今日はFireFoxの誕生日。
♪あなたは もう 忘れたかしら~
WEBブラウザが 有料の時代~
と、唐突に訳の分からない替え歌から。
いや、本当にどれくらいの人が、WEBブラウザが有料だった時代を覚えているのでしょう。
WEB が産声を上げたのは1990年。
多国籍の科学者の集まりである CERNでは、それぞれの所属する国や団体の制約で、科学者が使うコンピューターも、ソフトも、論文の管理方法もバラバラでした。
しかし、科学者同士で論文の交換もできない状態は、仕事に支障をきたします。
そこで、「あらゆるコンピューターで論文が閲覧できるシステム」の作成が行われます。
今回の話の中心ではないので割愛しますが、このシステムが現在の WEBです。
最初の WEB ブラウザは、テキストしか扱えませんでした。
当時のパソコンは、グラフィック機能は本当に千差万別でしたし、論文の閲覧と言う目的ではテキストで十分だったのです。
その一方、最初の WEBクライアント(パソコン側に入れるソフト)は、閲覧だけでなく、編集の機能もありました。
HTMLタグは、あくまでもデータ交換のための中間形式で、論文執筆者はタグを意識する必要はなかったのです。
ただ、最初の時点ではクライアントは NeXTstep (現在の Mac OS X の元になった OS)用しか存在しませんでした。
その後すぐに、目標である「あらゆるコンピューターで」論文が閲覧できるように、クライアントの各種移植が始まります。
初期には本当にいろいろなクライアントが作られましたが、後の方向を決定づけた有力クライアントは 1993年に作られた、Mosaic でした。
#米国立スーパーコンピュータ応用研究所(National Center for Supercomputing Applications)で開発されたため、NCSA Mosaic と呼ばれます。ここでは Mosaic と表記します。
Mosaic は、当初は NeXTstep 用のWEBクライアントを改造し、画像を表示できるようにすることから始まっています。
他にもいろいろな拡張がなされていますが、CERN が WEB を開発した意図を理解しないまま拡張しているため、いろいろ拡張方法に問題がありました。この問題は今でも尾を引いていて、CSSとHTMLの関係がややこしい一因にもなっています。
それはともかく「画像が表示できる」は大ヒットアイディアでした。
そのうえ、Mosaic は Unix / Mac / Win に移植され、本当の意味で「あらゆる環境で」使えるクライアントだったのです。
この Mosaic によって、WEB は一気に普及します。
日本では富士通が権利を取得して日本語対応版を作り、販売されました。
しかし、Mosaic の作者…NeXTstep用に各種改造を取り入れたマーク・アンドリーセンは不満でした。
彼は NCSA に籍を置いていましたが、改造は NCSA の業務ではなく、「面白そうだから」勝手にやっていただけです。
しかし、NCSA は Mosaic が金になりそうだとみるとアンドリーセンから Mosaic を取り上げ、改造を一つ加えるにも稟議を通さなくてはならない状態になりました。
ところで、シリコングラフィックス社(SGI)という会社があります。
世界初の、リアルタイムで3Dグラフィックスを動かせるコンピューターを設計し、NURBUS 曲面を実用化し、任天堂の Nintendo64 の設計も行っています。
この会社を設立したのは、コンピューターグラフィックスを研究していた大学教員、ジェームズ・クラーク。
彼は大学の教員である一方、実業家の側面も持っていました。
SGI は1990年に上場企業となり、彼は大金を手にして経営から離れていました。
そして、Mosaic に出会うのです。この市場はこれから大きくなる。実業家の勘でした。
クラークは、すぐにアンドリーセンに連絡を取ります。
そして、アンドリーセンが NCSA で Mosaic に失望していることを知ると、会社を興して Mosaic を超えるブラウザを作ろう、と持ち掛けます。
詳細は省きますが、これで作られたブラウザが Netsacape Navigator (以下 NNと表記)でした。
あらゆる面で Mosaic を超えるソフトで、あっという間に WEB ブラウザの代名詞となります。
特に、新たに作られた作表機能は WEB の表現力を根本から覆しました。
それまでは「論文のような」つまらない体裁だった WEB が、まるで雑誌の記事のように華やかになったのです。
#table タグを「見た目を整える」のに使うのは、現在推奨されない使い方です。しかし、当時は見た目のコントロールをする方法が他になく、誰もが使ったテクニックでした。
NNは有料のソフトで、パッケージで日本円では5千円程度で売られていました。
当時のパソコンでは、ネット接続の機能がない場合もありました。
しかし、NN を買えばすべてが付いてきます。ネットに接続し、WEB を閲覧し、FTP からファイルを取得し、ネットニュースを購読し、メールができる。
これらすべての機能が、たった一つのプログラムに納められているのです。
たとえ5千円を払っても安いものでした。NN は飛ぶように売れました。
その一方で、NN は利用者の裾野を広げることも忘れていませんでした。
ネット接続などのサポートのない、NN の本体だけの「評価版」は自由にダウンロードし、無料で使うことが出来ました。
ダウンロードできる人はすでにネットに接続できているのでしょうから、これで十分でした。
もっとも、雑誌の付録 CD-ROM などでも配布され、その場合はネット接続できない人は自分でネット環境を構築する必要がありましたが。
ところで、Mosaic の先進性に目を付けていたのはクラークだけではありませんでした。
マイクロソフトは、Mosaic に正式にライセンス料を払い、ソースコード一式を取得します。
そして、これを元に独自開発を進め、Internet Exploler (以下 IEと記述) を開発するのです。
IE は Windows 用しかありませんでしたが、無償で配布されます。
(のちに Mac版も作られました)
ここに、有名な「ブラウザ戦争」が起こります。
NN は、IE の持っていない機能を次々と拡張します。プラグインによる Java のサポート、Javascript のネイティブサポート、Blink タグ…
IE は、NN の機能をできるだけ追随し、さらに独自拡張を加えます。Blink は採用されず Marquee を拡張しました。
ついには、似ているのに動作が違うタグが多発、Javascript (名称ライセンスの都合で、IE は Jscript)にも非互換が起き、「あらゆるパソコンで見られる」という WEB の理想が崩れそうになります。
矢継ぎ早の開発に、NN は失速していきます。
マイクロソフトとネットスケープ社では体力が違います。IE はバージョンが上がるごとに安定性が高まるのに対し、NN はバージョンが上がるごとに不安定になっていきました。
IE は当初 Windows とは別物でしたが、Win 98 ではついに OS の一部として組み込まれます。
#Win95からインストールすることで OS を拡張するようにはなっていたが、最初から組み込まれていたのは 98以降。
もう NN は限界でした。
ところで、先日 Linux の初公開日を紹介しました。
Linuxは PC で使える世界初の 32bit UNIX でした。PC 用の BSD は、Linux より後に作られています。
しかし、そのことを差し引いても Linux と BSD の普及には差がありすぎました。
この違いを説明する「伽羅とバザール」という論文が 1997年に発表され、話題となります。
伽羅(がらん)とは仏教寺院などの建築物のこと。厳密な計画によって建造され、建造中も形式に従った祈祷があり、各種チェックが入ります。
完成するものは確かにすばらしいものですが、とかく速度が遅く、完成した時には時代から取り残されていた、と言うことになり兼ねません。
バザールとは、とにかく人が集まる場所のこと。計画なんてなく、その場その場のノリで形成されます。
完成したものは、とりあえずの役には立ちますがひどい部分もあります。でも、そうした部分は時代に合わせて修正され、長い間存続します。
論文は、一部の人たちが完璧を目指して作る…BSD のようなソフトウェアは伽藍であり、ソースを公開してみんなで作るソフトウェア… Linuxのようなものはバザールである、となぞらえたうえで、オープンソースが有用であること、ソースを公開しても企業は収益をあげられることを示していました。
とはいっても、これは実際の企業にとっては机上の空論。
ソフトウェアのソースは、プログラムを販売する企業にとっては一番重要な企業秘密です。それをオープンにすることなどあり得ません。…多くの人がそう思っていました。
限界に来ていた NN は、思い切った起死回生策に打って出ます。
それが「NN のオープンソース化」でした。
営利企業が主力商品を無料にして、改造もできるようにする。当時は驚きを持って報じられました。
ネットスケープ社は、クライアントだけでなく、サーバー側も商品として作っていました。
クライアントを無料にし、オープンソースで開発すれば開発人員を削減できます。
その分を高性能なサーバー開発に割り振り、増大するインターネット需要の中で強固なサーバーを販売する…これが、ネットスケープの新たな販売戦略でした。
しかし、これには批判もありました。すでに肥大化しすぎ、どこに手を加えてもバグが出そうな NN を公開されても、開発者たちに「面白い」部分は残されておらず、失敗するだろう、と言うような批判でした。
オープンソース化の作業は慎重、かつ大胆に進みます。
肥大化したプログラムがバグが出やすく、保守しにくいのは事実です。
NN は解体され、切り刻まれ、単体の「メーラーソフト」と「WEBブラウザ」に切り分けられました。
一度は死んだ NN が復活する…ブラウザは Phoenix(不死鳥)と名付けられていました。
Phoenixの最初のバージョン、0.1 の公開日は、2002年の9月23日、今日でした。
最初に書いた通り、今日は FireFox の初公開日なのです。
あれ? FireFox じゃないの? Phoenix なの?
…そう思いますよね。でも、この名前紆余曲折あったのです。
Phoenixと言う名称、他社の商標を侵害するとわかったため、ver 0.5 までしか使われていません。その後は Firebird(火の鳥)と名前が変更されます。
不死鳥はその身を自ら焼き、炎の中から新たに生まれることで永遠の命を手に入れます。火の鳥と不死鳥は同義語なのです。
この時、同じ由来を持つメーラーも、Thunderbird と名称を変えています(これ以前は Minotaur だった)。
Thunderbird は、ネイティブアメリカンに伝わる雷の精霊です。
セットになっていることを意識した名称だったのでしょう。
火の鳥と雷の鳥、かっこいいじゃないですか。
…しかし、これまた Firebird という名前の別のオープンソースソフトがあることが発覚。
名前の一部を残し、名称は FireFox になります。Thunderbirdの方はそのまま。関連性が無くなりました。
ちなみに、FireFox とはレッサーパンダのこと。
だから、Phoenix = FireFox なのです。Phoenix 0.1 の公開日が、FireFox の初公開日。
その後の FireFox は、再び人気を取り戻し、IE に次ぐ2番手として頑張っています。
#ちなみに僕は FireFox 派ではなく、Chrome 派。
仕事柄各種ブラウザをPCに入れてあって、用途で使い分けているけどね。
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