世界初の「ホビー」マシン
前回紹介した Whirlwind I (以下 WWI)を作成したのは、MITのサーボ機構研究室でしたが、空軍のために改良したのはMITのリンカーン研究所でした。
WWI は真空管を使ったコンピューターでした。
空軍版は無停止運用のためにこれを2台併用します。さらに、複数人数のオペレーターが同時に使用するために、複数のコンソールを用意します。
結果として、空軍版は非常に大きなコンピューターとなり、設置するためには4階建てのビルを建てる必要がありました。
空軍版の完成後、リンカーン研究所では WWI の小型化をめざし、トランジスタでのコンピューター作成を試みます。
目次
トランジスタ・コンピュータ
コンピューターがどのように計算を行っているか…という話はややこしいので詳細には踏み込みません。
ただ、「フリップフロップ」というものがあれば、寄せ集めてデジタル計算機(コンピューターは計算機の発展したものです)を作れます。
フリップフロップの正確な概念はともかくとして、「電気で動かせる、電気スイッチ」だと思ってください。
家の電燈のスイッチと同じように、ON にしたらずっと ON 、OFF にしたらずっと OFF のままになります。
ただ、その「ON OFF 操作」が電気で行える、というのがフリップフロップです。
フリップフロップは、リレー素子や真空管で作ることが出来ます。
リレーは電磁石でスイッチを物理的に動かす仕組みなので遅いのですが、ENIAC 以前にはよく使われていました。
ENIAC 以降はより高速に動作する、真空管が主流となりました。
そして、第2次世界大戦末期に作られた新素子、トランジスタを使えば、もっと小さく、軽く、省電力にできると考えられるようになりました。
1953年、イギリスのマンチェスター大学で、トランジスタを素子とした「トランジスタコンピューター」の試作に成功します。
これは、Baby Mark-I をトランジスタに置き換えたものでした。
この後、1954年にはベル研究所が「自称」世界初のトランジスタコンピューターである TRADIC の開発に成功します。
ちなみに、どちらも一部回路に真空管を併用していて、トランジスタ「のみ」のコンピューターではありません。
…どちらが世界初か、というのは難しい問題です。
そしてこのころ、リンカーン研究所でも、WWI をトランジスタに置き換えたコンピューター「TX-1」の製作計画が始まります。
計画の指揮は、ケン・オルセン。
オルセンは、MIT の学生だった頃、海軍研究局(ONR)での兵役につき Whirlwind プロジェクトにも参加していました。
終戦後は MIT の学生に戻って電気工学の修士号を取得、リンカーン研究所に職を得ていました。
開発計画では、WWI をベースにするとは言っても、時代に合わせて機能の増強が図られています。
その目玉の一つが「大容量メモリ」でした。
WWI では、メモリ素子としてコアメモリが使用されました。16bit を1ワードとして、2048ワード(2Kワード)が準備されました。
TX-1 では、これを一気に 36bit で 65536ワード(64Kワード)、ビット数でいえば 72倍まで増やそうという計画でした。
ただ、野心的な計画には十分な下準備が必要です。
64Kワードものメモリが本当に安定して動作するのかを確認する必要がありました。
そこで作られたのが、TX-0 コンピューターです。
これは…コンピューターに必要な「計算能力」はそれほど重視せず、64Kワードのメモリが動作することを実証するために作られた、メモリのお化けです。
とはいえ、目的の一つには「大容量ならどのようなアプリケーションが作成できるか」という試験も含めていたので、ちゃんとコンピューターとして最低限の動作は出来るようになっています。
真空管でも「世界最大のコンピューター」だった WWI をトランジスタ化しよう、というのですから、世界一高価なコンピューターになることはわかっていました。
このことも、TX-0 で「思い切った回路簡略化」が行われた原因のようです。
写真は、TX-0 の基本フリップフロップ。トランジスタ10個をガラス管に封入してあり、故障時にすぐ交換できるようになっています。
TX-0の開発
TX-0 の開発ですが…Whirlwind I のような「開発ドラマ」はありません(笑)
TX-0 の基本設計は WWI からの流用ですし、トランジスタでコンピューターが作れることも、すでにマンチェスター大学とベル研が実証しています。
すでに書いた通り、大容量コアメモリの動作確認を目的とする実験機ですが、コアメモリ自体は WWI でも使った技術です。
つまり、TX-0 自体は、すでにある技術をうまく寄せ集めて作っただけです。
開発開始は、1955年、特にトラブルなどもなく、翌1956年にはあっさり完成しています。
空軍版 WWI が 1954年開発開始、1958年完成ですから、その裏で作業していたことになります。
ドラマはむしろ完成後…それも、TX-0 の後継機が完成して TX-0 が「不用品」になったところから始まるのですが、その話は後でしましょう。
まずは、TX-0 の、非常に興味深い命令体系について紹介します。
話の流れとは関係なく、mitの公式ページにもある当時の記録フィルムが Youtube にあったので埋め込み。公式アップロードかどうか不明です。
見どころを紹介すると…
冒頭 | TX-0 の全景 |
0:18 | 回路素子(ガラス管が1つのフリップフロップ) |
0:35 | コアメモリ?(詳細不明) |
1:08 | 高速光学パンチテープリーダ |
1:20 | テレタイプ(Flexowriter)端末 |
1:41 | ディスプレイとライトペンによる「お絵かき」の実演 |
2:40 | 「不経済タイプライタ」(と思われる)の実演 |
2:53 | 上記プログラムの画面表示 |
4:10 | Tic Tac Toe (ライトペンで操作している) |
5:35 | 上記プログラムで勝ったところ。Congratilations 表示と、続けるかを YES / NO で聞いている |
5:54 | Mouse in Mazeの画面。上の Tic Tac Toe と共に、世界で最初のテレビゲームの一つ、とされている |
ディスプレイの撮影部分は、フリッカー(ちらつき)が激しくて見るに堪えません (^^;
念のため書いておけば、フリッカーは動画撮影したために強調されていて、実際の画面がこんなに見にくいわけではありません。しかし、「表示するものが増えるとフリッカーが激しくなる」というのはベクタースキャンならではの現象。フリッカー自体をお楽しみください(笑)
いくつかの画面は、キャプチャして重ね合わせ、フリッカーを消した静止画を作りましたので、各所でお見せします。
これらの動画・画像の著作権はおそらく MIT にあり、勝手に使用していることをお断りしておきます。