今日は、キム・ポレーゼさんの誕生日(1961)。
コンピューター業界の「偉人伝」としては珍しく、女性の方です。
…えーと、僕は男女平等を標榜しているので、わざわざ「女性だ」と区別したくはない。
でも、現状男性が多いのは事実。だからこそ、女性だって頑張ってますよ、と明記しておきます。
多彩な方ですが、Java の名付け親、というのが一番有名なエピソードではないかな。
以前にジェームス・ゴスリング(Javaの開発者の一人。最初の実装を作ったプログラマ)の話で取り上げましたが、要約しておきましょう。
1990 年ごろ、元々ベンチャーとして始まった SUN は急速に成長し、すでに大企業病にかかっていました。
この状況を打破するため、社内で新しいプロジェクトが起こります。
#すでに SUN が存在しない会社なので説明すると、UNIX ワークステーションを開発し、広めた会社でした。
SUN 以前、UNIX は存在しましたが、主に大学などで研究目的に使われ、製品としてそれほど売れていたわけではありません。
SUN はこの UNIX を信頼性のおける製品として一般に広めた会社です。
このプロジェクトでは、「SUN の技術を信じず」、新しい製品を開発しようとしていました。
プロジェクトでは、「当面のハードウェア」として SUN の CPU が使われました。
しかし、SUN の技術を信じない、というのがプロジェクトの重要な思想だったため、そのままではプログラムができません。
そこで、特定の製品に依存しない「仮想 CPU」を考案し、その上で動作するプログラムを作ることにします。
同時に、それまでのプログラム言語の問題点を解消した、新しい言語でこの仮想 CPU をプログラムできるようにしました。
この言語が、oak 言語です。
これは素晴らしいアイディアに思えました。
…が、プロジェクト自体は失敗します。
その後、キム・ポレーゼが SUN に入社し、過去に失敗したプロジェクトを見直し、言語を発見します。
彼女は、この言語にはまだ使い道が残されているように思いました。
それまでのプログラム言語の問題点を解消し、気軽にプログラムが組める言語。
この「気軽さ」は、もっとアピールされるべきポイントです。
その気軽さを示すため、oak という名前を別の名前に変えることにしました。
そしてつけられた名前が、コーヒーの品種である「Java」でした。
丁度、WWW の登場によってインターネットが注目され始めていました。
インターネットでは、CPU の違う多数のコンピューターが使われます。
Java の「仮想 CPU」の考え方を使えば、それら多数のコンピューターの、すべてで動くプログラムを作れます。
彼女の指示により、Windows / Mac / SUN の Java 環境と、その上で動くキラーアプリである「HotJava」が用意されます。
HotJava は、Java で作られた WEB ブラウザでした。
当時のブラウザは、Netscape が急成長中。その元となった Mosaic もまだ多少使われており、IE が開発されたばかり、という時期でした。
その熱い戦場に、新しいブラウザを投入してきたのでした。
#Netscape は、現在 Firefox として知られるブラウザの元となったものです。
Mosaic の開発者が新たに1から開発したブラウザでした。
また、IE は Mosaic のソースを元に開発されたブラウザでした。
HotJava には「プラグイン」という、新たな機能がありました。
WEB ブラウザが知らないデータ形式があると、自動的にそのデータ形式を扱えるプログラムを探し出し、ダウンロードし、ブラウザに機能を追加するのです。
今ではブラウザに「プラグイン」があるのは当然ですが、HotJava が最初に打ち出したアイディアでした。
激しく移り変わるインターネット技術に、常に追随していく、自らを拡張していくブラウザ。
それが HotJava でした。
Java と HotJava は、熱狂的に世に迎え入れられます。
素晴らしいアイディアでした。
と同時に、Netscape は SUN と提携。Netscape のブラウザの中に Java の実行機能を作り込みます。
マイクロソフトもこれに追随。さらに、両者とも「プラグイン」の概念をブラウザに取り込みました。
これにより、Java の普及は促進されましたが、HotJava の優位性は消えてしまいました。
また、Java の実行機能に各社少しづつ違いがあったため、「どこでも動く」はずの Java は、実際に動かすのに非常に苦労する環境となってしまいました。
同時に、HotJava の見た夢も消し去られています。
たとえばプラグイン。
Netscape は独自の形式でプラグインを作れるようにしましたが、これは CPU 毎に別のプログラムが必要でした。
Windows / Mac / SUN で別のプログラムを開発する必要があるのです。
もちろん、一部の機種用しか提供されないプラグイン、というものも存在しました。
さらに、IE は別形式のプラグインを必要としました。
その上、こちらは基本的に Windows 版のブラウザしかありません。
#初期の頃は Mac / SUN でも作られましたが、動作が全然違ったりしました。
HotJava の「プラグイン」は、ブラウザの動くどの環境でも、同じようにブラウザを拡張できるものでした。
新しいデータ形式が登場した際には、ユーザーが気にすることなく、自動的にそのデータを扱えるようになる…
全てのユーザーが同じ体験を共有できる、夢の世界がそこにありました。
しかし、Netscape や IE の「プラグイン」は、ユーザーの使用環境により、データを見られたり見られなかったりさせるだけの、邪悪なものでした。
WEB ブラウザに取り込まれた Java には、もう一つの問題がありました。
本来、Java は「どんなマシン上でも動かせる」という特徴を除けば、通常のプログラムと同じようにふるまうものでした。
HotJava も、この「通常のプログラム」として WEB ブラウザを作ったものでした。
しかし、WEB ブラウザ上の Java は、WEB ページの一部として動作することになります。
ページが移動すると、動作していたプログラムは強制的に停止させられてしまい、データは消えてしまいます。
そして、再び同じプログラムを動かそうとすると、ネットワークからゆっくりとプログラムを読み込み、起動するのです。
起動は遅いのにうっかり終了してしまい、とてもまともな仕事にはつかえない。できてもせいぜい簡単なゲーム程度。
これが、WEB ブラウザに取り込まれた Java の姿でした。
さらに、Netscape は Java 以前から作成していた「プログラム言語」を、Javascript の名前で発表します。
SUN との提携の元で使用した名前でしたが、これが混乱をもたらしました。
Javascript は、WEB ページの一部として動作するプログラムです。
表示を切り替えたり、操作を手助けしたり、簡単なゲームを作るくらいのことは出来ました。
…技術に詳しくない人から見たら、Java と Javascript の区別はつかない上に、名前も似ているのです。
キム・ポレーゼは SUN を退社し、「マリンバ」社を作ります。
世に「普及」し始めた Java を使い、当初の理想を追い求めるための会社でした。
WEB ブラウザに閉じ込められた Java ではなく、環境を問わずにプログラムを作れる、インターネット世代のプログラム環境としての Java へ。
…彼女の理想は高かったのですが、時代を先取りしすぎていました。
当時の資料などで彼女の「理想」をそのまま語るよりも、その後普及したサービスとの違いを書いた方がわかりやすいでしょう。
まず、マリンバ社の核になるサービスが「カスタネット」でした。
カスタネットでは「マルチメディアコンテンツ」…つまりは、多少のインタラクティブ性も持たせられる動画を配信することを商売の中心と考えていたようです。
当時はまだパソコンは「よくわからない」と言う人が多く、しかしインターネットは爆発的に成長していました。
テレビのように「見るだけ」なら受け入れやすい、ということでしょう。
つまりは、YouTube を作りたかったのだと考えてください。
ただ、この頃のインターネットはまだ通信速度が遅く、動画配信なんてできません。
カスタネットでは、「プログラム」を配信します。
そのプログラムが、アニメーションなどの形でユーザーに動画を見せるのです。
ユーザーは「受信機」を自分のパソコンにダウンロードし、実行します。
パソコンらしい作業が必要になるのはここまで。将来的にはあらかじめインストールされた状態で出荷され、ユーザーは一切パソコン知識がなくて良い、というのを想定していたようです。
受信機ではチャンネルを選ぶことができます。
あらかじめお気に入りのチャンネルを複数登録しておけば、すぐに番組を見られます。
先に書きましたが、番組はプログラムとして配信されます。
そこでユーザーが求める最新の情報を見たり、プログラムですからゲームで遊ぶ、アンケートを取るなんてこともできます。
このプログラムは、あらかじめ「お気に入り」のチャンネルに登録しておけば、見ていない間に勝手に更新されます。
ダウンロードしてインストール…ではなく、いつの間にか最新になっているのです。
しかも、プログラムが一部改編などでほぼ同じ場合、「変更された部分」だけがダウンロードされ、適用されます。
これ、「差分情報」がサーバーにあるのではなくて、サーバーに置かれたファイルは常に完全版。
配信時に、双方で情報を送り合いながら自動的に差分を検出する技術なのね。
#rsync みたいなもの、と言えば、わかる人にはわかるでしょうか。
…今では当たり前の技術ばかりですね。でも、当時はこんな環境は他になかったのです。
当時、プログラムを動かしたければ、自分のパソコン環境にあったプログラムを選び、ダウンロードし、インストールする必要がありました。
バージョンアップがあれば、最新版のプログラム全体をダウンロードしなおすところから始めます。
何度も書きますが当時は回線が遅く、ダウンロードには長い時間待たされました。
「いつの間にか」ダウンロードされ、インストールされているというのは、この待ち時間も手間も無くすことになります。
欲しいと思ってからダウンロードするものを「PULL 配信」と呼んでいたのに対し、勝手に最新版になっているこの方法は「PUSH 配信」と呼ばれ、当時注目の技術でした。
カスタネットは、チャンネルがあってマルチメディアコンテンツが見られる…という娯楽面でとらえると、 YouTube に似ています。
しかし、おそらくこの考え方は当初の物で、すぐに「もっと商売になる」場所に気付いたようです。
実際、リリース時には「大企業を中心としたビジネス」を考えていたようでした。
カスタネットで配信されるのは、先に書いたように Java プログラムです。後には、Java に限らずプログラム一般をなんでも配信できるようにしています。
たとえば、有料でチャンネル契約すると、各種オフィスソフトが使用できる、なんてサービスもありました。
Java で作成されたワープロや表計算、図形描画ソフトなどが使え、さらに常に最新ソフトになっているのです。
…これ、今では Adobe がやっている Creative Cloud と非常に似ていますね。
Creative Cloud では、月単位で契約し、すべてのアドビ製品の最新版を自由に使えます。
Adobe に縁が無い人でも、Android や iPhone で、アプリが自動的に更新されたりするのを見たことはあるのではないでしょうか。
個人で使っていても、勝手に常に最新版になってくれている、というのは非常に便利です。
大企業では、「便利」以上のメリットがあります。
多数の端末を使っていて、重大なセキュリティホールが見つかったから一斉にアップデート、その間は仕事がストップ…とか、当時は実際に起こり得る悪夢でした。
しかし、勝手に最新版になる、という仕組みがあれば、この悪夢から解放されます。
カスタネットが最初のターゲットに企業を選んだというのもそのためでしょう。
ゆくゆくは、個人向けに…まさに、今の Adobe や Android / iPhone などがやっているような「アプリケーション配信」をやりたいと考えていたようですが。
マリンバ社では、カスタネット以外にも Java プログラムの作成支援ツールである「ボンゴ」や、「トランペット」という製品も出していたようです。
(トランペットの詳細がわからず…)
楽器の名前ばかりですが、キム・ポレーゼは当時のインタビューで「いわゆるパソコンらしい名前は使いたくない」と言う趣旨のことを言っています。
「変わっていて人に覚えてもらいやすい」ことや、「エネルギッシュで情熱的」であることを伝えたい、と。
カスタネットって、日本人の考えている奴じゃなくて、世界的には「フラメンコダンサーが持っている楽器」ですからね。
非常に情熱的で激しい楽器です。
その一方で「ネットだとか、サイバー、ウェブ、といったいかにもそれらしい名前」とは違うものにしたかった、とも言っています。
でも、Castanet って、Cast-a-net (ネットで放送する)という意味に、明らかに掛けてますよね…
残念ながら、カスタネット環境は非常に注目されていたにもかかわらず、思ったように普及せず、今では無くなっています。
(技術は別の会社に吸収され、サーバー製品群に組み込まれたりしているようです)
でも、これは決して「失敗」だったとは思わないんですよ。
マリンバ社としては失敗だったけど、方向性を示したことで、後に続くものがちゃんと育っている。
先に書いたように Adobe や Android / iPhone 、最近では WEB ブラウザも自動更新が当たり前ですし、他にもそうしたソフトは山ほどあります。
ただ、PC 上では自動更新のソフトって、「ソフトごとに」仕組みが作られているのね。
カスタネットみたいに、皆が共有するような仕組みが一つあれば、無駄をいろいろと省けるのでしょうけど。
(Android / iPhone では OS が仕組みを持っています。)
さて、キム・ポレーゼ女史は現在、ClearStreet 社の会長をしているそうです。
一般人向けに、人生計画に基づいた資金計画を考えるお手伝いをする会社…ということでいいのかな。
「普通の人にはややこしいことを、出来るだけ簡単に出来るようにしてあげたい」という部分は変わっていないようです。
2011年にはオバマ大統領のイノベーション諮問委員会の一員となり、アメリカの技術革新のためのレポートをまとめています。
この際には、サンフランシスコの新聞によって「もっとも影響力のある女性」に選ばれています。
…もっとも、サンフランシスコ近郊(ベイエリア)に住む女性を150人も選んだものですが。
さらに以前、マリンバ在籍中にはタイム誌によって、「最も影響力のあるアメリカ人 25人」の中にも選ばれています。
いずれにせよ、パソコンの世界だけでなく、政治や経済にも影響力をもつ女性であることに間違いありません。
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