2019年08月の日記です

目次

05日 母入院
13日 プログラム合宿


母入院  2019-08-05 19:16:34  家族

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母が入院した。

くも膜下出血…なのだが、驚くほど元気。




母と同居している長兄から連絡が入ったのが、木曜日の朝。


僕は長兄と比較的近所(車で30分ほどの距離)に住んでいて、母が入院したという病院も簡単に行けるところ。

しかし、木曜日は午後から、金曜日は朝から仕事で出かける必要があった。


他の兄弟も、平日は仕事があってこられるのは土曜日だという。

長兄から「手術も必要ない」と聞いたので、土曜日にお見舞いで集まることにする。




お見舞いに行き、ここでやっと事の詳細を聞く。


母はすでに痴呆で、僕ら子供のこともわからない。

母自身は、5歳児~小学生くらいの時代に戻ってしまっている。


ちょうど1週間前の土曜日、ショートステイ(平日昼間だけ)で通っているグループホームで、昼寝中にベッドから転落して頭を打ったそうだ。


外傷ができ、血が出たので慌てて病院に連れていかれた。

頭なので念のため、と病院でも精密検査をしたが、外傷以外に問題はなかった。


念のため1週間後にもう一度検査、その間にも異常があったらすぐに連絡を、ということで終わった。



で、木曜日のこと。

朝から「頭痛い」というので、上に書いたこともあって慌てて救急車を呼んだ。


病院で検査したら、この時の外傷とは全く関係なく、くも膜下出血だった。

しかし、出血がわずかだったことと、処置が速かったために意識もしっかりしており、手術の必要もない。


念のため2週間の入院、となった。



くも膜下出血って、異常を感じて病院に運び込まれる頃には進行しすぎていて大事になることが多い。

先の軽いけががあったので「念のため」ですぐに病院に行ったのが幸いしたようだ。




念のためで、まずは集中治療室に入り、点滴をしたらしい。点滴なので、食事もなし。

1日たって問題ないので、金曜日に一般病室へ。この時は相部屋だったらしい。


で、土曜日にお見舞いに行ったら、個室になっていた。

どうやら、痴呆で一人でしゃべっていたり、歌を歌いだしたりすることがあるので、個室に移されたらしい。



土曜日の朝からは、流動食を始めて全部食べ切った、とのこと。

週末は流動食を続けて、問題なければ月曜日からはソフト食(やわらかめの粥など)にするとのこと。



ただ、車いすに乗るのが怖いのか、リハビリは嫌がるのでまだやっていないという。




しかし、しばらく兄弟が周りにいて、誰だかわかっていないのだが話をしているうちに、「にぎやかだから寝てられない」と、起き上がろうとした。


安静にしていないといけないのではないのか、と思ったのでナースコールしたら、「起き上がるのは構いませんが、立とうとすると危ないので、車いすに乗ってみましょう」と。

車いすを怖がって乗ろうとしないので、やる気の出ている今がチャンス! と捉えたようだ。



最初は怖がっていたが、乗ってしまえば落ち着いた。


病棟内なら散歩して大丈夫、というので、次兄が押して歩いてみた。

ずっとベッドに寝ていたので、景色が動くのが楽しかったらしい。ものすごくいい笑顔になった。


院内の窓から外を見て、動いているものがあると楽しいらしい。

工事現場のクレーン車とか、眼下を走る車とか。




母が散歩を楽しんでいるようなので、兄弟間でも取り留めなく会話。



母がどうも小学生くらいに戻っているようだ、という件。


痴呆になると、その人の「一番良かった」時代に戻ってしまう、という説がある。

会社でそれなりの権限を持っていた男性など、老人ホームでも怒鳴り散らして厄介だと聞いたこともある。


そして、多くの女性が子供に戻ってしまうとも聞く。

女性の権利が軽んじられ、生きにくかった時代を過ごしてきた人々だ。

一番良かったのが子供時代、というのは寂しくもあるが、理解できる。


後で思ったのだが、戦争の「前」に戻っているというのもあるかもしれない。

戦中・戦後は、特に女性は耐えるしかなかったからね。



母は基本的に子供時代に戻っているようで、時々「ここはどこですか?」と聞き、自分で「ここは~」と、子供のころに住んでいた住所を言う。


そして、「早く家に帰りたい」と。

病院から今住んでいる家に帰りたいというのではなく、子供のころの父母が待つ家に帰りたいのだ。



散歩しながら、次姉が履いていたスカートを見て、「スカートいいなぁ。私も欲しい」と言い出した。

現在足腰がおぼつかないので、本当にスカートをはいたら足がもつれて転倒の危険がある。


しかしまぁ、そんな細かなことと「ほしい」気持ちは別問題。

病室にあった替えの寝間着を渡して「これなんかどうですか?」と聞いてみると、しばらく触りながら、肌触りがいい、これも欲しい、と言っていた。



そしてふと「これもらってもいいですか? 娘がいるのであげたい」と。

小学生に戻っていたはずなのに、急に娘がいることを思い出したようだ。


次兄が「娘さんの名前は何ですか?」と聞いてみた。返事がない。


今度は「娘さんは何人いますか?」と聞いてみると、「娘は、私と妹の二人です」と。

自分の娘、ではなく、自分を含めた娘になってしまった。



しかし、痴呆ではあっても急に「子供のために確保」とかを思い出してしまうことがあるのだろう。

6人もの子供を抱えて、不自由なく育ててくれた母だった。




時々一人でしゃべり、自分で応えていることに対して、同居の長兄から「家でもそうだよ」と話があった。


自分の中にもう一人の「友達」がいて、一人で会話しているそうだ。

他に、5歳の男の子と、女の子の友達がいるそうだ。女の子の友達は常に、家での自室にいるのだと。


義理の姉…長兄の配偶者によれば、部屋にいるときにおやつを持っていくと、その女の子もいるので二人分ほしい、と言われることが多いそうだ。

そして、その女の子がいる(と母が思っている)ほうに向かい、「欲しいなら自分で言いなさいよ。あなたは、いつも私に言わせてずるい」とか口論することもあるという。



意識がぼやけている中で、多重人格が形成されているようだ。

次姉が理解できないようだったので「ビリーミリガン読んだでしょ?」というと「読んだけど、あれって本当にある話なの?」と。


「24人のビリーミリガン」が話題になった時、次姉が購入して、僕も読ませてもらった。

僕は素直に科学的にあり得る話だと思ったのだが、次姉はどこか作り話が入っているのではないか、話自体は本当としても、ビリーミリガンの演技を周囲の人が本当だと思っているのではないか…と感じていたらしい。


いやいや、多重人格は実際ありますよ。

二人くらいなら珍しくない…と思っていたけど、母でも数人はいるようなので、複数人数もそれほど珍しくないのかも。




その後、病室で夕食の時間だったので付き合っていたが、母が興奮してしまってうまく食べられなかった。

療養士の人が言うには、昼ご飯は落ち着いて食べられたので、人が多い状態だと気になって仕方がないようだ、という。


お見舞いに来るときは食事の時間は避けることにしよう。

この日はこれで終了。




この日記を書いた当日、もう一度お見舞いに行ってきた。今度は一人で。


ベッドに寝そべったまま独り言を言っていたので、僕はそばに行って相槌をうっていた。

同じ言葉を繰り返してあげると、誰かがそばで聞いてくれている、と安心するようだ。


そしたら、療養士の人が部屋に入ってきた。

どうも、僕が行く少し前まで母は寝ていたようなのだけど、声がするので一緒に遊ぼうと入ってきたらしい。


#遊ぶ、というのはリハビリのことです。



リハビリのためには、ベッドから起きて車いすに乗らないといけない。

母に椅子座りますか? と聞くと、座りますというので、もう一人スタッフを呼んできた。


車いすに移動するのは結構大変だ。

すでに経験しているのだが、痴呆なのですぐ忘れてしまい「初めてで怖い」ようだ。


ただ、座ってしまえばすぐに安心したようなので、どこか何となく覚えてはいるのだろう。



この日は僕がそれほど時間がなかったので、椅子に座るところまで見守ったら、後は療養士さんに任せて帰った。



今後も、暇があれば少し様子を見に行くつもり。

ただ、現在結構きつい仕事の締め切り前で、町内会の盆踊りの仕事なども重なっており、どれほど時間をとれるかは不明。


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プログラム合宿  2019-08-13 10:55:35  その他

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いや、全然合宿ではないのだけど、そんな雰囲気だったので。



現在、会社員時代の知人の興した会社の仕事を手伝っている。

近日中に、商談で開発中のシステムを見せる必要があり、現状の機能のままでよいので見た目の完成度を高めたかった。


そこで、知人の発案で、知人の会社(小さな部屋を借りているだけ)に関係者が集まり、集中的に作業をすることになった。




関係者、といっても、企画者である知人と、プログラマーの僕、グラフィックデザイナー、サウンドクリエイターの4人だけだ。


事前に、金曜日に「集まる」としていたのだが、木曜日の朝から変更したい要望リストが上がり始めた。


文字列の変更なんかは簡単だが、中には大きな機能追加もあった。

そんなもの、金曜日だけで急に作れるわけがない。


そんなわけで、木曜日はこの要望リストを片っ端から潰していく。

簡単なものから潰していき、ある程度片が付いたところで難しそうな課題に挑む。


こういう時は、あまり考えていてはだめだ。

最初に「こうすればよいのではないかな?」と直感で思ったものを作ってみる。

うん、見事に動かない。




動かないなら、なぜ動かないのかを探る。


現在僕が作っているシステムは、古いシステムを新しいフレームワークで「作り直した」ものをベースにしている。


古いフレームワークは、いろいろな諸事情があり捨てなくてはならないのだ。

わざわざ「作り直し」をしているのは、そのためだ。


そのうえで、新機能の追加や、わかりにくい部分のUI(ユーザーインターフェイス)改善など、様々な課題があった。

しかし、いっぺんにすべてを進めるとわけがわからなくなり、失敗する危険がある。


そこで、過去のしがらみを捨て、必要な機能だけのミニマムセットの移植をまず行い、その後拡張を行うことになっていた。



この、単純な移植作業は別の人がやってくれた。

ただ、その人はその移植作業までで契約が終わっており、僕が知人から拡張を頼まれた。


そんなわけで、僕はシステムを完全に把握してはいない。

しかし、どんな処理がどこに入っているか、程度の概要は把握できている。


そこで、ソースを見て、動くと思ったプログラムが動かない理由を考えるのだ。




なるほど、少し考え方に間違いがあったようだ。


僕はいま、新規データが追加されたときの処理を作ろうと思い、プログラムを見ていた。

すると「不要データが削除されたとき」や「データの書き換えが行われたとき」の処理があり、それらの際にシステムから一定の方法でイベントが渡されることを知った。


新規データの時も同じようなイベントが来るだろう、と思って作ってみたら見事に動かなかった。

そして、プログラムを見た結果、新規データだけは全然違う形でイベントが渡されると知ったのだった。


では、そのイベントを受け取るように変えよう。

少し試行錯誤してデータの型合わせをする必要があったが、プログラムは狙い通りに動いた。



こんな作業を繰り返しながら、知人が出してきた要望を片っ端からシステムに作り込んでいく。




さて、木曜日の夕方までに出された要望は、木曜日の深夜までに全部盛り込んだ。

UIの見た目の調整などはあるだろうが、それは些細な問題だ。



金曜日、朝から知人の会社に出向く。すでにデザイナーの人は来ていた。


そこからが合宿の開始だ。


すでにデザイナーさん向けへの要望も木曜日のうちに出ていた。主にUIで使用するアイコンの修正などだ。

的確な指示もあれば、「どうすればいいかわからないけど今のものは問題がある」というような指示まで、多岐にわたる。


デザイナーさんは、すでにいくつかの案を考えてきていた。

いくつかにはさらに要望が出され、すぐ使えそうなものは僕にデータが渡される。


僕はそれらを組み込み、UIとしての見た目を確認していくわけだが、ここで「思ったより良くない」などのダメ出しも出る。


デザイナーさんが直し、僕が入れる。

この作業をしている間にも、僕の方にも要望が出てくるのでプログラム修正も必要だ。




知人とは、ゲーム会社に勤めていた時代からの付き合いで、こういう作業を共に…1か月ほど繰り返したことがある。

ゲームって、普通は少なくとも3か月かけて作るのに、締め切りの都合で1か月で作ったことがあるんだよ。

その時は、毎日「アイディアが出たらすぐ実装、確認してブラッシュアップ」の繰り返しだった。


なんだか懐かしい雰囲気だ、というと、デザイナーの人も今は独立して一人でやっているが、会社員時代はこんな雰囲気だったと言い出した。


そして、全員が「こういう雰囲気は嫌いじゃない」と。勢いに乗って、製品の完成度が高まっていくのは楽しい。




午後からはサウンドの人も加わった。

実は、サウンドが一番要望を伝えにくいもので、顔を突き合わせながら出ないと良いものができない。


以前に、使用するサウンドをいくつか作ってもらっていたのだが、実際にシステムに組み込んだところは聞いてもらっていなかった。

そして、実際組み合わせて鳴らしてみると「思っていたのと違う」ことになりやすい。



通常、多くならされる音と、特別な時になる音の「音色のバランス」が問題だった。

音量の問題ではなく、音色の問題として、特別な音がほかの音に隠されて気づきにくい。


もっと特別感のある音を、という要望で、サウンドの人が音色を調整する。


実は、複数の音を入れておいて、キー操作で切り替えられる仕組みを、事前に作り込んでおいた。

これで、いろいろな音の組み合わせを試してみる。

その結果を受けて、さらに音が作り込まれる。



これを何度か繰り返す間に、急に「これだ」という瞬間が訪れた。

全ての音がきれいに はまった感じがしたのだ。



サウンドの件はこれで終わり。

この作業で2時間くらいかかっていて、この間もグラフィック調整も行っているし、プログラムの追加なども行っている。




夜八時半。

サウンドとデザインの調整はほぼ終わり。


プログラムはまだ積み残しがあるが、これは後日(今週だ!)やることにして終了する。


普段は一人で働いているので、こんなに激しくプログラムしない。

会社員時代はこれを当たり前にやっていたわけで…


毎日やっているとつらいんだけど、久しぶりにやる程度なら、充実感があって、なかなか楽しいものだった。



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