




この時のアイディアはたたき台に過ぎず、これから長い時間議論が続きます。

最終的には、4年後の 1987年11月に、RFC1034, 1035 として仕様が決まり、モカペトリスによって最初のサーバー(JEEVES)が実装されます。



当初、ルートサーバーは、エンゲルバートが管理しました。

それまでの HOSTS.TXT の管理人です。


しかし、重要なものを個人が管理するのも違うだろうということで、後に世界で13台のサーバーを、分散して管理することになります。


ルートにアクセスする必要がある際は、この13台の中でランダムに問い合わせを行います。

どれかのサーバーが障害を起こしてアクセスできなくても、別のサーバーに問い合わせれば大丈夫。


#現在は、見た目の上では13台のままですが、さらに数百台に分散されています。


ちなみに、13台には A~M の名前が付けられていますが、日本には M が置かれています。

これ、当時の日本のインターネットの世話役であった、「村井純」先生のイニシャルから決められたそうです。


#この話、以前に NHK の技術番組でも、本人が語っていました。

 上のリンクは、最近本人にお会いして聞いた、という方のブログ。




ところで、DNS と IP アドレス(IPv4)には、似て非なる関係性があります。


IP アドレスは、0~255 (8bitで表現できる数)を、. (ピリオド)で区切って4つ並べたものです。

左側の数字が上位の管理者によって管理され、右に行くほど末端を意味します。


ドメイン名は、「名前」を . (ピリオド)で区切って並べたものです。

右の名前が上位の管理者によって管理され、左に行くほど末端を意味します。


…ドットで区切って並べる、という部分が同じなのに、左右のどちらが末端か、という扱いが違うのです。


DNS は、基本的には「名前を元に、IP アドレスを調べる」ためのものです。

しかし、IP アドレスを元に名前を知りたい、という場合(逆引き)もあります。


DNS では、「プログラムの仕組みはそのまま」で、「データを工夫して」逆引きに対応しています。


たとえば、192.168.127.32 というアドレスがある場合、これを逆引きするためのデータは、次のような「ホスト名」として設定します。


32.127.168.192.IN-ADDR.ARPA


IP アドレスを区切ったうえで逆に並べ、最後に IN-ADDR.ARPA を付けただけ。

でも、これで IP アドレスの「末端が右」という規則は「末端が左」に変わり、ドメイン名と同じプログラムで処理できるようになりました。


もちろん、IP アドレスの部分にはホスト名を書いておきます。

…これはつまり、DNS のプログラムが、IP アドレスとホスト名を「まったく」区別していないことを意味します。

数字である IP アドレスを書く部分に、アルファベットのホスト名書けちゃうのね。


プログラムを複雑にしないで、運用上の工夫で乗り切ろうとする姿勢、素敵です。


#運用上の、と書いたけど、運用しながら作りだされた方法ではなくて、最初の DNS RFC にこの表記方法が明記されてます。




過去に書いた通り、DNS の設計時点では「悪人」がいることは想定していなかったので、仕組みそのものにセキュリティホールが指摘されています。


以前には「毒入れ」と呼ばれる問題と、google DNS がその問題の解決方法の一つだということを書いたのですが、つい最近別の問題も起こっていました。

ドメイン名ハイジャックとして話題になりましたが、DNS の登録情報もまた、DNS のように「人から人へ」と伝播していくのを悪用した攻撃です。



セキュリティは弱いところからほころびる、と言われますが、極度に分散した仕組みであるDNSは、弱いところだらけです…




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サターン話のページ、全予定分 公開完了  2014-11-21 12:37:15  コンピュータ

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1年ちょっと前から書き続けていた…というか、忙しくて1年近く放置していただけだけど、サターンの話当初予定分を公開し終わった。


明日がサターンの発売20周年だからね。


サターンの話がこれで終わりか、っていうと、他にも語りたいことは一杯あります。

ST-V のゲーム作ってたから、それぞれにまつわる思い出なんかもある。


ただ、そちらは個人の思い出でもあり、サターンの技術話とは別の物。

「ゲーム作成の話を出来るだけ記録しておく」という当初の考えでいえば、いつか書きたいと思っています。

でも、まだその時期ではない。




今回、kozo さんのツイートを転載させてもらったうえで解説を加えたのですが、興味深い話にもかかわらず入れられなかったものがあります。


kozo さんは当時SGLを使っていただけで内部にはそれほど詳しくなかったそうです。

そして、他の人のプログラムを「見せてもらった」だけの部分もある。


そんな中で、話としては非常に興味深いのだけど、技術的な裏付けがわからずに取り上げられなかったものがあるのです。



それが、「パレットテクスチャマッピングしたポリゴンモデルで、何らかの工夫でグーローシェーディングのようなことをしていた」という話。


詳細は本記事を読んでもらうことにして、概要だけを説明すると、サターンには「テクスチャ」の描き方が2つあります。

1つは、RGB の値を直接指定する、RGB テクスチャ。

もう一つは、いくつかの選択した色だけで書かれる、パレットテクスチャです。


パレットテクスチャの方が、色情報を限定できるので、ずっと省メモリです。

メモリへのアクセスが少ないので、描画も高速。


でも、描画するプロセッサは色を知ることができないため色演算ができません。

グーローシェーディングは色演算の一種なので、パレットテクスチャではグーローシェーディングはできないのです。




サターンの色は、RGB 各5bit でした。

そして、グーローシェーディングも、RGB 各 5bit で「色の増減差分」を指定します。


増減差分には符号があるので、5bit の色情報を完全にカバーできません。

白を灰色にしたり、黒を灰色にするのが精いっぱい。黒を白に、はできません。


でも、kozo さんはパレットテクスチャで工夫した「グーローもどき」で、黒の物体に白いハイライトが入っているのを見たのだそうです。

グーローもどきはパレットテクスチャなので、RGB テクスチャよりもずっと省メモリで高速なのもよかった、とのこと。



光源計算して uv値を変えていたような覚えがある…といいます。

uv というのは、テクスチャとして使う画像の座標のこと。大きな画像の一部をテクスチャとして切り出す、という方法でテクスチャを貼るときに使います。プレステはこの方法。


でも、サターンには uv 値はありません。テクスチャを「貼る」のではなく、四角いスプライトを「変形」させて面を作るのです。



…でも、しばらく考えていて思い出しました。

サターンの技術の詳細には書いていませんが、uv 値を変化させるようなことを出来る方法がありました。


サターンのテクスチャは、横方向の「切り出し位置」は決め打ちになってしまいますが、縦方向だけならドット単位で変えられたのです。

仮に、縦に長いテクスチャがあったとして、その一部を切り出して「面」に張り付けることができます。


切り出し位置を少しづつ変えれば、面に書かれた画像がスクロールしているように見えます。

隣り合ったポリゴンで連続した位置を切り出せば、2連続のポリゴンでスクロールしているように見えます。


筒状に並んだポリゴンで、陰影を表したグラデーションの画像を、光源方向に合わせるように「回転」させれば、グーローもどきの表現ができるかもしれません。




kozo さんに聞いてみたところ、技術的に可能なら興味深いけど、それが自分が見たデモと同じような効果が出せるのかどうかはわからない、とのこと。

まぁ、それはそうですね。可能性がある、ということと、実際にそれが使われていたということは別です。


他にも、考えるだけならいくつかの「可能性」を考えられたのですが、結局はわからないので本文に入れるのをやめました。

しかし、こんな方法当時は試そうとも思わなかったので、もし本当にやっていた人が居たならすごいな、ということで書き留めておきます。



ちなみに、ですが、僕は ST-V で作られた2Dゲームで、この「スプライト内の画像が縦に動く」という妙な効果をゲームに使ったことがあります。

ちゃんと市販もされたよー。別に有名なタイトルではないけど。



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

あきよし】 脱字指摘ありがとうございます。修正しました。 (2014-12-27 18:58:51)

【獣】 サターンには「テクスチャ」の描き方がつあります ←数字が抜けてます^^ (2014-12-12 17:30:40)

セガ・サターンの発売20周年  2014-11-22 12:47:18  コンピュータ 今日は何の日

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今日はセガサターンの発売日(1994)。

発売 20周年です。


サターンの発売日としては去年も書いたし、今日が土曜日なので昨日も書いた

でも、ツイッターでセガ公式氏が昨日「仕掛けた」ので、昨日今日とサターンファンが盛り上がって自分の思い出話を語り続けている。



で、時々見かけるのがサターンの「マスコットキャラ」の…であったはずの…ペパルーチョの話と、「なんでソニックじゃなかったのか」という話。


ソニックの人気を上層部が過小評価していたのではないか、ということを呟いている人もいました。

えー、それは流石に違うと思う。



真相は知りませんが、当時の噂としては理由をちょっと聞いていましたし、最近サターンの話を調べていた際の情報とも合致します。

なので、どうも…多少の信憑性はあるんじゃないかな、と思っている噂話を書いておきます。




サターンの話の中で、サターンが当初はメガドラ互換として考慮されていた話を書きました。

当初はメガドライブ 32 という開発名だったようです。


System 32 の機能を大幅に取り込みながらも、メガドライブ互換。

…つまりは、ポリゴンなんて出なかった、ってこと。


そのころから、セガはポリゴンゲームも作りはじめていました。

なので、メガドライブ 32 はポリゴン機能も付け加えられ、その頃から「ジュピター」と名前を変えた模様。



この頃の CPU が何だったかは知りません。

でも、メイン CPU にはそれなりに強力なものを据えて、サブ CPU に 68000 を搭載したのではないかな。


想像ですが、メイン CPU は Z80 をエミュレートさせても、十分に 3.58Mhz の速度を出せる程度の速度は持っていたでしょう。

そして、メガドライブと同じように、68000 とメイン CPU は、どちらも同等のバスに接続させる。


こうしておけば、メガドライブのソフトも Z80 部分をエミュレートすることで動かせます。

68000 を音楽用にして、メイン CPU をネイティブで動かせば、十分なパワーも引き出せます。



実は、メガドライブも同じような仕組みで、「mkIII 互換」になっているのは、セガファンなら知っているところ。




メガドライブの互換機、というのは非常に重要だったと思います。

日本ではメガドライブはあまり売れていませんでしたが、世界的にはすごい大きな市場を作った機械。

この市場を「丸ごと捨てる」という判断はあり得ません。


そして、ソニックはこの市場を代表するビッグキャラクター。

おそらく、ジュピターがメガドライブ互換のまま完成していたら、当然のようにソニックのゲームも同時発売されていたのではないかと思います。



しかし、当のアメリカ市場で、3Dゲームの旋風が巻き起こることになります。




パソコン用には3Dゲームが流行し始めていました。

3DOの開発の噂もありましたし、PS-Xの噂もありました。


どうも、一番ライバル視したのはPS-Xのようですが、この機械に負けないようにジュピターは大幅に設計をしなおし、サターンに変わります。


どうやらこの過程で、「メイン CPU とサブ CPU を同じバスにつなげる」という選択は捨てられた模様。

同じバスを奪い合うと性能が低下するために、性能向上を狙うとこの選択は無かったのでしょう。


サターンに音楽用としての 68000 は残っていますが、メインとして使うことはできません。

これは、「メガドライブ互換にはなり得ない」ことを意味します。


メガドライブの互換性を気にしすぎると、性能が低くて他社との競争に負ける。

しかし、メガドライブの互換性が無くなれば、大きな市場を手放すことになる。


非常に難しい選択を迫られた形です。




サターンにはメガドライブの互換性は望めない。

…どうも、技術的にこのことがはっきりしたのは、かなり遅かったようです。

逆に言えば、互換性を考慮できないか、ぎりぎりまで設計の見直しが続いていたのかもしれません。


しかし、互換性が保てないとはっきりした時点で、セガは「互換性を持った後継機」の路線を諦め、メガドライブの延命策を始めます。



この方法も、念のための2系統。

一つは、メガドライブの「後継機」ではなく、「周辺機器」でパワーアップを計る方向。

もう一つは、そのままメガドライブの市場を維持する方向。


前者はスーパー32X ですね。

メガドライブがすでに「拡張」に耐えられないほど古いハードになっていた上に、戦略決定が遅かったため、スーパー 32X のハード自体を十分練り込む時間もなく、歴史的な大失敗しました。


ハードを「開発する」という決定から、発売まで1年無いんだよね。

同時発売のソフトの開発も考えると、ハードの実質的な設計期間は3か月程度だったのではないかと思います。


それでも、こちらではサターンにはなかなか出なかったソニックシリーズが、すぐに発売されています

ソニックは登場しない、外伝的作品ですけど。



で、メガドライブ延命策のもう一つ、「そのまま市場維持」です。

…これが難しいのは、最初からわかっていたでしょう。


でも、そのための戦略の一つが「ソニックはメガドライブのキャラクターだ」という宣言です。


ソニックの人気を過小評価なんてしていない。

むしろ、非常に大きく評価しているからこそ、「ソニックの続編はまだメガドライブで出る」としておけば、メガドライブの市場を保てるのではないか、と考えたのでしょう。




もっとも、この宣言自体、非常に玉虫色なんですね。


どうも、どこかで「メガドライブのキャラクターだ」と言ったようなのですが、そのことを聞かれたセガの人間は「いや、メガドライブと言うことは無くて、あれはセガのキャラクターですよ」なんて言ってたりもする。


でも、そういうときにも必ず、「サターンにはサターンで活躍する新しいキャラが必要でしょう」と付け加えたり…

要は、言質を取られないようにのらりくらりとかわしながら、ソニックの新作はまだメガドライブで出るんじゃないか、と期待させようとしている。


これ、結局「市場維持するためにも、ソニックはメガドライブと共にあるような幻想を見せておけ」という戦略だったのではないかと思います。

いつか市場がしぼむとは分かっているから、決して言い切ったりはしないのだけど。




で、サターンのキャラはペパルーチョ、ということになるのですが、これは単に宣伝上の戦略。


プレステは、発売日の少し前から「モータートゥーン・グランプリ」のキャラクターイラストをチラシなどに使っていました。


#モータートゥーンは当時ソニーが直接作っていたゲームで、後の「グランツーリスモ」の元になるゲーム。


かなり使っていたし、初代マスコットキャラ、と思っていたのだけど…

Wikipedia にもプレステのマスコットキャラ一覧、ってのがあるのだけど、載ってないね。


まぁ、ともかくプレステは「かわいいゲームキャライラスト」を使ってチラシとか作っていたのね。

じゃぁ、サターンもやらなくちゃまずい。


でも、ソニックはメガドライブ市場を温存する戦略があるので使えません。

注目タイトルはバーチャファイターでしたが、「アキラ」は…一般向けのかわいいキャラとは言えない。



そこで、開発中のゲームのキャラから、ペパルーチョが選ばれた。ただそんだけ。

「クロックワークナイト」を作っていたチームは、サターンを背負って立つキャラになるなんて、全く考えていなかった模様。




急にメインキャラの重圧を背負わされた、クロックワークナイトの開発チームの方には同情を禁じ得ません。

「ソニックに続く看板キャラだったのに、いつの間にか消えた」とか言ってあげるのは、ちょっとかわいそう。


看板キャラだから、当然「同時発売で」と言われたと思うのですが、そんなつもりで開発してない。

じゃぁせめて2週間遅れで、となったのでしょうが、おかげで、未完成だったのに「上巻」って名付けて半分だけ発売することになっちゃうし…


#クロックワークナイトの発売は、本体発売からおよそ2週間後の、12月9日。


でも、「上巻」って名付けて発売したので、下巻を発売することが約束されました。

ここで、「アイディアコンテスト」を行ったのは流石。転んでもタダでは起きない。


このゲーム、上巻はスーパーマリオタイプの普通のゲームなのね。

3Dを活かした演出はあるのだけど、「3Dじゃなくちゃ」と言うほどのものは無い。


でも、下巻はすごいです。横から見ている2Dゲームなのにも関わらず、3Dじゃないとできないことが詰まっている。


アイディアコンテストで応募された中から、実際に面白いアイディアを詰め込んだのですね。

数人の開発チームで作っていても出てこないような仕掛けが、これでもかと詰め込まれている。


それでいて、ちゃんと2Dゲームなので、遠近感が掴めないで遊びづらい、とかいうこともない。

それまでのゲームでは見たこともないような突拍子もないアイディアを、ちゃんと遊びやすいゲームにまとめ上げているのだから、たいしたものです。


名作です。遊んでない人は今からでも是非。




そんなこんなで、ソニックのゲームがセガサターンでなかなか発売されなかった理由と、ペパルーチョがマスコットとされた理由の「噂」を書いてみました。


もう一度書いとくけど、当時聞いた噂だよ。

ここには書けないこともあって、それなりの信憑性はあると信じているけど、核心に迫る事実は何も知らないので間違えていても責任はとれません。



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【sh】 海外のフォーラムで、32Xのソニックは元はセガサターンで(主役もソニックとして)出すつもりだったという噂がありました。実はその頃のものらしき開発中ROMデータというのがネットに流出して出回っているんですが、それがメガドライブ用のROMなんですよね... 互換性を予定していたのと関係あるのかもと妄想してます (2017-08-27 00:54:49)


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