業界記2ページ目の日記です

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2015-03-08 1994年のそのほかのゲーム
2015-03-09 ガルボとジョイポリス
2015-03-10 カラオケ
2015-03-11 ロケテストの話
2015-03-12 残業の話
2015-03-13 夢の中でデバッグする話
2015-03-14 手相開発時の技術話
2015-03-15 手相開発時の技術話(2)
2015-03-16 ドットリ君
2015-03-17 手相開発時の技術話(3)
2015-03-18 手相開発時の技術話(4)
2015-03-24 ぎーちさんにお会いした
2015-03-25 ベーマガに出会うまで
2015-03-25 ゲームの条件
2015-03-26 作り棄てる日々
2015-03-26 ゲームのルール
2015-03-27 ベーマガ投稿
2015-03-27 名刺
2015-03-28 ファミベ、MSX、X68k
2015-03-28 家庭用と業務用
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1994年のそのほかのゲーム  2015-03-08 08:20:13  業界記

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AM1研の1994年の発売ゲームをいろんな資料から探したのだけど、僕がよく覚えてないのもあるのね。

長く書くほどではないので、残りはまとめて…



▼THE J LEAGUE 1994


サッカーゲームです。


Jリーグの発足が 1993 年。すぐに契約して、選手の実名などを使ったサッカーを作ろうというのだから動きが速いです。

動作ボードは System32 。拡大縮小スプライトを使い、画面奥に向かって攻め込むゲームになっています。


サッカーゲームって、左右にゴールがあることが多いので、前後に動くというのはなかなか珍しい。


確か、発売は年末。

自分の配属プロジェクトである手相が忙しい時期に部内テストプレイをやっていたので、画面は見ましたがあまり遊んでいません。



Jリーグ発足直後ではありましたが、「新しいスポーツのプロリーグができた」ことに世間が注目しているだけで、実はサッカー人気はそれほど高くなかった。

テレビで見て応援している人も、実はルール判って無かったりね。


だからこの時期たくさんのサッカーゲームが出たのだけど、どれもそれほど売れなかった。

このゲームも、枚数出回っていないはずです。いま情報探しても、動画とか見当たりませんでした。


#海外版も作られて、そちらはそれなりに情報がある。

 海外のサッカー人気は安定しているからね。



…あれ、今書いてて気づいた。

手相うらないは「System32 の在庫処分」で作られたはずだったのだけど、このゲーム同じ System32 で、同時期に作ってる。


最初からあまり売る気なかったのかもしれません。

もしくは、サッカーは売れるだけ作って、その残りで手相生産して終わりのつもりだったのかな。


いずれにせよ、僕が開発を知っている System32 のゲームは手相とサッカーの2つだけ。

在庫処分のはずの手相がヒットしてしまったので、基板再生産になってしまったのは先に書いた通り。



System32 の最後のゲームは Slipstream だそうです。たった今知った。

カプコンから販売になっていて、北米地域でたった150枚しか販売されなかった幻のゲーム…だそうです。


どういう経緯でカプコンが扱ったのかわかりませんが、150枚だけだったのは明らかに在庫処分だったためでしょう。

手相で再生産抱えた後、System32 のゲームをさらに作れ、という話にはならなかったけど大丈夫だったのかなー、と少し思っていたのですが、こんなことになってたんですね。


#ゲーム業界では、他社の基板使ったり、ゲーム作ってもらうことも珍しいけどたびたびある


#在庫処分だとすると、大量生産できないこと確定だから作成コスト抑えたいし、今後使わない知らない基板のノウハウを学ぶ手間もかけたくないから、過去のゲームのソースを渡して好きなように改造してもらったとか…

 そもそもカプコンは販売だけで作ったのは別会社かもしれません。

 本当に事情を知らないので邪推ですけど。





▼アストロノミコン


大阪ATCガルボに作られたアトラクションですが、これはAM1研とAM6研の共同作品でした。


#AM6研は、ジョイポリスのアトラクションなどを作っていた部署。

 後に社内再編に伴って番号などは変わる。


ガルボって、セガが展開していたジョイポリスと同じような屋内遊園地ね。

詳細は長くなるのでいずれ書きますが、大阪ATCガルボが開店第1号。


企画の人が一人、大阪に長期出張して作ってました。

アトラクションだから、現場で調整しないといけないのね。


短期集中で作らなくてはならなかったため、1か月の残業時間数が250時間、とか言ってた気がする。

これ、異常な数字よ。僕も1度 180時間やったけど、これがほぼ限界の数字だと思う。


#1か月間休みなしで、朝8時から夜11時まで働くと250時間くらいになります。

 ちなみに、同じ条件だけど週1日は休む(家に帰る)、だと180時間。


内容は「スターライトフォーチュン」を下敷きとした占いらしいのですが、劇場のようになっていて、多数の人を一気に占います。

と言っても、劇場では多くの質問を出され、各自が YES/NO で答えていくだけ。


その後、別の部屋で一人づつの占い結果の詳細プリントアウトを貰えるそうです。


…と書いたところで、僕はもちろん遊んだことも、見たこともありません。



▼所さんのまーまーじゃん2


麻雀ゲームです。所さんの描いた自画像キャラが出てきたように思う。

外注で作らせていたはずです。

2というには1(無印)もあるのだけど、それは入社前なので全く知らない。


これも、あまり記憶していないのだけど、部内テストプレイはやっていたように思います。

入社直後だったような気がするから、初夏の頃ではないかな。


わくわくソニックパトカー

わくわくトーマス

わくわくタマ&フレンズ

▼わくわくマリン


部内では「わくわくシリーズ」と呼ばれてました。

子供用ライド(固定されていて、揺れるだけの乗り物)に画面を付けたものです。


筐体を作成するAM4件と共同開発した形になるのかな。



…これ、AM1 研が後に分社化した際の「セガワウ」のWEBページのアーカイブを参考に書いているのですが、かなり間違えているようです。


どうも、トーマスは 1993 年の作品のようです。

これは、版権の都合でバンプレストから発売。


絵を描いた人の机に、参考資料として購入した、トーマスのダイキャストモデルシリーズがたくさん置いてありました。

バンダイから発売されていた「トーマスエンジンコレクションシリーズ」かな。今はもう売ってません。


後で聞いた話ですが、AM4研の人が参考資料としておもちゃ屋さんにダイキャストモデルを買いに行った際、シリーズ全てを1個づつ、という買い方をしたのだそうです。

まぁ、参考資料だから網羅するのは当然ね。


でも、このシリーズ、1個づつが結構高かったのよ。

子供のおもちゃと言うには精巧に出来ていて、それほど大きくないのに千~3千円くらいする。

これを、シリーズの十数体まとめ買いしたので、その場にいた子供たちが騒然としていたそうです。


子供にとっては「いったい、どんな子にプレゼントするのだろう」と羨望のまなざしですよね。


さて、そのうち数体は、なぜか現在うちにあって、長男が保育園の時は喜んで遊んでました。

(保育園の頃は乗り物大好きだった。別にトーマス好きではなかったけど)


そもそも、これはAM4研の人が買ってきたので、AM4研のもの、のはずだったそうです。

でも、絵を描いた人が返そうとしたら「もうちょっと持ってて」と言われたまま、買ってきた人がセガを辞めてしまったとか。


で、絵を描いた人がそのまま持っていたのだけど、ずっと後にセガを辞める際に、「もう誰の所有物かわからないから」と、仲良かった人に1つづつ配ったの。

その時一緒に仕事をしていた僕が、「残り全部」を引き受けたので、数体あるのです。


ちなみに、わくわくトーマスを遊んだ時に払い出される、おみやげのカードもたくさんある。100枚くらいあったかな。

これもその時に一緒にもらったもの。



タマ&フレンズは、後に一緒に仕事をするプログラマーの先輩が、一人でこつこつプログラムしてました。

手相のメインプログラムやってた先輩と仲がよかったので(タマ&フレンズの人の方が後輩)だったので、作ってるところ見せてもらった気がする。

(僕、タマ&フレンズのキャラ好きだったので)


マイクに向かって「たまー」って呼びかけるとこっち向くのね。ほのぼの仕様。

ちなみに、違う名前読んでもこっち向きます。原作に忠実



パトカーは 1991 年の作品のようです。マリンは不明。

この二つは、ゲームセンターで見たことはあります。


#マリンもパトカーも、よく見ると 1994 年に「スペイン版」が出たと書いてあるな。



▼ふわふわプレーン

▼ドラえもんのどこでもドア


なにこれ…知らない。


ふわふわ…は名前からすると「わくわく」のような子供向けライドかな。

ドラえもんはプライズ機(ゲームをやって勝てば景品が出てくる)だったようです。


わくわくと同じように発売年が間違えているのかもしれませんし、僕が覚えてないだけかも。




1994 年にはAM2研からバーチャファイター2も出てますね。


作成中バージョンがAM1研に持ち込まれて、部内テストが行われたことがありました。

どうやら、AM2研内のテストではみんなが上手になってしまったので、「まだ遊んだことが無い人」の動きが見たかったみたい。


この時のバージョンでは、リングのテクスチャが非常に不自然だったのを覚えています。

ロケテストまでに修正されたようですが、MODEL2 のテクスチャって、作るのがいろいろと厄介だったのね。


テクスチャが使える、と言いつつ、描く上での制限が非常に厳しいのです。

初期の MODEL2 の絵はダンボールのようだとか、プラスチックのようだとか言われるのはそのため。


後に MODEL2 で綺麗な絵を作る技法が確立され改善するのですが、その話はまたいずれ…


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ガルボとジョイポリス  2015-03-09 15:36:03  業界記

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前回ガルボ、って名前が出てきたので、書いときましょう。


ナムコが「ワンダーエッグ」という遊園地を期間限定でやったら、これが結構大人気。

セガも負けてられるかと「ジョイポリス構想」をぶちあげます。


ディズニーランドほどの集客力は見込めない。

でも、ディズニーランドよりずっと安くて、小さなスペースで作れる。


だから、各都道府県に1個づつつくって、誰でも県内のジョイポリスに気軽に行ってもらえるようにする。

沢山作ればアトラクションの開発コストも抑えられるし、気軽に遊んでもらえる値段で提供できるようになる。


…と、そんな構想でした。


ジョイポリス構想をぶち上げたら、大阪ATC(アジア太平洋トレードセンター)が誘致に来ました。

大きな複合施設です。目玉として、是非内部にジョイポリスを作っていただきたい。


でも、ジョイポリス構想として考えていたほどの敷地は取れなかった。

いきなり構想が修正され、大型屋内遊園地のジョイポリスと、小型屋内遊園地のガルボの2系統となります。


そして、「ジョイポリス構想」にもかかわらず、第一号店として大阪ATCガルボがオープンします。

構想の第2号で「ジョイポリス」の第一号店が横浜ジョイポリスとなります。




横浜ジョイポリスは…オープン前に一度だけ行ったのですが、遊園地だと言っているけど大きなゲームセンターじゃん、と思った印象だけ残ってます。

とにかく感じたのはノウハウ不足。セガらしさを活かす、と言えば聞こえは良いけど、結局ゲームセンターとあまり変わらなくなってる。


一応「テーマパーク事業」には興味があったので、趣味の範囲で他社の「屋内遊園地」にも遊びに行ったりしています。

ナムコのナンジャタウンが出来たのは 1996年なのですが、こちらはちゃんと遊園地だと思いました。

(出来た当時の話。今は遊園地ではなくなってしまった感じがあります。)



余談ですが、1995には、大船に「鎌倉シネマワールド」って屋内遊園地ができました。

松竹撮影所が作ったもの。


自宅近くだったので、こちらもオープン前に招待されて入りましたが、酷かった。

遊園地ではないし、ゲームセンターですらない。


せめて「太秦映画村」みたいならよかったのだけど、それとも違う。

人を楽しませようというノウハウが全くないまま作られた、できの悪い展示物を「せっかく作ったから見てってよ」と強制的に見せられる、高校の学園祭のようなところでした。


まぁ、わずか3年で潰れてしまったので、今では見ることもできませんが。



#ずっと最近の話ではピューロランドとか、遊園地とも違う不思議なところで楽しかった。




横浜ジョイポリスの話に戻りますが、その前に非常に個人的な話を書いてきます。


オープン前にスタッフ教育のために、関係者だけを入れて本番と同じように営業するテストが行われました。

行きたいと言えば入れたし、多少知り合いも連れて行って良いということだったから志願したのね。


で、大学時代の友達に、誰か一緒にいかないかとパソコン通信で声をかけてみた。


#当時はインターネット普及以前。

 仲間が集まる草の根BBSがあったのです。


そしたら、大学時代の同期から「女紹介してやるからデートしてこい」という指令が…

知り合いの女の子が失恋した直後だから、紹介してやるというのです。


同時に「大学時代に浮いた噂の一つもなかったのだから、遊園地デートくらいやってみろ」と。



そんなわけで、ジョイポリス前で知らない人と待ち合わせて、デートする羽目になったのです。

どうしてよいやらまったくわからず、楽しむどころの話ではなかったので内容をよく覚えてないのです。


だから、以下の話は記憶違いなどが多々あるかもしれません。




とにかく記憶が曖昧なのですが、一つだけ覚えている。

「ゴーストハンターズ」というアトラクション。



ナムコの「ゴーリーゴースト」(1990)というガンシューティングゲームがあります。


エレメカの動く「模型」とテレビゲーム画面をハーフミラーで重ねていて、同期して動くの。

エレメカでもない、テレビゲームでもない、不思議な感覚のゲームです。


ゴーストハンターズは、同じアイディアを大掛かりにしたようなもの。


遊園地のレールに乗って動く乗り物の前に、ガラスのスクリーンがあります。

それで、風景の中に出てくるお化けを撃つゲーム。


途中までに一定の点数を取れると、レールがボスのいる部屋に「分岐」します。

ここら辺、遊園地とゲームをうまく融合できている。



でも、ゲームとして面白かったかというと…いまいちだった。

初見プレイで何やればいいのかわかりにくかったように思います。


特に、ボス部屋で戸惑った覚えがある。

それまで敵は各自のガラスに映っていたのに、ボスは向こうにある大画面スクリーンに映っている。


このスクリーン、実はただのムービーで、撃っても反応しない。

撃ててないのかな、まだデモ中なのかな、と思って攻撃を止めてしまったら、実はここで沢山撃っておかないといけなかった。


ゲームの途中で断りもなくルールを変える、というのは一番やってはならないことです。

でも、それをやってしまっている。


ゲームのつくり手として、いろいろと理解できるのですが、プレイヤーとしては納得のいかない部分です。




アトラクションの壁などが、非常に安っぽいハリボテ感が漂っていたのも覚えています。

まぁ、これは仕方のないところ。


たしか、ジョイポリス全体(1か所)で20億円程度と言っていたと思います。

ディズニーランドだったら、アトラクションひとつで「最低」20億円じゃなかったかな。



横浜ジョイポリスを実際に見るまでは、社長の言っているジョイポリス構想スゲーな、って思ってたのだけど、実物を見てダメだと思いました。

その時は構想に無理があるのかな、と思ったのですが、後にナンジャタウンを見て「セガが下手なだけだ」と確信しました。


社長の頭の中では、ちゃんと遊園地が作れる計画だったのでしょうね。

でも、命令して出来たのは、ただの巨大ゲームセンターでした。


事実として、当初の「各都道府県に」という構想はすぐに頓挫したし、開業したジョイポリスも次々と閉鎖しました。

単に大きなゲームセンターというだけでは、お客様に受け入れられなかったのでしょう。


まだ残っている店舗もありますが、東京を除いて「大きなゲームセンター」と化しているようです。


#逆説的だけど、遊園地って「そこだけでしか体験できないこと」を求めてくるものなので、現在東京の1か所しか残ってないことでやっと遊園地らしくなったのだと思う。




横浜ジョイポリスのオープン前テストの後日談。

「関係者ばかり」なのですから、当然会社の先輩なども多数いたようです。


「彼女とデートしてた」という噂はあっという間に広まりましたが、彼女じゃない、って説明しても理解してもらえない。

ずいぶんと冷やかされました。


後日、女の子から「失恋したばかりで次の恋愛を始める勇気がない」というお断りが来ました。


僕としても彼女が欲しくてデートしたわけではないので、それで構いません。

初めて会った人なので、特に惜しいとも思いませんでした。


#なんか、全然業界記ではない「青春の一ページ」になってるな (^^;



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17年 BSD 初リリース日 (1978)

18年 匿名コメントへの返答


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カラオケ  2015-03-10 11:46:44  業界記

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セガサターンの発売と同時期に、サターンを制御部分に使用した通信カラオケ事業を始めています。


Prologue 21 という機種でした。愛称としては「セガカラ」。


AM1研からも、一人そちらの部署に異動になりました。

この人が時々1研に遊びに来て仲の良かった人と話をしていたので、近くで話だけ聞いてたとか、伝え聴き程度の話しか知りません。


当時のセガは、とにかく「ゲーム業界他社」がやっていることにはなんでも手を出しました。


ナムコがテーマパーク事業をやっている、というのでジョイポリス作りましたし、ST-Vもネオジオへの対抗策の側面があります。


そして、タイトーが通信カラオケやっている、というのでセガカラを始めるわけです。




ところで、タイトーが何の会社かご存知の方はどれくらいいるでしょう?


スペースインベーダー作ったゲーム会社でしょ、という人が多いかと思いますが、元はジュークボックスを扱う太東貿易。


セガの元となったレメーヤー&スチュアート社と、V&V社をあわせて「ジュークボックス界の三大企業」だった時期もあります。


レメーヤ―&スチュアートは、後のセガ・エンタープライゼス(の一部)です。

その歴史の中で、「SEGA-1000」という初の国産ジュークボックスを作り出しています。


タイトーは、ゲームが大ヒットしてもジュークボックス、後には「ジュークカラオケ」と呼ばれる機械を作りつづけました。


V&V社がどうなったのか不明ですが(おそらく消滅)、V&V社の中で「ジュークボックスに未来はない」と考えた社員…中山隼雄がエスコ貿易という別会社を興しています。


後に「セガ・エンタープライゼス」がエスコ貿易を吸収しますが、中山隼雄はセガの社長となりました。



つまり、ジュークボックスの三大企業のうち2つからセガが興り、残りの1つはタイトーになっています。

タイトーはジュークボックスを作り続け、セガは「ジュークボックスに未来はない」と考えた人の元、ジュークボックス事業からは手を引きました。


そして、タイトーが通信カラオケを考えだし、成功しているとみると「うちもやれ」と命じるわけです。ジュークに未来はないと言っていた人が。

タイトーよりずっと技術力あるから、いいもの作れるだろう、というのですが、技術力はあってもノウハウが全くないのです。



…まぁ、時代の判断で、1970年代にジュークを続けなかったのは悪くないと思います。

実際、やるならノウハウを溜めるためにじっくりと、とは考えていたようですし、今でもカラオケ事業は存続しています。




当初のセガカラはマニアックな選曲が多かった、という評価のようです。


つまりは、一般受けしない曲ばかりだったのです。

「どんな曲を入れればみんなに歌ってもらえるか」という重要な市場リサーチができていなかったためです。


通信カラオケの場合、楽曲をMIDIデータ(デジタル楽譜)として作り上げる必要があります。

これは、実はちょっと職人芸を要する世界で、セガ社内ではとてもできませんでした。


そこで外注するのですが、職人芸だからこそ、外注してもレベルがまちまち。

それでも、短い準備期間でそれなりの曲数をそろえる必要がありましたから、出来が悪いからと作り直す時間もありません。


任される方も、なんでも作れるわけではありません。

アイドル曲が得意な人、バラードが得意な人、ロックが得意な人…といろいろな人がいます。


そして、MIDIの打ち込みなんてやっている人は、みんな音楽マニアです。

「一般受けする」曲よりも「自分の好きな」曲を作っている方が楽しいです。


仕事なのだから、一般受けする曲を多めに、という制御をしなくてはなりませんでした。

でも、できるものならどんどん作ってもらう、という中では、それぞれが得意ジャンルに走るのも無理はありません。


それが高じると、仲間内での「ネタ合戦」になり、「世界の兄貴達」なんて曲も入り始めるわけです。




セガとしては、外注に作ってもらった曲は1曲いくら、で買い取ります。


カラオケボックスは1時間500円程度で、その間に10~15曲歌えてしまいます。

その金額の中でカラオケボックスの利益があり、楽曲使用料があり、通信した「1曲の料金」があるのです。


実際いくらかわからないのですが、1曲歌ってもらっても数円だよね。

1曲が何万回リクエストされたらやっと儲けが出る、という損益分岐点があるのですが、あまりにもマニアックな曲では、絶対に採算ラインに乗りません。



作ってもらった曲が全然採算に合わない、と気づくまでに、開始から数か月かかっていたようです。

最初はとにかく「曲数をそろえる」ことに精いっぱいで、儲けが出ているかどうかちゃんと考えていなかったのね。


気付いた時点で部員には「趣味に走らずもっと一般受けする曲を入れろ」と檄が飛んだようです。




実際行ったことないのでどこかで聞いた話ですが…

(たしか、当時のなにかの雑誌に載っていた)



セガカラの選曲リモコンは、曲の検索機能が付いていました。

他社は「本」として楽曲一覧があったけど、セガカラは当初リモコンですべての機能をまかなおうとしたのね。


#閲覧性の悪さに気付いて後で本も提供したようですが。



このリモコン、中身は 98HA だったそうです。

セガと NEC 、結構仲良かったんだよね。


これ、初期のセガカラだけだったそうで、98HA ユーザーとして一度は実機を見ておきたい、と思ったまま無くなっていきました。




また別の話。

翌1995年の話ですが、AM1研で作ったゲームがセガカラで遊べるようになっています。


これは、公知の事実だから書いちゃっていいかな。「エジホン探偵事務所」ね。

セガカラ専用のミニゲームが入っていたはず。


#ゲームの最後で、2人で「賞金」を奪い合うゲームがある。

 あれを「マイクの奪い合い」に変えただけのゲーム。


…今調べて知ったけど、AV女優が出演するアダルトゲームが入ったゲーム集の中に入っているのね。狙っている客層が全くわからん。



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エジホン探偵事務所【日記 15/07/17】

別年同日の日記

02年 3/10

17年 QV-10 発売日(1995)


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ロケテストの話  2015-03-11 09:52:46  業界記

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とりあえず「20年たったらいいだろう」で1994年の話を書いてきましたが、大体出尽くした(笑)


ここからは、思いつくままに書き留めます。

それが終わったら一旦終了にして、次の「自分が参加したゲーム」の20年後くらいまでお休みかな。

(たしか、1995年の秋ごろだったと思う。)




ここまでに書いた話の中で、たびたび「ロケテスト」という言葉が出てきています。

ゲームマニアなら知っているかもしれませんが、発売前のゲームをロケーション(店舗)に置いてテストすることです。


ただ、発売前のゲームを試してもらうイベント、とかではない。

近年はそういう側面が強くなっているようですし、ファンイベントとしての意義は否定しないのですが、少なくとも当時は違いました。


そこで、当時の雰囲気も書き記しておこうと思います。




ロケテストには2つの意味がありました。


一つは、作成途中段階でのゲームの方向性が正しいかどうか、お客様の反応を見るものです。

完成度がまだそれほど高くない、ゲームがとりあえず動くようになったし、本来の方向性が理解できる程度までは作られているけど、まだまだ十分作り込まれていない段階で行われます。


未完成のものを見せるのですから、ある程度お客様には「未完成品である」ことを納得してもらう必要はあります。

そのため、「ロケテスト中」と書いたポップを置いたりしました。


ただ、ロケテストが行われていることは秘密事項です。

ロケテストの噂を聞きつけて集まるのはゲームマニアだけですが、ゲームセンターのゲームは広く一般のお客様に遊んでいただく商品です。


ここで、マニアの意見ばかりが反映されると、そうでない人が遊びにくいゲームになってしまうことがあります。

だから、ロケテストが行われることは秘密。

マニア間のネットワークで察知され、人が集まる前に引き上げるため、期間は2日程度。

これが鉄則でした。


ロケテストの期間中、外回り営業が多い昼、学校が終わった学生の増える4時ごろ、会社帰りが増える7時ごろ、など、いくつかの時間で1時間位づつ、様子を観察します。

これも、「観察されている」ことがばれるとお客様の反応に影響が出るため、遠くからそれとなく見ているだけです。

遊んだお客様ごとに、プレイ開始時刻、終了時刻、インスト(説明書)を読んでいたかどうか、デモ画面を見ていたかどうか、ゲームはどこまで進んだか、演出に納得している様子だったかどうか…など、詳細を記録していきます。


場合によっては、遊んだあとのお客さんに直接感想を聞くこともありました。



とにかく、できる限りデータを集め、後でその意味を解釈してゲーム作成に反映することが目的でした。

場合によっては、この時だけの特別なプログラムを仕込み、ゲーム上のデータを記録する場合もありました。


#バーチャファイターでは、ロケテストではありませんが、初期の開発時にどのようにボタンが押されるかを記録して、押されやすい組み合わせを元に技を作っていった…などの話があります。


手相占いでは、こちらの目的のロケテストのみを行ったように思います。




もう一つのロケテストは、完成したゲームの売り上げ調査です。


普通にゲームセンターにゲームを置いておき、どの程度の売り上げになるかを調査します。

こちらの場合、「普通に置いておく」ことが重要なので、ロケテスト中などのポップは厳禁。



ゲームマニアにとっては面白いゲームが良いゲームです。

しかし、ゲームセンターにとっては、お金が入るゲームが良いゲームです。


そして、「業務用ゲーム」は、ゲームセンターに買ってもらうことで商売が成り立ちます。

お金が入るゲームを作り、買っていただく。開発者は、これで飯を食っているのです。


実は、ここには「遊ぶ人」の視点はありません。

もちろん、楽しいゲームを作らなくてはお金を入れてもらえないでしょう。


でも、「マニアの求める楽しさ」ばかりを追求すると、ごく狭い層にだけ訴求してしまい、全然遊んでもらえないことは多いのです。


マニアが「あんなゲームつまんね」と見向きもしなくても、ちゃんと遊んでいただけるゲームというものは存在します。

そういうものを作るのが、プロとしての開発の仕事でした。


以前も書いたけど、セガがコラムスを繰り返し作ったのも、ここら辺が理由でした。

 初代コラムスの「償却率」はすごかったのよ。ゲームセンターはそういうゲームを求めていた。



さて、ゲームセンターにゲームを買っていただくには、ゲームセンターのオーナー様が購入判断をするための材料を提供しなくてはなりません。


ゲーム内容、筐体サイズ、価格などは当然ですが、その価格に見合うだけの売り上げが見込めるかどうかというのは、非常に重要な資料です。

この「実績に基づく資料」を用意するのが、完成後のロケテストの目的でした。



この部分では、絶対に嘘を付いてはなりません。

嘘を付いて販売したとして、その後思ったような売り上げがなければ、それは詐欺です。



ロケテストなどのポップは厳禁、というのも、そのような意識からです。


ただし、もちろん売上が良くなるような条件を選びます。

そのゲーム内容に合わせて、そのゲームが最も遊ばれそうな店を選び、もっとも遊ばれそうな期間設置するのです。


マニア向けのゲームであれば、マニアの集まるゲームセンターで、週末に置くのが良いでしょう。

カップル向けの占いなどは、デートスポット内のおしゃれなお店に、やはり週末に置く。


一方、外回りの営業が時間つぶしに遊ぶようなゲームは、駅前の小さなゲームセンターで平日テストするほうが良いです。


重要なのは、ロケテスト条件を明示することです。

どこの店で、何月何日にテストした結果、売上いくらとなった。


もちろん購入するお客さんが注目するのは売上金額ですが、条件を提示することで「自分の店にも合いそうか」を判断していただけるのです。




ただ、僕が新入社員の頃は、このロケテストの方法も過渡期にあったようです。

AM1研では、上に書いたような「古い考え方」が支配していました。


でも、別にそれを守らないといけない決まりは、どこにもないんですよね。

別の部署では、ロケテストが行われる、という情報をそれとなく広めてから行ったりしていたようです。


この結果、常識的にあり得ないような売り上げを記録する。

もちろんマニア受けするゲームであることは前提で、つまらないゲームではありません。


でも、実際に購入したゲームセンターでは、全然期待していた売り上げにならないわけです。



別の会社でも事情は同じようで、部署内のホワイトボードに「○○社、△日に□□でロケテスト予定」なんて情報が掲示されることがありました。

どうも、パソコン通信などで「こっそりと」情報が出回ることがあったようなのです。


開発者としてはせっかく作ったゲームはやはり売れてほしいです。

でも、先に書いたようにこのやり方は本来許されない。

だからこそ、公式には秘密だけど、非公式に「誰かがばらしてしまった」形で情報を出すのです。


だんだんそのやり方が支配的になり、ゲームセンター側も「そういうものだ」と考えて資料を読むようになりました。

今ではもう、公式にロケテスト告知が出たりすることもあります。



資料を読む側もそれで当然だと考えるようになってきているので、いまなら特に問題は無いように思います。



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残業の話  2015-03-12 10:22:06  業界記

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当時のセガには、仮眠室がありました。

「バーチャファイターを創った男たち」って漫画にも、仮眠室の存在が描かれていたな。


たしか漫画では和室なのだけど、実際は狭い部屋に2段ベッドが並んでいる。

布団は敷きっぱなしだけど、半月に一度くらい業者の人が入れ替えてくれるので、それほど不潔にはならない。


#知らん人が寝た布団なので、多少臭くは感じます。


仮眠室の奥にはシャワールームもついていました。



仮眠室一番奥のベッドには、レーザーLAN装置が固定されていました。

無線 LAN とか無い時代、レーザー光を使って離れた場所をつなぐための装置ね。

たまたま仮眠室が装置を置くのに一番いい条件だったんだって。


セガはいくつかのビルに分かれていたのだけど、ビル間の LAN はこれで繋がってました。

速度は 4Mbps。社内 LAN が 10Mbps だった時代だから遅すぎるということは無かった。


時々寝ぼけて蹴っ飛ばす人がいて、LANが繋がらなくなりました。




仮眠室があった、と書くと、「泊まり込みが当然のブラック企業」なんて言われそう。

(というか、2chなんかでそう書かれていたのを見たことがある)


セガがブラック企業ではない、と言うつもりはありません。

今はどうか知らないけど、当時はいろいろ労使問題も起こしていた。



でも、ゲームを作るのが楽しかったから、僕は楽しんで残業していました。

ちゃんと残業代も出してくれてたし。(この頃はね…)


僕の場合家が遠かったので、締切近くでは帰るよりも会社に泊まりたい時があった。

そんな時に、仮眠室がある、ということはありがたいのです。


ちなみに僕は、通勤時間を節約するために泊まるだけで、徹夜して仕事、とかはしませんでした。


会社に泊まりこんでも、夜12時前には仮眠室に行って寝てしまう。

で、翌朝6時くらいに起きてきて続きをやる。


徹夜すると思考力が落ち、仕事効率も落ちてしまいます。

先に書いたように、僕は「好きだから」残業してまで仕事をしていたので、効率が落ちるのは本意ではない。



徹夜して仕事する人もいましたよ。

プログラムって集中しないとできないけど、集中の仕方って人それぞれなのね。


僕は、集中するときとそうでない時を結構簡単に切り替えられる。

でも、集中に入るのに長い時間がかかる人もいます。

そういう人は、せっかく入った「集中」モードが続く限り仕事する。


徹夜して、翌日は仕事効率が落ちます。

でも、どうせ「集中」が一度途切れると効率は落ちるのだから、これはこれで悪くない仕事のやり方。



あと、ネットワーク管理していた人は、みんなが帰った夜中でないと仕事ができないことがあったので、夜中に仕事して昼間仮眠室で寝ていたな。


これは特殊事例。




僕は、机の引き出しにボディシャンプー置いてました。

泊まり込んだ日は起きたらすぐシャワーを浴びて、それからファミレスに食事に行く。


食事から帰ってきたらすぐ仕事を始めます。

誰もいなくて静かなのではかどる。


セガでは、確か朝8時くらいに社歌が流れました。若い力、ってやつね。

これを聴くの、そんなに嫌いじゃなかった。


#泊まり込んでしまい、この歌を聴くのが嫌いだった人もいます。




入社当時は、コアタイム制でした。


朝の10時から、午後の3時までは「コアタイム」で、この時間にいないと遅刻扱いになります。

(ただ、有給の半日分を使うことで、午前中休み、午後休みとできました。遅刻した人は午前中休みにしてしまったりする)


出勤時間が人によって違うので、朝礼などはできません。

代わりに昼礼がありました。基本的には会社からの必要事項の伝達だけですけど。



働く時間は1日8時間。コアタイムには絶対にいるとして、その前後をどう使うかは各自の裁量です。


僕は、通常の日でも早めに来て、早めに帰るのが好きでした。

8時半に来て5時半に帰る、くらいの時間帯だったかな。


ほとんどの人が、10時に来て7時に帰っていたように思います。




後の話になりますが、女性デザイナーが「もっと働きたいのだけどできない」と嘆いていました。


法律上の問題があって、女性は深夜残業できなかったし、泊まり込みも許されなかった。

その人は会社のすぐ近所に一人暮らしで、帰ってもつまらないからみんなと楽しく仕事している方が良いという。



僕は男女平等論者ですが、性差があることは認めますし、そこに起因する権利の違いはやむなしと思っています。

でも、実はこの件は今でも時々頭をよぎる深い問題です。


女性に深夜までの残業を認めるべきではない、と思います。

夜道の暗がりで性犯罪被害にあいやすいのは女性だから、深夜残業は危険に直結する。


しかし、男性だけ深夜残業が許されて女性が許されないのは、確かにずるい。

となると、男性も深夜残業なんか認めず、全員帰宅させるべき?


でも、仕事の都合上残業が発生するのはアリだと思っています。それが深夜であっても。

ちゃんと残業手当を出すこと、睡眠時間は確保できるよう仮眠室を用意することなど、いくつかの条件が満たされていれば構わないでしょう。


#以前書いた、月250時間残業、なんてのは禁止すべきだと思います。体壊すよ。

 深夜残業とは別枠で、月の残業時間の上限があってもいいのではないかな。



こう考えていくと、良い解決方法が見当たらないのです。

「男女の権利平等」を考えるとき、すぐにこの女性の言葉が思い出され、簡単な話ではない、と気を引き締めるのです。




猛烈に働いていたように思われるのも心外なので注釈を。


泊まり込んでまで働くのは、締切前の1か月がせいぜいです。

大体ゲームは6か月くらいで仕上がるのですが、最初の3か月くらいは、気軽に有給休暇とったり、仕事時間終わったらさっさと帰れる。


中盤は多少残業することもありますし、休みづらい感じになってくる。

で、最後の1か月は残業が増え、場合によっては泊まり込みです。


「ドラクエ休み」とか「ダビスタ休み」とか…新しいゲームの発売日に休む人も多かったですね。

プロジェクトが暇なら、そんな理由で休んでも誰も文句は言わない。




ところで、法律上「会社は社員に有給休暇を与えないとならない」ことになっています。


でも、年度末にプロジェクトが忙しいと、休む暇がない。

たしか、有給は年度をまたげないシステムでした。


AM1研には有能な事務の女性がいまして、この消滅を防いでくれました。

特に頼んでおかないでも、気づいて先回りして処理してくれるので、みんなから感謝されていました。


#AM1研のお母さん、と言われていました。

 若くて非常に美人な人でした。年上・同世代から「お母さん」と呼ばれるのは少し嫌だったみたい。


消滅しそうなら、適当な日に有給を取ったことにするのね。

でも、実際にはその日は働いています。だから、その分残業が発生する。


セガでは、残業時間8時間で、別の日を「振替休暇」とすることが可能でした。

有給の日に残業を発生させると、法で禁じられている「有給の買い上げ」と見做されてしまうのだけど、別の日に休暇を取るなら問題ない。


これで、有給は振替休暇に代わり、消滅を免れます。

ただ、制度上振替休暇は「残業時間を休暇に振り返る」と宣言してから6か月以内に行使しないと、消滅してしまうことになっていた。


…大丈夫。こちらも、消滅しそうだと気づくと、同じ方法で作り変えて、期間を延長してくれました。


これを繰り返していると、1か月くらい休んでも大丈夫なくらい有給が溜まってしまうことがある。

まとめて海外に長期旅行に行ってしまう、というような人もいました。


その人が暇なときなら、これも別に文句は出ないのね。




プロジェクトが忙しいときでも、残業はしないポリシーでさっさと帰る人もいました。


一度だけ一緒に仕事したことある。

毎日8時に来て、5時には帰ってしまうの。


これは流石に珍しかったけど、有能な人だったので文句は出ません。



ともかく、いい意味で能力主義。

自分の仕事をちゃんとやっていれば特に働き方で文句を言われることは無い。


でも、「ドライな社風」ではありませんでした。

「自分の仕事」と書きましたが、割り振りは大抵決まってません。


プロジェクトの中で発生した仕事は、その時に出来る人がやる。

他の人の仕事が滞っていたら、別の人がカバーする。


ただし、すでに着手している仕事は、やっている人の分担。

そこまでカバーする義理はありません。


だから、さっさと帰れる人は、その日必要な仕事を片っ端から潰してしまえる人なのね。

それで時間内に終わらせる。これだと、他の人が残業に突入しても、帰って問題ない。




当時のセガは部署ごとに雰囲気が全然違い、「社風」というよりは「部署風」だったように思います。

だから、ブラックだった部署もあるかもしれません。


でも、僕が知っていたセガはそうではないので、ブラックだったと言われると違和感を感じるのね。



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夢の中でデバッグする話  2015-03-13 09:48:41  業界記

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先に書いた話題の関連話として。

その昔、「バーチャファイターを創った男たち」という漫画がありました。


この中で、AM2研部長の鈴木裕氏が、仮眠室で寝ている間に(夢の中で)デバッグをしていた、というエピソードがあったと思います。

これ、すごいことのように書かれていたのですが、プログラマなら誰でも経験済みの普通の話。


でも、プログラムしたことのない人には、なかなか理解してもらえない。特殊技能だと思われている。

ちょっと解説してみようと思います。


#これが特殊ではないと、どこまで伝えられるかわかりませんが。




プログラムって、小さな部品を積み上げて、非常に巨大な構造物を作る作業です。

レゴブロックを組んで、部品点数50万個の巨大作品を作る、というのを想像してみると、同じようなものかな。


#50万個だと、実際に動く自動車が作れるそうです。



作る際には特に正解は無く、自分が作りたいように作っていい。

ただ、目的はある程度決まっている。「自動車を作れ」と言われているのに家を作っちゃダメ。


さらに、使えるブロックの数とか完成時の大きさとか色とか、いろんな制約はあって、その制約をどうかいくぐり、目的を達成するかに工夫が必要。



プログラムの場合、時には、作ったプログラムが思い通りに動かないことがあります。

いわゆる「バグ」。


このバグには、2種類あります。

1つは、単純な記述ミスによるもの。

こんなもの、悩むことはありません。大抵すぐ直ります。


もう1つは、アルゴリズムの根本を勘違いしていること。


これが根が深い。

本人にとって、「あたりまえ」だと思っていることが、勘違いだったりするのが主な原因です。


当たり前の部分を全部疑う必要がありますが、そんなこと不可能です。

だって、プログラムって、無数の「当たり前」を集めて作っているのですから。



当たり前を疑わなくてはならない…

使っているブロックは全部レゴだと思っていたら、後から「1つだけニンテンドーブロック(レゴの互換品)だったから外して」と言われたようなもの。


#ニンテンドーブロック、サイズはレゴ互換だけど、当時は特許継続中だった「パイプ」部分を違う構造に変えてあります。

 そのため、ブロック間の保持力が弱いです。巨大構造物に入っていたら、そこが弱くて作品崩壊の恐れ。


50万個のブロックを使った大作から、たった1つのブロックを探し出して除去しないといけないのですが、どれがそうなのか、全くわからないのです。

「あたりまえ」を疑え、と言われてもねぇ。




「アルゴリズム」というのは、動作の手順の意味です。

パソコンに向かって記述している「プログラム」は、そのアルゴリズムを専用の言語で書いたもの。


上に書いたように、バグの原因がアルゴリズムにあるのであれば、プログラムを見ていても解決しません。

ですから、この時点でパソコンに向かっている必要はない、ということになります。


ただ、現実には、勘違いがありそうだと思ったら、実際のプログラムを動作させながら、どこを勘違いしているのか検証する作業を始めるでしょう。


関係ありそうな部分を順次疑い、機能単位でひとつづつ動作を確認していきます。


場合によっては、ここでバグの原因が判明します。



…でも、いくら探しても見当たらない。

いよいよもってわからない。


こうなると、もうパソコンの出番は終わりです。

全ての条件は出尽くしていて、後は自分がその解釈を間違えているだけだ、ということになるから。


自分と向き合い、どこが勘違いなのかをじっくり考えないといけないのです。




ところで、自分の勘違いなら、他人に見てもらうとわかりやすいのではないか? という疑問もあるかもしれません。

実際、人に見せるとたちどころにバグが解消する、という場合もあります。


プログラム中に「常に」勘違いをしていないかチェックする、という、ペアプログラミングと言う技法もあります。

二人でプログラムを考えることで、勘違いの混入を防ぐ技法ね。



でも、大抵はプログラムは一人で組んでいるうえに、非常に複雑に入り組んでいます。

この構造を把握している人…つまりは、自分だけがバグを見つけ出せるのです。


だから、他人は助けにならないのです。




気分転換を図るため、「飯食ってきます」とか言って席を離れるのも良さそうです。

頭の中では問題を考え続けていますが、そんなに簡単に答えは見つかりません。


考え続けているときは、「ここら辺に問題があるはずだ」などの意識があって、他の部分を見てないのですね。


でも、考えているうちに十分に条件が把握できて、確実な部分と不確定な要素が分離出来てくると…

ふと考えるのを辞めた時に、それまで気にしていなかった別の部分が問題なのではないか、など、急にひらめくことがあります。



そして、この「考えるのを辞める」条件には、寝ることも含まれます。

そうした瞬間に、急に何が問題かわかることがある。


これが、「夢の中でデバッグする」と言われる状態です。

ちなみに、飯食ってるとき、トイレ行ってるとき、風呂入ってる時、なども急にひらめきやすいときです。



実は、プログラムに限りません。沈思黙考が大切な職業の人は、かなりこれを経験している。


絵を描く人なら、一旦離れて遠くから見てみることが重要、というかもしれません。

音楽を作る人なら、「アイディアが下りてくる」とか「神が乗り移る」とかいうかもしれません。


風呂場やトイレが一番アイディアが思いつく、とも言われます。

エジソンも、研究室にベッドを置いていたのは有名な話。



プログラムって、パソコンに向かってやる物でしょ? と思っている人に「夢の中でデバッグ」というと、すごい特殊技能のように思われがち。


だけど、実際にはプログラムのほとんどは「沈思黙考」の時間です。

他のクリエイターと同じ。コンピューターなんてなくても大丈夫。




当たり前のことですが、プログラムの中で問題解決している「量」は、パソコンの前に座っている時の方が多いと思います。

でも、どうしてもわからない問題と言うのは、先に書いたようにパソコンを離れた時に解決することが多い。


そのアイディアの99%が勘違いだったとしても、1%は本当に夢の中でデバッグしたことになる。


これは、プログラマにとっても印象深い出来事となるので、後で人に話すことがあります。

すると「すごい特殊技能」のように思われる。


と、こういうカラクリです。

別に特殊技能でもなんでもない。




まぁ、プログラム自体が特殊技能だ、というのはあるとは思います。

だから「プログラマには当然」の話が普通に理解されなくても、そこは仕方ない。


僕から見ると、絵を描ける人や音楽を作れる人のほうがよほど特殊技能の持ち主です。

結局、自分の持ってない技能はなんでも特殊に見えてしまう、というだけの話です。





公開半日後の大幅追記


公開してすぐに「夢の中じゃなくて、布団の中なのではないか」という趣旨のツッコミを頂いたので解説。

ツッコミをくれた方も、寝る前に布団に入っても考えていたら急に気づいた、という経験はあるようです。


上の文章中で、「論理的でない」時になぜデバッグが出来るのか、を書いていたのですが、「寝た」状態での話、および「寝る」ことの定義をしていませんでした。

これがおそらくは、ちゃんと伝わっていなかった原因かと。



僕の場合、と断ったうえでですが、単に布団に入っただけではなくて、就寝後です。

ただ、おそらくは体は寝ているが意識は起きている、半覚醒の状態。


そういう時に見る夢って、特殊です。

「あぁ、これは夢だな」って自分でもわかっていて、コントロール可能な部分もあるのだけど、不可能な部分もある。

いわゆる「明晰夢」というやつです。



だから、「夢の中ではないのではないか」というツッコミは、ある意味正しくて、ある意味違っている。

定義していなかったので申し訳ないのですが。


僕の何度かの経験だと、確かに寝ているし、夢を見ているのだけど、その夢の中で意識ははっきりしています。




ただ、やっぱり夢の中なので、意識ははっきりしていてもおかしなことが起こります。


この「おかしなこと」が…また、妙にリアルなのね。

現実に起こっていたバグではないのだけど、変なバグが起きて悩んでいたりする。


そして、夢の中でもデバッグしているから、このおかしな現象は何だろうと考える。


そうすると、「あぁ、この関数が特殊状況下であぁなって、このバグが起きるのか」とか、ちゃんと論理性のある答えを導いてしまう。



で、起きてソースリストを確認してみると、実際にそうなっていたりするわけです。

現実的には起きていなかったバグが、夢の中では起きていて、確認すると潜在的なバグがあったりする。


さらに、この「潜在バグ」こそが、実際に悩んでいたバグの原因だっりする。



こういうのが、「夢の中でデバッグする」と書いた現象になります。




改めて先に書いたことに当てはめれば、頭の中に「主要な関数の動作」は全部叩きこんであって、それが特殊状況下で動かないことに気付いていないだけなのです。


気付いてないのは、「ここは一度チェックしたから動くはずだ」という先入観があるから。

特殊状況で動かないとしても、動くものだと思ってそれ以降のチェックを行わなくなってしまう。



ところが、夢の中では「ここ、最近チェックしてないけど本当に大丈夫?」と教えてくれるらしい。

心のどこかに、「チェックしたけど、本当に大丈夫なのかな」という不安感があって、夢に出てくるのでしょうね。


論理性は頭の中に叩きこんであるから、「そこがもしおかしいと、こんなことになるよ」と、変なバグの夢を見せてくれる。


で、今まで調べてなかった「特殊状況」のチェックをしてみると、バグが見つかるという寸法です。



夢の中では「不安感」が顕在化しただけで、厳密性は無いのに注意。

この「不安感」が必ず的中する、ということはありません。


起きて見直したけど、やっぱあってた、というパターンの方が多い。

先に書いた「99%は勘違い」というのは、そういうことを言っていたつもりでした。




補足しておくと、多くの人が「特殊技能」だと感じているのは、これが「夢の中」だからというよりは、「パソコンが無いのにプログラムしている」行為なのではないかと思っています。


だから、追記する前の文章では、バグの原因の大半がロジック部分にあり、コードではないことを書いていました。

コードはパソコンが無いと確認できないけど、ロジックはパソコンなしにデバッグできる。



そして、ツッコミをくれた方は「布団に入って考えていたら気づく」という経験をお持ちなので、プログラマーでない人から見たら同じ特殊技能の持ち主ではないかと思います。


実際寝てしまった後なのか、寝る直前なのかはあまり問題ではない、五十歩百歩の部分です。




余談ですが、明晰夢って、訓練すると当たり前にみられるようになります。


大学時代に、ちょっと「夢診断」に興味を持った時があって、朝目覚めて夢を覚えていたら、忘れないうちに書き留めるようにしていました。


そしたら、夢を覚えていることが多くなりました。

やがて、明晰夢を見ることが増えました。


…これ、「デバッグ時」と同じで、面白いから夢を覚えておこう、書き留めておこう、と強く思っているから、寝ても覚えておけるように半覚醒状態になっているのです。


最初の頃は、夢の荒唐無稽さが面白くて書き留めていたのですが、明晰夢を見るようになったら理性が働いて変な夢を見なくなったので、つまらなくなってやめました。



もしかしたら、「夢の中でデバッグする」経験も、この際の「夢を覚える訓練」の延長上にあるかもしれません。

(入社間もなくの頃に僕も経験しているので、「夢を記録する」訓練を…望まずに…やってしまってから、数年後です)



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手相開発時の技術話  2015-03-14 10:47:44  業界記

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一般受けしそうな話は尽きた(笑)


でも、実は僕としてはここからの話の方が書きたいかも。

プログラマしか楽しめない技術話です。



手相うらないは、System 32 で作られました。CPU は V60 。

実は、大学時代の研究室の教授が設計した CPU です。


まさか就職して、恩師の作った CPU でプログラム組むとは思ってなかった。




手相占いのプログラムは、すべて V60 アセンブラで書かれていますが、「オブジェクト指向」でした。


当時の僕は、アセンブラとC言語、それに AWK と BASIC と…まぁ、手続型言語は使えましたが、オブジェクト指向は理解できていませんでした。


と言っても、オブジェクト指向のことは知っていて、それを扱える処理系を触ったことがなかっただけ。

その一方で、「オブジェクト指向はプログラムスタイルであって、言語ではない」という話も読んでいました。


#Oh!X で、1987年12月から、「オブジェクト指向のゲームプログラミング」という連載があったそうです。

 ただ、僕はこれは読んでいません。Oh!X 買い始めたの、1990年ごろからなので。

 でも、後の記事の中に「過去の連載にあった」「アセンブラでもオブジェクト指向は出来る」と書かれていたのです。


頭では理解できました。

たとえば、再帰処理を行うのにローカル変数は必要ありません。BASIC でも再帰は行えます。


でも、多くの人が BASIC では再帰はできない、と思っています。

その理由は、再帰を正しく理解できていないから。それだけです。


#再帰って、処理の中から自分自身を呼び出す処理方法。C言語では再帰が「簡単に」できます。

 でも、Cでないとできない、と思っている人が多数います。簡単でないだけで、BASIC でもできるのに。


そして僕はこの時、オブジェクト指向を正しく理解できていませんでした。

「オブジェクト指向言語を使わないでもオブジェクト指向に出来る」は、頭で理解できてもどうやればよいのかわからなかったのです。


その答えが目の前にありました。

すでにアセンブラでオブジェクト指向を行うための「フレームワーク」は組みあがっていて、そこに新たなプログラムを追加していけばいいのです。


#フレームワーク、なんていうとかっこいいけど、前回作である「スターライトフォーチュン」の部分流用です。

 もっと言えば、System32 の初期の作品から、プログラムは脈々と流用され続けてきたのでしょう。


それまでオブジェクト指向がどうも理解できていなかったのですが、非常に低レベルなアセンブラで経験したため、その後は C++ を見ても Java を見ても、内部でどのように処理しているのか…が理解できるようになりました。


C言語覚えた時も、アセンブラでどのように出力されるかを見て「理解」したのだよな (^^;

どうも僕は、アセンブラまで一度落とさないと理解できないようです。




それまで、僕は「ベーマガで覚えた」スタイルでゲームを作っていました。


敵の数だけ座標などの変数を用意し、自分の座標の変数と、自分の撃った弾の座標の変数を用意する。


それぞれのキャラクターが「生きている」か「死んでいる」かを判断するフラグもあり、それらを見ながら、座標を操作し、それぞれを表示し…

というのを、ループ内で延々と書く。


これでゲームは作れます。

ベーマガに載っていたゲームなんてほとんどこうだし、昔は市販ゲームでもこうでした。



でも、手相で使ったフレームワークはそうではありませんでした。


キャラクターは全て「オブジェクト」として扱います。

オブジェクトは、大きく分けて画面表示を伴うものと、そうでないものに大別されます。


各オブジェクトには、64バイトのメモリ空間が与えられています。

表示キャラクタの場合、座標データや、表示キャラクタの番号、表示優先順位などはこのメモリの、決まった位置に置かれます。


残りのメモリは自由に使って構いません。

キャラクターの移動速度だったり、向きだったり、ゲームに必要な内部的な値です。



各キャラクタを「うごかす」ためのプログラムは、実は64バイトのメモリ空間内の、特定位置に開始アドレスが書かれています。

そして、そのアドレスは毎フレーム(1/60秒)毎に、必ず呼び出されます。


呼び出されたら座標などを移動し、最後に「表示ルーチン」を呼び出します。

先に書いたように、表示パラメータは 64バイトのメモリ空間内の固定位置に入っていて、表示ルーチンはこれを解釈して表示を行います。


敵でも自機でも弾でも、「処理した後で表示ルーチンを呼べばよい」という流れは同じ。



この「64バイトのメモリ空間」は、処理プログラムが呼び出される際に、アドレスがレジスタのうち1本に入れられています。

なので、このレジスタからの相対アドレッシングを行えば、簡単にアクセスできます。


敵が複数表示されるときも、プログラムは一つだけで大丈夫。

メモリ空間が自動的に変更され、同じプログラムを繰り返し呼び出すことで、複数の敵を処理できます。



「ほぼ共通だけど、一部違う」ような処理が必要な場合、違う部分の処理だけを分離しておき、「処理アドレス」をメモリ空間内に書いておきます。

処理プログラムの中で、そのアドレスにジャンプするようなプログラムを書いておくことで、共通部分は使いまわしたままで、キャラクタごとに違う処理を行えます。



ベーマガ式にプログラムを組んでいると、キャラクタごとに「生き死に」の判定が必要です。

しかし、オブジェクトで処理する場合は、死んだキャラに関してはメモリ空間を開放してしまいます。すると、処理プログラム自体が呼び出されなくなります。


新たなキャラを生成する場合は、メモリを確保し、適切な初期値を書き込みます。

これで、以降は処理プログラムが呼び出されるようになります。



ちなみに、64バイトのメモリ空間のうち、最初の 8byte は、管理用の固定で使用されていました。

まず、「次のメモリ」を示すためのアドレス 4byte 。そして、「処理アドレス」を示すための 4byte 。


これにより、次々と「次のメモリ」を探し出し、処理アドレスを呼び出すのです。


メモリ空間の開放や、新たなメモリ確保は、次のメモリアドレスを書き変えることで行われました。


#いわゆるチェーンリスト構造。




この環境でプログラム組むのが、とにかく楽しかった。


ゲーム作成経験者じゃないと分かってもらえないかもしれない。

ベーマガ式にプログラム組んでいくと、だんだん「管理しないといけない変数」が増え続けてしまって、規模が大きくなるにつれて辛くなるのね。


それを、すべてのキャラや処理をまとめて「オブジェクト」と捉え、その処理ルーチンを用意しただけで、変数管理から解放される。

オブジェクトの生成や破棄など、いくつかのルールを守っているだけで、後は処理するプログラムだけに注意を払えばいいんです。


後の話ですが、サターンで使用されたSGLも、C言語のライブラリとして作られていましたが、同じような構造を前提として作られていました。



ところが、このフレームワークを「オブジェクト指向」だと気づいてない人の方が多かったようなのですね。

ゲーム開発の現場って、みんなゲーム好きだけど、それほど言語マニアは集まってません。


C言語しかできない、アセンブラしかできない、とかそういう人が多い。



ずっとのちの話になりますが、ある先輩が「C++勉強してみたら、いつも使っている環境をプログラムしやすいことに気付いた」と言うのです。

「オブジェクト指向とゲーム制作は相性が良い」と。


僕としては、オブジェクト指向「言語」を使っていなかっただけで、作り方はオブジェクト指向だと思ってました。

だから、これは発見でもなんでもないのだけど、その先輩もゲーム一筋の人で、言語にはそれほど興味がなかったので大発見だったみたい。


ただ、この先輩すごいプログラム能力の持ち主で、「これはいい!」って、一気に必要なライブラリ全部 C++ で作っちゃったのね。

それで、部内で C++ の布教活動初めて、自分のプロジェクト内は C++ で開発することにしちゃった。


行動力と実力が伴っていました。素晴らしい。

でも、この話の詳細は、20年たったころに


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手相開発時の技術話(2)【日記 15/03/15】

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手相開発時の技術話(2)  2015-03-15 10:17:00  業界記

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手相開発時の技術話(2)

先に書いた話の続きです。


手相は、V60 のアセンブラで書かれました。


このコードは、HP-UX (ヒューレットパッカードの UNIX)マシンでクロスアセンブルされ、最終的に Intel HEX 形式のバイナリとなりました。

Intel HEX というのは、組込みプログラムではよく使われる、ROM の内容データをテキストファイルで記述したものです。



この Intel HEX データは、シリアルケーブルでデイジーチェーン接続された「ROMエミュレータ」に送り込まれます。

ROM エミュレータはセガが独自に開発したハードウェアで、名前の通り、RAM によって ROM をエミュレートするものでした。


普通なら、アセンブルするたびに ROM ライターと言う機械を使って EP-ROM にデータを書き込み、ROM を差し替えて動作させます。

しかし、ROM エミュレータでは基板に挿したまま内容の書き換えができましたし、書き込み速度も EP-ROM よりもずっと早く、快適に作業できました。



基板には、この ROM エミュレータが多数刺さっています。

グラフィック、サウンド、プログラムなど、ROM に書かれる部分は全て ROM エミュレータが使われるので、20本くらいあったように思います。



通常の ROM 程度のサイズで、ROM の代わりに基板に挿しこまれる「下駄」と呼ばれる部品と、そこの上に垂直に「立てる」本体基板がありました。

本体基板は、サイズこそ下駄の上空に収まるように作っていますが、非常に背が高いです。


そのため、ROM エミュレータは基板上に「林立している」という言葉がしっくりきます。


これらの ROM エミュレータは、先に書いたようにシリアル接続でデイジーチェーン接続され、一気に書き込みが可能です。


デイジーチェーンだけど、各 ROM エミュレータに DIP スイッチによる ID 設定が可能で、個体識別できるのね。

20本くらい同時に使っているのだから、ID は少なくとも 5bit はあったはず。



通常は変更があった部分しか送り込みませんが、全部送っても3分程度だったように思います。

ROM を作ることを考えると圧倒的に速い。




System 32 の V60 部分は、ICE に置き換えられていました。

ICE というのは、CPU の動作をそっくりまねた上で、内部のレジスタの状態などを自由に見たり書き変えたりできる機械ね。

デバッグには欠かせません。


この ICE を制御するのに、MS-DOS の PC-9801 を使っていました。


98は本当に、ICE 専用。DOSだからシングルタスクで、他のことできないしね。

でも、ネットワークには接続されていたはず。デバッガはシンボル情報を理解していて、逆アセンブル時にジャンプ先ラベルなどがわかりやすく表示されます。

この情報を得るために、HP-UX とファイルを共有しているのね。


System 32 は、アストロシティ筐体に接続されていて、画面などはそちらで確認できました。



というわけで、改めて開発機材を書くと、こうなります。

(大きなものだけ)


・HP-UX マシン(HP 製 UNIX マシン)と、そのモニタ

・PC-9801 とそのモニタ

・System 32 基板と、そのモニタに相当するアストロシティ筐体

・V60 ICE


アストロシティ以外は、すべて机の上に乗っています。

横2m位の長机で、その机の上と、その前の部分が自分のスペースです。


「自分のスペース」にすべてを納めるため、アストロシティ筐体は机の前に、片隅に寄せるように置いてあります。

机の前の逆隅に椅子を置き、そこに座った時に使いやすい位置に、HP-UX を置きます。


そして、残るスペースに PC-9801、System32、V60 ICE を詰め込みます。


#右に概略図を示します。こんな感じ、というだけで縮尺などはいい加減。



System32 は、開発機材を多数接続しているため、アストロシティ筐体には入りません。

JAMMA ハーネスの延長ケーブルを自作してあるので、机の上から接続できます。



PC98はアストロシティに半分隠れるような置き方なので、操作しづらい。

でも、基本的に ICE の「実行」「停止」ができれば良いので、それほど問題は無い。


System32 のテストモード操作などが必要な時は、手を伸ばさないといけないけど、これはそれほどやらなくていいから問題なし。

そんな感じの操作環境でした。




都合3台のモニタに囲まれています。

この頃のディスプレイモニタは、ブラウン管です。電磁波を出していました。


さらに、机は多数並んでいるので「隣の人」「前の人」「後ろの人」…などからの電磁波も浴びるわけです。


これが健康に悪い、という噂がありました。



入社して1年目くらいの話ですが、女性も多いデザイン課では、電磁波遮蔽エプロンが配られました。


鉄板が入っていて重たいエプロン。

電磁波が生殖細胞に影響があり、不妊になる、という噂があったためです。


ちなみに、男性の場合も不妊になりやすく、特に男児が生まれにくくなる、という噂もありました。

でも、女性の少ないプログラム課では、特にエプロン配られませんでした。


#一応、プログラム課にも同期に女性が1名いました。

 当時のセガ全社員の中で、女性プログラマは3名だけだったそうですが…




ちなみに、アストロシティ筐体を使っていたのは、入社時点で一番手に入りやすかったから。


一緒に手相を作った先輩はエアロシティを使っていましたし、後に入ってくる後輩はブラストシティ使っていたと思います。

その時、一番入手しやすい筐体が支給される、っていう、それだけの話。


#エアロシティ、アストロシティ、ブラストシティは、セガが販売していた業務用ゲーム筐体です。

 アストロとブラストの間の時期に、バーサスシティと言うのもあったけど、それはまたそのうち書きます。



あ、そうだ…次回はドットリ君について書きましょう。

筐体の話をするなら、一緒に書いておいた方が面白い。



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原初のプログラム【日記 18/01/10】

ドットリ君【日記 15/03/16】

別年同日の日記

04年 作っちゃいました

10年 V60 設計者にお会いした。

14年 さよなら遠足

17年 世界最初のドメイン登録(1985)


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

ドットリ君  2015-03-16 09:03:03  業界記

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新人に筐体を支給すると、「ドットリ君」(1990)というゲームがもれなくついてきます。

というか、ゲームセンターに筐体を出荷するときもそう。筐体にはドットリ君が付いてきます。


これが何者であるか…正しく認識できていない人も多いので、解説しておきましょう。



ドットリ君は、よく「テスト基板」と呼ばれます。


この言い方から、筐体の不具合などを確認するテスト用だと思う人がいる。

ドットリ君は音が出ないので、「それじゃテストにならないじゃん」なんて批判もある。


そうじゃないです。

たしかに、「テスト」のための基板なのだけど、それは筐体の動作確認の意味ではない。




電気用品取締法(当時)という法律では、電気用品のうち、通産省(当時)の定める形式の製品については、認可を得なくては販売できないことになっていました。

電気製品は、感電や発火などの危険があるため、これは必要なことです。


#現在は電気用品安全法、と名前を変え、経産省が形式を定めています。いわゆるPSE法。



ゲーム機は比較的新しい産業だったため、この「定める製品」リストに入っていませんでした。

しかし、時々このリストは見直しが行われます。


どうやら 1990年ごろ(正確な時期不明)に、新たに「電子応用遊戯器具」というカテゴリーが出来たようです。

これにより、ゲーム機の販売には国の認可が必要となりました。


ここでグレイゾーンとなるのが「ゲーム筐体」です。

実は、ゲーム筐体と言うのはそれだけを購入しても何もできないもので、ゲーム基板と組み合わせてやっと使用可能となります。



このため、ゲーム筐体は「未完成の電子応用遊戯器具」と見做されました。

未完成、つまり「製品」でないものは、認可が下りません。

筐体は販売してはならない、ということです。


これまでは、「筐体」と「ゲーム基板」を別々に販売し、お店で自由に組み合わせてもらう、というのがゲーム業界の慣習でした。

しかし、法律により、その商売は出来なくなるのです。


#とはいえ、自由に組み合わせられるようになったのは、ゲーム業界団体がコネクタ形状を定義した JAMMA 規格(1986)以降。

 これ以前は、ゲーム会社ごとに筐体と基板の接続方式が違っていました。簡単な改造で繋げられたけど。



ゲーム基板そのものは、筐体から電力を供給されて動作するだけなので、この「定める製品」リストには入っていませんでした。

そのため、お店としては、一度筐体を入手すれば、以降は基板交換できる、というのは今まで通りです。


しかし、筐体を販売するゲーム会社側としては、筐体の販売が難しくなります。

古いゲームを入れて売るわけにも行きませんし、ゲームが新発売になるたびに、筐体販売の認可を取るのは余計な手間となります。




そこで登場するのが、「ドットリ君」。


筐体は、「ドットリ君」というゲーム機として販売認可を取ります。

ドットリ君として認可を取ったものですから、販売の際には、常に「ドットリ君」として販売される必要があります。


しかし、お店が基板を入れ替えることは問題ないのです。

ドットリ君は、「すぐに取り外され、捨てられる」ことを前提とした、不遇のゲームなのです。



ところで、筐体を買うと必ずドットリ君が付いているのかと言えば、そうでもなかったと思います。


バーチャファイター2のブームの時とか、最初からバーチャファイター2を入れた筐体で販売許可を取って出荷していたのではなかったかな。


当時、VF2は出荷が追いつかない人気商品ですからね。

「筐体込ならあるんですが」って言ったら、高くても買ってくれるお店があった。


手間をかけて新たに販売許可を得るだけのメリットがあったのです。




ドットリ君は、違法とならないために付属させるための物で、セガにとっては余計なコストです。

そのため、できるだけ安く作れるように工夫されています。


音が出ないのもそのため。画面はモノクロで、基板サイズは JAMMAコネクタ(筐体と基板をつなぐコネクタ)の横幅ギリギリしかありません。


ゲーム内容は、大昔のゲーム「ヘッドオン」(1979)に類似しています。

画面を周回しながらドットを取りつくすゲーム。


ヘッドオンでは、操作は速度変更と「車線変更」のみでした。後ろに戻ることはできない。

ドットリ君では、やはり後ろには戻れないのだけど、車線変更可能な場所では「Uターン」できます。

そのため、ちょっとパックマンっぽいところもある。



ゲームとしては、可もなく不可もなく、というところ。


遊べればいい、程度にしか作ってないから、決して「すごく面白い」というものではないです。

でも、まったく遊ばずに捨てるのはもったいない、くらいには遊べる。


実際、丁度1か月前、25年目にして世界初のドットリ君大会が行われて、結構熱い闘いが繰り広げられています。



ちなみに、ゲーム画面にも基板にも「ドットリ君」という名称は書いていないと思います。

でも、筐体買うと付いてくる納品書などに、「ドットリクン」と半角カタカナで書かれていたのではなかったかな。


この名称で販売許可を取っている、ということなのでしょう。


元が半角カタカナなので、情報を調べても「ドットリクン」「ドットリくん」「ドッ取り君」など、別表記をしている人もいます。

別に誰かが間違えているわけではなくて、元々名前なんてどうでもいいものだから(笑)




どんなゲームも、筐体に入れなくては遊べません。

なので、大ヒットゲームでも、世の中に出回っている筐体の数よりは少ない数しか売れていない。


その筐体は、少なくともセガ製の物は、ほぼすべて「ドットリ君」である、と考えると…

ドットリ君、実は世界一売れた大ベストセラーゲームです。


ベストセラー(たくさん売れた)というだけで、大ヒット(みんなが夢中になった)ではないのだけど。



誰が作ったのか、残念ながら僕は知りません。

入社前の話ですし、1990年だとAMは部署が別れていなかったのではないかな。


安い基板を目指して作っているので、基板設計部署は関係しているだろうし、筐体付属物なので筐体設計部署(僕がいた当時のAM4研)も関係してそう。

そして、プログラムなのでゲーム開発部署も開発しているかも。


一方で、簡単なものなので、基板開発者がそのままゲーム作っていたり、筐体設計部署で片手間に基板作っててもおかしくない、というレベル。


こんなに数多くの枚数が出た有名なゲームを誰が作ったのか、知っていたら話のタネくらいにはなりましたね。

(新人当時に聞いていたらわかったかもしれませんが、20年たった今となっては…)



ところで、ドットリ君と同じ理由で作られたゲームは、各社にあるようです。

ちょっと調べてみました。




タイトー「ミニベーダ―」(1990)


ドットリ君と同じく、音なし、モノクロ。

作られた年も同じなので、法律対策ですぐに作られたのでしょう。


タイトル画面もないので、本当の名称は不明。

みな「ミニベーダ―」と呼んでいるので、ドットリクンのように、この名称で認可を得ていたのかもしれません。


ゲーム内容は名前の通り、スペースインベーダーなのですが、陣形の違う全8面。

敵は弾を撃ってこないのだけど、やたら侵略速度が速い。


動画を見ていると、結構全面クリアは難しそうな熱いゲームです。


タイトーは、麻雀コンパネで操作する MINIJONG というのも作っていたようなのですが、詳細不明。



コナミ「モグラデッセ」(1991)


もぐらたたきです。

1991年、ということは、セガ・タイトーに比べて「ブランク期間」があります。


その間、筐体販売はしていなかったのかな?

もしかしたら…後で書きますが、別の基板を付けて販売していたかもしれません。



話をモグラデッセに戻すと、カラーで音も出ている。でも、スピード感は無くてそれほど面白そうではない?

遊んだことないので何とも言えませんが。


ドットリ君も、つまらなそうに見えて、本気で遊ぶと結構遊べる内容でした。

モグラデッセも、遊んだら面白いかもしれません。


2017.3.14追記

モグラデッセは、筐体に付属して販売されるテスト基板ですが、コナミは¥15,000.-で下取り回収し、また別の筐体に付属させていたようです。

そのため、出回っている量自体は少ないのだとか。


よくできている、と思っていましたが、使い捨てるにはコストがかかりすぎているということですね。


ソースはTwitterで見た情報ですが、許可を取ってないので引用はせずリンクのみ示します。



ナムコ「バタリアン」(1993)


なにこれ、面白そう。遊んでみたい。

カラーで音が出て、スクロールとか、文字の拡大縮小までする。スクロールや拡縮はソフトっぽいけど。


作られたのも 1993年と遅めです。

試験用の基板にこんなに手間をかけてどうすんのか、ってゲーム内容ですが、新人研修か何かで作ったのかな。


内容は…名前や画面イメージからタンクバタリアンというか、バトルシティーっぽいようにも思えるのですが、結構違う。

キャラクターが戦車ではなくて人。壁を撃っても壊せない。


同内容で、基板が新設計で新 JAMMA 対応になったバージョンもあるそうです。

(ってことは、かなり後まで作っていたということだ)



コナミ「ターゲットパニック」(1996)


モグラデッセよりも後に作られたのにモノクロです。

少しでも安く作らなくてはならない、って考えたら、自然にそこに落ち着くよね。


一応動画を見つけましたが、ゲーム内容よくわかりません…



他に、シグマも作っていた、という情報がありましたが、詳細不明。



会社によっては、在庫を抱えた古い基板をテスト基板代わりに使用して販売したりもしたようです。

コナミが一時期「Mr.五右衛門」(1986)を使って筐体販売していた、という証言は、Twitter 上で見つけました


もしかしたら、コナミの「モグラデッセ」がセガ・タイトーより1年遅いのは、この基板があったからかも。

不良在庫処分としては悪くない方法だよねー。




ところで、今調べていたらドットリ君にも「サービスモード」があることを知りました。

ゲーム基板についている、遊ばれた回数をチェックしたり、モニタ調整したりするためのモードね。


この中に、モニタの色調整モードがあるのね。

白黒基板だと思ってたら、カラー出るらしい…


ドットリ君にはバージョン違いがあり、ゲーム画面の色が変えられたり、上に書いたサービスモードがあったりするようです。

基板はほぼ同じようなので、ソフトの違いだけなのでしょう。



ということは、最初っから基板はカラー出せたのか。

20年たって初めて知った真実です。



2016.6.25 追記

スペインでブログを作っている方から連絡いただき、このページを引用させてもらいたいという。

テスト基板について記事を書きたいのだけど、情報としてまとまっているページが少ないから、とのことでした。


許可して翌日には素晴らしいページが作られていました。

BEEP! GAME CENTER --- セガ、タイトー、ナムコ、コナミのテスト基板


僕はスペイン語は読めません。機械翻訳に頼って読んでみました。


実際にお持ちの実機テスト基板についてまとめたもので、自分の書いた記事では謎だとした「ターゲットパニック」のゲーム内容にもふれています。


まず、「起動が遅くてカセットテープでも読み込んでいるようだ。6分待つ必要がある」。

コナミですし、バブルメモリ? …いや、基盤を見る限り、普通のROMで構成されています。

なんでそんなに遅いんだろう。


内容は、8方向レバーと1ボタンで、画面周辺8個ある「ターゲット」を撃つことです。

撃つためには、ターゲットがこちら向きに回転した時を狙いますが、めったに回転しません。

1分間に3つ程度、こちらを向くので、向いたらすぐに撃つ。


目標は50ターゲット撃つこと…なのかな。ひたすら待つだけの、作業感の強いゲーム。


「これはゲームではない」とも書かれています。




上記ページ、80~90年代の日本のゲームが大好きな方が書かれているようで、愛にあふれる内容です。

主な記事は、ゲーム紹介と、ゲーム筐体の紹介。


単に「好きだったゲームの紹介」とかじゃなくて、見たことが無い人にもその魅力を伝えようと、カタログや写真を

ふんだんに使って紹介している。


スペイン語ですが、翻訳に頼って斜め読みするだけでもなかなか楽しいです。


2016.7.5 追記


海外からの情報が続きます。

Twitter で、ドットリ君基盤で実験している人を見かけました。


@covell_chris さん。許可を得て引用します。



これがドットリ君だって!?


本文中にも書きましたが、ドットリ君にはちゃんと「サービスモード」が用意されていて、モニタのカラー調整モード…つまり、色を表示できました。


@covell_chris さんによれば、MSX のように「前景色」「背景色」を選ぶ形で、1ラインに2色が使えたそうです。

この組み合わせを、1ライン中に4回変えられます。つまり、最大では1ライン8色出すことができます。


CPU は Z80 の 3MHz …だそうですが、別の情報で 4MHz ってあったな。

間をとって、3.58MHzってところでしょうか。


#…と書いてから「引用したから確認してね」と送ったら、この件に関して画像つきの返事をもらいました

 Z80 自体は 4MHz で駆動されるが、VDP が画面描画中は wait がかかって 3MHz に速度が落ち、全体では結果として 3.54MHz になっている、とのことです。

 3.58MHz と書いたのは「基盤を安くするため、NTSC ドットクロックを使いまわしているだろう」という予想だったのですが、あくまでも 4MHz と 3MHz を行ったり来たりする結果 3.54MHz という「偶然にも近い値」になっているだけ。



おそらく、どれもゲームとして動くわけではなく、表示だけだと思います。


パックマン風画面、迷路が破線みたいになっているのは、ドットの存在するラインでは「ドットの黄色」「迷路の青」「背景の黒」の3色を1ライン上に出せないためですね。


そして、同じ理由でモンスターの近くに餌を置くともできませんし、モンスター同士が近づくこともできません。

そう考えると、この画像が制限の中で非常に上手に作られているのがわかる。

これが「表示だけ」と推察する理由。


3枚目、今度はカラーではなくゲームボーイ風の白黒画面ですが、128x96 の解像度があるよ、というもの。

NTSC 画面なのでこのドット数で正しそうに見えますが、ドットリ君基板の実際の表示は、左右の切れた「正方形」になります。

つまり、128x96 では、ドットが縦長につぶれている。


そのため、この画像では、普通なら 8x8 で描かれるブロックを 8x6 にしているのだそうです。


ちなみに、ゲームボーイは 160x144 の解像度があります。

CPU の機能的には Z80 よりも非力だけど、GB のほうは 4.19MHz 動作でドットリ君より速い。


GB の移植すら難しいのか…さすが低コスト基板。


@covell_chris さんは、まだいろいろと実験中のようなので、今後も何か面白い画面が見られるかもしれません。



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モニ太とリモ子のヘッドオンチャンネル【日記 15/07/29】

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05年 大忙し

09年 辻堂海浜公園

17年 タネンバウム教授(1944) ストールマン(1953) 誕生日


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

【●】 ドットリ君の初代は描画範囲外の背景色が白ですが(MAMEでは再現されません)コインスイッチを押すと全体の色がいくつかのパターンで順次変わります。ちなみに背景色は帰線期間も垂れ流しなので、AC結合のマトモなRGBモニタだとAGCが誤動作して画面が真っ暗になるため、メガロ50同梱版からROMが変わりデフォの背景が黒になりました (2016-08-20 04:06:57)

手相開発時の技術話(3)  2015-03-17 10:28:48  業界記

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手相では、CD-DA も使われました。

System32 から CD 制御して、音を流すのね。別に CD-ROM とかではなく、単に音楽再生しているだけ。


この事は以前に書いていますね。



企画の人から、占いの説明などをアニメっぽい動きで説明するから、音に合わせて動かしてね、と言われていました。

CD には、すでに音楽と一緒に、絵コンテに合わせたタイミングでナレーションなどが入っています。


#絵コンテには、アニメーションのタイミングを秒単位で指定してありました。




さて、音源が基板上にある物であれば、「音と映像」を同期させるのは、それほど難しくないです。


映像に音をあわせたいなら、効果音を出すようにサウンドドライバに指令を出すだけ。

逆に、音に合わせて映像を動かすなら、音楽の中に「タイミング」を示すデータを入れておいてもらって、サウンドドライバからタイミングを教えてもらいます。


でも、CD に合わせて、となると、タイミングの目安となるものがなにもありません。



安いポータブル CD プレイヤー買ってきて、音を聞きながら絵コンテに合わせてキャラを動かします。

何度も何度も、動かしながら調整していくしかない。


#この時点では、まだ CD を System32 から制御する基板を貰ってなかったように思います。

 だから、自分で CD プレイヤー買うしかなかった。


…デザインの人も、同じ絵コンテ見て絵を描いているのですが、どう考えてもこの動きが出来る絵ではないだろう、ということもしばしば。

どうやって動かそうと思ってました? と聞いても「え、特に考えてない。なんとなく動くかな、と…」。


しかし、このゲームやたらと絵が多かった。しかも、多数ある説明アニメの1枚で一瞬出てくるだけの絵、とかもある。

そういう絵にダメ出しして描き直させていたら、時間がもったいないわけです。


まぁ、そんな具合なので「無理やり動かした」ものも多数。

細かく動きを設定していると気になる、というだけで、普通に見たら普通に見られますので、問題ないです。



企画の方がアニメ好きで、同人誌なんかも描いている人だったので、それなりにわかりやすい絵コンテだったのが救いでした。

この時の、どんどん動きを作っていく作業は楽しいものでした。


#占いの内容に応じて、なので、数十種類作ったと思う。

 1か月くらい、ひたすらアニメの動きを作り続けていたのではないかな。




System32 から CD を制御できるようになってみると、思っていたのと少し違うタイミングで音が出てしまったりします。


「再生」を指示しても、そのタイミングですぐに音が再生されるわけではないのね。

読み取りヘッドがシークして、それから本当の再生が始まる。


ここで問題になるのが、シーク時間が一定ではない、ということです。

直前にかかっていた曲によって、ヘッドの位置が違うから、シーク時間も変わってくる。



これは、曲番号を指定して「再生」した後に、すぐに一時停止を指示することで解決しました。

一時停止が指示されても、シークは行われます。しかし、一時停止中なので演奏は始まりません。


0.5秒くらい待ってから一時停止を解除すると、すぐに曲が演奏されます。

その時点では、もうシークが終わっているから、すぐ演奏に入れるのですね。


これで、完全に曲と映像をあわせることができました。




企画の人のイメージでは、画面などは「全体にウゴウゴルーガっぽい感じで」でした。


#当時人気のあった、子供番組のふりをした番組。

 番組タイトルが、1993年の流行語大賞を受賞するくらい人気でした。

 ずっと後に、「日本のメディア芸術100選」にも選ばれています。



ウゴウゴルーガは、画面を常に「ガチャガチャとした動き」で動かしていました。


だから、これを目指して、アニメも余り滑らかすぎる動きをしない。

文字も常に動かし続ける。



先ほど書いた、アニメを無理やり動かした、という話も、この「全体の雰囲気」に助けられてます。

それじゃないと、不自然な動きはやっぱ不自然だもの。


文字は、ウゴウゴルーガでは手書きの文字を何枚も書いて動かしているのだけど、手間暇もかけられないし、時間もないので絵としては一つだけ。


ただ、常に座標を変えてガクガクと動かし続けています。

「読みにくくならない程度に常に動かす」のは、文字ごとにちょうどいい動きが違う。


最後の方には慣れて、見ただけでちょうどいいパラメータが思い浮かぶようになったけど、基本的に試行錯誤。




画面周りの技術面で、非常に細かなどうでもいい話。


System32 では、フレームバッファスプライトと、複数枚のスクロール画面が使えます。

サターンと似た構成


#サターンは、System32 の家庭用として開発が始まった、という噂もあります



この「スクロール画面」は、レジスタをいじると即座に(次のフレームで)位置が反映されます。

スプライトは、表示座標などを設定すると次のフレーム(1/60秒)で裏画面に描画し、さらに次のフレームで表示されます。


つまり、スクロールとスプライトは、1フレームずれて表示されるんだわ。

完全に表示を一致させたいなら、スクロール表示の設定を一時溜めるバッファでも用意しておいて、わざと1フレームずらせばいい。


でも、当時はそんな簡単なことを気付かず、やってません。

画面がカットインする(背景の上にキャラクターが乗ったものが、画面横から入ってくる)ような演出があるのだけど、スクロール時にスプライトが少しずれている。


まぁ、作った自分は気になっているけど、見た人は誰も気づかないだろう、という程度の問題です。



原因がちゃんと理解できていない時に、ずれるなー、なんでだろうなー、って何度も見ていたら、先輩プログラマ(手相の先輩とは別)に、「そういうハードだから合わせる方法は無い」って断言されました。


いや、合わせられないってことはないだろ。1フレームずれるだけだから合わせる方法はある。


常に1フレーム待って設定しようか、とか考えたけど、面倒なことになるからやめました。

後で考えると、バッファを数バイト用意すれば、それだけで済む話なんだけどね。



合わせる方法が無い、って言った人も、別に技術力が無いわけではないです。多くのゲームを作ってきた人だし。

ゲーム作るうえでは、こんな細かな話は「些細な事」で、気にする必要はあまりなかったというだけ。



同じ現象はサターン・ST-Vでもありました。

今は、スプライト+BGなんて環境が無くなったので、あまり気にすることは無いと思います。



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別年同日の日記

04年 誕生日?

08年 いろいろ書く

08年 下の子入院

11年 自宅待機

11年 「輪番」停電について

12年 windows8

17年 長男卒業式


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

手相開発時の技術話(4)  2015-03-18 09:05:00  業界記

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先に、僕は当時 awk が使えた、と書きましたが、手相占いの作成の際には awk が大活躍しました。


新人の仕事は、データ整理であることがほとんどです。

プログラムは余り書かせてもらえません。というか、データが多すぎて整理だけで日が暮れます。


…セガは大手だから「プログラマーの」新人が沢山いて、データ整理は新人の仕事でした。

中小メーカーだと、プログラマーって貴重だから、雑用アルバイトの仕事です。

もしくは、「企画」という名目の、雑用の仕事です。


まぁ、誰がやるんでもいいのですが、コンピューター使っていて、コンピューターなら簡単に出来るはずの作業を、なぜか人が延々と繰り返さないといけない。




そんなのコンピューターでやってよ、と思うでしょう。


でも、ゲームプログラマーって、C言語とか、それに類する言語使っていることが多いです。

これで作成したプログラムは、非常に高速に動作する。ゲームを作るのには非常に良い。


その反面、プログラムを組むのが非常に面倒で、デバッグも手間取ります。


そんな言語で、データ整理プログラムを書くのは大変なのです。

誰かが1日かかればなんとかなる作業をするプログラムを書くのに、1日以上かかってしまう。


それに、プログラマーは貴重なので、その貴重な能力を別のことに1日割くことはできません。

結果として、誰かが不毛な作業を延々と繰り返すことになる。




awk で組んだプログラムは、動作が非常に遅いし、できることも非常に限られています。


その代り、「守備範囲」のプログラムであれば、非常に簡単に作れる

うまく動作しない時のデバッグも、すごくやりやすい。



今なら awk よりももっといい言語があります。

でも、当時は awk が「知る人ぞ知る」言語で、perl はまだマイナーでした。ruby は登場前。


awk(1977) も perl(1987) も UNIX 由来のプログラム言語。

 awk を元にして perl が作られ、さらに ruby(1995)が作られています。


 awk は DOS に移植され、スキモノが使ってました。

 perl は当時はまだ基本的に UNIX 用だったので、それほど普及してなかった。

 (もちろん、CPANなんてありませんし、Linux も普及前なので、一部の人しか触れなかったのです)




それはさておき、手相の場合、主な「データ整理作業」は画像の整理で、主に次のようなものでした。



まず、誰かが作った UNIX 用のソフトがありました。

これを使い、デザイナーが描いた画像1ファイルを処理すると、System32 が使えるデータの形式で出力します。


このデータは、2つの出力に別れていました。

まずは、キャラクタ ROM に書き込むためのデータファイル。


そして、このファイルの中身がどのようなものか、標準出力に表示される「画像サイズ」などのデータでした。




ファイルの中身は、アセンブラプログラムの断片になっていました。

ここに、ラベルなどを付けて「画像アドレス」がわかるようにしたうえで、アセンブルします。


画像の差し替えの場合は、すでにラベルが存在している場所を探し出し、中身を置き変えます。


その後、このファイルを「アセンブル」して、画像データの塊であるバイナリを得ます。

このバイナリは、ROM サイズごとに複数に切り分け (UNIX の split を使用)、Intel HEX 形式(ROM にデータを入れる際に使われる形式)に変換します。




「標準出力」に表示される画像サイズなどは、先の画像データにつけられた「ラベル」と一緒にまとめて、データテーブル化します。

これにより、画像のサイズ、データアドレスがわかるようになるので、画像を表示できるようになるのです。


さらに、アニメなどで一緒に使う画像をひとまとめにして、「アニメ用テーブル」を作ります。

このテーブルは、アニメーションする画像群の数だけ出来上がります。


キャラクタ番号何番を、オフセット座標いくつで、何フレーム表示、というのを列記します。



さらに、アニメ用テーブルをまとめるテーブルを作ります。これが「キャラクタ番号」でアニメを表示するためのテーブルとなります。


ただ、キャラクタを番号だけで扱っているとややこしいため、番号を分かりやすい名前で定義します。

Cなら enum で行うところですが、アセンブラなので define の羅列です。



…と、ここまでが「データ整理」の作業。大変です。

こんなことやっていたら、プログラムを作る時間は無くなります。




僕は、手順を理解したところで awk にやらせるためのスクリプトを組みました。


デザイナーから貰った画像を、アニメで一緒に使うグループごとにディレクトリに入れます。

この時、ディレクトリ名が「グループ名」となります。

画像のファイル名は「キャラ名」になります。



ここまで作ったら、あとは awk スクリプト起動。

多数のファイルを次々ツールにかけ、アセンブラを起動し、バイナリを Intel HEX 化し、キャラアドレス・キャラ番号まで作り上げます。


アニメのフレーム数などの指定は無いため、アニメーションテーブルは手で作っていたのではないかな。

値を調整して終わり、という程度の雛形は吐き出していたかも。


ともかく、大変な作業の8割は、awk で自動化できた。


人がやっていると、データの差し替えなんかでミスをすることもありました。

でも、「差し替え」なんて面倒なことを考えず、毎回全部作り直すようにしていたので、画像ディレクトリの中さえ整理をしておけば、間違いのないソースを生成してくれました。


ただし、毎回全ファイルを処理していたので、時間はかかりました。


それでも、15分程度で終わったのではなかったかな。



グラフィックの人から画像データを渡されて、30分後に画面で表示して「動きました」なんて見せると、仕事が速いと驚かれました。

普通、午前中にデータ渡したら夕方に画面に表示される、とかだったのね。




こんな作業もありました。


手相は占いゲームだったので、膨大な文章データがありました。

こちらも、アセンブラのデータの形でソース内に入れ込んで処理、ということになった。


ところが、このアセンブラが…特定の漢字が入ると、動作がおかしくなる問題があったのね。


まぁ、具体的に言えば Shift JIS の 2byte 目が 0x5c の場合、それ以降の文字が化けます。

アセンブラが日本語対応していないという、ありがちな問題。

解決するには、その特定文字を見つけ出し、後ろに \ を入れてやればいいです。


これもデータ整理の問題なのですが、テキスト内から 2byte 目が 0x5c の漢字を探し出して、\ を後ろに入れた上でアセンブラのソースにする、ってプログラム作ったと思います。


これは、絵のデータ整理ほど何回も使うものではなかった。

でも、awk だとこういうプログラムは組みやすいので、すぐに作れる。




あぁ、そうだ。こんなのもあった。


画面に結果を表示するため「JIS 漢字を全部画像として持とう」ということになりました。

とはいえ、当時は Font って、ものすごく高かった。権利買えません。


しかし、著作権の問題もあるから、そのまま使うわけにはいかない。

ベクターフォントを 16x16 で表示したのを並べて、違うフォントだと言えるくらいまで手を加えて、それで使おうということになった。


でも、それを「すべての漢字」についてやるなんて言うのは、気が遠くなる作業。


そこで、画面表示する予定の占い文章の文字を全て1文字づつ切り出して、集計し、使っている文字一覧を作った。

これをテキストファイルにしてデザイナーさんに渡し、Photoshop にテキストを流し込んで文字一覧の画像を得る。


これなら、使わない文字を作業する必要はない。

こんな集計作業も、awk なら簡単です。



出来た画像は、多数の漢字を並べて1枚にしたものですが、ここから 16x16 で切り出して1文字づつにする、という部分まで処理したと思います。

画像の元になったテキストファイルがあるので、どこから切り出したのがどの文字か、もちゃんと紐づけられる。




他にも、そういう「1回しか使わない使い捨てプログラム」を何度も書いたと思います。

awk だけじゃなくて、tcsh なんかも使ってました。適材適所で。


ファイルをまとめてリネーム、とかいう作業が生じた時は、tcsh が便利だった。


デザイナーさんから貰うファイルは、たびたびファイル名の英語がスペルミスしていたりしたので、tcsh でリネームしたりね。

先に書いたように、画像のファイル名を元にソースを自動生成していたので、スペルミスがソース内に持ち込まれると気持ち悪いのね。



手相の時は perl は使いませんでしたが、awk ではちょっと力不足、と考えて、次のプロジェクトの時には perl を覚えました。


今でも awk 好きですけどね。awk の方が適した作業、というのもある。

適材適所で使っています。




ゲームプログラマーを目指している人は、何かこういう「困った時の強力な道具」をひとつは覚えておくと良いです。

絶対に役に立つから。


当時は awk くらいしかなかったけど、いまなら perl や ruby でもいいと思います。

Excel が強力な武器となることもある。状況次第で使い分けられるように、いろいろ覚えておくといい。


企画を目指している人も、不毛な作業をしたくなければ覚えるといいよ。

プログラマーが「やりたくない」雑用仕事は、どんどん企画に回ってくるからね。


#最初のほうに書いた通り、プログラマーは貴重なので、無駄な時間を使わせたくないのです。


だから、企画であっても多少のプログラム能力は無いと、苦労をすることになります。



ところで、こういう道具を使う時は、8割の作業を目指すのがコツ。


データ整理は、目的ではなくて過程です。

過程部分で完璧を目指して苦労するのは無意味。8割できたら後は人がやる、くらいにしておいた方が苦労を最小に出来ます。





書きたいと思っていたことは、大体書き終わった。


また思い出したら急に書くかもしれませんが、次は7月上旬ごろにまとめて書く予定でいます。


業務用ゲームも、発売が多い時期があるのね。

夏休み前に発売したゲームに関わっていたので、そのゲームは7月上旬で20周年になります。



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ぎーちさんにお会いした  2015-03-24 16:54:29  コンピュータ 業界記

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そんなわけで、はじめて入る山猫料理店で、ぎーちさんとお会いしてきました。


僕の意識としては「MSXマガジンのぎーちさん」です。

高校生の時に読んでいたら、ぎーちさんの4コマ漫画がよく載っていました。


だから年上の方だと思っていたら同じ歳でした。

当時のあれは、投稿だったのですね。


現在はテレビゲーム関連のフリーライターをしておられる。



何でそんな人と会って話をすることになったのだろう…





まずは、ぎーちさんのこちらのツイート。

話の流れを説明しないと、いきなりわからないかもね。


マイコンBASICマガジン、というのは、その昔存在した伝説の雑誌。

…いや、伝説とかいうと持ち上げすぎだし、全然説明になっていない。


パソコン黎明期は、パソコンと言う機械を買ってきて(もしくは部品のセットを組み立てて)、自分でプログラムして使うのが当たり前だった。

「ラジオの製作」という、名前の通り電子部品の組み立て趣味の人向けの雑誌でも、パソコンの記事がたびたび載っていた。


でも、電子回路がわかる、というのと、プログラムがわかる、というのは別問題だ。

コンピューターを手に入れたはいいが、どう使っていいかわからない、という人々が多数いた。


そこで、ラジオの製作では、プログラムの投稿を受け付けた。

パソコンを役立てられるプログラムを掲載すれば、「どうしていいか分からない」人たちに道を示せる。


これが大人気で、本誌には乗せられないほどのプログラムが来て、別冊として「マイコンBASICマガジン」が発売され、やがて独立した雑誌となっていく。



これ、アメリカのパソコン黎明期の、「PCC」「DDJ」と全く同じ構図だ。

ピープルズ・コンピューター・カンパニー(PCC)は、パソコンを自作する人たち向けの会報だった。

やがてプログラムが投稿され、1度だけ別冊で「ドクター・ドブズ・ジャーナル」(DDJ)が発行され、定期刊行化されていく…




マイコンBASICマガジン(以下ベーマガ)以外にも、プログラムを掲載する雑誌はあった。

それらの雑誌では、レベルの高いプログラム…時には市販ゲームのプログラムを掲載した。


ベーマガはそれらとは一線を画した編集方針を取った。

ベーマガのプログラムは、すべて素人が作ったもので、レベルも低く、非常に短かった。


荒削りで短い、というのは「改良の余地がいくらでもある」ということだ。

改良版、移植版、元ネタからインスピレーションを受けた別のゲーム、など次々投稿された。


当時のパソコンは、とにかくいろんな会社から出ていて、互換性がなかった。

ベーマガではありとあらゆる機種のプログラムを載せていて、50機種以上あったのではないだろうか。


とはいえ、基本的にどの機種も「BASIC」言語を搭載している。

文法やハードウェア性能などに違いはあるけど、根本的には似ている。

移植のテクニックなどを教える記事もあり、他にも機械語入門、ゲームを作るうえでのアルゴリズムの考え方など、様々な解説記事もあった。


「すごいプログラムに触れ、真似てみる」ことも奨励されている節があった。

そのため、普段見る機会の少ない海外のゲームの紹介記事や、業務用ゲームの紹介・攻略などの記事もあった。


ある時、「ゲームスタジオ」を解答陣に迎えた、ゲームプログラミング講座のページができた。


ゲームスタジオって、ゼビウス作った遠藤雅伸さんを中心として独立したゲーム作成会社ね。

素人が「こういう処理どうやんの?」とか、「ドット絵を動かすコツ教えて」とか質問したことに、プロが丁重に答えてくれる。


同じころ、誌上公開質問状、というページも出来た。

パソコンメーカーの営業や開発者に、疑問や質問を直接ぶつけられる。



プログラムの初歩から、プロが教えるコツまで。とにかく幅の広い雑誌だった。

もちろん、読者投稿コーナーもある。プログラムも投稿で成り立っているけど、漫画、イラスト、ネタ、なんでもこいだった。


充実したベーマガはもちろん大人気で、1980年代中盤から後半にかけ、黄金期を迎えたように思う。




さて、そんなベーマガも、今は休刊した。

休刊、というのは雑誌業界の方便で、「休んでいる」わけではない。休刊と言った場合、事実上は廃刊だ。


#廃刊にすると、雑誌発行に必要な ISBN コードというものを返却しなくてはならない。

 いろんな都合でこのコードを取得するのは大変なので、「休んでいるだけ」ということにして保持し、別の雑誌に使ったりする。


ところが、休刊したベーマガが復活するという。

いきなり雑誌になるのではなく、別の雑誌の1コーナーとして、だけど。



最近、電子工作がまた復権している。

ハードよりソフトの時代になり、電子工作を行う人は一旦減った。


しかし、現在では昔より高性能の部品が増え、簡単な工作で新しいものを作り出せる。

ハードとソフトは別の物ではなくなり、電子工作の一部としてのプログラム、もあり得るし、プログラムの一部としての電子工作もあり得る。


その昔、「ラジオの製作」で、自作したパソコンのプログラムを掲載し始めた時と状況は似ている。


海外に Raspberry Pi という電子工作キットがある。

非常に小さな基板だが、Linux を動作させられる。I/O ポートなどむき出しなので、LED やセンサーを繋いで、プログラムして遊べる。


同じような環境を、日本人が作りだした。 IchigoJam という。

Linux は実のところ初心者向けではない、という思想で、BASIC を搭載している。


同様に、Nintendo 3DS に「プチコン」というアプリケーションがある。


「初心者でも扱える言語」として BASIC を扱える。

こちらの BASIC は非常に強力で、3DS の機能をガシガシ扱えるし、即時コンパイル実行なので非常に高速に動く。


そして、先に書いたように、「電子工作マガジン」のコーナーとして、ベーマガが復活した。

まずは IchigoJam から、となっているが、プログラムの投稿を受け付けている。



さて、もう一度先ほどの、ぎーちさんのツイートを振り返ろう。



上に書いたように、ベーマガも復活し、「プログラムを作る」ことが再びブームの兆しを見せる中、ベーマガの投稿者の話を聞いてみたい、とのことだった。


僕はこのツイートに返信…はせずに、リツイートして自分のつぶやきとしてこう書いた。



ツイートに「お呼びでない」と書いた通り、冗談だったつもり。僕は常連ではなかったからね。


ベーマガ常連だった「Bug太郎」さんとか、アスキーから2005年に発行された PC-8001・6001 の懐古本にインタビュー載ってたね。

そういう記事を書きたいのだと思っていた。



…で、なぜか常連でもない僕が、今日ぎーちさんと会ってお話してきたわけです (^^;;




ぎーちさんは本当に「投稿者の話を聞きたかった」だけだそうです。


ぎーちさん自身、何度か載った投稿者で、他の人が自分と同じ気持ちで投稿をしていたのか、それとも違ったのか…などを確かめたかっただけだそうで。


僕もゲームプログラマーだった人間で、ぎーちさんもゲーム関連のフリーライターしている。

だから、サンプルとしては偏っているかもしれない。


それに、ベーマガの話とはどんどん脱線しつつ、いろいろと楽しい話をしてきました。


話が楽しかったので、サイン貰おうとぎーちさんの漫画が載っているMSXマガジン永久保存版3を持っていったのに、サイン貰い忘れました (^^;




自分でも半ば忘れていたような話も、人に話していると思い出したりするもんです。


ベーマガ投稿などの話は、いわゆる「ゲーム業界記」ではないのだけど、すでにゲーム業界記と言いつつ自分の昔話になっているので、今後少しづつ書き留めていこうかと思います。



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ベーマガに出会うまで  2015-03-25 18:01:29  コンピュータ 業界記

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ぎーちさんとの対談(?)の最初のテーマは「ゲームを作り始めたきっかけ」だったのだと思います。多分。


なんとなく話ししながら、自然な流れでそうなっていったので、特に質問があったわけでもないのね。

だから脱線しまくり。その後の質問でも、脱線したまま質問に答えてなかったりすることも多く、改めてぎーちさん宛ての返答も兼ねて、ここに書き留めます。




冒頭の質問。ゲームを作り始めたきっかけ。

これは、「ゲーム作り」と「プログラム」の両方の意味があるのと思いますが、分離できないのでごっちゃに。



覚えている最初は、小学校2年の時に東京タワーに連れて行ってもらったことです。

ここで、「コンピューター展」みたいなイベントをやっていた


発売直後の PC-8001 で動くゲームを見て、強い興味を持っています。

これが初めてパソコンを見た記憶。




小学校3年の時、友達の家に積んであった古本の中に、「初歩のラジオ」を発見します。

その頃、電気回路にも興味があった。


丁度発見した号は、小学生でもわかるくらい簡単な「電気工作」を楽しむ趣旨の特集が載っていて、古本で捨てるものだから、と譲り受けました。


この本を隅々まで読みました。その中に、丁度連載第1回の「BASIC 講座」がありました。

簡単な内容を何度も読み返し、興味を持ちます。




この頃、年の離れた兄と一緒に、はじめて「ゲームセンター」に行ったのではないかな。

テレビゲームってスペースインベーダーのこと、と思っていたのですが、もっとゲームの世界は広いと知ります。


ドンキーコングが最新ゲームだったはず。

兄が1度だけ遊ばせてくれたけど、面白いと思う前に終わったのじゃないかな。


その後、ゲームセンターに行かないでも駄菓子屋などにゲームが置いてある、と知ります。




小学校4年の時、貯金を使って学研の電子ブロック「FXマイコン」を購入。


上に書いたように電子回路にも興味がありましたし、パソコンにも興味があった。

それなりに遊んだのだけど、機械語だったので自分でプログラムなんて組めない。




確か同じころ、友達の家にゲームのテーブル筐体が持ち込まれました。

親戚の家が喫茶店やっていて、1台余ったから「しばらく置かせてくれ」と持ってきたのだとか。


日本物産のローリングクラッシュでした。


遊んだのは3度ほどだと思いますが、フリープレイだったので攻略して、ノートに「面クリアパターン」まとめました。

初めての「やり込んだゲーム」。




小学校5年の時、ファミコン発売。

これも自分の貯めていたお年玉貯金で購入。


すごく面白かったのだけど、ふと「あれ、コンピューターって、自分でプログラムできるじゃなかったっけ?」と気づきます。

ファミリー「コンピューター」のはずだけど、これはコンピューターじゃない。ただのゲーム機だ。




小学校6年の時、ファミコンは大ブームになっています。

欲しくても買えなかった友達が、親が代わりに MSX を買ってきました。


その友達は、本当はファミコンがやりたい。僕は、プログラムがやりたい。

利害が一致して、1か月くらいの間交換します。


これが、はじめての BASIC 。

それまで、憧れて書籍などを読んで勉強はしていましたが、急に使えるはずもない。


MSX-BASIC って、実行を途中で一時停止する機能あるんだよね。


3つの数字が適当に表示が変わるのを「一時停止」して、揃ったら成功、というスロットマシン作った覚えがあります。

一時停止するって、ゲームでもなんでもない。でも、自分としてはゲームを作ったつもり。


セーブする方法がなかったので、電源を切ったらプログラムが消えます。

翌日、改良案を思いついたら昨日と同じものを作ったうえで、改良する。


毎日毎日、同じようなプログラムを作りつづけました。

同じのつもりでも、「同じことを実現する、もっとスマートなやり方」とかを思いついて、改良されていく。


同じものを作るしかなかったから、自然に改良が進みました。

この時は「面倒くさい」って思ってたけど、今考えると非常にいいトレーニング方法。




中学1年で、ファミリーベーシックが発売されます。

誕生日の直前だった。お年玉貯金で…買うにはお金が足りなかった。

ファミコン発売以前は、お金って特に使わず貯金してたけど、ファミコン以降はゲーム買ってたから。


誕生日に、親が半分くらい援助してくれて、ファミリーベーシックを手に入れます。




BASIC の勉強になる本は無いか…探しに行った本屋でベーマガと出合います。

丁度「ファミリーベーシック発売」という速報が掲載されていて、サンプルプログラムがあった。(1984年8月号)


この号から購入を開始。

翌号からは投稿プログラムが掲載されていました。


ベーマガでは、ファミベ用はもちろん、他の機種用のプログラムも結構目を通していました。

面白そうなゲームは移植を試みたりね。




というわけで、冒頭の質問の答え。


僕の場合、ゲームとパソコン・プログラムは同時進行で好きになり、どれも十分に手を出せないまま、憧れている期間が長く続きました。

機械持ってないのに、BASIC の本だけ何度も読み返したりね。


中学1年でファミベを入手して、それを期にゲームのプログラムに一気にのめり込みます。

すでに知識はあるので、難しそうという意識はなかった。


ただ、それなりにまともなゲームが作れるようになるのは、もう少し後の話になります。



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ゲームの条件  2015-03-25 18:20:46  業界記

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ぎーちさんとの対談は、話があちこちに脱線しまくっていたので、答えられていない質問もいっぱいあります。

僕の現在の考えを記録する良い機会なので、昔話と並行して書いていきます。


個人の意見だから、読んでも何も役立たないよ、ということは先に断わっておきます。




質問の一つに「ゲームが成立する条件として、お金を払うことは必要と思うか」というものがありました。


質問意図としては、業務用にしろ家庭用にしろ、お金を払って遊ばないとゲームがつまらなく感じられる、ということかと思います。


スマホ時代になって、無料ゲームがよく配布されていますが、これがつまらないと言われることが多いです。

また、業務用のゲームなどで、イベントで「フリープレイ」(無料で何度でも遊べること)になった途端に面白く感じなくなる、という現象も、実際に存在します。




僕としては、ゲームに必要なものは2つだけだと思います。


1) 目的

2) 障害(目的を阻害するもの)


これが揃っていればゲームとなる可能性があります。

可能性だけね。揃っていても、バランスが悪いとゲームとして成立しない。


障害が適切でないと、ゲームがつまらなくなります。

敵が強すぎてクリアできる気がしない、敵が弱すぎてすぐクリアできてしまう、などね。




ところで、もっと根源的な問いを出します。

ゲームって何のために存在するのでしょう?


娯楽のため? 現代的にはそうでしょう。

でも、娯楽なんて行う余裕がない時代から、ゲーム自体は存在しています。


ゲームは、殺し合いを避けるために存在したのだという説があります。

僕はその説を支持しています。



腹を空かした原始人が5人いたとします。

協力して狩りをして獲物を得たのですが、2人分しかありません。


どうしましょう。協力したのだから、少しづつ分ける、というのも方法です。

でも、それだと分け前は少しで、空腹が収まりません。


殺し合いを初めて、3人減れば2人は満腹になります。

でも、自分が殺されるかもしれないリスクは避けたい。ここは穏便に行きたいところです。



そこで、平べったい石を見つけてきて、片側に動物の血で印を付けます。

一人づつ空中に投げ、落ちた時に血が付いた側が見えたら、獲物を貰う権利があります。

逆側が上になったら権利放棄。


権利者多数ならその中でやり直し。権利者が少ないなら敗者復活。

これで2人が獲物にありつき、残りの3人は別の獲物を探しに行きます。



上に書いたのは全くの想像だけど、おそらく初期の「ゲーム」とはこうしたものであったはずです。




外国のゲームセンターでは、一定の基準をクリアすれば景品を出す、というのが普通に行われています。

今でも、ゲームをやる動機として「成功報酬を得る」というのは、大切なのです。


日本でも、パチンコとか、競馬とか、成功報酬が得られるゲームはあります。


…が、なぜか風俗営業法で、テレビゲームは景品を提供してはならないことになりました。

ここで、日本のゲームは独自の進化を遂げます。


報酬を、物から情報に変化させたのです。


いわゆる「先の面が見たい」からゲームをする状態。

「ハイスコアを取りたい」「カンストしたい」でも、なんでもいいです。

景品もないのにゲームを遊びたくなる仕掛けを用意した。



大切なことは、報酬が情報に変わっても、これが「成功者に」与えられるものだったことです。




ところで、ある時テレビゲームに革命が起きました。


「コンティニュー」の登場です。ドルアーガの塔が最初だったんじゃないかな。


ゲームセンターにとって、ゲームは「商売」です。ゲームが面白いかどうかより、お金が入ることの方が大切。

本来、成功者への報酬だったはずの「先の面が見たい」は、お金で解決できる問題となりました。


これ、最初に書いたゲームの条件の一つとしては「障害」が軽くなった、ということですね。


でも、コンティニューにはお金が必要です。無限に続けることはできません。


しかも、途中から始めるということは、いきなり難しいところから続けるのです。

続けても続けても、遊べる時間はどんどん少なくなっていく…


「障害」の一つとして「有限のお金」がゲームのルールに組み込まれたのです。




さて、ここで最初の「お金を払うことは必要か」という質問に戻ります。


今、有限のお金がゲームのルールに組み込まれた、と書きました。

これが「お金を払わないでよい」となったらどうなるでしょう?


もはや、ゲームに障害は存在しなくなります。

誰でも目的に到達できるようになります。


これは、最初に書いた「目的と障害のバランスが悪い」状態で、つまらないゲームです。



でも、注意してください。

「無料になったからつまらなくなった」のではありません。


ゲームの大切なルールとして組み込まれていた「お金は有限」という部分を変更してしまったのがつまらなくなった原因です。


もっと端的に言えば、ゲームのルールに手を加えたらつまらなくなった、というだけ。

改造して無敵にしたらつまらなくなった、というのと同じで、当たり前です。




無料でも面白いゲーム、というのは存在し得ます。


情報としての報酬は、無料でも出すことができます。

ただし、「先の面が見たくなる」ような構成を行うには、それなりの開発資金が必要です。


どういう方法で資金回収するかは、開発側の問題。

ともかく、プレイヤーにとって面白いのに無料、は実現できるし、すでに多数存在しています。



ただ、これで面白いゲームは、おそらく遊ぶ人を選びます。万人受けするゲームではない。

コンティニュー不可、何度でも遊んでいいけど、腕が無いと先に進めない、というゲームになるから。


難易度は多少低めに設定して、練習すれば誰でも最後に到達できる、くらいにすれば万人受けするかな。

この場合、上級者でも楽しめる仕掛けを入れておくのを忘れずに。



誰でも最後まで行けるゲームは、ゲーム好きにとって簡単すぎてつまらない。

それでは「無料ゲームはやっぱつまらない」になってしまう。


でも、一見難易度が低くても、隠された「上級者向けの目的」に気付いたとたんに難易度が跳ね上がる、というゲームの作り方もできる。




初代ピクミンがそうだった。

気付かないプレイヤーには「簡単すぎる」「つまらない」と言われていたのだけど、一部の「気づいた」人は、非常に難易度の高い、攻略しがいのあるゲームとして遊んでいた。



ただ、ピクミンほど作り込んだゲームは、プロでないと作れないと思います。

そして、プロが作ったゲームを無料で遊ばせたら割に合わない。



お金を払わないゲームがつまらない、ということは無いと思っていますが、無料で遊ばせてくれる程度のゲームはつまらない、ということはあるかもしれません。



ところで、以下は完全に余談。


昨年末に、Amazon が Android 用の「チューチューロケット」を無料で配布していました。

Amazon アプリの広告の一環として、広告費でセガのゲームを無料配布したのね。


これは、「開発がどうにか資金回収し、ユーザーには無料提供」というモデルケース。

実はこのゲーム、昔遊びたかったけど、遊んでなかったんだよねー。


「すでに存在する」と書いた無料で面白いゲームの一つとして、これを想定していました。



昔は市販したクオリティのゲームの移植ですが、操作はスマホでやりやすいように改めています。

でも、ゲーム内容はまったくそのまま。良移植。


パズルゲームなので、じっくり考えられれば誰でも解ける。

考えて判らないなら、試行錯誤で何とかなる。


逆に言うと、解けない面があっても、お金払ってヒント貰ったりはできない。

その点ではやはり、昔風のゲーム。遊ぶ人を選びます。


#昔のゲームのそのままなので、すでに解答を書いたページも多数あります。

 でも、パズルなので「解答を見る」のはゲームをつまらなくするだけ。


 ゲームの外側にある「ゲームのルール」をどうするか、プレイヤーの心構えが問われます。

 そんな部分も、やっぱり遊ぶ人を選ぶ昔風のゲーム。



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作り棄てる日々  2015-03-26 20:00:14  コンピュータ 業界記

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昨日の続き。


ファミベ入手してからは、ひたすらプログラムを作り棄てていました。


作り棄てる、って変な言い方だし、当時は作り溜めていたつもりなのだけど、一度作ったゲームはセーブされ、2度とロードされない感じ。


ファミリーベーシックは、2Kbyte しかメモリがありませんでした。

この中で、作りたい内容を詰め込むと、1日でだいたいメモリいっぱいまで使ってしまう。


中学では部活はやらず、パソコン仲間とゲームを見せ合ったりしていました。

誰とも遊ばない日はゲーム作成。


だから、大体プログラム時間は3~4時間くらい。これでメモリ限界に達するほどメモリが小さい。



あのゲームみたいなの作りたいな、って思ったら、そのゲームの何が面白いのか、自分なりに考えてみる。


大きなプログラムは作れないから、作りたいゲームの中でも特定箇所に絞って真似してみる。

ファミベーはキャラクタは ROM で書き変えられないから、見た目は真似できない。動きをどう似せるか考える。

動きも BASIC で遅いから真似できないなら、遅くても実現できる方法を考える。


「考える」のはいつでもできるので、それこそ1日中。プログラム作業は上に書いたように3~4時間。

これで、ゲーム1本出来上がり。

出来が悪くても良くても、メモリ限界でそれ以上の改良はできません。



もう、毎日すごく小さな目標を立てて、それを実現してみる、というそれだけです。

作ったものは、ゲームのつもりだけどゲームになっていなかったりする。


毎日毎日作っているから、同じような処理もひたすら書き続けます。

写経みたいなもので、毎日書いているとより良い処理方法がわかってくる。


以前作ったゲームは大切に置いてあるのだけど、今日のプログラムより出来が悪いとわかっている。

だからロードして遊ぶことは無い。メモリ限界なので改良だってできないし。




自分でも覚えている、できの悪いゲームを書いておきます。


夢幻の心臓」をみて、へー、こういうの RPG っていうのか、と作ってみた。

内部的には大きなマップがあって、一部を表示してスクロールする…まぁ、後のドラクエと同じです。

(この時点ではドラクエ発売前)


時々敵が出てきて、戦ったり戦わなかったりする。

でも、この部分の処理がよくわからない。


なんか、敵と戦って自分が強くなったりするんだけど、適当にパラメータ決める。

敵も適当。戦いも、パラメータを元に乱数で「勝った」「負けた」って決める。


友達に遊ばしたら「おめー、RPG ってのはそうじゃねーよ」と。

マップの表示の仕方とか、見た目は真似しているのだけど、重要な部分が全然判って無い。



また別の物。

ロードランナーみたいな「アクションパズル」を作りたい。

でも、パズルって作るの難しい。じゃぁ、良く知られている名作パズルをアクションにしてみよう。


ペグソリティアをアクションゲームにしました。


ペグソリティアって、単純なルールなのだけどパズルとして非常に難しい「名作」ね。

そんな難しいものを、敵から逃げ回ったりしながら解かなくちゃならない。


自分は解き方をわかっていて遊ぶから面クリアできるけど、他の人は誰もクリアできない。

パズルをアクションゲームにすればアクションパズルなのではない、と知りました。



ゼビウスもどきの流行していた時期。自分も似たの作りたいと思いました。

でも、あんなスクロール BASIC じゃできない。


サイオン」というゲームがありました。

このゲーム、スクロールするのだけど、1画面しかないのね。画面下に消えたものが、すぐ上から出てくる。


これなら作れるんじゃないか。真似します。


BASIC でスクロールはできないけど、一番下の行に何か書けば、1行上にスクロールする。

一番上の行を一番下にコピーすれば、1画面がループスクロールする…


進行方向は本物の逆なのだけど、そんなことは些細な問題だ!


「サイオン」は、画面内の地上物(攻撃してこない)を全部撃つと面クリア。

この部分まで作りましたが、空中物を出す余裕がなくなった。


シューティングゲームなのだけど、地上物しかいません。敵の攻撃もない。



…ロクでもないゲームばっかだな。

それでも、ここら辺のゲームは1日ではできず、2~3日かかった「出来の良いゲーム」のはず。

じゃなきゃ、覚えているわけがない。


とにかく、作ることが楽しかった。出来上がったゲームの質なんて、どうでもよかった。




ベーマガは毎月買って、熟読していたように思います。

欄外の読者投稿欄、OFコーナーも読んでましたし、スーパーソフトマガジン(後にコーナーになる)も読んでた。


他機種のプログラムでも良く読んで、どうすればどんなことができるのか、研究していました。


ある日、FM-7 を持っている友人の家に行ったら、友達がベーマガのゲームを打ち込んでいたんです。

でも、動きがおかしい。エラーが出て止まるならその行に誤りがあるのだろうけど、何が悪いのかわからない。


僕は FM-7 は持ってなかったのですが、リストは読めました。

「おかしな動作」からどこら辺のプログラムが関連していそうかアタリを付け、その付近のリストをよく読みます。


それで、このあたりの変数が間違ってんじゃないかな…と、FM-7 に入っているプログラムと見比べます。


たしか、変数名の 1 と I が間違ってる、とか、すごくわかりにくい間違いだったともう。

持ってもいない機種のプログラムを読んで、バグ修正したので友達に驚かれた覚えがあります。




他に、Beep! も読んでいましたが、お小遣いの都合でこちらは「面白そうな号」のみを購入。後は好きなコーナーだけ立ち読み。

プログラムポシェットも注目していましたが、こちらはほぼ立ち読みのみ。


バックアップ活用テクニックも、ファミコン解析特集の号とかは買いました。今でも置いてあります。


いろんなプログラムを読んで、些細なテクニックに感心する。

それを繰り返して、技術を覚えていきました。



ある時、ファミリーベーシックに「V3」カートリッジが発売されます。

ベーシックは初期型の V1、いつの間にか更新された V2 があって、V3 は別売りだった。


テレビCMでは、V3 でマイク入力を使ったゲームをやっているのね。

すげー、そんなことできるんだ。お店でチラシを貰います。


ところが、チラシにあった命令一覧を見ても「マイク入力」を検知する命令は載っていない。

その、マイク入力プログラムの画面写真が載っていて、ちらっとプログラムも出ていました。


その中に、PEEK(&H4016) という一文があった。これなんだ?

PEEK は、メモリの内容を読み出す命令です。怪しすぎる。もしかしたら…


プログラムを作って実験したら、V2 でもマイク入力が読み取れることがわかりました。

CMを真似たゲームを作って、友達に見せて驚かせます。



プログラムポシェットのある号に、「マシンごっこ」というプログラムが載っていました。

BASIC からメモリに特定の値を書き込み、そこを実行している。名前の通りマシン語プログラムです。


このプログラム、なんと画面が滑らかにスクロールする、というもの。

「マシン語だからこんなことができる」と書かれていたように思います。


すごく気になった。この号に他に欲しい情報はなく、欲しいのは10byte 程度のマシン語の内容のみ。

メモ用紙に鉛筆で書き留めて、家に帰って解析しました。


#今考えると情報万引きです (^^; 当時その意識はなかったのだけど、真似してはなりませぬ。


当時はまだ、マシン語がわかったわけではありません。

でも、ベーマガの Dr.D のマシン語寺子屋に、6502 の主要命令など出ていたと思う。

バッ活の解析記事も参考にしたかもしれない。


結局このプログラム、単に POKE 命令(PEEK の逆)をやっているだけだと判明します。

BASIC で書けるのだけど、この機能の投稿者が、詳細不明のまま人を驚かせようとしてわかりにくい表現をしただけ。


こちらも、「マシン語だから出来る」に対し、BASIC で同じことをやってみせて友達を驚かせます。



とにかく、ファミベーでもそうでなくても、人のプログラムをよく読んだ。

そして、面白くもなんともないプログラムを良く書き散らかした。




プログラム上達のコツは、とにかくたくさんのプログラムを書くことだと思います。

大抵のプログラマーが、上達のコツを聞かれて同じように答えますけどね。


綺麗に書こうと悩むより、汚くても書いて動かしてしまう。

動いたら、もうそれは終わり。綺麗に書きなおそうとかし始めると、疲れるだけだからやらない。


より良い機能を作るより、新しい機能を作る。

1からくみ上げるのは楽しいのだけど、最後の仕上げをするのって疲れるから、楽しいところだけどんどんやっていく。


プログラムって、8割完成で止めておくのがいいです。

仕事だとそうも言ってられないのだけどね。


ファミリーベーシックはメモリが少なかったため、望まずにこれが実現できていたことになります。

当時はもっとメモリが欲しい、と思っていたのだけど、メモリが多かったら同じプログラムばかりいじり続けていて、プログラム上達しなかったかもしれません。



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ゲームのルール  2015-03-26 20:59:41  業界記

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昨日書いた「目的と障害があればゲーム」という話、ぎーちさんとの会談の際には、全く言ってないのね。


「課金しないゲームは成立するか」という質問に対して、昨日書いた話をおぼろげに思いつつ、先に例をあげた。

そしたら、その例の話から違う方に話が進んでしまった。


今日は、そちらの「例」の話を書いてみます。




その昔、「クイズ100人に聞きました」というクイズ番組がありました。

僕は、これをよく出来たゲームの例として真っ先に挙げたのです。


昔は、このクイズ番組を日本中の人が理解して、楽しんでいました。

もちろん全員が見ていたわけではないけど、知らない人はいないくらいに人気番組でした。


この番組、おそらく今放映したら「意味不明」と言われてしまうでしょう。

クイズなのだけど、すごく変わった番組構成だった。



番組は、視聴者応募の2チーム対抗によるクイズ戦です。

でも、早押しとかではない。2チームが非対称な立場になります。片方のチームは圧倒的不利、というのが普通。


まず、最初は早押しで先攻後攻を決めます。

ただ、早く答えればいいのではない。「より得点の高い答え」を出したほうが先攻権を取ります。


問題は全て、タイトル通り「100人に聞いた」アンケート結果です。

このアンケートで、多く出た答えを当てる。回答人数がそのまま得点となります。


先攻チームは、3回まで間違えてよく、全部で5~7個程度の正解を、どんどん当てていきます。

でも、重要なのは、当てた得点はまだ先攻チームの物ではない、ということ。



先攻チームの回答が終わった時点で、後攻の番です。

後攻チームが答える権利は、たった1回のみ。しかも、分かりやすい回答は先攻チームにあらかた答えられており、回答人数の少ない答えを当てなくてはなりません。


でも、これに成功すると、先攻チームの当てた回答の得点も含め、すべての得点が後攻チームの物になります。




大切なのは、先攻チームが頑張ればがんばるほど、後攻チームの得点が上がる可能性がある、ということです。

これはあくまでも「可能性」だけで、実際にはその得点を得る難度は上がります。


得点するという「目的」が達成できるチャンスほど、それを阻む「障害」も大きくなるのです。


良いゲームバランス、とはこういうものを言います。

クイズ100人に聞きましたは、ゲームのルールが非常に良くできていて、状況に応じて常にゲームバランスが保たれ続ける構造だったのです。



この番組が特別だったのではありません。

当時、こういうクイズ番組が非常にたくさんある。


「なるほど ザ・ワールド」では、解答席に1~4の順位が付いていた。

こちらでも権利が平等ではなく、1位の人から順に解答権があります。


1位が不正解なら2位に、2位が不正解なら3位に解答権が回ってくる。


4位の人には解答のチャンスがあまり来ません。

その代り、もしチャンスが回ってきた時には、1~3位の「間違えだった」回答がヒントになっている。


目的達成のチャンスが少ない人ほど難易度も下がる、という仕組みでゲームバランスを保っているのです。



ところで、正解すると上の順位に上がることができます。


「正解すると難易度が上がる」という、これもゲームバランスを保つ仕組みです。

最終的に1位の人が勝ちなのだけど、1位を保ち続けるにはノーヒントで正解し続けるしかない。


単純だけどよく出来ていました。



当時はこんな風に、番組のどこかに「ゲーム要素」を入れるのが当たり前だったのね。

視聴者もルールを理解して楽しめた。


ところが、今はそういうつくり方は流行しません。


頭が悪くなったとかではないよ。テレビを真剣に見る人が減ったから。

忙しい時代になって、途中から5分見ただけでも理解できる番組でないと、見てくれなくなった。



ぎーちさんにはポケットメイトの話もしました。

昔書いた話のままなので、詳細はそっちの日記参照。


昔の子供向けゲームって、ルールを自由に変えても構わなかった。

みんな面白いルールを考えて勝手に改変するのが普通だった。




昔は、テレビ番組を見ていても「巧妙なルール」があるし、ゲームで遊んでいてもルールを自分の好きなように変えられる。

当時の子供は「ルール次第で面白さが変わる」ことをどこかで知っていたように思います。


ところが、今のテレビゲームは自分でルール改変はできない。


これは、ゲームを自由に楽しむことを難しくしているのではないか?

そして、子供たちから考える力を奪ってしまっているのではないか?


…という趣旨でぎーちさんには話をしていました。


まぁ、趣旨としてはそれほど間違ってない。

今の子供…に限らず、現代日本人は、昔の人よりルールを作る能力が落ちている気がする。




ただ、昨日の記事を書いていて、ちょっと気が変わった。

文章にすることで、自分の考えが整理されたんですね。



テレビゲームでも、ルール改変できました。


ノーコンティニュークリアを目指す、ノーミスクリアを目指す、特定アイテムを使わない縛りプレイ…などなど。

これらは、自分にとって簡単すぎるゲームに対し、ルールを改変することで「難易度調整」をする遊び方です。


昨日も例に出したピクミンでは、「最短日数クリア」と「最少人数クリア」で、全然違う遊び方が必要になる。

30日でクリアしつつ、どこまで人数を増やせるかとか、1日での増加人数で競う方法もある。


「自分で決めたルール」によって、ゲームは全く違う顔を見せ始めるのです。




先日、世界初のドットリ君大会、という話を書きました。


…えーと、ここでお詫びしておきましょう。

ドットリ君ね、先日の記事では「面白いよ」と書きましたが、ゲームとしてはつまらないです(笑)


僕はつまらないゲームを見ると、すぐに「違う目的」を作るのね。そうすると面白くなる。

ドットリ君だと、4面クリア位を目指すと結構難しい、攻略しがいのあるゲームになる。


でも、そんなことしないでも、もっと面白いゲームは沢山ある。

「面白い」と書いたのを真に受けて遊ぶより、もっと面白いゲームで遊んだほうがいいです。



ドットリ君大会に話を戻します。

その大会では、「2台を使った対戦形式。1面クリアが速いほうが勝ち」という方法で遊んでいました。


これも、「違う目的」を掲げているのね。

「対戦相手に勝つ」というのが目的の新しいゲームを始めただけで、ドットリ君を楽しんでいるのではない。


ただ、このゲームに勝つためにはドットリ君の腕を磨かなくてはならないし、「腕を磨く」という目標ができると、ゲームはまた面白くなる。




ゲームは「目的」と「障害」があれば成立する、と昨日書きました。


この目的は、遊ぶ人の心構え次第で、いくらでも変えることができます。

そして、目的の設定次第で障害の強さも自由に変えられます。



昨日は「お金」がゲームの面白さに及ぼす影響を書きましたけど、それだけじゃないです。

テレビゲームだからって、プログラムの中で完結しているわけじゃない。


外側の世界とどうつなげるかで、面白さが全然変わってくるという、昨日と同じ結論です。


#だって、昨日と同じ話を違う切り口で書いているんだもん。




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ファミリーベーシック V3(1985) ディスクシステム(1986)の発売日【日記 19/02/21】

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ベーマガ投稿  2015-03-27 19:30:17  業界記

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ぎーちさんからの質問。


「繰り返しベーマガ投稿した動機は何ですか?」

ぎーちさんの場合、「今月は載っているかな」というワクワク感だったそうです。


この質問を念頭に、前回の続きの話を書いていきます。




ファミベで作ったプログラムは友達に見せたりしてました。

ゲームとしてはつまらないのだけど、お互い作ったプログラムを見せ合う、というのが楽しかった。


特に仲良かった仲間が、持っている機種がバラバラ。

FM-7、PC8801、PC6001mkII、そして、ファミベが僕含めて2人。


時々遊ぶ仲間になると、MSX、88SR、FM77AV、X1、PC-1245(ポケコン)…ファミベは計5人くらい持ってたかな。

X1 持ってたやつが SC-3000 も持ってて、使っていないというのでしばらく借りた覚えもある。




それはさておき、仲良かった FM-7 持ちが、「みんなそれぞれゲーム作ってるんだから、統一ブランド作ろう」とか言い出します。


じゃぁ、言い出しっぺのお前が何か名前考えろ、と言ったら「アンタレス・ソフト」とか言ったんじゃなかったかな。

なんで? って聞いたら、海外にシリウスソフトってあるから、星の名前ならいいんじゃない? という理屈でした。


それだと物まねだから、違うものにしようと言ったら、「ベテルギウス、アルタイル、カペラ、ベガ」って、知っている星の名前を適当に言ってきます。


だから、それじゃ物まねだから星から離れようよ、と言ったら「オリオン」。

単に星の名前ではなく星座になった。まぁ、ちょっと離れた。


ただ、オリオンって…駄菓子みたいだし、あまりにも知られ過ぎてる星座でカッコよさが無い。


「じゃぁ、ペガスス」と言われます。うーん、まぁ、オリオンよりはいいかな。

…ということで、統一ブランドは「Pegasus soft」に決定。



ところが、この頃からファミコンブームが本格化して、みんなゲーム作るより、買ってきて遊ぶのに夢中になっちゃった。

統一ブランド、とか言い出した奴が、真っ先にゲーム作らなくなったように思います。


結局、この名前使っていたのは、僕ともう一人のファミベー使いの二人だけになりました。




ファミベ買ったけどプログラム組めない奴が、V3買ったら組めるようになるんじゃないかと期待して買いました。

でも、当然組めるようになんてならない。


半額でいいから買わない? と持ち掛けられ、喜んで買い取ります。


V3って、ファミベのバージョンアップ版ね。

命令も増えたけど、最大の違いは容量が 4Kbyte と倍増したこと。


倍増してもまだまだ狭いのだけど、その時の僕には広大な地平が広がったように思えた。

何か壮大なゲームを作ってやろう、と画策します。



なにかで、3D迷路のマップ表現方法を知りました。これ使ってみよう。

ただの迷路じゃ面白くないから、RPG風にして、アイテム拾いながらゴールを目指すことにして、戦闘シーンはアクションゲームで、ヒントを組み合わせる謎解き要素があって…


こういう壮大なことは、考えている時が一番楽しい。

作ってみると、4Kbyte ではとても収まりきらない。


でも、完成品を Pegasus soft の名前でベーマガに応募したら、掲載されました(1986年8月号)。




このゲームを、わざわざ打ち込んでニコニコ動画にアップしてくれている人がいました。ありがとうございます。


コメントでいろいろ書かれていたので、こんなところで返答。


・名前入力に INPUT 使ってないのは、ファミコンだからパッドで入力したかったんです。

 RUN した後はキーボードに触らせたら負けだと思っていました。


・名前入力プログラムは3行で書かれています。メモリはたいして使ってません。

 ハイスコア時に名前入力させたりするのを良く作ったので、非常に短く書けるようになりました。


・戦いが意味不明。僕もそう思います。

 先に書いたように、戦闘はアクションゲームにしたかった。でも、メモリが無い。

 少ないメモリで作るために、ファミベ特有の MOVE で動かして、それらしく仕立てたのだと思います。


・敵の HP を十分減らしてから「逃げる」と、敵を助けてあげたことになり、ヒントを貰えるのではなかったかな…

 ヒントは、プログラム入力中に見えてしまわないように暗号化されています。



ゲームとしては、実は自分でもつまらないと思ってた。

でも、いろいろ詰め込み過ぎて改良の余地はあまりなかった。当時の自分にとってはね。


プログラム自体は、Dr.D に「ファミリーベーシックのゲームのレベルもずいぶんとあがってきたものだ」と褒められました。




このプログラム、掲載されたものにバグがあります。

送ったプログラムとは違うものが掲載されている。1命令化けているんです。


ファミベにはプリンタはありません。

当初、ベーマガではリスト表示した画面を撮影し、何枚も縦に並べてリストとして掲載していました。


でも、別雑誌の Beep! では、FM-7 を使ってファミベのカセットテープを解析し、プログラムのプリントを行うプログラムを掲載し、使っていました。

ベーマガでも、ある時期からこのプログラムを使用する許諾を受けて使っていたはずです。


恐らく、このプログラムは「読み込んで印刷する」のですが、「読み込み時のエラーチェックは特にしていない」のではないかと思います。

だから命令が化けて印刷されてしまった。


掲載された号を見て、すぐに気づきました。

このバグ致命的で、そのままではゲームが終わらせられないはず。




ベーマガには、バグ修正の「で・ば・ぐ」というコーナーがありました。

きっと、来月の で・ば・ぐ に訂正情報が載るよね…と思っていたけど載らなかった。


遊んでくれた人がいたら、クリアできないのはおかしいと編集部に問い合わせるのではないか。

訂正が載らないということは、誰も打ち込んでくれてないのではないか。



載ったのに、誰も遊んでくれてないという推察で凹みました。

やっぱV3ユーザー少ないし、メモリいっぱいまで使ったからリスト長いし、よくなかったよなぁ…




またベーマガに投稿しました。

V2でも動作するゲーム。1行プログラム5本組。


5本とも、ベーマガの他機種のプログラムの移植です。

ただし、元はそれなりのサイズだったものを、大胆に単純化して、1行に納めている。


1行だったらみんなに遊んでもらえるだろう。


これは、別冊で発売された「ファミコン・プログラム大全集」(1987年2月)に掲載されました。

ただし、3本に減らされていた。


こちらも、ニコニコ動画にアップされています。先ほどと同じ方。ありがとうございます。


「これ入力したよ」というコメントもあった。

1行だったら入れてもらえるだろう、というのは目論見通りだったみたい。



このプログラムは、ゲームを作る、というより、作ることをゲームとして楽しみました。

1行に納めるって、制限きつすぎて、パズルみたいなプログラムになるのね。


今でもそういうプログラム楽しんでいる人はいますね。


…僕も時々やります




さて、冒頭の質問「投稿の動機は?」の答え。


僕にとっては、作ったゲームを見てもらえる、ということが最大の喜びでした。


それは、友達に見せているだけでもいい。

でも、もっとたくさんの人に見て、遊んでもらえるならもっと嬉しい。


ベーマガに載れば、全国の人が遊んでくれる。

そう思って投稿しました。


…だからこそ、「で・ば・ぐ」に訂正情報が載らなかったことで、誰も遊んでないのではないかと思うと凹んだのです。

2回目の投稿が1行プログラムだったのも、「これなら遊んでもらえるだろう」と思ったから。



2回投稿して2回載ったので、「ファミベはマイナー機種だし、投稿も少なくて狙い目なんだろう」と思いました。


#ぎーちさんのような「今月載るかな、というワクワク感」は味わってないわけです。


後で知ったけど、投稿少ないというのは、ものすごい勘違いね。投稿の多い、激戦機種の一つだったそうです。

だから別冊まで発売されていたらしい。


でも、ともかく当時は勘違いして、送れば載るだろうと考えた。

そして次の投稿の準備をします。


…その時、学校が休みに入って通知表が出た。

ものすごく成績落ちてました。家帰ればゲーム作っているし、授業中もゲームのアイディア考えているんだもの。


これで父にすごく怒られ、ファミコン禁止令が出ます。

これで、投稿も出来なくなりました。そうならなければもっと投稿していたと思います。




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名刺  2015-03-27 20:12:18  業界記

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名刺

今日は昔話が長くなったので、「今」の話はさらっと。

一応、昔話と今の考えの2本一組で毎日書いているのですが、今後も常に2本続けるかはわかりません、と断っときます。



ぎーちさんに渡した名刺、普段から使っている物なのですが、裏にこんな似顔絵が描いてあります。

僕は絵は全く描けないので、人に描いてもらったものなのだけど。


判る人にはわかりますね。

ベーマガ表紙のマイコン少年のパロディです。


ベーマガの話をしましょう、ってぎーちさんと会って、名刺交換して、裏にこんな絵が描いてあるのに説明し忘れた(笑)




画面に「LD A,n」とあるのは、ベーマガではなくて Ah!SKI のネタ。

今日はこちらを解説しようと思って書いてます。



Ah!SKI っていうのは、ASCII のパロディ版。1980年代に、毎年4月に発行されていました。

この内容が、かなりコンピューターに詳しい人じゃないと意味不明なネタが詰め込まれている。


1984年版に、「機械語で会話する少年現る」という小さなニュース記事が載っていました。


テレビ番組「びっくり人間大集合」のために来日した中国のキム少年は、生まれた時からコンピューターに囲まれて育ったため、人間の言葉よりも機械語を覚えてしまい、機械語でしか会話できない…とかいうネタだったと思う。


#探せば当時の雑誌があるはずなのだけど、今は正確性はどうでもいい。

 1984年は、パソコンはじめてすぐ。Ah!SKIをたまたま入手したのだけど、内容難しすぎてよくわからなかった。

 20年以上たってから読み返したら、すごい高度なギャグが満載で面白かったけど。



このネタはそれで終わり…だとおもったら、翌年の 1985年ではさらに大きな記事になります。

まさかの1年越しの連続ネタ。


「キム少年の&HFFFF人のマシン語会話」だったかな。

「早見優の100万人の英会話」のパロディ。


そこで、Z80 での会話が例文付き、イディオムの解説などもついて載っているのです。


#こちらは、見たのは大学生になってから。部室に置いてあった。

 その時には、ネタの意味が多少はわかるようになっていました。




LD A,n ; 私に n だけご飯をください。


LD B,n

LD A,B ; 私に n だけご飯を奢ってください。


SRA B

LD A,B ; 割り勘にしましょう


CP B

JR Z,3 ; 3軒先の店ではどうですか?


JR 2 ; 2軒先の店にしましょう


…だったかな。これも調べれば正確に書けるけど、雰囲気がわかってくれればいいです。

もっと長い、実際ありそうなシチュエーションの会話例として載っていた。



他にも、人に物を訪ねるときには肩を叩いて NMI 割り込みを起こしたうえで、


PUSH AF ; ちょっといいですか?


で会話をはじめ、もちろん最後は


POP AF ; ありがとうございました

RETN ; さようなら


で締めくくる、とか書いてあった気がする。



… Z80 を理解していないと意味わかりませんね。でも、このネタ大好き。

端の方に、コラムで 6809 方言ではここに注意、みたいなことも書いてあった。




在宅プログラマなのであまり名刺を使うことは無いのですが、他にもいろいろネタ仕込んでます

プログラマでないとわからない…いや、プログラマでもわからないようなのばかりだけど。


見てみたい人は、お仕事でご一緒出来れば名刺差し上げます。



LD A,n ; 私に仕事をください!



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ファミベ、MSX、X68k  2015-03-28 10:09:16  コンピュータ 業界記

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ここに書いている内容は、順を追って整理しています。

僕の昔話になってしまっているけど、小学生から始まって、中学生でベーマガに投稿した話まで書きました。


ぎーちさんとの対談の時は、こんなに順序立てていません。時代とか飛び回る。

最初に話したのが、今回の話。


#お店に入る前に、歩きながら話してた内容。




ツイッターで、ぎーちさんが「ベーマガ投稿してた人と話がしたい」と書いていたので、ファミベで投稿した話は先にしています。

そして、お会いした時にまず「ぎーちさん、とお呼びしていいですか?」と尋ねた。


これで、「あれ、もしかしてMマガ読んでました?」と言われました。

はい、その通り。読んでましたし、ぎーちさんの4コマ漫画好きでした。


#特に気に入っていた一つは、今でもその内容を言える。

 言ったら恥ずかしがられたのでここには書かないけど。


#MSXマガジン永久保存版3には、ぎーちさんの4ページ漫画と、4コマ2本が載ってる。

 サイン貰おうと思って持っていったのに、話が楽しくてサイン貰い忘れた!


さて、MSX も使ってた、という話からパソコン遍歴の話に。


僕は、ファミベの後 MSXMSX2 と進み、X68k を購入しました。

その隙間に、PB-100 とか PC-E500 などのポケコンも使っているけどね。


#前回書いたけど、父に怒られてファミコン禁止になった。

 ポケコンなら隠れてこそこそやれるから購入。



ぎーちさんは、SC-3000 から MSX に進んだそうです。

X68k は憧れではあったけど、高くて買えなかったって。


僕は、大学の夏休みをみっちりバイト入れて、その賃金を全部突っ込んで、1年型落ちの X68k を入手しました。

当時はパソコンってすごく高かったし、X68k はその中でも特に高かった。


一式およそ 50万。型落ちを通販の安売りで買っても 30万しました。




ファミベ、MSX(2/2+/TurboR含む)、 X68k 、と進んだ人はゲーム業界には多いようです。

ぎーちさんはゲーム業界でフリーライターをしていたのでそういう方に会っているようですし、僕の周囲にもいます。


なんででしょうねぇ、という話になった。


乱暴なあて推量をすると、お金持ちで自分でゲームを買える人は、きっとゲームで遊んだと思う。


貧乏でゲーム買えないのにゲームが好き、という人は、夢想しながら自分で似たようなものを作る。

この時に、高価なパソコンを使えるわけもなく、ファミベみたいな貧乏くさい機械になる。


じゃぁ、X68k は何なのさ、ということになるけど、成長後だからね。


僕もぎーちさんも、第2次ベビーブーム世代です。

この世代、すごく人数が多いから、商売のターゲットにされている。


ファミベも、MSX2 も、X68k も僕ら世代が「ちょうどよい」時代になったところに発売されています。


ファミコンが「小学校高学年」あたりをターゲットにして登場したのが小学5年生の時。

ちょっと背伸びしてパソコンに興味を持つ中学生の時に、ファミベが発売されました。


MSX2が急激に安くなって普及期に入るのが、そろそろ「ファミコンは子供っぽい」と思い始める高校の時。

パソコンは一式15万円くらいの時代に、5万円だったので高校生でも自分で買えました。


X68k は、欲しいもののためならバイトもできる大学生の時。

バイトしてバイクや車を買うやつだっていたのだから、パソコンくらい、なんてことない。



パソコン以外では、ガチャピン・ムックも、ガンダムのプラモデルも、コロコロコミックも、チョロQも、僕ら世代に売り込んできた商材。


もう、それは見事にカモられているわけですが、いろんなおもちゃが提供されて楽しかった世代でもある。




でも、すでに書いたようにファミベは入門には良い機械でした。

絵はお仕着せの物しか使えない。メモリは少ない。


だから、プログラムだけに集中して、辛くなる前に「限界」に達してしまう。一番面白いところだけのつまみ食い。


そこから、安い上に「ファミベと同じようにスプライトが使える」という理由で MSX2 に移るわけだけど、僕は出来ることが急に増えすぎて戸惑った。

プログラムはしたのだけど、ゲームはあまり作りませんでした。(小さなのは作ったけど)


X68k は、構造が「ファミコンを豪華にした」ような感じだった。

だから、ファミベ出身者としては懐かしい。これはものすごい使い込んだ。



でね、これらの機種の共通点である「スプライト」は、ゲーム作りたい人にとっては、本当にありがたい機能だった。


スプライトがなくたってゲームは作れるけど、細かなテクニックを駆使しないといけない。

もちろんそういう方向の腕を磨いた人もいるけど、それは技術者であってクリエイターではない。


ゲーム業界で「クリエイター」になった人が、ファミベ・MSX・X68k というコースをたどった人が多い、というのであれば、そういう理由があるのだと思います。




以下余談。ぎーちさんにも話したのだけど。


僕らの世代が「子どもが多いターゲット世代」だったので、5歳下は割りを食っています。

上の世代が遊んでいた面白そうなものは、その時にはまだ年齢が低すぎて遊べない。


でも、遊べそうな年代になった時にはブームも終わっており、入手も困難。

この繰り返し。面白いものが何もない。


仕方がないから自分たちで新しいことを始める。

その時は誰も注目しないのだけど、下の世代に受け継がれ、さらに3歳下の世代が「今子供たちにこんなことが流行っている」と注目される。


ずーっと、この「谷間」を歩いてきた世代が、第2次ベビーブームの5歳下世代。


この世代を示す言葉すらない。

実は彼らの世代は自分たちを示す言葉を「作り続けている」のだけど、この言葉もいつも3歳下に奪われる。


ちなみに、就職時期は一番求人比率が悪かったときでした。


でも、これも統計がまとまって「あまりに酷い」と問題視されるのは3年後で、3歳年下が同情されるんだよね。

その時にはもう状況が改善していたのだけど。



不遇の世代です。

彼らの世代に、もっと光を!


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家庭用と業務用  2015-03-28 10:31:11  業界記

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ぎーちさんとの対談は…対談と言うよりだべっていただけなので、どんどん脱線する。

ゲームとお金、という話から、業務用と家庭用で作り方が違う、という話になった。




僕は、業務用ゲームを作る部署に入る以前は、業務用のゲームは気軽に遊んでもらえるけど、家庭用は遊んでもらいにくい、と思っていました。

業務用は 100円で始められるけど、家庭用は5千円以上が普通だからね。


先日書いた通り、僕がゲーム作る動機は「僕が作ったものを遊んでもらいたい」でした。


だから、最初から遊んでもらいやすいと思っていた業務用を希望していたのではなかったかな。

それで業務用部署に配属された。


でも、入ってすぐに、業務用の方がずっと遊んでもらいにくいのだ、と教わります。

そして、実際その通りでした。




家庭用だと、買うまでのハードルは高いけど、買ってもらえれば、じっくり遊んでくれる。

多少複雑で奥深いルールがあったとしても、それを理解するまでやりこんで「面白い」と言ってもらえる。


だけど、業務用は気軽に100円をだし、ルールも読まないでゲームを始めます。

そして、3分程度でゲームオーバー。


この3分間が勝負です。

この間に、ゲームのルールを理解してもらって、「面白かったからもう1回」と思わせるくらい楽しませる必要がある。



断言しましょう。

人間は、はじめて見たものを3分で理解する、なんてことは、絶対にできません。


だから、「全く新しいタイプのゲーム」なんて業務用では作れない。

既視感…どっかで見たような感じ、というゲームだと理解が速いから、あえて物まねを作る。


オリジナルを作りたい、というプライドは、多分みんな持ってる。

でも、プライドでは飯を食えない。それよりは、売れたゲームを真似するほうが商売になります。



でも、そこに少しだけ、新しい「なにか」を付け加えます。ここが勝負どころ。

この、付けくわえられたものによって、「このゲームは新しい」と感じさせなくてはならない。



時代を切り拓いてきたゲームですら、全く新しい、なんてことはありませんでした。


パックマンの前にはヘッドオンがあったし、ゼビウスの前にはギャラクシアンがあった。

ストリートファイターの前にもイーアルカンフーがありました。


少しづつ、少しづつアイディアを加えることで、全く違うジャンルになったゲームでも、根は同じであったりします。


ドンキーコングは、パックマンのような「迷路を抜けていく中で、一発逆転もある」というアイディアだけど、横から見た形にして、重力を表現した。

いまではジャンプゲームの始祖とされます。


ヘッドオンも、「すべてのターゲットを消せば面クリア」という、インベーダーのブームの中で作られたもので、ターゲットの消し方を工夫したもの。

インベーダー以前からカーレースはあったから、うまく混ぜただけ。でも、今ではドットイートゲームの始祖とされる。


そのインベーダーも、「ブロック崩しのブロックが動いたら面白い」というアイディアから作られている。


ヒットゲームは、どんなに新しいものに見えても、「既視感」を大切にしています。

その既視感のバランスのとり方が難しくて、「知っているのに新しい」とヒットする。


「良く知ってる」だけだと物まねに思われて「知らないほど新しい」と拒否されます。




テレビゲームが好きな人には、ナムコの黄金期を懐かしむ人がいます。

ギャラクシアンから、ドルアーガの塔くらいまでのゲームかな。


出すゲーム出すゲーム、それまで見たことのないようなものだった。同じようなゲームは出さなかった。

その思いが今でも強くて、「最近のゲームは似たようなのばかり」と嘆く人もいます。


でも、今のゲームクリエイターが昔に比べて劣っているとか、アイディアを出せなくなったというのではない。


プレイヤーが昔のような「突拍子もないアイディア」を求めなくなったから作らないのです。

むしろ「このゲームなら遊べそう」と思える、既視感の強いゲームが求められている。



僕個人としては、またナムコの黄金期のような、突拍子もないアイディアを見たいのですが、それは「商売」としてはやりにくい。


これ、「プロには」作れない、というだけだよ。

そういうゲームを作っちゃだめだとか言うことでは全然ないし、むしろ作ればヒットする可能性がある。


自作ゲームを作る人には、狙い目のジャンルでもあります。


自作する人は、多分プロの作った作品、自分の好きな「あのゲーム」に憧れて真似することが多いと思う。

でも、そういうものを作っても、ライバルが多くて、苦労の割に注目されない。辛いだけ。


むしろプロが作れない「突拍子もないアイディア」を入れるといいです。

ライバルはいないし、出来が悪くても唯一無二の存在になれます。


君は、その世界での第1人者です。

もちろん、面白くなければやっぱり注目されないのだけど。


でも、ライバルが多いところに切り込んでいくより、よほどいいと思うよ。

もし大ヒットして「既視感」のあるものになった時には、真似をしたゲームが出てくるでしょう。


でも、君がそのジャンルを切り拓いたと自慢できるようになります。




家庭用なら新しいものが作れるかというと、やっぱり茨の道ですけどね。

ゲームの面白さって、遊んでみないとわからないのに、遊ぶために5千円払う必要があるのですから。


だから、こっちも「面白いとわかっているゲームの亜流」が増えます。


ただ、「後半グッとくるストーリー展開」とかは家庭用じゃないと作れないものですね。

ゲームシステムが、後半になってルールの巧妙さに気付く、とかいうのもそう。


…ただ、やっぱそういうのは評価されないんだよね。

家庭用は高いから、情報誌で事前情報を読んで購入を決める人が多い。


でも、記事を書く人も最後まで遊んで書く余裕はないし、遊んだとしても事前に「後半の展開」は書くわけにいかない。

だから、どんでん返しで面白いストーリーのゲームとか、売れないです。商売として成立しない。


ここでも、既視感のあるゲームの方が、評価は低くても商売として手堅いんです。




時折、商売っ気抜きで「面白いゲームを作るんじゃぁ!」ってやらかすクリエイターがいて、すごいものを作ってくれる。


これは、家庭用に多い気がします。

やっぱね、ルールやストーリーを複雑にするのが許されるのは、家庭用だけだから。


こういうゲーム、ファンはすごく高く評価してくれるけど、やっぱ儲からなくて、後に続く人はいなかったりします。



寂しい現実。実際問題として商売なのだし、儲からないと明日のご飯も食べられないのですが。


もっと、「ただ面白いだけ」のゲームが評価されるといいんですけどね。



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