2018年08月の日記です

目次

03日 電話機購入
06日 C言語で会話
09日 夏の家族旅行
09日 理科ハウス
13日 夏祭り
26日 五年次社員研修


電話機購入  2018-08-03 10:17:21  歯車 住まい

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13年使っていた FAX電話機が壊れた。


自営業をやっていると FAX が必要なことがあり、以前は年に2~3回使っていたと思う。

でも、ここしばらくは使っていなかった。


1カ月ほど前、お役所に書類を送るのに「FAXで」と言われて使用した。

その時はちゃんと動いた。


2週間ほど前、レンタカーを借りたいと思い、そのレンタカー屋さんが FAX 問い合わせが前提になっていたので使おうとしたら、壊れていた。

紙送りのギアが壊れたようで、紙を読み込んでくれないのだ。


これに関しては、メール問い合わせもできたので問題はなかった。

(メールは FAX よりも返事が遅い、とWEBページに明記されたいたので FAX を使おうとしたのだった)




FAX 機能は壊れたけど、電話としてはまだ十分使えるから…

と思っていたら、1週間ほど前に、コードレスの子機をつかおうとした時に即座に「充電してください」という表示がでて使えなかった。


どうやら電池寿命らしい。

親機の物理的なギア故障と、子機の電池寿命がほぼ同時に来るという、素晴らしい製品耐久性設定。


こうなると、さすがに買い替えざるを得ない。



13年前に比べ、FAX の使用回数は減っている。

今回はたまたま連続して使おうとしたのだけど、通常は2年に1回というところか。


コンビニでも FAX は送れるし、もう FAX つきでなくて良いだろう。


それよりも、今まで使っていた電話は、親機側の受話器がコード付きだった。

これが結構不便で、親機側もコードレスにしたい。



調べたら、Amazon で1万円未満で買える機種があったので、購入。




今時固定電話を使う人も少ないので、電話機は簡素化し、設置面積が小さくなる傾向にあるように思う。


我が家は仕事用・家庭用で、2台の固定電話がある。

と言っても、片方は IP 電話で、もう片方は光でんわ…これも広義の IP 電話なのだけど。


今まで使っていた FAX だって、FAX としては小さめの機種だった。

でも、それをどけたら、2台の電話を置いてもまだ余るスペースが生まれた。



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C言語で会話  2018-08-06 12:17:29  コンピュータ 業界記

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1998年の夏の暑い時期だったと思います。

韓国から、セガの下請けになった、というプログラマーが研修に来ました。



で、「教えてやって」と、僕に仕事が丸投げされました。

韓国語なんてわからない。英語すらできない。

そもそも、教えてやってと言われても、何を教えればいいのかも聞いてない。




当時の韓国の世相を説明しといた方がよさそうだな…


韓国は、1961年にクーデーターがおこり、軍事政権になっています。

軍事政権下では、国民の権利などは抑圧されていた一方で、強引な(一部の人を泣かせるような)政策によって経済成長も遂げています。


が、1979年に民主化デモがおこります。そして大統領暗殺。

これにより民主化が行われるか…と思われたのですが、1980年にふたたびクーデターがおこり、軍事政権は続きます。


それでも、経済的に急成長を遂げた韓国は、1988年のソウルオリンピック誘致に成功します。

しかし、1987年、再び民主化運動がおこり、IOC は「治安が維持できない場合は、オリンピックをロサンゼルスで行う」と決定。


軍事政権は、経済成長した韓国を、オリンピックで世界に誇示するつもりでした。

これは、軍事政権を続けるより重要なことでした。


そこで、民主化宣言を行います。

これにより軍事政権は終わりました。


1988年、ソウルオリンピックの年には海外の渡航も自由化されました。


これ以前は、日本と韓国の関係は冷たい物でした。

しかし、徐々に民間レベルでの交流は増えていきます。

韓国でも、同じアジアの発展した国として、日本にあこがれる若者が増え始めます。




軍事政権の時代には、娯楽は「不要なもの」という扱いでした。

テレビゲームも発売されていません。

(パソコンである MSX は発売されていましたし、そのゲームも売られていましたが)


1989年、「ファミコン」と「セガマスターシステム」のライセンス品が登場

ちなみに、スーファミは日本で 1990年登場。メガドライブは 1988年登場です。



「あこがれ」でもある日本のゲーム機は、家電各社が日本の会社からライセンスを取得し、製造・販売します。


直接日本のメーカーが輸出販売しないのは、日本企業が直接活動するのが許可されていなかったため。

民間レベルでの交流は増えていましたが、韓国と日本の関係はまだ冷たい物でした。



僕がセガに入社後も、いくつかのゲームの「韓国版」を作るのを見ています。

1996年くらいだと、テレビゲームはすっかり人気の商品で、業務用も売れていたのです。


ただし、厳しい決まりがあって、どこか一カ所でも日本語が入っていると、韓国での販売は許可されませんでした。

当時は、日本にあこがれる若者も多い一方で、反日の動きも強かったのです。


文字テキストなどを変えるだけでなく、画像なども細かくチェックして、とにかく日本語を完全になくさないといけません。

実は、こんな苦労をしてゲームを作っても、それほど売り上げがよかったわけでもないのです。


それでも韓国版を作ったのは、これから韓国が伸びそうな国だと考えられていたからでした。




そして、1997年。アジア通貨危機が起こります。


アジアの小さな国の経済は、欧米の強大な資本の前では簡単に翻弄されてしまいます。

欧米の投資家が、アジアの通貨を空売りし、売りが多いので値が下がったところで買戻す、というテクニックを使い、儲け始めたのです。


投資家が儲かるということは、「誰かが」損をしているということ。

その誰かが、この場合はアジアの小国でした。


具体的には、タイ、インドネシア、韓国。

マレーシア、フィリピン、香港もターゲットにされています。


さらに、直接のターゲットにされなかったものの、これらの国の不景気の影響で、中国、台湾、日本なども影響を受けています。



韓国では、経済が完全に破綻し、国際通貨基金(IMF)の管理下に入りました。

IMFにより、次々と、韓国内の巨大企業が解体されていきます。




…と、これが 1998年当時の韓国の様子。


この状態の韓国から、プログラマーが研修にやってきたのです。


ちなみに、上に書いた「当時の状況」ですが、当時の僕は認識してませんでした。

今調べて知ったの。


ただ、韓国ではゲームは結構人気ある、ということと、経済的に今なんかやばいらしいよ、程度には知っていたかな。


ちなみに、完全な余談だけど、日本と韓国の関係が急に改善するのは、2002年のワールドカップサッカー共同開催がきっかけ。

今でも日本を嫌っている韓国人、韓国を嫌っている日本人は多いのですが、総体としてはおおむね良好な関係だと思います。




さて、話を戻して韓国からの研修生のこと。

彼らは、韓国版のプリクラを作るために、フレームなどのデータを差し替える方法を学びに来たのでした。



プリクラは当時の大人気ゲーム。顔写真シール自販機ですね。

さまざまな「フレーム」がありました。プログラム内容は同じでも、画像などの差し替えでいくらでもバリエーションが増やせる、ということですね。


特に ST-V になったプリクラ2からは、このフレームにフルカラー画像を使えるようになったため、観光地の綺麗な風景をフレームにして写真を撮れるとか、大人気アイドルと並んでいるかのような写真が撮れるとか、多様な展開を始めていました。


#と書いていて思い出した。たしか当時大人気だった SMAP 版を作ったら、とんでもないインカムを叩き出したはず。

 5人それぞれが別バージョンで、並べられた5台それぞれが「朝から晩まで、途切れなく稼働」しないと出ない収入となった。



で、プリクラはアトラスの開発したゲームでしたが、販売はセガ。

例によって、業務用外注作品はAM1研を通しています。


そして、フレーム変更などのバージョン変更も、AM1研でもやっていました。


こうしたデータ差し替えはセガ…AM1研のほうでもやっていました。

このやり方を学びに来た、ということね。




えーと、僕はプリクラチームではないので、実際の作業内容は知りません。

でも、それ以前の「ST-V 開発機材の扱いに慣れる」部分から話を始めなくてはならず、そこなら確かに僕が教えられます。


プログラマの人は韓国語しか話せなかったのですが、一緒に来ていた営業の人が日本語が出来ました。

そこで、機材の説明、セッティング方法などは通訳してもらう形で、お二人に説明します。

たしか、セッティングは1日。


プリクラのソース一式を展開し、コンパイルし、開発機材で動かし、デバッガでメモリなどを覗く…

というのが翌日の作業じゃなかったかな。ここまでは順調。


さて、問題はここから後です。

「この後は技術的な話だから」と、営業の人は別の仕事でどこかに行ってしまいました。

韓国語しかわからないプログラマに、日本語しかわからない僕が、「フレーム画像の変更方法」を教えなくてはなりません。


そもそも、僕がやり方を判っていないので、プリクラチームの人に聞きます。

画像データをディレクトリにいれて、それをデータファイル化するツールを起動。

その後、データへのポインタをこの構造体に入れて、いくつのデータがあるかをこちらのメモリに入れて…という感じ。


で、いよいよ教えるのです。




韓国プログラマの隣に座って、UNIX のコマンドラインを操作します。


「あー…、ふれーむぴくちゃー、せっと、ぢす、でぃれくとり」


そういいながら僕が cd コマンドでディレクトリに入ると、プログラマがパス名をメモします。


「あんど、らん、ぢす、こまんど」


そういいながらデータファイル化するコマンドを実行すると、やはりそれをメモします。


「ちぇんじ、ぢす、ふぁいる」


構造体が書かれたファイルをテキストエディタで開くと、ファイル名をメモします。


「ちぇんじ、ぢす、でーた」


構造体にファイル名を書き込むと、構造体の名前をメモします。



一部始終こんな感じ。ブロークンイングリッシュと、C言語のファイルを見ながらの「ちぇんじ、ぢす」の連続。

向こうから質問が来るときも似た感じ。


でも、「プリクラのフレームを変更する方法を学びたい」という目的ははっきりしていますし、C言語はどちらも使える共通言語。

多少もどかしい部分はありましたが、実際にCのソースを書き換えて「ぢす」と言えば通じる。


ブロークンイングリッシュで、というよりは、C言語で会話していました。

set LANG=C です。




書き換え方法を学んだあと、実際に適当なデータを使って一通り作業をしてみて、その間にもわからないことがあれば質問を受け付けました。

結局、AM1研での研修は1週間程度ではなかったかな。


その後、「仕事のために借りたアパートで以降の作業を行う」というので、機材を貸し出す手続きをし、機材を持ってアパートを訪れました。


…驚きました。8畳程度のワンルームではなかったかな。

そこに、4人で生活していました。研修に来ていたプログラマーは「チーフ」で、部下が2人いたのね。


狭い中に4人分のパソコンがすでに置いてあり、さらに開発用の大きな機材を持ち込みます。

ここは「仕事場」ではなく、滞在中の住居でもあるそうです。夜になると機材の隙間に潜り込むように眠る。


夏で暑いのにクーラーもなく、扇風機が1台回っていました。



びっくりしていると、日本語のできる営業の人が


「日本物価高いですからネー、これでも出せる額ギリギリデス。

 彼らは本国ではエリートだから期待されてマス。

 日本で暮らすため、たくさんお金もらってマス」

とのこと。


期待されて、精いっぱい出してもらっても、冷房もないワンルームで4人暮らしがやっとなのです。

それでも、期待を背負ってきているので、一生懸命ゲーム作成のノウハウを吸収しようとしているのです。


このハングリー精神、今の日本では、とても真似できない、と思いました。


#ここでの「今」は、1998年当時のこと。




その後も、何度か、電話で質問に答えたりしていました。

日本語のできる営業の人経由だったと思います。あのプログラマーと電話越しに話せたとは思えないから。


しばらくして「一度韓国に戻ります」という連絡が来ました。

当時の韓国では就労ビザを取るのが厳しくて、観光ビザで日本に来ていたのだそうです。


で、さらに後に「また戻ってきました」という連絡。

それからしばらくして「ゲームが完成しましたので、韓国に帰ります」という連絡。


帰る前にお別れ会をやろう、ということになり、セガ近くの居酒屋で一緒に飲みました。


久しぶりに会ったプログラマーの人と、たどたどしい英語でゆっくり話をしました。

難しい話は出来ないのだけど…


日本の文化が大好きで、漫画とかも好きだけどゲームが特に好き、と言っていました。

でも、韓国では日本の文化は規制されていて、なかなか触れることができない。

今回の日本滞在では、色々見られてよかった、とも。


そして、ゲームが好きだから、いつかヒットゲームを作りたい、と言っていたと思います。

当時の韓国では、まだゲーム制作者という職業は珍しくて、大きな夢だったようですが。



今では、韓国はゲームの輸出大国です。もちろん、世界的なヒット作も出ています。

彼は夢をかなえられたのでしょうか?


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夏の家族旅行  2018-08-09 10:36:56  旅行記 家族

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毎年恒例、夏の家族旅行!


…なのですが、今年は中止の運びと相成りました。



長男の塾が夏休みもスケジュールがいっぱいで、今年から頼まれている僕の町内会の仕事も夏休みはスケジュールがいっぱいで、その他諸々考えると、空いているのは8月8日前後だけでした。


今年は、三笠行ったり、氷川丸行ったり、子供たちに船を見せているので、夏の旅行も船で伊豆大島に…と予定していました。


でも、台風13号の接近で船は欠航。

すべてキャンセルとなりました。

最初に書いた通り、スケジュールいっぱいで今から別の旅行予定も組めません。



家族旅行は行きたいので、夏ではなくてもどこかに予定を組みたいとは思います。



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理科ハウス  2018-08-09 11:22:28  その他

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昨日の話。


家族旅行が中止となってしまったので、もう一つの「どうしても行きたかった場所」である、理科ハウスに行きました。


理科ハウスは今年で10年目、だそうです。

我が家が初めて行ったのは3年前ですね

その歩みのほとんどを知りません。


で、当初目標としていた「10年存続」を達成したので、しばらく活動を休止する、と知りました。

いつまで休止という日程も明らかでなく、再開時期も不明らしい。


これは、是非行っておかなくては、と思ったのです。




実は、理科ハウスに夏休みに行くのは初めて。

でも、毎年夏休みは「企画展」をおこなっています。


今年は「大逆展」。いろいろな、「逆になっている」もの、逆になっているから面白いものを集めてあり、体験したり、自分で考えることを中心としています。


これ…多分解説しても面白さが伝わらない。

その場にいると、確実に面白いのだけど。


多数の鏡に反射して見える「視力検査のCの字」(ランドルト環)。

鏡越しではどちらを向いているかは当然わかるのだけど、本当はどちらを向いている?



紙を横から見た時にMの字になるように4つ折りにして、鏡の前に置き、水平近くからのぞき込む。

すると、紙の一部は直接、一部は鏡の反射で読める。


ここに、奥から順に「1234」と数字が並ぶようにするには、どのように書き込めばいい?



扇風機の前に置かれた、薄い板にタイヤをつけただけの板。

真ん中に棒が刺さっていて、厚紙で「帆」が作ってある。


これで、風が「吹いてくる方向」に走らせるには、どうすればいい?



どれも、自分で体験して、考えたり試したりして見て、答えが正しいかどうかを実験で確かめる。

その場でやっていると、確実に楽しい。




うちの長男は、中学の科学部で理科ハウスを訪れ、一足先に体験していた。

なので、先生から「きみは特別な問題を出そう」と、鏡の中から連続して数字を書く問題で「紙を細かく折って、1から10まで書く」と言われていた。


すでにコツを理解しているので簡単にやってのけた長男。さらなるチャレンジに挑む。

最終的に、16分割に細かく折った紙に、「森館長」(理科ハウスの館長のこと)と書いていた。

「森」1文字と、「館」の上半分までは鏡の中に見えていて、そこから「館」の下半分と、「長」が直接読めるように、3文字を16分割して書いているのね。




企画展は考えるものが多く、小学校4年生以下では難しい、と、次女(小3)は入れてもらえなかった。


でも、その間にワークショップとして、「逆回転風車」を作らせてもらっていた。

風が吹くと、2つの風車が逆回転する構造。しかも「逆方向」の風では、回らなくなるようなストッパー機構もついている。

単純な構造だけど面白い。


また、低学年でも遊べるおもちゃとして「縦型ぶんぶんゴマ」が置いてあった。

簡単に手作りできるので、家に帰ってから作った。


ビー玉二つをセロテープで無理やりつないでピーナツ型にして、くびれた部分を長いタコ糸の中央付近で縛る。これだけ。

2本の糸をまとめて持って、もう片方の手でねじったら…

2本それぞれを両手に持ち替え、緩く引っ張ってねじれをほどく。ビー玉は勢いよく回転する。


ほぼほどけかけたら、糸をまた近くに寄せる。すると、ビー玉の重さで回転は続き、またねじれる。


1回ごとに「逆」回転になる。ちゃんと大逆展の展示物だ。

そして、いわゆる「ぶんぶんゴマ」よりも簡単に遊べるので、低学年の子でも楽しめる。




台風が近づいているので警報が出て、いつもは夕方5時までやっているけど、今日は4時で閉館にしましょう、と先生から通達。これが3時45分ごろの話。


と言っても緩い感じで、「まだ遊びたい」と子供が4時を過ぎて遊んでいても「閉館」とは強制しない。

いつも、5時に閉める時もそうで、30分くらい平気でオーバーするのだけど。



名残惜しいので、「活動休止するとのことですが、いつ頃再開するか予定決めていますか?」と聞いてみた。

決めてない、とのことだったけど、「でも、来年の夏休みにはやっていると思います」とのこと。


よかった。理科ハウスは非常に楽しい場所なので、無くなってしまうことが心配だった。



展示内容などを練り直して、今よりももう少し年長向けにする予定らしい。

今は小学校高学年から、と考えているのだけど、これが足かせになって踏み込んだ内容を教えにくいらしい。

それよりは、中学生向けということにして、多少難しい内容も教えていきたいとのこと。

もちろん、ついてこれるなら小学校高学年だって入って構わない。




いつも楽しみにしている、みんなの質問コーナー。

今回は面白い質問が無かったので何も書きませんでした。


理科ハウスが「面白いところ」だとすっかり有名になり、小学校低学年の子もたくさん訪れるようになり、「質問がある」のではなく、「質問してみたい」子の質問が目立つようになりました。


この話は前回理科ハウスに行ったときにも先生と話していたのだけど、今回はそんな質問ばかりだったのね。


特別展のためにコーナーが縮小されていて、「答えがついていない質問」ばかりが残されていた結果なのだけど。

答えがついていないというよりも、答える気にならない質問、という感じ。


多少高学年向けになることで、こうしたつまらない質問が無くなるといい…

と思いつつも、こういう質問は案外大人にも多いのだよねー。


#高校、大学生くらいの子はつまらない質問は少ない。

 小学校低学年と、「大人」につまらない質問が多い傾向。



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夏祭り  2018-08-13 11:24:14  その他

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毎年恒例、町内の盆踊り大会が11日(土)、12日(日)に開催されました。


町内の祭りなので、それほど規模は大きくありません。プロの屋台とかは入らないし。

でも、手作りで…町内の子供会、少年サッカーチーム、婦人会、消防団、工務店、2つの老人ホームの方々(ほかにもあったかも)が、屋台を出します。


子供会とサッカーチームは、子供がやることだから小さな屋台です。

でも、子供がやることなので子供が欲しそうなおもちゃの当てくじとかを出していて、人気があります。


その他は、それぞれが食べ物屋台などを出すのだけど、毎年恒例の看板商品を持っていて、人気があります。


そんなわけで、毎年、家族で楽しませてもらっています。




ただ、今年は少し勝手が違います。

僕が町内会の役員になり、楽しむ側ではなく「裏方」に回ったから。


屋外担当の方は設営も、本番も蒸し暑くて大変だったようですがが、僕はコンピューターなど多少わかるから、ということで屋内担当。


寄付をいただいた方の名前札を作って外の張り出し担当の方に渡したり、音楽を流したり。

今時の盆踊りは、音楽も mp3 です。

(去年までは CD を使っていたそうですが、CD プレイヤーが壊れてしまったそうです)




設営中に、「もうすぐオリンピックだし、昔の三波春夫みたいなのないの?」という話題が出たため、担当部長の方が、本番までに「東京五輪音頭 2020」を見つけて持ってきました。


本番直前に、試しに流してみたら、囃子会の方々から「練習したいので何回か連続でお願い」と言われます。


で、そこまで練習したのだからと、本番の時に流したら大不評。

中心となって踊ってくださる踊りの先生から「初めての曲を急に流されても踊りがわからない」と言われ、町内会の長老クラスの方々からも、「なんであんなもの流すのか」と怒られます。


なので、この曲は1回きりで。



毎年同じ曲ばかりでつまらない、という意見もあるらしいのですが、同じなら文句が出て、新曲が入っても文句が出て、調整が難しいようです。




今の子供は盆踊りでは踊ろうとしない、というのも町内役員の多くの方がわかっているようなのですが、あくまでも「盆踊り大会」なので、踊りの先生の意見は立てたいというのもあるようです。


盆踊りだと宗教行事なので、町内会費は使えない、というのもあるみたい。

毎年別会計で、寄付を頼りに運営しているので大変なのだとか。


なので、いっそのこと「夏祭り」としてしまって、子供が踊りやすい曲があるなら盆踊りに限らずとも…という意見も出ていたのですが、子供が踊りやすい曲があるのかどうかも不明。


少し前なら「マルマルモリモリ」とか保育園児~小学校低学年には流行しましたし、「恋するフォーチューンクッキー」や「恋」とか、中高生~大人に流行したように思います。


でも、流行と言っても「誰でも踊れる」ほどに浸透しているのか不明ですし、ましてや流行がすでに過ぎた後では…




とりあえず、来年は時間を1時間早めよう、ということにはなっていました。

毎年夜 7時~ 9時でやっているのですが、この時間だと保育園児は途中で眠くなってしまうし、近所迷惑にもなりやすいので。


「伝統」を守るのか、「現状」に合わせるのか、運営側になってみないと気付かないような話をいろいろと知りました。




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五年次社員研修  2018-08-26 18:08:07  業界記

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確か夏の話だったと思います。

「五年次社員研修」が行われました。


入社5年目の社員の研修です。

僕は 1994年入社。この時が「1年目」ですから、1998年は5年目にあたります。


一応、5年目の社員は全員参加。

全員一斉ではなくて、人事から「参加してください」と日程が送られてきたら参加します。



どうしても忙しくて、この日程などが合わない場合、理由を添えて「不参加」にすることもできました。


でもね、AM1研の人は、ほとんど不参加。

先輩なんかに聞いても、「参加しても無意味」と言われて、ほとんどの人が参加しません。


しかし、じゃぁどう無意味なのかと聞くと、先輩も参加していないので知らないという…

参加したことがある人がほとんどいないのに「無意味」ってことにされて誰も参加しないという、不思議な研修でした。



僕はこういうのは参加してみたくなる性格。

当時のセガ会長が書いて、全社員に配布された本もちゃんと読んだしね


#そういえば、業界記としてはこの話書いてなかった。

 そういう本があって、誰も読もうとしなかったけど僕は読んだのね。

 詳しくはリンク先に。


そんなわけで、1泊2日の研修に出かけたのです。




研修内容については、それほど面白くないのでざっくりまとめましょう。


まず、チーム分けがなされます。

セガはいろいろな部署があるので、さまざまな部署の人間が集まるようなチームに。


店舗運営、事務、営業、工場、開発…

いや、確かに開発から来ている人は少なかったかも。


まぁ、そういう人が集まってチームを作り、最初にやったのは「ゲーム」だったと思います。


チーム同士がライバル会社となって、売り上げを競うゲーム。


条件が明らかにされてない糞ゲーですけどね。

後で考えると、わざとそういう設定になっているのだけど。


司会者が非常にふんわりとした仕様で、作るべき「製品」の概要を示します。

みんなで、渡された紙を材料として、その場にある道具で、限られた時間で製品を作らないといけない。


はっきり言って、何を作ればいいのかもわからない。

でも、1ターン終わったところで、「実はこういうものを作ってほしかった」と明かされます。



…つまりは、要求がはっきりしていないクライアントがいて、動いてから次々仕様変更が来る状態なのですね。

それに対して、臨機応変に対応して、できるだけチームの利益を上げなくてはならない。


その後のターンでも、終わるたびに「実はこう」が繰り返されますし、チームごとに渡されている道具なども均一ではない。

最初からチームの有利・不利が違っていて、競争するゲームとしては成立していないんです。



でもどうやら、無理難題に対して、その場にいる人たちで話し合いながら難局を乗り越える…という工夫をさせるのがこのゲームの主眼だったようです。

競争結果は、結構どうでもいい。




その後、ゲームで仲良くなったところで、各部署から来た人間同士で、自分の部署が何をやっているかなどの紹介をしあいます。

普段は部署内にいるから「当たり前」のことを、それを知らない人に説明しないといけないんですね。


後で考えると、これには二つの効果があります。

1つは、冷静に自分の部署の良いところ・悪いところを見つめなおす効果。

もう1つは、社内には知らない部署がたくさんあるのだ、ということを知る機会。


確か1日目はここまで。




翌日、5年前を思い出して、自分が会社に入った時の目標などを文章にまとめてください、と言われます。

さらに、その目標に対して現状はどうなっているのか、今後はどうしていくべきかなどをまとめます。


その後、せっかく仲良くなったのだから名刺交換会とか、歓談の場は設けられたと思うのだけど、これで日程終了。




入社5年目くらいの社員になると、退社・転職率が高まるのだそうです。


正直なところ、3年目くらいまでは、会社が金をかけて「教育している」期間。

だからこそ、3年目までは仕事はぬるい。

4年目くらいから大事な仕事を任されるようになる。


それだって、やっと大事な仕事を任せられる、という程度で、上手にこなせるわけではありません。

会社にとって利益となるのは、5年目くらいから。


ところが、本人にとっては、仕事が重責に感じ始めるころでもあるのです。

この頃の退社率が一番高く、会社にとってはこの頃に退社されると「教育に金は使ったのに、利益を上げられていない」状態で、一番損が大きい。


五年次社員研修とは、この退社を防ぐための施策でした。



一人で仕事を抱え込むことが増えてくる頃に、チームで工夫することで利益を目指せるのだ…ということを、ゲームを通じて教える。


嫌になり始めている自分の部署を、他の人に紹介することでいい面・悪い面両方に目を向けさせる。

嫌な面だって、「なんとなく嫌」なのではなく、改善すべきポイントがわかれば乗り越えられます。


場合によっては、他の人の紹介してくれた職場に配置転換という手だってあるのです。


さらに、入社当初の目標を思い出させることで、モチベーションを回復させる。

これからも仕事を続けるべく、新たな目標を持たせる。



なるほど、なかなか理にかなった研修内容です。




でも、僕は入社時の目標は「ある程度仕事を学んだら、独立したい」だったんですね。

そのためにコツコツ貯金してきた。当時は、有限会社作るのには300万円必要でしたから。


#1998年当時は、会社を設立するには有限会社で300万円、株式会社なら1000万円の資本金が必要でした。

 2006年に会社法が改正されて、現在は資本金 1円から会社を興せます。



で、思い出したわけです。


そうだ、独立に向けて準備しなくちゃ。

すでに貯金は出来ている。後は実現に向けての準備だけ。



いつか独立する、ということが夢だったので、独立して何をするのかとか、どうすれば独立できるのかとか、そういうことを考えていませんでした。

この研修の後、仕事内容を考えたり、会社設立の方法を勉強したり、具体的に動き出していくことになります。


「退社させないための研修」だったはずなのですが、僕に限っていえば、この研修は逆効果でした。



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