目次
02日 Windows で、二つのネットワークにまたがる VPN 設定を行う
11日 ゲーム保存協会にサポーター登録しました
17日 アーカイブとはなにか
22日 ここらでコラムス
23日 コラムス 97
24日 コラムス 97 に影響を与えたもの
25日 コラムス 97 の音楽
26日 コラムス 97 余談
27日 コラムス 97 サターン版
仕事で VPN が必要になった。
VPN 、Virtual Private Network 、の略だ。
今まで使う必要はなかったのだけど、インターネットではよく使われる技術で、Windows8 以降では、システムに標準で組み込まれている。
インターネットというのは、そもそも「ネットワーク」を相互 (inter-) 接続したものだ。
それぞれのネットワークは独立していて、状況によっては、接続しているにもかかわらず閉じている。
会社なんかで「社内ネットワーク」という言葉を聞いたことがある人も多いだろう。
社内のネットワークは、社内からはアクセスできるけど、外部からは守られている。
そうしないと、社外秘の情報とかが外部にダダ漏れになるかもしれないからね。
会社の社内ネットワークにありながら、外部に開かれている「WEB サーバー」などもある。
こうしたサーバーは、「社内」を囲む壁にまたがるように設置されている。だから、どちらからも見ることができる。
ただまたがっているだけじゃない。
サーバーは社内と社外を区別する。社内からはページの書き換えもできるけど、社外からは見るだけで、それ以外の動作は一切できない、というような設定が行われている。
つまり、ある場所に作られた「ネットワーク」は、基本的に閉じた系を作っている。
閉じた壁の上に置かれたサーバーは、外部からも見えるのだけど、内部と外部を見分ける能力がある。
本当は細かな技術とかいろいろあるのだけど、ざっくりいえばこんな感じ。
じゃぁ、WEB サーバーのページを更新しようと思ったら、必ず会社内まで物理的に移動しないといけないのか。
いや、そんなことはない。ここで VPN が登場する。
社内…つまり Private な Network を、仮想的 Virtual に実現するのだ。
WEB サーバーのように「壁」にまたがる形で、VPN サーバーを作っておく。
VPN クライアントが VPN サーバーに接続すると、VPN サーバーはクライアントを代理し、「社内ネットワークに新たなマシンが接続された」ように振る舞う。
たぶん、社内には DHCP サーバーがあり、新しいマシンが接続されると社内用の IP アドレスを払い出す。
クライアントは、もともとの IP アドレスに加え、新たな IP アドレスも得る。
これでクライアントは、社内 LAN に接続した状態になった。
…のか?
一応、VPN の設定としては上の通りで正しい。
お使いのマシンには二つの IP アドレスが割り振られ、社内 LAN に接続されたマシンとしての IP アドレスも使える状態になっている。
でも、優先されるのはもともと持っていた IP アドレスだ。
今まで通り社外のマシンとしてインターネットに接続し、会社のサーバーにアクセスしようとしても、できない。
元々の IP アドレスよりも VPN の IP アドレスを優先させる、という設定は可能だ。
でも、これをやった場合は、今度は完全に社内 LAN に組み込まれた状態になり、通常使用していた IP アドレスを使わなくなる。
今回の場合がそうだったのだけど、家庭内 LAN に組み込まれたマシンで VPN に接続すると、家庭内のサーバーが見えなくなる。
これは不便だ。
Windows に限らず、ネットワークには「ルーティング」という概念がある。
通信時に使う経路… route を決める作業だから、routing だ。
VPN を使うことで、マシンには二つの「道」がつながっている。先に書いた通り、VPN の経路が優先されてしまうが、そうならないようにルーティング規則を書いてやればよい。
この規則は、VPN に接続を行ったときと、切断した時に書き換えられる必要がある。
すでにそのためのスクリプトが作られていて、参考にさせてもらった。
リンク先を見てもらえばわかるが、スクリプトは自分の接続する VPN 環境に応じて、少し書き換える必要がある。
ここで重要なのは、ルーティングの際には「接続先 IP アドレス」を参考にして、マシンが持っている2つの IP アドレスのどちらを使うか決定する、という点だ。
先のスクリプトに登録した IP アドレス(上位3バイトによる範囲指定)は、VPN 経由となる。
それ以外のすべては、家庭内 LAN を使う。
さぁ、これで正しい設定か?
いや、実はまだ正しい設定にはなっていない。
マシンに設定された DNS サーバーアドレスは、今までのままなのだ。
社内サービスのサーバーにも、おそらく名前がついているだろう。
そのサーバー名に応えてくれるのは、おそらくは社内 LAN に置かれた DNS サーバーだけだ。
だから、DNS サーバー名を書き換えなくてはならない。
先のスクリプトを改造しよう。
たとえば、社内 LAN の DNS サーバーが 172.16.0.1 と 172.16.0.2 に置かれていたとしよう。
WindowsPowerShell では、DNS サーバーの設定は Set-DnsClientServerAddress で行う。
マシンは複数のネットワークに接続した状態になっているけど、これらのネットワークには名前がついている。
おそらく、Windows 10 の日本語版なら「イーサネット」が標準ネットワークだ。この DNS を書き換える。
Set-DnsClientServerAddress -InterfaceAlias "イーサネット" -ServerAddresses "172.16.0.1","172.16.0.2"
スクリプトでは、VPN 接続に成功すると、プログラムが最後まで走りきる。
だから、この1行を一番最後に追加しよう。
もう一つ、VPN 切断時に、家庭内 LAN の DNS に戻す必要があるだろう。
こちらは、プログラム中ほどの if 文…if ブロック内に exit; が入っている上に入れる。
VPN 接続がなかった場合は、この if 文によって終了しているためだ。
これで、VPN 接続すると、VPN 接続先の IP アドレスだけは VPN に流すようにルーティング設定し、VPN 接続先の DNS を使用する状態になる。
切断すれば元に戻る。
…そう、気づいた人も多いだろうけど、VPN 接続中は家庭内 LAN の DNS が使えない。
DNS は解決できない時のための「代替サーバー」を置くことができる。
これを使えば解決できそうだけど、実はうまくいかない。
理由は、WEB サーバーなどには社内アクセス用と公開用で、違うアドレスがついているのが普通だからだ。
家庭内 LAN の DNS が社内 WEB サーバーの名前解決をしてしまうと、その時点で社外からのアクセスとなってしまい、VPN 経由のアクセスとならない。
#実際には、Windows は名前解決手段として、ありとあらゆる手法を駆使することも問題ともなる。
名前解決手段が多数あるのは便利なのだけど、混乱も引き起こす。そこに違う内容の DNS サーバーを「代替」として混ぜると、破綻を招く結果となる。
たとえ上のような「2つのアドレス」の問題がない場合でも、やってはならない設定だ。
仕方がないので、VPN 接続中に困らないように、最低限の家庭内 LAN のホスト名を hosts ファイルに書くことになる。
原始的な方法だけど、原始的だから信頼ができ、応用が利くのだ。
windows の hosts ファイルは C:/Windows/System32/drivers/etc/hosts にある。
家庭内 LAN 全体を VPN 接続してしまえば、上手く解決できるかもしれない。
DNS サーバーは、問い合わせられたドメイン名ごとに、問い合わせ先 DNS を振り分け(フォワード)する仕組みを持つ。
だから、社内 LAN で使いたい名前だけ、社内 LAN DNS に問い合わせるよう設定すればいい。
でもそれは、家庭内 LAN 全体を、ここに書いたような不安定さを含む問題のある VPN に巻き込むことになる。
それは嫌なので、今回はそこまで踏み込まず、Windows 1台だけを VPN 接続することにした。
Windows 自体に、ドメイン名ごとに DNS サーバーを切り替える機能があればいいのだけど、調べてもそのような機能は無いように思う。
最後に、ネットワークが正しく設定できか、確認方法を書いておこう。
コマンドプロンプトを使う。
(先ほどのスクリプトは PowerShell 用だったが、以下のコマンドはコマンドプロンプト用なので注意)
マシンにつけられた IP アドレスは、以下のコマンドで見ることができる。
(途中で書いたが、普段使う IP アドレスが「イーサネット」と名付けられていることも、ここで確認できる)
netsh interface ip show address
現在の DNS サーバーは、以下のコマンドで調べることができる。
netsh interface ip show dnsservers
ルーティング設定は以下のコマンドで見ることができる。
route print
DNS サーバーに接続し、問い合わせを行った結果を表示するには、以下のコマンドを使う。
(途中で書いたが、Windows は複数の問い合わせ方法を持つ。
このコマンドは DNS のみを扱うので、実際の処理と異なる場合がある)
nslookup host.domain
実際にパケットが通過する経路を調べるには、以下のコマンドを使う。
tracert host.domain
コマンド名は示したので、使い方の詳細などは検索すれば簡単に見つかるだろう。
これで、VPN 側でアクセスしたいサーバーへの通信が正しく VPN に流れ、それ以外の通信は VPN に流れないことを確認できれば、ネットワーク設定は完了だ。
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1週間ほど前に、「ゲーム保存協会」という団体のサポーターになった。
年会費三千円でサポーター登録できる…となっているのだけど、これは法的な都合上の言い回しで、ようは寄付したんだな。
この寄付について、思うところを書こうと思って、毎日あーでもない、こーでもないと文章を書いては破棄していたのだけど、思っていることをうまく書けないまま1週間が過ぎてしまった。
もう、面倒くさいから細かな説明は全部すっ飛ばして、自分のために事実だけを記録しておくことにする。
ゲーム保存協会は、怪しい団体だ。
設立者が、昔の日本のテレビゲーム好きのフランス人。
特に「夢幻戦士ヴァリス」が好きだというのだから、怪しい以外の何物でもない(笑)
団体名で検索すると、他にも怪しげな噂話がいっぱい見つかる。
ただし、その噂の裏は取れていない。信じるかどうかはご自由に。
僕のツイッタータイムラインでは、彼らの活動内容に強い疑問を持っている人もいた。
僕が「サポーター登録しようかな」と書いていたら、エアリプで反対意見を表明してくれて、それはそれで一理ある内容だった。
僕自身は、この団体は3年くらい前に知った。今は設立5年目だそうだから、まぁ早いうちに知ったほうか。
サポーター登録制度があるのも知っていたが、興味がないので無視していた。
そう、僕はゲーム保存に興味はない。
だから、「ゲーム保存協会」にも興味はない。
僕のページを読んでいる人ならわかるだろうけど、僕は昔業務用ゲームを作っていた。
今と違って、古いゲームを中心に置いてあるようなゲームセンターはない。
だから、ゲームセンターから消えたゲームは「2度と会えない」のが普通だった。
そういうゲームばかり作っていたから、ゲームはいつか消えてなくなるもの、という感覚が身についている。
家庭用ゲームで、自分が好きだったものとかは手元に置いてあるよ。
でも、自分が作ったゲームで手元に残っているのは、ST-V で作ってサターンにそのまま移植された 1本だけ。
11月の下旬に、NHK world という海外向けの放送で、ゲーム保存協会を取り上げていた。
その放送は、国内でも WEB 配信されて、2週間みることができた。
これを見たら、ゲーム保存協会の活動内容は、思ったものとはちょっと違っていた。
彼らの WEB ページで詳細を調べたら、その違いがはっきり分かった。
ゲームの保存している団体は他にもあるのだけど、そうした団体は「懐かしいゲームを遊べるようにする」ことが趣旨なのね。
それに対し、ゲーム保存協会は、アーカイブを構築することが趣旨だった。
…と、ここでアーカイブとは何かを説明しないといけないところだけど、それを書いていたのが1週間かかってもまとまらなかった原因なので、書かない。
最近は日本でも「アーカイブ」という言葉を時々聞くけど、適切に日本語に訳せないから英語をそのまま使っているんだ。
適切に訳せないというのは、日本文化にはアーカイブという概念がないから。
実は、社会問題となっていることのいくつかは、アーカイブ文化がないことで引き起こされている。
西洋文化は、文化を支える根底に「アーカイブ」の思想があるんだ。
ところが、現代の日本は西洋文化の表層を真似しつつ、それを支える根底部分がない。当然問題も出るだろう。
それに対し、ゲーム保存協会は本物のアーカイブを作っている。
ここで、設立者が怪しいフランス人であることが意味を持ってくる。
西欧では、アーカイブは重要な文化だ。紀元前からアーカイブを構築しようと繰り返してきた歴史がある。
日本語の「保存」はアーカイブではないが、彼にとっての「保存」はアーカイブなのだろう。
以前から団体は知っていたが、僕はここのところを誤解していた。
たぶん僕以外にも多くの人が誤解している。
というか、保存とアーカイブの違いはどこにあるのかわからない人もいるだろう。
調べてみてくれ。とても重要な概念だから。
僕の職業は一介のプログラマーに過ぎないが、趣味としては、いろんなことを研究するのが好きだ。
そして、それらの研究の際に、各種アーカイブには非常にお世話になっている。
アーカイブの重要性と、国内のアーカイブの弱さは痛いほどよくわかる。
先に書いた通り、僕はゲームはやがて消えゆくものだと思っている。
もちろん保存活動への情熱なんてない。
ただ、消えて行くのが寂しい、という気持ちは、多少ある。
だから、思い出話くらい残しておこうと思って、開発時代の話を少しづつ書いていたりする。
結局、ゲームの「何か」を残そうとしていることは変わらないわけだ。
じゃぁ、アーカイブを作ろうとしている彼らに支援くらいしたっていいだろう。
支援と言っても、僕はゲーム保存の情熱も技術もないから、実作業を手伝ったりはしない。
ただ三千円を渡すだけだ。子供の駄賃にもならない金額。
これで「誰も手を付けようとしない難しい課題に挑め」って言っているのだから、とんでもなく無責任。
でも、支援するときって、そういう無責任さが大事だと思っている。
無責任と知っているから、口は出さない。失敗してもかまわない。
思うようにやってくれればいい。まぁ、無責任なりに応援はしているよ。
支援するって、そういうものだ。
話は以上。
以下は余談の、1週間悩み続けた理由。
冒頭に書いた「エアリプをくれた人」に、なぜ僕が支援を決めたのか説明したいと思って丁寧に書いていたら、話が発散しすぎてまとまらなかった。
また、送金の際のメモ欄に「趣旨に賛成ではないが支援する」と書いたら、ゲーム保存協会の設立者から返信があり、賛成ではないのに支援することに興味を持ってくれた。
その十分な返事になる内容を書こうともしていたのだけど、これも発散しすぎてまとまらない。
もひとつついでに、保存協会の人は宣伝下手だと思う。
僕も活動趣旨を勘違いしていて、NHK を見てやっと理解した。
というか、NHK 見ても「ゲーム好きのおっさんが昔を懐かしんでいる」ようにしか見えない。
アーカイブ構築、という、日本人にはわかりにくい内容なので、伝わらないのだ。
ここの趣旨を、僕なりに説明してやろうと思って、その部分で一番消耗した。
全く存在も知らなかったもの、を理解させるのは、実はそれほど難しくない。
でも、似ているけど根本的に違うものだけを知っている人は、考え方が違うものに引きずられてしまい、一番理解するのが難しい。
さらに言えば、設立者の彼も、日本人がアーカイブを理解していないことを理解していない気がする。
重要な部分で文化摩擦が起こっている気がするのだ。
ここがもどかしくて、何とかしたいと文章をこねくり回していた。
ついにあきらめたわけだけど(笑)、読んでくれた人がアーカイブとは何かを調べ、彼らの趣旨を理解し、僕と同じように無責任に支援してくれれば、と思っている。
2016.12.18 追記
長すぎるから書かない、としていたアーカイブについての説明、書きました。
やっぱり長いけど。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
ありがたいことに、ゲーム協会についての日記を読んで意見をくれる人が多数いた。
文章の頭に書いてある通り、説明責任を放棄した文章なのに、多くの方は意図を汲み取ってくれた。
本当にありがとうございます。
もちろん、意図を汲み取った人の中には、もともとわかっているから読めた、という人もいると思う。
意味は分かっていても、改めて「アーカイブと保存の概念の違い」と言われて目から鱗、とか言われると、書いた甲斐があったと思う。
その一方で、やっぱりアーカイブの意味が理解されていないな、と感じる意見も見かけた。
理解されないだけでなく、誤った理解から僕の書いた意図を曲解されている方もいた。
ここら辺は説明責任が果たせなかったところ。
申し訳ないので、良い説明とは言えないが、説明しようかと思う。
ただ、今回は少し長い。
「長くなるから省略する」と書いた部分を、やっぱり解説しようというのだからね。
まずは、わかりやすい話から行こうか。
アーカイブと図書館と博物館は何が違うのか。
図書館は本を集めた場所だ。博物館は、博物…「なんでも」を集めた場所。
動物園や植物園、水族館なんかも、法的には博物館の一種となっている。
これらは「テーマを決め、そのテーマのものを蒐集する」場所だ。
博物館は、名前的には「なんでも」なのだけど、実際にはテーマを決めることが多い。
科学博物館とか、産業博物館、自動車博物館のように、名前を見ればテーマがわかることが多い。
スミソニアンのように、本当に何でも集めていている場所もある。
ENIAC の実物(一部)だって展示されているし、10パック入りフルーツガムも展示されている。
それが必要だと思えば、なんだって収集しているのだ。
じゃぁ、図書館は本を集めた博物館なのかというと、ちょっと違う。
博物館は「物」を集めるのに対して、図書館は「情報」を集めているから。
情報を記録する媒体が本だから本を集めているように見えるけど、現代の図書館は CD や DVD なんかも置いてあることは多い。
そして、これらはアーカイブとは直交概念…直接の関係はない概念だ。
アーカイブは、少なくとも何かを蒐集する必要はある。だから、図書館や博物館はアーカイブになることもある。
でも、必ずアーカイブになるわけではないし、アーカイブであっても図書館や博物館でないものもある。
たとえば、国会図書館は、図書館ではあるがアーカイブでもある。
普通の図書館…市民図書館と呼ばれるようなものは、市民に本を読んでもらうことが目的だ。
そのため、求められればゆっくりと読めるように本を貸し出すし、人気のある本は複数冊入れることもある。
一方で、貸し出しが多い本が傷んでボロボロになったり、人気が落ちる、情報が古くなるなどすれば、処分することもある。
国会図書館は、日本国内で発売されたすべての本を蒐集し、永久保存することが目的だ。
そのため、本の「閲覧」にも手続きが必要だし、基本的に「貸出」は行わない。紛失したり、傷んだりすることを避けるためだ。
本は1冊でもあればよいが、2冊ある場合には、分散して保存される。
1カ所に集積しておくと、火事などの災害で失われる危険性があるためだ。
劣化が激しい古い本などは、スキャンデータが作られ、デジタルでも保存される。
デジタル機器が登場する以前は、マイクロフィルムが使われていた。
すでにマイクロフィルムでしか現存しないような本もあり、それらもデジタルに変換され、保存される。
なぜデジタル化されるかと言えば、物質はいつか失われるからだ。
図書館は情報を集める場所で、物質が失われても情報が失われないように、情報の複製を作っているのだ。
本の貸し出しは行わないが、デジタルデータのうち、著作権がすでに切れたものなどは WEB でも公開されている。
国会図書館だって、市民図書館と同じように「本を読んでもらう」目的で残しているのだ。
ただ、その「読んでもらう」目的は、物語を楽しんだり、暇つぶしに雑誌をめくるのではなく、資料としてだ。
今日発売された雑誌に「資料」としての価値がなくとも、20年後には時代を写し取った資料としての価値が出る。
だから、国内で発売される本はすべて蒐集され、残されていく。
資料としての目的だから、すべての本は同じように価値がある。
ノーベル賞学者の書いた論文集だって、エロ漫画だって、国会図書館としては「1冊の本」で同じ価値だ。
いや、むしろエロ漫画のほうが価値があるかもしれない。多くの人が恥ずかしいものと考え、捨ててしまうだろうから、未来に残りにくいのだ。
そうした、残りにくいものを残すことにこそ、資料としての価値がある。
アーカイブとは、国会図書館のように、できるだけ多くの資料を、永遠に残すために努力し続ける施設を言う。
また、そこに収められた資料などもアーカイブと呼ぶ。
アーカイブではあるが、図書館や博物館ではない、というものの例も挙げておこう。
前回の日記で、僕は何かを研究するのが好きで、アーカイブにはお世話になっていると書いた。
その一例が bitsavers プロジェクトだ。
PC 以前のコンピューターの資料を、できる限り蒐集し、デジタル化し、保存しておこうというプロジェクト。
膨大なデータがあるから、古いコンピューターに興味がある人は覗いてみるといい。
例えば、書籍「ハッカーズ」には TX-0 というコンピューターが出てくる。
これは本の中でも重要な位置づけのマシンなのだけど、1台しか作られたなかったプロトタイプ機なので、詳細は謎に包まれていた。
というか、ハッカーズにはこれが1台しか作られなかったことすら書いてない。
どこかに情報があるはず…と、時々思い出しては検索し、ある時 bitsavers を知った。
bitsavers では、メーカーごと・機種ごとに分類して、マニュアルやプログラムなど、関連資料を蒐集・デジタル化して公開している。
TX-0 の情報は、MIT/TX-0/ のディレクトリ下にある。
これがもう、僕にとっては宝の山だった。
何年も探して全然詳細を知ることのできなかったマシンの資料が、大量に置いてあるのだ。
マニュアルだけでなく、新入学生などにデモンストレーションを行う際の注意書きを書いた、手書きメモのようなものも残っている。
「このプログラムは不具合がある」みたいな注意も残っている。マニュアルには書いていなかったりする重要情報だ。
さらに、実行バイナリの紙テープをファイル化したものも残っていた。
紙テープを現代のコンピューターファイルにするのだから、単純ではない。
中には、紙テープに記録されていたのが「テキストファイル」の場合もある。
そうした場合は、テキスト化したものも保存・公開されているのだけど、当時はアスキーファイルではない。
その変換に使った(現代に作られた)プログラムも併せて公開されている。
とにかく、できるだけ生のデータを、さらにそれを判り易くしたデータを示し、変換の際の方法も残す。
もし変換に間違いがあると思うなら、プログラムを改良して生データから再度データを構築することもできる。
TX-0 の関連資料だけでも十分すぎるほどあるのだけど、そんなのはほんの一角。
たぶん、興味の赴くままに読んでいっても、一生かかっても読み切れないほどの資料が置かれている。
「当時の資料を残す」という目的に対して、非常によく考えられた構成でアーカイブが作られている。
さらに、永久保存するため、ミラーサイトが多数作られ、分散保存されている。
でも、これらは貴重な資料を見つけ出し、スキャンして公開しているだけで、原本をまとめてアーカイブ、というわけではなさそうだ。
原本は、それぞれの持ち主の元にあるのだろう。
なので、このアーカイブはデジタルでのみ存在している。
図書館でも博物館でもないアーカイブだ。
実のところ、bitsavers が寄付を受け付けているなら、僕は寄付しているだろう。
しかし、彼らは寄付を受け付けていないし、どこの誰が、どういった経緯でこのような活動をしているのかもわからない。
ただ、おそらくはメールアドレスじゃないかと思う…でも、注意深く見ないと気づかない文字列がページの片隅に書かれているだけだ。
おそらく、連絡すら受け付けようとは思っていないのだろう、と考えて、僕は彼らの成果物を、一方的に使わせてもらっている。
今回ゲーム保存協会に寄付をしたのは、Pay foward の気持ちもある。
ここでちょっと話の方向を変える。
なぜ西洋文化の根底にアーカイブがあり、日本文化にはないのか、だ。
西洋の文化は、古代シュメール文明に端を発する。
古代シュメールは、物々交換経済が行われていた。
しかし、実際に交換しようと思うものを持ち歩きながら交換相手を探すのは大変だ。
先に交換相手を見つけ、約束を取り付けてから物を持って行ったようだ。
たとえば、自分の持っている羊一頭と、他の人の小麦100束を交換する約束を取り付けたとしよう。
ところが、相手の元に、羊一頭を小麦 80束と交換したい、という人が訪れたとする。
どう考えてもこちらの方が得だ。相手は、その人と約束をしてしまい、自分との約束なんて知らない、と言い張る。
やっと羊を連れて相手の元を訪れたのに、そのまま連れて帰らなくてはならないし、また取引相手を探さなくてはならない。
とんだ労力だ。相手に対しての怒りは収まらないが、怒ったところでどうしようもない。
こうしたトラブルを避けるため、古代シュメールで「契約書」という概念が生まれる。
木の板に粘土を塗り付け、そこに羊と小麦の絵を描く。
当初は、絵をたくさん描くことで数を表していたようだけど、やがて「葦筆」を押し付けた形で数字を表現するようになる。
これが、世界最古の文字である楔形文字の誕生だ。
私の羊1頭と、あなたの小麦100束を交換する。
同じ契約書を2つ作り、それぞれが持つ。
これで、片方が約束を違えようとしても、自分の権利を主張できる。
すぐに取引が終わったなら、粘土板は表面に水をつけてならし、再利用すればいい。
でも、毎年取引を行う契約をし、数年間契約書を保存するような場合もあった。
そんな場合は、粘土板を日干しにした後、焼く。これで素焼きの土器となり、永久に保存できる。
古代シュメールでは、税調記録も同じように残されたし、裁判の記録なども残された。
裁判の際には、同じような争いには同じような判断が行われるよう、過去の記録をすぐに参照できるようにしてあったようだ。
素焼きした記録は整理して収蔵され、大切に保管された。
参照したい場合も、持ち出しは厳禁。
しかし、別の粘土板に押し当てれば、表面の凹凸を写し取ることができた。
これで、記録をコピーできる。原本は持ち出し禁止だが、コピーにより情報を持ち出すことは出来た。
政治的な判断も、その結果も、すべて記録して保存された。
ここには、原始的な形での「アーカイブ」を見ることができる。
彼らは、トラブルを避けるために「記録」を必要とし、そのために文字を発明した。
文字を発達させて自分たちの「政治」を残し、後のものは過去の失敗に学んでよりよい社会を作ろうとした。
古代シュメールに始まった文明は、世界中に伝播した。
今でも、アーカイブは大切なものとして、世界中で作られ続けている。
ところで、古代の日本に文字はなかった。
日本は自然が豊かで、自然採取生活でもそれほど困窮してはいなかったようだ。
そのため他の集落を襲って食べ物を奪う必要もないし、物々交換で相手を騙して自分だけが得するような必要はなかった。
平野が少なく、集落が狭いところに作られるため、取引相手が少なかったことも幸いだったかもしれない。
いつも同じ相手と取引していると、相手を騙して怒らせることは、自分の損にしかならない。
ともかく、日本人は「記録しなくては避けられない」ようなトラブルには見舞われなかったと思われる。
だから、独自の文字を発達させなかった。
やがて、中国から稲作文化がもたらされる。
その際に「文字」も持ち込まれているのだが…当時の日本人には、文字がなぜ必要なのかわからない。
記録しなくてはいけない、という危機感が無いのだから、仕方がないだろう。
当時の土器などに、文字が書かれているのが見つかっている。
しかし、どうやらこの不思議な文様は「特別な力を持つ」と考えられ、祭祀などに使われただけだったようだ。
日本では、文字の始まりがこんなだから、「記録しておかなくてはならない」という渇望感はない。
正倉院を見てもわかるように、「珍物の蒐集」は行われている。
でも、何もかも記録して残そう、というようなアーカイブではない。
その正倉院だって、昔はたくさんあったのに、今は1カ所を残すのみ。宝物はみんなどこかへ行ってしまった。
神奈川県には「金沢文庫」という場所があり、ここには鎌倉時代に書物などを集めた施設があった。
でも、時の権力者が自分の役に立つ情報を蒐集しただけで、その本も後にどこかへ紛失したりしている。
ここにも、永久に残そうというような意思はない。
最初に、国会図書館は「アーカイブだ」と書いたけど、これだって1948年に法律が整うまでは、ただの図書館に過ぎなかった。
日本でのアーカイブの歴史は、それほど古くない。
自然は四季と共に常に移ろい続け、一瞬として同じ姿をとどめない。
逆に、同じ姿を見せ続けるものがあれば不自然で、見苦しい。
日本人の美的感覚では、永遠を望むものは見苦しいのだ。
一方で、アーカイブは永遠に残すことを目標とするものだ。
古くなって劣化すれば補修する。いよいよどうしようも無くなれば、精巧なレプリカを作る。
とにかく、同じ姿を永遠にとどめられるように努力し続ける。
永遠を見苦しいと感じる文化と、永遠を求める文化。
ここには文化摩擦があるので、日本人には、「アーカイブ」を理解できない人が多い。
国会図書館は本を蒐集したが、本ではない「情報」はこぼれ落ちた。
日本では 1930~1950年代に映画の最盛期があるのだけど、この頃の映画が全然残されていない、と1960年代後半になってから慌てることになった。
そこで、1970年には、国立近代美術館フィルムセンターが設立され、日本映画の蒐集・修復が始められた。
しかし、1940年代には戦争もあったこともあり、1930年代以前のフィルムの収集は難航。
今でも時々未発見のフィルムが見つかってニュースになるのだけど、多くのフィルムが永遠に失われたとみていいだろう。
このような失敗を繰り返さないように、映画後の国民娯楽の中心となった漫画・アニメ・テレビゲームのアーカイブを、という話は 20世紀末から出ていた。
21世紀に入ると、「国立メディア芸術総合センター」という名前で実際に計画が進められる。
しかし、2009年の民主党政権の際に「国費で漫画喫茶を作る必要はない」とされ、計画は止まってしまった。
漫画喫茶、という言い回しで、アーカイブが全く理解されていないことがよくわかる。
民主党を笑うのではない。
これが、アーカイブの重要性を訴えられなかった…そもそも理解していなかった日本人の現状だ。
古代シュメールで、裁判の記録などが永久保存されていたことを先に書いた。
今だって、そうした記録は永久保存される。
「アーカイブ」には公文書の意味もある。
古代シュメールでは政治判断なども記録し、残された。
でも、近代日本では政治判断…会議の議事録などは、一定期間保管の上、廃棄された。
これでは、重要な政策がどのような議論の上で決定されたのかが、すべて闇に葬られてしまう。
そこで、2009年に法律が改正され、公文書館が作られることになった。
各行政機関で一定期間保管された公文書は、その後公文書館に預けられ、永久保存される。
…ただし、ここに法の穴があって、「すべての」公文書が残されるわけではない。
何を残すかは、保管してきた行政機関が決められるのだ。
結果として、永久に保管して後で責任を問われたりすると厄介な、重要な記録は捨てられてしまうらしい。
すべて捨てていると、公文書保管ができていない、と言われてしまうので、どうでもいいゴミのような書類だけが残される。
ここでも、アーカイブの意義がまだ理解されていないのだ。
アーカイブは、後からあらさがしをして責任追及しよう、というようなものではない。
未来の人が、自分たちの社会の「元」となった時代を知るための資料なのだ。
そこでの判断が間違えていたとしてもかまわない。過ぎてしまったことなのだから。
間違えていたなら、補正すればいいだけの話だ。
しかし、そもそもどういう判断だったのかがわからないと、舵の切り方もわからなくなる。
社会をよくしていこうと思うなら、どんな資料でも残していかなくてはならない。
さて、最後にゲームの保存の話に戻ろう。
元々、このアーカイブ話は、ゲーム保存の話から派生したものだから。
前回の話に書いた通り、業務用ゲームを作ってきた僕としては、自分が作ったものであっても手元には置いておけない、と考えていた。
今なら中古基板が買えるようなものもあるだろうが、僕が作ったゲームは特殊筐体が必要で、おそらく中古屋にも出回っていない。
すでに失われているだろう。
こうした経験から、僕自身はゲームを保存することに思い入れがない。いつかは消えゆくのが普通のことだと受け入れている。
これは、日本人的な自然観から来るものだ。
その一方で、個人的な思い入れは当然ある。懐かしいゲームのことを、できれば少しでも記憶にとどめておきたいと思う。
ゲーム文化に携わったものとして、小さなことでも何か寄与したいとは思っているからだ。
そこで、たいしたことないゲームだけど、思い出話を少しづつ書き綴っている。
オリジナルや、その作成時の資料と言った一次資料ではなく、当事者の思い出話という二次資料に過ぎないのだけど、傍観者の推測による三次資料よりは役に立つと思っているから。
一方で、当時のオリジナルゲームをもう一度遊べるようにしよう、という動きもある。
愛知のゲーム博物館には、懐かしい業務用ゲームがレストアされ、遊べる状態で保存されている。入場料を払えば遊び放題だ。
一度行ってみたいと思っているのだけど、残念ながら遠いのでまだ行けていない。
長崎のハウステンボスにもゲームミュージアムがある。
こちらも行きたいけど、うちからはさらに遠くて行けそうにない。
しかし、こうした「保存活動」が行われることは、ゲームに携わったものとして嬉しく思っている。
一方、オリジナルではなくても、気軽に遊べるようにしよう、という動きもある。
昔のゲームを移植したり、エミュレータによって動作させて今の機械で遊べるようにしよう、というものだ。
移植・エミュレーションなので、オリジナルとの相違は発生する。
保存という意味合いでは相違は少ない方が良いのだけど、あえて違いを強調する場合もある。
nintendo 3DS で発売された「セガ3D復刻アーカイブス」はそうした試みだと思う。
セガは3Dのゲームを多数作っていたが、当時の技術的な問題から「立体視」できるものではなかった。
それを、立体視可能な 3DS で、立体視できるゲームとして復刻しようというもの。
アーカイブス、と名前にあるが、本来の意味での「アーカイブ」なのかというと、ちょっと違うとは思う。
しかし、単にエミュレーションにとどまらず、当時のゲームセンターの環境を記録にとどめようとしていたり、「ゲームを記録しておきたい」という気概は感じる。
アーカイブを名乗っていても恥ずかしくないものだとは思う。
任天堂の出した「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピューター」が大ヒットしている。
入荷してもあっという間に販売終了、という状態で、入手困難だ。
これも、公式とはいえエミュレータに過ぎない。「音色が少し違う」などの相違点が指摘されている。
とはいえ、当時のゲームを気軽に遊んでもらえる環境としては、なかなか良いのではないかと思う。
前回「ゲーム保存に興味がない」と書いたけど、僕が保存に参加するほどの情熱がないだけで、こうした動きがあるのは嬉しいし、頼もしい。
僕だって昔のゲームは好きだし、ファミコンミニに関しては先日購入できたので、子供と一緒に楽しんでいる。
さて、ここで問題提起だ。
他にもゲームを残そうという活動はあるのだけど、基本的に「懐かしい」ことを前提にしている。
というか、古いゲームはやっぱり古いのだ。懐かしさでも煽らなくては、商売になんてならない。
逆にいえば、あまり売れなかった、多くの人に遊ばれなかった、面白くなかった作品は、残されることなく消えていく。
これでは、都合の良い書類しか残さない公文書館と同じだ。
求められているのは、国会図書館のように、すべての本を平等に残そうとすることなのだ。
そして、ゲーム保存協会。
彼らが目指しているのは、ゲーム文化の永久保存のためのアーカイブだ。
国会図書館が古い本のスキャンデータを作るように、彼らもフロッピーディスクをデジタル保存したりしている。
フロッピーはもともとデジタルだ、なんて思ってはならない。
コンピューターからはデジタルに見えるようにしているだけで、その内容は磁気変化によるアナログ記録だ。
アナログ記録でありながらデジタルとして扱うことを利用して、プロテクトなどが作られている。
このプロテクトまで残すために、彼らは「フロッピーディスクをアナログ記録物として扱い、そのアナログデータをデジタルサンプリングする」という回りくどい方法を使って、永遠に残そうとしている。
「ゲーム」を残すのであれば、こんな回りくどい方法は必要ない。
先に書いているエミュレータや移植のように、今の環境で遊べるようにすれば、それで十分だ。
でも、彼らが残したいのは、ゲームではなく「ゲーム文化」なんだ。
ゲーム文化の広まりは、遊ぶ人を飛躍的に増加させ、友人間でのコピーが増えることになった。
その対抗措置としてプロテクトが生まれ、年々進化していく。
ゲームを残すのではなく「ゲーム文化を残す」のであれば、このプロテクト技法を一緒に残さなくてはならない。
この違いは非常に重要なのだけど、アーカイブとはなんであるかを正しく認識し、残すものがゲームなのかゲーム文化なのかも区別して考えないと伝わらない。
アーカイブなのだから、売れなかったゲームだって保存する必要がある。
ヒットゲームが、どんなゲームの影響で作らているかはわからないためだ。
どんなゲームにも、そういう関係性がある。
だから、ゲームだけでなく、その周辺のすべてを保存しなくては、関係性が見えなくなってしまう。
「すべて」を保存するなんて言うのは、明らかに茨の道だ。個人がやるような仕事ではない。
だけど、先に書いたように「国立メディア芸術総合センター」の計画は、民主主義によってえらばれた代表により中止された。
それが民意である以上、また大きく状況が変わるまで、政府としては手を出すわけにいかない。
今すぐ始めないと手遅れになるかもしれない、という状況で、とりあえず個人でもできることから始める、というのは意義深いことだと思う。
最後に、蛇足を一つだけ。
日本文化にアーカイブがない、というのを、否定的な意味に捉えないでほしい。
途中書いたように、日本が平和で、トラブルが起きにくかったということなのだから。
この平和さが、生活に直接関係ない余暇…遊びに対する欲求を高めてきた。
歴史上、何度も「賭博禁止令」が出ているというのは、何度禁令を出しても遊び続けてきた、ということでもある。
任天堂だって、禁制の賭博札を作ることから起こった会社だ。
セガだって、違法スロットマシンの販売から起こった会社だ。
こういう遊びに邁進できる、平和な文化が日本にはあった。そこは誇りに思っていい。
テレビゲームもその延長上にある。
アーカイブがないことと、テレビゲーム文化が日本で花開いたことは密接な関係にあるんだ。
だから、「世界有数のテレビゲーム文化を誇る日本が、そのアーカイブを作ってないなんて!」と嘆くのではない。
アーカイブを不要と思うような国民性だから、役にも立たない遊びを極めたのだと考えよう。
とはいえ、アーカイブ不要というのではない。
すでに、ゲームは世界的な文化だ。
だから、世界の慣例に従って、文化の歴史を残すアーカイブを作っておくべきだろう。
そして、その文化の黎明は日本国内で起こっている。
アーカイブを作ることは、我々の責務なんだ。
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ゲーム保存協会にサポーター登録しました【日記 16/12/11】
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
最初に書いておきますが、没ゲームの話です。
ここから書くゲーム、作成中止になったので世に出てません。
たしか、1996年9月のショーが終わって、ひと段落ついた後だと思いました。
あたらしいプロジェクトに配属されます。
当時は、2月に AOU ショー、9月に AMショーという2大ゲームショーがあって、そこでのお披露目を目指して動いているプロジェクトが多かったのね。
会社上層部から降りてきた指令でした。
「新しいコラムスを3か月で作れ」。
3か月って、かなり無茶なスケジュールです。
当時は1本半年くらいが普通。急げば4~5ヵ月に短縮されることはありましたが、3か月じゃ何もできません。
今時落ち物作れっていうんだから、何かキャラクター立てて対戦だろうなぁ…とか、部長からふんわりとした指示が出ます。
任された企画者が最初にやった仕事は、「3ヵ月でできるわけないでしょ」と部長にねじ込んで、まぁ、実際には6ヵ月かかっていいんじゃないかな、と言質を取ることでした。
企画は同期のM。
プログラマーは、僕ともう一人。
手相では企画、秒殺ではプログラマとして、一緒に仕事をした先輩Hさん。
それともう一人、「最初のちょっとだけ」で、スタックコラムスのプログラムを作った先輩が参加しました。
基本のプログラムを組んで、すぐに別プロジェクトに異動しましたけど。
話を2か月ほど前に遡らせます。
そのころ、Nintendo 64 で、スーパーマリオ 64 が発売されています。
企画Mが研究のために遊んでいたのですが、シーンの切り替わりの際に、星の形やクッパの顔などの形にワイプが入ります。
Mはこのエフェクトに驚いたようで、こんな画面切り替え効果他のゲームで見たことなかったけど、これは N64 の性能が無いとできないものなの?
と僕に質問してきました。
そのころ僕は特に急ぎの仕事もなく暇だったので、「画面切り替え効果」のエフェクトを作ってみせます。
星形ワイプはもちろん作ったけど、Mの思いつくままに20種類くらいのワイプを作ったのではなかったかな。
これ、中にはサターンで普通つかわれない機能を使ったようなものもありました。
普通つかわれないのはゲーム中だといろんな制約があるからで、「ワイプだけの実験」だから使えたのだけど。
さて、そのままMと一緒に仕事をすることになったので、ワイプを作りながら実験した画面効果をゲーム中に使おうとします。
目標としたのは、派手な戦闘演出でした。
ぷよぷよに始まった対戦パズルですが、「対戦ぱずるだま」以降は、フィールド全体に大きなキャラクターグラフィックを重ねるのが普通になっていました。
じゃぁ、コラムスでもやろうよ…となったのですが、ただ他のゲームを真似するだけでは面白くない。
両方のフィールドは分離しているのだけど、同じ背景を共有することにして、2人のキャラクターが戦っている雰囲気にしよう。
「連鎖」で攻撃すると、攻撃した側が相手側に進んでいるように見える形で、背景をスクロールする。
連鎖が多ければ、その分スクロールは速くなる。
ある程度以上大きい連鎖が発生するときは、「連鎖前に」予告を出すようにする。
具体的には、連鎖が組み上がった瞬間にゲーム進行が一瞬停止して、発火点となる石から、画面全体に光が広がるようにしたのですね。
これで、連鎖中に相手側が「すぐ対処しないとやばい」と焦るようになる。
…いや、つまりアニメのドラゴンボールのような戦闘の雰囲気を出したい、ということですね。パズルなのに。
他にも、「挑発」という操作をすることでメリット・デメリットがあるとか、いろんな細かなアイディアが出ました。
まだ絵はあまりできていなかったので、仮の絵を入れて「気持ちいい動き」を追及したり、演出面にこだわっていました。
一方でコラムス本体のゲーム性をどういじるか、という難しい課題もありました。
コラムスって、一人で黙々と遊ぶように作られたゲームデザインです。
対戦にして「邪魔」とか落とすと、ゲームが破綻してしまう。
通常時はコラムスでいいのだけど、何かをきっかけに「消える」条件が緩くなって、大量に溶けていくように…
と、漠然と考えながらいろいろなルールを試すのですが、どうも決め手になるいい案が出ないのです。
改造できないっていうのは、それだけコラムスの基本システムが練り込まれているということですけどね。
詳細忘れたけど、「宝石に絡みつくように稲妻が伸びて行って、まとめて消える」なんてプログラムも試した覚えが。
仮の絵で稲妻の動きとかそれらしく作ったのだけど、結局ゲーム的に面白くなくて没にしました。
あと、ルールがらみでは「邪魔」をどれくらい降らせるか、という計算式の作り方を、Mに教えたのもよく覚えている。
「連鎖数に応じて、こんなイメージで数が増える式を作りたいんだけど、どうすればいい?」
と簡単なグラフを示しながら聞かれたので、表計算で式を立ててグラフ化する方法を教え、納得いく曲線になるまで式を自分でいじってもらったの。
ゲームのルールでも、実際の数式が複雑に絡む部分って、「プログラマーでないと計算できない」と思われている節があったのね。
でも、プログラムして、確かめて、調整して…だと試行錯誤の時間が無駄に長くなる。
あらかじめ表計算でイメージを掴んでもらうことで、開発効率上がりました。
これ、自分で考えるのだったら、簡単なプログラム書いてしまいます。
だから「表計算ってそんな使い方もできるんだ」って驚きだった(笑)
先に仮の絵を入れたと書きましたが、元企画でプログラマのH先輩から借りた資料をスキャンしたものです。
H先輩は、同人誌を自分で作ってコミケに参加してた人。
(企画出来て、絵が描けて、プログラムもできた人です。)
で、同人誌もいっぱい持っていて、Mがイメージを伝えたら、いくつか見繕って持ってきてくれました。
その中からMが気に入ったものを使っていたわけです。
同人誌って、別に18禁なものではないよ。
商業誌と違って、お話よりも「イラストの雰囲気重視」な人も多いから、イメージ固めるうえでは役立つのね。
こうした絵を使っているうちに、全体のイメージが固まってきました。
キャラクターは、魔法使いという設定にしよう。
コラムスだから宝石の名前の付いたキャラクターで、それぞれが魔法使い。
ホウキに乗って飛んでいる状態で戦うので、先に書いた「攻撃による高速スクロール」も活きてくる。
コラムスって宝石が6種類あるので、6人と対戦することにして、主人公は「宝石かどうか微妙な石」だな。
自分が宝石であると認めてもらうために、他の宝石に挑む…と。
微妙な宝石って何だろう、というMに対し「珊瑚とかどう?」と僕。
あーなるほど。じゃぁ、誕生日はやっぱ3月5日って設定で…とか言ってたら、H先輩から「あ~るか!」と突っ込み。
#わからん人には全く分からん話だな。
何を作るときでもそうだと思うのですが、もやもやした状態からだんだんイメージが固まっていく過程って、楽しいのね。
まだ無責任にいろんなアイディアが試せる時期ですし。
形ができ始めたころに、タイトル案も考えていました。もちろん無責任に。
「ここらでコラムス」というのはその時に出たアイディア。
その後は、企画書なんかには常にこのタイトルが書かれていました。後ろに(仮)ってついてたけど。
ゲームのタイトルって、4文字程度に縮めて呼びならわされます。
その際に「こここら」って呼んでもらいたい、というのがMの意見。
Mは言葉遊びとか好きでした。
さて、ここら辺まで作るのに、2ヵ月くらいかかっていたと思います。
そのころ、会社の役員が部署に視察に来て「そういえば、以前に作れと言ったコラムスどうなった」と部長に尋ねたのです。
部長が僕らのプロジェクトの席に役員を案内すると、怒り始めます。
何をやっているんだ、こんなものを作れと言ったのではない! と。
完全に伝達ミスでした。部長が、役員の意図を理解できていなかった。
9月時点で社内の予定スケジュールを見ると、年末商戦の大事な時期に、発売できるゲームが全くなかったのだそうです。
そこで「何もありません」では話にならないので、コラムスのような簡単なものでいいから間に合わせろ、というのが本来の意図。
つまり、内容を充実させるよりも、べた移植でいいから年末までの3ヵ月で完成、のほうが重要だったのです。
楽しんで作っていましたが、お楽しみはこれまででした。
「年末」までは残り1か月ちょっと。わずかそれだけの期間で、新しいコラムスを完成させなくてはなりません。
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別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
さて、「ここらでコラムス」に書いたように、年末の締め切りは絶対でした。
しかし、作っているゲームはダメ出しをくらい、何もない状態から、1ヵ月ちょっとでコラムスを完成させなくてはなりません。
…いや、実際にはコラムスの基本ルール部分くらいは使いまわしましたから、何もなかったわけではないのですけど。
#基本ルール程度なら、3日もあれば作れるのだけど。
まず最初におこなったのは、「初代コラムスのルールを、基本的にそのまま使う」という確認でした。
ルールって重要な部分だから、試行錯誤していると時間ばかりが過ぎていきます。
「そのままでいい」と役員は言いましたし、実際「ここらでコラムス」の時に、ルールをいじることの難しさを経験していました。
でも、新ゲームを出すのですから、何か「新しさ」を演出しなくてはなりません。
そもそも、コラムスが好きな人は、コラムスの何が好きなんだろう?
「ここらでコラムス」の開発初期に、企画Mがコラムス関連の資料をあさっていました。
その時には深く考えなかった資料もあるのですが、ここにきて考え方をまとめるのに役立ちます。
まずは、業界紙に載っていた「償却率ランキング」。
ゲームセンターにとって、基盤を購入するのは投資です。投資に見合うリターンが無くてはならない。
購入した「原価」に見合った金額を回収する、「償却」の期間を比較したランキングでした。
人気ゲームでもバカ高ければ、償却に何カ月もかかってしまいます。
一方、安いからと言って買っても、誰も遊ばなければ、やっぱり償却に何カ月もかかってしまう。
初代コラムスは、何カ月もの間ぶっちぎりの1位でした。
元々安い基盤で、ヒットしてすごく出回ったために中古価格も安い。
その後も人気が持続しているので、購入して2ヵ月もすれば償却できてしまう。
コラムスには「コラムス2」や「スタックコラムス」もありますが、そうしたものはランキングに入っていません。
初代コラムスだけが支持されている。
店舗に新ゲームを買ってもらうとしても、「償却率ランキング1位の正当な続編」なら説得力があります。
ここら辺が、役員が「コラムスのままでいい」といった理由のようです。
では、お店に置いてあるコラムスを、いったい誰が遊んでいるのだろう?
これも、週末にMが店舗に出向いて、一日中観察していたんだそうです。
店舗にもよるかもしれないけど、新宿の店舗では夕方4時ごろに、出勤前の水商売のお姉さんが遊んでいる率が高かった。
どうも「ゲームがやりたい」というより、時間があるのでちょうどいい暇つぶしを探しているようなのですね。
「ここらでコラムス」は、この頃王道だった「キャラクターを立てた対戦パズル」で考えていました。
このときの想定年齢層は、20代男性のゲームマニア。
しかし、水商売のお姉さんターゲットに考え直します。
開発期間も短いし、役員は「コラムスのままでいい」と言いました。
でも、何か新しい要素は必要だ、と皆の(というか、Mと僕の)意見がまとまりました。
初代は、中古だから償却率がいい。新しく開発してかなうわけがない。
なら、基本的にはそのままだけど、グラフィックなどは今の性能で思い切って作り直そう。
初代が好きな人からは、よく「コラムス97は視認性が悪い」と批判を受けます。
宝石が煌めくせいで、色がわかりづらくなっているのね。
でも、これは結局、「突き詰めたゲーム性」を考えるゲームマニアの意見。
初代は中古で安いんだし、メガドライブ版も出ています。
初代がいい人は初代で遊んでもらうことにしましょう。
想定ターゲットは、水商売のお姉さん。
そんなにゲームが好きでもなくて、暇つぶしで遊ぶだけ。
だから、美しい世界観で楽しんでもらえればそれでいい。
遊んでいて心地よい時間が過ごせるように。
美しく、きらびやかな画像と、心地よい音楽、効果音…
新しいコラムスは、多少ゲーム性が犠牲になっても「美しさ」を追求する。
開発期間が短いから、ぶれている余裕はありません。
この時点で、方向性は決まりました。
ST-V の高解像度モードを使い、宝石をとにかく美しく描こう、と決定します。
グラフィックは、「ここらでコラムス」で描いてもらったものを、高解像度で綺麗に描きなおしてもらって…
と、ここで一つ問題発生。
グラフィックを担当してくれていた女性の先輩が、会社を辞めることになったのです。
実は、以前から視力が急激に落ち始めていて、「グラフィックの仕事を辞めないと失明するかもしれない」と医者から言われていたのだとか。
コラムスが終わったら辞めよう…と考えていたらしいのですが、区切りを迎えたのは事実なので、ここで仕事を辞める決心をしたのでした。
代わりに、別の先輩Sさんがアサインされます。
「期間が短いので」という理由で、仕事が速い人。
Mから「とにかく美しい宝石を表示したい」という話を聞いて、S先輩は「おぅ、任せとけ!」と二つ返事。
「ここらでコラムス」で描いた絵を参考に、32x32 ドットで、宝石一つは 32 色以内で、6種類+魔宝石を…
という説明に対しS先輩から逆提案。
「アニメーションさせるから使えるコマ数教えろ。」と。
とにかくできるだけコマ数が欲しいのだそうです。
ざっと計算して、32コマならメモリに入りますね。と伝えると、じゃぁ後はいいもの作ってやるから待ってろ、と。
もう、細かな指示はなくて全部お任せです。
2~3日だったと思いますが、絵が仕上がって来ました。驚くほど美しい絵でした。
そして、宝石が回転して輝くようになっていました。
「宝石っていうのは、煌めくから美しく見えるんだ。動かさずに表現できるわけないだろう?」と。職人です。
1つの宝石に何色、ではなく、全体で 256 色に収めていました。ST-V の性能としては、それで問題なし。
光を表現する白などは共通になるので、この方が使える色数がずっと増えるのです
ただ、実際の宝石らしいカットにしたら、宝石が少し小さめに見える、という問題が出ました。
ここで、Mの判断で全部の宝石を 40x40 に大きくすることにしました。
画面に並べるときは 32x32 を基準にして、周囲の石と少し重なることになります。
宝石は全部描きなおしですが、3Dモデルなので、再レンダリングするだけです。
この際、「少し重なる」のがおかしくならないように、真横ではなく少し上から見る視点に変えています。
宝石が積み重なっているのを斜め上から見下ろしている、という視点なのね。
ちなみに、32コマで動くのは「半回転」分だけです。
裏と表は同じ形、という前提で、一周は 64コマで回ります。
アニメとしてはかなり滑らか。
宝石は、当初全部同じ角度で回っていました。
画面上に結構たくさん表示されるから、それぞれが別に回転、なんて手間をかけてなかったのね。
でも、Mが「落ちてきて接地した時のままの角度で回し続けられない?」と言います。
えー、処理能力が…と言いつつ、しばらく考え、1時間後には「できた」と動いている画面を見せます。
それぞれの宝石を回しているのではなくて、画面全体に対してたった1つの回転角度と、それぞれの宝石の「角度差分」があるだけなんだけどね。
そうしたら今度は開発後半になってから「一部の宝石だけ回転速度変えられる?」と聞かれます。
レベルアップ時の演出で、数字が横から飛んできて、当たった宝石が速く回る、ってしたいそうです。
うーん、これもしばらく考えて作りました。
回転が速くなるのは、1段の最大6個だけ。それほど処理能力に影響しない。
ここだけ角度差分をいじって、回転速度をあげました。固定の「差分」を保持しているだけだったのに、固定じゃなくなった。
他にも、「消える直前だけ回転が速くなり、遠心力で割れるような感じで」とか「接地した瞬間、列全体が少し沈み込む」とか、非常に細かな演出が入っています。
設置時の宝石の沈み込みなんて、気づいた人少ないんじゃないかな。
初代コラムスは、宝石を「回転」させる際に、宝石自体は 16dot なのですが、8dot 単位でスライドします。
3つ縦に並んでいるのが、それぞれ下にずれる。一番下は上に行く。
この際、一番下は「真ん中で切れて、上にワープする」ように表示されるのね。
これは、メガドライブのハードウェアではやりやすい処理内容です。
宝石を全部背景画面に描いているので、8dot 単位なら処理しやすい。
コラムス 97 は、宝石をすべてスプライトとして表示します。
そして、スプライトは「半分に切る」なんていう器用な表示は出来ない。
ここで、コラムスを作る前に「画面効果」をたくさん作って遊んでいた経験が生きました。
画面効果として「普通じゃない表示」を実験したために、何をどうすれば変なことができるか、をすぐに思いついたのね。
ハードウェアの話になってややこしいので詳細は省きますが、サターンには従来のハードでの意味の「スプライト」はありません。
ただ、テクスチャを高速で画像バッファに転送するハードウェアがあるだけで。
そのままではゲームを作る際に使いにくいので、これをスプライトとして扱えるような仕組みをライブラリで持たせています。
ライブラリには「スプライト」を認識するためのデータを渡してあって、番号を渡すだけでスプライト表示ができる。
このデータをいじると致命的におかしなことも起こるので、普通はこのデータはいじらない。
でも、理解していじれば、いろんなことができる。
具体的には、「スプライトの縦サイズ」を変えてやれば、途中までを表示できる。
また、「テクスチャの開始アドレス」を縦サイズと共に適切に変えてやれば、スプライトの途中から下だけを表示できる。
これを使って、スプライトを任意の位置で切って表示しています。
1dot 単位で自由に切り出せるので、初代コラムスの 8dot よりも滑らかに動かしています。
魔法石出現のタイミングを教えるゲージも、同じ方法で 1dot 単位で自由な長さの表示を行っています。
横方向にはサイズを自由に変えられないので、90度回転して表示しているのだけど。
コラムス 97 、僕がかかわったゲームの中で、一番思い入れのあるものです。
なので、数回に分けてみっちり書こうとおもいます。
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コラムス 97 に影響を与えたもの【日記 16/12/24】
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
コラムス97の思い出話の続きです。
基本的に初代と同じ、だったはずのゲーム内容に影響を与えたもの。
▼特許問題
ある程度開発が進んだ時に、「落ち物パズル特許」問題が起こりました。
カシオ計算機が「ゲーム電卓」のブームの際に作り、特許を申請していたゲームがありました。
この特許書面の内容が、「落ち物パズル」としか解釈できない内容で、実際にカシオが訴訟を起こしたのです。
訴訟相手は、「テトリス」のライセンスを持っていた任天堂と、「ぷよぷよ」を作っていたコンパイルでした。
セガは訴えられていませんでしたが、ぷよぷよの販売を担っていたので、訴訟に対抗します。
落ち物パズルは当時の人気ジャンルです。
しかも、これはサブマリン特許。特許の有効期限はずっと先でした。
特許として認めてしまうと、今後重要なジャンルを失うことになります。
会社の違いを超えて法務部が手を取り合い、カシオに対抗しようとしていました。
#特許は現在、「出願から」20年間が最大の有効期間。
でも、1995年以前に成立した特許は「成立から」20年が有効期間だった。
このため、出願から成立までをいろいろな方法で引き伸ばす手法が広まり、「サブマリン特許」と呼ばれた。
落ち物パズル特許は、1982年に出願し、12年も成立を引き伸ばして 1994年に成立している。
この特許、今見ても「落ち物パズル」の要件を見事に満たしています。
ゲーム自体は、いわゆる「落ち物」とはちょっと違うのですけど、特許というのは見た目ではなく技術が問題なので、要件を満たしていれば認められます。
僕も、なんとか回避できないかと特許書面を読み込みました。
#当時、部署で法務担当だった先輩に「技術面の理解の手伝い」を度々頼まれ、特許書面の読み方も教わっていました。
この話、どこにも書いてなかったようなので、そのうち書こう。
そして、「積み方によって得点が異なる」ことが特許の要件の一つになっていることを発見しました。
じゃぁ、得点を無くせば特許に抵触しなくなる。
だけど、得点なしでゲームとして成立するの?
社内でコラムスが上手な人に、聞いてみました。
みんなコラムスを遊んでいる時間が好きなだけで、得点はあまり気にしていない、とのこと。
ただ、宝石いくつ消した、というのは重要な指標でした。
「いくつ」というだけなら、積み方によって得点が異なる、という特許には抵触しない。
消した宝石の数だけ残し、得点は思い切って失くす、という決定が行われます。
この特許、コラムス 97 が完成したあとで、無効化されたそうです。
法務のテクニックで、「特許の無効請求」というのがあるのね。
特許になるはずがなかった、という理由を示して訴えを起こし、それが認められれば、特許そのものが消えうせる。
カシオは対抗し、分割特許を出しました。
これは、元の特許の一部要件を切り出して別の特許にすることで、「無効請求」で示された理由を回避し、無効化を防ぐ戦術。
ただし、「分割」の名前の通り、特許の範囲は狭くなります。
十分に狭くなってしまえば、その特許は回避しやすい、怖くないものになります。これも事実上の無効化。
最終的に、「無効」になったのかどうかは、実は知りません。
でも、任天堂の法務部がうまい処理をして、普通に落ち物パズル作って何の問題もないよ、という状態にはなったのだそうです。
一体、何をどうしたのかは不明。法務の人は教えてくれませんでした。
(こういうのって、相手の知らないテクニックを数多く知っている側が強いので、あまり手法を口外するものではないのです)
でも、コラムス 97 に得点がないのは、これが理由なのです。
▼ロケテスト
開発期間1か月しかなかったのに、ロケテストは2回やったのだそうです。
「そうです」っていうのは、僕が全く覚えていなかったから。
プログラムに忙しくて、ロケテスト見に行かなかったんだろうね。
企画Mが覚えていて、どうやら2回目はインカムテストを完成から発売までの間にやったみたい。
でも、1回目は開発途中バージョンを店に置き、その反応を開発に反映させるものです。
短い開発期間なのによくやったな。
僕はロケテストを記憶していないのだけど、Mの記憶によれば、ロケテスト前までは初代コラムスと基本的に同じだったようです。
でも、このルールはやっぱり難しいし、わかりにくい部分もある。
先に書いた特許問題もあります。
そこで、次のように改められました。
1) フィールドを1列広げ、1段減らす。
2) 魔宝石の出現タイミングを知らせるゲージを用意する
3) 点数を無くし、段位認定を作る
まずは、フィールドについて。
初代コラムスは、横 320ドットです。それに対し、ST-V は高解像度で 704 dot。
単純に倍にすれば 640 dot なのだけど、さらに 64dot も広くなっている。
そして、宝石のサイズは 32x32 です。実際の宝石は 40x40 で描かれているけど、画面上の並べ方は 32dot なのね。
じゃぁ、2列増やせる。左右に2つのプレイフィールドがあるので、各1列増やせる。
この頃のパズルゲームは対戦が多くて、「敵との勝負」が中心になっていたので、パズルとしては割と優しいルールにしてあったのね。
コラムスのルールはこれに比べると難しすぎて、ロケテストでもすぐにゲームオーバーになってしまう人が多かった。
1列増やすことで、少し優しくしようという狙いです。
#Mによれば「宝石を増やすことで煌めきを魅せたかった」というのもあるらしい。
なんで段を減らしたのかは…忘れた。
初代と違い「フィールドの上にも積み上げられる」ので、その分を減らしたのかも。
#ここはスタックコラムスルール。
もう一つ効用があって、それまでは6列だったので、「中央の列」が存在しませんでした。
落ちてくる宝石は、中央右寄りの列から落ちてきた。
最終的には「落ちてくる場所がふさがれるとゲームオーバー」ですから、この出現位置の判り易さは重要。
1列増やして「中央」と言い切れるのは、ルールがわかりやすくなるのです。
魔宝石は、初代でも出現タイミングがわかりにくいものでした。
というか、「時々出てくる」という程度で、明示されていなかったのじゃないかな。
好きな人は、宝石を消した数の2次関数になっているのを知っているけど。
これを、初めて遊ぶ人にもわかるようにしよう、というアイディアでした。
「あとちょっと耐えれば魔宝石が…」と思えば頑張れるし、そこで終わったら悔しくてもう一度やりたくなるし。
ところで、「魔法石」か「魔宝石」かというのも作るうえで困りました。
初代業務用では「魔法石」なのだけど、メガドライブ版では「魔宝石」になっているのね。
海外版を調べると、この表記は「Magic Jewel」で統一。
じゃぁ、「魔法石」(Magic Stone) ではなく、「魔宝石」だね、ということで、コラムス 97 では「魔宝石」表記にしています。
最後に、段位認定。
コラムス 97 の目標は「初代のゲーム性をそのまま残す」ことでした。
でも、先に書いたように点数を入れるわけにいかなくなった。
実は、初代には「魔宝石を地面に置く(何も消さず無駄にする)と高得点」というテクニックがありました。
点数が無いと、こうした部分の「ゲーム性」が崩れてしまう。
そこで、内部的にいろいろなパラメーターを計算して、最後に「段位」認定することにしたのです。
これは「得点表示」ではないので、特許を回避できます。
たしか、ロケテストに出したときは、出てくる文字が全部 8x8 の、BG 面に書かれたものだったと思います。
INSERT COIN(S) などの表示に使われている文字ね。
数字はさすがに大きな文字を作っていたかな。でも、スプライトでデザインされたアルファベット全文字を作る時間が無かった。
というのも、ST-V の高解像度モードで、スプライトで使える色数は全部で 256色。
そして、その 256 色は、宝石で全部使いきっているのです。
この宝石は、24bit カラーでレンダリングされた後に、一番自然に見えるように機械的に 256色に減色処理しています。
そのため、パレットの並びなども、使いやすさなど全く考慮されていないものでした。
その色の中から工夫して、絵を描かなくてはならないのです。
宝石を描いたS先輩は「綺麗な宝石を作る、という俺の任務は終わった。後は知らない」と逃げました。
代わりにさらに大先輩のKさん(当時デザイン課課長)が、使いづらいパレットでポチポチと文字を描くことに…
ネームエントリーに使う文字や、アドバタイズデモで説明を行っている文字、GAME OVER のロゴなど、全部Kさんが作ったものです。
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コラムス 97 の話の続きです。
通常は、サウンド担当は、ゲームが完成に近づいてからアサインされます。
…といっても、コラムス 97 は開始当初から1か月程度しか期間が無かった。
すぐに、N先輩がアサインされました。
企画Mからは、基本的に初代コラムスのイメージで、という注文とふわっとした難しい課題が与えられます。
「うるさいゲームセンターの中でもはっきりとわかる、宝石の割れる音」
と
「物静かで神秘的な、ゲーム展開によって変わるBGM」です。
注文を出したMですら、むちゃくちゃなことを言っている自覚はあったそうです。
でも、コラムスなんて地味なゲームだから、お客さんを引き込む仕掛けが欲しい。
ゲームセンターで別のゲームを遊んでいる人でも、遠くにいて「連鎖した」とわかるようにしたい、という意図でした。
N先輩の最初に作ってきた「宝石の割れる音」は、まさに注文通りのものでした。
でも、別の可能性もあるのか確かめてみたい。もういくつか作ってみてください、とお願いします。
これ、N先輩は困ったらしいです。そもそも「宝石の割れる音」なんて、誰もの頭の中にあるイメージではない。
こういう時の音って「イメージ通り」が重要なのに、そのイメージが無いのです。
いくつか作ってもらったのですが、やはり最初の音に決定しました。
でも、もう一つの注文…「ゲーム展開によって変わるBGM」の方は、紆余曲折がありました。
まず、初代コラムスのBGMを説明しないといけないでしょう。
初代コラムスの音楽は、ゲーム展開に合わせて演奏内容が変わります。
具体的には、ある程度宝石が積み上がると「ピンチの曲」に変わり、宝石が減るとまた通常の曲に戻ります。
ただ、これが急に切り替わるのではなく、それまで流れていた曲の「区切り」までは流れてから、違和感なく次の音楽に移行するのね。
曲にいくつかの「区切り点」が設定してあって、違和感なく切り替えられる工夫があるのです。
まず、そもそもそういう曲を作れるのか、という調査から入ります。
作曲のN氏が、サウンドドライバを作成した Hiro師匠に尋ねたところ、そういう機能は用意していない、とのこと。
じゃぁ、せめて展開によってテンポを変えられないか。
その程度ならできるよ、ということで、改造版サウンドドライバが届けられました。
そして、書きあげられたのがそのまま発売になった曲です。
非常にゆっくりとしたテンポの、心癒される曲。
でも、この曲ってよく考えられていて、少し速いテンポのリズムの上に、ゆっくりとした主旋律が乗る構造になっています。
通常速度で聞いていると、ゆっくりの主旋律が耳に入って、落ち着く曲です。
でも、テンポを 1.5 倍ほどに挙げてみると、リズム部分が速すぎて、煽られる感じに変わります。
宝石の積んである高さに合わせてテンポを変えることで、焦燥感を演出できるような曲なのです。
#Youtube を PC で見ると、再生速度調整ができます。
コラムス97の動画などで、1.5倍速再生してみると判り易いかと思います。
さすがN氏、いい曲を書いてくれた…と喜んでいたのですが、テストプレイ用の試遊台で音が止まります。
頻繁に内容を書き替えている開発中は気づかなかったのだけど、6時間動かせば確実に止まる、という感じかな。
サウンドドライバが暴走するようです。
Hiro師匠のところに報告が行き、修正版が作られます。
ところが、修正しても修正しても、治らない。
今度こそ治っているはず…というやり取りを何度したことでしょう。
結局、締め切り直前に「これで治らなかったら、テンポを変える、という仕様は諦める」ということになります。
…やっぱり治りませんでした。
これ、コラムス97で唯一の心残りだった点。
BGMは今でも好きだという人が多いのですが、テンポを変えることを前提に書いた曲だということはあまり知られていません。
消した宝石の数が約 2000 個になると、コラムス 2000モードとなってBGMが第九に変わります。
これは、企画Mのリクエスト。
彼は当時エヴァンゲリオンにハマっていた。
…いや、僕エヴァいまだに見てないからよくわかんないのだけど、なんか印象的なシーンで第九流れるの?
とにかく、ゲームセンター中に響くような大音響で、って無茶な注文。
これも、地味なゲームだから注目度を上げようとする策の一つでした。
でも、音楽を作っていて、本体のボリュームまでは制御できません。
Mとしては、第九以外のボリュームをすべて絞って、店舗側に筐体のボリュームを大きめに設定させよう…
というところまで考えたみたいなのだけど、さすがにそれはやめました。
でも、第九の演奏はシンプルで、音を厚めに、力強くしてある。
少しでも店中に響くように、という名残なのね。
音楽の話ではないのだけど、ついでなのでこのモードについて書きましょう。
コラムス97 では、宝石の落ちてくる速さなど、難しさを「レベル」で表現します。
コラムスでは、宝石が3個づつ落ちてくるため、「3」を単位としていることが多いです。
レベルは、宝石を 30 個消すごとに上がります。
開始時のレベルが選べるので、宝石の数とレベルは必ずしも一致しないのだけど。
さて、30*66 = 1980 個宝石を消したときに、落ちてくる宝石の速度が急に落ちます。
ゲーム中最低速度。開始時のレベル 0 よりも遅い、「レベル -1」の速度です。
そして、連続して5個の魔宝石が落ちてくる。
宝石の種類は6種類だけど、わかっている人なら全部消せます。
宝石をきれいさっぱり消し去ると、背景には作成スタッフの名前が。
少人数で作っているのがわかりますね。
この「業界記」、基本的にスタッフの名前を特定できないようにしているのですが、どうせバレるのでイニシャルで書いてます。
実は、宝石がゆっくり落ちるのは、このスタッフの名前を見てほしいからでもあります。
もう一つは、この後最高速に上げるのだけど、「集中力を途切れさせて難しくする」ための意地悪。
そして、30個消して消した総数が 2010 個になると、また一つレベルが上がり「コラムス 2000モード」になります。
先に書いたように、BGMが変わり、速度がそれまでの最高速の、いきなり2倍になります。
ついでに言えば、「接地」してから「固まる」までの速度も半減している。
一番遅い状態から、一番速い状態への落差。
もう、明らかに殺しに来ています。
当時のゲーム時間の基準は「100円で平均3分」とされていました。
ここまできたお客さんはかなり長い時間遊んでいるはずなので、そろそろ終わって、という開発者側のお願いです。
このモードでのBGMもループが非常に短いのですが、「どうせこの速度で長く遊べる人はいないだろう」という理由からだったりします。
だけどね、本来「終わりのないゲーム」であるコラムスを、時間が来たからおしまい、とはしたくなかった。
ゲームセンターの人が儲からないことには仕方がないのだけど、そのためには遊んでくれる人に納得してもらわないといけない。
ここで背景が真っ黒になるのは、そのため。
超高速にして殺しにかかると同時に、視認性を良くして「まだ戦える」状態を整えたかった。
十分戦って終わるのであれば、プレイヤーとしても満足できるでしょうから。
実際、この鬼のような難易度に応えてくれた人々がいます。
「2000 からが本番」という言葉を生み出し、コラムス 2000への挑戦をするプレイヤーが一定数いたのです。
そして、一部の方は見事に壁を乗り越え、延々と遊び続けてくれました。
…ケイブシャークってなんだっけ。
でも、非常にうれしかったです。
やり込んでいただけるのは、制作者への最高の賞賛なのです。
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コラムス97の話の続きです。
初代「コラムス」は、8dot 単位で宝石が落ちてきました。
宝石は全部背景に描かれていたからね。
そして、宝石自体は 16dot で描かれたので、1フレームに宝石半分が最高速。
これは、コラムス2でもそうだし、スタックコラムスでも変わらない。
たしか、「ここらでコラムス」でも、この決まりを守って作っていたのではなかったかな。
でも、コラムス 97 では、ドット単位で滑らかに落ちてきます。
これは「美しいゲームにしよう」と決めたから。カクカクと動くのは美しくない、とMが滑らかな動きを求めた。
最初は、縦の動きから滑らかにしました。
でも、縦が滑らかなのに横が滑らかでないのも美しくない、となった。
横方向も滑らかに動くバージョンが作られました。
もちろん、ゲーム上「列」に置くことが重要だから、操作自体は列単位ですよ。
でも、レバーを横に入れると、隣の列まで滑らかに動くようにしたのです。
これが…何とも言えず気持ち悪い。
どうにかならないか、滑らかなままで改善するアイディアを2~3個試した気もしますが、結局このバージョンは1日続けなかったんじゃないかな。
すぐに元の動きに戻しました。
ただ「滑らかに動かす」だけでも、結構いろいろ試してます。
コラムスに限らず、なにかを作るときって膨大な実験が行われ、捨てられています。
宝石が消える瞬間、砕け散って破片が飛ぶ演出があります。
また、消える瞬間にレバーを下に入れっぱなしにしていると、消える瞬間のアニメーションがキャンセルされ、高速で消えます。
アニメキャンセルは途中で入れた仕様なのですが、これを入れた時、連鎖すると飛び散る破片の量がものすごい数になり、処理落ち…画面がスローモーションになりました。
僕も企画のMも、シューティングゲームとかで大量の敵が出て処理落ちすると嬉しいタイプ。
まさかコラムスで処理落ちするとは思っていなかったので、「うわ、すげー、処理落ちした」と大騒ぎ。
何を騒いでいるのかと見に来た、近くの席にいた先輩に「ダメだな。処理落ちは絶対に許さん」と言われました。
プログラムを知っている人間から見れば、処理落ちするというのは限界を超えるほどの処理をしている、ということで面白いかもしれない。
でも、お客様はプログラムを見たいのではなくて、ゲームを遊びたいのだ。
ゲームのテンポを崩す処理落ちはあってはならないし、そうならないように工夫するのが我々のすることであって、「処理落ちした」なんて喜んでいてはいけない、と。
ゲームに対する確固とした哲学を持っていて、時々ハッとさせられる言葉をいただく、いい先輩でした。
ところで、唐突にプログラムテクニック。
他の会社や部署はどうか知らないけど、当時のAM1研では、開発中は背景色を本来の色とは違うようにいじっていました。
本来が黒だったとすると、1フレームの処理開始時に、緑とかにしてしまうの。
そして、処理が終わって垂直帰線待ち(ゲームのタイミング合わせの処理)に入る瞬間に、黒にする。
背景色は、直接画面表示に反映されました。
実際には、画面を描画中に次の画面を作るためのプログラムが動いています。
画面は走査線によって上から順に描かれますが、処理中はこの走査線の「背景色」が緑になり、処理が終わると黒になる。
結果として、処理時間がそのまま画面に現れます。
処理が軽いと画面の上の方だけ緑になり、処理が重いと下の方まで緑になる。
画面が全部緑になってしまうようなことがあると「処理落ち」となります。
こうすることで、常にプログラムの処理量を意識しながらプログラムを作れた。
ところが、ST-V の場合は、この色の付け方がちょっと違ったのね。
メイン CPU の処理が終わったところと、サブ CPU も処理が終わったところと、裏画面描画が終わったところで色を変えてあった。
実は、裏画面の描画は間に合わなくても、キャラクターがちらつくだけで大きな問題は生じないのだけど。
でも、この目的のために、メイン CPU は画面描画の終了を示すフラグが立つのを監視していたのね。
そうすると、実際には処理が間に合っていても、画面描画が遅いだけで処理落ちしてしまう。
先に書いた「宝石の破片で処理落ちした」のは、画面描画が遅れたためでした。
処理速度は問題ない。破片は描画が間に合わず消えるけど、重要ではないものだから、こちらも問題ない。
つまり、デバッグビルドだから処理落ちしただけで、リリースビルドすれば処理落ちしないのです。
とはいえ、これは後知恵。
先輩に言われたときは納得して、破片の処理を軽減するプログラムを書きました。
何をどうしたかは忘れたけど、上限定めてそれ以上出ないようにしたのかな?
一緒に作っていたもう一人のプログラマ、H先輩なのですが、「こここら」の時は敵の思考ルーチンを担当していました。
論理パズルとか好きな人で、理詰めで「最適状態」に積んでいくプログラムを作ったら、むちゃくちゃ強い。
そして、先読みがすごいので思考処理に時間がかかりすぎる。
無駄を省き、弱くしながら現実的な時間内で思考する…というようにしながら、いくつかのパターンのルーチンが用意されました。
ところが、「ここらでコラムス」が没になり、敵の思考ルーチンが不要となったのです。
思考ルーチンを作っていたので「次に置いたら消せる場所」を調べるプログラムはありました。
これをそのまま流用し、EASY 最初の頃の「消えそうな宝石」の表示ルーチンに流用しています。
もう一つ、一人で遊んでいる時に連鎖すると、空いている席の方で「リプレイ」が始まります。
これもH先輩の作。
というか、空いている側の席のデモは全部H先輩だったはず。
何もないときでもきれいな宝石が降っていて、リプレイがあるときは降ってきた宝石が積み上がると、連鎖直前の状態の再現になっている。
一見ランダムに見えるものが、定位置に収まってリプレイが始まる、という演出、結構好きです。
#あ、リプレイの開始指示は僕だ。
「ここらでコラムス」の時に、連鎖確定演出というのを作った。連鎖が起きる前に、これから連鎖するとわかるのね。
これを利用して「今から連鎖するよ」というデータを記録し、先輩の方ではそのデータを元に演出処理を行った。
多分もう少し作っているはずなのだけど、H先輩担当の主なものはこれくらい。
あとはほとんど僕がプログラムしています。
H先輩は、企画も作れて、プログラムも作れて、絵も描けるという広い知識のある人だったけど、プログラムだけなら僕の方ができたから。
そして、スタッフロールを作るときになって、どちらの名前を上に出すかで問題になったのです。
僕としては、先輩社員を差し置いて上に名前が出る、なんて畏れ多い。
でも、H先輩は、ほとんど僕が作っているのだし、プログラム課では僕の方が先輩なのだから僕を上に、と言います。
最終的に、プログラムを作るのは僕なので、H先輩を上にしてしまいました。
そんなわけで、僕の名前は下側に入っています。
H先輩は、この作品を最後に会社を辞めてしまったため、最後の思い出くらいにはなったかな、と思ってます。
宝石を描いたS先輩は仕事効率優先の人でした。1ドットにこだわるよりも、全体として受ける印象を大切にする、という感じかな。
宝石の絵は、1枚づつ仕上げたのではないそうです。
7種類× 32パターンをレンダリングしたものをツールで繋げて大きな絵にし、一気に減色ツールで 256色化、これをツールで再び切り分けたのだそうです。
当時はキャラクターは1枚づつ仕上げるのが普通でしたから、かなり思い切った描き方です。
タイトル画面にグリフォンのような獣が並んでいます。
初代コラムスのイメージをきれいに描き直したものなのですが、結構形が違います。
S先輩が、3Dで描きやすいように、適当にアレンジしたため。
「羽根の部分は、パイプ1本作ったら並べてくっつけて板にして、全体をぐにゃっと」でできているそうです。
両側の獣で目が色違い、に見えるのですが、実は左右とも全く同じモデル。
オッドアイ(左右の目の色が違う)なのです。
「裏から見るわけじゃァないんだから、これでいいんだよ!」とのこと。
当時のセガには「コアタイム」というものがあり、10時から15時には必ず働いている必要がありましたが、後は自由。
一日8時間働けば問題は出ません。(昼休み1時間は働いていることにならないから、会社に9時間いればよい)
で、多くの人は10時ごろ来て、夕方 7時に帰ります。
ところが、S先輩は8時に来て、夕方 5時には帰ってしまう。
だらだらと仕事しているの、嫌いなんだそうです。
仕事時間ついでに書いておこう。
僕は、朝 9時前に出社していました。
企画のMは、大多数派の 10時出社。
で、Mは一日考えて出来上がった仕様を、17時ごろ持ってくるタイプでした。
僕としては、もう帰りの準備を考えている時間に「相談」と言いながら新仕様を見せられるのね。
そして僕は、その日の仕事はその日に終わらせたいのです。
相談された内容を、作成可能かどうかくらいまでは、検証してから帰りたい。
いつも、21時くらいまでかかって、とりあえず動くよ、って程度までは作ってから帰りました。
Mとしては、可能であることがわかってから帰途に就くので、家にいる間もさらに発展したアイディアを考えられます。
翌日は、僕はその「とりあえず」をちゃんとした形に作り込む。
Mはまた、家にいる間に想いついたアイデアを、夕方までにちゃんとした仕様の形に落とし込む。
毎日のように完成度が上がっていきました。
あのサイクルがかみ合わなかったら、1ヵ月で完成なんてできなかったと思う。
非常に充実した、スピード感のある楽しい仕事でした。
#あと1か月、という状況下で、毎日家には帰っていたように思う。
最後の1週間くらいは泊まり込んだかな。
コラムス 97 は、「年末に間に合うように」作られました。
普通はロムを作るのに1か月くらいかかるのだけど、特急で仕上げてくれ、ってあらかじめ工場のスケジュール開けといてもらったのではなかったかな。
12月初旬にマスターアップして、2週間くらいでロムカートリッジになり、クリスマス頃にはゲームセンターに置かれているのを確認したと思います。
1996年中に発売したから、タイトル画面のコピーライト表記も 1996 です。
なのになんで 97 ってついているのか、というと、企画Mの発案。
当時は Windows 95 が「まだ新しいOS」でした。
95 ってついているけど、日本語版のリリースは 95年の 11月 23日だったのね。年末です。
だから、「95」なんだけど、普及し始めたのは 96 年に入ってから。
Mは言葉遊びが好きでした。没になったけど、「こここら」とか名付けちゃうくらいだからね。
96年になってから普及したのに 95という名前なのが、「最新なのにもう古い感じがして面白い」と言っていました。
そして、逆に「古いゲームだと思われると癪だから、最初から未来の年号をつけておこう」と言い出したのです。
これが、96年発売なのに 97 とつけられた理由です。
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コラムス 97 の話の続きです。
ST-V とサターンは基本的に同じ性能なのですが、メディアが違います。
サターンは CD-ROM なので読み込みに時間がかかり、ST-V は ROM なので時間がかからない。
ROM が高速だからメモリの延長のようなつもりで作ってしまうと、サターン移植の際に苦労します。
実際、ダイナマイト刑事のチームが苦労しているのを見て、最初からサターン移植を考えて作らないといけないのだな、と思っていました。
コラムス 97 は、最初からサターンで発売するつもりでメモリ設計をしていました。
タイトル画面とゲーム中は、スプライト領域とかが大きく入れ替わるので、ロードが必要。
でも、ゲーム中は基本的にデータはすべてメモリに入れてあります。
…ただ、どうしても「背景」が収まりませんでした。
プレイフィールドの背景は時々絵が変わるのですが、これは ROM から読み込まないといけなかった。
その代わりに、メモリを半分、全く手を付けないで残しました。
ST-V には、プログラムが置けるメインメモリと、データしか置けないサブメモリがあります。
メインメモリは高速だけど、サブメモリは低速。
なんでメモリにこんな区別をしたのかは知らないけど、サブメモリは使いにくい。
だから、サブメモリは一切使わないことにして置いといた。
そうすれば、次の背景を CD-ROM からゆっくり読んで置いておき、必要なタイミングで一気に読み出し、とかできると思ったから。
ダイナマイト刑事のチームは、自分たちでサターン版の移植を行っていました。
だから、コラムス 97 も自分たちでやる気満々でした。
「サターン版出すときには、説明書に嘘の歴史書こうぜ」とか、企画のMと妄想していました。
コラムス 97 のデモ画面には、古代ギリシアの壺絵が出てきます。
「ゲームをするアキレスとアイアス」の絵です。
この話を追いかけるとちょっとしたゲーム史になって面白いのですが、今はその話はしません。
Mは、これを「コラムスをするアキレスとアイアス」として説明書に解説しようとしていました。
そして、コラムスとは実際に古代エジプトで遊ばれていたゲームが元になってアレンジされたものだと、でっち上げようとしていたのです。
じゃぁ、二人で対戦するようなゲームとして、「石を交互に置いて、並んだらとれる」とかのゲームを考えて、それまで説明書に載せよう…
とか本気で考えていた時、移植はコンシューマー(家庭用)部署に任せる、という決定が下りました。
開発中は「どこのメモリを何の目的で使用している」というようなメモリマップを手書きしながら行っていたので、そうした資料もコピーします。
「背景はメモリに入っていないので何とかしないといけない。低速メモリは空いている」などのメモもつけ、ソースファイル一式を渡せる状態で、引き渡しを待ちます。
ソースを受け取りに来たコンシューマーの人、実際に動いているゲームを見て、おずおずと言いました。
「サターンの性能だと、これを動かすのはちょっと厳しいかもしれません…」
この一言、すごくうれしい言葉でした。
コンシューマーの人は ST-V を触ったことはないので、ゲームを見て、ST-V はサターンの上位互換だと思ったらしいのです。
開発中、とにかく ST-V だとは思えない綺麗な画面を! と言いながら作っていました。
性能を知っているはずのサターン開発者が上位互換だと思った、というのは、画面が ST-V らしくなかった、ということ。
最高の褒め言葉です。
これは別の話ではありますが、新ゲームなどを紹介する業界紙でも「Model2 で作られたコラムス」と勘違いした記載がありました。(ゲームマシン 1997年1月1・15日号)
これもすごくうれしかった。
2022.10.28追記
現在は「ゲームマシン アーカイブ」というページで、当時の紙面を公式に読むことができます。
上記は該当号へのリンクです。
PDF 9ページ目、新聞の 16面の下部に記述があります。
本文中のリンクは、Twitter に投稿された抜粋(写真)でした。
このページの投稿時には、ゲームマシン アーカイブはまだ存在していなかったため。
このような資料を公開していただいていることに感謝します。
サターン版は、コラムス・コラムス2・スタックコラムスと一緒に CD-ROM に入れられ、「コラムス アーケードコレクション」というタイトルで発売されました。
自分が行った仕事の中で、唯一手元に残っているものです。
最終的に移植したのは自分じゃないから、ちょっと変わってしまっているけどね。
コラムス 97 以外は、新たに移植した作品のようです。
CD-ROM を覗くと、統一されたディレクトリ構成で入っています。
でも、コラムス 97 だけは、ディレクトリ構造が違う。
全く別に作られたものだから、1つディレクトリを作って、ほぼそのまま突っ込んだらしい。
興味を持って中のファイルを調べたことがあります。
業務用では必要な「BOOK KEEPING モード」などの文字がプログラム中に残っていました。
どうやら、サターン用に作り変えたりせず、ほとんどそのまま入れてあるみたい。
▼プロジェクトが終わって
コラムス 97 は、「普通じゃない」ことをしようと頑張った作品でした。
高解像度モードを使ってみたり、宝石を少しづつ重ねて表示したり、宝石の回転アニメだけでスプライト画像のメモリ領域をほとんど使い果たしてしまったり。
開発期間は1ヵ月ちょっとしかなくて、ぶれている暇はないので、こうした大方針を最初に決めてしまった。
これ、Mにとっては結構「苦しかった」らしいです。
あたらしいアイディアを思いついて、ST-V のこの機能を使って、こういう演出を…ということを何度か言ったらしいです。
でも、そのたびに僕が「その機能は、この画面モードでは使えない」と返事をするのです。
僕は当然のことを言っただけなので覚えてないのだけど、企画者としては結構追い詰められたようです。
何かやるたびに、前にやった「普通じゃない」決定が足かせになっていく。
終わった後で、Mは「もう二度と、40x40 なんて変なサイズの絵は使わない」と言っていました。
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