いささか旧聞に属するが、9月ごろのニュースで、「ら抜き言葉」を使う人の割合が、使わない人を上回った、と報じられた。
「ら抜き言葉」に関しては、実は12年も前に日記に書いている。
12年前の日記でも、僕は「ら抜き」擁護派だ。
ツイッターを見ていたら、「日本語が乱れている」と考えている人が多数いた。
12年前だと、新聞発表などは見られても、世間の反応はわからなかったな。
その反応を見た時に一言書こう思ったのだけど、書くからにはある程度根拠を示そうと思った。
ただ思うところを書くだけの「ポエム」だったら書かないほうがましだから。
しかし、調査をしたり、忙しくて先延ばしにしたりしていて、今になってしまった。
調べたものは膨大なので、まじめに書いていくととてつもない長さになる。
(というか、いったんは書いて、あまりに長いので破棄した)
そこで、過去に書いた記事や、ネット上の記事で説明ができる部分は、積極的にそれらの記事へリンクする。
それらのリンク先は、少なくとも「根拠」となるデータではあるが、データの読み取り方を解説したりはしない。長くなるから。
核心部分についてのみは、最後に説明を加える。
「ら抜き」と一般に言われる用法は、おそらくは江戸の末期、少なくとも明治期にはすでに存在したものだ。
方言だという説も出ているようだが、広く使われた標準的な用法だった。
明治期、開国した日本が知ったのは、アジアが欧米の植民地にされそうになっている現状だった。
このことに危機感を持ち、日本は富国強兵への道を急ぐ。
その中で、「複雑な日本語は何をするにも遅い」という考えが出てくる。
それを改善しないと、日本は欧米に勝てない。
江戸時代にも国語の研究者はいたのだけど、万葉集などの古文の解読作業が中心だった。
和歌に見られる係り受け構造の解明、など、一部文法にも踏み込むのだけど、日本語の構造そのものを明かすような文法体系の構築には至らない。
というか、文法が大切だ、というような意識もなかった。
明治になり、英語は研究が進んでいて「文法」というものがあるのを知ると、日本語の文法も解明しようという動きが起こる。
何人かの学者が文法を構築するのだけど、後で書く松下大三郎は、単語の語尾変化でどのように意味が変わるのか、その解明を行った。
明治期はまだ、文語と口語が明確に違うものとなっている。
松下は、一般的な(標準的な)日本語について、文語と口語を区別して、単語を分類し、語尾変化の規則などを詳細にまとめ上げた「標準日本文法」を作り上げる。
これは、日本で最初の口語研究だった。
後で詳細に書くけど、「ら抜き」は明治には普通だった、というのはこの記録が根拠となる。
橋本進吉は、松下大三郎よりも少し後の国語学者で、松下大三郎がやっていなかった(気づかなかった)部分に手を付けた。
松下は、単語に意味があり、語尾変化でその意味が変化し、それが寄せ集まれば日本語になると考えていた。
しかし、橋本は、単語はただ集まればよいのではなく「組み立て方」があると考え、調査してまとめ上げた。
僕が橋本文法を理解していないので間違えもあるかもしれないが、橋本は「文の構造」を中心に研究したようだ。
そして、名の知れた文法学者になり、教科書なども執筆した。
戦後には橋本のお弟子さんが学校用の文法をまとめ上げるのだけど、橋本文法を元にしているので「文章構造」が話の中心となる。
松下のまとめ上げた、単語の分類や語尾変化はもちろん盛り込まれているのだけど、それほど力が入っていない。
元々日本語の「文章構造」が中心で、語彙に関しては弱い不完全なもの。
それをさらに、教育に使いやすいように枝葉の部分を刈り落し、単純化した。
それが「学校文法」だ。
学校文法が悪いものだ、というのではない。
単純化するというのは、最初に教えるものとしては必要だからね。
でも、「それが全てだ」と思われては困る。
しかし、残念ながら戦後教育では「これが全てだ」と考えられてしまったんだ。
明治期にあった、「複雑な日本語は何をするにも遅い」という考えの呪縛は、戦後にまで尾を引いた。
明治期に、口語と文語に分かれている日本語を統一しよう、という「口文一致運動」があったのだけど、結局実現できていなかった。
しかし、戦後すぐに内閣訓令として口文一致が図られた。
「現代かなづかい」の訓令だ。
この訓令で、文章はすべて口語で書かれることになった。もはや、文語で書いた文章は「誤った日本語」とされた。
しかし、それは伝統文化を破壊してしまうことに繋がる。
他にも、この時代に「誤った日本語」として駆逐されたものに、話し言葉の中に「ネ」を挟む、というものがある。
「今日はネ、この前言っていたネ、写真を持ってきたヨ」
これは日本語の乱れや幼児語などではない。
やはり明治の国語学者、山田孝雄がまとめた文法では、ちゃんと「間投助詞」として文法構造に組み入れられている。
しかし、学校文法には入らなかった。
文法にないのだから、正しい日本語ではない、使ってはならない、とする、おかしな風潮が生まれた。
これは、「ねさよ運動」として多くの人に記憶されている。
そして、「ら抜き」も同じような過程で生まれた、と想像する。こちらは「ねさよ運動」と違って、記録がないのだけど。
「ね」も「ら抜き」も、もともと平易な口語文で使われるものだった、という背景もあるかと思う。
友達や家族と話をするときには使う。でも、目上の人との会話や、人前でのスピーチでは使わない。
ましてや、文語として使うことなどありえない。
そういう「平易」な日常を無くしていき、誰かが見ていない時でも常に礼儀正しい状態を保つのが、良い人間性を育てる…
当時は、そう信じられていたので、日常会話でも、人前でスピーチするような話し方をさせようとしたのだろう。
それが子供のためになると信じて。
先に書いた「現代かなづかい」は当初から批判も多く、40年後に…それでも40年もかかってやっと、廃止された。
というのも、すでに有名無実となっていたからだ。
先に書いた「ねさよ運動」も間違っていた、という反省があったころだし、行き過ぎた日本語改造に対して反省が広まった時期。
この頃からやっと、誰かに何かを強要されるのではなく、個人が個人らしくのびのびと暮らせるようになっていく。
#それによる弊害も多数あるが、そのことは今は書かない。
さて、戦後に中高生で文法教育を受けた世代は、今なら 70代。
学校文法が正しい、と教えられていたら、「ら抜き言葉」は誤りだと捉えるだろう。
内閣訓令が廃止されたころに文法教育を受けた世代は、今なら 50代。
ニュースになった国語調査でも、「ら抜き言葉」を使う人がちょうど半分くらいの世代だ。
そして、それ以降の世代では、どんどん「ら抜き」に対する抵抗がなくなっていく。
決して「乱れた日本語が広まっている」などではなく、戦後に混乱した日本語が、元に戻っていく姿だ。
しかし、まだ上の世代の影響から、これが「言葉の乱れ」だと考えている人は少なくない。
今回の調査報告書でも、半数以上が使っているにもかかわらず「誤った日本語」だと表現されていた。
以上で話の概要は終わりだ。
根拠となる資料へは出来るだけリンクで示したのだけど、核心部分となる「100年前の文法書」は説明が必要な部分が多いので解説しておこう。
松下大三郎の「標準日本文法」は、国会図書館のWEBページでスキャンデータを無償で閲覧できる。
この本は、明治期の口語・文語について研究を行い、30年分の研究をまとめた集大成だ。
名前の通り「標準語」を中心に解説している。
(ここでいう標準語は、東京近辺の言葉を中心として、日本で使われる平均的な言葉、というような意味合いのようだ)
方言に関しても、その方言を使う地域が広い場合は、そう断って言及している。
さて、先のリンクでは 330ページが開く。「ら抜き」に関する該当部分だ。
現代語として一部を抜き出そう。
( / で区切るのは省略した、という意味合い)
口語には / 「られる」を付けて「ら」を省略する。/
「られる」の「ら」を省略して用いるのは、「起きられる」「受けられる」「来られる」を略して「起きれる」「受けれる」「来れる」というたぐいだ。/
平易な説話にのみ用い、厳粛な説話には用いない。
「口語には」と断っていることに注意が必要だ。
抜き出し部分の前で文語について書いているのだけど、文語では「ら抜き」に当たる表現は行わない。
これは、古い文書を調べて「昔はら抜きなんてなかった!」とすることに、全く意味がないことを意味している。
説明としては「られる」をつけて「ら」を省略、となっている。
省略するなら、いらないようにも見える。
でも、それを解説するのが後半だ。省略する、と言い切るだけあって、どうも省略が基本なのだけど、省略しない場合もある。
省略しないのは厳粛な説話…つまりは、改まって話をするような場合、演説などの場合だ。
抜き出していない部分にもう1つルールが書いてある。
これは実は、「ら抜き」よりも前に説明されている、重要ルールである。
「読める」「書ける」「思える」などいうたぐいである。
これはもと四段活の語尾と「れる」との約音である。
例えば「読める」「書ける」は Yom(ar)eru , Kak(ar)eru である。
これらの言葉では「られる」ではなく、最初から「れる」をつけるのが正しい。
そして、約音…つながった音が一定の形式になった時に、省略されたり別の音になったりする規則により、音が変化する。
文法としては、皆が普通に使っている言葉を記録しただけなので、これ以上には踏み込んでいない。
でも、省略せず「読まれる」だと、尊敬語(偉い人が読んでいる)になってしまうので、約音することによって意味を変えているのだろう。
同じように考えると、「起きられる」も尊敬語と混乱してしまう。
Okir(ar)eru と考えて「起きれる」にすれば混乱しない。
混乱を避けるなら文語でも、と考えるかもしれないが、文章はゆっくり考える暇があるので混乱はしない。
また、改まって話をするような場合も、そういう際には普段よりも声をはっきりと、テンポはゆっくりと話をするものだから、問題は起きない。
つまり、こういうことだ。
・「れる」を付ける。
・一部の言葉は、「れる」を付けた後で ar の音を取る。
・特別な場合のみ、一部の言葉で「れる」ではなく「られる」を使う。
ここでわかることは、「ら抜き言葉」と言われているけど、実体は「ら入れ言葉」だということだ。
本来入っていないのが普通で、丁寧にしたい時だけ「ら」を入れる。
これが、100年前に日本で最初に記録された「口語」の文法だ。
文語と違い、口語はその時に記録しなければ失われる。
だからこれ以前はわからないけど、明治に入った途端に、急に全国で一斉に使い始めたとは思わない。
少なくとも江戸時代後期にはそうなっていたのだろう。
さて、最初の話に戻ろう。
「ら抜き」は日本語の乱れだと考えている人が多い。
100年以上前から使われていた「普通の日本語」は乱れているのだろうか?
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