2日に、長兄の家に親戚が集まった。
コロナのせいでしばらく集まっていなかった。2020年が最後だったか。5年ぶり。
昨年、長兄の娘(僕から見て姪)の2人が、それぞれ出産した。その赤ちゃんも参加。かわいい。
それぞれに「はじめてのこぐまちゃん」をプレゼント。
この絵本、我が家の長男が生まれたときに妻の知人からプレゼントされたのだが、新生児には本当にオススメ。
「絵本」といいつつ、おもちゃだから。べろべろに舐めても、歯固めとして噛んでも構わない。分厚くてふやけない紙でできているので、乱暴に扱ってもらって大丈夫。
もちろん絵も可愛いし、赤ちゃんでも認識しやすい色使いなので0歳児でも興味を持って眺める。
(実際、昨日も赤ちゃんが噛みまくっていたが、時々手を止めてページを眺めていた)
さて、親戚の集まりはともかくとして、父母の遺品を整理したいという、
実際、父母が大切にしまってあったものでも、僕らにとっては特に価値がないものもいっぱいあるんだよね…
漆塗りのお盆5枚セットとか、那智黒石の硯とか、良いものだとは思うけど持っていても使わない。
古道具屋さんに渡して、使ってくれる人の手に渡る方がいい。
とはいえ、長女が最近抹茶に興味を持っているので、抹茶セットをもらってきた。
これ、確か長姉が高校だか大学だかのころに、少しだけ部活かなんかで使っていた奴じゃなかったかな。
練習用の、抹茶碗と茶筅、茶杓のセット。
あと、次女が最近「和服着てみたい」と言っているので、和服を小物含めて数点。
非常に良いものもあったが、そういうものは管理が大変で気軽に着られない、ということで、家庭でも簡単に洗える生地のものだけ。母が若いころに着ていたもののようだ。
妻が自分で着付けられるので、次女の受験が終わったら着せてやるいう約束になっている。
そして、今回の話題のメイン。
懐かしいものが出てきた。冒頭に写真を示したものだ。
この写真はすでにネタバレなのだが、木でできた札だけ、100枚のセット。箱には「百人一首」とだけ書いてある。
長姉は僕が小学生のころに北海道に嫁いだのだが、まだ結婚前に北海道に挨拶に行き、お土産として持ち帰ったもの。
百人一首とあるが、全く意味が分からず、一種の工芸品として死蔵されていた。
一度も遊んだことはないし、そもそも遊び方がわからなかった。
すっかり忘れていたが、懐かしいものでてきたな…
今は良い時代なので、すぐに検索。北海道の「下の句かるた」と呼ばれるもので、基本的に小倉百人一首なのか。
木の札は取り札だけで、読み札には普通の百人一首を使えばよい、ということらしい。
多分使うことはないが、仕事柄「ゲーム」関連のグッズは好きなので、もらうことにする。
(父母の遺品の整理だったのだが、これは長姉から家族へのお土産で、遺品と言ってよいかも不明)
で、家に持ち帰ってから早速、百人一首と突き合せながら解読作業。
長女・次女が中心になって札を探し、僕が最終判定を下す形で進めていきました。
冒頭の写真はその結果の、ほんの一部。
以下、北海道の人には当たり前のだと思われることを書くだけなので、別の地域の方だけ読んでくれればよいです。
写真の4首だけ解説しましょう。
ちなみに、読み札は昔ダイソーで売っていた、50組 100円の百人一種のもの。
1セットに、読み札と取り札が 50組、合計百枚入っている。2セット買わないと遊べない。
そして、部分的に「現代語」で書かれている。
右上の札から。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすちょう 天の香具山
木札は下の句だけだが、大きく「衣ほす」と書かれている。
(ちょっと「す」の部分がどうなっているのかわからないが…)
そして、左側に小さな字で「てふ 阿まの / 香久山」。 / の部分は改行の意味で、以下同様。
「あ」ではなく「阿」だったり、「具」ではなく「久」だったりするが、句としても有名だし、比較的読みやすいので最初に挙げてみた。
次は読みにくい例。左上の札。
いにしえの 奈良の都の 八重桜 きょう九重に においぬるかな
木札は、右上に「けふ」、左下に「九重」と大書きしてある。
「けふ」だけでは「今日を限りの 命ともがな」と区別がつかないので、区別がつくところまでを大書きしているのだ。
そして、左上に小さな字で「に / 匂へ」、さらに右下に「ぬる / か那」と書かれている。
右上から左下に進んだ後、上に登ってから右下に降りる、という変則的な行運び。
「か」の字が「の」に見えるが、草書ではこのように書く。花札に「あかよろし」と書かれているのを「あのよろし」と読んでしまう人が多いのと同じものだ。
そして、切れ字(句の末尾の文字)の「かな」は「か那」と書かれている。この札では漢字が少しわかりにくいが…一番わかりやすいものでも、何を書いてあるのか判別できなかった。
ただ、「な」と発音できる万葉仮名などの一覧を見たら、一番近そうなのが「那」だった、というだけだ。
同様に「けり」の場合は「け里」と書いてある。
続いて右下の札。
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき
木札は、右側に「声きく」と大書きしてある。そして左側に「時ぞ 秋ハ / かなしき」
かなしき、の「か」は、先ほど説明した「の」に似た字体。
まぁ、非常に素直だ。これも比較的わかりやすい例だと思うのだが、次の札と判別がつきにくいのでわざと写真に写してみた。
で、左下の札。
ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらん
木札は、右側に「志川心」と大書きされている。これで「しづこころ」と読む。
川、と書いた部分、実際には草書の「つ」だ。
カタカナの「ツ」の元になった字は「川」だ。これは比較的わかりやすい。
そして、点の部分が横につながると、ひらがなの「つ」になる。しかし、草書はひらがなの前段階の書き方なので、ここではほぼ「川」の形に書いているのだ。
そして、先ほどの右下の札と比べてみて欲しい。「こえきく」と「しづこころ」で全然違う文字で始まるのに、冒頭の文字が似ているのだ。
「声」と「志」で、上の部分が同じだからね。
左側は「なく花の / 散るらん」。まぁ、左側部分は素直で読みやすい。
これ、百首全部を読み終えたから説明できるだけで、最初は全く読めない。
ゲームの札だし、100枚しかないのだから完全に暗記してしまえばいいだけだけどね。
ゲームとして遊ぶ際は、「上の句は読まない」そうだ。
通常のゲームとしての百人一首は、上の句を読んでいる間に下の句を思い出して取る、という暗記ゲームだ。
しかし、下の句をいきなり読むので、こうした暗記力の勝負ではない。
一方で、上に挙げたように、ほぼ文字が読めないので、図形として丸暗記する必要はある。結局暗記力勝負。
北海道の人には当たり前の話かと思うのだけど、僕にとって「40年前に全く意味の分からなかったものが、やっと理解できた」のでした。
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