2025年01月の日記です

目次

01日 あけましておめでとうございます
03日 百人一首
15日 鎌倉散策


あけましておめでとうございます  2025-01-01 14:24:25  その他

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あけましておめでとうございます

毎年恒例、今年のおせち。


左上の一の重、紅白かまぼこと、さくらんぼの練り切りは市販品。伊達巻は僕の作ったもの。

右上の二の重、いくらは秋に筋子から作ったもの。田作り、紅白なますは妻の作。数の子入り松前漬けは僕の作ったものだが、松前漬けに関しては素材を細切りにしてある市販キット。


右下、三の重。栗きんとんは僕の作だが、栗は市販の甘露煮、金団の裏ごしは次女がやった。

ここ数年は次女が裏ごししていて、今年は受験生で忙しいのに「やりたい」と主張するので、時間を合わせて作った。


鶏ハムは僕の作。締めサバは、秋に妻の友達からもらっていた冷凍品だが、ちょっといいやつ

一緒にいろいろな水産物加工品をもらっていて、他は食べたのだがこれだけなんとなく残っていたのでおせちに入れた。


左下、別重。煮しめ。妻の作。

僕も妻も煮しめは好きなのだが、子供たちが小さなころには不評だったので、しばらく作っていなかった。

今は子供たちも美味しいと食べていた。ちなみに、中に入っている里芋は、庭の畑(花壇)で取れたもの。


別皿の煮卵は僕の作。ゆで卵を少しにんにくを入れただし醤油で漬けただけ。




次女は高校受験で、塾の正月特訓がある。しかし、初詣には行きたい、というので、6時に起きて地元神社へ。

僕はその前におせちの準備をしたかったので、5時起き。


6時に起こすも、起きない。妻もこのタイミングで起床。

次女がなんとか居間まで起きてきて、そのまま横になって寝てる。「起きろ」と言いながら、弁当などの用意。


6時20分ごろにやっと家を出て近所の神社まで…走る。時間がないのと、寒かったので走れば体が温まると思ったから。

でも、次女は「走ると風が冷たい」といって背を丸めて歩いている。


神社はまだ氏子会の人は誰もいなかった。毎年氏子会の人が甘酒とかふるまってくれているの。

どうやら、昨日の深夜の「年が変わる瞬間」にお参りする人もいるので、甘酒とか一度ふるまった様子はある。


町内会の付き合いもあるので、いたら少しくらい寄付しようかと思っていたが、賽銭だけで帰る。



家に帰りついて6時50分。もちを焼いてお雑煮を準備したが、このわずかな時間で次女は再度寝てしまう。

7時過ぎには他の子も起こして新年のあいさつ、食事となったが、次女は「眠くて食欲ない」という。


お弁当に加え、おにぎりを用意する。朝塾まで行く途中で食べるそうだ。


8時には、駅まで車で送る。普段は駅前の塾に通っているが、正月特訓は隣駅のグループの塾に集約している。

あ、写真にはお酒写っているけど、車出す予定だったから飲んでませんよ。




家に戻ってから、再度寝た。

大みそかは「ゆく年くる年」を見てから寝るから、5時起きだと睡眠足りてない。



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23年 あけましておめでとうございます。

24年 あけましておめでとうございます


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百人一首  2025-01-03 15:00:59  歯車 家族

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百人一首

2日に、長兄の家に親戚が集まった。


コロナのせいでしばらく集まっていなかった。2020年が最後だったか。5年ぶり。


昨年、長兄の娘(僕から見て姪)の2人が、それぞれ出産した。その赤ちゃんも参加。かわいい。


それぞれに「はじめてのこぐまちゃん」をプレゼント。

この絵本、我が家の長男が生まれたときに妻の知人からプレゼントされたのだが、新生児には本当にオススメ。


「絵本」といいつつ、おもちゃだから。べろべろに舐めても、歯固めとして噛んでも構わない。分厚くてふやけない紙でできているので、乱暴に扱ってもらって大丈夫。

もちろん絵も可愛いし、赤ちゃんでも認識しやすい色使いなので0歳児でも興味を持って眺める。

(実際、昨日も赤ちゃんが噛みまくっていたが、時々手を止めてページを眺めていた)




さて、親戚の集まりはともかくとして、父母の遺品を整理したいという、

実際、父母が大切にしまってあったものでも、僕らにとっては特に価値がないものもいっぱいあるんだよね…


漆塗りのお盆5枚セットとか、那智黒石の硯とか、良いものだとは思うけど持っていても使わない。

古道具屋さんに渡して、使ってくれる人の手に渡る方がいい。


とはいえ、長女が最近抹茶に興味を持っているので、抹茶セットをもらってきた。

これ、確か長姉が高校だか大学だかのころに、少しだけ部活かなんかで使っていた奴じゃなかったかな。

練習用の、抹茶碗と茶筅、茶杓のセット。


あと、次女が最近「和服着てみたい」と言っているので、和服を小物含めて数点。

非常に良いものもあったが、そういうものは管理が大変で気軽に着られない、ということで、家庭でも簡単に洗える生地のものだけ。母が若いころに着ていたもののようだ。


妻が自分で着付けられるので、次女の受験が終わったら着せてやるいう約束になっている。




そして、今回の話題のメイン。

懐かしいものが出てきた。冒頭に写真を示したものだ。


この写真はすでにネタバレなのだが、木でできた札だけ、100枚のセット。箱には「百人一首」とだけ書いてある。


長姉は僕が小学生のころに北海道に嫁いだのだが、まだ結婚前に北海道に挨拶に行き、お土産として持ち帰ったもの。

百人一首とあるが、全く意味が分からず、一種の工芸品として死蔵されていた。

一度も遊んだことはないし、そもそも遊び方がわからなかった。


すっかり忘れていたが、懐かしいものでてきたな…

今は良い時代なので、すぐに検索。北海道の「下の句かるた」と呼ばれるもので、基本的に小倉百人一首なのか。


木の札は取り札だけで、読み札には普通の百人一首を使えばよい、ということらしい。

多分使うことはないが、仕事柄「ゲーム」関連のグッズは好きなので、もらうことにする。


(父母の遺品の整理だったのだが、これは長姉から家族へのお土産で、遺品と言ってよいかも不明)




で、家に持ち帰ってから早速、百人一首と突き合せながら解読作業。

長女・次女が中心になって札を探し、僕が最終判定を下す形で進めていきました。


冒頭の写真はその結果の、ほんの一部。


以下、北海道の人には当たり前のだと思われることを書くだけなので、別の地域の方だけ読んでくれればよいです。



写真の4首だけ解説しましょう。

ちなみに、読み札は昔ダイソーで売っていた、50組 100円の百人一種のもの。

1セットに、読み札と取り札が 50組、合計百枚入っている。2セット買わないと遊べない。

そして、部分的に「現代語」で書かれている。


右上の札から。


春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすちょう 天の香具山


木札は下の句だけだが、大きく「衣ほす」と書かれている。

(ちょっと「す」の部分がどうなっているのかわからないが…)


そして、左側に小さな字で「てふ 阿まの / 香久山」。 / の部分は改行の意味で、以下同様。


「あ」ではなく「阿」だったり、「具」ではなく「久」だったりするが、句としても有名だし、比較的読みやすいので最初に挙げてみた。



次は読みにくい例。左上の札。


いにしえの 奈良の都の 八重桜 きょう九重に においぬるかな


木札は、右上に「けふ」、左下に「九重」と大書きしてある。

「けふ」だけでは「今日を限りの 命ともがな」と区別がつかないので、区別がつくところまでを大書きしているのだ。


そして、左上に小さな字で「に / 匂へ」、さらに右下に「ぬる / か那」と書かれている。


右上から左下に進んだ後、上に登ってから右下に降りる、という変則的な行運び。


「か」の字が「の」に見えるが、草書ではこのように書く。花札に「あかよろし」と書かれているのを「あのよろし」と読んでしまう人が多いのと同じものだ。


そして、切れ字(句の末尾の文字)の「かな」は「か那」と書かれている。この札では漢字が少しわかりにくいが…一番わかりやすいものでも、何を書いてあるのか判別できなかった。

ただ、「な」と発音できる万葉仮名などの一覧を見たら、一番近そうなのが「那」だった、というだけだ。


同様に「けり」の場合は「け里」と書いてある。



続いて右下の札。


奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき


木札は、右側に「声きく」と大書きしてある。そして左側に「時ぞ 秋ハ / かなしき」


かなしき、の「か」は、先ほど説明した「の」に似た字体。

まぁ、非常に素直だ。これも比較的わかりやすい例だと思うのだが、次の札と判別がつきにくいのでわざと写真に写してみた。



で、左下の札。


ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらん


木札は、右側に「志川心」と大書きされている。これで「しづこころ」と読む。


川、と書いた部分、実際には草書の「つ」だ。


カタカナの「ツ」の元になった字は「川」だ。これは比較的わかりやすい。

そして、点の部分が横につながると、ひらがなの「つ」になる。しかし、草書はひらがなの前段階の書き方なので、ここではほぼ「川」の形に書いているのだ。


そして、先ほどの右下の札と比べてみて欲しい。「こえきく」と「しづこころ」で全然違う文字で始まるのに、冒頭の文字が似ているのだ。


「声」と「志」で、上の部分が同じだからね。



左側は「なく花の / 散るらん」。まぁ、左側部分は素直で読みやすい。




これ、百首全部を読み終えたから説明できるだけで、最初は全く読めない。

ゲームの札だし、100枚しかないのだから完全に暗記してしまえばいいだけだけどね。


ゲームとして遊ぶ際は、「上の句は読まない」そうだ。


通常のゲームとしての百人一首は、上の句を読んでいる間に下の句を思い出して取る、という暗記ゲームだ。

しかし、下の句をいきなり読むので、こうした暗記力の勝負ではない。


一方で、上に挙げたように、ほぼ文字が読めないので、図形として丸暗記する必要はある。結局暗記力勝負。



北海道の人には当たり前の話かと思うのだけど、僕にとって「40年前に全く意味の分からなかったものが、やっと理解できた」のでした。




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鎌倉散策  2025-01-15 17:31:23  その他

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今週頭の13日月曜日、成人の日で休日だったが、ちょっと鎌倉散策に出かけた。


長女はこの日から修学旅行。次女は受験生なので祝日でも塾へ。

長男は家にいるが、そろそろ大学の試験なので家で勉強。


で、妻と二人で、初詣を兼ねて出かけた。

あ、初詣はちゃんと元日に、地元神社に行ってますよ。




昨年12月に、それまで歩いたことが無かった山道を歩いた

この時に、遠いと思っていたところが、我が家から結構近いことに気づいた。


車で行ったら、大きく迂回して30分以上かかるところ。


ところが、山に入ってしまえば歩いて 30分だった。

もっとも、山に入るまでで 20分程度歩かないといけないのだけど。


山の入り口まで自転車で行き、そこに自転車を置いておくことにした。帰りは逆順で。

これだと、車で行くより気が楽だ。




さて、今回の目的は鎌倉宮。


12月に歩いたときも鎌倉宮に立ち寄った。

ここには「身代わり様」という木像があり、自分の悪いところを撫でると、身代わりになってくれて自分は治るという。


…身代わり地蔵の類って、全国どこでもあるよね。


ところが、妻が昨年1年近く、筋を違えて肩が痛いのが治らなかったのが、身代わり様を撫でてからすぐに治ったのだ。


超常的な力で治った、とは思わない。何か原因があったのだろう。でも原因がわからない。

わからないなら、身代わり様のおかげってことにしておこう。


ただ、一つ気がかりなことがあった。

身代わり様、お賽銭箱があったのに、お金いれていないのだ。本堂の方にお賽銭入れたからいいよね、ってお金も入れずに撫でさせてもらった。


今回、直してもらったのだからちゃんとお礼参りしよう、という目的で初詣に行ったのだった。




僕も妻も信心深くはないので、本堂にお賽銭入れたと言っても、たしか二人で20円だったと思う。

まぁ、今回は初詣も兼ねるし、たっぷりお礼しよう。妻は300円、僕は別にお礼ではないので100円で。


これとは別に、本堂にも100円づつ入れたので、鎌倉宮には二人で600円お賽銭を投げたことになる。



12月の散策は、実は後の予定があって時間に追われた散策だった。

そのため、この周辺をゆっくり見ていない。


せっかくなので散策しよう…と少し歩くと、荏柄天神があった。

お参りする。


鎌倉宮よりにぎわっている、と思ったが、妻に「受験シーズンだから」と言われて納得した。

天神様は学問の神様だからね。


そして、神社の隅に「絵筆塚」があった。


あ、これ、ここだったのか。鎌倉のどこぞにあると聞いたことはあったが、はじめて見た。


有名漫画家がみんなで「河童の絵」を描いて建立したもの。

正面の一番見やすいところには、河童に変装する道具をもった ドラえもん がいる。


唐突に思えるが、2つの由来がある。


一つは、天神様が「学問の神様」だということ。

古くは学問の象徴が筆だった。使い古した筆などを奉納して供養してもらう習わしがある。


そしてもう一つ。

筆供養の一環として、手塚治虫以前の時代の漫画家さんが「かっぱ筆塚」を建立しているのだ。


普通にいろいろな漫画を描いていた方だが、特にヒットだったのが河童を描いた漫画だった。

それで「かっぱ筆塚」なのだ。


さすがに古すぎて僕もよく知らない。黄桜酒造の河童の絵を描いていた「初代」の人だそうだ。

現在の河童の絵は2代目の方が描いたものだが、この2代目もすでに亡くなっている。


で、最初の話に戻る。


漫画は手塚治虫以前と以降で全然違うものになったが、「以前」の人がここに筆供養の塚を作っている。

そこで、「以降」の漫画家 154人が連名で、新たな絵筆塚を作ったのだ。


絵筆塚が建立されたのは平成元年。この年に手塚治虫は無くなっているが、絵筆塚には河童に扮した鉄腕アトムも描かれている。もちろん手塚治虫が描いたもの。

黄桜の2代目の絵を描いている方も、もちろん描いている。「昭和の有名漫画家」がみんなで河童のイラストを描いた、珍しい共作物だと言えるだろう。




もう一つ、覚園寺にもお参りしてきたが…


ここは、奥に本堂があって、そちらに行くのに拝観料が必要だったので、奥には行っていない。

しかし、その手前、無料で拝観できる部分でも、鎌倉時代に作られた仏像三体を見ることができる。


せっかくなので、ここでもお賽銭を。

神社仏閣巡りでこんなにお賽銭を出したのは初めてだ。

(もちろん、荏柄天神でも出しています)



この日の鎌倉散策はこれで終了。散策時間は1時間半程度。

移動時間含め、2時間弱でした。



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