2013年11月06日の日記です


ジェリー・ヤンの誕生日(1968)  2013-11-06 10:44:59  コンピュータ 今日は何の日

今日はジェリー・ヤンの誕生日(1968)。


世界初の「検索サイト」である、Yahoo! の創業者の一人ですね。

当時はWEBページは「自分の研究などを発表する場」であり、個々人の作ったページはそれなりにありました。


しかし、それらを「探す」方法は誰も提供しておらず、ページを見つけるのには、参考文献としてのリンクや、友達の書いたページの紹介リンクなどを辿っていくしかありませんでした。


ジェリーは、これらのページを「検索する」ための専門サイトがあれば便利なんじゃないか、と最初に考え付いた人物。



米国では Yahoo! は1995年3月に設立。

もっとも、会社設立前から趣味としてのサービスは行っていて、「事業化」するための会社設立でした。


日本での Yahoo! 設立は1996年1月。サービス開始は4月でした。


僕は日本のサービスしか知りませんが、検索に関しては初期のころは日本は米国 Yahoo! と同じ方法をとっていました。

最初にその話をしましょう。




この時代の Yahoo! は、「面白そうなページをひたすら見つけて登録する」という、人力に頼った企業でした。

WEBサーファーと呼ばれる社員を雇い、彼らが面白いページを見つけ、カテゴリーごとに登録していくのです。


僕が WEBページ作成を始めたのは 1996年。

日本の Yahoo! は始まったばかりで、実はそれほど魅力のあるサービスではありませんでした。


とにかく、登録数が少ないのね。厳選しているから内容は良いのだけど、とにかく少しでも情報が欲しい、と言うときには使い物にならなかった。


だいたい、基本的には「検索語句で探す」のではなく、ディレクトリサーチでした。

興味分野を選択肢から絞り込んでいくと、ある程度絞り込めたところで WEB ページのリストが出てくる。

さらに、特におすすめなページには「Cool」というアイコンがつけられていました。


…ディレクトリサーチ、自体がすでに死語ですね。


ここで、当時の Yahoo! のパロディ(?)として作られ、現在でも運用されている Baboo! を紹介しましょう。

MSX コンピューター専門のディレクトリサーチです。


トップページに、大きなカテゴリが並びます。たとえばここで、「アート」カテゴリの「エッセイ」を選ぶと、多くの WEB ページが並んでいます。

一番上(執筆時確認)に「あきよし@wizforestさんのOld Good COMPUTER」とあります。これ、僕のページですね。


まぁ、こんな感じ。Yahoo! はカテゴリが多く、階層も深かったので探すのはもう少し大変だったように思います。



WEB を雑誌と捉え、暇つぶしの読み物を探している人にはこれで良かったと思います。

登録されているのは面白いページばかりだったから、どれをとっても読みごたえがありました。


実際、当時の Yahoo! は毎週のように「特集」ページを作っていて、なんらかのテーマでまとめた、おすすめページ10選、みたいなのを取り上げていました。




当時、日本ではすでに Yahoo! 以外にもいくつかの検索エンジンがありました。


個人で行っていたものも多いのですが、Yahoo! とは別の観点で選択されていたり、自動化(!)によって膨大な情報を収集していたり、検索エンジンごとに特色があり、使い分けるのが普通でした。


Yahoo! のようなディレクトリサーチでは、先にあげた Baboo! のほかに Yahho! とか YAPPO とか CSJ インデックスとか、いろいろありました。

とくに J.O.Y. は老舗だったので情報が多く、当初は Yahoo! よりも信頼していたような覚えが。

(あっというまに Yahoo! の情報量が上回るようになるんですけどね)


それ以上に、初期のインターネットで誰もがお世話になったと思われるのが、「千里眼」でした。

これはなんと、当時珍しいロボットサーチ!


早稲田大学で研究の一環として作られたもので、当時はWEB に書かれた文章内容から検索できる、「全文検索」が最新技術で、驚きました。


後に Infoseek とか goo とか(共に 1997年)がサービスを開始して、ロボットサーチは一般的になっていきます。


でも、この頃になると Yahoo! の情報量もそれなりに上がっていて、必ずしもロボットサーチが優位ではなかった。


全文検索には大きな弱点があって、とにかく検索語句が含まれているページを表示してしまうのね。

特に、全文の文章量に対して、検索語句の数が「十分な割合」含まれていると、表示が上位に来ました。


…この頃に、僕引越ししたんですよ。引っ越しについて調べようと思った。

「引っ越し」って検索すると、WEB ページ URL 移転のお知らせばかり出てくるんですね。

どのページも、「引っ越しました」とだけ書いてあるから、語句の割合が非常に高いんです。


こんな有様ですから、ロボットは情報量が多いのだけど検索精度が低く、人が登録するタイプは情報が少ないのだけど確実に有意義なページを見つけられる、と言う感じでした。




当時の Yahoo! には恨みがあります。

というか、もう完全に水に流しているからいいんですけど、僕のページを「特集」ページでリンクしてくれたのね。


まぁ、それはありがたいことなんです。当時は Yahoo! の特集ページで紹介されるなんて夢のような話で、そういうページを作りたい、と思うページ作者も多数いたでしょう。


でも、事前の断りなしに、複数あるページの中の「該当ページだけ」をリンクされたのね。

リンクするなら、上位のページを紹介してほしかった。周辺話題も読まないと、内容が理解できないようなページだったから。


一応、Yahoo! 側としてはリンク前の断りは「したつもり」だったようです。

ページ公開1時間くらい前にメールが来てました。


でも、当時はメールなんて1日に1回読めば十分、というもの。1週間に1度、なんて人だってざらにいた。


で、急にページへの流入量が増え、WEBページに付けていた掲示板が荒らされます。

当時は有名ページには、ひたすら自分のページの宣伝を書く人が沢山いたの。


慌てて掲示板を閉鎖しました。


今、自分のページの掲示板が1行しか書けないのは、この時に懲りたからです。

長い文章入れられなければ荒らされないだろう、ってね。


#それでもがんばって長文入れる人がいて驚きます。

 荒しじゃない内容はそのままにしているけどね。




ロボット検索と登録型ディレクトリサーチと、どちらが良いか…と言うような論争も当時はありました。


Yahoo! も、ディレクトリを中心としながら、goo と提携してロボットサーチも行えるようにしたりしていましたね。


その後、Google がサービスを開始します。

日本では 2000年にサービスを開始しましたが、じつは 1999 年ごろにはすでにアメリカのサイトが話題になっていました。


アメリカのサイトでも、日本語で検索すると、ちゃんと結果を返せたのですね。

しかも、日本語用に作られたロボット検索エンジンよりも良い結果を返しました。


その時は日本語に特化してないのに何でこんなことができるのだろう? と不思議だったのですが、後で Google の方式は言語に左右されないアイディアだと知ります。


すでに有名すぎるので詳細説明はしませんが、これまでのロボットサーチが「全文検索の際の語句の割合」をもとに順位を決めていたのに対し、google は「多くのページからリンクされているページは、きっと良いページである」という指標を取り入れています。


言われれば当たり前なのですが、誰も気づかなかったアイディアです。

というのも、当時の「全文検索」は、文章整理に使用された技術の応用で、リンク構造は無視していたから。


全文検索すらも最先端だった時代に、その上に立つアイディアを思いつき、プログラムしてしまった技術力に舌を巻きました。




…ジェリー・ヤンの誕生日なのに、すっかり違う話だな。


えーと、ずっと日本の話を書いていましたが、アメリカでも Yahoo! を取り巻く環境はだいたい同じ。


ジェリーは、会社を設立しましたが社長は別の人を雇い、自分はトップに立ちませんでした。

その器じゃない、と判っていたのでしょうね。


でも、Google が台頭し、Yahoo! の業績が悪化した時に、当時の社長が引責辞任。

2007年にジェリーが社長となります。


でも、彼はトップに立つ器ではないのです。優しすぎるから。


業績回復のためには、まず人件費削減が求められます。

不採算部門を切り捨てれば、業績は回復するでしょう。


…でも、彼は優しすぎて、不採算だからと言って社員をクビにすることができません。


業績が低迷する Yahoo! に対し、マイクロソフトが買収を持ち掛けます。

買収に応じれば、彼は会社を売却して大金持ち! です。


でも、この時もジェリーは拒否しました。

これには、ジェリーのマイクロソフト嫌いが指摘されています。嫌いだから救いの手があっても払いのけた、というわけです。


また、過去の栄光にすがり、独立企業である Yahoo! を失いたくなかったともされています。



結局、業績回復への手を打てない Yahoo! 株は見限られ、株価が急落。

ジェリーはなにも Yahoo! 業績回復の手を打つことができないまま、1年半で社長を辞任します。


その後もしばらく Yahoo! にはいましたが、2012 年には Yahoo! 自体を退社しています。



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