2025年11月10日の日記です


感想メール  2025-11-10 12:33:31  その他

一応このWEBサイトでは、メールアドレスを提示して感想・情報を送ってもらえるようにしている。


まぁ、めったにこない。いや、来ないでいいんだよ。

これは見ている人に対しての催促などではない。



でも、先日わずかな期間に2通、それも海外から感想メールがやってきた。




一つは TX-2 の情報について何か知らないか、というもの。

また、僕が作った TX-0 エミュレータが、何かを移植したものか、それともオリジナルかとも。



TX-0 は、MIT で作られた、トランジスタで動作するコンピューターの実験機だ。

「1号機」を作る前の実験だったので、型番に 0 とついている。


そして、ちゃんと動作することが確認されてから TX-1 の制作にかかった…のだが、ちょっと意欲的過ぎて失敗したらしい。

狙いを絞った TX-2 にプロジェクトは移行し、こちらは完成した。



TX-0 は、コンピューターの出力機器が「タイプライター」だった時代に、ブラウン管ディスプレイを搭載した変わった機械だ。

なぜそうなったかなどの経緯は過去に記事を書いている


さらに、まだコンピューターが非常に高価で普通は個人では触れない時代に、学生が自由に触ってよい機械だった。

技術試験機として「動くことが分かった」時点ですぐに不用品となり、自由に使ってよい機械として寄贈されたのだ。


ディスプレイが付いた、自由に触ってよい機械なんてものがあれば、学生は遊び始める。

世界で最初のテレビゲームの一つである「迷路のネズミ」が作られている。

(世界で初めて、ブラウン管にキャラクターを表示したゲームとなる。しかも、すでに隠しキャラまで作られている)


僕が TX-0 エミュレータを作ったのは、この「迷路のネズミ」のプログラムをネット上に発見したから。

でも、プログラムだけあって実行環境がなかったので、いろいろな資料を基に自分でエミュレータを作り上げた。




連絡をくれた人は、同じように TX-2 の「スケッチパッド」を動作させたくて頑張っている、らしい。


スケッチパッドは、世界で初めての「コンピューターで絵を描く」環境。

全てのコンピューターグラフィックスは、ここから始まっている。


絵を描くと言っても、絵筆と紙をシミュレートするようなものではないよ。

コンピューターで絵を描くのだから、「ディスプレイに向かって指示を与えることで、絵をプログラムする」のだ。


絵はディスプレイに表示されるだけでなく、その描画プログラムを出力させて製図用のプロッタプリンタに読み込ませることで、製図もできた。この可搬性が、単に絵を描くのではなく「プログラムする」ということだ。



これ、実は現在の「アドビ イラストレーター」と同じ技術。

イラストレーターで描いたものは、内部的に Postscript 言語で保持され、PDF 等に出力できる。

(PDF自体、内部に Postscript のプログラムが書かれている)


イラストレーターとスケッチパッドは、非常に似ているのだ。


というか、制作者のサザーランドは後に大学教授となり、その教え子が作った会社がアドビ社だ。

似ているのは偶然ではない。スケッチパッドはイラストレーターの遠い祖先、と言ったところ。



そんなスケッチパッドだが、当時のニュース映像などは残っているのだが、実際に動作させる環境は無かった。

TX-2 のエミュレータを作っている、という人は、このスケッチパッドを動かすことを最終目標としているらしい。


何度かメールの交換をしたのだが、スケッチパッドのプログラム自体はすでに手元にあるらしいのだ。

ただ、コンピューターに読み込ませる方法がなくて困っている、というので、おそらくはバイナリの紙テープとかなのだろうと思う。


また、いきなりスケッチパッドという大物をエミュレートしようとしても、動かないときに何が原因かわかりにくい。

そこで、他の手ごろなプログラムなどを探しているらしい。


僕が TX-0 のエミュレータを作った際には、小さなプログラムから「迷路のネズミ」のような大物まで、しかもすでにバイナリ化したデータファイルを見つけられたので非常に運がよかった。


(本当は TX-0 の音楽演奏プログラムも動かしたいのだが、僕の技術不足で作れないままになっている…)



せっかくなので、メールくれた彼の作っているサイトを紹介しておこう。


TX-2 Project




もう一つは、僕の過去の日記に感想をくれた方だ。


えーと、詳しく書かない。探せばわかるが、会社員時代の思い出話を過去の日記にいろいろ書いているんだ。


社外秘になるようなことは書いていない、と確信しているので公開しているが、それでも勝手に描いている昔話は余り宣伝するようなものではないので、「こっそり」書いた扱い。だからここでも、何に対して感想をくれたかなどの詳細は書かない。


で、その思い出話に書いた「会社製品」の一つが、メールをくれた彼の人生を方向づけたものだったそうで、さらなる情報を求めて連絡をくれたのだ。


ただ、僕が作ったものではないのだよね。同じ部署で作って、僕は傍観していただけ。

それでもせっかくなので知っていることは教えたのだけど。


それを作ったのは今でも時々会う友人なので、機会があれば彼に連絡をつなげてあげたい。

でも、僕がその友人の直接連絡先を知らないのだ。

(共通の友人が、時々飲み会などをセッティングしてくれるので、直接連絡手段がなくても会えるのだ)




どちらも、最初のメールをいただいてから、今のところメール2往復。

主に僕の方が返事をすぐに返さない、という事情による。


苦手な英語でのやり取りだし、メールの内容が資料調査などを含むものなので、時間があるときでないと書けないんだ。

そして、この1か月間、毎週末に町内会の行事などがあって、全然自分の時間を持てない。


相手の方は情報を欲しくてメールしてくれているのに、返事が遅くて申し訳ないと思う。



しかし、こうした交流があるのは楽しい。

WEB サイトを作っていてよかったと思う。




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