2013年09月24日の日記です


みどりの窓口開設日(1965)  2013-09-24 10:49:47  コンピュータ 今日は何の日
みどりの窓口開設日(1965)

今日はみどりの窓口が開設された日です。


みどりの窓口ですよ。さすがに、皆さん知っているでしょ?

今は JR ですが、国鉄時代からありました。指定席券を購入したりする窓口ね。


このみどりの窓口、日本のコンピューター黎明期と深いつながりがあります。

あまり資料がなくて、唯一手元にある資料「計算機屋かく戦えり」の要約みたいになってしまいますが、面白いので紹介しましょう。




話は1950年代にさかのぼります。

小野田セメント(現在の太平洋セメント)で、コンピューターの導入が画策されます。


なんで導入するかと言えば、社長が新しいもの好きだったから(笑)

まぁ、いろんな理由があったのですが、究極的にはこれに尽きます。


ただ、この社長ものすごい先見の明があるのね。

この当時、コンピューターは戦争の道具か、せいぜい先端科学で使われるものでした。

企業でもコンピューターを導入しているところはありましたが、科学計算が必要な研究を行うような企業ばかりの時代です。



小野田セメントは当時次々に全国のセメント会社を買収し、拠点を全国に広げていました。

それに伴い、各事業所の生産管理などの報告に時間がかかるようになっていました。


会社の全体像が把握できなくなれば、適切な経営はできません。

時間がかかるのが当たり前になれば、ノルマが達成できない時に「嘘の報告」を混ぜられても気づきにくくなります。


当時、アメリカではコンピューターを使ったオンラインシステムが、少数ながら動いていました。

適切なオンラインシステムを構築すれば、全国の現場の生のデータが届き、会社の運営に役立つに違いない。これが社長の読みでした。



しかし、先に書いたように、当時はコンピューターをこのような「事務作業」に使うなんて考えられない時代。

まず、IBM がコンピューターを売ってくれません。事務作業なら集計程度だろうから、パンチカードシステムで十分だろう、と言われます。

やっとコンピューターを手に入れても、現場との通信用の回線を電電公社が貸してくれません。電話線に音声以外のものを流して、他の回線にノイズが載ったらどうするのか、と断られます。


さらに、コンピューター本体だけで予算をオーバーしてしまい、全国の営業所に置く端末が開発できなくなります。


小野田セメントでコンピューター導入を行ったのは、当時入社したばかりだった南澤宣郎氏。

セメント会社でコンピューターをやるのは「出世できなくなる」と誰もやりたがらず、まだ社内の状況がわかっていない新入社員に仕事が回ってきたのです。




南澤氏は、難問をひとつづつクリアしていきます。


コンピューターは、IBM には断られたが UNIVAC から入手できました。


電話線が使えないのは、自分たちで専用線を引き、それを電電公社に「寄贈」しました。寄贈した以上は自分たちで引いた線なのに借り賃を払う必要がありますが、通信線の管理を専門の者に任せられることになります。


全国に多数ある事業所にテレタイプ端末を置き、現場からのデータを本社に集中させ、本社で処理したデータを各現場に直接送る、と言うシステムを構築します。


端末は、「開発した端末を他社に売っても構わない」という条件で、無料で共同開発してくれる業者を探します。(コンピューターを事務に使うことなど考えられない時代ですから、一般的な事務用端末も存在せず、開発から行う必要があったのです)


後には IBM や富士通にも同様の依頼を行ったそうですが、その際には「社屋建築の際にはセメントを提供する」という、コンピューターとセメントの物々交換まで駆使したとか。


当時、コンピューターを利用するとは、「報告されたデータを、本社で改めてパンチカードに入力して処理する」ことを意味していました。しかし、そんなことをしていては迅速な経営判断はできません。

現場がタイプしたらそのままコンピューターに入力される、と言うシステムを作り出したことで、生産性は向上します。


これが、日本で最初のオンラインシステムでした。




さて、小野田セメントのオンラインシステムは話題となり、新聞の一面で扱われたりもします。

会社の評判も上がり、この点でも受注は増え、うまく回るようになります。


そうなると、別の組織でもオンラインシステムを構築しようというところが出てきます。

日本で2番目のオンラインシステム導入は、国鉄でした。


当時の国鉄は、名前の通り国が運営していました。現在の JR と違って税金もつかわれています。

税金もつかわれるのだから、思い付きで新しいことを始めることはできません。オンラインシステムを導入するために、多くの学者を交え、国鉄事務近代化委員会が設立されます。


この時、学者に混ざって南澤氏も参画しています。

学者でもない民間人でも、日本でオンラインシステムを構築したノウハウを持つ、たった一人の人物なのです。



当時の国鉄は、座席予約を東京のセンターに集中させ、一括管理していました。

予約の電話は集中管理室に繋がれ、集中管理室では、回転する本棚の周りに10~20人の人が座っています。


本棚には、列車ごとのファイルが納められています。

予約電話が来たら、本棚から列車を探し、そのファイルを開いて空席を探し、そこにペンでチェックを入れて、電話先に座席番号を伝えます。


これで、日本全国どこからでも、間違いなく席の予約が行えます。

しかし、高度経済期で路線も増え、列車の利用者も増える中、このシステムは破綻寸前でした。




国鉄事務近代化委員会は、このシステムの改善をするための委員会でした。

もちろん、南澤氏はコンピューターオンラインシステムの専門家として呼ばれているわけです。


しかし、当時は真空管コンピューターの時代。

「壊れるかもしれないコンピューターを、激しい座席予約業務で使えるわけがない」という人がほとんどでした。


また、窓口の事務員からも反対意見が出ていました。


オンラインシステムが入って合理化されれば、人員が削減されて自分は職を失うかもしれない。

コンピューターのために数値で駅名を入れるなんて、間違いがあったら怖い。

コンピューターのキーボードと言うのはなんだかややこしくて使いたくない。


…などなど、理由は様々でした。


そこで、南澤氏は事務員に確約します。

もしオンラインシステムが導入されても、それは皆さんを激務から解放するためのものであって、人員削減はさせない。

駅名をコード化なんてしないし、キーボードなんてつかわない。今まで通りの作業が、ただちょっと楽になるだけのシステムにする。




南澤氏の考えたシステムはこうです。

それまでは、座席予約をすると切符に「ゴム印」で駅名を押印していました。


そこで、このゴム印の横にギザギザを付けます。

これが2進数のコードになっていて、コンピューターはゴム印を「駅のコード」として認識できるようにします。


事務員が予約を取るため、お客さんの要望を聞き、出発駅と到着駅のゴム印を選びます。

それをシステムに入れると、オンラインですぐに空座席が照会され、座席が取れたらプリントアウトします。


最後に、座席切符にゴム印を押印し、座席番号などを手書きします。

(まだこの時点では、切符にプリントアウトするようなことはできていません)


これなら、集中管理室と電話でやり取りする手間がなくなるだけで、いつもの事務内容とほとんど変わりません。




もう一つの反対意見、「コンピューターは壊れるかもしれない」に対して、南澤氏は「人間だって間違える」と反論します。

その通りです。機械にだけ絶対性を求め、人間には求めないのはおかしな話です。


そのうえで、南澤氏は対案を示しています。

間違えたらダメ、ではなく、間違えても問題がないシステムを構築しなくてはならない、と言うのです。


座席でいえば、各車両の一番前と一番後ろの座席は人気がありません。壁の近くは圧迫感があるためです。

ならば、その座席は予約時に売らないようにして、車掌が任意に割り当てて良い席とします。


もしも座席の二重発行が行われてしまい、座れないお客さんがいたら、車掌が任意の席に案内します。

お客さんが座席を予約するのは、その席でなくてはダメなのではなくて、座りたいからなのです。



…僕、この考え方大好きです。この話読んだの15年くらい前ですけど、その後ずっとトラブルを見るたびに「お客さんはシステムで何をしたいのか」と考えるのが癖になっています




国鉄のこのオンラインシステムは、マルス1と名付けられ、1960年から稼働します。

マルス1は試験的な運用でしたが、これがうまくいったため 徐々に端末を置く駅を増やします。


まずは、大幅にパワーアップされたマルス101。

この日記の冒頭の写真(別ウィンドウで開きます)は、上野の科学博物館に展示されているマルス101です。

写真の後ろ側に、ゴム印の入った棚も確認できます。


そして、1965年の今日、全国の152駅に端末が設置され、そこを「みどりの窓口」と呼ぶようになりました。マルスはバージョンアップされ、この時にはマルス102 となっています。




南澤氏はこの後もオンラインシステムの専門家として活動を始め、銀行のオンラインシステムを構築しています。

現在、日本のどこの銀行でも自分の預金を引き下ろせるのは氏のおかげです。



そうそう、銀行がオンラインシステムを導入する前は、日本各地で銀行の金利は違うのが当たり前でした。


小野田セメントでは日本の企業としては最初に全国の事業所をオンラインシステムで結んだため、この「金利情報」も時々報告させていたそうです。


そして、その時一番金利がよい銀行に、会社の資産を移動します。これだけでもずいぶん儲かり、他の効果と合わせて当時の金額で一億円を超えるコンピューターの導入をなんとか採算に乗せることができたのだとか。


ここら辺、銀行より先にオンラインを組んでしまった強みですし、その運用方法に気づいた南澤氏もすごいと思います。


後日追記 13.09.25

きしもと(@ksmakoto)さんより、国鉄側の状況資料いただきました。


最初に書いた通り、上に書いているのは「計算機屋かく戦えり」に書かれた情報がほとんどです。

そこでは、日本のオンラインコンピューティングの発達史を、南澤氏に直接インタビューしています。


そのため、「みどりの窓口開設日」の話にも関わらず小野田セメントの話や銀行オンラインの話も扱っているわけですが、その一方で肝心の国鉄の話が少ないというアンバランスになってしまっていました。


…で、資料いただいたので織り込もうと思いましたが、今の記述内容に織り込むと煩雑になってわかりにくくなるだけだと思ったため、資料だけ提示します。


興味を持った方は、ぜひこちらもお読みください。


国鉄座席予約システム MARS-1 における技術革新





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