2016年05月の日記です

目次

02日 シュークリームの革命
06日 黄金週間
10日 理科ハウス
12日 NORAD 設立日(1958)
12日 キーボード
16日 フェスタと祭り
16日 ブレッドボードと IchigoJam
19日 大川功 誕生日(1926)
22日 JAMSTEC 一般公開日
24日 ROM と RAM
31日 色数と VRAM 構造
31日 WEBセーフカラー


シュークリームの革命  2016-05-02 10:55:54  料理

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今日は珍しく平日に妻がお出かけで、子供も小学校へ行った。


コンビニで100円で買えるシュークリームを買ってきて、ひとりで食べる。

シュークリーム大好きです。


…で、ふと気になったので検索してみる。


シュークリームって、すっかり安いおやつの代表みたいになっている。

でも、昔はシュークリームって結構高価な「ケーキ」の一つだった。


その時代の転換点って、どこかに記録があるものかな。




探してみた限りでは、見つからない。

2000年以前のことって、インターネットでは急に探しにくくなるし、1995年以前になると絶望的だ。


年寄の昔話みたいになるけど、シュークリームの話を少し書いておこう。

もっとも、僕の記憶のみなので間違えているかもしれない。



ほんの30年とちょっと前の話だ。年がばれるが、僕が幼稚園児の頃はシュークリームはめったに食べられるものではなかった。


ケーキ屋さんに行けば売っているけど、他のケーキよりちょっと高め。

そもそも、物価的にケーキだって今より高価なもので、特別な日じゃないと食べられなかった。


それでも、年長の兄などの話では、ケーキはずいぶんと「おいしい食べ物」になったころだったらしい。

さらに 10年も前になると、生クリームでデコレーションされたケーキなんてなかったそうだ。


そのころは、生クリームは高級品だったし、何よりも冷蔵技術が進んでおらず、腐りやすかった。

そのため、ケーキと言えばバタークリームでデコレーションするのが普通。


バタークリームっていうのは、バターに砂糖を混ぜて、空気を含ませるようによく練ったものね。

今は珍しいから、逆に新しい感じになって時々バタークリームのケーキを出すお店も見かける。

でも、なにぶんバターなので脂っこくて、それほど美味しくなかったのだとか。



いきなり話が脱線気味だけど、シュークリームに戻ろう。

当時はシュークリームはケーキ屋さんでも高価だった半面、「家で作るなら」ケーキよりも気軽なものだった。


デコレーション技術がいらないからね。

カスタードクリームは結構簡単に作れるものだし、オーブンがあればシュー皮だって焼ける。

そして、この頃は家庭にオーブンが普及し始めた時期で、手作りパンやケーキを焼くのが「素敵な女性」としてのステータスだった。



僕自身はお菓子作りは好きだけど、シューは焼いたことが無い。


家でケーキを作るよりは簡単とはいえ、その過程がかなり面倒なことを知っているから。

そして、今はシュークリームは安いお菓子なので、その面倒をするよりも買ってきてしまう。




シュー皮の生地は、牛乳とバター、薄力粉と卵でできている。いたってシンプル。


パンやクッキーに比べて非常に柔らかい。水分が多いのだ。

だから、オーブンで焼くとまず表面が焼き固まり、中で水分が蒸発しても逃げ場がないので膨れる。


問題は、水蒸気で膨れているので、冷やすとしぼんでしまうことだ。


焼き上がった後、オーブンの中に入れたまま放置する。すると、形を保ったまま、まだ熱い庫内で乾燥していく。

さらに、徐々に温度が下がり、バターが液体から固体になる。


ここまで行けば、固くなるのでしぼむことは無くなる。



ここにシュークリームが高価だった理由がある。

焼いた後、オーブンを占有したまま冷めるまで待たないといけない。


普通のケーキなら、まだ残った熱を利用して次のケーキを焼けるので、大量生産に向いている。

しかし、シュークリームはオーブンの占有時間も長いし、大量生産に向かない。


ケーキ屋さんも、その日の仕込みの最後に作って、できた分を売り切ったら終わり、とかにした。

量も少ないので少し値段を高めに設定しないといけない。


専門店って、もともと大量生産するから安くできるんだ。

なのに大量生産がしにくい。さらに、デコレーションなどの難しい職人技を使わない。


だから、家で作るケーキとして、人気のあるものの一つだった。


#デコレーションいらずとはいえ、簡単に作れるので「スワンの形のシュークリーム」が定番だったように思う。




さて、これが「30年とちょっと前」の話と書いたけど、1985年に革命が起きる。

銀座コージーコーナーが、シュークリームの大量生産を可能とする技術を作ったんだ。


非常に巨大なオーブンを使って、その中をベルトコンベアでシュー生地を動かしながら焼き上げる。

オーブンの中は徐々に温度が変わるようになっていて、最終的には「余熱で冷ます」ような温度を通って外に出てくる。


先に書いたように、シュークリームはデコレーションなどの職人技がいらない。

完全に機械化することで、100円の「ジャンボシュークリーム」が誕生した。



高級なお菓子だったシュークリームが、100円という低価格で、しかも普通よりも大きめ。

これが大ヒットした。シュークリームを買うために、わざわざ長蛇の列に並ぶ人が続出した。


コージーコーナーは今でこそ日本全国に支店があるけど、そのころは首都圏にいくつかの店舗があるだけだった。

店舗が急激に増えたのは、シュークリームが大ヒットしてからだ。



大量生産できないと思われているものでも、工夫次第で大量生産すれば安くなる、というビジネスモデルが確立した。

ケーキを大量生産し、卸す工場ができたようで、街に「100円ケーキ」を売る店が急増した。


たしか、この頃のヒット商品番付だったか、流行語大賞だったかで「100円ケーキ」が入っていたように思う。


これ以前は、ケーキっていうのは特別な時にしか食べれないものだった。

でも、この頃普及し始めたコンビニエンスストアでもケーキが買えるようになり、気軽なおやつになっていった。




シュークリームが売れた、と言うだけではなくて、他社も真似して派生商品を開発し、流行語になり、人々の生活スタイルまで変えた。


銀座コージーコーナーの公式ページには、ジャンボシュークリームを「空前の大ヒット商品」と書いている。

まさにこの言葉は似つかわしい。


今回、この話を探していたら、Yahoo!知恵袋に「空前の」という表現は大げさではないか、という意図の質問があった。

もう10年も前の質問だけど。


当時の標準サイズより「ジャンボ」であることが人気だったのではないか、という的外れな意見がベストアンサーだった。

話が矮小化されすぎている。


この手のサイトに何も期待してないことは以前書いた通りなのだけど、他に正しい見解が見られないのは、このことを書き留めようとする、強い動機となった。



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

あきよし】 ヒロタのシュークリーム、ありましたね。CM覚えてます。
ただ、食べた記憶はない…関東でも売っていたようですが、関西の会社だったのですね。
ここに書いた内容は、僕の記憶のみなので不正確です。
ヒロタが先に量産技術は作っていたが、コージーコーナーが爆発的に売れるきっかけを作った…という感じでしょうか。
 (2016-05-06 17:45:02)

【隆三】 時期が抜けておりましたので補足します。当時とは80年頃です。失礼しました。 (2016-05-05 03:21:38)

【隆三】 シュークリームは生菓子なので、地域によっても差がありそうですね…私は41歳で関西在住ですが、シュークリームは庶民的な価格のものもありました。近所の生協内にヒロタのシュークリームの自動販売機があり、親によく買ってもらっていました。当時は直径5cm程度のシュークリームが4個入りで2百円ほどだったと思います。この記事を見て、ヒロタのウェブサイトを検索し、沿革を見てみましたが、私が生まれ育った地域で事業展開されてきたのが分かり、面白かったです。 (2016-05-05 03:16:51)

黄金週間  2016-05-06 16:54:49  家族

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いまどき、黄金週間って言わないよな。


まだゴールデンウィークは少し残っているのだけど、現状の家族日記。


今年の G.W. は、4月29日(金)から5月8日(日)まで。

うち、5月2日(月)と今日6日(金)が平日。


捉え方にもよるけど、官公庁的には明日からは「週末」であり、G.W. は昨日までとなっているみたい。

4/29~5/1 を前半、5/3~5/5 を後半と呼ぶ雰囲気になっていた。




で、後半は天気が崩れるという予報だった。


じゃぁ前半でどこか行きたいと思っていたのだけど、中途半端に拘束される。

5月1日は、僕が今年は町内会の班長になってしまったため、会議に出席しないといけなかった。


29日は子供たちの部屋掃除で終わる。

30日にどこか行くつもりだったけど、妻が庭の手入れをしたいというので取りやめ。子供たちと図書館へ。




1日は先に書いた通り、町内会の会議。班長レベルだと、ただ出席するだけで何もしないのだけどね。

その間に妻が庭の手入れを進めつつ、枯れ草などを燃やすために火を熾していた。


なんか焼くものある? と聞かれたけど、そんな準備してない。

鶏腿肉の冷凍が2枚、ウィンナーが6本、冷凍かぼちゃが200g、先日庭で取れたニンジンが1本、蕪が1つ…


いや、それなりの分量あるな。

これに焼きおにぎりがあれば夕飯に十分だろう、とご飯を3合ほど炊く。

子供たち、もう食べ盛りで1食で3合くらい無くなってしまう。



なんの予定もしていなかったけど、急に始まったバーベキュー。

焼き肉のたれとかもなかった。塩コショウと醤油、味噌で。


ニンジンと蕪が、焼いたら甘くて大好評。蕪はまだあったので1つ追加。

肉がすぐなくなったので、冷蔵庫にあったベーコンブロックの残りを5枚に切って追加。


焼きおにぎりまで平らげ「もっと食べたい」という子供たちに、連休中にもう一度、ちゃんと準備してバーベキューをやろうと約束。




後半。

後半崩れると言っていた天気予報は少し後ろにずれたようで、雨の予報は4日だった。

どこかに行くなら3日しかない。


2日は平日だったのだけど、妻は知人に会うために外出し、疲れたようだ。

相談したいのだけど、なかなか起きてこない。


長男も、2日に体育があって全力ダッシュを何度かやって足が筋肉痛だという。

じゃぁ、出かけるにしても疲れないところだな…


山登り行きたい、と子供たちから要望が出ていたので、大山でも行こうかとも思っていた。

でもそれは後日にしよう。他にもいきたい場所はいくつかある。


9時ごろ、寝坊したと言いつつ妻が起きてきた。

疲れていたから寝過ごしたわけだけど、疲れは取れたので出かけるのに問題はないという。



よし、くりはま花の国行ってみよう。

以前から行ってみたかった場所の一つ。花がたくさん植わっていて、子供の遊び場もあるらしい。

よくわかってないけど、植物園みたいなものだろう。




10時に家を出て、周辺に付いたのが11時ごろ。すでに駐車場は満車。

子供と妻で先に遊びに行ってもらう。


昼ぐらいになり、帰る人も出始めたタイミングでやっと駐車できる。

家族を追いかけようと、ダッシュで向かう…つもりだったが、入り口からすごい坂。

(第2駐車場…裏門側・久里浜港から見える側から入っています)



「山歩きは疲れるだろうから」とここを選んだのだけど、ものすごい山でした。


山地過ぎて利用価値が少ない広大な土地に作られた、多数の花が植えられた散策路。

それが「くりはま花の国」の正体だと言ってよいかと思います。


散策路なので、「道」が中心。ところどころに花の植わった広場がある、というイメージ。


手入れも、言っちゃ悪いけど結構適当。

花を植えて雑草を抜いているのだとは思うけど、広大な敷地の雑草を全部抜くなんて無理な話で、花壇の中にも結構雑草が生えています。


ただ、ここが植物園ならダメな感じなのだけど、入園無料の公園ですからね。

それで花など植えて手入れしているというのは、結構すごいこと。



そして、適度にいい加減な雰囲気なので、芝生の上にシート広げてお弁当、という家族連れも多数。

うちもそうします。急に来たので、朝お弁当を作る暇もなく、コンビニのおにぎりだけど。




「冒険ランド」という広場は、子供の遊び場になっています。

山の斜面を活かした、大きな砦のような構造物があり、そこに吊り橋やネット、ジャングルジムのような構造やターザンロープ、そして長いローラー滑り台が集約されている。


大人から見ても「面白そう」な遊び場。

もちろん、子供にはものすごく面白いようです。遊びに行ったきり、戻ってきません。


この近くには、ゴジラの滑り台もあります。

東宝協力の元、2000年公開の「ゴジラミレニアム」に合わせて作られたもの。


その昔、観音崎に「ゴジラの滑り台」なるものがあって、復活してほしいという署名運動があったものの、市がこれを拒否。

(観音崎は観光地でもあり、風景に似つかわしくないという正当な理由)


ただ、市としては「観音崎に」は拒否したものの、多くの署名が集まった事実を重く見て、ここに作った…とのことです。


#なぜ観音崎? と思ったのだけど、初代ゴジラの中で、ゴジラが出現した際の緊急放送で「観音崎沖」と言っているのだそうです。

 初代ゴジラの上陸地点は品川なのだけど、滑り台は「観音崎に上陸した」というイメージで作られたらしい。



園内をぐるっと全部見て回ったら、それでもう閉園時間近く。


一日楽しんだけど、結局駐車料金以外払ってません。




4日は、予報通り雨。

朝4時ごろに暴風雨の音で目覚めます。


予想以上の雨に天気図を見てみたら、978ヘクトパスカルの低気圧がいました。

発生地点などの関係で「台風」の定義にあてはまらない、あくまでも低気圧なのだろうけど、事実上台風みたいなもの。


10時ごろには過ぎ去って、台風一過のような晴天に。

午後には暑くなりました。


まだ風は強かったけど、子供たちは大喜びで外遊び。

雨が強くてどこにも行けない、と言うつもりだったからね。


長女が誕生日の前から理科ハウスに行きたいと言っているので、午後から行こうか、なんて思ってました。

でも、調べたら理科ハウスは G.W. 中は休み。



6日。

1日に約束した「バーベキュー」を決行。

準備にいろいろ買い込みましたし、実は燻製を作ってみようと思って、豚バラ肉を塩漬けにしてある。


30日に図書館に行ったときに、次女が「学研のひみつシリーズ読みたい」と言って10冊ほど借りてきていました。

その中に「ハム・ソーセージのひみつ」というのがあって、長女が内容に興味を持っていたので。


余談だけど、これ、ひみつシリーズではないですね。「漫画でよくわかるシリーズ」。

僕の子供のころからある、ひみつシリーズと同じ体裁で、いろいろな会社から依頼を受けて宣伝漫画を描いているやつです。

非売品で、図書館などに配られています。


上に書いた「ハム・ソーセージのひみつ」は、伊藤ハム提供。


それはさておき、バーベキューの傍らベーコンを作ります。

子供たちは興味津々。


一緒に作った燻製ちくわを食べさせたところ、長男には大好評。長女・次女には煙の臭いがダメらしいです。




バーベキューは昼過ぎからだらだらとはじめ、夕食までだらだらと続きました。

日が暮れて暗くなり、炭火が赤々と見えるのが長男的にはすごく贅沢な時間らしい。

気持ちはわかる。僕もこの時間帯は好きだから。


暗いのが怖い長女・次女が「電気つけて」と言っているのですが、長男は暗い方がいいと主張。

家の横でやってるから、室内の明かりを点ければ明るくなるのね。




あと週末まで G.W. な雰囲気なのだけど、今日のところまでは以上。

昨日のバーベキュー、昼間からやっていたので地味に体に負担がかかっていたようで、今日はなんだか疲れている感じ。



約束の理科ハウスは明日行く予定。



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理科ハウス  2016-05-10 17:09:33  コンピュータ 家族

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G.W. 締めくくりの週末、長女の希望で理科ハウスへ。


もうすっかり馴染んでしまっていて、スタッフの人に「ひさしぶりー」と迎え入れられる。


日記に書き記しはするのだけど、何があったわけでもないんだ。

理科ハウスはなんというか、非常に落ち着くところで、家にいるようにのんびりと過ごせる。



この日は2階に上がる階段の前に「小学校5年生以上向け」との注意書きがあった。

長女が2階行っちゃいけないの? と聞くので聞いたところ、顕微鏡をたくさん並べてあるから、わからない子にはつまらないというだけだった。


入っても良いと言われたのだけど、なんとなく2階にはあがらない。

(長女も次女も、あとで上がったのだけど)




長男は行く前から、今日は図書コーナーで読みたかった本を読む、と決めていた。

一応2週間貸出可能なのだけど、我が家はちょっと遠いので、2週間で行くというのがなかなかできない。


聞いてみたら、図書館と違って厳密な決まりがあるわけではないので、別に構わないと言ってくれた。

長男は以前から気になっていた、幾何学折り紙の本を借りる。




子供たちは、2年くらい前から家でアイスの棒を使ってスティックボムを楽しんでいる。

この日の1階にはスティックボムが置かれていた。


手芸屋さんで薄い木の板を買ってきて切っただけだという。

アイスの棒よりも組みやすい反面、アイスの棒よりも反発力がないため、組み方に制約があった。


しかし、組みやすいというのは気軽でいいな。

今度考えてみよう。




2階には子供の質問コーナーがある。


理科ハウスに来るたびに、これを眺めるのを楽しみにしている。


子供が疑問に思ったことを、なんでも書いて掲示できるコーナー。

申し訳ないがつまらない質問もある。「私も質問してみたい」という欲で書かれた質問は、どこかで聞いたような質問になるのでわかる。


でも、大抵は面白い。大人には気づかない視点で書かれた質問が多い。


質問に対して誰が答えてもいい。答えは質問の裏に掲示される。

何人答えてもいいし、答えが食い違っていることだってある。

回答者の個性が見えて面白い。


そういえば、ノーベル賞取った梶田さんが答えたものもある。

理科ハウス、人脈が広いのだ。



それはさておき、僕は「答えが付いてない質問」を見つけては、少しづつでも答えるようにしている。


この日は、スタッフの方から「ぜひこれに答えてください」と、質問の指定が。

回答者の間でも答えが食い違い、回答者同士で議論が始まってしまったのだという。



見てみると、ちょうど理科ハウスに行く前日に、長女から受けた質問と同じだった。

その場で「長女にはこう答えた」と、僕なりの答えを口頭で説明した。


文章は今度書きます。


#後でメールしても、プリントアウトして貼っておいてくれる。




2階にブレッドボードが置いてあった。


ブレッドボードって、電子工作試作用の基板ね。

電子ブロックははんだ付けなしに回路が組めるのだけど、子供向けにわかりやすくしてある。


それに対して、ブレッドボードはやはりはんだ付けなしで回路が組めるけど、大人の仕様に耐えうる実用品だ。


実は10年くらい前から欲しいと思って、手を出しかけてはやめている。


小学校くらいまでは電子工作少年だったのだ。

でも、市販キットを回路図通りにくみ上げるのどまりで、自分で設計するほどの能力がなかった。


そして、ソフトウェアを覚えてしまったのでハードウェアからは遠ざかった。

今でもハードができないことはコンプレックスで、初心者レベルでもいいから今から勉強しよう、と何度も思ってはやめている。



理科ハウスには、7セグ8桁…いわゆるデジタル数字が8桁出せる液晶パネルと、LED と抵抗が適当においてあった。

LED には定格電圧があることと、E=IR の式、抵抗値の読み方が書いた紙が置いてある。


これだけ。後は勝手に遊べばいいし、壊したってかまわないという。


液晶パネルは、配線を適当につなぐと適当に表示が付いたり消えたりする。

間に7セグドライバ IC を入れていないので、数字以外でも形が自由に作れる。


LED は、適当な抵抗を入れて直結すれば光る。

抵抗を入れないでも光る。ずっと光らせてたら壊れるかもしれないけど。


通電すると勝手に色が変わり続ける LED とかも置いてあって、次女には大うけ。



いいなぁ。

また電子工作欲が刺激されてしまった。下手の横好きでいいから今から始めようか。




…と、ここまでが理科ハウスに行った日の話。


帰ってきて翌日ツイッターを見たら、IchigoJam福野さんに自分のツイートをリツイートされていた。


ツイートは5月1日がBASIC の初稼働日だという、自分のページの宣伝。

IchigoJam も、福野さんという人も知っていたけど、別にフォロー関係はありませんでした。



実は、ブレッドボード欲しいと思ったときに、ブレッドボード版 IchigoJam を買う、という選択肢も思い浮かんでいた。

これはもう、IchigoJam 買えってことか。運命がそうささやいているのか。


そんなわけで、先ほど Amazon でポチりました。

結局、普通のプリント基板 IchigoJam + ブレッドボードにしたのだけど。



遊ぶ暇があるかどうかは不明ですが、子供と一緒に少しやってみるのは楽しそう。



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NORAD 設立日(1958)  2016-05-12 10:55:50  コンピュータ 今日は何の日

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今日は NORAD が設立された日(1958)


Whirlwind I (以下 WWI) という、コンピューター黎明期の機械があります(1948年作成開始)。


当時のコンピューターは1ビットづつ計算するのが普通だったのですが、WWI では 16ビットを同時に計算します。


当時のコンピューターのメモリは、速度は遅いが容量の大きい水銀遅延管か、速度は速いが容量の少ないウィリアムス管のどちらかでした。

しかし、WWI では「コアメモリ」という全く新しい、高速で容量が大きく、値段も安いメモリを使用します。


当時のコンピューターは、紙テープなどでプログラムし、動き出したら結果が出るまで待つのが普通でした。

しかし WWI にはキーボードとディスプレイが供えられ、ディスプレイを直接触れることで動作を指示することが可能でした。


とにかく、コンピューターの常識を作り変え、現代のコンピューターの基礎を作り上げた機械でした。


ただ、設計が予定より遅れたため、当初の作成目的を失ってしまいました。

作成開始早々に予算援助が打ち切られ、作成中止の危機に見舞われます。




そのころ、アメリカに続いてソ連が核兵器の開発に成功します。

実はアメリカの核開発陣にソ連のスパイがいて、研究データなどがソ連に伝わっていたためでした。


アメリカはこれに慌てふためきます。

もし、ソ連がジェット爆撃機に核を積んで、低空からアメリカ領土に侵入したらどうなるでしょう?


レーダー基地が機影を捉え、本部に伝達され、本部から最寄りの空軍基地にスクランブル発信が命じられ、迎撃に向かう…

これだけで10分以上かかるでしょう。ジェット爆撃機なら、その間に都市を一つ壊滅させています。


空軍はかつてない危機に戦慄します。この状況を救う手立てはないものか。多くの学者に研究を依頼します。



ここで、WWI の存在を知る学者が、WWI を使って「自動化」を行えば、スクランブル発信までの時間を劇的に短縮できるだろう、と進言します。


アメリカの海岸線に多数のレーダー基地を多数作り、それらの情報を WWI に集約します。

異常を感知すればすぐにオペレーターに警告し、同時に最寄りの空軍基地に発進への準備を通知します。


実際にオペレーターが危機を確認すれば、すぐにスクランブル発進が可能となっています。



このシステムは、SAGE と名付けられます。

半自動式防空管制組織 (Semi-Automatic Ground Environment) の頭文字を取った名称です。


アメリカを守るためには、よりソ連に近いカナダも包括的に防御する必要がある、と考えられました。

そのため、SAGE はアメリカ空軍の組織ではなく、カナダと共同で運用される独立組織である必要がありました。


そこで設立されたのが、北米航空防衛司令部 (NORth american Air Defense command) 、通称 NORAD です。


その後、宇宙からの攻撃の可能性も出たため、組織名の air (航空)の部分は aerospace (航空宇宙)に変更となっていますが、組織自体は存続しています。




ところで、WWI をベースとして TX-0 という機械が作られています。

当時はコンピューターの使用には「1分いくら」という高額料金が課せられる時代でしたが、TX-0 は試作機だったこともあり、学生に無料開放されます。


様々なゲームが作られるのですが、そのうち一つに Tic-Tac-Toe があります。いわゆるマルバツ。


そして、このゲームは単に「テレビゲーム」なのではなく、人工知能研究黎明期の成果の一つです。

こんな単純なゲームであっても、コンピューターが人間と同じように考え、ゲームの相手をできるということが驚きだった時代です。



WWI という機械があり、その機械をベースとした SAGE を NORAD が使用しています。

同じく WWI をベースとした TX-0 は人工知能研究に使われ、マルバツゲームが動いていました。


そして、NORAD は核戦争を未然に防ぐための防衛組織です。


核戦争と、マルバツと、人工知能。

ここに三題話が生まれます。「マルバツに勝者がいないように、核戦争にも勝者はいない」と悟る人工知能!


1983 年公開の映画「WAR GAME」の舞台は NORAD です。

これを見た当時は「そのオチはないだろう」と苦笑いしたのですが、今なら事実に基づいたストーリーだとわかります。




WWI を作ったのは MIT なのですが、SAGE のために大量生産したのは IBM です。


当時の IBM は、コンピューターの作成を始めたばかり。

UNIVAC I を作った UNIVAC 社の方が有名で、大手でした。


しかし、当時としては最先端の技術を多数盛り込んだ WWI の量産を請け負います。

これにより最先端のコンピューター技術を得るとともに、莫大な利益を上げます。



この頃から IBM はコンピューター大手になっていきます。




NORAD といえば、毎年サンタクロースの追跡を行っていることで有名です。


NORAD の設立前、アメリカ空軍に Continental Air Defense Command (中央防衛航空軍基地)、通称 CONAD という組織がありました。


1955年12月24日。CONAD の司令部に間違い電話がかかってきます。

サンタクロースとお話がしたい、という子供からでした。


電話を受けた司令官は、ここは空軍の基地でサンタはいないと子供に伝えましたが、子供の夢を壊さないようにこう付け加えました。


「空軍のレーダーはアメリカ上空を飛ぶものをすべて捉えている。

 サンタクロースのソリは、現在○○にいるよ」と。



その後も続々と間違い電話がかかってきます。どうやら間違いではなく、明らかに CONAD 充てに電話をかけてきているようです。

調べると、老舗スーパーマーケットチェーンのシアーズの新聞広告に「サンタクロースと話ができる」電話番号が掲載されており、ミスプリントで CONAD の司令部の電話番号になっていることがわかりました。


司令官は、子供の夢を壊さないように、サンタクロースの現在位置を教え続けるように部下に命じます。


このときは、誤植による1回きりの「イベント」でした。


しかし翌年、AP通信社とUPI通信社が、CONAD が今年もサンタクロースを追跡するのを待っている、と伝えてきたのです。


彼はこの要望に応え、CONAD 公式の「サンタクロースの追跡報告」を発表しました。


1958年、CONAD を母体として NORAD が生まれます。

サンタクロースの追跡任務も NORAD に引き継がれました。



…個人的な意見としては、最近はちょっとやりすぎかな、と思います。

翌日になって新聞とかに公式発表として「サンタクロースは全米中を飛び回って、何件の家にプレゼントを配っていった」とか載せるのは夢があるけど、Google Map 上で現在地を表示し続けたりするからね。


気の利いた洒落っていうのは、控えめだから楽しいのであって、調子に乗りすぎるとすべてをぶち壊してしまう。


まぁ、上に書いたように「ぶち壊し」な悪乗りだけでなく、電話スタッフが「サンタさん」として子供たちと通話したりもするそう。

スタッフは主に NORAD 勤務の軍人なのだけど、みんなボランティアで任務外の仕事。


軍人が、こういう平和な活動をできる世の中が続くといいと思います。


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キーボード  2016-05-12 14:30:40  コンピュータ 歯車

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キーボード

3年ほど前に購入したPC用のキーボードが調子悪い。


…って書き出しは、3年前にやったのだな。

あの時は、その2年前に購入したPC付属のキーボードが壊れたのだった。


壊れたというか、入力時にキーが引っかかる感じになるのね。

接触不良とかの電気的なトラブルではなくて、キーを支える軸がぐらつき始めて正しく入力できない感じ。


今回も同じ。

PC付属キーボードは、安PCについてくるものだからかなり安物なのだろう、仕方がないと思った。

でも、今回は別売りキーボードを買ったのにたった3年で壊れたのだ。


もっとも、安いからそのキーボードを選んだわけで、安物であることは認めるのだけど。

たしか、1200円程度だったのではなかったかな。


よく使うキーの印刷も剥げ、つるつるになっていた。




キーボードにこだわりはないが、普通の 109jp キーボードであっては欲しい。


子供のころから JIS 配列なので、US 配列はあまり好きではない。

仕事で仕方なく使っていた時期もあるので、絶対ダメなわけでもないのだけど。


有線キーボードがいい。

置きっぱなしで使うから無線である必要はないし、無線だと高いし、電池交換が必要になるから。


今使っているPCに付属してきた(早々に壊れた)キーボードは、Insert/Delete/Home/End/PageUp/PageDown の6キーの配列が変則的だった。

僕はそこら辺のキーは結構使うので、できれば通常の並びがいい。

カーソルキーも、その下に普通に並んでいてほしい。


まぁ、つまりは「普通のキーボードがいい」と言うだけだ。

何も難しいことではないはず。


…なのだけど、今の世の中これが案外難しい。

先に書いた6キーって、使わない人多いから小さくまとめて別の場所に配置されたりする。

カーソルキーだって使われないから変則的な並びにされたりする。


「ごく普通」を望んでいるだけなのに、案外ゲーミングキーボードとかが悪くなかったりする。

ゲームに使うときって、一瞬の判断を必要とするから、キーが普通に押しやすい配置でないといけないんだよね。


でも、ゲーミングキーボードは高いからパス。

しっかりした会社のいいキーボードを買えばいいとわかっていても、1万円越えはパス。


キーボード会社だって、差別化を図って高い商品を売りたい。

そんな当たり前の理由で、無線キーボードには結構いいものがあるのに、有線キーボードには商品が少ない。


そうして、どんどん選択肢が狭くなっていく。




いっその事今まで使っていたキーボードと同じものを買おうか、とも思った。

ロングセラー商品でまだ売っている。1000円程度だから、3年使えればそれでいいと思う。


でも、せっかくだから違うのを選んでみたい。

ということで、Microsoft の Wired 600 キーボードを購入。¥990.-


この型番、「マイクロソフトの一番安い有線キーボード」という意味合いの型番で、同じ型番のまま時々モデルチェンジするらしい。

今回購入したのは Windows8 対応版。Win10 にも対応している、と上からシール張ってあったけど。


何が Win8 対応なのかと言うと、まずは Windows キーのアイコンが Win7 までの「ぐにゃりとした」ものではなく、直線的。


Win8 から出てきた「共有」のためのキーが印字されている。

印字されているだけで、Fn + F6 キーなのだけど。

他に Fn + F5~F8 でいろんな機能を呼び出せる。


そう、109 のフルキーボードなのに、さらに Fn があるわけだ。

でも、この Fn キーは、F5~F8 以外には使わないようだ。


せっかくだからもっといろいろ使えればいいのに。

まぁ、普通は使わない右 Win キーを Fn に割り当ててあるので、邪魔にはならない。


あと、キーボードに音量調節ボタンがある。音量アップ・音量ダウンと、ミュート。

そして「再生・一時停止」のキー。


もう一つ「電卓」のキーもある。




電卓キーを押すと、Windows 付属アプリの電卓が起動する。

…まぁ、便利と言えば便利かな。


驚いたのは、109jp に存在しない特殊なキーなのに、デバイスドライバなしで動作したこと。

マイクロソフト製なので、単に Windows の中にあらかじめ組み込まれている、と言うだけの話だけど。


同じように、音量調節も、Fn + F5~F8 も、何もせずにそのまま動作する。


でも、再生・一時停止キーは何も動かない。

このキーは、Windows は認識しているが、Windows 純正の音楽アプリ・映画アプリなどが起動していないと動作しない。


僕は普段 Windows で音楽を聞かないので、このままでは無意味なキーだ。



キーの割り当て変更には、マイクロソフトのページで設定ソフトをダウンロードする。


電卓キーと再生・一時停止キーには、好きなアプリの起動を割り当てられる。

または、キーボードマクロ(一連のキーを順次押す処理。マウスボタンや時間間隔も設定できる)を割り当てられる。

または…用意された、非常にたくさんの処理を割り当てられる。


用意された処理は、もちろん音楽アプリでの再生・一時停止もあるけど、次のトラックへ、なんてのもあるし、ブラウザの戻るボタン、なんてのもある。


指定された URL を開く、というのがあったので、Google Calendar を指定してみる。

結構よく使うのだけど、今までは Chrome で新規タブ開いてから、Bookmark を選んで呼び出してた。


うん。確かに1発で開く。ちゃんと Chrome を使ってくれる。

上手く使えばなかなか便利なキーかもしれない。



しかし、せっかく設定ソフトがあるのに、設定できるキーは2つだけ、というのが少しもったいない。

先に書いたけど、Fn キーあるのだから Fn + なんとか、でいろいろ設定出来たら楽しかったろうに。




設定ソフトには、他にもささやかな機能が付いている。


Caps Lock を無効化できる。

時々、間違えて打ち込んでしまって大文字になることあるよね。それを禁止できる。

でも、僕は故意に大文字を使いたいときもある。禁止はしないでおこう。


Win キーも無効化できるし、アプリケーションキー(Menu キーとも呼ばれる)も無効化できる。

Win もアプリもマイクロソフトが「増設」したキーで、今では多くのキーボードについているのだけど、邪魔だと思う人もいると、ちゃんとわかっているらしい。


とはいえ、無効化して別の用途に、とはなっていない。

じゃぁ、無効化するのもなんかもったいないから活かしておこう。




MS 600 キーボード、キーの角度が段によって少しづつ変えられていて、手になじむ。悪くない。


キーを押した感触も悪くない。

まぁ、もちろん高級品ではないよ。安物として悪くない、という感じ。


#個人的には、高価なのに安っぽい Apple のキーボードよりも高評価。


ただ、明らかにダメな点が一つ。


F1~F12 、およびその列に並ぶ ESC / PrnScr / ScrLk / Pause キーの押し心地が非常に悪いのだ。

キー自体が小さめで、押した感触も固めになっている。


ということは、ここら辺のキーは「特別なもので、普通は触らない」ことを前提にしたキーボードなのだろう。

事実として、初心者はここら辺のキーは使わないと思うし、うかつに触って知らない動作が起きると混乱すると思う。



でも、僕はこれらのキーをよく使う。

文字入力中もカナにするのに F7 を押したりするし、Vim や Emacs を使うこともあるので ESC を酷使する。


固くて押しにくい、という評価を知ったうえで、それでも他に良い選択肢がなくてこのキーボードを選んだ。

十分吟味した結果なので他に選択肢はなかった、とあきらめているのだけど、もっと「ごく普通のキーボード」が市場に存在するといいと思う。


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フェスタと祭り  2016-05-16 10:46:51  家族

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なんか文学的なタイトルになっているけど、単純に週末の家族日記です。

本郷台駅前の「あーすフェスタ」と、大船駅前の「大船祭り」に行ってきたの。




本郷台駅前にある「あーすぷらざ」は、異文化交流をテーマとした施設。

子供博物館に類するものなのだけど、施設自体にはホールなども併設されていて、全年齢が使える施設。


ここで行われる「あーすフェスタ」には、在日のいろいろな国の人が、自分の国からの輸入品を売ったり、民族料理を食べさせてくれたりします。


始まったのはかなり昔で、かなり小規模にやっていたころから知っている。

と言っても連続して行っていたわけでもない。保育園の予定とかぶることも多くて、常に参加はできないから。


でも、今年はもう保育園児がいなくなったので、14日の土曜日に、喜んで見に行った。




まずは各国料理に舌鼓。


長女の中の良い友達がハーフで、お父さんがイラン人だという。

じゃぁ、イラン料理ないかな、って探してみたけど、残念ながらなかった。


ちゃんと数えてないから雑な印象なのだけど、多いのはケバブ屋。

ドイツソーセージの店も多い。つまりは、肉々しい料理は人気がある。


子供に人気なのが、綿菓子とかドーナツとか。分類するならアメリカ料理なのだけど、子供って結構保守的だから、「普段から食べなれている料理」を好むのだろうな。


でも、我が家の子供たちは、変わった料理を食べたがる。これは親の影響。



食べたのは、ケバブのピタサンドと、インドネシアのシチュー料理(ご飯添え)、セネガルのシチュー料理(フランスパンに挟んだもの)、ベトナムのラーメン(という名前で売っていたが、フォーだろう)など。


あとでまた食べるのだけど、館内も見たいというのでいったんこれで終了。


あーすぷらざ中庭の池で、各国の踊りや音楽を演奏していて、それを見ながら食事していた。

子供たちの「まだ食べたりない」という要望で追加を買いに行ったときに、小学校以来の(今でも一緒に仕事している)友人にばったりと出会う。




実は、次女が保育園の卒業遠足であーすぷらざに来ていた。

日程の都合で物足りなかったから、また家族で遊びに行きたい、と言っていた。


ここで約束を果たした形。

あーすぷらざの5階には子供向けの展示がいくつかあり、見て回る。


ファンタジー展示室は子供向けに人気なのだけど、いつ来ても内容が変わらないので、僕としてはもう飽きた(笑)

長男の時から見ているからね。


ここでも、高校・大学時代の後輩にばったりと出会う。

今日が祭りだとは知らずに、子供を遊ばせに来て驚いたそうだ。


ファンタジー展示室の一番人気は、「きょじんの国」だろう。エアトランポリン。

…昔を知らない人にはなぜトランポリンが「きょじんの国」なのか不明だ。


昔は、空気で膨らませた構造物があって「口」から入り、胃の中がトランポリンになっていた。

他にも骨の滑り台とかあって、腸を通って外に出る。


でも、老朽化で穴が開いたそうで、作り直すと大金がかかる。ただのエアトランポリンになった。

今でも、片隅に不思議な形の(骨の)滑り台が置いてあるのが名残。




国際平和展示室、という戦争をテーマとした部屋もある。

これはこれでいつか子供に教えたい内容なのだけど、次女にはまだ難しいのと、この日はお祭りメインで時間がないので見ない。


国際理解展示室へ。

こちらは世界中の文化や人々の暮らしがわかる展示施設。


民族楽器を叩いたり、民族衣装を着て写真を撮ったりして楽しめる。

各民族で人気の「ゲーム」なんかも置いてあって、楽しめる。



長男、マンカラに興味がある。

というのも、ここに入る前に中庭の物品販売屋台で、マンカラを売っている店があったから。


マンカラというのは、最古のゲームとされるゲームの一つね。

もっと古いゲームもあるのだけど、ゲーム盤は出土してもルールなどが不明の場合が多い。

というか、おそらくゲームなのだけど、ゲーム盤だと確定させることもできない。


ところが、マンカラは今でも遊ばれているので、ゲーム盤が出土すれば「マンカラがこの時代にも遊ばれていた」とすぐに確定できる。

そういう意味で、最古のゲームとされやすい。


ところで、それだけ古いゲームなので、名前もルールも地域によって多様化されている。

ローカルルールはあってもほぼ同じ内容なので、総称として「マンカラ」と呼ぶだけ。



店頭で店番のお兄さんが相手をしてくれて、ルールを理解した。中でも遊べるところがあるよ、と聞いてここに来たのだ。

しかし、中に書かれていたルールは「あーすぷらざ公式ルール」で、初心者にもわかりやすい代わりに戦略性が低かった。


外で遊んだルールのほうが面白い、と長男。

ルールを読んで、ゲームの戦略性の違いを理解できるのは大したものだ。


#Wikipedia の「マンカラ」項目で、「カラハ」として紹介されているルールを最初に覚えた。

 あーすぷらざ公式ルールは、概要に示されたルールに準じ(カラハの追加部分なし)、石を先に失くせば勝ち、というものだった。




4時に終了、とのことだったので、その少し前に外に出て、「おやつ」と称してまだ食べる。


長男が「沖縄そば」に興味を持っていたので、沖縄そばの店に行く。

もう最後だから、大盛にしてあげるよ! と言われ喜んでいたら、大盛でも入りきらなかったと2杯になった。


長男が1杯を食べ、もう一杯を残り4人で分ける。


長女と次女は、「揚げナン」と、綿菓子を食べたがっていた。揚げナンはすぐに買えた。

しかし、綿菓子長蛇の列。昼もあまりに並んでいるのであきらめたのだけど、並ぶ気はないのでパス。


沖縄そばの店の隣が、ケバブ屋だった。先に食べたのとは別の店。

綿菓子買えなかったから、もう一度ケバブ食べたいと言われて購入。


こちらの店も、もう最後だからと大盛にしてくれた。



長女と次女は、「飴細工」のお店の飴が気になって仕方がない。

一番小さい 300円のにしとけば? と言ったのだけど、400円のイルカが欲しくて、最後に購入。


#長女は水色、次女はピンク色のイルカ。


せっかくなので、Youtube で飴細工を作っているところの動画などを見つけ、家で食べているときに見せてみた。

本来職人芸にお金を払うようなものなので、400円というのは安いのだと思うけど、作っているところは見せてなかったんだよね。


#仮設の出店になってしまうので、衛生の問題もあってあらかじめ作った飴しか売れなかったのだと思う。

 飴細工屋さんは、飲食店スペースではなく、マンカラなどと同じ物品販売スペースで売っていた。





さて、翌日15日の話。


あーすフェスタは2日間開催なのでこの日もやっているのだけど、大船祭りはこの日しかない。

保育園の「今年の」年長さんが参加するので、踊りを見に行く。


向かう最中に、保育園でも小学校でも長女と同級の子に会う。

「一緒に行きたい」というのでゆっくり歩くのだけど、急がないと年長さんの踊りが始まってしまう。


急かしてヨーカドー前に付くと、ちょうど始めるところだった。


保育園では年齢を超えた縦割り保育を行っていたので、1つ下の代には仲の良かった子もいる。

しかし、毎年ここで踊るときにはキレのいい動きを見せる子が多いのに、今年は精彩を欠く。


…とおもったら、後で聞いたところでは、今年は日程の都合で昨日に遠足に行ったらしい。

子供たち、みんな疲れていたのね。子供だって結構大変。




仲の良かった保育園の先生と会い、一緒に祭りを歩きたい、という次女。

先生は先生で予定がある。それはちょっと無理だ。


でも、途中まで一緒に歩いてくれた。

フリーマーケット会場の前で、先生とお別れしようと言ったら泣きそうになる。


でも、そこがフリーマーケットで、去年ぬいぐるみを入手したところだと気づくと、「早く行こう! 先生バイバーイ」と急に気持ちが切り替わる。



でも、フリーマーケットだから、今年もぬいぐるみがあるわけじゃない。

次女にはあまり面白いものはなかったらしい。物欲のない長男は、面白そうな本を見つけて100円で購入。


で、実はフリーマーケットで一番買い物したのは僕。

古いゲームを置いてある店があった。


いつもなら気にしないのだけど、最近長男も長女もゲームが遊べるようになってきて興味を持っている。

じゃぁ、子供と一緒に楽しめる名作とかないかな…と思ったら、結構悪くないものがある。


ファミコン・ゲームボーイは1本 50円だというけど、いいのがなかったのでパス。

スーファミは一本100円だけど、僕はスーファミ持ってない。


プレステは300円だそうだ。


電車で Go! のことは、以前に子供に話したことがあったので、遊ばせてもいいだろう。

ギャラクシアン3があった。ギャラクシアンは先日 GAME ON 展で見て面白がっていたので、それがリメイクされて全然違うゲームになったのを見せるのも面白いかもしれない。

出たなツインビーヤッホー DELUX PACK 。つい先日、Scratch で他人が作った、明らかに雷電風の縦シューに熱中していた。ちょっと見せてみるか。


…と、3本持って迷っていたら、店番のおばちゃんが「3本で500円でいいわよ」と言ってくれた。

1本 300円なのに、3本なら 500円というでたらめな値段設定。

「子供に頼まれて売っているだけだから、値段はどうでもいい」とのこと。


ゲームの攻略本も置かれていて、長男が興味を持ってドラクエ8の本を読んでいた。

そうしたら「それ、ただであげるわ」と。ゲーム3本も買ってくれたから持ってって、と言ってくれた。


最初は「でもこのゲーム持ってないもん」と言った長男。

最近自分で RPG 作ろうと頑張っているので、参考になるかもよ、と言ったら心変わりしてもらってきた。


おばちゃんが、長女にもどうぞ、とトルネコの大冒険3の攻略本もつけてくれた。


500円でゲーム3本に攻略本2冊。フリーマーケットらしい、いい買い物をした。




「おなかすいた」と子供たちが言うので、毎年恒例の鎌倉ハムへ。

こういう鎌倉のお祭りには、大抵鎌倉ハムが出てきて、ハムの大皿盛り合わせを 500円で売っている。


商品にはできない端の部分とかを大量に真空パックにして冷凍保存しているみたいなのね。

形が悪いだけで十分美味しい。それを、こういう場所で破格値で販売している。


年々人気が高まって、長蛇の列。

妻が並んでくれることになって、子供たちと別のものを買いに行く。


先ほど分かれた保育園の先生が、「これから友達と焼き鳥食べに行く予定」と言っていた。

それで、うちの子供も焼き鳥食べたいと言っている。


先生は、たぶん飲みに行くのであって、このお祭りで食べるのではないと思う。

焼き鳥屋なんて出てないし。


大船の鶏肉料理専門店「ハマケイ」に行ってみる。焼き鳥10本パック900円、で売っていた。

普段は700円なので、お祭り価格。(それでも1本90円というのは安いのだけど)


これを見た長男、いっぱい食べたいから、さっき屋台が出ていた鶏皮焼きにしようという。

長女・次女も同意したのでそうする。


鶏皮焼きの屋台は、鎌倉ハムのすぐそば。

「がっつり肉を食べたい」という人にとっては鎌倉ハムの求心力はすごくて、鶏皮焼きは全然お客さんがいない。


お客さんがいないから、どの程度の量が入るのかもわからない。

「どのくらいの量?」と聞いたら、大盛にしますよ! と威勢の良い声。

良し、じゃぁその言葉を信じよう! とお金を出したら。本当にパックのふたが閉まらないほど入れてくれた。



道端の適当なスペースに陣取って食べ始める。

妻の方もすぐにやってきた。持参したビールを飲みながら肉を食う。

(書き忘れたが、あーすフェスタでもビールは持参した)


全部食っても昼ごはんには少し足りない、というので、フライドポテトと鶏皮餃子を追加。

子供たちが鶏皮焼きをすごく気に入ったので、鶏皮餃子も買ってきてみたのだけど、「シンプルな良さ」というものを再認識。


#まずかったわけではない。シンプルな鶏皮焼きがうますぎたのだ。




この後、普段の買い物をした後で、あらかじめ約束していたリンゴ飴を食べて終了。


例年、東北震災復興支援で物産品などを売っている店があるのだけど、見かけなかった。

今年は熊本の支援も行う、と聞いているので、いつもとは違うスペースに移動したのかもしれない。



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ブレッドボードと IchigoJam  2016-05-16 11:36:11  コンピュータ 家族

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先日理科ハウスに行ったときに、ブレッドボードが置いてあって欲しくなった。

IchigoJam と一緒に購入したよー、と日記に書いたのだけど、その後、金曜日には届いた。



先に書いた通り、週末は近所の祭りが多くて忙しかった。

でも、届いたのだからとりあえず遊んでみたい。暇を見ながら遊ぶ。


まずはブレッドボード。

LED 2つを交互に点滅させる、というサンプル回路を作れる部品付きのキットを買ってみた。


土曜日、祭りに出かける前に少し時間に余裕があったのでやってみる。

一応、キットについている回路説明としては、LED をただ点灯させるだけ、トランジスタをスイッチとして点灯、そして交互点滅、と、回路を理解しながら進めるようになっている。


でも、トランジスタの働き自体は理解しているので、いきなり交互点滅回路を作る。


…少しして出来上がった。


最初は、配線を1つ隣の穴に差し込んでしまっていて、うまく動かなかった。

回路を見直してミスを発見し、修正する。簡単なものでもデバッグって必要だ。


チカチカした。


せっかくなので、以前から「壊れたけど捨てられずにいる」子供のおもちゃの基板から、LED を外しまくる。


3V で駆動する回路だけど、子供おもちゃの多くはボタン電池3個、4.5V で駆動されていた。

だから、LED を入れ替えてもかなり暗くしか点灯しない。


でも、壊しても惜しくない部品が多ければ子供にいじらせることもできるだろう。




ある程度できたところで、「なにやってんの?」と長男が興味を持って覗きに来た。

なんかチカチカ動いているのを見て、自分でも作ってみたいという。


いきなり回路を作るのは無理だろうけど、LED を入れ替えて遊んだりしていた。


このときは、祭りに行く予定があったので時間切れ。

夜、祭りから帰ってからまた遊んでいた。トランジスタをスイッチとする回路を組んでいたのだけど、トランジスタを理解していないので、ただLEDが点灯するのとどう違うのかわかっていない。


交互点灯回路も含め、何が起きているのかを順を追って解説したら、理解はした。

でも難しくて自分では作れなさそう、という感想。


それでもいいし、僕だって交互点滅回路を自分では組めない。理解はできるけど。

「読めるけど書けない」ってことだな。




翌日、今度は祭りが終わってから、夕食までの間に2時間ほど時間があったので、IchigoJam を組んでみることにした。


はんだ付けは、小学生の頃には何度かやったし、中学では技術の授業で電子工作を作る必要があった。

(今では必修ではないようだけど、僕の中学の頃には必修だった)


大学以降も数年に一度、ちょっとくらいはやっている。

でも、基本的には素人だと思ってもらっていい。



IchigoJam の組み立て説明書は、とてつもなく不親切だ。

組み立て説明書なのに、組み立て方なんて一切書いてない。


でも、完成した基盤の写真があって、部品の絵があって、そこに基板に書かれたのと同じ R1 とか IC1 という説明がある。

これだけで、その部品を、基盤のその文字の位置につけるのだな、とわかる。


取り付け方向がある部品については「左右方向に」とか「足が長い方を内側に」と書いてある。

基板のどっちが左右でどっちが上下かなんて規定してないのに、急に左右と言われても…


まぁ、常識的に考えて、基盤の文字を読めるようにおいて「上下左右」だろうと考えて組み立てる。


全体に、不親切ではあるが、ちょっと考えれば何を求められているかはわかる程度に説明されている。

説明書だと考えると不親切でも、これ自体がパズルだと思えば、ヒントが多すぎて簡単すぎるパズルだ。




ところどころ、部品が微妙に曲がったのを修正するのに苦労したりしながらも、50分ほどで組み上がる。

どうも、素人でも 50分、というのは標準的な時間のようだ。



さて、動かしてみよう。

PS/2 キーボードは家にあるものを使った。USB 電源もある。


サーバー用に使っている小さなディスプレイを持ってきて、ビデオケーブルを接続…と思ったら、ケーブルがない。

家のどこかにあったな、と探し出してくる。


さて、電源 ON 。…画面が出ない。でも、キーボードのランプが一瞬付くから、通電はしている。


あれぇ、どこか配線ミスしたり、熱しすぎて壊したりしたか? と不安になりながらチェック。

熱で壊したのは目で見てもわからないけど、半田ミスはなさそうだ。


テスターを、本当に数年ぶりに出してくる。

…テスターが動かない。電池がないのかな、と入れ替えても動かない。使ってないうちに壊れたか。


うーん、お手上げ…と思ったけど、そもそも使っている小さなディスプレイは、VGA 以外でつないだことが無い。

ビデオケーブルでも繋げることになっているのだけど、これが怪しいのかもしれない。


居間にある大きなテレビにつないだら、普通に動いていた。

なんだ、ちゃんとできてるじゃん。




居間のテレビで動かしたので、子供がすぐに興味を持ってやってくる。

いや、はんだ付けの段階から、臭いで寄ってきてたのだけど、「できたの?」と様子を見に来た。


パソコンだと聞いていたけど、黒い画面に白い字が出ているだけ。

すぐに興味を失って、また別の遊びを始める。


えーと、チェックもかねて簡単なゲームでも作ってみるか。

8ビット BASIC 定番の初心者向けゲーム、「下向きに走るレースゲーム」でも作ってみよう。


XXXX と並んだ X が壁で、壁にぶつからないようにしながら V を操作するゲームにした。



IchigoJam には、BASIC の命令一覧表が付いてくる。


これが、小さな紙にびっしりと細かな文字で印刷されたもので、とても読めない。

一応同じものが公式 WEB ページにもあるので、本気で使うときにはそちらを印刷しておくといいのだろう。


でも、とりあえずこのときは「びっしり」の文字で読んで作り始める。

使い方がわからない命令もあったけど、BASIC なのでダイレクトコマンド入力したりして動作を確かめながら作る。


30分もしないでゲームができた。

「下向きレースゲーム」と書いたのは、BASIC では画面最下段に文字を表示すると、全体に上にスクロールするからだ。


でも、IchigoJam には SCROLL 命令というのがあって、自由方向にスクロールできた。

これを使い、普通に上向きに進むようにした。


また、絵文字の出し方がわかったので、自機を飛行機にして、壁も●にした。



ここら辺までできたところで、また子供が様子を見にきて、「あ、なんかゲーム遊んでる」と言い出した。

このパソコンは文字が出るだけだと思ったけどゲームが遊べるのか、というので、今作ったのだと説明。




長男もゲームを作ってみたいと言い出し、まずは僕が作ったゲームの改造から始めてみる。


僕が作ったゲームは、サンプルで作っただけで面白くもなんともない。

ゲームスピードを変えてみたり、キャラクタを変えてみたりして楽しむ。


で、おもむろに「自分で1から作ってみたい」というので、NEW する。


IchigoJam 、セーブできないと思っていたからプログラムの画面写真撮ってから NEW したのだけど、4つまではセーブできるのね。

まぁ、知らなかったことだし、できの悪いゲームなので惜しくないのだけど。



普段 Scratch を使っている長男、キーボードは不慣れながら、何か作り始める。


IF が条件判断だ、というのは僕のプログラムを見て理解したようだ。

キーボードの上下左右で、* が自由に動くというだけのプログラムを作り始める。


最初は * が壁のように伸びてしまい、動いているようには見えない。

スペースを上書きして消すようにした。


ここで長男が思いつき、あえて通った後を消さず、・(本来はピリオドだけど、読みにくいのこの表記で書く)を残すようにした。


適当に動かしながら、・が並んだ画面を見て「パックマン作れるじゃん」と。



ランダムに画面上に・を散りばめ、 * を動かすだけのものを作った。* の後はスペースで消す。

これだけで、・の上を通ると消える。特に「食べた」という判定はしてないのだけど、パックマンのようにも見える。


「食べたかどうか判定できないの?」と聞いてきたから、できるよ、とあっさり答える。


さっき僕が作ったゲームでは、壁にぶつかったか調べてたじゃん。

同じようにすればできるよ、と、その方法を教える。



ついでにキャラクターも変え、絵文字を使って、猫がおにぎりを食べるゲームになった。

おにぎりを食べると1点。全部食べると「CLEAR」と表示される。


ちなみに、画面端の処理をしていないので、画面外に出るとおかしくなる。

ランダムにおにぎりを散らす処理も適当なので、同じ場所に書かれるとクリア不能になる。




Scratch で慣れていると、初めて見た BASIC でも簡単なゲームの1つくらい作れる、ということがわかった。

ただ、長男の感想では、BASIC は Scratch に比べるとゲームが作りにくい環境、のようだ。


まぁ、時代の流れもあるし、IchigoJam はわざと貧弱な環境にしている感じなので、その通りだろう。

でも、BASIC が「ゲームが作りやすい言語」とされた時代もあるし、歴史の流れだけ教えて置いた。


子供に説明したものなので、非常にざっくりしていて細かな部分は正しくないのだけど、こんな感じ。



世界初の言語として FORTRAN が作られ、2番目の言語として Lisp が作られる。全然違う考え方の言語だ。


FORTRAN を元にして、もっと初心者でも使いやすい言語として BASIC が作られる。

この BASIC を見て、Lisp でも似たような環境を作ろうと、LOGO が作られる。


#最初の LOGO は、BASIC のように行番号付きエディットのインタプリタ環境だった。



パソコンの時代になって、BASIC がパソコンに移植される。

このとき、大型コンピューター用の BASIC をパソコンに移植するのは難しかったので、「ゲームに必要な機能」を選び取る形で移植された。

だから、当時は BASIC はゲームが作りやすい言語だと言われた。


LOGO を元にして、教育用のいろいろな言語が作られる。Scratch はその最新版。

いろいろな研究の内容が詰め込まれているので、今一番ゲームが作りやすい言語だというのはその通り。


でも、BASIC もその後いろいろ作られていて、最新の BASIC では IchigoJam とはまた違う使いやすさがある。

IchigoJam は、自分でパソコンを組み立てるところから楽しむものだし、外に回路を繋げて楽しむ部分が多いので、あえて貧弱にしてある。



子供としては「ふーん」って聞いていただけ。

でも、いろいろな環境があるんだな、と知ったうえで、今は Scratch で楽しんでいればそれでいいと思う。



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大川功 誕生日(1926)  2016-05-19 18:55:15  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、大川功さんの誕生日(1926)


セガの元会長、と説明するのが、一番手っ取り早いかと思います。

ドリームキャスト時代をご存知の方なら、氏の名前を付けたインターネットプロバイダ、isao.net も知っているかも。


まだコンピューターが一般的でない頃から「情報化社会」を予期し、起業した人です。

そして、コンピューターが子供の明るい未来を拓くと信じ、子供のコンピューター教育にも真剣に取り組んだ人。




大川氏は、1962年に IBM のパンチカードシステム (PCS) の講習を受けます。


パンチカードシステムというのは、コンピューターではない。

でも、情報をデータベース化し、ソートや検索、集計などを自由に行えるようにします。


この頃多くの人の認識では、PCS は「集計機」で、事務会計などをやってくれる機械、でした。

しかし、大川氏は情報処理の可能性を感じ取り、これを仕事にしようとします。


1968年、コンピューターサービス株式会社設立。

誰もやったことのない、全く新しい職種です。

従業員を集めるのにも苦労して、仕事内容を説明しても勘違いされたとか。


この時代はまだ大型コンピューターも高価な時代です。

コンピューターというのは、「電子計算機」ではなくて、「計算する人」を意味していた言葉。


PCSを事務に役立てるにしても、ノウハウが必要です。

最初はそうしたノウハウをサービスする会社でした。

もちろん、事務用コンピューターが一般化してからは、いち早くプログラムをサービスする会社に変わります。


富士通などと違い、個人向けには手を出さず、ビジネス分野の会社でした。

そのため一般の知名度は低いのですが、ソフトウェアの大手企業でした。




1980年、情報サービス業初の、株式公開。

さらに1982年に株式上場。


今なら上場企業になるのもそれほど難しくありませんが、当時は厳しい審査を受ける必要がありました。


それまでにはなかった職種なので、証券取引所に対して説明するのが大変だったようです。

しかし、財務状況などを改めて説明する中で、会社の中に足りないもの、無駄なものなどを再認識します。


コンピューターが安価になり、ホビー用途にも使われるようになった時代にも重なります。

これでさらに会社が成長。


1984年に、セガ・エンタープライゼスを傘下に収めます。大川氏は会長に。

これは、買収したというよりもセガ側から依頼された形。




さて、すみません。ここまで、ある程度記憶で書いています。

大川氏の著作の「予兆」は読んだのだけど、今探したら見当たらないので。


なので、このあたり後に本が見つかったら大幅修正するかと思います。

特に、CSKが初めて求人広告を出した時の「社長の十八番(オハコ)は クラブでゴーゴー!」の絵は是非見つけ出したいところ。




僕は「予兆」が発売になった時に、ちょうどセガに在籍していました。

ある朝会社に行ったら、全員の机の上に本が置いてあるのですね。


CSK って、会社名は知っていたのですが、それほど知名度もないし、技術力の低い会社だと思っていました。

というのも、大学の先輩で CSK に就職した人がいて、プログラマーのレベルが低すぎる、という話を聞いていたから。


FM-Towns のアフターバーナーとか CSK が作ったものですが、出来が悪かった。

先輩の話と、このアフターバーナーの出来を見て、CSK はちょっと馬鹿にしていた。


だから、会長が出した本を全員の机に置いてあるなんて言うのも、何やってんの? と冷めた目で見ていたわけですよ。

でも、せっかくだからちょっと読んでみることにした。



…考えが改まりました。


会社が大きいので、従業員全員の技術レベルが高いわけではないかもしれない。

(セガだって、比較的技術者のレベルが高かったとはいえ、低い人はたくさんいました)


でも、少なくとも大川氏の考え方は非常に先見の明があったし、偉い人だった。

「予兆」というタイトルも、この先見の明を表したもの。



しばらく後で、「『予兆』読んだ?」って職場のなかまにも聞きました。

誰一人読んでませんでした。やっぱ、会長が出した本を配布した、という行動を馬鹿にして、誰一人開いてもいなかったの。




さて、ここからは「予兆」が書かれた以降の話。


大川氏は個人資産も非常に多く、世界的な影響力もありました。


1995年、G7 の情報通信閣僚会議に、日本の民間代表として出席します。

この頃には、「子供の未来のために何ができるか」を真剣に考えていたみたい。


G7 の際に、大川氏の提唱がもとで、世界中の子供を集めて意見を聞く「ジュニアサミット」が東京で開催されます。

このときは1回限りで、大川氏が提唱しただけあって、ネットワーク技術の活用やデジタルディバイド問題などが話し合われました。


1998年に MIT で同様の会議が行われ、一応はこれが「第2回」と位置付けられたようです。

ただ、サミットというよりは長期間にわたり、世界中の子供の意見を聞く会になった模様。

139カ国から、3000名が参加したそうです。



その後、ジュニアサミットは 2005年~2009年に G8 サミットと同時開催されました。

このときの主催者はユニセフで、貧困や教育、性差別問題などが話し合われています。


2008年には北海道の洞爺湖でサミットが行われ、ジュニアサミットも支笏湖で行われています。


2015年から再びユニセフ主催の形で復活し、今年日本で行われる伊勢志摩サミットでもジュニアサミットが行われます。

大川氏が提唱し、日本で最初に行われたものが、再び日本に戻ってきた格好です。




1998年、個人資産から 35億円を MIT に寄贈。

MIT は子供のコンピューター教育を 1960年代から研究しています。


MIT は、この寄付金により 「未来の子供のための大川センター」を建造することにします。

完成したのは 2010年で、早速「子供にプログラムを教える」ための活動が積極的に展開され始めます。


この頃から、アメリカで「プログラム教育」が盛んになっていくのね。

もちろんそういう時代の流れでもあったのでしょうが、大川センターが時代の後押しはしたように思います。



日本では今年になって、プログラム教育を義務教育化しようという議論が起きているのですが、いまだに勘違いが拭いきれないままです。


日本人が「子供のために」と私財を提供してアメリカの子供が恩恵を受けているのだけど、日本では大人がその考え方を拒否している状態。


残念な気がします。




大川氏は、大川センターの完成を見ずに、2001年3月16日に亡くなっています。

その少し前に、業績の悪化したセガの社長に就任し、資産のほとんど、850億円をセガに寄付しています。


亡くなった時、CSK の名誉会長で、セガの会長兼社長でした。


その後、セガはサミーと合併、CSK も住商情報システム株式会社に吸収され、SCSK と社名変更になっています。



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JAMSTEC 一般公開日  2016-05-22 18:48:38  コンピュータ 歯車 家族

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毎年恒例の JAMSTEC 一般公開日。

今年も行ってまいりました。


始めて行ったの、もう10年前になるんだな。


そのころは職員食堂しか解放されてなくて、食べるのに困りました。

最近は屋台も増えたのですが、ここ2年ほどは「深海ブーム」もあって、それでも食べるのは大変だった。


というか、最初の頃に大変だと知ったので、毎年お弁当を持って行っていきます。


…でも、今年は屋台に長蛇の列は出来ておらず、買おうと思えばすぐに買える状態でした。

見学できる場所も、例年よりも混んでいない。


どうやら、深海ブームはひと段落したようです。




ただ、10年前と違って展示内容は非常に幅広くなっているのね。


以前は、多少駆け足なら「全部見る」ことも可能でした。

でも、今は1日じゃ全部回りきれない。公開日は1日しかないのですが。


勢い、毎年大して内容が変わらないところは見ないことになります。


南部潜り実演とか、高圧試験槽とか、すっ飛ばす。

関連企業ブースは見たかったのだけど、見忘れてすっ飛ばした。

しんかい 6500もすっ飛ばす。今年は うらしま もいたみたいだけど、別に見ない。


でも、子供の要望でスタンプラリーは回ったし、コーラメントスによる「噴火実験」は見た。

毎年同じ実験なのに、子供には楽しいらしい。




今年の目玉は「かいれい」の公開。完成したばかりの新造艦です。


「ちきゅう」ほどの能力はないけど、40m のコアサンプルを、12000mの海底から採取する能力があるらしい。

そのために、ちきゅう と同じように船の位置を保つ、アジマススラスターも持っている。


巨大なクレーンで、海底の岩や泥を救い上げることもできる。

子供たちには「でっかい UFO キャッチャー」と説明した。説明は間違っていないと思っている。




船自体はそれほど多いわけではないのだけど、スペースを工夫していろんな機能を搭載している感じ。

それでいて、居住性も考えられているようで、操舵室も、食堂も、船室も、今までに見た別の船より広い(と思う)。


その分、船の階層が増えているようで、エレベーターまでありました。



さすが最新鋭の船で、船内 WiFi 完備。

そして、WEB ブラウザでアクセスするだけで、操舵室に行かなくてはわからない、船の現在地や向いている方向、傾きなどの情報を得ることができる。


これ、すごいと思うのだけど、すごさに気づいている人少なかったみたい。

タブレット端末を整然と並べてデモンストレーションしていたのだけど、整然としすぎて、そういう「コンソール」が置かれているだけに見えてしまうのね。


WiFi でアクセスできる…と説明を読んで、自分のスマホでも見てみました。

kaimei-wlan という WiFi 基地局が見えましたが、パスワードで保護されていて、アクセスは出来ませんでした。(当然)




どうでもいい話。


「かいれい」から下船したところで、郵便局の方が記念切手売っていました。

JAMSTEC の切ってもあるし、近くの海上自衛隊のものもある。とにかく船の切手です。

(「はいふり」こと、ハイスクール・フリートの切手もあった。でも、僕このアニメ知らない)


ここで、小さい子向けに飴玉配ってた。

「どうぞ」と言われて、じゃぁ一人ひとつづつもらっときな、と子供に行ったところ、「一つと言わず、一掴みで取れるだけいいよ」と。


どうも、その場にいた偉い人が独断で言ったらしくて、他の職員は一瞬「えっ?」って雰囲気になった。

でも、その人が「いいじゃん。一度やってみたかったんだ」と。


一番小さい次女が最初に挑戦。

…一掴みで、20個くらいとれました。個包装された飴玉だから、思い切り握ると袋の端が指の隙間に入り、たくさん持ち上げられる。


「うわ! 思ったより取れるなー」と偉い人。

申し訳ないので、これだけもらえば十分、と長男と長女は取らないように制しました。


多分、つかみ取り最初で最後だよね。




研究室へ。


例年、研究室を公開して実験などを見られます。

超臨界水とか、超臨界水を使った MAGIQ乳化とか、被写界深度を利用して凹凸の高さを測れる顕微鏡とか、過去に変わったものをいっぱい見せてもらってきた。


…でも、残念ながら今年は研究室には入れないようになっていました。

研究室前の廊下に張り出された研究成果を見て回るだけ。


今年一番興味を引いたのは、ゴエモンコシオリエビの飼育条件がわかった、という話。

いままで、飼育条件がわからずにすぐに死んでしまっていたのが、1年以上飼うことに成功したそうです。


条件がわかれば水族館とかで見ることもできるようになるわけだけど、それ以上に「極端な環境下で、生命がどのように維持されているか」がわかることがスゴイことです。


ゴエモンコシオリエビの場合、深海の熱水鉱床で生息しています。

海底の火山で温泉が湧いている環境。


そこで生きるのに必要なのは、この温泉の「熱」なのか、火山からいろいろ出ている「成分」なのか、それとも火山に集まる他の生物なのか…

可能性はいろいろあるわけです。


飼育条件がわかった、というのは、この多数の可能性の中から、利用している要素が絞り込めたということ。



ゴエモンコシオリエビは、食べ物もない環境で、自らの腹毛に硫化水素を栄養にできるバクテリアを増殖させ、そのバクテリアを食べて生きています。

そのバクテリアの増殖に必須なのは、硫化水素の濃度だけで、温泉の熱などはあまり関係なかったそうです。




研究室前の廊下で、チェン氏の講演を聞きました。

鉄で体を作る唯一の生物、スケーリーフットの研究者で、学名にも氏の名前が付けられています。


氏は子供のころから貝マニアで、スケーリーフットが発見されたときに深海の貝に強く興味を持ち、研究者になったそうです。

ここら辺の半生(と言っても、彼はまだ 26歳。この年でオックスフォード大学を卒業している!)を面白おかしく語った講演。


「マニアになると人生踏み誤るからやめといたほうが良い」というのが話の結論なのですが、どう考えても「そういう人生は面白い」と背中を押しているようにしか聞こえません。




いろいろ見ていたらあっという間に終了時間間際。

屋内展示をあまり見ていない、と慌てて本館に飛び込みます。


地球シミュレーターの紹介展示があり、そこでゲーム大会をやっていました。

地球シミュレーターでゲーム! 何て贅沢な! 何て才能の無駄遣い!


地球シミュレーターでは、地球に関する様々なシミュレーションが行われています。

海洋の流れの研究もその一つです。


ここで行われていたゲームは、刻々と変化する海の流れに乗せて、メッセージボトルを遠くへ届けよう、というもの。

日本の沿岸の好きな地点をスタートして、一番遠くまで流した人が勝ちで、商品も出ます。



終了間際で人も少なかったので、ゲーム内容もよくわからないうちに子供たちも参加。

最初に各自の色が決められ、画面上で好きな位置を示すことで、自分の色のメッセージボトルを投下します。


…という体で、Windows 標準の「ペイント」で、示された位置に色のドットをスタッフが置いていました。

おそらく画像が保存されて、ゲーム開始時にそこから色のドットを拾うんでしょう。


みんなが決めたところで、ゲームスタート。「3、2、1」とみんなでカウントすると同時に、スタッフの人がコンソールから「./a.out」を実行します。


a.out って、UNIX でプログラムを作るときに「特に名前を決めていない」と作られるファイル名ね。

1回限りのイベントで作った、どうでもいいプログラムという感じがすごく漂っている(笑)



この後、太平洋の地図の上に、各色の腺が引かれていきます。ボトルの流れた軌跡です。


同時に、画面左上には各色の最初の地点からの直線距離が出ます。

距離が長い順に並ぶので、一目で現在の一位がわかります。


これが、よくできている。

たとえトップを走っていても、急に海の「渦」に巻き込まれてしまい、動きが止まってしまうことがある。

この渦は、いわゆるカルマン渦。刻々と変化し続けるので、すぐ後に同じコースをたどったボトルがあったとしても、同じ動きにはならない。



子供たちが参加したレースで動きを見て、僕と妻も参加します。

さっきのレースの動きを参考に置いてみましたが、先に書いたように海流が刻々と変化するので、わずかな初期位置の違いが全く違う結果を生み出します。


ある程度想像がついて、でも運任せ、というのが非常にゲームとしておもしろい。



ちなみに、地球シミュレータをリアルタイムに利用しているわけではないそうです。

あらかじめ計算した海流データを利用してゲームを作った、というだけ。




地球シミュレータ、いつの間にか第3世代になっているのね…


2002年に完成し、速度で世界一にもなった初代は、640ノードでした。

1ノードは 8CPU で、全体で 5120CPU 、41TFLOPS でした。


2009年に置き換えられた第2世代は、160ノードに減りました。

1ノードはやはり 8CPU で、全体では 1280CPU 。しかし、性能は3倍以上の 131TFLOPS でした。


昨年 2015年に第3世代になっていたそうです。なんと 5120ノード。

今まで、1ノードがロッカーくらいの大きさのコンピューターだったのに、ブレードサーバーになってロッカーくらいのサイズに多数詰め込んだ、ということですね。


1ノードの CPU は1個に減ったのだけど、実は4コア。今までは1コアだったので、CPU = コアとして考えれば1ノードが 4CPU 。

全体では 20480 CPU になり、性能は2代目の 10 倍、1.3PFLOPS。


ちなみに、「2位じゃダメなんですか」という名文句で開発中止にされそうになったスーパーコンピューター「京」は、10PFLOPS です。

想定する利用目的とかが違っていて、計算能力のほかに、データ転送能力などにチューンの違いがあるので、単純に比較できないのだけど。


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ROM と RAM  2016-05-24 17:28:59  コンピュータ

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最近、RAM と ROM の意味が変わった、と嘆いている人がいた。


スマホの宣伝とか見ると、RAM と ROM の容量が書いてある。

ROM は「写真などのデータを置いておくメモリ」という扱いだ。


でも、ROM って Read Only Memory …「読み出し専用」の意味だぜ?

読み書きできる RAM とは違うものだったはずだ。


…というのが、嘆いていた人の言い分。


そうだね。気持ちわかる。


でも、言葉は時代と共に変わるものだ。今は ROM は「読み出し専用」の意味ではなくなった、というだけのこと。

RAM だって「読み書きできる」という意味ではなかったのに、おかしいと言っている人自身がそのことに気付かないのだから。




ROM は先ほど書いたように Read Only Memory 。「読み出し専用」の意味だった。

でも、読み出し専用とはいっても、最初に何か書き込んでおかないと意味がない。


だから、ROM が開発された瞬間から、書き込みの方法はちゃんと用意されていた。


古くは、ROM はスイッチで構成された。

TX-0 の「トグルスイッチストレージ」とか、スイッチだらけだ。

1つのスイッチの ON/OFF で、1bit の 0/1 を表せる。


人間は値を変化させられるけど、コンピューターからは操作できない。読み出し専用、と言える。

(と言っても、当時は ROM とは呼ばれていなかったのだけど)


半導体メモリが開発されたとき、1度だけ書き込める「プログラマブル ROM」というのが作られた。

その後、消して書き込み直せる「イレーザブル・プログラマブル ROM」(EP-ROM)というのも現れた。


これらは、書き込みも消去も、回路から外して特殊な操作をする必要があった。

まだ、コンピューターからは読み出し専用だ。


転機が訪れたのはそのあとだ。電気的に消去できる「エレクトリカル EP-ROM」(EEP-ROM)が作られた。


容量は小さいし、書き込みのスピードも遅い。

それでも、昔の業務用テレビゲームのハイスコア保存とかに使われている。


ここら辺から、「読み出し専用」ではなくなっていく。

でも、RAM とは区別された。RAM は通電しないと内容が消えるが、ROM は通電しないでも内容が消えないもの、とされていたためだ。

(この後書くけど、この認識は正しくはない。でも、当時としては常識だった)



EEP-ROM は1ビットづつ消去を行ったので遅かった。

ちなみに、遅いのは消去で、書き込みも読み出しもそれほど遅くはない。


じゃぁ、消去の仕組みだけを数百~数千ビット分用意して、ある程度まとめて消してしまおう、という発想が生まれる。

順番に消すのではなくて同時に消す。だから、1bit 消す時間で、数千ビットを消し去ることができる。


これが Flash EEP-ROM だ。今では Flash ROM とか 単に ROM と言われている。


スマホに使われているのは Flash ROM なので、写真のデータなどを保存できる。

読み書き可能だけど、通電しなくなっても内容が消えないので「ROM」という扱いだ。




これに対して、RAM は Random Access Memory 、「自由にアクセス可能なメモリ」の意味だ。

Random を「読み書きのどちらでも」の意味だと思っている人が多いのだけど、そうではない。


コンピューターの黎明期は、メモリとして遅延管とか遅延線という素子がよく使われた。

「音波」が電気よりも十分に遅いことを利用した仕組みで、音として情報を保持しておく。


音なので、コントロールは出来ない。

メモリ素子に「書き込んで」、音が逆の端に到達するときに「読みだす」。

読みだした内容をすぐにまた書き込めば、情報を保持しておくことができる。


特定のメモリ内容を読み出したいときは、その情報を読み出すタイミングまで待つ。

連番アドレスに入っているデータは連続して読み出せるが、離れたアドレスだと待ち時間が多くなる。



この、遅延線の仕組みはとても遅いものなので、好きなアドレスを指定してすぐに読み書きできるメモリが考案された。

これが「自由にアクセス可能」という意味になる。



ところで、歴史的な経緯をすっ飛ばすと、RAM といえば「コアメモリ」だった時代がある。

コアメモリに書き込んだ内容は、通電しなくなっても失われない。


この時代には、ROM は特に必要なかった。

まぁ、全く存在しないのかと言えばそうではなくて、先に古い ROM の実装例として書いた TX-0 なんかはコアメモリを使用していた。


TX-0 の場合、コンピューターから見たら「読み出し専用」なので ROM だというのは事実だ。

でも、使われ方としては、ユーザーがコンピューターにデータを与えるための、ユーザーインターフェイスだった。

現代の ROM とはちょっと事情が異なっている。




さて、インテル社は半導体メモリを提供し、コアメモリを駆逐することを目標に作られたベンチャー企業だった。

コアメモリは電気がなくても内容が消えない、という優れた特性があったのだけど、インテル社が設計していた RAM はそうではなかった。


だから、消えては困る内容を収めておく、ROM も同時に開発する必要があった。


インテル社は数奇な運命のめぐりあわせにより、メモリ開発のベンチャー企業だったのに、最初のメモリ製品の製造より前に CPU の開発を始める。


製品としては半導体メモリが先で 1969年に出ている。SRAM だったそうだ。

CPU 4004 を含む 4000シリーズは 1971年だ。


4000 シリーズのデータシートには、4001 が ROM で 4002 が RAM 、とはっきり書かれている。


ROM や RAM という言い方は当時一般的だったのだろうか?

少し後の時代だけど、PDP-11 のオプションカタログを見てみた。


1976年のカタログには「メモリーユニット」がたくさん載っている。

READ ONLY MEMORY もある。BOOTSTRAP LOADER とも書かれている。ROM とは略されていない。

RANDOM ACCESS MEMORY という表記はなく、もちろん RAM もない。


この頃は、コアメモリが一般化しているので「メモリー」と言えばランダムアクセスなのが当然だった。

ROM を区別する必要はあっても、その対義語が RAM だったわけではない。


ところが、1983 年のカタログになると、メモリモジュールの説明が「RAM Module」と「ROM Module」になっている。

この頃には RAM の意味が変化して、ROM の対義語になってしまったのだろう。


対義語としての ROM と RAM という言葉は、おそらくインテルが使いだしたのではないかと思っているけど、資料不足で決定的な証拠は見つけられていない。




さて、昔話は終わり。


最近使われる用語である、読み書きできる ROM 、というのに違和感がある人は多いと思うけど、言葉は時代と共に変わるものだ。


歴史的には ROM と RAM は対義語ではなかったけど、半導体メモリの台頭によって対義語になってしまった。

それが再び、性質が違う、というだけで対義語ではなくなろうとしている。


言葉は伝えるための手段だから、常にその時代での言葉の使われ方を把握しておくことが大切。

以前と意味が変わってきたな、と思っても、言いたいことが伝わっているのであればそれでいいんじゃないかな。



新しい時代に対応していこう。


…ちなみに「新しい」(あたらしい)って言葉も、誤用から広まったものだ。

今では誰も間違っているなんて言わないし、間違っていることに気付きすらしないけど。


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色数と VRAM 構造  2016-05-31 15:05:32  コンピュータ

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FM-77AV や X1turboZ は、白黒画面を 12枚も持つ形で 4096色の画面表示を実現していた、という話を1年前に書いた

今更その関連話題を書きたくなった。


まず、以前の話を、ざっと概要だけおさらいしておこう。


ここに書いてある内容、少し誤りがあります。近いうちに修正予定。

カラーテレビの信号方式(NTSC信号)の記述がおかしいようです。詳しい方から指摘ありました。感謝。

僕自身、ソフト屋なので VRAM 構造までは理解しているのですが、そこから先の動作はちゃんと理解できていません。

勉強しながら書いた形ですが、理解不足でした。お詫びいたします。


8bit 機の時代は、メモリが2つの意味で貴重だった。


今よりもビット単価が高く、メモリは高価なものだった。

そして、CPU から扱えるメモリ空間はたった 64KByte で、画面表示用メモリ (VRAM) を多く搭載するわけにはいかなかった。


そこで、一般的には CPU から扱えるのは白黒画面とした。

640x200 の解像度で、白黒2値なら 16Kbyte 。


これを何らかの方法で「複数画面」もつ。

色つきのセロファンを重ねればいろんな色を出せるように、色付きの白黒画面を重ねて多くの色を出そう、という発想だ。


CPU からは特殊な方法で、アクセスできる画面を選ぶようにする。

同時に1つの白黒画面しか書き換えられない代わりに、占有するメモリ空間を少なく抑えられる。


3画面重ねれば8色、4画面重ねれば 16色を出せる。



でも、FM-77AV や X1turboZ では、なんと 12画面も重ねて、4096色を表示した。


320x200 ドットという、比較的荒い解像度にも関わらず VRAM だけで 96KByte も必要だし、1ドット変更するのに 12回もアクセスする必要があるので画面表示も遅い。

綺麗な画面が出せる、というメリットはあるが、あまり実用的ではなかったように思う。




ところで今回は、人間の目の特性を利用して画像データを圧縮する、というような話が中心になる。

そのため、目の特性について知っておく必要がある。



恐竜が闊歩する時代に、安全な夜間のみ行動する、夜行性のネズミのような生物がいた。

これが哺乳類の祖先だ。


夜行性なので、わずかな光でも捉えられるように目が進化した。その反面、色の違いを見分ける能力が失われた。

今でも多くのほ乳類は色がわからない。


霊長類になり再び色を見分ける能力を取り戻したのだけど、実は目のほんの一部、視野の中央付近でしか色を捉えられない。

しかも、色を取り戻した部分は代償に光の感受性が落ちてしまった。暗い明りを見るときは、周辺視野のほうがよく見える。



人間の脳は、目の部分による感受性の違いをうまく利用していて、無意識に使い分けている。

常に目を動かし、感受性の良い周辺部で明確に捉えた形状と、色覚できる中央部でとらえた色を後から合成し、カラーで鮮明な世界を感じさせてくれる。


つまり、我々が「見た」と思っているものは、実は断片的な情報を重ね合わせた、合成画像だ。




もう一つ、アナログカラーテレビについても知っておく必要がある。


まず最初に、白黒テレビが実現された。

そのあとに、白黒と互換性を保ったまま、カラーテレビが実現した。


もちろん、白黒テレビを設計した時点では、後でカラー化することなんて考えていない。

テレビ電波としては白黒の「輝度変化」のデータだけを、べったりと送ってしまっている。


その信号の隙間を、半ば無理やり探し出して、何とか圧縮した色データを送る。

これがカラーテレビの仕組みだった。


白黒テレビの信号としては、十分なものが送られている。

だから、輝度の表現は十分だ。


ここに、圧縮して隙間に詰め込んだカラー信号を「載せる」。

白黒の絵を元に塗り絵をするような感じだ。


色だから R G B の3つのパラメータが必要なのだけど、それとは別にすでに白黒の輝度信号がある。


つまり、RGB を3つ揃えた場合の、「明るさ」はわかっている。

R G B の配合割合だけわかれば、元の RGB を再現できる。


配合割合なので、全体が 100% だと仮定すれば、2つわかれば残りの1つもわかる。

このような考え方で、カラー信号は 2つしかない。そして、白黒画像のドットの隙間に、交互に入れてある。


「交互」ということは、1ドットごとには色を変えることができない。

それでも、我々の目は輝度信号が正しい形を表現していれば、色が多少おかしくても違和感を感じない。


先に書いたように、もともと形と色を別々に捉え、脳内で合成しているためだ。

輝度信号と色信号が多少ずれていても、脳内で補正して正しい画像を認識してしまう。




さて、以上を前提に、AMIGA の話をしよう。FM-77AV や X1turboZ と同じく、4096色の表示ができる。


先の2機種と違って 16bit マシンなのだけど、先の2機種よりも前に発売されている。

(AMIGA:1985/7 FM-77AV:1985/10 X1turboZ:1986/12。X1のみ、発売日ではなく発表日)


この頃だと、メモリ空間の狭さは技術により克服されつつあった。値段もどんどん下がってはいた。

とはいえ、メモリはやっぱり高価なものだった。


そのため、AMIGA は先の2機種の半分の VRAM サイズで、4096色を表示する工夫が凝らされている。



基本は同じ、白黒画面を重ねてカラーを出す方式だ。

ただし、AMIGA では 4096色に必要な 12bit の半分、6枚分の VRAM しかない。


基本はこのうち4枚を使った 16色モードだ。

当時のコンピューターとしては標準的な構成。


そして、1ドットに対してあと 2bit を追加できる。

このとき、2bit は「モード」を示すフラグとなる。


2bit あるのだから、4つのモードがある。

1つ目は、4bit をパレット番号として使い、あらかじめ 4096色中から設定しておいた 16色を選び出すモードだ。

これも、当時のコンピューターとしてはごく普通。


あとの3つの画面モードは、それぞれ R G B と名付けられている。もちろん光の三原色の RGB だ。

R モードでは、赤の色成分だけを 4bit で指定する。

残りの GB は、直前に表示した左隣のドットの色を受け継ぐ。


G B のモードも同様だ。RGB のうち、どれか一つの色成分だけを指定し、残りは左隣から受け継ぐ。

RGB すべてを任意のものに変えるには、3ドットの幅が必要となる。


4096 色は本来 12bit 必要だけど、この方法で、半分の 6bit で表現できる。

AMIGA の後期機種では、24bit 必要な 1670万色を 10bit で表現するモードもあった。




ところで、AMIGA はテレビに接続して使うのが前提のパソコンだった。

先に書いたように、テレビでは色を急に変えることができない。


AMIGA の方式では「急に色が変えられない」のがデメリットになるのだけど、もともと色は急に変えられないんだ。

じゃぁ、VRAM が半分で済む、というメリットの方が大きい。


非常に美しい設計だ。




アナログテレビの特性を上手に利用した機種と言えば、Apple II (1977) を語らないわけにはいかないだろう。


Apple II では、横 280ドットの表示を行えた。

そして、基本的に白黒の VRAM しか持っていない。


アナログカラーテレビの仕組みとして、ドットごとの信号の「隙間」に、交互に色信号が入っていると書いた。

Apple II の回路は、ドットの「明るさ」の信号を出力する際に、この色信号の部分にまで信号を入れてしまう。


本当なら、信号が正しく送れていないダメ回路だ。

でも、これはわざとなんだ。


カラー信号は交互に入っている、と書いた。

しかし、ドットの輝度信号と一緒に送られてしまう。ということは、ドットを交互に描けば、色信号を制御できる。


偶数ドットだけを描いた縦縞を作ると、紫色になる。

奇数ドットだけだと緑色になる。


両方とも出力すると、白くなる。両方出さないときは黒だ。


Apple II では、さらにこの信号の位相をずらせるようになっていた。

白黒画面では、通常横 8dot を 1byte にするのだけど、横 7dot を 1byte にして、残り 1bit を位相ずらしのフラグにしたんだ。


位相がずれると色情報がずれる。青と橙になった。この場合も、白と黒は同じように出せる。


これにより、Apple II では黒、白、紫、緑、青、橙の6色を出せるようになった。



カラーなのに VRAM は白黒1画面分しかない。

画面表示を変えるときに書き換える VRAM も最低限で済むので、非力な CPU でもアクションゲームに強かった。



ちなみに、カラーテレビでなく白黒テレビに表示を行うと、位相をずらした部分だけ、ドットが半分ずれる。

上手く使えば横方向の見た目上の解像度を上げられる。240dot の解像度しかないのに 480dot のように見えるんだ。


これにより、細かな図などを表示できるため、ビジネス分野でも使用された。


工夫したことで少メモリになり、安く本体を提供できるから普及し、非力な CPU でもアクションゲームが作れたのでゲーム機としても普及し、白黒モニタできれいな画面が出せたのでビジネスマシンとしても普及した。


Apple II が強かった理由の一つだ。




PC-6001 でも白黒モードを同じような技法でカラー化できた。


もちろん、家庭用テレビに接続している時だけ。

Apple II のような「位相ずらし」はないので、4色出せることになる。



白黒モードなので、AppleII と同じ理由でアクションゲームに向いている。

PC-6001mkII のスペースハリアーでもこの画面モードを使っているのだけど、僕の友人宅には専用モニタがあったので白黒だった。


専用モニタに送られる信号は、テレビ信号のような「情報の圧縮」を行わず、VRAM に書いた通りのものを正確に描画してくれる。

本当はそれが正しいのだけど、テレビの特性をうまく使ってカラーを出すようなゲームでも、正確に白黒描画してくれる。


高価なモニタ使っているほうが貧弱な画面になる、というのが当時は不思議だったのだけど、こんな理由だったと後で知った。




MSX や SG-1000 で使用されている画面表示回路は、Apple II よりも後に設計されたものだ(1981)。

Apple II の考え方をもう少し汎用的にする形で 16色表示を実現している。


やはり、ドット表現としては白黒と同じだ。ただ、MSX では横8ドットごとにもう 1byte 使い、bit が 0 の時と 1 の時の色を決められる。

1byte = 8bit の中に2色を表現したいのだから、1色は 4bit 。16色の中から選ぶことになる。


Apple II よりも2倍の VRAM を使ってしまうが、色数は2倍以上に増えるし、自由な位置にドットを打てる。

(Apple II では、色とドット位置に相関関係があるので、好きな色で好きな位置にドットを打てない)


ここら辺、詳しい話は過去に書いたので、気になる人は参照してほしい。




MSX2 (1985) では 256色表示のモードができたのだけど、特記するようなことはない。


RGB を 3:3:2 bit で表現する。

合計 8bit 、1dot = 1byte の、とてもシンプルな方式だ。



MSX2+ (1988) では、この 256色モードと同じ VRAM 容量で、1万9千色を出せる。

自然画モードと呼ばれるのだけど、この方式は巧妙だ。


カラーテレビと同じように情報を圧縮する。だから、ベースとなるのは「白黒」の画面だ。


1ドットに付き 32階調、5bit の輝度情報を持つ、白黒画面を持っている。

これだけでも、当時普通だった「16色しか出ないパソコン」には真似のできない階調表現だ。


でも、1ドットに付き 5bit しか使わないのだから、3bit あまる。

横2ドット分で 6bit になる。4ドットあれば、6bit を2組作れる。


12bit ではなく、6bit 2組、というのが大切だ。

カラーテレビがそうだったように、RGB のうち2つの色の割合を示せる。これで色が決定できる。


カラーテレビでは、横2ドットで1つの色を作り出していた。

MSX2+ の場合、横4ドットなので、色のにじむ範囲がちょっと大きい。


でも、最初に人間の目の仕組みとして説明した通りだ。

輝度信号さえ正しければ、色が多少おかしくても気にならない。


僕が知っている中では、一番巧妙で複雑な VRAM 構造だ。




今はメモリが安くなったので、こんな複雑な構造の VRAM は使わない。

1ドットに 32bit あれば、 RGB に透明度まで加えて表現できる。


ハイビジョンサイズだって 8Mbyte ぽっちだ。今のメモリ容量なら誤差みたいなもの。


でも、人間の目の特性を活かした巧妙な圧縮方法は、今でも JPEG や MPEG の中で生き続けている。



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WEBセーフカラー  2016-05-31 18:46:33  コンピュータ

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VRAM の話書いていたら急に思い出した、オマケの話。


WEB の黎明期、まだ Netscape が標準的な WEB ブラウザったころ、WEB セーフカラー、というものが存在していた。

今でもこの単語を調べれば解説しているページがたくさんある。


でも、どうも書いてあることがおかしい。

すでに失われた技術なので、なぜこんなものが存在したのか覚えている人があまりいないようだ。


・Windows でも Mac でも表示できる色を選んだものだ、という話があった。

・各ブラウザごとに使える色が違ったので、その共通色を選んだものだ、という話があった。

・この色を使えばディザリングなしに表示できるのだ、というような話があった。


そんなことはない。これ以外の色を選んだって、ちゃんと表示は出来た。

ただ、表示は出来るけど悲惨な副作用が待ち構えていただけだ。




Machintosh に 1bit の白黒時代があったことを忘れてはならない。


「すべてがグラフィック」という機械は、VRAM を大量に消費する。

メモリが高価だった時代、そんなに大量のメモリを使うと機械の値段がバカ高くなってしまう。


だから、最初の Mac は白黒だった。


でも、内部のソフトはカラーに対応していた、という有名な話がある。

ソフト的にはカラー対応なのだけど、「メモリが高価だから」白黒になっていただけなんだ。


後で無理なくカラーに拡張され、16色表示できるようになった。

Windows だって、最初は 16色からだった。


そして、Win も Mac も、256色表示できる時代がやってきた。

ちょうどそのころ、WEB が流行し始めたんだ。




たとえば MSX2 は 256色表示ができた。ここでは、RGB を 3:3:2 bit で表現する固定 256色だった。


でも、Win も Mac ももっと自由だった。使える色はたしかに 256色なのだけど、4096色とか、1670万色の中から選ぶことができた。

ただ、一つ問題があった。Win も Mac も、マルチウィンドウだったんだ。


あるウィンドウで、256色の絵Aを表示したとする。ちゃんと表示できる。

別のウィンドウで、256色の絵Bを表示したとする。これもちゃんと表示できる。


ただし、さっき表示したウィンドウの絵Aは、パレットが変更されて酷いことになっている。

Aのウィンドウをアクティブにすると、Aの色は元に戻る。代わりにBが酷いことになる。


これは 256色同時発色の宿命だ。仕方がない。そんなもんだ。

見ようと思ったときには正しく表示できるのだから、まぁ諦めよう。


でも、WEB ではもっと困ったことが起こった。

ひとつのウィンドウの中に、絵が複数表示されるんだ。


最後の絵だけが正しい色合いで、後はぐちゃぐちゃ。

または、最初の絵だけが正しかったり、すべての絵を表示しようと努力して、減色を行ったり…


まぁ、そこらへんは環境依存。

ブラウザだけでなく、OS にもよる。いずれにせよ正しく表示されない。



実は、もっと困った問題だって起きる。

256色で絵を表示されると、ウィンドウの枠とか、メニューの文字とかの色まで変わってしまうのだ。


だって、画面全体で 256色しか使えないのに、絵を表示するために全部のパレットを変えてしまうのだもの。




この説明だけで理解できたと思うけど、必要なのは「すべての絵が同じパレットで描かれている」ことだった。

同じであれば何でもいい。ただ、世界中の人に同じパレットをつかおう、と提案するのだから、それなりに「公平な」ものでないといけなかった。


これが WEB セーフカラーだ。


全部で 256色しか使えない、とわかっている中で、誰もが使いやすいように満遍なく色を決定したい。


RGB の3つのパラメーターの掛け合わせで色が作られる。

1つの色で何階調使えるかは、256の三乗根を求めればいい。

∛256 = 6.349…になる。


だから、RGB 各6段階に設定する。6^3 = 216 で 40色ほど余るけど、これはむしろ好都合。

ウィンドウの枠などを描く色が確保できるからね。


階調が 8bit指定(RGB で 1670万色)だとすれば、00 33 66 99 CC FF の6段階を使えばいい。

4096色から選ばれるようなシステムの場合、適切に変換して、とにかく等間隔の6段階があればいい。




WEB セーフカラーではなくなるけど、256色しか使えないシステムで、ウィンドウの枠とかはないので 256色全部使って良くて、でも同時に違う絵を重ね合わせたりするので使われるパレットは共通化したい…


ゲームなんかではそういう用途が想定される場合があったのだけど、その場合は余った 40色にも色を詰め込んでいい。


R G B と Grayscale の4種類の、次の 10段階のグラデーションを詰め込んでいるのを見たことがある。


11 22 44 55 77 88 AA BB EE DD


間がとびとびだけど、その飛んでいる部分は、ベースとなる 216色に入っている。

だから、10段階追加しただけで、16段階のグラデーションが表示できるようになる。


巧妙に作られたパレットに感心した覚えがある。




どうせオマケ話なので、思い付きでどんどん横道にそれていこう。


「WEB セーフカラーをつかえればどんな環境でも表示で来た」というのは嘘で、MSX2 のような 256色固定表示の WEB 環境も当時普及していた。


i-mode を初めとする、ネット接続可能な携帯電話の、カラーが使えるようになった第二世代。

ほんのわずかな期間で、固定ではなく 4096色などを表示できるものに変わっていくのだけど、当初は固定 256色だった。


そのころに携帯電話の仕事をしていて、僕がプログラムを作り、知人がドット絵を描いていた。

RGB 3:3:2 の固定だと、グラデーションを描くのもままならない。階調が少ない青が邪魔するのだ。


パレットが使えないっていうのは、色表現に想像以上の制約を与える。



それらの携帯電話では、一応普通の WEB ページだって表示できた。

WEB セーフカラーで描かれた絵は、固定カラーに無理やり変換され、ディザリングされた。


非常に珍しい環境だから、見られないことを怒るわけではない。

ただ、「WEB セーフカラーだったら表示できる」と妄信してはいけない、という具体例として挙げたかっただけ。




関係ないついでに。


当時の国際的な定義では、ネットに接続できる携帯電話を「スマートホン」と呼んだ。

世界初のスマートホンは i-mode だ。


でも、世界的に「スマートホン」って概念が普及したころには、日本では i-mode は当然だった。

だから、日本では言葉に特別な意味を持たせ、「QWERTYキーボードが付いている機械」をスマートホンと呼ぶようになっていた。


日本初のスマートホンは W-ZERO3 だ。


今は…どう定義されているかわからない。


アプリをインストールできる機械? それだと i-mode 時代でも可能だった。

キーボードが「ついてない」機械? ついている機種だってあるけど、スマートホンと呼ばれる。


タッチパネルで操作する機械?

…本質ではないけど、これが一番、現在のスマートホンの定義にあっているような気がする。


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