2009年09月04日の日記です


訃報(1/5)  2009-09-04 16:29:31  家族

8月28日の深夜10時46分、父が他界しました。

82歳でした。


以前は会社経営していましたが、老齢になり、不況も重なり、数年前に会社を畳んでいました。


その後、一時的に同居していたこともありますが、ここ数年は基本的に長兄と同居していました。



会社を辞めた頃から、多少元気が無い気はしていました。

しかし、高齢だし、仕事を失って生活に張りがなくなったせいだろう、程度に思っていました。


ここ1年ほどは特に元気が無く、何かの折に家族が集まっても、少し顔を出すだけで床に伏せっていたりしました。


本人が病院嫌いだから、お医者さんに見てもらうように言っても行こうとしない、ということもありましたが、3ヶ月ほど前から明らかに食欲も減退し、やっとのことで説得して、7月15日、病院に連れて行ったそうです。


そして、食道に腫瘍が見つかりました。

食欲の減退は、腫瘍により食道が狭窄し、食べたものが喉を通らないためでした。




僕が連絡を受けたのは7月25日。父の誕生日(7月20日)の少し後。

腫瘍で物が食べられないから、と点滴生活に入っていました。


長兄からの伝え聞きですが、お医者さんが言うには、悪性腫瘍の可能性もあり得る、とのこと。


言葉を選んで「悪性腫瘍」なんていっていますが、つまりは癌だということです。

それも、お医者さんが検査結果も出る前に警告しているのだから、可能性が高いから覚悟しておけということなのでしょう。



父の誕生日の祝いをまだ言っていなかったことが気になっていたのですが、お祝いする雰囲気ではなくなりました。

もっとも、誕生日時点で既に入院していたわけで、誕生日当日に連絡していてもお祝いする雰囲気ではなかったでしょうが。



検査結果が出たら連絡もらう、ということで、このときは一端電話を切ります。

が、なかなか検査結果の話が来ないので、28日にこちらから連絡。

29日にお見舞いに行きます。



想像していたよりずっと元気で安心しました。

母が言うには、こっそりお菓子を買ってきてくれ、おにぎりを買ってきてくれとねだるので困っているとのこと。


栄養点滴はベッドに寝ている時間も長いですし、目も悪く、耳も遠いので寝たままできる娯楽も無く、暇をもてあましている様子。




数日後、食道癌だという診断結果が出ました。

高齢で抗癌剤治療は体力が持たないだろう、ということで、放射線治療が検討されます。


ただ、そうなると治療は長期化します。

本人に長期治療を納得させるためには、告知が前提条件、とお医者さんに言われます。


長期治療ということは、つまり治療を生活の一部とする、ということです。

本人、点滴だけで食べられないことが非常に辛いようなので、ステント治療を先に行う、という提案が出ます。



入院してから、兄弟が交代で(お互い暇な時に)お見舞いに行っていたのですが、治療方針の説明を行うというので全員(兄弟6人のうち、遠方に住む長女を除いた5人)が集まります。

父はみんなが集まったことに非常に上機嫌で、「金は俺が出すから、みんなで食事でもしてこいよ」なんて笑っていました。


人数が集まると、一人では気づかないこともいろいろ気づきます。

通り一遍の治療方針説明だけでなく、いろいろな質問が出ました。


ステントは金網だが、癌が増殖して金網を回り込んで再狭窄する可能性は?

 …説明では金網とよく言われるが、実際にはその周りにフィルムがあり、広がりすぎるのをおさえている。これが同時に、癌が金網を飲み込むのを防いでいる。


金属製のステントを入れて、放射線治療に影響は無いの?

 …放射線が反射され少し効果が落ちるが、ストレスを軽減することで回復力をあげる効果もあり、一長一短。


抗癌剤を併用しない、という決定に反対するわけではないが、併用したほうが治療効果は高い?

 …効果が高すぎて、一気に癌が消滅して食道に穴が開く危険性がある。隣は気道なので、食べたものが肺に入るようなことがあると呼吸困難を起こし危険。


放射線治療の治療期間は?

 …放射線治療は、毎日5分続けて最長で6週間。一生に許される被爆量の関係で、それ以降は継続できない。


では、その治療期間で癌が消えない場合は?

 …完全に消えなかったとしても、癌が減れば食事を再開する、という目的は達成できる。その後は抗癌剤単体で使って根治する方針になるだろう。


などなど。


ただ、ステントを入れる前提条件として気道の内視鏡検査が必要とのこと。

食道を広げたら気道がふさがって呼吸困難、では意味が無いためです。


また、食道の周囲には気道、肺、心臓などが集まっているため、放射線治療の途中で炎症を起こして中断する可能性がある、という説明もありました。




8月8日、再び兄弟全員集まり、父を交えて告知と治療方針の説明が行われます。

耳が遠いので、まずは概要を大きな文字で書いて、読んでもらっておきました。


父は、さすがに多少のショックはあったようですが、治療できるのなら頑張ろう、と前向き。

ただ、細かな治療方針に関しては、急にいろいろな話が出てきたので混乱しており、今後も繰り返し説明することに。


でも、こんな時でも「せっかくみんな集まったんだから写真撮っとけ」とか「金は出すから食事していけ」とか、周囲への気遣いを忘れません。

(残念ながら、このとき誰もカメラを持っておらず、集合写真は撮れませんでした。病気が治ったら快気祝いにまた集まるだろうから、その時には集合写真を撮ろうよ、と伝えます)




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