業界記7ページ目の日記です

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2019-01-22 SEGA TETRIS
2019-01-30 退社
2020-09-11 しくじり先生
2020-09-25 掘り出し写真
SEGA TETRIS  2019-01-22 13:44:50  業界記

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昨年末に「辞める前に作っていたゲーム」の話も書いたはずなのだけど、大事なのを忘れてました。


SEGA TETRIS。ドリームキャストと互換の、NAOMI 基板で作られたゲームです。

僕は直接かかわっていないのだけど、コラムス 97 の企画者が作っていたので、いろいろと相談に乗っていました。





そもそも、なぜ 1998 年ごろに、「いまさら」テトリスだったのか?


日本でのテトリスブームは、1988年ごろ。

最初に発売されたのは BPS 社から発売された PC 用で、ヒットはしましたが「大ブーム」というほどではありませんでした。


大ブームになったのは、夏ごろにセガから業務用が発売になってから。

その後、BPS から PC の移植であるファミコン版が発売され、ブームが確定的になります。



でも、実は最初の PC 版以外は、全部「海賊版」の扱い。

あまりにも単純なゲームで作りやすかったこともありますが、原作者のいたソ連の著作権管理が甘かったせいもあり、ライセンスがおかしな状態になっていたのです。



セガは、これに気付いてあとから業務用のライセンス料は払いましたが、作成していたメガドライブ移植版は発売中止に。


さらに、業務用の「続編」は作りますが、これには TETRIS の名前を冠していません。(BLOXEED、FLASH POINT)

「類似ルールの別ゲーム」という、まさに海賊版です。




テトリスは、ソ連のコンピュータープログラマーである、アレクセイ・パジトノフが趣味で作ったものです。

当時共産主義であったソ連では、何を生産するにも「国の計画」に基づいて作られ、国有の共有財産として管理されます。


しかし、趣味で作ったものだからこそ、その管理からもれました。

そして、無料で公開されたテトリスは、あっという間に世界中にコピーされます。


すべてが共有財産であるソ連では、こうしたソフトの著作権もあいまいでした。

世界中に広まってから「外貨獲得手段になる」と気づき、後追いでライセンスなどを承認したのですが、そこでも紆余曲折あります。


セガの業務用や、BPS のファミコン版が「海賊版」の扱いになってしまったのも、これが原因。

当人たちはちゃんとライセンスを得たつもりだったのが、得られていなかったのです。



ここら辺の長い紆余曲折は、非常に面白い、壮大なドラマです。

過去に書いていますので、興味がある方はそちらもお読みください




最終的に、1995年ごろに、テトリスの権利は原作者である、アレクセイ・パジトノフの手に戻っています。

そして、96年ごろから「テトリスのライセンス事業」で、複数の会社から、テトリスが発売され始めます。


今度こそ、正式にライセンスされた「テトリス」を作れるチャンスです。

セガでも業務用テトリスを作ろう。そういう決定がなされ、「じゃ、作ってね」と任されたのは、「コラムス 97」を作った企画者でした。



この時、内製するにはプログラマーなどの人数が足りなかったため、「テトリスくらい、外注でも作れるだろう」と、作成は別の会社に任せることになりました。


ところが、コラムス 97の企画者は、「プログラマーと密接に相談しながら企画を作っていく」タイプの人なのね。


外注会社を決めるには、先にある程度企画書を定めないといけません。

そこで、コラムス 97 のプログラマーだった僕が相談に乗って、いろいろと初期の企画を作り始めたのです。




まず最初に行ったのは、テトリスの版権管理団体である「ザ・テトリス・カンパニー」に文句を言うこと。


ライセンス供与する際の、守るべき仕様があるのですが、この仕様が全然ダメ。

そのまま作ったらとてもゲームにならない、という代物だったのです。


というのも、ザ・テトリス・カンパニーの実態は、BPS と考えてよいため。

PC 版のルールを元に仕様を組み立てているのです。




ここで、PC 版とセガの業務用が、全然違うルールであることを説明しないといけませんね。


原作となるテトリスは「上から落ちてくるブロックを、空中での左右移動と回転を行いながら、うまく積んでいくゲーム」でした。


「うまく」というのは、横一直線がブロックで埋まることを意味します。

この時、並んだブロックは消え、それより上のブロックは下に落ちるため、うまく消し続ければブロックの量が増えません。


逆に、うまく消すことができず、ブロックが上まで積みあがるとゲームオーバーです。



PC 版では、基本的にこの原作に忠実に作られていました。

ただし、パズルとしての側面をより明確にするため、一定のライン数を消したら「面クリア」とし、面の最初には適当なブロックが積みあがっている状態で始まったりもしました。



これに対し、業務用は別のアプローチをとっています。

パズルとしての側面よりも「ブロックが落ちるまでに考えなくてはならない」というアクション性を重視したのです。


ブロックの落下速度は、原作でもだんだん速くなります。

しかし、業務用では、空中での操作が不可能になるほど早く落ちるようにしました。


その代わりに、接地してからもしばらくは操作可能としていました。

「空中で操作する」ゲームから、「積みあがったブロックの上で、操作するブロックを転がす」ゲームに変えたのです。




この変更により、回転方法が全く違うものに変わっています。


まず、原作では「回転」の名前にふさわしく、ブロックを回転させる際の中心軸があります。

中心軸となるブロックが動かない形で、周辺のブロックが「回転する」のです。


この結果、回転した結果、元の状態よりも下側にブロックが出現することがあります。


先に書いたようにセガの業務用では、落下速度を速くして、その代わりに接地後も操作可能としています。

この時、下側にブロックがはみ出るような回転方法では、「接地後は回転操作ができない」ことになってしまうのです。


そこで、セガ版では、「ブロックの一番下のラインが変化しないように回転する」ようになっていました。

回転軸は持たず、基準ラインを持つようにしたのです。




しかし、テトリスカンパニーの定めた「テトリスの仕様」では、回転方法は原作・PC 版にそろえることが義務付けられていたのです。


企画者の最初の仕事は「そんな仕様ではゲームが作れない」と文句を言うことでした。

慣れない英語で、なぜゲームが作れないのかを分かってもらうために、細かな説明をする手紙を書きます。


当時はまだ今ほど電子メールも普及しておらず、海外とのエアメールでした。


最初の反応は、「回転方法の仕様変更は許されない。代わりにこれではどうか?」と、回転時にブロックにぶつかる場合は、ぶつからずに回転する位置までブロックが上に持ち上げられる…という仕様の提案でした。


これ、直線ブロックを縦にして、左右どちらかの壁に押し当てて回転させるだけで破綻します。

どんなに上に持ち上げようとも絶対に回転できませんから。


その指摘をすると、「じゃぁ、持ち上げられるブロック数を制限して、その範囲内に見つからなければ回転できないというのはどうだろう?」


これでも駄目です。持ち上がってしまった時点で「接地」ではなくなるため、さらに回転させると再び落下が始まります。

接地してから一定時間は操作可能、という仕様に対して、何度でも「再接地」できてしまうため、永久に操作可能になります。


また、階段状にブロックを積み上げておくと、回転させながらその階段を駆け上れます。

これもまた、「落下するまで」という時間制限が重要なゲームとしては、致命的な欠陥を生み出します。


テトリスカンパニーの提案する仕様には欠陥がある、ということを、また詳細に説明した手紙を書きます。



他にもいろいろな問題がありました。


とにかく、PC 版準拠で作られていたため、「ブロックを速く落とす」ことができませんでした。

ブロックを落とすときは、下方向レバーを入れた時点で、瞬時に接地します。


ブロックの色も PC 準拠で決められていました。

しかし、この色はセガが過去に作り、多くの人が知っている「業務用」と異なるのです。


これらの仕様についても、過去の業務用に準拠させてもらえるように、粘り強く交渉しました。



何度手紙を往復させたでしょう。

最終的には「わかった、我々の提案する仕様には、まだ欠陥があるのを認める。今回は自由に作っていい」という許可を勝ち取ったのです。


その後、テトリスカンパニーの作る仕様は何度かバージョンアップされ、現在では当時よりも柔軟なルールを作りやすいものに変わっています。





上に書いたような、ルールで悩んでいたのはまだ会社で働いていた頃です。

でも、テトリスの話は、「会社を辞めた後」も続くのです。


辞めた後に企画者から電話がありました。

プログラムの問題で悩んでいるので、アドバイスくれないか、って。


ドリームキャスト版を作成するにあたり、通信対戦に対応しようとしたのだけど、どうしてもデータ転送が間に合わない、というのです。



ドリームキャストは、当時としては珍しい、通信対応のゲーム機でした。

コンピューターを電話線に接続する「モデム」を標準装備しており、電気信号を音に変えて伝達します。


当時は最高速度で 56kbps 。1世代前の安いモデムなら 33.6kbps で、ドリームキャストも安いものを搭載していました。


ところで、モデムの世界では、1byte は 10bit。

8bit の情報の始めと終わりに、 1bit の「同期信号」を入れてあるためです。


このため、33.6kbps は、1秒間に 3360byteを送受信できることになります。



で、企画者の話を聞いてみると「毎フレーム、お互いの盤面の形状を送受信したい」とのこと。


テトリスの盤面は 10x20。ブロックの色が7色と「空白」があるので、1マス 3bit で送るとして、600bit。

600/8 = 75 なので、 1フレームは 75byte あれば送れそうです。


1秒間は 60フレームなので、1秒間のデータ量は 75*60 = 4500byte 。

これに対して、先に書いた通り、送受信できるデータ量は 3360byte。


これでは、どうやっても足りるわけがありません。



…と、電話をしながら計算して見せたら、納得してもらえました。


どうにかする方法ない? というので、「キー操作の情報とか、最低限のものだけ送って、送られた側で情報を再構築するのがいいんじゃないかな」とアドバイスしたように思います。

ただ、そのやり方をすると、お互いの間の通信タイムラグで不具合が出るかもしれないから、そこは何とかする必要があると思う、とも。


その後無事発売されたので、通信はなんとかできたのでしょう。



2023.3.27追記

企画者と久しぶりに飲んだら面白い話を聞けたので追記。


本文中に、ブロックの色なども粘り強く交渉した、ということが書いてあるのですが、最終的には「テトリスカンパニーの仕様に従った色と、セガが過去に業務用で使った色の両方を使えるようにして、お客様に選んでもらう」ことで決着したのだそうです。


ここでいうお客様とは、プレイヤーではなく店舗のこと。

このため、基板にあるディップスイッチの設定で、色を切り替えられるのだそうです。


また、この時点で「棒ブロックが白、という指定は覚えている」そうです。

今は水色ですが、違った様子。


工場出荷時はセガの過去のテトリスの色。

色を変更していた店舗はなかったのではないか、とのこと。




今、追記を書くために改めて PC 版のブロックの色を確認したのですが、BPS が作った PC 版では、棒ブロック赤ですね…

オリジナルだとされる IBM PC 版でも赤。

そして、すでに何度も書いているようにセガも赤。


なんで、新しい仕様を定める際に水色にしたのだろう…


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別年同日の日記

03年 FCE Ultra for C700

04年 2冊のファミコン本

07年 ドーラと大冒険!

13年 Tweetの取得

14年 ボタンの左右位置

16年 デビッド・ローゼン 誕生日(1930)


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退社  2019-01-30 18:16:14  業界記

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業界記」として書いてきた、セガ時代の思い出話は、今回で終わりになります。



退社することは部内で公表し、引継ぎ作業などに追われていた年末、部長から「辞めるの伸ばして、もう少し働かない?」と言われました。

入社して最初に作ったゲーム、「手相占い ちょっとみせて」に、特別バージョンを作ってほしい、という依頼が来ているのだそうです。



退社する、と決めたのは、勇気を振り絞ってのことでした。

大手企業を辞めるというのは、先行きの不安はありますからね。


だから、「自分の会社作る予定なので、そのまま残るつもりはないです」と言いました。

そうしたら「じゃぁ、新会社に発注出すからやらない?」と。


報酬額は? と聞いたら、今までの給料と同じだけ出すって。

それじゃぁ、結局今まで通り働くだけで、会社設立の意味がありません。お断りしました。



この話、詳しくは過去の日記にすでに書いています。




たしか、溜まっていた有休消化のために長期休暇に入ったのは、1999年の 1月 11日。

仕事始めが7日あたりだったともうので、新年の挨拶だけしてすぐに休暇、だったのだと思います。



なんで日付まで覚えているかといえば、わざと1並びの日にしたから。

退職したら自分で会社を興そう、と思っていたのですが、この日に会社設立書類を法務局に持っていきました。


そうすれば、会社設立日が1並びになって、なんか面白いかと思って。


…1週間たち、手続き完了していると思って再度伺ったら、書類不備で再提出でした。

自分で全部やろう、と思って勉強したのですが、こういうのは司法書士さんとかに頼まないとダメですね。


とはいえ、この時はそんな知恵もお金もなく、再び自分で修正して翌日に再提出しています。

そんなわけで、自分の会社の設立日は、書類上は 19日です。




確か有休を使い果たして3週間ほどたって…1月の末ごろに、もう一度出社しました。

この日が、本当の退社日。


部署に行って改めて挨拶し、その後人事部に行きます。

社員全員に配られていた「事業計画書」の冊子があり、退社するときはこれを人事部に返納するのです。


人事部としては、退社する人への対処も慣れているのでしょうね。

淡々と事務処理をしただけで終わり。

自分としてはもう少し「辞める」という感慨にふけりたいくらいなのだけど、手続きはすぐ済みました。



社員証も返してしまったので、いつも使っている、社員専用の通用口からは出られません。

正門から堂々と退社しました。




これで「業界記」の話は終わりなのですが、以降の自分の話をざっくりと。


実は、退社した直後、 1999年2月には、NTT DoCoMo の i-mode サービスが「ひっそりと」開始されます。


当初は注目されるようなサービスではなく、急激な伸びは1年後からです。

しかし、たまたま注目前の1年の間に i-mode 公式コンテンツの作成にかかわり、その後の急成長の波に乗ることができました。


偶然にも、非常に良いタイミングで会社を辞め、起業できたのですね。

以降は携帯電話向けコンテンツの作成を主な商売にしてきました。



時代が変わり、携帯からスマホに変わりましたが、いまでもコンテンツ作成をやっています。

ソーシャルゲーム作成に参加していたこともありますし、普通に WEBページ作成をやっていたこともあります。


プログラムとしては、PHP / Javascript / CSS の組み合わせが基本。Wordpress なんかも仕事でやっています。

最近の過去の仕事では、Smarty や node.js を言語環境としたり、Redis を使うこともありました。


CSS は、デザインのためのものというよりは、CSS Animation で動かすためのプログラム技術。

スマホで動くソーシャルゲームなど、CPU 性能は低めなので、CSS を使って GPU で動かす方が滑らかになります。


#申し訳ないのですが、僕はデザインセンスは壊滅的です。このページ見ればわかるか。

 デザインを示されて、それを CSS で実現する、というのはできます。



安請け合いはできませんが、言語に関しては、必要なら割と何でも、という感じ。

基礎は出来ているので、必要に応じて言語の表層を覚えればどうにでもなります。



というわけで、仕事の依頼は常にありがたいです。

僕の過去の話を読んで、スキルに興味を持ってくださった方がいましたら、よろしくお願いします。




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別年同日の日記

08年 Advanced [es] 購入

16年 ダグラス・エンゲルバート 誕生日(1925)


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しくじり先生  2020-09-11 12:05:29  業界記

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しくじり先生、というテレビ番組がある。


別に好きではないので、ほとんど見てない。

でも、「セガ」を2週連続でやっていたので見た。


以前にも、セガを取り上げた回はあった。そちらも見ている。

カズレーザーさんが講師となり、メガドライブの話を取り上げたものだった。



今回の2週分は、伊集院光さんがメガドライブ回を見て、「セガの業務用を語りたい」と思って企画したものだそうだ。

だから当然、業務用の話。




基本的に、「しくじり」と言いつつ愛があるのね。

この番組全体がどうなのかは知らないが、セガを取り上げた3週分は、愛があった。


面白おかしく語りながら、講師が好きであることが伝わってくるのだ。

非常に楽しく見せてもらった。特に文句はない。



…が、この「面白おかしく」の部分が多少問題ありで、面白くするために事実を捻じ曲げている、とも感じる。




業務用の前半は、大型ゲーム機に関して。


R-360 が大きすぎて失敗だった…のは事実。

でも、当時は失敗だったとはみなされていない。タイトーだって(D3BOS)、コナミだって(スピードキング)真似をした「大型体感マシーン」をリリースしているのだ。


そして、VR-1、AS-1 に関しては、ゲームセンターの文脈で語られていたが、アミューズメントテーマパーク構想の一環だ。


ゲーム筐体としてみると大きすぎておかしい、添乗員も付ける必要がある失敗作、という話になるが、もともとは「狭い面積に置けるジェットコースター」という位置づけだ。


ジェットコースターとしてみると驚くほど小さいし、ジェットコースターなら添乗員を置くのも当然。



前半の最後に登場した「犬のさんぽ」。僕はこのゲームは知らなかった。


…なんか、すごく同期の企画者が作った気がする。

調べたところ、部署的には可能性があった。たぶん彼だろう。

(発売は僕がセガを辞めたずっと後なので、事情を知らないのです)


彼だとすると、という前提で書くと、これは馬鹿ゲーを狙って作った、ということでよいのだと思う。

番組内では、なんだかんだで非常に盛り上がって「神ゲー」との声も出ていた。


ばかばかしい内容で、でもちゃんとゲームとして楽しめるものを作るのは彼らしい。

理解されなかったのは事実だろうし、「しくじり」として紹介するのにはやりやすいタイトルだったと思う。


2021.5.17 追記

あのゲームを作ったのがだれか聞ける機会があったので聞きました。

僕が思っていた同期とは別の人でした。勘違いでした。すまぬ。


でも、いいゲームだと思うのは変わらない。




後半の話。

プリクラなど、「女子高生向け」でヒットした後での迷走話。


ちなみに、プリクラは共同開発とされていたが、アトラスがセガの基板で作り、セガの販路で売っただけだ。

そういうことはよくあったし、共同開発とは言わない。


しかし、ヒット後は各種バージョンへの要望が多く、また金になったため、セガが積極的に力を貸した。

その点では、ヒット後に出た亜種は「共同開発」と言ってもよいと思う。



アトラスの話なので、詳しい経緯は知らない。

でも、元々女子高生向けを狙って作ったところ、ちっとも売れなかった、という話は聞いたことがある。

だって、ゲームセンターにあまり女子高生来ないもの。


そこで、女子高生向けの雑誌などで提灯記事をたくさん書いてもらい、やっと売れ始めたのだとか。


番組では、「想像以上のヒットで、シール用紙などの供給が追い付かなかった」ということを言っていたが、セガは供給していなかったはず。



セガは、基板を貸したし販路も貸したけど、プリクラが売れるとは思ってなかった。

だから、「アフターサービス」という面倒な部分は、アトラスが責任を持つ契約だった、と聞いている。


結果として、シール用紙とインクリボンの供給だけでもすごい金額を生んだのだが、それらはアトラスの儲けとなっている。




で、その後を狙った開発話。


・ネーム倶楽部

・アロマ倶楽部


がしくじり例として取り上げられていた。


あれは実際…あまりヒットしたという話を聞かない。

別部署のゲームなのでどの程度売れたのかは知らないが、期待したほどではなかったのだろう。



でも、「名刺という発想がおじさん」というのは、当時の世相を理解していない。

当時はまだ合コン文化、インターカレッジサークルなどの文化が残っているのだ。




知っておいて欲しい、当時の3つの要素がある。


1つめ。

大学生~若い社会人の間で、名刺を作るのが流行っていた。

ビジネス用の名刺ではなく、デザインに凝った「遊び名刺」だ。


自分を印象付けるためのアイテムなので、凝ったデザインにするのが流行していたのだが、凝ったデザインにするとデザイン料も高い。


当時急に普及し始めたカラープリンタで「自分で名刺を作る」人のため、名刺用紙、という専用紙も売られていたし、人気があった。


A4 サイズの紙に 10枚の名刺が取れるミシン目が入っていて、プリンタで印刷してから切り抜けば名刺になるの。

今でも一応売っている。


番組では「名刺という発想がおじさん」と言って笑いをとっていたのだけど、名刺は新しい若者文化だったのだ。



2つめ。

女子大生に流行したものは、やがて女子高生にも波及する、と思われていた。


当時…ではなくて、実はもう少し前なのだけど、女子大生に流行したものがやがて女子高生に波及し、女子中学生、女子小学生と波及が進んで、購買力が無くなって終焉する、と言われていた。


1980年代前半に流行の発信地だった「原宿」は、もともと大学生くらいが集まる場所だった。

やがて「大人」にあこがれる女子高生が来るようになり、さらに低年齢化して女子中学生が中心となる。


たしか、当時の中心はまだ女子中学生で、小学生も行きたがるようになりかけていたころ。

こうなってくると、お小遣いの範囲でしかものを買わないので購買力が落ち、街の収入は激減し、ブームが終焉を迎える。



別の例では、当時女子高生がポケベルを持つのが流行していた。

これは、女子大生から波及したものだ。


また、白黒フィルムで写真を撮るのが流行した。

これも女子大生から起きたものだが、女子大生は「一眼レフで白黒フィルム」だった。

女子高生に降りてくるころは、写ルンですだった。わざわざ白黒が発売されたのだ。


「かわいい文具」というのも流行したな。

これは、若い女子社会人(主に事務員)から流行が始まり、女子大生・女子高生と降りてきた。



…と、こういう例を挙げると、女子大生から女子高生に降りてくる、というのは事実に見える。

「だから名刺もきっと流行します」と言われれば、そうだと思うだろう。



でも、当時は「流行を作り出すのが、女子大生ではなく女子高生に変化した」と言われた時期でもある。


ガングロ・ルーズソックスは女子高生から流行したスタイルだ。

プリクラ自体、女子高生への流行から注目されたものだ。



だから、「おじさんだからわかってない」のだとすれば、女子大生に流行したのだから女子高生にも流行するだろう、と考えたことだろう。

当時は、そういう風潮の終わりかけた時代だったのだ。



3つめ。

実は、当時すでに「コインを入れて名刺を作る」機械はあった。

ゲームセンターではなく、人の集まる駅ビルの一角などによく置かれていた。


ビジネスマンが名刺を切らせてしまった時に、慌てて 10枚だけでいいから作る、というような用途を狙ったものだ。


こちらも、当時の「大学生の名刺ブーム」を当て込んだ部分もあったように思うが、基本的に会社名、氏名、連絡先程度しか入れられなかったように思う。



だから、セガのノウハウを使って「遊び名刺を作ったらウケるのではないか」というのは、当時としては至極まっとうな発想だった。


番組では、とても奇抜な発想のように言っていたが、そんなことは無い。

誰でも考え着くレベルの発想にすぎなかった。


誰でも考え着く、というのは悪い意味ではない。

「十分に機が熟している」という意味だ。うまく処理してやれば、ヒットする可能性がある。




…と、ここまで考えると、ネーム倶楽部はそれほど「しくじり」ではないように思う。

まぁ、実際売れなかったのは事実だろうけど、売れるゲームなんてほんの一握りだ。



僕はこのゲーム見たことないのだけど、発売直前に、チラシか何かで詳細を知った。


…で、残念に思った。

若者向けの「遊び名刺」を作ろうという機械なのに、印刷されるデザインに、あまり遊び心がないのだ。



まぁ、これは仕方がないことで、ある程度の定型があるからこそ、名前と連絡先と肩書くらいの情報で簡単に名刺が作れるのだ。


個性を出したオリジナルデザイン、なんて設定させようと思ったら、編集が大変すぎて、気軽に作ることができない。


そもそも、文字フォントだってそれほどたくさん使えなかったのではないかな。よく知らないけど。

多分プリンタ側に持っているフォントを使うのが精いっぱいで、多少サイズを変えられる程度。


それで遊び心を出そうとしても、無理がある。




アロマ倶楽部についてはあまり書かないが、こちらも似たような感じ。


当時は若い女性の間でアロマが流行していたのだけど、ゲーム機を扱う「おじさん」は、アロマが何であるか理解できていなかった。


商談の際に、ディストリビューター(ゲーム機卸)の人に対して、「香水が出てくるので、体に振りかけたりして使うんですよ」なんて説明をする営業もいたと聞いた。


(番組出演者も「パフューム」と言っていた。これは香水の意味だが、アロマオイルとは使い方がまるで違う。

 アロマというものは、今でも理解されないのだ。当時はなおさらだ。)



アロマが流行していたのは、女子大生よりもう少し上ではないかな、と思う。よく覚えていないけど。

会社員で、ストレスもたまって、だからこそ「良い香りで癒されたい」となるのだ。


元気いっぱいの女子高生向けではない。




両方とも、そもそも女子高生を狙ったものなのかどうかもよくわからない。

営業的には「倶楽部シリーズ」として売っていたけど、企画者は女子大生位を狙って作った可能性だってある。


当時、ゲームセンターには急に女子高生が来るようになっていたが、プリクラと、せいぜい UFO キャッチャー以外に遊ぶものがないので、すぐ帰ってしまう。


それを引き留められる商材を、と営業は求めたかもしれないが、もともとゲームセンターの客層は、大学生~若い社会人が多い。

企画者がそこら辺をターゲットに考えることは、何らおかしくないのだ。



「結果として」売れなかったとして、ことさら失敗ではない。

先にも書いたが、売れるゲームなんてほんの一握りだ。




そして、こうした倶楽部シリーズの「究極系」として紹介された、オーラ写真倶楽部


驚いた。そうか、そういう紹介か。


まぁ、自分が作ったものがテレビで紹介された、という喜びの方が大きいのだけど、しくじりとされるのは多少の悔しさもある。



「ゲームセンターに占いが置いてあっても、信憑性ない」なんてコメントも飛び出していたが、当時は占いゲーム機はいっぱいあったし、人気だったのだ。


2021.9.19 追記

当時の占いゲーム機のブームを示す資料があったので、別記事に記しました


まぁ、オーラが発売されたころには、占いゲームの人気もすでに下火。時期も悪かった。

出来が良かった、とも言わない。作っていた自分がそう思うのだから、お客さんはもっと敏感に感じ取るだろう。


プリクラと比べられても困るし、占いとしては大ヒットだった手相と比べても、実際出荷台数は少ない。



そもそも、「メイキング倶楽部シリーズ」となっているけど、何も作ってないからね。

営業判断で無理やりそういう名前になっただけで。



…あー、アロマ倶楽部も、同じ理由かもしれない。あれも作ってない。

あれって、基本的には占いゲームなのだよね? 遊んだことないから詳しくないのだけど。




他に紹介されていた、え~でる砂場、トイレッツに関しては、自分が辞めた後なんで詳しくない。


どちらも、すごく遊んでみたかったのだけど、近所に置いてある店を見なかった…



トイレッツはそもそも「トイレを綺麗に使ってもらうため」の仕掛けだったように思っている。

みんな、いい加減におしっこして、トイレを汚すのよ。


これが、「的を狙う」という目標があると汚さなくなる。

実際、TOTO では、80年代後半には「的」を焼き付けた小便器を生産していて、トイレが汚れなくなるというので話題になっていた。



ただ「的」を示すだけで汚れなくなる、というのはつまり、みんなおしっこを的に当てるのを「楽しい」と思っている、ということだ。

ならば、それはすでにゲームだ。もう少しゲームらしいルールなどを設定してやることもできるだろう。



番組では、構想5年、開発3年だったと紹介していた。

そして、トイレッツの発表は 2011 年。


まぁ、TOTO が80年代後半から作っていた、とはいっても、最初から話題になっていたわけではない。

2000年前後に話題になったような気がするから、その頃から構想し始めた、ということだろうね。


楽しいものがあるんだから、ルールを整えてゲーム化してみよう、というのは、発想としてはそれほどおかしくない。


まぁ、「問題作」だったのは事実だろう。

でも、実際設置したトイレは綺麗に使われるようになったとも聞くし、「しくじり」ではないように思う。



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掘り出し写真【日記 20/09/25】

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03年 VAIO不調

13年 ポポー

14年 山本卓眞さんの誕生日(1925)


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掘り出し写真  2020-09-25 11:57:10  業界記

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掘り出し写真

調べたいことがあって、昔の写真を探していたら、この記事に添付の写真を発掘した。

(クリックすると拡大する)



手相占いオーラ占いが並んでいる。

いったいどこでこんな写真を撮ったのだろう? 覚えていない。


EXIF 情報を見ると、2003年10月17日の写真だ。

PowerShot S30 で撮ってる。…ってことはどうでもいいか。



前後の写真を見ると、当時伊勢佐木町にあったカレーミュージアムで、妻と何種類かカレーを食べた後に、撮影している。

うん、遊びに行った記憶はある。


過去の日記を探したら、あった。

あー、映画見に行ったのか。たしか、新聞屋さんがチケットくれたのだ。


昼ご飯をカレーミュージアムで食べて、ワーナーマイカルみなとみらいに行った、と書いてある。

伊勢佐木町からワーナーマイカルのあたりの「どこか」にゲームが置いてあったのを見つけ、撮影したのだろう。




だからどうした、という程度の写真なのだけど、実際のロケーションでの稼働を示す写真などは珍しいので公開しておきます。

両機種とも人気あって、結構長い間ロケーションに置かれていましたが、さすがに 2003年では珍しかったと思うので撮影したのでしょう。

(手相は発売から8年、オーラでも6年たっています)



先日の某テレビ番組では、オーラ占いを「手相とオーラで占う」と言っていたのですが、手相とオーラは別の機械です)



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別年同日の日記

02年 悪いこと…

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13年 シーボルト国外追放の日(1829)


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