2013年09月13日の日記です


エド・ロバーツの誕生日(1941)  2013-09-13 10:07:09  コンピュータ 今日は何の日

今日(9月13日)はエド・ロバーツ(1941~2010)の誕生日。


…先日から始めてみた「今日は何の日」シリーズ、選択が渋すぎて誰かわかる人がいるとは思えない日が多い。

エド・ロバーツの名前は知らなくても「アルテア8800の作者」と言えば…あれ? やっぱわからない?




話は唐突に CPU の歴史話に。


インテル社が 4004 という LSI を発売したのが 1971 年。

開発話は面白いけど、今回は趣旨違いなので割愛。この LSI 、世界初の 1チップ CPU だった。


もっとも、4004 は 4bit で、電卓用に開発されたものだ。プログラム可能な能力を持っていたが、その能力も電卓を作る程度が限界になる設計だった。


その後、8bit 化した 8008 が作られる。名前は似ているが互換性はない。

さらに 8080 が作られる。これも上記2つとの互換性はない。


しかし、互換性を切り捨てただけに 8008 よりずっと使いやすかった。

…ここでいう「使いやすさ」とは、この LSI を利用して回路を組むことが容易だった、と言う意味だ。


#以下、8008 と 8080 は似ていて読みにくいので、8oo8 8o8o と表記する。凸凹の違いでわかってくれ(笑)


8oo8 では、周辺に 20個程度の LSI を組み合わせる必要があった。

8o8o では、6個程度の LSI で動くのだ。ずっと回路を作りやすかった。


8o8o はプログラマーから見ても使いやすいように改良されていた。

8oo8 までは、電卓や組み込み危機に使うことを念頭に命令セットが決められていた。しかし、8o8o では汎用性を重視し、大ヒットしたミニコンピューター PDP-8 の命令を研究して作られていた。


そのうえ、回路の見直しにより、8oo8 の4倍以上の速度で動作した。


8o8oは、1974年2月13日に発表された。1個 350ドル。


8o8o が参考にした PDP-8 は、当時まだ廉価機種の販売が続いていて、5000ドル程度だった。

この値段の衝撃がお分かりいただけるだろうか?


#事実、PDP-8 は1970年代前半にはまだ売れていたが、この後急に売れなくなってしまう。




さて、エドの話に戻ろう。


彼は MITS 社と言う会社を持っていた。もともとはホビーロケット向けの道具を作っていたが、そこから各種センサーなどを販売するようになっていた。

さらには電子工作に興味を持ち、LED類や、それらを使ったデジタル時計のキット販売、ついには自分で計算機が作れるキットまで販売していた。


ところが、インテルが 4004 を発売したころから風向きが変わる。電卓が1チップで作れるようになり値下がりすると、わざわざ自分で計算機キットを作る人間はいなくなってしまった。

そして、MITS 社は倒産寸前まで追い込まれる。


エドは、ここで 8oo8 に目を付けた。


当時、マニアの間で 8oo8 を使った自作コンピューターの作成が流行しつつあったのだ。

事実、8oo8 を使用したコンピューターキットも、小規模だが売られてはいた。


しかし、8oo8 は扱えるメモリも少ないし、周辺回路も大規模で、キットを入手しても組み立ては大変だ。

きっとインテルは 8oo8 の改良版を出す、とエドは確信していた。その時が勝負だ。


…そして、インテルは 8o8o を発表する。

エドは、すぐにインテルと交渉し、すくなくとも 400個を買い取ることを条件に1個75ドルまで値段を下げさせる。


そして、発表から1年足らずで 8o8o を使用したコンピューターを完成させる。



エドは、ポピュラーエレクトロニクスという雑誌に、何度か寄稿したことがあった。

そのため、編集長に電話をかけ、新しいコンピューターを作ったことを伝えた。


編集長はぜひすぐにでもコンピューターを見たい、と言ったので、1台しかないプロトタイプを空輸した。

ところが、このプロトタイプは何かの間違いで、輸送中に行方不明になった。


仕方がないので編集長は、動作を確認できないまま、適当な箱にスイッチや LED を取り付けただけの偽物の写真を表紙に使った。




アルテアの名前の由来には諸説あるが、エドが名付けたのではないことは確かだ。

とにかく、エドはこのコンピューターにいかなる名前も付けていない。名無しだった。


名無しのコンピューターでは雑誌の表紙を飾りにくい、と編集長は考えた。何か名前を付けなくては。

ちょうどその時、12歳の娘がテレビでスタートレックを見ていた。編集長は娘に尋ねる。

「コンピューターに名前を付けたいと思っているのだが、スタートレックのコンピューターの名前はなんていうの?」


娘はしばらく考えて「コンピューター」と答えた。

どうもこの答えは父親の求めているものとは違うようだ、と気づいた娘は「アルテア、と言う名前はどう? そこは今夜エンタープライズ号が行くところなの」と別の名前を提案した。


別の説によれば、編集長は「ポピュラーエレクトロニクス」の頭文字をとって PE-1 と名付けようとしていた、とされる。

この名前はかっこよくないと考えた副編集長と雑誌ライターが「これはすごい(stellar)ことだから、星(stellar)の名前を付けよう」と、アルテアと名前を付けた。


ちなみに、アルテアとは日本ではアルタイルと発音される、七夕の彦星のことだ。


どちらの説が真実かはわからない。真実は別のところにあるのかもしれない。

いずれの説でも、8800 という型番の由来は不明だ。CPU は 8o8o なのに、なんで 8800 なんだろう?




アルテアの写真…先に書いたインチキ写真は、ポピュラーエレクトロニクスの 1975年1月号の表紙を飾った。

397ドルでキット販売されることも告知された。


メモリは 256バイトしかなく、入力は2進数トグルスイッチ、出力も2進数 LED しかないマシンだ。

コンピューターと言っても、何かができるわけではなく、CPU の動作が確認できる程度。

こんなもの、マニアでないと買わないだろう。


エドは、この機械が 400台くらいは売れるだろうと予想していた。

だんだん評判になって、半年で 400台くらい売れればいい。そうすれば、会社は倒産しないで済む。


ところが、雑誌の発売日の午後だけで、400台を超える注文が入った。


その後も電話が次々かかってくる。1か月たたないうちに、注文は4000台を超えた。

個人で買えば、CPU だけで 350ドルなのだ。それがキットで 397ドルなら安いものだ。


#8o8o を開発した嶋氏が当時アメリカで最初に住んだ「超々豪華なアパート」の賃料が月額 250ドルだったという。

 また、4ドルあればおいしい料理が腹いっぱい食べられたという。

 397ドルは、安いとはいってもかなりの額だ。


アルテアは爆発的なヒットになった。

しかし、実はこの時点で生産体制は整っていなかった。


たった1台のプロトタイプはどこかへ紛失してしまい、回路設計は完成しているものの、キットとして販売できるだけの準備がなかったのだ。

最初の注文者に実物がわたるまで、半年近くかかることになった。



アルテアは、メモリに好きな値を書き込む機能と、CPU を動作させる機能以外ほとんど何も持っていなかった。

ただし、拡張性には気を使っていた。

テレタイプを接続すれば、本格的なミニコンピューターとしても使える設計だった。




アルテアの「本体」は、実は CPU もついていない、スイッチと LED だけの回路だ。

ただし、よく考えられた拡張スロットが 18個もついている。


アルテア 8800 では、このスロットのうち1つに「CPU ボード」が取り付けられ、もう一つに「256バイトRAM」が取り付けられる。


メモリカードを取り換えればメモリ増設ができる。MITS 社は 4Kbyte RAM ボードの発売を予告していた。

また、後には 8o8o 以外の CPU に対応したアルテアも発売されている。


4K RAM ボード以外にも、MITS 社はアルテア用の拡張ボードを数多く計画していたし、動作するプロトタイプもあった。

しかし、本体の供給すら間に合わない状態では、拡張ボードの販売なんて夢にすぎなかった。


そこに目を付けた他社が、サードパーティー商売を始めた。

最初は、MITS 社がなかなか発売しない拡張ボードを作成し、販売を始めた。

そして、いつまでたっても本体の供給が間に合わないとみると、互換本体も売り始めた。


アルテアは、世界初のパソコンだった。

そして世界初の周辺機器メーカーが乱立し、世界初の互換機ビジネスが始まった。


これにより「パソコン業界」が一気に立ち上がる。




このアルテア、互換機、および 8o8o自作コンピューターのマニアたちを集めたのが、「ホームブリュー(密造/自家製の意味)コンピュータークラブ」だ。


このサークルからアップル社が生まれることになる。

また、マイクロソフトも、アルテア BASIC の作成から始まった会社だ。


これらの話も非常に面白いのだけど、今回は趣旨違いなので紹介だけにとどめておく。



同じテーマの日記(最近の一覧)

コンピュータ

今日は何の日

関連ページ

PC以降の音楽演奏

DAISY DAISY【日記 14/06/29】

プログラマーの日【日記 14/09/13】

スティーブ・ファーバー 誕生日(1953)【日記 15/03/21】

エド・ロバーツ 命日(2010)【日記 15/04/01】

別年同日の日記

02年 美味しいケーキ屋さん

04年 コンビミニ

07年 ショック!!

14年 スーパーマリオブラザースの発売日(1985)

14年 プログラマーの日

16年 Bit-INN オープン(1976)


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています


戻る
トップページへ

-- share --

14000

-- follow --




- Reverse Link -