2016年09月04日の日記です


海辺散歩  2016-09-04 18:42:41  社会科見学 家族

夏休みは過ぎてしまったのだけど、子供との約束を一つはたしていなかった。


夏休み前に、家族で特に理由もなく鎌倉まで自転車で行ってみた。

このときに由比ガ浜の端っこの方に貝殻がたくさん打ち寄せられていて、長女がたくさん宝貝を拾った。


ちょうどその少し前に、別の場所で「マンカラ」というボードゲームを遊んだ



世界最古のゲームと呼ばれるものの一つで、駒としての小石がいくつかあれば遊べる。

でも、遊んだものはたまたま、駒として宝貝を使っていた。


ただこれだけの理由で、長女は「宝貝をたくさん集めて、自分でゲームを作る」と言っていた。

しかし、駒は50個くらいは必要なんだよね。このときは、そんなに集まっていなかった。


それで、夏休み中にまた貝を拾いに行きたい、と言っていたのだけど、今年の8月後半は週末が来るたびに台風が近づいてきたため、海に行けずじまいだった。




そんなわけで、海に行ってみることにするのだけど、海に行くなら行ってみたいところがあった。


いつも我が家が海遊びに行くときは、材木座か由比ガ浜あたりだ。

その間に稲村ケ崎があるのだけど、稲村ケ崎ってサザンの映画の舞台になったりして、あこがれている観光客が結構多いのね。


駐車場とかいつも混んでいるので避けていたのだけど、最近「稲村ケ崎には砂鉄が多い」という話をきいた。



源頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由は、海と山に囲まれているために自然の要塞となっているから、と言われる。


でも、武士は当然のことながら剣を必要とする。

稲村ケ崎で砂鉄が取れるから、というのも、鎌倉を選んだ大きな理由の一つだと考えられているそうだ。


この話をきいてから、確かめて見たくて仕方がなかった。



と同時に、当時の人はどのようにして砂浜の砂から砂鉄を選別していたのだろう、とも思っていた。

磁石があれば簡単に砂鉄を集められるけど、当時は磁石というのは貴重品で、宝石のような価値があったはずだ。


重さが明らかに違うから、砂金を水で選別するように、砂鉄も水で選別したのではないだろうか、と妻は推測した。

砂浜だから、水はいくらでも使える。

なるほど、これはあり得そうな説だ、と思っていた。




稲村ケ崎。

鎌倉海浜公園の前に駐車場があるのでそこに車を止め、公園から海岸に降りる。


降りるとまず岩なのね。砂浜ではない。

すごく大きな見事な岩で、ところどころに地層がある。

全体に層の見えない泥岩なので、層が見えるところは何か天変地異があったのだろう。


思っていたのと違う風景で、長男はここで砂遊びを始めた。

次女も長男と一緒に砂を掘り、水を流し込んで遊んでいる。


まずはそのあたりの波から離れた奥の方へ。

磁石で砂鉄を集めるにも、濡れていてはやりにくいからだ。


ここら辺の砂は黒い。鉄分が多いことが予想される。

…と、磁石を近づけると、砂がごっそりと磁石にくっついた。


砂の中から砂鉄がどれほどとれるのだろう、と思っていたのだけど、ほとんどが砂鉄のようだ。



小さな川が流れているので、その川を超える。

そちら側の砂はさらに黒く…単に黒いのではなく、青黒かった。


砂がサラサラではなく、くっついて小さな塊を作っている。

磁石を近づけると、塊ごとくっついてしまう。力をかけて潰すとサラサラに崩れ落ちる。


これ、なんか知っているぞ…

使い捨てカイロで、発熱する際にあまり振らずにほおっておくと、内部で塊ができるやつだ。

砂鉄が何らかの現象で同じような塊を作っているのだろう。



波打ち際は、白と黒の砂が混ざっていて、水の流れで筋ができている。

どうもこれは、2種類の岩石でできている砂で、比重の違いで波で模様を作るようだ。


そして、波から遠く離れたあたりに砂鉄が寄せ集められている。

重いために、波の力でより奥まで届くのだろう。


妻が想像した、水で選別できるのではないか、というのは半分当たりだったというべきだろうが、人が選別する以前に、自然に選別されている。

砂鉄を採取したければただ掘ればよいだけで、選別の必要なんてない。


これは、鎌倉時代には宝の山だったのだろう。




砂鉄から鋼鉄(玉鋼、と呼ばれる)を作るたたら製鉄では、非常に高い温度を維持するために精錬が難しい。


しかし、鎌倉の砂鉄は一般に考えられる製鉄方法よりも、温度が低い方が純度が高くなることが確かめられている。

確かめたのは、鎌倉高校の科学研究会で、この研究で県知事賞を受賞している



たたら製鉄の方法だと、純度の低い部分と高い部分が同時に出来上がり、純度の高い部分だけを使って刀剣を作る。

じゃぁ純度の低い部分は無駄かと言えばそんなことはなくて、農具などを作るのに十分活用された。


もっと言えば、当時は普段は農民で、戦の時だけ刀を持つ農民兵もいた。

そういう人なんかは本職の武士よりも、質の悪い刀でも十分だったのではないかと思う。




さて、ある程度砂鉄を採取して気が済んだので、次女と一緒に海辺散歩。

長男は相変わらず波打ち際で遊んでいるので、妻が近くについていてくれた。


数百メートル歩いただけだけど、何も打ち寄せられない場所、小石ばかり打ち寄せられている場所、なぜか海藻だらけの場所、貝がたくさんの場所…と、波打ち際と簡単に言っても、いろいろな表情を見せてくれる。


数キロ離れれば全然違う海岸、というのはわかっていたけど、ほんの数メートル単位で環境が変わることには驚き。

海の底の地形とか関係しているのだろうなぁ。



もちろん、砂鉄の割合もずいぶん違う。

最初に採取したあたりが一番砂鉄が溜まっていたようだ。

角に当たる部分だったのでたまりやすい、というのもあるのだろう。




この日は、2時間程度遊んだだけで終わり。


また台風が来ていて、午後から雨が降ると天気予報で言っていたのでね。

台風はまだまだ遠いけど、台風が近づいている時に海にいてはいけない。



砂鉄入りのスライムを作りたい、と長女が言ったので、帰りに PVA 糊を買って帰った。

スライム作る予定で以前ホウ砂を買ったのだけど、PVA がなくてそのままになっていたんだよね。


とはいえ、この日は帰宅したら疲れてお昼寝してしまった。…僕が。

なのでまだスライムは作っていない。



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