2019年03月の日記です

目次

11日 イグニス 6か月点検
13日 デヴィッド・カトラー誕生日(1942)
18日 COMPET CS-10A 発表日(1964)
19日 ジャングルウォーズ2 発売日(1993)


イグニス 6か月点検  2019-03-11 18:05:51  歯車

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先日、車をパンクさせてしまった、と書いた。

家の前の道が非常に狭く、タイヤ側面をこすってしまったのだ。


実は、パンクは大ごとだが、すでに何度か車体をこすっている。新車で買ったばかりなのにね。

6か月間で…パンク含めて、6回。毎月のようにどこか擦っているような計算だ。


…まぁ、今後も毎月こすり続ける、ということにはならないと思いたい。

だんだんと車の挙動がわかってきているし、失敗するたびに「注意すべきポイント」を覚えていくから。


死にゲー(死ぬことを繰り返しながら攻略法を覚えるゲーム)のような様相を呈しているな。




で、修理ついでに6か月点検をやってもらった。

特に問題はなし。立ったか月で傷はずいぶん作ったが、走行に支障があるような故障は起きていない。



以前、1か月点検で一度「レポート」を書いた。

6か月で、その後気づいた点などを書いてみようと思う。




まず、一番書きたいこと。

イグニス購入前から気になっていたが、ネットの評判で「冬はアイドリングストップしなくなることがある」という件。


一応、ネット上のうわさでは「電池が5度以下だとアイドリングストップしなくなる」となっていた。

リチウムイオン電池は寒さに弱く、5度以下だと充放電性能が落ちるので、回生ブレーキをはじめとするエコドライブ機能が動かなくなる…という話。


これ、若干違うかもしれない。


寒い日に、実際アイドリングストップしなくなることはあった。

しかし、その場合でも回生ブレーキは動いたりした。回生ブレーキを使えるのだから、電池の問題とアイドリングストップは別なのだろう。



アイドリングストップしない場合も、10分くらい運転しているとアイドリングストップするようになる。

なので、これは「エンジン温度」の問題なのではないかと思う。


アイドリングストップは、最長2分だ。気化したガソリンが、液体に戻らない程度の時間。

あまり寒いと、この「2分」を保証できなくなり、いっそのことアイドリングストップをやめるのではないか、と思う。




エコドライブついでに…


メーカー推奨で安く…実質値引きで「無料で」つけてくれたので、パイオニアのカーナビを使っている。

運転後に、燃費を表示してくれたり、運転の注意ポイントを教えてくれたりする。


これとは別に、イグニス自体にエコ運転の成績を、100点満点で教えてくれる機能がある。


イグニスの評価は、カーナビの評価とは異なるのが最初は気になっていたのね。

片方で高評価でも、もう片方でだめ扱いのことがある。

どう運転すればよいのやらわからなかった。



これが、運転する間にわかってきた。

イグニスの成績は、減点法だ。急発進・急ブレーキなどをすると評価が下がっていく。

その方式上、長距離ドライブをすると低い評価になりやすい。


それに対し、パイオニアカーナビは加点法だ。

アイドリングストップ時間が長かったり、停止時からのゆっくり加速が多いと評価が上がる。

最大の評価ポイントである「燃費」に至っては、高速道路にでも乗らないとよい値は出ない。

方式上、長距離ドライブをするとよい評価になりやすい。


わかってくると、普段の運転はイグニス評価で 100点…悪くても 98点位取れるようになってきた。

パイオニアの方は、近所の普段使いではよい成績にならないので、無視。




昨年の初夏ごろに、近所の素掘りトンネルが剥落し、通行止めになっていた。

…鎌倉って、車が通るようなトンネルでも素掘りのところあるんだぜ。


これが、先日やっと対策工事が終わり、通行できるようになった。

それまでは子供を塾に送るのに、大きく迂回するルートを使っていたが、トンネルを使えば速い。


ところが、素掘りのトンネルは、素掘りトンネルが似合うような山の中を通るのだ。

最短ルートだけど、曲がりくねった道で速度は出せず、燃費は悪い。



以前の車なら、乗るたびの燃費なんてわからなかったから、気にならなかったのだ。

だけど、今の車ならわかる。普段の道は 11km/l 、トンネルを通る山道は 9km/l くらいの燃費だった。

トンネルの方が近道だけど、燃費が悪い。どちらがお得かわからない。


…燃費と距離がわかるのだから、どれだけ燃料を使うのか計算してみた。

ほぼ同じで、トンネルを通るほうがわずかに燃料を使わない、という程度。


ちなみに、迂回路は信号が多く、渋滞することもあり、到着時間は明らかにトンネルを通る方が早い。

普段はトンネルを使うことにした。




ところで、上に書いたのは「パイオニアカーナビによる」燃費表示だ。


これとは別に、イグニス自体も燃費計算をしてくれている。

こちらは、ガソリンタンクの燃料計・走行距離計を連動させたもののようで、運転するたびに計算、とはならないが、より信頼性が高い値のようだ。

(実際、ガソリンを入れた量と走行距離で計算してみると、こちらの値に近い)


で、これによると、普段の平均燃費は 13km/l くらい。

カーナビは「良くて」12km/l 、悪いと 8km/l くらいなのに、平均すると 13km/l になるという不思議。


まぁ、ドライブのたびに燃費を出すなんて言うのは、計算が細かすぎて誤差も大きいだろうし、違うことは構わないと思っている。

それでも、何らかの指標にはなる。




話は急に変わって、エアコンは、なかなか使い勝手が良い。


「近未来的デザイン」で、同じようなボタンが並んでいて、視認性が悪い。

このため、最初は使いにくそうだと思ったし、細かく制御しようとして「使いにくい」と感じていた。


でも、auto にしてしまえば、ほぼやりたいことを正しくやってくれる、と判明。


最初は、寒くなってきて乗り初めに窓が曇っていたら窓ガラスに温風を吹き付けて、曇りが取れたら弱めの暖房設定にして…とかやっていたのね。


でも、auto だと、湿度とか外気温の情報をもとに、必要なら勝手にデフロスタをかけ、問題なくなれば普通の暖房になる。

基本的に任せっぱなしでいいから、ボタンの視認性が悪くても問題ない。




以前CVT のドライブ感についても少し書いた。


僕はカーマニアではないので、おおむね満足しているが、急加速などは CVT では苦手なようだ。


以前も書いたが、特に「大幅な減速から加速に転じる」時に、思うように速度が上がってくれない。

交差点で右折するときに、対向車のタイミングなどを見ているときに速度が上がらないと、焦る。


先に書いた、イグニスのエコドライブ点数は、急加速などは減点されるようになっている。

ふんわりとした加速、ふんわりとした減速が「推奨される」運転のようだ。


これ、ある程度 CVT の弱点を隠したいのもあるのかもしれない。


#実際、CVT がドライブ感よりも燃費を重視した設定のようなので。




まだ、冬を超えただけで夏は経験していないわけだが、半年でずいぶん車の癖がわかってきた気がする。




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デヴィッド・カトラー誕生日(1942)  2019-03-13 16:11:17  コンピュータ 今日は何の日

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今日3月13日は、デヴィッド・カトラーの誕生日(1942)。


伝説級の OS 開発者です。

かなりの変人らしいです。


彼のことを知るには「闘うプログラマー」を読むのが一番良いようなのですが、恥ずかしながら読んでおりません。

なので、彼自身については語れるほどの知識を持っておりません。


とはいえ、せっかくなので、ネット上で知りえる程度の話を、僕の得意な技術方面を中心として、まとめておきます。




まず、彼が手掛けた最初の OS から。

DEC で PDP-11 用の、RSX-11M というリアルタイム OS を開発したそうです。


…DEC PDP-11 から説明したほうがよさそうです。



DEC は PDP シリーズという「ミニコンピューター」を作っていました。


当時、コンピューターと言えば UNIVAC 。そして、IBM。

特に IBM は、プログラムや操作を行う「オペレーター」の派遣とセットで販売しており、コンピューターは自分で扱うものではありませんでした。


それを、あえて「自分でプログラムしてよいコンピューター」として販売したのが、PDP-1 に始まる PDP シリーズです。



ところが、PDP シリーズは、開発開始順に番号がつけられています。

それとは別に、大きく分けて3系統のシリーズがあります。


つまり、数字とシリーズに関連性がなく、非常にわかりにくいです。


PDP-1 は、18bit コンピューターでした。

18bit って、今見るとすごく中途半端に見えますが、当時は UNIVAC も IBM も 36bit で、安くするためにその半分サイズにしたものです。



PDP-7 は、最初の UNIX が作られたことで有名な機械ですが、18bit のシリーズでした。

そして、このシリーズの最後は PDP-15 。


他に、12bit と 36bit のシリーズがあるのですが、突然変異のように一台だけ、16bit の機械があります。

それが、PDP-11 。最終的に、PDP の中で一番売れた機種です。


PDP-11 は、それまでの開発経験をもとに、使いやすくなるように1から再設計を行ったマシンです。

このため、CPU の命令などが非常にわかりやすく、以降の多くの CPU のお手本となりました。


当初 PDP-7 で作られた UNIX も、のちに PDP-11 に移植され、大きく発展しています。




さて、PDP-15 で、RSX-15 というリアルタイム OS が作られます。

…リアルタイム OS 、というのも聞きなれない人も多いと思います。


普段使われている、Windows や Mac OS X 、Linux などは、複数のプログラムを同時に動かせます。

これは、1つのプログラムを少し実行したら、途中結果を保存して別のプログラムを少し動かして…という操作を、行っています。


CPU が十分に速ければ、同時に複数のプログラムが動いているように見えますが、基本的には、1つのプログラムから見れば「一定時間ごとに処理のタイミングが来る」ようになっています。



しかし、世の中には、わずかな遅れも許されないような処理内容もあります。


たとえば、コンピューターにセンサーをつなぎ、何かの状態を監視しているとしましょう。

この監視内容に基づき処理を行う必要があるのですが、「処理」に時間がかかったとしても、監視をおろそかにしてはなりません。


しかし、その「監視」よりも重要な作業もあり、非常停止キーが押された場合には、速やかに停止状態に移行しなくてはならない…など。


こうした場合には、Windows のような「一定時間ごとに順番に処理する」やり方では問題が出ます。


プログラムごとに、どの処理がより優先されるか、絶対に間に合わせないといけない「締め切り時間」などを指示する仕組みを作り、OS はこうした情報を基にプログラムに処理時間を割り当てます。

こうした OS を、リアルタイム OS と呼びます。




さて、その RSX-15 を、大ヒットマシンである PDP-11 に移植したものが、RSX-11 です。


RSX-11 は、派生バージョンが多数作られています。

まず、最初は紙テープからロードして使用される、RSX-11A。

シングルユーザーの OS でした。


これを拡張し、ディスクにアクセス可能とした B。


さらに、単にアクセス可能なだけでなく、ディスクから起動し、ディスクを前提とした D。

D は、マルチユーザーの OS に変化しています。複数人数が同時にコンピューターを使えるのです。


ところで、PDP-11 はアドレスも 16bit で、64Kbyte のメモリ空間しか持ちません。

当時としては複雑なディスク装置を扱う機能を持ちながら、複数人数が同時にアプリケーションを実行できる、という OS を、64Kbyte のメモリで実現していたことに驚きます。


#注:PDP-11 は大ヒットマシンで、改良版も多数作られました。

 このため、のちには 4Mbyte のメモリを搭載する機械もあります。



しかし、当時はメモリの値段が高く、実際に販売された PDP-11 には、搭載可能なメモリ量の半分しか搭載していない、32Kbyte しかないマシンが多数ありました。


RSX-11D を、32Kbyte でも動作させる…半ば無謀ともいえる派生バージョンが、RSX-11M です。

カトラーは、この RSX-11M の開発を指揮しています。


RSX-11M は開発に成功しました。1974 年に最初のバージョンがリリースされています。


D と同じ機能を持ち、より小さなメモリで動作するのですから、これ以降 D は使われなくなります。

M は、RSX-11 の中心バージョンとなり、1993年まで バージョンアップが続けられています。




僕は残念ながら PDP-11 を触ったことはなく、当然 RSX-11 のバージョンごとの違いも知らないのですが、Wikipedia によれば「洗練された半自動オーバーレイシステムを使用している」そうです。


オーバーレイというのは、プログラムを実行する際に、同時に実行される必要のない個別処理にプログラムを分割し、現在必要なプログラムだけをメモリに置く方法です。


こうすることで非常に小さなメモリでプログラムを動かせるのだけど、その処理の必要上、ディスクのようなランダムアクセスメディアが必要になります。

おそらくは RSX-11A から持っている機能ではなく、せいぜい D、おそらくはメモリが不足した M からつけられた機能なのでしょう。



普通は、オーバーレイするプログラムを作成する際には、プログラマがプログラムを分割し、小さなモジュール構成にして、複雑なメモリ管理をしながら作る必要があります。

しかし、「半自動」というのは、分割までやっておけば、メモリ管理などはシステムがやってくれた、ということのようです。

これは、プログラムコンパイル時に行われたようで、複雑なプログラムになると、オーバーレイの生成処理だけで数時間から数日かかったそうです。



…この「数日」も、おそらくは最大限に複雑なプログラム、OS そのものを生成するときなんじゃないかと思います。

OS そのものもオーバーレイしながら動作したのでしょう。



#注:頻繁にディスクアクセスするようでは、真のリアルタイムにはならない。

 本当にリアルタイム性が必要な時は、機能はサブセットだが完全にメモリに収まり、ディスクアクセスを行わない RSX-11S が使われた。




ところで、途中で書きましたが、PDP-11 には UNIX も作られていました。


この UNIX は AT&T ベル研究所によるもので、のちにカリフォルニア大学バークレー校によって拡張されています。

(いわゆる Syetem V と BSD)


これに対し、DEC が公式に「移植」した、Ultrix-11 という UNIX もあります。

さらに DEC 公式として、先に書いた RSX-11M もありますが、「世界初のマルチタスク OS」である、MIT の TSS に由来する、RSTS-11 もありました。


「マルチユーザーなんていらない」人向けに、RT-11 という、これも公式の OS があります。

さらに、MUMPS という OS をやはり公式に移植した、DSM-11 もあります。


公式 OS だけでも、5つあるのです。

これに加えて、PDP-11 は大ヒットマシンだったため、先に書いた UNIX をはじめとする多数の OS が作られていました。


もちろん、OS 毎に、その上で動かせるアプリケーションも異なります。

使いやすくするためには、統一した、決定版の OS が必要でした。




PDP-11 は、その後 VAX-11 という名称で 32bit 版が作られています。

初期のシリーズは、PDP-11 とも互換性を保っていました。


ここに、ふたたびカトラーが、RSX-11M を基とした OS を作っています。

VMS と名付けられています。Virtual Memory System の略で、仮想記憶を採用した OS であることを意味しています。


#仮想記憶の概念自体は、VMS 以前から存在している。

 UNIX もこの後 PDP-11 から VAX-11 に移植され、仮想記憶に対応した。


仮想記憶とは、単純にいえば、ソフトウェアで頑張ってメモリを節約していた「オーバーレイ」を、ハードウェアの支援で行おう、というものです。

ハードが面倒を見てくれるので、ソフトウェアを作る人は実際の搭載メモリを気にする必要はなくなります。


とはいえ、実際の搭載メモリを超えてしまうと、メモリをディスクにスワップし始め、速度が低下します。

VMS 自体は、ちゃんと RSX-11M の後継として、小さなメモリで動作するように工夫して作られていました。


「OS の決定版」として、UNIX よりも多くの機能を作り込んでありましたし、みんなが使うはずでした。


しかし、先に書いたように、VAX-11 にはすぐに UNIX が移植されています。

そして、UNIX の人気はより高まっていくのです。




先に、PDP-11 が多くの CPU のお手本となった、と書きました。


そのころの CPU は、今でいう CISC と呼ばれるものです。

プログラマーがアセンブラでプログラムを組みやすいように、豊富な命令がそろっています。


しかし、命令を大胆に減らす代わりに、高速な命令実行を可能とする新アーキテクチャ、RISC が台頭します。

DEC でも、RISC CPU を使った新マシンの開発に着手しました。


カトラーは、このプロジェクト全体を指揮しました。

RISC を使ったハードウェア開発と、そのマシンに合わせた新しい OS です。


RISC の高速性を活かし、UNIX とも VMS とも互換性のある、新しい OS となる予定でした。

当時パソコンでは Mac が GUI という概念を提示しており、GUI を中心とした操作にする…という考えもあったようです。


一説には、「VMS を進めたもの」という意味で、WNT という名称で呼ばれていた、とも言われています。

(VMS の文字を、それぞれアルファベット順で1つすすめると、WNT になる)


しかし、DEC は会社として「保険」をかけていました。

RISC マシンプロジェクトは、同時に3つが進められており、途中で判断して、一番よさそうなものだけを残したのです。


カトラーの率いたプロジェクトは、途中で中止となります。

失敗プロジェクトを率いた責任者に、その後の仕事は用意されていませんでした。




仕事を失ったカトラーに、マイクロソフトから引き抜きのオファーが来ました。

カトラーはマイクロソフトに移籍します。


この際、彼のチームメンバーの何名かは、彼を慕ってついていきました。


マイクロソフトは、彼に 32bit 版の Windows の作成を依頼しました。

当時広く使われていた Intel の 486 プロセッサではなく、MIPS,Alpha,PowerPC,i860 などの RISC CPU 向けに作ります。


しかし、のちに方針を転換し、従来の 16bit DOS、Windows と互換性を確保し、Intelの x86 にも対応させることになりました。



ここで、DEC で中止した OS の計画が再び動き出します。

UNIX 、VMS との互換性は不要ですが、DOS、Windows との互換性を持たせた、GUI OS です。




複数の OS と互換性を持った OS 、というのは、このころすでに実績がありました。

IBM は、DOS / Windows / UNIX / MacOS などのソフトをすべて動かせる「Workplace OS」の作成を表明し、実際に DOS / Windows だけに限定した形で完成させ、OS/2 という商品名で発売していました。


その仕組みは、マイクロカーネルという概念にあります。


従来の OS は、全体に必要な機能を考え、すべてを一体として設計されていました。

しかし、マイクロカーネルでは、OS は「各種機能の連絡方法」だけを用意し、あとはすべて別プログラムとしてしまうのです。


普通の OS なら絶対必要な、メモリ管理・プロセス管理・ディスク管理なども、OS 周辺の別プログラムとして用意されます。


このやり方だと、各種 OS との互換を取る際も、既存部分と違う部分だけを少しだけ作ればよいことになります。

流用できる部分は流用し、API (呼び出し方)の問題だけならそれを用意し、根本的に違う部分はそこだけ新たに作り…



当時の Windows は、ディスク管理を中心とした DOS の上に、プロセス管理やメモリ管理、グラフィックライブラリなどを積み重ねた形で作られていました。

もともと、DOS の機能が貧弱だったため、上に乗せた部分が肥大化しすぎ、非常に不安定になっていました。


それを、マイクロカーネルの手法を使うことで互換性は確保しつつ、安定性も高め、さらに先進的な機能まで準備したのです。


完成した OS は、Windows NT と名付けられました。NT は New Technology (先進機能)の略。

しかし、VMS を一歩進めた WNT でもあります。



互換機能はありますが、当初は十分な確認が行われていませんでした。

そこで、サーバー用途として NT を売りつつ、互換性を高めていきます。


2000 年発売の Windows 2000 で、デスクトップ用としても NT が導入されます。

とはいえ、この時は DOS ベースの Windows Me も発売されています。


そして、2001 年の Windows XP で、デスクトップも完全に NT 系列となります。

以降、今でも Windows は NT 系列です。




現在、Windows は 64bit 化され、16bit の DOS / Windows との互換性は失われています。


しかし、32bit Windows との互換性は相変わらず保たれていますし、新たに Linux との互換性が確保されています。

これも、当初からマイクロカーネルの設計が良かったからできたこと。



64bit 化の際には、デヴィッド・カトラーは、自分で 64bit のコードを書いていたそうです。

もう上に立って指揮するだけでいいような身分なのに、プログラムを書くことが楽しいのですね。


2008年ごろには、Windows Azure に参加していたようですし、2013年ごろには、Xbox One に参加していたようです。


現在かかわっているプロジェクト名などは明らかにされていませんが、77歳の今も現役で、マイクロソフトで働いているようです。



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COMPET CS-10A 発表日(1964)  2019-03-18 18:01:55  今日は何の日

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今日、3月18日は、COMPET CS-10A の発表日(1964)


世界初の、オールトランジスタ計算機です。

開発は早川電機工業。現在のシャープです。




当時は、まだタイガー計算機が当たり前に使われていた時代。

モーターで歯車を回すタイガー計算機もありましたが、「電気計算機」と言えばそんな感じ。


しかし、今回の話の主役である CS-10A の少し前に、歯車を使わない、純粋な電気計算機が登場しています。

樫尾製作所(現在のカシオ計算機)製の、カシオ 14-A でした(1957)。


14-A では、リレー素子を使って計算を行います


なので、「電気」計算機ではありますが、「電子」計算機ではありません。

物理的な動作が伴うのです。

とはいえ、歯車よりは、はるかに高速。


サイズも、机ほどの大きさがありました。

というか、わざと机型にしてあり、書類などを上に置いて事務を行うようになっています。



この後も、カシオは次々と計算機を開発します。

タイプライタと連動し、計算結果を表として出力できる機械(TUC 1961)や、計算手順を交換可能な専用歯車としてプログラムできる機械(AL-1 1962)など、日本の計算機業界をリードします。




1963 年、イギリスで「アニタマーク8 (Anita mark8)」という計算機が登場します。


物理動作を伴うリレーではなく、純粋に電気の流れのみで計算を行える真空管式の計算機でした。

特筆すべきはその大きさで、机の上に置けるサイズでした。電子卓上計算機、現在でいう「電卓」です。


#もっとも、当時から電卓と呼ばれていたわけではありません。


日本でも数社が、この計算機を購入し、分解して構造を調べたそうです。

そして、翌年のビジネスショーでは、いくつもの電卓が「発表」されます。



まず、ビジネスショーの前に新聞紙上で発表したのが、早川電機とソニー。

共に、1964年の 3月 18日でした。


シャープは開発中の5号機、「MD-5」を発表しています。

ただし、シャープはまだ開発中で、他社がビジネスショーで電卓を発表するという噂を聞いて、牽制のために新聞発表しただけでした。


今日の話の主役、CS-10A は、開発は終わり、量産段階に入っていました。

実際、夏には発売されています。日本初の電卓であると同時に、世界初のオールトランジスタ電卓でした。




そのほか、キャノンカメラ(現在のキャノン)は、キャノーラ 130を発表しています。


カメラのレンズ設計は、非常に計算の多い作業です。

日本初のコンピューターである、FUJIC も、富士写真フィルムが社内で使用するために開発したものでした。


キャノーラ 130も、社内向けの開発で、開発自体は前年の夏には終わっていました。

しかし、社内用に使うための開発で、市販の意思はありませんでした。


それを、「電機メーカーがこぞって電卓を発表するらしい」という噂を聞きつけ、同時発表になったものです。



大井電気は、アレフゼロ 101 を発表しています。

パラメトロンを使った電卓でした。


パラメトロンは、日本人後藤英一さんの発明による、計算可能な電子素子です。

トランジスタよりもはるかに安く作れ、安定性も高かったため、一時期は国産コンピューターに多く採用されていました。


しかし、急に高性能化するトランジスタに追いつけず、コンピューターでもすぐに使われなくなります。

計算機も同じで、アレフゼロはあまり受け入れられずに消えていきます。




シャープ、ソニー、キャノン、大井電気と、4社から一斉に電卓が発表されたのが、1964年でした。

後に言われる「電卓戦争」が緩やかに始まった年です。



シャープの CS-10A は、この4社の開発のきっかけとなった「アニタマーク8」によく似ています。


キーは、1桁ごとに 0~9 が並んでいます。

10桁の入力が可能なので、数字だけでキーが 100個も並んでいるのです。


他の4社は、テンキー入力でした。

カシオが開発した入力方式で…つまり、今の電卓と同じ形式です。



出力は、キャノン以外はニキシー管でした。

ガラス管にフィラメントを封入した真空管の一種ですが、フィラメントを数字型に成型してあり、10本のフィラメントが入っているために数字1桁を表示できます。


ニキシー管は、真空管なので高い電圧を必要とします。

結果として、消費電力が大きいのが欠点でした。


そこで、キャノンは、アクリル板に横から光を当てて数字を表示する、という方式を採用しています。


アクリル板に、点描するようにくぼみを空けて、数字を描きます。これを 0~9まで重ねて配置します。


アクリル板に横から光を当てると、光は板の表面で反射し、中に閉じ込められるように進みます。

しかし、くぼみからは光が漏れ、正面からは光っているように見えるのです。


光学メーカーである、キャノンならではの発想でした。




さて、4社の発表を受け、「計算機の覇者」であったカシオも、社内的にトランジスタ計算機を試作していることを、慌てて開示します。

開発中でまともに動かない機械ではあったものの、その後開発に力を入れ、翌年には正式な発表にこぎつけます。


さらに、日本計算機(後のビジコン)からも、1966年にビジコン 161 が発表になります。


さらに、ソニーが MD-5 を改良し、SOBAX ICC-5500 として発売したのは、1967年でした。


この6社で、激しい争いが繰り広げられることになり、日本の電卓はあっという間に高性能・低価格化していきます。


最初の CS-10A は、53万5千円でした。

当時は会社の部長決済では、50万円までの買い物ができるのが普通だったそうで、50万円を切るのが目標額でした。


実際には目標額を達成できなかったわけですが、何かと理由をつけて1割引きにすれば部長決済で購入してもらえる、というぎりぎりの値段だったようです。


#ちなみに、当時の自動車もこの程度の金額だったそうです。



ちなみに、カシオの 14-A は、48万5千円。

この時すでに「古い機械」になっていますが、まだ販売は続いていたようです。

シャープの値段は、高速・小型なのだから高くても売れる、という強気の設定でもあります。




先に書いたように、カシオが翌年に発表した電卓は、38万円でした。


さらに、ビジコンは29万8千円。

急に値段が下がりすぎたため、「ダンピングではないか」と疑われ、業界他社からいろいろな圧力がかかったようです。


ここに、電卓戦争が本格化します。

ソニー、大井電気、キャノンは、激しい競争になったため、早々に撤退しました。




この後、電卓の性能競争の中で、計算回路を効率よく作るアイディアが次々出され、ついには世界初の「CPU」のアイディアにまでこぎつけます。

そう、CPU は、日本の電卓戦争が生み出したものなのです。


この話は以前に書いていますので、興味があればお読みください。





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ジャングルウォーズ2 発売日(1993)  2019-03-19 13:52:45  コンピュータ 今日は何の日

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今日、3月19日は、スーパーファミコン用ゲーム、「ジャングルウォーズ2」の発売日(1993)


普段は個別のゲームの発売日なんて取り上げないのですが、今日はちょっと特別。

僕がアルバイトでお手伝いして、スタッフロールに名前を入れてもらったゲームなので。


市販の…広く一般流通したゲームに名前を入れてもらったのは、初めてでした。


#これより前に、個人作成した X68k 用ソフト、「コメット」を全国販売してもらっているのだけど。



もっとも、雑用レベルで「お手伝いした」だけなんですけど。

スタッフロールでは、サブプログラマ扱いで入れてもらっていたはず。


そして、当時(というか今でも)僕はスーパーファミコンを持っていないので、せっかく名前を入れてもらったのに遊んだことがありません。



大ヒットゲームではありませんが、遊んだ人が口をそろえて「いいゲームだった」という程度には、良作だったようです。




せっかくなので裏話。

伝聞ばかりで申し訳ないけど、当時アルバイトしていただけなので深いことはわかりません。



マップデータとか、とても ROM に入りきらない広いもので、圧縮して入れてあるそうですよ。

メインプログラマの人が、ハフマン符号使って圧縮している、と言っていました。


ハフマン符号を使うと、任意の位置のマップデータをすぐに取り出すのは難しいわけですが、マップ全体データを荒く区切って、「代表的な位置」を示すポインタを持っている、と言っていたと思います。


任意の位置のマップデータが欲しい場合、近い位置のポインタから展開を始めて、目的のデータを取得します。


…ポインタがかなりの数になって、データは圧縮したけどそれほどメモリ効率は良くない、と言っていた気がします。




このゲームの BGM 、ジャングルっぽい雰囲気で、打楽器を中心とした音楽になっています。


最初は、打楽器をサンプリングして、それで音楽を作ろうとした…のですが、打楽器ってホワイトノイズに近い周波数成分のものが多くて、音階を出そうとしても出ない。


そこで、低いベースの音と打楽器の音を重ねることで、打楽器っぽいまま音階が出るようにしたのではなかったかな。


メインプログラマーの人は、もともと音楽好きが転じてサウンドプログラマーもやっていた人で、この「音作り」もメインプログラマーの手によるものだったはずです。

その音を使って楽曲を作るのは、別の人に任せていましたけど。




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