2014年05月の日記です

目次

05日 キッズファンタジーリゾート
07日 社長の一番大切な業務
11日 エドガー・ダイクストラの誕生日(1930)
12日 アメリカザリガニが日本に輸入された日(1927)
16日 アイバン・サザーランドの誕生日(1938)
17日 アラン・ケイの誕生日
19日 ジェームズ・ゴスリングの誕生日
22日 2週間分の週末日記
22日 パスワードの管理方法
24日 柴田亜美の誕生日
27日 ドラゴンクエストの発売日(1986)
28日 世界初のMML


キッズファンタジーリゾート  2014-05-05 23:34:22  旅行記 社会科見学 家族

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先週遊園地に行ったばかりで、G.W.は人混みを避けて過ごそう…と思っていたのだけど、昨日妻から「せっかく連休なのだし、ちょっとくらいどこかに連れて行ってあげたいね」と発言。


僕は結構出不精で人混みが嫌いなのだけど、妻は僕に輪をかけて人混み嫌い。

でも、その妻がどこかに出かけようというのだから、企画立てましょう。


実は、どこにも出かけないつもりで庭でバーベキューするための材料を買ってあった。

子供もバーベキューやりたいとは言っていた。


今朝、5時ごろ軽い地震があり(住んでいるあたりは震度1)、目が覚めてしまった。

パソコンに向かって企画をリサーチ。


#この後東京で震度5、という大きな地震もあったのだけど、それは余談。




天気予報によると今日は雨。

バーベキューは無理なので、当初予定通り出かけましょう。


妻は「近所のスーパー銭湯程度でいい」と言っていた。

子供もその話を聞いてスーパー銭湯に興味を持っていた。


でも、5月5日は当然菖蒲湯で、非常に混雑して、ゆっくりお風呂を楽しめないらしい。

まぁ、ある意味当然予期される事態。


じゃぁ、雨でも楽しめる科学館めぐりでも。

良くいく科学館は先日行ったばかりなので、隣町の科学館でも行くか。

…と調べたら、子供の日でプラネタリウムも含めて全館無料らしい。

つまり、非常に混む、ということだな。


いろいろ調べていて、急に思い出す。


長男が赤ちゃんの頃…たしか東京MXで「ドーラ」を見せているときに、比較的近所に「日本最大級の屋内遊園地がある」と宣伝していた。

ふわふわとか、屋内砂場とかが中心だけど、ゲームコーナーなどもあって、入場料だけ払えば後は無料。

入場料も、たしか時間無制限で1000円程度だったはず。


…調べてみたら「キッズファンタジーリゾート海老名」のことと判明。


海老名なら、家から車で1時間程度。

施設はダイエーの入るビルにテナントとして入っていて…まぁ、悪く言えば「スーパーの一角にある子供遊びスペース」だ。


わざわざ1時間もかけていくような場所ではない。

しかし、それが故か常にそれほど混んではおらず、ゆっくり遊べると評判も良い。


妻に提案すると、妻なりの方法で評判を調べていた。

その結果、ここ数日も G.W. にもかかわらずそれほど混まず、ゆっくり遊べている、と判明。

よし、行ってみよう。




というわけで、1時間ほどして10時45分ごろ到着。

…駐車場からビルに入るなり、「2時間待ち」と書かれた行列。

え! 話と違う!


どうやら、こんなことはめったにないことなのだけど、子供の日なのでお客さんが非常に多く、入場制限をせざるを得ない状況だという。

子供の安全には最大限に気を使っているようで、混みあって危険にならないようにしているらしい。


もしかしたら、下調べした「ゆっくり遊べる」という話も、入場待ちの話は抜きにしているのかもしれない。

慌てて近所で別に遊べる場所を探すが、なかなか良い場所は無い。


…そうこうするうちにも列は進み、「1時間30分」と書かれた札のところまで、15分程度で進む。

あれ? 案外進む速度速い。この時点で「じゃぁ待ってみるか」と言う気に。


とはいえ、1時間も待つと昼になってしまう。

中に入ってからゆっくり遊べるように、列に並びながらおにぎりでも食べてしまおう、とういう頃になり、妻と子供たちはダイエーに買い物へ行く。僕は行列待ち。


帰ってきた時には、列は「1時間待ち」をもう過ぎたあと。並び始めてから30分ちょっとだったのだけどね。


結局、並び始めから1時間強、12時前には中に入れました。


まず、会員になることが必要。家族で350円。

入場料は1時間単位か4時間かを選べて、4時間なら一人990円。大人とか子供は関係なし。

4時間を超えてしまった場合、出口で延長料金、1人110円を支払うけど、それ以上の追加料金は発生しない。


つまり、一人1100円あれば遊び放題。




さて、中に関しては「素晴らしい」と最初に書いておきます。


遊園地か、といえば、ちょっと疑問符が付く。


デパートの屋上遊園地は、名前に遊園地とつくが、遊園地ではない。

ここもそれと同じ。というか、ノリとしては全く屋上遊園地と同じ。


空気で膨らませたトランポリンなど…いわゆる「ふわふわ」が4つもある。

それぞれ趣向が違うので、これだけで子供は大喜び。1時間は遊べる。


電動カートに乗って、短いサーキットを走れるコーナーがある。

スピードが出るわけでもないが、子供にとっては、自分で運転できる、というだけで楽しいようだ。


砂場がある。

いわゆる砂場の砂ではなくて、ハムスターの浴び砂のような砂質。


…わかりにくい例えで申し訳ない。

とってもサラサラで、砂ふるいに入れると、ふるわないでも全部落ちる。

砂型で形を作ろうにも、サラサラすぎてつくれない。


しかし、それが故に服が汚れない。

寝転がって砂に埋まっても、軽く払えば全部落ちる。



写真コーナーがある。

貸衣装が沢山あり、自由に着てよい。


照明付の写真ブースが用意されていて、そこで写真が撮れる。

ただし、カメラは持参のこと。カメラマンはいない。ここはスタジオアリスではない。


妻が一眼レフ持っているので、たくさん撮った。

長女・次女もかわいいお洋服をとっかえひっかえ楽しんだようだ。



おままごとコーナーがある。

おままごとと言っても、非常に大きなキッチンセットがたくさんあって、自由に遊べる。


2歳以下しか入れない赤ちゃんスペースでも、いろいろと面白そうなものが用意されていた。

赤ちゃんだけでのんびり遊べるのも良いのではないだろうか。


関係ないけど、同じフロアに入っていた100円ショップで紙おむつを売っていたのも、なにげにポイント高い。



アーケードゲームコーナーがある。

ちょっと古めの業務用ゲームが置いてある。


9歳の長男は、最後はここに入り浸っていた。基本的に FREE PLAY。

ただし、ゲームはちょっと古め。


さらに一角にはコインゲーム機もあるが、プッシャーのような大人向けの機械は無くて、「ボタンを押すだけの簡単なテレビゲーム」としての位置づけのようだ。


長男ほど難しいゲームができない次女(5歳)は、コインを入れてボタンをバンバンおし、時々コインが増えるのを楽しんでいた。

設定が一番緩くしてあり、どんどん当たる。万が一コインが無くなっても、新しいコインは取り放題だ。


#大人からすると、緊張感のないギャンブルなんて面白くもなんともないのだが、先に書いたようにコインゲームとしてではなく「簡単なテレビゲーム」の位置づけだと思うと良い。


ちなみに、ゲームコーナーとははっきりと隔離したところに UFO キャッチャーなどもあるが、景品の出るものは別料金。

これは、カードが払い出されるキッズライドに関しても同じ。



基本的なコーナーは以上。

他にもウレタン製の巨大積み木とか、足こぎのカートとかもあったし、おもちゃの販売ショップなどもある。




遊びコーナー以外に、レストランや体験コーナーがある。これらはさすがに有料。

体験コーナーは、アクセサリー作りとか、簡単なお菓子作りなど。


レストランが…夕食を食べようと思ったら、午後4時がオーダーストップだったために食べられなかった。

なので味には言及できないが、料金は安め。700円弱、と言うのが最多値段帯。


なによりも、小さい子連れでも食べさせやすい工夫が素晴らしい。

普通の座席や子供椅子もあるけど、ちょっと低くて子供に座りやすいテーブルとか、ちゃぶ台席も用意されている。


レストランの一角に、おままごとができるスペースまで用意されているのだ。

食べることに集中できずに、遊びながら食べたがる年齢層にまで対応。




レストラン一角の給水機は自由に水が飲めます。

子供は遊んでるとすぐ「喉乾いた」と言い出すので、これは結構重要なサービス。

トイレも広くて清潔。


下駄箱、コインロッカーも鍵付きで無料。

(コインロッカーは100円リターン式)


荷物を持っていても安心して遊べます。


うちはすでに関係ないけど、ベビーカー駐車場もあるし、園内のベビーカー貸し出しもある。

とにかく、子育て中の人なら心配になることには、ほぼすべて対応できている、と言えます。

至れり尽くせり。




最後に書いておくと、大人が料金払って入るの、全く無駄です。

大人は子供の付きそいで、何も遊べないもの。

まぁ、子供と値段が一緒(普通は大人料金て子供の2倍だよね?)なので、遊べない分は割り引かれていると考えましょう。


もっとも、遊べないのにお金を払うのが無駄かと言えば、子供と一緒に楽しく過ごせる時間がある、と言うことで僕は満足しました。


そうそう、唯一の大人向け施設として、マッサージチェアが大量に並んだコーナーもありました。

もちろん無料ですが、非常に混んでいました。


実はこの園内で、一番「順番待ちしてもなかなか使えない」ものかも(笑)


#僕は使ってないので使い心地は知りません。



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

社長の一番大切な業務  2014-05-07 12:32:55  その他

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先日こんなツイートをした。



G.W.明けの今日、書類仕事をしていて思い出した。

ちゃんと説明しておいた方が良さそうだ。


は長年会社経営をしていたが、業界全体が斜陽であったことと不況が重なり、晩年になって会社を畳んだ。

それでも借金を一切残さず、すべてを清算して終わらせるという見事なものだった。


上のツイートに書いたように、父が社長をやっていたので普通のサラリーマンの生活と言うものは僕にはどうもわからず、小学校のころは将来自分も会社経営するのだろう、と普通に思っていた。


大学卒業後、一旦はゲーム会社に就職したが、その後独立して会社を興している。

もっとも、人様の人生に責任を持つのは怖いため、基本的には僕と妻のみの会社だ。



で、会社を興すと決めた時に、父が社長業の心得として、たったひとつ教えてくれたのが「判子の押し方」だった。

他には何も教わっていない。いや、「会社を維持するのに決まった方法などないから教えられない」とだけは教わったかな。


#父は昔勤めていた会社が子会社を興す際に一度社長となり、軌道に載せてから改めて自分の会社を興している。

 2回会社を軌道に載せているわけで、「決まった方法などない」はこの経験に基づく言葉。



社長が判子を押すというのは、長い時間かけて社員が下地をならし、ビジネスを成功に導いたときだ。

相手の会社との契約がまとまり、そのことを書類として残す段になってはじめて、社長が登場して判を押す。


社員が苦労した仕事を形として残す、その最後の締めくくりが「判子を押す」ということだ。

ここはかっこよく押さなくてはならない。それが社員の苦労をねぎらう意味にもなる。


これが父の教えだった。




じゃぁ、どんな判子がかっこいいのかって言えば、判子なんて「インクの染みを残す」以外のことはできないのだ。

その染みを見てかっこいいと感じるためには、自分の中にかっこよさの基準を持たなくてはならない。


逆に言えば、基準を持てばかっこいい判子は誰だって押せるようになる。



まず、法律的に重要な事。

判子にはいくつかの意味がある。


書類の文字などの上に判を重ねると、これはその文字に対して何らかの責任を負う意味になる。

誤りを見つけたので横線を引いて消し、書きなおす。この際には横線を引いた文字の上に判子を押し、上に正しい文字を記入する。

(書類の形式によっては、さらに何文字削除、何文字追記、と明記して、改竄を防ぐ)



書類が複数枚にわたる際は、2枚のページにまたがるように判子を押す。割り印、と言うやつだ。

あまりページ数がおおい場合は、ホチキスで止めた上から紙を糊付けしてホチキス止めを外せないように封をして、この紙に対して割り印を押す。


#余談だけど、司法書士等の方は、封印したホチキスを外す、という芸当を持っていたりもする。

 もっとも、この場合も元通りにホチキス止めはできないので、誤りを訂正して新たなページを作った後は再度ホチキス止め・封印して判を押す必要がある。



まぁ、いろいろあるけど判子は責任を持つことを意味する、ということだ。

そして重要なのが「判子に判子を重ねる」場合も、文字と同じく削除の意味がある、ということ。


判子がかすれてしまったために二度押し、などが厳禁なのは、このためだ。

二度押したと言うことは、その判が無効であることを意味する。


同じ理由で、ほかの人の判子に重なるように押してもいけない。



法的に有効な判子は、必ず周囲に「枠」が付いている。角印でも丸印でも、すごく細い線で囲まれるようになっているのだ。


周囲が綺麗に押されれば、その中央が押されずに欠けていると言うことは普通はあり得ない。

つまり、この線は「判子がかすれなく、完全に押されている」ことを確認しやすくするためのものだ。


「小笠原」さんの判子の上を隠して(押印時に紙などで覆って)「笠原」さんの判子を偽装したりできないようになっている。



枠にはこうした意味があるから、枠が一部でも欠けたりしたら、本来その判子は使ってはならない。

枠は細いものだし欠けやすいから、判子は大切に扱わなくてはならない。




父の教えの一つは、「枠をしっかりと押すこと」だ。

一度判子を書類に乗せたら、上から押さえつけて動かないようにしたうえで、その力をゆっくりと、ぐるりと一周回すようにする。

感覚としては、枠をしっかり押すつもりで。そうすると中の部分までしっかりとした印影となる。


ゆっくりと周囲に力を加えるためには下が固くてはならないし、柔らかすぎてもいけない。


印鑑マット、と言うものがあるが、あれは無造作に印鑑を押しても枠が綺麗に出るように、少し柔らかめにつくってある。

印鑑マットで周囲に回すように力を加えると、書類がしわになってしまい、判子がうまく押せない。


だから、新聞の朝刊を半分に畳んだものを下に敷く、というのが父の流儀だった。

紙の束は固すぎず、柔らかすぎず、非常にはっきりとした印影を出してくれる。


僕は仕事場に新聞を持ち込まないので(日経ではないけど購読はしてますよ)、適当な文庫本などを下に置くことが多い。




実は、押し方としては以上がほぼすべて。

これだけでは「かっこいい」とはならなくて、後は個人の感性になってくる。


最初に書いたように、自分の基準を持たないといけないのだ。


でも、自分だけの基準では、ほかの人にカッコイイとは思ってもらえないだろう。

そのため、実際には大体決まっているルールと言うものがある。



判子を「まっすぐ押さないといけない」と思う人が多いのだけど、まっすぐにきれいに押した判子は、神経質な印象を与える。これはかっこよくない。


多少曲がっていたほうが自然な感じがする。

判子の押し方に人柄が出るとしたら、少し曲がっているくらいの方が、自然体な、付き合いやすい人に見えるのだ。



そして、曲げるときは右側が上がるようにする。「右肩上がり」、つまり業績が向上しますように、という、まぁ駄洒落だ。


でも、たとえ駄洒落だとしても右肩下がり(業績が落ちる)よりはいい。悪いイメージより、良いイメージになった方がかっこよいのだ。


社長業でなくても、判子を右肩上がりに押す人は結構いる。社内を回覧する書類などに判が必要な際は、左側に上役が来るように押印欄が並ぶことが多いため、「上司にお辞儀するように押す」とされることもあるようだ。


でも、契約書などの書類では押印欄があるわけでもなく、社長より偉い人がいるわけでもない。

ここは「右肩上がりに」押すものなのだ。


角度的には「11時30分」とよく言われる。上の部分がこの方向を向くように。

…つまり、15度傾ける、と言う意味合いだな。




ところで、署名の際には実印を一緒に押すことが多い。

そして、通常は判子を署名に少しかかるように押す。


先に書いたように、判子を文字に重ねるのは削除の意味合いもあるのだけど、署名に関しては特例だと思っていい。

特例だから、重ねずに判子を押しても間違いではない。

実際、実印であるかどうかを判断する場合に見やすいように、重ねない方が良い、という人もいる。



実印を署名に重ねるのは、実印が非常に重要なものだからだ。

真っ白な紙に押された印影があれば、その印影を元に偽造を行うことが可能になる。


ページ間の割り印などは、紙の厚さのせいで判子の一部が浮き、途切れる。

このため、偽造の心配は低くなる。

また、訂正印などは実印を使用せず、個人の(書類訂正者の)認印で構わない。


しかし、署名の横に、署名にかからずに実印を押したとしたら、それは偽造をたくらむ者にとっては、非常にありがたいものとなる。


署名に載せるように押すのは、このような意味合いだ。

文字にかかってよいのはだいたい半分弱。四割程度、と僕は思っている。

半分以上が文字にかかると、実印の確認の妨げにもなるだろうから。


#実際には印鑑証明と押印された書類の2枚を重ねて、ぴらぴらと高速でめくり、目の残像現象で同じ印であることを確認することが多い。

 このやり方だと、たとえ全部が文字にかかっても、それほど確認の妨げにはならない。




改めてまとめると


・固すぎず柔らかすぎない、紙束のようなものの上で押すと良い。

・周囲の枠を押すつもりで、力を一周回す

・印影は少し右肩上がりに傾ける。11時30分に。

・署名に4割程度かかるように。


これが「かっこいい判子」の押し方。

父から唯一教わった、社長業の心得。



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別年同日の日記

12年 G.W.直前からの記録

12年 長女と次女の誕生日

12年 スマホ購入

12年 イトーヨーカドーでのイベント

12年 山登り

13年 サーカス

15年 エドウィン・ハーバード・ランド 誕生日(1909)

18年 G.W.中のできごと

18年 評議員

18年 バーベキュー

20年 GW中のできごと

23年 X68kサルベージ


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エドガー・ダイクストラの誕生日(1930)  2014-05-11 12:34:56  コンピュータ 今日は何の日

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今日はダイクストラの誕生日(1930)。

goto 不要論で有名な人。


…すいません。goto 不要論に関しては過去に書きたいこと書きましたし、ダイクストラの業績も実のところそれほど知らないのです。

余り書けることがなさそう。




通り一遍の説明になりますが、ダイクストラは電子計算機最初期の計算機数学者です。


初期のコンピューターには「スタック」構造がなく、つまりはサブルーチンコールもなく、そもそもプログラム言語もなく、アセンブラでプログラムを組んでいました。


これでもサブルーチンは作れました。

呼び出し元で、サブルーチンの最後にある「ジャンプ」のアドレスを書き変え、戻ってくるようにしてからサブルーチンにジャンプすればよいのです。

ただ、この方法は複雑極まりなく、プログラムは職人芸の世界でした。



あまりにも複雑で人間の手に負えない「プログラム」を、人間にできないのであればコンピューターにやらせたらどうか、というアイディアが出ます。


このアイディアは「自動プログラミング」と呼ばれますが、プログラムはそもそも創造的な行為だからコンピューターにできるわけがない、という懐疑派と、ある程度人間がわかるようにかかれた「詳細仕様」を、コンピューターが翻訳するのであれば可能ではないか、という推進派に別れます。


FORTRAN の登場(1957)により「翻訳は可能」とわかり、論争には終止符が打たれましたが、今度はより良い言語仕様とは何か、が議論に上ります。

また、PDP-6(1963)でCPUがスタック構造をサポートし、ルーチン呼び出しなど、基本的なプログラムの枠組みが整います。




ダイクストラはこの時代の人。ALGOL(1958)言語にほれ込んだ、強烈な支持者でした。


ただ、当初の ALGOL は言語仕様だけがあって処理系はありませんでした。

まさに絵に描いた餅。


#実際には処理系はあったのだけど、とても実用にならなかった。



ALGOL は 1960 年に言語仕様を改定し、 ALGOL 60 となります。

最初の ALGOL (以下 ALGOL 58 と表記)に処理系がなかったのは、処理系が作りにくい仕様があったせいでもあります。

それを改め、実際に使える言語にしようと言うのがこの改定。


この際にダイクストラも参加し、ALGOL 60 の処理系を作成しています。


そして…ALGOL 60 の素晴らしさを広めようと、他の言語を攻撃し始めます。

自分の好きな言語だけがよくて他はダメ、という、いわゆる「言語厨」の状態。



BASIC を批判した、ということもよく言われるのですが、BASIC だけじゃなくて「ALGOL 以外全部認めない」だけですので、お間違えの無いよう。


あと、この批判は…どう見ても批判と言うより、冗談だよね。

言語の特徴を乱暴だけど短い(でも的確な)言い回しでとらえて、笑い飛ばしているだけ。


「FORTRAN は 20歳になるのに子供じみてる」とか、「COBOL は精神障害だ」とか、「BASIC を学んだものは、プログラマとして再起不能」とか。


多分、現在活躍する多くのプログラマが、最初は BASIC で学んだんじゃないかと思うんですけどね。



困るのは、ただの言語厨ではなく、高名な学者だと言うこと。

「言語厨乙」の一言で片づけるわけにいきません。




そして、有名な goto 不要論争。


以前に書いた通り、ダイクストラは goto が不要だとは思っていません。

話題になりすぎちゃって、本人の意図と違うことになってる。


ただし、当時の言語では goto が多すぎたのも事実です。


多くの goto は、処理を「開始」し、「終了」するために使われていました。

サブルーチンを呼び出し、復帰するとか、IF で実行されるべき流れにジャンプし、終わったから元の流れに戻るとか、そういう使われ方です。


ALGOL では、「開始」と「終了」に goto を使うのではなく、BEGIN と END という擬似命令を使うようにしています。

この方法では、人間にとってもプログラムがわかりやすくなりますし、ほとんどの goto を無くすことができました。


でも、「処理の打ち切り」などに goto が必要と言う認識はダイクストラも持っていたようです、というのも以前に書いた通り。



そして、今では ALGOL の影響を受けていないプログラム言語は無い、と言って過言ではありません。

FORTRAN や COBOL 、BASIC だって、その後「構造化」を取り入れているからね。




ダイクストラ自身は計算機科学の数学者であり、言語だけをやっていたわけではありません。

(さらに言えば、元々は理論物理学者です)



グラフ理論にも、ダイクストラ法と呼ばれる重要アルゴリズムを残しています。

これは、乗換案内やカーナビなどで使用される、「最短経路を求める」ためのアルゴリズムです。


わかる人にはわかると思うけど、カーナビとかって、「巡回サラリーマン問題」と類似だからね。

何の戦略もなく最短経路を求めようと思うと、組み合わせが爆発して計算できなくなってしまう。


でも、ダイクストラ法では、近傍探索を繰り返し、重複するルートを見つけた場合はより良い道のみを残す…ということを繰り返すことで、比較的短い時間に最適解を見つけ出してしまう。


今ではもっと改良されたアルゴリズムもあるけど、基本的には「改良」で、ダイクストラの考案した方法が元になっています。



逆ポーランド記法(RPN:Reverse Polish Notation)と、通常の数学記法を逆ポーランドに翻訳するためのアルゴリズムもダイクストラの考案だそうです。

…これ、大学の時に演習でプログラム作ったな。


説明すれば、普通の記法で


1 * (2 + 3)


と言う数式を、逆ポーランド記法で書くと


1 2 3 + *


となります。

逆ポーランドでは、演算記号が出てきた時点で「データの最後から2つ取り出して計算し、その結果を新たなデータとして残す」ように計算を進めます。


利点として、


・括弧がいらない

・数値データと、計算手順(記号)を分離できる


というものがあり…


…いや、あまり細かな話はいいや。これがどんなに便利か、興味ある人は自分で調べてください。

このページから3ページ分を読むとよくわかるかと)



セマフォもダイクストラの考案らしいのだけど、これに至っては…

セマフォなしでプログラム書くなんてできないだろ、というくらい大切な概念。


いや、小さなプログラム書いている程度なら全然いらないのだけど、実用になる、ある程度のサイズのプログラムになると必須ですよ。



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アメリカザリガニが日本に輸入された日(1927)  2014-05-12 15:39:26  社会科見学 今日は何の日

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今日はアメリカザリガニが日本に輸入された日(1927)。


…だそうですよ。朝テレビで言ってたので調べたらどうやら本当らしい。

いつものようにコンピューターの話ではありませんが、これは僕としては是非いろいろ書きたいところ。




日付は知らなかったけど、ザリガニを輸入してどこに持ってこられたのかは知っています。

うちの子が通う保育園の前の広場です。


今は公園になっているけど、1927年当時はウシガエルの養殖場が作られていて、餌として100匹のザリガニを輸入したんです。

ちなみに、ウシガエル養殖場はここが最初ではありません。1918年に輸入され、良質の蛋白源だというので国の指導の下、各地に養殖場が作られています。その一つが鎌倉にも作られた、というだけ。


でも、鎌倉の養殖場は失敗でした。

ザリガニだけでなく、ウシガエルも輸入したのですが、温度変化に弱い両生類は船旅で全滅。ザリガニも100匹のうち生きていたのは20匹だけでした。



そこでザリガニの養殖を先に開始し、後にウシガエルも入手します。しかし、ある嵐の日に土手が決壊して逃げ出します。

この広場、2本の川に挟まれている(現在1本は暗渠化)ので、水があふれたらすぐ川に落ちるでしょうね。

嵐の後に干上がる心配もなく、ザリガニは増え続けます。


で、今に至る。現在は北海道から沖縄までアメリカザリガニがいます。

ペットとしてお祭りの夜店などで売られたこともあるので、範囲を広げたのは人間の手伝いもあってのことでしょう。



こんな話を知ったのは大人になってからですが、子供の頃はよくザリガニ釣りをしました。

近所が発生源だったので、いっぱいいたのだと思います。




この養殖池、数年前までは「マンモス広場」と呼ばれていました。

正式には「いわせ下関青少年広場」なのですが、非常に大きいので「マンモス」と呼ばれていたのです。


うちの子の通う保育園は、すぐ前にあるお寺です。

古いお寺で、入り口の百日紅は樹齢400年だそうです。


で、住職(園長先生)にザリガニの話を聞くと、とくとくと語ってくれます。



ところで、マンモス広場は個人の持ち物で、一般に開放する(公共の用に供する)ことで、税金免除してもらっていたのだとか。

それが数年前に持ち主の方が亡くなったそうで、相続するとなるとさすがに相続税はかかるのですが、広すぎて高額なので遺族は払いきれない。


仕方なく売却して税金を払おうと言うことになり、マンション業者が購入。マンションの設計まで行ったところで「マンモス広場が無くなる」という噂が広まり反対運動勃発。


でも、マンション業者は偉かった。

地域の人に反対されてまで建設したいわけではない、と態度表明したうえで、設計などにかかった費用はいらないから、購入金額で土地を買ってくれないかと市に掛け合う。


市の方でも紆余曲折あったものの、最終的に買取で合意。

(広すぎて一括支払いする予算がなかった模様)



個人が開放しているときは、ただの広場でした。

でも、市が買った以上はちゃんと整備しないといけない、と3年計画で公園として整備することを決定。


…このタイミングで震災が起き、公園は「防災公園」計画へと発展します。


結局、工期は2年に短縮され、先日完成しました。


新しい名前は「岩瀬下関防災公園」。

…マンモス公園じゃないんだ。



余談になるのですが、鎌倉市では公園の名前にけっこう生物の名前を付けています。

こねこ公園、やまどり公園、げんごろう公園、あけび公園…


植物も動物も取り混ぜてますが、近くにある大小の公園が「こい」と「めだか」だったりとか、結構面白い名前の付け方をしています。


で、その慣習に従って、ここは「マンモス公園」になるものだと期待していました。




マンモス広場の片隅には、自噴式の井戸がありました。

これ、上総掘りという特殊な方法で掘られた井戸です。10年くらい前に、上総掘りの研究会が、掘り方を残す目的でここに井戸を掘ったのだそうです。


もちろん、地主の許可を得てのこと。

こんなことも、個人の持ち物だったから出来たことです。



上総掘りっていうのは、元々は千葉の上総で考え出された井戸掘りの方法。

時間はかかるけど労力はそれほどかからず、必ず井戸を掘りあてるという優れた方法です。


通常、井戸を掘るのはギャンブルで、結構労力がかかるのに水が出ないこともあります。

上総掘りにはそれがありません。ただし、時間がかかるので根気は必要。



江戸末期から明治期にかけて完成した技法なのですが、もちろん今では井戸が掘られることは珍しいです。


現在日本で上総掘りで掘られた、と判っている井戸は、マンモス広場のものだけなのだそうです。

(別府温泉には上総掘りに寄ってほられたものがある、とわかっているが、どれがそうか特定できない模様。

 また、上総で技術保存のために新たな井戸を掘削中。)



東南アジアなどでは未だに水事情がよくないところもあり、上総掘りの手法は労力もかからず確実に井戸が掘れることから、日本の技術が伝えられて重宝していると聞いたことがあります。




マンモス広場から防災公園にかわり、井戸は残されましたが周辺は再整備されました。

以前はただ池に注いでいて…周辺にも水がしみて湿地化していた(子供を近寄らせたくなかった)のですが、綺麗な人工の小川になりました。

人工とはいっても、すでにカエルも住んでますし、子供たちを遊ばせても安心。


もちろん、この水は飲めます。おいしいです

飲み水が確保できている、というのは、防災公園としてはかなり重要な事でしょうね。



防災公園、主要な部分は広いグランドです。

野球だってできますが、野球場ではないので使い方は自由。


周囲に整備された道ができました。

子供たちが自転車乗り回して遊んでいますが、よく見れば、ちゃんと車が通れる幅になっています。

公園内には車が入れないように車止めがありますが、外せるようにもなっています。


災害時には、救援物資などを積んだ車を中に入れられるようにしてあるのでしょうね。


ベンチの上はパーゴラになっていますが、屋根ではありません。

でも、丁度のサイズのシートが倉庫に入っていて、被せることで雨が降っても大丈夫なようになっています。


公園の片隅には大量にマンホールが並んでいます。

緊急時にはパーテーションを立てて、仮設トイレになるのだそうです。


普通の公園に見えるのだけど、かなりよく考えられた作りになっています。




鎌倉の片田舎にある、とりたてて何もない公園なのですが、日本におけるアメリカザリガニ発祥の地であり、国内唯一の上総掘りと判明している井戸もあり、東日本震災以降に作られた、最新設備の伴った防災公園でもあります。


なんか、自分の地元に「誰も知らないけど日本初」とかあるのは好き。

というか、そういうものを探し出すのが好きなんだな。多分、どこの地域でも探せばそういうものは少しくらいあるはず。


#以前に住んでいた地域でも、そういうものを探し出して愛着持っていたし。



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アイバン・サザーランドの誕生日(1938)  2014-05-16 09:22:47  コンピュータ 今日は何の日

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今日はアイバン・サザーランドの誕生日(1938)。

サザーランドのスケッチパッド、で有名な人です。


…あれ? ご存じない?

まぁ、そりゃそうかも。スケッチパッドが有名と言っても、コンピューターの歴史が好きな人なら聞いたことはあるだろう、程度だし。


そのスケッチパッドも、勘違いされた説明をよく見かけるので、どうも正しく認識されていない。


#僕だって、以前は正しく認識できていなかったので人のことは言えないのだけど。



これから、この人がどんなにすごい人か、熱く語っていきましょう。




サザーランドが 12歳の時、技術者だった父親がコンピューターを購入しました。


Simon …コンピュータ技術者の教育目的で作られたリレー計算機です。

面白いのでいろいろ書きたいのですが、長くなるので割愛


簡単に言えば、紙テープに書かれたプログラムを読み取り、動作を変えられる計算機です。

紙テープを巻き戻したり早送りしたり、という「ジャンプ」に相当する動作は無いため、プログラムはあまり自由に書けません。難しく言えばチューリング完全(現代のコンピューターの定義)ではないのです。


計算機能は基本的に足し算だけで、キャリー付 2bit 加算が行えます。

入出力は 5bit なので、多倍長演算プログラムを作ることで、31 までの足し算ができます。



ところが、サザーランドは2歳上の兄と共に、Simon を改造して「条件停止」命令を追加し(これでチューリング完全になる)、紙テープを 2.4m も使って除算を行うプログラムを作り上げたのです。




Simon の開発者は、ハーバードマークII の開発に携わった、エドモンド・バークレーでした。


バークレーは兄弟が Simon で見事にプログラムを作ったことに驚き、彼らを雇って仕事を手伝わせます。

そして、彼らがコンピューターの天才だと感じ、クロード・シャノンに会わせます。


シャノンは、情報理論の父、と呼ばれる人物です。

電気回路で論理演算が可能なことを示し、デジタル回路の設計理論を確立しました。

(これ以前からデジタル回路の概念はあったが、職人の経験則によって作られていた)


真偽を電流の有り無しで表現することで電気回路化できることを示し、デジタルコンピューターの実現に道筋をつけています。


詳細は省きますが、CD(コンパクトディスク)やMP3などのデジタルオーディオの原理、解読されない暗号方式の考案、通信容量の限界の指摘、データ圧縮の原理など、現代生活を支える多くの理論を残しています。


…ともかく、シャノンはサザーランド兄弟に出会い、非常に喜んで、各種研究を見学させました。




さて、シャノンは MIT に在籍していました。


その MIT では、当時のコンピューター設計を根底から見直した Whirlwind I (WWI)が作られています。

驚くほど高速な上、当時標準的だったテレタイプ(電気式タイプライタ)による入出力だけでなく、ディスプレイとタッチペンによる操作が可能です。


さらに、これをトランジスタ化した試作機 TX-0 が作られ、規模を大きくした TX-2 が作られます。

(TX-1 は高機能にしようとしすぎて失敗)



また、WWI を作り出した MIT サーボ機構研究室では、これとは別の研究として、数式として記述した立体物を実際に削り出す装置…後の NC工作機や、現在の 3D プリンタと呼ばれるような装置の研究が行われていました。

(Auto Programinng Tool 、略称で APT と呼ばれていました)


しかし、平面的な物体は数式として記述可能ですが、立体物を数式で記述する良い方法が見つからないのが悩みでした。




サザーランドは TX-2 完成後の 1960年、MIT の大学院に入ります。

ここでまず、TX-0 と出会います。TX-0 は、サザーランドが知っていた「コンピューター」とは一線を画すものでした。


TX-0 には、ライトペンを使って自由に「お絵かき」ができるプログラムがありました。

でも、これはデモとしての色合いの強いもの。あまりたいしたことはできません。

(つまりは、HAX一種です)


しかし、サザーランドはペンとディスプレイで操作できるコンピューターに強い興味を覚えます。

目の前にあるのは簡単なデモでも、プログラム次第でもっといろいろなことができるかもしれないのです。


そしてサザーランドは、TX-2 の存在を知ります。

TX-2 なら、お絵かきをもっと「役に立つ」レベルに引き上げられるかもしれません。




実は、TX-2 には既にお絵かきプログラムが試作されていました。

これは、プロッタプリンタを接続して製図することを目的としていましたが、試作レベルで止まっていました。


#プロッタプリンタは、ペンを動かして紙に絵を描く方式のプリンタです。

 仕組みとしては、電気部分が機械に変わっただけでオシロスコープなどと変わらないため、アナログコンピューター時代から使われていました。



当面の目的はプロッタプリンタでの製図でしたが、サーボ研究所で作られていた APT (立体物の削り出し装置)などでの使用も視野に入っていたようです。


サザーランドはこれを引き継ぎ、独自のアイディアを盛り込みます。

博士論文の研究として開始したため、作成期間は1年間しかありませんでした。



作成時の話も面白いのですが、長くなるので割愛します。

作成過程で、MIT に在籍していたシャノンに助言を求めます。

シャノンは「天才少年」との再会を喜び、指導教官になってくれました。


#この後、サザーランドの兄も MIT に入学し、やはりシャノンが指導教官となります。

 後にこのお兄さんも計算機科学の研究者になっています。

 兄弟は、シャノンの「最後の教え子」でした。


TX-2 は、TX-0 と同じように運用されていました。

…つまり、時間を決めて、ほかの人が使っていない時に使えます。


偉い人が優先で、学生が使うには「誰も使わない時間」を狙うしかありませんでした。

(ただし、TX-0 と違って誰でも使えるわけではありませんでした。)


サザーランドは毎日深夜3時~明け方の5時までを使ってプログラムを行い、1年かけて「スケッチパッド」を完成します。

そして、スケッチパッドの論文によって博士号を取得しました。




先に書いた通り、当時のコンピューターには通常ディスプレイが接続されていません。

なので、スケッチパッドは名実ともに、世界初のグラフィカル操作環境でした。


Photoshop のようなペイントツールではなく、Illustrator のようなドローツールだと考えてください。

もっとも、TX-2 のディスプレイはベクタースキャンで VRAM を持たないため、これは当然のことなのですが。



スケッチパッドは、「オブジェクト」を設計し、そのオブジェクトをコピーした「インスタンス」を組み合わせることで図形を作っていきます。


同じオブジェクトのインスタンスを複数作ることもできます。

元オブジェクトの設計を変えると、そのオブジェクトのインスタンスを使用しているすべての個所が変わります。


…ややこしい? 明日に備えて、わざとややこしく書いてます。ごめんなさい。

この用語、明日の話題で重要になるのです。


論文を見ると、TX-2 の少ないメモリで複雑な図形を描くために苦心したことがうかがわれます。

この「同じ形の部品を使いまわせる」と言う仕組みも、メモリ節約のためだったのでしょう。


最終的な目標は、プロッタプリンタを使って設計図を描くことでした。

「お絵かきツール」ではなく、CAD なのですね。

当然、基本部品など同じ形が出てくることが多いため、オブジェクトしてまとめることで再利用性も高まりますし、メモリも節約できたのです。



オブジェクトを作る際には、多角形(複数ポイントによる折れ線)や、円、円弧が使えます。

また、すでに描かれた図形に「点」を重ねたり、多角形の各辺が同じ長さになるように調整できます。


論文では、これを利用し、蜂の巣のような図形を描く方法が例示されています。




蜂の巣を描くには、まず、6つの頂点がある図形(ぐにゃぐにゃで良い)を描きます。

それとは別に、円を書きます。


続いて、6つの頂点を円に「重ねる」操作をし、さらに「各辺を同じ長さ」にします。

このように、「頂点が別の図形を離れないように」とか、「各辺の長さを同じにするように」とか、制約を示すことで形を整えて行けるのがスケッチパッドの大きな特徴です。


各頂点が円周上にあり、各辺の長さが同じ…これで正六角形のオブジェクトが出来上がります。


つづいて、その六角形のインスタンスを多数表示し、「近い頂点を重ねる」ように指示すると、全部がくっつきます。

これで蜂の巣の出来上がり。



さらに、蜂の巣ができた後で六角形を「上半分」だけにして(多数の六角形が密集していると、これでも見た目は変わらない)、さらに多角形から「円弧」に変えてしまう例も載っています。


先に書いたように、オブジェクトを変えると、そのインスタンスを使ったすべての部分の表示が変わります。

全体が上半分の円弧で作られた模様になる、ということです。


これは、青海波のような模様に見えます。



…世界最初のお絵かきツール、とは思えない洗練された操作です。

現代の Illustrator テクニック、と言われても信じてしまうくらいに。




先に書いたように、スケッチパッドの最終出力は「プロッタプリンタ」でした。

そして、使用されていた EAI plotter には、図形の座標などを紙テープで指示して作図する機能がありました。

…つまり、EAI Plotter はプログラムによるページ記述ができるのです。


そして、スケッチパッドはそのプログラムを紙テープとして出力する機能がありました。

スケッチパッドは、世界初の「グラフィックによるプログラム環境」でもあるのです。



現在では、Illustrator が同じような仕組みを持っています。

あれは、ただのグラフィック環境ではなく、最終的に Postscript というページ記述言語を出力する、プログラム環境でもあります。


ベクターによってグラフィックを描き、最終的にページ記述言語によるプログラムを出力する。

スケッチパッドと Illustrator はそっくりです。


もっとも、Illustrator を作ったのはサザーランドの後の教え子なので、類似性は偶然ではないのでしょう。




蛇足になりますが、よくある間違いを正しておきます。



当時のコンピューターは対話的ではなく、ディスプレイもなかった、と言う知識から、サザーランドが(当時高価だったはずの)コンピューターを改造し、後に元に戻した、と書かれた記事がありました。

そんなことは無いです。TX-2 は最初から対話的に設計されていましたし、ディスプレイも備わっていました。



逆に、スケッチパッドが初期の対話型インターフェイスの例とされることから「キーボードより先に GUI が存在していた」と書いている記事もありました。

当時のコンピューターには通常テレタイプが接続されていて、TX-2 も例外ではありません。GUI はキーボードよりずっと後、と言う事実は変わりません。



スケッチパッドは MEMEX の影響を受けている、という記事も見たことがあります。

これはサザーランド本人に聞かねばわからないところですが、少なくとも論文では MEMEX には全く触れていません。

目指すところも違いますし、開発動機も違います。多分全然関係ないでしょう。

恐らくは、次にあげる NLS との混同かと思います。

(NLS は MEMEX の影響を受けている)



サザーランドのスケッチパッドから着想して、エンゲルバートが NLS を作った、という記事も見たことがあります。

エンゲルバートは元レーダー技師で、WWI の軍事版である SAGE の運用に従事しています。


NLS は、スケッチパッドではなく SAGE から着想したものです。

(だいたい、NLS は 1957年に開発を開始していて、スケッチパッドは 1963年完成です。影響を受けられるわけがない。)



同じく、エンゲルバートはペンよりも高精度に操作できるものとしてマウスを着想した、という記事を見たこともあります。

当時のタッチペンは、ベクタースキャンディスプレイでなくては使えませんでした。

エンゲルバートは安い家庭用テレビ(ラスタースキャン)を活用しようとしたためにペンは使えず、別の装置が必要になっただけです。




さて、その後のサザーランド。


コンピューターグラフィックの研究を進めたサザーランドは、1968年に「バーチャルリアリティ」を開発します。

両目にそれぞれ違う画像を見せる、3Dヘッドマウントディスプレイ(当時は非常に重く、天井からつりさげていた)を使い、ワイヤーフレームで描かれた空間内を移動できるものでした。

多くの人がバーチャルリアリティ、と言う言葉を知るのは、この20~30年後です。


最近話題のOculus Riftの始祖ですね。



その後、ユタ大学に教授の職を得たサザーランドは、多くの研究者を育てます。


GUI やオブジェクト指向プログラムを発明するアラン・ケイ、ピクサーの創業者の一人エド・エキャットムル、陰面処理(3D グラフィックで、奥の面を隠すこと)を研究し、グーローシェーディングに名を残すアンリ・グーロー、アンチエイリアス処理を開発したフランク・クロウなどがいます。


また、同時期に友人と共にエバンス・サザーランド社を設立し、職場でも多くの後進を育てています。

アドビシステムズの創業者、ジョン・ワーノックや、シリコングラフィックスの創業者、ジム・クラークなどがいます。



2D、3Dのコンピューターグラフィックを「発明」し、後進を育てたことも評価すれば、コンピューターグラフィックのすべてを創始した、と言って良い状態で、当然のように数多くの賞を受賞しています。


CG に貢献した人を称えるクーンズ賞の第1回受賞(1983)をはじめとして、チューリング賞(1988)、ACMソフトウェアシステム賞(1993)、フォンノイマンメダル(1998)、京都賞先端技術部門(2012)など。



現在は、非同期実行型のコンピューターを研究しているそうです。


クロック周波数を上げれば高速になるけど、上げるのは難しいし、実はこのやり方にも無駄がある。

この無駄を見直せば、高速で低消費電力のコンピューターが作れる、というものです。


…さらっと流すけど、クロックを必要としないコンピューターを作ろう、ということです。

これもすごい研究。部分的にはすでに実用化されています。



すでに多くのことを成し遂げたのに、まだまだ現役で新しいことに挑戦し続ける 76歳。

すごいお爺さんです。



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アラン・ケイの誕生日  2014-05-17 07:49:46  今日は何の日

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今日は、アラン・ケイの誕生日(1940)。

昨日はサザーランドの誕生日でしたが、ケイはサザーランドの教え子にあたります。


教え子、といっても、年齢は2歳しか違わないのですけど。



サザーランドの作った世界初のグラフィック環境「スケッチパッド」は、細かな部品(オブジェクト)を定義し、そのコピー(インスタンス)の集合として全体を描きました。

そして、完成した「図面」を紙テープへ「プログラム」の形で出力し、プロッタプリンタで作図することができました。


ケイは後に、プログラムの小さな部品「オブジェクト」を寄せ集めて全体を構成する、オブジェクト指向プログラミングを開発しています。

いくつかのものから着想されたプログラム方式でしたが、師であるサザーランドの作った「スケッチパッド」は少なからず影響を与えていました。




アラン・ケイに関しては、Smalltalk の話でだいたい書いているのですよね…。ずいぶん昔に書いたものなので、多少事実誤認もあるのだけど。


その記事で SIMULA がアクターモデルだ、と書いているけど、これは参考にした文献が間違っていたようです。SIMULA はオブジェクト指向やアクターモデルの原型となるアイディアを盛り込んだ言語だったのだけど、オブジェクトともアクターとも名乗っていません。



ケイはサザーランドの指揮のもとで、個人のためのコンピューターを作ろうとしたことがありました。

FLEX と名付けられたコンピューターでは、スケッチパッドのようにグラフィカルな方法を使い、SIMULA 言語をベースとした方法でプログラムを作ろうとしていました。



しかし、このプロジェクトは失敗だったそうです。

…失敗したがゆえにあまり資料が残っていないのですが、スケッチパッドがプロッタプリンタのプログラムを出力できるように、グラフィックで動作を「記述」すると、プログラムを生成する、というものだったそうです。


つまり、現在も世の中にたくさんある、フローチャートを描くとプログラムが生成される環境の元祖。

となると、失敗の原因もおそらく同じでしょう。


プログラムは非常に複雑なもので、2次元で表現できるようなものではありません。

だいたい、2次元の図で表現できるほど簡単なものだったら、もっと多くの人がプログラム組めてるでしょうね。



しかし、FLEX はケイにとって良い経験でした。

見た目だけを簡単にしても、子供だましにしかなりません。

本当に重要なのは、専門家でも使えるほど高度なことができるが、子供でもすぐに始められるほど簡単なものです。


ケイは「ダイナブック」と言うものを構想(というより夢想)しますが、この時点では「子供でも使えるほど簡単で、大人でも満足できるほど高度」という求める理想を描いただけで、具体的な案は何もありませんでした。



Xeroxパロアルト研究所では、ダイナブックに搭載されるべき OS とはどのようなものか、を追い求めます。

ケイは、利用者が簡単にプログラムできること、を必須の機能と考えていたようですが、特に訓練を受けていない人間でもプログラムを作れるようにするには何が必要か、既存の物をうまく組み合わせて作りだそうとしたようです。


具体的に参考にしたものは


NLS …「伝説のデモ」をみて、誰もが使えるコンピューターはグラフィカルでなくてはならない、と考えたようです。

 そのため、マウスは必須の入力機器となりました。


LOGO …子供でも使える言語、として作られたロゴは、グラフィックを描く言語でもあり、グラフィカルな環境に必要でした。

 また、「タートル」という具体的なものに指令を出してプログラムを行う、と言う形式が、後のオブジェクト指向に発展します。


・スケッチパッド …グラフィックを扱うことでプログラムを生成する、プログラム環境でした。グラフィカルであり、プログラム可能な環境でもあります。

 「オブジェクト」や「インスタンス」と言う概念は、スケッチパッドから持ち込まれています。


・SIMULA …シミュレーション用言語で、プログラムとデータを一体化するための機能があった。

 これを使うことで、LOGO でいう「タートル」のような具体的存在を、自由に作り出すことができます。

 オブジェクト指向の要となる概念でした。


・LISP …非常に簡素な言語構造と、簡素が故の強力なデータ構造を持つ言語です。その構造は簡素すぎて、足し算と掛け算では掛け算を先に行う…と言うような数学規則すらありません。出てきた順に処理するだけです。

 Smalltalkもまた、出てきた順に処理するだけで優先順位などはありませんが、簡素が故の強力な処理能力を持ちます。



他にも参考となった言語などはあるようですが、大体このあたりが中核なようです。




Smalltalk は NLS、LOGO、スケッチパッドなどの影響も受けた、グラフィカルなプログラム環境です。

しかし、プログラム方法としては「文字」を使った、ごく普通の物でした。


おそらく、これは FLEX の反省から来ています。

図を使ってプログラムをしても、子供だましのものにしかならないと、痛いほどわかっていたのでしょう。



そして、ケイにとって、コンピューターとは「プログラムをするもの」でした。

ケイは教育者でもあり、プログラムを作ることは、その作者自身が物事を深く研究し、成長することにつながるとの確信がありました。


Smalltalk は OS としての側面も持っていましたが、上に書いたような思想の元、基本的に「コマンドライン」で操作するものでした。

マウスで操作することもできますが、基本的には操作の結果コマンドが選択され、実行されるだけです。



ずっと後の話になりますが、Smalltalk を真似して Apple が Lisa 、そして Machintosh を作ります。

Mac は「一般人はプログラムなど作れない」と割り切って、プログラムを実行することだけを目的とした機械でした。



そして、Mac は、プログラムと一緒にコマンドの概念も排除しました。

図形を選択し、操作することでコンピューターを操作できます。


これは多くの人にとって使いやすいものでしたが、ケイが目指した「プログラムを作ることによって使用者自身が成長する」環境ではありませんでした。


その後、今に至るまで、ケイの理想のコンピューターは現れていません。




ケイは、再び Smalltalk を甦えらせ、Squeak として無料で配布しています。


現在は、1970年代よりも多くの人がコンピューターに触ります。

昔「子供に開放」された時よりも低年齢の子供でも、貧困層の子供でも触ることができます。


そのため、単純な Smalltalk の復活だけでなく、より親しみやすいように、最初の一歩としての eToys という環境も整えられました。


eToys では、各国語で書かれたパネルを並べることでプログラムを作れます。

たとえば、日本語でもプログラムを作れるのです。


…FLEX が失敗した道をたどっているようにも見えます。


ただ、ここには反省が活かされています。

FLEX と違うのは、パネルで作ったプログラムは Smalltalk に変換され、実行されるのです。



パネルによるプログラムは、限界がある「子供だまし」です。

FLEX では実用性をめざし、子供だましにならない工夫を…加えすぎて、わけのわからないものになりました。


しかし、eToys では最初から子供だましと割り切り、必要以上に複雑にはしない。

そのかわり、ここから Smalltalk に興味を繋げ、ステップアップできるようにしているのです。



とはいえ、これではまだ PC を気軽に使える先進国の子供向けの環境です。

ケイは、「世界中の子供たち」が、Smalltalk を学ぶことで賢くなり、世界を変えていってくれることを望んでいます。


コンピューターが使えるかどうかで社会的な地位が変わってしまう…いわゆる「デジタルディバイド」の問題が残っています。




ケイの友人でもある、ネグロポンテは、デジタルディバイドの解消のため、100ドルで買える PC を開発しようとしていました。


ケイはこのプロジェクトに参加。後にちゃんと 100ドル PC は完成し、貧困国を中心に販売されています。


もちろん、100ドル PC には最初から Squeak も eToys も入っています。

(さらにいえば、このプロジェクトにはシーモア・パパートも参加しており、LOGO も入っています)



ケイはコンピューターを学び、ハードウェアも理解しているし、プログラムも出来る人です。

しかし、実際の活動としては主に思想家です。Smalltalk だって彼が全体デザインをしただけで、プログラムを作ったのは別の人。


近年ではコンピューターのあり方を思索するだけでなく、これによって世界を変えるのだ、というメッセージ性を強く感じます。


もっとも、彼は自分が生きている間に世界が変わるとも思っていないみたい。

コンピューターの利用方法について、種をまいておけば 数百年後には状況が変わるだろう、と気長に構えているようです。


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ジェームズ・ゴスリングの誕生日  2014-05-19 11:56:16  コンピュータ 今日は何の日

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今日はジェームズ・ゴスリングの誕生日(1955)。


…僕、この人余り好きではない。でも、有名人なのは確かだし、すごいプログラマなのも事実。


凄腕は事実なのだけど、実際以上に自分を大きく、偉く見せようと虚勢を張る癖がある、ように思える。

ここが好きでない部分。




彼の最初の業績として知られているのは、Emacs を作ったことだ。

彼は、自分で「世界的に知られるエディタ、Emacs を作った」と言っている。


彼の言葉に嘘は無い。世界的に知られるエディタ、Emacs のクローンを作ったことがある。

これは「ゴスリングEmacs」としてそれなりに有名だが、数あるクローンの一種であり、ゴスリングEmacsが世界的に有名なわけではない。


…これだけだと大嘘つきみたいだ。

公平を期すためにも、もう少し詳細を書こう。



Emacs とは、Editing Macros の略で、エディタ用のマクロ集だった。

PDP-6 には TECO というラインエディタがあったのだけど、これがえらく使いにくいものだった。


ただし、TECO には独自の簡易言語が搭載されていて、マクロ・プログラムを組むことができた。

そこで、TECO をマクロによって「改造」して、使いやすいエディタを作るのが流行した。

その決定版ともいえるものが、後に GNU を創始する、リチャード・ストールマンが作った Emacs だった。



Emacs はマクロ集に過ぎなかったため、Emacs をベースにして、より便利な機能を組み込むものも多かった。

ここで、ストールマンは Emacs の配布に際して、「改良は、皆に共有されるために、公開されなくてはならない」という配布条件を付けた。


この配布条件が後の GNU に育つのだが、それはまた別の話。




ところで、TECO は PDP の OS 上でしか動かず、Emacs はその TECO の上でしか動かない。

Emacs を使い慣れたものは、同じ操作で使えるエディタを、別の OS 上でも欲しがった。


そこで、ゴスリングが UNIX 上でゴスリング Emacs を作った。

TECO の独自簡易言語は使いにくかったので、Lisp 風の…似ているだけで Lispではない…言語でマクロを組めた。

そして、そのマクロを使って、オリジナル Emacs とほぼ同じ動作ができた。


ゴスリングは、このソフトを独占した。

Emacs を「改良した」にもかかわらず、バイナリの配布のみで、プログラムのソースを公開しなかったのだ。



たしかに、マクロ集の元となる言語も違うし、すでに全く違うものなのだろう。公開義務はない、ともいえる。

しかし、それなら Emacs を名乗らなければよい。すくなくとも、ストールマンはそう思ったはずだ。



そして、ストールマンは、UNIX 上に GNU Emacs を作った。

ゴスリングの Emacs とは違い、本物の Lisp を搭載し、その Lisp でマクロを組めるようにした。


実は、ベースはどうにか入手したゴスリングの Emacs なのだが、すべてのソースを書き変え、完全に違うものにして、「公開」した。

これによって、Emacs の改良は公開されなくてはならない、という原則は守られ、PDP 以外でも動く Emacs が誕生した。




…あぁ、いかん。Emacs の話ではなくて、ゴスリングの話だ。彼の話に戻ろう。


ゴスリングは後に Sun に入社し、Java を作っている。


彼は Java を作ったので「Java の神様」と言われているのだが、プログラムをしただけだ。


プログラムをしながらより良い仕様を詰めていく、という当たり前の開発プロセスを辿っているし、その最中に彼もアイディアを出していると思われる。

だからただのコーダー(仕様通りにプログラムを作る人)と言うわけではない。


でも、Java の基本的なアイディアはパトリック・ノートンが生み出したものだ。

彼は Sun が「大企業病で死にかかっている」と感じて、それを理由に退社しようとした。


しかし、同じことを感じていた上司に、辞めるなら思い切って Sun の悪いところを書きだしてくれないかと頼まれる。

ノートンは思い切り悪口を書くが、そこまで Sun の悪い部分を知っているのであれば、Sun を変えるためにもう一頑張りしてもらえないか、と慰留される。


慰留条件として、ノートンは Sun の他の部署や重役から干渉されない、独立部署を任された。

ここで、従来の Sun では作り出せない、新しい製品を作り出せれば、Sun は生まれ変われるかもしれない。



この頃の Sun は、企業向けのサーバーシステムなどを売っていた。

しかし、コンピューターの利用はもっと広まる、家庭用などにまだまだ売り込める、とノートンは思っていたので、家庭でも使えるコンピューターを作る。


ターゲットは、テレビに接続できて、コンピューターだと意識せずに使える機械…いわゆるセットトップボックスだった。

この頃、セットトップボックス、という概念が流行し、多くの会社が開発を行っていた。



ところで、ノートンは「大企業病となった Sun を壊す」つもりでプロジェクトに取り組んでいた。

当面は、使いやすい Sun の技術を使うが、Sun の技術に依存するつもりはなかった。


技術はいつか普遍化する。

当時の Sun は UNIX の世界で絶対的な信頼を持っていたが、すでに「無料の UNIX」が世に出始めていた。


これらが普及した時、Sun の技術は陳腐化し、誰も見向きもしなくなるだろう、とノートンは思っていた。



彼は、セットトップボックスの「標準仕様」を作ろうとした。これは Sun の技術とは無関係で、仕様に基づいていれば、どの会社がハードウェアを作ってもよい、とするつもりだった。


各社が技術を凝らし、独創的なハードを作れるようにする必要がある。

競争の中で勝敗はあるだろうが、その標準に参加する企業は、Sun にライセンス料を払う必要がある。


これならば、技術が陳腐化することは無く、安定した収入を得ることができる。




独創的なハードを作れるようにする、というのは、CPU 選定すら自由であることを意味する。

でも、標準仕様としては、CPU が変わっても同じプログラムが動くことを保証しなくてはならなかった。


ここで、CPU を問わずに使える言語が必要となった。



ゴスリングは、過去に Pascal の処理系を作ったことがあった。

Pascal は教育用の言語で、特定のマシンに依存しない。どんな CPU でも動くように、仮想的な CPU の仕様が定められていて、言語はその CPU 用のコードを生成する。


各 CPU に、仮想 CPU のコードを実行できる小さな環境(仮想機械)を作ってやる必要はあるが、仮想機械さえあれば、どこでコンパイルされたプログラムでも、他の CPU で動かすことができた。


しかし、Pascal は教育目的であったため、実用には少し使いにくい点もあったし、何よりもすでに古い言語だった。


そこで、C++ をベースとして言語設計をすることになったが、C++ もまた、オブジェクト指向の「実験」として拡張されてきた歴史があるため、わかりやすい言語ではない。

もっとすっきりとした、わかりやすい言語が必要だった。


また、「コンピューター」ではなく、家電として扱うためには、使用するメモリを出来るだけ小さくする必要があった。



これらの要件を満たすべく設計されたのが oak 言語で、この仕様策定にゴスリングは関わっている。


…でも、oak なんて言語聞いたことがない、という人が多いだろう。

このプロジェクトは、事実上失敗に終わったのだ。




しかし、それで終わりではなかった。

新たに Sun に入社したマネージャー、キム・ポレーゼは、すでに失敗に終わったこのプロジェクトを再発見した。


すでに他の会社もセットトップボックスは発売しており、全然売れなかった。

業界全体で、この道は失敗だった、という認識が広がっていた。


そこで、ポレーゼは「セットトップボックスの標準」という商売は捨てるが、ソフトウェア部分である oak 言語にはまだ道がある、と感じた。

ライセンスで商売をしよう、という考えの中では、セットトップボックスは実は重要ではなく、この言語こそが重要であると考えたのだ。



丁度、WEB が流行し始めたところだった。

「違う CPU でも動く」という特徴を活かし、インターネット時代の言語として再デビューさせることになった。



ここで oak は Java と名前を変える。そして、キラーアプリとして「HotJava」というWEB ブラウザが作られた。


HotJava は Java で作られており、Java のプログラムをネットからダウンロードして動かせる。

それだけでなく、Java で書かれたプラグインによってブラウザの機能を拡張することもでき、変化の速いコンピューター業界でも常に最新のブラウザでいられる、と言うものだった。


#当時、ブラウザは Mosaic か Netscape くらいしかなかった。

 そして、ブラウザのプラグインの概念は HotJava が初めて作り出したものだった。



キム・ポレーゼは宣伝の才能があり、Java は注目の言語となった。

しかし、良い状況のままずっと続いてきたわけではない。



Java は最初のライブラリセットの設計がよくなくて、後からライブラリの仕様が変わったりした。

すると、それまでのプログラムが動かなくなる。CPU が変わっても大丈夫、と宣伝していたのが、ライブラリバージョンが変わっただけで動かなくなるのだ。


ここら辺、明らかに設計がまずかった。

いろいろと問題が多く、「どこでも動く」と言われた Java のプログラムは、現実的には苦労して保守し続けないと、すぐに動かなくなる。


でも死んでしまったわけではなく、いまでも Android では使われ続けているし、結構成功した方だろうと思う。



#Android で使われる、と書くと「あれは Java ではない」といわれそうだけど、その話は今は関係ないので割愛。

 言語と CPUアーキテクチャは無関係なので、僕は「Android は Java で書く」と言っている。




また話が横道に入ってしまったが、ジェームズ・ゴスリングは、ゴスリングEmacs を作り、Java の元となった oak の仕様策定に参加し、その処理系を作り上げた。



でも、Emacs を有名にしたのは GNU Emacs だし、oak は失敗だったが Java として生まれ変わった。


GNU Emacs はゴスリングの「汚いやり方」に反発して作られている。

oak だって目標を設定したのはパトリック・ノートンで、その目標設定が上手だったからキム・ポレーゼが再発見し、Java と名前を変えて宣伝したから流行したのだ。


どちらも、ゴスリングの力ではない。


でも、ゴスリングはこれらを自分の手柄のように話をする。

実際、やり方が汚かろうと Emacs を最初に C に移植したし、全く新たな Java 処理系をプログラムして作り上げた。

実力は相当なものだろう。


…でも、僕としては、どうも好きになれないんだな。





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2週間分の週末日記  2014-05-22 12:53:07  社会科見学 家族

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2週間分の週末日記

純粋に家族日記。

前の土日、その前の土日と、2週連続で週末が忙しかったので書き留めておく。




10日(土) JAMSTEC(海洋開発機構)横須賀の一般公開日。


家族で見に行く。6年ぶり。

前回行ったのは次女が生まれる前だったし、長女もまだ1歳だった。


6年前は適度にアカデミックで面白かったのだけど、もっと一般受けするお祭りに変わっていました。

一般受けを狙いすぎて多少「ヌルい」と言うことでもあります。


とはいえ、珪藻アートの実物を初めて見たし、メンダコポッピンアイの先行販売も買って来た。

(というか、メンダコは子供たちが大好きで、長女・次女が小遣いで購入)


結構楽しんできました。



僕は JAMSTEC の人たちが考えるグッズが結構好き。

だって、なんだか残念なことが多いから(笑)



今回一番のお気に入りは、地球深部探査船「ちきゅう」の絵が描かれた風船。

(記事冒頭の写真の物。クリックで拡大します)


この船、海の上に浮かびながら、数千メートル下の海底をドリルで掘削し、コアサンプル(土を崩さず、綺麗に掘り出したもの)を得ることができる、と言うすごいもの。


数千メートルの距離があるし、波もあれば海流もある。でも、狙ったところを 10cm とはずさずに掘れる、というハイテク船。


で、風船の絵も、下に向かって白いパイプが伸びています。

数千メートルどこまでもどこまでも…と、おそらく、風船に「白い糸」が付けられることを予期して、白いパイプが糸となって伸びていくことを踏まえたデザイン。



なのに、茶色い糸が付けられて配布されていました。

このデザインの意図、多くの人には理解できないし、身内である JAMSTEC 職員にすら理解されずに、想定外の色の糸を付けられてしまった、という残念感。


…馬鹿にしてるんじゃないよ。そういう、誰にも理解できないけど、理解した時に思わず膝ポンもののアイディアが好きなの。



#妻は「白いのは海中でドリルを保護するためのパイプで、海底から下に掘り進むパイプは茶色くて、それをイメージしているのではないか」と指摘しています。

 もしかしたら、そうかも。いろいろ調べたのだけど、内部のパイプの色はよくわかりませんでした。

 しかし、もしそうだとしても、やはり誰にも理解できないデザイン…





11日(日) 子供会の草取りと、大船祭り。


毎年恒例大船祭り。そして、毎年恒例でこの日は草取りがかぶる。


小学生の長男長女は妻と草取りに行き、保育園児の次女と僕は祭りへ。

なぜなら、大船祭りでは保育園の年長さんがパレードに参加し、その後踊るから。


次女の要望で、パレードの途中から一緒に(横の歩道を)歩く。

歩き疲れて「だっこ」とか言われるのだけど、来年は次女は年長、この道を歩かなくてはならないのだ。


ゴールまで歩く前に、上二人と妻が合流。

草取りの後子供会の総会があったのだけど、大船祭りがあるからと言って免除してもらったらしい。


おかげで、年長さんの踊りは全員で見られた。

長女にとっては1つ下の代の子たちで、顔見知りも多い。


同じように、見に来た「去年の保育園児」は多数いて、長女も違う小学校になってしまった友達との再会を喜んでいた。




16日(金) 長女の遠足


週末の家族日記、とは違うのだが、長女の小学校遠足。

場所は大船フラワーセンターだった。




17日(土) 次女の遠足


こちらは、次女の遠足だけど家族で参加。

場所は大船フラワーセンター。長女は2日連続で同じ場所に行くことになる。


でも、長女は前日の遠足では、案外忙しくてゆっくり見られなかったらしい。

初めての遠足は、「自主的に行動をする」ための練習みたいなもので、それほど自由時間長くないんだよね。



同じように家族参加の家が多いし、当然兄弟がいる家庭が、保育園 OB の子供を連れてきたりする。

だから、長男も長女も、一緒に遊ぶ友達がいる。

結構楽しんだようだ。




18日(日) あーすフェスタ


本郷台駅前にあーすぷらざ、という建物がある。

ここで、あーすフェスタというお祭りがある。土日で行われたのだが、土曜日はいけなかったので日曜日に見に行った。


ところで、最近長女は自転車の補助輪が外れた(1日練習して乗れるようになった)ので、大船祭り、フラワーセンター、あーすフェスタとも、自分の自転車で移動。

まだ危なっかしくてゆっくり移動になってしまうが、家族で自転車で遠出、と言うのも悪くない。



あーすフェスタは、10年くらい前には行ったことがあるのだが、それ以来。

規模がずいぶん大きくなっていて驚いた。


(毎年行く知人によれば、数年前に最大規模になり、近所迷惑になったので規模を縮小したらしい)


あーすフェスタは、異文化交流をテーマとしたお祭り。

多くの国の料理が屋台で出る。


変わったものをたくさん食うぞー! と意気込んだのだが、ケバブ、ナチョス、チョリソーあたりの販売が定番で非常に多い。

そんな中でも、家族5人で少しづつ、いろいろな国の料理を味わった。



「あの人真っ黒いよ」と、黒人さんを見て長女が言う。

真っ黒い、と言うのが生まれつきのものだし、見た目は違っても怖くないし、同じような人なんだよ、と説明する。


人種差別をする気は全くないし、始めてみた長女の驚きも理解できる。

その「真っ黒な人」の作った料理は今までに食べたことのない味で、でもとってもおいしかった、とは理解できたようだ。


#食べたのは牛肉のピーナッツソース煮と、セネガル風ドーナツ。

 ドーナツは、レーズン入りのマフィンを揚げたような感じ。

 多分、ブドウの常在菌(酵母)を使って醗酵させたのが原型なのだろう。


ステージにはいろいろなゲストがでて、トークをやっていた。

それぞれの国の紹介だったり、ボランティア活動の訴えだったり。


司会をしていた DJ の女性が「私も在日韓国人ですけど」と明るく喋っていた。


嫌韓デモとか行われている地域がある一方、あっけらかんとこのように喋り、その場にいる多くの人が当たり前のように受け入れている。



国と国が、施策の違いで衝突することもあるだろうし、それはそれで必要な事とも思う。


一方で国籍や人種によって差別が行われてはならない。

多くの国の人が同じ祭りに集まり、自分の国籍を堂々と言える、こういう雰囲気はいいな、と思った。


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パスワードの管理方法  2014-05-22 17:41:34  コンピュータ 歯車

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Twitter 見ていたら、パスワード手帳に対して批判が集まっていた。


文具屋で見つけた人が写真付きでリツイートして、頭おかしい、情薄、作った会社潰れろ、などとリプライが付いていただけだけど、見た時点で 2500RT を超えていたので同じように思っている人が多いのではないか、と想像する。


でも、これ批判する人って、パスワードを正しく扱えているのかな?


状況は時代とともに変わる。

「パスワードを紙に書いてはならない」は、20年前なら確かにその通りだった。


しかし今は「暗記できる程度のパスワードを使ってはならない」と言うのが鉄則になっている。

それを知らずに「紙に書くなんて情薄」、と言っている人は、最新情報に追随できていない情薄である。




セキュリティ上、一番弱いのは、実は「パスワードは暗記しています」と言うやつ。


その昔、パスワードは紙に書くな、暗記せよ、と言われました。

だからその通りにしています。…そうだね、昔ならその方法が一番良かった。



ネットの普及以前であれば、パスワードを使うのなんて、社内の情報システムにログインするとか、unix 使いがアカウント使ってログインするとか、その程度だった。


多くてもせいぜい3~5個程度のパスワードなら暗記も出来たし、紙に書くなんて「やってはならないこと」だった。



でも、今はそうではない。

ネット上に、パスワードを使うサイトは沢山ある。


「これらを全部暗記している」という人がいたら、同じパスワードを複数のサイトで使いまわしているのではないかい?


もし思い当たるふしがあるなら、それがセキュリティ上「紙に書くよりもやってはならないこと」だと知らなくてはならない。




利用したサイトは、おそらく悪意はないだろう。悪意のあるサイトなんて、それほど多いわけではない。

でも、悪意はなくとも、技術が低くてセキュリティ管理が十分ではない、と言う可能性はある。


小さなサイトであれば、セキュリティが甘々で簡単にクラックされる、と言う可能性は高い。

じゃぁ、逆に大手は安心かと言えば、大手は利用者が多いために、クラッカーにとっては宝の山で、難しくてもクラックする甲斐がある


つまり、どこのサイトも安全ではない、と言う前提でセキュリティを考えなくてはならない。



クラッカーは、どこか1か所のサイトでパスワードを入手したら、「ユーザーは同じパスワードを使いまわしている可能性が高い」と考え、多くの人が利用してそうなサービスで、そのパスワードが使えるのではないかと試してみる


もし、あなたが「パスワードを紙に書いてはならない」という言葉を信じ、暗記できるだけの何パターンかのパスワードを多くのサイトで使いまわしていたとすれば、この時点で次々と、別サイトのアカウントを乗っ取られることになる。



実は、「パスワードは紙に書いてはならない」というのは古い情報であって、現在一番重要なのは「すべてのサイトでパスワードを変えておく」ということだ。




パスワードを変えてあれば、それだけで大丈夫?

…いや、実はそうでもない。


パスワードが流出する、と言う事件はたびたびあるが、ここで流出したパスワードと言うものを、3段階に分けて考えなくてはならない。



1) パスワードそのもの

2) 暗号化されたパスワード

3) ハッシュ化されたパスワード


セキュリティ意識の低いプログラマは、パスワードの管理に気を使わず、パスワードそのものを記録してあることが多い。

プログラマのセキュリティ意識ではなく、「システム発注者の」意識が低いのかもしれないが、利用者にとっては同じこと。


セキュリティ意識が多少ある人は、暗号化する。

しかし、実はこの行為には、ほとんど意味がない。


「暗号化してある」と言うことは「復号できる」と言う意味に他ならないからだ。


もし、サイトで「パスワードを忘れた」と申請したら、あなたが設定したパスワードそのものをメールで送ってきてくれる、と言うようなサービスをやっている場合は、間違いなく 1 か 2 の方法でパスワードを管理している。

万が一、クラッカーがデータを入手したら、パスワードは確実に漏れると考えたほうがよい。



真にセキュリティを知っているプログラマは、3 の方法を使う。


ハッシュ化って何? と言うことになるが、この方法ではパスワードは一切記録されないのに、ちゃんと「正しいパスワード」を認識できる。


#余談になるが、ハッシュ化は専門用語なので、一般にはこれも「暗号化」と言われてしまう。

 報道から 2 か 3 かを見分けるのは、読み手の自己責任。




ある決まった値を、決まった鍵で暗号化すると、その答えは常に決まっている。

しかし、同じ値を、違う鍵で暗号化すると、その答えは先ほどの結果とは必ず異なる。


…このような暗号方法があったとしよう。


この「鍵」としてパスワードを使う。

ユーザーがパスワードを入力すると、それを「鍵」として「決まった値」の暗号化を行い、結果を記録されているものと照合する。


万が一記録が漏れ、復号に成功したとしても、得られるのはパスワードではなく、一定の値だけだ。

この方法ならパスワードが漏れることは無い。


ただし、暗号の計算方法は大抵わかっているので、複号を試みることはもちろん可能だ。

そして、復号できたとき、その時の「鍵」がパスワードだ。



じゃぁ、パスワード暗号化と何が違うのさ、というと、手間が全然異なってくる。


パスワードを暗号化する、というのであれば、鍵を別に用意しなくてはならない。

何千何万ものパスワードごとに鍵を変えるのは難しいので、全部同じ鍵だろう。


そしてその「鍵」は、機械的にいつでも復号できるようにしてあるのだから、パスワードが記録してあるマシンのプログラムのどこかで参照しているはずだ。


こうして、パスワードを記録したデータが漏れた時には、事実上全パスワードが漏れてしまう。



ところが、ハッシュ化であれば、「鍵」はユーザーが持っていることになる。

手当たり次第に復号化を試みることは可能だけど、時間をかけて1つづつパスワードを解き明かしていく…と言う作業が必要になってしまう。


しかも、ここでいう「時間をかけて」というのは、途方もない時間になるのだ。

…組み合わせを制限する、と言うテクニックを使わなければ。




たとえば、8文字のパスワードを、アルファベット26文字の大文字小文字、それに数字10種類を自由に組み合わせて作りだしたとしよう。

62種類を8文字連続するので、62の8乗…218兆通りほどの組み合わせができる。


いくらコンピューターが速くても、これを全部試してはいられない。


そこで、クラッカーは組み合わせを制限する。

完全ランダムな文字列は覚えにくいから、たぶん英単語を使っているだろう、と決めつけるのだ。


あらかじめ「単語辞書」を作っておき、その辞書に載っている単語を試す。

通常、パスワードシステムは8文字以上でないと受け付けないようになっているので、7文字以下の長さの単語は、別の単語と組み合わせて8文字になるようにする。


9文字以上のパスワードは、受け付けるシステムと受け付けないシステムがある。

…逆に言えば、「同じパスワードを使いまわしている人」は、8文字に揃えているはずだ。

だから、単語の組み合わせの際は、8文字になるものだけを試せばよい。


#使いまわしていない人のパスワードを知っても、うま味は少ない。



これで組み合わせはずいぶんと制限され、現実的な時間でパスワードを見つけ出せるようになる。

もちろん、この例に当てはまらないパスワードは見つけ出せないが、流出データに何万件ものパスワードハッシュがあるのであれば、そのうち1割を解読するだけでも十分な宝の山だ。



余談になるが古典的なクラッカー追跡ドキュメンタリー、「カッコウはコンピューターに卵を産む」の中では、8文字になるように英単語を組み合わせてパスワードを作る、と言う方法が推奨されている。


この時代、上に書いたような「単語を試してパスワードを解読する方法」は使われ始めたばかりで、コンピューターの速度も遅かったために、「8文字の英単語」を試すのがせいぜいだったのだ。


たとえば、3文字と5文字を組み合わせればこの方法では見つけ出されない、というので、書籍では「robotcat」というパスワードが例に出されている。


この時点では良い方法だったが、今は時代が変わった。


しかし、この方法が有名になりすぎ、今でもこの方法を使う人がいる。

クラッカーはそこにつけ込んでいるのだ。




万が一パスワードが漏れたらどうなるだろう?


たとえば、Amazon のパスワードが漏れ、登録してあったクレジットカードで買い物された…

なんていうのは、実はわかりやすい被害だ。

きっとクレジットカード会社が補償してくれるから大丈夫。


でも、Gmail のパスワードが漏れ、メールを覗かれ続けたとしたら…これはなかなか気づけない。



いつパスワードが漏れているかわからない、と言うことを考えると、対策は「時々パスワードを変える」と言うことになる。

クラッカーが、次にログインした時に「パスワードが変わった」ことに気が付けば、もう手の出しようがないのだ。



暗号と言うのは、時々鍵を変えるから意味を持つ。

鍵を変えずに運用し続けて、暗号が漏れたまま気づかないでいた…なんていうのは、歴史上よくある運用ミスだ。


歴史に学ばなくてはならない。




・サイトごとにすべて変更する。

・ほぼランダムに見える文字列を使う。

・時間的にも時々変更する。


これが、現代における「正しい」パスワードの運用方法。


全部暗記しておく? …いや、それは現実的ではないだろう。

これでもまだ「紙に書いてはならない」だろうか?


紙に書いてはならないから、クラウドの、Evernote や Dropbox で管理している、という人もいる。

これは論外。それらのサイトがクラックされたら、すべて漏れると考えてよいだろう。


#現実に、Evernote はクラックされてパスワードが流出したことがある。



クラウドはさすがに怖いから、ローカルの PC にファイルとしてパスワードを記録して、そのファイル自体を暗号化している、という人もいる。


でも、ネットに繋がっていればローカルからの流出だってあり得る。

暗号化してあると言うことは、鍵が知れれば「全部の」パスワードが漏れてしまう、と言うことでもある。


また、クラウドと違ってどこからでも参照するのが難しいから、各所にコピーをばら撒いておく…なんていうのは、流出の可能性を増やしているだけだ。




実は、それよりもネットに接続されていない、接続しようもない、でもどこにでも持ち運べる「紙」に書いた方が良い、というのも、セキュリティの専門家が指摘するところだ。


ただし、紙に書くならその取扱いは厳重にすること。




冒頭にあげた手帳、パスワード手帳だが、外見は「パスワード」など一言も書いていない。

普通の手帳に見えるようにしてある。


ただ、url と id とパスワードの組を書けるようになっているのは…少しいただけないように思う。

その3つ組を一緒に記録するのは、いくらなんでも危険だろう。


url や固有名詞は避けて、「いつも使っている銀行」くらいにとどめるのが良いのではないかな。

いや、銀行とすら書かず、GK (GinKou) とか BK (BanK) とか、軽く暗号化(符丁化)するといいだろう。


ID に関しても、多分名前をローマ字にしていたり、メールアドレスが使えたり、いくつかのパターンに収まるだろうから、そのヒント(こちらも符丁で)だけで。



で、パスワードは書いておけばよい。

ちゃんとすべてのサイトでパスワードをかえてあれば、パスワードだけわかっても何もできないはずだ。




ちなみに、第三の方法もあって、パスワードの一部を、そのサイトから得られる何かを使って、一定の手順で「計算」できる方法にしておく、というのもある


一部は暗記して使いまわすが、一部は「計算」で導出する。

計算式が簡単すぎると推察されるかもしれないけど、ひと工夫すれば、自分以外にはわからなくなる。



この方法の欠点は、「全部のサイトで」違う、と言うほどのパスワードを作り出せていない可能性と、時間的に変化させることができないこと。


それでも、本当に重要なサイトだけ「正しく」管理を行い、それ以外はこちらの方法を使う、とかで使い分ければよいだろう、と思う。




2019.7.14 追記


この記事でのパスワード管理の結論の一つ、「時間的にも時々変更する」はやってはならない、とするご指摘をいただきました。


ご指摘は、2017年に米国政府機関である NIST が勧告し、これを受けて総務省も日本国内向けに勧告を行った、「パスワードの定期変更を強制すべきではない」に基づくものだと思います。



この記事の冒頭に書いたように、状況は時代とともに変わります。

記事を書いてから5年たち、日進月歩のコンピューターセキュリティの話としては、いささか古くなっているとは思います。



しかし、残念ながらご指摘をくださった方は、NIST ・総務省の勧告を勘違いしているようです。

この記事の内容は、2019 年時点では、まだ有効なままです。



何をどう勘違いしているのかなど、詳細を示すと長くなりますので新たな記事として書き起こしています。

このページの内容をここまで読まれた方は、5年後の状況に合わせて書かれた、新たな記事もお読みくださると幸いです。


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柴田亜美の誕生日  2014-05-24 05:46:51  今日は何の日

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柴田亜美の誕生日

今日は柴田亜美さんの誕生日(1967)。


漫画家の先生です。

僕、この人ほとんど知りません。漫画も全然読んでない。


基本的にコンピューター関連の「今日は何の日」で書いているのに、なんで漫画家で、しかもほとんど知らない人を取り上げるのかと言えば、なぜか似顔絵描いてもらったことがあるから。


この日記冒頭の絵ですけど…似てない。というか、似せるつもりは無さそう。

じゃぁ似顔絵じゃないじゃん。




一応、コンピューター関係の話題でいえば、この人ゲーム業界にすごい人脈持ってます。


そもそもがドラゴンクエストのパロディ4コマ漫画をエニックスの雑誌に投稿したことから漫画家生活を始めています。


その後、ファミ通でも漫画の連載を開始。

実は、この頃の物は僕も少しだけ読んでいます。


…多少ストーリー漫画を描こうとしたものの、エッセイ漫画に落ち着きましたね。


で、エッセイだからこそ、ゲーム業界に取材に行くことがたびたびあり、人脈が出来上がったようです。



僕もゲーム屋の端くれだったので書いておけば、ゲーム作っている人たちって、会社の垣根を越えた横のつながりができることって、普通ありません。


社内ですら、同じチームで作り続けているために、チーム外の人は全然知り合いになれなかったりする。


だから、柴田亜美さんの人脈と言うのは結構貴重なものです。




話は変わって、冒頭の似顔絵の経緯を…


僕が昔いた会社で、業務命令でとあるイベントに駆り出されて、女装しなくてはならない羽目になったことがありました。


言っときますが、僕の当時の仕事はテレビゲームのプログラマです。

普段ならイベントの手伝いすらしないお仕事。



仲の良かった企画屋から、気軽に相談を持ち掛けられました。

彼の関与したゲームのイベントがあり、ゲームキャラのコスプレをしようと思うのだがインパクトが足りない、との悩みでした。


そのゲームのキャラクター、それほど奇抜な格好はしてないんですよ。

普通にブルゾン着ているだけ。だから、彼がコスプレをしても、誰にも気づかれない恐れすらある。



じゃぁ、何か別のキャラクタを一緒に出せば? と、相談に気軽に乗ります。

そのゲームの中で、それほど大変ではなくコスプレができ、インパクトのあるキャラと言ったら…


ゲーム中に登場する女性がいました。一応ゲーム中では「かわいい」ことになっているのに、実際に表示されるキャラは、どう贔屓目に見てもブサイクなの。


しかし、「ブサイクな女性」を、本当に女性にやってもらうのはかわいそうだし、ブサイクに見えない。

これを、男が女装してやれば、ウケるんじゃないかな。


どうせイベントに駆り出されるのは企画課の人間で、プログラマの自分から見ると他人事です。

だからひどいアイディアでも気軽に出せる。


…すると、彼から「すごくいいアイディアだ。言いだしっぺのお前がやってくれ」と頼まれたのです。



いや、僕プログラマだからイベントに出てる時間なんてないよ、と断ります。

しかし、彼は企画課の課長を経由してプログラム課の課長に正式に申請を出して、僕は「イベントの手伝いをするように」と業務命令を下されてしまったのです。



正式な業務命令として来てしまった以上、やらないわけにはいきません。


恥ずかしいことをやるのなら、恥ずかしがったらダメ。思い切って開き直った方がいい。

それでないと場がしらけるだけだから。


…そういうわけで、女装衣装も買って思い切り馬鹿をやったのですが、その時のイベントに柴田亜美さんが来ていたらしいのですね。

どうもこの時の女装でやった寸劇を気に入って(?)もらったようで、後で似顔絵を描いていただけたわけです。



もっとも、僕はこの時点で柴田亜美さんが来ていたことも知らず、お話など全くしていません。

なので、やっぱり柴田亜美さんのことは全然知らないわけです (^^;




ちなみに、衣装代を請求したら課長から「そんなもん経費で落ちん」と一蹴されました。

えー! 業務命令でやったんだぜー!


…とんでもないブラック企業だ。今は無くなった会社だけど、当然だね。



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ドラゴンクエストの発売日(1986)  2014-05-27 12:29:55  コンピュータ 今日は何の日

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今日はドラゴンクエストの発売日(1986)。


これ以前、家庭用ゲームの王道はアドベンチャーゲームにありました。


ファミコンがまだ「目新しい製品」だったころ、家でテレビゲームをやろうと思ったら、パソコンしかありません。

(まぁ、カセットビジョンとかあったけど)


当時のパソコンの性能では、アクションゲームは業務用の基板にかなうわけもなく、ゲームセンター「っぽい」ゲームが遊べる、と言うことに満足するか、ゲームセンターでは遊べないゲームを遊ぶか、どちらかでした。



で、ゲームセンターでは遊べないものの代表が、アドベンチャーゲーム。

アクションゲームでは表現できなかった「物語」を作り出すこともでき、多くのユーザーに愛されていました。


当時のアドベンチャーゲームは、「コマンド」をキーボードから入力することでストーリーを進めました。

ところどころで、そんなの思いつくか! というコマンドを入力させるのですが(もちろんノーヒントで)、そのキーワードを探し出すことも含めてゲームの楽しみでした。



だから、任天堂がアドベンチャーゲームを作れるようにキーボードのハードウェアを用意した、と言うのも理解できる話。

堀井雄二が「コマンド探しはアドベンチャーゲームの本質にあらず」と、コマンド選択式と言う新しい概念を発明して「ポートピア連続殺人事件」を移植したことで、キーボードは不要になってしまいましたが。


#キーボードは、後にファミリーベーシックで日の目を見ます。




で、パソコンではアドベンチャーゲームに変わる新たなブームとして、RPG が流行しつつありました。

とはいえ、日本ではまだほとんど知られていなかったジャンル。


これを、先に書いた「ポートピア」の堀井雄二がシナリオを手掛けることで、ファミコンで作り出したのが「ドラゴンクエスト」。


一部のマニアはパソコンですでに RPG を経験していましたが、各種 RPG のエッセンスを組み合わせ、難易度も子供でも遊べるように調整し、しかし大人の鑑賞に堪える物語性は残しつつ、作り上げたのがドラゴンクエストでした。


実のところ、RPG は非常に計算を多用する…そのため、メモリも多く必要になるゲームジャンルで、ファミコンでは作るのが難しいと考えられていたジャンルでした。

ドラゴンクエストのプログラムは、パソコンゲームの作成で「天才」と呼ばれていた中村光一を起用。

非常に少ないメモリを見事に使いこなします



この後、時代は一気に RPG へと傾き、アドベンチャーゲームは「古いもの」になってしまいました。

日本の RPG の、ほぼすべてがドラクエの影響を何らかの形でうけています。


海外では、こうしたジャンルが「J-RPG」(本来の RPG とは異なる、日本的 RPG)と呼ばれるほどに、日本の RPG の形を規定したと言って良いでしょう。


#J-RPG には「古臭いイメージの RPG」という侮蔑の意味も含まれる。

 J-RPG で海外でも人気があるのはポケモンだけ、らしい。




僕はと言えば、ドラクエは3までしかやってません。

1は友達に借りたのですが結構やり込み、2は所有してやり込み、3は友達から借りてさっと遊んだだけ。


もちろん、2が一番好きです。その後のシリーズは知らない。

というか、実は RPG はそれほど好きではないジャンルだったりします。


ウィザードリーや ROGUE は好きなんだけどね。



でも、ドラクエが日本ゲーム界の変えた、革命的作品であったことは認めるところです。



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今日は、世界で最初の MML ドライバが完成した日!(1960)


…というのは、ごめん。ちょっと話盛ってます。

ある程度根拠はあるのだけど、言い切ってよいかどうかちょっとわからない。


でも、「それなりの根拠」の提示も含め、話を始めましょう。


その後調査したところ、どうも「最初」というには問題があるみたい。

確かに現行の MML に類似したものとして最古ではあるけど、現代に繋がっておらず、別の場所で再発明されている。


詳しくは、その後の調査をまとめた世界初のMMLもご覧ください。




最初に書いておけば、MML というのは Music Macro Language の略。

音楽を表現するための言語、ということですね。


音の高さとして「ドレミファソラシ」があるのは多くの方がわかっているとおもいます。

でも、「ド」がどの周波数の音か、というのは変動します。

言い換えると、「ドレミ~」というのは、相対的な音階。



周波数に対して音を決めた「絶対音階」というものがあって、日本語では

「ハニホヘトイロ」となります。


これも、小学校の音楽で習うので、覚えている人が多いと思います。


そして、英語では「C D E F G A B」です。




MML では、一般にこのアルファベットを使って音楽を記述します。


cdefgab


と書けば、ハ長調で「ドレミファソラシ」と鳴らす命令になります。


ちなみに、休符は「r」です。rest (休み)の意味。


cdefedcr

efgagfer


これだと、「カエルのうた」の冒頭になります。



音の長さを指示したい場合、「4分音符」なら、後ろに 4 と書きます。


4分、というのは「4つに分けた」と言う意味ね。

一番長い音を「全音符」として、それをいくつに分けるかで音の長さを示すのです。


4分音符の2倍の長さ、「2分音符」なら、MML では後ろに 2 と書く。


4分音符に点を付けた「付点4分音符」は、4. と書きます。

付点が付くと、本来の音の長さの半分を追加する(1.5倍の長さにする)意味です。


c4.d8e4.c8e4c4e2


これだと、「ドレミの歌」の冒頭。



細かな部分では方言も多いし、これ以上の詳しい説明は避けるけど、これが「MML」です。



1980年代には、パソコンというと「自分でプログラムするもの」で、大抵は MML も使えました。

でも、今のパソコンはプログラムするものではないですし、MML を使うのもいろいろ大変です。


遊んでみたい人は、数年前に一部で流行したTSS Clipboard Playerがおすすめです。

解凍して実行するだけでインストールなしに音楽演奏が楽しめますし、テキストエディタさえあれば、特別なプログラム環境も不要です。


TSSCP を入手したら、こことかここに行って、演奏してみるだけで結構楽しめます。




さて、MML 入門講座ではないので、話を戻しましょう。


コンピューターに音楽を演奏させる、と言う試みは、1951年に遡ります。

ENIAC の公開が 1946年ですから、わずか5年で、ただの「計算機」ではない試みが行われていたことになります。


(もっとも、紀元前500年のピタゴラスの頃から、音楽と数学が近い関係にあることはわかっていました。

 コンピューターで音楽を演奏しよう、というのも、それほど突拍子もない話でもないのです。)


1951年のシステムはCSIR MK1(後に CSIRAC と改名)というコンピューター上で動いていました。


CSIR MK1 は、当時の多くのコンピューターと同じく、水銀遅延管メモリを採用していました。

ただ違うのは…デバッグのために、水銀遅延管の内容(本来は超音波パルス)を、人間の可聴域でもスピーカーから出力する機能が付いていたことです。


こうすることで、メモリの内容が変化するさまを、音として聞くことができます。


…しかし、音が出ればこれを使って遊びたい、と思う人がいるものです。

やがて、「音楽を演奏する」実験的なプログラムが作られました。



この時に演奏された曲の1つが「ボギー大佐」でした。

後に映画「戦場をかける橋」のテーマ曲として編曲され、「クワイ河マーチ」として知られるようになった曲です。

こちらのページの一番下のリンクから、当時の演奏の録音を聴くことができます。

(QuickTime Player が必要です)




CSIR の演奏は、データを音階・音程とも数値として表現し、パンチカードに打ち込んだ数値をメモリ内に読み込んで、プログラムを実行する方式でした。

「演奏」はできるのですが、MML のような言語はありません。



CSIR の次に音楽を演奏した、とされるのは、AT&T ベル研究所で 1957年に開発された、「MUSIC」というプログラム。


このプログラムは、音楽演奏にとどまらずどんな音でも作り出してやろう、という野心的なもので…非常に汎用性が高い反面、音楽演奏に限って言えば、非常に面倒でした。


音を出す時には「周波数」と「秒数」を指定します。

指定方法には独特の表記方法を持ったプログラム言語が使用されますが、いわゆる MML ではありません。



ところで、この時代のコンピューターはまだ非常に高価なものです。

コンピューターを利用するのだって、1分1秒でも「無駄」を生じさせないようにする、と言う時代。


音楽演奏なんていうのんびりしたことができるのは、かなり贅沢な事でした、




僕が知る限り、3番目に音楽演奏を行ったのは TX-0


コンピューター利用には無駄が許されない時代、と書きましたが、TX-0 はおそらく世界初の「無駄が許される」コンピューターでした。


だから、世界最初のテレビゲームなんかも作られました。

そして、当然のように音楽演奏プログラムも作られています。


TX-0 では、CSIR と同じように、動作中に音で動作状況がわかるようになっていたそうです。


ジャック・デニスが「うまくやったら音楽が演奏できるのではないか」と示唆し、ピーター・サムソンがそのハックをやってのけました。


このプログラムのソース(アセンブラで書かれている)は今でも残っています

その冒頭に日付(おそらく完成した日)が入っていて、1960年の5月28日なのです。


これが、冒頭に書いた「世界初の MML ドライバ完成の日」の根拠。


もちろん、数値として楽譜を入れるのでも、周波数として入れるのでもなく、MML が使われています。




MML で書かれた楽譜データもちゃんとあります。


今の MML とは少し表現が違います。

先頭から数行を見てみましょう。


BOURRE= b-o-u-r-r-e-acute, Hill.


p| 3600

220|

4e t8

4f t8

4g t4

4c t8

3b t8

4c t4


冒頭の部分はコメントです。BOURRE と言う曲名。


次の2行は、アセンブラに対する指令。

実は、この楽譜データはアセンブルしてから使用します。


4e t8 というのは、「4番目のオクターブの e の音を、8分音符の長さで」と言う指定。

音の名前だけでなく、オクターブも一緒に示すのですね。


#現代の MML では、オクターブが切り替わるところでのみ、オクターブの指定を行うのが普通です。


t8 は tempo 8 の意味でしょう。

ちなみに、d8 と言うような表記もあります。dot 8 …つまり付点8分音符の意味。


こんな表記もあります。


4g t8

4fs t8

4b t8


4fs は、オクターブ4 の f の音の「シャープ」です。半音上げる。

4gf のように、f を付けると「半音下げる」でした。4fs と 4gf は同じ音になります。


ちなみに、オクターブは 1 から 9 まで使えます。

ただし、オクターブ 9 で使えるのは c のみ。事実上は 8 まで、ということですね。



1行が1音符で、必ずオクターブを同時指定するなど若干の表記方法の違いもあるために現代の MML とは異なりますが、方言の範囲内ではないかな、と思います。


ちなみに、音階は必ずオクターブの数値から、音長は t か d から始まるため、1行の中に両方が書いてあれば、順番はどちらが先でも構いません。




僕は TX-0 のエミュレータを作っているので、是非今日までに音楽演奏プログラムが動くようにしたかった…のですが、残念ながら間に合いませんでした。


TX-0 の動作については多くの文献が残っていますが、音がどのように出ていたかは文献にないのです。


どうも、動作確認用のおまけだったので、この機能は説明されていない模様。


TX-0 で「遊んだ」ハッカーたちについてまとめられている書籍「ハッカーズ」の中には、「アキュムレータに持つ18ビット・ワードのうち、14番目のビットの状態にしたがって発声される」という記述があります。

でも、エミュレートを試みている現段階では、この記述は事実とは異なるみたい。


#僕がなにか勘違いしている可能性もありますが。




TX-0 の音楽演奏プログラムを作ったピーター・サムソンは、翌年には仲間と一緒に、PDP-1 を使って4声の和音も出せる音楽演奏プログラムを作っています。


このプログラムは Harmony Compiler と名付けられていました。


ただ、Harmony Compiler は、いわゆる「MML」の表記からは離れてしまっているのですよね。

音程は cdefgab ではなく、数字で示します。


#多分、「オクターブ指定」の概念を無くして、言語解析を単純にするため。

 これで単純になった分、演奏のための機能が非常に多彩になっている。



音楽演奏としては TX-0 よりも Harmony Compiler の方が有名です。

しかし、これが現代の MML 的でないとなると、TX-0 の MML は「後世に影響を与えていない」可能性が高いようにおもいます。


最初に「世界最初の MML」と書いたことについて「話盛っている」と書いたのはこのため。


TX-0 の MML を紹介した時点で「違いはあるけど方言の範囲内」と強弁したけど、たぶんこの違いは現代とつながっていないためです。

繋がってないのだから、歴史的に最初だとしても、現代の「始祖」ではない。



じゃぁ現代の始祖はどれか、っていうのは最初のMMLについて、調査した方のページがあったりしますが、諸説入り乱れているようです。




PDP-1 の演奏に関しては、ダニエル・スミスのページに当時の録音が MP3 で公開されています。


ダニエル・スミスは、Harmony Compiler を作った「仲間」の一人で、HAX の代表の1つであるマンチング・スクエアの作者でもあります。


Harmony Compiler はさらに後に、PDP-6 にも移植されたようで、その際の説明書が残されています。


後日、TX-0 以降、現代にいたるまでの MML の進化の歴史調査を行いました。

興味のある方は世界初のMMLもご覧ください。



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

【keim_at_si】 修正ありがとうございます! (2014-05-29 10:30:39)

あきよし】 大変失礼いたしました。古いURLを示しているページが多く、ページ閉鎖してしまったのかと勘違いしてしまいました。 本文から「配布終了している」の節を削除します。 (2014-05-29 05:57:56)

【keim_at_si】 配布終了してないですよー。開発は終了してますが。http://soundimpulse.sakura.ne.jp/tss-clipboard-player/ (2014-05-28 19:06:13)


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