目次
2023-05-01 G.W.前半
2023-04-01 城ヶ島
2023-03-14 新しい食洗機 ファーストインプレッション
2023-03-07 2つのタブレット
2023-03-02 長男、高校卒業
2023-02-28 長女、高校合格
2023-02-05 インフルエンザ
2022-07-29 誕生日プレゼント
2022-05-20 風邪ひいた
2022-05-06 ゴールデンウィーク
2022-04-24 娘たちの誕生日
2022-04-17 訃報(4/4)
2022-04-17 訃報(3/4)
2022-04-17 訃報(2/4)
2022-04-17 訃報(1/4)
2022-04-04 停電
2022-03-28 コロナワクチン三回目接種
2022-02-15 長女発熱
2022-02-02 コロナ関連
2021-12-11 鎌倉散策
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ゴールデンウィークの前半が終わった。
…と、あえて書きたくなる。
今年は、コロナがある程度鎮静化したため、3年ぶりの「行動制限のないゴールデンウィーク」になる。
何か特別な感じ! と浮かれたいところなのだが、4月29日は土曜日。
土曜日だから、休日じゃなくても休み。
土曜日だから、振替休日は発生しない。
というわけで、ゴールデンウィークの前半は、通常の土日で終わりなのでした。
さらに加えて、子供たちが忙しいからどこかに出かけることもできない。
長男は、すでに書いているが今年は浪人生。
一般的に言ってそれほど悪くない大学に合格はしている。
しかし、彼自身が「もっと良い環境で勉強したい」と望んだので、1年浪人して上を目指すことにした。
それで、塾は浪人生に対しては怠け癖が付かないように、スケジュールを過密に入れている。
自分で時間を管理する生活って、慣れないうちは非常に難しいからね。
そのため、長男は日曜日以外、朝から晩まで塾で勉強だ。
ゴールデンウィーク後半はさらに過密で、日曜日も塾がある。
長女は、高校に入り、中学とは違う部活に入ることにした。
中学の時の部活は、楽しくはあったのだけど、個人でやるタイプのものだった。
これが、せっかく集まっているのに部活感があまりなくて、高校ではもっと「みんなでやる」タイプの部活を選ぶことにしたのだ。
で、放課後は毎日部活があるし、ゴールデンウィーク中もある。
つまりは、長男長女は連休ではない。
僕も、二人のお弁当を毎日作る必要があるので、連休中も朝早く起きる必要があるし、そうなると夜も酒を飲んだりできない。
そんなわけで、ゴールデンウィークの特別感はない。
とはいえ、土曜日でも長男・長女がいないからこそ、次女も一緒に長時間の買い物に出ることにした。
買わなきゃいけないもの、たくさんあるのよ。
最近は、コロナの影響で店に行くのも「最少人数で」を求められていた。
子供を家に残していてゆっくり外で買い物しているわけにもいかないので、いつも必要最小限を買ってすぐ帰る、という感じだった。
土曜日は、いろいろな店をはしごする。
最初に、以前から作りたかった家の合い鍵を作りに行く。
子供たちがそれぞれ忙しくなってきたので鍵が必要だが、全員分なかったので。
以前は近所のスーパーの一角に合い鍵作成の業者が入っていたのだが、気づいたらいなくなっていた。
どうしたものだろう…と思って調べたら、2年前に駅前にできたビルの中に移転したらしい。
そんなわけで、駅前の大きな商業ビルへ。
次女は、初めてこのビルに来たので、合い鍵作成後にぶらぶらとビルの各階を見て回る。
その後、駅前の別のビルに入っているケーキ屋でチョコを買おう。
…と思っていたのだが、「生ものなので、持ち歩き時間はどれくらいか」と聞かれた。
まだいろいろ買い物して回る予定だったので、出直すことにした。
このチョコは、長女の誕生日祝い。
次女と長女は誕生日が近い。先週は次女のお祝いでケーキを食べたのだが、2週連続でケーキも飽きる、ということで、長女のリクエストは「おいしいチョコが食べたい」だったのだ。
ケーキ屋のビルで、服などを買う。
ある程度買えば、駐車場が1時間無料なので…と思ったが、駅前だけでもいろいろ回ったので、2時間半も停めていた。
この後、次女が靴を買いたいので、車で少し離れた靴屋に行く。
靴屋の隣が、ファミレスの「ガスト」なので、そこで昼ごはんにする。
ガストに入るのは、本当に久しぶりだ。以前は時々行ったのだけど。
猫型ロボット(自動配膳機)を見て、僕は満足。見てみたかったのだ。
業務スーパーに行き、一週間分の肉と野菜を買い込む。
それから、再度ケーキ屋に行き、今度こそチョコを買う。
これで帰宅。朝10時から出かけて、夕方5時までかかった。
こんなに長時間の買い物が久しぶりだ。軽く足が痛い。
(1万3千歩しか歩いてないのに。コロナの間あまり出かけてないので体力落ちている)
家に帰って、疲れたから少し休憩しようとおやつを出していると、長女が帰ってきた。
お父さんたちも今帰ってきたところだよー、と言いながらおやつを食べていたら、長男も帰ってきた。
この日は長女の誕生日パーティーをやろう、と決めていたので、夕食の支度。
と言っても、我が家的に「だらだら」と呼ばれる、好きなものをいろいろ食べるスタイル。
長女が好きだから冷凍たこ焼き用意したけど、お菓子でもなんでも、リクエストがあれば出す。
翌日の日曜日はみんな休みなので、僕は少し酒飲みましたよ。
と言っても、食後に後片付けもしないといけないし、酔うほどには飲まない。
最後に、誕生日ケーキ代わりのチョコと、同じ店で買った小さなスフレケーキを食べる。
なかなかおいしかった。
別年同日の日記
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忙しくて時間が空いてしまった。
これから書くのは、春分の日、3月21日のこと。
コロナ禍の直前、長男が高校受験のため、家族旅行などは余り行けなかった。
そのままコロナ禍、さらに昨年は長男の大学受験、長女の高校受験で、やはりあまり出かけられていない。
長男は、今年受けた大学は全部受かったのだが、もう一年取り組んでさらに上を目指すことにした。
なので、来年も余りでかけられないかもしれない。
じゃぁ、今のうちにちょっと遊びに行こう。
いろいろ考えると、春分の日の休みしかタイミングがない、と気づいたのは2日前。
どこ行こう。
慌てて家族で話し合うが、とにかくちょっと気晴らしで外に出られれば良いのだ、ということで、比較的近い城ヶ島に行ってみることになった。
以前から行ってみたかったのだけど、行ってなかったのだよね。
子供が小さいうちは、そちらの方面に行くなら、近くにある「ソレイユの丘」とか「京急油壷マリンパーク」の方が受けが良かったから。
しかし、今なら城ヶ島は楽しめるように思う。
城ヶ島は、地学的に非常に面白い。
大学時代に地学を専攻していた妻は、せっかく近所なのだからと、以前から行きたがっていた。
遊園地みたいな面白さではなく、学術的な面白さは、前知識が必要だ。
時間がなかったが、ネットで調べる。
早稲田大学の学生が、授業で作成したらしい、三浦半島の地学の面白いポイントをまとめた PDF を見つけた。
なるほど。城ヶ島以外もいろいろ面白そう。
もし時間があればもう一か所くらい回るのも良い、と思いつつ、多分時間はないだろう。
この PDF は、自分の Ideapad duetに入れて持っていくことにする。
特に、京急ホテル南側にあるという断層は見所だろう。
前日夜に子供たちにこの PDF を見せたところ、次女が「資料集に載ってたやつだろと思う」と、中学の理科で使っている資料集を持ってきた。
たしかに、おなじ場所と思われる写真が載っていた。
全国の学校の授業で使われているというのは、やっぱ見所なのだろう。
横須賀市自然人文博物館が、YouTube で、三浦半島の地学について解説ビデオを公開していた。
調べると、行く途中にちょっと寄り道したら、この博物館に行けそうだ。
事前知識があった方が面白いので、寄っていこう。
当日は朝8時出発。博物館まで1時間くらいの予定で、博物館は9時オープンだから。
で、博物館については今回の日記の本題ではないので、多くは書かない。
ただ、素晴らしかったとだけ記しておこう。
でも、地学要素は思った以上に少なかった。もう少し説明していると思っていたのだけど。
入場料がいると思っていたが、無料だそうだ。博物館に入った場合、駐車場も1時間無料。
次の目的地があるので、速足で内容を全部見たのだが、1時間以内だった。
「もっとゆっくり見たかった。また来よう」と家族全員の意見がそろった。
さて、途中は端折って城ヶ島。
駐車場は何カ所かにあるが、京急ホテル南側の断層というのは、西端にあるようだ。
なので、一番西の駐車場に停める。
その後で気づいたのだが、城ヶ島では、一日の間に何度も駐車場を出し入れして、何時間留めても、450円。安い。
少し歩いて、最初の目的地「長津呂の磯」(ながとろのいそ)を目指す。
磯が見えて、ちょっと驚いた。
写真などでは見ていたのでどういう場所かは知っていたのだけど、思っていたよりずっと広大だったのだ。
地層が横倒しになり、地面に広がっている。
波に侵食され、縞模様を作っている。
いわゆる「鬼の洗濯板」と呼ばれるような地形なのだけど、凄く広かった。
岩場を観察しながら、どんどん西端を目指す。
京急ホテルは、先日営業を停止して解体中らしい。
とすると、この先に見えている工事現場がそれだろう。
その南側が目的地なので、もう少し先に行かねばなるまい。
途中で急に、次女が「多分ここら辺」と、持ってきていた資料集を見始めた。
電柱の位置と、灯台の位置を見ると確かに似ている。
しかしもう少し離れた場所だな…と移動してみると、目的の断層があった。
写真でもわかりやすい断層なのだが、写真に入りきれないほど大きい、というのも現地で初めて気づいた。
これは、実際に自分の目で見る価値がある。
特徴的なリップルマーク(水の流れの跡)みたいのがあるな、と思っていて、この時は子供にそう説明してしまった。
しかし、いま早稲田のまとめた PDF 見たら違うね。火炎構造と呼ばれる模様で、下の層より上の層が重いために侵食してできた、と書いてある。
いずれにしても、特徴的で面白い模様。
この後もしばらく磯遊び。
他の兄弟に「水に落ちないでよ」と注意していた次女が、真っ先に水たまりに足を突っ込むなど。
(結局3人とも、それぞれの理由で靴を濡らしたのだが)
一旦駐車場近くの商店街に戻り、昼ご飯を食べる。
時間は1時過ぎ。実は、駐車場に止めたころが12時ごろで、どこの食堂も混んでいたので後にしたのだ。
商店街から少し離れた、人通りの少ないところに「しぶき亭」という店があった。
建物も新しくて清潔感があるのでそこに入って食べる。
人少ないし、場所悪いし、建物新しいし、最近できた店なのかな…と思っていたら、この日記を書く際に調べて「有名な老舗」だと知った。
ただ、コロナ禍で客が減ったので一度閉店して、新築して再オープンしたのだそうだ。
家族五人で頼んだもの。
マグロ丼(次女)、いかさし丼(長男)、それらが半分づつのミックス丼(妻)。
マグロカツ定食(長女と僕)。
せっかく三浦半島まで来たのだからマグロ食べたい、と思っていたので、大満足。
美味しかった。
食後に、客席係のおじいさんが、三浦大根を一本くれた。
(そういえば、料理にも全部、大根と大根葉の浅漬けがついていた。これもおいしかった)
磯遊びしているときに、遠くに馬の背洞門が見えた。
これも、城ヶ島の有名スポット。
次はあそこへ行こう。島の東側からハイキングコースを通っていける、ということなので、車で東側の駐車場に移動。
最初、僕が間違えて、東端の城ヶ島公園に入ってしまい、勘違いに気づいて戻る。
ハイキングコースの途中には、ウミウ展望台がある。
ウミウは、県の天然記念物になっていそうだ。
ここから見える崖も、地学的に面白いそうなので見る。
…正直、それほど面白さはない。下の方に初声層、という地層があり、ここが削られた後で、上部に関東ローム層ができているのが見えるのだそうだ。
なるほど。言われてみれば地層の模様が下側にえぐれている部分があるが、断層のようにわかりやすい派手なものではない。
さらに歩けば、馬の背洞門。…の、上側に出る。
本当に真上は、危険なので立ち入り禁止。
馬の背洞門は、海の浸食で崖が削られて、大きな穴が開いたところ。
上の部分が、わずかに繋がっているので「穴」になっている。
これが崩れたら、陸側と海側に、それぞれ岩が立っているだけだな。
自然にこんなものができるのはすごいな、と思うが、妻曰く、「すごいと思うが、ただ削られただけで、地学的に面白いところはない」とのこと。
でも、見た目のすごさは重要。いわゆる「映えスポット」で、多くの人が記念撮影していた。
…のみならず、ウェディングフォトを取っているカップルも、「この場にいるだけで」5~6組。
入れ替わり立ち代わり、別のカップルが来ている。ハイキングコースを歩いているときにもすれ違った。
コロナ禍で披露宴とかやりにくいので、結婚の報告を写真で行う例増えてるんだよね。
この日、少し雨が降っていて、山道はぬかるんでいた。
貸衣装屋さんは後で洗うの大変だろう、と妻がいらぬ心配をしていた。
ここで妻が、僕の Duet に入れてある PDF を見せて欲しい、という。
しばらく眺めて、「ここだ。ここ行きたい」と言ったのは、城ヶ島公園の東端にある磯。
実は、地学徒に非常に有名な場所はここなのだそうだ。
城ヶ島の紹介では必ず出てくるので、城ヶ島に行けば当たり前に行けると思っていたら、どこに行っても違うから今調べていた、とのこと。
城ヶ島公園は、先ほど少し入り、勘違いだと分かって引き返した。
でも、もう一度一番端の、安房崎まで行く。
ここの地層は、初声層(ウミウ展望台でも下側に見えた層)と、三崎層が、重なった上で横倒しになっているのだそうだ。
しかも、下側にあるはずの三崎層は、上にある初声層に斜めに削り取られている。
その境界には、礫(小さな石)が沢山みられる。
三崎層の上で大きな海底地すべりがあり、その上に初声層が堆積した、ということらしい。
そのダイナミックな動きが地層に現れているので、ここは有名。
…らしいのだけど。正直よくわからん。
それぞれの地層は、はっきり色も違って分かりやすいらしい。乾燥していれば。
でも、この日は雨が降ったりやんだりしていて、全体に濡れていた。
そのせいで、地層の違いがよくわからない。
(と言っても、せっかくだから散々探してそれらしい場所は見つけたのだけど)
PDF 改めて読むと、城ヶ島の外側の三浦半島の地層と比べた際に、「地層の位置が逆転している」というのも見どころらしいですね。
それだけ、地層をねじる大きな力が働いた、ということ。
でも、これは城ヶ島だけ見ているとわからない。
そろそろ戻ろうとしたところで、公園内のアナウンスがありました。
時間は4時半。5時には駐車場は閉鎖なので、帰り支度を促すものでした。
そういえば、公園の端に灯台が立っています。先がとがった白い灯台で、地面付近は緑色のグラデーション。
「三浦半島でとれる新鮮な野菜をイメージ」だそうですが…。つまり、三浦大根だよね。
大根をさかさまに立てたイメージの灯台。なかなか面白いです。
駐車場は閉鎖、というのでこの日はこれでおしまい。
もう一つ見たいのあったのだけど…地層全体が褶曲(曲がりくねっている)するのではなく、1つの層だけが褶曲する「スランプ層」というのがどこかにあったらしい。
改めて調べたら、昼ごはん食べた、しぶき亭の近くだった。
下調べ不足。気になるものをチェックするだけでなく、ちゃんと見る順番も考えておくべきだった。
帰り道、かっぱ寿司三浦店に入って、美味しい三崎の海の幸を堪能しました。
回転寿司でも、魚がおいしいところの店は美味しい。と思う。
20年くらい前に入った三崎漁港近くの回転寿司屋が、安いのにすごくおいしかったの。
本当はそこに行こうと思っていた。
でも、ネットで調べても、そこに寿司屋はありませんでした。
まぁ、20年も経つと、店が無くなっても当然よね。
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別年同日の日記
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それで新しいのを導入した。
昨日据え付けてもらい、夜1度洗っただけだ。
だから、まだ十分なレポートは書けない。
これは、1度使っただけのファーストインプレッションだ。
どうしても以前の機械と比べてしまうので、以前の機械から書いておこう。
以前使っていたのは、18年前に購入した、ホシザキ製のフロントオープン食洗器。
ホシザキは、家庭用には事実上この1機種しか作ってなかった。
(細かな仕様が違う、バージョン違いはあったようだが)
ホシザキは業務用の厨房機器では大手のメーカーで、食洗器も大きなシェアを取っている。
その厨房用の技術を活かして家庭用を作っていた…のだが、我が家が購入直後に撤退した。
厨房用では良くても、家庭用では、余り受け入れられなかったためだ。
特徴としては、とにかく洗うのが速い。1回5分で洗ってしまう。
さらに、洗っている間に次の食器をセットできるように、取り出せるトレイが2つある。
(使わないときは重ねて機械の中にしまって置ける)
これだけ書くと良い機械のようだが、据え付ける場所に求められる要件が厳しい。
まず、瞬間湯沸かし器ではなく、夜間電力を使う電気温水器や、エコキュートなどの温度と水圧が安定した方法で、60度の温水を供給できる必要がある。
予備洗いをしている前提でしか洗えない。
予備洗いとは、大まかな汚れは取り除いたうえで、しばらく水につけて固い汚れなどはふやかしてあることだ。
1回5分で洗える代わりに、1回で洗える食器の量は少なめ。
最近の食洗器は、性能試験のために共通化された概念の「1人分の1回の食事の食器」を元に、4人分が1回で洗えるのが普通だ。
でも、ホシザキはそんなことはお構いなし。たぶん、3人分がはいらない。2人半、と言ったところか。
これは庫内が狭いのではなく、トレイの構造がシンプルなためだ。
一般的に食洗器は、各種の器を置きやすい「専用の」場所が用意されている。
半面、それ以外の器は洗いにくい。
ホシザキは、こうした「専用の場所」を用意せず、非常にシンプルなトレイを用意していた。
専用ではないので、ぎゅうぎゅうに詰め込むことができない。でも、専用ではないのでなんでも入る。
結果として、3L の大鍋でも洗える半面、標準的な食器で比べると入る量が少なかった。
そして、多分これが一番受け入れられなかった理由だと思っているが、洗っている間ずっと人がついている必要がある。
上に書いたように、1回5分で洗う代わりに、入る量が少ないのだ。
洗っている間にセットできるように、トレイが2つある、というのも、「機械が洗っている間、人間は次に洗うものを用意しつつ、洗いあがったものは片づける」という前提条件になっているためだ。
食洗器を導入するのは、共働き世帯が多いようだ。
セットしたら機械に任せ、出かけてしまう。または寝てしまう。
2時間かかっても良いので、次のタイミングで洗いあがっていればよい。
忙しいので予備洗いなどもせず、食べ終わった食器をそのままセットできるのが良い。
我が家の場合、共働きだが二人とも自宅で働いている。
そのため、少なくとも通勤時間はない。昼はともかく、夜には時間の余裕があった。
そこで、次々洗えるので、食器は夜まで水につけておいて、夜まとめて洗う、という形だった。
(ホシザキは、連続して洗うと節水になる機能も持っていた。まとめ洗いは、そのためもある)
非常に珍しいスタイルだとは思うが、我が家にはホシザキが非常にあっていたんだ。
さて、以上を踏まえて、新しく購入した機械の紹介だ。
リンナイのフロントオープン食洗器。
日本では、フロントオープンは珍しい。引き出し型の方が一般的だ。
ただ、海外ではフロントオープンが一般的。
実は、今回購入を検討するまでリンナイ製を知らず、海外製を購入しようと考えていた。
フロントオープンは、引き出し型に比較して庫内が大きい。
一度にたくさんの食器を洗いたい家庭にはこちらの方が便利だ。
ただし、庫内が大きいので、洗う際に水も多く使用する。その水を「沸かす」電力も多く使う。
日本では食洗器は「手洗いよりも水を使わない」と宣伝されて普及した経緯があり、この点では引き出し型の方が人気が高いのもうなづける。
また、フロントオープンは…というか、ホシザキもリンナイも、キッチンの床から、天板までの間に設置する形になる。
引き出し型の場合、大きな引き出しと交換して、「下部の小さな引き出しはそのまま残す」なんてこともできる…機種もあるようだ。ここら辺、機種が多いので機種による。
いずれにしても、小さな占有体積で導入できる。ここら辺が人気の秘密でもあるだろう。
小さな占有体積なのだから、庫内が狭いのも仕方なし、という感じか。
さて、リンナイのフロントオープンだが、ネットで情報を探すと、最速で 15分で洗いあがる、という情報がある。
今回、その情報を信じて…というか、すがってこの機種にした。
しかし、情報を調べている時点で、どうもこの 15分という時間の出所が謎だった。
そう書いてあるページがあるのだけど、詳細が明らかになっていないのだ。
そして、詳細を調べると、「85分」というリンナイの公式の情報に行きつくのだ。
結果を書けば、85分でした。
ただ、この 85分には乾燥時間 30分を含んでいて、この乾燥時間は無くせます。その場合 55分です。
昨日設置してから最初の運転では、なぜかスタート直後に「残り 45分」の表示でした。
そして、ちゃんと 45分で仕上がった。
そのあとで、追加で洗おうとしたら 55分でした。
なにか理由がありそうだけど、今のところは謎のまま。
リンナイは、庫内に2つのトレーがあります。取り外せない、引き出し式の上部トレイと、取り外せる下部トレイ。
でも、下部トレイも「掃除などの際に邪魔にならない」程度の意味合いで外せるだけで、別の場所で食器をセットして持ち上げて移動するようなことは想定していません。
(針金で作られているので、重い状態で持ったら曲がるかも…)
いろいろな食器を考慮した「専用の場所」が作られているので、想定外の食器に対しては弱いです。
何でもかんでも突っ込んで洗う、というようなことはできません。
まぁ、ここら辺はまだ、我が家の食器を洗う際の「最適解」を僕が準備できていないだけかもしれません。
今後使っていくうちに、まとめて洗える分量は増えていきそうです。
お湯の吹き出し口は、下部と中央にあります。
中央のものは上下にお湯を出すので、上部トレイは下からだけのお湯で洗うことになります。
(実際には、天井にあたって落ちてくるお湯があるでしょうから、上下から洗われます。
ただ、勢いでいえば下が強い、ということ)
洗っているお湯の温度は、ホシザキより高め。
説明書によれば、60度のお湯を供給しても、そこから沸かして 70度で洗うようです。
(供給する際の温度は、60度を上限とするように記されています)
ホシザキは取り出した後に食器を片付けられたけど、リンナイは少し熱い。
持てないほどではないのだけど、少し置いてから片づける方が良さそう。
先に書いたように、ホシザキは「食洗器と一緒に人間が作業する」前提だったので、洗ったらすぐ片づけたくなるのですが、リンナイはそういう作りではないです、というだけ。
昨日は、設置工事の人が来るのでキッチンを綺麗にしたくて、朝の分は手洗いしていました。
昼と夜の分をまとめて洗おうとすると、1回では洗い切れなかった。
なので、45分待って残りをもう一度洗ったのですが、2回目は鍋類を洗おうとしたら、大きいものが多くてあまり入らなかった。
入りきらない分はさすがに手洗いしました。
多分、大きなものから先に洗い、隙間に小さなものを入れていく、というスタイルなら、2回でもっとたくさんのものが洗えそう。
もっとも、ホシザキが速いから任せていた部分もあり、多少なら手洗いしてもいいんですけどね。
おまけ
食洗器が壊れてから1か月ほど手洗いをしていたのだけど、ここ1週間くらいは次女(中1)が代わりに洗ってくれるようになっていた。
それで洗うのの大変さが分かったのか、食洗器に興味津々。
昨日は、届いてから洗うまでにマニュアルを何度も読んでいた。
使ってみたい、といって食器の入れ方を試行錯誤していたのも、次女を中心に僕が手伝う感じ。
学年末テストが終わった後で、時間的に余裕があることもあるのだけど、ありがたいです。
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高校を卒業した長男、大学受験も試験は終わって区切りがついたし(まだ発表待ちのところがある)、部屋を片付けていた。
そして、「そういえば、こんなのあった」と未開封の箱を持ってきた。
転校した際に、転校先の高校では全員持つことになっているから、と購入した、学校指定のタブレット端末。
転校したのが遅かったこともあり、使わなかった。だから新品未開封のまま。
前の高校では学校ではPCルームがあってそちらを使い、家では各自の端末を使い…という形をとっていたので、長男は自分のマシンを持っていた。(というか、高校入学時に買った)
転校先の高校では、学校では特にPCは使わず、学校指定の端末は「家からネットワークにつなぐときなどに使う」ということになっていたのだが、長男は自分のマシンでやっていた。
というわけで、未開封だったのだ。
長男はいらない、というので、初期化して使い物になるかどうか開封の儀。
ASCON AT-11、という聞いたこともない機械だった。
調べてみると、ASCON は教育用にPC導入などのサービスをやっている会社で、「PCを売っている」のではなく、PCを学校で使うためのコンサルタントサービス全体を売っているようだ。
そのため、新品未開封で電源を入れたにもかかわらず、すでに長男の名前のアカウントが作ってあり、パスワードなども設定されていた。
(初期パスワードを書いた紙は同封されており、すぐにパスワードを変えるよう指示もあった)
また、教育現場で使うための、おそらくグループウェア(Google Classroom のようなもの)も入っているようだった。
でも、すでに卒業したので接続しない方が良いだろう。そのまま置いておく。
というわけで、さっそく初期化を試みる。
問題無く初期化できそうで、さらに Windows 11 にアップデートできそう、と分かったので実行。
ところで、この AT-11 は、キーボードを取り外してタブレットとしても使える、いわゆる「デタッチャブルPC」だ。
本体の後ろにはキックスタンドが付いていて、スタイラスペンも付属する。
…まぁ、Microsoft が Surface で作り上げたスタイルだな。
時間がかかったが、Windows 11 が入ったところで使ってみる。
キーボードの感触は悪くない。スタイラスペンもうまく動く。
しかし、キーボードについている、タッチパッドがどうもよくない。
操作していて思ったのと違う挙動をするのでイライラする。
少し冷静に考えて、理由が分かった。
タッチパッドを2本指でスワイプすると画面スクロール、というのは一般的な操作なのだが、この方向が自分が思っているのと逆だ。
スワイプで画面を動かす場合は、僕は「画面を掴んで動かす」イメージで動かしたい。
しかし、この機種では、「スクロールバーを掴んで動かす」のだ。これは方向が逆になる。
まぁ、その程度は設定でどうにでもなる。
コントロールパネルから、タッチパネルの設定を開いて…と思ったが、どこにもない。
どこに設定画面あるんだ?
探してみてもどこにもなかった。
これは、デバイスドライバが入ってないのかな? とりあえず動いているが、設定は別アプリで行う、という例もある。
どこの機械だろう。
Synaptics か ELAN か 、または ALPS か…そのあたりだろうと調べてみるがどうも違う。
調べる過程で分かった。
この AT-11 という端末、Chuwi UBook のカスタム OEM だ。
Chuwi UBook は、実は家にもある。11.6インチだけど。妻のマシンなので僕はあまり触ってないけど。
AT-11 は 10.1インチ。調べてみたが、このサイズは UBook にも、その後継機である UBook X にもなかった。
しかし、気づいてみればキックスタンドの形状は同じだし、スタイラスペンも同じものだ。
ここを手掛かりに、タッチパッドをさらに調べると、衝撃の事実が分かった。
Chuwi のタッチパッドは、タッチパッドの形をしているが、信号などは完全にマウスを模倣していて、Windows からはマウスとして認識されるそうだ。
そのため、タッチパッドの設定、という概念自体が存在しない。
タッチパッドのハードウェア側で、Windows で標準的になっているタッチパッドのゼスチャを認識し、キーボード信号として発信している。
そのため、ゼスチャが邪魔だから消したいと思っても、その設定、という概念が存在しない。
なんてこった。
ソフトウェアで認識させるようなことを、すべてハードウェアで完結して行っている。
その技術自体はすごいのだが、そうじゃない。ソフトウェアで行うから微調整が効くのだ。
スワイプ時のスクロール方向は、レジストリの設定で逆転させられると分かった。
一部のゼスチャは、AutoHotKey というソフトを使って使えないようにする、という定番技が分かった。
しかし、一番誤認識してイライラする「画面のズーム」というゼスチャが、どうやっても殺せない。
さらに悪いことがある。
このタッチパッドは左右前端を押し込むことで、左右のマウスボタン相当の動きをするのだが、このクリックを行うために左右前端を触ると、タッチパッドに触れたことでカーソルが動いてしまう。
そのため、クリックをまともに行えない。
一応、「一番端の角の部分」だけ、触っても反応しないように作ってあるようだ。
しかし、慎重に触らないといけない、というのは使っていてストレスが溜まる。
このタッチパッドは、Chuwi 端末を使用している多くのユーザーの悩みの種のようだ。
キーボードを打とうとすると誤認識して邪魔だから、「ない方がはるかにまし」という人もいる。
(その場合、デバイスマネージャからデバイスを無効化して、完全に使えなくしてしまう、という技がある)
AT-11 、ダメなのはこのタッチパッドがすべて。
他は、素直なつくりの Windows マシンだ。
教育用で安くするためか、かなり CPU は非力だけど。
しかし、市販されてない小さなサイズで、持ち運び便利なサブノートマシンとしてはなかなか魅力的。
我が家では妻が使ってみようかな、と言っている。
先に書いたが、妻は現在 Chuwi の UBook をサブマシンとして使っているが、これは「タブレット端末」で、キーボードがついていないために少し不便を感じているのだ。
さて、今日の日記は「2つのタブレット」の話だ。もう一つのタブレットの話をしよう。
長女は目標としていた高校に合格したが、この高校では「毎日持ち運ぶ」PCを必要とするので、各家庭で購入してください、という通達があった。
推奨は Chromebook 。しかし、これは「クラウドを使用する」という意味合いでしかないため、最近の WebBrowser が動いて、WiFi に接続できるマシンであればなんでも構わない、家にある機械の流用でもよい、という説明になっていた。
他にも細かな規定があったが、常識的な内容。
そして、学校に出入りの業者の斡旋品のチラシも入っていたが、学校としてはこれを買うように指示するものではない、とわざわざ明記してあった。
さて、業者の斡旋品を検討する。ASUS Chromebook Flip CR1 BP0003。
CPU は Intel Celeron 。少し非力だが、Chromebook としては悪くないだろう。
ただし、Intel 系で Chromebook となると、Chromebook の売りの一つである、Android アプリの使用にはかなり制限が出る。
Android は CPU を問わない前提ではあるが、事実上 ARM でないと動かないアプリもあるためだ。
難ありなのが、重さ。1.42kg 。
ノートパソコンとしては軽い方ではあるが、教科書多数と一緒に毎日持ち歩くとなると、ちょっと重い。
中学では iPad が支給され、使っていた。この重さを測ってみたら、990g 程度だった。(キーボード込み)
長女の実感としては、これより重いのは嫌だなぁ、とのこと。
探してみる。
Lenovo IdeaPad Duet 370 Chromebook が良さそう。
この1世代前の機械である、Duet 360 は僕が普段使用しているので、安心感もある。
重さは 980g で iPad とほぼ同じ。
CPU は ARM 系。Celeron より非力なのが気になるところだが、僕の機種より2倍程度の能力があるので、実用上の問題はないだろう。
学校推奨の ASUS Flip は画面が 11.6 インチ。Duet 370 は 10.95 インチ。少し小さい。
一方で、解像度は Flip が 1366x768で、Duet 370 は 2000x1200 。広い。
実売価格はほぼ同じだった。
Flip は学校の出入り業者の価格で、Duet はネットで調べた最安値だけど。
あとは本人の好みだな…と思って長女に聞いてみると、小さければ持ち運びもしやすいし、何よりも軽い方が良い、というので Duet 370 を購入することに決定。
で、このタブレットが今朝届いた。
先ほど長女が学校から帰ってきたので開封したが、充電しないと起動しないようだったので、現在充電中。
まぁ、Chromebook なので設定項目などもほとんどなく、何の違和感もなく使えそうだ、と思っている。
1世代前の機種は僕が今でも快適に使っているしね。
以上で話は終わりだが、思い出したので余談。
長女の中学では iPad が支給されている、と書いたが、明日卒業式なので、今日返却した。
昨日、返却前にデータを全部取り出したい、と言われて確認したら、データはすべて Google Drive に入れられていた。
まぁ、そのアカウントが教育用で消されてしまうので、PCからアクセスして、全ファイルを Zip に圧縮して取り出し。
長女の個人アカウントの Google Drive に「中学校」というフォルダを作り、その中に全部突っ込んどいた。
(iPad 特有のアプリなどは授業では使わず、Google スライドや Google Doc 、Google Spreadsheet などを使っていたそうだ。
だから、データさえ突っ込んでおけば、見たくなった時にまた見ることができる。
しかし、なんで iPad にしたのだろう? Chromebook の方が安くて管理簡単に思えるのだが…)
学校のお勉強データには興味が無くて、消えてしまっても構わない、という生徒もいるだろうが、取っておきたい、という子もいるだろう。
長女が僕に相談してきたのだから、学校ではこうした保存方法は教えていないと思われる。
学校の勉強で作ったものなんて、多分数年後に見たら拙くてたいして価値のないものだと思う。
しかし、それを見ることで「当時の想い出」が一緒によみがえってきたりして、消してしまうには惜しいものだと思う。
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別年同日の日記
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一昨日の長女の高校合格に引き続き、昨日は長男の高校卒業式。
我が家的には喜ばしいことです。
しかし、ここで少し重い話を書いておきます。
今まで、重すぎるので公開する日記には書いていなかった話。
どこかで書こうとは思っていましたが、区切りなので書きましょう。
ただし、諸般の事情で詳細は書きません。概要のみ。
3年前、長男は頑張って、かなりランクの高い進学校に入学しました。
実は、試験の成績でもトップクラスでした。
しかし、この学校、「名前だけ」の進学校でした。
表面上偏差値が高いけど、教員の指導力は低いし、モラルも低い。
いわゆる「ブラック」な学校です。
そこで、長男は複数の教員からパワハラを受け、精神を病みました。
完全に欝になり、部屋に引きこもって、毎日「死にたい」と繰り返す状態に。
学校側に何度も連絡して、何が起きていたのか探りました。
上に書いたようにパワハラだった、というのもその過程で明らかになったこと。
ただ、学校としては自分たちに非があったとは認めていないため、不登校になったのはうちの子の問題であり、学校は何も悪くない、という態度になっています。
見解の相違でしょうが、まぁ、詳細書いたら誰でも驚くくらい見事なパワハラの連係プレーでした。
(複数の教員がかかわっています)
他にも、調べるうちにいろいろと出てくる…
学校全体に、モラルは低いです。
何よりも、学校のトップ階層が責任逃れしか考えてない。
話をしていても、自分たちの責任逃れの発言しか出てこなくて非常にいらいらする。
完全にブラックです。それでも「歴史ある名門校」なので、目指す子多いのだわ。
ここら辺、詳細は明らかにできません。
今後学校を訴えるかもしれないので、手の内見せたくないのです。
さて、欝になったのが2学年時の後半、一昨年の12月。
何度も話し合い、とにかく今の学校には居たくない、という長男の意思をやっと確認できたのが、半年たった5月の連休すぎ。
じゃぁ、通信制高校に転校しよう、と急ピッチで学校を選定し、不登校の子でも通いやすい環境を作っている今の高校に転校したのが、5月の終わり。
半年間学校に行っていなかったわけですが、2年の途中までの成績は優秀でした。
ここからでも十分、高校卒業の資格は取れる、と言ってくれました。
1か月ほど通い(通信制、と言っても、週3日通うコースにしました)、再度勉強が楽しいと思えるようになってきたので、そこでもう一度今後のことを話し合いました。
長男としては、やはり勉強自体は楽しい、とのこと。
高度な知識が学べると期待して入った高校がとんでもないところだっただけで、勉強は好きなのです。
そこで、ちゃんと勉強できる大学に行こう、と受験勉強を開始することになります。
…3年の夏休み前から勉強始めるって、かなり遅いのはわかってる。
通っている高校は、通信制なので何らかの問題を抱えた子が多い。
それでも、大学進学率は高いです。
でも、みんな文系なのね。それも、非常に簡単な試験で入れる大学。
とにかく「大学に入る」ことで、問題を抱えている子の自信とする方向。
長男は理系なので、学校での指導はあまり期待していませんでした。
そこで、塾の日程を詰め込む形で、多少無理目で勉強していました。
実際、はっきり欝になったのは一昨年の12月だけど、その前から欝気味ではあった。
そのため、2年の途中あたりから勉強をやり直すような形で、半年間で一気に詰め込んだ。
一応、すでに合格した大学はあります。
本当に行きたかった本命は、さすがに勉強が間に合わず、今年は諦めました。
今年受けた中での本命は、まだ合否発表されていない。
そこの結果が出てから、もう一年勉強して高いところに挑むか、妥協して今年行けるところに行くか、改めて話し合うことになっています。
さて、昨日は、そんな長男の卒業式。
高校の卒業式なんて、親はあまり出ないものだと思っているのだけど、上記のような事情もあって「是非」と招待されました。
詳細は書きませんが、通信制で人数も少ないため、一人一人を丁重に扱う、心のこもった卒業式でした。
通った期間は短いけど、周囲と仲良くしている姿も見られました。
別年同日の日記
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先ほど合格通知を確認し、塾と学校には連絡済み。
この後、高校に書類一式を受け取りに行く。
長女は最初、別の高校を目指していた。
…というのも、今回合格した高校、家から歩いていける距離なのだ。
本好きの長女、学校近くの図書館に行ったり、学校帰りに書店に寄ったり、というのにあこがれがある。
是非、電車で通うような学校に行きたい、と言って目標校を早めに定めていた。
その学校は有名校ではあるものの偏差値は「上の下」と言ったところで、長女の学力であれば十分狙える高校だった。
ところが、いざ学校を決める段になり、昨年の高校のデータを見たら、大異変が起きていたのだ。
昨年、神奈川県下の高校の合格偏差値ラインに大異変が起こっていた。
なぜかというと、昨年から高校受験者の数が急増したため。
3年前、新型コロナウィルス感染症の流行により、多くの企業で在宅勤務が推奨された。
学校などでも自宅学習が増えた。人ごみを避ける傾向が表れた。
この際、東京から郊外に引っ越す人が増えたが、この時点で受験が近い子供を持つ親は、混乱を避けるために移動しなかった。
コロナウィルスによる最初の混乱は、3年前の春休み直前。
この時点で受験は終了している。
「その後の」受験が近い子供、というのは、春休みをあけたら3年生だった子供を持つ親だ。
2年生と1年生の子供を持つ親は、引っ越した人もいる。
その時点での「2年生」が、昨年の受験組だ。
ここで、神奈川県下の高校受験生が優位に増えた。人が増えれば合格偏差値は上がり、結果的に長女が「十分狙える」高校として目標としていた高校は、とても狙えないほど偏差値の高い学校となった。
そして、コロナが始まった時の「1年生」である長女の年代では、さらに人数が増加すると見込まれていた。
実際、コロナの流行は長丁場だった。途中で引っ越しを考え始めた人たちにとって、子供が2年生も後半になっていたりすると引っ越しにくいのだ。
長女の年代は、そうした障壁がなく、人口移動の中心だった。
じゃぁ、他の学校はどこがあるか、と探してみたところ、電車で行くにしても遠すぎる学校か、家から歩いていける距離の学校しかなかった。
しかも、遠くの学校の方が偏差値が低い。
電車で通学したい、という要望があっても、無駄に時間をかけ過ぎた上にランクを下げる、というのは無い話だった。
長女は近所の高校にターゲットを変え、勉強に励んだ。
いや、親から見ても合格は堅い感じだったよ。
でも、長女と仲の良い友達が同じ高校を受けて…親がそこにしなさいというので受けることにしたが、自分でも学力足りてないと分かっていたそうだ。
この子の不安が移る形で、長女もずっと不安がっていた。
今日の中学は特別な日程。
私立高校が第一希望ですでに合格している人は普通の授業だが、公立高校組は朝の学活だけ終了したら帰宅、合否を確認して中学に電話連絡、となっていた。
合格発表は朝9時から。各高校の WEBサイトに行き、受験番号を入れれば合否が伝えられるそうだ。
長女、中学でタブレットを使って合否確認しようとしたところ、サイトが繋がらなかったそうで、一旦家に帰ってきた。
これくらいのアクセス集中対策はしておいて欲しい、と技術者として思ってしまうが、高校にはそんな人材はいないのだろう。
で、家で確認したところ無事合格。
「ただ合格と表示されるだけで面白くないから、間を持たせる演出とか入れて気分を盛り上げてほしい」
とは長女の弁。
合格発表見る前から言っていたのだが、本当にそんな演出あったらウザイだけでしょ。
長女は、仲の良い友達がどうなったかの方を心配し始めている。
別年同日の日記
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2日前の木曜日の朝。
次女(中1)が、のどが痛い気がするので熱を測る…と言って測ったところ、39度あった。
本人ものどの痛み程度しか自覚しておらず、高熱に驚き測りなおしたが変わらず。
受験生の長男・長女に感染させぬよう、すぐに自室へ隔離。
コロナだったら大変、と思って検査キットを使用。
この検査キット、1年半前に知人からもらったもの。
当時の価格で、10個セットで3万円くらいの高価なものだが、「研究用」である。
つまり、厚労省が認可した正規のものではなく、正しく判定できる保証が一切ない。
しかし、その後風邪を引いたら使ってみる、ということを繰り返し、どうやら「コロナウイルスによる風邪を判定できるのは事実だが、新型コロナを判定できるわけではない」のだと認識している。
で、次女は陰性。陽性だったら正規のキットも持っているので使おうと思っていたが、もったいないので使わない。
熱は高いが、コロナでなければ普通の風邪だなぁ…と思っていたが、学校から帰宅した長女が容体を心配し、「インフルエンザじゃない? 学校でも流行しているし」とあっさり言った。
インフルエンザか。その可能性を全く考慮していなかった。
今流行しているし、高熱出るし、コロナじゃないならインフルエンザを当然疑うべきだった。
しかし、この時は自分はまだ仕事中でもあり、納得しただけで終わりだった。
夜7時ごろ、仕事を終えて家族の夕食を作り…としているときに気づいた。
あれ、インフルエンザなら、すぐに病院行けば特効薬出たのでは…
次女は熱で辛そうだ。
家にあったアセトアミノフェンを飲むと熱は下がるが、それでも 38度程度ある。
病院に連れて行けず、申し訳ないことをした。
翌日、僕は仕事があるので妻が病院に連れて行ってくれた。
やはりインフルエンザ。イナビルが処方された。
こうかはばつぐんだ。昼前に薬を使用し、夕方には平熱に落ち着いた。
しかし、まだウィルスは体内に残っていて感染性がある、ということで、医師の指示で月曜日までは隔離して自宅療養。
コロナだったら、受験生がいるのに「家族も自宅待機」になるところで、インフルエンザでよかった。
別年同日の日記
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忙しくて書くのが遅くなったのだが、2日前が僕の誕生日だった。
今年は、長男と長女が受験生。
夏休みは塾の日程が詰まっている。ものすごく詰まっている。
ゆっくりできないから、誕生日祝いは週末にやろうと思って特に何も言わないでいた。
長男は午後から塾で、帰りは9時半。
この間食事の時間も取れない。スケジュール的にも厳しいし、コロナなので塾内で飲食が許されていない。
腹ペコで帰ってくるだろう、と思って、帰る時間に合わせて夕食を温めたり、準備していた。
で、大体準備が整ったいいタイミングで長男が帰ってくる。おかえりー。
帰ってきた長男、バックをガサゴソやって「お誕生日おめでとうございます」と、シュークリームをくれた。
コンビニのシュークリーム。しかも、20円引きのシールが貼ってある。
思わず笑ってしまったが、何も言わなかったのに覚えていてプレゼントを買ってきてくれた、というのが嬉しい。
聞けば、さすがに腹が減ったので、帰りの電車で何か食べたいと思ったのだそうだ。
何か買おうかな、せっかくだからみんなで食べられるものを買って帰り、家で食べるかな、とか考えているときに、僕が誕生日だと思い出したとのこと。
でも、地元駅に着いたのは9時過ぎ。
ほとんどのお店が閉まっていて、コンビニしかあいてなかった。
そこで何を買うか考えていた時、僕がシュークリームを好きなのを思い出したそうだ。
そして、コンビニシュークリームは1個 120円するので、全員分買うのは高いからやめた、とのこと。
子供が自発的にプレゼントをくれたのは初めてでした。
特に高いものでもないけど、僕の好きなものを覚えていてくれたことも含め、うれしいので記しておきます。
別年同日の日記
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風邪をひいてしまった。
今日は朝から寝ているのだが、夕方になって熱が下がってきた。
暇を持て余して、Ideapad Duet でこの記事を書いている。
ここしばらく仕事が忙しいのだが、作っていたプロダクトが詰めの段階に入っているせいでもある。
最終段階への向けてのブラッシュアップのだめ、会議を行うことになった。
コロナに入ってから、ほとんどリアルな会議を行っていない。
今回、1年半ぶりくらいかな。有楽町まででかけた。
先週金曜日と、今週の火曜日の2回、
で、昨日仕事中になにか体調が悪いな、と思っていたが、仕事を終えてから夕方熱を測ったら、37.1度の微熱。
潜伏期間を考えると、有楽町にでかけたときに何処かで風邪をもらってきたか。
本日金曜日、大切な用事があって仕事の休みをもらっていた。
できれば行きたいのだが・・・
今朝起きたとき、前日のだるさが嘘のように消えていた。
お、風邪治ったか? と思って熱を測ったら、37.7度だった。だめじゃん。
大切な用時に関しては、行きたかったのだが妻に任せることも可能だったので、妻に頼む。
僕は誰もいない家で寝ることにする。仕事も休みもらってるし。
午後になり、妻が家に帰ってきたのにも気づかなかった。
よく寝ていたのだ。
しかし、熱はあまり変わらず。
風邪の時の行動は結構人によって違うようだが、僕は布団を被って大人しく寝ている。
あと、「エリクサー」を飲む。
エリクサーってのはその時の気分によるが、これ飲んだらなにか回復しそう、って思うのがあるのだ。
ホットミルクとか、カルーアミルクとか、ミルクセーキとか、あとはコージーコーナーのシュークリームでも良い。
結局、甘いミルクが好きなんだな。子供の頃に、風邪を引くと甘いホットミルクを親が出してくれていた体験が根底にあるのだと思う。
今回は、適当に作ったミルクセーキを飲んだ。
ちなみに、妻は風邪をひいたときには「思い切り体を動かして汗を掻く」そうだ。
そうすると調子が良くなるらしいが、大人しくする僕とは対局の考え方に思う。
(ただ、僕も布団を被って汗をかけば早く治ると思っている。体を温めて汗を掻く、という点は同じだ)
最初に書いたが、夕方頃にすごく汗を書いて、熱が下がってきた。
まだ少しだるいけどね、
仕事溜まっているから最近は土日でも作業しているのだが、風邪を完治させること優先したほうがよさそうだ。
風邪が長引けば、結局仕事の効率が落ちるだけだし。
翌日夕方追記
まだ若干だるいのだけど、風邪としては治ったと思う。
そして、次女が喉が痛いと言い出した。
これで、風邪をどこでもらったか、多分ほぼ確定。
先週の水曜日に、長女がやはり「のどが痛いだけで他の症状がない」風邪を発症している。
僕が発祥するまで1週間以上で、潜伏期間としては少し長すぎるのと、僕はのどの痛みが無くて、微熱とだるさが主な症状だった。
全然違うので出かけたときにもらってきたのだろう…と思っていたのだけど、年齢の違いなどで症状の出方が違っただけのようだ。
年齢の近い次女は、長女と同じような症状が出ているのだろう。
これ以上家族に広まるのも困るので、ひとまず次女は自室に隔離。
別年同日の日記
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ずっと仕事してます。
…といっても、もともと在宅勤務だし、休日の仕事は義務でもないのでフルタイムではない。
気が向いたときに仕事をしたり、休日なので家事をやったりしている。
4/29~5/1 の前半三連休の中、28日に子供たちにコロナワクチン三回目を受けさせた。
ファイザー製。モデルナは僕と妻が思った以上に副反応が出たので、ファイザーにしといた。
と言っても、ファイザーが受けられるタイミングを見ていたとかではなく、「G.W. 中に受けられるといいな」と思って予約サイトに行ったら、ちょうど一番近い会場がファイザーだったというだけ。
でも、副反応は結構強く、2日の月曜日でも、皆熱が出ていた。
学校に連絡を入れ、休む。飛び石連休がつながって、連休になってしまった。
さて、このままではゴールデンウィークは「ワクチンの副反応で寝てた」という思い出になってしまう。
しかし、コロナ禍なので旅行に行ったり食事に行ったりするのも気が引ける。
というか、そんな急に旅行の計画立たないし、最初に書いたように僕の仕事も詰まっている。
(今年は3年ぶりに「行動制限されていない」G.W.だったそうで、観光地はにぎわったらしい)
で、急に思い立って、5月4日には庭でバーベキューをやった。
次女はバーベキューが好きで、ことあるごとに「やりたい」と言っていたのだけど、2年くらいやってなかったように思う。
余りに久しぶりなので、そもそも次女がバーベキューをやりたい理由の一つである、マシュマロを買い忘れていた。
これは、炭熾ししている間に、近所の店に長女と次女が買いに行った。
火が安定するまでの間、僕と妻と長男は庭の雑草抜き。
毎年雑草に負ける。初夏のころは「今年こそは」と頑張るのだが、梅雨の間に作業もできず、気づいたら草ぼうぼうになっている。
しかし、今年こそは。
僕が仕事をしているというだけで、子供たちはそれなりに休みを満喫しているようだ。
みんな、かわるがわる Switch で遊んでいるだけだけど。
今日、金曜日は平日で、子供たちは1週間ぶりに学校に行った。
明日から週末で、また2日休みだ。
僕は仕事するのだけど。
別年同日の日記
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ここのところ、仕事が忙しくて余裕がないのだが、娘たち二人の誕生日がやってきた。
二人誕生日近いから、大変なのよ。
まずは次女(中一)。21日木曜日が誕生日だった。
本人は当日に祝いたかったらしいが、木曜日は長女(中三)の塾の日で、家族で祝えない。
そこで、お祝いの日はずらさせてくれ、と事前に言ってあった。
でも、当日に「ケーキいつ買いに行くの?」と聞かれた。
パーティは別の日だけど、当日ケーキは食べたかったらしい。
(我が家では、誰かの誕生日でもそれぞれが好きなケーキを買う。
で、全員で一口づつシェアする。いろんな味が楽しめて楽しい)
金曜日は家族で祝えるので、パーティ。
でも、金曜は平日でケーキを買いに行くことができないので、土曜日のおやつがケーキではどうだろう、と提案。
当日にケーキがない、ということに少し不満げだったので、長女を塾に送るついでに、何か買ってくると約束。
金曜のパーティのために、材料を買うつもりではあったのだ。
で、スーパーにロールケーキくらいあるだろうと思ったら、夜だったのですでに売り切れだった。
パウンドケーキがあったのでそれを買って、この日は済ませる。
金曜日。約束通りパーティ。
次女の希望は「からあげとフライドポテト」だった。
前日に唐揚げは「揚げるだけ」の冷凍品を買っておいた。
問題はフライドポテトで、次女の好きなシューストリングカットが売り切れていた。
なので、ナチュラルウェッジカットで。
フライドポテトの品薄は、今年に入ってから広く起こっている現象だ。
2月には、マクドナルドがポテトの販売を縮小し、フライドポテト好きの次女は哀しんでいた。
(といっても、コロナの影響で最近マクドナルドに行ってなかった。その意味では、販売しなくなっても我が家には関係ない。)
ついでに書けば、ジャガイモの輸入量はアメリカとベルギーが多いそうだが、アメリカからの輸入が昨年秋からしばらくの間、ほとんど止まっていたのが遠因。
止まっていた理由は、アメリカの天候不順とされることも多いのだけど、それ以上に「コロナ禍から少し回復したアメリカ経済が、ホリデーシーズンに入って中国製のおもちゃ類の需要が高まり、中国からの輸入にほとんどのコンテナを回してしまったから」。
普通は日本に農産物を持ってきて、その帰りに中国のものを持っていくのだが、この時はホリデーシーズンという期間限定特需が控えていたので、「空のコンテナを最高速で中国に送り込んだ」ためだ。
こんな話、数年後には忘れてそうなので書き留めておく。
(ついでに書けば、多くの業者が一気に輸入を行った結果、税関がパンクしてしまってアメリカ沖に2か月も停泊、という船が続出した)
話が完全に横道にそれたが、金曜日には約束通りケーキも買ってきて、午後のおやつに食べた。
木曜日のごちそうは、次女は喜んで食べて、「食べる」と宣言して自分の皿に取った分を残す、というほど腹いっぱいになっていた。
ケーキが別の日なのは大正解。というか、このパターンを毎年やっているのに次女は学習していない。
次は長女の誕生日。25日月曜日だ。
でも、平日はやはり僕が忙しいし、1週間もずれるのを嫌った長女は「前日にごちそう食べたい」と申し入れてきた。
前日とは、つまり今日だ。
長女が食べたいのは、宅配ピザと、ベーカリーで売っているお惣菜系のパン。
家で焼くようなピザや、コンビニで売っているようなお総菜パンではダメ、とのこと。
まぁ、ちょっと豪華なものを食べたい、という気持ちはよくわかる。
しかし、ピザとお総菜パンは多い。別の日にしよう、ということになっていた。
ちなみにケーキは、次の日曜日でいいそうだ。
しかしお総菜パンを売るようなベーカリー、以前はいくつか知っていたのだが、最近は閉店してしまったところが多い。
近所の情報を調べて、よさげな店を見つけておいた。
そして、今日の昼に買いに行こうと約束していたのだが、今日になって調べてみると定休日だった。
確認が甘い。
急遽予定を考え直す。今日の昼はピザにした。
「宅配ピザ」と言われていたが、最近は自分で取りに行けば半額、というのが多い。
というわけで、家族五人でピザ3枚。
それでも食べ盛りがいるからペロリと平らげるだろう、と思ったら、2切残った。夕飯で食べる予定。
(ここでも、次女は「食べる」と宣言していた量をとても食べられなかった。もっとも、長女もたくさん食べると言っていたが、食べられなかった。)
お総菜パンは「チーズが入っているようなもの」を食べたがっていたのだが、ピザを食べたら満足したらしい。
ピザを買う前に、「ガーリックトーストしたフランスパンでもいい」と言っていたので、夕飯に出してやるつもりで、ピザを買いに出たついでにバゲットを買ってきてある。
そして実は、総菜パンに期待していなかった店だが、チーズの乗ったような総菜パンがあったので買ってきてある。
別の理由で「近いうちにポトフを作ろう」と言っていたのだが、ポトフとパンで合わせる予定。
(すでにポトフは煮込んである。そろそろ夕ご飯の時間だ)
別年同日の日記
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15日(金) 告別式当日。
朝、長女・次女の通う中学校から電話がありました。
今日の参観日、自由な時間にご覧になって構いませんよ、と…
すっかり忘れていました。中学校は参観日でした。
コロナの影響で、密を避けるために子供の出席番号による時間指定があったのですが、長女と次女が同じ時間なのでどちらかずらせないか、と相談していたのでした。
これもコロナの影響で、参観日に見に行けるのは家族で一人だけ。
元々妻が行く予定だったのですが、この日は雨で、僕は葬儀場まで妻に車で送ってもらうつもりでした。
時間割を見ながら、「面白そうな授業」を見に行けるように妻が予定を組み立てる…
1時間目に次女の授業を見て、一度家に帰って僕を送ってから、3時間目に長女の授業を見れば大丈夫そう。
さらに、4時間目の後に懇談会と、長女の修学旅行の説明があるのですが…
4時間目の間は「密を避けるため」中学校を出ないといけないのでまた家と往復し、この日妻は1万歩歩いたそうです。お疲れ様です。
告別式は、繰り上げ初七日法要まで一気に行う形でした。
その後、棺に花を入れます。
葬儀の祭壇は、花で作られたものでした。
父の時と同じ葬儀社ですが、父の時は白木の祭壇。こちらの方が形式としては正しいようなのですが、女性の場合柔らかなイメージで、花の祭壇にすることが多いのだとか。
で、初七日法要の後、参列者は一旦別室に移り、スタッフの方が祭壇の花をすべて取り外し、ものによっては茎も切り落とします。
後で聞いたのですが、少しでもお別れの時間を長くとるために、この作業はできうる限り迅速に行ってくれたのだとか。
そして、いよいよ棺に花を入れて最後のお別れ。
母が普段来ていた服を、長兄の奥さんが持ってきてくれていました。
喜寿の時に兄弟で集まってお祝いした時、母にプレゼントしていたカーディガンもありました。
また、母が好きだったという「きんつば」も持ってきてくれていました。
…ん? 僕は「きんつばが好きだった」と納棺の時に初めて聞いたのですが、僕以外みんな知ってる。
あれ? きんつば好きだったって、知らなかったの僕だけ?
きんつばを棺に入れ、みんな花を入れていき…
「きんつば隠れちゃう」と、長姉がきんつばの位置を移動します。
さらに花を入れていくうちに、また「隠れちゃう」と移動。さらにもう一回。
誰かが「もう、お母さんにくわえさせれば?」と言い出して、一斉に「やめて」「それはダメ」なんて突っ込みが入ります。
さすがに、皆が笑いました。
「お父さんの時は、◯◯おじさんが棺に直接お酒を振りかけて、みんな笑ったね」なんて思い出話が出ました。
父の時も確かに笑いました。こうして、笑顔で送れるのはいい式だと思います。
そして棺は花でいっぱいに。
皆が母の顔に触ります。頭をなでます。
僕も感謝の念を込めて、頭を撫でました。
そして、みんなで蓋を閉じます。
これで見納めです。
火葬場まではマイクロバスで 30分ほど。
これも父の時と同じ場所です。
雨が降っていました。
そういえば、父の時も大雨だったよね、と次兄が言います。
先ほど過去の日記を調べたら、父の時は台風が来ていたようです。
そして、今回の雨も、遠くを通過する台風の雨です。
長姉の結婚式の時も、妹の結婚式も台風でした。
我が家の冠婚葬祭には「赤道直下からの大物ゲスト」が良く来るようです。
火葬は1時間ほどで終わり、皆で骨を拾います。
骨壺に収め、最後に愛用していた眼鏡を入れました。これも父の時と同じです。
父はきっと母を迎えに来ているだろう、と長兄が言いました。
そうかもしれません。よく二人で旅行していました。
父が事前に下調べをして、母を案内するように。
あの世までの遠い旅路も、父に任せられると思えば安心です。
仲の良い夫婦でしたから。
別年同日の日記
17年 アメリカが日本製のパソコンに100%関税をかけた日(1987)
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14日(木) 通夜当日。
遠くからくる兄弟は、姪・甥もつれてきています。
子供が小さすぎるなら連れてこないといけないし、既に働いている年齢の姪は、「おばあちゃん」の想い出もあるので。
でも、我が家は僕だけ参加。
子供たちが物心ついたころには母は痴呆が始まっており、思い出もあまりないんだよね。
家が近いので「子供を連れて行かないといけない」理由もないし、そもそも平日なので子供は学校や塾もある。
妻も、子供の塾の送迎をしないといけないので来れません。
家族葬でこじんまりと…と言いつつ、6人兄弟が配偶者も子供もつれてきたりすると、16名参加。
十分な規模のお式に思います。
式自体は滞りなく終了。
式の後、仕出し弁当で簡単な食事があります。
コロナの関係でそれぞれのお弁当なのね。葬式だと、大きな寿司桶で出たりすることも多いのだけど。
家の娘の塾が7時開始で、妻が車で送った後に、式場に寄ることになっているのだけど…
一応、会食終了予定時刻が7時半。でも、その時間を待たず全員食べ終わり、7時過ぎには「じゃぁ、今日はホテルに戻ろうかな」なんて話も出ている。
しかしそう言っていた人もすぐにホテルに行くことは無く、なんとなく周囲と話しているうちに妻が来ました。
何とか間に合った。せっかく集まっている親戚一同に挨拶して周ります。
そして、母に線香を供えます。焼香台はすでに片付けられていたのでね。
本当は、妻に車に乗せてもらって家に帰るつもりだったのですが、もう少し残ることにしました。
通夜の夜は、誰かが遺体のそばで線香の火を守ることになっています。
長兄夫婦がやってくれることになったのですが、一旦家に帰って準備をしてくることになったのです。
娘の塾の終わりは10時ごろになるので、妻はまた車で迎えに来ます。僕はその時に帰ることにして、兄のいない間の火を守ります。
1人だけでは寂しいでしょう、と長姉夫婦も残ってくれました。
これが正解で、結局長兄夫婦は、僕の妻が迎えに来るまでの間に戻ってこれませんでした。
僕が引き受けたにもかかわらず、長姉夫婦に任せて帰ります。
別年同日の日記
17年 アメリカが日本製のパソコンに100%関税をかけた日(1987)
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13日(水)納棺当日。
急だったので兄弟は都合がつかず、僕と兄夫婦だけ…のつもりだったのですが、次兄が来れることになりました。
また、北海道の長姉も、直前に連絡が来ました。
木曜に来る予定を早め、水曜午後に到着するのでぎりぎり参加できるかも、という状態。
遺体は長兄の家に帰ってきて布団に寝かせていたので、納棺も長兄の家で行います。
とりあえず、長兄、次兄、僕の三兄弟がそろったところで納棺の儀を開始。
末期の水をとり、体を拭き清め、死に化粧を行います。
死に化粧の前に顔の産毛をそります…とやっている最中に、長姉夫婦到着。
ここからは、化粧だからと女性意見も入り、明るい雰囲気で話が進みます。
お母さん、もともとそれほど化粧をしなかったよね。
使っていた口紅とかまだあるから、それを使ってもらおう、などなど。
以前から痴呆でもありましたし、皆の心の中に覚悟ができていたから、それほど湿っぽくならない。
できるだけよい形の葬式にしようと前向きな姿勢になります。
死に化粧が終わり、死に装束を着せます。
これからあの世への長い道中。足袋を履かせ、脚絆を巻き、手甲をします。
紐は縦結びにしてください、と葬儀社の人に言われます。
縦結びって普通は使いませんが、何でですか? と聞いたら、後で説明します、と。
説明では、長い道中なのでほどけないようにしっかりした縦結びにします、とのことでした。
いや、縦結びはすぐほどける結びだから…
死を特別なものとして、普通とは違うことをする習慣があります。
着物のあわせを逆にしたりね。
順当に考えて、縦結びするのは、こちらが原因でしょう。
死に装束も終わったら、布団のシーツを皆でつかむ形で、棺の中に移動します。
葬儀社の人が周囲を整え、納棺終了。
すでに遺影が出来上がっていましたが、これは長姉が母の頼みで撮った写真でした。
父の葬儀の時、遺影にする良い写真が無くて苦労したので、遺影にする写真を今のうちに撮っておいて、と言われたのです。
良い写真でした。葬儀社の人が加工してくれましたが、ほぼ元の写真のまま。
遺影とは別に、葬儀の際に想い出の写真などを飾ってくれるそうです。
納棺が終わって葬儀社の人が返った後、母が保存していたアルバムをみんなで開きます。
僕の知らない僕の写真がたくさんありました。赤ちゃんの時の写真とか。
家族全員が映っている写真は、謎のシチュエーションでとっていることが多い。
これは、父が人が集まると「せっかくだから」と全員で写真を撮りたがったせい。
だから、家族写真にその時たまたまいた誰かの友達が映っていたりする。
母が若い時の写真も出てきました。
中学や高校の時の写真、昔の「女学生さん」という感じで、かわいい。
あと、20歳になる前に撮ったと思われる、思い切り気取った可愛い笑顔の写真。
母も気に入っていたようで、アルバムの写真横には母の字でコメントがついていました。
こういう写真、アルバムに糊付けされていてはがせないのですが、長兄の娘(僕から見て姪)が、スマホアプリで接写し、フォトプリンタで印刷してくれます。
…こういう技術って、昔は写真店に頼まないとできなかったのに、今ではこういうことに特化した専用アプリとかあるのね。
別年同日の日記
17年 アメリカが日本製のパソコンに100%関税をかけた日(1987)
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4月12日(火)、母が他界しました。
85歳でした。
父が他界したのは2009年のこと。
その後数年たってから、母の痴呆が始まりました。
最初は時々物忘れをするくらい。でもだんだん物事がわからなくなってゆき、ここ数年は僕のこともわからなくなっていました。
どうも、子供時代に戻っているのね。話ができるときでも自分の名前を旧姓で名乗るし、小学生くらいになっている。
痴呆の人は、その人が一番幸せだったころに戻ってしまう、という話を聞いたことがあります。
母は青春時代が戦後の混乱期と重なりますし、まだ女性は抑圧されていた時代。
小学生の頃が一番幸せだったのかもしれません。
ここ15年ほどは、長兄の家で暮らしていました。
今年の頭に、以前から入居を待っていた老人ホームに定員の空きが出て入居できました。
我が家からも遠くないし、一度会いに行きたかったのですが、コロナの流行もあって会えないまま。
3月末に、容体があまりよくない、という連絡が来ます。
4月1日(金)にお医者様から詳細を聞ける、というので、長兄夫婦と僕でホームに伺いました。
急に食が細くなり、十分栄養をとれていない、とのことでした。
胃ろうや点滴という手段も取れますが、その場合は病院に入院する必要があります。
ホームで最期を看取るのであれば、すぐということではないがそろそろ覚悟を、と言われます。
僕は6人兄弟なのですが、兄弟で相談。お母さんももう年だし、管をつないで無理やり生きさせるよりも、自然に最期を迎える方が良いだろう、と全員一致で決まります。
とはいっても、お医者さんもまだ先だと言っていたし、数か月くらい先のことだろう…
と、この時は思っていました。
4月8日(金)に再度連絡がきました。
いよいよ食事を食べられなくなっているそうです。
土日の間に、多くの兄弟が見舞いに行きました。しかし、僕は用事があり、いけませんでした。
まぁ、1日に行ったときに会っているし、ホーム側もコロナの関係で面会を最少人数にしたいようなので、行かなくても良いかな、と。
土曜日に面会に行った次姉が動画を送ってくれましたが、手を握ったら首を動かしたり、思ったより元気そうに見えました。
ただ、日曜日に面会に行った次兄が、「水も飲めないそうなので、それほど長くなさそうだ」と。
北海道に住む長姉が、都合もあって木曜にならないと来れない、とのことでした。
それまで持ってくれると良いのだけど…
しかし、願いむなしく、12日(火)の朝に、息を引き取ったとの知らせが来ました。
夜の間だったようです。朝6時に看護士が見たときには、すでに息をしていなかったと。
僕としては、いつでも休めるように仕事先に連絡。
今日から休んでいいですよ、と言ってもらいましたが、休んでもやることないし、12日は仕事をします。
ただ、兄弟間の連絡が飛び交い、仕事効率は落ちてました。
先に書いた北海道の長姉の都合に合わせ、木曜通夜、金曜告別式と決まります。
コロナ禍であることを考慮し、家族葬として親戚も呼びません。
僕もそれに合わせて仕事先に休みをもらいます。
その後、納棺を水曜の午後に行う、と連絡が来ました。
仕事先にまた連絡して、水曜も午前中で仕事終わりにします。
普通、納棺は通夜の直前にやるものですが、葬儀社の都合もあるようです。
別年同日の日記
17年 アメリカが日本製のパソコンに100%関税をかけた日(1987)
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先日、電力逼迫の話を書いたら、それとは無関係に今朝停電した。
朝4時過ぎ。後で確認したら、4時11分だったようだ。
UPS(無停電電源装置)の4回続けてなるビープ音で目が覚めた。
このビープ音は、電源断を伝えるものだ。
東京電力は頑張ってくれていて、通常なら停電しても数秒で治るし、長くても5分くらい。
UPS は、30秒ごとに4回のビープ音を鳴らす。
何度も鳴り響く。長い停電のようだ。
スマホで情報を確認する。東京電力のページには、停電情報は載っていない。
まだ停電が起きたばかりで、情報掲載に至っていないのだろう。
更に5分ほど。これはどうにかしないといけない、と思って起きる。
UPS に繋がっているとはいえ、使える電力は無尽蔵ではない。
再度情報確認。停電情報が出ていた。鎌倉市で 2100件ほど。
復旧予定は6時。あと1時間半もある。
UPS のステータス表示を見ると、この調子では6時まで持ちそうにはなかった。
無駄なものの電源を落とそう。
たとえば、NAS は急な電源断からは守らないといけないので UPS に繋げているが、停電した状況で動いている必要はない。
WiFi ステーションも UPS に繋いでいるので、ChromeBook でログインすることができる。
NAS に対してシャットダウン指示。これで、電力の使用量が少し減った。
この時点で5時前。6時までならなんとか電源も持ちそうだ。
大抵、こういうのは予告時間少し前には復旧するものだし。
朝の支度を始めようか…と思ったが、IHを使っている我が家では、お湯も沸かせない。
もう一度ベッドに入る
5時55分、断続的だったビープ音が鳴り続けるようになる。
いよいよ電源の残り容量が少ない。
復旧完了時刻を再度見る。6時半に伸びていた。
あ、だめだ。急な電源断で壊れると困るから、家庭内サーバーもシャットダウンしよう。
これで、この日記などを公開しているサーバーも停止した。
で、仕方がない。何もやることないのでまたベッドに入る。
6時半ぴったりに、通電が始まった。
復旧したようだ。
僕は主夫なので、まずは朝の支度。
炊飯器もタイマーでが止まってしまったため動いていない。
炊飯を開始し、一日分のポットのお湯を沸かし、朝ごはんの支度をする。
並行して、サーバの復旧作業。
サーバは2台ある。
1台は土台となるホストOSは起動したが、その上で動くゲストOSが起動しない。
このゲストOS が普段仕事で使っているものなので、これでは困る。
サーバに直接コンソールを接続し、virsh start させる。ついでに virsh autostart も設定しておく。
(前回起動したのはいつだっただろう。自動起動の設定を忘れていたようだ)
もう一台、このページを載せている、公開用サーバが動いていない。
その土台にもログインできない。なんで? ややこしそうなのでひとまず置いといて、朝ごはんの支度を続ける。
ある程度朝ごはんができたところで、再度設定作業。
どういうわけか、サーバー自体がうまく起動できていなかった。
強制的に電源を落として入れ直しても動かない。BIOS 起動すらしない。
壊れたか? 焦る。
一度電源をプラグから抜いて、再度差し込んだら問題なく起動した。
あぁ、時々あるやつだ。問題なし。
こちらは、ゲストOSまで自動的に起動した。7時半。
というわけで、このサイトは、6時から7時半の1時間半ほど、停止していました。
こんな時間に見ていた人がいるかわかりませんが、ご迷惑をおかけしました。
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別年同日の日記
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もう5日も前の話だが、先週水曜日、23日の夕方にコロナワクチンの三回目接種を受けてきた。
接種したのはモデルナのワクチン。
妻と一緒に予約を入れ、仕事を早退して車で会場へ。
まぁ、このこと自体は特に問題はない。
接種して数時間たち、腕が痛くなってきたなー、というのも1・2回目と同じ。特に問題ない。
翌日、木曜日の朝、妻は若干熱がある、というのでアセトアミノフェン系の熱さましを飲んで午前中寝ていた。
僕は仕事があるので自宅で作業。
昼頃、僕も若干熱が出てきたので薬を飲むが、仕事は続ける。
問題が出始めたのは夕方になってから。
16時を過ぎたころから、急に寒気を感じてきた。
これは、今日は夕方5時(17時)に作業終了させてもらおう、と思いつつ仕事を続けるのだが、16時半ごろには辛くなってきた。
熱を測ると、38度あった。仕事先に連絡して、すぐ作業終了。寝る。
ちなみに、薬は6時間開けないといけないので、この時点ではのめず。
布団に入っても寒気が取れなかったのだが、30分くらいしたら大丈夫になった。
その後、気づいたら少し寝ていて、18時ごろに目が覚めた。
熱を測ると38度8分。
妻は少し楽になった、というので、夕飯の支度を任せて寝る。
いかんな。夫婦二人で一緒にワクチン接種するのは良くなかった。
翌日の朝には僕は熱は下がっていた。
午前中はなんとなくダルさも残っていたが、午後にはそれも消える。
最も、腕の痛みはまだ残っていた。
子供たちも、この日が終業式で明日から春休み。
なので、夕飯は手を抜いて、冷凍お惣菜とお菓子でだらだらと過ごす。
土曜日には僕は調子を取り戻したが、妻はまだ少し調子が悪かった。
もっとも、腕を「押さえても痛くない」普通の状態になったのは、僕は日曜(昨日)の夜。
妻はこの時点でまだ痛かったようだ。
さて、すでに4回目接種をどうするか、という検討も始まっているようだ。
インフルエンザと同じように、今後定期接種が必要なワクチンになっていくのかもしれない。
今は、たった1年程度で開発したワクチンで副反応も強めなのだけど、やがて穏やかなワクチンも作られるだろう。
今回の反省は、夫婦一緒に接種してしまったこと。
一緒に寝込むと家事が回らない。
次回があるなら別の日にしなくては。
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別年同日の日記
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今朝6時半ごろ、長女が起きてくるなり熱を測り、「38度2分ある」と言ってきた。
昨日夜からなんか調子が悪く、今朝起きたら頭がふらふらするので測ってみたそうだ。
食欲もないといい、そのまま自室に戻って寝る。
さて、これは大変だ。コロナのオミクロン株を疑う必要がある。
ひとまず、長女が触った体温計はアルコールで拭く。
長女が水を飲んだコップは、すぐに洗剤で洗う。
それから家の24時間換気システムを「強」に設定。
家族にコロナ疑いがいる場合は、通学してはならない。
長女の中学と、次女の小学校に欠席の連絡。
(長男の高校は、高校入試が今日からなので元々休みだ)
長女はそのまま昼過ぎまで寝続け、起きたら「おなかすいた」と言っている。
長女の部屋に小さなテーブルを運び、そこで食べてもらうことにする。
おかゆとちょっとしたおかずを用意。
食欲がわいたようで、おかゆは2回お代わりした。
こうした作業、マスクをつけて長女の部屋に入り、作業後は石鹸で手を洗う。
ご飯の後に熱を測ったところ、36度9分。下がっている。
念のため、抗原検査キットを使う。
神奈川県から、次女の小学校経由で配布された、厚生労働省認可のものが2セットある。
また、夏に僕がデルタ株に罹患した時に、仕事の知人が送ってくれた、非認可の怪しいものも9セットある。
(10セット入りを送ってくれたので、1つだけ夏に使ってみた)
怪しいものは、怪しい。しかし性能試験になるかもしれないので、両方使ってみる。
結果、陰性だった。どちらも陰性。
熱も下がったし、多分ただの風邪なのだろう。
(のどが痛くて背中も痛いらしいので、風邪ではある)
まぁ、今の時分、風邪もひきたくないので隔離はするが、過度の心配はいらなくなった。
でも家族の誰かが罹患する可能性は常にある。
今回のは良い訓練だった、と思う。
別年同日の日記
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コロナ、オミクロン株が猛威を振るっている。
今日は1日の感染確認が、東京で過去最多の2万人越えだそうだ。
全国だと、昨日の集計で1日8万人越え。
自分が罹患した昨年夏のデルタ株の時よりも感染者数は多く、幸いなことに重症者数は少ない。
なので、医療現場の人は大変そうだけど、まだ「医療崩壊」というほどの状況にはなっていない。
というニュースで始めて見たのだけど、より至近な話としては、次女(小6)が学年閉鎖で、今日から自宅待機となっている。
学校で配布された iPad を持ち帰り、朝の会はオンラインで。以降はすでに課題を出されているので自習。
オミクロンの話をそろそろ記録しておくか、と思ったのは、こちらの方がより強い契機となっている。
…が、記録しておこう、と思っても、特に書きたいことはそれほどないのだよね。
ワクチンのブースター接種は、今年の頭くらいから始まっている。
しかし、接種率が上がらないのだとか。
年寄りから順に接種なので、上の年齢層が積極的に受けてくれないと、下の世代に順番が回ってこない。
テレビなどを見ていると、接種が進まない理由は明白に見える。
…のだけど、どうもそのことに言及する人があまりいないように見える。
今回、確保できたワクチンのほとんどが、モデルナです。
そして、「ファイザーがいい」と言ってモデルナを敬遠して、様子をうかがっているお年寄りが多いのだとか。
そこで、テレビでは「交互接種でも大丈夫です」と呼びかけています。
これ、様子をうかがっている人が知りたいのは、多分そこじゃないのね。
一応解説しておけば、以前ファイザー製を接種した人が、今度はモデルナ製を接種する、というのが交互接種。
1回目と2回目の時には、交互接種はできるだけ避けて、同じワクチンを打つように呼びかけられた。
今回はファイザー製の確保量が少ないので、交互接種をするように求められている。
それで戸惑って接種が進まないのだろう…と見られているようだ。
これは政府か医師会かの公式見解なのだろうか。
テレビだと、アナウンサーの呼びかけは「交互接種でも大丈夫です」なのだけど、街角のインタビューでは「別の懸念」を口にする人を堂々と紹介しているので、本当の理由に気づいているように思う。
多くの人が「モデルナ製は副作用が強い」という噂を気にしていて、ファイザー製を待っているようだ。
そして、どちらにせよ情報が古い。
コロナに関しては世界中の医師が様々な研究をしているので、次々と新しいデータが出てくる。
古い話を信じ込んでしまい、それが原因で最新の話題に追随できていない、というのが今回の事象の根底にあるように思う。
交互接種を避けるように、としていたのは、ファイザーもモデルナも、治験の際に「自分たちの開発したワクチン」を2回接種した状態での防御率しか確認していなかったからだ。
両者のワクチンは違うものだが、根底となる考え方は同じだ。だから、多分交互接種でも問題なかった。
でも、1・2回目の接種が行われていた夏~秋にかけては、大丈夫だと言い切るほどの根拠に乏しかった。
そこで「交互接種は避ける」としていたのだけど、それでもやむを得ない事情で交互接種になる人はいた。
その人たちのおかげで、今では「交互接種しても効果は変わらない」という情報が得られている。
だから今回は「交互接種で問題ありません」と言い切れるのだ。
交互接種は避ける、というのはすでに古い情報で、問題ない、が最新情報なのだ。
同じように、「モデルナ製は副作用が強い」も古い情報になっている。
日本では、ファイザー製は地域接種に回され、モデルナ製は職域接種に回された。
地域接種は高リスクであるお年寄りから開始され、職域接種は「職域」なので当然現役世代から開始された。
ここで、確かにモデルナ製の方が強い副作用が出た。
そこで「モデルナ製は副作用が強い」とされたし、「海外ではこれほど強い副作用が出ていないので、モデルナは日本人の体質に合わないのかも知れない」とまで言われた。
でも、その後で「若い世代の方が副作用が出やすい」という統計情報が、世界中から上がってきた。
何のことは無い、ファイザー製はお年寄りを中心に接種していたので副作用が弱く、モデルナ製は若者を中心に接種していたので副作用が強かった、というだけなのだ。
海外では~ というのも、多くの国では、接種の際に日本のような区分を行っていなかったためのようだ。
モデルナ製を「全年齢に」接種していて、年齢を考慮せずに統計を取っていれば、「若者だけ」の日本の統計よりも副作用が弱いように見える。
というわけで、現在はモデルナでもファイザーでも、副作用はそれほど違わない、というのが最新の情報だ。
モデルナ製は副作用が強くて怖い、というのは古い情報になっている。
人は不安になると情報を得ようとするが、一度十分な情報を得て満足すると、それ以上の情報を得ようとはしなくなってしまう。
だから、刻々と状況が変化するときに、「古い情報」を信じて行動してしまうことがある。
その行動は間違った情報に根差しているので、残念な結果を引き起こす。
いま、政府か医師会か知らないけど、発信すべきは「モデルナ製でも副作用が強いということはありません」という情報なのだと思うのだけど、多分これ言っても信用されないのだよね。
自分が信じていたのと違う情報が、土壇場の状況で提示されると、多くの人が新しい情報を疑うから。
ワクチン接種を推し進めるために政府が嘘を言っている、とか陰謀論にされてしまう。
そういう時は、最新の「結論」だけでなく、なぜその結論に至るのかを説明するしかありません。
多分、テレビなどでは時間の都合もあってそこまで深堀することが難しい。
…と思ったので、今日はそうした話を書いてみました。
別年同日の日記
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忙しくて書けないでいたが、ちょうど一週間前の土曜日の話。
コロナ禍で、小中学校は様々なイベントを延期にしていた。
それが、1か月くらい前から一気に実施している。
おかげで長女も次女も相次いで鎌倉に社会見学に行った。
で、二人ともいうのだ。
学校で行っても、速足で見て回るだけで楽しめなかった。家族で見に行きたい、と。
そんなわけで家族で鎌倉散策。
家族で、と言っても、高校生の長男はもう家族行動よりも自分の好きなことしたいらしく、留守番。
まずは次女がもう一度ゆっくり見て回りたい、という鎌倉文化交流館へ。
鎌倉から出土した遺跡・遺物などを展示し、解説する施設だ。
写真はシェルピンスキーのミツウロコ。…というのは冗談だがそんな感じ。
鎌倉幕府を開いたのは源頼朝だが、実権を握ったのは北条氏だ。その北条氏の家紋がミツウロコ(三つ鱗)。
普通は、「三角形を3つ重ねて、より大きな三角形にした形」だ。トライフォースと言えば伝わる人も多いかも。
ところが、写真は盃に描いてあったもので、ミツウロコを3つ重ねて、さらに大きなミツウロコにしてある。
再帰構造だ。フラクタルだ。シェルピンスキーとしか言いようがない。
…文化交流館は当然鎌倉時代の遺物などもたくさん展示されているが、「鬼急急如律令」と書かれた木札があった。
陰陽師の世界だ。ラノベとかではおなじみだが、本物を目にすることは、普通はない。
そういうのに興味がある人はぜひ行こう。(そういう施設ではないのだが)
ゆっくり見たので、文化交流館を見終わったら昼ご飯の時間だった。
駅前まで歩いて食事。昼時なのでどこも混んでいてなかなか入れる店が見つからなかった。
その後、大仏が見たいという次女の要望で、由比ガ浜商店街を通って高徳院まで歩く。
まぁ、最初から歩くのは目的の一つだったのだ。最近外出して無くて体力明らかに落ちてるから。
由比ガ浜商店街は変な店が多くて面白い。いろいろなものを見つけて、面白いねぇ、とか話しながら歩くのだが、特に店には入らず。
やがて高徳院につき、中に入るが…
次女は、大仏を見たらすぐ出る、というくらい滞在時間が少なかったそうだ。
まぁ、学校で数カ所周るスケジュールの都合もあるのだろう。
だけど、大仏って見る以外特に何もないのだ。
本来大仏の中に入れる(御胎内)のだけど、コロナのために入ることもできなくなっていた。
せっかくなのでしばらく滞在するが、特に何もなく帰ることにする。
大仏近くのケバブ屋さんで、トルコアイスを売っていた。ドンドルマってやつだな。
食べたことなくて興味あったので、家族で1つだけ購入。なかなか美味だった。
長谷寺の前まで行き、まだ少し時間もあるし、長谷観音見る? と相談してみた。
こちらも、大仏と同じで見る以外に特に何もない。
今回はもういいかな、ということになり、入るのはやめた。
しかし、目の前にオルゴール堂があった。
…オルゴール堂、どこにでもあるよな。
(リンク先は、まだ小樽にしかなかったときに訪れたときの話。その後日本各地の観光地にチェーン店を広げている。)
ちょっと入ってみる。
僕は自動演奏機械が好きだ。機械として好きなので、美術品として普通のオルゴールをデコレーションして高く売るだけのものはあまり好きでない。
でも、オルゴール堂の主力製品はそうしたもの。
まぁ、「普通」だからこそそれほど高価にはならず、需要があるのは事実だけど。
(それを否定するものでもない。日用の美術品としての価値に見合った価格だと思う)
でも、ところどころに商品ではない、アンティークの本当に高価なオルゴールが置いてあるのね。
時々演奏会やっているらしいけど、普段はただ置いてあるだけ。
次女が興味を持ったので、それらがどういったものであるか、そこらへんで見るオルゴールと何が違って、どう面白いものなのかを解説。
次女はオルゴールに興味を持ったようだ。
ごく普通の安いものでもいいから、自分のオルゴールが欲しい、と言い出した。
でも、安いものでも彼女のお小遣いでは買えないので、今は保留。
お金をためていつか買いたいらしい。
再度由比ガ浜商店街を通って帰るが、今度は雑貨屋に入った。
長女がかわいいバッグを見つけて欲しがったのだが、妻もトレーナーを購入。
歩き続けで、さすがに子供たちは疲れたようだ。
市役所に車を停めていたのでそこまでは歩くしかないのだが、それで散策終了。
歩き回った距離としては多分 10km くらい。
しかし、ちょっと疲れました。コロナ以降、外出が減って体力落ちている気がします。
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