2014年06月の日記です

目次

01日 シャープのパソコン発売日
06日 フェルディナント・ブラウンの誕生日
08日 ティム・バーナーズ・リーの誕生日(1955)
15日 ジョン・アタナソフ命日(1955)
15日 つんでつんでピラミッド
17日 テッド・ネルソンの誕生日(1937)
18日 追悼:ダニエル・キース
19日 ブレーズ・パスカルの誕生日
21日 ファミリーベーシックの発売日(1984)
22日 コンラッド・ツーゼの誕生日(1910)
23日 アラン・チューリングの誕生日(1912)
26日 ロバート・エバレットの誕生日
27日 MSX規格発表の日
29日 DAISY DAISY
30日 ヴァネバー・ブッシュの命日(1974)


シャープのパソコン発売日  2014-06-01 14:23:12  コンピュータ 今日は何の日

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シャープのパソコン、ってなんてアバウトな。


僕もさっきまで知りませんでした。

Twitter で、SHARP GALAPAGOS 公式氏が気を吐いておりました。


1984年 MZ-1500 発売

1984年 X1Cs および X1Ck 発売

1990年 X68k SUPER-HD 発売

1990年 All in Note (ノートパソコン)発売


…だそうです。


個人的に X68k が好きですが、SUPER-HD はバリエーションの一機種に過ぎないので、

MZ-1500 の話題行きましょうか。




MZ-1500 って、あまり歴史に名を残していない機種に思います。


でも、当時のパソコン少年で憧れた人は多かったはず。

だって、この機種すごい性能なのに、結構安いんですよ。


MZ-700 の完全上位互換でした。

ある程度資産のある、MZ-700 のソフトは完全に動作する、ということです。


ちなみに、MZ-700 は、黎明期のパソコンである MZ-80K の上位互換です。


…MZ-80 には、K 系列と B 系列の2つがあり、MZ-80B の互換ではない、と言うのがややこしいところ。

(B系列の後継機は MZ-2500 )




さて、MZ-1500 ですが、PCG を搭載していました。

当時のパソコンは遅く、ゲームを作るためにグラフィックを使おうものならさらに遅くなります。


ところが、PCG というのは、「文字の形を自由に変えられる」機能で、グラフィックではなく文字として、

ゲームの画面を作ることができます。

これだと非常に速いのですね。


当時のコンピューターでは PCG を持たないものが多く、持っていた場合もアスキー文字と同じく、256文字程度で白黒、と言うのが普通でした。


ところが、MZ-1500 では画面全てを違うキャラクターで覆えるほどの PCG が使えます。

さらに、ドット単位で好きな色(デジタル8色)が使えます。



さらに、PSG を2つも搭載していました。

当時、音楽と言えば3重和音が最大、と言うのが普通でした。


ところが、そのチップを2つ搭載することで、6重和音を可能としていたのです。


さらに驚くことに、まったく新規開発の「クイックディスク」を搭載していました。

ディスクドライブがまだ高嶺の花でとても手が出なかった時代に、特殊な機構で非常に安いディスク装置を搭載したのです。



こんなに機能を盛り込んでいて、その割には値段は高くない。

専用モニタ不要で、家庭用テレビに接続できる、というのもセット価格を安くする要因でした。



…いつかこれを購入して、面白いゲームを自作してやるんだ。

僕はそう思っていました。




でも、先に書いたように、MZ-1500はあまり歴史に名を残していません。

たいして売れなかったのです。


非常に優れた性能を持っていましたが、「他機種よりちょっといい」程度で、とびぬけた部分がなかったのです。


PCG は、「画面を違うキャラで覆えるほど」と書きましたが、実はその画面の解像度は低めでした。

家庭用モニタに接続できるように、と言う配慮もあり、40x25 …つまり、画面上に1000文字しか出ないのです。

(PCG の定義数は 1024キャラクタ)


この文字数は、ゲームをやるには十分。でも、他の機種と比べると見劣りがする感じです。


PSG による6重和音も、すぐ後には FM音源の時代がやってきます。

FM3重 + PSG3重の6重和音。同じ発声数なら、音がずっと良い FM音源の方が見栄えがしました。


クイックディスクは…後にファミコンのディスクとして流用されるものなのですが、渦巻き状にシーケンシャル記録する仕組みでした。


ディスクの良さは、ランダムアクセス可能なところにあります。

しかし、シーケンシャル記憶ではランダムアクセスは出来ず、ただ速度の速いカセットテープと同じなのです。



MZ-1500 は、PCG や 6重和音など、エンターテイメント性…はっきりいえば、ゲームターゲットでした。

しかし、ゲームを作るには「スプライトが存在しない」ことが足枷でした。


MZ-1500 の前年には、MSX とファミコンが発売されています。


MSX はスプライトもありましたし、PCG も持っていました。

ファミコンなら、画面に表示できる色数もずっとありました。


しかも、どちらとも MZ-1500 よりずっと安いのです。


高級機ほどの性能を持たない、しかし廉価機種ほど割り切れていない、中途半端な存在。

それが MZ-1500 でした。




結局、発売されたゲームもそれほど多くありませんでしたし、商業的に失敗だったようです。


当時シャープは全く異なる2つの部署がそれぞれパソコンを作っていました。

パソコン事業部の MZ と、テレビ事業部の X1 です。


一番古い、MZ-80K の互換路線は MZ-1500 で終わりとなり、パソコン事業部は高級路線である MZ-80B の互換機として後に MZ-2500 、さらには 16bit 化した MZ-2861 に続きます。


X1 シリーズはより新しい設計で、テレビ事業部らしく画像に力を入れていました。

PCG も豊富に持っていたため、MZ-1500 の直接のライバルは、X1 だったかもしれません。


X1 は後に互換性のない X68000 へと進化しますが、こちらも「美しすぎる」設計が足を引っ張って時代の変化に合わせられなくなり、性能があまり変えられないままシリーズ終了しています。





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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

【とおりすがり】 80カラムモードが無いことと、癖が強すぎることが問題だったかもしれませんね。PCGの書き換えタイミングに制限があったので、予め定義したPCGを積極的に使わないとグラフィックの遅い低解像度機になってしまうので、高性能とも言いがたい。個性的で面白い実装ではあるのですが。 (2017-05-13 21:28:00)

フェルディナント・ブラウンの誕生日  2014-06-06 16:56:13  コンピュータ 今日は何の日

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今日はフェルディナント・ブラウンの誕生日(1850)。


ブラウン管を発明した、と言う業績が有名ですが、半導体を発見した人でもあります。


また、発見した半導体で検波器(電波のチューナー)を発明してもいますから、ラジオやテレビをはじめとした、ありとあらゆる無線通信システムは彼の業績なしには存在しなかったことになります。


詳細は命日(4/20)に書いたのでそちらで。



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ティム・バーナーズ・リーの誕生日(1955)  2014-06-08 10:18:19  コンピュータ 今日は何の日

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今日はティム・バーナーズ・リーの誕生日(1955)。


World Wide Web (WWW) を作り出した人です。

昨今では、インターネット= WWW だと考えている人も多いですし、実際 WWW がなければこれほどインターネットが普及したとも思えません。


WWW が「発明」されたのは、1989年の3月。

この時、WWW に必須の3つの技術仕様… URL、HTTP、HTML が一緒に発明されています。


この3つの発明により、インターネットが大きく変わったため、「ルネサンス期三大発明」になぞらえて「ティム・バーナーズ・リーの三大発明」と呼ばれています。




話はティムの生まれる前まで遡ります。


僕のページでも紹介している、Baby MarkI というコンピューターがあります。

非常に小さな実験機で実用ではありませんでしたが、ただの電子計算機ではなく、世界初のプログラム内蔵型でした。


…つまり、現代的な定義でいえば「世界初のコンピューター」でした。


この Baby MarkI を元に作られた実用機が Manchester MarkI(1949)でした。

イギリスのマンチェスター大学が作成しています。



この計算機プロジェクトに参加した二人の数学者がいました。

一人は数学者としては珍しい女性。


二人はやがて結婚し、1955年の今日、子供が生まれます。それが今日の話の主役、ティム・バーナーズ・リーでした。



父母ともに計算機数学者で、当然のようにティムも子供のころから計算機に興味を持ちます。

6800を使用したコンピューターを完全自作したこともありますし、大学のコンピューターをハックして使用禁止令を受けたこともあります。

いわゆる「コンピューターの天才」、それも飛び切りのサラブレッドでした。



当然大学卒業後もコンピューター関連の職業につきますが、やがて独立します。

そして、個人でコンピューターコンサルタント業を始めますが、1980年に6か月間、CERN に滞在します。




スイスにある CERN…欧州原子核研究機構では、世界中の科学者たちが集まり、1国では建造できないほどの莫大な資金をつぎ込んだ大型加速器を使った研究をしています。

その設立は、ティムの生まれる1年前の 1954年


単に1国では資金難だから、と言う理由だけでなく、その研究内容が高度すぎ、世界中の天才を集めないと研究が進まない、と言う事情もあります。

ですから、ここでは研究者同士を隔てる国の壁はありません。



…というのが建前なのですが、実際にはそれぞれの研究者はそれぞれの国の予算で研究に参加しており、コンピューターやソフトウェアを導入するのにも、それぞれの国の行政方針の影響がありました。

このため、使用するマシンも、OSも、ソフトウェアもバラバラでした。


現在では8000人の科学者が集まる大所帯ですが、1980年当時でもかなりの人数が集まっていたようです。

もはや、「直接会って話をする」なんてレベルでは、情報の交換ができません。


大勢の科学者が持っている情報を、迅速に交換できるシステムの構築が急務でした。

しかも、その構築に使えるコンピューターは、各国ごとにバラバラ、という難題が待ち構えていました。


1980年にコンサルタントして CERN を訪れたティムの仕事は、この難題を解決することでした。


ティムが意識していたかは不明ですが、おそらくはXanaduのようなものが必要とされていたのでしょう。

これは、パワフルでグラフィカルなコンピューターと、コンピューターを何百台も接続できる大規模ホストコンピューターによって作り出されるシステムです。



…1980年当時、インターネットはすでに生まれていましたがアメリカの一部で細々と使われているだけでした。

電話回線によるパソコン通信、と言う手段もありましたが、効率的ではありません。


結局、この時はコミュニケーション問題は解決できていません。

しかし、ティムの心の隅に問題意識を植え付けたようです。


6か月後、ティムはイギリスに戻り、別の仕事を始めます。



1984年、ティムは再び CERN に戻ります。

この頃には、コンピューターを相互接続してネットワークを形成して使用する、と言う考え方は、一般的になり始めています。


ただし、実際のネットワーク環境が整うのはもうすこしあと。1985年ごろからです。


当時主力と目されていたのは、IBM が技術開発をすすめる Tokenring 。

世界最大のコンピューター企業が推進しているのですから、将来はこれに決まるだろう、と多くの人が思っていました。


対抗馬は Apple の AppleTalk 。

…これ、ネット調べると「Mac の発売当時から搭載していた」とするページが多いのですが、ちょっと違う。


まぁ、その話は今回は関係ないので割愛しますが、Apple はパソコンの元祖を作った有名企業。

IBM の Tokenring への対抗になりうるかも、と期待されていました。


インターネットに使われる「イーサネット接続」は、じつはすでに稼働実績がありました。

初稼働は1973年ごろ

もっとも、1970年代は、研究などの目的で存在していただけ。


1979年にイーサネット通信機器を手掛ける 3com 社が設立されてから本格的な普及が始まりましたが、1984年ごろはすでに「古臭い技術」でした。

通信仕様自体も小さなコンピューター会社各社の合議によって作られていましたので、今後改良するのは難しそうでした。


そのため、IBM や Apple のような大企業が出てくれば先は無いだろうと考えられたのです。


だから、ティムが CERN に戻っても、すぐに問題解決、とはなりませんでした。




最初に書いたように、問題が解決するのは 1989年でした。


特定企業の物ではなかったイーサネットが、ライセンス料などがないために安く使え、大学などの研究機関を中心に利用が広まっていました。

当然、CERN でも、ほとんどのコンピューターがイーサネット接続されていました。


でも、接続されたから解決、ではありません。

最初に書いた通り、コンピューターも OS もバラバラで、お互い使用できるソフトが違うのです。



イーサネットで使用できるプロトコルとして、メールも、ファイル交換(FTP)プロトコルも定められていました。


しかし、当時のメールは文字のみ。ファイル添付などできません。


ファイルの交換を行うための仕組みである FTP では、特定のサーバーに接続し、ファイル一覧を表示し、目的のディレクトリを見つけて潜り…これを繰り返し、ファイルを発見したら取得する、と言う操作をコマンドラインから入力する必要がありました。



この混乱を収拾する必要がありました。


ここでティムが考えたのが、3つの仕組み。最初に書いた「三大発明」です。


FTP では、たとえファイルのある場所を人から教えてもらっても、サーバーに接続して、その場所までディレクトリをもぐって…と言う操作を人間が行う必要がありました。


これを、ダイレクトに行える「記述方法」を作ります。

FTP 以外にも情報をやり取りするプロトコルはありましたから、プロトコルも指定できるようにします。


それまでバラバラだった、プロトコル、サーバー、サーバー内の位置を1つにまとめる記述方法。

これは「Uniform Resource Locator」(資源の場所の統一記法)と名付けられました。

略して URL と呼ばれます。




情報のある場所がわかっても、それが特定のソフトでしか読めない形式では困ります。

一般化された、誰でも読める情報の記述方法が必要でした。


ここで記述したいのは、研究者が作成する論文です。

論理構造はしっかりしていますし、できることなら画面で読むだけでなく、必要に応じて綺麗に印刷できる方法が望まれました。


また、研究論文は他の論文の引用・参照をよく行います。

これらの参照を示されたとき、わざわざ改めて人間が「参照先」を入力しなくても、簡単に参照先の情報を入手する方法を作る必要もありました。



以上の問題を解決できる方法として、ティムは SGML (Standard Generalized Markup Language) を応用します。


SGML は 1986年に ISO で定められたばかりの国際規格でしたが、その元となったのは 1960年代に IBM が策定した「文章のタグづけ言語」(GML)でした。


SGML では、文章の中で「タイトル部分」「著者名」「章見出し」…などをタグで示すことができます。


SGML で大切なのは、タグを付けるのに特別なプログラムは不要で、すべてがテキストファイルとして作成できることです。

ワープロを使って見出しやタイトルを大きく表示すると、同じワープロ以外でデータを読むことはできませんでした。

しかし、SGML なら最悪の場合でも、テキストファイルとして読むことができるのです。



SGML は論理構造を示すことで、その後の機械処理を簡単にする目的がありました。

文章の部分ごとの意味がわかっていますから、見出し部分だけを抽出して目次を作るのも簡単ですし、著者名を元に検索を行うこともできます。


その応用の一つとして、SGML で書かれたタグを LaTeX に変換し、綺麗に組版して印刷する、と言うようなソフトウェアもありました。

これで、必要があれば印刷したい、という要求も満たせます。



他の論文への参照を簡単に示す方法としては、SGML を拡張する必要がありました。


そこで、独自の拡張を加えて、参照先として URL を記述できるようにします。

拡張した SGML は、HTML (Hyper Text Markup Language) と呼ばれました。




URL でデータの場所を簡単に示せるようになり、HTML でその URL によってハイパーリンクできる文章を作れるようになりました。


しかし、もう一つ仕事がありました。これらのデータを置いておき、自由に取り出せるサーバーを作らなくてはなりません。


FTP はファイルのやり取りを行うサーバーのプロトコルなので、FTP をそのまま流用することも可能でしょう。

しかし、FTP は非常に設計が古く、プロトコルは扱いにくいものですし、実は FTP では利用にアカウント認証が必要なのです。


アカウント認証など無しに、誰でもデータを取り出せるサーバーとの通信方法が必要とされていました。


これは、メール配信方法である SMTP (Simple Mail Transfer Protocol) が参考になりました。

名前の通り非常にシンプルですが、シンプルであるがゆえに、十分な拡張可能性を持っていました。


SMTP はメールを送り届けるためのプロトコルでしたが、これを拡張して、リクエストしたデータを送り返すプロトコルが作られます。

これは HTTP (Hyper Text Transfer Protocol) と名付けられます。


これで、必要なものが揃いました。

URL でプロトコルに HTTP を指定し、HTML データを入手して表示する。

テキストではないファイルが必要な際には、URL で FTP を指定し、ファイルを入手する。



HTML データの実態はテキストファイルなので、記述するのに特別なソフトは不要です。

HTTP の仕組みもメールとほぼ同じなので、メールが使えるコンピューターなら簡単にアクセスするソフトを作れるでしょう。


これなら、どんなマシン、どんな OS 上でも、簡単なソフトを作るだけで情報を交換できます。




1989年に概要を公表し、ティムは必要なソフトウェアの開発を始めます。


SGML の処理を行い、LaTeX のように整形して、Xanadu のように閲覧環境を整える。

…プログラムをするのは非常に大変そうです。



しかし、1988年に発売されたばかりの NeXT cube がありました。

NeXT は、グラフィカルなソフトウェアを簡単に作り出せる仕組みを備えたコンピューターでした。


NeXT で動作する世界初の WEB ブラウザが公開されたのは翌 1990年のことでした。


すぐに、グラフィック画面を持たないテキスト端末用のブラウザも開発されます。

これで、名実ともに「誰でも情報を閲覧できる」システムが完成したのは、1991年に入ってから。



このようなシステムの必要性を最初に認識したのは 1980年でした。

しかし、それが実際に作れる環境が整うまでに、10年以上の時間を必要としたのです。


時代が追いつき、やっと考えていたものが形に出来たのでした。




この時点でのブラウザは、テキストを閲覧する機能しかありませんでした。

図版が必要なら、別途ファイルとして FTP に置けばよい、という考え方です。

論文を交換するには十分でした。


なによりも、先に書いた通り、この頃のメールはテキストしか扱えませんでした。

SMTP をベースに作られた HTTP もまた、テキストしか扱えなかったのです。


そして、この時はまだ CERN と、CERN と密接な関係にある各国の研究機関の間で使用されるシステムに過ぎませんでした。



このあと、1993 年にマーク・アンドリーセンが NeXT用のブラウザとWEBサーバーを発見し、改造をして画像表示を可能にします。


1992年にメールに画像などのファイルを添付するための MIME と言う標準形式が定められており、SMTP が拡張されていました。


マークも、これに従って HTTP を拡張したのでした。

これもまた、時代によって環境が整えられたから付いた機能でした。



画像の表示をきっかけに WEB が急速に普及し、インターネットが拡大するのですが、それはまた別の話



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あきよし】 1か月もたって書き込みに気付きました (^^; マーク、が正しいですね。指摘ありがとうございます。本文修正しました。 (2014-07-12 18:22:02)

【lamspa】 久しぶりにXanaduが出てきて嬉しいです。マイク・アンドリーセンはマーク・アンドリーセンだと思います。 (2014-06-08 18:34:42)

ジョン・アタナソフ命日(1955)  2014-06-15 06:34:21  コンピュータ 今日は何の日

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今日は ABCマシンの設計者として知られる、ジョン・アタナソフの命日(1955)。


誕生日の際に紹介記事を書いているので、詳細はそちらを。



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つんでつんでピラミッド  2014-06-15 07:07:43  家族

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昨日、14日の土曜日に次女の保育園の父の日参観。


昨年までは長女の方に出席していたので、実は次女の参観に出席するのは初めて。

(昨年までは、妻が次女の方に出席してくれていた。)



去年の秋ごろから、保育園で「つんでつんでピラミッド」が流行しているのは知っていた。


長女と次女が家でも歌っていたし、お迎えに行ったときに遊んでいるのも見たことがある。

ちゃんとルール理解していなかったけど。


歌に合わせて踊る…というのはお遊戯の一環。

でも、その歌の中に「♪積んで積んで…ピラミッド」と繰り返される部分があり、そこで用意された紙コップを積み上げる。


繰り返し部分は10秒程度。終わったら、また踊る。

この踊りは、積み上げたコップの周りを歩いたり、手をふったり。


で、また「♪積んで積んで…」と始まる。計3回、積み上げる時間がある。



4人程度が1チームで、どこのチームが一番高いピラミッドを作れるか、という遊び。




父の日参観で、子供のチームに混ざって一緒にやる。

普段4人でグループを作っている子供たちに、大人が混ざって8人構成。


単純な遊びだけど、これが結構難しい。

紙コップは不安定な上軽いので、周囲で踊らないといけなことを考えると、無理に縦に積み上げるだけでなく、安定した構造を作り出さないといけない。


紙コップの台形って結構きつくて、逆さにして並べると上は結構スカスカ。

ここに次のコップをきれいに並べる、というのがなかなか難しい。


立方細密格子を作ればいいのだな、と直感的にわかるのだけど、1回で作業できる時間はたった10秒。しかも、協調作業なのでそんな細かなことしてられない。


最初のチーム、6段でした。

ここで、保育士の先生から「子供の最高記録は、今のところ8段です」という情報。


お父さんすごい、と子供たちに思わせるためには、ここで記録を越えなければ、と妙なプレッシャー。



僕たちのチームは、一人お休みの子がいて6人。

これ、幸いしました。8人もいると人数多すぎてうまくいかないみたい。


最初の記録、9段。ここで子供たち大興奮。


1チーム2回、チャレンジする機会がありました。

2回目の記録は、なんと11段。


9段目あたりまでちゃんとピラミッド構造を作り、その上にまっすぐ伸びる塔を作り出す、という構造でした。



「じゃぁ、子供が入らない、大人だけの本気がみてみたい」ということになり3回目のチャレンジ。

しかし、これは全然振るわず。7段だったかな?


大人だけだと、綺麗で強固な構造を作ろうとしすぎて、上に伸びません。

子供が無茶するのを、大人の知恵で後付けで安定させていく、というのが良かったみたい。


ちなみに、大人だけでやった時の優勝チームは、立方細密格子にはせず、1枚の板を作り上げる形。

トランプのピラミッドみたいな感じね。


横からの力に弱いけど、立方細密格子を作ろうとするより簡単だし、作業も早い。



子供でも出来る簡単なゲームだけど、大人がやってもいろいろと戦略を考えさせられる、楽しい遊びでした。




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テッド・ネルソンの誕生日(1937)  2014-06-17 13:09:48  コンピュータ 今日は何の日

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今日はテッド・ネルソンの誕生日(1937)。


Xanadu を作った…というか、まだできてないので考案した人です。

Xanadu を知らない人は上の記事を読んでもらうことにして…



ちょうど1週間前、openXanadu がリリースされた、と話題になっていました。

報じたサイトは数あれど、中にはちゃんと理解していないサイトもあって、ちょっと酷かった。

(もちろん正しく認識し、伝えているサイトもありました)


酷いサイトがどこか、名指しで批判するのは辞めておきましょう。

僕だって事実誤認はしょっちゅうしている。人の揚げ足を取っても面白くない。


でも、正しく認識してもらうためにも、そのサイトの報じ方が「よく勘違いされる部分なのだ」と考えて、正そうと思います。




まず、openXanadu がプロジェクト開始から54年たってついにリリースされた、という話題について。


54年もたってリリース、と言うと話が面白いので、そう報じたサイトがありました。

でも、今までに何度もリリースしています。また新しいバージョンができた、というだけ。


新しい Photoshop がリリースされる際に、最初のバージョン作成開始の時期にさかのぼって「25年たってついに」と言ったらおかしなことになります。

同じように、openXanadu も54年たってついに、ではありません。新バージョンが出ただけ。



もっと早く出ていれば WEB の地位を奪えたのに、とか、WEB になり損ねたプロジェクト、というような「競合関係」に見る記事もあったのですが、WEB は Xanadu に触発されて作られたものです。


だから、Xanadu は「WEB になり損ねた」のではなく、WEB を生み出す母体となったものです。

たとえソフトウェアが完成していなくても、高く掲げられたその理想は、コンピューター業界をリードしてきました。


Twitter などでリリースの報に触れた話題で、「昔 Mac にハイパーカードっていうのがあったけど似てる」見たいなものを見かけました。


ハイパーカードもまた、Xanadu に触発されて作られたものです。


ハイパーカードを作成したビル・アトキンソンは、Xanadu の「ハイパーテキスト」の概念をちゃんと理解していました。

だから、ハイパーテキストを名乗るのは畏れ多い、と「ハイパーカード」を名乗ったのです。


長大な「テキスト」ではなく、ほんの短く区切られた「カード」。

このサイズの違いが、ハイパーカードと本来のハイパーテキストの差である、という意味です。


もちろん、これは比喩ですよ。画面サイズが小さいとかの物理的な意味ではなくて、概念としてずっと小さなものだということ。

でも、エッセンスは十分詰まっていました。



それに比べると、WEB は「ハイパーテキスト」と名乗ってしまいました。

http って、「ハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル」の略だからね。

でも、ハイパーテキストを名乗るには、あまりにも機能が貧弱で、問題だらけでした。


テッド・ネルソンは、WEB を忌々しく思っている節があります。彼が熟考したハイパーテキストの概念を踏みにじってしまったからです。

その一方で、彼の構想のほんの一部でも実現し、世界が大きく変わったことは事実として受け入れ、喜んでいるようにも思います。


WEB を作ったティム・バーナーズ・リーだって、WEB がまさかこんなに普及するとは思っていなかったでしょう。

もともとは、CERN の内部で使われる小さなシステムだったはずなのですから。


テッド・ネルソンが「WEBは問題だらけだ」と指摘するように、ティム・バーナーズ・リーもまた「こんなに普及するならもっと良い設計にしたかった」と言っています。


しかし、彼らはそう言いながらも、わかっているように思います。


もし良い設計にしていたなら、普及はしなかったでしょう。

問題への対処なんて考えていない、単純な機能を実装してみただけの非常にシンプルな構成だからこそ、WEB は多くの環境に移植でき、拡張され、普及したのです。





じゃぁ、テッド・ネルソンの設計が複雑すぎて悪かったのか、と言えばそんなこともありません。


「まず動く小さなモデルを作らないといけなかった」としたり顔で書いているようなサイトもありましたが、それでは問題が噴出することがわかっていたから、彼は大きなシステムを作ろうとしたのです。


まだ皆が手書きで文章を書いていた時代、簡単に活字にすることはできないし、コピー機すら珍しかった時代に、彼はコンピューターのパワーを正しく認識していました。


皆がコンピューターで文章を書けば、引用も参照も思うがまま。

いつでもバックナンバーを入手できるし、へき地に住むから情報にアクセスできない、ということもない。



その一方で、引用も参照も簡単だということは、著作権侵害も簡単に起こるということです。


実際、現在のインターネットでは著作権問題はもめ続けています。

2ch まとめだって、NAVER まとめだって、パクツイだって著作権侵害だけど、誰もそのことを気に留めてない。

明日にも自分が被害者になるかもしれないのに、実際被害にあわないと問題意識を持てないのです。



また、電子データは紙の本と違い、一瞬で消える可能性があります。

知識と言うのは、先人の知識の上に乗っかって高くなっていくものです。

(西洋では、このことを「巨人の肩に乗る」とする言い回しがあります)


ところが、そのベースとなるデータが、ある日突然消えてしまったとしたら?

その消滅データの価値がどうであったか…という話ではありません。

そんな脆弱な状況では、人類の知は砂上の楼閣となってしまいます。


…これが、テッド・ネルソンが複雑で、強固なシステムを最初から目指していた理由です。


やっぱり複雑なこと考え過ぎに見える?

そうかもしれません。


しかし、当時はまだ誰もコンピューターの利便性に気が付いておらず、その利便性の先にある問題点など当然気づかない段階。

「最初に道を開拓するもの」の努めとして、後に遺恨を残さないように頑張っていたのでしょう。



もちろん、今の WEB がこれらの問題を解決できていない「ダメシステム」と否定するものではありません。

利便性を多くの人に示してくれましたし、問題点もやはり世界中の人に気づかせてくれました。


いま、世界はやっと 54年前にテッド・ネルソンが「利便性だけでなく問題点も多い」と気づいた頃に追いついたところ。



じゃぁ、その問題を解消するための次の一手はどうするか? …といえば、やはり Xanadu には学ぶところが多いのです。

テッド自身、WEB に Xanadu を融合するための方法を研究している…はずだったんですけど、その後の進捗聞きません。


WEB が普及しすぎて、一人の人間の手には負えない状況なんでしょうね。



とはいえ、おそらく何年か後には問題のいくつかは解決されるでしょう。

ほおっておくわけにはいきませんから。


そして、たぶんその解決法はやっぱり Xanadu を参考にしているのだと思います。

出来たシステムがやっぱり Xanadu でなかったとしても、Xanadu が「なりそこない」なわけではないのです。



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追悼:ダニエル・キース【日記 14/06/18】

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追悼:ダニエル・キース  2014-06-18 09:56:57  今日は何の日

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SF作家のダニエル・キースが6月15日に亡くなったそうです。


えーと、僕は別にファンじゃないです。

「24人のビリー・ミリガン」を読んで、「ビリー・ミリガンと23の棺」を読んで、「アルジャーノンに花束を」の長編版を読んだだけ。


多分、アルジャーノンの中編もアシモフのアンソロジーで読んでいると思うけど、これは記憶が定かでない。



そんなわけで、3つか4つしか読んでないので別にファンなわけじゃない。

でも、どの物語も心の底に刺さったままになっている。




ビリー・ミリガンは小説ではないので、彼の小説はアルジャーノンしか読んでないことになりますね。


ちなみに、アルジャーノンは何度も映像化されていますが、初映画化だった1968年のアメリカ映画の監督は、昨日誕生日だったテッド・ネルソンのお父さん。

まぁ、これは余談です。



アルジャーノンを読んだことがない人は一読をお勧めします。

良いエンターテイメントとはこうやってつくるのだ、というお手本のようなお話。


作者自身、「もう一度同じように書いてみたい」と公言するほど、非常に良く組み立てられています。


先に中編・長編と書きましたが、上の言葉は中編小説が SF界では名誉ある「ヒューゴー賞」を受賞した時の言葉。

実際、この後全く同じ話を長編小説として書き直し、話を長くしたにもかかわらず冗長になることもなく、「すでに受賞した作品の書き直し」としては異例なことに、今度は「ネビュラ賞」というこれまた名誉ある賞をもらうのです。



SF というのは空想物語なわけで、その内容はまぁ、嘘なわけです。

でも、嘘をつきすぎると面白くもなんともなくなる。嘘が少なければ、それは SF ではない。


よく言われるのは、大きな嘘を一つだけ、ということ。SF に限らず、エンターテイメントでは重要な原則です。


アルジャーノンでは、「脳を手術することで知恵おくれを改善できる可能性が見つかった」というのが、重要なたった一つの嘘。


まだハツカネズミでしか実験されていませんが、可能性は高い。

そこで、知恵おくれで身寄りもないチャーリーが被験者に選ばれ、人間に対して手術を試みることになります。


小説は、常にチャーリーの報告書の形で進みます。

知恵遅れがどれだけ改善したかを記録に残せるように、手術法を考案した医師の指示で、毎日自分で報告を書くことが義務付けられるのです。




これ、評判を聞いて読んでみた、という人が、結構最初の数ページで挫折します。

すごく日本語が読みにくいのです。原作の英語版も、綴りなどがデタラメで読みにくいそうですが、日本語版も句読点の位置とか無茶苦茶。


もちろん、知恵おくれのチャーリー本人が書いた報告書だからです。

多くを説明せず、文章も書けないほど知能が低いことを示しているのです。


それでも、話の端々から、チャーリーは「もっと頭が良くなればいいのに」と思いながらも幸せに暮らしていることが読み取れます。

そして、手術が行われ、どんどん頭がよくなっていきます。ここら辺がこの小説の見せ場。


頭がよくなるのと引き換えに、どんどん幸せを失っていくチャーリー。


先日まで自分より頭が悪かった人間が急に自分より賢くなってしまった…

そんな時に周囲はどのように受け止めるか。いつまでも幸せなままではいられないのです。


ここら辺は、SF ではなく、ダニエル・キースの人間観察眼の光るところです。

ここでは嘘はなく、非常にリアルな人間模様が描かれます。


やがて、手術をした医師を超えるほど頭がよくなったチャーリー自身により、この手術の欠陥が明らかになっていきます。

知能だけを良くしてもだめなのです。感情の発達が追いつかず、やがて精神に異常をきたします。

さらに、急激に得た知能がピークに達すると、今度は急激に失われていくことも判明します。




…あらすじ紹介したいわけではないので、ここで終わりにしときましょう。

有名すぎるお話だから、あらすじは他のサイトでも紹介されているし。


これ、頭が良いことが幸せなのか、という普遍性を持ったテーマを、SFでないとできない「大きな嘘」によってうまく掘り下げています。

何よりすぐれているのが、終始報告書と言う形で一貫性を持たせていること。


すべてチャーリー目線です。周りの人の言動も、チャーリーの目線を通して書かれていますので、本当は何を考えているのかわかりません。

「幸せ」を論じる際に、客観性なんて役に立たないでしょう。すべてが主観目線だからこそ、テーマが浮き立つ。



最初に挙げた後の2冊、「ビリー・ミリガン」シリーズは、犯罪者のビリー・ミリガン自身が語った自伝です。

ビリー・ミリガンがアルジャーノンを読んで、「作者の人に自伝をまとめてもらいたい」と熱望したことも、この本の中に出てきます。


ビリー・ミリガンは多重人格者。

人格の一つが犯罪を犯して逮捕されてから、精神鑑定で多重人格であることがわかりました。なんと24重人格。


この事件以前、多重人格の例を精神科医が報告していることはありましたが、多くの人が嘘だと思っていました。

しかし、ビリーの取り調べなどは映像として残され、人格が変わった際に表情まで一変することから、やっと多くの人がこの精神病を信じるようになったのです。


ただ、「24人のビリー・ミリガン」では、多少オカルト的な解釈も入っています。

これは、ビリーがそう考えていたのか、ダニエル・キースがそう考えていたのか不明です。


たとえば、人格の一つは本当にどこから来たのかわからない。

習ったことも行ったこともない国の訛りで喋る。

前世なのか、霊が憑依したのか…そういう、少しオカルトめいた人格として語られます。



ビリーがダニエル・キースに自分の物語を書いてほしいと熱望したのは、彼自身が自分のことを理解できなかったから。

多重人格者にとって、別人格に「交代」している間は、一切記憶がないのです。


ただ、事件が起きて多重人格であると診断されてから、一部の別人格とは「会話」ができるようになっていました。

中心となる数人の意見により、自伝の執筆が依頼されたのです。



ダニエル・キースは、時間をかけて多くの人格と面会し、物語をまとめ上げています。

こちらは小説ではなくて「自伝」なのだけど、非常に面白いです。



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ブレーズ・パスカルの誕生日  2014-06-19 09:42:50  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はブレーズ・パスカルの誕生日(1623)。


うちのページ的には、パスカリーヌの開発者。

または、Pascal 言語に名を残す人。


「人間は考える葦である」という言葉で有名な哲学者ですが、パスカリーヌを考えたり世界初の公共交通機関を考案したりする発明家でもあり、確率論を創始した数学者でもあり、圧力の単位「パスカル」に名を残す物理学者でもあり、そして宗教家でもありました。


業績多すぎ。

それぞれ非常に興味深いものですが、本気で説明すると長すぎるのでざっと紹介。

興味を持ったら自分で調べてね。




パスカリーヌは別のページに書いてあるので簡単な概要だけ。

現存する、世界最古の「計算機」です。歯車で計算を行います。


現存しなくていいならもっと古いものもあるし、パスカリーヌは足し算・引き算しかできないけどね。


これ、当時のフランスの通貨体系が非常にややこしかったために作られた機械でした。

これ重要。そこをおさえとかないと、足し算引き算くらい機械を使わない方が速い、という話になっちゃう。


当時の通貨体系は「リーブル」。1リーブルは20スーで、1スーは12ドゥニエでした。

10進法と20進法と12進法が混ざってる。


普段の生活ならいざ知らず、税務官吏をやっていたパスカルのお父さんは、ややこしい体系に苦闘していました。

このお父さんの仕事をために、と発明した、なんと親思いの子供。ちなみに、17歳の時から製作を開始し、発明は19歳の時です。




確率論。


当時は賭博は非常に人気があり、当然必勝法は誰もが知りたいところ。

当然多くの人が同時多発的に確率論を研究しはじめ、パスカルもその一人に過ぎません。


しかし、彼は一人で研究を行ったのではなく、直感的に矛盾するような問題をいくつも考えては、友人を巻き込んで議論を始めたため、多くの数学者がこの問題を考えることになります。


あとで書きますが、パスカルは「自分で考える」ことを最重要だと思っていたようです。

だから、彼が研究して発表するのではなく、周囲に問題を投げかけて、考えに巻き込む。


巻き込まれた人が多く、パスカルの周辺で確率論の研究が進んだため、確率論はパスカルの創始、ということになっています。



以下は僕の個人的な話になりますが、大学1年の時に確率が必修でした。

しかし、その授業が厳しかった。単位を落とす人は珍しくなく、僕も例にもれず2回も落としました。

おかげで確率はそれなりに詳しくなり、あとでゲーム業界に入った際に役立ちました。


確率の使い方って、ゲームの面白さをかなり左右します。

せっかくいいアイディアなのに、ここら辺の処理でつまらなくなっているゲームもよく見ます。




圧力。


流体力学の原理の一つである「パスカルの原理」を見つけています。


油圧機器…パワーショベルとか、ダンプトラックとかは、パスカルの原理を応用することで非常に大きな力を出しています。


流体の圧力の研究をした功績から、圧力の単位に「パスカル」が使われています。

台風の中心気圧は 980ヘクトパスカル…とかいうときの「パスカル」ね。



これも僕個人の話を書くと、死んだ父は油圧機器の設計販売会社をやっていました。

別に父に教えられたわけではないですが、なんとなく油圧の原理とか好きでしたね。


今でも、空気圧水・油圧で動くものは好きですし。

ヘロンの噴水とかいつか取り上げたいテーマ、って、サイト作りはじめた 20年前から言っている気がする (^^;;




公共交通機関。


最初に書いたように、17世紀は富裕層と一般庶民の間には明らかな格差がありました。

富裕層の移動手段は馬車ですが、一般庶民は徒歩。


その時代に、パスカルは庶民でも安価に乗れる「乗合馬車」を考案し、実際に運用しています。

1662年に始められた乗合馬車は、世界初の公共交通機関とされています。


パリ市内の各地を結ぶもので、運賃は1区間5スー。

…先に説明しましたが、20スーが1リーブル。


事業の認可条件として「労働者は乗せない」などがあり、庶民でも上層を相手にした模様。

しかし、誰でも乗れるわけではないややこしい条件が嫌われ、思ったより利用が伸びず、採算があいません。

後に6スーに値上げしても厳しく、15年で廃止されています。



19世紀に入ってから乗合馬車は復活し、その際には「omunibus」と名乗ります。

「万人のために」という意味のラテン語ですが、略称として bus だけが使われたのが、現代の乗合自動車(バス)の名前の由来。


また、多くのものが相乗りをすることから、小さな話を寄せ集めて作る物語形式を「オムニバス」と呼びます。




人間は考える葦である。


パスカルは乗合馬車の運用開始から半年後に、39歳の若さで世を去ります。

元々病弱だったのですが、急に体調が悪化したのです。


死後、パスカルの考えを示すメモの断片が編集され、本として出版されます。

それが、哲学者としてのパスカルを有名にした「パンセ」でした。



「人間は考える葦である」はその中でも一番有名な言葉。


葦は弱い者の代表です。簡単に折り、殺すことができます。

人間の肉体はまた、簡単に死に至ります。その点では葦と同じ。


しかし、人間は考えることができます。思想はどこまでも自由です。


宇宙の果てを思うことも、遥かな未来を想うこともできます。

これが葦と人間の最大の違い。


ちなみに、「考えることは偉大だ」の後は、「愛はもっと偉大だ」と続きます。

考える、というのは所詮論理の積み重ね。論理なんて超えてすべてを包み込む愛はもっと偉大です。



さて、パスカルは宗教家でもあります。


16世紀にはじまった宗教改革は、宗教のあり方を変えました。

集金のための機関になっていた宗教のあり方を見直し、本来の宗教に戻そうとしたのです。


それでも、そこは宗教ですから、神の存在は疑う余地のない前提でした。

信じよ、さらば救われん。


ところがパスカルは、まず宗教を疑え、と問いかけます。

先に書いたように、宗教には集金機関の側面もありましたが、そうした部分は疑ったときにすぐぼろが出ます。

疑ってもやはり信じられる部分は、たぶん本物。そこを信仰すればよいのです。


さらには、神の存在を疑います。


パスカルは、研究テーマでもあった確率論を導入し、思考実験を行います。

その結果、神は存在しないかもしれないが、存在を信じて信仰することが、良い人生を過ごせるとの結論に達します。



これ、現代風に言えば「信念を持って生きる人は幸せだ」ってことです。

パスカルの時代には宗教が重要だったから「信仰せよ」となりますが、何か信じられるものを持つなら、何でもいい。

そして、信念を持っている人にとって、神がいるかどうかなんて些細なことなのです。


この言葉、先に書いた「愛は偉大だ」と呼応します。

本来ここでの愛は宗教用語(神の慈悲)なのですが、現代的に考えると「打算的ではない信念」…かな。


打算的ではない信念は全てを包み込むし、そういうものを持てる人は幸せな人生を送れる。


もっと簡単に言えば、趣味に打ち込める人はしあわせだ、ってことか。

これは卑近すぎるかもしれないけど、本質的に間違っていない気がする。


まぁ、現代でも十分に通じる、含蓄を持った言葉だとわかってもらえると良いです。




Pascal 言語。

これはパスカルの発明品じゃありませんね。名前の由来はパスカルですけど。


でも、もっとも僕のページらしい話題なので(笑)書いてしまいます。



ALGOL の影響下で作られたコンピューター言語で、そういう意味では C の親戚。

C は「高級言語のふりをしたアセンブラ」だと言われることが多いのですが、Pascal は本当に高級言語でした。


ここでいう「高級」というのは、ハードウェアの違いなどを気にしないで良い、という意味。

Pコードコンパイラとか説明したいけど、詳細に入り込み過ぎると長いので泣く泣く割愛。



Apple 社は、Pascal が好きでした。

Apple II 用にも Pascal の処理系を発売していましたし、Macintosh は Pascal の使用を前提とした ROM を持っていました。


Mac 発売後に C が流行して、Mac 用のプログラムは大抵 C で組まれることになります。

でも、内部 ROM の利用時には Pascal との互換性を気にする必要がありました。

文字列の持ち方とか、パラメータの積み方とか違うんだよね。


ちなみに、MacOS X に切り替えた際に Pascal とは決別したので、今は気にする必要ありません。



その昔、MS-DOS に TurboPascal という言語処理系がありました。

これ、優れもので、当時の遅い CPU でも一瞬でコンパイルが終わります。


それでいて、コンパイラ言語なので当時主流だった BASIC などよりずっと速いのです。

まるで魔法でした。


TurboPascal は後に言語仕様を拡張し、オブジェクト指向に対応しています。

しかし、これでは Pascal とは呼べないため、現在では Delphi という名前でリリースが続けられています。


昔ほどの人気は無くなってしまったようだけど、いまでもコンパイルの速さは健在で、気軽にプログラムを楽しめます。

そのため、趣味のプログラムをする人には人気があるようです。



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ファミリーベーシックの発売日(1984)  2014-06-21 16:21:30  コンピュータ 今日は何の日

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今日はファミリーベーシックの発売日(1984)



このウェブサイトで一番最初に書いた記事が、ファミリーベーシックの紹介記事でした。

今ならもっと突っ込んだ内容書くだろうけど、あのころは「毎週更新」を目指していたので、それほど深い内容書く余裕なかったんだよね…


まぁ、ファミベを深く書くと、結局ファミコンの話になります。

ファミコンの内部構造は詳しく書いたページは山ほどあるし、僕らしく紹介したページも作ったので、ファミベページは原則そのまま。




で、そちらのページにあるように、僕が初めて所有したベーシックマシンです。


僕は1か月ほど後に誕生日なのですが、その際に「誕生日だから欲しい」と親に交渉し、半額を自分で出すことで買ってもらいました。

(1万5千円は、我が家の誕生日プレゼント額の上限を超えていたため)



発売から1か月程度で手に入れたため、BASIC のバージョンは 1.0 。


後にベーマガのプログラムを見ていたら、知らない命令が入っていました。

「マニュアルに記載されていない命令があるのか?」と試してみてもエラーになる。


しかもこれ、「指定座標に書いてあるキャラクタを調べる」という、ゲームを作る上で非常に重要な命令です。

メモリが 2K しかなかったファミベーでは、配列に仮想画面持つような余裕はありません。


自然と「背景は添え物のシューティングゲーム」ばかりになっていたのですが、背景のキャラクタがわかれば、パックマンのような迷路ゲームだって作れます。



任天堂に電話したら「新しいバージョンの BASIC が出ているので、無償交換します」と言われ、2.1 を入手しました。

これでゲーム作りの幅が広がりました。


ファミコンは2画面持っていて、ファミベーでは片方を「裏画面」として使用します。

ここにベーシックとは別に描いた画面を保存しておいて、命令一発で表画面にコピーできるのですね。


その一方で、先に書いた「画面に書かれたキャラを調べる」命令では、裏画面を調べることも出来ました。

そこで、広大なダンジョンのマップを裏画面に用意しておいて(0~Fの16進数で、マス目周囲の壁を表現した)、3Dダンジョンを表示する RPG 作ってみました。


今考えると、ファミベで 3Dダンジョン、という無謀ともいえるテクニックだけのゲームで、バランスとか無茶苦茶悪いし、RPG の体をなしていません。

そもそも当時は RPG というものをよくわかってなかった。


でも、これはベーマガに投稿して採用されました


掲載されたプログラムリスト、なぜか CLS が CLEAR に化けてたよ。

(当時のベーマガは、ファミベのプログラムを FM-7 経由でプリントアウトするプログラムを使用していたと思われるが、そのプログラムのバグの模様)


画面消去するタイミングで変数がクリアされてプレイ続行不可能になるのだけど、「で・ば・ぐ」のコーナーにお詫びが出なかったよ。


…ということは、苦情が来なかったわけで、誰も打ち込んで遊んだりしなかったんでしょうなぁ (^^;



他にもう一回、別冊ムック扱いで採用されたことがあるけど、投稿はその2回だけだったかな?


#投稿が2回で、掲載も2回。原稿料は結構よかった。

 もっと投稿するつもりで準備していたが、プログラムばかりやっていて成績が落ちて父に怒られたため、自粛。




先に「僕が初めて所有したベーシックマシン」と書きましたが、最初に所有したのは FX-マイコン

そして、はじめてBASICを学んだのは、友人から1か月くらい借りた MSX


だけど、気持ちの上ではファミリーベーシックは僕のファーストマシンです。


機械語を覚えたのもこの機械。

ノートにアセンブラプログラム書いて、ハンドアセンブルして、POKE & CALL で動かしたとき、想像を超える速さで驚きました。


BASIC で逆アセンブラ組んで、ROMの中を探検もしました。

いろんなテクニックを学びました。


もう詳細覚えてないけど、6502 の 2byte 命令を 2byte 目から実行すると意味が変わることを利用して、メモリを節約できるテクニックがあったんですよね…

BASIC の ROM の中にその書き方の部分があって、見つけて感心したのだと思います。

Apple II では定番テクニックだったらしいのですけどね。


これ、たぶん岩田さんが言ってるメモリ節約の「バグみたいな使い方」は、このことなのだと思います。



ファミリーベーシックはグラフィックもかけない、スプライトの絵も変えられない、メモリも2Kしかない、すごく狭い環境でした。


でも、まだ初心者だった僕にはこの環境が幸いでした。

余計なことを考えようにもメモリの余裕はなく、とにかくシンプルでいいアイディアのゲームを、無駄のないプログラムで作るしかなかったのです。


そして、ベーマガのプログラムもみんな短い。

他人のプログラムを読んでテクニックを勉強するのも、簡単に出来る環境でした。


ゲームアイディアの考え方も、プログラムテクニックも、自然と身につく。

そんな環境は、今も昔もそれほど多くないように思います。



僕にとっては、ゲームプログラマーへの最初の一歩を踏み出した、記念すべきマシンです。



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コンラッド・ツーゼの誕生日(1910)  2014-06-22 11:54:33  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、コンラッド・ツーゼの誕生日(1910)。


いつかは取り上げたいと思いつつ、いまだに取り上げていなかった人の一人です。


コンピューターは主にアメリカで発展してきているのですが、彼はドイツ人。

そして、アメリカのコンピューター史とは独立してコンピューターを作成しています。


ツーゼは、自分の名前(Zuse)の頭文字を取った、Z シリーズ計算機を作っています。

ただし、いずれも「電気計算機」ではありますが、「電子計算機」ではありません。


Z1 の完成は1938年。

22bit 浮動小数点の計算機でしたが、完成したものの部品精度の問題で動作が不安定で、実用に至りませんでした。

機械式で動作し、駆動力に電気を使用しています。

パンチテープにより計算手順をプログラム可能でしたが、条件判断などがないため、現代的な意味でのプログラムが組めるわけではありません。


機械式ではありますが歯車式ではなく、2進数を使用しています。

そして、2進数を使用した世界初のコンピューターと一部の人たちが主張する ABC マシンの完成は1942年。


完成と言いつつ、Z1 も ABC も実用にならなかった(つまり未完成で終わった)のですが、このことをもって Z1が世界初のコンピューターだと主張する人もいます。


ちなみに、僕はプログラム内蔵型の電子計算機でないとコンピュータとは呼べない、と考えているので、私見ではこれは世界初のコンピューターではありません。




Z2 は1939年。Z1 より単純化して安定動作を目指しました。16bit の固定小数点演算を行います。

リレー式回路で、機械式のような精度問題は生じず、正しく動作しました。



Z3 は1941年。Z2 の成功を元に、リレー回路で Z1 に再挑戦したものです。

22bit の浮動小数点で、プログラムには相変わらず分岐は無いものの「条件実行」が可能になりました。


後にこの「条件実行」文によってチューリング完全であることが証明され、「工夫すれば」現代のコンピューターと同等のプログラムが組める、と判りました。


そのため、ENIAC (1946)以前の、世界初のコンピューターだと主張する人もいます。

しかし、僕はプログラム内蔵型の電子計算機でないとコンピュータとは呼べない、と考えているので(以下略)。



この後、1943年にベルリン空襲があり、Z1~Z3 は破壊されます。

ツーゼは Z4 を作成中でしたが、設計図を持って避難します。


Z4 は1945年。

32bit の浮動小数点に拡張され、命令も単純な四則演算だけではなく、各種関数が使えるようになっています。

分岐命令が追加されたのは特筆すべきことでしょう。これにより、プログラムの幅がずっと広がりました。


プログラムは相変わらずパンチテープですが、出力はタイプライターでの印字が可能になっています。


Z4 もまだ、ENIAC 以前に作られたものです。

ENIAC は歯車計算機を模して10進演算で、プログラムを配線によって行っていました。

Z4では2進数で、パンチカードでプログラムが可能です。

これらの特徴だけ見ると、ENIAC より Z4の方が、ずっと近代的なコンピューターに見えます。


そのため、Z4が世界初のコンピューターだと主張する人もいます。

しかし、僕はプログラム内蔵型の(以下略)。



この後も、Z5、Z11、Z12…と、ツーゼのコンピューター作成は続きますが、とくに有名なのは Z4 までです。

というのも、1980年代になり、コンピューターが普及してから「ENIAC以前に孤独にコンピューターを作成したドイツ人技師がいた」という美談が広まったため。


ENIAC以前だった、という限定が付かないと面白くないため、有名なのは Z4 までなのです。

そして、「コンピューターだった」と強調されたため、完成しなかった、ただの計算機である Z1 すらもコンピューターだったと主張する人が多いのは先に書いた通り。



ツーゼは、土木設計技師でした。

土木設計では強度計算などで非常に複雑な計算が必要で、彼はそのために計算機を作成しようとしました。


真空管を使えば高速化できる、ということを示唆した友人もいたようですが、当時の真空管はとても高価で、自費で計算機を作成していた彼は「現実的でない」とリレー機械式を貫き通しました。


そのため戦後ヨーロッパでは Z4 は量産され、普及しています。


僕は再三書いた通り、Z1~Z4 はコンピューターとは言えない、と考えています。


しかし、戦時中で他のコンピューター学者との交流がなかったために、大変独創的な仕組みを作り、動作させていることは称賛に値します。

また、プログラム可能な計算機…現代的なものではないにせよ「コンピューター」として最初に普及したのは Z4 である、というのは紛れもない事実なのです。



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アラン・チューリングの誕生日(1912)  2014-06-23 11:51:14  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はアラン・チューリングの誕生日(1912)。


コンピューターの歴史を少し学ぶと…いや、歴史に踏み込まずとも、コンピューターの世界を少し深く覗き込むと、チューリングの名前がいたるところに出てきます。


先日も、史上はじめて、チューリングテストに合格した人工知能が現れた、というニュースが世界をかけめぐりました。

これはどうやらテスト方法に不備があり、合格とはとても言えないようなお粗末な内容だったようですが…


詳細は後で書きますが、こんな風に現代社会でも、チューリングの名前は時々登場するのです。




チューリングはイギリスに生まれ、子供のころから数学の高い才能を持っており、周囲を感心させています。


大天才でした、などと簡単には書きません。

数学や論理的なこと以外、一般常識などの発達は遅い、いわゆる発達障碍児だったようです。


具体的に言えば、おそらくアスペルガー症候群。

当時はアスペルガー症候群という言葉はありませんし、当然診断されたわけでもないので断定できませんが、まぁ大方そうだろう、と言われています。



蛇足ながら付け加えると、アスペルガー症候群はは発達のバランスが平均値から外れている子供につけられる名称です。

別に何らかの病気ではありませんし、発達バランスの問題なので、大抵は大人になるにしたがって発達が遅れていた部分も発達し、問題は無くなります。

でも、早く発達した部分…チューリングの場合、読み書きや計算能力は大人になるころには常人を超えたレベルになります。


ニュートンもアインシュタインも、大天才とされる人は大抵アスペルガー症候群だったようだ、という指摘があります。



さて、チューリングは大学に進み、高等数学を研究します。

チューリングが大学に進学したその年、数学者を震撼させる恐ろしい論文が発表されます。


ゲーデルの不完全性定理。


1900年に、当時高名な数学者だったヒルベルトが「今後100年で解決すべき23の難題」を数学者に示します。

いずれも難題でしたが、それを解決できればもっと新しい数学分野が開けるだろう、という問題を集めてありました。


それらの難題の中に、人類が過去に構築してきた「数学」が矛盾を持たないことを示せ、というものがありました。


これ、非常に重要です。これまでの人類は、数学を重要な道具として使い、矛盾がないと信じて高等な理論を構築してきました。

しかし、だれも矛盾がないことを確認はしていないのです。もし矛盾があれば、過去に築いた高等理論は砂上の楼閣として崩れ去ります。


しかし、「数学」の枠組みの中で、その「数学」に矛盾がないかを検証するのは、非常に難しいのです。

もし、数学に矛盾があれば、「数学に矛盾はない」という矛盾した結論に至る可能性がありますから。



それでも、数学者たちは、頑張って証明しようとしてきました。

この問題だけでなく、他の22問についても証明に挑む人が多くいました。

たとえ難しくても、数学の問題については必ず証明が与えられるはず、それがこの時代の常識でした。


ところが、です。ゲーデルが1931年に発表した論文は、非常に恐ろしいものだったのです。

その論文に書いてある内容を簡単に言えば、「(まだ証明されていないが)もし数学に矛盾がないのであれば、証明不可能な問題が必ず存在する」ということを、誰の目にも明らかなように、論理的に示してあったのです。


もし数学に矛盾があれば、過去数千年にわたって築き上げた数学は失われます。

しかし、数学に矛盾がなければ、いつか解けると信じていた難題は、永遠に解けないのかもしれません。

どちらに転んでも、数学者には夢も希望もない、という宣告でした。




数学は非常に高度で、人間の知恵の産物だと考えられてきました。

すでに簡単な計算機はありましたが、そんな機械で計算を行えるのはほんの一部だけ。

多くの計算は、やはり人間の手で行わなくては…。そう、夢も希望もなくたって、数学者にはまだまだ仕事があります。


チューリングは1936年に、ゲーデルの不完全性定理を別の手法で示します。

それが「計算可能な数について」と呼ばれる論文です。


ここで、チューリングは「非常に簡単な計算機」を想定します。

一つの計算機は、たいしたことはできませんが、とにかく計算は行えます。

チューリングが想定したこの機械を、チューリングマシンと呼びます。


そして、少しづつ性能の違う、そうした計算機が沢山ある、と想定します。

現実にはあり得ないことですが、無限個の計算機があれば、無限の数を数えることができます。



さて、無限の計算機があり、それによって無限の数が扱えるのであれば、実はたった1台の計算機で無限の数を扱うこともできます。

非常に単純な機能しか持たない「チューリングマシン」をどのように組み合わせれば、たった一台の計算機ですべてをこなす「万能チューリングマシン」を作れるのか、チューリングはそれを明らかにしています。

そして、実は万能チューリングマシンは、すべての機械を統合したような大掛かりなものではなく、非常に簡単な仕組みになってしまうのです。



これによりわかることは、人間にしかできないと考えられていた計算のほとんどは、実は機械でも出来るような単純作業の寄せ集めである、ということでした。

命題を与えられたときに証明を考え出す、という作業も、無限を扱える「万能チューリングマシン」により、無限の時間をかければ得られてしまうのです。


数学者には夢も希望もなく、仕事すらも機械に奪われてしまうようです…



ただ、ここで問題になるのは「無限の時間」を本当にかけられるのか、ということです。

場合によっては、万能チューリングマシンは無限ループにハマり込むことがある、と示されます。


無限ループにはまり込んでしまえば、答えは出ません。

無限の時間がかかってから「ループでした」と気づいても遅いので、できれば動作前に、どの程度の時間で結果が出るのか見積もりたいところです。


しかし、論文中でこれは不可能であることが示されます。


結論としてはこうです。

万能チューリングマシンはあらゆる計算を行うことができ、あらゆる証明を行うこともできます。

しかし、時として無限ループにハマりこみ、無限の時間をかけても結果を出さない場合があります。

そして、その時が来るまで、無限ループにハマるかどうかはわかりません。


これが、「証明不可能な命題」です。手法は違いますが、そのような命題が存在する、という結論はゲーデルと変わりません。




チューリングの論文の中に出てくる「万能チューリングマシン」は、この時点では論理的な考察を行うための道具にすぎませんでした。


しかし、非常に単純な動作を繰り返すことで、ありとあらゆる計算を行うことができる、という可能性が示されたことになります。


この後アメリカに留学したチューリングは、ジョン・フォン・ノイマンと親交を結びます。

ノイマンは後に完成直前の ENIAC を知り、さらには次に作られようとしていた EDVAC の計画を知ります。

EDVAC は万能チューリングマシンのサブセットであると見抜いたノイマンは、このプロジェクトを事実上乗っ取り、後に「ノイマン型コンピューター」(現在のコンピューターの総称)の生みの親として名を残します。



後にチューリングはイギリスに戻り、政府の暗号解読組織に在籍します。

その後第二次世界大戦が勃発し、当時「世界最高レベルの機密保持性能」であった、ドイツ軍のエニグマ暗号の解読に従事します。


当初は構造も不明だったものの、同盟国であるポーランドが入手したエニグマの情報を入手。

ポーランドはこの情報を元に、暗号解読を行う機械を設計していました。


エニグマには癖がありました。

平文と暗号は「絶対に」異なる文字となる、などです。


こうした癖を使って、暗号文のほんの一部でも解読できたら…暗号にとって一番重要な「鍵」を見つけだすヒントを手に入れたことになります。

当時は秘密鍵暗号ですから、鍵さえ手に入ればこちらの物。他の暗号も次々解くことができます。


ポーランドの作った機械は、「必ず」暗号が解けるわけではありませんが、総当たりで暗号を解いてみて、上記の癖や、解けた一部の単語などを使って「明らかに違う答え」を排除し、解読文の可能性の高いものだけを人間に示すものでした。


暗号解読自体は総当たりです。非常に時間がかかるため、イギリス軍も機械を作ることにしました。

チューリングはこの仕様設計を行っています。


ポーランドの作った機械は「ボンバ」と呼ばれ、イギリスの機械はそれにならって「ボンベ」と名付けられました。

(いずれもボンブ、爆弾のこと)

ボンベは、大量に並んだ「エニグマのレプリカ」が、ひたすら暗号を作り出すのを制御する、機械式の専用計算機でした。



チューリングはこの後もエニグマの癖を研究し、ボンベを高性能化する改良を提案したりしています。

さらに、数学的な手法でエニグマを解読できるかもしれないと示唆し、これを元に「コロッサス」が作成されています。

(チューリングは方法を示唆したのみで関与していないようです)




戦争中の暗号解読は、軍の絶対機密でした。

チューリングは数々の功績に対し表彰されていましたが、表彰された件や仕事内容は当然、暗号解読の仕事をやっていたことすら他言してはなりませんでした。


戦後、チューリングはマンチェスター大学で、マンチェスター Mark I に携わっています。

その際には、コンピューターでチェスを行う手順なども考案していますが、これはプログラムと言うよりはアルゴリズムのアイディアメモに近いものです。


この頃に、コンピューターの知性はどこまで人間に近づけるのか、ということに強い興味を持ったようです。

しかし、コンピューターはいつまでたってもコンピューター。そのままでは「人間」にはなれません。


ここで、思考実験としての「チューリングテスト」を提唱します。

人間は、相手の見た目や声などを結構気にしますが、これは「知性」とは関係ありません。


コンピューターの「知性」を判断するのであれば、これらを徹底して取り除く必要があります。


そこで、テレタイプライターを使って二人の人間が文字で会話できるようにして、遠く離れた小部屋で会話を行います。

離れているので、相手の見た目や声などはわからず、文字での会話からのみ、相手の知性を判断できます。


この時、遠く離れた部屋にいるはずの「相手」がコンピューターだったとしたら?


コンピューターが未熟なら、相手は人間ではない、とすぐにばれてしまうでしょう。

でも、十分に会話をしても多くの人が「相手は人間だ」と判断する様になれば、それはコンピューターが人間並みの知性を持ったことになります。



冒頭に書いた「チューリングテスト」とは、このようなものです。

史上初の、人間と認められた人工知能…というのは、たった5分しか会話を行っておらず、しかも「英語は母国語ではない」という設定で、会話が成立しないものだったそうです。


どうやら、会話が成立しないにもかかわらず、相手が英語をわからないのでは仕方がない、という判断で「相手は人間だ」と判定された様子。

これは正常なテストとは言えません。


このイベントはチューリングの死去60年目の命日に行われたので、節目の日に記念として発表できるような成果が欲しくてねつ造された…のでしょう。




さて、晩年チューリングは同性愛で訴えられています。

当時、同性愛は罪でした。


チューリングは戦時中に、女性と婚約しています。

その後、チューリングが「同性愛者だ」と彼女に打ち明け、それでもかまわないという彼女をチューリング側から別れているそうです。


…これ、単に女性と付き合うのが苦手だった、ということは無いのかな。

チューリングがアスペルガーだったとしたら、人付き合いはかなり苦手なはず。

ましてや異性が相手では考え方も違いすぎてどうしてよいかわからないかも。


本当に同性愛者だったらそもそも付き合わないと思うし、面倒くさいから別れる口実じゃないの? という気もします。


また、戦時中の彼のアパートには、夜な夜ないろんな男がやってきて、一晩中起きていた、というアパート管理人の証言もあります。

裁判になった際、彼はこの証言に対し、なんの弁明もできませんでした。


…だって、彼は絶対口外してはならない軍の最高機密を扱ってたんですよ?

夜中でも相談事項が大量にあったのは想像に難くないし、それを他言できない以上、弁明なんて無理です。


まぁ、多くの歴史家が「彼は同性愛者だった」としているので、それなりの証拠もあるのでしょうし、そうだったのだと思います。


でも、噂が大きくなりすぎている可能性はかなり感じます。

偉大な人物の醜聞なので、皆面白がっている節もあります。



結局、チューリングは同性愛の罪で、1952年に有罪判決を受けています。


そして、その2年後に謎の死を遂げます。

…自室で死んでいたのです。42歳の若さでした。


部屋には青酸の瓶が多数あり、かじりかけの林檎が落ちていました。


林檎に青酸を塗って食したことによる自殺、とされましたが、これには後の歴史家から各種異論が出ています。

彼は「来週やるべきことのリスト」を常にまとめていて、この時もリストが作られていたそうです。

やりたいことがあるのに、自殺する理由がありません。


また、検視結果からも、死因は青酸中毒であるものの、青酸を「食した」反応が出ていないのだそうです。


チューリングは化学も好きで、自室で化学薬品を扱うこともありました。

その時の扱いは、かなり雑だったそうです。


そのため、これは換気不足により、発生した青酸ガスを吸入した事故死ではないか、と言われています。




2012年はチューリング生誕100年でした。それを前に、彼の名誉を回復しよう、という活動が起こります。


2009年に、政府による謝罪が請願され、数千人が署名を行いました。

これに対し、当時のイギリスの首相は、過去にチューリングを同性愛で有罪としたことに対し「間違っていた」と公式謝罪しています。

冤罪だったというわけではなく、当時の法律で正しくとも、彼の偉業を考えると名誉を貶めている、という意味です。


2011年、今度はチューリングを免罪し、名誉を回復してほしい、という請願書が出されます。2万人以上の署名が集まりました。

しかし、法務大臣はこれには応じられない、と拒否します。


彼個人の考えとして、チューリングが罪人となっているのは遺憾であるが、当時の法にのっとった正当な手続きだったため、法務大臣としてこれを曲げることはできないとの理由でした。


では、法を曲げましょう。2012年にチューリングに恩赦を与える法案が貴族院に対し提出され、可決されます。

これをもって、イギリス女王名義で、正式な「恩赦」がだされています。


彼が同性愛者で、変人の数学者であったとされるのはもう過去の話。

今では、イギリスを代表する偉人の一人として讃えられています。



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ロバート・エバレットの誕生日  2014-06-26 15:45:07  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、ロバート・エバレットの誕生日(1921)。


誰それ。…という反応が正常です。

Whirlwind I 、というあまり知られていないコンピューターがあり、そのコンピューターを作成するプロジェクトの、No.2 の地位にいた人です。普通知らないわな。


世界初のコンピューターってどれ? という質問に対しては、普通は ENIAC という答えが出てきます。


ちょっと聞きかじった人なら、ENIAC よりも古いとされる ABC や Z4 を答えるかもしれません。

一方で、現代的なコンピューターの条件として「ノイマン型」を理解している人なら、EDVAC や EDSAC あたりを挙げるでしょう。


でも実は、それらのコンピューターの設計は現代とはかなり違います。

少しでも早く計算を行うにはどうすればよいか、軍の予算をふんだんにつぎ込んで、MIT の天才たちが作った、常識外れのコンピューターが Whirlwind I でした。


当時はまだ「スーパーコンピューター」という概念は無いのですが、世界初のスーパーコンピューターだった、と呼ぶ人もいます。



そして、この設計手法は非常に良いものだったので、その後のコンピューターのスタンダードになっていきます。

現代の PC は、 ENIAC や EDSAC の子孫と言うよりも、Whirlwind I の子孫です。


歯車計算機が類人猿で ENIAC がアウストラロピテクスだとしたら、Whirlwind Iでホモサピエンスになった、というくらい違います。

(なんだ、このわかりにくい例えは…)




で、エバレットはそのプロジェクトの No.2 で、事実上の最高責任者でした。


なんで No.2 なのに最高責任者?

それはもちろん、No.1 が各界の調整で多忙を極めたためです。


Whirlwind I の作成は、非常に大規模なプロジェクトでした。

軍と、軍の研究機関と、MIT の3者で連絡を取り合いながら作成されています。


予算も膨大。関わる人数も膨大。もちろん資料や会議の回数も膨大です。

プロジェクトリーダーは多忙を極め、現場の指揮はできません。


それで、エバレットが no.2 でありながら、事実上の最高責任者となったのです。


後に、関係機関の連絡を取りやすくしたり、特許を集約する目的で、MIT 発祥の軍需会社 MITER (マイター)が生まれています。

この時にもエバレットは創設者に名を連ね、後には最高責任者も務めています。




Whirlwind I は、コンピューターにディスプレイが接続された初めてのマシンでした。


面白そうなデバイスを見たら遊んでみるのがプログラマーの常。

Whirlwind I の完成前、まだ一部機能しか動いていない段階で、すでに「弾むボール」というプログラムが作られています。

ディスプレイに、ボールが放物線を描きながら飛び、落ちると弾む、というだけのもの。


これ、歴史的なことを知らないと全く理解できませんが、「すごく面白い」プログラムでした。


これがきっかけの一つとなり、後に「ディスプレイに面白いものを表示する」プログラムが流行し、その中から、テレビゲームの元祖が生まれることになります。




Whirlwind I に興味を持った方は、別記事で詳細書いていますのでご覧ください。


「弾むボール」から派生して、各種ゲームが作られた様子は、「世界初のテレビゲーム」の記事にまとめています。



今回は短め。だって、エバレットはやっぱマイナーな人物で、詳細情報があまりないのだもの…



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MSX規格発表の日  2014-06-27 10:37:08  コンピュータ 今日は何の日

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今日はMSX規格発表の日(1983)。


コンピューターの統一規格を作る、というのはある種の野望で、後にも先にも MSX しかなかったように思います。


IBM-PC とか、UNIX の SYSTEM-V のように、普及して互換機も出来て、なし崩し的にデファクトスタンダードに…というのは沢山あります。

でも、そういうものは先に製品があり、だんだんと他社も作りやすいように規格が統一されていく。


今日がその、MSX 規格発表の日。

おそらく、まだ実機もない段階でコンピューターの詳細な規格が発表されて、2社3社でない多くの会社が従った、というのは、これが唯一だったのではないかと思います。


#って書くと、いろいろ指摘が来そうだけど。

 互換機作っている協議会で、新たな仕様を定めた、とかって話じゃないとは書いておく。


#…あ、よく考えたら、Android は実機より先に規格があったし、多くの会社が作っているな。

 パソコンかは微妙だけど。



で。MSX 規格の第1号は、4か月後の10月21日に発売された、三菱電機の LETUS 。



僕の MSX の思い出と共に、LETUS 発売日は過去の日記に書いているので、そちらをご覧ください。



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DAISY DAISY  2014-06-29 18:55:53  コンピュータ

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しばらく前に「世界初のMML」という記事を書いて、じゃぁ「世界初」から「現在」の間のミッシングリンクはどうなっているのか、と感じて調べています。


この成果はまだまだ発表できそうにありません。

かなり調査は進んだ…と思ってまとめている最中に、また新資料が出てきたりしているから。



でも、「まとめている最中」ではありました。

えーと、大体調査しながら荒まとめしたので 2000行くらい。

これはもう、ほんとうにつらつらと書き綴っただけ。


ちなみに、2000行の時点でも、何度も書きなおした部分があるので、6000行くらいは書いてる。


最終的には、500行くらいにまとめたいのだけど、おそらくは無理なので 1000行程度にしたい。




で、泣く泣く削らないといけない部分もあるのだけど、今困っているのが「完全に余談なのだけど、余談がないと全体が理解できない」部分が出てきてしまったこと。


どうしよう…と悩むこと5秒(短っ!)


これはあれだ、ハイパーテキストなんだから、別の話題に切り出してしまおう。


というわけで、今日の日記に「余談」を書いておく。

後で原稿が仕上がった際には、詳細はこちら、とこの日記をリンクするから(笑)




さて、「世界初の MML 」に、MUSIC というシステムが出てくる。さらっと触れただけだけど。


音を作り出すプログラムね。計算で音の波形を作り、再生するという、今でいえば PCM 音源の始祖です。


これが作られたのが 1957年。IBM 704 が使われています。

システムと言っても「ライブラリ」で、MUSIC を使った応用プログラムがいろいろ作り出されました。


まぁ、MUSIC の名前の通り、当初は演奏プログラムなどが作られたようです。

でも、「喋る」プログラムがすぐに作られ、さらに演奏プログラムと組み合わせて「歌う」ようになります。


1961年、このシステムで初めて歌ったのが「Daisy Bell」という曲。



上の映像の中では、演奏を 1961, IBM 7094 と書いているのだけど、IBM 7094 は 1962年完成。

これは、IBM 704 の間違いだ。


映像自体古そうに見えるが、これは見せかけだけ。最近作られたものだ。

(写真や音楽自体は本物)





さて、ここからが「MML」の話には書けない余談の部分。余談にもかかわらず非常に重要。


7年後の 1968年、映画「2001年宇宙の旅」が公開されます。


この映画、セリフが極端に少ないのが特徴。

とにかく、映像を「体験」してもらおう、という作り方で、説明がない。


たとえば、宇宙ステーションから地球にテレビ電話をかける。

特に説明はないのだけど、会話と会話の間に妙な間が空く。


電波でも明らかな時間がかかるほどの距離、というのを示していて、間の取り方も距離を正しく反映している。

でも、この「妙な間」は特に説明されない。



映画の最初のクライマックスは、宇宙船のコンピューター HAL9000 の反乱と、船長による反撃。

HAL9000 は次々と乗員を殺し始め、船長はそんな HAL を分解してしまう。


分解される中で、恐怖を語り、命乞いをする HAL。

しかし船長は手を止めない。ついに HAL は、薄れゆく意識の中で Daisy Bell を歌い始める…




この映画のもう一つの特徴として、実在する企業のロゴが多数出てくることがあります。

もちろんスポンサーとしてお金を出しているのもあるのだけど、必要なところにさりげなくロゴを出すことで、リアリティを増している。


IBM は特に重要なスポンサーでした。

優れた人工知能が木製探査船を制御している…という設定でしたから。


しかし、人間に反乱を起こす、というストーリーを知って、IBM は怒ってスポンサーを降ります。

この時には、HAL のアルファベットを後ろにずらすと、IBM となる…というのも怒りの理由でした。


クラークは、小説のあとがきで、「IBM の協力なくしては、この映画は完成できなかった。わざわざ彼らを怒らせるようなことをする理由は無い。HAL を隣の文字にずらすと IBMとなる、というのは全くの偶然だった」と書いています。

(注:記憶による。高校の時に図書室で借りて読んだけど、実物は手元にないから)


でも、たぶん嘘だよねー。クラークが意図してなかったとしても、キューブリックは意図してたよねー。



だって、HAL は Daisy Bell を歌うんですよ。これは IBM 704 が歌った曲です。

しかも、死ぬ間際に…。死に面して子供の頃に好きだった歌を口ずさむ、なんて、非常に人間的なドラマじゃないですか。


そう、「IBM 704」が子供だとすれば、「HAL 9000」は成長した大人なのです。

優れた知能を持ち、人間と対等に会話できるだけでなく、いつまでも従順なだけではない、立派な「人格」になったのです。


HAL = IBM でないと、この部分の意図が出ない。

そして、コンピューターが人間並になった時、人間ももっと上の存在にならなくては、というのがこの後のストーリー。




そして、話はコンピューターの音楽史に戻るのです。

全体を 500行に収めたい、と言っているのに、こんな長い余談書けないけど、音楽史で非常に重要。


詳しくは後日公開予定の本文に書きますが、1975年に発売された Altair 8800 の最初期ユーザーの一人は、入手してすぐに音楽演奏プログラムを作っています。


そして、「ホームブリュー・コンピュータークラブ」で演奏をお披露目しています。

この時に演奏した曲は、当時流行していたビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」。


非常に調子っぱずれでノイズの多い演奏ですが、Altair 8800 がほとんど出荷されていない状況で、もし購入しても 256byte しかないメモリで何を作ればよいかわからない中で、皆が初めて見た「見事なプログラム」でした。


演奏が終わって、皆が拍手をしようとしたとき、次の演奏が始まります。

プログラムの中には、すでに「アンコール」演奏まで入れてあったのです。


ここで演奏されたのが… Daisy Bell。

2001年宇宙の旅は話題になった映画ですし、コンピューター好き = SF 好きが多かったので、何人かはその意図を理解しました。


10年前には IBM の大型コンピューターにしかできなかった「音楽演奏」が、今みなの目の前で、手に入る金額のコンピューターで行われているのです。


その曲目が Daisy Bell だということは、「このコンピューターは、IBM 704 の子孫であり、未来の HAL 9000 である」という主張です。

そんなにすごいものを、誰もが手に入れられるようになったのです。



このプログラムは後に雑誌掲載されているのですが、Altair 8800 を入手した人ならだれもが試したいプログラム…つまり、パーソナルコンピューター最初の「キラーアプリ」だったようです。


作者の人は「何度も夜中に電話で起こされて、プログラムがうまく演奏してくれた、という喜びの言葉を聞いた」そうです。400回はあったとか。

わざわざ作者に感動を伝えたくなるほど、当時の人々がこの演奏に感動していたのがわかります。


その感動の半分はおそらく、Daisy Bell を曲目に選んだ、という部分にありそうですけどね。



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ヴァネバー・ブッシュの命日(1974)  2014-06-30 17:39:55  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はヴァネバー・ブッシュの命日(1974)。


機械式のアナログコンピューターを考案した人で、第2次世界大戦時のアメリカで、軍に「科学的な」知見の提供を推し進めた人。


この、科学的な知見があったからこそアメリカは核兵器の開発に成功したのですし、どんな戦局で敵を確実に狙える射表を作り続けていたのです。




彼は天才でした。MIT を卒業し、しばらくは軍で働きますが、数年後には教授として MIT に戻ってきています。

この時に微分解析機を発明しています。



機械式計算機、というと、通常は歯車を使用します。

これは、お金の計算をするような際には非常に役立ちますし、簡単な計算アルゴリズムで求まる値を出すのにも役立ちます。



しかし、この方法で砲弾の着弾点を計算するなど、事実上無理でした。


歯車計算機は、デジタルで演算を行います。「連続した」計算は得意ではありません。


たとえば、射表を作るために砲弾の動きを計算するとなると、「連続して」飛んでいく様子を計算する必要があります。

これは繰り返し計算を行うことになるのですが、1回の計算ごとに、いくつものパラメーターの再計算が必要になります。


速度は刻々と変わりますし、空気抵抗は速度の関数です。ある時点での抵抗を求め、その抵抗を元に速度の変化を求め、変化した速度でまた抵抗を求め…

重力加速度の考慮もありますし、計算が膨大なのです。


効率よく計算するには、1回の計算で砲弾のすすむ距離を大きくとればいいのです。

しかし、そうすると誤差は大きくなります。計算ごとに誤差が蓄積し、着弾点は全く見当はずれの場所になります。


1回の計算で進む距離を小さくとれば、誤差は小さくなりますが、計算の回数が膨大になります。


しかも、空気抵抗は気温や湿度によって変わります。重力も緯度によって異なります。

これに、大砲の角度や火薬量のパラメータを加え、何度も何度も計算する必要がありました。




彼はこの難題に対し、「アナログコンピューター」という、新たな概念を発明しました。


…いや、アナログ計算機はすでにありました。計算尺とか、非常に簡単だけどアナログ計算機。


彼が作ったのは、歯車の代わりに円盤とゴム製の車輪を使うコンピューター。

位置を「少しづつ」変えることで、ギア比に相当するものを連続して変えられます。


ある車輪の回転が、別の車輪の位置や回転に影響を与えるようにすると、連続した計算を続けることができます。


そして、計算が終わると…砲弾の高さを示す車輪が「地面」に達すると、機械は停止します。

この時、砲弾の「発射位置からの距離」を示す車輪のある位置が着弾点です。


この方法で、膨大な射表を作ることが可能になりました。


他にも応用は可能ですが、実際多くの射表が、ブッシュの作った微分解析機によって作られています。



ブッシュは、後に MIT の副学長にまでなっています。

エリートだったのです。




ブッシュは天才であり、自分が天才であることを知っていました。

そして、凡人は天才の意見に従うべきだ、という強い信念を持っていました。


つまりは、自分こそが正しくて反対するやつは気に食わん、という非常に困った考えの持ち主です。

人格破綻者と言ってもいいでしょう。


でも実際、天才ブッシュの意見は傾聴に値するものでした。



1939年。ブッシュはワシントン・カーネギー研究機構の総長となります。

アメリカの科学的権威の最高峰です。政府に助言を行い、政策を左右する力もありました。


ところで、第1次世界大戦では、アメリカ軍は参戦したものの、非常に多くの戦死者を出しました。

当時のアメリカはまだ「精神主義」で戦っており…つまり、気合さえあれば勝てる! と無謀な戦いを挑むことが多かったのです。


ここでブッシュは「科学的な戦い」の重要性を説き、国防研究委員会の設立を呼びかけます。

1940年、ルーズベルト大統領と会談し、わずか 10分で説き伏せ、国防研究委員会の議長の座につきます。


10分で説き伏せた、というのはつまり、ルーズベルトも「精神主義で戦いに勝てるわけがない」と感じていたのでしょう。

そこに、科学的研究の最高機関の総長が、国防のために科学的な協力を申し出たわけです。渡りに船で認めたのだと思います。


しかし、これによってブッシュの権力は有事に於いて政府より強いものとなり、政府を無視して様々な「国防のための」計画を始めていきます。



ブッシュは、軍の資金を「科学の研究のため」にばら撒きました。

ENIAC も、Whirlwind I もこの資金で作られましたし、原爆もこの資金で作られました。


ただ、ブッシュはいちいち個々の計画の承認・非承認を判断していたわけではありません。

ENIAC の開発プロジェクトが始まってからも、「射表の計算は微分解析機を使うのが一番で、デジタル計算機など役に立たない」と発言しています。



先に書いた通り、歯車計算機では計算量が膨大すぎて役に立たなかったのは事実です。

そして、ブッシュは自分の考えが正しいと常に思っていました。


幸い、彼が ENIAC への研究資金を引き揚げることはありませんでした。




ブッシュは、非常に責任の重い仕事についていたために忙しく、重要そうな情報を探し出すシステムを夢想しています。

1930年代には着想していたらしいのですが、この夢想を論文の形で発表したのは 1945年でした。



As We May Think」(我々が考えるように)というタイトルで知られるこの論文、今でいえばハイパーテキストシステムの考案です。

コンピューターの黎明期から、コンピューターの進化の方向付けに、大きな役割を果たしています。


…しかし、この話は、また明日



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