業界記の日記です

目次

2017-11-16 ST-V 開発環境
2017-11-02 引っ越し作業
2017-11-01 千客万来
2017-10-24 さん付け運動実施中
2017-10-19 オーラ占い・よもやま話
2017-10-16 オーラ撮影の仕組み
2017-10-12 オーラのプログラム分担
2017-10-11 オーラ占いの企画
2017-10-10 オーラ写真倶楽部
2017-01-27 ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド
2017-01-20 1996年のそのほかのゲーム
2017-01-15 あの頃のインターネット
2017-01-14 WaveRunner
2017-01-08 プログラマーの技術力
2016-12-27 コラムス 97 サターン版
2016-12-26 コラムス 97 余談
2016-12-25 コラムス 97 の音楽
2016-12-24 コラムス 97 に影響を与えたもの
2016-12-23 コラムス 97
2016-12-22 ここらでコラムス
 …同じテーマのほかの記事
ST-V 開発環境  2017-11-16 17:07:05  業界記

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そういえば、ST-V の開発環境話って書いてませんでした。

ここらへんで書いておきましょう。


…とはいっても、「業界記」タグで書いていないだけで、だいたいはこちらで書いた通りです。


リンク先記事では、僕の所属を「セガの業務用ハード向けのゲームばかり作っていた会社」としていますが、セガそのものです。

嘘は書いてない。自分の中で20年たっていないことは書かないという自主ルールを定めていたので、明言を避けただけです。




開発環境としては、当然のことながら、それまでの開発環境から緩やかに移行できるようになっています。

と言っても、メインとなる PC をそのまま使えた、という程度かな。System32 でも使っていた、HP-UX マシンをそのまま使って開発しました。


当初は、HP-UX には限らないものの、UNIX マシンを使わないと開発できなかったようです。

しかし、すぐに通常の PC でも開発できるようになります。


実際、後に入ってきた新入社員には、Windows マシンが支給されていたはず。



ターゲットとなるボードは当然変わります。CPU エミュレータである ICE も変わります。

V60 ICE は PC-9801 が無いと制御できませんでしたが、SH2 ICE は UNIX/PC から制御できるようになったので、PC-9801 は不要になりました。


これ、机の上が広く空いて嬉しかった。


ROM エミュレータも不要になりました。

というか、時代の変化で ROM の容量が増えて、それまで使っていた ROM エミュレータではエミュレートできなくなりました。



Model 2 などでは ROM エミュレータとは違う方法で対応していたのですが、ST-V には「フラッシュロムカートリッジ」が作られました。

ICE を経由して、PC からデータを送り込んで、基板に挿したままで内容を書き替えられます。


開発用のフラッシュカートリッジは、商品のカートリッジよりも大きいですし、基板がむき出しです。



ST-V のカートリッジは、後にコピー防止のためのチップが入ったバージョンが作られます。

当然、フラッシュカートリッジにもそのバージョンがありました。


…でも、旧バージョンを手作りで拡張しただけ。わずかな基板しかありませんでした。

開発時は普通のカートリッジで開発し、コピー防止のスクランブルをかけたデータを作成したら、特別版で動作確認だけする、という感じ。


まぁ、詳細はまたそのうち。




SH2 ICE の UNIX 版ソフトウェアの GUI は、OPEN LOOK で作られていました。

しかし、HP-UX は Motif でした。



…この説明で悲劇を理解してくれる人はどれだけいるでしょう?


UNIX の世界は、もともとコマンドラインインターフェイス…キーボードから文字でコマンドを入力し、文字で結果を受け取る、という文化です。

グラフィックが使える環境もありましたが、OS ではなく「端末」依存で、環境が違うと一切互換性がありませんでした。


これを解決しようと、X Window System が作られます。

Window と名前にありますが、事実上は標準グラフィックライブラリ。


Window 環境を実現しやすい工夫はありますが、とにかくどんな環境でも共通でグラフィックは扱えるようにしてやるから、後はお好きなように、というもの。


このままでは使いにくいので、GUI らしい「部品」のライブラリが作られます。

OPEN LOOK は Sun が作ったもので、こうしたライブラリの中では比較的早く広まったもの。


Sun ワークステーションでは Open Windows という環境が整えられていて、その中ではすべてが OPEN LOOK で作られていました。

これはこれで、統一されていて使いやすい状態。


当時は Sun は UNIX 界の巨人でした。

そもそも、大学などでは「無料だから」という理由で利用されていた UNIX を、仕事でも使えるものとして広めたのは Sun なのです。



その後、Sun に対抗するそれ以外の UNIX メーカーが共同で、「標準 Window ライブラリ」を作り上げます。

それが Motif 。


コンピューター業界の標準 GUI にしよう、という意図で設計されたため、Windows も、3.1 の時には Motif ベースで作られています。

なので、Motif は 3.1 の頃の Windows にそっくりです。


HP-UX では、Window 環境全体を Motif で構築しており、Windows 3.1 を利用しているのと似た感覚で操作できました。



…でも、OPEN LOOK と Motif は、見た目も操作の作法も全然違うのです。




SH2 ICE の UNIX の GUI は、OPEN LOOK で作られていました。

しかし、HP-UX は Motif でした。


もう、操作しづらいの。

SH2 ICE の操作をする時だけ、普段とは全然違う操作を強いられるから。


Windows と MacOS を切り替えながら使うような仕事って、今でもあると思うのだけど(僕はやってます)、そういう時の「操作しづらさ」を想像してもらえばいいかな。



もちろん、Sun ワークステーションを使っていれば統一された操作感で悪くないのでしょうね。

でも、すでに Sun は優位な立場を失いつつあり、ワークマシンとしての人気は落ちていました。


#サーバーとしての信頼性などはまだありました。



先に書いた通り、開発には Windows でも使えました。もちろん、SH2 ICE の Windows 用ソフトもありました。

こちらの GUI は、ちゃんと Windows 用に作り込まれていたようです。


結局、UNIX 用はライブラリが違っても動いてしまうがゆえに、ライブラリ環境ごとのカスタマイズはされていなかっただけなのでしょうけど…




SH2 の話ではないけど、V60 の頃は僕は awk 使いでした。

awk でグラフィックなどのデータを次々とツールに通し、得られた結果を整理して、プログラムから扱える環境まで全部整えるスクリプトを作っていました


でも、これに限界を感じて、ST-V 用に処理を書き替えるついでに、全部を perl で書き直しました。

awk で作っていたスクリプトは、大量のデータを処理するには遅かったしどうしても無理があって、バグ含みだったんだよね。

(バグに遭遇する確率は低いが、特定形式のデータでバグが出ることはわかっていた)


まぁ、これらのスクリプトは「自分で使う」ために作っていただけで、誰にも見せたことはありません。



オーラ占いの話のところで書きましたが、最後の方で同僚の仕事を一時引き継ぎました


その時に、awk のスクリプトでデータ整理していることに気付きました。

それで調べてみると、誰にも見せたことがないのに、「作者不明」のまま、ST-V やその他基板用に改造され、いつの間にかみんなが使うものになっていて…


perl 版と違って、遅いしバグ含みなんだけどな。

説明するのも面倒くさいので、後に会社辞めるまで、そのまま知らないふりを通しました。


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別年同日の日記

01年 11/16

01年 11/15

09年 食育フェスタ

11年 tcc

12年 こんにゃく

13年 宮本茂 誕生日(1952)

14年 雑誌の発行日

15年 デイビッド・パターソン 誕生日(1947)


名前 内容

あきよし】 失礼しました。正式表記に書き替えました。指摘ありがとうございます。 (2017-11-21 09:29:06)

【m.ukai】 × X-Window ○ X Window System (または単にX) (2017-11-20 20:20:05)

引っ越し作業  2017-11-02 17:59:43  業界記

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オーラ写真の作成中の…たしか 1997 年の夏の出来事。

部署の引っ越しが行われました。


それまでいたのは、「本社2号館」。

僕が入社する前年に「新本社ビル」が完成し、隣にあった旧本社ビルは2号館となったのです。


で、それまでAM1件は別の場所にいたのが、2号館に引っ越してきたそうです。



でも、この頃のセガはどんどん人数が増えています。

僕が入社した時だって、3年間で3倍に増えた、と言われていました。


その後も増え続け、本社と2号館だけでは手狭になり、新たに「3号館」が作られたのです。



ちなみに、


このビルは、当時は「別館」として、AM4研(筐体やエレメカなどを作る部署)が使っています。

2号館にあった仮眠室から、大きな道路をまたいでレーザーLANで繋がってました




3号館は新しく建てたわけではなく、近所のビルを買いました。


セガ本社は、京急大鳥居駅が最寄り駅だったのだけど、同じ駅から「別の方向に」同じくらい歩いたところ。

だから、引っ越したと言っても環境はそれほど変わりません。



赤井電機本社ビル。


赤井電機は、「AKAI」のブランド名で世界的に知られた、高級オーディオメーカーです。

しかし、CDの時代に乗り遅れ、業績が悪化していました。


1980年代からじわじわと業績が悪化し、1997年、ついに本社ビル売却まで追い込まれ、セガが購入したのです。


#この後、2000年に倒産。

 ただし、AKAI ブランドは売却され、まだ生き残っています。




引っ越し作業で、事前に一度赤井ビルを訪れたと思います。

手の空いている人間だけを集めて、AM1件が入る予定の部屋に行って事前準備をしたのではないかな。


…オーラの開発期間を考えると、自分がこの準備に参加したのだから、初夏ごろの話かな。



このときは、普通のオフィスビルでした。床はオフィスによくあるタイル張り。

さらに後、いよいよ引っ越しの段階になって訪れると、床がカーペットになっていました。


単にカーペットにしたわけではなく、入り口がスロープになって、床が 20cm 程持ち上がっている。

いわゆる OA フロアです。床下に空間を作り、電源やイーサネットなどのケーブルを通せるようになっています。


カーペットは、50cm 程のタイルに分割されています。

専用の取っ手…巨大なマジックテープのようになったものをカーペットにくっつけ、引っ張るとタイルを外せます。


席替えなどの時は、これでケーブルなどを繋ぎ変えられました。

なお、タイルには切り欠きの付いたものがあり、そこからケーブルを床上に出せます。



以前の2号館でも、床はOAフロアでした。

ただし、カーペットではなくタイル。外すときは吸盤を使う方式でした。




引っ越し作業。

歩いて10分ほどの距離なのですが、重たい機材がたくさんあります。

4トントラック(たしか引っ越し業者にトラックだけ借りた)を何度か往復させました。


たしか、誰かが書類戸棚を動かそうとして、ガラス扉を割ってしまったのではなかったかな。


これがきかっけで、プログラマ課の課長が覚醒。

大学時代に引っ越し業者でアルバイトをしていたそうで、「ガラスは割れた際に危険が無いように、前もってテープを貼る」「可動部は片側に寄せてテープで固定する」とか、てきぱきと指示を出し続けます。


もともと部下の面倒見は良い人なのですが、意外な一面を見ました。



戸棚だけでなく、机も椅子も機材も、全部自分たちで運びます。

運搬台車もあるのですが、とにかく運ぶものが多いので、台車に頼ってもいられない。


CRTモニタは大きくて重いので、キャスター椅子に乗せて運びました。

その際、ガラス面が背もたれで保護されるように。


テーブルなんかは、大きいだけで重くはないので、2人で運べば何とかなりますね。



エレベーターで1階までおろし、前の道路でトラックに積み込み、赤井ビル後ろの駐車場でおろし、エレベーターで新しい部屋まで。

経費節約もあるだろうけど、運ぶものの多くが企業秘密の精密機器だから、他人の手は借りられない、という感じでした。




部屋は基本的に続き部屋の2部屋で、間に壁があります。

壁には大きな開口部があり、2部屋を自由に行き来できるのだけど。


合計面積は以前より広くなったけど、1部屋だけだとちょっと狭い感じ。

2号館の時は、部署全体が大きな一部屋で一体感がありました。

でも、この頃から「同じ部署内でも何やっているのかよくわからない」感じになった気がします。


この2部屋を、仮にA,Bと呼びましょう。



基本的に、部屋の中は可動式のパーテションで区切られ、プロジェクトチームごとに分けられていました。


パテーションは、大人の男性の胸くらいの高さ。

壁越しに話をするのも簡単ですが、一応「区切られている」感じはするくらいの壁です。


これは、A,Bどちらの部屋も同じ。



Aの部屋の入り口を入ってすぐのところには、部長室が作られました。


これはパーテションではなく、床から天井までつながった壁です。

基本ガラス張りで、中の様子もよくわかります。


特にお客さんがいない時であれば、相談などにも入りやすい雰囲気でした。


でも、部長室だから重要な会議も行われます。

天井まで壁が繋がっているのは、声が外に漏れないため。



…と、もう一つ。部長が喫煙者だったためです。

社内禁煙だったのだけど、部長権限で空気清浄機を持ち込んで、タバコ吸ってました。




もう一つ、Aの部屋の入口、部長室の逆側にも部屋が作られました。


こちらも天井から床まで壁があるのですが、窓は一切ありません。

それどころか、壁は厚めで、扉には鍵がかけられました。


サーバールームです。

専用のクーラーがつけられ、常に肌寒いくらいの温度に保たれています。


それまでももちろんサーバーは使われていたのですが、サーバー管理者の机の周囲に並べられているだけでした。

それが、ちゃんと部屋に収められ、熱暴走しないように気を使われ、防犯のために人が近づけないようになったのです。



結果、Aの部屋は、入り口すぐの部分が、部屋に挟まれた細い通路になりました。


でも、2号館からの習慣で、毎日昼休み後に「昼礼」の時間が設けられ、部長室前に集まる必要がありました。


これが、集まるスペースないのね。

パーテション越しに、適当に周囲の区画に散って部長からの連絡とか聞いてましたけど、機材とか置いてある都合もあってやっぱり集まりにくい。


周囲にいても声がよく聞き取れず、あとで近くで聞いていた人に「何の話だったの?」と聞く必要があったり、それならいっその事昼礼さぼる、という人も増えました。



#一応、部長室前に事務の女性の机があったため、部長が立って話をする程度のスペースはありました。

 ただ、聞く人のためのスペースがほとんどないだけで。




もう片方の、Bの部屋の話もしましょう。


こちらの部屋の一番奥に、機材倉庫と仮眠室が作られました。

…というか、この二つ共通。機材倉庫に2段ベットが1つ置かれていた、というだけ。


機材と言ってもいろいろあります。

ゲーム機の基板とか、開発用のパソコンとか、古い開発用資料とか、各種ケーブルとか。


これ、2号館の時には、あちこちに分散して保管されていました。

基板はこちら、ケーブルはこちらの引き出し、資料はあちらの本棚、という感じで。


これが全部1カ所に集約されたのです。



この部屋は機材置き場なので、普段基本的に人が入ることはありません。

静かなので、片隅に2段ベッドが置かれました。


2号館では、シャワー付きの仮眠室があり、ベッドがたくさん並んでいました。

その時に比べると、2段ベッド1つだし、シャワーは無くなったし、環境が劣化しています。


ただ、床がカーペットになったので、寝袋で直接寝ても床から冷えることが無くなったんですね。

もともと「誰が寝たかわからないベッドで寝たくない」という人も多かったので、そういう人にとっては寝やすくなったようです。


…というか、この頃から残業自体がやりにくい雰囲気になり、よほどのことがない限り泊まり込みをする人は減りました。


#先に書いた、ノー残業デーなどの運動もありましたし、そのうち書く別の要件の影響でもあります。




引っ越してすぐのころに、仲の良いグラフィックの先輩が「このビル、なんか傾いているよね?」と言っていました。


僕はそうは感じなかったのですが、絵を描く人だから、水平・垂直などに敏感だったのかもしれません。


赤井ビルは結構古いビルで、1981年に制定された「新建築基準法」の基準を満たしていなかったようです。

とはいえ、そんなこと当時の僕は知りません。


その後もビルは使い続けられましたが、2011年の東日本震災を受け、「危険性がある」と2012年に閉鎖。

今では取り壊されています。



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別年同日の日記

01年 11/1

12年 最近のうちの子

14年 ホビーパソコン・オフ会


名前 内容

千客万来  2017-11-01 10:41:53  業界記

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セガにいる間に、何度か著名人が訪れたことがありました。

大会社だから、いろいろな人脈がありますよね。今回はそういうお話。




僕が入社する直前、当時「世界最速の男」と呼ばれたF1ドライバー、アイルトン・セナが訪れたのだそうです。


当時のセガの副社長、入交正一郎氏は、前職がホンダの副社長でした。


ホンダはF1にエンジンで参戦しています。

当初はセナが在籍していたロータスへエンジンを供給し、セナがマクラーレンに移籍すると、マクラーレンにエンジンを供給しました。


入交氏はこの頃にセガと親交を厚くしたそうで、新しい会社に移ったと聞いての表敬訪問だったようです。



入交氏がセガに入社したのは1993年の6月。

セナがレース中の事故で死去したのが 1994年5月1日。


僕はセナがセガを訪れたのがいつか知らないのですが、この間の出来事なのでしょう。


セナが訪問した際、本社入口にロビーに、「スーパーモナコGP」(1989年のアーケードゲーム)を置いて、開発者と対戦したのだとか。

結果は開発者の勝ちで、「世界最速の男より速い男」の栄冠を得たそうです。



#最初に書いた通り、僕が入社する前の話なので先輩からの伝聞です。

 なお、入交氏がホンダから持ってきて、このときにセナからサインを書いてもらったという本物のF1カーは、セガの倉庫に置いてあったのを見ています。




マイケル・ジャクソンがセガを訪れたのは、たしか…「人相占い」のプロジェクトが発足したものの、何もやることが無くて暇だったころ


マイケルはセガのゲーム大好きで、時々お忍びで日本にも来てましたし、日本に来た時にはセガを訪れていました。


このときも、そういう感じでセガに来たらしいです。

でも、いつもよりも時間があったようで、ゲーム作成現場の各部署を案内してもらっていた。


#ゲーム開発現場は社外秘だらけですから、普通は急にやってきたお客さんになんて見せません。

 マイケルだから特別扱いです。



世界的スーパースターが職場にやってきた、というので周囲は騒然としていました。

とはいえ、そこは仕事中。浮かれて野次馬をするわけにもいかず、みんな自分の仕事を黙々と続けます。


今作成中のゲームなどを一通り見た後で、「最近は日本ではこれが人気なんですよ」と、プリント倶楽部を見せます。


#プリント倶楽部はアトラスのものですが、AM1研でも関係が深く、部署内に置いてありました。

 詳しいことはまたそのうち。



作成中のゲームをいろいろと見せてもらい、自分の顔写真をシールにしたものをお土産にもらい、にこやかに部署を出ていくマイケル。


…この後、一斉に野次馬が動き出します。

プリント倶楽部では、「コンティニュー」することで、直前に作ったシールを追加印刷できるのです。



次々とシールが印刷され、ミーハーな人達で部署内はちょっとしたお祭り状態。

シールの用紙が無くなり、補給して印刷していたので、かなりの枚数が作られたのではないかな。




飯野賢治さん。

たしか「ここらでコラムス」を作りはじめた頃だったと思いました。1996年の10月ごろかな。


その時のプロジェクトチームの席が部長室に近かったため、部長室から出てきて去るまでの間を、ちょっと見かけただけ。


飯野さんはその後亡くなっていますが、天才ゲームデザイナー、ともてはやされ、雑誌などにもよく出ていました。

ここでいう「天才」というのは、ゲームが面白かった、というようなことではないです。残念ながら。


むしろ、ゲームは万人受けしない、強烈な個性のものが多かったように思います。だからゲームとしての評価もそれほど高くない。

しかし、その個性的な内容が同業者…他のゲームデザイナーなどに評価され、対話してみるとゲームに対する深い造詣・ゲーム愛を感じる、などのことから「天才」と呼ばれていた模様。

雑誌などによく出ていたというのも、こうした対話が面白かったため、インタビューなどが良く行われたためのようなのですが…


多分、一緒に酒でも酌み交わさないと理解できないタイプの人です。

当時の僕は率直に言って、「天才」と呼ばれているけど、作るゲームは大して面白くないし、メディアに祭り上げられているだけの人、と思っていました。


プレイステーション陣営のゲームショーで、「次のゲームの対応ハードは、プレステから予定を変更し、セガサターン専用」と大々的に発表し、話題となったのが 1996年3月27日。


部長室に来ていたのは、その衝撃がまだ冷めやらぬ頃です。

なんの話をしていたのかは知りません。

話題の人がサターン陣営に入ったわけで、そのまま ST-V などにも展開できないか、というような話があったのかもしれません。


#当時のセガは、サターンと ST-V が互換機版であることを活かして、家庭用で人気のゲームを業務用にも展開できないか模索していました。



最後、部屋を出ていくところを見ただけですが、体躯も大きく怖そうな人…プロレスラーや暴力団員を想像する威圧感がありました。


亡くなったずっと後に飯野氏がまとめたインタビュー集などを読んで、結構繊細で、ゲームを作るのが本当に好きな人だったんだな、と知りました。




田尻智さん。

こちらも「ここらでコラムス」を作っている時でした。結構遊べる形になっていたから、11月頭頃かと思います。

(中旬には、「ここらで」は打ち切られ、「コラムス97」の作成に入るので)


ポケモンの発売が同年 2月27日ですね。

ポケモンは当初全然売れず、ベスト 10 入りしません…が、常に 20位以内には入っていました。


そのまま数か月「ベスト 20位入り」を続ける、というおかしな売れ方のソフトになっていきます。

普通のソフトは、発売後1か月くらいで極端に売れ行きが落ちるのね。


これで「変な売れ方をしているソフトがある」と話題になり始めるのが夏ごろ。

「コラムス97」の企画者Mが、僕に「ひとりで遊んでも面白くないらしいので、一緒に買って遊ぼう」と持ち掛けてきます。


僕はこれでゲームボーイ本体から購入したのですが、当の本人は1週間くらい遊んだところで「自分の好きなタイプのゲームではなかった」と投げ出しやがった。ひどい奴だ。


…まぁ、それは余談。



本当にポケモンが話題になるのは冬頃からで、この段階では田尻さんはそれほど有名ではありません。


#まぁ、「知る人ぞ知る」タイプの有名人ではありましたが。



ここで田尻さんは仕事から一時解放されているわけです。

そして、1994年にはセガで「パルスマン」を作ってもいます。


多分、セガに来たのはまた仕事ができないか、というような相談だったのでしょう。

で、飯野さんと同じく、サターンで仕事をするなら ST-V でも何かできないか…というような流れではないかと。



部長室での会談が終わって出てきてから、近くで動いていた「ここらでコラムス」に興味を持っていただけたようで、少し遊んでもらいました。


非常に腰の低い、丁寧な方で、演出面の効果などよくできている、と褒めていただきました。

以前に書いたように「ここらで~」はお蔵入りになってしまったので、社外の人で遊んだのは田尻さんだけだと思います。



また余談:

コラムスの企画者Mは、結構ゲーム関連の同人誌とかを持っていて、このとき机の引き出しの中にゲームフリーク版「ゼビウス1000万点への解法」が入っていたのだそうです。

でも、このときはほんの数分の出来事で、そんなことに頭が回りませんでした。


後になって「サイン貰えばよかったー!」って悔やんでました。


#ゼビウス1000万点~は、「うる星あんず」氏が作った同人誌。コピー本。

 あまりに有名になり、日本全国から「買いたい」という問い合わせが殺到したため、田尻さんが主宰するサークル「ゲームフリーク」で改訂版を発行する。同人誌だけど合計で約1万部を売り上げ。

 さらにその後、マイコンベーシックマガジン付録の「スーパーソフトマガジン」で、この内容を再編集したものが3回にわたり連載される。

 この本は、「世界初のゲーム攻略本」ともされている。




スティーブン・スピルバーグ監督がセガを訪れたのは、コラムス97のサターン版のための「残務処理」をしている頃でした。



スピルバーグ監督の映画会社「ドリームワークス」とセガは、1996年3月に、アメリカでテーマパーク事業を展開する「ゲームワークス」を立ち上げます。


セガはアミューズメントテーマパーク構想をぶち上げ、「各都道府県に1つづつのテーマパークを作る」としていました。

…が、すぐに頓挫。言っちゃ悪いけど、「テーマパーク」なんて言いながら、実情はゲームセンターに過ぎなかった。



ナムコは同じ頃に同じようなことをしていましたが、こちらはもっと「遊園地」らしさがありました。

セガは技術力はあるのですが、どうもそこに頼りすぎて、遊園地らしい雰囲気を作り出せず、ゲームセンターになってしまうのです。



そこで今度は、スピルバーグが監修を行い、セガの技術的なノウハウを活かして、アメリカでテーマパークを展開しようとしたのです。

このための会社がゲームワークスでした。


…で、1997年の1月に、スピルバーグがセガを訪問したわけです。

マイケルの時と同じように、各部署を案内されて回っていました。



スピルバーグ監督、男の子を連れてきていました。多分お子さん。

開発中のゲームを見る際も、この男の子が興味を持ってみていた感じ。多分ゲーム好きなんでしょうね。


最後に、みんなで記念写真撮りました。

「1月」と時期を明示できるのは、この写真の中にカレンダーが写っているため。



…プライバシーもあるのでとても写真は公開できないのだけど、部署全員が写っているわけではないな。

どういう基準でこのメンバーになったのだろう。


撮影場所は、コラムスチームのブースだったはず。

ゲーム作り終わった後で、ブースに「空き」があったので、みんなが集まって撮影できそうな広さがあったのだと思う。


カメラマンが僕の机の上に立って撮影したのも覚えています。


多分そのせいで、僕はかなりいいポジションで写真に写っています。

最前列、ほぼ中央。ちょっと右より。

僕の隣、ちょっと左寄りには、男の子…監督のお子さんがいます。


そして、最前列中央の二人に手をかけるような形で、監督が後ろに立っているのです。


#男の子の方には手を載せているが、僕の方には別に載せてません。そういう位置、というだけで。




これ以外に、タレントの松村邦洋さんが来たことは知っています。会っていないけど。


セガは、当時ゲームの中に広告を入れる、というビジネスモデルの実験をしていました。

これを受けて、テレビ番組「進め!電波少年」の企画で、ゲームの中に広告を入れてもらおう、もちろんタダで!という企画があったのです。


松村邦洋さんが来て、セガの広報の人を拝み倒して、何かのゲームに広告を入れる、と決まります。

で、当時僕が参加していた「ファイナルアーチ」に広告を入れたので、後日テレビ局スタッフがゲーム画面の撮影に来ました。


そんなわけで、「会ってないけど来たことは知っている」です。



もう一人、声優の千葉繁さんが来ていますね。こちらも会ってません。


手相占い ちょっとみせて」のナレーションは千葉さんです。企画の先輩がアニメ好きで、千葉さんの大ファンでした。

なので、地位を利用して千葉さんに仕事を発注し、会ってサインをもらってきていました。


AM2研にあったサウンドのスタジオで収録していたので、サウンドの人と企画の先輩は会っていますが、僕は姿を見ていません。




と、これが僕が知っている範囲のすべて、かな。

もちろん、会社としてのセガでは、もっとたくさんの人が来ているはずです。


というか、一緒に働いていた人達でも、たびたびメディアに出ている人とかいましたし、外の人から見たらセガ自体が著名人だらけだったのだろうなぁ…



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別年同日の日記

01年 10/31

10年 遠足

13年 ミッチ・ケイパーの誕生日(1950)

13年 セガ初期の歴史を調べてまとめてみた

14年 続・男と女とLGBT

15年 プリンタ買った


名前 内容

さん付け運動実施中  2017-10-24 18:05:39  業界記

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コラムス97~オーラ写真の頃の話…だと思うのだけど、正確な時期は覚えていない。

また、いくつかの話があって、同じ時期だったと思うのだけど、これも正確には覚えていない。


ゲーム作成ではなく、当時の「人事」のお話。




確か、僕がいたころのセガの社員数は、3000人規模だった。

たしか、開発・生産・運営が、それぞれ1000人くらいづつじゃなかったかな。


僕が入ったのは 1994年なのだけど、その前の3年間で人数が3倍に増えた、と誰かが言っていた気がする。

正確な資料がないので間違っていたら申し訳ないのだけど、メガドライブのヒットや、店舗展開の好調などがあり、人員を大幅に増強したのだろう。


新卒採用だけでなく、小さな会社の吸収合併なども行っていたみたい。


僕の入社の前年には、業務用と家庭用の部署で、大規模な人材交換も行われている。

業務用部署に技術力の高い人が多く、家庭用部署をテコ入れしたかった、ということらしいのだけど、実際部内にも「家庭用部署から来た」という人が何人かいた。



これだけ増えた人数を統括するために、役員も大幅増員。

生え抜きでその人数を集めることなんてできないので、社外から来た人も多く、ゲーム開発なんて理解していない役員もいた。

(悪いことではない。業界の悪しき慣習を打ち破るなどの効果はあった)



ただ、急に会社の規模が3倍になったら、人事部は状況を把握しきれなくなり、迷走を始める。




ある時、「さん付け運動」という指示が出た。

各自の名札に貼り付ける、「さん付け運動実施中」というシールまで作られた。

(セガの当時の看板キャラクター、ソニックが配してあった)


部長、課長と言った役職で呼ぶことで、人間関係に壁を作ってしまい、相談などがしにくくなる。

仕事を進めるうえで相談は必須だから、こうした壁は仕事の邪魔になる。

役職名ではなく、「さん」をつけて名前を呼ぼう、という趣旨だった。



ところで、開発現場は基本的に実力主義。


もちろん部課長クラスは特別な地位にいたし、先輩社員は一目置かれた。

でも、AM1研では言われるまでもなく、役職名なんかで呼んでいなかったし、常に「さん」づけだった。


なので「全社を挙げて さん付け運動」と言われても困惑するだけ。


まぁ、これも「開発現場」とひとくくりにしてはいけないのだとは思うけど。

別の部署では役職名で呼んでいた可能性はある。




また別の時、人事の参考に、とアンケートが配られた。社員全員が必ず回答しなくてはならない。


現在仕事で行っている職能以外に、趣味などで持っている技術があれば書いてほしい、とのこと。

特にコンピューターを扱う能力に関しては質問が細かく、達しているレベルを答えさせるようになっていた。


1) ワープロを使って文章を書くことができる。

2) エクセルを使って計算シートを作ることができる

3) メールの送受信ができる。

4) パソコンにソフトウェアのインストールができる

5) 人にワードやエクセルの使い方を教えられる

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10) VBやCを使って簡単なアプリケーションを作成できる


こんな感じのレベル分け。


プログラム課の人間は、もちろんCを使うことなんて当たり前。


でも、Windows の API なんて勉強してないから、「簡単な」と言われたって、なにも作れない。

エクセルだって持ってないから、使い方知らないし教えるなんて無理に決まってる。


#当時は Windows 95 が出たばかりで、ワープロもまだ一太郎のほうが人気のころ。

 MS-Office も「仕事用」の位置づけで、事務仕事をする人の一部が使っている程度だった。

 Personal エディションが作られ、プリインストール戦略で誰もが使うようになるのは Office 97 から。


みんな迷った挙句、「ワープロが使える」レベルであると申告するしかなかった。

AM1研のプログラマー全員、コンピューターを使う能力は最低ランクです。




また別の話。

机の上を整頓しよう、という運動が展開された。


毎日、帰る際には机の上に何もない状態にしてから帰ること。

書類などには企業秘密も含まれるだろうし、机の上に置きっぱなしで誰でも見られるような状態にしてはならない。


これも趣旨は分かるのだけど、開発には無理な話。

開発でも、もちろん書類は使います。でも、机の上は書類よりも、開発機材でいっぱいなのです。


開発機材は、設置するのも大変な作業。毎日片付けて「何もない状態」なんかにしていたら効率が悪くて仕方がない。

そして、この開発機材こそが、最大の「企業秘密」なわけです。

これは、運動が展開されても当然そのまま。



企画書・仕様書などで書類もあったが、こちらはあまりにも膨大なので、机の上に置くと開発機材が埋もれてしまう。

大抵の人が、ファイルとか書類封筒とか、工夫してまとめて、引き出しや棚に置いていた。


とはいえ、今作っている部分の2~3ページの仕様書程度は机の上に出しっぱなしの人もいたのは事実。

運動が展開されたので、仕様書数ページ分だけど、出しっぱなしにせずに片付けるようにはなった。


(数か月後には元に戻っていたように思うけど)




水曜日はノー残業デー、というのもあったな。

これは、完全無視。


以前も書いたけど、少なくともAM1研では、無駄な残業をしようという風潮はなかった。

むしろ、追い込みの際には嫌でも泊まり込みになるので、そうではない時期は積極的に早く帰ってしまうし、会社に来ないでも構わない。


つまり、「ノー残業デー」と言われて帰れる人は、言われないでも帰っている。

追い込み時期の人は、言われたとしても帰れないし、帰らない。




いろいろ例を挙げてきたけど、いろいろな指示を出す人事部が、開発現場の雰囲気を全く理解してなかった。

たぶん営業・店舗営業か…最悪の話、人事部のある事務方周辺の雰囲気だけで指示を出していたのじゃないかと思う。


会社規模が急に大きくなりすぎ、完全に迷走していました。


(この話、思い出を書き留めただけで、特にオチはない)


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別年同日の日記

07年 無理難題

13年 ジョン・マッカーシーの命日

15年 非力なマシンはやっぱり非力だった


名前 内容

オーラ占い・よもやま話  2017-10-19 12:17:26  業界記

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オーラ写真倶楽部の話、これで最後の予定です。


オーラ測定センサー…手を置いて微弱電流を流し、体の抵抗値を計測するセンサーは、2つありました。


一人用では、片方しか使わなかったはず。

これが二人用の異性間の相性占いになると、それぞれが手を置いたうえで「手をつなぐ」ように指示されます。


センサーには、片方に3カ所の電極があり、手のひらに電流を流して抵抗値を測っています。

「両手」の間に電流を流しているわけではありません。


だから、二人用でも、それぞれが測ればいいだけ。手をつなぐ必要はありません。

実際、同性同士の相性も占えるのですが、その時は手をつなぐ指示は出ないのではないかな。


「異性と手をつなぐ」というのは、企画者の絶対に譲れなかった線。




企画者がおもちゃが好きで「白いたまごっち」を持っていた、と先に書きました。

当時非常に入手困難で自慢されたのですが、そもそも「合コンで目立とうと思って」プレミア価格付きの転売品を入手したものです。


ゲーム業界の人、オクテばかりで、こういうことに長けている人は少ない。

その彼が、ゲーム機からの指示で手を繋がせれば、絶対にスケベ心のある野郎が活用する、と主張したのです。


占い好きの女の子は結構多いので、男の方から「お金出すから二人用で占おうよ」と持ち掛ければ、乗ってくるだろう。


でも、占いを始めると「手をつないでください」と指示される。

この指示の前に性別や年齢のデータも入力しているので、今更別の人に変わったりはしにくい。


気になっている女の子と手を繋げられるなら、絶対に活用する男はいて、お金が入るというのです。

…いや、何よりも彼自身が「合コン帰りに絶対活用したい」と主張したのです。



この思惑がうまくいったかどうかは知りません。

ただ、筐体を作ってくれる4研の担当者が「最後の最後で手をつなぐ指示出すの、良いね」って感心していました。

少なくとも共感者はいたようです。




その4研の担当者、筐体に「豪華な部品を奢った」と自慢していました。


手を置くセンサーの部分、当時まだ高かった高輝度 LED を使用しているのです。


「1個5円もする」と言っていました。たしか、片側に4つ。(手を置く部分の左右と奥、それに親指と人差し指の間が光ったはず)

これを両側につけているので、40円もします。


通常の LED なら、1個 1円くらいと言っていたと思います。とても高価なのがお判りでしょうか?


ちなみに、筐体小売り価格は1台100万円以上ね。




カメラでの撮影表示は先輩プログラマが作っていたのですが、デモ画面も先輩が作っています。

「デモ画面でも、前で見ている人を写そう」ということになったため。


で、デモのループの中に、占い方の説明があります。

通常は「カメラで撮影するとオーラが写る」ということを説明しているのですが、非常に稀な確率で違うことを言うようになっています。


稀な確率って、8192分の1とか、そういうレベル。見ようと思って見られるものではないです。


いくつかあったはずなのですが、2つしか覚えていません。

1つは、サングラスと帽子だけが空中に浮いているような状態が表示されて「透明人間のかたはカメラに映りませんのでご了承ください」というもの。


もう一つは、当時作成中だった The House of The Dead 2 のゾンビの画像を表示して「ゾンビのかたはオーラが出ていませんのでご了承ください」というもの。


2つとも、仕様には書いてません。グラフィックの人と相談して画像をもらい、先輩が勝手に作ったもの。

企画者も知らなかったのではないかな。


だから、最終チェックで見つかったら大変。社内の公式文書で説明を求められてしまいますから。

出現確率が非常に低いのは、そのためです。




ゲームのタイトル、完成間近まで「占い オーラ写真館」でした。


でも、ほぼ完成してから役員の方が見て、「カメラもついていてプリクラっぽいから、倶楽部って入れろ」と言われました。


当時プリクラは大人気。

別にカメラが付いていなくても、スタンプ倶楽部とかアロマ倶楽部、とにかく「お土産が出てくる自動販売機カテゴリ」であれば、倶楽部とつけてシリーズ化しておけ、という感じでした。


アロマ倶楽部は、確か同じショーでお披露目したもの。

 いくつかの質問から現在のプレイヤーの気分を推し量り、ピッタリのアロマオイルを出してくれます。



そんなわけで、「メイキング倶楽部シリーズ オーラ写真倶楽部」に。


占いなのに、タイトル見ても一切占いってわからない。

「メイキング倶楽部」って言われても、なにかオリジナルグッズが作れるわけでもない。


すごく中途半端な印象になってしまいました。

この名前を強要されたのは、チーム全員が憤っていたと思います。




企画のおもちゃ好きの後輩、このプロジェクトが終わった後しばらくたって、転属願いを出しました。


元々おもちゃが好きで入社したのだし、配属されたのだからゲーム作成で頑張ろうと思っていたけど、実際1本作ってみて「やっぱりおもちゃをやりたい」と思ったみたい。


転属願いは無事受理され、おもちゃ部署に異動しました。


同じ社内なので時々会うこともありましたが、後におもちゃ部署がセガ・トイズとして独立したため、その後の消息は知りません。




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別年同日の日記

13年 タツノコプロの設立日

13年 Windows 8.1


名前 内容

オーラ撮影の仕組み  2017-10-16 17:57:37  業界記

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オーラ撮影の仕組み

オーラ写真倶楽部の話の続きです。


オーラ撮影の仕組みを説明しましょう。


なんかこう…自分の作ったものを否定するみたいで嫌なんですけど、オーラなんてオカルトです。

科学現象として存在しませんし、撮影なんてできるわけありません。


オーラ占いやって信じてくれていた人たち、ホントごめんなさい。

でも、丸っきりの嘘ではなくて、それなりの根拠はあるので、この後の説明(いいわけ?)を読んでください。




まず、この頃街の占い館で流行していたオーラ写真から。


ただ、こちらに関しては僕は「推測」することしかできません。

カメラを入手して分解したわけではないので…


#オムロンの人達は「同じことをもっと上手にできる」と言っていたので、分解したのかもしれません。



推測の前提となる「事実」だけ書きましょう。

一般に、オーラは人の周囲に漂うような、薄く輝く光のベールで、感情などを反映してあらゆる色彩になる言われます。


しかし、占い館のオーラ写真は、薄く輝くというよりは、いくつかの点光源です。

その点光源の周囲に、すりガラスでも通したように光が広がっている感じ。


そして、色は赤・緑・橙の3色に限定されます。


…これ以上の説明は避けます。

だって、まだこれの改良版で商売しているお店あるのだもの。変な推測でご迷惑を掛けてはいけない。


ところで唐突ですが、この頃は青色 LED はまだ新開発の高価な品で、一般に使用されていませんでした。

LED は赤と緑しかなくて、光を混ぜても橙色にしかなりません。




さて、「オーラ倶楽部」で使った方法。


簡単にいえば、ポリグラフです。

嘘発見器とか、ラブテスターと言ってもいいかも。


左右の手を電極に乗せ、体に微弱電流を流して抵抗値を測ります。

このとき、左右それぞれで3カ所の電極があり、いろいろと複雑に抵抗を測っているのだそうです。

(ここら辺はオムロンが作ってブラックボックス化されているので、よく知りません)


嘘発見器とかラブテスターとか呼ばれるものがあるように、この抵抗値によって感情などを読み取れます。

…という、似非科学があります。相関が全くないわけではないのですが、「読み取れる」と言い切れるほどのものでもない。



しかしまぁ、ここでは読み取れることにしといてください。

オムロンの営業さんは「読み取れる」と言ってきたし、セガ側も読み取れる前提で作っているので。



オーラは、その人の感情によって輝きが変化するとされます。

また、上に書いたように、体の抵抗値を測ることで感情を読み取れます。


じゃぁ、体の抵抗値から読み取った感情を「オーラ」という形で表現すれば同じことなのでは?


これがオーラ倶楽部で行っている「オーラの撮影」です。



一応、業者さん向けのチラシには、次のように説明があります。


「※本機におけるオーラ写真とは、センサーより取得した生体データをもとにコンピューター処理し、作成したオーライメージのことです。」




オーラ占いでは、オーラから「本人も自覚していない願望などの感情」を読み取り、カウンセリングを行います。

占いと言っても、未来予知ではなく、よりよい未来に向けて何ができるか、というアドバイスです。


ただ、願望を実現するためのアドバイスと言っても、本人が信じて頑張ってくれないと効果が出ません。

そのため、多少「未来予知」めいた言い回しを行うことも多く、ここら辺が「占い」らしいところになります。


#未来を予知するのではなく、よりよい未来に導くためのカウンセリング。

 多かれ少なかれ、占いというのはみな、そういうものです。



感情の読み取りはオムロンに任せ、占い文章はステラ薫子さんが担当しました。

セガとしては、この間を埋める「ゲーム」部分を作った形。

ここらへん、手相の時と役割分担が同じです。


ステラ薫子さんの会社、手相からオーラの間に社名変更しました。

なので、結果用紙に書かれている名前は変わっているのですが、同じ人です。




まぁ、オーラ撮影の「しくみ」としては以上で終わりですね。


体の抵抗変化から感情を読み取り、感情と密接な関係があるとされる、オーラの形や色を表現する。


しかし、この「オーラの色や形」がまた問題で、非常にあいまいなのです。

誰もオーラを見たことないですし、それを画面上で表現しろと言われても、どうしてよいのかわからない。


占い師さんが、オーラの形状について、柔らかいオーラ、とげとげとしたオーラ、勢いのあるオーラ、包み込むようなオーラ…って、大まかな分類を作ります。何種類かわすれたけど、5種類くらいあったのではないかな。


それをもとに、グラフィックの人が、「それらしい」画像を作ります。

このオーラ画像を自由変形 BG 面に描いて、色を「それらしく」変化させながら、全体に「それらしく」うねらせます。


…それらしい、ってなんだよ。

誰も見たことがないものを形にするので、メインプログラマーが試行錯誤していました。



描画の際には、オーラは大まかに「外側」「内側」「喉のあたり」の3層に分かれていて、この3つを別々のパーツとして描いています。


絵としてはグレースケールで描かれていて、表示の際に10種類の色に変化させています。

(色と感情の関係は、結果用紙の裏に解説されていました。この記事の冒頭に添付した画像をご覧ください。)


自由変形 BG 面、1枚しかないからね。単に絵を「表示」ではなくて、ソフト的に3枚の絵を半透明に重ね合わせて表示しないといけない。

でも、単に色演算するのではなく、アニメーションで色が変えられるように、パレットのままにしておかないといけない。



先輩が作った個所なので正確なことを理解していないのですが、外側と内側を8段階、喉を4段階のグレースケールにした、とかではないかな。

3bit 3bit 2bit になるので、合計 8bit 。256色のパレットとして描画できます。


あとは、上手にパレットを操作すれば、半透明で重ね合わさった感じのまま、パレットアニメーションできます。




最初に書いた通り、オーラなんてオカルトで、撮影できませんよ。

でも、エンターテインメントの「占いゲーム」としては、多くの人が考える「オーラ」を具現化しようとして、いろいろと考えて表現したのです。


オーラ占いがリリースされたのは、インターネットが普及し始めたころ。

当時は「日記サイト」が多数あったのですが、オーラ占いを見て、「どうやってオーラを撮影しているのだろう」と不思議に感じてくれている人は結構いました。


不思議に思ってくれるということは、ある程度信じてくれたということです。

苦労して「それらしさ」を表現したのは成功だった、と思います。



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別年同日の日記

03年 動物病院へ

06年 W-ZERO3 [es]

13年 追悼:やなせたかしさん

13年 ディズニー社の創設日(1923)


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オーラのプログラム分担  2017-10-12 18:40:36  業界記

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オーラ写真倶楽部の話の続きです。


オーラ占いのプログラマは、先輩社員と、僕で始まりました。

後で説明しますが、途中から僕の同期が追加で入ります。


メインは当然、年長者である先輩でした。


たしか、先輩は占いの中心部分を作ったはずです。



詳細は後日改めて書きますが、オーラ写真倶楽部で「撮影」するオーラは、実はカメラで撮っているのではありません。

オーラを測定するセンサーとカメラは別にあり、ゲーム上で重ねて表示しています。

この部分は先輩の担当。


オーラの表示には、ST-V の自由変形BG面を使っていました。うねうねと揺らめきます。

占いの結果を決め、画面表示するまでが占いの中心になります。


#オーラ画像は、オーラ測定パターンによって形も色も変わります。

 また、1人用・2人用の占いによっても変わります。



基本的には「それ以外」が僕の担当。

ユーザー入力のUI、プリンタへの出力、その他細々としたこと。


後で追加で入った同期は、途中からUIの担当をしてもらいました。

その後の仕様変更もあったので、僕が作ったのはUIの枠組みだけではないかな。



ST-V のカメラは、プリント倶楽部などの関係もあって日本語の資料があったのですが、オーラ測定センサーはオムロン製で、通信用 LSI の仕様書がそのまま渡されていました。


この仕様書が英語で、先輩が「俺英語苦手だから、作って」と僕に丸投げしました。


僕だって英語苦手ですが、タイミングチャートとか見ればだいたいやることわかります。作りました。

4bit 通信で、nibble という単位を始めて知ったのはこのときだったと思います。


#bite(byte) 「噛む」が 8bit に対し、nibble 「齧る」は 4bit。


#「英語苦手だから」と言っていたのですが、多分先輩はタイミングチャート通りにキッチリ動作するプログラムとかを作るのが面倒くさかったのだと思っています。

 ゲーム作っている人で、きっちりした仕様通りに作るのが苦手な人って、結構多いです。




プリンタに関しては、ずっと以前のバイトの経験が役立ちました。


画面上に表示されている、カメラからの画像データと、オーラの画像データがあります。

これを重ねて、RGB CMYK 変換して、減色して印刷するだけ。


減色は、Oh! X でよく使われていたアルゴリズムを使っていたはずです。

桑野式誤差拡散、だったかな。整数演算とビットシフトのみで高速処理できる誤差拡散法。


プリンタ自体は、エプソンの安いインクジェットを使っていたはずです。

この頃、急にカラープリンタが普及し始め、安くなっていました。


オーラという特性上、背景は黒で、その前に薄い色が出ていました。

実は、インクジェットで印刷するときに一番悩ましいのが、この「黒の上に薄い色」で、インク濃度などを試行錯誤した覚えがあります。




さて、途中から追加で入った、もう一人の同期ですが、実は女性でした。

当時、セガに女性プログラマは3人しかいなかったと聞いています。


そして、途中から入った理由は、実は「働く期間の調整のため」でした。

みんなには内緒にしていたのですが、結婚退職することが決まっていたのです。


前のプロジェクトが終わったあと、新プロジェクトに入れると途中で退社することになってしまう。

そこで、ある程度作業が進んでいて、ちょうどよい時期に終了しそうな、オーラ占いに途中配属となったのでした。



プロジェクトの末期になり、もう少し調整が必要だということになって、締め切りが伸びました。

その時に彼女から相談されます。


実は結婚退職が決まっていること。

退職自体は伸ばすことも可能だが、結婚式の日取りと新婚旅行日程が決まっているので、その期間は仕事に来れないこと。


なので、締め切りが伸びたのであれば、いない間の引継ぎをお願いできないだろうか、というのが相談内容でした。



これは、何も問題ないので了承します。

元々UIは僕が作っていた部分をベースとしていますし、何かあった時にちょっと変更するくらい簡単でしょう。



…が、後で悩むことになります。


引き継いだ後、どこかのアニメが動きが悪くて修正することになったのです。

プログラムを覗いてみると、こんな感じでした。


if(anime == 0){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_1; }
else if(anime == 1){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_2; }
else if(anime == 2){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_3; }
else if(anime == 3){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_4; }
else if(anime == 4){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_5; }
else if(anime == 5){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_6; }
else if(anime == 6){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_7; }
else if(anime == 7){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_8; }
else if(anime == 8){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_9; }
else if(anime == 9){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_10; }
else if(anime == 10){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_11; }
else if(anime == 11){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_11; }
else if(anime == 12){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_13; }
else if(anime == 13){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_14; }
else if(anime == 14){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_15; }
else if(anime == 15){pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_16; endflg=true;}
anime ++;



えーと、PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_1 …とかっていうのは、スプライトに表示されるパターンで、enum されたシンボルです。

左から右に振り返る、という 16 パターンのアニメを、1/60 秒ごとに表示するプログラム。


これ、


pattern = PN_MAIN_CHAR_LEFT_RIGHT_1 + anime;
if(anime==15){endflg=true;}
anime++;


で十分です。パターン名は enum なので、1づつ増加しているのですから。

もし単純増加ではなかったとしても、配列にしてしまえば if の羅列は不要になります。



さて、最初に書いたほうのプログラムにはバグがあります。それが「動きが悪い」原因。

PN_MAIN~ で示されるパターン番号、11 が2つあって、12 がありません。


指定を間違えて、アニメ表示が崩れてしまっているのです。

いちいち if で書いているから起きたバグで、計算で出せばバグなんて起きるわけがない。




気になって調べると、アニメーションするような個所は全部こんな感じ。


…どうしよう。直すべきか。しかし、締め切り間近なのに大きく手を加えると、全部チェックし直すことになる。


何よりも、彼女はまだ「退職」しておらず、新婚旅行に行っているだけでした。

プロジェクトの終了直前には戻ってくるはずなのに、僕が彼女の領分のプログラムに大きく手を入れるのは望ましくないでしょう。



…動いているプログラムは、美しいプログラム。たしか祝一平さんの言葉です。

この言葉を胸の中で唱えながら、結局必要な変更だけを行い、後は一切手をつけませんでした。



彼女はその後退職したとはいえ、主婦になったわけではなく「残業の少ない会社」に転職しただけです。

職種はそのままプログラマー。転職先でちゃんとやって行けたのか心配…



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ST-V 開発環境【日記 17/11/16】

別年同日の日記

12年 発掘

13年 ジャック・デニスの誕生日(1931)


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オーラ占いの企画  2017-10-11 18:34:53  業界記

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オーラ写真倶楽部の話の続きです。


手相の人気で作られた「続編」なので、同じチーム編成が求められたようなのですが…

手相の時のメインプログラマも、企画者もすでに退社していました。


メインプログラムは、手相の時のメインプログラマと仲の良かった先輩がやることになりました。

仲が良かった、というだけで「なんかわかるだろ」という関係者扱い。


ゲームについて確固とした考え方を持っている人で、コラムス97を作っている時に「処理落ちは許さん」と言ったのはこの人。


その先輩と僕の二人がプログラマ。後の話ですが、僕の同期が追加されて3人になります。



手相のグラフィックをやった人は、メインもサブも、まだいました。

でも、こちらはオーラ写真には関与せず。なぜかは知りませんが、単に別のプロジェクトにかかわっていて忙しかったんじゃないかな。


結局、女性の先輩一人でほぼ絵を描いていたはずです。

この人、仕事が大好きで…というか、会社の近くに一人暮らしだったので、家に帰るのが「寂しかった」ようで、夜遅くまで働いていました。


女性は深夜残業が認められなかったので、夜11時には帰るのですが、よく「男の人は残業できてずるい」と言っていました。



デザインは、ほかにもデザイン課長が手伝っていたり、スポットでいろいろな人が入った気もするけど、よく覚えていません。



そして、企画は2年目の新入社員。

普通、2年目ならまだ他の人のサポートをしながら仕事を覚える時期ですが、彼はいきなり実践投入されたわけです。

しかも、人気があって続編を望まれたゲーム。かなりのプレッシャーだったようです。




オーラの制作過程を語る上では、企画者の彼のことをもう少し書いたほうがよさそうです。


彼はセガに入社はしましたが、それほどゲーム好きだったわけではありません。

まぁ、遊んだりはしたようですが、「おもちゃ会社」としてのセガに入社を希望していたのです。


後にセガのおもちゃ部署は「セガ・トイズ」として独立会社になるのですが、当時はまだおもちゃ部署。

アンパンマンとミッフィーちゃん、そして幼児向けコンピューター「ピコ」が主力商品でした。



彼の席は、面白そうな新発売おもちゃだらけでした。

当時入手困難だった「白いたまごっち」を自慢されたこともありますし、おもちゃの範疇には「ネオジウム磁石」なども含まれます。


ネオジウム磁石って、小さくてもすごく強力なやつね。

今時100円ショップでも売っていますが、当時は発売されたばかりで、小さなものが数千円しました。


これを「すごく強力ですよ」ってゲーム筐体に貼りつけたら、あまりに強力で取れなくなったことなど思い出します。

小さいから引っ張ろうにも持つ場所が無くてね。最後にはちゃんと取れましたけど。



とにかく、彼の興味はおもちゃに向いていました。

それは、ゲームにはあまり興味が無いということでもあります。


彼自身、ゲーム部署を希望していたわけではないのです。

ただ、おもちゃ部署が非常に小さく、希望していても配属されなかっただけで。




企画者を任されたからには、ゲーム全体の作成指示を出さなくてはなりません。


でも、彼はゲームを作った経験はなかったし、世の中のゲームもそれほど深く見てはいない。

もちろん、ゲームで遊んだことくらいはありますけど、作るつもりでは見ていないのです。


だから、指示が常にチグハグ。


占いゲームですが、ST-V で作ることになったので「3Dの演出を前面に押し出す」と彼は決めました。

占いのジャンルを決めるだけでも、ジャンルを描いたパネルを輪に並べて、斜め上から見下ろす雰囲気で…

と、3Dでやろうとする。


でも、「3Dで」と指示を出しておきながら、彼の頭の中のイメージは2Dなのです。

輪っかがあれば、そこに均等にジャンルのパネルが並び、今選択していない項目でもそれなりに読めるつもりでいる。


実際には、パースが効いているために後ろの方に小さくなったパネルがごちゃっと集まり、視認性が悪いです。


実際にできてから、想像とのギャップに苦しみ、「やっぱり2Dで動かして、後ろに下がった時だけ少し表示を小さくすることで、3Dっぽくごまかせませんかね?」とか言い出します。


大体指示通りに作ってみても、今度はあたりまえだけど3D感が足りないと言い出す。


彼自身の中で「3D」が何かはっきりしていないのです。

なんとなくのイメージしかないから、出来上がったものも、なんとなくピンボケにしか思えない。



新人の遠慮もあったのだと思いますが、押しが弱いのも問題でした。

どうもこれは良くない、という状況になっても、はっきりとダメ出しをできないのです。




グラフィックも同じでした。


先に全体に3Dで、とは言いましたが、ST-Vの性能ではそれほど綺麗な3D画像は出せません。

そこで、キャラクターは3Dで作ったものをプリレンダリングしてスプライト表示、となるのですが、ここでも指示が安定しません。


#3Dをプリレンダリングしてスプライト表示…

 簡単に言えば、モデルは3Dで作るけど、最終的には2Dの画像にして表示、ということです。

 カメラアングルもアニメ内容も決まっているのであれば、リアルタイム演算よりむしろ綺麗に表示できます。


彼は最初に、キャラクターとして「猫のダヤン」を使おうと考えました。

オーラという怪しげな世界の雰囲気と合いそうだと思ったから。



一応版権使えないか打診したようですが、無理でした。

でも、「じゃぁ、それっぽい雰囲気の別の絵で」となります。


これが…ダヤンってあまりにも独特の絵柄過ぎて、それらしい雰囲気を出せばダヤンそのものになってしまうし、離れようとすれば全然違うものになってしまうのです。


じゃぁ、いっそ諦めて別の方向を模索すればいいのだけど、彼はそうしません。



こちらでも、彼が新人であること、ゲーム作成慣れしていないので明確なイメージを出せないこと、などがマイナス要因として働いています。




なんか彼の仕事にダメだしばかりしているようですが、作るからには良いゲームにしたいのはみんな一緒です。


彼が不慣れであれば、チーム一丸となって彼をサポートしよう、という話は出ていました。


先輩だからと遠慮することはない。自分が一度出した指示でも、出来上がったものを見て想像と違ったら、思い切ってやり直して構わない。

彼に対してみんながそう言っていました。


でも、多分そういうことではなかったのね。

今考えると、ゲーム作成慣れしていない、「引き出しの少なさ」が一番の問題だったのでしょう。


アイディアを没にするとしたら、別のアイディアを出さないといけません。

でも、彼にはこの「アイディアの引き出し」が少なかった。一つのアイディアに固執し、途中で変えようとはしませんでした。




最終的には、それなりにまとまりました。

決して悪い出来ではないし、及第点行っていると思います。

でも、及第点ということは、ヒットを狙える出来でもありませんでした。



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別年同日の日記

02年 Java

03年 ワインを飲んだが

13年 マイケル・ストーンブレーカー誕生日(1943)

16年 ジュラシックパーク


名前 内容

オーラ写真倶楽部  2017-10-10 17:41:54  業界記

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オーラ写真倶楽部

1997年の秋のゲームショーに、オーラ写真倶楽部が出展されました。


…たしか出展されたと思うのだけど、あまり覚えてません。

リリースがこの頃なのは確かなのだけど。


#右上にある「オーラ写真倶楽部」のロゴ画像、クリックしてもらえるとチラシ全体を見ることができます。




オーラ写真倶楽部は、「手相占いちょっとみせて」の続編(?)にあたります。


以前に、オムロンから「手相を取るユニットが作れるので、一緒にゲームを作りましょう」というお誘いがあり、手相占いを作りました。

これが大好評。占いゲームとしては異例の出荷台数になりました。


その後「顔の特徴も抽出できるから、人相作りましょう」と言われたものの、こちらはオムロン側の技術不足で中断。


で、今度は「オーラとれるからオーラ占い作りましょう」ということなのですが、オーラって…怪しすぎますね。



その前に、この頃の占いブームの話を書きましょう。




1991年から始まる不景気を、バブル崩壊と呼びます。

この時期、急に先行きが不安になり、誰もが今後に不安を持っていました。


その社会的な心理状態を背景に、ちょっとした「占いブーム」が起こります。


テレビでは、「それいけ!!ココロジー」という心理学番組が大人気となりました。

心理学、といってもかなり怪しいもので、ほぼ占いの一種。


ココロジーは後にセガの別部署から占いゲームとして発売されました。

これはヒットしましたし、僕が以前作った手相占いもほぼ同時期。

占いゲームに人気がある時期でした。



街にも占い館がたくさんありました。

そして、そうした占い館で1995年頃から人気が出始めた占いに「オーラ占い」がありました。




「オーラ」という概念自体は、18世紀ごろからあるそうです。

ただ、その頃は生命感あふれる、不思議と心が落ち着くような場所に「オーラがある」とされた程度。


19世紀に急激に科学が発達し、生物の体の仕組みなどが次々と解明されていきます。

すると誰もが疑問に思うのは、「生命と非生命の違いはどこにあるのか」ということ。


生命の仕組みがわかって、模倣できるようになってきたのに、それは生命にならないのです。

物質は器にすぎず、生命とは何か別のエネルギーのようなものではないのか?


20世紀の前半には、科学的に「生命エネルギー」の研究が行われました。

ここで、仮想的な生命エネルギーが「オーラ」と名付けられます。


これが生命のエネルギーであれば、病気の人はオーラが変調したりするでしょう。

何とかしてオーラを捉えることができれば、病気の診断に役立つかもしれません。

科学的な研究には、それなりの理由がありました。



やがて、オーラが見える、と自称する人が現れます。


…本人が見えるというのだから、僕としては何も言いません。

否定も肯定もできない。

霊が見えるという霊能力者や、異星人と交信できるというコンタクティと同じです。


そういう人々によれば、オーラは病気の診断どころか、感情によっても変化し、本人が気づいていない願望なども反映するのです。

これを使い、将来の状況を改善するためのカウンセリング…いわゆる「占い」が可能となります。



さらには、オーラを撮影することができるカメラ、というのが現れます。

これにより、誰もがオーラを目にすることになりました。やはりオーラは実在したのです。科学の勝利。



…えぇっと、詳しい説明はしないことにします。

オーラ写真の占いゲーム機の話ですから、あえてこれ以上は踏み込まない。

ここでは、オーラは撮影できるんだ、ということで話を止めておきます。


気になる人は「キルリアン写真」をキーワードに調べてみてね。



ともかく、「オーラは常人には見えないが、写真には写せる」とされるようになりました。




話を少し戻して、1995年頃に街の占い館で流行し始めた、オーラ写真は「キルリアン写真」とは違う仕組みで撮影されていました。

しかしまぁ、オーラが写るのです。かがくのちからってすげー!


金を払うとまずオーラ写真の撮影があります。

この写真を見ながら、オーラの色や意味などを説明し、占いが行われます。

これが街で流行っていたオーラ占い。



じゃぁ、これをゲーム機でもやってみよう、というのがオムロンの持ち込んだ企画でした。

街のオーラ占いの写真機と同じような仕組みで…いや、医療器具のオムロンですから、もっと詳細な形でオーラを捉えることができます。



手相占いでも協力をいただいた占い師、ステラ薫子さんに連絡をしたところ、オーラ占いならできます、とのことでした。

そこで、オムロンが読み取ったオーラデータを元に、どのように占いを行うか、アルゴリズムと結果文章をセットでお願いすることになりました。



「オーラ占いゲームを作る」と、チームが編成されて僕のところまで話が届いたのは、以上のお膳立てが全部整った後になります。


オーラを撮影する、と言っても仕組みが気になる人が多そうだけど、種明かしは後日。

先に書いてしまったら面白くないもの (^^;



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別年同日の日記

04年 大型の勢力

16年 CentOS 7 上の ndjbdns の落とし穴


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ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド  2017-01-27 08:57:55  業界記

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1997年、とされていることが多いので、僕もそのつもりでいました。

でも、どうやら 1996年中だった様子なので、慌てて文章書いています(笑)


Wikipedia の英語版だと、96年9月13日国内リリース、となっているのだけど、これは日付的に、秋のショーに展示しただけではないかな…


でも、タイトル画面には (c)1996 とあるので、年内に正式リリースまでこぎつけたのだろう。

(1997年発売になれば、1996,1997 と併記される)


で、英語版を 1997年に出して、国内より海外で人気が出たゲームなので、1997年発売とされやすい様子。




ワンサガンの際に書きましたが、1991年頃からガンシューティングゲームのブームが起き、セガでも AM2 研が「バーチャコップ」(1994)を出しています。


ポリゴンボードを使用したガンシューティングゲームとして話題にはなったのですが、この当時 MODEL2 はまだ非常に高価で、ゲームセンターが資金回収できるほどのヒットだったのかというと微妙な所。


しかし、その後 MODEL2 のコストも下がり、1996年の初旬に AM3 研が「ガンブレード N.Y.」を発売。

2研と 3研がポリゴンでガンシュー作ったのだから、1研でもなんか作りなさい、と上層部から指令が出ます。




ガンシューティングは、日本よりもアメリカで人気があります。

実際に銃が身近な国だからね。作るのであれば、アメリカでウケるものを作らないといけない。


ところが、アメリカではゲームを作る際に。日本よりも細かな「レーティング」が定められていました。

これが厳しくて、特に「銃」に関しては使わせまいとする。

銃が身近だからこそ、子供が銃をかっこいいと思うような表現はダメなのです。


このレーティングは、今でもあるのだけど、当時とは基準も違います。

というのも、何か問題があるとすぐに基準が変更されるため。


だから、まず筐体についている銃が本物っぽいのはダメ。

水色とかピンク色とか、一目でおもちゃだとわかる安っぽいつくりにする必要があります。



1992年に「モータルコンバット」という格闘ゲームがアメリカで発売され、大ヒットしました。

このゲームが、実写の取り込みで、勝つと相手の首を刎ねて血しぶきが飛んだり、心臓を抉り出して血しぶきが飛んだりする。


これが問題となり、「血の表現」はNGとなりました。



そのため、バーチャコップでも、相手は悪人…人なのに、銃で撃っても血が出ません。

血が出るのはNGだから、そういう表現を無くしたのね。


でも、そのバーチャコップが問題になります。

ポリゴンを使用した「リアルな表現」で、人に銃を向けるゲームだということ自体が問題視されたのです。

レーティングの基準が改正され、「人に銃を向ける」がNGとなりました。



ガンブレード N.Y. は、敵が「アンドロイド」となっています。

マシンガンで撃っても簡単には倒せない。撃ち続ける必要がある。もちろん血も出ない。


マシンガンで撃たれ続けていても動ける人なんていないですから、明らかに人ではない。

「人に銃を向けてはならない」という基準に対して問題はありません。


…すぐに基準が変えられ、「人型のもの」はNGになりました。



そしたら、確か海外のメーカーが、イルカを狙うシューティングゲーム出したのではなかったかな。

イルカを調教して体当たり兵器とする…という研究が過去になされたのは事実で、それをテーマとしたガンシューティングゲーム。


これが残酷だ、と問題になり、「人型のものや、生物に銃を向けてはならない」とまた基準が変わるのです。




さて、ゲームとしてみた場合、一発では敵が死なずに「何発か撃ち込まないといけない」というのは、いいルールです。


狙いを定めるうえでも、前の着弾点を見て調整できるからね。

何より、一発では倒せないというのは緊張感と、倒せたときの安堵感を生みます。

ガンブレード N.Y. では、そういう部分を中心にゲームを組み立てています。



バーチャコップでは、警察対悪人、という設定での「銃撃戦」を描いています。

ここで問題となるのが、相手が銃を撃ったとしたら、こちらは「避ける」なんてできない、ということ。


そこで、相手がゆっくり動き、動きが完成すると撃ってくる、という形で「時間制限」を意識させています。

ゲームとしては良いのだけど、ちょっと違和感のある部分でもあります。



さて、新しいゲームを作るとしたら、どうすればよいか?


生物ではなく、人型ともいえず、一発では倒せないようなイメージのあるもので、銃で撃つ敵としてふさわしいもの…

相手は銃などを持たず、動きがある程度ゆっくりであるのが自然なものが良いです。


ここで「ゾンビ」という案が浮上してきました。

いろんな条件を満たしていますし、何よりもアメリカ人はゾンビ大好きですから。


#当初は「幽霊」を考えていたそうなのですが、幽霊に銃でダメージ与えるというのも変ですから…



ただ、ゾンビも「人型」だということを懸念する人もいました。


銃による殺人が度々問題になるアメリカで、子供が遊ぶゲームだからこそ、節度を持った使い方がなされないといけない。

レーティングの規制は、そうした背景で作られたものです。


ここでまた、「ゾンビは死んでいるから生物じゃない」とか言い出すのは、趣旨を理解していないのではないか?



しかし、ゲームはゾンビを敵として作ることになりました。この頃の通称は「ゾンビガン」じゃなかったかな。

レーティングにかかるかどうかはわかりませんが、できるだけ人と違う異形のものとして描くしかないでしょう。


#アメリカのゲームのレーティングは、仮に引っかかってもゲームセンターに置けないわけではない。

 ただ、第三者の審査でレーティングが定められ、内容によってはアドバタイズ画面で警告を出さなくてはならない。



ゾンビが出てくる時点で「ホラー」なので、恐怖心を煽るための血の表現なども必須。

しかし、ここは先に書いたように「血はNG」でもあるので、色を変えられるようになっています。


緑色なら血ではない、という、これも逃げ口上ですな。


#国内では特に規制がなかったので「赤」で発売されましたが、これには怖すぎるという苦情もあったようです。

 設定で色が変えられるようになっていたため、後期の出荷分は工場で緑色に設定されたようです。




全体的なイメージは、サイコスリラー映画の「セブン」の影響を受けてます。

企画者が「このイメージで」と、ビデオを借りてきてみんなで鑑賞会をやったらしい。


チーム全員でイメージを共有してから作成に入ったため、ゲームの印象をまとめ上げるのに成功してます。


#イメージを伝えるためにビデオを見せる…ということ自体は良く行われます。

 でも、一シーンを参考にする程度で、「雰囲気を出すために」と、映画丸ごと一本をみんなで見る、というのは珍しかった。




そういえば、謎の事故や病気が相次いだのもこの作品だった気が…


いや、偶然レベルなのだけど、スタッフの車がもらい事故したり、急病で入院してしまったり。


ゾンビのゲームなんか作ってるから祟りじゃないか、って誰かが言い出して、いや、ゾンビは霊と違って祟らんだろうとか言いながら、チーム全員で神社に行ってお祓いしてもらったはず。


そういうのを信じているかどうかじゃなくて、誰かが気にし始めるとチームの士気にかかわるので、念のためやっておくか、というような意味合い。




…と、知っているのはこの程度。

プロジェクト始まってすぐの頃のこういう話は聞いていたのだけど、後は気が付いたら「完成間近」だった。

僕の方もコラムスで忙しかったのかな?



完成何度かテストプレイをやった記憶はあるな。

結構難しいゲームなのだけど、繰り返し遊んでいたのでそれなりに上手になっていた。


そういえば、発売後に部署の先輩が「横浜のゲーセンでクリアしたら、見てた女の子に大うけで仲良くなれた」って喜んでたっけ。

このゲームはヒットして注目度が高かったし、その先輩もテストプレイ繰り返していたからすっかり上手になっていたのね。役得。




当初の狙い通り、日本もさることながら、アメリカやイギリスで大ヒットになりました。

その後、確かイギリスのゲーム雑誌がチームに取材して、雑誌が送られてきたのね。


その雑誌では、タイトルが長すぎるので、独自の略称をつけていました。


本来のタイトルは The House of The Dead 。部署内では「デッド」(語尾上げ)って呼んでました。

海外での一般的な呼称は HOD 。長いから The は省略した上で、頭文字を取っているのですね。


でも、その雑誌は The HOT-D という略称にしていました。

この略称かっこいいな、って企画の人が喜んでました。



その後シリーズ展開するにつれ、半ば公式に HOD が使われるようになったので、The HOT-D って呼んでた人はいないんじゃないかな。



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別年同日の日記

03年 おでん


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1996年のそのほかのゲーム  2017-01-20 09:52:52  業界記

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20年たったら書く、というつもりで書いているけど、そろそろ「語ることが何もない」ゲームが増えています。


新人の頃は、雑用仕事でいろんなチームに駆り出されたし、部内テストプレイ筐体で遊ぶこともありました。

しかし、この頃になると中堅社員になっていて、雑用はやらないし、忙しくて部内ロケテスト台でも遊ばないことが多いのね。


先に書いた WaveRunner も、「アイディアコンテスト」のことは覚えているのだけど、自分で遊んだ覚えがほとんどない。



▼SEGA SKI SUPER G


96年末…冬シーズンに発売されたと思います。

スキーゲームね。ストックを支えに、足を動かすことで操作します。



よく覚えていないのだけど、冬に部内の有志でスキーに行った覚えがあります。

セガは羽田が近いので、会社の仮眠室で泊まらせてもらって、翌朝羽田からの始発便で(チケットが安いので)北海道に行きました。


AM1研では、お金を積み立てての「社員旅行」もあったのだけど、このスキーはそれとは違う、有志の集まりでした。

社員旅行だと、積み立てもするけど会社から補助が出るので、それなりに豪華旅行だった。

でも、このときは有志だけの貧乏旅行(笑)


たぶんそれが 95年~96年の冬シーズンだったと思うので、その時から企画の片鱗があって、取材を兼ねていたのかもしれません。




たしか、冬発売なのでコラムス 97 と同じ頃が締め切りだったと思うんですよ。

夜、ほとんど人のいない部署内で、企画やってた人と会話していたのを覚えている。


その人、いつも夜になると「さらっとトマト」飲んでてね。当時発売されたばかりのジュースだった。

その日も飲んでたので「好きですねー」って言ったら、「だって、すごくおいしいよー」とか、そんな他愛もない会話。


だからどうしたということではなくて、その程度しか記憶に残ってないのです。



▼ダイナマイトベースボール


以前に僕も在籍した「ファイナルアーチ」という野球ゲームを作ったチームがあります。


ファイナルアーチは、決して人気が出たソフトではないのだけど、ゲームセンターにとって「必要なソフト」と考えられました。

野球ゲームって、外回りの営業サラリーマンとかにウケがいいのね。


で、ST-V ではなく Model2 で作ったのが本作。

特徴として、アナログな「バットスイッチ」というのがあります。


90度ほど回転する棒なのだけど、引っ張って離すと、バネの力で元の位置まで戻ります。

これで、野球盤のようにバットを「振る」ことができて、スイングの力も調整できます。



ファイナルアーチって、「サヨナラ打」の意味でつけられたのだけど、わかりにくかった。

和製英語だし、一部の野球ファンはそういう言い方をするけど、一般的な用語ではないのね。


「ダイナマイト」ってつけろというのは、営業側からのリクエストだったと思います。

「ダイナマイト刑事」のヒットがあったので、同じ部署が作ったゲーム、として売り込みやすいという判断。



ダイナマイトベースボール、この後シリーズ化されて毎年バージョンアップ版が発売されます。




AM1研では、基本的にゲームごとに人員が集められ、作成が終わると解散していました。

だから「チーム」って考え方はあまりないのだけど、この「チーム」は、The J League 1994、ファイナルアーチ、ダイナマイトベースボールとスポーツゲームを作り続けていました。


特にプログラマーが、かな。企画やデザインは、ゲームごとに違っていた気がします。




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別年同日の日記

06年 ウッドデッキ完成

07年 人生初ギャグ?

13年 ピクミン

15年 高柳健次郎の誕生日(1899)

15年 SIMON は世界初のPCか?

15年 【追悼】森公一郎さん (LSI-C の作者)


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あの頃のインターネット  2017-01-15 15:06:40  コンピュータ 業界記

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ふと気づくと、このサイト「魔法使いの森」も、いつの間にか20年を超えていた。

最初に書いた記事はファミリーBASICで、1996年の10月1日に公開していたようだ。


僕がこのサイトを作り始めたきっかけは、セガ社内での「流行」があったからだった。

なので、個人的なことなのだけど、業界記タグで書いてみよう。




以前に書いたことがあるのだけど、パソコン通信は、1991年に始めたと思う。


電話事業の民営化でパソコン通信が可能となったのが 1985年。

高校の頃読んでいた MSX マガジンでも、パソコン通信の記事とかがずいぶん出ていた。


1991年だとすでにブームもひと段落して、機材が手ごろに購入できるようになってきた。

そこで、「すっかり出遅れた」と思いながら始めたのだった。



1994年には WWW が普及し始め、「ホームページ」が続々作られ始める。

それまでは、インターネットに接続しようと思うと、大学などの研究機関同士のネットワークに参加するしかなかった。


同じ 1994 年には IIJ が接続サービスを開始。

でも、まだ非常に高くて、個人が使うようなものではなかった。



1996年頃になると、個人でも使える接続サービスが増えて、競争で値段が下がってくる。

でも、やっぱり僕はパソコン通信で十分で、インターネットには接続していなかった。




大学の卒業研究が「ハイパーテキストによる執筆環境」だったので、 WWW に興味はあった。


セガの社内は、当時まだ 10Mbps だったのだけど、Ethernet で接続されていた。

社外にも接続されていたのだけど、使用するには許可が必要だった。


でもある日、当時セガが作成していた「ホームページ」(当時は WEB サイトのことをそう呼んでいた)が、社内から見られるようになっているのを知った。

セガ公式とはいえ、情報はわずかで、ほとんどがファン同士の交流掲示板だった。


そして、社内で見られるのは深夜 0 時時点のスナップショット。

掲示板の話題は最新ではないし、こちらからは発信できない。

でも、WWW を体験してみるには十分だった。



ホームページは社内の情報部署が作っていたようなのだけど、その部署の人が「個人ホームページ」もサーバーに置いているのを知った。

こちらは非常に個人的なことしか書いてなかったし、当時の個人ホームページらしい、自分の趣味の紹介を書いてあるだけ。


ほとんど更新されなかったけど、時々見に行っていた。



そして、さらに全く違う部署の人も、「個人ホームページ」を公開していることがあると知った。

その人のマシンの IP アドレス直打ちで接続しないといけないし、案内はどこにもない。

でも、出来の良いページを作っている人の IP アドレスは口コミで広まっていた。




そんな社内で人気の WEB ページの一つが、どこかの部署のデザイナーさんが作っていたページだった。


当時の Mac … OS 8 には OS 標準で httpd 機能があって、ページを公開できたのを利用して作られていた。

個人のマシンで直接公開しているので、その人が勤務中しか見られない。


週一回更新されていて、デザイナーさんらしく「扉絵」を 3D CG で描いていた。

毎回ゲームをテーマにしたイラストで、主人公キャラが必ずミッフィーちゃんになっている。


まず、この CG の出来が良かった。

簡単なつくりだけど、ちゃんとそのゲーム「らしさ」を出していたし、主人公をミッフィーちゃんにしてもちゃんと成立するような図柄にデフォルメしてある。

それを、毎週描いているというクオリティの高さ。



もっとも、ページ内は、非常に短い4コーナーだけ。

写真主体で、ちょっと文章がついていただけじゃなかったかな。


先に書いたけど、この頃のホームページって、自分の趣味を紹介したりするのが普通。

その紹介も「プログラムと料理が趣味です」とか書いてある程度で、詳細に踏み込まない人が多かった。


それを、毎週短い記事とはいえ、趣味丸出しで情報を発信している。

これが、会ったこともない人なのに性格がわかって面白い。



僕もこういうページを作ってみたい、と思い始めた。

幸い、パソコン通信環境はある。あとはプロバイダに申し込めばインターネット接続できる。


プロバイダへの申し込みを進めると同時に、どんなページを作ろうか考え、記事を書き始めた。

やっぱりページは4コーナーで構成して、自分が趣味丸出しにできるものにしよう。


作成期間は、確か 2週間くらい。

「Old Good Computer」「社会の歯車」「男の料理(現在「簡単料理の作り方」に改題)」「森の生活」の4コーナーで構成される「魔法使いの森」はこうして公開された。


当初は真似をして毎週更新していたのだけど、だんだん記事が長くなり、書くのが辛くなって毎週更新はやめた。

(今はほぼほったらかしで、申し訳ないと思っている)




先に書いた、デザイナーさんが作っていたページに、告知が出た。


せっかく作っているのだから、インターネットで公開します。URL が添えられていた。

そして、しばらく後には、社内ページは閉鎖されて、インターネット公開のみとなった。


それまでは作者さんに連絡する手段がなかったのだけど、ネット公開になって連絡できるようになり、しばらく仲良くしていただいた。

その後、ベンチャービジネスに参加するためセガを辞める、と聞いた。


そしてさらに後、作成していたソフトが完成したと、ご自身のページで公表していたと思う。


ピンク色のクマのぬいぐるみがメールを運ぶ、不思議なメーラーソフトだった。




ポストペットの公開は1997年 1月だったそうで、20周年のお祝い記事を読んで、上記のことを思い出した。


当サイトが参考にしたページは「ナミ通」。

ポストペットのキャラクターデザイナーである、真鍋奈見江さんが作成していた。



WEB ページ作成時も参考にさせてもらったし、ポストペットの成功は「うまくやったなぁ」と、正直羨ましかった。

僕も何か自分の力でやってみたかったけど、そのために会社を辞めて独立するというのは、なかなかできるものではない。



僕も後でセガを辞めて独立したのだけど、こうした成功者に触れていたことは後押しになったように思う。


#直接的にはやはり同じ部署で独立した、同期の女性デザイナーの成功のほうが大きかったと思うのだけど。

 こちらの話はまたそのうち書きます。



まぁ、そんなわけでポストペット 20周年おめでとうございます。

今は交流はないのだけど、その当時仲良くしていただいた者として…そして、会社経営者として、20年会社を維持したことはすごいと思うのです。



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コンピュータ

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WaveRunner  2017-01-14 09:45:27  業界記

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WaveRunner は、1996年の秋に発売になったはず。

Model2 で作られた、マリンジェット…もしくジェットスキー、水上バイク、パーソナルウォータークラフト(PWC) などと呼ばれる、海の上を走る小型船舶のレースゲームです。



念のため書いておくと、水上バイクは日本でよく使われる一般名称で、PWC は英語圏でよく使われる一般名称。

マリンジェットはヤマハの商標、ジェットスキーはカワサキの商標です。


そして、WaveRunner というのは、ヤマハが発売しているマリンジェットの機種名。

というわけで、ヤマハに許可を得て実機を登場させた、水上バイクのゲームなわけです。


http://www.gamesdatabase.org/から引用


マリンジェット、WaveRunner なのに、広告チラシ下部の英文では jet ski って書いてある。

わかってないとしか思えない。




たしか1996年の春ごろ、部署内でアイディアコンテストをやる、と企画課の課長が発表しました。


企画は当然アイディアを考えるのが仕事なのだけど、企画以外でも「こんなゲームを作りたい」というようなアイディアを誰しも持っているもの。

でも、そうしたアイディアは埋もれがちなので、みんなに課題として提出してもらって、いいアイディアのものをゲーム化したい、という趣旨でした。


しかし、漠然と「考えて」と言っても、アイディア出しに慣れていない人には難しいだろうから、と、方向性が示されます。


レースゲームとすること。

他にないようなアイディアを入れること。

普通の車のレースゲームはたくさん出ているので、目を引くような変わった操作性が欲しいこと。


この方向性で、各自1つは企画書を提出して、とのことでした。



僕もアイディアを出しはしたのだけど、それはまぁいいんだ。

しばらくして、良いアイディアだと皆の前で発表されたものがあって、そこで「あぁ、最初から出来レースだったのか」と気が付いた。


出来レースといっても、受賞者が決まっていたという意味ではないのね。

ただ、あらかじめ上層部が考えているアイディアがあって、それに沿うアイディアが出てきたところで掬いとる、というだけだった。


マリンジェットを使ったレースゲーム、というアイディアを、何人かが提出したそうで、それらのアイディアが良かった、と褒められます。

これから夏だからタイムリーだし、水上の挙動というのはお客様も慣れていないので新鮮な感じがする…などなど。




僕としては、選出理由を聞いていて、まるっきり白けてしまいました。


この頃、水上バイクがちょっと流行の兆しを見ていました。

テレビのバラエティなんか見てても、「これから流行する新しいマリンスポーツ」的な感じでよく出てた。



今調べてみたら、水上バイク自体の歴史は古いのですが、流行し始めたのはカワサキの Jet ski 以降なのね。

というのも、他の会社は「一人載りのモーターボート」として考えているのに、カワサキは「引っ張ってもらわないでできる水上スキー」と考えていたから。


他社が乗り物を作っているのに、カワサキはスポーツギアを作った、ということでしょうか。似て非なるもの。

これで、1980年代の中ごろにアメリカで流行し始めます。ヤマハが参入したのもこの頃。


1990年ごろにはブームが起きて、これをきっかけに 1990年代半ばから次々と「規制」が作られます。

規制しないといけないほどの大ブームになったという事ね。



その流行が日本に数年遅れで入ってきていたようで、それが先に書いたテレビ番組などの例になります。

たしか、この年の春のショーでも、海外のゲーム会社が、3D視点の水上バイクのレースゲームを出展していました。


つまり、話題になっているし、他社が作っているから、うちも同じようなの作ろう。

ただそれだけのことだし、それを「アイディア」とは言いません。




別に他社の真似が悪いわけではないです。


以前も書いたけど、全く新機軸のゲーム、っていうのは、実は受け入れられない。

どこかで見た、という既視感と、それなのに新しい、という新規性の両立が大切です。


つまりは、真似をしつつ新しいものを入れるのが大切。



今探しても、その海外のゲームが見当たらないのだけど、たしか拡大縮小スプライトで作られた3Dゲームだった。

アウトランとか、パワードリフトとか、そういう感じの画面構成なのね。


時代的に「一昔前」の作りだったのだけど、水上バイクというアイディアは悪くなかった。

じゃぁ、3Dの技術で作り直したらイケるんじゃないか、ってこと。



でも、「アイディアコンテスト」として、これを評価するのは筋が悪い。

「他社にないようなアイディア」という課題だったのに、思いっきり真似です。


さらに、すでに春なのに「これから夏だし」はあり得ない。

ゲーム開発は6か月くらいかかるんです。


もう、この選定の時点で悪い予感しかしませんでした。


…はい、あたりです。


Aqua jet (1996 namco)


jet wave (1996 konami)


wave race 64 (1996 nintendo)



その年の秋は、セガの WaveRunner を含め、4種類も水上バイクのレースゲームが出たんです。

うち一つは家庭用だけど。


特徴的なのは、セガだけがヤマハのマリンジェットをゲーム化し、他の会社はカワサキのジェットスキーだという事。

先に書いたように、水上バイクブームはカワサキのジェットスキーによってもたらされたものだから、そちらにするのが当然と言えば当然。




ゲーム自体はよくできていました。

基本的には、インディ 500 のチームが引き続きレースゲームを作った、という形なのかな。


何作も作っているので、ノウハウは持っている。

ひいき目かもしれないけど、アーケード3機種の中では、WaveRunner が一番人気出たんじゃないかな。


でも、お客さんからすると「似たようなゲームがいっぱい」という状況にはなるよね。

人気が分散してしまい、大ヒットとはなりませんでした。


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別年同日の日記

03年 libSDL

04年 アンケート

11年 おさんぽ

16年 トーマス・J・ワトソン 誕生日(1914)


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プログラマーの技術力  2017-01-08 15:26:44  業界記

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Twitter で「コピペで済ますプログラマ」という話題を見かけました。

プログラムが書けないプログラマ、でもあります。


冗談みたいだけど、本当にそういう人はいます。

本とかネットとか、いろんな場所で「例示」されたプログラムを持ってきて、組み合わせて目的のものを作り上げてしまうのね。



昔から「読み書き算盤」と言われます。まず読めないとどうしようもないけど、「書く」というのは読むことの延長ではなく、違うレベル。


プログラムも同じで、「読める」…意味が分かることと自分で書けることは違います。

コピペプログラマは、読めるから組み合わせることもできるけど、書けないのです。


とはいえ、それがダメだというのではない。

最初は意味も分からず写経するのが大切だし、意味が分かってきたら真似して作ることが大切。


でも、その段階でプロになってしまうと、ちょっと問題が出てきます。



「業界記」として書いている一連のシリーズでは、あまりネガティブなことは書かないようにしています。

でも、今回はこうした話を書いてみます。




プログラム課としてはかなり年長の「ベテラン社員」がいました。

一度一緒に仕事をしたこともあります。年長なので、その時のメインプログラマでした。…肩書上は。


でも、実際にはコピペプログラマ。自分では書けず、過去のプログラムの切り張りでプログラムを作ります。


ゲーム作成って「そのゲーム独特の」処理も多いのね。コピペでは済まない。

そうした部分は、部下のプログラマに任せます。

メインプログラマは全体を統括するのが仕事で、実際のプログラムは他の人に任せてもいい。


ここでは、実際にほとんどを組んだ人を「事実上のメインプログラマ」と呼びましょう。


この、事実上のメインプログラマが作っていて、どう処理してよいかわからない部分がありました。

ハードウェアに密接に関係するパラメーターを決定しないといけない部分で、仕様書を繰り返し読んでもどのようなパラメーターが求められているかわからないのね。

ある程度の試行錯誤が必要でした。


しかし、事実上のメインが試行錯誤を始めてしまうと、進捗が止まってしまいます。

そこで、「肩書上のメインプログラマ」がその部分を担当しました。


ベテラン社員で顔が利きますから、他の部署に行って必要な処理をしている他のプログラムを見つけ出し、該当部分をもらってきます。


あとは、プログラムの流れを見て該当処理をしていると思われる部分を、丸ごとコピペ。

そのままでは動かなかったので、変数の形式などを試行錯誤しながら「それらしく」合わせます。


これで完成。

プログラムの内容は理解していないので、本当に正しいのかわかりません。

でも、必要としている変数の値の範囲では「それらしく」動いているのだからいいんじゃないかな。



「事実上のメインプログラマ」が、後学のために処理の内容など尋ねたのですが、「切り張りしただけだからわかんねぇ」とのこと。

何やってるのかわからないで、よくちゃんと動くプログラム作れますね…と、変な感心をしていました。




この人と同期の、また別の人の話。

同期なので当然ベテラン社員なのだけど、一応自分でプログラムはできました。


でも、ちょっと論理性が怪しい。

「読み書き算盤」でいえば、算盤の部分ができていない感じ。



その人が、ST-V の導入初期に「3Dプログラムの勉強会をしよう」と提案しました。


ST-V は3Dを扱えるハードだったけど、3D経験者はまだあまりいませんでした。

そこで、3Dの基礎概念くらいは全員が知っている必要がある、と考えたようです。

ここら辺は、ベテランらしい面倒見のよい部分です。


特に反対など出るわけもなく、会議室で第1回の勉強会が行われました。



ここでは「ゲームを作る上での」概念が大切。

だから、回転行列とかを教えるのではない。そんなものはライブラリを使えば済む話。


2Dなら表示したい座標を指定すればよかったけど、3Dだとカメラ座標とキャラクタ座標があって~ とかそういう話。




話がキャラクターの動きになった時、「回転はX、Y、Zの軸を中心に行われるけど、どの順番で回しても一緒」と先輩社員。


え、それ違いますよ。回転順序は重要、と僕が指摘したのですが、「お前、3Dわかってないなぁ。あとで説明してやるから席に来い」と言われます。


で、一通りの説明終了後に、先輩が実際の動きを実演してみせるというので、興味のある人は先輩の席の周りに集まります。



まず、「回転順序は関係ない」ことが実演されます。

3Dのモデリングソフトを起動し、回転を実演します。


X軸を回してからY軸を回せばこういう形で、Y軸を回してからX軸を回しても同じ形に…なりません。


焦って何度か同じ操作を繰り返す先輩社員。でも、同じになるわけないです。3Dでは回転順序は重要ですから。


本当は他にもいろいろ実演しながら説明する予定だったのだけど、なんとなくここで会がお開きになってしまいました。

勉強会も、続けてやる予定だった2回目は行われませんでした。


だって、みんなの前で「教える」と息巻いていた人が、基本部分すら理解していないとわかってしまったのだから。


みんなの前で誤りを指摘して恥をかかせた形になってしまったので、この先輩社員には後まで恨まれていたような気がします。




セガは大手会社だったから、プログラマーの技術力も高かったんでしょう?

と人に言われることがあります。


でも、ここに例を挙げたように、そんなことはありません。

初歩的なことでもできない人は結構多かった。


「技術力」は個人のものなので、大手だからと言って高いことはない。


でも、大手だと「層」の厚さはありました。多くの個性が集まっているのね。

コピペしかできなくても、顔が広くて必要なプログラムを確実に見つけてくる、というのも大切な個性。

3D勉強会を開いた人だって、3Dは理解していなかったけど、2Dゲームでは有名なものを何本も手掛けた方です。



もっと大切だったのは、プログラマー以外の「テストプレイ要員」が豊富にいたことのように思います。

中小企業だと、余計な人員を雇う余裕はないので、全員がゲームの作成にかかわっていて「デバッグプレイ」まで手が回らないことも多いのです。


でも、人員に余裕があれば、ひたすら遊んでバグを出すこともできる。

バグっていうのは見つからないと除去できないもので、見つけ出すことが何よりも大切です。



結局、個人の技術力は高くなくても、大手の総合力で「製品につぎ込まれた技術力」は高く見えるのね。




まぁ、人数が多いと平均値から離れている人も出てくるわけで、とてつもなく高い技術力の人もいましたけどね。

そちらの話は、またそのうち書く機会もあると思います。



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些細な綴り間違い【日記 17/02/01】

ゲーム会社の仕事【日記 17/02/08】

別年同日の日記

15年 ジョン・モークリーの命日(1980)


名前 内容

コラムス 97 サターン版  2016-12-27 11:24:59  業界記

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コラムス 97 の話の続きです。


ST-V とサターンは基本的に同じ性能なのですが、メディアが違います。

サターンは CD-ROM なので読み込みに時間がかかり、ST-V は ROM なので時間がかからない。


ROM が高速だからメモリの延長のようなつもりで作ってしまうと、サターン移植の際に苦労します。

実際、ダイナマイト刑事のチームが苦労しているのを見て、最初からサターン移植を考えて作らないといけないのだな、と思っていました。



コラムス 97 は、最初からサターンで発売するつもりでメモリ設計をしていました。


タイトル画面とゲーム中は、スプライト領域とかが大きく入れ替わるので、ロードが必要。

でも、ゲーム中は基本的にデータはすべてメモリに入れてあります。


…ただ、どうしても「背景」が収まりませんでした。

プレイフィールドの背景は時々絵が変わるのですが、これは ROM から読み込まないといけなかった。



その代わりに、メモリを半分、全く手を付けないで残しました。

ST-V には、プログラムが置けるメインメモリと、データしか置けないサブメモリがあります。


メインメモリは高速だけど、サブメモリは低速

なんでメモリにこんな区別をしたのかは知らないけど、サブメモリは使いにくい。


だから、サブメモリは一切使わないことにして置いといた。

そうすれば、次の背景を CD-ROM からゆっくり読んで置いておき、必要なタイミングで一気に読み出し、とかできると思ったから。




ダイナマイト刑事のチームは、自分たちでサターン版の移植を行っていました。

だから、コラムス 97 も自分たちでやる気満々でした。


「サターン版出すときには、説明書に嘘の歴史書こうぜ」とか、企画のMと妄想していました。


コラムス 97 のデモ画面には、古代ギリシアの壺絵が出てきます。

「ゲームをするアキレスとアイアス」の絵です。


この話を追いかけるとちょっとしたゲーム史になって面白いのですが、今はその話はしません。

Mは、これを「コラムスをするアキレスとアイアス」として説明書に解説しようとしていました。

そして、コラムスとは実際に古代エジプトで遊ばれていたゲームが元になってアレンジされたものだと、でっち上げようとしていたのです。


じゃぁ、二人で対戦するようなゲームとして、「石を交互に置いて、並んだらとれる」とかのゲームを考えて、それまで説明書に載せよう…

とか本気で考えていた時、移植はコンシューマー(家庭用)部署に任せる、という決定が下りました。




開発中は「どこのメモリを何の目的で使用している」というようなメモリマップを手書きしながら行っていたので、そうした資料もコピーします。

「背景はメモリに入っていないので何とかしないといけない。低速メモリは空いている」などのメモもつけ、ソースファイル一式を渡せる状態で、引き渡しを待ちます。


ソースを受け取りに来たコンシューマーの人、実際に動いているゲームを見て、おずおずと言いました。


「サターンの性能だと、これを動かすのはちょっと厳しいかもしれません…」


この一言、すごくうれしい言葉でした。

コンシューマーの人は ST-V を触ったことはないので、ゲームを見て、ST-V はサターンの上位互換だと思ったらしいのです。


開発中、とにかく ST-V だとは思えない綺麗な画面を! と言いながら作っていました。

性能を知っているはずのサターン開発者が上位互換だと思った、というのは、画面が ST-V らしくなかった、ということ。

最高の褒め言葉です。



これは別の話ではありますが、新ゲームなどを紹介する業界紙でも「Model2 で作られたコラムス」と勘違いした記載がありました。(ゲームマシン 1997年1月1・15日号

これもすごくうれしかった。




サターン版は、コラムス・コラムス2・スタックコラムスと一緒に CD-ROM に入れられ、「コラムス アーケードコレクション」というタイトルで発売されました。


自分が行った仕事の中で、唯一手元に残っているものです。

最終的に移植したのは自分じゃないから、ちょっと変わってしまっているけどね。


コラムス 97 以外は、新たに移植した作品のようです。

CD-ROM を覗くと、統一されたディレクトリ構成で入っています。


でも、コラムス 97 だけは、ディレクトリ構造が違う。

全く別に作られたものだから、1つディレクトリを作って、ほぼそのまま突っ込んだらしい。


興味を持って中のファイルを調べたことがあります。

業務用では必要な「BOOK KEEPING モード」などの文字がプログラム中に残っていました。

どうやら、サターン用に作り変えたりせず、ほとんどそのまま入れてあるみたい。





▼プロジェクトが終わって


コラムス 97 は、「普通じゃない」ことをしようと頑張った作品でした。

高解像度モードを使ってみたり、宝石を少しづつ重ねて表示したり、宝石の回転アニメだけでスプライト画像のメモリ領域をほとんど使い果たしてしまったり。


開発期間は1ヵ月ちょっとしかなくて、ぶれている暇はないので、こうした大方針を最初に決めてしまった。

これ、Mにとっては結構「苦しかった」らしいです。


あたらしいアイディアを思いついて、ST-V のこの機能を使って、こういう演出を…ということを何度か言ったらしいです。

でも、そのたびに僕が「その機能は、この画面モードでは使えない」と返事をするのです。


僕は当然のことを言っただけなので覚えてないのだけど、企画者としては結構追い詰められたようです。

何かやるたびに、前にやった「普通じゃない」決定が足かせになっていく。


終わった後で、Mは「もう二度と、40x40 なんて変なサイズの絵は使わない」と言っていました。




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別年同日の日記

02年 クリスマスプレゼント

03年 飲み会

03年 日記エンジンバージョンアップ


名前 内容

コラムス 97 余談  2016-12-26 11:44:42  業界記

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コラムス97の話の続きです。



初代「コラムス」は、8dot 単位で宝石が落ちてきました。

宝石は全部背景に描かれていたからね。

そして、宝石自体は 16dot で描かれたので、1フレームに宝石半分が最高速。


これは、コラムス2でもそうだし、スタックコラムスでも変わらない。

たしか、「ここらでコラムス」でも、この決まりを守って作っていたのではなかったかな。



でも、コラムス 97 では、ドット単位で滑らかに落ちてきます。

これは「美しいゲームにしよう」と決めたから。カクカクと動くのは美しくない、とMが滑らかな動きを求めた。


最初は、縦の動きから滑らかにしました。

でも、縦が滑らかなのに横が滑らかでないのも美しくない、となった。



横方向も滑らかに動くバージョンが作られました。


もちろん、ゲーム上「列」に置くことが重要だから、操作自体は列単位ですよ。

でも、レバーを横に入れると、隣の列まで滑らかに動くようにしたのです。


これが…何とも言えず気持ち悪い。

どうにかならないか、滑らかなままで改善するアイディアを2~3個試した気もしますが、結局このバージョンは1日続けなかったんじゃないかな。

すぐに元の動きに戻しました。


ただ「滑らかに動かす」だけでも、結構いろいろ試してます。

コラムスに限らず、なにかを作るときって膨大な実験が行われ、捨てられています。




宝石が消える瞬間、砕け散って破片が飛ぶ演出があります。

また、消える瞬間にレバーを下に入れっぱなしにしていると、消える瞬間のアニメーションがキャンセルされ、高速で消えます。


アニメキャンセルは途中で入れた仕様なのですが、これを入れた時、連鎖すると飛び散る破片の量がものすごい数になり、処理落ち…画面がスローモーションになりました。


僕も企画のMも、シューティングゲームとかで大量の敵が出て処理落ちすると嬉しいタイプ。

まさかコラムスで処理落ちするとは思っていなかったので、「うわ、すげー、処理落ちした」と大騒ぎ。


何を騒いでいるのかと見に来た、近くの席にいた先輩に「ダメだな。処理落ちは絶対に許さん」と言われました。


プログラムを知っている人間から見れば、処理落ちするというのは限界を超えるほどの処理をしている、ということで面白いかもしれない。

でも、お客様はプログラムを見たいのではなくて、ゲームを遊びたいのだ。

ゲームのテンポを崩す処理落ちはあってはならないし、そうならないように工夫するのが我々のすることであって、「処理落ちした」なんて喜んでいてはいけない、と。


ゲームに対する確固とした哲学を持っていて、時々ハッとさせられる言葉をいただく、いい先輩でした。




ところで、唐突にプログラムテクニック。

他の会社や部署はどうか知らないけど、当時のAM1研では、開発中は背景色を本来の色とは違うようにいじっていました。


本来が黒だったとすると、1フレームの処理開始時に、緑とかにしてしまうの。

そして、処理が終わって垂直帰線待ち(ゲームのタイミング合わせの処理)に入る瞬間に、黒にする。


背景色は、直接画面表示に反映されました。


実際には、画面を描画中に次の画面を作るためのプログラムが動いています。

画面は走査線によって上から順に描かれますが、処理中はこの走査線の「背景色」が緑になり、処理が終わると黒になる。


結果として、処理時間がそのまま画面に現れます。

処理が軽いと画面の上の方だけ緑になり、処理が重いと下の方まで緑になる。


画面が全部緑になってしまうようなことがあると「処理落ち」となります。

こうすることで、常にプログラムの処理量を意識しながらプログラムを作れた。



ところが、ST-V の場合は、この色の付け方がちょっと違ったのね。


メイン CPU の処理が終わったところと、サブ CPU も処理が終わったところと、裏画面描画が終わったところで色を変えてあった。

実は、裏画面の描画は間に合わなくても、キャラクターがちらつくだけで大きな問題は生じないのだけど。


でも、この目的のために、メイン CPU は画面描画の終了を示すフラグが立つのを監視していたのね。

そうすると、実際には処理が間に合っていても、画面描画が遅いだけで処理落ちしてしまう。


先に書いた「宝石の破片で処理落ちした」のは、画面描画が遅れたためでした。

処理速度は問題ない。破片は描画が間に合わず消えるけど、重要ではないものだから、こちらも問題ない。


つまり、デバッグビルドだから処理落ちしただけで、リリースビルドすれば処理落ちしないのです。


とはいえ、これは後知恵。

先輩に言われたときは納得して、破片の処理を軽減するプログラムを書きました。


何をどうしたかは忘れたけど、上限定めてそれ以上出ないようにしたのかな?




一緒に作っていたもう一人のプログラマ、H先輩なのですが、「こここら」の時は敵の思考ルーチンを担当していました。


論理パズルとか好きな人で、理詰めで「最適状態」に積んでいくプログラムを作ったら、むちゃくちゃ強い。

そして、先読みがすごいので思考処理に時間がかかりすぎる。


無駄を省き、弱くしながら現実的な時間内で思考する…というようにしながら、いくつかのパターンのルーチンが用意されました。

ところが、「ここらでコラムス」が没になり、敵の思考ルーチンが不要となったのです。


思考ルーチンを作っていたので「次に置いたら消せる場所」を調べるプログラムはありました。

これをそのまま流用し、EASY 最初の頃の「消えそうな宝石」の表示ルーチンに流用しています。



もう一つ、一人で遊んでいる時に連鎖すると、空いている席の方で「リプレイ」が始まります。

これもH先輩の作。


というか、空いている側の席のデモは全部H先輩だったはず。

何もないときでもきれいな宝石が降っていて、リプレイがあるときは降ってきた宝石が積み上がると、連鎖直前の状態の再現になっている。


一見ランダムに見えるものが、定位置に収まってリプレイが始まる、という演出、結構好きです。


#あ、リプレイの開始指示は僕だ。

 「ここらでコラムス」の時に、連鎖確定演出というのを作った。連鎖が起きる前に、これから連鎖するとわかるのね。

 これを利用して「今から連鎖するよ」というデータを記録し、先輩の方ではそのデータを元に演出処理を行った。



多分もう少し作っているはずなのだけど、H先輩担当の主なものはこれくらい。

あとはほとんど僕がプログラムしています。

H先輩は、企画も作れて、プログラムも作れて、絵も描けるという広い知識のある人だったけど、プログラムだけなら僕の方ができたから。



そして、スタッフロールを作るときになって、どちらの名前を上に出すかで問題になったのです。


僕としては、先輩社員を差し置いて上に名前が出る、なんて畏れ多い。

でも、H先輩は、ほとんど僕が作っているのだし、プログラム課では僕の方が先輩なのだから僕を上に、と言います。


最終的に、プログラムを作るのは僕なので、H先輩を上にしてしまいました。

そんなわけで、僕の名前は下側に入っています。



H先輩は、この作品を最後に会社を辞めてしまったため、最後の思い出くらいにはなったかな、と思ってます。




宝石を描いたS先輩は仕事効率優先の人でした。1ドットにこだわるよりも、全体として受ける印象を大切にする、という感じかな。

宝石の絵は、1枚づつ仕上げたのではないそうです。


7種類× 32パターンをレンダリングしたものをツールで繋げて大きな絵にし、一気に減色ツールで 256色化、これをツールで再び切り分けたのだそうです。

当時はキャラクターは1枚づつ仕上げるのが普通でしたから、かなり思い切った描き方です。



タイトル画面にグリフォンのような獣が並んでいます。

初代コラムスのイメージをきれいに描き直したものなのですが、結構形が違います。


S先輩が、3Dで描きやすいように、適当にアレンジしたため。

「羽根の部分は、パイプ1本作ったら並べてくっつけて板にして、全体をぐにゃっと」でできているそうです。


両側の獣で目が色違い、に見えるのですが、実は左右とも全く同じモデル。

オッドアイ(左右の目の色が違う)なのです。


「裏から見るわけじゃァないんだから、これでいいんだよ!」とのこと。



当時のセガには「コアタイム」というものがあり、10時から15時には必ず働いている必要がありましたが、後は自由。

一日8時間働けば問題は出ません。(昼休み1時間は働いていることにならないから、会社に9時間いればよい)


で、多くの人は10時ごろ来て、夕方 7時に帰ります。

ところが、S先輩は8時に来て、夕方 5時には帰ってしまう


だらだらと仕事しているの、嫌いなんだそうです。




仕事時間ついでに書いておこう。


僕は、朝 9時前に出社していました。

企画のMは、大多数派の 10時出社。


で、Mは一日考えて出来上がった仕様を、17時ごろ持ってくるタイプでした。

僕としては、もう帰りの準備を考えている時間に「相談」と言いながら新仕様を見せられるのね。


そして僕は、その日の仕事はその日に終わらせたいのです。

相談された内容を、作成可能かどうかくらいまでは、検証してから帰りたい。


いつも、21時くらいまでかかって、とりあえず動くよ、って程度までは作ってから帰りました。

Mとしては、可能であることがわかってから帰途に就くので、家にいる間もさらに発展したアイディアを考えられます。


翌日は、僕はその「とりあえず」をちゃんとした形に作り込む。

Mはまた、家にいる間に想いついたアイデアを、夕方までにちゃんとした仕様の形に落とし込む。


毎日のように完成度が上がっていきました。

あのサイクルがかみ合わなかったら、1ヵ月で完成なんてできなかったと思う。


非常に充実した、スピード感のある楽しい仕事でした。


#あと1か月、という状況下で、毎日家には帰っていたように思う。

 最後の1週間くらいは泊まり込んだかな。





コラムス 97 は、「年末に間に合うように」作られました。


普通はロムを作るのに1か月くらいかかるのだけど、特急で仕上げてくれ、ってあらかじめ工場のスケジュール開けといてもらったのではなかったかな。

12月初旬にマスターアップして、2週間くらいでロムカートリッジになり、クリスマス頃にはゲームセンターに置かれているのを確認したと思います。


1996年中に発売したから、タイトル画面のコピーライト表記も 1996 です。


なのになんで 97 ってついているのか、というと、企画Mの発案。


当時は Windows 95 が「まだ新しいOS」でした。

95 ってついているけど、日本語版のリリースは 95年の 11月 23日だったのね。年末です。


だから、「95」なんだけど、普及し始めたのは 96 年に入ってから。


Mは言葉遊びが好きでした。没になったけど、「こここら」とか名付けちゃうくらいだからね。

96年になってから普及したのに 95という名前なのが、「最新なのにもう古い感じがして面白い」と言っていました。


そして、逆に「古いゲームだと思われると癪だから、最初から未来の年号をつけておこう」と言い出したのです。

これが、96年発売なのに 97 とつけられた理由です。



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コラムス 97 の音楽  2016-12-25 11:22:40  業界記

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コラムス 97 の音楽

コラムス 97 の話の続きです。



通常は、サウンド担当は、ゲームが完成に近づいてからアサインされます。


…といっても、コラムス 97 は開始当初から1か月程度しか期間が無かった。

すぐに、N先輩がアサインされました。


企画Mからは、基本的に初代コラムスのイメージで、という注文とふわっとした難しい課題が与えられます。


「うるさいゲームセンターの中でもはっきりとわかる、宝石の割れる音」

「物静かで神秘的な、ゲーム展開によって変わるBGM」です。


注文を出したMですら、むちゃくちゃなことを言っている自覚はあったそうです。


でも、コラムスなんて地味なゲームだから、お客さんを引き込む仕掛けが欲しい。

ゲームセンターで別のゲームを遊んでいる人でも、遠くにいて「連鎖した」とわかるようにしたい、という意図でした。



N先輩の最初に作ってきた「宝石の割れる音」は、まさに注文通りのものでした。

でも、別の可能性もあるのか確かめてみたい。もういくつか作ってみてください、とお願いします。


これ、N先輩は困ったらしいです。そもそも「宝石の割れる音」なんて、誰もの頭の中にあるイメージではない。

こういう時の音って「イメージ通り」が重要なのに、そのイメージが無いのです。


いくつか作ってもらったのですが、やはり最初の音に決定しました。




でも、もう一つの注文…「ゲーム展開によって変わるBGM」の方は、紆余曲折がありました。


まず、初代コラムスのBGMを説明しないといけないでしょう。

初代コラムスの音楽は、ゲーム展開に合わせて演奏内容が変わります。


具体的には、ある程度宝石が積み上がると「ピンチの曲」に変わり、宝石が減るとまた通常の曲に戻ります。

ただ、これが急に切り替わるのではなく、それまで流れていた曲の「区切り」までは流れてから、違和感なく次の音楽に移行するのね。

曲にいくつかの「区切り点」が設定してあって、違和感なく切り替えられる工夫があるのです。



まず、そもそもそういう曲を作れるのか、という調査から入ります。

作曲のN氏が、サウンドドライバを作成した Hiro師匠に尋ねたところ、そういう機能は用意していない、とのこと。


じゃぁ、せめて展開によってテンポを変えられないか。

その程度ならできるよ、ということで、改造版サウンドドライバが届けられました。



そして、書きあげられたのがそのまま発売になった曲です。

非常にゆっくりとしたテンポの、心癒される曲。


でも、この曲ってよく考えられていて、少し速いテンポのリズムの上に、ゆっくりとした主旋律が乗る構造になっています。

通常速度で聞いていると、ゆっくりの主旋律が耳に入って、落ち着く曲です。


でも、テンポを 1.5 倍ほどに挙げてみると、リズム部分が速すぎて、煽られる感じに変わります。

宝石の積んである高さに合わせてテンポを変えることで、焦燥感を演出できるような曲なのです。


#Youtube を PC で見ると、再生速度調整ができます。

 コラムス97の動画などで、1.5倍速再生してみると判り易いかと思います。


さすがN氏、いい曲を書いてくれた…と喜んでいたのですが、テストプレイ用の試遊台で音が止まります。

頻繁に内容を書き替えている開発中は気づかなかったのだけど、6時間動かせば確実に止まる、という感じかな。


サウンドドライバが暴走するようです。

Hiro師匠のところに報告が行き、修正版が作られます。

ところが、修正しても修正しても、治らない。


今度こそ治っているはず…というやり取りを何度したことでしょう。

結局、締め切り直前に「これで治らなかったら、テンポを変える、という仕様は諦める」ということになります。

…やっぱり治りませんでした。


これ、コラムス97で唯一の心残りだった点。

BGMは今でも好きだという人が多いのですが、テンポを変えることを前提に書いた曲だということはあまり知られていません。




消した宝石の数が約 2000 個になると、コラムス 2000モードとなってBGMが第九に変わります。


これは、企画Mのリクエスト。

彼は当時エヴァンゲリオンにハマっていた。


…いや、僕エヴァいまだに見てないからよくわかんないのだけど、なんか印象的なシーンで第九流れるの?


とにかく、ゲームセンター中に響くような大音響で、って無茶な注文。

これも、地味なゲームだから注目度を挙げようとする策の一つでした。


でも、音楽を作っていて、本体のボリュームまでは制御できません。


Mとしては、第九以外のボリュームをすべて絞って、店舗側に筐体のボリュームを大きめに設定させよう…

というところまで考えたみたいなのだけど、さすがにそれはやめました。


でも、第九の演奏はシンプルで、音を厚めに、力強くしてある。

少しでも店中に響くように、という名残なのね。




音楽の話ではないのだけど、ついでなのでこのモードについて書きましょう。


コラムス97 では、宝石の落ちてくる速さなど、難しさを「レベル」で表現します。


コラムスでは、宝石が3個づつ落ちてくるため、「3」を単位としていることが多いです。

レベルは、宝石を 30 個消すごとに上がります。

開始時のレベルが選べるので、宝石の数とレベルは必ずしも一致しないのだけど。


さて、30*66 = 1980 個宝石を消したときに、落ちてくる宝石の速度が急に落ちます。

ゲーム中最低速度。開始時のレベル 0 よりも遅い、「レベル -1」の速度です。


そして、連続して5個の魔宝石が落ちてくる。

宝石の種類は6種類だけど、わかっている人なら全部消せます。



宝石をきれいさっぱり消し去ると、背景には作成スタッフの名前が。

少人数で作っているのがわかりますね。


この「業界記」、基本的にスタッフの名前を特定できないようにしているのですが、どうせバレるのでイニシャルで書いてます。



実は、宝石がゆっくり落ちるのは、このスタッフの名前を見てほしいからでもあります。

もう一つは、この後最高速に上げるのだけど、「集中力を途切れさせて難しくする」ための意地悪。


そして、30個消して消した総数が 2010 個になると、また一つレベルが上がり「コラムス 2000モード」になります。



先に書いたように、BGMが変わり、速度がそれまでの最高速の、いきなり2倍になります。

ついでに言えば、「接地」してから「固まる」までの速度も半減している。


一番遅い状態から、一番速い状態への落差。

もう、明らかに殺しに来ています。


当時のゲーム時間の基準は「100円で平均3分」とされていました。

ここまできたお客さんはかなり長い時間遊んでいるはずなので、そろそろ終わって、という開発者側のお願いです。


このモードでのBGMもループが非常に短いのですが、「どうせこの速度で長く遊べる人はいないだろう」という理由からだったりします。




だけどね、本来「終わりのないゲーム」であるコラムスを、時間が来たからおしまい、とはしたくなかった。

ゲームセンターの人が儲からないことには仕方がないのだけど、そのためには遊んでくれる人に納得してもらわないといけない。



ここで背景が真っ黒になるのは、そのため。

超高速にして殺しにかかると同時に、視認性を良くして「まだ戦える」状態を整えたかった。

十分戦って終わるのであれば、プレイヤーとしても満足できるでしょうから。



実際、この鬼のような難易度に応えてくれた人々がいます。

「2000 からが本番」という言葉を生み出し、コラムス 2000への挑戦をするプレイヤーが一定数いたのです。

そして、一部の方は見事に壁を乗り越え、延々と遊び続けてくれました。


ケイブシャークってなんだっけ。


でも、非常にうれしかったです。

やり込んでいただけるのは、制作者への最高の賞賛なのです。



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別年同日の日記

02年 クリスマスイブ

03年 WinXP


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コラムス 97 に影響を与えたもの  2016-12-24 10:50:24  業界記

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コラムス97の思い出話の続きです。

基本的に初代と同じ、だったはずのゲーム内容に影響を与えたもの。


▼特許問題


ある程度開発が進んだ時に、「落ち物パズル特許」問題が起こりました。


カシオ計算機が「ゲーム電卓」のブームの際に作り、特許を申請していたゲームがありました。

この特許書面の内容が、「落ち物パズル」としか解釈できない内容で、実際にカシオが訴訟を起こしたのです。


訴訟相手は、「テトリス」のライセンスを持っていた任天堂と、「ぷよぷよ」を作っていたコンパイルでした。

セガは訴えられていませんでしたが、ぷよぷよの販売を担っていたので、訴訟に対抗します。


落ち物パズルは当時の人気ジャンルです。

しかも、これはサブマリン特許。特許の有効期限はずっと先でした。

特許として認めてしまうと、今後重要なジャンルを失うことになります。


会社の違いを超えて法務部が手を取り合い、カシオに対抗しようとしていました。


#特許は現在、「出願から」20年間が最大の有効期間。

 でも、1995年以前に成立した特許は「成立から」20年が有効期間だった。

 このため、出願から成立までをいろいろな方法で引き伸ばす手法が広まり、「サブマリン特許」と呼ばれた。

 落ち物パズル特許は、1982年に出願し、12年も成立を引き伸ばして 1994年に成立している。




この特許、今見ても「落ち物パズル」の要件を見事に満たしています。

ゲーム自体は、いわゆる「落ち物」とはちょっと違うのですけど、特許というのは見た目ではなく技術が問題なので、要件を満たしていれば認められます。


僕も、なんとか回避できないかと特許書面を読み込みました。


#当時、部署で法務担当だった先輩に「技術面の理解の手伝い」を度々頼まれ、特許書面の読み方も教わっていました。

 この話、どこにも書いてなかったようなので、そのうち書こう。


そして、「積み方によって得点が異なる」ことが特許の要件の一つになっていることを発見しました。


じゃぁ、得点を無くせば特許に抵触しなくなる。

だけど、得点なしでゲームとして成立するの?


社内でコラムスが上手な人に、聞いてみました。

みんなコラムスを遊んでいる時間が好きなだけで、得点はあまり気にしていない、とのこと。

ただ、宝石いくつ消した、というのは重要な指標でした。


「いくつ」というだけなら、積み方によって得点が異なる、という特許には抵触しない。

消した宝石の数だけ残し、得点は思い切って失くす、という決定が行われます。




この特許、コラムス 97 が完成したあとで、無効化されたそうです。


法務のテクニックで、「特許の無効請求」というのがあるのね。

特許になるはずがなかった、という理由を示して訴えを起こし、それが認められれば、特許そのものが消えうせる。



カシオは対抗し、分割特許を出しました。

これは、元の特許の一部要件を切り出して別の特許にすることで、「無効請求」で示された理由を回避し、無効化を防ぐ戦術。


ただし、「分割」の名前の通り、特許の範囲は狭くなります。

十分に狭くなってしまえば、その特許は回避しやすい、怖くないものになります。これも事実上の無効化。



最終的に、「無効」になったのかどうかは、実は知りません。

でも、任天堂の法務部がうまい処理をして、普通に落ち物パズル作って何の問題もないよ、という状態にはなったのだそうです。


一体、何をどうしたのかは不明。法務の人は教えてくれませんでした。

(こういうのって、相手の知らないテクニックを数多く知っている側が強いので、あまり手法を口外するものではないのです)


でも、コラムス 97 に得点がないのは、これが理由なのです。



▼ロケテスト


開発期間1か月しかなかったのに、ロケテストは2回やったのだそうです。

「そうです」っていうのは、僕が全く覚えていなかったから。

プログラムに忙しくて、ロケテスト見に行かなかったんだろうね。


企画Mが覚えていて、どうやら2回目はインカムテストを完成から発売までの間にやったみたい。

でも、1回目は開発途中バージョンを店に置き、その反応を開発に反映させるものです。

短い開発期間なのによくやったな。




僕はロケテストを記憶していないのだけど、Mの記憶によれば、ロケテスト前までは初代コラムスと基本的に同じだったようです。


でも、このルールはやっぱり難しいし、わかりにくい部分もある。

先に書いた特許問題もあります。


そこで、次のように改められました。


1) フィールドを1列広げ、1段減らす。

2) 魔宝石の出現タイミングを知らせるゲージを用意する

3) 点数を無くし、段位認定を作る


まずは、フィールドについて。

初代コラムスは、横 320ドットです。それに対し、ST-V は高解像度で 704 dot。

単純に倍にすれば 640 dot なのだけど、さらに 64dot も広くなっている。


そして、宝石のサイズは 32x32 です。実際の宝石は 40x40 で描かれているけど、画面上の並べ方は 32dot なのね。

じゃぁ、2列増やせる。左右に2つのプレイフィールドがあるので、各1列増やせる。


この頃のパズルゲームは対戦が多くて、「敵との勝負」が中心になっていたので、パズルとしては割と優しいルールにしてあったのね。

コラムスのルールはこれに比べると難しすぎて、ロケテストでもすぐにゲームオーバーになってしまう人が多かった。

1列増やすことで、少し優しくしようという狙いです。


#Mによれば「宝石を増やすことで煌めきを魅せたかった」というのもあるらしい。


なんで段を減らしたのかは…忘れた。

初代と違い「フィールドの上にも積み上げられる」ので、その分を減らしたのかも。


#ここはスタックコラムスルール。



もう一つ効用があって、それまでは6列だったので、「中央の列」が存在しませんでした。

落ちてくる宝石は、中央右寄りの列から落ちてきた。


最終的には「落ちてくる場所がふさがれるとゲームオーバー」ですから、この出現位置の判り易さは重要。

1列増やして「中央」と言い切れるのは、ルールがわかりやすくなるのです。




魔宝石は、初代でも出現タイミングがわかりにくいものでした。

というか、「時々出てくる」という程度で、明示されていなかったのじゃないかな。

好きな人は、宝石を消した数の2次関数になっているのを知っているけど。


これを、初めて遊ぶ人にもわかるようにしよう、というアイディアでした。

「あとちょっと耐えれば魔宝石が…」と思えば頑張れるし、そこで終わったら悔しくてもう一度やりたくなるし。



ところで、「魔法石」か「魔宝石」かというのも作るうえで困りました。

初代業務用では「魔法石」なのだけど、メガドライブ版では「魔宝石」になっているのね。


海外版を調べると、この表記は「Magic Jewel」で統一。

じゃぁ、「魔法石」(Magic Stone) ではなく、「魔宝石」だね、ということで、コラムス 97 では「魔宝石」表記にしています。




最後に、段位認定。


コラムス 97 の目標は「初代のゲーム性をそのまま残す」ことでした。

でも、先に書いたように点数を入れるわけにいかなくなった。


実は、初代には「魔宝石を地面に置く(何も消さず無駄にする)と高得点」というテクニックがありました。

点数が無いと、こうした部分の「ゲーム性」が崩れてしまう。


そこで、内部的にいろいろなパラメーターを計算して、最後に「段位」認定することにしたのです。

これは「得点表示」ではないので、特許を回避できます。




たしか、ロケテストに出したときは、出てくる文字が全部 8x8 の、BG 面に書かれたものだったと思います。

INSERT COIN(S) などの表時に使われている文字ね。


数字はさすがに大きな文字を作っていたかな。でも、スプライトでデザインされたアルファベット全文字を作る時間が無かった。


というのも、ST-V の高解像度モードで、スプライトで使える色数は全部で 256色。

そして、その 256 色は、宝石で全部使いきっているのです。


この宝石は、24bit カラーでレンダリングされた後に、一番自然に見えるように機械的に 256色に減色処理しています。

そのため、パレットの並びなども、使いやすさなど全く考慮されていないものでした。


その色の中から工夫して、絵を描かなくてはならないのです。


宝石を描いたS先輩は「綺麗な宝石を作る、という俺の任務は終わった。後は知らない」と逃げました。

代わりにさらに大先輩のKさん(当時デザイン課課長)が、使いづらいパレットでポチポチと文字を描くことに…


ネームエントリーに使う文字や、アドバタイズデモで説明を行っている文字、GAME OVER のロゴなど、全部Kさんが作ったものです。



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コラムス 97  2016-12-23 11:17:51  業界記

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コラムス 97

さて、「ここらでコラムス」に書いたように、年末の締め切りは絶対でした。

しかし、作っているゲームはダメ出しをくらい、何もない状態から、1ヵ月ちょっとでコラムスを完成させなくてはなりません。


…いや、実際にはコラムスの基本ルール部分くらいは使いまわしましたから、何もなかったわけではないのですけど。


#基本ルール程度なら、3日もあれば作れるのだけど。



まず最初におこなったのは、「初代コラムスのルールを、基本的にそのまま使う」という確認でした。

ルールって重要な部分だから、試行錯誤していると時間ばかりが過ぎていきます。


「そのままでいい」と役員は言いましたし、実際「ここらでコラムス」の時に、ルールをいじることの難しさを経験していました。


でも、新ゲームを出すのですから、何か「新しさ」を演出しなくてはなりません。

そもそも、コラムスが好きな人は、コラムスの何が好きなんだろう?




「ここらでコラムス」の開発初期に、企画Mがコラムス関連の資料をあさっていました。

その時には深く考えなかった資料もあるのですが、ここにきて考え方をまとめるのに役立ちます。



まずは、業界紙に載っていた「償却率ランキング」。


ゲームセンターにとって、基盤を購入するのは投資です。投資に見合うリターンが無くてはならない。

購入した「原価」に見合った金額を回収する、「償却」の期間を比較したランキングでした。


人気ゲームでもバカ高ければ、償却に何カ月もかかってしまいます。

一方、安いからと言って買っても、誰も遊ばなければ、やっぱり償却に何カ月もかかってしまう。


初代コラムスは、何カ月もの間ぶっちぎりの1位でした。

元々安い基盤で、ヒットしてすごく出回ったために中古価格も安い。

その後も人気が持続しているので、購入して2ヵ月もすれば償却できてしまう。


コラムスには「コラムス2」や「スタックコラムス」もありますが、そうしたものはランキングに入っていません。

初代コラムスだけが支持されている。


店舗に新ゲームを買ってもらうとしても、「償却率ランキング1位の正当な続編」なら説得力があります。

ここら辺が、役員が「コラムスのままでいい」といった理由のようです。



では、お店に置いてあるコラムスを、いったい誰が遊んでいるのだろう?

これも、週末にMが店舗に出向いて、一日中観察していたんだそうです。


店舗にもよるかもしれないけど、新宿の店舗では夕方4時ごろに、出勤前の水商売のお姉さんが遊んでいる率が高かった。

どうも「ゲームがやりたい」というより、時間があるのでちょうどいい暇つぶしを探しているようなのですね。


「ここらでコラムス」は、この頃王道だった「キャラクターを立てた対戦パズル」で考えていました。

このときの想定年齢層は、20代男性のゲームマニア。


しかし、水商売のお姉さんターゲットに考え直します。




開発期間も短いし、役員は「コラムスのままでいい」と言いました。

でも、何か新しい要素は必要だ、と皆の(というか、Mと僕の)意見がまとまりました。


初代は、中古だから償却率がいい。新しく開発してかなうわけがない。

なら、基本的にはそのままだけど、グラフィックなどは今の性能で思い切って作り直そう。



初代が好きな人からは、よく「コラムス97は視認性が悪い」と批判を受けます。

宝石が煌めくせいで、色がわかりづらくなっているのね。


でも、これは結局、「突き詰めたゲーム性」を考えるゲームマニアの意見。


初代は中古で安いんだし、メガドライブ版も出ています。

初代がいい人は初代で遊んでもらうことにしましょう。



想定ターゲットは、水商売のお姉さん。

そんなにゲームが好きでもなくて、暇つぶしで遊ぶだけ。

だから、美しい世界観で楽しんでもらえればそれでいい。


遊んでいて心地よい時間が過ごせるように。

美しく、きらびやかな画像と、心地よい音楽、効果音…



新しいコラムスは、多少ゲーム性が犠牲になっても「美しさ」を追求する。


開発期間が短いから、ぶれている余裕はありません。

この時点で、方向性は決まりました。




ST-V の高解像度モードを使い、宝石をとにかく美しく書こう、と決定します。

グラフィックは、「ここらでコラムス」で描いてもらったものを、高解像度で綺麗に描きなおしてもらって…


と、ここで一つ問題発生。

グラフィックを担当してくれていた女性の先輩が、会社を辞めることになったのです。


実は、以前から視力が急激に落ち始めていて、「グラフィックの仕事を辞めないと失明するかもしれない」と医者から言われていたのだとか。

コラムスが終わったら辞めよう…と考えていたらしいのですが、区切りを迎えたのは事実なので、ここで仕事を辞める決心をしたのでした。


代わりに、別の先輩Sさんがアサインされます。

「期間が短いので」という理由で、仕事が速い人。




Mから「とにかく美しい宝石を表示したい」という話を聞いて、S先輩は「おぅ、任せとけ!」と二つ返事。


「ここらでコラムス」で描いた絵を参考に、32x32 ドットで、宝石一つは 32 色以内で、6種類+魔宝石を…


という説明に対しS先輩から逆提案。


「アニメーションさせるから使えるコマ数教えろ。」と。

とにかくできるだけコマ数が欲しいのだそうです。


ざっと計算して、32コマならメモリに入りますね。と伝えると、じゃぁ後はいいもの作ってやるから待ってろ、と。

もう、細かな指示はなくて全部お任せです。



2~3日だったと思いますが、絵が仕上がって来ました。驚くほど美しい絵でした。

そして、宝石が回転して輝くようになっていました。


「宝石っていうのは、煌めくから美しく見えるんだ。動かさずに表現できるわけないだろう?」と。職人です。


1つの宝石に何色、ではなく、全体で 256 色に収めていました。ST-V の性能としては、それで問題なし。

光を表現する白などは共通になるので、この方が使える色数がずっと増えるのです


ただ、実際の宝石らしいカットにしたら、宝石が少し小さめに見える、という問題が出ました。


ここで、Mの判断で全部の宝石を 40x40 に大きくすることにしました。

画面に並べるときは 32x32 を基準にして、周囲の石と少し重なることになります。


宝石は全部描きなおしですが、3Dモデルなので、再レンダリングするだけです。


この際、「少し重なる」のがおかしくならないように、真横ではなく少し上から見る視点に変えています。

宝石が積み重なっているのを斜め上から見下ろしている、という視点なのね。



ちなみに、32コマで動くのは「半回転」分だけです。

裏と表は同じ形、という前提で、一周は 64コマで回ります。


アニメとしてはかなり滑らか。




宝石は、当初全部同じ角度で回っていました。

画面上に結構たくさん表示されるから、それぞれが別に回転、なんて手間をかけてなかったのね。


でも、Mが「落ちてきて接地した時のままの角度で回し続けられない?」と言います。


えー、処理能力が…と言いつつ、しばらく考え、1時間後には「できた」と動いている画面を見せます。

それぞれの宝石を回しているのではなくて、画面全体に対してたった1つの回転角度と、それぞれの宝石の「角度差分」があるだけなんだけどね。



そうしたら今度は開発後半になってから「一部の宝石だけ回転速度変えられる?」と聞かれます。

レベルアップ時の演出で、数字が横から飛んできて、当たった宝石が速く回る、ってしたいそうです。

うーん、これもしばらく考えて作りました。


回転が速くなるのは、1段の最大6個だけ。それほど処理能力に影響しない。

ここだけ角度差分をいじって、回転速度をあげました。固定の「差分」を保持しているだけだったのに、固定じゃなくなった。


他にも、「消える直前だけ回転が速くなり、遠心力で割れるような感じで」とか「接地した瞬間、列全体が少し沈み込む」とか、非常に細かな演出が入っています。

設置時の宝石の沈み込みなんて、気づいた人少ないんじゃないかな。




初代コラムスは、宝石を「回転」させる際に、宝石自体は 16dot なのですが、8dot 単位でスライドします。

3つ縦に並んでいるのが、それぞれ下にずれる。一番下は上に行く。


この際、一番下は「真ん中で切れて、上にワープする」ように表示されるのね。


これは、メガドライブのハードウェアではやりやすい処理内容です。

宝石を全部背景画面に描いているので、8dot 単位なら処理しやすい。


コラムス 97 は、宝石をすべてスプライトとして表示します。

そして、スプライトは「半分に切る」なんていう器用な表示は出来ない。


ここで、コラムスを作る前に「画面効果」をたくさん作って遊んでいた経験が生きました。

画面効果として「普通じゃない表示」を実験したために、何をどうすれば変なことができるか、をすぐに思いついたのね。



ハードウェアの話になってややこしいので詳細は省きますが、サターンには従来のハードでの意味の「スプライト」はありません。

ただ、テクスチャを高速で画像バッファに転送するハードウェアがあるだけで。


そのままではゲームを作る際に使いにくいので、これをスプライトとして扱えるような仕組みをライブラリで持たせています。

ライブラリには「スプライト」を認識するためのデータを渡してあって、番号を渡すだけでスプライト表示ができる。


このデータをいじると致命的におかしなことも起こるので、普通はこのデータはいじらない。

でも、理解していじれば、いろんなことができる。


具体的には、「スプライトの縦サイズ」を変えてやれば、途中までを表示できる。

また、「テクスチャの開始アドレス」を縦サイズと共に適切に変えてやれば、スプライトの途中から下だけを表示できる。


これを使って、スプライトを任意の位置で切って表示しています。

1dot 単位で自由に切り出せるので、初代コラムスの 8dot よりも滑らかに動かしています。



魔法石出現のタイミングを教えるゲージも、同じ方法で 1dot 単位で自由な長さの表示を行っています。

横方向にはサイズを自由に変えられないので、90度回転して表示しているのだけど。




コラムス 97 、僕がかかわったゲームの中で、一番思い入れのあるものです。

なので、数回に分けてみっちり書こうとおもいます。



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名前 内容

ここらでコラムス  2016-12-22 11:37:30  業界記

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最初に書いておきますが、没ゲームの話です。

ここから書くゲーム、作成中止になったので世に出てません。



たしか、1996年9月のショーが終わって、ひと段落ついた後だと思いました。

あたらしいプロジェクトに配属されます。


当時は、2月に AOU ショー、9月に AMショーという2大ゲームショーがあって、そこでのお披露目を目指して動いているプロジェクトが多かったのね。


会社上層部から降りてきた指令でした。

「新しいコラムスを3か月で作れ」。


3か月って、かなり無茶なスケジュールです。

当時は1本半年くらいが普通。急げば4~5ヵ月に短縮されることはありましたが、3か月じゃ何もできません。


今時落ち物作れっていうんだから、何かキャラクター立てて対戦だろうなぁ…とか、部長からふんわりとした指示が出ます。


任された企画者が最初にやった仕事は、「3ヵ月でできるわけないでしょ」と部長にねじ込んで、まぁ、実際には6ヵ月かかっていいんじゃないかな、と言質を取ることでした。



企画は同期のM。


プログラマーは、僕ともう一人。

手相では企画秒殺ではプログラマとして、一緒に仕事をした先輩Hさん。


それともう一人、「最初のちょっとだけ」で、スタックコラムスのプログラムを作った先輩が参加しました。

基本のプログラムを組んで、すぐに別プロジェクトに異動しましたけど。




話を2か月ほど前に遡らせます。


そのころ、Nintendo 64 で、スーパーマリオ 64 が発売されています。

企画Mが研究のために遊んでいたのですが、シーンの切り替わりの際に、星の形やクッパの顔などの形にワイプが入ります。


Mはこのエフェクトに驚いたようで、こんな画面切り替え効果他のゲームで見たことなかったけど、これは N64 の性能が無いとできないものなの?

と僕に質問してきました。


そのころ僕は特に急ぎの仕事もなく暇だったので、「画面切り替え効果」のエフェクトを作ってみせます。

星形ワイプはもちろん作ったけど、Mの思いつくままに20種類くらいのワイプを作ったのではなかったかな。


これ、中にはサターンで普通つかわれない機能を使ったようなものもありました。

普通つかわれないのはゲーム中だといろんな制約があるからで、「ワイプだけの実験」だから使えたのだけど。



さて、そのままMと一緒に仕事をすることになったので、ワイプを作りながら実験した画面効果をゲーム中に使おうとします。

目標としたのは、派手な戦闘演出でした。



ぷよぷよに始まった対戦パズルですが、「対戦ぱずるだま」以降は、フィールド全体に大きなキャラクターグラフィックを重ねるのが普通になっていました。

じゃぁ、コラムスでもやろうよ…となったのですが、ただ他のゲームを真似するだけでは面白くない。


両方のフィールドは分離しているのだけど、同じ背景を共有することにして、2人のキャラクターが戦っている雰囲気にしよう。


「連鎖」で攻撃すると、攻撃した側が相手側に進んでいるように見える形で、背景をスクロールする。

連鎖が多ければ、その分スクロールは速くなる。


ある程度以上大きい連鎖が発生するときは、「連鎖前に」予告を出すようにする。

具体的には、連鎖が組み上がった瞬間にゲーム進行が一瞬停止して、発火点となる石から、画面全体に光が広がるようにしたのですね。

これで、連鎖中に相手側が「すぐ対処しないとやばい」と焦るようになる。


…いや、つまりアニメのドラゴンボールのような戦闘の雰囲気を出したい、ということですね。パズルなのに。



他にも、「挑発」という操作をすることでメリット・デメリットがあるとか、いろんな細かなアイディアが出ました。

まだ絵はあまりできていなかったので、仮の絵を入れて「気持ちいい動き」を追及したり、演出面にこだわっていました。




一方でコラムス本体のゲーム性をどういじるか、という難しい課題もありました。


コラムスって、一人で黙々と遊ぶように作られたゲームデザインです。

対戦にして「邪魔」とか落とすと、ゲームが破綻してしまう。


通常時はコラムスでいいのだけど、何かをきっかけに「消える」条件が緩くなって、大量に溶けていくように…

と、漠然と考えながらいろいろなルールを試すのですが、どうも決め手になるいい案が出ないのです。


改造できないっていうのは、それだけコラムスの基本システムが練り込まれているということですけどね。


詳細忘れたけど、「宝石に絡みつくように稲妻が伸びて行って、まとめて消える」なんてプログラムも試した覚えが。

仮の絵で稲妻の動きとかそれらしく作ったのだけど、結局ゲーム的に面白くなくて没にしました。



あと、ルールがらみでは「邪魔」をどれくらい降らせるか、という計算式の作り方を、Mに教えたのもよく覚えている。


「連鎖数に応じて、こんなイメージで数が増える式を作りたいんだけど、どうすればいい?」

と簡単なグラフを示しながら聞かれたので、表計算で式を立ててグラフ化する方法を教え、納得いく曲線になるまで式を自分でいじってもらったの。


ゲームのルールでも、実際の数式が複雑に絡む部分って、「プログラマーでないと計算できない」と思われている節があったのね。

でも、プログラムして、確かめて、調整して…だと試行錯誤の時間が無駄に長くなる。


あらかじめ表計算でイメージを掴んでもらうことで、開発効率上がりました。


これ、自分で考えるのだったら、簡単なプログラム書いてしまいます。

だから「表計算ってそんな使い方もできるんだ」って驚きだった(笑)




先に仮の絵を入れたと書きましたが、元企画でプログラマのH先輩から借りた資料をスキャンしたものです。


H先輩は、同人誌を自分で作ってコミケに参加してた人。

(企画出来て、絵が描けて、プログラムもできた人です。)


で、同人誌もいっぱい持っていて、Mがイメージを伝えたら、いくつか見繕って持ってきてくれました。

その中からMが気に入ったものを使っていたわけです。


同人誌って、別に18禁なものではないよ。

商業誌と違って、お話よりも「イラストの雰囲気重視」な人も多いから、イメージ固めるうえでは役立つのね。



こうした絵を使っているうちに、全体のイメージが固まってきました。


キャラクターは、魔法使いという設定にしよう。

コラムスだから宝石の名前の付いたキャラクターで、それぞれが魔法使い。


ホウキに乗って飛んでいる状態で戦うので、先に書いた「攻撃による高速スクロール」も活きてくる。


コラムスって宝石が6種類あるので、6人と対戦することにして、主人公は「宝石かどうか微妙な石」だな。

自分が宝石であると認めてもらうために、他の宝石に挑む…と。


微妙な宝石って何だろう、というMに対し「珊瑚とかどう?」と僕。

あーなるほど。じゃぁ、誕生日はやっぱ3月5日って設定で…とか言ってたら、H先輩から「あ~るか!」と突っ込み。


#わからん人には全く分からん話だな。




何を作るときでもそうだと思うのですが、もやもやした状態からだんだんイメージが固まっていく過程って、楽しいのね。

まだ無責任にいろんなアイディアが試せる時期ですし。


形ができ始めたころに、タイトル案も考えていました。もちろん無責任に。


「ここらでコラムス」というのはその時に出たアイディア。

その後は、企画書なんかには常にこのタイトルが書かれていました。後ろに(仮)ってついてたけど。


ゲームのタイトルって、4文字程度に縮めて呼びならわされます。


その際に「こここら」って呼んでもらいたい、というのがMの意見。

Mは言葉遊びとか好きでした。




さて、ここら辺まで作るのに、2ヵ月くらいかかっていたと思います。


そのころ、会社の役員が部署に視察に来て「そういえば、以前に作れと言ったコラムスどうなった」と部長に尋ねたのです。


部長が僕らのプロジェクトの席に役員を案内すると、怒り始めます。

何をやっているんだ、こんなものを作れと言ったのではない! と。



完全に伝達ミスでした。部長が、役員の意図を理解できていなかった。


9月時点で社内の予定スケジュールを見ると、年末商戦の大事な時期に、発売できるゲームが全くなかったのだそうです。

そこで「何もありません」では話にならないので、コラムスのような簡単なものでいいから間に合わせろ、というのが本来の意図。



つまり、内容を充実させるよりも、べた移植でいいから年末までの3ヵ月で完成、のほうが重要だったのです。


楽しんで作っていましたが、お楽しみはこれまででした。

「年末」までは残り1か月ちょっと。わずかそれだけの期間で、新しいコラムスを完成させなくてはなりません。



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