2017年08月07日の日記です


保存できないものの保存  2017-08-07 14:55:02  その他

「携帯コミックは失われてしまった」という話題がネット上で議論を呼んでいた。


2000年代中盤、今では「ガラケー」と呼ばれる携帯電話で読める漫画が流行した。

当時の画面解像度などの問題で、基本的には1コマを1画面にしてある。


最初から携帯向けに描かれた漫画もあるのだけど、多くは過去の「名作漫画」を携帯用に作り直したもの。

基本的にはボタンを押すと表示が切り替わっていき、そこに書いてある文字を読むことになるのだけど、元が広いコマだとスクロールしたり、駒の表示に合わせて音が出たり振動したりすることもある。


…らしい。僕は全然読んだことがないので、振動とかが連動しているのは知らなかった。

上手く携帯電話の機能を取り入れたもので、漫画でもなく、アニメでもなく、その中間というわけでもなく、独自のメディアとなっていたようだ。


1コマづつ切り出して、場合によっては変形コマを四角く整形して、セリフ部分だけは読みやすいように文字コードを起こして、駒の切り替えや簡単な音、振動のためのスクリプトを用意して…と、結構手間がかかる。


もちろん有料コンテンツで、流行したのだからそれなりの儲けはあったのだろう。


でも、スマホ時代になって画面が高精細になったら、無くなってしまった。

スマホなら、コマ単位で切らないでも、本来の漫画の1ページを十分に表示できてしまうからね。


それで徐々に市場が先細りになり、大手サービスの一つが、6月いっぱいで終了した。

そのサービスで配信していた携帯コミックは、もう読めないことになる。



これを「残念だ」というのではなくて、あとで研究者が漫画の歴史を調べようとしたときに、失われた10年になってしまうではないか、という話題だった。


後日追記

「まだスマホなどで見られる携帯コミックがあるし、データも会社に残っている」という指摘をいただいた。


なるほど、それは調査不足でした。上に書いたように、この分野詳しくないので。

そのまま100年後も閲覧できるように保守をお願いします。


この話の趣旨はこの後書く部分であり、上記は話の枕に過ぎないので、この追記をもって訂正とし、そのまま残しておきます。




この話題から派生して、ソーシャルゲームも同じだ、泡沫のように消えていく地下アイドルも存在を記録しておくべきだ、雑誌で読みきりだったけど単行本化されていない漫画の記録も欲しい、などなど、各自が自分の「消えてほしくないもの」を挙げ始めた。



そして、これらの話題の「まとめ」を読んだ人が、僕が以前書いた「アーカイブとはなにか」の記事も併せ読みするとよい、と書いてくださっていた。

実は、この一連の話題、僕も言いたいことは山ほどあったのだけど、あえて避けていた。議論に巻き込まれると面倒だから。


ちょうどいい機会だ。議論はあらかた済んだようだし、書いておくことにしよう。




以前の話題に書いたけど、僕は以前業務用の占いゲーム機のプログラムをした。

このゲーム機はヒットしたのだけど、おそらくもう残っていない。


ゲーム基板こそ一般的なものだけど、プリンタ・手相読み取りユニット・CDドライブなど、一般的ではないものを搭載した特殊筐体ものだったからだ。

特に手相読み取りユニットは専用に作られた特殊なもので、壊れたら修理できないと思う。



他にもいくつかのゲームを作った。全部手元にはない。

いくつかは買おうと思えば今でも中古基板が買えるけど、いくつかは世の中から消えただろう。


作成時からそういうものだと思っていたので、消えるのは必然だと思っている。「残さないといけない」なんて主張はない。


同じように、携帯コミックも、ソーシャルゲームも、地下アイドルも、そのまま消えてしまっても仕方がないと思う。

アーカイブは必要だと思うが、「すべてのもの」を残しておくなんてできないのだ。



誰かが「書き記した」ものは、比較的残して置きやすい。

だけど、誰かが「喋った」ものは、形として残らない。運が良ければ誰かが書き留めてくれるだろうけど、そんなものはほとんどない。


たとえば、キミが1か月前にテレビを見ながらつぶやいた感想は、もうどこにも(君の記憶にすら)残っていないし、それを「アーカイブしておくべきだった」という人もいないだろう。


極論だけど、携帯コミックやソーシャルゲーム、僕が作ったゲームなんかも、それと同じことだと思っている。

これらは普段使いの「話し言葉」みたいなものだ。消えていく運命にあるし、それでいいんだ。



でも、完全に消え去るわけではない。




昔の人は、話し言葉と書き言葉を今以上に区別した。

残っているのは、当然だがすべて書き言葉だ。


これらの言葉を調査すると、可能動詞は「られる」であり、「れる」となることなんてない。

にもかかわらず、現代人は「見れる」というような言い方をする。これは日本語の乱れだ。


…という主張がある。いわゆる「ら抜き言葉」だな。

なにぶん、過去の資料を調べた上での主張なので、それらしく聞こえる。



でも、そうではない。話し言葉はほとんど失われているのだ。

しかし、明治時代に、「話し言葉も含め」日本語を調査して作られた、日本語の文法に関する書物がある。


これを読むと、可能動詞は、書き言葉では「られる」、話し言葉では「れる」であることがわかる。

説明としても、わざわざ「『ら』を省略して用いる」としているので、記録ミスで「ら」が抜けたわけでもない。


先ほど、「話し言葉は失われる」と書いたけど、この文法書によって、当時の話し言葉を一部なりとも知ることはできるんだ。



話し言葉…普段の気軽な存在で、保存なんて最初から考えていないものは、消えていくのが当然だと思う。

携帯コミックやソーシャルゲームだって同じで、消えて構わない。


だけど、誰かがそういうものが存在した、という記録を書き留めておくことはできる。

その記録は、後世の研究者の役に立つはずだ。ちゃんとした記録があれば、「失われた10年」になどならない。



僕は、自分の関与したゲームの話を、20年が過ぎたことを目途に書き記している。

失われることは当然だが、その存在だけでも残しておこう、と思っているためだ。


消えゆくものが残念だと思う人は、同じことを試みてほしい。

一般性なんてなくていい。自分の思い出話を書くだけだ。


消えゆくものを残したいのだから、対象物を「知らない人」に説明するように書いて欲しい。

(思い出話を書こうとすると、自分が知っているものだから、説明不足になりやすい)



そして、できるだけ長期にわたって一般公開される WEB 上に置いておく。無料 blog とかでいいだろう。

無料 blog はそのうち消えそうだけど、長期置いておけば、InternetArchive が拾い取って永久保管してくれるかもしれない。


もしくは、Twitter でつぶやいてもいい。検索性が悪いからあまり良くないのだけど、Twitter のデータは米議会図書館に永久保存されることになっている。



将来の研究者は、苦労してもこうしたデータを集めるだろう。他に方法はないのだから。

個人の思い出でも、多く集まれば、全体像が見えてくる。


少しでも多くの人が書き記すことが大切だし、その「少しでも」には、あなたも含まれている。




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