今日は NEC Bit-INN がオープンした日(1976)。
…だそうです。
ごめんなさい。僕当時のこと知らないし、後の…ただのショールームになった Bit-INN には行ったことあると思うのだけどよく覚えていない。
だけど、日本のパソコンの歴史では、重要な施設でした。
1976年の8月3日、日本電気(NEC)から、TK-80が発売される。
当時は「CPU」というあたらしい LSI が作られ始め、どうやらこれを使えば個人でコンピューターが持てるらしい、と電子工作マニアが興味を持っていた時代。
世界初の「パソコン」とされる、 Altair 8800 の発売は 1975年。
まだ電子工作マニアのためのものだった。
組み立て済みの製品が発売され、誰でも使えるようになるのは、1977 の Apple II まで待たなくてはならない。
#余談だけど、Altair 8800 を作ったエド・ロバーツの誕生日は、奇しくも9月13日。
TK-80 も、万人に向けて作られた商品ではなかった。
電子工作マニア向けですらない。NEC が扱うことになった、全く新しい LSI …「CPU」が、どんな用途に使えるのか、企業などで電子回路を設計している人に伝えるための製品だった。
だから、名前も「TK」、トレーニング・キットとなっている。
1年くらいかけて、全部で千台程度売れればよい…というものだった。
ところが、電子工作マニアがこれに飛びついた。
TK-80 は飛ぶような売れ行きで、数か月後には月産千台では生産が間に合わない、入手困難なヒット商品となった。
これだけ売れると、当初の想定ではない「お客さん」が出始める。
技術者だたら、組み立ててみて、動かなかったら自分で原因を探るだろう。
でも、「組み立てればマイコンが手に入る」と思っているお客さんは、動かなかったらショックを受けるし、原因を探る能力もない。
さらに、動いたとしてもそれで何をすればいいのかわからない。
試しに「3+4=?」とプログラムする程度のことは出来るのだけど、それ以上のプログラムを作れない。
TK-80 は、新しい LSI の販売を促進する目的で設計された。
実は、同じ目的で違う手段が用意されていた。
日本電気の販売特約店「日本電子販売」が、LSI 宣伝の拠点として、秋葉原に40坪のショールームを構えるための準備をしていたのだ。
急遽、ここに TK-80 の相談コーナーが設けられることになった。
3坪でいいから、というNECからの要請に、30坪のスペースが用意された。
LSI のショールームの予定だったが、事実上「TK-80の店」になった。
そして、NEC Bit-INN は 1976年の9月13日にオープンした。
当時のNECは、電電公社(国営企業。現在のNTT)の関連企業。
仕事のやり方も「お役所」で、残業や休日出勤はなかった。
しかし、TK-80 を設計したグループの本人たちが直接、土日に相談に乗った。
月曜日から金曜日は通常通り業務を行う。休みなしだった。
労務担当者からも、労働団体からもクレームがついたらしい。
でも、当人たちが「趣味でやっているだけで会社の業務とは関係ない」とごり押しして認めさせたらしい。
TK-80 を購入したものの、組み立てすらうまくいかない、組み上がってもその後何に使えばいいかわからない、というユーザーにとって、Bit-INN は救いのオアシスとなった。
ここに行けば、趣味を同じくする仲間とも巡り合える。
実際、ソフトバンクの孫正義や、アスキー創業者で元マイクロソフト副社長だった西和彦なんかも入り浸っていたらしい。
Bit-INN では、パソコン購入前の相談も良く持ち込まれたらしい。
シンセサイザー音楽の演奏に TK-80 を応用できないか。
医療保険の点数計算に TK-80 を利用できないか。
TK-80 は「回路を学ぶ」ことを目的としたもので、実用性はなかった。
しかし、個人でコンピューターを持てるなら、こんなことに使いたい…という応用例が、お客さんの方からどんどん上がってくる。
TK-80 はそのような用途で作ったわけではない、と最初は思っていたらしいのだけど、徐々に「そうした需要にこたえられるコンピューターを作れないか」という思いに変わっていく。
これが、後に TK-80 の拡張である TK-80BS や、PC-8001 を生み出すことにつながる。
当時、秋葉原は「無線の街」だった。
当時はラジオ作成やアマチュア無線が「ホビーの王様」で、そのための電子工作部品を売っている店が集まっていた。
もちろん電子工作というつながりで、TK-80 のユーザーが秋葉原に集まるのは悪くない。
でも、パソコンはすぐに「完成品」を売るようになり、電子工作とは違うものになっていく。
しかし、Bit-INN の存在したラジオ会館には、他のパソコンメーカーもショールームを作るようになる。
パソコンに興味のある人は秋葉原に集うようになり、秋葉原全体が「パソコンの街」に変貌していった。
そして、「中心地」を持つことは、文化にとっても商業にとっても望ましい。
秋葉原にはパソコンショップが軒を並べ、独自の商品を競った。
他社では売っていない拡張ボードだったりとか、独自開発したゲームだったりとか。
パソコンを求めるお客さんが集まるから、どんなものでも売れた。売れるからどんなものでも作れた。
この好循環で、日本のパソコン文化は一気に花開いていく。
その最初のきっかけが、40年前の今日、Bit-INN がオープンしたことだった。
NEC Bit-INN は、その後もショールームとして横浜・名古屋・大阪に展開されていたけど、今はもうない。
2016.9.16追記
当初、最後の2行の間に次の記述が入っていました。
『今でも店舗跡には「PC発祥の地」と記されたプレートがある。』
ラジオ会館が建て替えられたので、すでにこのプレートはないという指摘をいただきました。
そういえば、建て替えたのだった…子供生まれてから秋葉原から足が遠のいているので、すっかり忘れてました。
お詫びいたします。
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