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告別式。
台風が来て、朝からすごい雨でした。
昨夜も雨は降っていましたが、これは葬式らしい涙雨。
この日ほどの暴風雨は、もう涙雨のレベルではない。
もっとも、当家の冠婚葬祭に赤道直下からの大物ゲストは欠かせないのかもしれません。
この日も実際の式の1時間半前に集合していましたが、特に早く来てやることもなし。
遅刻者などがいないように、あらかじめ早く時間が設定してあるのでしょうね。
うちは、長男、長女を保育園に預けてからの参加です。
平日とあって、親戚以外の出席者は1名だけ。
でも、親戚だけでも50名近い人数でした。これで十分。
ひととおりの読経・お焼香が終わった後、いよいよ献花に入ります。
祭壇を飾ってあった供花を棺に入れます。
親戚の人数が多いので、てきぱきと…全員が入れても、まだ花は大量に余っています。
遺族や特に親しかった人などは2度、3度と花を入れます。
大阪の親戚は「最後に飲みなさい」と酒をどんどん遺体周辺にふりかけ、涙ながらに周囲の笑いを誘います。
「最後だから、お父さん触っとこう」と兄弟がぺたぺたと顔に触ります。
僕もほほに触れました。冷たくはなっていますが、結構軟らかい。
見舞いに行ったときにはいつも握手をしていたので、もう一度握手したい気持ちになりましたが、それは叶いません。
「最後にお父さんのおでこにキスしていい?」
との妹の発言で、周囲に笑いが。
「じゃぁ、わたしも」と次姉、長姉。
「お母さんもしときなよ」と妹。私はいい、という母に「最後のキスがお母さん以外じゃ駄目だよ」と迫ります。
でも、母のキスの後に「やっぱほっぺたにもしておこう」と妹。両頬にキスをします。
「小さい頃、お父さんに(頬へのキスを)よくやられたよね」「ひげが痛かった」
と次姉、長姉の思い出話に、また笑いが起こります。
泣き笑いの中、遺族男性の手で蓋が閉められ、出棺となります。
遺族が笑いながら見送る告別式って、幸せなことなのだと思う。
この後は車で火葬場まで移動です。
参列者にはマイクロバスが用意されていますが、僕は自家用車です。
終了時刻が微妙なので、場合によっては妻が車で子供たちを保育園に迎えに行くために。
車の中で妻が思い出します。
「そういえば、次女のお食い初めまだやってなかった」
次女は4ヶ月になったばかり。お盆の頃に100日だったので、お盆に家族が集まった席でお食い初めを、と考えていました。
でも、父の入院があってすっかり忘れたままに…
お食い初めというのは、親戚一堂の前で、初めてのご飯を食べる(ふりをする)儀式です。
大抵は海のものと山のもの、豪華な食事が用意されます。
…あるじゃん、この後。喪主である長兄の許しが出たら、そこでやらせてもらうことにしよう。
火葬場。
全員が揃ったところで遺体が火葬場に入れられ、その前で焼香が行われます。
その後は控え室へ。50人もいると、控え室はギュウギュウでした。おそらく、こんなに多くの人が参列することは少ないのでしょう。
1時間ほどで火葬は終わります、昔は3時間くらいかかった覚えあるけど、今の炉は高性能らしい。
つづいて骨上げとなります。
…箸が長いステンレスだ。木と竹ではないんだ。
人数が多いためか、それともここではそういうシステムなのか、2人づつ2組になって、4人づつ骨上げを行います。
(通常、火葬後の骨を、木と竹など材質の違う箸で、二人一組になって骨壷に入れる。このことから、不揃いの箸を一組にして使ったり、箸を使って2人で1つの物を持ったりすることは縁起が悪いとされる)
非常に立派で大きな骨が残っています。
リハビリ士に丈夫だといわれた、と自慢していたことが思い出されます。
参列者全員が骨上げを終わったところで、職員が丁重に説明。
「故人の方、非常に体が丈夫でいらしたようで、このままでは全ての骨が骨壷に入りません。
失礼して、すでに入っているお骨を整理させていただきたいと思うのですが、よろしいですか?」
誰も何も言わないので、長兄がお願いします、とだけいうと、骨壷の中央にステンレス箸を突き立てます。そしてぐりぐりぐりっ…とかき混ぜる。
これで、骨が砕けて半分くらいの容積になりました。せっかく綺麗な骨を拾ったのに、いいのかな。
「では、続けて残ったお骨を、説明しながら収めさせていただきます」
この骨は大腿骨です、腰骨の一部です、背骨です、腕の一部です、手の指です…と説明しながら骨壷へ。
残った細かな灰もざらざらと骨壷に納めますが、骨壷の蓋のほうにいくつかの骨があらかじめ取ってあります。
「最後に、これが喉仏です。座禅して合掌している人の形に見えます。
そして、下あご、頭蓋骨を入れさせていただきます。」
そして、遺品のめがねを骨の上に乗せ、骨壷に蓋をしてからテープで蓋に封をしました。
位牌は喪主である兄が持ち、母が遺骨を、妹が遺影を持って帰途につきます。
初七日・精進落し。
場所を料理店、鎌倉御代川にうつします。
すでに宴席が整っていました。
まずは繰上げ初七日法要。初七日は、本来命日を1日目と数えて7日後に行うものですが、今では葬式の後に続けてやってしまうことが多いそうです。親戚一同が1週間後にもう一度集まるのは大変だから。
料理、座席は人数分ぴったりに揃っています。葬儀社の人が、火葬場で人数を確認して1時間前には人数の連絡を入れてあるのです。
でも、一つ困ったことが。うちの次女(4ヶ月)を寝かせるために、座布団もう一つ欲しいな…。
仲居さんに「子供を寝かせたいので、座布団一枚いただけませんか?」と言うと、「少々お待ちください」と、2枚の座布団と、なにやら熊のプーさんが描かれたバッグを持ってきました。
なにやらひらりひらりと座布団2枚をひっくり返しながら繋げて敷き、プーさんバッグの中から子供用のシーツ、枕、タオルケットを取り出し、即席の簡易ベビーベッドが完成します。
そこまでは期待していなかったのに、高級料理店だけあって、さすがによいサービスだ。
しかも、妻が「すごい! 座布団敷く作法があんなにしっかりしてるの、はじめてみた」と驚いています。
僕は作法なんて知りませんでしたが、座布団は相手の前で両面を見せ、二つ折りにして、それから敷くものなのだそうです。そうすることで、座布団の中に毒針や刀などを仕込んではいないことを証明するのだとか。
さすがです。でも、妻が作法を知っていたからよかったのですが、作法知らなかったら「なんかひらひらやってて、なかなか敷いてくれないなー、なんだろうなー」で終わりでした。作法というのは面倒くささと紙一重。
全員揃ったところで、繰り上げ初七日の法要開始。
お坊さんが、ここはお料理屋さんで焼香はできないので、と、代表して長兄に線香を供えるように促します。
そして、読経。
…列席者はただ合掌しているだけです。
僕はお坊さんのすぐ近くだったので、読経している経典を覗き見て、「あぁ、言葉だけじゃなくて、ちゃんと楽譜になっているんだな」とか、「なかなかリズミカルでいいノリだなぁ」とか、そんなこと考えていました。
宗教にとって、音楽って非常に大事です。
初七日の法要が終わったことで、形式上忌が弱まります。
そこで、忌中は絶っていた肉・魚を食べてもよいことになります。
これが精進落しの会席。すでに並んでいた料理は、このためのものです。
親戚(母の弟)の献杯の辞で、宴席開始。
ここまで来たら忌が弱まったのだから、多少のお祝いも許されるだろう、ということで長兄に相談です。
「もしよかったら、次女のお食い初めやりたいんだけど。お盆にやりたかったのだけど、お父さんの入院でそれどころじゃなかったからね。」
急な話なので最初理解されませんでしたが、お食い初めだから親戚が集まっていたほうがよい、豪華な食事があったほうがよいことを説明したら
「じゃぁ今やっちゃいなよ…あ、でも、こういう席でやっても良い物なのかな?」と長兄。
死者を弔う場所だからこそ、新たな命をつなぐ儀式は供養になると思う、と僕なりの考えを披露。
「じゃぁ、せっかくだから親戚の前で発表してからやんなよ」
というわけで、隅でこそこそとやろうと思っていたことを、次女を抱きかかえて前に立って、大々的に発表。
11人目の孫で、今4ヶ月なので、お食い初めをやりまーす。と言ったら、拍手喝采。
急に思いついたので、カメラを持っていませんでした。
次兄が車にある、というので持ってきてくれます。
お食い初めに必要な石(歯固め石)は、さっきよさそうな石を拾ってきました。
本来氏神様に借りるものですが、この際何でも良いです。最後に氏神様に奉納することで良しとさせてもらいましょう。
多分、こんなに多くの親戚に囲まれてお食い初めをする子というのは珍しいのではないか、と思います。
親戚で酒を酌み交わす人もいて、思い出話に花が咲き、やがて終了時刻となりました。
式で祭壇を飾っていたお供物が、小分けしてビニール袋に入れられてお土産になっています。
遠方から来ていて重いからいらない、と辞退する人には無理強いせず、しかし供養だから食べてください、と皆に呼びかけ…
無造作にとっていく人、缶詰の品定めをする人、高級フルーツを狙う人、それぞれです。
余った分は、とりあえず僕が家に持って帰ることにしました。
後日また集まるでしょうから、缶詰はその時分けます。フルーツは傷むものだからうちで食べさせてもらいます。
式次第が遅れることも無く、子供たちを保育園に迎えに行くのに丁度良い時間でした。
僕は多少飲んだので妻に運転してもらって…夫婦揃って喪服で保育園に行ったので、先生に驚かれましたけどね。
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