目次
10日 コロナ闘病記 1
10日 コロナ闘病記 2
10日 コロナ闘病記 3
10日 コロナ闘病記 4
15日 コロナ闘病記 5
15日 コロナ闘病記 6
15日 コロナ闘病記 7
18日 その後
22日 ワクチン接種
24日 車検
27日 納車
29日 SSL 証明書
新型コロナウィルス(COVID-19)に感染しました。
ほぼ回復しつつありますが、まだ完治はしていません。
しかし、文章をまとめられるくらいの体力は回復したので、経緯を記しておこうとおもいます。
【陽性判定】
事の起こりは、7月22日にかかってきた電話でした。
長女(中2)の通う塾からで、塾でコロナ陽性者が出たため、濃厚接触者ではないがPCR検査をお願いしたい、という内容でした。
23日に検査会場に行ったのですが、長女は「なんか喉が痛い」といっています。
濃厚接触には当たらないという塾からの説明でもありますし、のどが痛いのがコロナだ、ということにはなりません。
24日、長女が発熱。37度台のそれほど高くない熱でした。
念の為、長女は他の人に近づかないようにします。
食事は同じ部屋だけど、少し離れて食べる形。(誰もいないところで食べるのは寂しいので)
25日、長男も発熱。37度台です。
長女の熱は38度台へ。
長女の塾から連絡があり、PCR検査の結果は陰性だったので、明日から塾に来てくださいとのこと。
さて困った…ここで陽性だと言われれば対応は簡単だったのですが、コロナ以外の可能性を考えないといけなくなりました。
また、陰性が出た直後なので、病院で検査してもらいづらくなりました。
26日。
僕はなんだか朝早く目がさめました。体のあちこちがなんか痛いです。
変な姿勢で寝ていて寝違えて、それが原因で目が覚めたかな、と思いましたが、熱を測ると37度台。
この日長男は37度台、長女は38度台です。
妻も念の為熱をはかり、微熱がある、とのことでした。
感染力の高さで、コロナの疑いはさらに高まります。
いよいよ本格的に確定検査の方法を調べます。
自費での確定検査を受け付けている病院も結構多いとわかりましたが、これはむちゃくちゃ高いです。
公費での検査は医師がコロナ疑いと診断した場合で、その目安の一つは高熱が4日続くこと、のようでした。
すでに長女の熱は3日目なので、明日検査に行きましょう。
食事などは一人だけ熱のない次女を離す形に。
27日。
検査に行くつもりで朝から情報を確認しているのですが、よくわかりません。
まずは行きつけの病院で検査を、とされているのですが、普段使っている病院では確定検査を行っていないようです。
その場合、神奈川ルールでは最寄りの保健所に連絡して病院を教えてもらう事になっているのですが、鎌倉市には保健所はありません。
で、神奈川県が設置しているコロナの相談センターがあることがわかりました。保健所のない市はこちらで教えてもらえます。
電話をかけて状況を伝えると、すぐに最寄りの病院で確定診断を行ってくれるところを紹介してくれました。
2件あり、ネットで調べると1件は訪問診療中心でした。そのため、医院をあけている時間が少ないです。
もう1件は長女の塾のすぐ近くでした。話が早そうなのでこちらに連絡することにします。
…とその前に、次女を起こします。時間は9時頃。次女はほっとくと昼まで寝てます。
念の為に熱を図らせると、平熱より少し高いようです。
さて、病院に連絡。
まずは診療予約を入れるつもりで電話したのですが、そのまま電話による問診になったようです。
家族全員の問診を行い、保険証・医療証はスマホのカメラで送り、11時に車で医院に行くように言われます。駐車場に車をとめたら車内から電話してください、とのこと。
この際、10時以降は歯磨きも水を飲むのも禁止。暑いので、検査後すぐ飲めるように水を持っていくこと。
車の席順。どうしても密です。
僕は妻もコロナ疑いだと思っていたのですが、微熱以上になる兆候がないから違うかも、といいます。次女も起きてすぐは体温が安定していなかっただけで、平熱です。
強い疑いは長女、長男、僕。この時点では僕が症状が一番軽いです。
そこで、僕が車を運転、長男は助手席、長女は長男の後ろにします。
妻が後部座席中央にのり、次女は僕の後ろ。
車は窓を全開にして走ります。
病院について連絡をいれます。準備するので少し待つように言われます。
駐車場の片隅で親子連れが立っていました。
で、どうやらこちらの親子も検査に来たようでした。病院の人がワゴンを持ってきて検査をしています。
なるほど、コロナ疑いだから病院には入れず屋外で済ますのか。
しばらくしたら我が家の番でした。
鼻の奥の粘液拭い取りによる抗原検査でした。
僕からはじめましたが、30秒ほどで「お父さん陽性」といわれます。
続けて長男陽性、長女陽性。
妻と次女は陰性。しかし、家族なので感染疑いはあり、より精密なPCR検査もしましょう、と言われキットを渡されます。
明日家で起きてすぐの唾液を採取して持ってきてください、と。
このあと車の中で1時間待たされます。県に対してコロナ陽性者発生の報告手続きなど行っていたようです。
神奈川県がまとめた、コロナ療養者のためのマニュアルを渡されます。これが非常に良く出来たもので、病気中何度も参照しました。
念の為家族全員の解熱剤をもらい帰宅。
妻の分も薬があったのが、後で役立ちました。…僕が飲んだ、という話ですけど。
※PCRの結果がわかるのは2日後ですが、妻、次女とも陰性でした。
※普段の食事の際の席順ですが、長女の両隣が、僕と長男です。
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【生活ルールの構築】
誰が陽性で誰が陰性かわかったところで、家の中での感染対策を行います。
まず24時間換気システムの送風を「強」に。スイッチひとつでできる対策。
そして部屋割。
子供は自室を持っていますが、長女と次女はカーテン区切りで感染対策としては少し不安です。
また、夫婦は同室です。僕が発症した日は、妻はリビングで寝ました。
そこで、僕と次女を入れ替えることにしました。
こうすれば、陰性の妻と次女が同室、陽性者は各個室をもち、できるだけ部屋に閉じこもることが出来ます。
トイレは1階と2階にあるので、1階を陽性者用、2階を陰性者用とします。蓋を閉じて流すルールを徹底。
リビングは、うちはキッチン〜洋室〜和室のひとつながりです。
キッチンは陽性者は立入禁止。洋室も陰性者用とし、和室を陽性者用の場所にします。
食事の際などは、別のテーブルだけど声が届く距離です。
洗面所が一番問題。
全員コップをわけ、歯ブラシはブラシ部分を下にしてコップに入れるようにしました。
これで、ブラシが接触して感染することもなくなります。歯磨き粉も当面使用禁止。
タオルも陽性者用と陰性者用を分けます。
洗面所には洗濯機もありますが、汚れ物は洗濯機へ。このとき洗濯機を触らないように、蓋など開けっ放しにしておきます。
新しいタオルがほしい際は、普段ならタオル入れの引き出しから出すのだけど、陽性者用は別の箇所に積んでおきます。こうすることで、陽性者が触るところを減らします。
基本はこんな感じで、細かなルールは運用しながら妻が改良していきました。
おかげで、陽性者と陰性者が一緒に生活しているのに、あまり不自由なく、普段に近い生活が送れました。
ただ、その普段と変わらない生活の裏には、妻の多大な労力があります。
普段の家事は多くが僕の担当。食事の準備と皿洗い、洗濯して干して、風呂を洗って沸かすのも。
単にこれが妻に移行するだけでも妻の負担が大きいのですが、感染対策のために手間が増えています。
食事は2つのテーブルに分けましたが、病状によって食べられないものなども出たので(主に僕)、個別対応が必要でした。
「おかわり」と言われただけでも、素直にお代わりできません。
陽性者が触ったお茶碗を触った手で、給仕を行うと感染の可能性があるためです。
別の器などにお代わりを準備し、持っていってお茶碗に移す、などの方法を取っていました。
食器は僕は夜まとめて洗っていたのですが、ウィルスが付着したものを放置しておくのも危険なので、毎食後洗います。
この際、我が家の食洗機の特殊性が問題になります。
我が家の食洗機は1回の洗浄時間が5分です。代わりに1度に洗える量は少なめ。
2つトレーがあるので、1つを洗っている間に、もう一つのトレーに次に洗うものをセットしておきます。
これを次々繰り返せば、どんなに多くの食器があっても一気に洗うことが出来ます。
普段なら、トレーを入れ替えたら軽く手を洗います。洗い終わった食器を取り出すために、手の汚れを落とすのです。
しかし、感染対策としては、石鹸でしっかり洗う必要があります。これがかなりの手間。
しかし、こうした妻の努力で生活がかろうじて保たれていました。
【支援】
確定診断を行った27日の夜には、神奈川県の療養サポート窓口から電話があります。
本当は保健所から当日中に電話が来るのだけど、作業が間に合っていないので明日の朝になるかもしれない、とのこと。
この日、東京では初めて1日の感染者が2000人を超える2800人の報告となり、神奈川県でも758人で過去最高でした。
翌日、午前中に保健所からの電話があります。陽性者それぞれの状況確認。必要な部分は本人が電話に出ます。
神奈川県では、発症した日を0日目として、7日目までに熱が下がれば、10日目の終了をもって治療完了としています。(これ以降ウィルスは感染力を持たないためです)
そこで、治療完了予定日がそれぞれに伝えられます。
あと、これらの状況把握のために LINE への登録がお願いされますが、これは全員すでに行っていました。(療養者向けマニュアルに書かれていたため)
翌日29日には、バイク便でパルスオキシメーターが届けられます。
これは血中酸素濃度を測かるためのもので、LINEへの入力も求められます。
30日には、支援キットが大きなダンボール3箱(3人分)届きました。
中身は、トイレットペーパー120m 3巻、ティッシュ2箱。
長期保存可能菓子パン5個、ニンジン&オレンジジュース3缶。
さとうのごはん…20食分くらい? レトルトカレー2袋。
インスタント味噌汁24食分、緑茶ティーバッグ40袋。
以上が1箱分。
陽性者が食料を触るのは良くないので、届いたときに撮った写真をもとに書いてます。
少し違うかもしれません。この後妻がダンボールから出して管理しました。
で、翌日からは治療完了予定日まで、冷凍お惣菜3食分の宅配があります。
サトウのごはんや味噌汁と合わせ、毎日の食事提供になっているのですね。
ただ、妻は最初は楽できそうと言っていたのですが、病気で食が細くなっている人の分を減らしたり、陰性者のぶんが足りないので料理したり、結局大変だったようです。
(特に食べられず、迷惑を掛けたのは僕)
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【病状の進行】
時系列少し巻き戻します。陽性者が判明した直後からの、病状の進行。
個人の病状を示すときは、発症を0日目とした日付を添えることにします。
まず長女。陽性判明の時点で熱が出て4日目だったのですが、熱の前に喉が痛くなっていたのでその日が発症とされました。
そして、すでに熱は下がり始めていました。
このあと、強い喉の痛みがあるものの、予定通り発症7日目には平熱になり、10日目で完治という扱いになります。
長男。陽性判明した27日から急に熱が上がり、38度5分程度に。
しかし元気で、食欲もあります。長女と同じく喉は痛いようです。
連日38度以上でしたが本人辛くないようで、薬も余り飲みません。
発症6日目に急に熱が下がって平熱になり、こちらも10日目で完治扱い。
というわけで n=2 ですが十代の若者はコロナに強いようです。
ただ、ふたりとも後遺症として嗅覚異常が残りました。匂いを感じません。
これは徐々に治るのが普通らしいので、待ちます。
問題は僕です。50代男性。
…陽性判定の日が誕生日だったので、前日なら「40代」の扱いだったのですが。
判定は発症1日目。その翌日くらいまでは元気だったのですが、以降は連日39度超えの熱になります。一番高かったときで39度8分。
最初は、熱があってもご飯を少しでも食べ、その後処方された解熱剤を飲んでいました。
しかし、熱があると食欲もなくなり、ご飯が食べられません。
方法を変え、解熱剤を飲む時間を管理するようにしました。5〜6時間おきに飲めるので、1日4回飲みます。できればご飯の2〜3時間前に飲むようにします。
というのも、飲むと30分程度で熱が下がり始め、2〜3時間後に一番低い状態になるから。
低いと言っても38度5分とかですが、その時ならご飯を食べられます。
…が、6時間毎服用と、ご飯の2〜3時間前、の両立は無理だった。
食事を用意してくれる妻には申し訳ないのですが、食べられそうなときに頼んで、なにか作ってもらうようにします。
この食事方法が確立できるまでに3日ほど。一時期は本当にほとんど食べられなかったのが、量は少ないながら定期的に食べられるようになりました。
(妻によれば、カロリーベースで普段の量の1割)
ちなみに、食べているとき以外は布団で横になっています。体力がなくて、横にならないと辛いのです。
横になっても眠れません。これも、どうも体力がなさすぎて眠れないようなのです。眠るのって結構体力使う、というのはよく言われること。
で、やることもなく横になっていると、熱のせいで悪夢のような妄想を見ます。
これが説明が難しいのだけど…
僕はプログラマーなのだけど、咳をしただけで「あぁ、今の事象を報告しなくては」って思って、なにか修正してビルドしてるのね。
ビルドしたから何があるわけではない。でも、しないといけないと思ってる。
咳をしないでも、なにか焦燥感にかられてビルドし続けてる。
他のパターンもあるけど、とにかく焦燥感にかられて繰り返し無意味なことをやっている夢。
先に書いたけど、寝てはいないので意識はあって、これが熱のせいで見ている悪夢だという自覚はある。でも止められない。気が休まらない。
ラジオとか聞くと、言葉に意識を持っていかれて余り悪夢を見ないとわかり、常に radiko を使うようになりました。
(それでも見るときもあるのですが)
さて、1日4回飲むと解熱剤はすぐなくなります。
妻の分ももらって飲み続けます。
2回ほど、37度台まで下がって喜んだのですが、その時だけ。
薬が切れると39度台、薬を飲んでも38度5分程度、というのが基本です。
発症7日目に下がるのを期待したのですが、全然下がりません。
妻の分の解熱剤も飲み干し、すでに治療完了した長女の余りをもらいます。
見事なアセトアミノフェンジャンキー。
そのまま発症9日目になり、熱が下がり始めます。
薬が切れる時間になっても、39度まで戻らないのです。
とはいえ、38度はあるので薬は飲みます。
熱が下がって、少し食欲が出ました。
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【主治医の決定】
発症10日目、電話が掛かって来ました。
これまで神奈川県のサポート側で病状把握をしていましたが、標準的な回復になっていないので、神奈川県から依頼を受けて、鎌倉市の医師会の方でサポートを開始する、という内容でした。
早速電話で現状を聞かれます。
熱は少し下がり始めたところです。パルスオキシメーターの値は、95%くらい。
パルスオキシメーターは、93%以下で肺炎の疑いがあるためすぐに連絡を、となっています。なので毎日測っていますが、95% 程度は維持できていました。
すると、「その場で 40歩ほど足踏みして、その後パルスオキシメーターの値を教えて下さい」と言われます。
行ってみると、90% 程度。そのまま電話をしていてもすぐには値が回復せず、1分以上かかって 94% を超えました。
電話ではなく直接確認したいので、後ほどお伺いします、と言われます。
なにか機械とかで精密測定するのかと思ったらそんなことはなくて、同じように軽い運動からの回復時間を見ただけでした。
でも、パルスオキシメーターは安静時の値を見るだけでなく、こういう使い方も大切みたい。
来てくれたのは看護師の方のようで、医師ではないので現状確認しただけ。
でも、明言しないけど肺炎のようで、入院の可能性も考えつつ医師と連携します、といって帰りました。
この日、熱は更に下がって37度5分程度に。
夕飯は子供が作ったカレーがあり、美味しかったので何杯かお代わりしました。
お粥でないものを食べられました。
小皿によそったものだったので、それでも普段の半分程度しか食べてません。
発症11日めの朝。
なんと、少し眠れました。
朝ごはんも、カレーを中くらいの皿で美味しく食べられました。
で、久しぶりにたくさん食べたので、トイレに行きたくなりました。大の方。
汚い話ですが、これが大変だった…
大きいのを出そうと気張ったら、酸欠になったのです。
酸素を欲して激しく咳き込むのですが、肺炎なので急には酸素が入らない。
こういうときは横になって回復を待つのが良いのですが、トイレの最中なので横にはなれない。
咳き込みながらもとにかく終わらせて、布団に倒れ込んでパルスオキシメーターで測定すると、86% でした。すごく低い。
5分程度で 90% までは回復したのですが、95% まで 20分くらいかかっていました。
さて、その後医師の男性から電話が来ました。
状況を聞いて引き継いだので、まずは家を訪問したい、という連絡でした。
最初にコロナの確定診断ができる病院を聞いたときの、2件の片方。「訪問診療中心の病院」の人でした。
午後にお伺いします、と言われていて、1時頃に来ました。本当に午後だ。
で、すでに薬を持ってきてくれています。
まず最初に、当面僕が主治医となります、と宣言されました。サポートは鎌倉の医師会ですが、多くの医師のたらい回しにするようなことはせず、治療が終わるまでの主治医を定めますと。
そして、医師の所見として、コロナによる肺炎であること。肺炎なので入院が望ましいのだけど、病床逼迫しているのと、話をしていても薬で治療できそうなので、自宅療養で続けましょうと。
で、薬ですが、肺炎の治療に使うステロイド剤で、コロナ治療薬として承認されているものだそうです。
ただ、強い副作用もあるので無理におすすめしません。リスクとリターンを考えたら、自分ならば服用します、と。
ステロイド剤は嫌いという人もいますが、僕は特に薬に好き嫌いは無いので飲みます。
強い薬で胃潰瘍になる人もいるということで、胃薬も一緒に出ていました。
また、熱がずっと続いているようなのでと、解熱剤の強力なやつも持ってきれくれていました。
こちらは急に熱が引き始めたところなので、多分使いません。
ステロイド剤は、今日はすぐに1回分飲んで、明日からは朝のうちにと言われます。
この日はこれで終わり。
熱は下がり、食欲は更にまし、夜もよく眠れました。
12日目の朝は、体は随分元気になり、普通にご飯を食べられました。
食事を食べれるようになると、体力の回復は速いです。
これを書いている現在、15日目ですが、食事は普通に取れるようになっています。
ただし、体を動かすと息切れします。
さすがにもう、トイレに行って激しい酸欠を起こすことはないのですが、家の階段の上り下り程度で息切れは起こします。
医者の先生からは、毎日の電話の問診の際に、スクワット10回でのパルスオキシメーター測定を求められます。
スクワット10回は特にきつくないのですが、その後の酸素濃度の変化を見るのね。
これが、運動終了後に徐々に 90% まで落ちて、またゆっくり 95% くらいまで戻る感じ。
健康ならこの程度の運動では 97% くらいを維持するようなので、まだ肺炎の症状が強いのでしょう。
7日で熱が下がった場合は、10日で感染力も消えたという判定になります。
しかし、標準から外れてしまっているため、熱は十分に下がっても「まだ感染するかもしれない」扱いです。
これが地味に不便で、家の中で隔離されています。
隔離ということは、近づいた人はその後手を洗ったり、いろいろな手間が生じます。
元気にはなっているので、感染力がなくなった判定になれば、自分の身の回りのことくらいはできるようになるのですが。
以上、まだ完治はしていませんが、ほぼ回復のご報告でした。
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まずは、ここまでに取りこぼしている話を。
僕は50歳と書きましたが、基礎疾患はありません。喫煙習慣もありません。
酒は気が向いたときに飲むことがありますが、習慣にはなっていませんし、飲むときも少しだけ。
その他、重症化のリスク因子は特にありません。
ワクチンは接種していませんでした。
鎌倉市では、55歳以上でないとワクチン接種を行っていなかったので。
(僕が罹患している間に、40歳以上の接種が始まったようです)
なので、僕の病状は「健康な50代でワクチン接種なし」の例と考えてください。
感染したウィルス株についてはわかりません。
現在関東の9割はデルタ株だそうなので、そうでないと考えるほうが不自然かと思います。
自宅療養の神奈川県方式について。
神奈川では早くから自宅療養を積極的にすすめていて、そのためのサポートシステムを作り上げています。
具体的には LINE を活用することで、自宅療養者であっても健康状態を常に把握できるようにしてるのね。異常があればすぐに看護師が家を訪問するなどのサポートが入ります。
また、入院判断についても、基準が細かく定められていて点数化されています。
38度以上の熱が3日続く、とか、安静時の酸素飽和度 95%以下、とかで点数がついて、5点以上は入院となっている。
でも、僕が発症した頃から急激に患者が増えたため、残念ながらうまく回っていないようでした。
まず、LINE のシステムがパンク気味。情報入力中に止まってしまったりするのです。
患者の急増で、情報収集システムがうまく動かなくなっていました。
(問題があったのは2日ほどで、すぐに対処されましたが)
僕の場合、高熱はずっと続いていたけど、3日ではサポートが入らず、看護師さんからの連絡は10日目でした。酸素飽和度の報告も連日 95% で、自分では気づいていませんでしたが、すでに肺炎になっていました。
今確認すると、この時点で入院判断の点数が7点です。
実際看護師さんからは入院も考慮する、と言われましたが、病床確保できず自宅療養となりました。
患者急増の時期で、その中でも医療関係者は頑張ってくれていたと思います。
でも、事実として必要な医療は届いていない、医療崩壊の状態です。
療養中の話で書いていなかったこと。
療養中は、とにかく水分を摂るようにしました。
滝のような汗が出る、という話も聞くのですが、高熱が続く間はそんな感じではなく、薬が効いて熱が下がる時に、じっとりと汗が出続ける感じ。
ただ、水ばかり飲んでいるとミネラルバランスが崩れるのか、急に汗が出なくなり、水を飲んでも気持ち悪くなってしまうようになります。
スポーツドリンクも併用して飲んでいました。というか、熱で何も食べれないときは、糖分も含むスポーツドリンクが主な栄養源でした。
(うちでは、こういうときのために、粉末スポーツドリンクの素を常備していました)
先に、陽性者と陰性者で居住スペースを分けたことも書いていましたが、陽性者スペースには自由に飲食できる工夫を妻が作ってくれていました。
麦茶を容器に入れてある。少しのお湯とスープの素などがおいてある。水で溶ける梅昆布茶の粉末がおいてある。小袋のお菓子や、菓子パンがおいてある。
普段ならお腹が空いたらキッチンに行くのですが、陽性者はキッチンには絶対はいらないルールにしたので、その状況でも普段どおりの生活ができるように工夫したものです。
使った場合の補充も、陰性者が使う食品にウィルスが付着して感染を起こさないように、手順などを定めていました。
先に書きましたが、このあたりの感染させないためのルールは妻の工夫によるものです。
上に書いたような感染予防の管理もあり、妻と次女は、家族からの感染無しに、14日間の経過観察を無事乗り切りました。
家庭内で動線をわけ、感染対策を行った時点で「濃厚接触」ではなくなり、最後の濃厚接触から14日間が観察期間になります。
我が家の場合、7月27日に対策を行ったのでこれを0日として、8月10日が14日目。
8月11日からは普通に生活して構いません。
ところで、陽性者で順調に回復した長女と長男は、発症日から11日、8月3日と5日には普通の生活に戻っています。
陰性者の観察期間のほうが、不自由を強いられる期間が長いです。
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8月12日、発症17日目。
色々と動きがありました。
まず、治療終了までの方針が定まりました。
肺炎の影響はまだ残っているのですが、血中酸素濃度などの回復の具合が良いため、投薬を打ち切ることにしました。
ちょうど肺炎治療のステロイド剤を使って7日目です。
これは、投薬を続けていると「治療完了」にできないため。
神奈川方式では、治療薬の服用をやめて3日間の経過観察を行い、その間に悪化がなければ治療完了とします。
感染力は治療完了まではあるものとし、家の中での隔離も続きます。
日常生活に戻るためには、どこかで投薬の打ち切りが必要なのです。
投薬7日、という区切りのよさと、ここでやめると日曜日が治療完了となり、月曜日から通常生活に戻れることが考慮されたようです。
同8月12日、前日に行った血液検査の結果が出ました。
γ-GTP 値が飛び抜けて高い!
肝臓機能の指標となるもので、酒飲みがよく気にする値です。
通常 75程度が上限の値で、200を越えたら病気を疑ったほうが良いものですが、それが 300を超えている。
肝臓が毒を分解する際に、血中に放出する酵素の量、だそうです。
つまりは「肝臓が毒を分解すると高くなる値」です。
アセトアミノフェンジャンキーやったからな…薬が切れたらすぐ次を飲む、という状態で、処方された薬の2倍以上の量を飲みました。
お医者さんが言うには、肺炎の治療に使ったステロイド剤もこの値を上げるそうです。
原因がある程度想像できるので、今すぐ異常だと考える必要はないのですが、2ヶ月位あとに血液検査を再度受けてください、ということになりました。
同8月12日、保健所から「感染症法に基づく就業制限通知」が届きました。
新型コロナウィルスに感染したと認められるため、飲食物を扱う職業、接客業などで、完治するまで従事することができなくなる、という通知です。(3人分)
個人の自由を制限するものなので、不服があった場合の手続きなども明記されていました。
そして、発生届を受理したら即日送付しないとならないところ、事務手続きが遅れて申し訳ありません、というお詫びも同封されていました。
もう長男・長女は完治しちゃってるからね。
コロナ感染者が多すぎて、必要な事務手続きも間に合っていないようです。
ただ、妻によれば、これはコロナの長期療養が原因で解雇になった人などを守る書類でもあるだろう、とのこと。
行政命令で仕事を失ったことになるので救済措置が受けられる証拠となります。そう考えると、完治後に送られてきても意味がありますし、事務手続きが「間に合ってない」ということもないです。
本日8月15日、発症20日目。治療完了になります。
肺炎については、ゆっくり深呼吸できる程度に回復しています。
まだ、急な呼吸では咳き込むことがありますけど。
酸素飽和度を測りながらスクワット20回やりましたが、97% を維持していました。
こちらも問題なし。
寝ていた期間が長いので、筋力の衰えは感じます。座っているだけの姿勢維持でも長い時間は疲れます。
肺炎が回復して運動できるようになったので、徐々にリハビリですね。
今日は長男の誕生日でもあります。僕の誕生日に陽性判定になり、長男の誕生日に治療完了となりました。
二人の誕生祝いと、全員の回復を祝ってささやかな家庭内パーティをしようと思っています。
料理作る気力もないし、ちょっと贅沢な冷凍食品たくさん買ってきて食べようか、程度ですけど。
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【団体対応編】
ここは、病気とは別の話。
今回の感染源は、長女の通う学習塾だったのですが、この塾の対応の悪さが特筆に値するので、書いておこうかと思います。
時間を大きく巻き戻し、長女の塾が大規模にPCR検査をやったのが7月23日。
塾からは「濃厚接触者ではないが念の為」と言われていましたが、検査会場には多くの人が来ていました。100人を超える規模の検査だったと思います。
【中学】
翌日7月24日に、長女の通う中学からメールが届きます。
職員1名がPCR陽性となった、という内容でした。
つづけて、25日には他の生徒数名もPCR陽性になった、との内容で、中学校は3日間の活動停止に入ります。
鎌倉市のホームページには、「鎌倉市立学校でのコロナ発生状況」というページが作られました。
この時点では、長女の中学での発生状況を記したものです。
【塾】
市の発表をうけ、塾では「長女の通う中学の生徒だけ」の登塾禁止措置が取られます。
代替授業は後日用意されることになりました。
また、PCR検査で陰性だった生徒に対しては、授業に出るように呼びかけが行われました。
長女は熱が出ているのに授業に出るように求められ、困惑しかありませんでした。
また、これで「陰性」にされてしまったため、その後の検査をしづらい雰囲気になりました。
【市】
先に書いた「鎌倉市立学校でのコロナ発生状況」のページは状況に合わせて更新されていました。
頻繁に見ていたのですが、リストがどんどん増える。
「長女の中学」からは、その後増えた報告はないのですが、市のページでは10代の子供と、10代未満の子供が続々増えています。
つまり、他の中学や小学校にも広まっているようです。
…で、ある時点で更新データが全部消え、最初の数名の報告だけに戻りました。
つまり、今回の事例は市立学校で起きた事例として集計するのは不適切だという判断のようです。
【塾】
26日に、保健所から塾に指導が入ったようです。
しかし、塾の発表としては、感染者がでた長女の中学から通う生徒が多いため、「念の為の」指導が入り、塾もそれに従って対策を行った、というものでした。
(塾内のアルコール拭き取り消毒など、ひととおりの処理)
相変わらず、PCR検査で陰性だった生徒に対しては登塾するように呼びかけています。
【中学】
27日に、中学から学校医の名義でメールが発信されました。
長いので意訳になりますが、
「PCR検査陰性は、コロナに感染していないことを意味しません。
PCR検査を受けた生徒は、検査が必要になった状況を踏まえ、数日間は家にいて様子を見ましょう」
塾のいい加減な対応に対して、中学が感染を広げないための呼びかけを行ったのだと思っています。
【医師の話】
27日に我が家は確定診断を受けに行ったのですが、お医者さんが感染源を特定できたほうが良いかと思い、長女の中学名と、塾に通っていることを言いました。
すると「中学は関係ないよ。塾は、もうあそこぐちゃぐちゃだね」と。
お医者さんの方ではそういう認識です。
【市】
28日、鎌倉の市内放送で、市長が直接コロナ感染対策への協力を呼びかけました。
ここで、市内の学習塾でクラスタが発生した、と明言されました。
市立学校の事例ページでの更新をやめたのも、「学習塾でクラスタ発生」という認識になったためなのですね。
【塾】
塾のページを見に行ってみると、長女の通う中学がまだ悪者にされており、その中学の生徒が多く通う当塾でも対策を行うことにした、という説明のままでした。
これ、基本姿勢として今でも変わっていません。塾としてはクラスタ発生を認めないようです。
また、この塾が密なのは以前から子供が言っていたのですが、対策が施されたのは中学2年生だけのようです。
おそらくはクラスタの中心が中2なのでしょうが、そもそもクラスタ発生を認めていないので場当たり的な対応しかしないのでしょう。
塾の新しい動きとしては、Zoom授業を開始しました。
ただ、普段の教室に端末1台おいただけで、オンラインの生徒に対するケアなどはなにもないようです。
これも、以前から塾のチラシには「感染対策のためのオンライン授業対応」が書かれていたのですが、書いてあるだけでやってなかったんですよね…
(塾はチェーン店なので、チラシは全体共通のもの。オンライン授業の実施は教室ごと)
塾の態度は非常に責任逃れ感の強いもので、不信感を抱きます。
根本的な反省がないので、遠くないうちにまたやらかしそうだと思っています。
もうひとつ。長男の高校の対応。
次女がPCRを受けた翌日、長男は登校日で学校に行きました。
この時点で鎌倉市はまん延防止等充填措置区域に指定され、不要不急の外出などしないように呼びかけられていました。
しかし、高校は市街にあるためか、危機意識を共有できていません。
もうひとつ、この日はすごく暑く、運動などしないように呼びかけられていました。
しかし、登校日の理由は、二学期に行われる体育祭の、応援ダンスの練習なのです。
しかも、そんな「練習」が、夏休みに入ってからほぼ毎日あるのです。
危機意識がなさすぎではないか、と妻が学校に電話をかけました。
実は以前も学校の危機管理の悪さで、長男が被害を被ったことがあるのです。ひとこと言うくらいの権利はあるでしょう
学校からの回答は「教員がついているから大丈夫です」でした。
何を言っているのかわからないくらい、危機意識のなさそうな回答。
さて、25日(登校日の翌日)に長男は発症し、27日に確定診断を受けました。
そこで、高校にも妻が伝えました。
高校で電話を受けた教員は、取り乱したそうです。
先に書いたとおり、中学の教員は淡々と事実を確認したのですけどね。
28日には我が家も保健所から聞き取り調査を受けているので、長男は発症直前の行動としてダンス練習のことを伝えています。
練習後、みんなで談笑しながらアイスを食べたそうです。
これ、濃厚接触に当たる可能性が高いそうで、保健所からも高校に調査が入ります。
そしたらあろうことか、高校の副校長からうちに電話が来ました。
(この人、責任者なので以前に長男がトラブルに巻き込まれた際にも平謝りの電話を掛けていている。我が家的には馴染みの人)
内容が取り乱していて、アイス食べたくらいでは濃厚接触ではないですよね? とか、うちに確認を取ろうとしている。それはうちが決めることではない。
妻としては、まさか自分の子が発症するとは思ってませんでしたが、当日警告の電話入れましたよ、と答える。
教員がついているから大丈夫、と言われましたと。警告受けていたのに何も対策とってなかったとか、更に困らせる内容。
その後高校から来たメールを見る限りでは、特に検査なども行わず、「濃厚接触者はなかった」ということにして、そのまま学校の活動も続けたようです。
面倒を避けて有耶無耶にしただけ。
一緒に練習した人については観察期間を置いたほうが良かったように思います。
(その後続報がないので、結果としては問題なかったのでしょう。しかしこのやり方は運が良かっただけです)
結局、塾、中学、高校のうち、まともな対応を出来ていたのは中学だけです。
高校は有名な進学校です。また、塾も大手のチェーン進学塾です。
中学はただの公立中学ですが、コロナに関する対応を見る限り、一番良い対応をしている。
こういう部分で、組織の頭の良さがにじみ出るのだと思います。
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コロナからの回復後、今週の月曜日から日常生活に戻しています。
僕は自宅で仕事をしているので、通勤は特にありません。
しかし、月曜日は一日椅子に座っているだけで背中が痛い状態に。
筋力が衰えてしまっていて、姿勢維持しているだけで筋肉痛なのです。
おそらく同様の理由で、ふくらはぎもなんだか疲れている感じの状態に。
椅子に座っているから、足に降りた血が戻りにくいんですね。
普通はちょっと歩いたりすると、筋肉の動きがポンプになって戻るものです。
食事を作る、皿を洗う、洗濯物を干す、なんていう家事もやるように戻しています。
こちらも、長時間の立ち仕事は疲れる。でも、やらないと筋肉戻らないし、リハビリのつもりでやってます。
月曜日は本当に疲れたけど、昨日火曜日は少しマシでした。今日(水曜日)はさらに良くなるといいな。
この調子であれば、少しづつ日常に戻っていけるのではないかと思います。
肺炎の後遺症の咳は、まだ出ます。
長時間話をしていたりするとひどくなるのだけど、仕事で打ち合わせの電話も来るので対応しないといけない。
まぁ、咳が出るというだけで苦しいわけではないです。
しかし、買い物などの時に咳をしていると、周囲の人は嫌だろうなぁ、と思います。
なので、公共の場では、できるだけ咳を我慢。生理現象なので完全には無理ですが、少しは我慢できます。
別の後遺症として、嗅覚異常はそのままです。
コーヒー飲んでも、紅茶飲んでも、香りを感じません。
それでも、いつもの習慣で仕事中はコーヒー飲んでいるけど。
味覚には異常はないのですが、香りがないと味気ないですね。
特に、僕は食事も作っているので、香りに関しては「いつもの勘」に頼って作るしかないです。
(長男と長女も現在嗅覚異常なので、次女と妻から苦情がでなければ問題なし)
もう一つの後遺症?
元々最近老眼になりかけている感じだったのですが、一気に進んだ気がします。
発症前は仕事の PC のモニタの文字を普通に読めていたのに、今は老眼鏡をかけないとぼやけます。
目は疲れで機能が落ちたりするから、体力が落ちている影響かもしれない。
でも、3週間何かを読むような作業をしていなかったので、目の機能が落ちたかもしれない。
僕が療養中は、次女(小6)が凄く頑張ってくれました。
妻に家事の負担が過度にかかっていたことと、僕の熱が引いたら少し安心したこともあって、妻は寝込みがちになっていました。
そこで、長女と次女が家事をすることが増えたのですが、特に次女が頑張ったのです。
僕はキッチンに入れないとは言っても、徐々に元気を取り戻していたので、指示を出しながら料理を作ってもらったりしました。
次女の料理レパートリーが一気に増えた。
各種炊き込みご飯、パスタと各種ソース作成、各種スープづくり…くらいだけどね。
最初は時間がかかっていたけど、だんだん調理速度も上がったので、料理慣れしていると思います。
そういえば、衛生管理のため毎食後に食洗器を使っていたら、酷使したためか故障しました。
(療養中の話)
このタイミングで故障…と慌てたのですが、メーカーから修理に来てもらったところ、センサーが汚れで動作しなくなっているだけと判明。
そんなところにセンサーがあるなんてこと、15年使っていて初めて知った…というレベル。
病気で隔離されていたこともあり、やることもないし、新規購入のつもりで真剣に検討していたのですが、まだ使えそうでよかった。
というのも、真剣に探したからこそ、ホシザキ製の食洗器に替わるような性能のものは、国内外探してもどこにもないと知ったから。
もし買わないといけないなら、国内メーカーは全然ダメで、海外製。
これは「現状の我が家の使い方にあっているか」という基準で、製品の良し悪しではないよ。
でも、コロナの影響でメーカーの生産量が落ちているのと、輸入の船便も使いにくくなっているのとで、海外製は現在輸入が止まっているそうです。
なので、壊れたら当分手洗いしないといけないところでした。
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別年同日の日記
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コロナのワクチン、1回目接種してきました。
市による接種なので、ファイザー製です。
もう少し早く接種できると良かったのですが、鎌倉市では50代への接種は始まったばかり。
あまり告知されていなくて、ひっそりと行われています。
(告知すると予約システムがパンクするので、気づいた人から順次…ということなのだと思います)
僕がコロナ治療中に、妻がワクチン接種が始まったことを見つけ、早速予約を入れました。
で、僕もお医者さんに「いつからワクチン接種可能ですか?」と聞いたところ、「今すぐ予約入れてしまって、当日体調が悪いと思ったらキャンセルしちゃってください」という指示。
まだ治療中だったのに、予約を入れました。
というわけで、治療が終わって1週間しか経っていないのに、ワクチン接種してきたわけです。
(3日くらい前までは、まだ疲れやすく、本当にワクチン接種して大丈夫か不安でした。でも、後遺症も徐々に良くなっていて、今日の朝には大丈夫だろう、と思える状態になっていました)
コロナに罹患したら免疫得られるんでしょう? と思っている人は多いようで、僕も仕事に復帰したら仕事先の人から聞かれました。
もちろん免疫は得られるのですが、ワクチン2回接種より弱いらしい、とどこかで聞いていました。
そんなわけで、罹患してもワクチンは接種する、というのは、以前から決めていました。
いろいろな記事を総合して考えると、ワクチン接種による予防効果(感染を防ぐ効果)は、1回接種で 70〜80% 、2回接種で 95% 程度。
これに対し、罹患した場合は 80% 程度だそうです。
参考:
ワクチン接種は、待たされることなく終わりました。暇つぶしを持っていったけど、接種後の様子見の15分しか使う時間はありませんでした。
先に接種した妻からは、筋肉注射だから少し痛い、と聞いていたのですが、特に痛みも感じませんでした。
その後、まだこれを書いている段階では5時間しか経っていないのですが、副反応は出ていません。
妻は接種部位が結構痛くなったようですが、これは翌日だったので僕もそうなるかも。
(そうなったら、この記事の最後に追記します)
せっかくなので、この1週間での回復の話を。
呼吸時に咳き込むことは随分減りましたが、不意に咳が出ることはまだあります。
そして、話をしていると咳き込むことが増えます。
いずれにしても、肺炎の後遺症は回復傾向。
咳き込みが減った頃から、非常に軽い筋トレをはじめました。
家事の合間に静的スクワットやっているだけですけど。
(病気の前も、時々やっていました)
これも、最初は自分でも驚くくらい筋力が落ちていました。
以前みたいにできないの。少しやっただけで限界になってしまう。
でも、3日程度やっただけでも筋力の回復が自分でわかります。
同時にちょっと倦怠感が減った気がします。
コロナ後遺症とされる倦怠感が皆同じ原因ではないと思いますが、僕の場合筋肉の衰えが大きい気がします。
以前と同じことをやってもすぐ疲れてしまうので、それが「倦怠感」になっている。
だから、筋トレすれば改善する。もう少し筋力ついたら、リングフィットアドベンチャー再開しよう。
(リングフィット、途中で面倒くさくなって投げ出しています)
治療中の末期から、寝ていても妙にのどが渇いて、夜中に起きてしまいます。
これも病気の後遺症か、と思っていました。
しかし、妻から、寝ている時に いびき をかいている、という指摘がありました。
指摘された次の夜は、寝る時に意識して口を閉じるようにしたのですが、いびき は変わっていなかった、と言われます。
普通は寝ていても鼻で呼吸するのに、口呼吸になっているということですね。
疲れたときとかに いびき をかくことは今までもありました。
その時は、口を閉じるように意識することで、大抵は いびき は止まりました。
試しに、口を紙絆創膏で閉じて寝てみたところ、いびき は止まり、喉の乾きも無くなりました。
で、改めて妻から、「鏡を見ながら笑顔を10秒間維持」といわれます。
やってみると、顔の筋肉が疲れる。どうやら、表情筋も衰えているようです。
おそらく顎の筋肉も衰え、寝ている間に口を閉じていることができないのでしょう。
本当に、全身の筋肉が衰えているんだな…
しばらくは寝るときは口をテープで止めながら、顔の筋肉のトレーニングも行おうと思います。
翌朝追記
腕の痛み、出ています。
痛いといっても、筋肉痛のようなものです。動かしたり触ったりすると痛いけど、何もしなければ特に痛くない。
痛いときだって、ものすごい痛いわけでもない。
動かす、というのも、注射した部位の筋肉を使ったときだけ。
筋肉注射なのだから、筋肉が炎症を起こしたりしているのでしょう。コロナワクチン特有の症状ではなさそう。
しかしまぁ、記事の途中で「接種部位が痛くなったら追記」と書いたので、記しておきます。
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別年同日の日記
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コロナ罹患で、やらないといけないことが、できないまま溜まっている。
今日は車を車検に出すためにディーラーまで行ってきた。
まぁ、頼んで終わり。この作業自体はすぐ終わる。
問題は、車を渡してしまった帰りだ。代車は頼んでいないので、歩いて帰らなくてはならない。
まだ先週の話。
コロナ後の倦怠感が、どうも筋力が落ちたことから来ているな、と気づいた時点で、体動かさなきゃ、と思った。
妻はコロナに罹患はしなかったが、濃厚接触者という扱いで 14日間外出を控えていた。
なのでやはり筋肉の衰えを感じるらしく、なにか激しい運動をしたいと言っていた。
僕の場合、激しい運動ではないのだよなぁ…
僕はもともと運動は苦手だし、嫌いだ。…と考えたとき、歩きたい、と思った。
運動は苦手なのだけど、昔から歩くのは好きだ。ハイキングとか、山登りとか。
東海道を歩いたこともある。
(レポート途中で頓挫したままだけど、日本橋~京都の全行程を歩きました)
日曜日にワクチン接種を受けた際に、会場が駅前近くだったので、久しぶりに駅前商店街で買い物をした。
目的がある買い物ではなく、「なにかよさげなもの」を探してぶらぶらと歩く。
コロナの後、本格的に家を出るのは、この時が初めて。
家への送り迎えは妻に車で頼んだので(というか、僕がワクチン接種と買い物をしている間、妻は別の場所に行っていた)、もし疲れて動けなくなっても、そこまで迎えを頼めばよい、という保険付きだった。
買い物なので、適度に休みながら1時間くらいぶらぶらしていた。
これで、翌日足が筋肉痛になった。
で、本日のディーラーの帰り。
家までの距離はおよそ 2km 。30分ほどの短い道のりだ。
普段だったら歩くことに何の抵抗もないのだが、「帰るぞっ!」と気合を入れて歩き始める。
大げさだけど、体は弱ってしまっていて、本当にそんな気分なのだ。
リハビリを兼ねているつもりなので、あえて筋力を使う歩き方をする。
東海道を歩いたときの歩き方。一日に 20km を超えて歩くのであれば、普段とは歩き方を変えないといけない。
普通に歩いていると、足が接地するときは踵が最初になるのではないかと思う。
でも、それだと 20km 歩いた時点で、足の裏が打ち身の状態になって歩けなくなる。
かかとから降ろすと、衝撃を和らげるクッションがないのだ。
長距離を歩くのであれば、足の先の方…親指の付け根のあたりから接地する。
この時、足首をばねにして、接地の衝撃を和らげるようにする。これで 20km 歩いても、足の裏は打ち身にならない。
その代わり、ふくらはぎと脛の筋肉が非常に疲れる。
頻繁に繰り返していれば、もちろん筋肉がついて問題なくなるのだけど。
(遠距離を歩く場合は、この部分に脚絆を巻くとなおよい)
今回、筋トレを兼ねて、あえてこの歩き方で 2km を歩いた。
ついでに、肘を 90度に曲げて、大きく振りながら、普段よりちょっと速足で歩く。
これはエクササイズウォーキングの歩き方だ。エクササイズウォーキングの時は、本当は踵から接地が正しいのだけど。
しばらくやっていて、わかる。腕を動かす筋肉も衰えている。
筋肉が衰えているから疲れるのだけど、それはトレーニングになっているということでもある。
途中でコンビニにより、アイスを買う。
たった 2km の距離で途中に休憩をはさむこともないのだけど、疲れて動けなくなったらどうしよう、と心配していたので、計画時点から休憩を入れるつもりだった。
なんかうまいもん食ってやろう、とおもったが、家族に内緒で一人だけアイスを食べる良心の呵責に負け、アカギの BLACK バーにしておいた。70円。
いや、安いけどおいしいから、もともとこれ好きなんだけどね。
他には特筆すべきことは何もなく、ひたすら歩いて無事家に着いた。
普段からよく歩く道筋なのだが、ちょっと疲れた。
多分明日は筋肉痛。
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別年同日の日記
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先日車検に出した車を取りに行った、というだけなのだけど。
車検に出してから3日しか経っていない。
車検に出した日は、まだ体力が不安で、気合を入れて家まで歩いた、という話を先日書いた。
今日は、家からディーラーまで歩く。
しかしこの3日の間に驚くほど体力が回復しており、不安はなかった。
車検に出した日、家まで歩いて帰って、日記には「明日は筋肉痛」と書いたのだけど、特に筋肉痛にはならなかった。(若干の疲労感はあった)
これである程度体力に自身がついたので、リングフィットアドベンチャーを再開してみた。
といっても、最初に書いたように中2日しかない。2回やっただけ。
1回の運動時間は8分程度だし、運動負荷は弱めの 8。
(リングフィットでは、1〜20で運動負荷を設定できる。20が一番運動が多くなる)
こちらは、軽く筋肉痛になったけど、すぐに回復した。
徐々に体力が戻ってきている感じがある。
そんなこともあり、今日は不安なくディーラーまで行こうと思ったのだ。
せっかくなので、全行程エクササイズウォーキングのあるき方をしてみた。
先日は、足は遠距離を歩く方法で歩いたので、速度が出なかった。
普通のエクササイズウォーキングなら速度が早いので、2km の道のりを、20分少しで歩けた。
というわけで、納車は何も問題なく終わった。
さて、日記を書くたびにコロナの後遺症のその後を書いているが、今回も書こう。
上に書いたように、体力はかなり戻っている。日常生活を送る上では、もう問題ないレベル。
コロナ罹患前と同じかというと、まだ同等までは戻っていない。リハビリを続けよう。
肺炎の後遺症の咳も、昼間はほとんどでなくなった。長い会話をしても大丈夫。
不意に出ることはあるけど、日常生活を送る上では、もう問題ないレベル。
ただし、夜になると咳が出やすい。小児喘息などが夜ひどくなりやすいのと同じだろう。
一週間前は、夜になると激しく咳き込むことがあった。もうそういうことはない。
そういえば、治療終了直後に「老眼がひどくなった」と書いたが、これは体力が落ちていただけのようだ。
今はもとに戻った。もとに戻っても老眼なのだけど。
以上、完全回復ではないが、ほぼ日常に戻ったという話。
嗅覚異常の回復は、まだまだ。しかし、匂いを感じることもある、という程度の回復はしている。
商品名だが、「磯香のり」という、のりの香りが強いふりかけがあるのだが、この匂いを感じたのが最初だったと思う。
カレー粉の匂いもわかる。
ハッカ油の匂いも、少し感じる。(本当は強烈な匂いのはずなのだが、少ししか感じない)
匂いが強ければわかるのかといえばそういうことではなく、アセトンの匂いは全くわからなかった。
これはちょっと衝撃だった。引火性も毒性もある物質なのに、全く感じられないのは危険でしかない。
まぁ、現在のところ、感じられる匂いもあるが、基本的に匂いはわからない、という感じだ。
以前、海外の論文で「4ヶ月後の調査では半数が回復し、8ヶ月後の調査では9割以上が回復」と書いてあるのを読んだ。
なので、回復には数ヶ月単位必要だろうと覚悟していたら、先日厚生労働省のまとめた資料に「1ヶ月で6割の患者が回復」とあった。
回復は、思ったより早いのかもしれない。
これも後遺症と言ってよいのか。
いびき については、あまり良くなってない。
最初は、顎の筋肉が衰え、寝ている間に口が開くのが原因だと思っていた。
そこで、紙テープで口を閉じてみた。
しかし、鼻呼吸でいびきをしているようだ。
どうも、舌の筋肉が衰えているとそういうこともあるようだ。
トレーニングで鍛え始めたところ。
足や腕の筋肉は鍛えやすいのだが、顎や舌の筋肉は鍛えにくい。
改善するのにもう少し時間がかかりそうだ。
後遺症ではないが、コロナのワクチン接種後の腕の痛みの話。
翌日は、接種部位の筋肉を使うと痛くて、腕を上に持ち上げるのが辛い(でも、無理ではない)感じだった。
それがピークで、以降は痛みは引いていく。
接種日を0日目として、2日めが車検に出した日。この日はまだ腕は痛かった。
4日目の朝には、腕を動かしても問題ないくらいに痛みは引いていたが、押さえると痛かった。
この日の夜には、押さえても問題ない、完全に痛みのない状態になっていた。
これを書いている今日は5日目にあたるが、コロナのワクチンは「特に副反応はなかった」ということになるのかな。
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別年同日の日記
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恥ずかしながら、今朝未明の3時ごろから先ほど、9時40分ごろまで、このWEBサイトにアクセスできなくなっていた。
原因は、SSL証明書の失効。
Let's Encrypt で取得し、自動更新する設定にしていたのだが、今年の上半期の終了、5月末日を持って古いプロトコルが廃止されたらしい。
3年前には、新プロトコルも、対応するツールも公開されていたのに、気づいていなかった。
6月1日の直前にも、メールで「旧 API廃止」と警告されていたのに、気づいていなかった。
さらにその後も「証明書更新してないよ」という警告が来ていたのに、気づいていなかった。
どんだけボンクラなんだ、って話だけど、仕事ならともかく、趣味でやっているサイトなのでそこらへんはいい加減だ。
申し訳ない。
(SSL は基本技術過ぎて空気のようなもので、無くなって初めてその存在に気付くのだ)
で、最後に更新していたのが5月29日。
Let's Encrypt で発行される証明書は期限が3ヵ月なので、今朝失効したというわけ。
失効すると1から取得しなおさないといけないのだけど、もう何年も取得なんてしていなかったので、やり方忘れていた…
9時前に失効に気づき、慌てて作業しようとするも、作業手順すら忘れていた。
というか、どのマシンで証明書の自動取得を行っていたかすら忘れていて、違うマシンの中でコマンドを探し始める始末。
(WEB サーバー証明書だから、WEB サーバーで処理しているに決まっているのに)
ネットで情報探しながら作業して、およそ1時間。やっと再取得できた。
いろいろとエラーを出しながら、そのエラーを解消していく、ということの連続で、最後のエラーが「API v1 にアクセスできないよ」というメッセージだった。
ここでやっと根本原因に気づいたのだった。
3時間後の追記
ついで(?)なので、古くなっていた SSL 関連の設定を見直してみた。
もう5年も前にチェックしていたSSL LABSでチェックを行ってみた。
一応、その後も時々はチェックしていたのよ。ずっと A+ だった。
でも、久しぶりにやったら B だった。
TLSv1.0 と v1.1 のプロトコルは、「脆弱性がある」ということで、昨年頭に各ブラウザ一斉に使用しない設定に替わったらしい。
それをうけて、これらのプロトコルを許可しているサイトは、B ランク以下にするようにした、という説明があった。
なるほど、そうなのか。気づいていなかったということは、最後にチェックしたのは1年半以上前だということだ。
早速、これらのプロトコルを使えないように設定する。
ついでに、TLSv1.3 をサポートするように、新しい openssl と nginx を導入する。
これで評価が A+ に戻った。
古いプロトコルのサポートをやめた影響で、IE11 以外の「古いIE」を使っている人は、アクセスできなくなった。
あと、Android 4.3 以前(Chrome ではなく、Android Browserを使用する機種)や、Mac Safari の 6.0 (8年前のバージョン)以前もアクセスできなくなっている。
ここを見られなくなった方、ごめんなさい。(と、ここで謝っても読めないわけだが)
というか、IE11 は結構古い(リリースは8年前)のに、ちゃんと TLSv1.2 には対応しているのだな。
そのつもりでレポートを読むと、以前苦労して対応した、Chrome 49 と Firefox 47 (どちらも5年前のバージョン)でも、まだアクセスできるようだ。
IE11 はまだ使っている人いそうだな…
(僕も仕事上使うことがある。動作チェックだけど)
Chrome や Firefox は自動更新なので、こんな古いバージョンを使っている人はいないと思うのだけど、ちゃんと見られますよ、ということで。
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