通夜の日。
通夜というのは夜やるものだと思っていたら、遺族は4時間前から準備があるのでした。
礼服はあるのですが、数珠は持っていません。
また、使えると思っていた革靴が加水分解していたことに気づきます。
…葬儀場に向かう前に、仏具屋、靴屋をはしごします。
直前に慌てているのもよくないのだけど、葬式っていうのは常に急なもので。
うちの子供は5歳以下で、まだ参加は無理だろう、と思っていたのですが、あえて連れて行くことにします。
従兄弟と遊んでいれば何とかなるかも、という妻の淡い期待です。
買い物があったので家を早く出ましたが、早すぎたようです。
式場についても誰もいませんでした。
祭壇すら、まだ準備中だというのでとりあえず控え室へ。
しばらくたってから見ると、立派な祭壇でした。
結局、供花が18個、供物も3個集まっていました。あわせて10個もあれば立派なお式だ、と葬儀社の方は言っていましたから、豪華な部類なのでしょう。
供花は指定どおり赤・紫を中心にまとめられていましたが「お義父さんが好きだった色とは微妙に違うね」と妻。
まぁ、そこは言葉で微妙なニュアンスを伝えるのは無理なので、心を尽くしたということでOKでしょう。
そのうち長兄が父の遺体と一緒に到着し、他の兄弟も集まり、やがて納棺式が始まりました。
子供たちも、まだ興味深々でおとなしいです。納棺式に参加することにします。
まず死水を取ります。列席した全員が綿に含んだ水を遺体の口につけるのですが…なにぶん、人数が多すぎます。
うちの子供たちも参加して、母と子供、孫までで総勢23名。なかなか終わりません。
つづいて、また全員で体を拭いて清めます。
(遺体の保存のためにドライアイスで冷やしてあったため、手が触れたらすごく冷たかった…)
続いて、父の遺体に改めて死化粧が施されます。最後の髭剃りも。
次兄の「…へぇ、ひげそるんだ」発言に、周囲にもちょっと笑いが。
その後、また遺族全員で死装束を着させます。
最後に、死装束の「意味」を説明してくれて、遺族男性の手で納棺。
遺族男性のみなのは、一応力仕事なのと、持ち上げる都合で人数が多すぎると作業できないから。別に男尊女卑ではありません。
納棺時に一緒に入れたもの。
酒(200ml紙パック)、タバコ1箱、蕎麦(乾麺)、お守り、千羽鶴(作りかけ)、よく着ていたセーター。
食道癌が死亡原因でタバコと酒というのもどうかと思いましたが、あの世に病気は無いそうなので、好きなものを思い切り楽しんでもよいのではないでしょうか。
蕎麦は好きで、入院してから飲食禁止になって食べたがっていたので。
お守りは、入院してから妹が買ってきたものです。
千羽鶴は、同居の長兄の次女が人知れず作っていたらしい。
セーターは、よく来ていたのを覚えていますが…
「このセーター、あんたのよ」と母に言われます。
僕が高校生のころ、母が買ってきたのだけど、僕が全然着ないのでその後父が着ていたのだとか。
そんなの、全然覚えていません。
これで納棺式は終了です。
線香を供え、控え室に戻ります。
だんだんと親戚が集まってきました。
うちの子は、飽きてきて走り回っています。
親戚もたくさんいます。兄弟の配偶者の弟、とかのレベルになると、誰だかよくわかりません。
知っている顔だと、話をしたり、お茶の準備をしたり…それなりに忙しくすごします。
通夜開始。
うちの子は完全に飽きているし、1時間も座っていられるわけが無いので、最初から妻と控え室に残ることにします。
(それでも、式の途中に時々叫び声が聞こえていました)
焼香など、形式どおりに進むので詳細は割愛。
土曜日の連絡になったので友人たちはメールを見ていないかな…と思っていたのですが、みんな来てくれていてびっくり。
小学校の友人4名、高校の友人・恩師3名、仕事上の友人1名。
遠くてこれなかった大学の友人や仕事上の友人も、翌日の葬儀の際に弔電をくれていました。
(これで、期待していた…期待以上の知り合いを全て網羅)
通夜の後は会食。
食べることも供養のうちです。
うちの長女、珍しいものがたくさんあるので、ひたすら食い続けて…吐きました。
こういうハプニングも、まぁご愛嬌。
本来の「通夜」の意味どおり、兄弟数名はそのまま夜を明かします。久しぶりに兄弟揃っての昔話が、結構楽しかったそうです。
僕は子供たちもいる都合上帰りましたが、できることなら寝ずの番に加わりたかった。
同じテーマの日記(最近の一覧)
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |