家族の日記です

目次

2026-05-06 G.W. 横浜編 (1/2)
2026-05-03 G.W. 東京編 (4/4)
2026-05-03 G.W. 東京編 (3/4)
2026-05-03 G.W. 東京編 (2/4)
2026-05-03 G.W. 東京編 (1/4)
2026-04-28 雑草
2026-04-22 4月も後半だが
2026-03-31 家族団欒
2026-03-16 ビーチコーミング・ふたたび
2026-02-28 ビーチコーミング
2026-02-01 テレビとビデオの不調
2026-01-04 家系図
2025-12-05 コロナ発症 2025
2025-06-07 マリオカートワールド
2025-06-06 Switch2
2025-04-30 鎌倉散策
2025-04-27 選挙権
2025-04-10 次女入学式
2025-03-30 やっと書いた
2025-03-18 春休み
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G.W. 横浜編 (1/2)  2026-05-06 16:24:12  社会科見学 家族

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G.W. 横浜編をまとめて読む


家族に意見聞いてまとめた「行きたいところ」は横浜にもあった。

こちらは東京より軽め。自宅から車で行ける距離だし。


というわけで、5月5日は朝8時過ぎに家を出発。

9時少し前に、三渓園に到着する。


三渓園は、横浜にある日本庭園。原三渓という明治~昭和初期の大富豪の「個人邸宅」だったが、住んでいた時から庭を一般開放した上、当時の廃仏毀釈運動もあって取り壊される建築物などがあると聞けば、大金を使って庭園内に移築した。


そのため、三渓園は日本庭園であるとともに、古建築のテーマパークのようになっている。


…というのが、自分の知っていた事前知識。


小学校のころは横浜に住んでいたので、遠足で三渓園に行った覚えがある。

でも、小学生に日本庭園や古建築なんて、正直なところよくわからない。「行った」という事実のみ覚えていて、そこに何があったかなど一切覚えていない。


せっかく有名な日本庭園が車で気軽に行ける距離にあるのに、どんなところか知らないというのももったいない、と以前から思っていたし、妻も興味があるようだった。

それを今回、高校生~大学生の子供たちなら十分楽しめるだろうと、家族で行くことにしたわけだ。




細かなことは省略して、全体の概略から書こう。


入り口からしばらくは、庭園らしいところが続く。庭園の中で最初に建てられ、原三渓が自宅として使っていた、という「鶴翔閣」があるが、遠くから見られるだけで近づくことも禁止。


その後で、原三渓記念館というところがあるので、まずはここを見ると良い。

庭園を見て回るのに必要な知識は、ここで大体仕入れられる。


原三渓が作ったから三渓園、と聞いたことがあるのだが、原三渓は本名ではなかった。

本名は原富太郎。

え、じゃぁ三渓って何? と混乱したが、ここの展示には答えはなかった。

後で調べたところ、雅号が三渓らしい。


そう。雅号がある。茶人だったのだ。

原三渓は実業家で大金持ちだったが、美術や芸術を愛し、茶人としても多くの人と親交を深めた。

原三渓自身絵を描いたそうだが、若き芸術家のパトロンにもなったし、日本画家の横山大観とも仲が良かった。夏目漱石とも親交があった。




原三渓の「養父」が横浜で生糸問屋の事業を始めた。この事業を拡大して財を成したのが原三渓だ。


解説には書いていない自分の知識だけど、当時西欧では蚕の病気が流行し、絹の生産が出来なくなっていた。

そのため中国が生糸を西欧に輸出するのだが、こちらでは内乱が勃発。また、中国でも西欧と同様の蚕の病気が流行し、輸出量が減少する。


そこに日本の絹織物が入り込み、大成功。当初は生糸だけが輸出されたのだが、絹織物をハンカチとして販売するようになる。


ここで、日本の印刷技術は当時世界一だった、ということ知っておいて欲しい。

大衆娯楽としての浮世絵の影響もあり、多色刷りの技術が凄い。この技術で模様を付けたハンカチは、日本でしか作れない特産品だった。


特に横浜ではハンカチ産業が大きくなり、会社が乱立した。

しかし、絵柄を作る会社が増えたとして、そのすべてが「生糸」「絹織物」を必要とするのだ。

それらは、原三渓の会社が取り扱っている。こうして、原三渓の会社は莫大な財を成した。


ところで、ハンカチは後に大判化し、スカーフとなる。

エルメスが「多色刷りのスカーフ」事業に乗り出したのはその後だ。

現在ではエルメスが世界的に有名だが、その前は横浜スカーフは世界的に有名なブランドだった。



現在世界遺産となっている、富岡製糸場も、原三渓の会社のものだった時期がある。

最初は国策として政府によって建造されたが、思ったようにうまく行かず民間に払い下げられたのだ。

当初は三井が購入したが、これもうまく行かない。原三渓に売却されたところ、品質も生産量も増して、大工場となった。


つまりは、原三渓は絹を扱うことで財を成したし、そのノウハウを使うことでさらに財を増やしていったのだ。




原三渓に限らず、当時の大金持ちというのは、金持ちの「責務」としての公共投資に積極的であることが多い。


三渓園を作ったのもそうだが、横浜銀行の初代頭取も務めている。経済安定のためには地元に銀行が必要であり、世界恐慌の為に破綻した銀行の業務を引き継ぐという「火中の栗を拾う」ようなことをしたのだ。


また、関東大震災の際には横浜市復興会の会長を務め、私財をつぎ込んで横浜の復興に勤めている。

ちなみに、関東大震災って横浜の本牧のあたりが震源で、三渓園は本牧にある。まさに「被災の中心地」で、財産をなげうって地域の復興を行ったのだ。


後で書くが、関東大震災とその後の第二次大戦の横浜大空襲で、三渓園の歴史的建造物はずいぶん失われてしまったらしい。




以上のような前知識を仕入れたうえで、三渓園を見て回る。


建造物の前には、その建物の大まかな構造の図示と、説明を書いたパネルがある。

三渓が建てた建物には建造年しかないが、移築したものは建造年と移築年が書かれている。


室町時代に建てられた建物とかもあるが、多くは江戸初期のもの。

先に書いたように廃仏毀釈運動もあったためか、仏教寺院の建造物が多いが、戦国武将ゆかりの建築物などもある。

いずれにせよ、誰かが保存しないと失われてしまう、重要な建築物の噂を聞いては、移築していたようだ。


ただ、移築に際しては、必ずしも元の建物を再現しようとはしていない。

現代的(当時の話だが)に住みやすいように手を加えたり、間取りを変えることもあったようだ。

だから、織田信長の弟が建てたという茶室には、電灯と硝子扉がついていたりする。

単に懐古趣味で残すのではなく、あくまでも「使用できる」ことを重視しているのだ。




三渓園は公開から120周年だそうで、園のあちこちに「当時の風景」の写真がパネルになって設置されている。


これを見て回るのが結構面白い。当時の風景が分かる、とかではなくて、説明が無茶苦茶…というか、波乱万丈で面白いのだ。


多くの建物が、関東大震災や空襲で失われている。一方で、三渓園が「完成」した後でも、どんどん新しい建物が移築されている。

つまりは、今の三渓園は、けっして原三渓の作った三渓園ではないのだ。でも、その心は受け継いでいる。


パネルの中には、写っている建物が来歴不詳、詳細不明、今はないのだがなぜ無くなったのか不明、っていう不明だらけのものもある。そんな不明だらけなら紹介しないでもよいのでは、と思うのだが、正体不明のものが写真には残っているからこそ、知っている人に情報を求めているのかもしれない。


しかしまぁ、ツッコミどころだらけで面白い。




原三渓は秀吉大好きだったようで、秀吉が作った聚楽第の一部、と信じて移築した建物もある。今では違うとわかっているそうだけど。


また、中華趣味があったそうで、中華風の建物も自分で設計して作ったりしている。こちらも、空襲で焼けてしまったそうで写真しか残っていない。



園内の茶店「待春軒」で、原三渓が考案したという「三渓そば」を食べられる。僕は食べてないけど。

待春軒のWEBページで、どのようなものか大まかなレシピが書かれている。


…えーと、ページには「起源不明」と書いてあるけど、どう見ても中国の炸醤麺(ジャージャー麺)だな。

それを、当時の日本で入手しやすい材料で作れるようにアレンジしたのだろう。


ここら辺も、中華趣味だったというので、普段から気軽に食べたくて考案したのだろうと思う。


(どうでもよい話だが、翌日にこのレシピを参考に、「それっぽいもの」を作って家族で食べました)




三渓園は、原三渓存命のうちに無料で一般開放されていたのは知っていたのだが、見学者に無料でお茶を出していたらしい。

その際に使った東屋なども写真と共に残っている。東屋の中央に炉があり、東屋全体に煤けているが、これは現在でも年に一度、当時と同じように使用しているからかもしれない。


すぐ隣に在った茶室は、後に別の場所に移築されたのだとか。現在は、さらに後に移築した茶室が建っている。


建物の移築って大変なことだと思うのだけど、そんなに気軽に移築を繰り返すんだ…

「不動」産って何だろう。




さて、園内を一通り見たら、時間は12時ちょっと前。ほぼ3時間かかりましたね。


なんとなく流し見する程度なら2時間で回れると思いますし、園内で食事したり、予約が必要な特別公開の家の中まで見ていたら、もっと時間がかかると思います。


見に行こうと思う方は参考までに。



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G.W. 東京編 (4/4)  2026-05-03 19:00:55  社会科見学 家族

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G.W. 東京編 (4/4)

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これで終了…とはならない。

凸版印刷なので、入場無料の博物館の展示室で、凸版の技術を伝える展示会をやっていました。

「木目シートのできるまで」。


テレビCM で、木よりも木らしい、という建材を作っていることを伝えていますが、それの歴史展示。


印刷会社なのに、建材のための印刷を始めたのは結構古く、そのためにたくさんの「木材サンプル」を持っているのね。今では入手が難しい希少木材も有るのだとか。


それらを元にパターンを作り、印刷し、表面に凹凸をつけて質感まで再現し…


流し見なら3分、解説読んでも15分程度。なかなか面白い展示でした。




さて、いよいよ家に帰りましょう。長男も留守番してるし、夕飯の時間には戻りたい。


でも、次女からもう一つリクエスト。東京駅によるのであれば、「東京駅で暗殺が行われた現場、2カ所を見てみたい」。

次女は歴史好きで、興味あるようです。東京駅なら通りますから、それくらいの時間はあるでしょう。


飯田橋から東西線で東京へ。東京駅まで歩きますが、ここで近い改札は「丸の内北口」。暗殺現場は「丸の内南口」なので、しばらく歩きます。


長女が、東京駅カッコいいねぇ、と感心しているので、父さんが子供のころは、屋根のドーム部分がもっと武骨な八角形になっていてね…というような話をします。

戦争で焼けおち、急ごしらえで復旧したままずっと使ってたのを、2000年ごろから元の形に修復して格好よくなったんだよね。


さて、丸の内南口。

ちょうど、説明した「修復工事」の事を伝える展示パネルがありました。


そして、そのすぐ近くに大正10年に当時の原敬首相が暗殺された場所、というパネルが。

目的の1つ目達成。



次は中央通路から4・6番線階段を上るところ…

と、google gemini は回答していました。でも、4・6番線って全然違うところだし、階段も複数ある。


AI の回答は当てにならないので詳細調べたら、東海道新幹線に上る階段付近とのこと。

この階段も非常に「広い」ので少し探しましたが、無事発見。


昭和5年、浜口雄幸首相が暗殺された現場です。厳密には、この時は重傷を負っただけだけど、この傷が元で翌年死亡。




当初は美術館と博物館に行くだけの予定が、明治生命館と凸版の製品展示と暗殺現場も見て、ついでに次女が食べたいというコメダで昼ご飯を食べ、非常に充実した内容になりました。


この後東海道線に乗り、夕食の時間の19時半には家につけるだろう、と思ったのですが…


品川についた時点で「この先で人身事故があったため、この電車は当駅止まりとなります」とアナウンス。

幸い別の電車でも家には帰れるので乗り換えましたが、家に帰りついたのは20時過ぎでした。


長男はぐっすり寝たらなんだか疲れも取れたそうで、元気そう。

帰り道でいろいろなものを買ってきたので、すぐに夕食となりました。



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G.W. 東京編 (3/4)  2026-05-03 19:00:29  社会科見学 家族

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G.W. 東京編 (3/4)

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予定していた2つ目の場所へ。

地下鉄丸ノ内線有楽町駅…コメダ珈琲の前からさらに階段下がると繋がってるのね。

ここから、飯田橋まで。


飯田橋からは歩いて10分ほど。凸版印刷内の「印刷博物館」が目的地です。


ここでやっている特別展「名著誕生展 ヴァチカン教皇庁図書館Ⅲ+」を見に来ました。

現存する世界最古の図書館が「バチカン教皇庁図書館」だそうで、2世紀ごろの写本から収蔵しています。

凸版印刷はそのデジタル保存技術に協力しているのだそうで、通常ではとても借りられない貴重な本を借りてきて、展示しています。


で、先回りして書いておくと、この特別展はそれほどすごくありませんでした。

というか、十分にすごい内容だったのだけど、特別展の前に見ることになる「常設展示」の方がはるかに面白かったので、期待値を高めて行ったら肩透かしを食らった感じ。




常設展示は、印刷の歴史です。


まず入ると、「プロローグ」という展示がある。ここの展示は一切解説がない。

ハンムラビ法典を刻んだ石柱とか、ロゼッタストーンとか…まずは「情報を文字として伝える工夫」がごちゃ混ぜに置いてある。


その後、展示物の下部にはミニチュアで「情報を伝えようとする人」の造形が付き、その頃の「情報物」が上に並ぶ。


洞窟壁画から始まり、石に碑文を刻み、写本の時代があり、活字が発明されて、グーテンベルグの印刷機、輪転機、電子植字に至る…


あ、これ、「本好きの下剋上」のアニメ第三期 ED で見た奴だ。

今調べたらやっぱりそう。ここのミニチュアにインスパイアされて作ったのだそうです。


ここで「大まかな流れ」を掴んだうえで、実際の細かな説明が始まります。




ところで、プロローグの広場の端に、現存する中では最古級の印刷機…の「レプリカ」が置いてあります。

実物を持っているドイツの博物館があり、共同研究で凸版印刷がレプリカを2台作ったのだそうです。


1台はドイツの博物館にあり、1台はここにあります。

実物は貴重品だけど、レプリカなら実際に印刷してみせることができます。


というわけで、毎日15時から10分間、説明して印刷の実演が行われます。


この日は14時ごろに博物館に入ったので、途中で戻ってきて実演を見ました。

まぁ、機械を見れば想像つくようなことしかやらないのですが、実際の印刷を見せてもらえるというだけでも、なかなか興味深いものでした。




さて、プロローグの次は、その内容が実際に解説されます。


この説明部分が本当に素晴らしい。大きな部屋に、古い「印章」などの技術から始まり、印刷が発展していくさまが、実物と解説で分かりやすく示されています。


技術の発展には時代の要請もあるので、それがどういう時代で、なぜその発展が必要だったか、ということも示される。

そして、発展した技術がそれまでと違って「何が良いのか」も書かれている。


一方で、壁には大きな年表が作られ、そこで展示されているものと、「それ以外」の印刷関連の事柄がまとめられています。

展示などには入っていないのだけど、「プルシアンブルーの発明」なども入れられている。化学合成顔料・染料は、印刷を大きく前進させたからね。


木版活字が最初に作られたのが韓国だとは知らなかった。中国だと思ってた。

でも、ハングルは「活字にしやすい」ことも考慮されて考えられた文字体系なのか、と思うと妙に納得。


江戸時代の草紙本とか、崩し文字でつながっているので、手でいちいち彫っているのだと思っていた。浮世絵版画作るような職人もたくさんいるので、文字を彫るのも大変ではなかったのだろう、と。


しかし、つながった崩し字一つながりごとに活字になっているのだそうです。つまりは「単語ごと」の活字。木版活字なので、同じ文字でも微妙に形が違っていたりして、だからこそ「全部手で彫っている」のだと思っていました。


また、活字は「文字しか扱えない」ので、絵を表現する印刷技術の話も同時に進んでいきます。


線を「彫り残す」凸版よりも、線を「彫り込む」凹版の方が細かな線を表現しやすい。

解体新書の初版は凸版だったけど、後に凹版で再出版されているそうで、両方が並べて置いてあります。同じものが並んでいるので、技術の違いの利点がよくわかる。


そして、凹版でも「彫る」必要があるのを、「描く」だけにした平版印刷へ。


すごく細かく説明されているのに、ほぼ最後付近にあった「写植機」のイメージ復元では説明なし…


僕は理解しているので子供に教えながら操作したのですが、多くの人が「操作してみたが、意味が分からん」という感じで通り過ぎていきました。もったいない。




解説も細かく読んでいたのでたっぷり時間をかけました。

目当ての「ヴァチカン教皇庁図書館」の展示に入ったのは、もう16時近く。


先に書いたけど、基本的にはラテン語などで書かれた本が並んでいるだけです。

ここまでの展示が解説もあるし、場合によっては手を動かして学べる内容だったので、見てもよくわからない言語の本を見るだけ、というのは少し退屈。


あと、「ヴァチカン教皇庁図書館」展ですが、もともと印刷博物館で収蔵していたものが多めです。バチカンから借りてきた本と、それに関連する収蔵書籍を一緒に並べることで深みを出している、という意味で悪くはないですが、思ったほど希少本がなかったのも事実。(印刷博物館収蔵の本も、十分希少ではあるのですが)


いくつか印象に残っている物だけ解説します。


最初に、過去に行われた展覧会の振り返りが、概要で示されていました。

まず、凸版がバチカン図書館のデジタルアーカイブ作成に協力していること。


羊皮紙の本は、羊皮紙自体が高価で貴重なものだったので、「書いたものを消して使いまわしている」ことがあること。

そして、以前の内容を、赤外線撮影で読み出せる技術があること。


そうやって多くの本を赤外線で記録した結果、人の手には負えないほどのテキストが出てきたため、現在 AI を使った解析プロジェクトが進行中であること。

すでに、完全に失われたと思っていた福音書の一部が再発見されたり、成果が上がっているのだそうです。




最初の方には、非常に古い時代の写本なども置かれていましたが、僕が気になったのは「禁書目録」。


なんかオカルト方面ではすごい力を持つ本だということになっているのですが、実物は「教皇庁によって禁止と決定した本のリスト」なんですね。まぁ、禁書目録という名前から当然か。


教会では昔ながらのやり方を守ることが重視されていて、聖書なども写本を良いものとしていたのだけど、禁書目録は「どんどん増える禁書」を速やかに、多くの教会に示すために、活字印刷でたくさん作られたのだそうです。

教会も必要に応じて最新技術を取り入れる。


さて、そんな「禁書」とされたものも展示されています。

コペルニクスの「天球の回転について」や、ガリレオ・ガリレイの「星界の報告」など。


先の禁書目録と合わせ「生爪はがされそう」とは妻の言葉。

(「チ。」ですね)


デカルトの書籍に関しては、初版本に、デカルト自身が直筆で欄外に直しを入れたものが展示されています。

次の版からはその内容に変わっているらしい。


デカルトって、「我思う、ゆえに我あり」の人ね。

「当たり前」を徹底的に疑って、周囲にある目に見えるもの、触れるものも否定して、それでも「それを考えている自分は否定できない」というところから世界を構築しようとした哲学者。



ニュートンの「プリンキピア」もあります。

複雑な数式が並んでいる。ここで、数式を組版することがいかに大変か、解説ビデオが流されています。


クヌース教授とか、組版時に数式に間違いが入りやすいのにイライラして、全く新しい「コンピューター組版システム」を作り上げていますからね。

これは1980年代の話ですが、今でも数式を多く含む書籍を出版する際のスタンダードになっています。



あと、世界初の百科全書「エンサイクロペディア」もあります。

今では「エンサイクロペディア」という言葉は一般名詞で百科事典の意味ですが、元は本のタイトルとして作られた造語だったのね…。




最後の方は、だんだん時代を現代に近づけていって、ヨーロッパで出版された書籍が日本の文壇にどのような影響を与えたか…というような展示になっていきます。

最後には鉄腕アトムや鉄人28号もある。ほぉ、当時は鉄人の方が人気あったのか。


で、ヴァチカン教皇図書館展は終わり。



出口付近に印刷工房があります。見学や体験は予約が必要。

この日は時間がないだろうと思って予約していませんでしたが、ガラス越しに見るだけでも十分面白い。

いろいろな時代の印刷機が並んでいます。



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G.W. 東京編 (2/4)  2026-05-03 18:59:00  社会科見学 家族

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G.W.  東京編 (2/4)

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さて、前述の静嘉堂文庫美術館は、明治安田生命の本社ビル内にある。

このビル…「明治生命館」は、建物としては最初に国指定重要文化財となったものだ。

(現在、実際の本社機能は隣接するビルにほとんど移管されている)


美術館の中にはトイレがない、という表示があったため、入る前に「ちょっとトイレに行っとこう」とトイレ表示のある方へ進んだ。


そこには、建築当時のままだという古めかしいエレベーターがあった。

うわ、カッコいいと思い写真を十分に撮る。


そういえば、すぐ近くには「私設郵便函」と書かれた…つまりはポストもある。

写真撮ったのだけど、なんか変な感じだな。ポストの上の方に、ガラスか何か嵌め込まれた透明な部分があり、天井まで続いている…


「それ、上の階から投函した郵便物も、全部ここに入るようになっているんですよ」と、ビル入り口の警備をしていた警備員の方が教えてくれた。


なるほどー、と感心していたら、館内の見取り図を持ってきて「エレベーターなども先ほどから興味あるご様子でしたが、こちらにある物は実際に乗ることができますよ」と、別の個所のエレベーターを教えてくれた。


それは興味ある。美術館見終わったら行ってみます。




というわけで、エレベーターを見に行く。

入ってみたら、中はさすがに改装されていた。


というか、本当に建築時のエレベーターは、第二次大戦中の金属供出で壊されてしまったそうだ。

戦後返還されたときに当時の技術で作りなおしたもの…を、さらに「見た目がそのままになるように」最近の技術で作りなおしているようだ。

(本当のところはわからない。金属供出で壊されたのは事実だが、その後のことは僕の見立てに過ぎない)


で、1階と2階をつなぐだけのこのエレベーター、2階で降りたら受付があって「いらっしゃいませ」とあいさつされた。


あ、すみません。エレベーター乗ってみたかっただけです…と謝ったら、ここは重要文化財であるビルを、昔の内装のままに一般公開しているエリアらしい。

せっかくここまで来たのだから見ていくか。警備員の人に「エレベーターに乗れる」なんて言われて、うまく誘導されたようだ。




まったく予定外の時間だったのだが、見てよかった。


明治生命は第1次世界大戦から第2次世界大戦の間に本社ビルを作りなおしたのだが、皇居の目の前という立地条件もあり「誰が見ても立派に見えるような」建築を目指したようだ。

実際、強固に作られていて今でも古さを感じさせない。


皇居の前という便利さもあり、第2次大戦後に GHQ に接収・使用される。

(本部ではない。本部になったのは、すぐそばにあった第一生命館。こちらは現在は存在しない)


一般公開エリアは、当時のままの調度品などがおかれた部屋を回れる形。

100年近く前の建物だが、「吸引掃除機」のための仕掛けがあったり、全館空調があったり、各部屋に大きい時計があったり、非常に先進的。


というか、それを「先進的」とするのが古臭くはあるのだけど。

吸引掃除機は今では当たり前に使われる、いわゆる「掃除機」だけど、当時はモーターで吸引する装置を、今ほど小さくは作れないのだ。


ビルの地下に巨大な真空ポンプモーターがあって、その吸引パイプがビル内の各所に作られている。

蓋を開け、ホースをつなげば掃除機として使える、というやり方だ。


全館空調も同じく。今みたいに小さなエアコンなんて作れない。各部屋に大きな吹き出し口があり、ダイアルで空気量だけ調整できるようになっている。


時計も、この当時は小型のムーブメントなんてない。マスターとなる時計が一カ所にあり、1分ごとに「パルス」を送り出す。

各部屋の壁に埋め込まれた時計は、パルスを受けると分針を「1目盛り」だけ動かす。これだけの仕組みなので、時計を作るよりはずっと簡単だ。

何よりも、正確な時計を作るのが難しい当時、時刻調整をやるにしても「マスター1カ所で」行えば、全部に反映されるというのは非常に便利な仕組みだっただろうと思う。

(今でいえば電波時計のようなものだ)


しかし、100年前だとこれは最先端技術だっただろう。


あ、ちなみに、ここに書いたのは僕がこういうの好きだから知っていただけで、解説はどこにもないです。知っている人がいると面白いけど、そうでないと「ただ骨董趣味の部屋を見せられているだけ」になるかも。

まぁ、それだとしても、当時の豪華絢爛さは伝わってくるすごい作りなのですが。

天井とか、細かな立体細工が沢山あるので見上げて歩くことをお勧めします。




昼ご飯。


明治生命館横の「明治安田ビレッジ」で食べる予定だったのだけど、来る際に有楽町駅近くのビッグカメラ地下にコメダ珈琲があるのを見つけた次女が「コメダで食べてみたい」と言っていたので予定変更。


すでに時間は1時近く。予定外の明治生命館を見たので、予定より遅くなっています。


コメダ…案外高いよね。軽食にドリンク付けると2000円近くなってしまうので、ハンバーガー・ホットドックと「水」で。

しかし、値段は高いが量は多い。妻には量が多かったようで、少し気分が悪くなってしまった。

午後の間ずっと、時々休みながらの行動になります。



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G.W. 東京編 (1/4)  2026-05-03 18:58:06  社会科見学 家族

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G.W. 東京編 (1/4)

G.W. 東京編をまとめて読む


今年は長女が大学入学して、大学のスケジュール感とかわからないので G.W. の予定を考えられるようになったのは4月中頃。


昨今の物価高と、外国人観光客の多さで宿はどこも値段が高い。

直前になって空いている宿なんて、1人3万円以上の所ばかり。家族5人で15万も出す気はない。


しかしまぁ、日帰りできる範囲で楽しむことはできるだろう、と、子供の意見なども聞きつつ、思いつくままに行ったら楽しそうなところをリストアップ。

それをまた家族にみせて、興味ある所の意見をもらい、そこを中心に日程を組んでみる。


というわけで、まずは「東京編」だ。5月2日、連休の初日に設定した。




当日朝、行く準備をしていたが長男が調子悪そう。

熱を測ったら 37度ちょうどだった。


大学が忙しくて疲れ気味だったので、休みだと思ったとたんに疲労で熱が出たのだろう。

本人も家で休んでいる方が良さそうだというので、今回は長男は不参加で。

チケット取っちゃってある分もあるが、そこは仕方ない。体調不良を押して悪化しても困る。




家を8時半ごろ出て、有楽町駅には9時55分ごろ到着した。


有楽町は僕が仕事でお世話になっている会社がある駅で、たびたび来ている。

実は前日の金曜日にも行っていて、目的地までの道を下調べ済みだ。


そのまま皇居の方に歩いて10分ほど。静嘉堂文庫美術館に到着。


国宝の「曜変天目茶碗」を持っている美術館で、毎年 G.W. には展示を行っている。

今回は、「美を味わう ー懐石のうつわと茶の湯」という展覧会。茶の湯に使われる道具を中心に展示・解説している。


まず最初に、正式な作法での「茶会」の最初に行われる「懐石」の解説がある。

まずは出席者に料理を食べてもらい、もてなす、という部分だ。

ここでも、ステップごとに使われる器などが並べられている。


懐石の作法なんて知らなかったのだが、まぁ食事なので、手前には「飯」と「汁」が並ぶ。そして、奥に料理が付けられるのだが、この料理を「奥付」というのだそうだ。

そして、最初に出される料理こそ最初から器に乗っているが、以降は大きな器で全員分を持ってこられて、空いた器に取り分けられる。


ここで、奥付の器は「何度も使われる」し、「空になって底や裏を鑑賞するタイミングも来る」ため、亭主のセンスが一番表現されるらしい。



というわけで、次の展示。「奥付に使われる」ことを想定して、いくつかの器が並ぶのだが、実際に料理を載せた写真なども付けられている。

江戸初期に焼かれた貴重な皿とかを実際に使っているわけだ。皿には料理を載せないと真価がわからない、とは思うが、なかなかこういう展示はできない。


なお、あとでミュージアムショップ行ったら、この一部始終は雑誌で特集されていて、その雑誌を販売していた。




さらに、「それ以外」の器を展示する。静嘉堂文庫美術館の収蔵品で、お酒を入れるための酒器や、料理を持ってくるための大鉢、盛り合わせを出すための八寸皿など。


織部って本当に深緑なんだなぁ…みたいなことを言っていたら、長女が「織部は緑?」と不思議そうにした。

静かにしないといけないので出てから解説したのだけど、「織部」は名前ではなく、官職名。古田織部はなにか手柄を立てて官職名を名乗ることを許される。

(つまりは、重用されていることの証だ)


この時、機織り集団をまとめる職である「織部」を選ぶ。あくまでも官職名を「名乗る」ことが目的で、仕事にしたわけではないのだけど。


当時すでに宣教師は来ていて、彼らが深緑を「オリーブ色」と表現していたのを知っていたのだとか。

そして、その緑色を気に入った織部は、候補役職の中に「織部」があるのを見て、オリーブと音の響きが似ているから選んだ、という説がある。

そして、彼は茶の湯をたしなむ中で、自分でもオリーブ色の器の作成を目指すのだ。

(実際作成したのは職人たちだが、そういうものを作れ、と指示したのは織部だ)




最後は特に貴重な品をまとめたエリア。

千利休、秀吉などが愛用した品などがあるが一番の目玉は「曜変天目茶碗」。


以前は「世界に3つしか残っていない」といわれた中国で焼かれた茶碗なのだが、構造色になっていて光の当たり具合で色が変わる。

残っているものはすべて日本にある。中国では「一時流行った作り方」だが、日本では海外から来た貴重な品なので、とても大切にされていたらしい。


どうやって作るのか不明。3つしか残ってないので成分分析などをすることもできない。

ただ、近年中国で「壊れた破片」がいくつか出土しているそうだ。以前は3つしかなかったのが、サンプルが増えれば研究も進むかもしれない。


ここでは、展示の都合でそれほど強い光は当てられておらず、構造色になっているというのはよくわからなかった。残念。



妻は以前に一度曜変天目を見ているそうで、あまり興味はなかった…のだが「つくも茄子」があることに驚いていた。

僕は下調べしていたので知っていたのだが、妻がそんなにこれを見たかったのだとは知らなかった。


下膨れの玉のような形が茄子に似ているのでこの名前がある、小さな蓋つきの器で、抹茶を入れていたもの。


正直なところ、これがそれ程よいものだというのはよくわからない。

ただ、「歴史的な興味」は非常にそそる品だ。

古くは足利義満が持っていたもので、「名物」として、歴史上の権力者たちが所有してきた。

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康も所有者で、玉璽のような「所持者の権力を示す」品となっている。


織田信長は茶道具として、いつも持ち歩いていたらしい。

ところが、本能寺の変で燃えてしまった…とされるのだが、実際には難を免れたらしく、豊臣秀吉の所持となった。


しかし、大阪冬の陣で大阪城は焼けおち、つくも茄子も燃えてしまった。

次の権力者となった徳川家康は、焼け跡に茶道具の燃え残りがないか、捜索指示を出す。


ここで、いくつかの茶道具の破片が見つかったため、さらなる捜索指示が。

ついに、「粉々に割れた」つくも茄子は、その破片がほぼ見つかり、修復される。


そして、表面を漆で塗りなおし、超絶技巧で「まるで表面に釉薬がかかった焼き物のように」仕上げられるのだ。


…展示されているものを見ても、非常に綺麗で割れているように見えない。

でも、展示の横にはX線撮影した写真も示されていて、確かに粉々に割れている。のみならず、組み立てた際に「ろくろ引きした際の筋」までが綺麗にそろっているのだ。割れたのを適当に合わせたのではなく、作成時の筋まで綺麗に揃うように修復されたのだ。


これは余りにも超絶技巧。徳川家康は深く感心して、修復した職人に褒美として、この「つくも茄子」自体を贈ったそうである。


静嘉堂文庫美術館は以上。解説付きの図録は1000円と激安だったので、ミュージアムショップで購入。先に書いたが、今回の展示に合わせて「実際に器に料理を盛った」顛末を書いた雑誌も一緒に買った。



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別年同日の日記

02年 5/3

04年 しばらく日記を書いていませんでした

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04年 携帯のことも書いとこう

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06年 ゴールデンウィーク

19年 令和

19年 ServiceWorker と indexedDB


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雑草  2026-04-28 12:16:59  料理 住まい 家族

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「雑草という草はない」というのは、牧野富太郎の有名な言葉。


昭和天皇もこの言葉を言ったとして有名なのだけど、受け売りだろうね。

昭和天皇は生物の分類学者でもあったので、様々な草がひとまとめに「雑草」とされるのを良しとはしなかったのだろう。


じゃぁ雑草って何か、となると定義は難しい。

以前テレビ(タモリ倶楽部)で学者さんが「個人の考え」として言っていた定義「土地の持ち主が許可していないのに生えている草は雑草」は本質的だと思う。


最初は花がかわいいから植えた草だったとしても、時折旺盛な繁殖力を見せるものもある。

こうなると、最初に植えたのは自分であったとしても、駆逐したくなる。

そして、駆逐できなければ「雑草」となる。




さて、最近温かくなってきて、草の繁殖が凄い。


我が家で非常に多い「雑草」は、トリケトラム。「トリ」は3の意味で、茎が三角形をしている。

日本では「三角葱(ミツカドネギ)」ともいうが、葱の仲間。というか、ほぼニラ。(香りが少し弱い)


とても可愛い花を咲かすので好きなのだが、やたら増殖するので、毎年食べ放題になっている。

根っこは小さな球根になっていて、葱の味が濃い。

葉っぱはニラのよう。茎も食べられるし、花も美味しい。つまり、全部食える。


ニラのつもりで料理すれば大丈夫。香りが少し薄いけど、雑草だから多めに入れればよい。


少し長めに切って、細切れ肉といっしょに煮込んで卵とじ、とか美味しい。

味噌汁にしても美味しいし、細かく刻んだら葱と変わらないのでチャーハンとかに入れても良い。


とにかく使い勝手が良いのだ。買い物に行かないでも庭から使い勝手の良い食材が取れる有難さ。


食べられる時期は1か月程度。今絶賛旬を迎えている。




20年ほど前、現在の家に引っ越してきてすぐに、観賞用のバナナを買った。

最初は鉢植えだったが、大きくなってきたので、庭に作った家庭菜園の端に植えた。


…これがその後大繁殖。


観賞用とはいえ、バナナとしても食べられる。ただ、種が大きくて多く、バナナを食べるというより「種の周りの甘い部分をしばらく口の中で味わったら、全部吐き出す」という感じ。


とにかく増えてしまって、手におえない。雑草化している。

なので、今年は少し間引こう、ということになった。

今ちょうど地面から新芽が出てきている所なので、新芽の部分を根っこから掘る。


バナナを含む芭蕉科は単子葉類で、稲や竹と同じ仲間。

「新芽」と書いたが結構大きく、小さな筍(タケノコ)だと思ってよい。


そして、食べ方や味も筍のよう。

周りの皮をむいて、中心部分を茹でる。湯でこぼしてもえぐみがあるので、薄い酢に一晩浸して中和させる。

「加食部より皮の方が多い」というのも筍と同じ。


筍よりは柔らかく、筍の穂先、もしくは姫皮だと思ってもらうと良い。


薄切りして塩でもんだきゅうりと、細かく切ったバナナの茎をあわせ、梅肉と砂糖であえてみた。

筍の姫皮でつくる料理だけど、バナナの茎でも美味しかった。

酢水にさらしているから少し酸っぱいのだけど、梅と合わせることで気にならないようにする、という意味合いもある。


ただ、これはちょっと「つけ添え」程度の小鉢料理。大量消費できない。


まだバナナの茎があったので、軽く炒めて醤油と砂糖で味付け、ごま油で香りを出す。

きんぴらだ。普通は固い野菜で作るが、シャキシャキとした歯ごたえはあるので、美味しい。


バナナの新芽の茎も、雑草として駆除する際には美味しく食べられると判った。




もう一つ、我が家では茗荷(ミョウガ)も大繁殖している。少し間引きたい。


こちらも、新芽が出てきたところで食べてしまえばよい、というので試した。

妻が作ったので料理法はよくわかってないのだが、こちらも筍のように周囲の皮の部分は剥いて、芯に近い部分を食べる。


茹でてから、甘酢につける。食べてみると、本来の「茗荷」ほどの香りはないのだが、ほのかに香って美味しい。




例年、香椿(ちゃんちん)の新芽も食べるのだが、こちらは季節的にもう少し先かな…


こちらは木で、すぐ大きくなるので毎年切り詰めている。

切っても脇芽が出てすぐ伸びるのだが、この脇芽もたくさん出るので、有望そうなのを残して詰んでしまう。


で、詰んだものは塩茹でしたうえで、卵といっしょに、ゴマ油で炒める。


香椿は中華の食材なので中華風に料理しているのだが、ニンニクの香りがする。

ネギ類でもないのにニンニクっぽい香りがあるので、仏教寺院などでは食材として庭に植わっていたりするらしい。


ネギ類を食べることは戒律で禁止だが、それっぽい香りだけでも…と考える時点で煩悩まみれでは?



2日後に追記


セイタカアワダチソウの事を書き忘れていた。


昔は「秋の花粉症の原因」なんて言われたが、誤解であることが分かっている。

昔から草姿は好きだったのだが、花粉症になると言われて近づかなかった。しかし、今は誤解とわかっているため、庭に生えてもわざと残している。


この季節の新芽の柔らかい部分を詰んで、お茶にして飲むと爽やかな香りがする。

短時間でも十分香りが出るので、「色が出るまで」置こうとしてはいけない。色が出るくらい置くと、非常に苦くなる。

もっとも、苦くなってからでもお湯で割って飲めば十分美味しい。


このように苦みがあるが水に溶けやすいので、茹でておひたしにしても美味しい。

砂糖とゴマで和えて胡麻汚しにすると、少し残った苦みを甘味で包み込み、独特の香りも残り美味しく食べられる。


てんぷらにもしてみたが、苦みが残り子供受けしなかった。

ただ、大人には美味しく食べられる。


苦みは「毒」を示すものであると同時に、毒も理解して摂取すれば薬になる。

そのため、若いころは苦みに対する感受性は高く、年齢を経るにしたがって苦みを感じにくくなることが分かっている。


なので、「大人の味」というのは、老いた舌では苦みを感じない、という意味であって、子供が背伸びして食べる必要はない。



追記ここまで。




もう1か月くらい前だと思うが、春先にはツクシを食べた。

これは我が家の庭にはあまり生えず、近所の空き地でとってきたのだけど。



「雑草を食べる」と人に言うと、不味そうだと言われることもある。

でも、適切な知識を持って、適切に料理すれば、どれも美味しい食材だ。



「雑草」と言われて、具体的にいろいろな草を思いつかない人だと、雑草は総じて「不味そう」なのだろう。

いくらかの雑草は食べられる、と知っている人には、自分で食べないまでも、食べることは理解してもらえる。


「雑草という草はない」という言葉だけが有名になっているのだけど、これも言葉として知っているのと、具体的に雑草とされやすい草を思い浮かべられるのでは大きく違う。


そして、具体的に知っていれば、どれが美味しそうかという話も自然に受け入れられる。





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料理

住まい

別年同日の日記

05年 引越し一段落

13年 誕生日プレゼント

16年 長女と次女のお誕生日


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4月も後半だが  2026-04-22 17:07:13  家族

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おっと、4月に入ってから何も日記を書いていないぞ。


日記と言いながら全然日々更新ではない、というのは20年以上前から標榜しているのだが、1か月の間に何も書かない、ということはないように気を付けている。

なので慌てて書く次第。


でも、特に書くことないんだよね…




長女は大学生になった。


通っているキャンパスが少し遠くて、週に一度だけだが、6時半に家を出ないといけない。

今までは、長男が一番速かった時でも7時に出れば間に合っていたのだ。


そこで、僕も朝の家事を30分早めなくてはならない。

今まで4時半に起きていたので、4時に起きるように切り替えた。



タイッツーで朝起きた際に挨拶しているのだが、「こんな時間に起きている」ということを酔狂アピールしたいだけでもある。

そして、タイッツーでは朝4時に「なる4」投稿をする人が一定数いる。

せっかくなので、現在僕もそこに加わっている。


長女の大学では、3年になるとキャンパスが変わり、もっと近所になる。

それまでは早起き頑張る。




次女は昨日誕生日だったのだが、先週末に歯科矯正のワイヤーを交換したばかりで、歯が痛い。


僕は歯科矯正をしたことがないのだが、子供たちによれば(3人ともなぜか歯並びが悪く矯正した)、ワイヤーを変えた直後は歯が痛くて柔らかいものしか食べれないのだ。


そんなわけで、誕生日だったが特に御馳走を出すわけでもない。

次女曰く、「誕生日は来週に延期したい」とのこと。



ケーキくらい食べるかと聞いたら「ぱりぱりチョコショートは歯ごたえがあるからいいのだけど、今は食べれない」と、特定銘柄前提で話が進んだ。



長女が、これを受けて大学の帰りに、コージーコーナーのスフレチーズケーキを買ってきた。

とても柔らかいケーキ。妻が好きで、我が家的には度々買っている。


やさしい姉。

次女も誕生日祝いは後日に、とあきらめていたので、ケーキに喜んでいた。




ゴールデンウィークが近いので家族でどこか行きたいね、とは思うのだが、子供たちが新学年・新生活で落ち着くまでは予定が立てずらい。


そして、予定を立てられるくらいまで待つと、今更宿の予約が取れないので旅行には行けない。


そんなわけで、今は日帰りでどこかいけないかなー、と画策中。


家の近所だって、行ってない観光地はいっぱいあるのだ。

何も遠くまで旅行するばかりがレジャーではない。




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別年同日の日記

03年 SONY製品

05年 回線は来たけれど

11年 「戻る」ボタン自由自在

13年 アンパンマンミュージアム

18年 3度目のキッザニア

18年 おわび

19年 次女の誕生日

20年 次女の誕生日

24年 最近遊んでいるゲーム


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家族団欒  2026-03-31 18:15:27  家族

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昨日の夜、次女が「そういえば、なんで青や紫は高価な色だったのに、今は安いの?」と聞いてきた。


次女はゲーム(ぽこあポケモン)やりながらだったので、家具にペイントでもしていて急に思ったのだと思われる。


僕は妻と晩酌していた。

ここで、ほろ酔いの妻が集中講義を始めた。


妻は大学は地学科卒で、絵心があって自分でも絵を描くが、美術鑑賞も趣味。


以下、妻の講義の大雑把な要約。

(僕も受け売りなので、間違ってたらゴメン)




まず染料と顔料の違いから。

布を染めるなら染料だが、絵を描くなら顔料だ。そして、染料は生物由来のものも多いが、顔料は岩石由来が多い。


岩石を絵の具にするには細かく砕く必要があるが、通常は細かな岩石は表面で乱反射を起こしてしまい、白くなる。


そして、特に青い岩石で細かくしても青を保つものは貴重で、ヨーロッパではラピスラズリを砕いて使われた。


ここで、ラピスラズリは現代では特定の宝石だが、古代では青色系の鉱物一般。


ラピスラズリから作られた絵の具は「ウルトラマリン」と呼ばれ、海のような深い青…と思っている人もいるのだが、これは「海を越えてやってきた」という意味。

ヨーロッパではラピスラズリは入手できず、アフリカからの輸入に頼ったため。


そんなに高価なものなので、権力を持っている教会でしか使えなかった。

教会では、これを高貴な方である、キリストか、マリアの色として使った。


だから、宗教画で女の人が青い服を着ていたら、それだけでマリアだということになる。

青いおくるみに包まれた赤ちゃんがいたら、キリストになる。


青が非常に入手困難な宝石を砕いて作る絵の具だった、ということも含めて、これを知っていると美術館巡りがずっと楽しくなる。



フェルメールの「青いターバンの少女」は有名だが、そんなに高価な絵の具を、宗教画ではなく肖像画としてふんだんに使った、ということが当時の美術界に大きな衝撃を与えたため。

青をマリアやキリスト以外に使ってもいいんだ、というのは、常識を打ち破る衝撃だった。


実際の絵を見ると小さくてがっかりする、という話もあるが、高価な絵の具なので、その小ささでも普通は描けない。


フェルメールは妻の実家が裕福だったので、妻の親の財力を当てにして、非常に高価な絵の具をバンバン使った。


しかし、それが原因で資産を食いつぶし、時代の流れもあって妻の実家は破産してしまった。




日本では環太平洋造山帯の影響で、金といっしょに産出する銅系の鉱物で、藍銅鉱が使われた。

これだって珍しい高価なものだが、ヨーロッパにおけるラピスラズリよりは入手しやすい。


そのため、日本では比較的青色を使った絵が多い。しかし、それも当時の「武将」の庇護を受けたものだけが使えた。


江戸初期頃に青色をふんだんに使った日本画には、菖蒲とか藤の絵が多い。

これは「勝負」や「不二」に通じるので武将などには受けがよいため。

ある程度権力者に気に入られる努力がないと、青色は使えない。ここら辺はヨーロッパと事情は同じ。




これだけ「青が高価」だと、青色の絵の具を作れれば一儲けできる、と思う人も出てくる。


錬金術の時代、とにかくいろいろなものを混ぜ合わせて組成の変化を調べる、という、化学の原型が出来つつあった。


これで出てきたのが、豚の肝臓を焼いて薬品を加え…いろいろ加工すると青色の顔料が得られる、という発見。

これが、世界初の合成絵の具。プルシアンブルー。


作った人は金持ちになれると思って作ったのだろうし、多分最初はそれなりに設けたと思うのだけど、貴重性が失われてすぐに安くなっていく。

そして、青は特別な色ではなくなった。



後日追記。

プルシアンブルーは錬金術で発見されたわけではなく、偶然の「失敗」から生み出されたようだ。

以下のページに詳しく書かれていた。

プルシアンブルーとは?




…と、妻がここら辺まで一気に説明したところで、僕が話に参加する。


高校の時、化学の実験でプルシアンブルーを作った覚えがある。

時間がかかるからと2時間ぶっ続けの枠で、いろいろな処理をしたら…青い粉が出来上がった。


当時はみんな「だから何?」という反応だったのだけど、青が貴重な時代にこれが発見された、という説明でもあればもっと関心を引いたかもしれない。


ただ、僕はあの時使った吸引濾過が凄く驚いて、電気でモーターとか動かさないでも吸引できるんだ、って…



と話していたら、別室にいた現役化学科の長男が「なんか面白そうな話してる」と参加。


しばし僕と吸引濾過の話をしていたのだが、次女が「話がずれてる」というので元の話題へ。




青はわかったけど、紫が高価だというのは? と再度次女。

今度は僕が説明。うろ覚えだけど。


あれは、貝紫と呼ばれるもので、昔はそれ以外に紫色を染める技術がなかったんだよ。


小さな貝の、体内の何か分泌する腺を取り出して、その液で染める。

小さな貝なので、ハンカチサイズ一枚染めるのにも、100匹とか必要だったんじゃないかな…


しかも、肉食の貝なので数は多くない。一生懸命探して、100匹見つけてやっとハンカチ一枚。



すると長男が、アメフラシみたいな紫色じゃ染められないの? と疑問を呈す。


アメフラシの紫色は、水の中で広がる煙幕だから意味がある。

水中で広がるというのは、つまり水溶性。染めようとしても、洗うと落ちちゃう。


貝紫は、最初は紫色ではないのだけど、紫外線に当たると紫色になって定着する。水に落ちない。



余りに高価なので、江戸時代は病気の時に紫色の鉢巻きをすると治る、みたいな使われ方をした。

権力者しかできないようなおまじないだが、それでも「鉢巻」レベルで、紫の服を着るとかではない。




紫色はなんで安くなったの? と次女が疑問を出したが、その答えは誰も持ってなかった。


しかしまぁ、プルシアンブルーの件もあるし、「高価な色」があれば、それを合成できれば大儲けだと思う人がいるだろうね。

誰かが上手く合成して、安くなったのだろう。


と、話をしていたら妻が服などを染める合成染料を持ってきた。

50g 入りで、T シャツ4枚染められます、とある。800円だったそうだ。


何か染めようと思って買ったが、結局使わず置いてある、とのこと。


貝紫の染料をネットで検索すると、染料 1g 得るのに、10000匹の貝が必要、とのこと。

ただ、これは話しが大きくなっていて、1000匹程度とする話もある。


ハンカチ1枚で100匹、というのはうろ覚えの記憶で行ったのだが、50g でTシャツ4枚だから、ハンカチ1枚でも 1gくらい必要か。ちょっと桁が足りてなかったようだ。


後日追記。


先に追記で引用した、プルシアンブルーの解説ページを掲載していた会社(印刷会社)に、紫色の合成染料(モーブ)の開発の話もありました。


モーブとは?


発見は偶然だったが、紫染料の価値に気付いてすぐに染色工場を設立、貴族の間で大流行を起こしたそうです。


また、これが最初となって、一連の「各色の合成染料」が作られていく歴史も、同社の以下のページにあります。


アニリン染料とは?





家族はまだ話を続けていたが、僕は寝る時間だったのでここで離脱した。


子供たち春休みで、遅寝遅起きになってるんだよね。

僕も少し引きずられて遅くなっているのだけど、仕事もあるし家事もあるので4時半には起きている。

あまり遅く寝られない。



まぁ、久しぶりに愉快な「一家団欒」でした。

(うちの家族はこんな感じ)



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G.W. 東京編 (3/4)【日記 26/05/03】

別年同日の日記

04年 びっくりした

08年 花見

14年 長女卒園

14年 カップヌードルミュージアム

15年 春の家族旅行

15年 ペンション とうてんぽーる

15年 バナナワニ園

15年 ぐらんぱる公園

15年 帰り道

17年 西角友宏さん 誕生日(1944)

18年 冒険遊び場

24年 母三回忌

24年 牧場ソフトクリーム


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ビーチコーミング・ふたたび  2026-03-16 11:40:21  家族

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先日、ビーチコーミングに行った話を書いた。


紫外線ライトに反応する「ウランガラス」のシーグラスを求め、わざと夜に行ったのだった。

見事に見つけ出した。


紫外線ライトは1つだけだったのだが、ガラス以外にもいろいろと反応するものがあり、結構楽しかった。


じゃぁ、紫外線ライトもう少し買って、もう一度行こうよ、と話していた。


そして、前回からおよそ2週間後の先週金曜日、僕はいつもより少し早めに仕事を終え、再度ビーチコーミングに行ってきた。


前回から2週間、というのは、夜に干潮が来るタイミングは半月毎になるためだ。




前回は材木座だった。

家から比較的近いからだ。


でも、ネットで評判を見ると、他にも「ビーチコーミングに良い」とされている浜はある。

材木座から見ると「山を越えて隣浜」の逗子海岸や、少し遠いが茅ヶ崎のサザンビーチなど。



この日、次女は夜塾の予定があった。

ビーチコーミングを主にやりたがっているのは長女なのだが、計画を聞いて次女もやりたいという。


そこで、次のような計画を立てた。


・逗子海岸に行き、ビーチコーミング


・次女の塾が終わる時間を目指して、塾のある藤沢駅へ(車で30分程度)


・藤沢から、茅ケ崎のデニーズへ(車で30分程度) そこで皆で夜ご飯。


・デニーズの目の前のサザンビーチでビーチコーミング。



今の時期、日没は17時半だが、18時前に家を出る。この時点ではまだ空は明るい。

30分ほどで逗子海岸到着。ここ、広くて安い県営駐車場がある。そこに駐車。


駐車所は南北に延びる逗子海岸の、北端に位置する。そこからめぼしいものを探しながら、逗子海岸を散歩。

南端の「渚橋」まで歩いたのだが…


物が全然落ちてない。いや、砕けた貝殻や、小さな貝殻は結構あるのよ。

元々そうしたものが多いので、「ゴミが打ち上げられやすい地形」だと期待していたし、過去にはゴミもずいぶん見た覚えがある。


でも、この日はどうしたことかほとんど物が落ちてなかった。




今確認したところ、2017年に「逗子海岸の清掃を目的とする」ボランティア団体が作られ、毎月清掃活動をしているみたい。


僕の逗子海岸の認識は、子供がまだ小さいころに遊びに来たときのものだ。


近い日の日記を見つけた。


逗子海岸に行った話は書いていないようだが、子供が貝殻拾いが好きだ、という日記。同じ年に何カ所か貝殻拾いに行っていて、逗子海岸もその時行った。


2016年の話だね。ボランティア団体設立前。

ということは、ボランティア団体によってゴミは定期的に回収され、現在シーグラスなどはほとんど見つけられない、ということか。


今後はビーチコーミングには向かないようだ。




余りに何もないので、早めに切り上げる。

しかし次女を迎えに行くには 30分くらい早い。海岸線を流しながら、車を停められるところがあったらちょっと海岸見てみよう、ということにする。


そして、七里ガ浜のセブンイレブンへ。

ここの駐車場は有料で、利用者は 20分無料、だそうだ。


ここ、利用しない場合は 10分 500円という、超高額な有料駐車場。

まぁ、何か買い物すればいいんでしょ? ということで、僕と長男で買い物している間に長女と妻が海岸を見てくることに。


実は、1週間ほど前に妻が用事でこの周辺に来ていて、ついでに海岸の様子を見ている。

それなりにビーチグラスが落ちているそうだ。ただし、昼間だったのでウランガラスは見つけられていない。



何を買おうか迷っていたら、結構早めに長女と妻が戻ってきた。

何も落ちてなかったので早々に切り上げたそうだ。七里ガ浜海岸も広いので、妻が見たのはこの周辺ではない、とのこと。



余談になるが、このセブンイレブン、取り扱い商品がコンビニらしくなくて面白かった。


ビーチサンダルやTシャツ、湘南土産などのコーナーが充実している。

それ以外のコーナーでも、ビニール紐や段ボール箱、歯ブラシなどの雑貨や、定番ボードゲーム、調味料などが充実している。


つまり、海にふらっと遊びに来てバーベキューやりたくなった人や、急に止まることにした人やお土産を自宅に送ってしまいたい人、渋滞で車内で退屈している人・帰りの電車で遊ぶものが欲しい人、などに対応しているということなのだろう。


なんか、田舎の「スーパーを兼ねた個人商店」のような雑多さだった。

まぁ、鎌倉なんてそれなりの田舎で、コンビニって個人商店も多いのだけど。




さて、藤沢駅前に早く着き過ぎたが、藤沢駅前は車停めて待てるようなところないんだよね…

うろうろしている間に次女と連絡が取れ、無事拾えた。


時間は20時半を過ぎていて、次女はお腹空いたというので、一路サザンビートを目指す。


結構遠いけど、茅ケ崎の海岸通りは結構な速度で走れる。無事到着。


料理の値段が結構高いのに驚く。

デニーズに最後に入ったのは、ちょうど1年ほど前の家族旅行


最近物価上昇激しいけど、高いのね…


まぁ、それはさておき。


食事したらデニーズの駐車場は2時間無料だった。食事には30分程度しかかかっていないので、車を置いたまま海岸へ行く。



サザンビーチは、何やら工事中でした。消波ブロックが沢山並べてある。

このテトラポッド、少し変わったバランスしてるね…などと長男が言うので、状況によっていろいろな形が使い分けられることと、テトラポッドは商品名なので、それがテトラポッドかどうかはわからん、という話になる。


そこからしばらく、多くの人が普通に使っているが実は商標、というものの話で盛り上がる。

ホチキスとか、セロテープ、キャタピラ、カセットガス…などなど。



それはさておき、工事中でロープ張ってあるので、入っていいのかどうかわからん。

入って良さそうなところを探して少し歩く。Cの形のモニュメントの所からは砂浜に入れた。


あの「C」は何? と長女が言うので、茅ケ崎の頭文字じゃない? と言ってから、サザンに「C調言葉に御用心」という曲があることを伝える。



今調べたら、公式にはこの曲の事は関係ないのね

いや、どう考えても「サザンビーチ」なのだから、C調言葉でしょ?




さて、サザンビーチはとてもきれいな海岸で、ゴミなんて全然落ちてませんでした。

しかも、砂が凄くさらさらしている。この近辺の浜辺で、この砂質は珍しい。


とはいえ、何も落ちていないのでビーチコーミングとしては成果なし。


この日は、3カ所の砂浜を巡ったが何も収穫なし、という結果に終わりました。残念。


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別年同日の日記

05年 大忙し

09年 辻堂海浜公園

15年 ドットリ君

17年 タネンバウム教授(1944) ストールマン(1953) 誕生日

20年 ソフトウェアリリース

21年 暮らしの中の微分積分


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ビーチコーミング  2026-02-28 16:39:14  家族

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話は1週間前に遡る。


先週土曜日、受験が終わった長女と、次女が一緒に献血に行った。

以前から「行ってみたい」とは言っていたところに、高校生が今行くとプレゼントがもらえる、というキャンペーンをやっていたのだ。


買い物に出るついでに駅まで送ったのだが、その最中に長女が「受験も終わったし、海行きたい」と言い出した。

以前から、ビーチコーミングしたいと言っていたのだ。長女は小学生のころから貝などを集めるのが好きだったが、ここ数年はシーグラスを集めている。


特に、2年前にカドミウムグラスを拾ってから、紫外線ライトを持って夜のビーチを歩きたいと言っている。


じゃぁ、今夜行ってみるかー、などと言ってみたが、妻が調べたら先週は夜満潮。ビーチコーミングには向かなかった。




そして昨日金曜日、僕が仕事がちょっと手間取って夜7時くらいに終わり、居間に降りていくと「ビーチコーミングに行く!」という状態になっていた。


妻から相談を持ち掛けられる。次女と妻の二人で自転車で行くか、車で送ってもらって、ビーチコーミング中に僕は食材の買い出しでもしてもらうか…


え、ちょっと待って。送るのは全然かまわないが、僕は食材の買い出しじゃなくてビーチコーミング付き合いたい。

そしたら長男も「面白そうなことするなら付き合う」と。次女も行くと言い出した。学年末試験中なのに。


このフットワークの軽さは我が家らしい。

7時から30分で夕食を食べ、7時半過ぎに海へ出発する。


海へは自転車でも行ける距離ではあるが、ちょっと遠い。

車だと自転車で行ける「最短の道」を通れないので、時間的には30分ほどかかる。


しかしまぁ、8時前には材木座海岸につく。

夜の海は真っ暗だ。とはいえ、すぐ横を自動車道が通っているので、怖いほどではなかった。




この日の為に、数か月前から紫外線ライトを買ってあった。でも、1つしかない。

そもそも来たがっていた長女にライトを持たせ、海辺散歩。


海辺につく前の砂浜で、漁に使う網の切れ端が光っていた。

なるほど。プラスチック片で光るものがある、とは知っていたが、網の糸とかでも光るのか。


この糸のきれっぱしだけで、普通のライトだと周囲の砂に紛れ込んで見えないが、紫外線ライトだとはっきり見える、と盛り上がる。


そして波打ち際へ。


当初想定では、目的のウランガラス類とか、蛍光塗料を含むプラスチック片とかは光るだろう、と思っていた。

しかし、一部の貝や海藻も美しく光る。予想外に光るものが多く、面白い。



次女は高校で写真部に入っているので、なんとかスマホカメラで夜景を撮ろうと苦心している。

スマホカメラでは三脚が使えず長時間露光が難しいので、角度が自由にできる「スマホスタンド」を持ってきていた。でも、当然砂浜に置くと視線が低すぎて風景が映らない。


「あそこら辺にある漁船を借りて、高い位置に置けばいいよ」とアドバイスすると、しばらく何やらやっていた。


戻ってくると、「タイムラプス撮影して見た」と車道風景の光の点が高速に動く画像を見せられた。結構面白い。

しかし、夜景は「光のきらめき」が面白いのであり、動画ではなく「写真で」となると思ったように綺麗さが出ないらしい。


そこは、一眼レフ持ってても難しい部分だからね。




所で僕は、材木座海岸に来てからなんとなく「♪ざざざ 材木座~」と歌っていた。

この歌、鎌倉市民なら誰でも知っていて欲しい曲。…知っていて欲しいだけで、多分知っている人少ない。


かくいう僕もサビしか歌えない。

思い立って Amazon music で探してみる。タイトルすら知らないけど「材木座」で探せば何とかなるだろう。


「That's 材木座」という曲だった。




しばらく音楽を流しながら散策。

いや、材木座海岸でこの歌を聞いてみたかっただけ。




さて、長女の方は、思ったより光る貝殻などがあるので、とりあえず拾っている。


目的は「光るシーグラス」なのだが、それが珍しいこともわかっている。見つからなくても、興味深いものは拾っていこう、という考えだ。


歩くうち、赤く光る小さな透明な破片があった。

これはガラスかも! と少し盛り上がる。


探してみればあるもんだ。その後も、黄色っぽいものも数個。


しかし長女は言う。

シーグラスなら角が削れていて、全体にすりガラスになっているはずなのだが、そうなっていない者ばかり。プラスチック片かも。


なるほど。ガラスは堅いが脆いので、波で削られて角が丸く、表面はすりガラスになる。

しかしプラスチックは粘りがあるので角が削れないし、表面も綺麗なまま。


まぁ、家に帰ってから詳細に見ることにして、気になるものは拾っていく。


材木座海岸を葉山方面に歩いていたが、トンネル近くまで来てしまったのでまた戻る。

帰り道で、大きな光るものを発見した。


最初はプラスチックかと思ったが、大きいが分厚く、硬い。これは明らかにガラス。

光る色もウランガラスと思われる色だった。


これはウランガラスかも。しかも大きい。

目的物らしきものの収穫に浮かれながら車に戻る。


1時間をちょっと過ぎていた。時間は9時過ぎ。

駐車場は1時間400円だが、ちょっと過ぎたので800円取られた。まぁ楽しかったので仕方ない。


買い物をしたいと思っていたスーパーは9時閉店なので、買い物は翌日に回す。




家に帰ってから長女が精査している。


プラスチック片だろう、と予想していた、最初に拾った赤いものは、やはりプラスチックっぽかった。


でも、その後に拾った黄色い破片は、少し重くてかたい。おそらくガラス。カドミウムガラスのようだ。


そして、大きな破片はウランガラス。探していたものを、結構な大物で拾ってしまった。

他にも拾った貝など同定し、名前や拾った場所・日時などをカードにしてジッパー袋に入れる。データが整理されていれば立派な資料だ。




翌日、僕が買い物に出たついでに100円ショップに行った。

紫外線ライトはそこで買ったものなのだ。2個売っていたので2つ買う。

合計3個あれば、次回はもっと楽しめるだろう。


今回は材木座だったが、次回はまた別の所に行ってみたい。

と言っても、鎌倉近辺だと、材木座かその隣の由比ガ浜あたりがビーチコーミングしやすいスポットなんだよね。



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関連ページ

ビーチコーミング・ふたたび【日記 26/03/16】

別年同日の日記

02年 2/28

15年 プログラム教育

17年 コアメモリ特許 成立(1956)

19年 どんどん壊れる

20年 なんというか…

23年 長女、高校合格

24年 食洗機 長期使用レビュー


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テレビとビデオの不調  2026-02-01 18:15:52  家族

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家族でテレビを見ていた時に、画面中央下あたりの輝度が安定しなかった。


蛍光灯の切れかかったような…そろそろこの表現も死語になりそうだが、明るくなったり暗くなったり不安定なのだ。

液晶テレビとはいっても、冷陰極管バックライトではない。LED なのだが、こういう動作をするということはもう寿命近いのだろう。


しばらくしたら、その不安定さはなくなったのだが、そのあたりの輝度が少し落ちているのが気になる。

その気になってみると、そのあたりだけではなく、画面に数カ所暗いところがある。

真っ白い画面などにならないと気にならないのだが、テレビ番組などで真っ白な画面が出ても、明るさにムラがあるのは「そういうデザイン」なのだと思って気にも留めていなかった。


あ、このテレビ、もう壊れかかってるんだ。

そう認識して、新しいテレビを探し始めた。




上記の「蛍光灯のように」輝度が変わったのは、1月8日の話だった。

アマゾンでテレビを探したら、1月7日まで初売りセールで安かった。なんでこんなタイミングで壊れるかな。


でも、その後は蛍光灯のような現象は起きていない。単に輝度が低くなっているだけだ。

それほど気にしないで使っていられる。



現在我が家のテレビは 32型の 2K テレビだ。

このテレビ自体に HDD を外付けして録画する機能があるが、チューナーは一つしかない。

予約録画するとその時間は好きな番組を見られなくなるので使っていない。


しかし、このテレビを買う以前から使っている HDD レコーダーがある。こちらは2番組同時録画可能なので、テレビ本体で録画しなくても全く問題はない。



さて、昨年 Switch2 を買った時「NINTENDO SWITCH2 のひみつ展」の中で 4K テレビがないと遊べない機能がある、と書いた。

いまだに Switch2 の 4K 機能を活用したソフトは出ていないのだが、このミニゲームを見るためだけに、4K テレビが欲しい。

まぁ、「このためだけ」というのは大げさで、そろそろ値段も手ごろになってきた 4K テレビに興味がある、と言ったところだ。


どうせなら、ゲームも遊びやすい 120fps 対応も欲しいよね。


…なんて考えながら、一応欲しい機種を選定。



先に書いたが、初売りセールの時は安かった。また安くなるのをまとう、と思っていたら、年末ほど安いわけではないが、1月下旬にセールを始めた。


でも、長女が大学受験控えているからね。新しいテレビとかあると気が散ってしまうので、受験が終わるまで待ってから買おう。

別に慌てるものではないから、その後セールのタイミングまで待って購入すればよい。




等と考えていたら、今日になって外付けの HDD レコーダーの調子が悪い。

というか、壊れたのだろう。たぶん HDD 故障。電源を入れても、HDD 起動できない様子で、LED で「起動中」であることを知らせた状態から進まない。


今使っているテレビより前に購入したやつだからな…調べたらちょうど10年ほど前に買っていた

そろそろ寿命か。仕方がない。



新しいテレビを買ってしまえば、外付け HDD への録画機能がある。

今のテレビと違い、3チューナー持っていて、視聴している番組の裏で2番組撮れる。


なので、本命は「完全にシステム移行」なのだけど、先に書いた通り長女が受験で、まさに明日から1週間はすごく忙しいんだよね。

いま家電を買い替える、というのは生活環境が変わってしまうのでやりたくない。



まぁ、TVer などの普及もあってビデオがなくてもそれほど生活に問題はないので、当面はこのままかな。

受験が終わって、その後にアマゾンがセールをやったタイミングで、テレビと外付け HDD を購入したいと思います。



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別年同日の日記

03年 システム改変

12年 インフルエンザ

17年 些細な綴り間違い

18年 ネットワーク管理


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家系図  2026-01-04 16:26:07  家族

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2日に親戚が集まった。


僕は6人兄弟なのだが、長兄の家に集合。

兄弟は都合がつかない者もいて、3名参加。


でも、その3名は家族がいる。家族も集まった。

来た姪のうち、二人は配偶者と子供も来たし、別の姪は婚約者を連れてきた。


そんなわけで、参加者は赤ちゃん含めて17人に上る。




まぁ、この会はそれだけの話で、楽しかった。

長兄はいつも新年の集まりにカレーを作ってくれて、さらにお寿司をとって蟹もある。

美味しいので子供たちも楽しみにしている。


ただ、家に帰ってから「誰が誰かわからない」と子供に言われた。

まぁ、親戚多すぎな上に、新しく生まれた子供とか、新しくつれてきた婚約者とか、覚えきれんわな。


紙に家系図書きながら説明したが、今度は「さっき会った人の顔と一致しない」と言われた。

顔写真入りの家系図が欲しい、と。


なるほど、まとめてみるか。




昨日3日に、家系図を作るのによさげなソフトを探してみる。

家系図って、レイアウトとかややこしいので手書きで作っていると疲弊する。データが変わったら自動的にレイアウトしなおしてくれるようなソフトが欲しい。


Windows 上だと、エクセル家系図 というソフトが定番と知る。


微妙な分野だから、市販ソフトも少なく、無料で使えるのは事実上これだけなのだ。

エクセルのマクロで動作するアプリケーション。

当然だが「無料」と言っても、エクセルを持っていることは前提。


サンプルとしてサザエさん世界の家系図が入っている。磯野家だけではなく、婚姻関係のあるフグ田家の家系図なども同時に作りこまれているため、結構大掛かり。

しかし、その大掛かりなものを、入力データを基にして自動レイアウトできる程度の機能は持っている、という安心感はある。



懇切丁寧な説明書があるのだが、長いため最初の方を少し読んで、とにかく使い始めてみる。

まずはサザエさん家系図を削除してから、自分の兄弟などのデータから入れ始める。


…すぐ使い方に詰まった。色々とデータが不整合を起こしているようだ。

一旦なかったことにして、もう一度説明書を読んでやり直す。


エクセルシートとしては「入力」というシートがあるのでそこで入力したくなるのだが、ここは基本的に触ってはダメなところだった。

触っても良いのだが、このアプリケーションの動作に対する深い理解が必要だ。そうしないとデータ不整合を起こす。


入力はその隣、「個票」で行うのが前提だった。ちゃんと説明書にも最初の方に書いてあるのだが、「入力」というシートがあったらそこで入力したくなるじゃんか。

まぁ、一度失敗して、そこで改めて説明書を読む、というのはいつも新しいソフトを使いだす際に行っている儀式のようなものだから、気にしない。



しかし、「入力」シートをいじっている間に、一部の計算式を壊してしまったようだ。これが後で悩みの種になるのだが、この時点では気づいていなかった。




「個票」では、非常に UI が作りこまれていて、エクセルというよりは別種のアプリケーションとして動作する。


ある人に注目した時に、その人の配偶者や親、子供などが「簡易な」家系図ツリーで表示されている。

すでにデータがあれば名前が表示されるし、データがなくても空白の枠がある。


新しい人を登録したいときは、ここで空白の枠をクリックすればよい。

そうすると、そこに入るべき人の名前を聞かれる。


名前を入れれば、その枠に名前が入った状態で表示される。

最低限の操作としてはこれで完了。

さらにデータを埋めたい場合は、名前の入った枠をクリックすればよい。入力のためのシートが作られ、生年月日や性別などのデータを入れることができる。


これを繰り返せば、データは蓄積する。

全てを入れないでも、ある程度入ったところで家系図を描いてみよう。




家系図シートを開き、「家系図作成」ボタンを押すと、自動で家系図が描かれる。

ちょっと時間がかかるのでのんびり待とう。(高速化の方法もある)


僕の場合、ここで「一部の人が書かれない」バグが発生した。その人の子供は、別の人の子供として描かれてしまう。


1時間くらい悩んでいたと思うが、「入力」シートで直接入力をしていた時に、計算式を壊してしまっていたのを発見。周囲のセルからコピーして計算式を戻すことで、問題を解消できた。


入力シートは基本的にいじらず、「個票」で入力を行うこと。

この決まりを守っていれば、おかしなことにはならない。



ともかく、問題解消したら家系図を書けるようになった。

データを全部入れるのは大変なので、この日はここで一旦おしまい。




翌日、というのは今日の事だが、他のデータも記憶で埋める。

しかし、姪の旦那さんの名前とか覚えてない。まぁ、わからないところはわからないなりに埋める。


印刷して、妻に見せてみた。こんな感じだけど、わからないところ埋められる?


そうしたら、妻の方でも忘れないようにメモを取ってくれていたので、かなり埋まった。

そのデータを再入力。


さらに、母の葬儀の時の写真から、AI に顔を切り出してもらって個々の顔写真を作成する。


この写真を家系図の個々人のデータに入れていく。

これで家系図を作成してみると、かなりいい感じ。


葬儀の時に来れなかった人もいたので、別の写真を探して、だいたい埋めた。

それでも埋まらない人は、余り親戚の集まりに来ない人なので、今回の目的からすれば顔写真がなくても許されるだろう。


さらに、「子供が認識している」データを書いておく。

エクセル家系図だと、個人の右側・左側に、小さく箇条書きデータを入れられる。


ここに、住んでいる場所とか、「タバコのみ」とか書いておく。

タバコを吸う人は少ないので、子供はそれで個人を識別しているのだ。また、住んでいる場所が遠い人は余り集まりに来れない、と理解しやすい。



そうこうして、つい先ほど、写真入り家系図が出来上がった。


人数多すぎて、A4 一枚に収めようと思ったら、70% 縮小印刷が必要だった。

4世代38人が書いてある。(一番上の世代は父母で、もう鬼籍に入っている。それ以外の36人は健在なので、なにかの際には全員集まるだろう。)


だから写真とか豆粒のようでわかりにくい。でも、一昨日会ったばかりの人なので、識別の役には十分立ったようだ。




家系図、といっても、「会う親戚がどういう関係か知りたい」目的なので、基本的には生きている人だけ。

僕の父母の兄弟や、僕の従妹などの親戚もいるのだけど、実のところ僕も良く把握していない。


父は6人兄弟で、母も兄弟が多かった。

そして、父母とも関西出身で東京に出てきたので、遠方の親戚には時々しか会わなかった。


だから数人は覚えているのだけど、続柄とか僕もよくわかってないのね。

よくわからないけど親戚、と認識できている人が、子供のころはいっぱいいたのだ。


だから、今自分の子供が同じ状態になっているのがよくわかる。

年に数度しか会わないのでちゃんと覚える必要はないのだけど、「なんとなく」把握できれば十分だろう。



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別年同日の日記

04年 あけましておめでとうございます

05年 おせち料理

05年 お食い初め

06年 獅子舞

16年 テニスとインベーダー

17年 正月休み


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コロナ発症 2025  2025-12-05 18:19:41  家族

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12月2日(火) 午前4時半。


いつもどおりに起きて、なんか風邪っぽいかも、と思い熱を測ると37度5分の微熱。


前日夜、なんかいつもより疲れた気がして早く寝たのですが、夜中になんか暑くて、浅い睡眠しか取れませんでした。風邪で体が熱かったのか、とここで自覚。


しかし、朝ごはんと弁当は作らねばなりません。長男と次女は7時前後に家を出るので、朝ごはんは6時に用意したい。


風邪を感染さぬよう、マスクをして手をよく洗って食事の支度をします。

弁当おかずも、できるだけ触らないですむように冷凍惣菜中心で。


で、子どもたちを起こして一区切り。

風邪っぽいから僕には近寄らないようにと言いつつ、僕は小さなちゃぶ台を出して離れてご飯を食べます。

我が家でいつもやっている風邪対策。風邪の人は近くで食事をしない。


子供が朝の支度をしている間に洗濯物を干し、起きてきた妻に挨拶。ハッピーバースデー。この日は妻の誕生日です。

夜にはご馳走作ろうと思ってたのに、風邪ひいたっぽいので料理はしないほうが良さそう。謝ります。


その後、一番遅く出る長女を8時に送り出してから、30分ほど仮眠。十分な睡眠時間が確保できないのでルーチンワークです。

で、起きてから熱を測ると38度3分。ありゃ、本格的。


インフルエンザが流行っているというので病院行ったほうが良さそう。


3日前に町内会の行事として、近隣三町内の懇親会がありました。そういう名目の飲み会ですね。

多分その時に感染されたのでしょう。同じ店内に小学生の何かのグループとその親が来てパーティをしてたので、小学生ならインフルエンザ持ってる可能性は高い…




熱はあるが特にふらつきなどないので、近所の病院へ。実はこの病院に来るの初めて。

かかりつけ医が、以前はやっていた発熱外来を、コロナ以降やめてしまったの。リスク高まったからね。

だから、発熱時にかかりつけ医には行けない。


少し前に子供が熱を出したときに、普段行かない近所の医者に行ったら案外良かったというので、僕も行ってみようと思ったのです。


話は飛びますが、この日、12月2日から保険証の制度が変わりました。はじめてマイナ保険証を使ってみます。

特になんの問題もありませんでした。顔認証の際、あ、マスク外さなきゃ…と思っている間に、マスクしたままで認証できたのに驚きました。


診察。

症状を軽く聞かれたあと、予防接種受けました? といわれ、「はい」と…

すぐに「インフルはうけました」と正確に言い直します。


じゃぁ、インフルじゃないね。予防接種受けてたら、まずかからないよ。もしかかったら接種した医院のやり方がよほど悪いとかを疑うね。とお医者さん。

話しながら綿棒で鼻拭いして、検査キットへ。ほんの数秒で結果が出る。A B S の S の所にラインが出てる。

SARSウイルス陽性。想定していなかった、まさかのコロナ。(A B はインフルの型)


65歳以上は予防接種してるから発症しないけど、年中流行ってるからねーとお医者さん。そうか、発症しない。だから警戒してないキャリアがいたかもしれないということか。

町内会役員、老人ばかりだものな。




以前と違い、いまはコロナの特効薬がある。ゾコーバ。

でも、新薬だからむちゃくちゃ高い。6万円くらい。保険で3割負担だから1万6千円くらい。使いますか? と医者に聞かれます。

使いますと即答したら驚かれました。値段に怯んで自然治癒を選ぶ人も多いのだとか。


自然治癒を1日早める程度の効果しかない、ということも知ってます。でも、一番のポイントは重症化を防ぐこと。

以前肺炎に発展してやばかったので、お金で防げるなら安いもの。


しかし、処方頼んでから処方されるのを待つ間、考え込んでしまった。

1万6千円かぁ…ファミリーベーシック買えちゃう値段。人生変わるのに十分な金額。

まぁ、重症化が防げるというのも人生変えるわけだけどな…




家に帰り、コロナだったので部屋にこもります、と妻に伝えます。

誕生日祝いの日に本当ごめん。

そういえば、以前コロナと診断されたのは自分の誕生日で、治療完了の診断が出たのは長男の誕生日だったな。


仕事がある可能性もあるので、夫婦の寝室から、僕の布団を仕事部屋に移動。これなら急な仕事に対応できる。

そのうえで仕事先に連絡。コロナになったので、緊急の仕事は対応しますが休みます。

(数件、スマホで答えられる程度の質問がありましたが、本格的な作業はありませんでした。僕の分担分野でも、他の人たちがカバーしてくれた。質問などはその時にわからない部分を聞かれたもの)



ゾコーバは初日に3錠、以降は毎朝1錠飲む。ウイルスが増殖するのを阻害する薬で、血中濃度を維持するために変則的な飲み方になるらしい。

まずはゾコーバだけ飲んで寝ます。


少し寝て、昼頃熱を測ったら39度7分。体の節々も痛い。

これは熱上がりすぎ。処方されていたアセトアミノフェン飲みます。以前にコロナ発症したときには、これで命を救われた感があります。連続して飲んでた。


コロナ、特効薬があるといっても、やっぱまだ怖い病気だな…と思いながらも、アセトアミノフェンが効いたらすぐ熱が下がって楽になった。といっても37度以上ありましたけど。

そして、4時間も立つと薬が切れて39度を超える。薬は6時間毎にしか飲めないので、高熱の時が辛い。



夕食後にまたアセトアミノフェン飲んで、次は深夜に熱上がるかもな…と思って警戒しましたが、夜中には熱は上がりませんでした。


昼間に寝すぎていたせいもあり、夜中には何度も起きましたが、朝まで37度台の小康状態。

これがゾコーバの威力か。特効薬スゲー。




以降はずっと部屋にこもってるだけなので簡単に。


12月3日(水) 発症日を0日目として、1日目。


朝食後にゾコーバと喉の腫れを抑える炎症どめを飲んで、9時すぎに熱を測ったところ平熱。

もう治ったか… というつもりでいたが、それほど甘くはない。


徐々に微熱と平熱を行き来しはじめ、微熱と呼べるレベルを超え始め…20時ごろ、38度5分を超えたところで、節々の痛みも出てきたのでまたアセトアミノフェン飲みました。


昼間寝すぎているので、夜何度も目を覚ましましたが、熱はずっと微熱。



12月4日(木) 2日目。


この日も似た感じ。薬を飲んだ後、朝のうちは平熱で、徐々に微熱になっていきます。


でも、最高で37度1分。

大きく息を吸い込むとすこし咳き込む感じがある。喉の痛みも含めて、呼吸器系がやられているという事だろう。


夜9時ごろになってから、急に、すっと引くように熱が下がった感じがありました。

自分の体の中の「熱っぽさ」も消えた気がする。


これ以降、ずっと平熱です。

コロナの標準的な進行では、熱は3~4日で収まるとされる。

ゾコーバは治癒を24時間程度早めるので、薬の効果があったということだろう。



12月5日(金) 3日目。

平熱になったし、子どもたちがいない昼間にシャワーを浴びる。

髪の毛が洗えてさっぱり。髭も剃った。


この日になって気になり、コロナの変異株についての情報を検索。

というのも、現在日本で流行しているのは「強い喉の痛み」が特徴ということになっているが、喉の痛みはあれど、それほど強くはないからだ。


夏から流行しているコロナの「ニンバス株」は、「カミソリを飲むような痛み」と表現される。まぁ、個人差もあるらしく、これは最高に痛いときの表現のようだが。

また、深い咳も出やすいらしい。そういえば、病院でも咳止めの薬出されたな…


調べると、世界的にはいま、ニンバスともう一種「ストラタス株」が流行中だそうだ。

日本では主にニンバス。ストラタスは欧米で流行しているそうだが、日本でも徐々に増えている。


そして、ストラタスの特徴は、喉の痛みと、声がしわがれたように変わること、軽い乾いた咳だそうだ。

現在の僕の症状にピタリと当てはまる。


というわけで、変異株までの確定診断はないが、多分こっち。


(まぁ、コロナなので些細な違いはあれど、症状は似ている。

 例えば、ストラトスは熱はそれほどでないそうだ。僕は1日目に39度7分まで行っているので、やっぱりニンバスで、たまたま喉の痛みがあまりないだけかもしれない。

 ゾコーバと、のどの腫れを抑える炎症止めの薬を、早めに飲んでいたから、喉の症状が軽いという可能性もある)




熱が下がったこともあって、仕事先からの依頼で15分ほど作業した。

まだ休みだけど、僕でないとわからない部分の質問に答えただけ。


PC を起動したので、ついでにタブレットで書き溜めておいた「日記ネタ」を整形して公開する。


コロナは、発症後5日間は感染力が強いので隔離、とされている。

なので、日曜日いっぱいまでは部屋に閉じこもる。


妻には家事を全部任せてしまっていて負担がかかっている。

申し訳ない。



多分完治したら日記の続き書くけど、すでに治りつつあり、後は隔離されているだけなので、公開されなかったら何もネタになることがなかったのだと思って。


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別年同日の日記

02年 夢占い

03年 高速?

04年 潜入!巨大眼科

05年 子連れで外食

09年 google DNS

12年 水星とプラネタリウム

13年 一眼レフ購入

15年 サーバ故障

15年 たくさん交換


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マリオカートワールド  2025-06-07 10:01:13  コンピュータ 家族

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僕はまだ遊んでないのだけど、長男が遊んでいるのを後ろから見ていて思ったこと。

(長男は小学生のころに、すでに15年前のゲームだったダブルダッシュ!を遊んでからこのシリーズが好き。マリオカート8もやり込んでる)


今度のマリカー、AM1 研の影響受けてない?


…いや、そんなことあるわけないので与太話なのだけど、まぁ聞いてくれ。




今回のゲームの概要発表があった時に思った。

レースゲームなのにオープンワールドらしい。それってHarley-Davidson & L.A. Riders


知らない人の為にざっくり書くと、「オープンワールド」という概念は、セガの作った「シェンムー」が発祥、とされている。

小さな町ではあるが、丸ごと作り込んで、その中で時間で生活する人たちを作り、自分が操作する主人公は自由に行動できるようにしたのだ。


でも、同じセガの中で、もっと先にそういうことをやったゲームがあった。それが先に書いた Harley-Davidson & L.A. Riders だ。(長いので以下 L.A. Riders と表記)


このゲームでは、名前の通り L.A. …ロサンゼルスの街を丸ごと作り込んだ。

その中で、バイクを駆って自由に行動できる。


とはいえ、業務用だったので短時間で遊ばせる必要がある。

できるのは「ランダムに提示されるチェックポイントを回る」というレースゲームだった。


でも、これであるていど「大きな街を作り込む」技術にめどが立ったのだ。




今回のマリオカートはオープンワールドになっており、自由に走り回れる。

…とはいえ、普通のレースの場合は、オープンワールドの一部区画を区切ったり道を閉鎖したりして、レース用に整備している、という形になる。


それでも、今までのような「周回コース」ではなく、次々と景色が変わる長距離を走ったりできるのだけど。



本当に自由に走り回れるのは「フリーモード」だ。


家庭用ゲームなので時間制限なく走れるが、時々ミニゲームが始まるスイッチを見つける。

押すと、チェックポイントが示されて、制限時間内に回るミニゲームが始まったりする。


車でチェックポイントを回るのだから当然そうなるだろう、という感じなのだが、L.A. Riders を知っている身としては、そっくりに見える。




もう一つ、こちらは見てから思ったことだが、「クールライダーズ」も感じる。

一つのレース場を走るようなゲームではなく、世界各地を走り抜けていく大レース。

「マリオカートワールド」も、名前の通り世界各地をイメージしたステージを駆け抜けていく。



「ライダーズ」とついている通り、バイクで走るレースゲームだが、余り真面目なものではない。

バカバカしいと笑いながら遊ぶタイプ。パーティゲームだと思っていい。


小さな障害物に当たると、ポコポコと飛んでいく。

レースゲームだから障害物をよける方が良いのだが、当たっても大した問題にはならないのだ。


今度のマリオカートも、街の中の街頭やベンチ、ガードレールなど、当たると飛んでいくのだ。

ガードレールがそんなに簡単に飛んだら歩行者の安全守れないでしょ、と思うが、自由に走ることを優先しているのだろう。



そして、やたらとジャンプする。

車やバイクなのに、ちょっとした段差や壁を使って、すぐにジャンプできるのだ。これも、オープンワールドを自由に走るために必要なのだろうが、ジャンプの際に、いちいちポーズを決めてアピールできる。


…これもクールライダーズなんだよね。

クールライダーズ、レースゲームなのにやたらと跳ねまわり、ジャンプするとポーズを決めて「Cooool!!」とか表示された。




他にも WING WAR っぽさもある。

これも AM1 研のゲームで、飛行機の空中戦を行うゲームなのだけど、障害物にぶつかっても「転ぶ」だけなんだよね。


マリオカートワールドも、マリオカート8からの引継ぎで「空を飛べる」。

でも、何かにぶつかっても転んで落ちるだけ。事故にはならない。



…というわけで、話半分に聞いてもらっても構わないのだが、1990年代後半の セガ AM1 研のテイストを感じるのだ。

よく知っている人には納得してもらえると思うが、なにぶん古すぎる話だし、上記にあげたゲームを全部知っている人がどれだけいるかわからない。



別に真似したわけではなく、「似たようなゲームを作っていたら、同じ結論にたどり着いた」だけだとは思うのだけど、すごく懐かしさを感じたので主張したかったのでした。


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別年同日の日記

02年 カエル

16年 アラン・チューリング命日(1954)、ドナルド・デービス誕生日(1924)


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Switch2  2025-06-06 11:30:33  コンピュータ 歯車 家族

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Switch2 届いた。


Switch 発売の際は、事前に「しばらく様子見」と思っていたら、発売後の人気爆発で入手困難だったからね。

今回は最初から予約していたのだ。


もちろん、予約時点で申し込み殺到で、抽選なのはわかっている。

僕は運よく当たった。自慢するつもりはなく、本当に運が良かっただけだ。


(任天堂の抽選は外れ続けている。

 取り下げてよいのだが、外れた人は次回に持ち越し、というシステムなので、取り下げることもできない。

 僕が当たったのは Amazon に申し込んだ分だ)




先に書いたが、昨日は仕事に加えて町内会の作業も忙しく、Switch2 の開封は夜。


ひとまず起動して一通り見るが、今まで使っていた Switch は子供たちも遊んでいるのでそのままで…というつもりだった。


でも、完全移行を促されるのね。完全移行しない、という選択肢はない。

いくつかのゲームは、セーブデータが Switch2 に移動し、Switch からは消えてしまう。

(もちろん、そうならないゲームもある)


この移行作業が、とにかく時間がかかる。届いてすぐに開封して始めとけばよかった。


移行作業が終わったら、今度はゲームの一斉ダウンロードが始まった。

移行したのはセーブデータだけで、ゲームはストアから再ダウンロードなのだ。


最初は様子を見ていたのだが、遊びたいのでダウンロードしながら操作。


NINTENDO SWITCH2 のひみつ展」を遊びたい。

ストアに入ると、同梱ソフトであるマリオカートをダウンロードできるよ、と言われるので、ダウンロード指示。

そしてすぐに「ひみつ展」を購入。マリカーのダウンロードはストップさせて、ひみつ展を優先させる。


Wii が発売されたときに「はじめての Wii」というソフトがあった。

モーションセンサーと、センサーバー、という全く新しい遊び方について、ミニゲームで使い方を体験させるためのソフトだった。


「ひみつ展」も同じようなものと聞いている。なので、マリカーのようなビッグタイトルもいいのだが、まずは新しい機械のすごいところを体験してみたいのだ。




それほど時間がなかったので少ししか遊んでいないが、よくできている。

ミニゲームはもちろんあるが、様々な「工夫」をゲームの形式で教えてくれるのだ。


ゲームを作るうえで、「技術」はやりたいことを支える裏方であり、そこを自慢してはいけない。

でも、自慢ではなく、工夫を開示することで、これでどんな遊びが出てくるのだろう、と素直に面白がれる。


マウスで遊ぶミニゲームが面白い、と事前に聞いていた。実際面白かった。


でも、もっと驚いたのは、「背面スタンド」をゲームにしてしまったことだ。


Switch は背面スタンドにいくつかのタイプがある(我が家のは初期型で、壊れやすかった。実際早々に壊れた。その後改良された)。

Switch2 では、これをかなり広い範囲で、自由な角度で固定できるようにしている。


そして、モーションセンサーが本体にも入ったようだ。以前はコントローラーにしか入っていなかった。


それで何をするかというと、「30度に立ててください」とか言われるのだ。30度と思うところで立ててしばらく待つと、モーションセンサーで重力の方向を調べて角度を割り出す。

そして、狙った角度との違いを示されるのだ。


こんなゲームが成立するのはミニゲーム集だから、なのだけど、遊びの幅が広がる気がしません?


他にも、様々な技術的な工夫を伝えてくれる。

さらには、実は任天堂は以前からその技術に取り組んでいた、という豆知識もある。


今回コントローラーがマウスになっていることが話題になっているが、そういえばスーファミ用のマウスってあったね…。言われるまで忘れてたよ。


120fps の体験とか、テレビに繋いでいると「本体をテーブルモードで」と言われてしまう。

いや、我が家のテレビが 120fps 対応ではないからだけど。


それで、簡単な動きを見せられて「20fps か 120fps か」の2択で答える。


さすがに 20 か 120 かはわかりやすいのだけど、60fps と 120fps だと見極めは難しい。

でも、慣れると明らかにわかるようになる。わかるようになると、120fps 対応のテレビが欲しくなる…



あ、そういえば「4K テレビに接続すると遊べます」というミニゲームもあったな。

「あえて」ファミコンのスーパーマリオの 1-1 を、4K テレビで遊ぶらしい。


これは見られていない。4K テレビも欲しいよね。




技術的な工夫を知ってほしい、それで広がる新しい遊びの可能性を伝えたい、というのはもちろんなのだけど、ここで「工夫」として取り上げるくらいなのだから、全部特許取っているのだろう。


これは、他社に対する牽制でもある。

ミニゲームの形とは言え、「背面スタンドの角度」で遊ぶゲームは、もう他社は作れないわけだ。


いや、そんなゲーム今後もあり得ないでしょ、と笑うことなかれ。今は背面スタンドだが、場合によっては「物理的に角度を作るゲーム」が作れなくなるかもしれない。


任天堂は DS の時にマリオ 64 を移植した。

アナログスティックがなかったので、タッチパネルでアナログスティック代わりにする操作法を作り出し、特許を取った。

当時は、タッチパネルを使うゲーム機なんて他になかったので、そんな特許任天堂以外には関係ないだろう、と誰もが思っていた。


しかし、スマホ時代になった時にすごく効いたからね。

スマホでゲーム作ろうとすると、ことごとくこの特許に引っかかるのだ。

(今は 20年たって特許が切れたので、問題なく作れる)


それが、ずっと後で時代が追いついたのだ。

背面スタンドで遊ぶ、だって、今後何が起きるかなんて予測できない。

思いついた遊び方は全部特許にして、世の中に公開してしまった方が良い。

「ひみつ展」には、そういう側面もあるのではないかと思う。




先に書いたように、まだ遊んでいる最中。


やっと「内部基板」に入ったところ。

外形的な特徴だけでなく、内部基板とかもゲーム上で見せてくれるのだ。

「本物を分解しないでね」って注釈付きで。


不思議で興味深いゲームである。


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別年同日の日記

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02年 Home Brew

04年 そう来るとは思わなかった

04年 77の手習い

04年 怪我

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13年 次女のぬいぐるみ

14年 フェルディナント・ブラウンの誕生日

16年 テトリス完成(1984)

17年 キャベツ料理

18年 凄腕プログラマ


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鎌倉散策  2025-04-30 17:21:38  家族

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我が家は鎌倉と横浜の境界、大船に属するエリアにある。


大船といえば、松竹大船撮影所が有名だった。

「男はつらいよ」などのシリーズは、大船撮影所で撮影されていた。

映画の画面作りで、「大船調」と呼ばれる言葉まで作り出した。大船は映画の町と言われた。


しかし、2000年ごろ撮影所閉鎖。


閉鎖直前に、「松竹シネマワールド」というテーマパークを撮影所内に開園したのだが、これがひどい内容で、全く人気が出ずに3年間で閉園になった。

近所だとはいえ、たった3年の間に2回も見に行ったので詳細を語れるのは僕のネタのひとつである。


それはまぁいいんだ。

松竹が作ったテーマパークなのだから、と、内部に映画館が作られた。

この映画館は、実は閉園後も残され、しばらく運営されていた。しかし、今はもうない。


この映画館ができたとき、大船の町に昔からあった映画館が閉鎖した。

小さな町に映画館が2つは、無理があった。本家の松竹がやっている映画館があれば、当然そうでない方がつぶれる。


そして、松竹も映画館を無くしたわけだ。

映画の町大船には、現在撮影所も映画館もない。それどころか、範囲を広げて鎌倉市で見ても、映画館がないのだ。




唐突にこんな話から始めてみたが、せっかくゴールデンウィークなのだからと、鎌倉散策に出かけてみた。


昨日29日(祝)。

祝日だというのに、長男の大学は講義があり、長男は大学へ。

長女は疲れたので家で寝てたい、と言い、妻と僕、次女の3人で行った。


ゴールデンウィークで混んでいるだろうから、車も公共交通機関も使わない。

歩いて30分ほどで、鎌倉の観光エリアに出られる道をしばらく前に発見したので、そこを通っていく。


まずは鎌倉宮へ。

朝10時ごろ行ったら、なんか儀式やってた。巫女さんが神楽を待っている。

見させていただく。


次女は受験中、しょっちゅう肩が凝ったとか腰が痛いとか言っていたので、身代わり様をよく撫でておくように。


そのまま少し歩いて、鶴岡八幡宮へ。

今回の目的地は、八幡宮境内にある国宝館だ。


現在、葛飾北斎の直筆の浮世絵を展示する特別展を行っている。

ゴールデンウィークで終了するようなので、妻が見たいというので見に来たのだ。


いろいろな時代のものを並べているし、北斎だけでなく、同時代に人気があった浮世絵画家の肉筆も展示している。

しかし、同時代の人の展示もあるからこそ、北斎が飛びぬけて絵が上手いのがよくわかる。


北斎は頻繁に改名したことでも有名だが、晩年の「画狂老人卍」時代の作品もいくつかあった。

もう、飛びぬけた画力と構成力は残したまま、適度に力が抜けていい味わいの作品になっている。




さて、受付で、鎌倉の美術館を巡るスタンプラリーの用紙を配布していた。

全部で5カ所。3カ所回るとでハンカチがもらえ、5カ所で景品がもらえるという。


じゃぁ、少し時間あるしどこか見に行ってみるか…と、少し歩いて「川喜多映画記念館」へ。

存在は知っていたが、どこにあるかの認識もなかった。もちろん入ったこともない。


日本で映画の人気が非常に高かった 1950~1960年代に、海外の映画の輸入を手掛け、映画雑誌「スクリーン」を創刊し、海外の映画スターとも交友を深め、日本に洋画文化を形作った、川喜多夫妻の功績をたたえる展示を行う場所。


と同時に、名画を上映する小さな映写室がついている。

独立した映画館ではないが、現在鎌倉市に存在する、唯一の映画館。


そんなわけで、冒頭の話を書いたわけだ。



時間がないので映画は見なかった。

展示は、映画ファンなら楽しめるだろうし、歓喜するようなものもあるかもしれない。往年の大スターの直筆サインとかね。


でも、僕そこまで映画好きではないんだよね…


映画の原理を示す、キネマトロープとか、ゾートロープとか、そういうものが置かれているのが楽しかった。

結構こういうおもちゃ好きなんだよね。




調子に乗って歩きすぎ、家に帰った時にはちょっと疲れていた。

疲れない程度で帰る予定だったのだけどな。


スタンプラリー、期間は1年間。始まったばかりなのでまだ余裕がある。

そのうち一カ所は、やはり特別展が見たいので近いうちに行こうと思っていたところなんだよね。


他の場所も、機を見て行ってみたいと思う。


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別年同日の日記

02年 4/30

08年 その後の事件

15年 クロード・シャノン 誕生日(1916)

16年 GAME ON 展関連書籍

17年 Switch 買った。

24年 ピクミン4


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選挙権  2025-04-27 16:59:35  家族

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今日、住んでいる鎌倉市では、市議会議員選挙があった。


ところで、一昨日は長女の誕生日だった。18歳になった。

選挙の2日前に、選挙権を得たわけだ。


これがなかなかレアなタイミングで、郵送されてきた投票所入場券といっしょに、説明書きの用紙が1枚入っていた。


選挙は、原則当日投票するものだが、当日忙しくて投票に行けない人の為に、2つの制度がある。

期日前投票と、不在者投票だ。


不在者投票は、当日不在となるため、選挙管理委員会に認められた「代理人」に票を預ける制度となっている。

だれに投票するかを記して、秘密を守るため封筒に封緘し、預ける。実際の投票は、投票日当日に代理人によって行われる。


期日前投票は、期日以前に、本人の手によって投票する制度となっている。

期日前投票所に、しっかりと管理された投票箱が用意され、その場で投票する。箱に入れた時点で秘密は守られているので、封筒に入れたりする必要はない。



さて、期日前投票も不在者投票も、実際の投票日の一週間前から行うことができる。

しかし、長女は一週間前の段階では、選挙権を得ていない。


ここで、期日前に「投票」を行う、期日前投票は行えないのだ。

票を預け、投票日当日に投票が行われる、不在者投票なら使うことができる。


長女の場合、誕生日は一昨日だったわけだが、そのタイミングで期日前投票も使えるようになる。



…と、このややこしい制度を説明するために、特別な説明書き用紙が同封されていたのだ。


非常に面白い。

一生に1度、選挙権を得る18歳の誕生日で、1週間以内に選挙がある、というタイミングでないと、この用紙はもらえないわけだ。


なんてことの無い説明書きなのだが、記念にしばらく置いておこう。

あとでどうでもよくなって捨てるかも(笑)


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別年同日の日記

02年 4/26

03年 ほっかいどぉ

08年 誕生日とG.W.

11年 誕生日

14年 相模湖リゾート プレジャーフォレスト

15年 ピューロランド・追記

15年 サミュエル・モールス 誕生日(1791)

18年 ダイナマイト刑事2

19年 長女の誕生日

20年 長女の誕生日

20年 病院週間


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次女入学式  2025-04-10 15:38:41  家族

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もう2日たってしまったが、8日(火)が次女の高校の入学式だった。


近年、コロナで各家庭参加者は1名、ということが多かった。

長男も長女も、入学式は妻に行ってもらっていた。


今回は制限がなかったので、平日だけど仕事は休みをもらって僕も列席。


これが、バスと電車を乗り継いでいくと、家族3人だと5千円近くなる。

駐車場はないから公共交通機関を使うように、また、近隣の公的機関の駐車場に停めないように、とお達しが出ていたので、自分で駐車場を確保。

自宅の駐車場を貸したい人が登録するサービス「アキッパ」で、付近の家の駐車場を借りる。1日860円だったので、ガソリン代を考えても電車で行くより安い。


さて、学校に近づいたところで、叫び声や鳴り物の音が聞こえる。

もっと近づいたら、校門から各部活が祝福のエールの列を作っているのだった。

圧の強いアメフト部の「おめでとー」から始まり、チアダンス部や吹奏楽部、英検のような小さな文化系の部活に至るまで、並んで祝福している。


妻によれば、長女の学校にもこうした祝福があったが、次女の学校の方がずっと圧が強い、とのこと。




クラス分けは、「名前順」で、辞書のように「あ~く」などと見出しがあって、貼りだされている。

名前の辞書順なので、探すのも簡単で、雑踏にならない。


もちろん、名前を見つければ、クラスと名簿順が書かれており、指示に従って席に座ればよい。

この貼りだし方は、長男・長女の学校にはなかったそうで、頭が良いと妻が感心していた。



入学式は、まぁ普通。

全員の名前を呼んで一人づつ立たせ、以上の者の入学を許可する、という言葉で締めくくる。


最後に校歌紹介があった。入学したばかりの子が歌えるわけもないので、「紹介」で聞いていればよい。

校門で祝福してくれた各部活の子が入ってて、歌い上げた。吹奏楽部は伴奏。

なるほど、この要員を兼ねていたのか。




みんな入学式だから襟を正してきちっとした格好で来るのかと思ったら、すでに着崩している。

男は詰襟だが、上の方のボタンを開けているものもいる。まぁ、襟まできちっと止めているのもいたが。


それよりも女子のスカートが、皆短い。校則では長さはひざ下、となっているが、妻がカウントしたところ、3人しか守ってなかったらしい。

そして、「ちゃんと長さを守っている」のはうちの子のみ。スカート丈の長さ、ぶっちぎりで優勝。


終わった後、次女は、ギャルばっかだ、陽キャばっかだと恐れおののいていた。

ぼっちちゃんのようだ。がんばれ。

(早速話が合って仲良くなった子もいたようだが)


次女の学校、近隣では有名な学校で、偏差値も高い。

というか、名前は書かないが世界的に有名で、外国人観光客が勝手に入らないように、普段は校門を閉ざしている。

親であっても、こういう機会でないとはいりづらい。


だから興味もあって入学式に参加したのだけど。


そして、校則で制服は決まっていても、生徒の頭が良いからこそ、多少崩していても厳しく言わないようだ。

先生側も、生徒を安心して信頼できる、ということでもあるだろう。


なかなか良い学校そうだった。



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別年同日の日記

06年 バス

20年 続・テレワーク

23年 続 X68000Z

23年 素人プログラマから見たX68k


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やっと書いた  2025-03-30 16:06:55  家族

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2月に行った家族旅行、旅行記はとっくに書いていたのだが、リンクなどを整えてページの体裁にするのがなかなかできず、やっとアップできた。


時間が無かったのでかなりやっつけ。文字だけで写真も入っていないし、他人が読んで面白いものでもない。

日記ページに書いてしまう方が楽なのだけど、余りにも時間がたっていて「日記」というのもどうかと思うので、旅行記ページの方に書いた。


春の家族旅行2025


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別年同日の日記

12年 ロボットゆうえんち

17年 ルータ不調

18年 春休み

20年 雪降ったね


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春休み  2025-03-18 18:31:24  家族

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大学生の長男は、もうずいぶん前から春休み。

中学を卒業した次女は、先日から春休み。


長男はあまり家事とかやってこなかったのだが、ずっと家にいるので妻が家事やれと言ったら、ぼちぼちやり始めた。


風呂洗いくらいは以前から手が空いているときにはやってくれていて、まずはそこから。

今は風呂洗うのはほぼ長男担当になっている。


料理はあまり作れなかったが、昼ご飯を作らさせてみた。

最初は妻が横について作り方を丁寧に教えていたのだが、最近は慣れてきて、レシピと材料があれば作れるようになってきた。


買い物など、以前は近所のスーパーで牛乳や卵を買ってくる、くらいはできていたのだが、自転車で10分程度の八百屋やスーパーまで行き、野菜や肉などを買ってこれるようになった。


野菜などはある程度目利きをしないといけないわけで、できるようになってきたのは大したもの。

最近は、ひまだと何か買い物ない? と聞いてきてくれる。家にずっといても体がなまるので、外に行くついでに買い物などがあればやってきてくれる。


将来のためにも、こうした生活力のトレーニングは良いことだ。




次女は以前から料理などできるし、魚をさばいて刺身にできるくらいのスキルはある。

しかし、春休み入ってから生活乱れてるね…

遅寝遅起きになっている。


ずっと塾行っていたので勉強はできるのだが、「実は自習のやり方がわからないのでは?」と妻が考え、高校から出た課題などをこなしながら、効率的な自習方法などを教えている。


なるほど。僕も中学生のころは塾に行っていたが、高校入ってしばらく、自習のしかたってよくわからなかったな…

大学受験控えてから慌てて、試行錯誤しながら自分に合った自習方法探すまでに時間を無駄にした。


妻の見立てでは、神奈川県は塾に通う子が多くて「教わる」勉強法に慣れすぎ、自習スキルを身に着ける暇がないのではないか、とのこと。

ちょっと思い当たる節あるかも。


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別年同日の日記

02年 3/18

05年 引越し見積もり

12年 女の子向け

15年 手相開発時の技術話(4)

19年 COMPET CS-10A 発表日(1964)


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