2015年09月の日記です

目次

03日 用語選びの難しさ
06日 X68k 復活
07日 ruby で数値演算
12日 レイ・ドルビー博士 命日(2013)
14日 模様替え
14日 引っ越し荷物の整理
19日 山内溥 命日(2013)
21日 ショッピングモールのはしご
23日 任天堂の創業日(1889)
24日 パラケルスス 命日(1541)
28日 シーモア・クレイ 誕生日(1925)


用語選びの難しさ  2015-09-03 12:19:54  その他

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先日 UBASIC の話題を書いたのだけど、Twitter でも「精度が出る」と書いたところ、「精度ではないのではないか」と疑問を持っている人がいた。

まぁ、この人は Wikipedia も調べたうえで、精度であっているらしい、けどなんか気持ち悪い、と言っていた。



その人を知識がないと揶揄するのは簡単だけど、それは本質ではないと思う。

問題があったのは僕のほうだ。たとえ、その用語が Wikipedia に正しい語として解説されていても。



僕はプログラマなので、つい「精度」と書いてしまった。

これは一般的にも使われる用語であると同時に、それとは違う意味を持つプログラマの専門用語でもある。


意味が二重になっているのが「気持ち悪さ」の原因なのだ。

言葉遣いに気を付けていないと、あらぬ摩擦を引き起こす。




精、という漢字は、精緻、精密、精工など、非常に細かいことを意味する。

精度というと、細かな部分をどこまで表現できるか、という意味になる。


一般的には、精度というと、「小数点以下3桁の精度」というような、非常に細かな部分まで考慮されている、というような使われ方が多い。


しかし、僕が出した UBASIC の話題は整数計算の話で、、むしろ「大きな数」を扱っていた。小数点は使っていない。

どうもここに気持ち悪さを感じられたようだ。




科学では、非常に大きな数を扱うことがある。

例えば、地球と太陽の距離は 149597870700m とされる。


…桁が多すぎて、どのくらい大きいのかよくわからない。

こういう時、科学では 1.495978707×1011 m というような書き方をする。


1011 というのは、「先頭の数字のあと、11桁ある」という意味ね。

全体では 12桁になるのだけども、数の大きさがよくわかる。

大きな数では、1.49... という数より、桁数のほうがずっと大切だったりもする。


そして、1.49... という数字はそれほど重要ではないので、適当なところで四捨五入して、1.496×1011 m、のようにされることが多い。



このとき、「小数点以下3桁の精度」とは言わない。

桁数がわかりやすいように、仮に小数点表記をしているだけで、実際には非常に大きな数だからだ。


でも、精度という言葉は使われる。仮とはいえ、小数点以下の表現が出てくるせいでもあるだろう。

小数点以下の3桁と、小数点の上の1桁を足して「有効数字4ケタの精度」という。


ここで一般用語との意味のずれが生じ始める。

一般には、大きな数の時は「精度が低い」とは言わず「およその値」や「概算」という。




コンピューターは本来「計算機」として登場したが、メモリや装置の関係で、最初から大きな数が扱えたわけではない。


でも、科学計算では上に書いたように、大きな数を扱う必要があった。

そして、科学計算は「桁数」のほうが重要だった。



このため、コンピューターでも、同じように「数値」と「桁数」を分けて扱う工夫が行われた。

小数点の位置を動かして数を表現するため、「浮動小数点表記」と呼ばれる。


ENIAC (1946)よりも前、ハーバードマーク1(1944)では、浮動小数点表記で出力するための機能があった。

Whirlwind I(1951) にも、浮動小数点演算のための命令がある。



コンピューターで浮動小数点を扱う場合、科学表記の考え方がそのまま導入されて、有効数字部分の大きさが「精度」と呼ばれるようになった。


現代的には、浮動小数点を 32bit で表現すると「単精度」、64bit で表現すると「倍精度」と呼んだりする。


#有効数字部分は、単精度 23bit 、倍精度 52bit 。それ以外の部分で指数などを表現。



先日の話で、長男が Scratch で計算してみたら細かな部分が省略されてしまった、というのは、「倍精度」では、有効桁数が足りなかったということだ。

ただし、計算ができなかったわけではない。細かな部分がわからないけど、浮動小数点演算により、概算を求めることはできたから。


そこで、僕はこれを「精度が足りない」と表現しただのけど、整数演算の話で「精度」という言葉を持ち出したので、冒頭に書いたような疑問を持たれてしまった。


専門用語と一般の語句で、微妙に異なる2つの意味があることが原因となっている。




さて、今回書きたいのは、「精度」という言葉の良し悪しではない。


計算機に限らず、どんな分野にでも「仲間内でしか通用しない言葉」というのがあって、そうした言葉にはしばしば、一般の語句を拝借したうえで意味を変えているものがある、ということなのだ。



僕も、建築業界の「養生」という言葉に違和感を持ったことがある。


一般的には、病気などを治すために安静にしていることだ。

建築では、コンクリートが固まるまで、カバーをかけて置いておくことを意味したりする。


カバーをかけるのは、コンクリートは「乾いて固まる」のではなく、「水と反応して固まる」ため。

乾燥すると固まらなくなるから、水が蒸発しないようにするのだ。


良い状態にするために安静にする、という意味で、これはまだ元の言葉の範囲内だろう。



でも、置いておくためにカバーをすることからさらに転じて、保護のための覆いを「養生」と呼んだりする。

塗装の際に、塗ってはならない箇所を保護するためのマスキングテープを「養生テープ」と呼んだりする。


これは、意味がずれ始めているように思う。

建築現場の見学などで、最初はすごく違和感を持った。じきに慣れたけど。


同じ業界内の人で使うのであればともかく、お客さんに使ってはならない言葉のように思った。



しかし僕もこのような「違和感」を、他人に与えてしまった。これは反省事項だ。

話をするときは、多くの人に理解してもらえるように努力しないといけない。


自分にとって当たり前だと、何が違和感の対象かもわからないので、努力目標なのだけど。




ジョブズが Macintosh を作ったとき、徹底してコンピューター用語を排除するように指示した。


代表例が、ボタンを押すときの Depress という用語だ。


単にボタンを押すのであれば「press」。

でも、press は、押して、そののちに離す、という動作を意味する。

「押し込む」ことに意味がある場合は、Depress 。


日本語では「押下」と訳される。

スペースキーを押下する、マウスのボタンを押下する、のように使う。

なんか変な専門用語だけど、日本語の場合それほどおかしいとは感じない。



ところが、英語の Depress は、一般的には「意気消沈する」という意味で使われる。

ボタンなんかを押し下げる意味も確かにあるのだけど、ふつうは「気持ち」が下がって、戻らないのね。


結局、この語句は「click」という擬音によって表現されることになった。

日本語なら「ポチッと」かな。スペースキーをポチッとな。マウスボタンをポチッとな。



ディレクトリはフォルダ(書類挟み)と呼び変えた。

厳密には Mac の実装の問題でディレクトリとフォルダは別の概念なのだけど。


ファイルも、ドキュメント(書類)と呼ばれる…ようにしたかったらしい。

ファイルが書類だから、それをまとめるものが書類挟みなのだ。


でも、ここは用語が徹底していない。

アプリケーションの上では、作ったものを「書類」と呼ぶのだけど、システムの表示するメニューには「File」と表示されている。


初代マックは画面が 9インチで狭かった。

メニューに Document と表示すると場所を取りすぎる、というので、大激論の末に File になったらしい。



コピーバッファもクリップボードと呼ばれるようになったし、ファイルを削除するのではなく、Trash する(ゴミ箱に捨てる)ことになった。

ここらへんになると、単に「用語」を改めただけではなく、それまでにない新たな概念を作り出している。



こうして、徹底してわかりやすさを心掛けたわけだけど、日本では残念ながら「外来語」のまま輸入されてしまった用語が多々ある。


クリックとかドラッグとか、わけのわからない横文字だらけでコンピューターは難しい、という印象を与える。

本来、わかりやすくするために苦心した用語なので、日本語に翻訳されるのが望ましかった。


マウスをポチッとなって、いいと思うのだけど。


#タイムボカン世代の老害




Mac の用語の言い換えは、ジョブズがすごかったという話ではなく、アメリカの文化が色濃く反映されている。


種がまかれたのは 1870年代だ。

アメリカの学者、チャールズ・パースを中心とする数人の人間が始めた、新しい学問のあり方の運動だった。


それまでの学問は、「金持ちの道楽」に過ぎなかった。

しかし、パースは学問を人々の生活に役立てられるように願った。


そのために、論文などを書く際に「相手に内容が伝わること」を徹底的に重視した。

言い換えが可能な言葉はできるだけ平易な言葉に言い換え、既存の言葉で表せない新たな概念は、新しい造語を割り当てる。


もちろん、造語を勝手に使うのは相手に伝わらない。

造語を使う際には、それがどのような意味を持つ概念に使われるのか、懇切丁寧に説明を行う。


とにかく、徹底して相手に理解を求めるのだ。


これ、「道楽」としての科学から見ると、茨の道に踏み入っている。

ただ自分が楽しいから研究している、というのと違って、人に説明して同意を得られるように、自分の理解も深くしなくてはならないし、それを人に伝える方法を模索しなくてはならない。


でも、パースに賛同する学者は後に続いた。学者だけでなく、政治家なども後に続き、法律の文章を誰にでも理解できる、平易なものへと変えていった。



そして 100年がたち、この考え方はアメリカでは普通のものになっていた。

家電品が高機能化しても、マニュアルは複雑怪奇にはならない。


日本では、開発してからその使い方を伝えるためにマニュアルが書かれたりする。

機能の呼び出し方が複雑怪奇で統一感がなくても、そのままマニュアルに記載される。


でも、アメリカでは先にわかりやすいマニュアルを書いて、それに従って機能を呼び出すインターフェイスを決めていく。

もちろん、「機能」は先にできているよ。でも、仮に機能を作り、それからマニュアルを整理し、最後に機能を呼び出すインターフェイスを作りこむ。


こうすることで、「伝えやすい概念」を考慮した製品となる。



この延長上に、ジョブズが Macintosh でやろうとしたことがあった。

その頃のコンピューターは黎明期で、次々と新機能が追加され、複雑怪奇になっていた。


それをもう一度わかりやすい概念に再構築すれば、誰にとってもわかりやすいものになるに違いない…。




日本では、こういう運動は残念ながら起こっていない。

いや、起こったのかもしれないが、世の中を変えるほどに定着しなかった。


今でも法律はわかりにくい専門用語で書かれているし、コンピューターは専門用語を理解しないと使えない。

「クリック」だって専門用語と化してしまった。



専門家は、自分が専門家であることを誇示するために、専門用語を使いたがる。

お役所では、一般的にも使われていないし、専門用語でもない謎の言葉を多用したがる。


実は、「理解されたくない」のだ。理解されたくないからわざと理解できない言葉を使う。


理解が進むと突っ込みが入る。

突っ込みが入ると専門家の権威が揺らいだり、お役所の仕事の流れが滞ったりする。

そういう事態を避けたいのだ。



これらを「わかりにくい」と指摘する声が上がるのは当然だし、わかりやすく変えていくいいチャンスだ。

でも、指摘されると「勉強が足りない」と相手に責任転嫁して終わりにする。

根本的な考え方が、アメリカとは異なっている。



難しい概念をかみ砕いて説明しようとして、下手なたとえ話をはじめて「誤魔化している」と総攻撃を受ける政治家もいたね。

たとえ話は、実は伝えたことにはならない。理解してほしいのであれば、たとえ話に頼らずに伝える努力をしなくてはならない。


日本人がそういうものだ、という諦観した話にしたくはない。

伝えるために努力をし続けている人だっているし、僕もそういう人に続かなくてはならない、とは思っている。




そして、冒頭の話題に戻る。

「精度が低い」という言葉も、一般的な使い方と、コンピューター用語では微妙に意味が違うのだけど、うっかりと使ってしまった。

違う概念には違う言葉を使うべきだけど、専門用語として一般的な用語を「借用」しているところに問題の根っこがある。


「有効桁数が小さい」というべきだったのかもしれない。

有効桁数は科学者の用語なのだけど、これなら拝借はないため、意味のずれはおこらない。


相手が有効数字という概念を知らないと伝わらないのだけど、勘違いが生じるよりは、ずっといい。



2016.9.8 追記


「東京外国語大学 留学生日本語教育センター」に在籍していた数学者の先生が、同じようなことを研究した論文 (2014) を見つけました。


数学において特別な意味を有する動詞について


一般に使われている言葉が、意味を転用して「専門語」となった時に、専門家はそれに気づきにくいし、専門家でない人も気づきにくい。

ましてや、日本語に堪能ではない留学生に、日本語を理解したうえで、その意味を転用している「専門語」を教えるにはどうすればよいのか?


という問題提起から、いくつかの用語を「日本語として普通の単語だが、数学においては特別な意味を持つ」として整理し直しています。

ただし、ここではまだたった5つの単語を示しただけ。


最後には、数学だけでなく、コンピューター用語にもこうした単語は非常に多そうだ、と示唆しています。



本文中にも書きましたが、海外では伝えやすく工夫する文化が根付いていいるのですが、日本では根付いていません。

だれかが用語を整理する必要があるように思いますが、それは前途多難な、大変な作業だとも思います。



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X68k 復活  2015-09-06 16:48:27  コンピュータ

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X68k 復活

僕が大学生の頃に、シャープの X68000 というパソコンを使っていた。

通称 X68k 。k はキロの意味で、数字の後ろにつけると「000」を意味する。


X68k は当時としては非常に先進的なホビーパソコンだったのだけど、ここら辺の話題は18年前に記している


その記述の一番最後に、「私のX68kは、この記事を書いた直後に故障し、電源が入らない状態になりました。」と書いている。

これ、当時は知らなかったのだけど、X68k の持病。



四級塩電解コンデンサ、という電子部品があり、当時は新製品で、高性能な高級品だった。

X68k ではこの部品を多用したのだけど、何年もたってから「耐久性が悪く、経年劣化する」ことが分かった。


何年もたたないと発覚しない問題で、当時としては仕方のない事例。

今ではこのタイプのコンデンサはあまり使用されない。使用された場合も、もちろん改良され、問題は解消している。


でも、とにかく X68k は経年劣化し、主に電源部分が故障する。

電解コンデンサ内の電解液と呼ばれるものが漏れ出し、場合によっては基盤を腐食する。

ほかの部分に問題がなくとも、電源が入らなければ当然のことながらコンピューターは動かない。



後に問題と対処法を知った。

コンデンサを全部等価品に付け替えればよい…のだけど、電子部品知識がなくて、どれが等価品かわからないし、はんだ付けに自信がない。

(はんだ付けの手際が悪くて部品を壊した経験は何度もある)


ATX …昔の PC 互換機の電源を流用して修理する、という方法も一時期流行したけど、これも時代とともに ATX 電源が入手困難になった。


そして、X68k は「いつか修理できる」と信じたまま、荷物の奥に埋もれっぱなしになった。




5月の連休に「マイコンインフィニット PRO 68k」に遊びに行った。

X68k を中心とした、古いパソコン好きが集まる展示即売会。


正直なところ、自分が古いパソコン好きなのかどうか、よくわからない。

特にこういう場では浮いている気がする。


だって、皆さん本当に今でも昔のパソコンが好きで、精力的に活動している。

僕は、「当時の思い出」を大切にしているだけで、今更昔の機械を使ったり、当時のゲームで遊ぼうというほどの情熱がないのだ。


とはいえ、会は非常に楽しかった。

情熱に当たり、もう一度 X68k で遊んでみたいな、という気にはなった。


でも、X68k 壊れてるし…と Twitter で書いたところ、マイコンインフィニットにも出展していて、同様の会である「レトロエクスプレス」の主催もしている田辺敦司さんに、「よかったら修理しましょうか?」と声をかけていただいた。



もちろん実費+アルファ程度はかかるわけだけど、趣味でやっているそうで、技術者に働いてもらう金額としては非常に安い。

ただし、趣味だし、常に修理待ちがあるのでいつ完成するかはわからない。


すぐにお願いすることにした。




それから3か月、2週間前の日曜日に、修理が終わって戻ってきた。


しかし、この日は予定があって外出。動作確認できず。

平日は忙しくて、次の休日(先週末)に動作確認を試みる。


…あれ、RGBケーブルがない。

えーと、昔の日本のパソコンって、今の PC の RGB ケーブルとは違うものを使っていた。


15ピン、というピン数も、その信号の意味も同じなのだけど、今はピンが3列、昔は2列。物理的に繋げられない。


家中探したら、3列→2列変換アダプタが見つかった。

古いパソコンの液晶モニタにつないでみる。しかし、 OUT OF RANGE 表示。



今のパソコンは、画面表示に 48KHz~100KHz くらいの水平走査周波数を使っている。


簡単に言えば、周波数が高いほどドットが細かく、画面に表示できる情報が多くなる。

今のディスプレイも、当然この周波数に対応している。



でも、X68k は 15KHz~31KHz を出力する。今のディスプレイでは周波数の範囲を超えてしまう。

これがつまり「OUT OF RANGE」表示の意味。画面を出力できない。



すっごく古い、ブラウン管ディスプレイを引っ張り出してつないだら動いた。

グラディウスを読み込ませて、起動することに成功。



でも、どうも周波数がぎりぎり下限のようで、映像が不安定だし、時々ディスプレイからパチパチ音がする。負荷がかかっている。

ディスプレイに負荷をかけるのは怖いので、起動成功から1分ほどで慌てて電源を切る。




RGBケーブルを探しても見当たらないので、アマゾンで購入。

今更こんな古いケーブルを売っていることに感謝。まさにロングテール。


ケーブルはすぐに届いたが、やはり平日は忙しく、今日やっと動作確認。


純正モニタに接続し、グラディウスを起動。…できない。おかしいな、こないだはできたのに。

どうも、フロッピーディスクドライブ 0 が不調のようだ。全くダメなのではなく、不安定。

先日はたまたま起動できただけみたい。経年劣化だろう。仕方ない。



ハードディスクからの起動は、途中まではいくのに、なぜか止まってしまい、起動できない。


FDD1からグラディウスを起動すると、動作はする。

久しぶりに遊んだら、モアイステージで終わった。昔は軽々一周してたのにな。



ところで、家にあった純正マウスは、マウスのボールを覆うゴムが劣化し、ひび割れていた。

固くなってひび割れる一方で、部分的にはべたついている。


別売りの純正トラックボールも持っているのだけど、こちらは壊れているようで反応しない。

これまた純正(?)の、X1 用ゲームパッドは問題なく動いた。




ハードディスクから起動できない問題を追う。


フロッピーから起動し、ハードディスクの CONFIG.SYS を眺める。

起動時に使われる設定ファイルね。


標準エディタである、ED.X を使って編集。

…もう使い方忘れたよ。HELP ボタンを押したらキー操作が出てきて助かった。


何が悪いかわからず、不要そうなドライバを外してみては、再起動。

うまくいかないともう一度フロッピー起動して眺める。


…なんか、C:\COMMAND.X が読み込めないようだ、とわかってくる。

COMMAND.X 単体で動かせば動くし、ファイルが壊れているわけではないようだ。なんで?



しばらくやっていて、わかった。

そういえば、X68k では「起動ディスクが A: になる」のだっけ。


PC互換機では、起動ディスクにかかわらず、ハードディスクは C: から始まる。

これが気持ち悪いので、X68k のデバイスドライバで「フロッピーを常に A: B: にして、ハードディスクを C: にする」ドライバを組み込んでいた。


ところが、なぜか(いろいろいじる前から)このドライバがコメントアウトされていて、そのせいで C:\COMMAND.X なんてものは存在しなくなっていた。


気づいたので、ドライバをちゃんと組み込んで解決。



#当時のパソコンは MS-DOS が標準的な OS だけど、X68k は CPU が違うため DOS は使えなかった。

 しかし、X68k の OS は操作方法はほぼ DOS 互換。もちろんソフトの互換性はないけど。


#先に COMMAND.X と書いたのは、DOS でいえば COMMAND.COM に当たるもの。

 また、起動ドライブが A: というのは、DOS を使っていた PC-98 でもそうだったため、それを真似たもの。




ところが、今度は AUTOEXEC.BAT がうまく働かない。

起動直後に実行するプログラムを記述したファイルね。


どうも、いくつかのプログラムで「メモリが足りない」と怒られてしまう。


あー、これはあれだな…。コマンド名なんだっけ。

ディレクトリの中を探し回り、SWITCH.X を見つける。そうそう、こいつだ。


しかし、「OS バージョンが違う」と怒られ起動できない。


気づくと、OS がバージョン3だ。最終バージョンだけど、一番普及したバージョン2との互換性が微妙に悪かったもの。

うーん、きっと「とりあえず最新版に」とアップデートしていたのだろうなぁ。


フロッピーから起動して、SWITCH.X を動かす。

これ、X68k の様々なハードウェア設定を行うプログラム。


設定は SRAM に書き込まれるのだけど、長年通電していないので、SRAM も消えていて当然だ。


やはり、メモリ設定が 1M になっていた。初代機の設定がデフォルトなんだな。

僕のマシンは標準で 2M 搭載しているので、2M に設定する。


これで、ハードディスクから起動できるようになった。




ハードディスクの中を少し覗いてみると、TF があった。

TF! なんと懐かしい。


当時のパソコンは、すべてをコマンドで操作する。

大抵の操作は「ファイル」に対して行われるのだけど、最初はどんなファイルがあるかすらもわからない。


なので、まずファイル一覧を表示するコマンドを使い、次にファイルの中身を見るコマンドを入れる。

そのコマンドで、今見たファイル名をタイプする。正確に同じ名前になるように。

間違えるとエラーになる。


でも、「ファイラー」と呼ばれるソフトを使うと、操作を簡単にしてくれた。

ファイル一覧を表示して、ファイルを選んで、簡単なキー操作で処理が行える。

拡張子によって最適な動作を行う、というような指定も可能。


記憶の限りでは、DOS では「エコロジー」が最初のもので、フリーウェアで FD が大人気だった。

でも、これらのソフトは、常に「現在のディレクトリ」が操作対象だった。

ファイルをコピーしようとすると、どこにコピーするのか聞かれ、パスをタイプする必要がある。



TF は、X68k で結構人気のあったファイラー。画面上に2つのディレクトリを同時に表示する機能があった。

コピーも、片方からもう片方に、簡単に行える。


すごく便利だった。X68k ユーザーが DOS ユーザーに自慢できる、数少ないソフトの一つだった。

Windows で Exploler 使っているのとほぼ同じ感覚、といってもよいと思うよ。



というわけで、良いものを見つけたので TF を起動して、ディスクの中を探検してみる。


…大学時代に書いた小説とか、詩とか、日記とか出てきましたよ。

こっぱずかしいけど、これも自分の歴史。そのうちなんとかして、今の PC にファイルを持ってきて保存しておくことにしよう。


ほんのわずかだけど、なんかエロ絵が出てきた。

これは削除。子供が X68k に興味を持っていじり始めるかもしれないので。


当時は今と違ってインターネットは普及していないし、エロ絵なんて入手困難だった。


#コミケとか行っていたらあったかもしれないけど、僕は行ってなかった。


ちなみに、今見るとたいしてエロくないよ。でも、入手困難だからそんなものでもありがたく保管してたのだろう。




というわけで、ひとまず X68k が普通に操作できる状況にはなった。

しかし…若気の至りでいろいろと変な環境を構築していて、素直に使いづらい。


UNIX 風のシェルとコマンド入れてあって、DOS とも UNIX とも違う微妙な操作感。


先に書いた通り、OS をバージョン3にしていたようだが、バージョン2用に作られていた便利なドライバなどが動かない。

特に history ドライバが動かないのは困る。


history ドライバは、X68k のコマンドライン入力を過去数百件分覚えておいて、キー操作ですぐに呼び出せるようにするドライバ。

UNIX ユーザーなら、bash で history-serch-backward / forward が使える状態、といえば理解してもらえるでしょう。


MS-DOS にはこうしたドライバはなかったので、非常に便利だったのだけど…

たぶん、X68k 使っていた末期には UNIX 的な環境にするのがうれしかったので、使えない状況になっていても気にしてなかったんだろうな。




いちおう、RS-232C クロスケーブルも購入してある。

ある程度使える環境が整ったら、別のマシンと接続して、古いファイルを吸い出してみよう。



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ruby で数値演算  2015-09-07 12:53:11  コンピュータ 数学

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先日 UBASIC で 100 までの自然数の最小公倍数を求めた、という話を書いた。


そしたら、「ruby使えばいいのに」という重要な示唆をいただいた。


なるほど。調べてみると、ruby は UBASIC 以上の有効桁数で整数演算ができた。


僕は ruby 使いではないので知らなかった。教えてくださった方に感謝。




ruby は一度手を出したことがあったけど、勉強途中で頓挫したままになっていた。


手を出したのは、1999年。僕が会社勤めを辞めて独立した時だ。

当時は perl で WEB プログラムできる人材が求められていて、独立して perl プログラムで稼いでいた。



当時はネットが「新しいメディア」で、相場というものが存在していなかった。


学生がバイト気分で気軽に「プログラム書きます」なんて仕事を請け負っていたのだけど、生活が懸かっていないバイト気分なので、めっぽう安い。

でも、バイト気分なので責任感もない。金を払ったのに納期通りに上がってこず、催促しても「定期試験なんで」と仕事をしようとしない…なんて話も実際に聞いた。



で、そういう痛い目にあった人は、会社も設立して真剣に仕事を請け負っている、といえばそれなりの金額を出してくれた。


#当時は今みたいに1円起業はできず、会社組織にしている、ということが本気度を示す指標だった。



でも、痛い目にあった人でないと、学生バイトと金額を比較され、同じとまでは言わないが安くやってくれないか、と値切り交渉をされる。


割に合わない仕事も何度かやった。



そして、じゃぁほかの人がなかなか手を出していない言語をやってみよう、と ruby に手を出した。

perl を勉強していたころから、perl をさらに使いやすくした言語として、ruby の噂は聞いていたから。



しかし、当時 ruby はそれほど有名ではない言語。上に書いたように、perl 使いの一部が気にしていた程度。

そんなわけで、ruby を勉強し始めてすぐに、ruby ができたところで仕事はない、と気づいた。



ちょうど仕事で知り合った人に「PHP を覚えてほしい」と頼まれ、PHP の勉強に切り替えた。

その人は日本PHPユーザー会の創設メンバーの一人だった。


当時は PHP だって知られておらず、覚えても仕事がありそうにはなかったのだけど、ありがたいことに PHP はその後有名になり、PHP ができるのであればそれなりに仕事があった。




さて、上に書いた話で ruby で勉強したのは、perl の延長として使えそうか、という程度の調査だけ。

プログラムを組むために、条件分岐や繰り返しなどの文法構造は理解したけど、データ構造を勉強する前に頓挫した形。


なので、bignum なんて存在を知らなかった。


#1999年当時のバージョンでも bignum は存在したのかな…とネットで調査したところ、当時からちゃんとあったようだ。

 だから、単に僕が勉強してなかっただけ。



この bignum 、なかなか優秀で、存在を全く意識する必要がない。

意識しないでよいからこそ、当時気づいていなかったのかもしれない。



下に、先日のプログラムと同等の計算を行うプログラムを示しておこう。

アルゴリズムなどは、ruby 向けに多少異なる。



Max = 100
F = Array.new(Max/2-2) {|i| i*2+3}
P = [2]


while a = F.shift
  P.push(a)
  F.reject! {|i| i%a==0 }
end


b=1
P.each do |num|
  a=num
  a*=num while a<=Max/num
  b*=a
end
p b


大きく3つのブロックに分かれている。


最初のブロックは、準備を行っている。

最初の行で 100 と定義している。これで、100 までの自然数の最小公倍数を求める。


2行目では、3~100 までの奇数のリストを生成している。素数の候補だ。

3行目は、素数のリストの準備。唯一の偶数である2は、最初から入れてある。


中央のブロックで、エラストテネスのふるいを実行している。

奇数リストの先頭を取り出して、素数リストに入れる。

と同時に、reject を使って、奇数リストから、今取り出した素数の倍数を削除する。


最後のブロックでは、素数リストから順次値を取り出し、適切な倍率をかけ、b に掛け合わせていく。

最終的に b が最小公倍数だ。最後の行で表示している。



UBASIC では 6006 までしか計算できなかった。

6007 は素数で、それを掛け合わせると桁あふれしてしまうのだ。


しかし、ruby では 100000 でも計算できた。さすがに時間はかかるけど。

答えは、69528383... で始まる、 43452 桁の数値になった。




それはさておき、UBASIC インストール方法まで含めて書いたのは、実はそれなりの意図もあった。



まず一つ目は個人的な理由。

もともと計算は小学生の長男の興味で始まったので、長男に BASIC を教えようと思ったの。


特に書いてないけど、長男がエラストテネスのふるいを作る部分で悩んでいた時に、家にある初心者向けのテキストから、エラストテネスのふるいのサンプルプログラムを見せたのです。


でも、BASIC を理解していないと全く分からない。目の前にアルゴリズムの答えがあるのに、それが理解できない。

日本語環境まで整えたのは、長男に使わせたときに、エラーメッセージが文字化けするようでは扱えないためです。


でも、これだけなら家の中でやればよいことで、インストール方法まで明示する必要はない。




最近の言語は、グラフィックを扱うのにややこしい仕組みが必要なものが多い。

でも、BASIC 時代はグラフィックの扱いは簡単で、UBASIC も例外ではない。


そして、UBASIC では複素数演算ができる。


5年も前に「いつか書きたい」と宣言したまま一切書いていない、マンデルブロ集合の魅力について書くのに良いのではないか、と考えていた。


マンデルブロ集合って、非常に複雑で興味深い図形ね。

非常に複雑なのに、その図形を描くための方法は非常に単純。


Z = Z2 + C


という、たった一つの式を延々と計算し続けて、結果をグラフにすればよい。


ただし、Z も C も複素数、というのがみそ。たった一つの式ではあるけど、その式の意味が非常にややこしい。

当然のことながら、複素数の理解が必要。グラフとして示すので、複素数平面も知らなくてはならない。



さらに、一般の計算機言語では複素数を計算することができないため、実数部と虚数部を分離して計算するテクニックが必要になる。

画像の生成は非常に厄介だし、計算している座標系と、パソコン画面の座標系を変換するマッピングテクニックも必要となる。


UBASIC なら、複素数を計算できるし、グラフィックを簡単に扱える。座標系だって自由に変えられる。



なぜなら、UBASIC は高校生が数学に親しむために作られた言語だから。

「テクニック」が必要となる部分を、できるだけ言語側で吸収し、アルゴリズムの理解だけを求めるようになっている。



…と、熱い思いで語ったけど、実は先日以降実際にマンデルブロ集合を描くプログラムを作ったところ、あまりの遅さにどうしようか迷っている。

UBASIC でアルゴリズムの概要だけ示すけど、実行はお勧めしない、というような書き方になるかも。


ruby でも複素数演算パッケージは存在するようだし、これも ruby でやってもよいかもしれない。

こちらは、BASIC 程気軽にグラフィックを扱うことはできないようだけど、やはり描画パッケージ自体は存在する。




どちらにせよ、記事を書くとしたらだけどねー。

複素平面を理解してもらうためには、まず虚数の面白さから入らないといけなくて、そこで悩んでしまって書くのが止まっている。


一応、目標は「小学生でも理解できるようにしたい」ということなのだけど、虚数の必要性を伝えるのはなかなか難しい。



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レイ・ドルビー博士 命日(2013)  2015-09-12 10:28:28  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、レイ・ドルビー博士の命日(2013)


ドルビー…っていうと、カセットテープを知っている世代には、なんかカセットテープの音質をよくするあれね、という記憶があると思います。

その後多くの音響技術を作り上げるのですが、あの「カセットテープのシステム」がドルビーが世界的に有名となったきっかけ。



今更覚えている人がどれくらいいるかわかりませんが、その昔、テープレコーダーの時代には、独特の「高音域のノイズ」が入りました。

高い音で、サー…っていう雑音が入るのね。



原因は、テープを動かしているため。

テープには磁性体が塗られていて、この磁性体の磁場を変化させることで記録を行います。


磁性体は、小さな磁石です。

テープが動けば磁場が動く。これを読み取って再生するのですが、「何も録音されていない」ときでも、磁場はかすかに動くのです。

これにより、高音域のノイズが生まれます。


#この、テープ由来のノイズを「ヒスノイズ」と呼びます。

 テープ由来でなくても、同じような音はヒスノイズと呼ばれるけど。




もう一つテープ時代特有の技術話を。

テープレコーダーは、全周波数を均一に記録できるわけではありません。


テープを動かすことによる「磁場の変化」で記録を行うので、低周波数になるとこの変化がゆっくりになりすぎて、記録が弱くなります。

また、テープの動く速度に比較して、早すぎる動き…高周波数の音も、うまく記録できず、記録が弱くなります。


もともと、テープレコーダーは人の声を記録することを前提に開発されました。

そのため、人の声の周波数はきれいに録音できますが、それよりも低かったり、高かったりすると記録が弱くなる性質があるのです。



そのため、テープに音を記録し、再生すると、音が歪みました。

これは先に書いた高周波ノイズとは別の問題ですが、テープレコーダーの難点でした。




どちらも、テープレコーダーの原理上「仕方のないこと」でした。

でも、ドルビー博士はこれをどうにかしたかった。1966年に、ドルビー・ノイズリダクションシステムを完成します。

両方の問題を一挙に解決する、素晴らしいアイディアでした。



高音域は、記録が弱くなってしまうので、あらかじめ高音域の音だけ大きくしたうえで録音します。

再生する際には、読み取ってから音を小さくして、再生します。


これによって、記録の弱さを補えます。同時に、高音域で勝手に発生してしまうノイズも、「小さくして再生」するので軽減できます。



基本アイディアはこれだけ。

低音域も音を大きくして記録したり、いろいろな微調整があり、音質が明らかに向上しました。



当初は、映画などに使用される音響技術として使われ始め、のちには民生用のコンパクトカセット(いわゆる、カセットテープ)でも使われています。


#映画用と民生用では、多少技術内容は異なります。




ノイズリダクションシステムを皮切りに、ドルビーサラウンド、ドルビーデジタルなど、ドルビー博士は時代の求める音響技術を次々と開発していきます。



パソコン用にドルビーデジタルが出てきたころ、僕は「ドルビーといえばヒスノイズ軽減」と思っていたので、テープの存在しないパソコン音源になぜドルビーが? と思いました。


これ、音声圧縮システムなのね。mp3 などと同じ。

ac3 がドルビーデジタルを意味していて、5.1 チャンネルサラウンド。

左右だけでなく、センター、後ろ左右、低音用サブウーファーの音声を同時に記録できます。



ドルビーサラウンドは、ステレオ 2ch で、後ろスピーカーから出す 3ch 目の音も記録する技術。

ステレオスピーカーでも問題なく再生でき、スピーカーを増やすと迫力が増すため、広く使われました。


のちに改良され、ステレオ音声記録で、5.1ch 再生まで可能になっています。




テープ時代のドルビーは、ノイズを低減する代償として、音が少し歪む、という問題もありました。

パソコンのプログラムを記録する際は、ドルビー機能を使わないことが推奨されたものです。


#パソコンのプログラムを、1200Hz / 2400Hz の「音」で 0/1 を表現して、カセットテープに記録していた時代があったのですよ。


ドルビーサラウンドも、ステレオと互換性を持つ記録で 5.1ch 再生できる、というメリットはありますが、もちろん最初から 5.1ch を記録するのに比べると音は悪いです。



ドルビーデジタルも、圧縮形式としては初期のもので、今となっては後発の dts のほうが音質が良い、と言われます。


ドルビーの技術は、音質を良くしようと作られているものが多いのに、「音が悪い」といわれやすい。



ドルビー技術は、最初の制約の中で、工夫によって音質を上げようとするものが多いです。

制約自体をなくして、後から作られた技術に劣るのは当然。

そこと比べて悪口を言うのは簡単だけど、現実問題として存在する制約をクリアできるドルビーの技術は、広く使われていることが多いのです。


ドルビー博士はすでに亡くなりましたが、研究所とスタッフは活動を続けています。

これからも、音響の新技術を開発し続けるのでしょう。


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模様替え  2015-09-14 13:44:05  住まい 家族

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9月12(土)、13(日)に、今の家に引っ越して10年目にして、最大の模様替えを行った。


今まで家族全員が同じ寝室で寝ていた。

引っ越してきたとき、長男はまだ0歳だったから、同じ部屋で寝ていたのは当然。


長女が生まれたとき、長男は長女にベビーベッドを譲った。

とりあえず親のベッドの横に布団を敷いて寝かせ、寝付かせるときは添い寝した。


次女が生まれたとき、長女はベビーベッドを譲り、2段ベットを購入した。


長男は上の段。このときまだ保育園児。

添い寝ができなくなり最初は寂しがったけど、じきに慣れた。


長女は妻の横、次女は僕の横に寝る形になっていた。




とはいえ、一つの部屋に親用のベッドと2段ベッド、ベビーベッドは狭かった。


長男が小学生になるとき別の部屋へ…と考えたけど、さすがにまだ寂しがった。

長女が小学生になるとき、長男と一緒に別の部屋へ…と考えたけど、長女が寂しがった。


それから1年。

長女は2年生になり、次女は保育園の年長さん(5歳児クラス)となった。

5歳児クラスの中では一番の「おねぇさん」で、進級してすぐに6歳に。


でも、妻譲りで体がちっちゃく、6歳なのに3歳の平均身長・体重程度しかない。

なんとかベビーベッドで寝ていられたが、さすがに少し窮屈。


春ごろ、新しいベッドを買って、子供は別の部屋に…と計画を話したが、長女も次女もまだ寂しがる。

その後も時々話を出していたら、長女は夏休み前には「そうする」と言い出した。


次女は寂しがるので親と同じ部屋に残すとして、夏休み中にはなんとか…と考えた。




でも、移動予定の部屋、10年前の引っ越し以来未整理の荷物がまだ積みあがっているのね。

これを片付けてから…と考えていたら夏休みが終わってしまった。


片付けてからなんて考えているといつまでたっても進まない。

エイヤっと、長男のベッドを買ってしまう。


もう小学校高学年だから、ロフトベッドで下が机になっているものを


今まではリビングの机で勉強していたのだけど、長女と一緒に勉強していると気が散ってしまい、一人でやりたがることが増えてきていた。

これで、長男も自分の机…自分のスペースを手に入れたことになる。



先週のうちに組み立て家具が届いていて、土曜日に組み立てを行う。


まず、午前中から未整理の荷物を、文字通り右から左へ移動。

壁際に置いてあったのだけど、壁際にベッドを組み立てたいので、窓際に移しただけ。


しかし、十分なスペースを確保できない。

ベッドを「置く」スペースはできたのだけど、組み立てにはもっと広い場所が必要だ。


寝室の、次女が使っていたベビーベッドを片付け、そこに一部荷物を移動する。


これでやっとスペースが確保され、午後からベッドを組み立てる。

子供たちも興味をもって寄ってくるが、非常に巨大だし重い。

怪我をするといけないから離れてろ、と何度も叫ぶことになる。


とはいえ、あらかた組みあがってきたら、ボルト止めなどは子供たちにも体験させる。

長男のベッドが組みあがると、喜んで子供三人で遊び始めた。



この時点ですでに夕方。

申し訳ないが、長男にはこの日は一人で寝てもらうことにする。

(一人のほうが静かに寝られる、とも言っていたけど、強がりの気がする)



2段ベットは、長女が上に引っ越し、下に次女が入る。

ベビーベッドのマットや布団を移動しても、2段ベッドの下だとスカスカ。


寝返りをうったら、ベッドの底板に転げ落ちて痛そうなので、周囲は毛布などを使って埋める。




予定としては、翌日に2段ベッドの上だけを長男と同じ部屋に移動、というつもりだった。

長女はそちらに寝て、次女は残された2段ベットの下段で、親と一緒に寝る、ということね。


でも、次女も長男のベッドを面白がっていて、一緒に別の部屋へ移ると言い出す。

本来それが望みだったので、そうしてもらって全然かまわない。



この2段ベッド、組み立てに苦労した気がするので、午前中から早めに作業を開始する。

落とし込んでハメ込む部分などがあり、結構固かった覚えがあるので、外れるか不安だった。


でも、4か所ねじを外し、下から軽く持ち上げるだけで見事にバラバラに。

あれぇ? こんなに簡単だったっけ?


記憶を呼び覚ますに、今ばらしたのは「最終くみ上げ」部分のみ。

それ以前に、個々の部品を組み立てるのに手間がかかったかもしれない。


しばらくの間にたまった埃などをきれいに掃除し、別の部屋に移動してくみ上げ。

昼前には移動が終了した。



夫婦の寝室には広いスペースが空いたので、新しい子供部屋から、引っ越しのころから置いたままの荷物を移動。

まだ完全には終わっていないが、一応の格好がついた。




形がついてきて、購入しないといけないとわかってきたものがある。


長男は2段ベッドで、保育園のころから使っていた子供用布団を使ってきたのだけど、そろそろ大人用布団にしないといけない。


…と思ったら、僕が結婚する前に使っていた布団が保管してあった。長男に譲ったので、これは問題なし。



机はできたが、椅子がない。ベッドの下なので机は陰になってしまい、デスクライトも必要。

フローリングの上で椅子を使うなら、フロアマットも敷かないとフローリングがあっという間に剥げる。



新しい子供部屋にゴミ箱なんかも用意したいし、そろそろ洋服箪笥を用意して自分のものは自分で管理してもらおう。

(いままで、家族寝室のクローク…突っ張り家具で作り出したスペースに保管していた)



午前中で組み立てが済んだので、午後に IKEA でも行こうか、と思ったけど、子供たちの反対にあった。

まだ新しい「自分のスペース」がうれしくて、その周辺を整えているほうが楽しいのだ。


長男のものをそろえようと思ったのだけど、長男が「来週でいい」というので、従うことにした。

なにより、慌てて行くより、事前に必要なものを吟味したい。





誰かに譲ろうと、妻がベビーベッドを分解掃除しながら箱にしまっていたら、次女が泣き出した。

ずっと使ってきたベッドが無くなってしまうのが寂しいらしい。


とはいえ、すでに我が家には不用品。

このまま誰にも使われずにゴミになっていくのと、誰かに使ってもらえるのと、どちらがベッドにとって幸せかな? と問いかけてみる。


次女も誰かに使ってもらったほうが良いのだとはわかっている。でも、寂しいものは寂しい。頭の理解と心の感情は違う。



このベッド、僕の姉が22年前に購入。(僕の運転で「お持ち帰り特価」の広告の品を買いに行った)

姉の子供姉妹が使ってから我が家にきて、次女で5人目のユーザーとなる。

(箱にしまった、と書いてあるが、ちゃんと購入時の箱がきれいに残してある。)


こんな古いものを欲しがる人がいるかは不明だけど、しっかりしたつくりで、まだまだ使える。

とりあえず、貰い手が見つかるまでは家に置いておくよ、という言葉で、一応の納得はしたようだ。



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あきよし】 おお、指摘ありがとうございます。公開後確認したはずなのに、こんな大バグが…修正しました。 (2015-09-21 09:54:42)

【ImpactDrill】 「でも、移動予定の部屋、」の直後のaタグを閉じる部分にシングルクォートが入っているようで、それ以降の本文がすべてリンクになってしまっています (2015-09-16 19:10:43)

引っ越し荷物の整理  2015-09-14 13:48:19  コンピュータ 住まい

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子供たちが別の部屋に引っ越した…という話ではあるが、これで出てきた荷物は10年前の引っ越しの荷物。

ずっと片付かなかった理由は、「ほぼ不要なものばかり」だから整理する必然性がなかったため。


もう一つ、小さな子供がいるといちいち興味を持たれてしまって、うっとうしいので整理できない、というのもあった。

今回も、古いものを引っ張り出しているといちいち「これ何?」とか聞かれて面倒だたのだけど。



なんでこんなの置いてあったのか、というゴミも多い。

10年の間にロストテクノロジーになってしまったものもあって、久しぶりに見ると面白い。


非常に古いヒューレット・パッカードのプリンタと、ネットワーク対応にするための機械が出てきた。


この機械、普通のプリンタをネットワーク対応にできるんだぜーっっ! って、今の人には理解してもらえない当時のハイテク技術。

プリンタを問わないのだけど、相性が確認されている HP のプリンタと一緒に使っていた。



そもそも、「プリンタがネットワーク対応ではないかった時代」を知らない人もいそうだ。

その昔、プリンタは専用の(USBみたいな汎用ではない)出力専用ポートを使い、パソコンに直接繋げられていた。



ネットワーク対応によって「複数のパソコンから使える」プリンタも存在したけど、すごく高価だった。

もしくは、プリンタのオプション危機で高価なカードを購入すると、ネットワーク対応になった。


そんな時代に、HP は、メーカーを問わずに普通のプリンタをネットワーク対応にしてしまう、魔法の機器を作っていた。


仕組みとしては、Windows NT サーバーに接続されたプリンタが「ネットワーク対応」になるのと同じだった。

機器がサーバーになっていて、Windows / Mac / Unix それぞれのネットワークプリントプロトコルを解釈できる。


僕は当時、 Linux と Win と Mac を同時に使っていたし、妻のパソコンもあったので、プリンタをネットワーク対応にしていたんだ。


#Linux 使っているなら netatalk と samba 入れれば…という話もあるが、当時はまだ「可能だけど不安定で、設定も面倒」だった。


これ、引っ越し前にはすでに不要になっていて、捨てようと思っていたけど、間に合わなくてとりあえず持ってきたものだ。

そのまま荷物のそこに埋もれて保管されていた。




今書いたように、プリンタポートは「出力専用ポート」だ。

にもかかわらず、ここに接続する CD-ROM ドライブ、なんてものも出てきた。


プリンタは 8bit パラレル出力なのだけど、実は紙切れなどの信号を受け取るために、4bit の入力があるのね。

さらに、セントロニクス社の独自規格だったプリンタポートが IEEE1248 で標準化された際、8bit 出力を「入出力」にもできる拡張機能が盛り込まれた。


でも、これはあくまでも拡張機能。普通のプリンタポートでは使えない。

そこで、先に書いた 4bit 入力を使い、4bit 入力 / 8bit 出力で使用できる、というモードも作られた。

これなら、従来のプリンタポートと互換のまま、ドライバの工夫だけで使える。


8bit 入力を使う場合は、4bit 入力の互換モードを使い、機器側から PC 側に、8bit 入力に対応しているかどうかを尋ねる。

そもそもこの「尋ねる」信号に対応してこなければ何も帰ってこないし、対応していれば 8bit 出力を 8bit 入出力に切り替えたうえで、「対応してるよー」と返す。


僕の持っているドライブは、4bit 入力のまま動作する。CD ROM としては等倍速の非常に遅いものだけど、当時の CD-ROM が接続できないノートパソコンに Windows 3.1 をインストールするのに便利だった。


#Windows 3.1 は、DOS をインストールしてあることが前提となっている。

 なので、DOS の時点で CD ROM ドライバを組み込み、CD-ROM から Win 3.1 をインストールする。

 Win 95 も、インストールディスクは DOS だったので、ちょっと細工すればいけた。




ずっと昔に使っていた Linux サーバーが出てきた。

初めて Linux サーバーにする目的で購入した機械だな。まだ Slackware の時代だった。


これも、プリンタと同じく、捨てそびれて持ってきたまま保管されていたものだ。

近いうちに捨てようと思っている。



古い SCSI ケーブルとか、ADB 延長ケーブルとか、PhoneTalk で使っていた電話線ケーブルなどは、少し残して捨ててもよいだろう。


USB2.0 接続の MPEG2 取り込み機器とか出てきたけど…とりあえず置いとく。

USB1.0 の MPEG1 取り込み機器も持っていたはずだけど、それは多分すでに捨てた。



IDE CD ROM ドライブばかり4台、3.5inch フロッピードライブ1台が出てきた。

…使う日が来るとは思えないけど、今すぐ捨てるほど邪魔でもないので置いておく。


CodeWarrior とか WebBoy とか Laser5 Linux+JE とか出てきた。これは完全なネタだ。置いとく。


…本当に必要なのか? 置いといたらまた10年放置されるんじゃないのか? とも思うけど、とりあえず、ね。




カセットテープの消磁機とか、クリーニングテープとか、カーオーディオのカセットテープデッキに突っ込んでステレオピンジャック入力にする機械とか、カセットテープ関連も結構発掘した。



カセットテープって、「テープヘッド」で磁気を読み取ったり書き込んだりするのだけど、ずっと使っているとこのヘッドが磁化してしまうことがあるのね。

そうすると、音が歪んで正常に再生できなくなる。


消磁機はこれを解消する機械で、ヘッドの磁化を調べたうえで逆方向の磁場をかけ、強制的に磁化を消去する。

カセットテープと同じ形なのだけど、中に基盤が入っていて、デッキに入れて使う。


クリーニングテープは、文字どおりクリーニングに使うもの。

直接的にヘッドを拭きます。クリーニング液(フロン)で水拭きした後、乾拭きする。



カーオーディオの…と書いたのは、これも消磁機のように、カセットテープの形のパッケージに基盤を収めたもの。


テープヘッドに当たる部分には、基盤側にやはりテープヘッドと同じものが入っていて、磁場を変化させられる。

つまり、テープによる磁場変化とご認識させて、カーオーディオに自由な音データを渡すことができる。



パッケージの端から、ステレオピンジャックケーブルが伸びている。


普通のカセットデッキでは、カセットを完全に機械の中に閉じ込めて蓋を閉じてしまうのだけど、カーオーディオでは運転中に入れ替えしやすいように、「押し込む」形が普通だった。


イジェクトすれば外に出てくるけど、押し込んだ時でも閉じ込められるわけではない。

機種によっては、カセットの一部が飛び出したままで、「現在カセットが入っている」と視認できるようにしてあった。


閉まっていない「穴」からステレオピンジャックケーブルを伸ばして、ポータブル CD プレイヤーなどに接続すると…

ラジカセの機能しかないカーオーディオで、CD も聞けてしまうわけだ。



高級品になると、カセット部分の「テープ送り機構」の動きを感知して、早送り・巻き戻しなどの信号をステレオピンジャックから出力できた。

ポータブル CD プレイヤー側がその信号に対応していれば、ポータブル CD プレイヤーの細かなボタンを運転中に触ることなく、操作しやすいインターフェイスで制御できてしまうわけだ。



今時カセットデッキがついたカーオーディオも少ないので、完全にロストテクノロジー。


…と思いきや、いまでも「iPhone対応」などの製品が出ているのね。

もちろん、先に書いた「早送り・巻き戻し」などの信号が、iPhone / iPod 用になっている。


一方で、カセットテープを知らない世代は直接 iPhone を突っ込んでしまうなんて話題もありました。



これ、いつか使う日が…来るとは思えないけど、置いとく。




すっごい汚いファミリーベーシックと、当時のものなのにすごい美品のファミコン本体も出てきた。

ファミベは僕が使っていたもので、変色している。ファミコンは妻のもので、ブーム当時のものだというのが信じられないほどの美品。


妻はゲーム好きなのだけど、親に許してもらえないのでこっそり遊んでいたんだって。

遊ぶ時以外は箱に密閉しておいといたから、今でも美しい。


これはもちろん置いておく。



以前に探していて見つからなかった Oh!X とかベーマガとか、こんなところに入っていたのか、というものも出てきた。




まだ全部の整理は終わってない。妻の未整理品も多いし。

しかし、引っ越し10年目にして、やっと荷物の整理が終わりそう。



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山内溥 命日(2013)  2015-09-19 14:23:20  今日は何の日

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今日は山内溥さんの命日(2013)


任天堂の中興の祖です。

花札の会社から、トランプやテレビゲームの企業にした人。


亡くなった翌日に追悼文を書いていますので、詳細はそちらをお読みください。

追悼文は「翌日」に書かれていたため、この記事は「命日」を記録することが目的。



また、11月7日の誕生日にも記事書いてます。山内博さんとして。

生まれたときは博だったけど、60歳で溥に改名しているんですよね。




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ショッピングモールのはしご  2015-09-21 10:52:46  住まい 家族

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先日来、子供部屋の大改修をしている。


今まで、家族で同じ部屋に寝ていたのだけど、子供を別室に分けた。

これに伴い、長男に机付きロフトベッドを購入、長男が寝ていた2段ベッドの上に長女が、長女が寝ていた下に次女が入り、次女が寝ていたベビーベッドはお役御免。


長男の敷布団は僕が結婚前に使っていた布団にして、長男が使っていた布団を次女へ。

しかし、まだいろいろなものが足りなかった。




日曜日、足りないものの買い出しへ。

少なくとも、ベッド用のマットが1枚足りない。長女の布団ももう小さくなっているので、大きなものが欲しい。

次女の掛布団も小さいが、長女から譲ればまだいける。(敷布団は、上に書いたように長男から譲り受けた)


長男は机ができたが、椅子がない。ロフトベッド下の机なので暗く、デスクライトも必要。


一応、藤沢のショッピングモール、Mr.MAX に行けばあるだろう…とは思っていた。

今まで2段ベッドで使っていたマットは、そこで購入したから。


椅子に関しては、IKEA で先日妻が購入した椅子に座らせてみた。

IKEA から通販も可能なので、この椅子が最低ラインの基準となる。


#後日追記 2015.9.23

 IKEA は通販やってませんでした。通販可能だと思っていたよ…




選択肢を増やすため、藤沢を通り過ぎて辻堂のショッピングモールへ。

湘南テラスモール。一応、ネットで情報を調べ家具屋がそれなりに入っていること、それらの家具屋が共同で、秋のインテリアフェアをやっている、ということは調べてあった。


…家具屋、となっているけど、雑貨屋とそれほど変わらない店が中心。

おしゃれ家具は多少あるが、子供の学習いすとか、学習用ライトとか、ベッド用のマットとかは売っていない。

(全然ないわけではないが、選択肢が狭いうえに、高級品ばかりで高い)


おしゃれスポットとして有名な場所なのだけど、「おしゃれ」に偏りすぎていて、生活に必要なものを買いに行く場所ではなかった。




数店回ったが疲れただけで、藤沢のショッピングモール、モールフィルへ。

ここは時々行くなじみの場所。


次女のランドセルも、そろそろ探さないといけない。長女の時はここで買った。

そんなわけで、かばん屋を見て、トイザらスへ。


かばん屋のほうが安い。でも、トイザらスは年末まで使える1万円クーポンによるキャッシュバックがあり、それを考えると安い。

しかし、トイザらスにあまり用事ないんだよね…


調べたら、トイザらスのWEB通販を使うと、8千円安かった。クーポンより高くつくが、かばん屋より安い。

じゃぁ、そちらで購入すればよい。




長男のデスクライトを探しに、nojima へ。

というか、テラスモールにも nojima があり、品ぞろえは当然一緒だった。


悪くないのだけど、親の目から見て、学習用にはちょっと暗い。

今時 LED のものばかりで、蛍光灯ライトに比べると少し暗いみたい?


一応長男が欲しいものは決めるが、保留。




さらに3つめのショッピングモール、Mr.MAX へ。

じつは、モールフィルのすぐ隣で、物理的にも連絡通路でくっついている。


ショッピングモールの3か所梯子というのは、保育園児の次女には歩き疲れて音をあげている。

Mr.MAX (ショッピングモール名でもあるが、中に入っている大型雑貨店の名前でもある)に直行。


ベッド用のマットは以前ここで買った。そして、まだ売っていた。

ただし、以前と同じものではなく、少し硬めのものを買った。

長男のロフトベッドは床面が金網になっていて、布団を敷かないマットだけの状態で乗ると痛かったから。


長男が新しいマットを使い、長男が使っていたマットを次女に譲れば無駄はない。


キャスター付きの回転いすも売っていた。多くは大人用だが、小さめのサイズもあり、長男にはちょうど良かった。

しかし、しばらく考えた長男、IKEA の椅子のほうがいいので、そちらにする、と決める。


長男はシンプルデザイン好み。IKEA のシンプルさのほうが良いらしい。


椅子から床面を守るフロアマットもあったので購入。




家電コーナーでデスクライトを見る。

nojima よりも品ぞろえの幅が豊富だった。


nojima のものは、「デスクライト」が中心だったのだけど、Mr.MAX にはベッドサイド用の暗めのものから、学習用の明るいものもまである。


というか、「学習用ライト」と「デスクライト」は JIS での区分が違ったのね。そんなことすら知らなかった。

学習用のほうが基準が厳しいようで、広い範囲を明るく、まんべんなく照らせるようだ。


学習用は2種類あったのだけど、色のバリエーションはなかった。

片方は白で、もう片方は黒。


ちなみに、黒は調光機能がついていて、白のほうが明るい。一長一短。

長男、机ベッドを白にしたので、合わせてライトも白にする、と選択。


#ちなみに、椅子も白がいいそうだ。




長女の布団を買おうと思ったけど、これは取りやめ。

安い6点セットは、いかにも安物だった

敷布団掛布団を別々に買うと、6点セットより高いけど品質も良くなる。とはいえ、まだ安物レベル。


それなら、家に使っていないお客様用布団があるので、それを長女に使わせてしまおう。

お客様布団は2つあるけど、お客様が来たのは8年位前だ。




Mr.MAX にはランドセルも売っていた。

トイザらスの通販よりさらに安い。じゃぁ、ここで買ってしまうか。


「さっきトイザらスの通販だけ調べたけど、Amazon 見てみて」と妻に言われ、スマホで検索。


…あ、Amazon のほうが安い。

さらに、少し型は違うが同じメーカーで、色・意匠とも次女が気に入っているポイントと同じなのが、さらに安い。


型が違うけど、画像を見せて次女に了解をもらったので、後で Amazon から通販することで決定。




Mr.MAX で満足いくものが見つからなければ、戸塚まで足を延ばしてニトリを見よう、と思ってた。

しかし、必要なものは入手できたので終了。



しかし、Mr.MAX すげーな。

デザインとか品質に「こだわらない」のであれば、かなりいろいろなものが揃います。


#安物しか売っていない、という意味ではないけど、高級品は置いてない。

 安物買いで損しないためには、見る目が必要。


#今回は子供部屋の改装で、急に必要になったものを、多数、安く入手したかった。

 Mr.MAX 向きのニーズだった、というだけの話でもある。



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任天堂の創業日(1889)  2015-09-23 10:41:27  コンピュータ 今日は何の日

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今日は任天堂の創業日。


会社が設立されたのは、1947年の11月20日です。

でも、会社組織化する前に、個人経営の山内房治郎商店で「任天堂」という屋号を使っていました。


#屋号とは、商売上の名前のこと。正式な名前とは別の通名。


その山内房治郎商店を創業したのが、1889年の今日。

テレビゲームで有名な会社としては、100年以上の歴史を持っている会社はそう多くないと思います。




安土桃山時代、トランプが日本に渡来します。

ポルトガル経由で渡来したため、ポルトガル語をそのまま使って「カルタ」と呼ばれます。


#トランプ、カルタ、という名前の由来も面白いのだけど、ここでは割愛。



ところがこのカルタ、賭博性が強くて、仕事もせずにカルタにのめり込む人がたびたび出た。

それでは困るので、何度も禁制品にされています。


「何度も」というのは、つまり禁止しても誰もやめないから。

禁止しても禁止しても、みんなカルタを遊び続けるのです。


ついには、カルタが禁止されれば似たような別の遊びを考えて禁制令をかいくぐる、という始末。


花札はこうしてできたもので、カルタの特徴として「数字が書いてある」という指定があったために、数字をなくしたものです。


でも、12か月を想像させる季節の絵柄を書き、各絵柄が4枚で構成されます。

つまり、現在の13枚*4種類のトランプと、ほぼ同じものなのです。


そして、江戸時代には花札も禁制品に加えられるようになります。




さて、任天堂こと山内房治郎商店を創業したのは、山内房治郎さん。

ファミコンを発売した時の任天堂社長、山内溥氏の曽祖父に当たります。


元々浮世絵などの版を作り印刷を行う、木版工芸家です。

江戸時代には珍しくない職業。


ただ、彼はこっそりと、禁制品の花札を作り続けていたようです。

いわゆる日陰者。でも、欲しがる人がいれば作る人も必要なのですね。



江戸時代、花札は禁制品とはいえ、需要がありました。

普通に流通しているし、幕府もそれに気づいているのだけど、お目こぼしがあった。


これ、裏には平和すぎた江戸時代ゆえの弊害があります。


当時、家は長男が継ぐものだった。…まぁ、継ぐほどの「家」があるのは、たいてい武家です。

でも、子供は多数います。次男、三男は普通にいる。


平和でない時代なら、武家は戦うのが仕事ですから、いつ長男が死ぬかわからない。

次男、三男であっても家をいつでも継げる覚悟でなくてはなりません。


ところが、江戸、特に末期は平和すぎた。

次男三男はやることがありません。主君を持てない浪人も多く、毎日を無為に過ごす状態。


将来家を継げないことがわかっているなら、何か仕事を始めたりできるとよいのですが…

身分社会でもあり「武士の子が商人になるなど家の恥」とされ、許されません。



結果、生活費は長男から十分に与えられ、将来のあてがあるわけでもなく、何かを始められるわけでもなく、ただ家の恥にならないように過ごしてくれ、という生殺し状態にされるのです。



で、こういう人が行きつくのは、賭博場。

生活費は十分にありますし、自分が苦労して稼いだものでもないので、どんどん賭博にお金をつぎ込みます。


さて、話を花札に戻すと、賭博場に花札はつきものでした。

これを本気で取り締まると、賭博場が存続できません。すると、武士の次男三男の欲求不満を解消する手立ても失われます。

もし彼らが、世の中への不満を募らせて暴徒となれば、江戸幕府にとっても危機となります。


…こんなわけで、賭場や花札は「必要悪」で、存在は明らかでありながらも、お目こぼしがあったのです。



花札が欲しければ、天狗のお面を看板としているお店に行けば入手できました。

天狗の「鼻」で、「花札」を意味しているのです。


任天堂の名前の由来は、賭博の結果を「天に任せる」という意味でもありますが、天狗の天でもあるようです。




明治維新が起こり、江戸時代の制度が見直される中で、カルタやトランプに対する禁制も 1886年に解除されます。


花札職人は日陰者ではなく、堂々と花札を売ることができるようになりました。

その3年後の今日、山内房治郎商店が創業されます。



詳細、および創業後の歴史は、「任天堂の会社設立日」に書いています。

そちらも併せてお読みください。



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パラケルスス 命日(1541)  2015-09-24 12:29:57  今日は何の日

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今日はパラケルススの命日(1541)。


多くの人にとって、誰それ、って人ですね。死んだのが16世紀ですから、コンピューター関連ではないです。

でも、ゲーム関係ではあるかな。

RPGなんかで出てくる魔物やアイテムなどの元ネタは、結構パラケルススの研究から引用されているのです。



僕が中学から高校の頃って、ドラクエなどのRPG全盛期。

D&DやT&T(いずれもテーブルトークRPG)でもよく遊んだし、こうしたファンタジー世界が大好きでした。



ちなみに、「パラケルスス」は、本人が名乗っていた通称。


「ケルスス」は紀元前ローマの名医の名前。

「パラ」は、超えるという意味です。


パラケルスス、で、伝説の名医を超える、という名前なのです。


本名は、テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムだったようですが、正確にはわかっていません。




実際には、医学に革命をもたらした人…のようです。

それまで伝承として伝わってきた薬の効能を追確認し、効能がない薬を排除し、それまで使われていなかった「鉱物」を薬として使い始めました。


特に、鉱物を薬として使用する際、1つだけを使用するのではなく、数種類を混ぜて科学反応を起こします。

「植物の持つ生命力によって治癒する」というような考え方ではなく、「病気に効く薬を精製する」のです。


水銀とかヒ素とかも薬に使っています。

もちろん毒性を持ちますが、毒だからこそ病原体を殺し、治癒もします。


彼は、それが毒であることも十分承知していましたが、「服用量が毒を作る」と考えていました。

わずかであれば薬となり、多すぎれば毒となるというのです。


これは当時としては全く新しい考え方でした。

現代の薬も、この考え方の延長上にあるため、「用量用法を守る」ことが徹底されます。


病気の原因についても、当時一般に信じられていた「体液のバランスが崩れる」というものを否定し、星の影響(医療占星術)を提唱していますが…まぁ、これは現代的に見ればどちらも間違っている。




他にも、四元素説に代わる三原質説を唱えています。

四元素(火・風・水・土)を否定するものではないが、これらはもっと基本的な三原質(硫黄、水銀、塩)から作られている、というのです。


特に、パラケルススは水銀を「宇宙の始原物質」と考えました。


これ、四元素説よりはよっぽど「科学的」な根拠があります。

錬金術は金の精製が最終目標ですが、水銀は金を精錬する際に使用された物質でした。


その水銀は、辰砂という鉱物を熱し、発生する蒸気を冷やすことで取り出せます。

辰砂は硫化水銀なので、硫黄も一緒に生成されます。


このように取り出した水銀は液体金属で、硫黄は有毒な二酸化硫黄ガスとなります。


しかし、反応時に塩を入れておくと、水銀は塩化第二水銀となり粉に、硫黄は硫化ナトリウムとなり、透明な結晶になります。

これらは、また混ぜたり熱を加えたりすることで、元の水銀や硫黄ガスに戻せます。


つまり、この「三原質」は適当に決められたわけではなく、金と反応しやすい水銀と、さらに水銀と関連の深いものが選ばれているのです。

この点で、根拠がない四元素よりも科学的です。


もっとも、それらが「宇宙の根源物質」かといえばそうではない。

当時の知識だから、今から見ると間違ってる。


でも、それはこの際問題ではありません。

その時の最新の知見を用い、過去に正しいといわれていたことを疑い、再検証する、という方法を確立したことがすごいのです。




ただ、四元素は紀元前から信じられている説で、パラケルススも完全否定はしていません。

三原質の作用で四元素が作られる、としたうえで、この四元素には、それぞれをつかさどる精霊があるとします。


火のサラマンダー、風のシルフ、水のウンディーネ、土のノーム。


これまでの「四元素」は単に物質だったのでが、パラケルススによってそれらに人格が与えられたのです。


#化学的に基本物質として認めがたいが、昔から信じられているものを否定するのも難しいので、精霊という「心の問題」に切り替えた、というべきか。



ちなみに、パラケルススは「錬金術師」といわれますが、金を作ろうという考えはあまり持っていません。

しかし、錬金術の手法で万病に効く薬を作り出せると考えていて、その薬を「賢者の石」と呼んでいます。




さて、ゲームなどに登場するパラケルスス。


まずは、上に書いた四精霊。ファンタジーの世界観には欠かせません。


「賢者の石」も、ファンタジーではよく出てくるアイテムです。

ハリーポッターの第1章も、サブタイトルは「賢者の石」でした。



医学の改革者であり、生命の謎にも興味があったようで、彼が「人工生命」を作り出した、という伝承があります。


著作物に作り方が書いてある、とされるのですが、ちょっと眉唾。

というのも、彼は実地の知見を求めて各国を放浪した医師であり、生前に本など書いていないためです。


もっとも、膨大な文書を残したのは本当のようです。それらは死後、整理され、出版されました。

ただ、この際も「パラケルススの著作だ」と騙った偽物が多数出版されているのですね…


ともかく、この人工生命、ホムンクルスと呼ばれます。

人間の精液をもとに作るとされていて、最終的には人間の赤ちゃんに育つものの、大きさは非常に小さく、フラスコから出すと死んでしまうようです。


ホムンクルスは「小さな人間」として、ファンタジーでは時々見かける魔物。



パラケルススが Azoth と書かれていた剣を持っていた、という伝承があります。

この言葉、意味も発音も不明。


ただ、後の錬金術師が「アゾット」と読むことにして、意味を「A から Z」つまり、始まりであり、終わりである、の意味と解釈しています。


これ、パラケルススがそう言ったり書いたりしたのではなく、彼の死後別の人が解釈しただけ、というのがみそ。

だから、もっと違う意味だという諸説にあふれています。


さらに、剣の柄には宝石が埋め込まれていたとか、その宝石こそが「賢者の石」だとか、剣の中に使い魔を封印していたとか、いろいろな伝説が入り混じっています。


謎が多いからこそ、想像の入り込む隙がある。

パラケルススの持っていた剣は「アゾット剣」と呼ばれ、ファンタジーのアイテムとして登場することがあります。



#剣ではなく杖だという説もある。蛇の巻き付いた杖が、医療のシンボルだからだろう。

 でも、アゾット剣を携行していたのはパラケルススが軍医をしていた時代だというので、剣でいいのではないかと思う。




…鋼の錬金術師は読んでないからよく知らない。

錬金術、という世界観をテーマにしているだけに、パラケルスス関連のものたくさん出てくるみたいだけど。

(この文章書くために調べものしていて、時々引っかかる…)



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