2021年03月11日の日記です


あれから10年  2021-03-11 18:06:27  その他

東日本震災から10年だ、ということで、ここ数日テレビや新聞でも頻繁に取り上げられている。


まぁ、節目なのだとは思う。

ただ、一つの節目ではあっても、昨日までの生活と、明日からの生活は特に変わらない。

節目っていうのは、その程度のものだ。



記憶・体験の風化が心配、というような話題も多いのだが、その中には震災を知らない子供たちも増えてきている、という話題があった。


当たり前だ。10年たったのだから、10歳以下の子供は知らなくて当然。

それは最初から知らないので、風化ではない。



鎌倉市は防災放送のための放送塔設備があり、2時46分に黙祷が呼び掛けられていた。


余計なお世話だと思う。

黙祷とは祈りをささげることだ。


親類縁者に亡くなった方がいる方は黙祷するのは良いと思うが、遠く離れた見ず知らずの人間が祈るなど、安っぽい感傷に浸っているだけに思う。


そもそも、2時46分、と気軽にシンボライズされていることにも違和感を感じる。

震源地は2時46分に揺れた。しかし、鎌倉市が揺れたのはその時間ではない。

死者の多くも、最初の地震ですぐ亡くなったわけではない。


そうした事実を、別の情報によって上書きして消していく。

このようにして風化が進む。




yahoo 防災速報アプリでも、今日の昼頃メッセージが届いた。


東日本震災から今日で10年目であることを伝え、改めて気を引き締めて日頃の防災の備えを行いましょう、と呼びかけるもの。


今改めて考えること。これは重要だ。


「風化させない」などというと、過去の記憶を維持する話になりやすい。

そして、維持するために思い出そうとして、先に書いたように記憶がすり替わる。


当時を思い出す話に始終するのは、思考停止にもつながりやすい。

過去の「教訓」は活かすが、それを今に適用する方法を考え続けないといけない。




ちょうど昨日、次女(小5)が「当時のことを親に聞いてみましょう」という宿題を出された。

これもちょうど10年だからだね。



小5は現在ほぼ11歳。震災当日にすでに生まれているが、1歳数か月で記憶しているわけがない。

しかし、1歳の子供を抱えた家庭は、どこでも大変だったはず。それを聞いてくるのは非常にいい宿題だ。



当時「我が家では」どう過ごしたかを話した。

津波が大変だったとか、そういう話はない。鎌倉の我が家では、停電して困ったという話がせいぜい。

…いや、困ってすらいなかったな。大変だったけど、どのように工夫して乗り切ったかという話程度。


ただ、そこから得られる教訓はあるし、当時を思い出すことで今を戒めることにもなった。

上に書いた Yahoo 防災の話と同じだ。



当時、庭にあったソーラーガーデンライトを部屋の中に持ってくることで、停電しても明るく過ごせたのだ。

現在、ちゃんとしたガーデンライトを庭に敷設したため、ソーラーガーデンライトはない。


一瞬、防災のため再準備したほうがいいか? と自分に問うた。

いや、いらない。防災のために充電式のライトが大量にあって、普段使いもしているから。


ちなみに、大型の充電バッテリーと、それに対応した大型ソーラーパネルもある。

家電品を動かすほどのパワーはないが、スマホの充電くらいなら困らない。




当時始めた飲料水のローリングストックは、今でも続けている。

ただ、少し本数を減らした。一時期はこのストックだけで家族5人分×1日3リットル×5日間の水を用意しようとしていたのだが、それは置く場所が大変だったため。


我が家はエコキュートを使用していて、このタンクはある意味究極のローリングストックである。

これも考慮すれば水は足りるはず。


また、近所に飲めるほどきれいな清水が湧いているところがある。

生水で飲むわけにはいかないが、細菌を除去できる中空糸膜の浄水フィルタ付きポンプを購入してある。



食料のローリングストックも行っている。これも3日分を目安にしているが、基本的に日持ちするお菓子ばかりなので、栄養バランスは悪いかもしれない。

ただ、災害時に「これ以外ない」ということではないのだ。冷蔵庫の中のものは、痛むことに気をつければちゃんと使える。


燃料としての炭も常に常備している。

これは、時々庭でバーベキューをするためのものでもあり、やはりローリングストックだ。


キャンプ用のストーブもある。これは、半年ほど前に点検した。

燃料がないはず、と思っていたが、ちゃんと買い置いてあった。


そういえば、2年ほど前にはカセットコンロも買ったのだった。

置いてあるが、まだ1度も使ってない。




最近は地震以外にも、大型台風や、今回のように疫病などの災害も増えている。

これらのことも考慮しつつ、総合的な対策を考えて防災に努めないといけない。


それは、ともすれば「東日本震災」のことが片隅に追いやられているように見えるかもしれない。

人によっては風化だ、というだろう。


しかし、一番重要なのは、過去の教訓を今に活かすことだ。

風化させてはならない、というのもそのためのはずだ。


活かさねばならぬ教訓は日々増える。

古い教訓を忘れてよいわけではないが、「一部」にすぎなくなるのは必然だ。



公開してすぐ追記


僕の日記システム、過去の同日の日記へのリンクを自動的に張るようにしているのだけど、公開して気づいた。


5年前にもほとんど同じ内容のこと書いてるね。

風化させるな、という言葉に疑問を呈しつつ、災害の備えをしよう、と呼びかけている。


自分で読み返して驚いたのが、伝染病の流行で外出できない、ということも想定して備えるべきだと書いていること。

実際、現在外出を最低限にしてもなんとか生活できているのは、生活習慣を整えることも含め、十分な備えがあったから。


まぁ、それでも昨年の今頃は、急に学校が休みになって戸惑っていたんだけどね…




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