目次
2025-01-15 鎌倉散策
2025-01-01 あけましておめでとうございます
2024-12-18 人探し
2024-12-11 テトリス
2024-12-10 バナナ
2024-12-02 多忙な週末
2024-11-20 書きたいことはあるのだが
2024-11-04 町内文化祭
2024-10-06 INPUTが無いとOUTPUTも無い
2024-09-29 今年の夏
2024-08-13 怒涛の2週間
2024-07-22 第2回ご出生お祝い会
2024-06-14 溶連菌の流行
2024-05-20 観劇
2024-03-10 この一週間
2024-02-24 寒い
2024-02-20 暑い
2024-01-21 3週間
2024-01-03 地震と空港事故
2023-12-07 風邪惹き
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今週頭の13日月曜日、成人の日で休日だったが、ちょっと鎌倉散策に出かけた。
長女はこの日から修学旅行。次女は受験生なので祝日でも塾へ。
長男は家にいるが、そろそろ大学の試験なので家で勉強。
で、妻と二人で、初詣を兼ねて出かけた。
あ、初詣はちゃんと元日に、地元神社に行ってますよ。
昨年12月に、それまで歩いたことが無かった山道を歩いた。
この時に、遠いと思っていたところが、我が家から結構近いことに気づいた。
車で行ったら、大きく迂回して30分以上かかるところ。
ところが、山に入ってしまえば歩いて 30分だった。
もっとも、山に入るまでで 20分程度歩かないといけないのだけど。
山の入り口まで自転車で行き、そこに自転車を置いておくことにした。帰りは逆順で。
これだと、車で行くより気が楽だ。
さて、今回の目的は鎌倉宮。
12月に歩いたときも鎌倉宮に立ち寄った。
ここには「身代わり様」という木像があり、自分の悪いところを撫でると、身代わりになってくれて自分は治るという。
…身代わり地蔵の類って、全国どこでもあるよね。
ところが、妻が昨年1年近く、筋を違えて肩が痛いのが治らなかったのが、身代わり様を撫でてからすぐに治ったのだ。
超常的な力で治った、とは思わない。何か原因があったのだろう。でも原因がわからない。
わからないなら、身代わり様のおかげってことにしておこう。
ただ、一つ気がかりなことがあった。
身代わり様、お賽銭箱があったのに、お金いれていないのだ。本堂の方にお賽銭入れたからいいよね、ってお金も入れずに撫でさせてもらった。
今回、直してもらったのだからちゃんとお礼参りしよう、という目的で初詣に行ったのだった。
僕も妻も信心深くはないので、本堂にお賽銭入れたと言っても、たしか二人で20円だったと思う。
まぁ、今回は初詣も兼ねるし、たっぷりお礼しよう。妻は300円、僕は別にお礼ではないので100円で。
これとは別に、本堂にも100円づつ入れたので、鎌倉宮には二人で600円お賽銭を投げたことになる。
12月の散策は、実は後の予定があって時間に追われた散策だった。
そのため、この周辺をゆっくり見ていない。
せっかくなので散策しよう…と少し歩くと、荏柄天神があった。
お参りする。
鎌倉宮よりにぎわっている、と思ったが、妻に「受験シーズンだから」と言われて納得した。
天神様は学問の神様だからね。
そして、神社の隅に「絵筆塚」があった。
あ、これ、ここだったのか。鎌倉のどこぞにあると聞いたことはあったが、はじめて見た。
有名漫画家がみんなで「河童の絵」を描いて建立したもの。
正面の一番見やすいところには、河童に変装する道具をもった ドラえもん がいる。
唐突に思えるが、2つの由来がある。
一つは、天神様が「学問の神様」だということ。
古くは学問の象徴が筆だった。使い古した筆などを奉納して供養してもらう習わしがある。
そしてもう一つ。
筆供養の一環として、手塚治虫以前の時代の漫画家さんが「かっぱ筆塚」を建立しているのだ。
普通にいろいろな漫画を描いていた方だが、特にヒットだったのが河童を描いた漫画だった。
それで「かっぱ筆塚」なのだ。
さすがに古すぎて僕もよく知らない。黄桜酒造の河童の絵を描いていた「初代」の人だそうだ。
現在の河童の絵は2代目の方が描いたものだが、この2代目もすでに亡くなっている。
で、最初の話に戻る。
漫画は手塚治虫以前と以降で全然違うものになったが、「以前」の人がここに筆供養の塚を作っている。
そこで、「以降」の漫画家 154人が連名で、新たな絵筆塚を作ったのだ。
絵筆塚が建立されたのは平成元年。この年に手塚治虫は無くなっているが、絵筆塚には河童に扮した鉄腕アトムも描かれている。もちろん手塚治虫が描いたもの。
黄桜の2代目の絵を描いている方も、もちろん描いている。「昭和の有名漫画家」がみんなで河童のイラストを描いた、珍しい共作物だと言えるだろう。
もう一つ、覚園寺にもお参りしてきたが…
ここは、奥に本堂があって、そちらに行くのに拝観料が必要だったので、奥には行っていない。
しかし、その手前、無料で拝観できる部分でも、鎌倉時代に作られた仏像三体を見ることができる。
せっかくなので、ここでもお賽銭を。
神社仏閣巡りでこんなにお賽銭を出したのは初めてだ。
(もちろん、荏柄天神でも出しています)
この日の鎌倉散策はこれで終了。散策時間は1時間半程度。
移動時間含め、2時間弱でした。
別年同日の日記
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毎年恒例、今年のおせち。
左上の一の重、紅白かまぼこと、さくらんぼの練り切りは市販品。伊達巻は僕の作ったもの。
右上の二の重、いくらは秋に筋子から作ったもの。田作り、紅白なますは妻の作。数の子入り松前漬けは僕の作ったものだが、松前漬けに関しては素材を細切りにしてある市販キット。
右下、三の重。栗きんとんは僕の作だが、栗は市販の甘露煮、金団の裏ごしは次女がやった。
ここ数年は次女が裏ごししていて、今年は受験生で忙しいのに「やりたい」と主張するので、時間を合わせて作った。
鶏ハムは僕の作。締めサバは、秋に妻の友達からもらっていた冷凍品だが、ちょっといいやつ。
一緒にいろいろな水産物加工品をもらっていて、他は食べたのだがこれだけなんとなく残っていたのでおせちに入れた。
左下、別重。煮しめ。妻の作。
僕も妻も煮しめは好きなのだが、子供たちが小さなころには不評だったので、しばらく作っていなかった。
今は子供たちも美味しいと食べていた。ちなみに、中に入っている里芋は、庭の畑(花壇)で取れたもの。
別皿の煮卵は僕の作。ゆで卵を少しにんにくを入れただし醤油で漬けただけ。
次女は高校受験で、塾の正月特訓がある。しかし、初詣には行きたい、というので、6時に起きて地元神社へ。
僕はその前におせちの準備をしたかったので、5時起き。
6時に起こすも、起きない。妻もこのタイミングで起床。
次女がなんとか居間まで起きてきて、そのまま横になって寝てる。「起きろ」と言いながら、弁当などの用意。
6時20分ごろにやっと家を出て近所の神社まで…走る。時間がないのと、寒かったので走れば体が温まると思ったから。
でも、次女は「走ると風が冷たい」といって背を丸めて歩いている。
神社はまだ氏子会の人は誰もいなかった。毎年氏子会の人が甘酒とかふるまってくれているの。
どうやら、昨日の深夜の「年が変わる瞬間」にお参りする人もいるので、甘酒とか一度ふるまった様子はある。
町内会の付き合いもあるので、いたら少しくらい寄付しようかと思っていたが、賽銭だけで帰る。
家に帰りついて6時50分。もちを焼いてお雑煮を準備したが、このわずかな時間で次女は再度寝てしまう。
7時過ぎには他の子も起こして新年のあいさつ、食事となったが、次女は「眠くて食欲ない」という。
お弁当に加え、おにぎりを用意する。朝塾まで行く途中で食べるそうだ。
8時には、駅まで車で送る。普段は駅前の塾に通っているが、正月特訓は隣駅のグループの塾に集約している。
あ、写真にはお酒写っているけど、車出す予定だったから飲んでませんよ。
家に戻ってから、再度寝た。
大みそかは「ゆく年くる年」を見てから寝るから、5時起きだと睡眠足りてない。
別年同日の日記
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少し前の事。
友人Mが、共通の友人Kに連絡を取りたいのだという。
連絡先知らない? と聞かれた。
M と K と僕は、同じ会社の同期。
僕が会社を辞めて独立し、K も1年後くらいにやはり独立した。この時、僕はその時の仕事に K を誘い、しばらく一緒に仕事をしていたが、K はやがて実家に帰ることにした。
M はずっと後に会社を辞め、別の会社へ。そこでしばらく働いていたが、その後独立。
今僕は、M の会社から仕事を請け負っている。
で、M はずいぶん長い間 K にあっていないので連絡をつけたいというのだ。
K からは、15年くらい前に「引っ越しました」という手紙をもらっていたが、それが最後になっていた。
今もその住所に住んでいるのかはわからない。
…って話を、M と電話で話していたら、電話が終わってしばらくしてから妻に「これ K さんじゃない?」と写真を見せられた。
どこかの会社の宴会の記念写真で、K らしき人が映っている。でも、それらしくも見えるし、別人にも見える。
他の写真もある、と見せられた。数枚見たら確信できた。K だ。
名前で検索してみたら、論文に名前が入っていた、そうだ。
実は、僕もそこまではやった。でも、K は学者じゃないから論文なんて書かないだろうし、同姓同名だろうと思っていた。
しかし妻はここから、論文の内容を読んで、大学と企業の共同研究だと知る。
企業側の会社名で検索したら、会社の WEB ページが見つかった。住所は K の実家のある地域だった。
その会社ホームページで公式 Facebook ページがあるのを知り、そこを閲覧したところ、しばらく前の宴会の写真に K らしき人を発見した、という経緯だった。
自分の妻ながら恐ろしい検索能力。
この経緯を M に伝えたら、Mが思い切って会社にメールを送り、無事 K との連絡が取れた。
遠い会社なのだが、東京に支店があるため、年1回くらい東京に来るという。
その時にでも、また飲もうという話になっている。
別年同日の日記
15年 CentOS5+Xen3 から CentOS6+Xen4 への引っ越し
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Nintendo Switch に「テトリス99」というゲームがある。
現在のテトリスはルールが統一されているのだが、最初の流行の時は、統一されていなかった。
日本では、パソコン版を作った BPS のテトリスと、ゲームセンター版を作った SEGA のテトリスと、ゲームボーイ版を作った任天堂のテトリスがあり、それぞれ「目指しているものが違った」。
ルールどころか、ゲームの目指すゴールが違うのだ。
BPS テトリスはパズル、SEGA テトリスは激しいアクションゲーム、任天堂テトリスは対戦ゲームだった。
それぞれのゲームの目的に合わせ、細かなルールは全然違うものになっている。
ここら辺の話、過去に詳細を書いている。
テトリスは単純なゲームの上、当初は誰が作ったのかもわからず、世界中で「正しいライセンスを取得せずに作成」する事例が相次いだのだ。
それぞれの会社は、勝手にゲームを作成したために、ルールなども統一されていない。
BPS、セガ、任天堂のテトリスでは、一番後発の任天堂だけが、正式なライセンスを取得してから作成している。
2000年ごろに権利が整理されて、今ではどこの会社でもテトリスを作ることができる。
しかし、アリカという会社の作っているテトリスが「現代的なテトリス」の代表かと思う。
系統としては、激しいアクションである SEGA テトリスの系統と考えてよい。
そして、テトリス 99 は、任天堂がアリカに依頼して作成したテトリス。対戦になっている。
しかも、ゲームボーイのような1対1ではなく、99人同時対戦のバトルロイヤル。
テトリス 99 を紹介したいのではない。もうずいぶん前のゲームだから、今更紹介する必要もないし。
長女がこれを結構好きで、我が家の中では一番うまい。
テトリス99 では時々イベントをやるのだが、この度「テトリス 40周年」イベントが行われ、スキン(画面上の見た目)が、NES 版テトリスになった。
NES (ニンテンドー・エンターテインメント・システム。ファミコンの海外版)のテトリスは、テトリスの複雑な権利関係が整理された後で、権利を取得した任天堂が作成したもの。
ゲームボーイ版の後に作成されたが、対戦モードは存在しない。その意味では、余り特徴のない、よく言えばオーソドックスなテトリスだ。
ただ、テトリスは7種類のブロックがあり、通常は色で判別できるのだが、NES 版は「違う形のブロックでも同じ色が使われている」。
長女にとっては、これが非常に遊びづらかったらしい。
テトリスなのにブロックが色で判別付かないとは、どうなっているのだ! と愚痴を言いながらプレイしていた。
いや、ファミコン(NES と性能は同じ)だと画面上に色が3色しか出せなくて、ブロックの色も3種類だけで描いているんだよ…
と説明するもわかってもらえない。
だって、ファミコンのゲームって3色どころじゃない。古いゲーム機とはいっても、もっとカラフルじゃん、という今の子の主張。
いやぁ、ファミコン時代の現役の子だって、3色しか使わないテトリスの画面見たら色が寂しいと思うよね。
僕は過去の記事で、ファミコンは最大25色出せると書いている。
しかし、ここでは3色しか出せないと言っているのだ。
最大25色、というのが難しい条件で、理論上の最大値だ。
実際にはその半分も出せない。そして、最悪の条件では、テトリスのように3色しか出せない。
それがファミコンの性能限界なのだ。
「ファミコン」らしい画面を持つゲームとしては、ドラクエが筆頭かと思う。
ドラクエは、ファミコンの性能の限界をよく理解して設計されている。
背景キャラクターはすべて 16x16 で描かれ、その上にスプライトで滑らかに動くキャラクターがいる。
ファミコンの背景は、8x8 ドットのキャラクターを並べて作るが、色を設定するときは 16x16 ドットを単位とするのだ。
だから、最初からこのサイズで絵を考えていると、一番性能を引き出せる。
ところが、テトリスはパソコン発祥のゲームで、ブロックは 8x8 ドットで描く必要があった。
色は 16x16 単位でしか設定できないのに、ブロックは 8x8 なのだ。しかも自由に動かせる。
この場合、16x16 単位で設定できる「色」というのは、事実上使えないのといっしょだ。
全部を同じ色で描くしかない。
ファミコンでは 8x8 ドットの絵に3色を使えるので、背景全体を3色で描く、ということになってしまう。
元の NES 版でスプライトを使っていたかどうかは、ちゃんと確認してないのでわからない。
まぁ、操作中のブロックには使っていたんじゃないかな。その方が簡単に作れるし、8x8 のチップを横に 8枚まで並べられる、というファミコンの性能上、特に問題もない。
しかし、操作中ブロックに積みあがったブロックと違う色を使ったら、接地した瞬間に色が変わって不自然だろう。
だから、スプライトは背景と違う色を使える、という機能があっても、ここでは同じ色を選択することになる。
結果として、ブロックの色は3色しか使えない、という状況は変わらないのだ。
説明したら子供は納得はしたが、ファミコンというハードの、予想以上の制約の多さに驚いていた。
当時、各社のゲーム機の中で勝ち残り、大ヒットしたゲーム機だから、もっと性能が高いと思っていたようなのだ。
以前も書いたが、ファミコンのライバルの SG-1000 とか、MSX は、同じ VDP を使っている。
よく考えられた汎用品で、派手な機能はないが使い勝手は決して悪くない。
ファミコンの方がカラフル…つまりは「派手」に見えるのだが、当時の技術なので、どこかを豪華にすると別の部分に制約が出るのだ。ファミコンの場合、うまく使えば多くの色が出るが、条件が合わないと、上記のように3色しか使えない、なんてことになる。
余談だけど、落ちものパズルブームの時に任天堂がファミコンで作った「Dr.Mario」は、3色の「細菌」を、3色のお薬を使って消していくゲームになっている。
「3色」という、ファミコンの限界を考慮したゲームデザインだ。
また、「ワリオの森」では、落ちものパズルだけど、あえてブロックを大きめに設定し、16x16 ドットにしている。
これまた、ファミコンの限界を考慮したゲームデザインだ。
ファミコンで作られた名作というのは、「ファミコンの限界」を考慮してルールなどが設定されているものが多い。
テトリスは、大ヒットしたからファミコンにも移植された、という流れであり、残念ながらファミコン向けのゲームデザインにはなっていなかった。
画面の色が寂しい、というのは、そうした残念な結果によるものなのだ。
別年同日の日記
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さて、ひとつ前に書いた「ハイキングに行った」話の後の話。
ただ、その前段階があるので、最初に2週間前の出来事を書こう。
2週間前、駅前の八百屋で、バナナが安かったのだ。
2袋で50円。ただし、バナナとしては少し小さめ。基本的に4本入り。時々5本のものもある。
安いな、とは思ったが、家族5人なので、5本入りを選んで2袋購入。
余りに安くて面白かったので、子供に「いくらだったでしょう」と問題を出す。
通常は、スーパーで買うと現在1袋150円くらい。
駅前の八百屋は少し安いものを売ることが多いので、1袋100円くらい。
でも、安いというくらいだから、1袋80円? とか子供は言ってくる。
まぁ、普通安いと言ってもそのくらいだよね。
答として、1袋25円。
そういったら「もっと買ってくればよかったのに」とバナナ好きの長女に言われた。
で、話は冒頭に戻る。
午前中にさくっとハイキングを済ませ、次女の塾に車で送りがてら、買い物に出かけた。
八百屋に行くと、またバナナが安かった。
以前のものみたいに小さくないが、1袋3~4本。そして、3袋で50円。
あぁ、これは3袋で済ますと長女がまた残念がるな、と思い、6袋かった。
本数にして20本強。大盤振る舞いだが、100円。
本数多いので、自由に食べていいよ、ってことにしてあるが、まだ残っている。
元々「熟しすぎ」で安いというのもあり、早く食べないとな。
後日談 2025.1.15 追記
この八百屋、さらに後日、小分けする前の大きな「ハンド」と呼ばれる状態のバナナを売っていた。
20本くらいついたもので、100円。まだ青い状態だったが、1日たったら普通に黄色くなった。
良い鮮度。
さらに後日、お節料理の材料を買いに行ったら、また3袋50円だったので6袋かった。
これがクリスマスごろだったと思う。年末はバナナばかり食べていた。
年始に店に行ったら、1袋 120円だった。普通。
年末のバナナフィーバーは終了したようだ。
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別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
先週末は忙しかったので記しておこう。
読んでも何も得しない、個人的な日記である。
まず、木曜日から。
普段在宅で仕事をしているが、在宅だと効率が悪いこともある。
現在開発中のシステムの UI の「詰め」を行うために、木曜日は仕事先の事務所に行き、その場でリクエストをもらいながらどんどんプログラムを作っていった。
時々こうした作業をやるのだが、短時間でブラッシュアップされていくのは楽しい。
その反面、これやると「ひとまず試しで」パラメーターいじったり、作り散らかしたりするので、ソースコードボロボロになるんだよね…
後で整理するのだけど。
帰りに、仕事先事務所の近くで、Big Issue を売っているおじさんに出会う。
コロナ前は、たびたび事務所に行っていたし、このおじさんとも良く出会った。
とはいえ、3か月に1度くらいの遭遇頻度だったので、そのたびに最近のバックナンバーから面白そうなものを買っていた。
コロナで僕も外出が減ってしまっていたし、おじさんも販売できない状態になっていたそうだ。
本当に久しぶり…数年ぶりに会ったので、ちょっと世間話をして、2冊ほど購入。
Big Issue は、「ホームレスの自立」を目指した活動名であり、雑誌名なのだが、数年たっても同じ人が販売している、というのは本当は良くないのかもしれない。
販売で得た資金を元手に、普通の仕事に復帰できるのが目指すゴールなんだよね。
金曜日。
特に忙しくはないが、毎月1回、近所の老人ホームの会議に出席しなくてはならない。
町内会で「福祉厚生部長」をやっているためである。
平日なのに会議に出ないといけないので、仕事を離席することになる。
時給で働いているので損失なのだが、自宅仕事なのでまだ「出られる」のである。
町内会の役員でも、会社に行って仕事している人は多く、そういう人たちは会議に出る選択肢もあり得ない。
仕方なく僕が出ている、ともいえる。
まぁ、これはそれだけ。
土用日。この日が一番忙しかった。
長男の大学は土曜日も講義があるので、平日と同じ朝4時半に起きて、朝ご飯と弁当を作る。
6時になったら長男を起こし、7時には送り出す。
で、入れ替えに次女を起こす。中学三年生で受験生なので、土曜日は塾があるのだ。特にこの日は模試で、早く行かなくてはならない。
起こしたら、町内会の仕事。先日貼りだした掲示物に記述ミスがある、と指摘があったので、早く修正しないといけない。
原稿など用意して USB スティックに収め、8時ごろ町内会館へ。掲示板雨ざらしのものもあるので、ラミネート加工しなくてはならず、その機械が町内会館にあるため。
毎月掲示するものなので、ついでに今年度中に貼りだす分を全部用意。1時間弱で作り終える。
作り終わったら、掲示板を回って貼り換え。
これが終わったのが9時半ごろ。
次女はちゃんとご飯を食べ終わり、模試の勉強をしていたが、塾の時間までまだ間がある。
PC に向かって作業。
「福祉厚生部」としては、新生児のお祝い会も行っている。この告知を12月の回覧板で回し、掲示板にも貼りだしたいのだが、まだ原稿作成途中なのだ。
とはいえ、以前行ったものがあるので、それをベースに作成。ちょっと新しいことを始めたいので文面の書き換えは多め。
10時ごろ完成し、承認を得るために副会長にメール送付。
さて、次女は塾に行くために11時には家を出たい。その前に昼ご飯を食べたい。
10時からご飯を作り始め、10時半から昼ご飯。
長女は風邪が治り気味で、この時間まで寝ていた。休日なのでブランチでよいだろう。
すぐに食べ終わり、11時には家を出る。次女を塾に送りがてら、買い物に。
普段は土曜日に一週間分の食料を買い込むのだが、この日はちょっと「生活雑貨」を買い求めたかった。
ならば、まだ買わないが探したい雑貨もある。近所の店はある程度確認してあるのだが、別の店の者も見たかったので、少し離れたホームセンターに行ってみることにした。
…空振りだった。遠くのホームセンター、以前行ったときは大きいイメージがあったのだが、思ったより小さくて欲しいものが無かった。
まぁ、ないと確認したのも収穫ではある。食材を買って帰る。
出るのが11時と早かったので、いろいろ回って買い物しても、帰宅は3時。
ちょっと疲れたので仮眠。
この日はこれで終わらない。
夕方6時から、近隣3町内の懇親会。毎年やっているもの。
普段顔を合わさない近隣町内会の人と一緒に飲むというのは気を使う一方で、自分の知らない、地域の昔話など聞けるのは面白い。
僕はこの地域に、子供ができてから引っ越してきたので、余り昔のことを知らないのだ。
ちょうど、老人ホームの会議でも同席する、隣町の福祉厚生の人がいたので、聞きたかったことを質問。
隣の町では、赤ちゃんのいる家庭が集まれる会を定期的に行っている。こうした会をうちの町内でもやりたいと思っているのだが、何をすればいいのか全く分からないのだ。
(新生児のお祝い会も最近始めたのだが、先に書いた「新しいことを始めたい」のは、赤ちゃん家庭が集まれる会なのだ)
隣町の赤ちゃん家庭の会は、もうかなり歴史も長く、しっかりした活動を行っているらしい。
参考になるやら、ならないやら。そこまでしっかりした会を開催できるリソースが、うちの町内にはないのだ。
しかし、こうした相談ができるだけでも、懇親会には意義がある。
楽しい会だった。
日曜日。
第2回の「焼きそば祭り」の日。お手伝いで参加した。
以前、町内で、12月最初の日曜日に「餅つき大会」があった。
地元の工務店が主催していたもので、なんと無料。お餅、焼きそばなど大盤振る舞いで、子供向けに木工コーナーがあったり、ヨーヨー釣りがあったりで大人気だった。
しかし、コロナを機に終了してしまった。
最初は「地元還元」のつもりで始めたイベントだが、大規模になり過ぎて毎年大赤字になっていたとも聞いている。
しかし、子供たちが笑顔でいる空間を守りたい、と、同じ「12月最初の日曜日」に、町内の神社の神輿会の有志が開始したのが、焼きそば祭り。
去年が第1回で、焼きそば、フランクフルトの販売と、ジュース類の販売、後子供向けの当てくじしかなかった。
しかしこれが大盛況で、今年は神輿会と仲の良い囃子会も参加してくれることになった。
とにかく手が足りない、というので、去年も手伝った僕は、再度参加。
朝10時スタートだったが、その時間より前に子供たちが集まり始める。
神社の境内でやっているのだが、11時過ぎには、初もうでの時でもこれほど混まない、と言うほどの人が集まっていた。
これは大盛況だ、と喜んでいたら、12時を過ぎたた波が引いたように人がいなくなってしまった。
昨年は、焼きそばなどを昼ご飯にしてそのまま居座る人も多かったのだが、今年はみな、ご飯を食べに家に帰ってしまったのだ。
去年は小学生ターゲットで、みんなお小遣いをもらって遊びに来ていた感じだった。
しかし、去年楽しかったと評判を呼び、今年は保育園くらいの子の親子連れも多かった。
そして、親子連れは帰ってしまうのだ。子供は遊び続けていて楽しいが、大人は飽きるから。
午後になって、昼ご飯を食べ終わった時間からまた少し人が来たが、午前中の賑わいにはならなかった。
昨年は売るものが無くなって、予定時間前に終了となってしまった。
今年はそうならないようにすべてのものを多めに用意してあったのだが、大量に余ってしまった。
ジュース類などは置いておけるが、焼きそばはそうはいかない。
手伝いのお礼に、好きな数持ち帰ってください、と言ってくれたので、家族の分だけ…焼きそば5個と、ラムネ5本をもらって帰った。
朝10時から午後3時まで、5時間たちっぱなしでさすがに疲れたが、面白くはあった。
町内会主催ではないのだが、こういうことを企画してくれる人たちが町内にいる、ということが頼もしい。
別年同日の日記
16年 Windows で、二つのネットワークにまたがる VPN 設定を行う
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日記停滞しているなぁ。
書きたいことがないわけではない。でも、いざ書こうと思うと、わざわざ書くほどの事でもないのだ。
そんなわけで、最近の話題の書きなぐり。
▼今週頭の日曜日
町内会で、「三町内合同スタンプウォークラリー」開催。
市からスポーツ振興費というのが地域ごとに出ていて、市民の健康の為にスポーツ大会を行って報告する必要がある。
コロナ禍の際に、密集を避けるために運動会は取りやめて、みんながそれぞれのペースで歩けばいい、ということで始まったのが「ウォークラリー」なのだが、その後運動会が復活しても、ウォークラリーの人気もあるため両方行われている。
正直なところ、運営している町内会スタッフとしては面倒くさい。ウォークラリーの方が人気あるから運動会辞めちゃえばいいのに、と思うくらいだが、運動会は運動会で楽しみにしている人も多いんだよね。
参加者層が全然違うという感じ。
▼ここ1か月くらいの話
町内会がらみで続けると、「次の町内会長をどうするか」という話が問題になっている。
僕は、なんとなく慣習で副会長が次の会長だと思っていた。
ところが、副会長は急に会長に引っ張られて町内会の役員になり、たった2年で副会長を任されてしまった人で、「副会長が会長になる」という慣習も聞かされていなかった。
いつか会長をやるのは構わないが、まだ仕事内容とか全然把握していないのでできないよ、というのが副会長の言い分。もっともだ。
で、慣習で物事を進めていると、町内会が持続可能で無くなってしまうという話題が出た。
昔は、会長は定年退職した人がやるものだった。暇もあるから対外的な会議が平日昼間でも出られる。
しかし、今は定年退職年齢が引きあがっており、定年退職するころには町内会の仕事なんてやる気力がなくなる。
この問題、近隣の他の町内会でも問題になっているらしい。
いろいろ複雑な事情があり、慣習はそれらの事情を考慮して決まっていることも理解できるのだが、慣習を守っていると破綻する、と言われてちょっと真剣に考えるようになった。
で、現状の自分の案を10ページほどの資料にまとめて、副会長に提出した。
これは自分の案にすぎず、あえて慣習をすべてぶち壊そうとするようなものだし、本当に実現できるかも不明。
しかし、何も考えないよりは、考えといたほうが良かろう。
(町内会の役員も、これも慣習で「1~2年で交代」する地域と、「選ばれたらしばらくやる」地域に分かれる。
僕はしばらくやる地域なので、しばらくやるつもりでいる。しかし、1~2年で交代する地域の人は、仕事を理解する前に交代してしまうし、持続性なんてことを言われてもアイディアが出ない。
そんなわけで、何か考えるのも自分の仕事だろうなぁ、と考えている次第)
▼仕事の話
作成しているシステムに大きな機能追加をしよう、というアイディアが企画者から1年~半年くらい前に3つ出てきて、うち2つは具体的に進めているのだが、どちらかの形を先に整えようということで2か月くらい前から本格的に作り込んでいる。
機能を形作るために細かなものから大掛かりなものまでプログラムを作り込まなくてはならないが、プログラマは基本的に僕一人。
コツコツと作り続けていたが、ここ2週間くらいで、以前から早く作りたかった部分を作っていて楽しい。
元々ゲームプログラマーなので、画面上で物が動くのは楽しいんだよね。
サーバ側の API や DB ハンドリングは必要なのだが、この2週間は、画面上に SVG で滑らかに動く物体を、企画者と連絡取りながら、あーでもないこーでもないと作り込んでいたのだ。
SVG をつかう描画で、直線の交点や直線と円の交点などを求める関数を駆使しているのが、また楽しい。
計算で求めているからこそ、動いたときに滑らかでいいのだ。
まぁ、詳細は書けないけど、こういう SVG の動きとか使って、ブラウザで動くゲーム作ったら楽しそうだなぁ、と思う。
▼家族の話
日記に書くほどではなかったのだけど、次女と鶴ヶ岡八幡宮行ったんですよ。
2か月くらい前の話。
その日は次女の歯科矯正の日で、八幡宮近くの矯正歯科に行ったのね。
終わって帰ろうとしたら、駐車場のシステムがシステムトラブル起こしていて、駐車場から車が出せなかった。
先に駐車場から車を出そうとした人が、システムの会社に連絡していて、「修理に30分くらいかかるそうです」と教えてくれた。どうもすみません、と謝ってまでくれたのだが、あなた方も被害者で何も悪くないでしょう。
30分、どうしようか…と次女に聞いたら、「八幡宮、ちゃんと見たことないから行きたい」と。
そういえば、近所過ぎて子供連れてきたのもずいぶん前だな。
そんなわけで、八幡宮の中を適当に歩いて観光した。
駐車場のシステムはネット対応していたので、時々確認して、修理が終わったと判ったのですぐ戻った。
駐車料金どうなっているだろう…とおもったら、結構長時間停めたが、最低金額しか要求されなかった。
で、この話はそれで終わりではなくて、ちょっと見たら案外楽しかったもので、もっとちゃんと見にこよう、と次女と約束したのだ。
ところが、次女は受験生で、その頃から塾が忙しくなって、土日も講義が入るようになった。
そんなわけで、まだ観光に行けていない。
忙しいからこそ、どこかで気晴らしに連れ出してやりたいと思っている。
▼Chromebook の話
購入した duet 2024 、快調です。
Amazon PrimeVideo のアプリ、初代機種ではスリープから起こしたときに度々フリーズしてしまい、イライラしていた。
しかし、新機種ではその現象に1度しかあっていない。1度はあったのだけど。
ヒンジ形状が変わって斜めになったので、トイレに持ち込むのが難しくなった。
家事をしながらビデオ見てて、ちょっとトイレに…ってときでも以前は気軽に持ち込めたのね。
トイレの壁にパイプ手すりがあるので、開いたヒンジ部分でパイプを挟む形で固定できた。
しかし、斜めだからこれができない。
まぁ、トイレに持ち込むなんてめったにやらないし、あまり問題ないのだけど。
(購入してから1か月で1度だけ、トイレにもっていって問題に気づいた)
▼タイッツーの話
もともと SNS はあまり使わないのだが、タイッツーは温かい雰囲気で気軽なので、たびたび書き込んでいる。
現在主に書いているのは2つだけ。
上に書いたように、家事をしながらアニメを見まくっているので、感想を書いている。
タイッツーの仕様では、最初に 140文字かけて、続きを見ようと思った人向けには 6000字程度まで書ける。
なので、140文字で簡単な感想を書いて、その後詳細を書く感じ。
アニメの感想を書く、というほどアニメが好きなわけではない。
自分のページに書こうとも思わない。記録に残したいほど重要な情報だと、自分自身が思ってないためだ。
でも、感想というのは後で自分で見ても参考になることがあるので、タイッツーに書きなぐっている感じ。
もうひとつ、「ことのはたんご」というゲームをやって、正解の単語について何か書いている。
毎日出題される「単語」を推測するゲーム。単語は全員で同じで、どのように推察して正解に辿り着いたか、という過程だけ(単語の文字などは抜きで)共有できるようになっている。
で、これを共有したうえで、正解単語について思うところを書く。
先に書いたように、タイッツーでは、最初の 140文字とそれ以降を分けて書けるのだが、後半部分に「あいことば」を設定できるのだ。
「あいことば」が設定されると、その「あいことば」を知っている人しか続きを読めない。
だから、ゲームの正解単語を知っている人だけ、その単語についての話を読めるようにしている。
さて、この「アニメの感想」と、「毎日ランダムに出される単語についてのエッセイ」だけで、何か書きたい、という欲が結構満たされてしまうんだよね…
それも、日記が少なくなっている原因になっているとは思う。
もっとも、子供たちが忙しくて土日も家族で遊びにも行けず、書くような内容がないということの方が大きいけどねぇ。
別年同日の日記
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昨日文化の日、町内でも恒例の文化祭が行われた。
1年前の日記を見ると、来年、つまり今年に向けての反省点などが書かれているな。
長年文化祭を取り仕切ってくださっていた人が、高齢と大病を患ったことを理由に引退。
…と去年の時点では決めていたのだが、今年までは面倒を見てくれた。
ただ、今年は中心人物は別の人に引き継がれ、上記の人はやり方を教える形でサポートのみ。
で、新しい人が頑張ってくれた。今までの形式はある程度残しつつも、来場者を増やせるように様々な工夫。
特に、「文化」なんて肩ひじ張らずに、子供向けのゲーム大会などを催したのは大きかったようで、昨年までは全然来なかった子供の来場者が増えた。
ただ、昨年までの形式と、子供向けは別会場としたため、人出が分散してしまったのは来年への反省点。
反省会では上手くまとめる方法が模索された。
新しいやり方になったことは良いとして、準備にかかる時間などが増えた。
結果として、3連休のうち2日は町内会の仕事で完全につぶれてしまった。
これはなかなかつらい。
今日は振り替え休日でやっと自分の自由になる時間だったのだが、午前中に買い物行って、昼食後に疲れで昼寝したらもう夕方。
休日が溶けてゆく。
別年同日の日記
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最近日記が少なめになっています。
仕事が忙しいのと、子供たちが塾や学校で忙しく、土日も平日とあまり変わらないので、日記に書くような「特別」が起きにくいのですね。
INPUT が無いので OUTPUT も無い。
そんな生活でも、アマプラでアニメなどは見ております。
以前も書いたのだけど、僕は主夫なので家事をする時間が多く、家事のお供に映像作品をだらだらと見ている。
見ている、というより主に音声を聞いている。
アニメが多いのは、アニメ独特の文法により、声だけでも状況がわかりやすいから。
実写でやったらオーバーアクションで違和感があるほど、声で演技するのがアニメですからね。
おかげで、映像を適当に見ていても状況を把握しやすい。
元々アニメ好きだったわけではないのですよ。
最初のころは、一人で家事をしていても寂しいので、アマプラで「実写の」ドラマとか映画を見ていた。
でも、アニメを見てみたら、上に書いたような理由で家事のお供に良かった。1話30分、と短いのも区切りやすくて助かる。
せっかく大量に見ているのだから、どこかに感想を書いておこう、と思ったのですが、正直なところ僕の感想なんて「駄文」にすぎないので、自分の日記ページに書こうとも思わない。
ツイッターなんかに迂闊なことを書いたら、作品のファンから粘着されそうで怖い。
そんな時に、1年ほど前に「タイッツー」が現れました。
なので、そちらでだらだらと感想書き続けています。
…そんなわけで、たびたび文章を書いてはいるのですが、この日記ページではないのですね。
それでいて、OUTPUT はしているので満足してしまって、こちらのページに書くことが減ってしまうという悪循環。
まぁ、感想駄文はタイツーで、日常の日記はこちらで、という使い分けなので、書きたいことがあれば書くのですが。
タイッツーを使っている方は「#アマプラ」タグを見てみると、ほとんど僕の感想です…
別に占有するつもりもないし、他の方が感想書いていることもありますが。
(自分一人で感想を書き続けるのも寂しいので、他の方が書くと「いいね」してます)
別年同日の日記
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気づけば9月に1回しか日記を書いていない。
もう一度くらい書いておこうか。
今年の夏は異常気象による災害が多かった。
まず、異常な猛暑。昨年も記録的な猛暑で「異常気象」だったのだが、今年はそれ以上。
30度以上の猛暑日は、福岡県太宰府市で連続40日、累計60日という記録を作った。
東京でも、9月18日に猛暑日になっている。これは過去一番遅い猛暑日だそうだ。
ただ、暑さ寒さも彼岸までで、9月23日くらいから急に「例年並み」に涼しくなった。
その後また暑くなって夏日を記録したりはしている。
10月頭くらいまでは夏日になる可能性があるようだ。
この暑さに伴い、全国で線状降水帯による集中豪雨の被害が相次いだ。
特筆すべきは2つ。一つ目は台風10号だ。
8月22日にマリアナ海溝付近で発生したが、動きが異常に遅い。太平洋高気圧の張り出し方が例年と違うそうで、台風を動かすための風が吹かないため遅いのだ。
遅すぎるため進路予測が難しい上に、暑い海洋上に長期間いたため、十分に発達した大きな台風になった。
当初は関東直撃コースが予想されていたが、予想進路は徐々に西にそれていき、沖縄を通り越して中国大陸方面へ、という予想になった。
それで安心していたところ、沖縄に上陸したあたりで完全停滞。台風に刺激された前線により、九州から東北まで雨が降り続く。
さらに、台風がやっと動き始めたときには東向きに進路を変えており、九州から上陸、四国から太平洋に抜けたうえで、再度急に方向転換し、近畿に再上陸して低気圧に変化、その後も雨を降らす力は衰えないままに日本海側に抜けた。
僕が住む神奈川県でも小田原から箱根にかけて大雨が降り、床上浸水や土砂崩れが多数報告される。
国道246号線のトンネルが土砂崩れで埋まり、1週間の間通行止めになった。
もう一つは能登豪雨。
9月21日だから、1週間ほど前の話だ。
この雨自体、100年に一度、とも形容されるほどの豪雨だった。
その上、能登は今年の元日に大きな地震があり、まだ十分に復旧できていない。
あちこちで土砂崩れが起き、やっと立ったばかりの仮設住宅も含め多くの家が床上浸水、やっと地震の避難から戻ってきた、という人も含めて、再度多くの人が県外に避難する事態となった。
こちらに関しては、行方不明者も多く、まだ捜索が続いている。復旧のめども立っていない。
特に大きな被害はこの二つだが、線状降水帯による豪雨で床上浸水などの被害が出た場所はもっとたくさんある。
あとは、北関東で雹が何度か降っていたな…
これも猛暑によるものだね。地表からの上昇気流が強いからこそ、氷の粒が大きくなるまで落ちないように支えられる。
ゴルフボール大の雹による被害も出ていたようだ。人に当たったら死ぬレベルだが、死者などは出なかった模様。
(農業用のガラスハウスや、止めてあった自動車の被害は多かったようだ)
今年の夏は、異常な猛暑と、その猛暑からくる気象被害の多い年だった、と言えるだろう。
幸いなことに、自分がいる地域ではそれほどひどい雨は降っていない。
しかし、先にも書いたように神奈川県でも被害が出ているところはあるし、災害の話題を聞くたびに、明日は我が身、と言うつもりで備えを怠らないようにしてきた。
水と食料のローリングストックだな。
それくらいしかできることがないわけだが…
正直なところ、家族全員の3日分、という指針には若干足りていないのだが、何もないよりはずっと良い、という考えで備えている。
別年同日の日記
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先月末から2週間ほど、日記を書いていなかった。
怒涛の忙しさだったのだ。
まず、普段の仕事が混んでいるのはいつもの事なので、まぁおいとく。
イベントに使われたりするプログラムを作っているので、夏休みシーズンにいろいろな要望が届いていて作らないといけないのだ。
それよりも、問題は町内会。
7月末に「ご出生お祝い会」を行った、というのは先に書いているのだが、実は並行して「敬老の日該当者調査」というのも行っていた。
僕、福祉厚生担当なので、子供と老人の関連やらないといけないのね。
で、敬老の日該当者調査の調査票が届いたのが8月頭。
プライバシーに気を使って、1通づつ封書になっているので、全部開封して、集計しないといけない。
およそ250通。
一応、町内の組ごとにまとまっているので、ひたすら切り開いて中身を取り出し、組ごとに紙をまとめる。
この紙も、封筒に入れるときに人ごとにいろいろな折り方しているので、ここで同じ向きに揃えて開いてまとめるのが重要。
この紙には組と住所を書くようになっているのだが、書かない人がいる。これについては、去年の記録に名前が無いか確認し、補わないといけない。
あと、生年月日と年齢があっていない人がいるので、これも訂正が必要。ただし、訂正はこの後の作業になる。
さて、250通を、ひたすらエクセルに入力する。
エクセルフォームで、生年月日を入れると、敬老の日時点での年齢がわかるようにしてある。
ここで、年齢を間違えて申請している人は判断できるわけだ。
90歳と100歳の人には、市からお祝い金が出る。それ以外の該当者は、町内会からお祝いの品が出る。
なので、これをひたすらまとめる。
ここまでできたところで、一旦他の人を交えて、入力ミスが無いかチェック。
十分注意したつもりでも、他の人も入れて確認するとミスが見つかるので修正。
系統の日調査はまだやることがあるのだが、ひとまずはここまで。
なぜなら、町内会の作業で、もう一つやらないといけないことがあるためだ。
8月の10,11日は、町内会の盆祭りだった。
盆踊りではなく、盆祭り。昨年までは盆踊りと銘打っていたのだが、盆踊りを踊れる人も減ったし、子供中心のお祭りに変えてしまおう、というのが今年の方針だったから。
コロナ中は自粛してて、昨年久しぶりに盆踊りを再開したら、以前とは来る年齢の層が変わっていたのよ。
以前踊りを楽しみにしていた年配が、足腰弱って踊れなくなっていた。
今年は子供中心に変えたのが、大成功。
この祭りで、僕は音響・花掛け担当だった。これも以前と同じなのだけど。
花掛けというのは、寄付をいただいた人の名前を板に貼りだして、この人たちの善意で祭りが成り立っています、と皆に伝えるもの。
盆祭りは、町内会で行ってはいるが、町内会とは切り離された行事なのだ。
盆、というのが宗教行事だから。政教分離の原則。
だから、町内会費は一切使っていない。
近隣の町内会では、寄付金の額も名前の横に添えたり、高額な人を上に貼りだしたりするところもある。しかし、うちの町内会は金額にかかわらず扱いは同じ。
お金を出してくれる、という善意に対して、善意をありがとう、と称えるだけにしよう、という方針だから。
昨年は、久しぶりにやったので機材とかも「コロナ前」とは変わっていた。
それで、音が少し小さくて、スピーカーから離れたところで聞こえないという苦情が多かった。
今年は機材を見直したところ、音が小さいということはなくなった。その代わり、音が大きすぎて割れてしまう、という苦情が多い。
それでいて、スピーカーから離れたところでは聞こえない、という苦情も同時に来る。
つまり、問題は音の大きさではなく、スピーカーが少ないことなのだ。
スピーカーが多ければ、音量を絞っても皆に聞こえるようになるので、音割れも無くなる。
実は、「音が小さい」と言われていた対策を夏祭りのちょっと前に考えていたのだが、思ったより難問で今年は間に合わなかった。
反省会の時に、音割れ・聞こえない問題をどうにかできるか? と言われたのでアイディア披露。
少し金はかかるが、予算をつけるから来年はどうにかしよう、ということになっている。
スピーカーシステムはステレオなので、2つ以上のスピーカーに増やすのは難しい。
そこで、ミニ FM 局にしてしまって、各所にラジオを置こう、というアイディアなのだけどね。
ミニ FM 局は、電波が 50m 程度しか届かないラジオ局。
まぁ、ラジオというよりは、こういうイベントの時に声を届けるための使い方がほとんどなのだけど。
しかし、これを作るための機材が、最近は入手困難。大手メーカーが作ってないので大量生産効果はなく、値段の高めのものしかない。
海外製なら安いのもあるけど、国内で使うと違法になっちゃうものが多いんだよね…
さて、祭りも終わり、目下敬老の日調査のまとめをやっている最中。
組ごとに、名前と住所をまとめた紙を作って、各組長さんにお祝いの品を届けてもらうように依頼しないといけないのだけど、このまとめがすごく大変。
去年は2日間で慌ててやったので、ひたすら手作業の力押しだった。
今年は、もう少し自動化したくて、エクセルスクリプトを組んでみている。
まだできていないが、まとめるのにあと2週間くらい猶予があるので、コツコツやる予定。
別年同日の日記
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20日(土)に、町内会の「ご出生お祝い会」が行われた。
僕が責任者で計画していたので、当然ながら出席してきた。
前回から、9か月ぶり。
半年に1回行うという予定だったのだが、第1回の反省から、開催を少しずらした。
第1回は、1~6月生まれを対象にしたのだが、これにより「年度」が分断されてしまったのだ。
せっかく知り合っても、小学校に上がる時期で1年間の差がある。これでは話がしにくい。
そのため、今回は、前回以降に生まれた7月~4月1日生まれを対象とした。
4月1日生まれは前年度、4月2日生まれは次年度だからね。
そして、新生児のうちは外出するのも大変だろう、と、お祝い会は「少なくとも3か月になってから」で計画している。そのため7月になったわけだ。
さて、今回は、昨年の7月生まれの子の参加があった。すでに1歳。
1歳未満の子の親を集めようと思っていたので申し訳ない。しかし、すでに歩けておもちゃ遊びもできるので、すごくかわいかった。
子供のおもちゃの参考&実際に遊べる子は遊んでもいいつもりで、僕の私物のレゴプリモ・デュプロを持ち込んでいたが、2歳のお兄ちゃんといっしょに遊んでいた。
もう一人の参加は、9か月。こちらは大人しい子ではあったが、ズリバイで動き回っていた。
ズリバイッて、お腹をつけて足を引きずるようなハイハイね。匍匐前進。
9か月でズリバイは特に問題はない。
でも、動きをみるとそろそろハイハイできても良いころかも、というので、市から派遣された保育士さんが「ハイハイトレーニング」のやり方を教えていた。
本人が、腕だけで前に進めると思っていると足を使わないので、足を曲げた状態にして足の裏をしっかり押さえ、足を動かすと体が前に進むのを覚えさせると良いのだそうだ。
前回同様、お祝い金などを渡した後は、かなり自由に雑談の時間。
鎌倉市の保健師さんもいるし、地域の福祉担当(地域包括センター)の人もいる。
雑談の中で、相談事などが出てくればすぐに答えられる。
前回は、直前になって「お祝い金とは別に、お祝いの食べ物を出そう」と決まり、時間の関係もあってお赤飯を注文して出した。
今回は事前準備して、お祝いのお菓子を用意した。町内で、個人で小さくやっている焼き菓子店があるので、特別注文でお祝い用のパックを作ってもらったのだ。
これは出席した大人全員に配った。包括センターや市の職員の方は、こうした会への出席も「仕事のうち」で無償。お金などは受け取っていただけないので、せめてものお礼でもある。
で、僕も自分の分をもらったのだが、ここのお菓子は非常にうまい。
個人でやっているので、大量生産でないぶんだけ、材料や作り方にこだわりがあるようなのだ。
期間内にご出生があった、という申請はもう一件とどいていたが、残念ながら日程の都合で参加されず。
会が終わった後に、お祝い金とお祝い菓子はお届けした。
前回は申請は2件だった。今回3件で、少しはお祝い会の存在が認知されてきたのであれば、嬉しく思う。
(期間、6か月が9か月になったから人数もそれに応じて増えた…というだけかもしれないけど)
別年同日の日記
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ちょっと日記の間が空いた。
前回の日記で、次女が溶連菌感染症にかかった、と書いたが、これは「風邪」としての感染。
いま、「劇症型溶連菌感染症」が問題になっている、とテレビが取り上げ始めた。
溶連菌が、傷口から入ってしまった場合に起きるのだそうだ。
傷口から入った溶連菌により、熱が出て、傷の周辺が腫れあがる。
この時点で対処出来れば、まだ「溶連菌感染症」の類だそうだ。
対処しないと、腫れがひどくなって腕や足などがパンパンに膨れ上がる。
この時点で劇症型、と呼ばれるようになるらしい。
この状態から、さすがにおかしいと病院などを訪れる人もいるようなのだが、進行が早いのが特徴。
検査キットなどを使って原因を特定している間に容体が急変し、会話できる程度には元気だった人が、検査結果が出るまでには死んでいる、ということもあるらしい。
そして、劇症型になってからの死亡率は3割程度という。致死率が高い。
コロナよりも前に、ここ10年くらいで年々増えていたそうだが、コロナの最中に少し患者数が減り、今年は急増らしい。
患者の多くは60歳以上で、足の傷口から感染するパターンが多いとも。
溶連菌、自分の認識では、保育園くらいの子供がかかりやすい風邪、だった。
大人はかかりにくいが、重症化しやすいから要注意、くらい。
思ったより怖い病気。認識を改めた。
別年同日の日記
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日曜日、妻の高校時代の親友が出演している劇を見に行った。
子供が生まれる前、20年くらい前にも見に行ったことがある。
その時は市民劇団に所属していて、主役を演じていた。市民劇団とはいっても大きなホールで演じられる程度の集客力はある劇団だった。
今回は主役ではないが、もっと大きな劇団に所属している。
劇団の団長が、あまり知られていない才能を発掘する番組で最近初代チャンピオンになったすごい人…
と、妻もこの程度の事前情報だけしかもらってなかった。まぁ、劇を見ればいろいろ分かるだろう、程度のつもりで見に行く。
劇じゃなかった(笑)
会場に入ってパンフレットをもらったので読んだら、劇ではなくてオペラだったのだ。
しかも、2時間では時間が足りないので、この日の公演は「ダイジェスト版」だそうだ。
オペラでは、すべてのセリフが歌として表現される。
そのため、ダイジェストとして行われたこの日の公演では、ずっと歌が続く。
多くがイタリア語で、プロジェクターによって日本語訳が示される。
そして、お話は時代劇だ。桜田門外の変前後の、吉原の話。
花魁(おいらん)たちの間での愛憎があり、井伊大老殺しの下手人が吉原に逃げ込んだ、という話もある。
この時代劇を、イタリア語でオペラとして歌い上げ、花魁たちの美を競う絢爛豪華なショーとして演じるのだ。
主人公の花魁は、団長の MARIA SEIREN さん。
井伊大老殺しの下手人であり、花魁の恋仲のお侍さんも、MARIA SEIREN さん。一人二役。
これが凄い。男性の声と女性の声を完全に使い分け、大声量で歌い上げる。
本物のオペラって初めて見たのだけど、こんなに声量出るんだと驚いたし、ソプラノとテナーを歌い分けても声量が変わらない…無理していない、という技術にも驚いた。
劇は、オペラ歌手の歌を中心に進むが、俳優が演じている役どころもある。
妻の親友の人も、俳優としての花魁の役。少し歌うが、オペラ歌手ほど多くはない。
コミカルなギャグ部分もあり、吉本芸人の人が参加している。
あと、時代劇としての和風の所作を求められる部分も多く、狂言師の方々も参加している。
狂言独特の「くさびら」の歩き方で動き回るところがあり、コミカルなのだがとても真似できない動き。
各方面から、それぞれの専門家を集めて劇を作っているのだ。
なんだこれ。こんな豪華なエンターテインメント、はじめて見た。
これで「ダイジェスト版」だというのだから、全編是非見てみたいものだ。チケット高いだろうけど。
本編は、世界ツアーでの公開になるのだそうだ。
なるほど。この内容なら、オペラの本場であるイタリアや、ヨーロッパで公演ツアーをやったら受けそうだ。
「時代劇で舞台が吉原、花魁が多数出演」というだけで十分な話題性だ。
団長さんはラスベガスでの舞台出演経験もあるようなので、アメリカも伝手があるのだろう。
途中休憩をはさんで、後半。
後半は、吉原で墨田川へ、花火大会を見に来た、という設定になっている。
得意のお客様なども招待して、飲めや歌えの大騒ぎ。
冒頭からいきなり、「乾杯の歌」だ。オペラの定番。あれを時代劇でやる。
あの歌と吉原という設定はうまく噛み合う。
またいろいろな歌を披露していく形なのだが、オペラに限らない。
「La Bamba」とか「Boogie Wonderland」といった、往年のディスコナンバーで花魁が躍る。
吉原には「槍り手婆(やりてばばあ)」という役職があったそうで(悪口ではなく)、この「ばばあ」を歌う替え歌として「ラ・バンバ」に持っていくとか、ギャグとしても面白い。
あと、前半から「禿(かむろ)」役として出演している子役がいる。
禿というのは、花魁の身の回りを世話する、まだ小さな子供だ。
で、この子供たち「小町小町」という、4人組のアイドルユニット設定のようだ。後半では歌も披露する。
後半は本当に、楽しければ何でもアリ、という感じ。
今回の公演は「花焔 - kaen -」。劇団は、MONDO PARALLELO歌劇団。
時代劇+オペラ、という軸で展開しているようで、秋にも新作公演があるらしい。
妻は友人が出演するので、ぜひまた見に行きたいとの事だが、僕は子供の面倒見るために留守番かなぁ…
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
ここのところ忙しくて日記書いてなかった。
3月入ってからだから、一週間ではないな。でも、そのくらいの内容をざっとかいつまんで。
3月3日はひな祭り。
でもそれ以前に、町内会の防災訓練だった。近隣三町内が合同で行っている。
今年の防災訓練は、いつもと少し違うような…
例年だと、期限切れが近い保存食の試食会があったり、給水車が来ていて実際の使用の際の話があったりするのだが、そういうものが無かった。
一方で、いつもは出てこない、隣町の消防団が来てくれて、災害時の救出を想定した訓練を…訓練というよりは、寸劇を披露してくれた。
これ、後で聞いたのだけど、保存食や給水車は能登に送ってしまったのだそうだ。その関連もあってボリュームが減ってしまうので、隣町の消防団にも来てもらうよう依頼した、という流れ。
(わが町にも消防団はあり、毎年放水訓練の実演をしてくれる。それは例年通り行われた)
能登に送ろうというので募金活動も行った。2万円弱集まったそうだ。
これに、防災訓練をすると市から支援金が1つの町内会に対して1万円出る。この3万円を足し、5万円程度を能登に送る予定だという。
夜はひな祭りなのでちらし寿司作った。好評。
今週は、長女の高校は入試があって休みになったり、定期試験があって午前中で終わりだったりで、弁当が2日だけ。
長男も今は家で勉強しているので(大学受験は、国立の後期も受験予定で準備している)、思った以上に弁当おかずを使わない。
そういえば、長女の弁当箱を新調した。
…いや、これは先月末にすでに書いていたな。
3月8日。朝雪が降ったが、すぐに雨に変わり、積もっていたものも融けた。
別に大した話ではないのだが、3月に入っての雪は少し珍しいので記す。
今年は大雪も降ったが、全体としては暖冬だ。
3月9日。2週間前に注文したロールカーテンが来たので、和室につけた。
以前のものは、和紙を細かく折りたたむ形のシェードカーテン。プリーツスクリーンというのかな。
薄いベージュ色で、その形状から、横縞だった。
新しいものは、ロールスクリーンだが、素通しの網とベージュの布が横縞に交互に入っている物。
これが2重になっていて、重なり具合を調節することで光の入る量を加減できる。
つけてみると、以前のものとほとんど見た目が変わらず違和感がない。
部活で出かけていた長女が返ってきた際に、わざとカーテンを変えたことを伝えなかったら、しばらく気づかなかったくらい。
取り付けは僕が行った。以前使っていたカーテンのネジ穴を利用して付けたので簡単だった。
今日、3月10日。
3町内合同のグランドゴルフ大会。
親睦を深める、という側面もあるが、市民の健康のためにスポーツを推進する、スポーツ推進委員というものがあり、年に何度かスポーツ大会を行うことで助成金が出ているのだ。
その助成金で、ささやかだが商品なども用意された。タオルや手ぬぐいだけど。
で、普段からグランドゴルフの愛好者が遊んではいるらしいのだけど、人数あわせで呼ばれた僕は初参加。
ルールを教わるところから。
グランドゴルフというのは、生涯スポーツとして近年人気があるようだ。
ゲートボール的なものだけど、パターゴルフに近い。
ゲートボールがチームスポーツなのに対し、グランドゴルフは個人競技なのだな。
チームスポーツだと、下手な人がいじめられるなどの問題もあり、近年のグランドゴルフ人気の後押しにもなっているようだ。
で、少し早めに行って、練習する。基本的には8ホールが1セットで、今回はこれを2セット行い、合計打数で競う、となっていた。
最短 15m、最長 50m。50mはかなり強くたたかないと1打では届かないが、15mだと力を加減しないと行き過ぎてしまう。
なかなか微妙な感じ。しばらくやってみて、どのホールも3打くらいを狙っていけば良さそう、と分かるが、実際3打で入れるのは難しいともわかる。
あと、大きく崩してしまうと面白くなくなるため、5打以上はすべて5打の扱い。
(これはローカルルールのようだ。グランドゴルフの公式ルールには書いてなかった。)
3町内後合同だが、1町内から2名づつ出して6名で1グループ。8グループ作って、8ホールそれぞれから一斉に始める。8ホール回るのに1時間くらい。
一応個人競技だが、町内対抗の形式をとるので、各町内ごとの「平均打数」で競うことになっていた。
平均としているのは、欠席者が出たときのため。
とりあえず、足を引っ張らないようにしよう。平均3打でまわれれば良いかな…と思っていた。
ところが、前半に2回、ホールインワンを出してしまった。初心者なのでわからなかったが、案外出ないものだという。
ホールインワンの際は、最後の集計時に -3打のボーナスが着くそうで、前半8ホール回ったところで、実際の打数 21打、ゲーム上は 15打となった。
これが、ダントツに良い成績。初参加だけどこの調子だったらトップ間違いなし、などと言われた。
休憩。
ハーフ終ったところで、ちゃんと休憩が入って、おやつやお茶などがふるまわれる。ゴルフなのだ。
個包装になっている袋菓子をたくさん開けただけだけど、成績が良い事を褒められながらのおやつタイム。
悪くはなかった。
さて後半。緊張で大きく崩さないと良いけど…と自分で思っていたのだが、初心者なのでそううまい具合は続かないのだ。
一度、OBしてしまいペナルティ1打。この際は、1ホール最大5打のルールに救われた。
そして、「大叩きしないように、堅実に行こう」と考えていたら、全体に打つのが弱すぎる。
とはいえ、終わったら 24打。平均3打なので、決して悪いスコアではないが…
打数としては、全体で2位だった。上手な人が堅実に回った方が、やはり打数が少ないのだ。
とはいえ、初参加で2位(同着の人がいて、2位は2名)というのは悪くなかったのだと思う。
ちなみに、先に書いたように町内対抗なので、個人には特に賞は出ない。
町内会としては2位だった。手ぬぐい頂いた。
午前中だけで終わったが、まぁ楽しめた。
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4日前に、2月だというのに関東各地で夏日を記録した。
2月の気温記録として観測史上最高気温だそうだ。
で、昨日は関東の各所で雪が降った。
2月下旬に雪が降るのは10年ぶりだそうだ。
気温の落差が激しい。
特に何というわけではないが、面白いので記録のために書いておく。
関連ページ
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2月だというのに暑いね。
部屋の暖房は OFF にしているのだけど、仕事場が2階で暖かい空気が溜まるのもあって、暑くて仕方がない。
(花粉症なので窓は開けたくない)
今月頭、2月5日には大雪が降っている。これほど積もったのは5年ぶり、だそうだ。
ちょうど長男が、家から一番遠い大学の受験日で、帰ってこられるか心配だった。
(無事帰ってきたが、電車のダイヤは乱れて大変だったらしい)
そして、先週後半からぐんぐん気温は上がり、最高気温が 20度越え。
今日は、群馬では夏日(最高気温25度以上)になったそうだ。
天気予報では、これからだんだん気温が下がって、来週頭くらいにはまた雪が降るかも、と言っている。
今度は大雪というわけではなさそうだけど、来週頭は長男の本命大学の受験あるんだよね。
そもそも雨が降らないと良いのだけど。
別年同日の日記
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元日にあった能登半島地震から3週間がたつ。
記録のために、その後の動きを記しておきたいと思う。
動きが流動的で、忘れてしまいそうだが、記録しておきたいのだ。
前回は3日の午前…地震から2日ほどの段階で記事を書いていたが、この時点ではまだ、事態の深刻さが十分に理解できていなかった。
3日の時点では、大きなビルが倒壊したとか、輪島朝市通りが大火事だとか、「その程度」の情報しかなかったのだ。
救急救命行為では、72時間を超えると急に生存率が落ちるとされる。
そのため、当初から自衛隊やDMATなどの救命チームが現地に「入ろうとした」。
しかし、入れなかった。72時間以内に、被害の大きかった現場に入ることすらできなかったのだ。
地震による地面の沈下・隆起はすさまじく、その後の調査で高さにして 4m の隆起、海が隆起することで、4.4平方kmが陸地化したという。
半島部なので元々少なかった道は寸断され、陸路で入ることはできない。
当初は海路で入ることが予定されたようだが、海底地形が変わってしまい座礁の危険性がある、ということで海路でも入れない。
半島は山が多く平地が少ないため、ヘリコプターも着陸できない。
ちなみに、空港も滑走路が破損して使えない。元々空港は震災被害の一番大きかったエリアからは遠いが、救援物資の輸送に支障をきたした。
そんなわけで、先遣隊が被災地の奥まで入れたのは、5日ごろになってから。
報道もこのころからで、津波の被害が想像以上だったとも、この頃からわかり始めた。
地震直後には、5m の津波との警報が出されたのだ。
しかし、その地点の津波観測機器は、1.2m の津波、という観測データを最後に動作しなくなってしまった。
そのため、翌日、津波警報などが解除された時点では「1.2m」が一番高い津波とされた。
ネットなどには、5m という予想が出ていたが、精度が悪いのではないかという悪口も出ていたらしい。
(気象庁発表は 1.2m以上、だったが、これを 1.2m だと捉える人は少なからず存在した)
しかし、実際 5m の津波は来ていた。
4m の地盤隆起によって、1m程度の津波で収まった箇所もあるらしいが、実際津波で流された建物もある。
先に書いたが、この事実が報道されるまでで、5日近くかかっていた。
1週間を超えるあたりから、やっと情報が集まり始めた。
と同時に、当然だがこれ以降に「救出された」というようなニュースがあるわけもなく、死者だけが増えていった。
幸いなのは、物凄い数が計上されていた「行方不明者」が、連絡がついて、死者になるわけでもなく減って行ったことだろうか。
そして、情報があれば行動も早い。
壊れた道路の修復は急ピッチで進んだ。被害箇所が多すぎてすぐに復旧とは言えないが、物資の輸送ルートが確保されたのもこの頃。
情報が無いのにボランティアが来ても困る、と、現地ではボランティアが来るのを拒んでいた。
もちろん専門家チームの手は借りているが、一般人のボランティアや、専門家でないものが送り込む物資などは、緊急時には邪魔でしかないのだ。
東日本震災や熊本震災の時には、ボランティアや個人の送る物資が、がかえって邪魔になるという話に事欠かなかった。
今回は、そういう話は少ししか聞かない。…少しは聞く。自重せよ。
ネットで、早くから「千羽鶴を絶対送るな」と言っている人が多かった。
良いことだ。あんなもの送られても、邪魔なだけで神経を逆なですることしかできない。
じっさい送られた数は少なかったようだ。…これも、ゼロではないようだけど。
今回は、「本を送るな」が新しく広まっていた。
古本に限らず、新品でも本は送るな、と呼び掛けられていた。
実のところ、東日本震災や熊本震災でも、善意で送られてくる本の処分に困っていたらしいのだ。
しかし、それよりもっと困るものが多数あったため、あまり大きく取り上げられなかったらしい。
本当に何もない状況ならともかく、「現地には」ないだけで、国内から送り込む輸送路はある。
こういう時は、金を寄付して、使い道は現地の専門家に任せるのが良いと思う。
本当の意味で初期の区切りがついたのは、2週間くらいたってからだろうか。
住宅の危険度判定が進み、家にいると危険だからと促されてやっと避難し始める人たちもいた。
たとえ多少ゆがんでいても、住み慣れた家を離れるのは嫌だというのはわかる。
それと同時に、最初に「緊急避難」した人たちの、県内外の借り上げ住宅などへの二次避難も始まった。
過去の反省を踏まえ、希望すればご近所さんは同じエリアに避難、ということを徹底しているようだ。
東日本震災のころは、避難先で知り合いがいないために引きこもってしまい、一気に老化が進んだお年寄りなどが問題となっていた。
ただ、二次避難は現時点ではまだそれほど進んでいない。
住み慣れたところを離れたくない人も多く、仮設住宅の計画も急ピッチで進んでいる。
今、三週間たったところだ。
まだ水道は復旧していないが、電気はかなり復旧が進んだようだ。
電気の復旧は、いつの震災でも速い。
朝市通りの火災の検分が終わり、火災による死者が 10名追加された。
個人ボランティアの受け入れを開始したところ、すぐに1万人以上が登録したようだ。
ボランティア団体による炊き出しや、風呂・シャワーの提供なども始まっている。
少ない水でも多くの人がシャワーを浴びられるように、可搬型の水浄化システムを作っている会社がシステムを貸し出したりしているらしい。
使った水が、その場ですぐに浄化されて再度使えるようにするの。
コロナのころに、水道がない場所でも「手洗い場」を設置できるようにする機械を作っていた会社のもの。
震災時にすぐに緊急の仮設住宅を提供できる方法を研究している大学の先生が、いくつものセットを持ち込んだ、という話も聞いた。
緊急時に役立つ技術というのは、必要なことなのだけどなかなか実践する機会はないし、できることならそういう機会が来ない方がありがたい。
でも、こういう時に、是非実績を積んで、役立ってほしい。
そして、研究している先生や会社にちゃんとお金が入ればありがたい。
一番大きな揺れを記録したのは、珠洲市。
NHK では、市庁舎にカメラを設置していたそうで、市庁舎からの映像を地震直後から放送していた。
ただ、市庁舎近くは、比較的被害が少なかったようだ。カメラの前で1件の家が倒壊した瞬間が写されていたが、市街地は比較的新しい建物が多く、耐震性もあったのだろう。
現時点で一番被害が大きいとされているのは、七尾市。
一番揺れがひどかった場所、ではない。ある程度人口が集まっていることも、被害を大きくする要因なのだ。
僕はちっとも七尾市について知らなかったが、アニメ「花咲くいろは」の舞台であり、「放課後インソムニア」の舞台でもあるそうだ。
…なんてこった。両方とも楽しく見ていたのに、七尾市についてはまったく知らなかったよ。
さらに言えば、放課後インソムニアで主人公がアルバイトするゲームセンターがあるのだが、七尾市に実在するゲームセンターで、世界的に有名な店なのだそうだ。
その店も被害を受けた、ということで、店主がツイートしているのを見た。
輪島朝市などは僕も観光で行ったことがあるので、朝市の火事の方が大変なことが起きた、と思ってみていた。
もちろん輪島も大きな被害を受けており大変なのだが、七尾も被害が大きいということで、こちらにも支援団体が多数入っている。
本来、災害後の「命を守るための」初動は、72時間以内、1週間以内に起こされるべきなのだろう。
しかし、震災による地盤隆起の激しさや、現地の地形の特殊性などに阻まれ、大きく遅れている。
3週間たって炊き出しなども始まった今は、やっと生活立て直しのための次の段階に入ったところに思える。
能登半島では過疎化が進んで限界集落になっている地域も多かったようだ。
そうした箇所での「復興」とは何なのか、という議論も始まりつつある。
元通りにできたとしても、もともとそこでの生活は難しかったのだ。
ならば、これを機に生活基盤から見直す方法もあるのではないか。
ただ、被災者にそれを「強いる」ことはできない。
当然のことながら、「元の生活」に戻りたいというのが多くの人の願いだろう。
どうするのが良いのか、これから長い時間をかけて模索を続けることになりそうだ。
別年同日の日記
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今年は元日から大事件が相次ぐので、記録のために書いておこう。
まず、元日の16時7分、能登半島で震度5の地震があった。
僕はテレビで、ゼルダの伝説(ティアキン)遊んでた。お話は終わらせて、世界を楽しんでいるところ。
スマホに災害情報のアプリを入れていて、自分の地域でなくても大きな地震があった時は通知するようにしている。
で、震度5か。正月から現地の人は大変だな、と思いつつ、ゲーム続行。
すぐ直後、16時11分に、もう一度アラートが鳴る。能登半島で震度6。
これはゲーム遊んでいる状況ではないな、とセーブしてすぐやめ、テレビをNHKに合わせる。
速報番組やっていた。11分の地震はすぐに震度7に上方修正された。
この地震は数時間後に、令和6年能登半島地震と命名された。
津波警報が出され、アナウンサーが必死に避難を呼びかけていた。
しかし、情報が少なすぎて、アナウンサーも言葉を選びながら繰り返し同じことを伝えている。
普段聞かないアナウンサーの声で、正月なので有事対応のための宿直が対応しているのだろう、と感じる。
やがて津波警報は、大津波警報に変わった。
東日本震災を思い出して、今すぐ避難をと呼びかける。
今すぐこのテレビを消して避難を、と言いかけてから、いや、テレビそのままでいいから避難を、と呼びかける。
30分もすると、解説員がスタジオに到着したようで、冷静に今の状況や過去の事例を比較しながら、今すぐ避難を、と呼びかける形式に変わった。
科学的説得力は増すが、結論は変わらない。
しばらくテレビを見ていたが、1時間もすると新しい情報はなくなる。
まだ状況が全然つかめていないころだ。気にはなるのでスマホで radiko を使ってNHKを聞きながら、ゲーム再開。
すぐ夕食の時間になったが、夕食中もテレビを見ていた。
市街地で火事、という速報映像が入ったが、まだどこが燃えているなどわからない状況。
7階建ての大きなビルが倒れ、隣の建物をつぶしていると救助要請が入った、という言葉でのニュースもあったが、どのような状況かはわからない。
当初は能登半島が注目されていたが、新潟などでも被害が出ていると伝え始めた。
こちらは映像も多い。能登半島は混乱していてスタッフの派遣もままならないのだろう。
夜遅い時間になってから、旧ツイッター、X での偽情報に注意、と呼びかけ始めたのだが、この時点での報道姿勢には疑問があったので特に詳しく書く。
災害時にはよくあることだが、ツイッターで偽の情報が出回っているので、惑わされないように注意、との呼びかけ。
この時点で、NHK は一つのツイートを画面に大写しにし、「偽情報」と大きく書いていた。
ツイートの内容を読むと、以下のようなもの。(記憶で書くので文面などはそのままではない)
「地震でNHKのアナウンサーが必至で津波からの避難を呼びかけている。現地の人はとにかく逃げて。」
という文面とともに、短い津波の動画が付けられている。
NHK によれば、この津波動画は東日本震災の時のもので、「関係のない動画をつけて人心を惑わす、悪質な偽情報」という扱いだった。
いや、それさっきNHKのアナウンサーが「東日本震災を思い出してください」と叫び続けていたから、ツイート主がその時の動画を見つけてきてつけたものでしょ。
この動画が過去のものだ、という注釈がないのは、ツイート主の言葉足らずかもしれない。
でも、NHKの「意図を汲んだ」良ツイートだ。これを偽だと断定するのであれば、NHKが偽情報を流していた、ということになる。
NHK内部でも指摘するものがあったのか、数時間後には「偽情報」についての呼びかけの際に使われるツイートが違うものになった。
そちらは、混乱に乗じて注目を浴びようとするタイプの、全くの偽情報だった。
ところで、初期段階で頑張っていたアナウンサー氏の発言には、科学的知識が欠如したものや、前提をすっ飛ばしたものも多かったことを付記しておく。
たとえば、彼女は「電源なんてそのままでいいから避難を」と呼びかけた。
でも、NHK はのちに、「電源が入ったまま放置された家電品が火災を起こすことがある」という、通電火災の危険性を伝えていた。
彼女は偽情報を流したとして糾弾されるべきか?
いや、そうではないだろう。
彼女は自分の責任を全うして、人命最優先の呼びかけを行った。だから、多少知識不足があったとしても、前提が抜け落ちても、呼びかけをしなかったよりもずっと良い。褒められこそすれ、糾弾されるべきではない。
でも、「言葉足らずだった」という点では、NHK が偽情報だと断定したツイートとあまり変わらない。
NHK はアナウンサーの彼女の行った呼びかけを偽だとは言わないだろうし、実際偽情報などではない。
それと同じくらい、NHK が偽だと断定したツイートは、偽情報ではなかった。
つまりNHKの「偽」という指摘が偽だ。
偽情報に気を付けるように、という呼びかけを行うNHK自身が、偽情報を流しているのだ。
「デマ」に関しては、東日本震災の時に一度書いているので、リンクしておく。
この問題、簡単に断定してよいようなものではないよ。
夜になってしまうと情報は入りづらい。ニュースが繰り返しになったので、この日は就寝。
正月2日。正月なのでゆっくり寝ていたいのだが、5時半に目が覚めてしまった。
いつもは4時半に起きねばならないので、自然に目が覚めてしまうのだ。
普段は家事をしながら、アマゾンPrimeでアニメなどみてる。
しかし、この日は情報が気になるので、NHK+ アプリでリアルタイムのニュースを見る。
まだ昨夜と情報があまり変わらない。
この時点で、死者4名、と報じられていたが、災害の時は夜がけてから調査が行われ、一気に増える。
この人数でとどまらないという諦念はあった。
8時ごろから、次々情報が入り始める。死者は6名になり、すぐに8名になった。
倒れたという7階建てのビルの映像が入る。思っていたのと違う、思いっきり横倒しになっていた。
火災の現場も、市街地中央の朝市通りだという。昔観光で行ったことがある。
火災に巻き込まれた件数は、6時ごろには50件超と伝えられていたが、8時ごろには100件超になり、9時ごろには200件超になっていた。
あちこちで崩れた山、実際の津波の被害映像も届き始める。
津波が陸上にまで到達しなかったのは幸いだが、砂浜にあった建造物や、港の船、防波堤などが大きく被害を受けている。
11時には、死者数が15名と発表された。倍々ペースで増えている。
#4日に追記。津波被害については、執筆時点で十分な認識がされていなかっただけだった。その後の情報で、陸上・街中でも津波の被害にあった建物など見つかっている。
さて、気になってずっとテレビをつけていたが、この間に「お正月らしい」こともしている。
昼過ぎから、子供たちとボードゲーム大会。街コロとカルカソンヌを遊んだ。
以前は時々遊んでいたのだが、子供たちも忙しくてみんな揃って遊べる時間が無くなっている。
で、「じぱんぐ島遊びたい」という意見が出たので、3時半ごろからは「じぱんぐ島」大会。
PS1 の古いゲームなのだが、ボードゲームの名作「カタンの開拓」を、テレビゲームアレンジしたものだ。
古い PS2 を引っ張り出してきて、テレビに繋いで遊んだ。つまり、この時間はニュースを見ていなかった。
6時過ぎになり、夕飯の支度しよう、とゲーム大会は終了。
地震のニュースどうなった? とテレビをつけると、「羽田空港で旅客機炎上」というニュース速報をやっていた。
この時点で、本当に速報が始まったところ。詳しい状況が分かっておらず、アナウンサーも「旅客機が炎上している」という事実を伝えるのみ。
この数分の間にも、火の勢いがどんどん増していくのが分かる。
ただ、事故の瞬間をとらえた映像で、着陸直後から左翼のエンジンが発火していることが分かり、これなら避難は可能だろう、と思った。逃げ遅れが出なければよいのだけど。
それから数分後には、乗客は全員無事避難した、という速報も入る。
海上保安庁の飛行機の接触で、海上保安庁機に乗っていた6人の内、5人は死亡したそうだ。
これを聞いて、能登地震の支援のために現地に向かおうとしていたのではないか、と考え、すぐに自分で否定する。
能登にある空港は、すべて滑走路がひび割れてしまい使えないそうだ。
陸路も道路が寸断されており、今は海路で緊急物資を届ける算段が考えられている。
しばらく後に、海上保安庁機は新潟へ向かうところだった、と知る。
あぁ、能登ではないが、やはり地震の支援に向かうところだったのか。
この時点で正確な情報はなかったが、日記を書いている時点で調べたら、この直感であっているようだ。
海上保安庁機は、震災対応のために新潟に物資輸送するところだったらしい。
地震で困っている人々に対応しようと、正月返上で働いていた人がなくなったというのは、いたたまれない。
原因究明はまだ行われていないが、「滑走路手前で待機」と管制から海上保安庁機に伝えたが、滑走路に入ってしまっていたらしい。
元日から大地震が起き、2日には大事故があった。
年の初めの、のんびりしたい時期に、気の休まらない関係者もいることだろう。
僕としては、遠いテレビ桟敷で、無駄に状況を見守って憂慮しているだけ。何の力もない。
しかし、せめてこれは忘れてはならないことだと感じ、記録を残すものです。
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