目次
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2016-07-30 相模原JAXA公開日
2016-08-12 家族旅行:プレジャーフォレスト
2016-08-12 極楽パイロット
2016-08-12 プレジャーフォレスト・キャンプエリア
2016-08-12 プレジャーフォレスト・2日目
2016-09-04 海辺散歩
2016-09-26 箱根小涌園ユネッサンに行きたい人へのまとめ(1/3)
2016-09-26 秋の家族旅行
2016-09-26 小田原城
2016-09-26 おもしろ歴史ミュージアム・かまぼこの里
2016-10-07 風邪ひき
2016-11-06 甥の結婚式
2016-11-27 セガ・サターン復活
2017-01-01 あけましておめでとうございます
2017-01-04 正月休み
2017-01-21 風邪ひき
2017-02-08 ゲーム会社の仕事
2017-02-20 続・家の10年目メンテナンス
2017-03-13 江の島再発見
2017-03-17 長男卒業式
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JAXA へ行った。
相模原のJAXAが一般公開していたので、子供と遊びに行ってきた。
実は、数年前に子供と一緒に行ったことがある。
その時は公開日ではなくて、過去の衛星の模型などを見られる展示室が1つあっただけ。
一般公開日となると、やはり規模が違った。
マッハ4の風を吹かせられる大型風洞実験や、電波ノイズを完全になくしてしまう電波暗室など、大掛かりな設備も公開される。
いろいろと面白いものを見られたのだけど、全部書いているととりとめがないので、ざっと気になったものだけ記しておこう。
裏門側に駐車場があり、そちらから入ったので、メイン展示である「正門側」は最後に行った。
その都合で、地味な研究を細かく見ていて、普通は見た人が喜ぶようなハヤブサの模型とかは、疲れていてどうでもよくなっている。
なので、心に残ったのは「研究」が中心だ。
まず、宇宙太陽光発電衛星の話。
まぁ、SFでおなじみ。ジオラマなどを使って概念説明をしたり、実際にマイクロ波で離れた場所にある LED をつけて見せたり。
ここら辺は以前から度々見たことあるのね。
でも、どこにでもある普通のトランシーバーで、模型自動車を走らせるのは興味深かった。
子供たちは、ラジコンとの違いが分かっていない。
ラジコンは電池を模型に搭載し、電波で「操作するための信号」を送る。
でも、この模型は信号は送ってないから真っすぐしか走れない。
電池がないのに、走ることができる。
トランシーバーの電波は、どこにいるかわからない相手に届けるために、四方八方に飛んでいく。
それだけパワーが分散するので、距離が離れるとあっという間に受けられる電力が減ってしまう。
(実際、模型自動車はトランシーバーを近づけると速くなる)
宇宙発電では、できるだけ減衰しないように、特定方向に向けて電波を飛ばす。
…と、ここまで説明してやっと「おー、すげー」って長男が納得した。
進化したテクノロジーは魔法と変わらない、とはアーサーCクラークの言葉。
裏を返せば、「なんかすごそう」と思っていても、何がすごいのかわからない。
ある程度理解して、やっとそのすごさが伝わる。
小型レーダー人工衛星を開発中のグループ。
CCD カメラが小さく安くなり、画像で地球を監視できる衛星は非常に増えた。
でも、可視光は自然の影響を強く受ける。夜では写らないし、曇っていても地上が写らない。
災害が起きたとして、その災害現場の状況を速やかに知りたいとき、「曇っているからダメです」では役に立たない。
そこで活躍するのがレーダー衛星。雲や雨でも地上の様子を知ることができる。
しかし、分解能の高いレーダーを搭載した衛星を作ろうと思うと、今までは 1000Kg級になってしまっていたらしい。
そんなに重いと打ち上げるのもお金がかかるし、衛星自体の開発にもお金がかかる。
そこで、100kg 級で高解像度レーダー衛星を作ろうと頑張っていて、2020年ごろの打ち上げを目指しているらしい。
レーダーでどの程度の画像が得られるのかと聞いたら、分解能 1m 程度で、10km 四方くらいの「写真」が撮れるそうだ。
レーダーって、パラボラみたいな指向性の強いアンテナを動かしながら「スキャン」していくイメージがあるのだけど、強い電波を照射し、帰ってきた電波を小さなアンテナの集合体で受けることで、写真のように画像を得られるらしい。
ハイブリッドロケットの開発。
ロケットを宇宙に飛ばすには、燃料だけでなく「酸素」が必要になる。
よく使われているのは、冷やして液体にした酸素と、液体燃料を混ぜて燃やす方式だ。
これを液体・液体方式と呼ぼう。燃料漏れなどがあると、液体であるがゆえに食い止めることができず、爆発するという危険性がある。
扱いにくいのであまり使われず、日本のお家芸となっているのが、固体燃料と、固体の酸化剤を使う固体・固体方式だ。
あらかじめ混ぜてロケットの中に詰め込んである。酸化剤は酸素化合物なのだけど、熱を加えると還元されて酸素を放出する。
その酸素と燃料が結合して燃焼する。
反応が始まると止められず、爆発するという危険性がある。
これらの方式の危険性をなくすために、ロケットエンジン内に固体燃料を詰めて置き、液体の酸化剤を少しづつ振りかけながら燃やす、という方法が研究されているそうだ。
固体・液体方式。「ハイブリッド」と呼ばれている。
海外の例で、この方式で研究中のロケットが事故を起こした例があるそうだ。
エンジンは燃焼を停止し、地上に落下。パイロットは脱出し、怪我はしたが命に別状はないという。
平面指向性アンテナ。
最初の方に書いたけど、電波が四方八方に飛ぶと力を失う。地球から遠く離れたところに電波を送るには、指向性を高めたい。
パラボラアンテナなんかがよく使われるのだけど、これは繊細なものだし、微妙な湾曲があるので、ロケットにコンパクトに詰め込みにくい。
そこで、最近の人工衛星では平面で指向性を持ったアンテナが使われることが多い。
…と、ここまでは知っていた。
実際には、平面にして強度を保つため、ハニカムを金属板で挟んだ構造にしたりしているらしい。
また、パラボラを使わないのは、単にコンパクトにしづらいから、ではないそうだ。
パラボラが太陽に向いてしまうと、光が焦点である「アンテナ」に集中してしまい、すごい熱を発生する。
宇宙では空気がないため、熱を空冷することもできず、熱をどう逃がすかは重要課題だ。
パラボラはこの面でも、使うのが難しいようだ。
その「熱を逃がす」話では、ヒートパイプと、同じ太さの様々な金属の棒を持って、氷水に突っ込むという実験が大人気だった。
あまりに人が並んでいたのでやらなかったのだけど。
ヒートパイプは、銅などで作ったパイプの中に金属などで編まれた「リボン」を入れ、少しの液体を入れ、気圧を下げて密閉したもの。
一部のハイスペックなパソコンなどでも使われているので、原理を知っている人も少なからずいるだろう。
気圧が低いので、液体は蒸発しやすい。
ちょっと熱を持ったところがあると、蒸発して気化熱を奪う。
そして、冷えたところでは結露して凝集熱を放出する。
液体に戻ると、リボンに吸収され、毛細管現象ですぐに全体に広がり、乾いてしまった「熱いところ」に移動する。
気体分子は、邪魔をするものがなければ音速で移動する。
なので、ヒートパイプは音速で熱を伝えることができる。
これは、どんな金属で作られたヒートシンクよりも熱伝導が速い。
JAXAではなく、国分寺市の特設ブース。
日本初のロケット、ペンシルロケットの実験を行ったのが国分寺市だったそうだ。
ペンシルロケットの実験話は知っていたけど、場所までは記憶になかった。
その「実物」のうち1つが市に寄贈されているそうで、実物展示してた。
実物は、後部の羽根以外失われているため、欠損部分は木で作ってある。
市報で「ペンシルロケットと私」という、いろいろな人にインタビューした記事が載っていて、連載第1回~4回までのコピーと、最新版である第8回の載った市報が配布されていた。
5~7回も置いてあった形跡はるのだけど、もらいに行った時点で無かった。
人によって書いてあることの面白さは全然違うのだけど、だからこそ読んでみたかった。
中庭休憩スペースは、銀河連邦の他の国からの出店でいっぱいだった。
…銀河連邦は、JAXA の施設がある町で構成している…まぁ、お遊びだな。
実質的には姉妹都市提携しているのだけど、本来の名前ではなくそれぞれの市が「共和国」を名乗り、全体で連邦としている。
それぞれの特産品の屋台を出していた。
そして、それとは別にリポビタンDのブース。
JAXA といえば…というか、「はやぶさ」といえばリポビタンDだからね。
ブースの前にいくと、スタッフの人が「ファイトー」と声をかけるので「いっぱーつ」と返せば、無料で1本もらえる。
栄養ドリンクは子供が飲んじゃいけないんじゃ…とおもったら、リポビタンD Kids という商品があるそうで、それをいただいた。
次女は「美味しいからもう一本もらいたい」と言っていたのだけど、薬だから用法用量を守りましょう。
宇宙ヨット(と言っていいのか?)のイカロス、ペーパークラフトになっていた。
単にペーパークラフトが作れる、というのではなくて、あの独特の帆の畳み方を学習してもらうためのもの。
次女が作りたい、というので、順番待ちを並ぶ。
数人しか並んでいなかったのですぐに順番が来るだろう…と思ったのだけど、その場でペーパークラフトを作るので、一人当たり5分くらいかかる。列が全然進まない。
やっと順番が来たころ、長蛇の列になっていたので「家で作りたい方、紙だけお持ち帰りできますよー」とスタッフの方が配布し始めた。
なんだ、そんなのあるなら、それでよかったのに。
イカロスの仕組み展示。
イカロスは、太陽の光を受け、その光の圧力で移動することができる。
ここまでは知っていた。
その姿勢制御は、液晶を使っている。
液晶を透明にすると、帆に直接光が当たり、強い力となる。
液晶を半透明にすると、光は乱反射し、力は弱まる。
これで、エンジンを使わずに姿勢制御ができる。
よく考えたなー、という感じ。
そういえば、SoftBank のペッパーいました。
会話できるようにはなってなくて、一方的に研究内容の説明していただけだけど。
よくできたロボットではあるけど、ハードウェアとして使われていただけで、自慢の人工知能は見られず残念。
…と、思いつくままに書いたのだけどこんな感じかな。
なかなか楽しめました。
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毎年恒例夏の家族旅行、8月5日(金)~6日(土)を使い、今年は相模湖リゾートプレジャーフォレストに行ってきた。
いくつかに分けて書く。まとめて読むにはこちらから。
プレジャーフォレストは、以前に行ったことがあるんだよね。
結構楽しいからまた行きたいね、と子供とは話していたのだけど、気軽に行くにはちょっと距離が遠い。
それとは別に、以前に富士の裾野の遊園地「ぐりんぱ」で、お気軽キャンプをやったことがあった。
正確にいえば、ぐりんぱの横に併設されたキャンプ場。
保育園の頃に乗りもの好きだった長男はキャンピングカーへのあこがれがあって、乗せてやりたいと思って探した。
そしたら、ぐりんぱでキャンピングカーに泊まることができた。
食事はキャンプらしく自分で作るのだけど、食材は用意されている。
キャンプ場とはいえ風呂もある。…という、キャンプと言ってよいかもわからないもの。
そして、プレジャーフォレストは、ぐりんぱと同じく「富士急ハイランドグループ」。
同じようにキャンプ場がある。
またキャンピングカーに泊まりたい、と言われていたのだけど、同じじゃつまらないので今度はテントにした。
さて、当日。
前日の夜、長女が昼間の遊び疲れで速く眠くなり、早めに床に就いた。
僕はいつも通り寝たのだけど、妻は休みに入る前に気になる仕事を終わらせたいからと言って、子供が寝た後で仕事を続けていた。
その後、早く寝ていた長女が、夜中に目が覚めてしまったらしい。
すでに寝た後なので眠れず、妻は長女に付き合う形で、朝まで寝られなかった。
(といっても、長女が静かに本を読んでいる横で、横になって仮眠はしていたそうだ)
6時起床、と言ってあったのだけど、長男・次女も5時半ごろには目覚める。
用意はほとんど前日に終わらせている。
7時前に出発。
朝ごはんは近所のマクドナルドで済ましたけど、30分ほどかかった。
本格的に出発したのは7時半ごろ。
プレジャーフォレストまでは、高速を使って1時間半弱。
朝5時ごろに調べたら、高速つかわないでも1時間半で行けることになっていたのだけど、朝7時だとすでに2時間以上かかることになっていた。
プレジャーフォレスト近くで高速を降り、コンビニを探す。
しかし案外ない。
ダイエーがあった。朝8時から夜10時半まで開いているようだ。
田舎のスーパーはコンビニの機能を兼ねるのか。
そこで、昼ごはんを購入する。
以前に行ったときに、プレジャーフォレストは広い草原スペースが結構あり、ピクニック気分でお弁当を広げている人が多かったから。
#そもそも、僕が子供の頃は「相模湖ピクニックランド」という名前だった。
レストランは一カ所しかなくて混むし、昼ごはんはお弁当にしようという算段。
買い物をして、プレジャーフォレストに着いたのは9時過ぎだった。
オープン直後の時間で、大体狙い通り。
宿泊者専用のチケット売り場があったのでそこに並ぶ。
前のお客さんが、想定と違って揉めていた。
うちが申し込んだプランでは、プレジャーフォレスト2日入園券と、1日フリーパスが付属している。
しかし、フリーパスはプランによっては付属していない。
前のお客さんは、申し込みのプランを間違えてフリーパスが付いていなかったらしい。
別途フリーパスを購入することは出来るが、宿泊者の割引はつかない。
宿泊プラン変更は、遊園地の窓口ではできず、キャンプ場窓口に行かなくてはならない。
キャンプ場窓口までは車で5分程度なので、宿泊プラン変更を選んだようだった。
行ってみようと思って情報を探していて、今このページを見ている方はお気を付けください。
さて、自分の番。
前のお客さんのようなトラブルはなかったのだけど、いろいろとホームページの説明と異なっている。
宿泊者は、事前に「預り金」をいくらか払うことになっていたのだけど、不要だった。
宿泊仮証明書が発行され、もし入園チケットが必要な場合は、その仮証明書がチケット代わりになるそうだ。
(この仮証明書は、後でキャンプ場でチェックインした時点で、正規の証明書と交換になる)
フリーパスは、宿泊者用の特別なものだった。普通のフリーパスと明らかに色が違う。
多分、宿泊者は2日滞在するので、日によって色を変えるなどして、2日間使えないようにしているのだろう。
(フリーパスはテープで手首に巻く。一度貼ったら破り捨てるまではがせないので、きつく巻きすぎないよう注意)
そして、これもホームページに書かれていなかったのだけど、フリーパスの利かない2日目に1度だけじゃぶじゃぶパラダイス(夏限定の水遊び)に入れる権利か、子供3人分の宝探しスタンプラリーの参加権がもらえた。
どっちが得かわからず、スタンプラリーを選択。以前来た時に子供と一緒に楽しんだからだ。
でも、これはプールでもよかったかもしれない。
プールは1回1000円、スタンプラリーは500円だった。
さて、園内のことを詳細に書くとだらだらと続いてしまいそうなので、要点だけ。
子供にとって一番の楽しみでもあった、アスレチック「ピカソのたまご」はとりあえずお預け。
このアトラクション、プレジャーフォレストの目玉の一つだけど、無料。
入園券しか持たない2日目でも遊べる。
前回来た時は、次女は身長制限で楽しめない乗り物が多数あった。
100cm 未満だと、乗れるものは本当に限られる。でも、今回は大抵乗れた。
100cm未満でも乗れる…前回すごく次女が気に入っていた「空飛ぶブランコ」から始まり、片っ端から乗り物に乗っていく。
新アトラクション「ターザンマニア」は、10歳以上との明記があった。
長男はOKで遊びたがったため、2手に分かれる。
(これ、あとで調べたら、10歳未満でも親が同伴なら大丈夫だった)
プレジャーフォレストの遊園地エリアは、入り口ゲートから見て、山を登る方向に広がっている。
中腹に多くの施設が集まり、リフトで登る山頂に大型遊具がある。
また、山を登らずゲートから進んだ方向に、小さい子でも遊べる迷路などのアトラクションがある。
11時前に、主に中腹エリアは遊んでしまった形。
スタンプラリーも、おそらくそこにあると思われるものは取りつくした。
長女が「ココドコ」やりたいという。
これは長女の記憶が少し混乱していて、「ココドコ」はぐりんぱにあったアトラクション。
でも、「ココドコ」の元となった、「からくり砦」がプレジャーフォレストにある。
これは、5階建てで隠し扉・一方通行などがある迷路。
長男は1人で行きたがり、見事一方通行にハマって、ゴールできずに途中退出。
長女も罠にはまったが、僕が通りかかって救出した。
次女は僕と行動したので問題なくゴール。
「からくり砦」の迷路は一つだが、途中で集めるスタンプが違う2コースがある。
もう一度やるかと聞いたが、暑いから水遊びに行こうという。
じゃぶじゃぶパラダイスへ。これは季節限定。
子供向けの、プールではない「水遊び」で、滑り台が多数ある。
大人も半ズボンで入って子供と遊ぶ人もいるが、大抵は見ているだけ。
僕も半ズボンではないので入れない。暑いが見てるだけ。
1時間ほど遊び、昼になって腹が減ったので終了。
前回来た時に多くの人がお弁当を食べていた草原スペースは、「ターザンマニア」に姿を変えていた。
じゃぁ、山の上でお弁当を食べようということになり、リフトで上へ。
リフト降り場脇にテーブルも屋根もある休憩所があったので、そこでお昼。
長女が観覧車に乗りたいというので、高いのが怖い長男を残し、観覧車へ。
長男はこの日初めて親のデジカメ(最近使っていなかった古いもの)を持たせたので、観覧車に乗っている僕らの写真を撮っていた。
山頂には小さな池があり、鯉がいる。100円で餌の自動販売機がある。
次女が餌をあげたがり、自分の小遣いで購入。
のんびり餌やりのあいだ、池のほとりでしばし休憩。
実は、近くにスタンプがあり、鯉に夢中の次女は長女に「スタンプ押しといて」と頼んでいた。
しかし、長女には聞こえてなかった。ここでのスタンプ押し忘れ、後で気づいて僕が取りに来るはめになった。
のんびり休憩しているのだけど、山の上には大型遊具がある。
ひとつは先に書いた、観覧車。見晴らしがよくのんびりしている。
でも、後の二つは絶叫マシン。富士急ハイランドグループらしい。
前回来た時は工事中だった。
のんびりと鯉に餌を上げている横で、轟音と叫び声が聞こえる。すごい空間だ。
ところで、ここにある、夏休み前にオープンしたばかりの「極楽パイロット」に乗ってみた。
リフトで降りてしまうとスタンプを集められないので、歩いて山を下りる。
次女が歩くの疲れたというので、途中少しおんぶ。
これで、山の中腹と山頂のエリアのスタンプは全部集めた。
次女が、そこにあった「バギーカート」に乗りたいというので、また2手に分かれる。
妻と他の子は迷路などのエリアに向かい、スタンプを探す。
僕と次女はバギーカートを楽しんだ。
いわゆるゴーカートだけど、山裾の地形を生かして、アップダウンが激しい。楽しかった。
迷路エリアに向かうと、長女と妻がジェットコースターに乗っていた。
子供向けの怖くないやつね。
長男は、それでも「怖い」と言ってまた写真撮影している。
合流した次女も乗り、長女は連続して3回乗った。
さらに迷路を楽しむ。
鏡の迷路で長男は1人で進み、からくりがわからずに出てこない。救出に向かった。
#なんか、長男がダメなように見えるが、「一人でやりたいけどまだ難しい」お年頃なだけ。
下二人は親についてくるので脱出できて当然。
迷路エリアのさらに先にもスタンプがあるというヒントがあったので、そこまで向かって遊園地のスタンプを全部入手。
この順序で取ったのは意味があって、そこからキャンプエリアはすぐ近く。
そのままキャンプエリアに向かった。
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プレジャーフォレスト・キャンプエリア【日記 16/08/12】
別年同日の日記
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家族旅行としては話の途中なのだけど、プレジャーフォレストにできたばかりの新アトラクション、「極楽パイロット」に乗ってきたので、ちょっと説明。
まったく前知識のないところから、まず、遊んでいる人を見た。
デフォルメされた飛行機のようなものの、コックピット部分に乗る。
足はぶらんぶらんしている状態。
大きなアームに振り回され、飛行機がぶんぶん飛ぶ。
各機の動きはまちまちで、ゆらゆら揺れているのやら、キリモミ飛行しているのやらいる。
どうやら、左右の翼の角度を変えることができて、上手くやるとキリモミ状態になる模様。
この時点で、「あぁ、手の動きを感知して、モーター動かしてんだな」と思った。
ただ、絶叫マシンっぽい見た目なのに、あまりキャーキャー言う人はいないんだよね。
ちょっと不思議に思った。
次、乗るところで説明ビデオが流されている。
YouTube に同じビデオがあるのを見つけたのでリンクしておこう。
あっ… これ、極楽パイロットじゃない。
色が違うからプロトタイプ時点での映像なのかと思っていたけど、同じグループ遊園地の「富士急ハイランド」で、極楽パイロットと同日にオープンした新アトラクション、「テンテコマイ」のビデオだ。
しかし、そんなことは見たときには気づかなかったので、気づかないふりをして話を進めよう。
このビデオでの説明は、実際の上手な人の操作を見ながら、「左右の翼を、タイミングよく反転させる」ということの説明のみ。
なるほど、これだけの説明で十分。
モーターなんて入ってなかった。翼に風をうけて、その力で機体を回すという、純粋に物理的な動作。
風車の羽が、中心点を挟んで逆の角度になっているように、翼を左右逆にしていれば、風車のように回転する。
もっとも、人間の体重を回そうというのだから、風車のように簡単には回らない。
ブランコをこぐように、小さな揺れから共振を起こし、だんだんと大きな揺れにしなくてはならない。
デフォルメされた飛行機の「翼」は、実際の飛行機でいう「エレベーター」(翼の後ろの可動部分)にあたる。
そう考えると、これはただの乗り物ではなく、流体力学を応用した物理実験機だ。
キリモミ飛行は、この動作を完全に把握した人だけが到達できる。
時間は限られているので、その時間内にキリモミを発生させられるかどうかが、この遊具の楽しみのポイントとなる。
ここまで、頭では理解できた。
#周囲の待っている人の会話を聞いていると、ここまでの理解に及ばない人が多数。
なんか、うまく翼を動かせばキリモミするらしい、程度の認識なのだけど、それではキリモミに入れない。
乗り込んで、シートベルトを締め、肩を抑えるように上からハーネスを締め、さらにハーネスが緩まないようにベルトを締める。
すごく厳重に「落ちないように」安全策を取ったうえで、いよいよ「離陸」。
垂直離着陸機のイメージなのか、ゆっくりと上に持ち上げられる。
ただし、アームがある都合上、全員「斜めに」なる。
そして、各機体を固定しているブレーキ(?)が外される。
斜めの状態から急にフリーになるので、左右に揺らされる。
ここ、事前説明になかったので油断していた。
この「揺れ」を最初の種として共振を起こしていけば、最短時間でキリモミに入れるのだろう。
最初は、振り回される感覚にも慣れていないので、自分の「揺れ」が認識できない。
それが認識できないと、ブランコをこぐように大きくすることができない。
でも、じきに慣れて、共振させながら揺れを大きくしていく。
ある程度揺れが大きくなると、一番揺れたところで「そのまま回転するのではないか」と期待して、翼の角度を切り替えられなくなる。
この「最後のひと押し」ができないのが悔しい。でも、悔しいということは良いゲームだということだ。
そして、コツがわかった。
アームによる「振り回し」は、斜めの軌道になっている。つまり、「落下」する瞬間があるのだけど、ここが一番風圧が強い。
だから、このタイミングでキリモミに入るのが一番入りやすい。
キリモミに入ったら、翼を動かしてはならない。そのままの角度を維持すれば回り続ける。
しかし、徐々に回転が加速していく。目が回り、気持ち悪くなるので「一度止めよう」と思って止めてしまった。
#理解して回転に入れたのであれば、止めることも難しくない。
さて、再チャレンジ。これがまた、すぐには回らない。
もう一度回せて、今度はそのまま維持、と思ったところで終了時間になって終わってしまった。
姿勢としては「頭を後ろにつけるように」と事前説明があった。
でも、落下する瞬間とか、ハーネスに体重を預けることになる。
回転にうまく入れずに「逆立ち」した状態で止まると、肩で支えることになる。
大丈夫だと思うのだけど、結構怖い。
ただ、ものすごく怖いのかと言うと、冷静にならないと姿勢制御できないので、叫ぶような怖さはない。
状態を冷静に把握できている時って、怖さを感じないものだ。
ちなみに、自分で機体を揺らさなければ、ただぶんぶん振り回されるだけで、回転木馬とそれほど変わらない。
(いや、回転木馬と違い、落ちる部分があるからちょっとは怖いか)
怖い状態にできる人は怖いとは感じず、怖い状態にできない人は当然怖くない、という不思議な乗り物。
絶叫マシンのはずなのに、あまり叫び声が聞こえないのはこれが理由だったようだ。
「回せるかどうか」に挑むゲームとしては、かなり面白いと思った。
絶叫マシンじゃなくて、体感ゲームマシンだ。
WingWar を R-360 でプレイしている感覚に近いと思った。
いや、R-360ではそのゲーム以外プレイしたことないからだけど。
#WingWar は飛行機のゲームで、宙返りやキリモミ飛行も可能なのだけど、そのようにする操作は結構難しい。
そして、R-360 は特殊な筐体で、対応ゲームを遊ぶとコックピットが自由に回転する。
ところで、後で知ったのだけど、回転数カウントされているそうだ。
大記録が出るとアナウンスしてくれるらしいので、本当に「ゲーム」として楽しむリピーターもいるらしい。
回り始めたら後は「翼の角度を維持する」以外にやることはないので、いかに早くキリモミに入るか、だけが勝負だろう。
あと、回転してると、怖いというより、気持ち悪くなる。
それに耐えられるかどうか、という勝負で、記録を出したとしてもあまり楽しい体験にはならない気がする。
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プレジャーフォレスト・キャンプエリア【日記 16/08/12】
別年同日の日記
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家族旅行の話の続きです。
キャンプエリア。
正式名称は「パディントン・ベアー・キャンプグラウンド」。
中の区画には「マーマレードキャラバンズ」とか名付けられている。
気にしてなかったけど、子供が「パディントンだからマーマレードなんだねぇ」と言い出して気づく。
そういえば、パディントンの大好物がマーマレードだったっけ。
お話の作者の旦那さんの大好物がマーマレードで、パディントンがマーマレード好きなのも旦那さんのイメージなのだとか。
(以上、子供が「グレーテルのかまど」で見たことを覚えていた情報。)
遊園地とキャンプエリアの境目は曖昧で、遊園地の端の方には、バンガローなどが立ち並んでいる。
なので遊園地から歩いてキャンプエリアに入ったのだけど、宿泊受付するロッジは、遊園地から一番離れたところだった。
案外遠くて、また次女が「歩き疲れた」と文句を言う。
4時ごろにチェックイン。遊園地で受け取った「仮宿泊証明」をわたし、本当の宿泊証明が発行される。
この証明があれば、明日も遊園地にそのまま入れる。
予約したプランでは、夕食と朝食が付いてくる。この引換券がそれぞれ1枚。
あと、温泉に割引で入れる券。合計4枚の紙をもらう。
宿泊者は部屋の鍵を受け取って…とホームページなどには書いてあるのだけど、テントに鍵はない。
そこで、鍵代わりに電気ランタンを貸してくれた。
チェックアウト時は、鍵を返すのではなく、このランタンを返す。
ここから、自分たちの宿泊するテントまで歩く。これがまた結構ある。
遊園地との境目エリアのギリギリのあたりまで戻った。
(つまり、遊園地までは非常に近い)
初めてのテントに、子供は大喜び。
妻は眠いのですぐ横になり、仮眠。
テントは、快適ではあるが使いやすくはない形状。
というのも、隣にタープなどを立て、接続するのが前提とした形状のテントを、独立して使用しているから。
入り口部分の布が、庇を作れるように大きくなっているのだけど、それを支えるところがないため、出入りするたびに大きな布が邪魔になる。
テントなので布は巻き上げられるのだけど、巻き上げても邪魔なほど大きい布が付いているのだよ。
とはいえ、難点はそれくらい。
ドームテントより大きく、家形テントより小さい感じの室内は、結構広い。
なによりも、完全な2重構造。
フライシートだけでもテントに見える形の中に、さらに小さなテントを立てている。
山間部なので朝露が多く、目覚めたときには外はびっしょり濡れていたけど、内側には全然水が染みてこない。
家形テントでも、水にぬれたフライシートがたるんで一部テント本体に付く、なんていうのは当たり前だからね。
テントは皆、斜面にウッドデッキを作り、その上に立っている。
これが、夜でも地面から冷気が来るのを防ぎ、昼間は風通しがよく涼しい状態を作り上げている。
また、虫などもテントに入りづらいので、テント内が快適になる。
初心者が楽しむには非常に良い感じだった。
さて、妻が寝ているが、子供たちに「車取ってくるので、30分ほど待ってるように」と言い、遊園地エリアに向かう。
遊園地エリアの第1駐車場…キャンプエリアから、一番遠いところに車置いてあるからね。
先に少し書いたけど、スタンプラリーで、山頂の池の近くのスタンプを次女が押し忘れている。
ついでに取ってしまおう、とリフトへ。
山頂のリフト降り場で、係員の方に「あれ? お父さん1人?」と尋ねられる。
事情を説明したら「じゃぁ、『極楽パイロット』乗っていっちゃいなよ」と勧められた。
その手があったか!
言われるまで全く考えてなかった。子供を待たせているから早く帰らなきゃ、と思ってた。
実は、僕は結構絶叫マシン好き。
高校から大学生の頃は、友達と遊園地に行っては絶叫マシンをいろいろ試していた。
妻が苦手なので、妻と付き合い始めてからは遊園地に行っても乗らなくなり、子供が生まれたらなおさら縁遠くなった。
しかし、このときは単独行動で、しかも平日なので待ち時間はほとんどない。
というわけで、できたばかりの新アトラクション「極楽パイロット」に乗ってみたのだけど、詳細は先に説明した通り。
スタンプを入手し、再びリフトで降りる。
そして車に乗り、キャンプ場へ。
プレジャーフォレストの園内を走っているだけなのだけど、結構曲がりくねった山道で、車で5分くらいかかる。
係員に言ってテント近くまで車を入れさせてもらい、荷物を運ぶ。
その後、車は受付ロッジ近くの駐車場へ。
これ、宿泊プランによってはテントの横においておけるのだけど、今回はそうではなかった。
この時点で5時近く。
5時まで待ち、テントから真っすぐ山を2区画ほど登ったところにある、バーベキュー場に行きます。
夕食はバーベキュー。
食材と燃料、調理器具は用意されていて、全部自分たちで調理します。
この燃料が、非常によく燃える炭。
どれくらい良く燃えるかと言うと、炎が上がって直接触れた食材に少し煤が付く。
…いや、炭としてはあまり良くないものですね。
ただ、廃材となるヤシ殻を素材とした「自然にやさしい」素材らしいのと、着火も非常に簡単なので初心者向けには良いのでこれを使っているのでしょう。
火力は結構強くて、肉を焼いていても油断するとすぐ焦げてしまう。
焼いている人は忙しくて食べられないパターン。
とはいえ、子供も焼いてみたいというので途中焼き役を変わったり、楽しみながら食べられた。
肉は焼きやすいサイズに切られ、小分けして真空パックされている。
野菜は自分で切るのだけど…包丁が全く切れない。ただの鉄の薄い板。
まぁ、鉄板でも野菜くらい切れるからね。無理やり切ります。
危ないから子供にはやらせられない。
子供がいると「よく切れる包丁」ってのも危ないので、どちらが良いかは微妙な所。
肉の後に焼きそば、さらに焼きマシュマロを使ったお菓子「スモア」までセットになっている。
「一人分」は焼きそば1人前+少なめの焼肉+野菜+スモア3個、だ。
子供には食べきれないだろうと、最初から使う量を抑えめにした。
余った食材は持ち帰り。
楽しみながら2時間近く食べ、7時ごろに片づけをしていたら、花火が打ち上げられた。
キャンプ場でささやかな花火大会。
子供と妻は花火好きなので、あと少し残った片づけは引き受けて見に行かせる。
片付け終わって、しばらくの間一緒に見られた。
花火が終わったのが8時過ぎ。
見やすい場所を求め、見ていたのはロッジが見える場所。駐車場も近い。
そのまま車に乗り込み、もう一度遊園地エリアへ。
夏の時期、「納涼イルミリオン」と銘打って夜間営業を行っている。
9時までなのでそれほど遊ぶ余裕はないが、見ることが目的。
プレジャーフォレストは、冬はイルミネーションがとてもきれいだと評判。
「相模湖イルミリオン」という名前で営業している。
冬季のみ…といっても3月いっぱいまでは「冬」ということで営業しているのだけど、評判が良かったので今年はゴールデンウィークも行ったらしい。
銘打って「夜桜イルミリオン」。
そして、今年は夏休みも営業している。それが「納涼イルミリオン」。
おそらくほとんど同じで、一部の電球色を変えている程度だと思う。
明らかにクリスマスツリーみたいなのあったし。
でも、文句はない。
事実上の通年営業だとしても、実際非常に美しかったし、これを「片付けて来年の冬また準備する」なんて言うのは大変だろう。
そのまま設置しておいて、時々やるので正解だと思う。
「綺麗ですよ」って写真はよく見るのだけど、一番きれいなあたりを写したものばかり見るので、そのあたりに重点的にイルミネーションを施しているのかと思った。
でも、実際はそうではなくて、園内全体が美しく彩られる。
一番目立つ遊園地中腹エリアも、山頂エリアも、迷路などがあるエリアも。
そして、キャンプ場エリアも、ロッジ付近は彩られている。
単に昼間の遊園地を電飾で美しくする、というのではない。
昼間はまったく気づかないような地味な場所が、夜のライトアップで非常に美しい空間になったりする。
遊園地の雰囲気が変わってしまう感じ。
1時間しか見られなかったけど、特に見たいと言っていた長女も大満足。
9時過ぎ、遊園地を出てキャンプ場へ。
考えてみれば、この日は朝9時に遊園地に入っているので、12時間遊び倒したことになる。
もう眠そうな次女をつれてシャワー室へ。
ロッジの近くのシャワー室が比較的綺麗だけど、それ以外にも数カ所に用意されている。
キャンプ場にシャワーが用意されている、と言うだけで非常に良い環境。
ただし、長男曰く「すごい汚くていやだった」そうです。
キャンプ場で電気つけられるから、虫が入ってきてしまうのね。
裸になる空間に虫がいる、というのが嫌だったらしい。
テントに戻り、疲れた、と長男就寝。
長女と次女は、折角のキャンプだからテントの中で遊びたい、と、僕と妻を含めて UNO を3回ほどプレイ。
でも、それで終わり。
子供が寝た後で、妻と少し外に出て缶チューハイのみながら星を見た。
キャンプ場は真っ暗ではなく、街灯などが付いているし、山なので夜霞がかかっている。
条件は良くないのだけど、星がよく見えた。
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プレジャーフォレスト・キャンプエリア【日記 16/08/12】
別年同日の日記
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今年の家族旅行の話、これで最後です。
キャンプの朝は早い。
日が昇れば明るくなるから、朝5時前に起きてしまう。
でも、子供は寝ているし、起きたとはいってもこちらも眠い。
毛布にくるまり寝ころんだまま、ぐでぐでしてる。
5時を過ぎ、荷物整理を始めると、一緒に寝ていた長男が起きた。
テントは男女で分けている。
夜露でフライシートがびっしょり濡れているのがわかったので、乾かすためもあり、出入り口を網戸にする。
そんな作業をしている間に長女・次女も起きたので、女性テントも網戸にする。
「おなかすいた」と子供たちが言うので、ウッドデッキに車座になって非常食のお菓子などを食べる。
朝ごはん8時からだから、ずいぶん時間があるんだよね。
前日までに、スタンプラリーは1つを除き、すべてを集めていた。
最後の一つは、それ以外の全部を集めることでやっとヒントがわかるようになっている。
夜の間に考え、大体場所のめぼしもついていた。
キャンプエリア内にあるので、朝の散歩もかねて探しに行ってみる。
…あっさりと見つかった。
テントに戻り、荷物整理して撤収準備。
まだ時間があるので UNO で遊ぶ。
そうこうしている間にやっと朝ごはんの時間になったので、バーベキュー場に向かう。
朝はビュッフェ形式。すでにできているご飯を好きなようにとって食べる。
いつものごとく次女は食べきれないほど取って「お父さん食べて」になるし、長男は「美味しかったから食べ過ぎたー」ってなってる。
撤収準備はできているので、テントに戻ったら最後の清掃。
入る前から、テントの周囲に結構ゴミが散らかっていた。それらを全部拾う。
自分の名誉のためだ。我が家がゴミを散らかしていった、と思われたらたまらない。
それと、山の自然への感謝のため。
ロッジに行き、鍵代わりのランタンを返したらチェックアウト完了。
ふたたび遊園地に向かう。
入園は無料だけど、すでにフリーパスはないので遊ぶのは有料。
まず、園に入ってすぐに、スタンプラリーの景品をもらう。
全部押せているから、パーフェクト賞だ!
「パーフェクト」ってハンコを押してもらえるだけで、ハンコ5個と賞品は同じなのだけど。
そして、昨日は我慢していた「ピカソのたまご」。
これは無料なので、昨日は遊ばないでおいた。
長男はアスレチックが大好きで、決して手抜きをせずにきっちり遊ぶ。
長女・次女はとにかく「ゴールした」と競争するのが好きで、多少ずるをしても先を急ぐ。
ところが、プレジャーフォレストのピカソのたまごには、「9ルーレット」という強敵が待ち構えている。
アスレチックとは言いつつ、運のみのゲーム。9マスの中でルーレットに従い移動し、ゴールを目指す。
各マスからは、それぞれ4方向に進める。
ゴール直前のマスまで進むのが一苦労なのだけど、ゴール直前のマスからゴールに進める道は1本だけ。
まじめにやっていると、まずゴールできない。みんな途中で飽きてずるをするのが普通なのだけど、長男はまじめにやりたがる。
これ、前半にあるのだけど、やっている間に妻から「ゴールした」と連絡が来て、長男もさすがに諦めた。
まだ9ルーレット、と返事をしたので、長女と次女も戻ってきて、みんなでゴールを目指す。
ゴールしたら11時ごろ。
他に遊ぶものはないし、暑いのでレストランで涼んでから次の場所に向かおう。
…とおもったら、昼には早いのにレストランがすごく混んでいる。
とりあえず涼もう、ということでスーベニアショップへ。
しばらく涼んで、信玄餅と、次女が買いたがったお土産の髪ゴム 150円だけ買って帰る。
レストランで何か冷たいものでも、と言っていたのだけど、それは外で食べることにしよう。
プレジャーフォレストの周辺には特に面白いところはない。
事前に調べたのだけど、相模湖がある程度で、その相模湖も家族連れで遊ぶような感じではない。
相模湖記念館、というのがあるので、そこに行ってみることにした。
みんな科学館好きだから、何か楽しめるかもしれない。
一応、12時ごろになっていたので、ファミレスに入って…約束していた「冷たいスイーツ」を食べる。
みんなアイスクリームなどを頼む中で、長男は「ハンバーグカレー食べたい」としっかり昼食を食べた。
#いつもは朝ごはんは7時ごろ。
この日は9時まで食べていたので、あまりおなかすいていない。
それから相模湖記念館行ったのですが、期待外れでした。
市民センターの一室に相模湖のことを展示してある部屋がある、というだけなのね。
しかも、後半は子供ウケを意識しすぎて、相模湖と全く関係ない展示内容。
一応「ダム」ってことで電気つながりではあるのだけど、単に電気実験のような内容ばかり。
「アルゴブロック」というプログラミング教材が置いてあった。
プログラム教育は以前から興味があるし、一度見たかったのだけど…
これは、ブロックを繋ぐことでプログラムする教材。
画面上に、「ロボットを経路通りに動かす」などの問題が出されて、実際のブロックを接続することでそのプログラムを作る。
ブロックには、「前」「回転」「右」などが書かれている。
回転は、ロータリースイッチが付いていて、45度単位で角度指定できる。
前とか右とかは、数字を変更できるスイッチがあって、距離を指定できる。
#ここで、「右」とは、方向を変えないで横にスライド、という動作。
方向を変えるのは「回転」のブロックに限られる。
他に、「繰り返し」と「繰り返し終わり」のブロックもある。
繰り返しブロックには数字パネルをはめ込む端子があり、その数字の分だけ繰り返す。
なぜ「前」と同じような数字スイッチにしなかったのかわからない。ここだけ操作が統一されていない。
特殊な動きとして、「前」と「右」は横に(並列に)つなぐことができて、斜めに進める。
物事の手順を教える、というのが目的のはずなのに、ここは無手順で横に並べられる、というのも統一感がない。
遊んだのだけど、正直なところ、面白くなかった。
プログラム教材、と言いつつ、プログラムの勉強にはなっていない。
ブロックという「物理的なもの」を使っているので、自由にプログラムを組もうとすると、ブロックの数が足りない、という制約にぶつかる。
どのブロックも、2~3個しかないのだもの。
その結果、課題がちょっと難しくなると、「自由にプログラムして解決する」というよりは、「制約の中でプログラムできるように最適化する」ことが重要になる。
プログラムの初心者向け教材なのに、いきなり制約下での最適化が目的になる、というのは何か違う。
移動ブロックを同時に使って斜めに進める、というのは、制約下でできることを増やす策なのだろうけど、すでに書いたように統一感がないし、「手順を考える」という目的と合っていない。
アルゴブロックって、考案されたころには結構もてはやされて、いろんなニュース記事で読んだ。
でも全然普及しないから遊べず、今回たまたま遊んでみたら、普及しない理由がよくわかった気がする。
アルゴブロック批判だけで無駄に長く書いてしまったが、子供たちがすぐ飽きたので、相模湖記念館は早々に退出する。
次女はホールのソファーで寝てしまっていた。
もうちょっとダムらしいところを、と思ってダムの堤防近くに車で入る。
堤防上には道路が通っているのだけど、車は入れない歩行者道路。
次女が寝ているので僕は車で待ち、妻と子供たちでダムをちょっと見学してきた。
…これで終わり。
2日目が思ったより楽しめなかったので、「もっと遊びたい」という声が出たのだけど、とりあえず帰路につく。
その代わり、帰り道で面白そうなものを見つけたら寄る、という条件。
子供たち、テレビでやっている「ぶらり旅」みたいな番組好きです。
でもね、2日目は楽しめなくても、1日目に思う存分遊んだ。
車が走り出したら、疲れが出て3人ともぐっすりと寝てしまった。
結局、どこにも寄らずに家まで帰りついたよ。
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プレジャーフォレスト・キャンプエリア【日記 16/08/12】
別年同日の日記
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夏休みは過ぎてしまったのだけど、子供との約束を一つはたしていなかった。
夏休み前に、家族で特に理由もなく鎌倉まで自転車で行ってみた。
このときに由比ガ浜の端っこの方に貝殻がたくさん打ち寄せられていて、長女がたくさん宝貝を拾った。
ちょうどその少し前に、別の場所で「マンカラ」というボードゲームを遊んだ。
世界最古のゲームと呼ばれるものの一つで、駒としての小石がいくつかあれば遊べる。
でも、遊んだものはたまたま、駒として宝貝を使っていた。
ただこれだけの理由で、長女は「宝貝をたくさん集めて、自分でゲームを作る」と言っていた。
しかし、駒は50個くらいは必要なんだよね。このときは、そんなに集まっていなかった。
それで、夏休み中にまた貝を拾いに行きたい、と言っていたのだけど、今年の8月後半は週末が来るたびに台風が近づいてきたため、海に行けずじまいだった。
そんなわけで、海に行ってみることにするのだけど、海に行くなら行ってみたいところがあった。
いつも我が家が海遊びに行くときは、材木座か由比ガ浜あたりだ。
その間に稲村ケ崎があるのだけど、稲村ケ崎ってサザンの映画の舞台になったりして、あこがれている観光客が結構多いのね。
駐車場とかいつも混んでいるので避けていたのだけど、最近「稲村ケ崎には砂鉄が多い」という話をきいた。
源頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由は、海と山に囲まれているために自然の要塞となっているから、と言われる。
でも、武士は当然のことながら剣を必要とする。
稲村ケ崎で砂鉄が取れるから、というのも、鎌倉を選んだ大きな理由の一つだと考えられているそうだ。
この話をきいてから、確かめて見たくて仕方がなかった。
と同時に、当時の人はどのようにして砂浜の砂から砂鉄を選別していたのだろう、とも思っていた。
磁石があれば簡単に砂鉄を集められるけど、当時は磁石というのは貴重品で、宝石のような価値があったはずだ。
重さが明らかに違うから、砂金を水で選別するように、砂鉄も水で選別したのではないだろうか、と妻は推測した。
砂浜だから、水はいくらでも使える。
なるほど、これはあり得そうな説だ、と思っていた。
稲村ケ崎。
鎌倉海浜公園の前に駐車場があるのでそこに車を止め、公園から海岸に降りる。
降りるとまず岩なのね。砂浜ではない。
すごく大きな見事な岩で、ところどころに地層がある。
全体に層の見えない泥岩なので、層が見えるところは何か天変地異があったのだろう。
思っていたのと違う風景で、長男はここで砂遊びを始めた。
次女も長男と一緒に砂を掘り、水を流し込んで遊んでいる。
まずはそのあたりの波から離れた奥の方へ。
磁石で砂鉄を集めるにも、濡れていてはやりにくいからだ。
ここら辺の砂は黒い。鉄分が多いことが予想される。
…と、磁石を近づけると、砂がごっそりと磁石にくっついた。
砂の中から砂鉄がどれほどとれるのだろう、と思っていたのだけど、ほとんどが砂鉄のようだ。
小さな川が流れているので、その川を超える。
そちら側の砂はさらに黒く…単に黒いのではなく、青黒かった。
砂がサラサラではなく、くっついて小さな塊を作っている。
磁石を近づけると、塊ごとくっついてしまう。力をかけて潰すとサラサラに崩れ落ちる。
これ、なんか知っているぞ…
使い捨てカイロで、発熱する際にあまり振らずにほおっておくと、内部で塊ができるやつだ。
砂鉄が何らかの現象で同じような塊を作っているのだろう。
波打ち際は、白と黒の砂が混ざっていて、水の流れで筋ができている。
どうもこれは、2種類の岩石でできている砂で、比重の違いで波で模様を作るようだ。
そして、波から遠く離れたあたりに砂鉄が寄せ集められている。
重いために、波の力でより奥まで届くのだろう。
妻が想像した、水で選別できるのではないか、というのは半分当たりだったというべきだろうが、人が選別する以前に、自然に選別されている。
砂鉄を採取したければただ掘ればよいだけで、選別の必要なんてない。
これは、鎌倉時代には宝の山だったのだろう。
砂鉄から鋼鉄(玉鋼、と呼ばれる)を作るたたら製鉄では、非常に高い温度を維持するために精錬が難しい。
しかし、鎌倉の砂鉄は一般に考えられる製鉄方法よりも、温度が低い方が純度が高くなることが確かめられている。
確かめたのは、鎌倉高校の科学研究会で、この研究で県知事賞を受賞している。
たたら製鉄の方法だと、純度の低い部分と高い部分が同時に出来上がり、純度の高い部分だけを使って刀剣を作る。
じゃぁ純度の低い部分は無駄かと言えばそんなことはなくて、農具などを作るのに十分活用された。
もっと言えば、当時は普段は農民で、戦の時だけ刀を持つ農民兵もいた。
そういう人なんかは本職の武士よりも、質の悪い刀でも十分だったのではないかと思う。
さて、ある程度砂鉄を採取して気が済んだので、次女と一緒に海辺散歩。
長男は相変わらず波打ち際で遊んでいるので、妻が近くについていてくれた。
数百メートル歩いただけだけど、何も打ち寄せられない場所、小石ばかり打ち寄せられている場所、なぜか海藻だらけの場所、貝がたくさんの場所…と、波打ち際と簡単に言っても、いろいろな表情を見せてくれる。
数キロ離れれば全然違う海岸、というのはわかっていたけど、ほんの数メートル単位で環境が変わることには驚き。
海の底の地形とか関係しているのだろうなぁ。
もちろん、砂鉄の割合もずいぶん違う。
最初に採取したあたりが一番砂鉄が溜まっていたようだ。
角に当たる部分だったのでたまりやすい、というのもあるのだろう。
この日は、2時間程度遊んだだけで終わり。
また台風が来ていて、午後から雨が降ると天気予報で言っていたのでね。
台風はまだまだ遠いけど、台風が近づいている時に海にいてはいけない。
砂鉄入りのスライムを作りたい、と長女が言ったので、帰りに PVA 糊を買って帰った。
スライム作る予定で以前ホウ砂を買ったのだけど、PVA がなくてそのままになっていたんだよね。
とはいえ、この日は帰宅したら疲れてお昼寝してしまった。…僕が。
なのでまだスライムは作っていない。
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家族旅行で、ユネッサンに行ってきました。
旅行記は後で書くとして、興味を持ち、行きたい人向けの情報を先にまとめておきます。
なお、我が家は以前に「スパリゾートハワイアンズ」に行ったことがあります。
また行きたい、という子供に対し、近場で似た場所として行ってみた形。
先に結果を書いておけば、類似施設ではあるけど、全然違う楽しみ方です。
ハワイアンズは規模が大きくて、プール、風呂、フラダンスの見学など、2日間たっぷり楽しめる。
でも、関東に住んでいると行くのも大変。
ユネッサンは関東なら日帰りもできる距離で気軽ですが、基本的に「温泉での水遊び」だけです。
ただ、温泉ならではのパフォーマンスが行われていて、見学ではなく参加型。これがすごく面白い。
3時間では時間が足りないけど、6時間滞在すれば十分かな。
旅行時の情報を書いておきましょう。
我が家は家族5人。子供は、小学校6年生、3年生、1年生の3人です。
訪れた日は大雨警報の出る荒天で、気温も低く、水着で外に出ているのは寒い状態でした。
神奈川県内から車で訪問しています。
ユネッサンは本来ホテルの一部としての施設で、宿泊するとお得になるシステムもありますが、今回はユネッサンのみの利用です。
併設された温泉施設「森の湯」は利用していません。
(ユネッサンは温泉を利用していますが、水着着用のプール扱い。森の湯は裸で入る温泉施設です。
それぞれ別料金で、両方入れる共通パスポートもあります)
まず、ユネッサンのシステムと、準備するとよい持ち物から。
特にシステム。公式ページにあまり書いていないので、行くまでよくわかりませんでした。
入り口から長いエスカレーターで4階にのぼり、入園手続きをすますと、人数分のリストバンドが渡されます。
親の分には鍵が付いており、子供の分には(基本的に)鍵がありません。
この時点では入園料は不要です。帰るときの後払い。精算時にはクレジットカードも使えます。
リストバンドには番号とバーコードがついていて、園内での買い物はすべて腕輪で行えます。
#子供用でも買い物ができるのだと思いますが、未確認。
また、一緒に渡したリストバンドでグループを管理していて、迷子時には身元確認代わりになる、と書かれているページもありましたが、これも公式には書かれていないので未確認。
鍵付きリストバンドの番号が、そのままロッカー番号になります。
ロッカーは大きいです。長い傘がそのまま入れられるサイズ。
ハンガーもついていて、上着を着ていてもしわにならずに掛けておけるサイズ。
だから、子供の荷物を一緒に入れても大丈夫。
コインロッカーではなく、鍵を借りている形なので、開け閉め自由です。
ロッカールームの端にはシャワー・石鹸・洗面所なども完備していて、水着用の脱水機もあります。
帰るときには利用しましょう。
当然ながら男性と女性はロッカールームが別。
ロッカールームを過ぎた先にプールがあるので、待ち合わせはプール側で。
「時計広場」と名付けられていて、特に大きいわけではないけど、見やすいデザインの時計があります。
実はこの時計、園内のいたるところにあります。防水の腕時計など持っていなくても大丈夫。
ただし、園内でも屋外部分にはありませんでした。
園内には、いろいろな所の壁にフックがつけられています。
なので、手回り品などはプールバックに入れて持ち込んでおけば、フックに掛けておけます。
貴重品をそのまま見える状態にしておくのはさすがに不用心なので、上からバスタオルなどを入れておくといいかと思います。
また、スマホなどには「自分の位置を検索できる」機能があることが多いので、盗まれた際の対策として、仕込んでおきましょう。
レストランはプールサイドにあり、水着のまま利用できます。
室温は水着でも寒くないように調整されていますが、上から羽織るシャツとか、バスタオルなどがあるとよいかもしれません。
ただ、うちの家族は用意していた服を使いませんでした。
実はレストランとは別に目立たない場所にファーストフード店があり、こちらも覗きに行ったのですが、座席付近の室温が少し下がっていました。
こちらを利用しようと思ったら、服は必要かもしれません。
ところで、ユネッサンは水着もタオルも有料で貸してくれます。
箱根では珍しい、「雨でも1日楽しめる施設」なので、急に予定変更してきても大丈夫なようにしているようです。
もちろん、最初から目的に入っている場合は、水着は持って行くべきです。
水深は 90cm 程度ですが、小さな子供がいる場合は浮き輪があると楽しいかもしれません。
浮き輪は 100cm 以下のもの(大人用でないもの)であれば持ち込み可能で、無料の電動空気入れがあります。
タオルに関しては、WEB で配布しているクーポンを使うと、サービスで無料になる場合もあります。
クーポンは当然入園料も安くなるのでありがたいのですが、タオルを借りられると荷物が減るので地味にありがたい。
ぜひ利用しましょう。
ただし、クーポンは時期により変わるので、必ずタオルセットがあるかは知りません。
このクーポン、スマホ画面を見せるだけでも良いので、雨が降ったので急遽…という場合でも、利用できないか検討してみるとよいかと思います。
#クーポンは予告なく配布終了する場合もあるそうですが、その際も印刷してあれば期限までは有効だそうです。
旅行の予定に組み入れてある場合は、印刷しておいた方がよさそうです。
話が長くなるのでいったん区切ります。
次は、屋内お風呂・プールの見どころを紹介しましょう。
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おもしろ歴史ミュージアム・かまぼこの里【日記 16/09/26】
別年同日の日記
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さて、先に施設を紹介しましたが、家族でユネッサンに行ってきました。
2年前に、東北震災復興支援のつもりでハワイアンズに行ったのですが、子供が「もう一度行きたい」というので、近場の箱根に行ってみた、という感じ。
また、箱根は昨年小規模な噴火があり、観光客の客足が途絶えました。
すでに規制などはほぼ解除されているのですが、一番困っている時から、地元民として「箱根の応援に行きたい」と思っていたので、やっと行けたという形です。
日程は、9月22~23日。22日は秋分の日で祝日、23日は金曜日で平日ですが、子供たちの小学校の運動会が2週間前の土曜日にあり、振り替え休日になっています。
飛び石連休に運動会の振休を当てて4連休を作り出す、という先生方の粋な計らいに乗せてもらった形で、1か月前から予約を入れていました。
ところが、当日は生憎の荒天。
神奈川県全域に大雨警報・雷洪水注意報が出されている中での旅行になりました。
我が家の旅行によくあるように、朝は5時半に起き、6時に家を出発します。
…という予定が、6時10分ごろ出発になるのもいつも通り。
特に、強い雨が予想されたので持ち物を再構成したので時間がかかりました。
平塚の馬入川は、大きな川なので橋が少なく、渋滞の多発地域です。
7時前に馬入川にかかる湘南大橋を渡ってしまう、というのが目標。
祝日とはいえ、大雨なので出かける人も少ないようで、全く渋滞せずに橋を渡れました。
あらかじめその先のガスト平塚海岸店をカーナビの目的地に設定していました。
朝ごはんです。
予想以上の大雨の中、ゆっくり朝ご飯を食べて出発は8時。
有料道路を使わずともユネッサンに9時頃にはつける、という道路予測だったので、それに従います。
…甘かった。8時を過ぎたら車が増え始め、到着は9時半になりました。
でも、9時ごろは強かった雨が9時半には少し小降りになっていて、車からユネッサンまで難なく歩けました。
また、一日中雨は降っていたのだけど、ユネッサン周辺では「どうせ温泉入って濡れるんだし、雨でも気にしない」と思えれば屋外で十分遊べる程度にしか降りませんでした。
#大雨ではないけど、普通に雨。
ユネッサンについてはすでに書いた記事を参照のこと。
非常に楽しめる施設でした。
ただ、本来ユネッサンは「箱根ホテル小涌園」が建てた施設なのね。
そのホテルに泊まってもらうことが狙いだし、ホテルとセットだと割引率もいい。
でも、小涌園は結構高級なホテルです。
いくつかの宿泊施設があって、一番安い施設でもそこそこする。
だから、今回は近くの別のホテルを取っています。
そちらのホテル、夕方5時までにチェックインすると、夕食が選べます。
車で5分程度の距離なので、4時半ごろにユネッサンを出発します。
ホテルグリーンプラザ強羅、がホテルの名前です。
すごい安いわけではないけど、2食付いて大人1人1万円程度、という条件で見つけた宿。
安宿のつもりだったのだけど、ここがすごくいいホテルだった。
あまりにいいホテルだったので、後でまた別記事書きます。超おすすめ。
このホテルを選んだ理由の一つが、強羅と言いながらも、早雲山駅に近いこと。
早雲山駅前の駐車場が、夜になるとがら空きで自由に使えて、星がすごくきれいにみられる、ということなので行ってみたかったのです。
…でも、当日大雨だったけどな。
夕方には警報は解除になりましたけど、注意報はずっと出たままでした。
そして、翌日にはまた警報が出ます。
翌日は、子供たちに小田原城を見せてやろう、という予定でした。
「ブラタモリ」とかでお城を見て興味を持っていたし、箱根旅行で度々小田原城の前は通り、いつか見ようと言い続けていたので。
でも、お城って参道を歩くのが楽しいのよ。大雨では歩きたくない。
子供たちが寝た後に、夫婦で相談して「様子を見ながら、雨が強すぎる場合はどこかの美術館にいこう」と決めます。
翌朝、6時ごろは土砂降りでした。
これが、朝ごはんを食べる時間には小降りになり、チェックアウトの9時ごろには雲の切れ間に青空さえ見えるようになります。
でも、大雨警報は依然出たまま。
ピンポイント天気予報を見ると、12時ごろまでは晴れ間があるけど、その後強い雨です。
昼まで晴れなら、なんとかなる。
小田原城に行くことにします。
小田原城の様子は、次のページに。
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おもしろ歴史ミュージアム・かまぼこの里【日記 16/09/26】
別年同日の日記
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秋の家族旅行の話を書いています。
僕は子供の頃と、大学生の頃に小田原城に行っています。
その時の印象は、本来の格式が感じられず、客集めのためにわけのわからない空間になっている、というものでした。
申し訳ないけど、見る価値がない、と思いました。
だって、そのころは天守閣の前が動物園になっていて、象や猿がいたのだもの。
でも、さすがにこれが不評で、段階的に動物園は廃止になっています。
動物の引き取り先が見つかるか、老衰して死ぬまではちゃんと飼育する方針なので、今でも猿はいたのだけど。
小田原城は今年の5月までに平成の大改修が行われ、本来の姿に近づいた、とされています。
それも今のタイミングで見に来たかった理由。
でも、久しぶりに見て初めて知りましたが、子供のころに比べて参道の門が順次復元されたりしているのね。
城の外郭、三の丸はすでに市街地になっています。
二の丸の入り口、馬出し門から歩き始めてみます。
門は2つあり、外の門を突き破って中に入っても、そこに閉じ込められる仕組みです。
そして、閉じ込められれば周囲からの集中砲火を浴びます。
さらに、2枚目の門は、天守を目指した際の背後側です。
もちろん門の横には銃眼があるので、背後から撃たれます。なんて恐ろしい。
馬出し門の2枚目を突破しても、銅門があります。
ここももちろん、扉は2枚。
1枚目は普通の木の扉です。
突き破って入ると…その先に、ひときわ大きい、銅で装飾された扉があります。
あくまでも「装飾」で、金属製の扉ではありません。
でも、ここまで3枚の扉を突き破るまでにかなりの戦死者を出しているだろうに、ここで「金属製」と見せかけるだけでも心を折るには十分なはず。なんて恐ろしい。
ここまで一気に解説しましたけど、実際には結構距離ありますよ。
子供と一緒に歩きながら解説していると、子供は非常に楽しんでみています。
ところで、ちょうど秋分の日の頃に行ったので、彼岸花が土手に咲いています。
お堀の土手を強化するために彼岸花を植えたのでしょうね。
彼岸花は根が密集するので、土手を強くします。
そして、毒があるのでネズミが根を食い荒らすこともありません。
さらに、彼岸花の根は水にさらせば毒を抜いて食べられます。
籠城の際の食料にも転用できるわけです。
銅門を抜けると、一気に本丸まで駆け上る、長い石段があります。
鎧を着た歩兵は、ここを一気に駆け上るのはつらいでしょうし、騎馬兵も馬を捨てる必要があるでしょう。
そして、石段の上には常盤木門があります。これも鉄で装飾されています。
どこまで心を折れば気が済むんだ。
常盤木門を突破したら広い庭があります。
今は先に書いた猿がいますが、戦国時代には住居があったようです。
その住居の向こうには天守が見えていますが、住居の間の細い道は行く手を塞ぐ関門になったでしょう。
いよいよ天守閣。
長くて細い石段を登り、中へ。
天守は再建されたもので鉄筋コンクリート製。
昔来た時は…残念ながらよく覚えていませんが、中はそれほど「お城らしさ」がないものだったはず。
今は、小田原城の歴史や構造が学べる博物館になっています。
天守の高さでは、現存する(再建含む)城の中で7位。
模型により木造時の骨組みの構造もわかります。
古地図や発掘を元に作られた当時の様子を、模型やCG画像で解説します。
数分間の映画が上映されていて、北条氏の歴史などをドラマ仕立てで学べます。
小学校6年生でちょうど日本の歴史を学んでいる長男から「北条氏って、鎌倉幕府の北条氏の末裔?」と質問が来ました。
わからないけど、近いしそうなんじゃないかな…と答えたのですが…
すぐ後に、パネル展示で北条一族の歴史がありました。
鎌倉幕府の北条氏とは無関係。関西からやってきて小田原周辺を攻め、我が物としたそうです。
でも、それは「よそ者」であり、風当たりが強かったために2代目から北条を名乗ります。
鎌倉幕府の有力者の名前を使うことで、「よそ者」感を無くしたわけです。
あー、小田原北条氏、ってわざわざ区別する理由はそこだったのか。
勉強不足で知りませんでした。
さらに、小田原北条氏滅亡に繋がる小田原合戦の様子を伝える数分の映画がありました。
先の、歴史を伝えるドラマと同じ俳優を使い、2画面を使ってドラマの進行と当時の時代背景を同時に伝えるなど、非常にわかりやすい工夫された内容です。
小田原城が秀吉の「日本統一」に最後まで立ちはだかっていたこと、なぜそれほど守りが強かったのか、攻め落とした秀吉の作戦は、当時の常識をどう破っていたのか、などなど、勉強になりました。
#ところで、「のぼうの城」という映画を見たことがある。
小田原合戦の際の周辺の支城の一つの戦いを描いたもの。
合戦で残ったのは、舞台となる「忍城」だけだったのだけど、このこともちゃんと合戦映画の中で描かれていた。
支城というので小田原周辺かと思っていたら、埼玉にあるのね。
小田原北条氏の勢力が広かった、ということなのだけど。
そのあとは、小田原城に伝わる美術品・宝物品などの展示などがあります。
北条氏が滅び、小田原城の開城後は、小田原合戦に参加した武将たちが、国に戻って自分の居城を「小田原城式に」改良しています。
皆が真似したがるほど、守りの強固な城だったのです。
ある意味、合戦への動員が、優れた技術を学ぶ「社会科見学ツアー」になっていたのでしょう。
小田原城も、江戸時代は徳川家が利用しています。
しかし、江戸に比較的近く、あまりに守りが固すぎるため、弱体化するために堀を埋めたり土塁を壊したりされています。
「その後の小田原城」として、明治期の写真が多数展示されていました。
小田原城の天守は江戸期の震災(1703)で焼失した、と思っていました。
だから昭和になってから鉄筋コンクリートで再現したのだと。
でも、江戸期の焼失は、その後再建されていたそうです。
それが、江戸末期の大地震で再び損壊(1853)。
そのまま幕末の動乱期となり、修復の機会のないまま大政奉還(1867)を迎えます。
そして、廃城願いがだされ、解体されます(1870)。
解体は明治期に行われているため、解体前・解体中・解体後の写真が残されています。
展示されているのは、これらの写真から始まる、再建までの歴史写真集。
解体後は天皇の御用邸として新たな建物が作られますが、関東大震災で損壊。
一部は学校として、一部は子供のための動物園・遊園地としての利用が始まります。
この頃、天守閣の跡地に観覧車が立っていた写真があります。
それほど大きなものではありませんが、石垣の上に立っていたので見晴らしは良さそう。
これを見て、子供の頃の思い出が重なりました。
天守の付近に動物園などがあって「歴史の重みを感じられない」と思ったのですが、そもそも天守閣の再建前に遊園地が作られているのですね。
もっと言えば、小田原城天守閣の見晴らしのよさは昔から有名だったそうです。
天守閣解体後、少しでもその見晴らしに近づきたいと思えば「観覧車」はよく考えられた策だったのかもしれません。
城の中は5階建てで、小学校1年の次女は歩き疲れていました。
歴史の話は難しすぎることもあり、文句たらたら。
最上階から外を眺めてちょっと笑顔になりましたが、今度は「おなかすいた」と。
時計を確認すると12時半でした。
ご飯食べにいこう、と階段を下りていきます。
「早くご飯」とさんざん言っていたのに、出口付近のお土産物屋では一生懸命お土産を選んでいましたけど。
長くなったので続きます。
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おもしろ歴史ミュージアム・かまぼこの里【日記 16/09/26】
別年同日の日記
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秋の家族旅行の話を書いています。
小田原天守閣の出口まで行くと、外は雨が降っていました。
実は、入館チケットは近くにある「おもしろ歴史ミュージアム」とのセットを買っています。
ご飯を食べるために外に出たくないので、天守閣付近の蕎麦屋で済ませることにします。
ここの蕎麦屋、まぁ味は普通なのですが、ちょっと工夫したメニューがありました。
二つだけですけど。
・北条氏うどん
小田原北条氏の初代、北条早雲は、関西のほう(生まれは定かでない)から小田原にやってきました。
そこで、関西風の出汁の効いたうどんに、小田原名物である梅干しを入れたうどんになります。
食べましたが、梅干を細かく潰してつゆに混ぜると、ほのかな酸味がおいしかったです。
・早雲そば
こちらも早雲の名前を取っていますが、イメージとしては箱根の早雲山のようです。
ロープウェイでいえば中腹の駅ですが、天候が悪くなると雲がかかりやすいあたりです。
というわけで、早雲そばは雲をイメージした「とろろ」(昆布ではなく、山芋のほうね)が入っていて、月をイメージするうずらの卵が乗っています。
…えーと、普通の蕎麦屋さんでいえば、とろろ月見そばですね。
子供が頼んだので味見させてもらったけど、普通にとろろそば。
名前を変えただけと言われればそれまで。
でも、少しでも小田原城らしくしようという工夫が良いです。
銅門から平地を歩き、石段を登り始めるふもとに、「おもしろ歴史ミュージアム」があります。
子供にはこちらの方が楽しみやすいだろうと思って最初からセットで考えていたのですが、小学校1年生にはやはり難しかった (^^;;
早雲が小田原を手に入れるまでのいきさつが、電気紙芝居(というより影絵)で紹介されます。
武士でないものには優しいが、武士に対してはとことん追い詰める早雲。
出家して坊主になっても追撃の手を緩めず。恐ろしい。
小田原北条氏最大の勝ち戦、河越夜戦が書割人形劇で紹介されます。
北条氏3代目氏康の時代、北条氏の城であった河越城が上杉連合軍に襲われ、籠城に入る。
氏康は8千の兵を率いて救援に向かうが、上杉は8万。戦力差10倍という無謀な戦い。
そこで、最初から認めて和議を申し入れる…ふりをする。
和議が受け入れられずに攻撃されたら、戦わずに逃げ回る。とにかく「戦う気がない」ふりをする。
これで相手側が気が緩んだら、風魔忍者を送り込んで旅芸人などのふりをさせ、さらに相手側の戦意を失わせる。
そして、タイミングを見て反撃。
これも、相手を「殺す」ことを目的とせず、攪乱して相手が逃げ出すように仕向け、統制力を奪う。
そして、小田原城の最期の劇。
こちらは、マネキン人形とスクリーンへの上映、客席の周囲に描かれた絵などを駆使した、非常にユニークなスタイル。
あの手この手で子供に興味を持たせようとしているのはわかります。
でも、文語口調で語るので子供には内容が理解しづらいし、音声自体が小さくて聞き取りづらい。
(マネキン劇だけは、音が大きくて聞き取りやすかった)
さらに、内容が古い。
多分歴史研究によって新事実が発掘されているのだろうけど、小田原城内の映画での説明と食い違う部分もある。
とはいえ、早雲の生涯や河越夜戦については、城内では説明されていません。
(最期については城内でも説明され、それが微妙に食い違ってます)
補完する内容なので、両方見るとより楽しめるでしょう。
一通り見て、時間は2時過ぎ。
帰るには少し早いので、少し箱根側にもどり、風祭にある「かまぼこの里」を目指します。
というか、最初からその予定だったのだけど。
今年に入って改装工事を行っていて、旅行の前日に仮リニューアルオープンしたばかりです。
(一か月後に本リニューアルオープンで、3階にキッチンラボができるそうです。
今までもかまぼこ・ちくわづくり体験ができたのですが、キッチンラボでは揚げかまぼこや、かまぼこを使った料理などが作れます)
改装工事は、おそらく「綺麗にした」だけで、内容は全く変わってません。
13年前に体験した内容を書いてますので、詳細はそちらをご覧ください。
今回は手作り体験はしていません。
小田原城がリニューアルして、どれくらい楽しめるか不明だったから、予約入れなかったんだよね。
でも、かまぼこ博物館や、その2階にあるかまぼこ板美術館は、子供には非常に面白かったようです。
最後に、隣にある売店でお土産を買って帰りました。
サツマイモを練り込んだ しんじょう と、高級魚肉ソーセージ。
高級魚肉ソーセージは、魚肉ソーセージなのにあらびきウィンナーっぽいの。
プレーンと、エビ入りフランクを買ってきました。
#ソーセージではなく「シーセージ」「シーフランク」と呼ぶのが正式名。
プレーンは、味は明らかに魚肉ソーセージなのだけど、歯ごたえがちょっと違う。
フランクは、あらびきのエビが肉っぽい感触と味を作り出している。でも魚肉ソーセージ。
お土産としては面白いけど、普通にスーパーに売っていたら買うかというと、微妙です (^^;;
旅行の2日間、大雨警報が出っぱなしでした。
でも、車に乗っている間とか、屋内にいる間とかに大雨が降り、少しやんだタイミングで移動…という形で楽しめました。
実は、スマホの天気予報アプリを使って、雨雲レーダーの予測で時間調整していました。
ピンポイントの雨の様子を、1時間先まで5分単位で予測してくれるので非常に便利。
以前から使っているのですが、大活躍の2日間でした。
最後に、今回泊まったホテルが素晴らしかったので、その話を書きましょう。
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おもしろ歴史ミュージアム・かまぼこの里【日記 16/09/26】
別年同日の日記
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風邪を惹いて、治るまで1週間かかった。
どうも体調悪いな、と思ったのは先週末。金曜日か、その前日だったか。
金曜日は出かけないといけない用事があったので、外出した。まぁ、外出できる程度の「調子悪い」だった。
9月の22日から家族旅行に行っていたけど、実はこの直前に長男が「風邪っぽさ」を訴えていた。
少し喉が痛く、調子が悪いという。
でも、旅行は長男も楽しみにしていたし、思い切って出かけた。
ユネッサンに行ったのだが、長男が少し「寒い」と言っていて、暖かいコーヒー風呂に浸かってばかりいたのも、実はこのせいかと思う。
でも、その後熱が出ることもなく、風邪は治った。
この1週間後くらいに、妻も喉が痛いと言っていた。
こちらも熱が出ることもなく、すぐに治った。
長男の後、長女も少し風邪気味を訴えていたのだけど、こちらは1日程度で治った。
だから、僕も風邪気味だけどすぐに治るよね、くらいに思っていた。
これが、土曜日はもう少し体調を崩す。
夕方ごろ、なんか気分が悪くなって起きていられなくなった。
しばらく寝ころんでいたら少し回復し、水をたくさん飲んで飴玉なめたら気分がすぐれたので、エネルギー切れだったのかな、とも思った。
日曜日はそれほど高くはないが熱が出て、一日中寝ていた。
夕方には熱が下がってきて、あぁよかった、週末だけで治まった、と思ったのだけど…
月曜日、熱は微熱程度なのだけど、体がだるくて、起きていられない。
仕事はあったのだけど、少しやっては寝て、という状況。
火曜日も似た感じ。幸い、大急ぎの仕事はなかったので少しづつ進める。
水曜日は熱が下がっていたのだけど、仕事先とビデオ会議。寝るわけにはいかない。
辛いので、要件が終わったところで早めに終わりにしてもらった。
でも、どうやら水曜日がヤマだったようだ。
木曜日は、午前中辛くてやはり寝ていたのだけど、午後からは何とかなった。
そして今日、金曜日。
多少体はだるい。でも、寝ないで一日過ごせた。
多分家族がかかった風邪と同じなのだけど、なぜ僕だけ悪化したのだろう。
体力が落ちているのかな…とも思う。
基本的に兼業主夫で、つらくても朝早起きなので体が休まっていなかった可能性はある。
まぁ、だるくて仕方ないので風邪の間は早めに寝てはいたのだけど。
ともかく、明日から連休なので、ゆっくり休んで体調を整えよう…
別年同日の日記
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11月5日、甥の結婚式に行ってまいりました。
以前も書いたけど、僕と年の離れた姉の子供で、僕の年齢がすごいわけではない。
いや、彼から見ての続き柄ではなく、一般的に「おじさん」の年齢であることは認めるけど。
僕の兄弟としては、まだ下に妹がいて、その子供が5歳…だったかな。
今回結婚した甥とその子は「従弟」にあたる。
ちなみに、甥の姉、つまり僕の姪にはすでに子供がいて、その子供が1歳半くらい。
(ちゃんと年齢聞いてないけど、とてもかわいかった!)
妹の子供と、姪の子供は互いに「従弟違い」の関係にあるらしい。
従弟の子、でも、親の従妹、でも、続き柄の呼び方が変わらない。
それくらい遠いと、もうどうでもよいということか。
#一応、従妹姪、従妹叔父、という言い方もあるらしいが。
さて、僕には兄弟が非常に多いから親戚の続き柄がややこしいことになるわけであるが、今回結婚した甥は、北海道に嫁いだ長姉の家族の中では、唯一関東に暮らしている。
なので、長姉家族の代表として(?)、正月の親族の集まりにも顔を出す。
折り目正しく、掃除が趣味で料理の腕前もなかなかという、好青年だ。
#先に書いた彼の姉と二人暮らしの時もあり、その際は彼が家事を行っていたそうだ。
そんな彼が結婚を考えたパートナーはどんな女性かな、と思ったら、人となりを聞くと、こちらもしっかりとして聡明そうな女性。
ゆっくり話をしたら面白そうだ、と思ったのだけど、もちろん結婚式の最中はそんな余裕はなく、正月の集まりに来るかと聞いたら「年末から年始に新婚旅行に行きます」とのこと。
まぁ、数年の内にはゆっくり話ができるだろう、と思う。
式は東京の高級ホテルで。
新婦が大学時代にこの近くでアルバイトをしていて、度々結婚式に遭遇して「いつか自分もあのホテルで」と考えていたそうだ。
ホテル内のチャペルで、友人一同も立ち合いで式を挙げ、その後ホテル内の別室で披露宴。
料理も素晴らしく、気配りも行き届いていて申し分なかった。
新婦は大学時代に音楽科で声楽を学んだそうで、友人一同が余興でコーラスをやったのが素晴らしかった。
何曲か歌ったのだけど、そのうち一つは椿姫の「乾杯の歌」を原語で。
なんか結婚式の歌だったよなー、というくらいの認識だったけど、僕の妻によれば本来は怪しげな(刹那的な快楽を求める)パーティーのシーンでの歌だそうで、結婚式で使うのはどうか、とのこと。
とはいえ、歌声自体は素晴らしかったし、多くの人が知る歌なので悪くない選曲だったと思う。
最後に、披露宴終了後に会場の外で新郎新婦から参列者に手渡しでお土産を…
というのは良くある演出なのだけど、甥のおじいさん(うちの血筋ではないほうの)が作っているお菓子を、とアナウンスがあり、新郎側の親戚席から拍手が出る。
新婦側の方はわかっておらず、キョトンとしているのだけど、おじいさんは北海道ではそこそこ有名なお菓子メーカーの社長なのでした。
姪の結婚式の時にももらってうれしかったんだよね。
まだ置いてありますが、近いうちに味わって食べようと思います。
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別年同日の日記
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十数年ぶりにセガサターンに通電した。
1年前に「遊びたいな」と思って探したら、本体は出てきたのだ。
でも、電源ケーブルとAVケーブルがなかった。
どうやら、11年前の引っ越しの際にケーブル類を別の場所に入れてしまったようだが、どこにあるのか全く分からない。
…で、2週間くらい前に、ネットでAVケーブルを買った。今更サターンのケーブルなんて激安だと知ったから。
電源ケーブルは、いわゆる「メガネケーブル」で、プレステとも共有できる。
そもそも1年前に「遊びたい」と思ったのは、コラムス 97 だったのだ。
本体が動かないから仕方なく、Win 上のエミュで動かしていた。
エミュでもそれなりに動いたのだけど、やっぱり実機は綺麗だと再確認。
コラムス97 は変な画面モードを使っているので、エミュだと見た目が汚くなってしまう。
#インターレースモードを使っているのだが、エミュではインターレースがうまく表現できず、シマシマの表示になってしまう。
今更だけど、2Dゲームでの表現力の高さはやっぱりすごい。
当時は NTSC の家庭用テレビで見ていたわけだけど、ハイビジョンテレビにつなぐと綺麗さが際立つ。
もちろんハイビジョンのグラフィックとは違うわけだけど、当時のゲームに多く見られた解像度は 320x240 。
でも、コラムス 97 やエジホンは 704x448 で作られている。
当時のテレビではこんな高解像度は表現できなかったのに、その画面モードを使うなんて馬鹿じゃないのか。
#当時でも、高解像度モードではやっぱり綺麗には見えたのだけど。
我が家の子供にはコラムス97は難しすぎてウケが悪かったのだけど、エジホンは大ウケ。
ゲームが「怖い」ので遊べない、小1の次女でも、間違い探しは横から参加できる。
ついには次女もコントローラーを手に取り、長女(小3)と一緒に仲良く遊んでおります。
#ちなみに、長女は四葉探しが得意。同じようなものの中から、わずかな違いを見つけ出す能力がある。
本気を出すと喧嘩になるので、見つけると次女に「答える権利」を譲ったりしながら遊んでいる。
点数にはこだわっていない。だって、エジホンの勝敗は最後の「賞金の奪い合い」で決まるのだから。
(最期の一発勝負は両者本気で、どっちが勝っても…モショ郎に持って行かれても…ゲラゲラ笑ってる)
ところで、唐突に我が家の子供の「ゲーム履歴」。
うちのゲーム機は、Wii / Playstation 3 の時代で止まっている。
なので、最初に遊んだゲーム機は Wii 。続いて、NintendoDS 。PSP も遊んだな。
ここらへんでゲームに興味を持ち、棚に置いてあったゲームソフトなどを見始める。
あまり興味を持つものは遊ばせる。GameCube のソフトなどは、Wii でも遊べるので比較的早くから遊んでいた。
そして、わざわざ古い機械を引っ張り出して、PS2 / PS1 のゲームも遊んだ。
最近になって、GameBoy Advance にも手を出している。
で、今回はセガサターン。
見事に、ゲームの歴史を遡って行っている。
メガドライブは持っているけど、ソフトがぷよぷよとバーチャレーシングしかない。
というのも、本体はサターン時代になってからの貰い物で、あまり遊んでないんだよね。
ファミコンは、本体だけ残っていてソフトがない。
先日結婚した甥っ子が小学生の時に、全部あげちゃったから。
(貸しただけだったような気がするのだけど、今更どうでもいいや)
今は品薄だけど、ファミコンクラシックミニが売っていたら買おうと思っている。
それで子供にも遊ばさせてやろう。
ちなみに、「それ以前」については、PS2 用のタイトーメモリーズとか、ナムコアーケードHITS! とかで遊んではいる。
PONG は遊んでいないけど、長男は SPACE WAR! はちょっとだけ遊んでいるし、迷路のネズミも動作を見てはいる。
なので、ファミコン~メガドライブ当たりのゲームを見れば、大体の歴史の流れは理解できるようになると思う。
#だからどうした、というわけではないのだけど。
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別年同日の日記
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今年は子供三人が共に小学生という、たった1度のチャンスの年越し。
まぁ、それがどうしたというわけでもないのだけど、子供たちの要望で「夜更かし許可」した。
いや、毎年のように夜更かし許可している気がするのだけど、結局眠くて寝てしまうのが常だった。
しかし、次女も小学校3年生になり、ちょっと物事がわかるようになってきた。
毎年紅白を見ていても「知らない歌ばかり」でつまらなかったのが、楽しんでみられるようになったようだ。
「除夜の鐘聞いてみたいから、12時まで頑張る!」と言いながら起きている。
半年くらい前から、小学校6年の長男には、小学校1年の次女と同じ時間に寝るのは「早すぎて寝られない」状態だった。
なので、皆と一緒に寝る必要はないことにしていた。
次女が寝るときは大抵僕がそばにいて、話をしながら寝る。長女はこの話に参加したくて一緒に寝ることもあったし、長男と一緒に本を読んでいることもあった。
徐々に生活時間が遅くなりつつあり、次女もそれに引きずられた。
長男が小学校1年の時には、8時半には寝るようにしていた。でも、最近次女が寝るのは9時過ぎだ。
そんなこともあり、多少夜更かしが大丈夫になった、というのもあっただろう。
10時ごろまでは紅白を見て楽しんでいた。
いつも途中で寝てしまうから、最後まで見てみたいそうだ。
でも、ついに次女が「つまらない」と言い出す。
まぁ、紅白はビデオを録っているし別のもの見てもいいよ、と許可すると、ゲームで遊ぼうと言い出す。
最近の子供たちのお気に入りは、マリオカートダブルダッシュ!。2003年のゲームだけど、楽しんでいる。
カートに2人乗っている設定で、複雑な操作を、2人で分担できるのが子供にも遊びやすいようだ。
長男と長女はなかなか息があっていて、自力でほぼすべてのコースで1位を取れるほどに攻略していた。
でも、最後の1コース…スペシャルカップの 150cc だけ、攻めあぐねていた。
僕も参加してプレイ。
と言っても、僕はほぼ「久しぶりプレイ」なので、すっかり下手になっている。
僕に期待しているわけではなく、通常のプレイでは難敵である「ドンキーコング」を、僕がプレイヤーキャラとして使用しただけ。
これで、ついに1位を取った。
…あたらしいコースが出現したけど、興奮した状態で 11時半を迎えた。
家の外に出てみると、近所で鳴っている除夜の鐘が聞こえる。
とりあえず、「除夜の鐘聞いてみたい」という願いは達成。
この後紅白にチャンネルを戻し、途中は飛ばしたけど「最後まで見てみたい」というのも達成。
「ゆく年くる年」を見て、家からかすかに聞こえる鐘の音ではなく、実際の除夜の鐘がどのようなものかも知ることができた。
ひとまず、あけましておめでとうと家族で言い合うが、本当はまだ明けてはいない。
「明ける」って、夜明けのことだからね。
#子供には先日その話をしたので、ちゃんと理解している。
夜更かしはしたが、みな夜明け直前に起きて、近所で一番初日の出が見やすい場所に行って拝んできた。
…いや、実は長男だけ「眠い」と言って留守番したのだけど。
おせち料理は、だて巻き、鶏ハム、栗きんとん、豚の角煮と、その汁で漬け込んだゆで卵、いくらのしょうゆ漬け、松前漬け、紅白かまぼこ、昆布巻き、黒豆、菊の酢の物。
菊の酢の物は妻が秋に仕込んだものだけど、それ以外は今年は全部僕が作ったので、少し寂しい。
というのも、年末に妻が自転車で転んでけがをしてしまい、右手が不自由だから。
自転車で前輪が穴にハマって縦に回転してしまい、鎖骨打撲で腱を痛めてしまったようで、右腕が自由に動かないのです。
指先は大丈夫なので、三角巾で腕を釣った状態で近所を歩いて、ポケモンGOは遊んでいます。
まぁ、家に閉じこもっていても気が滅入るので、散歩するのは良いことです。
#妻としては自転車に乗れないのが、行動範囲が狭くなってしまって面白くないらしい。
ちなみに、僕はポケGOはやってません。
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別年同日の日記
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例年、2日は長兄の家に親族一同が集まる。
ところが、今年は長兄の長女が体調を崩したそうで、中止になった。
病名ははっきり聞いてないけど、ノロとかインフルエンザとか、感染性のものが流行しているからね。
急遽2日が暇になった。
そこに加えて、元日の日記にも書いたが妻は腕を怪我していて自由に動かない。
だからゆっくり家で過ごすのが良いだろう…と思っていたら、自由が利かないからこそ家にいると鬱々するという。
じゃぁ出かけよう。
急遽の思い付きで、昼ごはんを食べてから家を出る。
しばらく前から「映画見に行きたい」と妻が行っていたので映画も考えたのだけど、見たい映画は近所ではやっていなかった。
よし、以前から長女と約束したきりになっているから、動物園に行こう。
金沢動物園は家から30分ほどの距離にある。
なのだけど、正月だから道も混んでいて、もう少しかかった。
久しぶりの金沢動物園だけど、ずいぶんと改修工事が行われたようだ。
以前から「無駄に長かった」散策路にショートカットが作られ、カンガルー舎にも人が入れるようになった。
一方で人気者だったウォンバット、ヒロシは永眠した。
国内での飼育最高齢記録だったようなので、堂々の大往生だろう。
いつもなら、我が家は博物館系の施設をゆっくりと楽しむ。
普通、どこの博物館や動物園でも、ざっと見るなら2時間程度で終わるように作られている。
でも、細かな説明まで読み始めるとその倍はかかる。いつもはそうやって楽しむんだ。
しかし、この日は午後から出かけたのでそれほど時間が無かった。
さらに、子供たちは動物園前の自然公園でも遊びたいと言っている。細かな説明はなしで、次々と見ながら回る。
まぁ、ところどころ見所は時間をかけて楽しんだかな。
2時ごろから入り、4時前に園をでた。
それから、自然公園で遊ぶ。とても長いローラースライダーがあるのだけど、この日はすでに夕方だし、人も少なかったのでそれほど並ばずに滑ることができる。
子供を見守りながら、周囲を見ると桜が咲いていた。初春。
この日記についている写真は、その桜。
30分ほど遊んだら、もう閉園時間。
駐車場は 5時には閉鎖なので、急いで出なくてはならない。
あわただしかったけど、子供としては十分に楽しかったようだ。
夕飯はスシロー。
長兄宅に集まると大抵寿司だから、正月には子供も寿司食べたいだろうと思ったのだけど、別にそうでもなかったみたい。
3日。今度は映画を見に行く。
妻が「この世界の片隅に」を見たがっている。
「君の名は」も見たいのだけど、多少SF含みで難しいそうなので、子供と見るなら「この世界~」のほうが良いだろうとの判断。
さて、僕が住んでいる大船は、映画の街として知られる。
でも、映画館は一軒もない。昔はあったのだけど。
大船松竹撮影所が「松竹シネマワールド」というテーマパークを作った際に、その中に映画館を作った。
松竹公式映画館ができたわけで、昔から街にあった小さな映画館はつぶれてしまった。
しかし、シネマワールドは酷い内容のテーマパークで、3年程で閉園。
その後松竹自体が大船から引っ越してしまい、「映画の街」大船には、映画館も撮影所も残っていない。
そんなわけで、映画を見ようと思ったら結構な遠出になってしまう。
「この世界に」は上映館が少ないことも相まって、片道1時間弱の ららぽーと横浜 まで出かける羽目になった。
朝からスマホで予約を入れ、15時半からの席を確保した。
15時半だから昼飯後に出ても間に合うかな、と思ったけど、折角行くのなら買い物したいと妻が言うので、早めに出る。
と言っても、ちょうど昼飯時に到着。
初売りセールの劇混みで、どこも満席。
ミスタードーナツが出店で100円セールをやっていたので、それを買ってベンチで食べる。
昼ごはんというより、おやつだな。後でちゃんと食べよう。
そして買い物。
東急ハンズに入って、長女が「いろんなもの売ってるね」と驚いている。
大人の駄菓子屋なんだよ、と説明する。
わくわくするものを、手ごろな額で売っている場所。必要ないものまでも、つい買ってしまう場所。
妻が欲しいものを探す間、子供は「ゲーム」のコーナーに張り付いていた。
館内案内を見ると、ジグソーパズル専門店があった。
長男が興味を示し、見てみたいという。
行ってみると、強い興味を示したのは長女。
お小遣いで買いたいと言い出したけど、ジグソーパズルなら僕が持っているのもあるので、まずはそれをやってみな、と落ち着かせる。
絵柄を気に入ってほしがっていたのは、1000ピースのもの。
でも、長女はせいぜい、50ピースくらいのジグソーしかやったことが無い。
翌日、僕の持っていたのを出してみたら、250ピースだった。これを描いている時点で苦戦中。
これくらいできてからでないと、1000ピースは無駄になってしまうからね。
2時ごろにフードコートに行って昼飯を食べ、それから映画館へ。
「この世界の片隅に」は、いい内容でした。ネタバレは良くないので詳細には語らない。
子供たちには、あらかじめ当時の歴史を伝えてあったけど、あえて多くを説明しない造りの映画だったため、ちょっと難しかった様子。
疑問点などは帰りの車の中で受け付けて、どんどん答えて置いた。
うちの父は、戦争中が重苦しいばかりの暗黒の時代のように言われるのを嫌がっていた。
戦争中だって、人は楽しければ笑うし、結婚だって出産だってある。
戦争体験というと人の死ぬ話ばかりが注目されるけど、そうした普段の生活も伝えていかなくては正しい認識にならない、と。
「この世界~」は、父が伝えたかったような内容を伝えてくれる映画なのだと思う。
うちの母は、戦争中に広島のはずれに疎開していたそうだ。
街からは山をいくつか隔てている。
父とは11歳差で、父は戦争に「行った」派だけど、母は終戦時にまだ8歳。
ドングリを拾って、水に晒してせんべいを作り、前線の兵士に送った話などを聞いた。
ある夜、街が燃えている、と騒ぎになって、大人に負ぶわれて山の上まで見に行ったのを覚えているという。
街の方向が、夜なのに真っ赤に照らされていて、子供心に怖かった思い出だけがあるそうだ。
ただ、その印象だけが強烈に残っていて、原爆だったのか、果たして本当に街が燃えていたのかはわからないという。
こんな話もしたところ、戦争が決して遠い昔の話ではなく、身近に経験者がいる話なのだと分かってくれたようだ。
別年同日の日記
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先週の週末、次女が熱を出した。
39度を越える高熱。インフルエンザを疑ったが、関節などは痛くないというし、結構元気。
そして、翌日には熱も下がってケロリとしている。
火曜日に、僕も発熱した。このときは 38度くらいまで。
翌日水曜日には 39.5度まで上がったのだけど、「次女と同じっぽいから、明日には下がるだろう」と楽観視した。
…しかし、そんなに甘くなかった。翌日木曜はずっと 38度台。さらに翌日金曜日朝、やっと下がって 37度弱。
夜には平熱に戻ったのだけど、今日土曜日もまだ体力的に回復しきれていない感じ。
この間に、長女も木曜日の朝に 38度越えの熱を出した。
でも、翌日朝には平熱に戻って元気に学校に行った。
なんだろう? 子どもなら軽く収まるのに、大人がかかると重症化するような風邪?
探してみたら、「インフルエンザC型」というのがあるそうだ。
インフルエンザではあるが、変異せず、1種類しかない。そのため、一度かかると生涯免疫を獲得する。
普通は5歳までにかかるらしく、感染してもすぐ治る。
しかし、大人になってからかかると重症化するらしい。
もしかしてこれか? …と思っていたら、妻も同じような症状が出た。
ちょっと熱が出て、すぐ治った。長女や次女と同じ反応。
大人になってからかかることは珍しい、というのに夫婦そろって大人が罹ったのだから、違うだろう。
そして、妻はすぐ治ったのだから、大人が重症化、ということでもなさそうだ。
単に僕が体力が無くて、それほど強力ではない風邪に負けたというだけの話だと思う。
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別年同日の日記
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長男が、学校の課題で「自分の人生をまとめる」ということをやっている。
もちろん小学6年生の過ごした「人生」なんて短いのだけど、今後のことは想像してある程度大人になるまで作るらしい。
つまりは、もうすぐ中学生になる子供に対して、将来について考えるきっかけを与えるのが狙いなんだな。
で、長男から「インタビュー」された。
今、長男が興味を持っているのは、テレビゲームで遊ぶことと、Scratch でゲームを作ること。
将来の職業を「ゲームプログラマー」にしたいのだけど、どんな仕事か実感がわかないらしい。
僕は実際にゲームプログラマーだったので、仕事がどういうものか教えてほしい、とのことだった。
ある程度は教えたのだけど、雰囲気とかは簡単に伝えられるものではない。
そこで、アニメ「NEW GAME!」を見せてみることにした。
放映されたのは半年ほど前だね。原作は読んだことないから知らない。
僕自身は、Amazon Prime Video で無料で見れたので、3か月くらい前に見た。
大人向けの深夜アニメなので、子供向けでない表現もある。
と言っても、女性のパンツ姿が出てきたり、その程度。まぁ、見せてもいいだろう。
流行したアニメだからこそ、いろいろと批判している人もいる。
でも、「基本的に男性がいない世界」であることを除けば、ゲーム会社のお仕事としては大体あってる、という認識。
(多少時間の流れに疑問はあるけれど、些細なこと)
人物描写とか、極端な人物が多いのだけど、いちいち会社に実際にいた人の名前が思い浮かぶ感じ。
だからこれも「ゲーム会社にいる人としては、大体あっている」という認識。
机の下で寝袋で寝てる人はいたし、机がおもちゃだらけの人もいた。
天才肌で、自分と同じようにできない人を見下す態度の人もいた。
僕が知っているのは全部プログラマーだけども。
長男の宿題の都合もあって、12話を1週間で見なくてはならなかった。
で、わからないと質問された部分とか、ここはゲーム関連の仕事として掘り下げて説明したほうがいいな、と思った部分とか、1話見終わるごとに説明を加えた。
長男の課題では、将来の職業を漠然と書くのではなく、それがどういった仕事なのかも細かく掘り下げないといけないらしい。
ゲーム会社の仕事の内容を大体理解した長男は、そうしたことを説明したうえで、自分はプログラマーになりたいと作文した。
そしたら、先生から「プログラマーの仕事」についてもう少し掘り下げるように、という指摘が入った。
それで、長男にまたインタビューされる。プログラマーの仕事を一言で表すと、どういうこと?
「コンピューターに作業の手順を教える仕事、かな」
…と答えたのだけど、しばらく後に、この答えは間違えていると思ったので、訂正した。
コンピューターに作業の手順を教えるのは、プログラマーではなく、コーダーの仕事だ。
「コンピューターの作業手順を考える仕事」
これがプログラマーの仕事。「教える」のではなく「考える」ことが大切。
そして、プログラマーが考えた作業手順を、コンピューターに教えるのがコーダーの仕事。
だけど、これは非常に古い仕事の区分で、現在ではコーダーの仕事もプログラマーの仕事の一部になっている。
「教える」のか「考える」のか。この違いは、プログラマーとして非常に大切だ。
そして、この違いを理解できないといろいろな勘違いが起きる。
数年後、日本ではプログラム教育が必修化される。
ここでの目的は、子供たちに「考える」力を養わさせることだ。
しかし、プログラムを「教える」ことだと思っている人たちが、勘違いしている発言を度々見かける。
Cか Python か Scratch か、なんてどうでもいい。それはコーダーの技術だ。
学校で教えたいのは、処理手順を「考える」ことで、それこそがプログラムの本質だ。
先日「コピペプログラマー」の話を書いた。
こちらは、プログラマーだと呼ばれてしまうから違和感があるだけで、コーダーだと思えば何の問題もない。
処理を考えることはできないけど、教える技術はちゃんと持っている。
だから、どこかにあるコード断片を拾ってきて、正しく改造して、目的通りのものを作り上げられる。
「考える」ことは出来なくても「教える」ことができるのだから、コーダーと考えればしっくりくる。
長男からは、ゲームプログラマーをしていて、何が一番うれしかったか、という質問ももらった。
「笑顔が見たい」からゲームを作っていた、と答えた。
どんな仕事でも、最終的にはお客さんの笑顔を見たくてやっているのではないかな。
でも、これ実は微妙な話だ。
大学の頃は、大学祭にゲームを出品して、お客さんの反応を見ることができた。
それがうれしくて仕事にしたのだけど、仕事だとお客さんから直接の反応をもらうことは難しくなった。
それでも、ゲームセンターで自分が作ったゲームを遠巻きに観察していたり、ゲーム雑誌の読者投稿で自分の作ったゲームのことを触れてくれる人がいたりすると嬉しかった。
今だって、ネットで昔作ったゲームのことが書かれているのを見つけると、嬉しくなる。
それがたとえ悪口でも構わない。本当に嫌いなら、わざわざ労力を割いて話題にしないだろうから。
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別年同日の日記
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家の10年目メンテナンスの話の続き。
前回「1か月くらいの予定」と書いたのだけど、メンテナンスするうちに木部が傷んでいるのが見つかって取り換えたり、予想以上の出費になっている。
そもそも非常に高かったので、木部塗装は自分でやることにした。
10年ごとのメンテナンスでしか塗らない…という家も多いらしいのだけど、一応2~3年おきには自分で塗っていたし。
#メーカー推奨は1~2年での塗り替えなのだけど。
すでにほぼ工事が終わったのだけど、足場をばらすのは少し延長してもらっている。
その間に、普段塗りにくいところでも塗装しなくては。
我が家にはパーゴラ(いわゆる藤棚)があって、藤の枝が這っている。
園芸好きの妻が管理していて、普段の塗装も妻任せだ。
でも、足場があるときくらい僕がやろう…と言ってみたのはいいが、足場はあくまでも壁を塗る職人さんのためのもの。
パーゴラを塗るには、足場からパーゴラに降りる必要があった。
降りた足場などを手で持ち、体を支えることはできる。
でも、パーゴラの細い枠を踏み外せば落ちる。枠の感覚でしか足を広げられず、それすらも伸びた藤の枝に制約される。
態勢を維持しているだけで、普段使っていない筋肉を使うのがよくわかる。
その体制の中で、すべての木部を塗っていくのが非常に難しい。
筋肉痛…とまではいかないが、今日は体中の筋肉がだるい。
いつも妻がよくこれをやっているな、と感心する。感謝せねば。
#僕はパソコンオタク一直線の青春時代を過ごしていたが、妻はスポーツ少女で身体能力が高い。
大工仕事なども得意だし、園芸知識もあるし、我が家の外構に関しては完全に妻の才に負っている。
ペンキを塗っていると、いつも「空手が強くなってしまう」などと思う。
ベストキッドの中に、そういうエピソードがあるのよ。
「空手を学びたい」という主人公に対して、老師が家の雑用を命じる。
その雑用の対価として教えてもらえるのかと思ったら、来る日も来る日も雑用ばかり。
でも、実は「ペンキ塗り」などの動きこそが空手の型を習得するための訓練で、何も教わっていないのに型は身についていた、という話。
妻に言ったら「端的に行って、頭悪い」と言われました。
もちろん本気で思っているわけじゃないけれど。
子供が保育園に行っていたころは、子供が遊んでいてもすぐに親を頼るので、木部塗装をやろうと思ってもなかなか時間が取れなかった。
しかし、今は子供同士で遊んでいてくれる。
今後はもう少し頻繁にメンテナンスができるといいなぁ、と思う。
#木部の傷んでいた部分は、塗装がおろそかになっていたからではなく、一日中日が当たらない部分だったためです。
修繕した際には、単に元に戻すのではなく、「雨が降っても乾きやすいように」など工法を工夫してくださったので、今後は大丈夫…と思いたいです。
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小6の長男は、ここのところ卒業準備で忙しいらしい。
週末になっても「なんか疲れたー」と言っているので、体を休めようと外出は控えていた
でも先日、「最近どこも行ってないから、山歩きとかしたいなー」とポツリ。
で、先週末の金曜日の夕食時、「そろそろやること全部終わって楽になってきた」と言っていたので、急遽どこかに行こうと考えた。
でも、本当に急なので、長男の希望していたような「山歩き」とかは計画する時間が無い。
話は変わるが、「南鎌倉高校女子自転車部」というテレビアニメがある。
深夜帯で現在放映中だけど、鎌倉の名所がいろいろ出てくるので家族で是非見てください、と鎌倉市長も宣伝していた。
折角なので録画して子供と見ているのだけど、先日江の島の灯台(シーキャンドル)が出ていた。
次女が、「友達がここ行ったけど怖かったって」と言う。
いや、次女も行ったことあるのだけど、まだ1歳だったから覚えてないね、というと、長女も覚えておらず、長男も記憶がおぼろげなようだ。
「行ってみたい」とリクエストが出ていた。
この二つの話があわさり、江の島に行こう、ということになった。
江の島は何度も行っているのだけど、一番裏手にある「岩屋」にはまだ行ったことがない。
江の島って楽しいところで、朝から行っても楽しんでいると途中で日が暮れてしまうのよ。
最深部までなかなかたどり着けない。
まぁ、そんなことは江の島側でもわかっているので、江の島にわたる橋のところから船も出ている。
大人 400円、子供 200円で岩屋まで連れて行ってくれる。
ただし、風が強い日は欠航。
以前、岩屋に行こうと思ったのだけど欠航で断念したことがある。
11日土曜日は風も凪いでいた。
(朝のラジオ番組では、サーフィンには今日は向かない、と言っていた)
10時に家を出て、大船駅からモノレール。
モノレール駅から江の島までは歩き…なのだけど、途中道端で「エイのから揚げ」を売っていた。
妻が食べたいというので買おうとすると、長女はアジの串焼きに興味を示す。両方買う。
特に凝った料理ではないが、朝採れの魚を使っているというだけで旨い。
船に乗り、江の島についたのは11時半ごろ。
裏手に行ったらすぐ岩屋があるのかと思ったら、そんなことはなくて岩場をしばらく歩く。
ちゃんと岩場の中にコンクリートで道が作ってあるのだけど、子供たちは潮だまりが気になって道を逸れる。
いや、これうちだけではないし、子供だけではない。
多くの大人が周囲を楽しんでいるし、潮だまりをのぞき込んでいる。
ただの潮だまりに過ぎないけど、浅いのも深いのもあり、海藻が生えていたり藤壺がびっしりだったり、非常に表情豊かで楽しいんだ。
岩場と海の間には、海にわずかに繋がっているのだけど、プールになっているような場所がある。
ここの波の動きがまた面白い。うねる波の周期が少しずれ、つながっている水なのに、水面の高さが違うんだ。
#わかる人向けに書けば、わずかしか繋がっていないことで微分回路が形成され、波が 1/4 周期ずれている。
楽しみながら進み、岩屋につく。ここは別料金なのだけど、今日は子供無料だという。(大人は 500円)
全く気付いていなかったのだけど、この土日は「江の島春まつり」というイベントをやっていたらしい。
そういえば、岩屋の入り口前で、大声測定大会やっていた。
これも祭りの一環だったらしいのだけど、91ホンだった。それまでの最高記録は 92ホン。
わずかに届かなかったのが悔しい。
初めてみた岩屋は、なかなか興味深いものだった。
波の浸食により作られた、奥深い洞窟。
昔から江の島は島全体が神社になっていて、江戸頃には観光地として栄えている。
でも、その起源は、この岩屋が 552 年に発見されたことに遡るらしい。
江の島ってそもそも特殊な地形で、今は橋がかけられていていつでも行けるのだけど、昔は年に2回だけ、大潮で海が大きく引いた時だけ歩いて渡れた。
そんな島に自然にできた非常に深い洞窟があれば、なにか神秘的なものを感じるのもわかる気がする。
岩屋は宗教遺構で、中には石仏などが並んでいる。
それほど出来は良くない。だからこそ、仏師などが彫ったのではなく、修行の一環として修行僧が掘ったのだろうとわかる。
江の島は富士山麓の氷穴や風穴に繋がっている…という言い伝えがある。
まぁ、これは眉唾だと思うのだけど、富士山がよく見える江の島近辺で地底に続く深い穴を見たら、富士山周辺にも深い穴が多いことを知っている人にとっては不思議に思えたのではないかと思う。
関東大震災の際には、富士山が噴火した、江の島が沈んだ、というデマも信じられた。
これも、こうした「繋がっている」と信じられた話と無関係ではないだろう。
#注釈:
この日記を書くにあたって調べたら、伝承によれば、552年に地中から急に島が出てきたことになっている。
でも、縄文時代の遺跡が見つかったりもしているので、これは事実ではない。
また、1215年の地震で江の島に歩いて渡れるようになった、という記録もあるが、おそらくは地震による隆起で、「大潮でもないのに」歩いて渡れる状態になったのだろう。
地形的に、年に2回歩いて渡れる、というのはそれ以前からあったはず。
(典型的なトンボロなので、隆起による一時的な状況変化はともかく、大潮の日に歩ける、という状態は安定している)
現在は第2岩屋、というものもある。
いや、たくさんの洞穴が、鉄格子をはめて閉鎖されているのが見えるから、本来「第2」どころではなくたくさんあったのだろう。
でも、昔落石事故があり、危険だから全部閉鎖されたらしい。
その後、第1、第2と名付けられた2つの岩屋だけ、整備して再開。
…で、この第2岩屋は、宗教的な聖域と感じられた第1とは大きく変わって、俗っぽい。
大きな龍神の置物があり、ライトアップされている。
伝説…この龍神の「いわれ」を書いた説明もあるのだが、今の腰越は昔「子死越」と書かれ、荒ぶる龍に子供の生贄をささげた場所だったのだけど、江の島の弁天様それを沈めた、とか。
この伝説、少なくとも 1777 年にはあったようです。この伝説をモチーフにした筝曲が作られているそうなので。
でも、観光地化してから適当に作られた伝説のように思います。
小夜の中山 夜泣石と同じようなテイストを感じるから。
で、ご本尊(?)のライトアップされた龍神像ですが、前で手を叩くと、後光(背後の岩壁へのフラッシュ光)が出ます。
2回たたいて2回光れば恋愛成就の可能性が非常に高いそうです。
霊験あらたかな音感センサー、すごいな。
岩屋を出たときにはもう1時近く。
どこかで昼ごはん食べよう、というのですが、子供は潮だまりで遊びたがります。
潮だまり付近はトンビがたくさんいるので、そこでお弁当広げるわけにもいかない。
じゃぁ遊び終わってからどこかで食べよう…とおもったら、次女が早速水に片足突っ込みます。
裸足にさせて靴を乾かしながら「落ちないように気を付けて」と長男長女にもいうのですが、言ってるそばから長男も落ちる。
これを見て、長女は落ちる前に裸足になりました。
万が一落ちても靴をぬらさないように。(長女は結局落ちることはありませんでした)
30分ほど遊んで…というか、少しでも靴を乾かそうと努力しましたが「無理」と悟ったので、子供たちに次に行こうと呼びかけます。
ここにきて「おなかすいたー」の大合唱だけど、ここで食べることはできないので、食べられそうなところを探しつつ先へ進みます。
結局、奥津宮近辺でお弁当を広げます。
このあたりも、来たことのなかったところ。
小さな神社がたくさん並んでいます。
江の島神社は江戸から昭和初期にかけてとても人気のあった神社なのですが、そもそも神社って江戸時代の遊園地、みんなが行きたがる人気スポットだからね。
江の島は島が丸ごと神社であると同時に、そこに小さな神社をたくさん立てて、ここ1カ所に来るだけでたくさんの神様にお参りできるようになっていました。
江戸から手ごろな距離だし、人気が出ないわけがない。
奥津の宮にある手水鉢も、江戸時代に寄進されたものだそうです。
そのころすでに人気があって、そこに自分の名を残そうとした人がいる、ということ。
手水鉢の上には亀の像が載っているのですが、これは昭和54年に寄進されたもの。結構新しい。
昔の大きな神社が皆そうであるように、寄進されたものがたくさんあります。
信心深い、というのはある意味その通りなのですが、必ず寄進者の名前が記されるので、そちらが目当ての人もいたでしょうね。
お腹も満たされたところで、灯台に向かいます。
…が、その前に貝広物産によります。
「世界の貝の博物館」って昔からやっていて有名な所。
…なのですが、少し規模縮小したみたい。
以前、子供とビーチコーミングをしたことがありました。
それ以来、長女と次女が貝殻を集めているのです。
図鑑も買いましたし、科学館で貝の専門家の講演を聞いたりもしました。
で、喜ぶだろうと思ったら、売っている綺麗な貝を見て「買いたい」と言い出しました。
自分のお小遣いの範囲で…ということでOKを出すと、真剣に悩んでいる。
次女は、桜貝とタツノオトシゴ、サンゴを飾った小さなセットの箱。400円。
…これ、この店のオリジナルですか? と聞いたら、オリジナルだそうです。
うちの姉が持っていた覚えがあるので、この店で買ったんだろうな。
長女は奮発して、ヒオウギ貝の3色セット。1300円。
お小遣いは足りているけど、千円を超えるような買い物は初めてで、すごくドキドキしている。
ヒオウギ貝は南洋の貝で、見た目はホタテに似ていますが、非常にきれいな色の貝殻を作ります。
ただ、生育過程でいろんな色が出るので、まだらになってしまったりするのが普通。
綺麗な単色の貝殻はそれだけで価値がありますが、その色違いの3色セット、というのは高いのも道理。
店の中に瓶サイダーを売っていました。綺麗な黄色。
「江の島サイダー GOLD」とラベルに書いてあります。
長男がこれを見つけ、興味を持った。
そしたら、店主のおじさんが「興味あるなら、直接買ってあげれば喜ぶよ」と。
ラベルに「江の島さんぽちゃん」というかわいいキャラクターが書かれていたのですが、店の前にそのコスプレをした女性がいました。
…いや、女性の格好が「オリジナル」で、それをかわいく描いたのがラベル、なのだそうです。
店の前を借りて、グッズ販売などしているのでした。
じゃぁ、サイダーを買い、折角なので子供と写真撮影させてもらいます。
綺麗な黄色をしているのは、「湘南ゴールド」という柑橘の果汁が入っているから。
最近ではよく耳にするようになった品種なのですが、まだ無名だったころに実物を食べたことがあります。
(農業試験場でもある、「ソレイユの丘」で売っていて、試食を食べたらすごくおいしかったので購入)
で、サイダーの方の味は、特に湘南ゴールドらしさは感じませんでした。
果汁は 3% だけだからね。
サムエル・コッキング苑に入る。ここも子供無料。ただし、灯台は有料。
3時過ぎだったのでベンチで持参したおやつなど食べつつ、シーキャンドル(灯台)に向かいます。
友達に「怖い」と聞いていた次女は、ちょっと不安がってる。
でも、上に登ったらガラス張りで、別にそれほど怖くはない、とわかったみたい。
この灯台、建て替え前は怖かったんですよ。
錆びかけた鉄塔で、床は木の板を敷き詰めて作ってあるのだけど、古いから木がやせて隙間が空き、ところどころ真下が見えるの…
いや、その怖さは遊園地とかの「安全の保障された怖さ」ではありませんでした。
で、今の灯台ですが、内部2層構造です。
下層はガラス張りで怖くないけど、上層に上ると、周囲は柵だけ。見晴らしもいい。
この日は風がないからそれほど怖くありませんでしたが、風が強いときは閉鎖されています。
見終わったら「階段で降りてみたい」と子供たちが言うので、挑戦してみます。
こちらは僕も初めて。大きならせん階段ですが、柵の外は下まで吹き抜けで、ポケットとかのもの落したら大変だな、と思うとちょっと怖いです。
まぁ、難なく下まで降りられましたけど。
サムエル・コッキング苑を出ると、前の広場で大道芸やってました。
時間はもう4時半近く。この日最後の人で、すでに終盤でした。
大道芸は好きなので見たかったけど、今日は岩屋と灯台を見る目的で来たので、仕方がない。
大道芸は好きでよく見るのだけど、好きだからこそ、「芸」のバリエーションがある程度限られてしまうことも知っています。
どこかで見たことのある芸が中心で、先の展開もわかります。
ただ、だから面白くない、ということではないのね。
落語みたいなもので、同じことをやっていても、面白くて周囲を引き込む人もいれば、一人で空回りする人もいる。
見ていた人は、上手く周囲を引き込んでいました。すごく面白かった。
知っている芸とは言っても、それが非常に難しいことはよくわかるしね。
(少なくとも僕にはできないわけで)
終わってからおひねり出しましたけど、さすがに「畳んで」はいけなかった。
最初から見ていたら、それくらい出しても良かったけど。
子供がみんな持って行きたがったので、 50円x3 、それと僕から 500円です。
江の島を橋の方向に降りつつ、いつもなら最初にお参りする神社群をめぐります。
神社もいっぱいあるけど、石碑だけとか、小さな祠だけのものもいっぱいあるのね。
節操がない、ともいえますが、やっぱり遊園地としてはよくできているなぁ、と思います。
その上、ご本尊の弁天様は裸です。大事なところはちゃんと琵琶で隠しているのだけど、江戸時代ならこの弁天像目当てで来る人だってたくさんいたでしょうね。
たしかこのあたりだと思うのだけど、水琴窟がありました。
水琴窟、好きなんだよね。
手水鉢の水で手を洗うと、その水がしたたり落ちる音が地面の下の共鳴装置で響いて、かすかに美しい音を立てる…というしくみです。
これがね、近づくと龍の形の吐水口から水が出始める。
思わず立ち止まって周囲を見回してしましました。
近づくと水が出始める水琴窟。
さすがは神様のいるところ。不思議一杯のワンダーランドです。
霊験あらたかな音感センサーに引き続き、霊験あらたかな赤外線センサー。
ここにきて、「神社は江戸時代の遊園地」だった、という考えが改まります。
今でも遊園地です。神社は聖域なんかではなく、突っ込み入れながら楽しむところ。
すごーい! たーのしー!
銭洗いの池なんてのもありました。
中央に、非常にきれいな…真新しい感じの竜の像が立っている。
ここの水でお金を洗うといいことがあるそうです。
…銭洗い弁天だよね。まぁ、同じ弁天様だけど。
茅の輪くぐりがありました。
本当は作法があるはずなのだけど、ただくぐればいいことになっている。
そもそも、茅(ちがや)が6月に取れるのでその季節にやるものなのに、今の季節に置いてある。
たぶん1年じゅう置いてあるのだろうね。茅が入手できないから、緑のビニールロープで編んであるし。
くぐることで穢れを落とせる、霊験あらたかなビニールロープです。
福石、という謎の石碑があるので、説明を読んだところ、鍼灸の技法のひとつである管針を考案した人が、ここで躓いた石だという。
転んで気絶して、夢の中で見たことがヒントになって管針を考案した、とか。
気絶するほどの転倒をした石って、福なのかな。
そもそも、石碑はあってもどれがその「躓いた」石だか判らない。
こういうの、全部ひっくるめて、すごーい、って言っていると楽しめます。
#dis っているのではない。
有名な神社だからとお高くとまらず、ウケるなら何でも取り入れてきた、数百年の歴史を見るのが本当に楽しかった。
#注釈:
歩いていた時は銭洗いの池に突っ込みを入れたのだけど、こちらはこちらで由緒あるものでした。
もともと岩屋洞窟内の湧水で銭を洗う、という習慣があったのだけど、岩屋が閉鎖された時期に移転したのだとか。
もっとも、岩屋内で銭を洗う、ということ自体が、銭洗い弁天の模倣にも思えます。
銭洗い弁天は 1185が縁起で、その時点から「銭洗い」と関連がある。
一方、江の島は縁起こそ古いものの、観光地化したのは江戸後期。
岩屋はもともと修行の場で、銭を洗う、というような俗な行為は観光地化後と考えられます。
あとはお土産に干物とか買いつつ、江の島を後にします。
もう日没直後ですが、「貝拾いたい」と長女が言うので、周囲が暗くなるまで砂浜で貝を拾います。
さっき桜貝買ったけど、大量に落ちていたよ。
でも、僕が子供の頃に比べて、桜貝を見かけなくなったのは事実なんだよね。
(これは、講演会を聞いた貝の専門家のデータ裏付けもあります)
環境破壊…かどうかはともかく、生育状況が変わっているのは事実のようで。
別年同日の日記
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今日、長男が小学校を卒業した。
もう、感傷にふけるだけの日記なので、人が読んで面白いものではないよ、と最初に断っておきます。
また4月になったら、長男はいつもと同じように学校に通い、ただその先が中学になるだけ。
卒業したから何が変わるというわけではないのだけど、やっぱり一つの区切りではあるわけだ。
平日だから仕事はあったのだけど、午前中だけ休みをもらって式に出席してきた。
長女・次女は今日は自宅学習なので、初めてのお留守番。
(長男と一緒に留守番したことはあるのだけど)
1年生の時、泣いて帰ってきたこともある。
誰かと喧嘩でもしたのかと思ったら、保育園と違う環境で緊張していて、学校がえりにふと気が緩んだら涙が出てきた、というだけだった。
そんな長男も、今では頼もしいお兄ちゃんになった。
6年間というのは子供が成長するのに十分な時間で、その分自分も老けているのだろうと思う。まだ若いつもりだけど。
#このページで PDP-11 とかの話をよく出しているけど、使ったことないよ。
ファミコン世代ではあるけど。
僕らの頃と違い、今は子供が少ないので、式にも時間の余裕がある。
だから、卒業証書を受け取る前に、1人づつ想いを言葉にする時間がある。
卒業に際し、楽しかった学校生活の思い出を言う子がいる。
育ててくれた親、周囲の大人に感謝を述べる子がいる。
中学に行ったら部活に励む! と頑張りを魅せる子がいる。
遠い将来の夢を語る子がいる。
小学校には、長男が保育園の頃に一緒に通っていた子たちが大勢いる。
僕は子供の送り迎えをしていたので、オムツをしていたころから知っている子たち。
その子たちが、それぞれ全く知らない夢を語るのは、成長を感じた。
サッカー選手、バスケ選手、医者、管理栄養士、ゲームプログラマー…
テニスのコーチとか、宮大工とかとかもいたな。
テニスコーチ、と言ったのは、低学年の頃はゲームが好きでうちの長男と気が合っていたけど、その後サッカー少年になって疎遠になった子。
でも、夢はサッカー選手ではなく、テニス選手でもなく、コーチなんだ。
1年見ないと子供の興味はどんどん変わる。
「コーチ」という変化球だって、彼なりにいろいろ考えて出てきた、今の夢なのだろう。
みんながみんな、夢をかなえられるわけではないだろう。
挫折もあるし、もっと楽しいことを見つけて、夢が変わることだってある。
今の夢とは違う職業に就くかもしれない。もしかしたら、それは意にそぐわない結果かもしれない。
だとしても、常に自分に胸を張って、目の前の仕事を楽しめる、そんな強さを身に着けてくれるといいと思う。
式の後、先生と一緒に記念撮影したり、友達とふざけたりしていた長男、急にこっちに戻ってきて
「おなかすいたから帰ろう!」と元気に言った。
友達と別れを惜しんだりしないのかな、と思ったら、「ほとんど全員同じ中学だから、べつに」とのこと。
まぁ、違う中学に行ったとしても、近所に住んでいるのだから会えないわけでもないしね。
別年同日の日記
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