2016年09月の日記です

目次

04日 google 創立日(1998)
04日 海辺散歩
05日 Gateway 2000 設立日 (1985)
13日 Bit-INN オープン(1976)
16日 トヨタとセガとドリームキャスト
20日 パラリンピック
26日 箱根小涌園ユネッサンに行きたい人へのまとめ(1/3)
26日 箱根小涌園ユネッサンに行きたい人へのまとめ(2/3)
26日 箱根小涌園ユネッサンに行きたい人へのまとめ(3/3)
26日 秋の家族旅行
26日 小田原城
26日 おもしろ歴史ミュージアム・かまぼこの里
26日 ホテルグリーンプラザ強羅
27日 Googleの誕生日


google 創立日(1998)  2016-09-04 17:15:24  今日は何の日

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今日は google 社の創立日(1998)。


「社の創立日」というのがミソで、実際にはその前からドメインとってサービス開始していますね。


僕が初めて google を知ったのは、たしか 1999年。

全く新しい概念で検索するサービスだ、と、当時購読していた新聞に記事が出ていたのではなかったかな。


このときはまだ日本語対応していませんでしたが、試してみると日本語でも高品質にページを検索していました。

当時はまだ page rank の仕組みなどが紹介されておらず、日本語対応していないにもかかわらず高品質に検索する、というシステムが、いったいどうなっているのかと驚きました。

(正式に日本語に対応するのは 2000年 9月)




今では驚きも無くなった「Page rank」は、WEB のリンクを、リンク先への「投票」と考えて、より投票が集まるページを「みんなが参照したがる良いページ」と捉えるものです。


リンクは、1リンク1票ではありません。投票の集まる良いページからのリンクは、より高い価値がある。

皆が認める良いページに書かれた情報は良いものだろう、という考えが根底にあります。


当初はこの仕組みのみの、非常にシンプルな方法で順位を出していました。



でも、シンプルな仕組みは悪用されます。

いわゆる「リンクファーム」という、大量にリンクしあうだけのページ群が作られ、票を稼ごうとする手法に対し、リンクファームを見抜いて票を無効にするプログラムが投入されます。


すると、リンクファームはより巧妙になり、リンクファームだと見抜かれにくい構造を取ります。


あとはイタチごっこ。


こうした「検索エンジンに良いページと認識させる」方法はサーチエンジン最適化(SEO)と呼ばれ、Google は SEO を嫌います。


今でも基本的には最初のアイディア、「みんなが参照したがるページは良いページ」と考えていて、そうでないのに順位を上げる、SEO 「だけ」で上位に表示されようとするページを排除しようとし続けています。



これ、WEB ページを作ることで暮らそうとしている人には大変。

見てもらうことって何よりも大切だからね。


Google の気まぐれで順位が上がったり下がったりするっていうのは、死活問題。

順位の決定方法を明らかにしない Google に対する批判もあります。




僕のページは大して人気ない(趣味で作っているだけだし、内容がマニアックすぎるのは自分でわかっている)のですが、それでも Google の順位付けがどうにかならないかな、と思う事は多々あります。


一番腹立たしいのは、記事内容をコピーしただけの盗作ページが上位に来たりすること。

これ、「情報の鮮度」も重視していて、書いて数年たったページよりも、同じ内容をコピーしたページのほうが「新しい」と考えられて起こる現象。


もっとも、これは Google の責任ではないとも思います。

悪いのは盗作をする人であって、Google も盗作に対しては「検索結果から除外する」ための仕組みを用意している。


盗作と思われるページは自動的に順位を落としたりもしているようですが、こちらはどうも精度が悪い。

(完全コピーページならともかく、内容の一部切り張りなどは盗作と判断できないみたい)



残念ながら、機械で対処できない部分は「モラル」に期待するしかないようです。

(この対処方法はすでに破綻している、と思ってもいますが)




Google は当初、検索エンジンだけを手掛けるシンプルな商売をやっていました。

検索エンジンを別の会社に貸し出して儲けたりしていた。


でも、AdSense で「広告ビジネス」をはじめます(2003)。

どうも、これが転機となった感じ。


広告ビジネスは、広告枠を多く獲得することが何よりも重要です。

そのためには、インターネットをストレスなく使ってもらうことが必要。


軽量ブラウザが必要ではないか、と Chrome Browser を開発します(2008)。

また、DNS の遅さを解消するため Google DNS を始めます(2009)。


しかし、それらはまだインターネットが「PCのネットワーク」だった頃の話。

PCがなくても、いつでもどこでもネットを見られるように、Android を開発します(2008)。

また、低スペックの安いマシンでも軽快に使える OS として Chrome OS を開発します(2009)。



別に収益の上がる広告ビジネスを中心に考えてきたわけではなく、いったいどこで収益を上げるのか不思議な、単に「ユーザーに使ってもらいたい」だけのサービスも数多く展開してきました。


Gmail (2004) は今では多くのユーザーが使い、ここでも広告を表示することで収益を上げています。

Google Map (2005) も当初は商売抜きに考えられていましたが、今では店舗情報の掲載など、重要な広告媒体として収益を上げています。


一方で、自動的に顔を認識して写真を仕分けてくれる Picasa (2004) は、収益が上がらず中止してしまいました。

写真ストレージサービスとしての Google Photo は残っていますが、以前とは全く別の使い勝手のものです。


google Pack という、便利なソフトをパックにしたサービスもありました (2006)。

これは、Chrome OS の「すべてのアプリケーションを Webサービスとして統合する」考えに従う形で、Google Apps に移行する形で提供中止。


Google Apps は Gmail を中心とした「Webサービス」の総称ですが、すべてのアプリで作成したデータを保存する中核としての「Google Drive」の提供(2012)で実用的になったように思います。


他にも、消えていったサービスは数知れず。

僕も、先に書いた Picasa を始め、ローカルマシン内の検索を行う Google Desktop (2004) とか、google のトップページに自由にガジェットを置いて情報を集約する iGoogle (2005) とかを便利に使っていたのですが、サービス停止で困った覚えがあります。


収益が上がらなければやめる、というのは企業として当然なのですが、特に iGoogle は利用ユーザーも非常に多く、利用してもらえなかったのではなくて、「ユーザーを多数集めたのに収益に結びつけられなかった」という感じ。


参考資料:Google のさらに詳しい歴史



Google が「Evil にならない」と明言したのはずいぶんと昔の話。


いや、今が Evil だというのではないですよ。

Google の社是として「Evil にならない」が掲げられているのは今も同じ。


でも、Evil (悪) って曖昧な言葉で、人の数だけ感じ方がある。

今では Google は大企業ですが、大企業というだけで悪だとみる人もいる。


特にアメリカでは「アイディアさえあれば競争できる」のが理想とされます。

体力がある大企業は「アイディアがなくても企業体力で生き残れる」という悪しき存在にされることがあります。



当初、Evil と言ったときに、マイクロソフトを想定していたのだそうです。

それも、マイクロソフトの何が Evil だというのではなく…ただ何となく。

(これも、マイクロソフトが大企業だったから、程度の理由でしょう)


一応、マイクロソフトはソースを公開していないから Evil で、Google はそうならない、と説明したこともありました。

だから Chrome はソースを公開した。


でも、Google 検索プログラムのソースが公開されたことはないはずですし、Gmail だって公開されてない。

あれはソフトを販売しているのではなく、サービスを提供しているだけだという言い訳もできますが…


企業秘密を開示できないというのは企業にとって当然のこと。

マイクロソフトだって Evil じゃないと思いますし、Google だってももちろん Evil ではないでしょう。



現在の Google のサービスは、Web でサービス提供しているものが中心で、その都合上「重要な情報を預ける」必要があります。

これに不安を持つ人も非常に多いから、Google としては「Evil にならない」ことを明言しないといけないのでしょうね。


重要情報を預かるからこそ、それを悪用しないと宣言する。


ただ、やっぱり何が Evil か、人によって考えは異なるので、Google は Evil だ、と感じる人がいるのも仕方がありません。


もっとも、その場合はマイクロソフトか、ヤフーか…結局どこかに情報は預けないといけなくなるように思います。



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海辺散歩  2016-09-04 18:42:41  社会科見学 家族

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夏休みは過ぎてしまったのだけど、子供との約束を一つはたしていなかった。


夏休み前に、家族で特に理由もなく鎌倉まで自転車で行ってみた。

このときに由比ガ浜の端っこの方に貝殻がたくさん打ち寄せられていて、長女がたくさん宝貝を拾った。


ちょうどその少し前に、別の場所で「マンカラ」というボードゲームを遊んだ



世界最古のゲームと呼ばれるものの一つで、駒としての小石がいくつかあれば遊べる。

でも、遊んだものはたまたま、駒として宝貝を使っていた。


ただこれだけの理由で、長女は「宝貝をたくさん集めて、自分でゲームを作る」と言っていた。

しかし、駒は50個くらいは必要なんだよね。このときは、そんなに集まっていなかった。


それで、夏休み中にまた貝を拾いに行きたい、と言っていたのだけど、今年の8月後半は週末が来るたびに台風が近づいてきたため、海に行けずじまいだった。




そんなわけで、海に行ってみることにするのだけど、海に行くなら行ってみたいところがあった。


いつも我が家が海遊びに行くときは、材木座か由比ガ浜あたりだ。

その間に稲村ケ崎があるのだけど、稲村ケ崎ってサザンの映画の舞台になったりして、あこがれている観光客が結構多いのね。


駐車場とかいつも混んでいるので避けていたのだけど、最近「稲村ケ崎には砂鉄が多い」という話をきいた。



源頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由は、海と山に囲まれているために自然の要塞となっているから、と言われる。


でも、武士は当然のことながら剣を必要とする。

稲村ケ崎で砂鉄が取れるから、というのも、鎌倉を選んだ大きな理由の一つだと考えられているそうだ。


この話をきいてから、確かめて見たくて仕方がなかった。



と同時に、当時の人はどのようにして砂浜の砂から砂鉄を選別していたのだろう、とも思っていた。

磁石があれば簡単に砂鉄を集められるけど、当時は磁石というのは貴重品で、宝石のような価値があったはずだ。


重さが明らかに違うから、砂金を水で選別するように、砂鉄も水で選別したのではないだろうか、と妻は推測した。

砂浜だから、水はいくらでも使える。

なるほど、これはあり得そうな説だ、と思っていた。




稲村ケ崎。

鎌倉海浜公園の前に駐車場があるのでそこに車を止め、公園から海岸に降りる。


降りるとまず岩なのね。砂浜ではない。

すごく大きな見事な岩で、ところどころに地層がある。

全体に層の見えない泥岩なので、層が見えるところは何か天変地異があったのだろう。


思っていたのと違う風景で、長男はここで砂遊びを始めた。

次女も長男と一緒に砂を掘り、水を流し込んで遊んでいる。


まずはそのあたりの波から離れた奥の方へ。

磁石で砂鉄を集めるにも、濡れていてはやりにくいからだ。


ここら辺の砂は黒い。鉄分が多いことが予想される。

…と、磁石を近づけると、砂がごっそりと磁石にくっついた。


砂の中から砂鉄がどれほどとれるのだろう、と思っていたのだけど、ほとんどが砂鉄のようだ。



小さな川が流れているので、その川を超える。

そちら側の砂はさらに黒く…単に黒いのではなく、青黒かった。


砂がサラサラではなく、くっついて小さな塊を作っている。

磁石を近づけると、塊ごとくっついてしまう。力をかけて潰すとサラサラに崩れ落ちる。


これ、なんか知っているぞ…

使い捨てカイロで、発熱する際にあまり振らずにほおっておくと、内部で塊ができるやつだ。

砂鉄が何らかの現象で同じような塊を作っているのだろう。



波打ち際は、白と黒の砂が混ざっていて、水の流れで筋ができている。

どうもこれは、2種類の岩石でできている砂で、比重の違いで波で模様を作るようだ。


そして、波から遠く離れたあたりに砂鉄が寄せ集められている。

重いために、波の力でより奥まで届くのだろう。


妻が想像した、水で選別できるのではないか、というのは半分当たりだったというべきだろうが、人が選別する以前に、自然に選別されている。

砂鉄を採取したければただ掘ればよいだけで、選別の必要なんてない。


これは、鎌倉時代には宝の山だったのだろう。




砂鉄から鋼鉄(玉鋼、と呼ばれる)を作るたたら製鉄では、非常に高い温度を維持するために精錬が難しい。


しかし、鎌倉の砂鉄は一般に考えられる製鉄方法よりも、温度が低い方が純度が高くなることが確かめられている。

確かめたのは、鎌倉高校の科学研究会で、この研究で県知事賞を受賞している



たたら製鉄の方法だと、純度の低い部分と高い部分が同時に出来上がり、純度の高い部分だけを使って刀剣を作る。

じゃぁ純度の低い部分は無駄かと言えばそんなことはなくて、農具などを作るのに十分活用された。


もっと言えば、当時は普段は農民で、戦の時だけ刀を持つ農民兵もいた。

そういう人なんかは本職の武士よりも、質の悪い刀でも十分だったのではないかと思う。




さて、ある程度砂鉄を採取して気が済んだので、次女と一緒に海辺散歩。

長男は相変わらず波打ち際で遊んでいるので、妻が近くについていてくれた。


数百メートル歩いただけだけど、何も打ち寄せられない場所、小石ばかり打ち寄せられている場所、なぜか海藻だらけの場所、貝がたくさんの場所…と、波打ち際と簡単に言っても、いろいろな表情を見せてくれる。


数キロ離れれば全然違う海岸、というのはわかっていたけど、ほんの数メートル単位で環境が変わることには驚き。

海の底の地形とか関係しているのだろうなぁ。



もちろん、砂鉄の割合もずいぶん違う。

最初に採取したあたりが一番砂鉄が溜まっていたようだ。

角に当たる部分だったのでたまりやすい、というのもあるのだろう。




この日は、2時間程度遊んだだけで終わり。


また台風が来ていて、午後から雨が降ると天気予報で言っていたのでね。

台風はまだまだ遠いけど、台風が近づいている時に海にいてはいけない。



砂鉄入りのスライムを作りたい、と長女が言ったので、帰りに PVA 糊を買って帰った。

スライム作る予定で以前ホウ砂を買ったのだけど、PVA がなくてそのままになっていたんだよね。


とはいえ、この日は帰宅したら疲れてお昼寝してしまった。…僕が。

なのでまだスライムは作っていない。


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Gateway 2000 設立日 (1985)  2016-09-05 15:47:24  コンピュータ 今日は何の日

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今日は Gateway 2000 の設立日 (1985)


一応まだブランドとしては残っているらしいのですが、覚えている人…というか、知っている人がどれくらいいるでしょうか?


パソコン自体には特に特徴がない、何の問題もなく使えるけど目立った特徴もない、というのが特徴。

通信販売中心で、送られてくる箱が非常に大きいのと、その箱が白黒の「牛柄」なのが強烈な印象でした。


一時期、パソコンと言えば Gateway 2000 という時代もありました。

それくらい売れていたのだけど… 強く輝いて去っていった、彗星のような存在です。




話としてはこれで終わりだよなぁ…


あとは Wikipedia に書いてある程度の情報しかない。

1985年にアイオワ州の農場の一角で創業して、DELL コンピューターのビジネスモデル(通信販売で、お客さんの注文を受けてから組み立てる)を真似して急成長します。


1989年に、牧場の写真と「アイオワからコンピューター? (Computers from Iowa?) 」のキャッチコピーで広告を出して有名に。

それ以来、牛柄の箱をブランドイメージにして急成長します。



日本では、まだこの頃は NEC の PC-9801 シリーズが一人勝ちの状態。

もっとも、IBM が DOS/V で日本語を使えるようにして、徐々にシェアを伸ばしてはいました。


1993年に Windows 3.1 が発売され、OS が徐々に Windows に移行していくと、98 でないといけない理由も無くなります。

98 に比べ、性能が良いのに値段が安い PC/AT 互換機が急に売れ始める。


でも、この頃は「互換機」なのね。

IBM 製ではなく、有名メーカー製ですらなく、秋葉原のショップが組み上げたマシンとか、部品単位で購入して自分でくみ上げるとか、そうするのが普通だったし、特に有名な互換機メーカーもなかった。


この、保証やサポートも弱いし、知識がない人には難しそうな印象で PC/AT 互換機はまだ伸び悩んでいました。


1995 年、Windows 95 が発売されます。

それと同時期に、Gateway 2000 も日本法人を作り、日本での販売を開始します。


先に書いたように、秋葉原のショップマシンは、安いけれども保証が十分ではありませんでした。

Gateway 2000 は、同程度の値段で十分な保証付き。ただし、完全に自分でカスタマイズできるわけではなく、ある程度完成したマシンに、メモリ容量は HDD 容量を決定するだけの、セミカスタムです。


いや、それだからこそ、初心者にもわかりやすい構成でした。

Gateway 2000 のパソコンは非常に売れて、どこの会社にも牛柄の大きな箱が置いてあったものです。


…邪魔だから、たくさん買った際は「問題があった時に送り返す用に1つ置いといて、後は潰して捨てる」のが普通だったんじゃないかと思います。


僕のいた会社ではそうしていたし、人気漫画の『OL 進化論』にもそんなネタが出ていました。

同マンガではパソコンの話題とかあまり扱わないので、珍しかったがゆえに覚えています。




Gateway が Amiga の権利を買い取ったことがあります。


Amiga は熱狂的なファンのいる、独特な設計のマシンでした。

しかし、1994 年には設計者が死に、発売元の Comodor社も倒産しています。


その後、Amiga の権利は各社を転々とし…Gateway が購入するのです。

ファンは Gateway の開発力で、後継機を作ってくれることを望みました。


…が、そんな面白い展開にはならず。

子会社として Amiga 社を作って、一応開発はしていたようですが、とても商売にならないとみると、子会社に権利を売却して独立させています。



また、eMachines 社も合併していました。

こちらも、安くて性能のいいマシンを作っていた会社。しばらくはブランドが残っていましたが、現在無くなっています。




Gateway 2000 は、所詮は「DELL の真似」でした。

一時期は DELL 以上のシェアを持っていたのですが、結局 DELL に徐々にシェアを奪い返されます。


1998 年には、社名を Gateway に変更します。

もともと「2000年(未来)への懸け橋」という意味合いの社名でしたが、2000年はもう目の前でした。


しかし、その 2000 年にはアメリカ本社の経営が悪化。

翌 2001 年には経営規模を大幅に縮小します。


このときに日本からも撤退しているのですが、先に書いた eMachine を買収した際に、eMachine 社の日本での流通網を生かす形で再上陸しています。


しかし、努力もむなしく、2007 年には台湾の Acer に身売り。

現在も Gateway ブランドは残っているのですが、以前の勢いはすでにありません。


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Bit-INN オープン(1976)  2016-09-13 10:50:27  今日は何の日

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今日は NEC Bit-INN がオープンした日(1976)。

…だそうです。


ごめんなさい。僕当時のこと知らないし、後の…ただのショールームになった Bit-INN には行ったことあると思うのだけどよく覚えていない。


だけど、日本のパソコンの歴史では、重要な施設でした。




1976年の8月3日、日本電気(NEC)から、TK-80が発売される。


当時は「CPU」というあたらしい LSI が作られ始め、どうやらこれを使えば個人でコンピューターが持てるらしい、と電子工作マニアが興味を持っていた時代。


世界初の「パソコン」とされる、 Altair 8800 の発売は 1975年。

まだ電子工作マニアのためのものだった。


組み立て済みの製品が発売され、誰でも使えるようになるのは、1977 の Apple II まで待たなくてはならない。



#余談だけど、Altair 8800 を作ったエド・ロバーツの誕生日は、奇しくも9月13日。



TK-80 も、万人に向けて作られた商品ではなかった。

電子工作マニア向けですらない。NEC が扱うことになった、全く新しい LSI …「CPU」が、どんな用途に使えるのか、企業などで電子回路を設計している人に伝えるための製品だった。


だから、名前も「TK」、トレーニング・キットとなっている。

1年くらいかけて、全部で千台程度売れればよい…というものだった。


ところが、電子工作マニアがこれに飛びついた。

TK-80 は飛ぶような売れ行きで、数か月後には月産千台では生産が間に合わない、入手困難なヒット商品となった。



これだけ売れると、当初の想定ではない「お客さん」が出始める。

技術者だたら、組み立ててみて、動かなかったら自分で原因を探るだろう。


でも、「組み立てればマイコンが手に入る」と思っているお客さんは、動かなかったらショックを受けるし、原因を探る能力もない。


さらに、動いたとしてもそれで何をすればいいのかわからない。

試しに「3+4=?」とプログラムする程度のことは出来るのだけど、それ以上のプログラムを作れない。




TK-80 は、新しい LSI の販売を促進する目的で設計された。


実は、同じ目的で違う手段が用意されていた。

日本電気の販売特約店「日本電子販売」が、LSI 宣伝の拠点として、秋葉原に40坪のショールームを構えるための準備をしていたのだ。


急遽、ここに TK-80 の相談コーナーが設けられることになった。

3坪でいいから、というNECからの要請に、30坪のスペースが用意された。

LSI のショールームの予定だったが、事実上「TK-80の店」になった。


そして、NEC Bit-INN は 1976年の9月13日にオープンした。



当時のNECは、電電公社(国営企業。現在のNTT)の関連企業。

仕事のやり方も「お役所」で、残業や休日出勤はなかった。


しかし、TK-80 を設計したグループの本人たちが直接、土日に相談に乗った。

月曜日から金曜日は通常通り業務を行う。休みなしだった。


労務担当者からも、労働団体からもクレームがついたらしい。

でも、当人たちが「趣味でやっているだけで会社の業務とは関係ない」とごり押しして認めさせたらしい。



TK-80 を購入したものの、組み立てすらうまくいかない、組み上がってもその後何に使えばいいかわからない、というユーザーにとって、Bit-INN は救いのオアシスとなった。


ここに行けば、趣味を同じくする仲間とも巡り合える。

実際、ソフトバンクの孫正義や、アスキー創業者で元マイクロソフト副社長だった西和彦なんかも入り浸っていたらしい。




Bit-INN では、パソコン購入前の相談も良く持ち込まれたらしい。


シンセサイザー音楽の演奏に TK-80 を応用できないか。

医療保険の点数計算に TK-80 を利用できないか。



TK-80 は「回路を学ぶ」ことを目的としたもので、実用性はなかった。

しかし、個人でコンピューターを持てるなら、こんなことに使いたい…という応用例が、お客さんの方からどんどん上がってくる。



TK-80 はそのような用途で作ったわけではない、と最初は思っていたらしいのだけど、徐々に「そうした需要にこたえられるコンピューターを作れないか」という思いに変わっていく。


これが、後に TK-80 の拡張である TK-80BS や、PC-8001 を生み出すことにつながる。




当時、秋葉原は「無線の街」だった。

当時はラジオ作成やアマチュア無線が「ホビーの王様」で、そのための電子工作部品を売っている店が集まっていた。


もちろん電子工作というつながりで、TK-80 のユーザーが秋葉原に集まるのは悪くない。

でも、パソコンはすぐに「完成品」を売るようになり、電子工作とは違うものになっていく。


しかし、Bit-INN の存在したラジオ会館には、他のパソコンメーカーもショールームを作るようになる。

パソコンに興味のある人は秋葉原に集うようになり、秋葉原全体が「パソコンの街」に変貌していった。



そして、「中心地」を持つことは、文化にとっても商業にとっても望ましい。

秋葉原にはパソコンショップが軒を並べ、独自の商品を競った。


他社では売っていない拡張ボードだったりとか、独自開発したゲームだったりとか。

パソコンを求めるお客さんが集まるから、どんなものでも売れた。売れるからどんなものでも作れた。


この好循環で、日本のパソコン文化は一気に花開いていく。



その最初のきっかけが、40年前の今日、Bit-INN がオープンしたことだった。

NEC Bit-INN は、その後もショールームとして横浜・名古屋・大阪に展開されていたけど、今はもうない。



2016.9.16追記

当初、最後の2行の間に次の記述が入っていました。


『今でも店舗跡には「PC発祥の地」と記されたプレートがある。』



ラジオ会館が建て替えられたので、すでにこのプレートはないという指摘をいただきました。

そういえば、建て替えたのだった…子供生まれてから秋葉原から足が遠のいているので、すっかり忘れてました。

お詫びいたします。


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トヨタとセガとドリームキャスト  2016-09-16 17:57:08  コンピュータ

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ドリームキャスト(セガのゲーム機)って、トヨタのお店で自動車の電子カタログに使われてたよね。


…っていうのは、当時のゲーム好きなら知っている話。


あれ、でもどうしてトヨタなんだろう?

セガとトヨタの間にどんな接点が?


って、今更急に気になって調べてみた。


半日程度で調べた話なので、間違いもあるかもしれない。




まず、自分がセガに在籍していたころ、携帯電話の普及黎明期だった。


あたらしい会社として「東京デジタルホン」が設立されて、セガ社員なら格安で入手できる機会があった。

そのため、当時のセガには東京デジタルホンユーザーが多かったはず。


携帯電話の歴史話は非常に面白いのだけど、以前に書いたのでそちらを参照のこと。

また、携帯電話ブランド変遷史のまとめ方が面白い。

(僕のページはPHSの話を含み、下のページはPHSは含まない)



それはさておき、なんでセガ社内で東京デジタルホンを販売していたのか、というと、どうも親会社だった CSK が東京デジタルホンに一枚かんでいたらしい。


ここらへん、ざっと調べただけだと明確な情報がない。

CSK 社長だった大川功氏が個人的にかかわっていたというような話もあり、出資者としても CSK の名前は出てこないようだ。


ただ、非常に古い Internet Watch の記事があった。

1996 年 5月 20日のものだ。


携帯電話の特集で、東京デジタルホンのホームページ(WEBページ)の URL が書かれている。

しかし、ドメインは CSK だ。CSK の WEB サーバーに間借りする形で公式ページが始まっている。


(この URL を WaybackMachine で調べたが、一番古いアーカイブは翌年 1997年1月のもので、その内容は tdp.co.jp に引っ越した、というものだった)





今度はトヨタの方を見て行こう。


トヨタは言わずと知れた自動車メーカーだけど、自動車に関連するものとして、電電公社と一緒に「自動車電話」の研究を行っていた。

自動車電話のサービス開始は 1979年。


その後、電電公社がNTTになり、電話事業が民間解放されると、日本高速通信を設立している。

高速道路沿いに電話線を埋設することで長距離電話をサービスする会社だ。


その後、日本高速通信は、自動車電話をサービスする「日本移動通信」を設立する。

後の携帯電話会社「IDO」だ。もちろんトヨタも出資している。


でも、その後日本高速通信は赤字になり、消滅してしまう。

(KDD に吸収合併)



トヨタはIDOにも出資しているのだけど、ライバルとなる東京デジタルホンの立ち上げにも協力し、出資している。

東京デジタルホンは日本高速通信のライバルだった長距離電話会社、日本テレコムが中心となって設立した会社だ。


なんでライバルに出資したのかは知らないけど、年表を見るとDoCoMo なんかにも出資している。


自動車をただの移動手段ではなく「移動オフィス」とする構想があり、競合する会社であっても「ライバル」ではなくて、「協力して市場を広げる仲間」だったのかもしれない。



トヨタと言えば自動車のイメージが強いのだけど、もともとは自動織機の会社だ。

そして、今では情報通信も重要な事業の柱になっている。




セガの親会社である CSK はコンピューターの会社だ。

でも、その社長である大川功氏は、コンピューターというよりは「情報通信」の世界で存在感を示した人だ。


まだ電卓が一般的でなく、タイガー計算機だって高価なので多くの人がソロバンをはじいていたころに、パンチカード集計機に出会って CSK(コンピューターサービス株式会社)を設立している。


コンピューターのメーカーではなくて、あくまでも「情報サービス」。

そして、情報は鮮度が重要なので、通信インフラの整備が必要、と考えが変わっていく。



同時に大川氏は、未来を担う存在としての子供に期待していた節がある。

G7のサミットに出席して「各国の子供の声を聴く会議を開きましょう」って提唱しちゃうし、個人資産から35億円ほどを「子供たちのために」って寄付しちゃう人だからね。


その35億の寄付は、子供にコンピューターとインターネットの教育を施すために使われた。

未来を担う子供たちが、情報通信によって国の垣根を超えて理解しあえれば、きっと世界は平和になる。

それが大川氏の思いだったようだ。


セガを子会社化したのは、セガの方から話を持ち掛けてきたからだ。

でも、コンピューターを子供の遊びとして提供する会社を最大限に生かし、子供になんとか通信ネットワークを使わせられないか、何度も試みているように思う。


メガドライブ、セガサターンには、どちらも純正周辺機器としてモデムが発売されている。

ドリームキャストに至っては、最初から内蔵している。


当時の速度の遅い回線ではアクションゲームなどには向かないし、ソフトをダウンロードさせようとしても時間がかかる。

結局全然普及せずに「早すぎた」ってネタにされている程度なのだけど、大川氏としては、ゲームよりも「環境」を提供したかったのではないだろうか。


実際、どれも「ゲーム」を主要な用途と据えながらも、情報サービスを提供しようとしている。

セガという会社の立場からゲームが注目されてしまうのだけど、情報サービスを提供したかったのだとすれば、低速な回線でもそれほど問題はなかったのだろう。




探しても資料が出てこないので記憶だけで書くのだけど、ドリームキャストよりも前に、三菱自動車が店頭に「マルチメディアカタログ」を置いていたと思うんだ。


当時僕は Macintosh を使っていて、雑誌も購読していた。

そして、そこにニュース記事が載っていたと思う。


このカタログ自体は、CD-ROM で作られ、Mac で再生できるもの。

QuickTime も使って動画とかも入れられている。


自動車ディーラーの店頭に置く、というのは珍しい試みなので話題になっていた。

でも、店頭に Mac を置こうというんじゃない。Mac は結構高いからね。


置かれたのは「ピピンアットマーク」だった。


ピピンアットマークについて説明すると長くなってしまうので、概略だけ書いておこう。

Apple 社が企画し、広く製造会社を求めたのだけど、バンダイだけがその計画に乗っかった「マルチメディア機」だ。


内部は廉価な Macintosh。

ゲーム機というには高価で、そもそもパソコンなのでゲーム向きに特化した機能はない。

ハードディスクを持たないためパソコンとしては使えず、インストールなしに CD-ROM から起動する専用ソフトしか動かないので、Mac の資産が活かせるわけでもない。


でも、Mac 用のソフトを「移植しやすい」。

あくまでも移植作業が必要。ピピンと Mac 両用のソフト、というのは作れるのだけど、Mac 用ソフトは動かない。

ちなみに、当時の Mac はビジネス機としては人気があったけど、家庭用のソフトとかゲームとかはあまりない。


…企画の時点から、いったい何に使えるのか疑問だらけの機械だったし、当の Apple が全然やる気がなかった



バンダイはこの計画に乗りはしたが、おもちゃ屋なのでこんな複雑なものは作れない。

そこで、三菱電機に OEM 供給で生産を依頼した。初回生産分で5万台だったらしい。


そして、初回生産分を売り切ることができず、在庫の山を抱える。

世界で一番売れなかったゲーム機」の異名を持つ。



三菱自動車の販売店にマルチメディアカタログを置く、というのは、おそらく三菱からの「救済措置」。

積極的にやりたかったわけではなくて、なんとか活用方法を見出した、という程度。


しかし、「マルチメディア」がまだ流行のキーワードだった時代、この話がちょっと注目されたのは事実なんだ。




これで状況が出そろった。


三菱自動車のカタログを、トヨタが「真似したい」と思ったのか、それとも在庫処分の方法をセガが「真似したい」と思ったのかはわからない。

(もっとも、トヨタとの提携は発売直後に行われている。まだ「在庫処分」ではなかったはずだ)


ともかく、トヨタとセガの間には「東京デジタルホン」を鍵としたつながりがあり、ドリームキャストを利用して、トヨタ車のカタログが作成されることになる。



ドリームキャストには情報通信機能が付いていて、トヨタは情報通信に力を入れていた。


単に車のカタログを表示しておしまい、ではなくて、トヨタの情報通信事業戦略上も一役買うようになっていたようだ。



ドリームキャストは「車のカタログを表示する端末」としての存在だけでなく、トヨタのお店で購入することができるようになっていた。


この際、購入できるのはおもちゃ屋さんで販売されていたものとは違う、トヨタ向けの特別版だ。

インターネット接続用のディスクがカスタマイズされていて、元トヨタ系の日本高速通信が吸収合併された KDD をプロバイダとして選び、トヨタのWEBページに簡単に接続できるようになっている。


となると、トヨタのお店にドリームキャストが置いてあったというのを、自動車の宣伝にゲーム機が使われたという「珍事」で片付けるのはちょっと違うようだ。


情報通信に力を入れるトヨタが、同じく情報通信を広めたい CSK と組み、その際に「子供でも使える情報通信端末」という理想的な機器としてドリームキャストが使われたのだろう。



もっとも、当時は多くの人がインターネットなんて知らない時代。

i-mode だって発売されてなくて、メールは一般的ではない。


そんな時代に「情報通信」よりも判り易い入り口として「自動車カタログ」だったんじゃないだろうか。


ゲーム機のポリゴンモデルで車を紹介する「珍しさ」で興味を引き、最終的にトヨタの WEB ページ(これも自動車カタログだ)を見てもらえれば、情報通信を広める目的は達成できたことになる。


実際うまくいったかどうかはともかくとして、戦略としては悪くないように思う。


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パラリンピック  2016-09-20 18:08:21  その他

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パラリンピックが閉会した。

オリンピックに引き続き、子供と楽しく見させていただいた。


選手、ならびに関係者の皆様、お疲れ様でした。



僕は運動が苦手だし、野球やサッカーを観戦する趣味もあまりない。

なんか、どこかのチームや団体に思い入れる、ということができないのね。冷めてる。


でも、良く組み立てられたルールのゲームで、熟練したプレイヤーが戦うのは、見ていて面白い。

見ているこちらとしてはそれほどルールの知識がないので、最初は何やっているんだかわからない。


だけど、意味不明と思っていた行動の理由を考えていて、解説者の言葉などでルールを知った時に全てがつながると、非常に面白く感じる。




パラリンピックでは、車椅子ラグビーのルールの巧妙さに唸った。


ラグビー、と言っていたのに、ラグビーらしくない。むしろバスケットボールのようなゲーム性を感じた。

でも、試合運びはバスケットボール程激しくない。ほぼ常に「1点差」か「同点」の状態で、この1点差も常に同じ側がリードしている。


ずっと追いつ追われつでだらだらとした試合展開。あまり面白くないよ? と思いながら見ていたけど、第1ピリオドの終わり間際になって、このゲームの見どころがわかった。


車椅子ラグビーは「時間調整」が元も重要なゲームだった。

ボールを持つと、だいたい15秒程度で点数を入れることができる。

それだけでなく、40秒以内に得点を上げられないとペナルティになる。


相手からボールを奪うことが難しく、ゴール後は相手ボールで始まるため、1点差か同点、という状態でゲームが進行する。


じゃぁ、どこで勝負をかけるかというと、「ピリオド終了時に1点差を守るか、同点にするか」の勝負になる。

一番良い方法は、ピリオド終了1~2秒前にゴールを決めて1点差にすることだ。


これを逆算すると、55秒目で1点差のゴールを決める、というのがセオリーとなる。


(その後、相手が速攻で同点にしても、10秒程度はかかる。残り45秒で、40秒以内にゴールする決まりなので、時間いっぱいまで使って1点差にすれば、相手には5秒しか残されていない。

 また、相手が40秒いっぱいに使って同点のゴールを入れた場合、残り15秒あるので十分点数を入れることができる)


ゲームの全ては、この時間調整のために回っている。

ゴール前で攻撃側がわざと動きを止めたり、それをわざわざ守備側が押してゴールさせたり。

「相手に得点を取らせることが重要な戦略」なんてゲームは、なかなか無いように思う。


ボールを持っているのにも制限時間があるのだが、選手がいつでも使える「タイム」によって、この時間をリセットする、という戦略もある。

ただし、タイムは試合全体を通じて、4回しか使えない。(1試合は4つのピリオドで構成される)

このタイミング配分も重要なカギとなる。


戦略が理解できてくると、非常に興味深い、面白いゲームだ。




ゴールボールも面白かった。ボッチャも…面白そうだから見てみたかったのだけど、残念ながら放送に出会えなかった。

(局によっては放送したのかもしれない。いくつかの時間帯を適当に録画していたが、ゲームの説明と試合結果しかやらず、試合自体を見られなかった)


いずれも非常に戦略的なゲームで、見ていて面白かった。



ゲームというのは、制限の中でどのような戦略を立てるかが見どころだ。

パラリンピックの場合、身体の障害といった「制限」があるわけだけど、それをゲームのルールに組み込んでしまえば皆平等になる。


正直なところ、遊べる機会があるならゴールボールはやってみたい。

ボッチャもやってみたいのだけど、このゲームはすごく難しそうだ。というか、上級者のレベルが高すぎて歯が立たなさそう。




足に障碍がある人々の重量挙げも見た。


もちろん、普通に重量挙げを行うのは無理なので、ベンチプレスで行う。

ルールが違うので一般の重量挙げと比較することは出来ないのだけど、少なくとも僕はあの重さを持ち上げられない。

足の障碍があったとしても、あの人たちは僕よりずっと健康体だろう。


重量挙げなので、体重別のクラスに分かれている。

だけど、この「体重」って、普通の人なら足の重さも入るけど、両足切断の人は足の重さがないわけだよね。


その分、上半身の筋肉をつけても良いことになる。

先に書いたように、普通の重量挙げと比較はできないのだけど、普通の重量挙げよりも有利な条件かもしれない。



同じく足に障碍がある人達の、走り幅跳びも見た。


リオオリンピックの金メダルは、8.38m だ。

パラリンピックは、8.21m 、オリンピックに出場していたとしたら、5位だったそうだ。


この金メダル選手は、オリンピックに出場したいと交渉したのだけど、「義足が有利に働いていない」と証明することが条件とされ、この証明ができなかったために諦めた。

(ちなみに、彼の作った障碍者世界記録は 8.40m で、走り幅跳びの世界記録は 8.95m だ)


障碍者の走り幅跳び選手の上位記録者は、みな義足で踏み切っている。

つまり、義足の弾力を効果的に利用すれば、少なくとも障碍者の中では記録を伸ばすことができる。


でも、障碍者はそもそも身体の左右バランスがとれておらず、走るときもうまく走れないし、着地もきれいではない。

義足はジャンプするうえで有利かもしれないが、義足をつけないといけない体は不利だろう。

有利な点も不利な点もあるのに「有利でない証明」だけを求めるのはフェアでないように思う。



そして、僕はこれは見てないのだけど、車椅子マラソンは非常に高速だ。

通常の記録は 2時間 2分 57秒。


これに対して、車いすマラソンは 1時間 18分 25秒、または 1時間 20分 14秒。

細かなルールの問題で2つの記録が存在しているが、いずれにせよ健常者よりもはるかに速い。




多くの人が知っていると思うので詳細は省くけど、パラリンピックに先駆けて、障碍者が「感動ポルノ」に使われている、と問題視される件があった。


そのため、パラリンピックをどのように見てよいかわからない、という人も少なからずいたようだ。


僕は競技内容にのみ興味があったので、淡々と中継(もしくは録画の放映)をするものを見ただけだ。

スタジオでの解説などがある番組では、多少は練習の難しさなどの「感動話」を伝えるものもあったかもしれないけど、全体としてお涙頂戴に仕立てるような感動ポルノはなかったと思う。


でも、これって見る側の心の持ちようでもある。

淡々と試合を放映をしているだけでも「かわいそうに、この人たち体不自由なのに、頑張ってるんだ」と勝手に感動ポイントを作りながら見ようとする人もいる。



体不自由なのに、とかは余計な情報だ。

障碍は関係なしに、単に自分ができるか考えてみればいい。


200kg のバーベルを持ち上げられるか?

アイマスクをしたまま、音と触覚だけを頼りに球技ができるか?

8m のジャンプをできるか?


変な感動ポイントを作ろうとせずに、目の前にいる人のすごさをそのまま見ればいい。

「かわいそう」で感動するのではなく、「この人すごい」と感動するのは、感動ポルノではない。



#もっとも、感動ポイントを勝手に作りたい人の心情もわかる。

 「自分にできるか」を考えるためには、自分を含め、一般的な能力がどの程度かを理解していないといけない。

 そんな理解がない人…残念ながら頭も悪く、普段から生活に注意を払っていないために、状況を自分に置き換えた想像もできない人は、競技内容や記録で感動することができない。


 そんな時、「代わりに」目が見えないとか、足がないとか、わかりやすい身体的特徴で話をするしかないのだ。

 こうした頭の悪さ、感受性のなさ、想像力のなさもまた、ある種の障害ではある。

 障碍者への理解を考えるのであれば、障碍者を理解できない人への理解も同時に考えないといけない。




話を少し戻して、「義足が有利でない証明」の話。


彼にとって、義足は靴のようなものだ。

じゃぁ、オリンピックに出ている陸上選手の「靴」が有利でない証明は出来るのか、という問題のようにも思う。


義足を「履いて」いることが問題になるなら、オリンピックでもみんな素足で競技をすればいい。


実際、靴は非常に重要だ。

競技場の床はゴム樹脂のチップを固めて作ってあり、スパイクを履けば足は滑ることなく、すべての力を前に進む力に使うことができる。


靴がなければ足は滑ってしまい、記録は落ちるだろう。


オリンピックが「参加することに意義がある」というクーベルタン男爵の精神を受けついているのであれば、義足の選手であっても、一定の基準に達していれば出場を認めるべきだと思う。



でも、一方で車いすマラソンの問題がある。

同じマラソンだと認めてしまうと、車椅子に乗っていない選手は出場できなくなるだろう。


それは「マイノリティにのみ権利を認める」ことになってしまい、「参加することに意義がある」オリンピックの精神に反することになる。

障碍者をどう扱うか。認めない場合も、認める場合も、オリンピックの理念を壊す可能性が大きいのだ。


結局、「義足が有利でない証明」は、パンドラの箱を開けないための苦渋の決断だったのではないかと思う。




また別の問題もある。


義足の選手がオリンピックに出ることを認めたとして、じゃぁオリンピックに統合しましょう、となってしまうと、パラリンピック選手のほとんどは出場できなくなり、活躍の機会を失ってしまう。


これは本意ではないだろう。多くのマイノリティに活躍の機会を与えることが、パラリンピックの目的の一つだ。


でも、パラリンピックとオリンピックが分断されていれば、マイノリティはいつまでたってもマイノリティだ。

マイノリティが認められる社会を目指すと言いながら、分断し、差別を続けることに繋がってしまう。



そこで、2段階に考えることは出来ないだろうか、と思う。


まず、パラリンピックとオリンピックは、今のまま分離した大会とする。

その上で、「直近数年間の記録を元に、健常者と障碍者の競技レベルが僅差である」と認められる場合にのみ、パラリンピック側の希望選手がオリンピックに出場することを認める。


「僅差である」というのは、言い換えれば「義足などが有利に働いていない」ということだ。

ただ、選手に証明を求めるのではなく、競技団体などが基準を作って判断する。


あくまでも「直近数年間」をもとに判断する。

車いすマラソンのように、明らかに差ができてしまったらそれは別の競技と考える。

(車いすマラソンだって、最初は健常者より遅かったのだ)


たとえば、次回の東京オリンピックでは、障碍を持つ走り幅跳び選手は出場できるかもしれない。

でも、その20年後に…義足がさらに進化し、障碍者のほうがはるかに良い記録を出しているようなら、出場を認めるわけにはいかない。



また、オリンピックでは一緒に競技することを認めるけど、これはあくまでも「お祭り」としてのものだ。

記録自体は別集計、が望ましいと思う。

将来障碍者の記録のほうが伸びたときに、過去の記録も疑いがもたれて後から抹消、とかややこしい話にならないように。




なんだか話が雑多にとっ散らかってしまった。


いろいろ書いたけど、言いたいことはただ一つだ。


いつの日か、オリンピックとパラリンピックの垣根なんてなくなって、それぞれ「性格の違う大会」ではあっても、同じようにみんなが…選手も、見る側も、楽しめればいい。


そのためにも、選手が相互に(もしくはパラリンピックからオリンピックに)乗り込んでくるような交流があっていいと思うし、見る側も障碍者を特別視するのではなく、普通の人として見ないといけない。


そこまで行っても、パラリンピック選手は「すごい技の持ち主」だから注目してもらい、普通に扱ってもらえるのかもしれない。


全ての障碍者が、普通の人、当たり前の隣人だと社会に受け入れられるようになる日が、早く来るといい。



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箱根小涌園ユネッサンに行きたい人へのまとめ(1/3)  2016-09-26 10:26:50  旅行記 社会科見学 家族

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箱根小涌園ユネッサンに行きたい人へのまとめ(1/3)

家族旅行で、ユネッサンに行ってきました。

旅行記は後で書くとして、興味を持ち、行きたい人向けの情報を先にまとめておきます。


なお、我が家は以前に「スパリゾートハワイアンズ」に行ったことがあります。

また行きたい、という子供に対し、近場で似た場所として行ってみた形。


先に結果を書いておけば、類似施設ではあるけど、全然違う楽しみ方です。

ハワイアンズは規模が大きくて、プール、風呂、フラダンスの見学など、2日間たっぷり楽しめる。

でも、関東に住んでいると行くのも大変。


ユネッサンは関東なら日帰りもできる距離で気軽ですが、基本的に「温泉での水遊び」だけです。

ただ、温泉ならではのパフォーマンスが行われていて、見学ではなく参加型。これがすごく面白い。

3時間では時間が足りないけど、6時間滞在すれば十分かな。



旅行時の情報を書いておきましょう。

我が家は家族5人。子供は、小学校6年生、3年生、1年生の3人です。

訪れた日は大雨警報の出る荒天で、気温も低く、水着で外に出ているのは寒い状態でした。

神奈川県内から車で訪問しています。


ユネッサンは本来ホテルの一部としての施設で、宿泊するとお得になるシステムもありますが、今回はユネッサンのみの利用です。

併設された温泉施設「森の湯」は利用していません。

(ユネッサンは温泉を利用していますが、水着着用のプール扱い。森の湯は裸で入る温泉施設です。

 それぞれ別料金で、両方入れる共通パスポートもあります)




まず、ユネッサンのシステムと、準備するとよい持ち物から。

特にシステム。公式ページにあまり書いていないので、行くまでよくわかりませんでした。



入り口から長いエスカレーターで4階にのぼり、入園手続きをすますと、人数分のリストバンドが渡されます。

親の分には鍵が付いており、子供の分には(基本的に)鍵がありません。


この時点では入園料は不要です。帰るときの後払い。精算時にはクレジットカードも使えます。

リストバンドには番号とバーコードがついていて、園内での買い物はすべて腕輪で行えます。


#子供用でも買い物ができるのだと思いますが、未確認。

 また、一緒に渡したリストバンドでグループを管理していて、迷子時には身元確認代わりになる、と書かれているページもありましたが、これも公式には書かれていないので未確認。


鍵付きリストバンドの番号が、そのままロッカー番号になります。


ロッカーは大きいです。長い傘がそのまま入れられるサイズ。

ハンガーもついていて、上着を着ていてもしわにならずに掛けておけるサイズ。


だから、子供の荷物を一緒に入れても大丈夫。

コインロッカーではなく、鍵を借りている形なので、開け閉め自由です。


ロッカールームの端にはシャワー・石鹸・洗面所なども完備していて、水着用の脱水機もあります。

帰るときには利用しましょう。


当然ながら男性と女性はロッカールームが別。


ロッカールームを過ぎた先にプールがあるので、待ち合わせはプール側で。

「時計広場」と名付けられていて、特に大きいわけではないけど、見やすいデザインの時計があります。


実はこの時計、園内のいたるところにあります。防水の腕時計など持っていなくても大丈夫。

ただし、園内でも屋外部分にはありませんでした。



園内には、いろいろな所の壁にフックがつけられています。

なので、手回り品などはプールバックに入れて持ち込んでおけば、フックに掛けておけます。


貴重品をそのまま見える状態にしておくのはさすがに不用心なので、上からバスタオルなどを入れておくといいかと思います。

また、スマホなどには「自分の位置を検索できる」機能があることが多いので、盗まれた際の対策として、仕込んでおきましょう。



レストランはプールサイドにあり、水着のまま利用できます。

室温は水着でも寒くないように調整されていますが、上から羽織るシャツとか、バスタオルなどがあるとよいかもしれません。

ただ、うちの家族は用意していた服を使いませんでした。


実はレストランとは別に目立たない場所にファーストフード店があり、こちらも覗きに行ったのですが、座席付近の室温が少し下がっていました。

こちらを利用しようと思ったら、服は必要かもしれません。




ところで、ユネッサンは水着もタオルも有料で貸してくれます。

箱根では珍しい、「雨でも1日楽しめる施設」なので、急に予定変更してきても大丈夫なようにしているようです。


もちろん、最初から目的に入っている場合は、水着は持って行くべきです。

水深は 90cm 程度ですが、小さな子供がいる場合は浮き輪があると楽しいかもしれません。


浮き輪は 100cm 以下のもの(大人用でないもの)であれば持ち込み可能で、無料の電動空気入れがあります。



タオルに関しては、WEB で配布しているクーポンを使うと、サービスで無料になる場合もあります。

クーポンは当然入園料も安くなるのでありがたいのですが、タオルを借りられると荷物が減るので地味にありがたい。


ぜひ利用しましょう。

ただし、クーポンは時期により変わるので、必ずタオルセットがあるかは知りません。


このクーポン、スマホ画面を見せるだけでも良いので、雨が降ったので急遽…という場合でも、利用できないか検討してみるとよいかと思います。


#クーポンは予告なく配布終了する場合もあるそうですが、その際も印刷してあれば期限までは有効だそうです。

 旅行の予定に組み入れてある場合は、印刷しておいた方がよさそうです。



話が長くなるのでいったん区切ります。

次は、屋内お風呂・プールの見どころを紹介しましょう。


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箱根小涌園ユネッサンに行きたい人へのまとめ(2/3)  2016-09-26 10:28:09  旅行記 社会科見学

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箱根小涌園ユネッサンに行きたい人へのまとめ(2/3)

家族で旅行で行った、ユネッサンの紹介をしています。

屋内エリアの紹介をしましょう。


ロッカールームから先に進んで園内に入ると…記念撮影されます。

撮影は無料ですが、写真が欲しければ有料、という良くあるシステム。


レイ(花の首飾り)を渡され、子供が興味を持ってしまったので、順番待ちの間に家族で持っているカメラで子供を撮影しました。

有料の写真は買いません(笑)




▼神々のエーゲ海


園内に入ると、目の前に大きなプールがあります。

…学校の 25m プールよりも小さいし、浅いですけど。


プールを期待している場合、これが全てです。あとは「お風呂」。


先に書きましたが、水深は一番深いところでも 90cm 程度。

子供が泳ごうと思えば泳げなくはない。大人が泳ぐにはちょっと浅い。

「水遊び」が中心だと考えていいでしょう。



30分おきに 10分程度、照明が点滅して音が轟く「雷」の演出があって、入り口から見て奥にあるステージの上から、水とシャボン玉が飛び出します。


子供にはこれが楽しいようで、シャボン玉をいっぱい「浴びる」こともが多いです。

水に濡れていると、体や手のひらにシャボン玉がくっついて、割れないのを楽しめます。


…子供の滑らかな肌だから割れないけど、僕がやっても全然ダメでした。



このプールの横には、壁からお湯が3本噴出している、打たせ湯のスペースもあります。

狭くて地味だからあまり気づかれない。でも、子供は頭からお湯を浴びて修行僧ごっこしていたり、結構楽しんでる。

うちの子供だけでなく、場所が狭いからこそ奪い合いになるスペースでした。

(親としては譲り合うように促しましたけど)



▼ワイン風呂

▼本格コーヒー風呂


どちらも「風呂」と名前にあるように、泳ぐようなスペースはありません。

名前の通り、ワイン・コーヒーが入った風呂で、1日3~4回の「投入パフォーマンス」があります。


これがね、非常に面白い!


公式ページの写真を見る限りだと、ただドボドボと本物のワインなどを入れて見せる、というだけのように見えます。

でも、実際には希望者の頭上から、思いっきり巻き散らかし、降り注いでくれるのです。

しかも、その前に全員で「コーヒー頂戴!」などと連呼する。妙な連帯感が生まれます。


ちなみに、より面白いのはコーヒー風呂の方。

ワインはさすがにたくさんは入れられず、ボトル3本とバケツに1杯だけでした。

でも、コーヒーは事実上無制限。何度も繰り返すから掛け声の連帯感もより高まりますし、1人づつに頭からドボドボとコーヒーをかけてくれたりもします。


また、ワインは子供に言わせれば「臭い」らしい。

その上、ワインが目に入るとちょっと痛い。子供にはあまり楽しめない。


さらに、コーヒー風呂のほうがお湯の温度も高く、水深も深いです。

屋外への出口付近にあることもあり、寒くなったらここに戻ってくる、という拠点の一つとして使ってました。



▼緑のテラス


風呂の名前としては「緑のテラス」で、小さなジャグジーが3つあります。

それぞれ泡の出具合が異なります。


実際には季節イベントに使い、名前が変わっていることが多いようです。

今回行った際には、「ガリガリ君ソーダ風呂」になっていました。


そして、ここでも投入パフォーマンスがあります。

コーヒーやワインとは違い、本物のガリガリ君ではありませんが。


最初に、小さなガリガリ君を3つある各風呂に入れます。

「当たり」が出た風呂から順に、特大のガリガリ君を投入していきます。


ちなみに、小さなものも大きなものも、入浴剤で色を付けた氷なのだそうです。

特大のものは、しばらく風呂につけても溶けずに3つの風呂にそれぞれ2回づつ投入できるほど大きいです。


あたたかい風呂に特大の氷を入れて、子供たちは喜んでそれに抱き着く。

「冷たーい!」って大喜びしているけど、夏に動物園のシロクマが氷に抱き着いているのを見るようです。


ちなみに、ワイン・コーヒー・ガリガリ君の3つの風呂で投入パフォーマンスをやっているお兄さん、同じ人でした。


ガリガリ君風呂でのパフォーマンスは、お兄さんのテンションがちょっと低かったです (^^;

頭からかける、という一番盛り上がることができないからかな。


ワイン・コーヒー風呂の盛り上がりは、この人の会話術が非常に上手だったからです。

でも、この人が常にやっているのかは知りません。




屋内にはこのほかにもいくつかの風呂がありますが、それほど面白くないのでまとめて説明。


▼緑茶風呂


コーヒー風呂の横にありました。小さいです。

本物の緑茶、となっているのですが、色は青っぽかったし、香りも特に感じません。


コーヒー風呂のほうが強い香りがあるため、香りが感じられなかっただけの可能性もあります。


▼酒風呂


こちらも、緑茶風呂と並んでコーヒー風呂の横にあります。

同じく小さいです。


お湯が流れ込んでくる樋の上に、なにかがポタポタと滴る筒が…

手に受けて匂いを嗅ぐとわかりますが、本物の酒です。


▼アロマルーム


こちらも、上の2つの風呂の並びにあります。

扉の付いた部屋なのでサウナかと思ったら、特にあたたかいわけではなく、香りのする部屋でした。


▼温石処


オンドル浴…というほど暖かくはない。

ほんのりあたたかい石のステージがあります。


…でも、それだけ。

寝そべってみた人も、すぐに次のところに行ってしまう程度。

スペース的には2~3人分くらいしかないのだけど、特に混んではいません。


▼ボザッピィの湯ゥ遊広場


子供遊びスペースです。

3歳くらいまでなら楽しめそう。


プールなんかにもある水遊びスペースだと思ってもらっていいのですが、お風呂なのでソフト素材のお風呂おもちゃがたくさん浮いています。


ちなみに、この脇には水飲み場があります。

子供に「喉が渇いた」と言われたとき、ここに来ればいいので、覚えておくといいです。


▼ドクターフィッシュの足湯


ここだけ時間限定で有料なので、僕は体験してません。

有料と言っても 100円だから、気軽に体験できると思うのですが、人気があるので時間前から列に並んでないと入れない…


名前の通り、魚が足の角質をついばんでくれます。


ドクターフィッシュは皮膚病などの疾患部を食べてくれることで治療効果がある、とされるためにこの名前があります。

でも、感染症予防のため、皮膚疾患がある方は体験禁止だそうです。




屋内は以上。

続いて屋外の紹介に行きますが、長いのでいったん区切ります。



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箱根小涌園ユネッサンに行きたい人へのまとめ(3/3)  2016-09-26 10:30:46  旅行記 社会科見学

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箱根小涌園ユネッサンに行きたい人へのまとめ(3/3)

家族で旅行で行った、ユネッサンの紹介をしています。


つづいて、屋外設備の説明に行きましょう。

ちなみに、体験日は雨でした。屋外に行けば、当然雨が降っています。


▼ロデオマウンテン


屋外に出ると、目の前に人工の山があり、山肌にスライダーが作られています。


いわゆるウォータースライダーです。

「ロデオマウンテン」は一応このスライダーの名前のようですが、山の名前でもあるようです。


スライダーには、イージー・ノーマル・ハードの3コースあります。


イージーは小さな子供向け。勢いが出ないため、体重が重いと途中で止まってしまいます。

小学校1年の次女はイージーばかりやっていたけど、6年の長男だともう止まってしまう感じ。


ノーマルは適度に速度も出て、左右に振られて誰でも楽しめます。

妻と3年生の長女は、ノーマルが一番楽しいと言ってました。


ハードは、激しく左右に振られ、多くの人が転倒します。

慣れると態勢を保って転倒しないようにするのが面白いのだけどね。

僕はハードばかり滑ってました。


妻によれば、ある程度体重がないと、カーブの際に速度が落ちてしまうようです。

これが妻がノーマルが楽しいと言っていた理由で、自分の体重に合わせて選んだほうが楽しめるらしいです。




僕が行ったときは雨も降っていたため寒く、人気があるロデオマウンテンに並んでいると体が冷えました。

山頂には温泉があるので、グループの場合は交代で温まりながら並ぶのが良いかと思います。


また、滑り降りたところにあるプールからは速やかに出なくてはならないのですが、出てすぐのところに小さな風呂があります。

グループの他のメンバーを待つときは、そこに入っているとよいでしょう。



ところで、ロデオマウンテンは 110cm 以上でないと利用できません。


うちの次女は 108cm なのですが…「ほぼ 110cm」ということで、係のお兄さんに OK をいただきました。

背の高さが微妙な子は、一度 OK が出れば、「110cm 以上だった」という印の腕輪をもらえます。

これがあれば、後は何度でも楽しめます。


係の人は、時々交代します。そして、人によって判断も甘かったり厳密だったりするようです。

子供の背が微妙な時は、何度も足を運べばあるいは、許可が出るかもしれません。



▼龍の水辺


ロデオマウンテンの山頂から温泉の滝が流れ落ち、山の脇に池を作っています。

ここが龍の水辺。もちろん暖かいです。屋外なので温度は高め。


滝に打たれて修行ごっこもいいと思いますし、滝の裏には洞窟があります。



▼洞窟風呂


滝の裏の洞窟は、洞窟風呂になっています。


中で繋がっているのですが、滝の裏も含めて入り口は3つ。

そして、洞窟風呂も3種類。


ひとつは、洞窟らしい薄暗い風呂です。

中央に「マリンローズ」という岩手県の野田村でしか産出しないという珍しい石で作られた玉が飾られているのですが…

なぜ岩手県? 箱根で産出する石、とかならわかるのだけど。



調べてみると、過去にユネッサン内に「縁むすび風呂」というのがあって、そこに飾られていたのね。

マリンローズ自体がパワーストーンとして「縁むすび」の意味を持つようですが、それ以上に震災復興支援の一環でもあったようです。

それなら岩手からわざわざ運んだのも納得。


さて、残る二つは、上部から橙色の光が注ぐ風呂と、水面下で緑色の光が輝く風呂。


おそらく、橙色の風呂は、洞窟の天井に穴が開き、太陽光が降り注ぐイメージなのでしょう。

そして、緑色の風呂は、イタリアのエメラルドの洞窟



ところで、先に「入り口は3つ」と書きましたが、実はもう一つあります。

洞窟内から階段を登ると、ロデオマウンテンの山頂に出られます。



▼サウナ


龍の水辺の横に、大きな窓があり、中のサウナが見えます。

というか、サウナからロデオマウンテン全体が見えるようにしてあるのですね。


サウナの温度はちょっと低め。

長時間入っていられるので、子供がロデオマウンテンで遊んでいるけど、寒いから暖かい場所にいたい…という人向けのようです。


中は木の香りがする落ち着く空間でした。



▼ボザッピィのジャングルジム


屋内にも「湯ゥ遊広場」というのがあったボザッピィ

…彼はいったい何者なんだ、と思いますが、一応ユネッサンのキャラクターです。

四角い顔の猫で「ハコネコ」。箱根と掛けてます。


それはともかく、名前の上ではジャングルジムで、格子状にパイプをくみ上げてあるのですが、登ることはできません。

上から落ちる水をいろいろな仕掛けが受け止め、流れ落ちてくるのを楽しむもの。


水車にたまった水が時々一気に流れ落ちてきたり、ホースから強く流れ出してくる水があったり、滝のように流れる水があったり…


…いや、面白そうに書いてみましたが、保育園児向けです。

小学校1年生の次女が興味を持ったので行ってみましたが、水車から水が落ちてくるのをゆっくり待って2回ほど浴びたらそれで満足しました。




一応屋外施設としてはこれだけなのですが、イベントとしてフジテレビの「めちゃ×2イケてるッ!」の企画で作られた、「小涌園のわき園」という温泉もありました。


番組は、一時期楽しく見ておりました。…15年くらい前までね。

今でも続いていることを知らなかった。もともと内輪うけの好きな番組だったけど、温泉も非常に内輪うけだった。


つまりは、番組を見てないと面白くもなんともない、ということです。

子供受けを狙った仕掛けも多数あったのだけど、うちの子供としては、すべて「面白くない」という反応だったし。


楽しんでいるらしい家族もいました。おそらくは番組を見ているのでしょう。

一方で、うちと同じように、とりあえず見に来たけど面白くないのでひとめぐりして帰る、という人も…こちらの方が圧倒的多数で…いました。



あの番組の芸人さんて、基本的に「空気を読んで面白いことを言える人達」だと思うから、本人不在で面白がらせる仕掛けってできないのだろうな、という印象。


まぁ、こういうのはファンサービス的に行う企画なので、見ている人だけが楽しめるというのも、それはそれでいいと思います。




さて、記事を3つに分けて書いてきましたが、最後にまとめを。


半日では物足りない施設だけど、1日楽しむのはちょっと難しいかな、というボリュームです。

着替えなどの時間も含めて6時間くらいが目安かな。


我が家の場合、朝9時半に到着し、10時ごろから遊び始めました。

まずはどんなものがあるのか見てみよう、と、屋内をひとめぐりして11時。

実は、この間にガリガリ君の投入ショーも体験しています。


そして、屋外もひとめぐりして12時。

多分、飽きる人はこれで飽きます。全部見てしまったのだから。

これなら「半日しかもたない施設」です。



屋外で寒かったので、暖かいコーヒー風呂に戻ります。

そうしたら、なんだか妙に混んでいる。ここで、投入パフォーマンスの時間が近いことに気付きます。


折角だから見て行こう…と、特に期待せずに見たら、これが非常に面白い。


この後は昼だったのでご飯を食べたのですが、レストランからはワイン風呂が見える位置にあります。

食事をほぼ食べ終わった時に、投入用のワインを運んでいるのが見えたので、慌てて駆けつけました。

こちらも是非見たいと思ったから。



ちなみに、パフォーマンス自体は1回15分程度。

次々と見て行けるような時間設定になっています。


でも、ワイン風呂見たらそれで「全部」だったんだよね。うちのばあい。

もういちどロデオマウンテン行きたい、とか子供の要望に答えてましたけど、15時には出ようと思ってました。



そうしたら、「コーヒー風呂のパフォーマンスが面白かったからもう一度見たい」と長男からの提案。

ちゃんと時間をチェックしていて、15時からガリガリ君、15時半からコーヒー風呂だそうです。


結局終了は、予定から1時間延長しての、16時。さすがにもういいや、という感じ。

19時までは営業しているので「丸1日」ではありませんが、十分に楽しめました。



最初に書いた通り、施設を見て回るだけなら2~3時間でできます。

投入パフォーマンスの面白さに気付くと、さらに2~3時間楽しめます。


ということは、投入パフォーマンスを見ないユネッサンは、料金の半分損してます。

「ただワインやコーヒー入れるだけでしょ? 興味ない」って思わずに、時間調整してでも見ましょう。


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秋の家族旅行  2016-09-26 10:35:47  旅行記 家族

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さて、先に施設を紹介しましたが、家族でユネッサンに行ってきました


2年前に、東北震災復興支援のつもりでハワイアンズに行ったのですが、子供が「もう一度行きたい」というので、近場の箱根に行ってみた、という感じ。


また、箱根は昨年小規模な噴火があり、観光客の客足が途絶えました。

すでに規制などはほぼ解除されているのですが、一番困っている時から、地元民として「箱根の応援に行きたい」と思っていたので、やっと行けたという形です。



日程は、9月22~23日。22日は秋分の日で祝日、23日は金曜日で平日ですが、子供たちの小学校の運動会が2週間前の土曜日にあり、振り替え休日になっています。


飛び石連休に運動会の振休を当てて4連休を作り出す、という先生方の粋な計らいに乗せてもらった形で、1か月前から予約を入れていました。




ところが、当日は生憎の荒天。


神奈川県全域に大雨警報・雷洪水注意報が出されている中での旅行になりました。


我が家の旅行によくあるように、朝は5時半に起き、6時に家を出発します。

…という予定が、6時10分ごろ出発になるのもいつも通り。

特に、強い雨が予想されたので持ち物を再構成したので時間がかかりました。


平塚の馬入川は、大きな川なので橋が少なく、渋滞の多発地域です。

7時前に馬入川にかかる湘南大橋を渡ってしまう、というのが目標。


祝日とはいえ、大雨なので出かける人も少ないようで、全く渋滞せずに橋を渡れました。

あらかじめその先のガスト平塚海岸店をカーナビの目的地に設定していました。

朝ごはんです。


予想以上の大雨の中、ゆっくり朝ご飯を食べて出発は8時。

有料道路を使わずともユネッサンに9時頃にはつける、という道路予測だったので、それに従います。


…甘かった。8時を過ぎたら車が増え始め、到着は9時半になりました。

でも、9時ごろは強かった雨が9時半には少し小降りになっていて、車からユネッサンまで難なく歩けました。


また、一日中雨は降っていたのだけど、ユネッサン周辺では「どうせ温泉入って濡れるんだし、雨でも気にしない」と思えれば屋外で十分遊べる程度にしか降りませんでした。


#大雨ではないけど、普通に雨。



ユネッサンについてはすでに書いた記事を参照のこと。

非常に楽しめる施設でした。


ただ、本来ユネッサンは「箱根ホテル小涌園」が建てた施設なのね。

そのホテルに泊まってもらうことが狙いだし、ホテルとセットだと割引率もいい。


でも、小涌園は結構高級なホテルです。

いくつかの宿泊施設があって、一番安い施設でもそこそこする。


だから、今回は近くの別のホテルを取っています。


そちらのホテル、夕方5時までにチェックインすると、夕食が選べます。

車で5分程度の距離なので、4時半ごろにユネッサンを出発します。



ホテルグリーンプラザ強羅、がホテルの名前です。

すごい安いわけではないけど、2食付いて大人1人1万円程度、という条件で見つけた宿。


安宿のつもりだったのだけど、ここがすごくいいホテルだった。

あまりにいいホテルだったので、後でまた別記事書きます。超おすすめ。


このホテルを選んだ理由の一つが、強羅と言いながらも、早雲山駅に近いこと。

早雲山駅前の駐車場が、夜になるとがら空きで自由に使えて、星がすごくきれいにみられる、ということなので行ってみたかったのです。


…でも、当日大雨だったけどな。

夕方には警報は解除になりましたけど、注意報はずっと出たままでした。

そして、翌日にはまた警報が出ます。




翌日は、子供たちに小田原城を見せてやろう、という予定でした。

「ブラタモリ」とかでお城を見て興味を持っていたし、箱根旅行で度々小田原城の前は通り、いつか見ようと言い続けていたので。


でも、お城って参道を歩くのが楽しいのよ。大雨では歩きたくない。

子供たちが寝た後に、夫婦で相談して「様子を見ながら、雨が強すぎる場合はどこかの美術館にいこう」と決めます。


翌朝、6時ごろは土砂降りでした。


これが、朝ごはんを食べる時間には小降りになり、チェックアウトの9時ごろには雲の切れ間に青空さえ見えるようになります。


でも、大雨警報は依然出たまま。

ピンポイント天気予報を見ると、12時ごろまでは晴れ間があるけど、その後強い雨です。


昼まで晴れなら、なんとかなる。

小田原城に行くことにします。


小田原城の様子は、次のページに。


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小田原城  2016-09-26 10:36:23  旅行記 社会科見学 家族

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秋の家族旅行の話を書いています。


僕は子供の頃と、大学生の頃に小田原城に行っています。


その時の印象は、本来の格式が感じられず、客集めのためにわけのわからない空間になっている、というものでした。

申し訳ないけど、見る価値がない、と思いました。


だって、そのころは天守閣の前が動物園になっていて、象や猿がいたのだもの。


でも、さすがにこれが不評で、段階的に動物園は廃止になっています。

動物の引き取り先が見つかるか、老衰して死ぬまではちゃんと飼育する方針なので、今でも猿はいたのだけど。


小田原城は今年の5月までに平成の大改修が行われ、本来の姿に近づいた、とされています。

それも今のタイミングで見に来たかった理由。


でも、久しぶりに見て初めて知りましたが、子供のころに比べて参道の門が順次復元されたりしているのね。




城の外郭、三の丸はすでに市街地になっています。

二の丸の入り口、馬出し門から歩き始めてみます。


門は2つあり、外の門を突き破って中に入っても、そこに閉じ込められる仕組みです。

そして、閉じ込められれば周囲からの集中砲火を浴びます。


さらに、2枚目の門は、天守を目指した際の背後側です。

もちろん門の横には銃眼があるので、背後から撃たれます。なんて恐ろしい。


馬出し門の2枚目を突破しても、銅門があります。

ここももちろん、扉は2枚。


1枚目は普通の木の扉です。

突き破って入ると…その先に、ひときわ大きい、銅で装飾された扉があります。


あくまでも「装飾」で、金属製の扉ではありません。

でも、ここまで3枚の扉を突き破るまでにかなりの戦死者を出しているだろうに、ここで「金属製」と見せかけるだけでも心を折るには十分なはず。なんて恐ろしい。



ここまで一気に解説しましたけど、実際には結構距離ありますよ。

子供と一緒に歩きながら解説していると、子供は非常に楽しんでみています。


ところで、ちょうど秋分の日の頃に行ったので、彼岸花が土手に咲いています。

お堀の土手を強化するために彼岸花を植えたのでしょうね。


彼岸花は根が密集するので、土手を強くします。

そして、毒があるのでネズミが根を食い荒らすこともありません。


さらに、彼岸花の根は水にさらせば毒を抜いて食べられます。

籠城の際の食料にも転用できるわけです。




銅門を抜けると、一気に本丸まで駆け上る、長い石段があります。

鎧を着た歩兵は、ここを一気に駆け上るのはつらいでしょうし、騎馬兵も馬を捨てる必要があるでしょう。


そして、石段の上には常盤木門があります。これも鉄で装飾されています。

どこまで心を折れば気が済むんだ。


常盤木門を突破したら広い庭があります。

今は先に書いた猿がいますが、戦国時代には住居があったようです。


その住居の向こうには天守が見えていますが、住居の間の細い道は行く手を塞ぐ関門になったでしょう。



いよいよ天守閣。

長くて細い石段を登り、中へ。




天守は再建されたもので鉄筋コンクリート製。

昔来た時は…残念ながらよく覚えていませんが、中はそれほど「お城らしさ」がないものだったはず。


今は、小田原城の歴史や構造が学べる博物館になっています。


天守の高さでは、現存する(再建含む)城の中で7位。

模型により木造時の骨組みの構造もわかります。


古地図や発掘を元に作られた当時の様子を、模型やCG画像で解説します。

数分間の映画が上映されていて、北条氏の歴史などをドラマ仕立てで学べます。


小学校6年生でちょうど日本の歴史を学んでいる長男から「北条氏って、鎌倉幕府の北条氏の末裔?」と質問が来ました。

わからないけど、近いしそうなんじゃないかな…と答えたのですが…



すぐ後に、パネル展示で北条一族の歴史がありました。

鎌倉幕府の北条氏とは無関係。関西からやってきて小田原周辺を攻め、我が物としたそうです。


でも、それは「よそ者」であり、風当たりが強かったために2代目から北条を名乗ります。

鎌倉幕府の有力者の名前を使うことで、「よそ者」感を無くしたわけです。


あー、小田原北条氏、ってわざわざ区別する理由はそこだったのか。

勉強不足で知りませんでした。



さらに、小田原北条氏滅亡に繋がる小田原合戦の様子を伝える数分の映画がありました。

先の、歴史を伝えるドラマと同じ俳優を使い、2画面を使ってドラマの進行と当時の時代背景を同時に伝えるなど、非常にわかりやすい工夫された内容です。


小田原城が秀吉の「日本統一」に最後まで立ちはだかっていたこと、なぜそれほど守りが強かったのか、攻め落とした秀吉の作戦は、当時の常識をどう破っていたのか、などなど、勉強になりました。



#ところで、「のぼうの城」という映画を見たことがある。

 小田原合戦の際の周辺の支城の一つの戦いを描いたもの。

 合戦で残ったのは、舞台となる「忍城」だけだったのだけど、このこともちゃんと合戦映画の中で描かれていた。

 支城というので小田原周辺かと思っていたら、埼玉にあるのね。

 小田原北条氏の勢力が広かった、ということなのだけど。




そのあとは、小田原城に伝わる美術品・宝物品などの展示などがあります。

北条氏が滅び、小田原城の開城後は、小田原合戦に参加した武将たちが、国に戻って自分の居城を「小田原城式に」改良しています。

皆が真似したがるほど、守りの強固な城だったのです。


ある意味、合戦への動員が、優れた技術を学ぶ「社会科見学ツアー」になっていたのでしょう。


小田原城も、江戸時代は徳川家が利用しています。

しかし、江戸に比較的近く、あまりに守りが固すぎるため、弱体化するために堀を埋めたり土塁を壊したりされています。




「その後の小田原城」として、明治期の写真が多数展示されていました。


小田原城の天守は江戸期の震災(1703)で焼失した、と思っていました。

だから昭和になってから鉄筋コンクリートで再現したのだと。


でも、江戸期の焼失は、その後再建されていたそうです。

それが、江戸末期の大地震で再び損壊(1853)。


そのまま幕末の動乱期となり、修復の機会のないまま大政奉還(1867)を迎えます。

そして、廃城願いがだされ、解体されます(1870)。


解体は明治期に行われているため、解体前・解体中・解体後の写真が残されています。

展示されているのは、これらの写真から始まる、再建までの歴史写真集。


解体後は天皇の御用邸として新たな建物が作られますが、関東大震災で損壊。

一部は学校として、一部は子供のための動物園・遊園地としての利用が始まります。


この頃、天守閣の跡地に観覧車が立っていた写真があります。

それほど大きなものではありませんが、石垣の上に立っていたので見晴らしは良さそう。



これを見て、子供の頃の思い出が重なりました。

天守の付近に動物園などがあって「歴史の重みを感じられない」と思ったのですが、そもそも天守閣の再建前に遊園地が作られているのですね。


もっと言えば、小田原城天守閣の見晴らしのよさは昔から有名だったそうです。

天守閣解体後、少しでもその見晴らしに近づきたいと思えば「観覧車」はよく考えられた策だったのかもしれません。




城の中は5階建てで、小学校1年の次女は歩き疲れていました。

歴史の話は難しすぎることもあり、文句たらたら。


最上階から外を眺めてちょっと笑顔になりましたが、今度は「おなかすいた」と。

時計を確認すると12時半でした。



ご飯食べにいこう、と階段を下りていきます。

「早くご飯」とさんざん言っていたのに、出口付近のお土産物屋では一生懸命お土産を選んでいましたけど。



長くなったので続きます


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おもしろ歴史ミュージアム・かまぼこの里  2016-09-26 10:38:04  旅行記 社会科見学 家族

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秋の家族旅行の話を書いています。


小田原天守閣の出口まで行くと、外は雨が降っていました。


実は、入館チケットは近くにある「おもしろ歴史ミュージアム」とのセットを買っています。

ご飯を食べるために外に出たくないので、天守閣付近の蕎麦屋で済ませることにします。


ここの蕎麦屋、まぁ味は普通なのですが、ちょっと工夫したメニューがありました。

二つだけですけど。


・北条氏うどん


小田原北条氏の初代、北条早雲は、関西のほう(生まれは定かでない)から小田原にやってきました。


そこで、関西風の出汁の効いたうどんに、小田原名物である梅干しを入れたうどんになります。

食べましたが、梅干を細かく潰してつゆに混ぜると、ほのかな酸味がおいしかったです。


・早雲そば


こちらも早雲の名前を取っていますが、イメージとしては箱根の早雲山のようです。

ロープウェイでいえば中腹の駅ですが、天候が悪くなると雲がかかりやすいあたりです。


というわけで、早雲そばは雲をイメージした「とろろ」(昆布ではなく、山芋のほうね)が入っていて、月をイメージするうずらの卵が乗っています。


…えーと、普通の蕎麦屋さんでいえば、とろろ月見そばですね。

子供が頼んだので味見させてもらったけど、普通にとろろそば。


名前を変えただけと言われればそれまで。

でも、少しでも小田原城らしくしようという工夫が良いです。




銅門から平地を歩き、石段を登り始めるふもとに、「おもしろ歴史ミュージアム」があります。


子供にはこちらの方が楽しみやすいだろうと思って最初からセットで考えていたのですが、小学校1年生にはやはり難しかった (^^;;


早雲が小田原を手に入れるまでのいきさつが、電気紙芝居(というより影絵)で紹介されます。

武士でないものには優しいが、武士に対してはとことん追い詰める早雲。

出家して坊主になっても追撃の手を緩めず。恐ろしい。



小田原北条氏最大の勝ち戦、河越夜戦が書割人形劇で紹介されます。


北条氏3代目氏康の時代、北条氏の城であった河越城が上杉連合軍に襲われ、籠城に入る。

氏康は8千の兵を率いて救援に向かうが、上杉は8万。戦力差10倍という無謀な戦い。


そこで、最初から認めて和議を申し入れる…ふりをする。

和議が受け入れられずに攻撃されたら、戦わずに逃げ回る。とにかく「戦う気がない」ふりをする。


これで相手側が気が緩んだら、風魔忍者を送り込んで旅芸人などのふりをさせ、さらに相手側の戦意を失わせる。


そして、タイミングを見て反撃。

これも、相手を「殺す」ことを目的とせず、攪乱して相手が逃げ出すように仕向け、統制力を奪う。



そして、小田原城の最期の劇。

こちらは、マネキン人形とスクリーンへの上映、客席の周囲に描かれた絵などを駆使した、非常にユニークなスタイル。



あの手この手で子供に興味を持たせようとしているのはわかります。

でも、文語口調で語るので子供には内容が理解しづらいし、音声自体が小さくて聞き取りづらい。

(マネキン劇だけは、音が大きくて聞き取りやすかった)


さらに、内容が古い。

多分歴史研究によって新事実が発掘されているのだろうけど、小田原城内の映画での説明と食い違う部分もある。


とはいえ、早雲の生涯や河越夜戦については、城内では説明されていません。

(最期については城内でも説明され、それが微妙に食い違ってます)



補完する内容なので、両方見るとより楽しめるでしょう。




一通り見て、時間は2時過ぎ。

帰るには少し早いので、少し箱根側にもどり、風祭にある「かまぼこの里」を目指します。


というか、最初からその予定だったのだけど。


今年に入って改装工事を行っていて、旅行の前日に仮リニューアルオープンしたばかりです。

(一か月後に本リニューアルオープンで、3階にキッチンラボができるそうです。

 今までもかまぼこ・ちくわづくり体験ができたのですが、キッチンラボでは揚げかまぼこや、かまぼこを使った料理などが作れます)


改装工事は、おそらく「綺麗にした」だけで、内容は全く変わってません。

13年前に体験した内容を書いてますので、詳細はそちらをご覧ください



今回は手作り体験はしていません。

小田原城がリニューアルして、どれくらい楽しめるか不明だったから、予約入れなかったんだよね。


でも、かまぼこ博物館や、その2階にあるかまぼこ板美術館は、子供には非常に面白かったようです。


最後に、隣にある売店でお土産を買って帰りました。

サツマイモを練り込んだ しんじょう と、高級魚肉ソーセージ。


高級魚肉ソーセージは、魚肉ソーセージなのにあらびきウィンナーっぽいの。

プレーンと、エビ入りフランクを買ってきました。


#ソーセージではなく「シーセージ」「シーフランク」と呼ぶのが正式名。


プレーンは、味は明らかに魚肉ソーセージなのだけど、歯ごたえがちょっと違う。

フランクは、あらびきのエビが肉っぽい感触と味を作り出している。でも魚肉ソーセージ。


お土産としては面白いけど、普通にスーパーに売っていたら買うかというと、微妙です (^^;;




旅行の2日間、大雨警報が出っぱなしでした。


でも、車に乗っている間とか、屋内にいる間とかに大雨が降り、少しやんだタイミングで移動…という形で楽しめました。


実は、スマホの天気予報アプリを使って、雨雲レーダーの予測で時間調整していました。

ピンポイントの雨の様子を、1時間先まで5分単位で予測してくれるので非常に便利。


以前から使っているのですが、大活躍の2日間でした。



最後に、今回泊まったホテルが素晴らしかったので、その話を書きましょう。


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ホテルグリーンプラザ強羅  2016-09-26 10:39:04  旅行記 社会科見学

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秋の家族旅行の話を書いています。


旅行記の最後に、宿泊したホテルが非常に素晴らしかったので記しておきます。


本文中にちょっと触れましたが、


・ユネッサンの近く

・早雲山駅の近く(星空がとてもきれいに見える、と聞いていたので)

・2食付きで大人1万円程度


という条件で探したものです。


特に最後の条件は、「安宿」の部類です。

(もっと安い宿だってありますけど、決して高級な部類ではない)


でも、ホテルグリーンプラザ強羅は高級感あふれるホテルでした。




安いのに高級ホテル、という時点で、もちろん裏があります。

それを先に書いておかなくてはフェアではないでしょう。


すごい不便な場所にあります。

箱根旅行の楽しみのひとつは「乗り物に乗ること」で、箱根登山鉄道、ケーブルカー、ロープウェイ…と乗り継ぐのが正解。


でも、ホテルグリーンプラザ強羅に行こうと思ったら、歩いてはとてもいけない。

タクシーか、送迎バスを使うことになります。


送迎バスの時間は駅からホテル行きが15時30分。

旅をゆっくり楽しんでから行きたいのであれば、タクシーを使うか、自家用車で行くしかない。


今回は最初から車で旅行するつもりでしたので、この点は問題ありませんでした。



ホテル自体は、結構古そうです。

部屋の内装なども古びている感じがありました。

これも、値段を安くしている理由なのでしょう。


ただ、古くても非常に清潔感があるのね。だから、嫌な感じはしない。



さらに、激安のプランは1日5部屋限定のようです。

いろんな部屋があるみたいですが、ホテルにお任せで選べません。


今回の部屋は、建物の角で窓は多かったけど、目の前は木が立っていて特に見晴らしがいいわけではありませんでした。


多分、景色の望めない部屋を割安にしているのでしょうね。

大雨だったので景色は関係ありませんでしたけど。


#最初の目的の一つ「早雲山で星を見る」もできませんでした。




ホテルについて、まず入り口の重厚感に驚きました。

分厚い木の扉があります。自動ドアですが、重々しい。

安宿だと思ったのに、カーナビが間違えた場所に案内しているのではないかと心配になりました。


木の扉の内側には、さらにガラスの扉が付いていて外からの風が吹き込まないようになっています。

この日は大雨でしたが、このスペースに自由に使えるタオルが多数用意されていました。


ここでまた、サービスの良さに不安になります。安宿だと思ったのだけど…


フロントで名前を告げると、ちゃんと予約が入っていました。

何かを間違えたわけではないようです。



部屋の鍵を渡されて、部屋に入ります。

とても広いです。10畳床の間スペース付きの和室と、8畳くらいの広さの洋室が一続きになっていて、洋室側にベッドが2つ。


今まで泊まってきた同じくらいの値段のホテルだったら、10畳の和室で家族5人で寝てたよ?


今度は値段を1桁間違えてないだろうな、って心配になります。

スマホで予約時のメールを確認していますが、大丈夫でした。とても安い宿です。




しばらくくつろいだり荷物を運んだりしていましたけど、夕ご飯までまだ時間があります。


到着順に夕ご飯の時間を決めるそうですが、この日は雨だったこともあり早めのチェックインが多かったみたい。

17時前の到着の我が家は遅い方だったようで、夕ご飯は19時半から。


じゃぁ、先に風呂に入ってしまおう、と支度をします。


ちゃんと、大人と子供の浴衣が置いてありました。

年齢を伝えてあったので大体サイズを揃えてくれていましたが、サイズ違いの際は、各階のエレベーター前に各種サイズの浴衣が置いてあります。


子供向けが大中小の3つ、大人向けが特大・大中小の4つ。7サイズあります。

さらに、風呂に行くときに下着などを入れるための、持ち手つき不透明ビニール袋が人数分。



後で使ったものですが、歯ブラシは人数分すべて色違いでした。

旅館の歯ブラシって大体一緒だから、置く位置とかで誰のものかわかるようにしたり、工夫が必要なんだよね。


とにかく感心しっぱなしです。部屋に用意されたものの心遣いが細やかです。




風呂は決して豪華ではありません。

温泉ではあるけど、こじんまりとしている。


大文字の湯と早雲山の湯があります。どちらも箱根の山を意味する名前。

夜中に男女の湯を入れ替えているようです。


この日の夕方の男湯は、大文字の湯。内湯だけでした。


翌朝に早雲山の湯に入りましたが、そちらには露天風呂あり。

まぁ、露天風呂も小さいし、特に景色もないのですけど。


ちなみに、大文字の湯の横には、露天風呂の代わりに(?)ゲームコーナーがあります。

UFO キャッチャーが並んでいるだけで、面白くありませんでしたけど。


#レトロゲームでも並んでいたら喜んで遊ぶのだけど…



風呂場の入り口でスリッパを脱ぐわけですが、ここに「クリップとタグ」がありました。

同じ数字が書いてあり、タグがクリップに挟んであります。


スリッパをクリップでまとめ、タグをお持ちください、とのこと。

スリッパを間違えて持って行かないようにする配慮です。


服を脱いだらかごに入れるわけですが(スリッパのタグも入れてしまえばよい)、このかごのところにも、番号札の付いた腕輪があります。

かごの番号に対応していて、腕輪をつけて湯に入れば、湯上りで間違える心配がない、というわけです。


とても細かな配慮。

もちろんアメニティはそろっています。髭剃りも乳液もありますし、シャワーキャップもあります。

ドライヤーだって無料で使えます。


さらに、湯上りに濡れたタオルを入れるための小さなビニール袋も置いてあります。



男湯と女湯の分かれる場所には、冷たいお茶が置いてあります。自由に飲んでいい。


なんか、健康茶でお土産物屋さんで売っているようです。

実は、ホテル入ってすぐのところにも「ウェルカムドリンク」として置いてありました。


そば茶のような味がしました。不味くはないけど、買って帰ろうというほどでもない。

しかし、湯上りに冷たいお茶が飲める、というのは嬉しい気配りだと思いました。




夕食。


17時から調理を開始し、18時から提供開始だそうで、17時までにチェックインした大人は料理を選べます。

3種類あって、妻は魚と和牛のしゃぶしゃぶ、僕は和牛と地鶏のすき焼きを選びました。

ちなみに、もう一つは牛フィレ肉とヨーグル豚の陶板焼き。


子供の料理は選べません。


まずは、子供の料理から持ってきてくれました。

3段の重箱に入っているのだけど、その形が御所車になっている。


小学校6年生の長男が「ちょうどよかった」という分量。

3年生の長女と、1年生の次女には多すぎました。とはいえ、美味しいと喜んで食べていましたが。


大人のほうは、最初に先付だけ持ってきてくれました。

毎日メニューが変わるようですが、この日の突き出しは「もろこし豆腐」。

どうやら、トウモロコシをすりつぶして濾したものを、葛で固めたもののようです。


と、ここで妻が気付きました。子供にはトウモロコシのポタージュスープが付いています。

これはトウモロコシをすりつぶして濾したものを、コーンスターチでとろみをつけたもの。

…ということは、同じ素材で料理方法を少し変えただけです。


次はお造り。刺身ですね。これも量が違うだけで、子供にも入っていました。


刺身のツマが、ちょっと変わっている。

寒天のような、おそらく海藻を成形し直したものなのだけど、プチプチとした触感があり、ツマだけ食べてもおいしい。


また、レモンが添えてあるなー、柚子の代わりかなー、と思ったら、これがグレープフルーツ。

柚子醤油で刺身を食べれば美味しいくらいで、グレープフルーツでも当然美味しい。


絶妙なミスマッチ。ちょっと驚きでした。


次は蒸し物。冷製茶わん蒸し。

これにあたるものは、子供にはありませんでした。

…いや、鶏肉をすりつぶして野菜と一緒に固めた、つくねのようなハンバーグのようなものがあったので、もしかしたらそれが「同じ素材」かも。


長女は茶わん蒸しが好きで、食べたいというので分けてあげます。


次はメインで、先に書いた選べる料理。

まぁ、基本肉なのですが、子供にはハンバーグとチキンソテーが入っています。


続いて揚げ物。

豆乳のもろこし揚げ、というのが入っています。

なんかトウモロコシが多い。新鮮なものでも入手できたのかな。


それはさておき、名前の通り、トウモロコシのピューレに豆乳を混ぜて練り固めたものをてんぷらにしたようです。

子供には、トウモロコシのクリームコロッケが入っていました。同じような素材、似た料理方法だけど、違う料理。


他にも、オクラに海老真薯を詰めたものと、モロッコインゲンのてんぷらがありました。美味しかった。


酢の物。

〆小肌ともずく、わかめの酢の物だったのですが、「キノコ」が入っていました。

美味しかったのだけど、キノコの酢の物ってあまり食べたことが無い。

先ほどの「刺身にグレープフルーツ」もそうですが、ちょっとした変化球を入れてくるのが、食べていて非常に楽しいです。

酢の物は、子供には入ってません。

子供には酢の物嫌いな子が多いからね。



この後は、ご飯。白米か、梅しらすご飯を選べます。

でも、この時点で下の二人がお腹いっぱいになっていて、ご飯に一切手を付けてなかった。


梅しらすご飯おいしそうだな、と妻が興味を示しつつ、「子供のご飯あまりそうだから、それ食べます」とウェイトレスに伝えます。


そうしたら、厨房に行ったウェイトレスが戻ってきて、「梅しらすふりかけだけ持ってこられますが、いかがなさいましょう?」と。


これも素晴らしい対応。

もちろんいただきます。そして、僕もご飯は子供の分を食べることにします。



最後に、デザートがありました。

子供のご飯はいっぺんに重箱で出されていましたが、デザートはこのとき提供されました。


子供はフルーツたっぷりのプリン・アラモード。

大人は、イチゴケーキ、花豆のコーヒー煮、夏みかんゼリー。


花豆のコーヒー煮、甘くて苦味と香りがあり、非常においしいものでした。



結局、コース料理とほぼ同じ内容が、子供向けに違う料理方法として提供されています。

だから、大人と子供がそれぞれの口に合う違うものを食べながらも、共通した話題で会話ができる。


さらに、大人向けのほうは、見慣れた料理でありながら、どこかに変化球が入っているものが多い。

全ての料理に、どこか「驚き」を仕込むことで、これも会話の弾む料理にしている。


素晴らしい夕食でした。料理長の腕前に感心しました。


ちなみに、毎日料理を変えていると思う根拠の一つは、席に献立が置いてあり、日付が入っているため。

その日入った良い素材だけを使っているのかな、と思います。


この献立には、料理長の名前と、職務上の印も押してあります。

自信があるのでしょう。


詳細に内容を思い出しながらここに記せているのも、この献立が手元にあるためです。




朝食。


朝食は7時から。早い者勝ちで、席が満席になると少し待たされるようです。


うちは全員早起きして朝風呂に行ったので、子供たちもおなかをすかせている。

7時少し前にレストランに向かいましたが、一番乗りではありませんでした。



最初に「お留守番カード」と一緒に、席に案内されます。

幼稚園の子が描いたと思われる絵のある、A4 サイズのラミネート加工された板です。


全てのカードで絵柄が違います。子供の描いた絵がほほえましい。

必ず、人や動物が描かれていて、「私たちがお留守番します」と書かれています。


これ、食事をとるために頻繁に席を立つバイキングで、席を間違えないようにする工夫です。

また、食事が終わったらカードを返すようになっているので、食事の終わった席をスタッフが片付ける際の目安となります。


簡単な工夫だけど、細かな心遣いを感じました。



朝食は和食バイキング、となっていました。

でも、パンもソーセージもスクランブルエッグもあります。


和食「中心」ではあるけど、普通のバイキングスタイル。

でも、やっぱりメニューが一工夫あるのね。


金目鯛の頭の煮つけ、というのがでていました。

美味しいけど、食べにくいから、普通はあまりバイキングに出すようなものではない。


でも、考えてみると昨夜の「お刺身」に金目鯛が出ていました。

つまり、新鮮な魚を丸ごと、余すことなく使っているのでしょう。

そういう考え方、すごく好きです。


デザートに置いてあったフルーツの中で、パイナップルが不思議な切り方をしていました。

三日月型というか、それに少し皮の部分がついて「鎌」のような形になっているの。

そういう有名な切り方でもあるのかと思って検索してみましたが、見つかりません。


些細なことだし、気づきにくいのだけど「どうやって切っているのだろう?」とちょっとした話題を提供してくれました。



取り立てて書くことはこれくらいかな。

あとは、よくあるホテルの「朝食バイキング」。


小田原が近いのでその名産物が多い。

小田原の梅干し、小田原蒲鉾、筍と梅干を和えたサラダ、なんてのもありました。

でも、基本的に調理してなくて並べただけね。


なんか近いところの名物らしい豆腐の奴もありました。

これは、お土産物として販売している、という宣伝付き。


ご飯に載せて食べる珍味系も多いです。

こちらも大抵はお土産物コーナーで売っているみたい。



朝は準備に使える時間が短いし、すぐに食べて速く出発したい人もいる。

だから、あまり料理せずに出来合いのものを並べるバイキング形式は、どこのホテルでもやっていることです。


でも、その中でも細やかな工夫がいろいろ見られた。

やはりいいホテルだと感じました。




以上。


旅行した時には大抵宿泊した宿のことも書いているのだけど、こんなに「お勧め」したくなる宿も珍しい。


箱根強羅温泉 ホテルグリーンプラザ強羅


ちょっと不便な場所にあって、ちょっと施設が古いです。

そして、「非常に安い」部屋は1日5部屋しかないから、かなり早めに予定を立てておかないと予約を入れづらい。


条件は難しいかもしれませんが、箱根旅行の際にどうぞ。



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Googleの誕生日  2016-09-27 14:59:35  コンピュータ 今日は何の日

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会社なのに誕生日、というのも不思議な言葉ですが、Google 社内で「創立日」とはべつに「誕生日」が決められているのだそうです。


googleドメインを取得したのが、1997年の 9月15日、google という会社が登記(創立)されたのが 1998年の 9月 4日。


ちなみに、ドメイン取得前から検索システム自体は存在していました。

1996年に開発開始で、そのころは BackRub と呼ばれていたそうです。


9月に節目があるのは、アメリカでの「新年度」が 9月に始まるからでしょうね。


何度も 9月に節目を迎え、どこが「誕生」かはよくわからないのも事実。

だけど、何かお祝いしたいために 27日が誕生日としているようです。


google については「創立日」にいろいろ書きましたので、そちらも併せてお読みください。



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