2020年09月11日の日記です


しくじり先生  2020-09-11 12:05:29  業界記

しくじり先生、というテレビ番組がある。


別に好きではないので、ほとんど見てない。

でも、「セガ」を2週連続でやっていたので見た。


以前にも、セガを取り上げた回はあった。そちらも見ている。

カズレーザーさんが講師となり、メガドライブの話を取り上げたものだった。



今回の2週分は、伊集院光さんがメガドライブ回を見て、「セガの業務用を語りたい」と思って企画したものだそうだ。

だから当然、業務用の話。




基本的に、「しくじり」と言いつつ愛があるのね。

この番組全体がどうなのかは知らないが、セガを取り上げた3週分は、愛があった。


面白おかしく語りながら、講師が好きであることが伝わってくるのだ。

非常に楽しく見せてもらった。特に文句はない。



…が、この「面白おかしく」の部分が多少問題ありで、面白くするために事実を捻じ曲げている、とも感じる。




業務用の前半は、大型ゲーム機に関して。


R-360 が大きすぎて失敗だった…のは事実。

でも、当時は失敗だったとはみなされていない。タイトーだって(D3BOS)、コナミだって(スピードキング)真似をした「大型体感マシーン」をリリースしているのだ。


そして、VR-1、AS-1 に関しては、ゲームセンターの文脈で語られていたが、アミューズメントテーマパーク構想の一環だ。


ゲーム筐体としてみると大きすぎておかしい、添乗員も付ける必要がある失敗作、という話になるが、もともとは「狭い面積に置けるジェットコースター」という位置づけだ。


ジェットコースターとしてみると驚くほど小さいし、ジェットコースターなら添乗員を置くのも当然。



前半の最後に登場した「犬のさんぽ」。僕はこのゲームは知らなかった。


…なんか、すごく同期の企画者が作った気がする。

調べたところ、部署的には可能性があった。たぶん彼だろう。

(発売は僕がセガを辞めたずっと後なので、事情を知らないのです)


彼だとすると、という前提で書くと、これは馬鹿ゲーを狙って作った、ということでよいのだと思う。

番組内では、なんだかんだで非常に盛り上がって「神ゲー」との声も出ていた。


ばかばかしい内容で、でもちゃんとゲームとして楽しめるものを作るのは彼らしい。

理解されなかったのは事実だろうし、「しくじり」として紹介するのにはやりやすいタイトルだったと思う。


2021.5.17 追記

あのゲームを作ったのがだれか聞ける機会があったので聞きました。

僕が思っていた同期とは別の人でした。勘違いでした。すまぬ。


でも、いいゲームだと思うのは変わらない。




後半の話。

プリクラなど、「女子高生向け」でヒットした後での迷走話。


ちなみに、プリクラは共同開発とされていたが、アトラスがセガの基板で作り、セガの販路で売っただけだ。

そういうことはよくあったし、共同開発とは言わない。


しかし、ヒット後は各種バージョンへの要望が多く、また金になったため、セガが積極的に力を貸した。

その点では、ヒット後に出た亜種は「共同開発」と言ってもよいと思う。



アトラスの話なので、詳しい経緯は知らない。

でも、元々女子高生向けを狙って作ったところ、ちっとも売れなかった、という話は聞いたことがある。

だって、ゲームセンターにあまり女子高生来ないもの。


そこで、女子高生向けの雑誌などで提灯記事をたくさん書いてもらい、やっと売れ始めたのだとか。


番組では、「想像以上のヒットで、シール用紙などの供給が追い付かなかった」ということを言っていたが、セガは供給していなかったはず。



セガは、基板を貸したし販路も貸したけど、プリクラが売れるとは思ってなかった。

だから、「アフターサービス」という面倒な部分は、アトラスが責任を持つ契約だった、と聞いている。


結果として、シール用紙とインクリボンの供給だけでもすごい金額を生んだのだが、それらはアトラスの儲けとなっている。




で、その後を狙った開発話。


・ネーム倶楽部

・アロマ倶楽部


がしくじり例として取り上げられていた。


あれは実際…あまりヒットしたという話を聞かない。

別部署のゲームなのでどの程度売れたのかは知らないが、期待したほどではなかったのだろう。



でも、「名刺という発想がおじさん」というのは、当時の世相を理解していない。

当時はまだ合コン文化、インターカレッジサークルなどの文化が残っているのだ。




知っておいて欲しい、当時の3つの要素がある。


1つめ。

大学生~若い社会人の間で、名刺を作るのが流行っていた。

ビジネス用の名刺ではなく、デザインに凝った「遊び名刺」だ。


自分を印象付けるためのアイテムなので、凝ったデザインにするのが流行していたのだが、凝ったデザインにするとデザイン料も高い。


当時急に普及し始めたカラープリンタで「自分で名刺を作る」人のため、名刺用紙、という専用紙も売られていたし、人気があった。


A4 サイズの紙に 10枚の名刺が取れるミシン目が入っていて、プリンタで印刷してから切り抜けば名刺になるの。

今でも一応売っている。


番組では「名刺という発想がおじさん」と言って笑いをとっていたのだけど、名刺は新しい若者文化だったのだ。



2つめ。

女子大生に流行したものは、やがて女子高生にも波及する、と思われていた。


当時…ではなくて、実はもう少し前なのだけど、女子大生に流行したものがやがて女子高生に波及し、女子中学生、女子小学生と波及が進んで、購買力が無くなって終焉する、と言われていた。


1980年代前半に流行の発信地だった「原宿」は、もともと大学生くらいが集まる場所だった。

やがて「大人」にあこがれる女子高生が来るようになり、さらに低年齢化して女子中学生が中心となる。


たしか、当時の中心はまだ女子中学生で、小学生も行きたがるようになりかけていたころ。

こうなってくると、お小遣いの範囲でしかものを買わないので購買力が落ち、街の収入は激減し、ブームが終焉を迎える。



別の例では、当時女子高生がポケベルを持つのが流行していた。

これは、女子大生から波及したものだ。


また、白黒フィルムで写真を撮るのが流行した。

これも女子大生から起きたものだが、女子大生は「一眼レフで白黒フィルム」だった。

女子高生に降りてくるころは、写ルンですだった。わざわざ白黒が発売されたのだ。


「かわいい文具」というのも流行したな。

これは、若い女子社会人(主に事務員)から流行が始まり、女子大生・女子高生と降りてきた。



…と、こういう例を挙げると、女子大生から女子高生に降りてくる、というのは事実に見える。

「だから名刺もきっと流行します」と言われれば、そうだと思うだろう。



でも、当時は「流行を作り出すのが、女子大生ではなく女子高生に変化した」と言われた時期でもある。


ガングロ・ルーズソックスは女子高生から流行したスタイルだ。

プリクラ自体、女子高生への流行から注目されたものだ。



だから、「おじさんだからわかってない」のだとすれば、女子大生に流行したのだから女子高生にも流行するだろう、と考えたことだろう。

当時は、そういう風潮の終わりかけた時代だったのだ。



3つめ。

実は、当時すでに「コインを入れて名刺を作る」機械はあった。

ゲームセンターではなく、人の集まる駅ビルの一角などによく置かれていた。


ビジネスマンが名刺を切らせてしまった時に、慌てて 10枚だけでいいから作る、というような用途を狙ったものだ。


こちらも、当時の「大学生の名刺ブーム」を当て込んだ部分もあったように思うが、基本的に会社名、氏名、連絡先程度しか入れられなかったように思う。



だから、セガのノウハウを使って「遊び名刺を作ったらウケるのではないか」というのは、当時としては至極まっとうな発想だった。


番組では、とても奇抜な発想のように言っていたが、そんなことは無い。

誰でも考え着くレベルの発想にすぎなかった。


誰でも考え着く、というのは悪い意味ではない。

「十分に機が熟している」という意味だ。うまく処理してやれば、ヒットする可能性がある。




…と、ここまで考えると、ネーム倶楽部はそれほど「しくじり」ではないように思う。

まぁ、実際売れなかったのは事実だろうけど、売れるゲームなんてほんの一握りだ。



僕はこのゲーム見たことないのだけど、発売直前に、チラシか何かで詳細を知った。


…で、残念に思った。

若者向けの「遊び名刺」を作ろうという機械なのに、印刷されるデザインに、あまり遊び心がないのだ。



まぁ、これは仕方がないことで、ある程度の定型があるからこそ、名前と連絡先と肩書くらいの情報で簡単に名刺が作れるのだ。


個性を出したオリジナルデザイン、なんて設定させようと思ったら、編集が大変すぎて、気軽に作ることができない。


そもそも、文字フォントだってそれほどたくさん使えなかったのではないかな。よく知らないけど。

多分プリンタ側に持っているフォントを使うのが精いっぱいで、多少サイズを変えられる程度。


それで遊び心を出そうとしても、無理がある。




アロマ倶楽部についてはあまり書かないが、こちらも似たような感じ。


当時は若い女性の間でアロマが流行していたのだけど、ゲーム機を扱う「おじさん」は、アロマが何であるか理解できていなかった。


商談の際に、ディストリビューター(ゲーム機卸)の人に対して、「香水が出てくるので、体に振りかけたりして使うんですよ」なんて説明をする営業もいたと聞いた。


(番組出演者も「パフューム」と言っていた。これは香水の意味だが、アロマオイルとは使い方がまるで違う。

 アロマというものは、今でも理解されないのだ。当時はなおさらだ。)



アロマが流行していたのは、女子大生よりもう少し上ではないかな、と思う。よく覚えていないけど。

会社員で、ストレスもたまって、だからこそ「良い香りで癒されたい」となるのだ。


元気いっぱいの女子高生向けではない。




両方とも、そもそも女子高生を狙ったものなのかどうかもよくわからない。

営業的には「倶楽部シリーズ」として売っていたけど、企画者は女子大生位を狙って作った可能性だってある。


当時、ゲームセンターには急に女子高生が来るようになっていたが、プリクラと、せいぜい UFO キャッチャー以外に遊ぶものがないので、すぐ帰ってしまう。


それを引き留められる商材を、と営業は求めたかもしれないが、もともとゲームセンターの客層は、大学生~若い社会人が多い。

企画者がそこら辺をターゲットに考えることは、何らおかしくないのだ。



「結果として」売れなかったとして、ことさら失敗ではない。

先にも書いたが、売れるゲームなんてほんの一握りだ。




そして、こうした倶楽部シリーズの「究極系」として紹介された、オーラ写真倶楽部


驚いた。そうか、そういう紹介か。


まぁ、自分が作ったものがテレビで紹介された、という喜びの方が大きいのだけど、しくじりとされるのは多少の悔しさもある。



「ゲームセンターに占いが置いてあっても、信憑性ない」なんてコメントも飛び出していたが、当時は占いゲーム機はいっぱいあったし、人気だったのだ。


2021.9.19 追記

当時の占いゲーム機のブームを示す資料があったので、別記事に記しました


まぁ、オーラが発売されたころには、占いゲームの人気もすでに下火。時期も悪かった。

出来が良かった、とも言わない。作っていた自分がそう思うのだから、お客さんはもっと敏感に感じ取るだろう。


プリクラと比べられても困るし、占いとしては大ヒットだった手相と比べても、実際出荷台数は少ない。



そもそも、「メイキング倶楽部シリーズ」となっているけど、何も作ってないからね。

営業判断で無理やりそういう名前になっただけで。



…あー、アロマ倶楽部も、同じ理由かもしれない。あれも作ってない。

あれって、基本的には占いゲームなのだよね? 遊んだことないから詳しくないのだけど。




他に紹介されていた、え~でる砂場、トイレッツに関しては、自分が辞めた後なんで詳しくない。


どちらも、すごく遊んでみたかったのだけど、近所に置いてある店を見なかった…



トイレッツはそもそも「トイレを綺麗に使ってもらうため」の仕掛けだったように思っている。

みんな、いい加減におしっこして、トイレを汚すのよ。


これが、「的を狙う」という目標があると汚さなくなる。

実際、TOTO では、80年代後半には「的」を焼き付けた小便器を生産していて、トイレが汚れなくなるというので話題になっていた。



ただ「的」を示すだけで汚れなくなる、というのはつまり、みんなおしっこを的に当てるのを「楽しい」と思っている、ということだ。

ならば、それはすでにゲームだ。もう少しゲームらしいルールなどを設定してやることもできるだろう。



番組では、構想5年、開発3年だったと紹介していた。

そして、トイレッツの発表は 2011 年。


まぁ、TOTO が80年代後半から作っていた、とはいっても、最初から話題になっていたわけではない。

2000年前後に話題になったような気がするから、その頃から構想し始めた、ということだろうね。


楽しいものがあるんだから、ルールを整えてゲーム化してみよう、というのは、発想としてはそれほどおかしくない。


まぁ、「問題作」だったのは事実だろう。

でも、実際設置したトイレは綺麗に使われるようになったとも聞くし、「しくじり」ではないように思う。




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